トピックス2012年1月19日 トピックス案内へ戻る
岐路に立たされる兵営国家
金正日の死と世界史のなかの北朝鮮
目次
はじめに
1 帝国主義時代が生み出した金体制
2 「社会主義」ではなく国家資本主義でもない兵営国家
3 軍事経済のもとで衰亡しつつある金体制
4 北朝鮮や旧ソ連の「巨大な歴史的意義」を讃えるのか?
5 20世紀の戦争と国家、そしてスターリン体制
6 金体制は路線転換が可能か?
7 改革開放への動向
●はじめに
ブッシュ米国元大統領が、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだことはあまりにも有名です。日本のマスコミも政府も北朝鮮の個人独裁体制や権力世襲を愚弄し、みくだし奇異の目で、まるでカルト・スキャンダルのごとくとりあげていもいます。なるほど金体制が、民衆抑圧的であり、危険でばかげているというのであればそのとうりです。そのうえ拉致事件や大韓航空機爆破事件(1987年)やラングーン事件(1983年)などのテロ行為や、約2年前の韓国軍艦の撃沈事件、約1年前のヨンピョン島砲撃事件など、その冒険的軍事行動も枚挙にいとまががありません。核兵器開発もなかば公然と行っています。
金正日の死によってあらためて北朝鮮の動向が注目されています。しかし、非難ばかりが先行しても今後の動向が見えてくるわけではありません。何故このような反動的な国家が成立しまた存続しているのかという基本視点も必要でしょう。あらためて北朝鮮の体制について歴史的に考えてみましょう。
1●帝国主義時代が生み出した金体制
米国や日本政府は、事件が起きるたびに北朝鮮を非難するとともに、国際的圧力、特に中国の北朝鮮に対する働きかけによる暴走の制止を期待しています。北朝鮮の暴挙は糾弾されるべきです。しかし、事態は楽観できません。北朝鮮の金体制は、金正日が死んだとしても臨戦態勢をとる兵営国家であることをすぐさまやめるとはおもえません。この国家体制は、経済的繁栄や国際的平和や協調ではなく、戦争か戦争につながりうる危機という情勢でこそ、国家・国民に体して金体制の正当性を主張できるのです。したがって、この国家は「国際社会の圧力」には容易に屈しないと思われます。
ぎゃくに帝国主義・大国主義への屈服は体制存立の正当性を喪失することになり、内部分裂さえ誘発する可能性があると考えられます。かくして、今後もこの体制が存続する限り、核兵器開発が継続され危険な軍事行動がくり返されると想定されるのです。
新たな帝国主義的軍事行動を挑発する現在の北朝鮮の金体制は、北の民衆にとっても、他のアジア諸国の人民にとっても何の存立の意味も無いでしょう。しかし、このような北朝鮮の独特な体制が強固に構築された原因は、単に旧ソ連軍の過去の占領地政策や金日成の権力志向にだけ求めることはできません。むしろ日本の植民地支配や米ソ冷戦時代の産物であることを理解すべきだと思われます。北朝鮮の民衆が、日本の帝国主義支配を脱したのち新たな軍事的圧政のもとで呻吟している現実は、うちつづいた帝国主義時代の国家間対立の産物なのです。
北朝鮮の国家成立過程(抗日武装諸集団の形成)が、日本の帝国主義侵略のまっただ中で開始されました。その後日本の敗戦とともに占領軍であるソ連軍主導の国家形成(1945年以降)が開始されました。それは「民主基地路線」と呼ばれましたが、つまりはソ連による対米戦略の基地、朝鮮統一の基地として位置づけられました。さらにスターリン=金日成による朝鮮戦争(1950〜53年)の勃発がありました。それ以後も、この国家は米軍・韓国軍ときびしく対峙してきたのでした。支援やてこ入れがあったとはいえ当時のソ連や中国(特にソ連)は、他国への侵略も辞さない帝国主義そのものでした。金体制は初期にはソ連の力で育成されたのですが、その後の北朝鮮の国家形成過程は、まさに帝国主義時代に生まれ小国家の、武装力=国家の要塞化に生き残りをかけた悲惨な歴史であったことを忘れることはできません。
この国家は、今でも「先軍政治」を掲げ、「帝国主義との闘い」を国家存続の大儀としています。いわば、帝国主義に対する「罰」として存続しているのです。しかし、そのもとで言わずもがな、民衆は自由を奪われ強制動員と飢餓線上の悲惨な暮らしを強いられています。
2●「社会主義」ではなく国家資本主義でもない兵営国家
北朝鮮では七二年の憲法で正式に「社会主義」を打ち出しています。しかし、それは全くのデタラメとしかいいようがありません。すくなくともマルクスの協同社会=アソシエーションに基づく社会の正反対なのが北朝鮮の現状です。人々の自主的な協同性に基づく労働ではなく、動員的な強制労働。国家官僚と軍隊による強権的な統治。「王朝、貴族」ともやゆされるようなエリート権力者と地方の飢えに苦しむ一般農民との格差等々。
社会主義の「証明」のように語られた低価格公営住宅の提供、食料の配給制度、無料の公的医療制度などもとっくにほころびています。しかし、これらの制度は、たとえ円滑に運営された場合でも、協同社会を意味するのではなく、国民一人一人の生活維持費を低く抑え、民衆の贅沢を省き「先軍政治」(金正日)にできるだけ多くの資源と労働力を動員するための社会システムとして計画されたもので、けして「社会主義」の証にはなりません。
北朝鮮は国家的強制や階級的搾取から解放され、人類的な協同性に基づいて成立している「社会主義」では無いことはあきらかなところです。
さらに現代の北朝鮮は、「国家資本主義」あるいは「○○資本主」と呼べるような経済制度の水準にあるとは筆者は考えていません。すでに論じてきたように北朝鮮は、帝国主義の時代に小国として独立し、その自立と権力中枢の利益を維持するために、大衆的犠牲の下で不毛な軍事体制をなにより優先している退廃した国家社会体制であることは疑問の余地がありません。
たとえば金正日の掲げてきた「先軍政治」とは、北朝鮮による定義によれば「軍事先行の原則により、革命と建設から生じるすべての問題を解決し、軍隊を革命の柱として社会主義の偉業全般を推し進める政治である」と彼らの基本認識を示しています。つまり、旧ソ連と基本的には同じです。
革命権力の変質から成立したソ連国家は、帝国主義の威圧的包囲のもとで国際的には完全に孤立状態にあり(1920年台)、したがって風雲急を告げる戦争に備えるため自国民の動員と収奪のもとで、軍事経済と軍事体制を最優先に構築し、独ソ戦争=第二次世界大戦を戦い抜いたのでした。その後米国という巨大帝国との対峙=軍拡競争のなかで、準戦時体制を維持し軍産複合勢力の支配する退廃的な社会体制へと逢着したのです。私見では、これがいわゆるスターリン体制の内実であると考えています。(拙著『どこへゆく? ロシア』オリオン参照)
たとえば旧ソ連のグラスノスチ(情報開示)時代の報道を一例だけ引いてみます。
「ソ連の軍事産業従事者は約八百万人、アメリカは二百二十万人、軍拡のための巨額な出費が、ソ連国民の負担となっていた。・・・ソ連最高会議予算財政委員会は、この(国家予算に占める軍事費の割合)出費が49%であることを明確にした。・・西側の専門家とソ連の独立系エコノミストの意見では、、ソ連の今年の実際の軍事費は少なくとも、2000億ルーブル・・・GNPのほぼ20%にあたる。アメリカでは6.5%、日本では1%である。戦後四六年を経てもなお、ソ連は『すべてを前線のために、すべてを勝利のために!』という原則に従っている。」(『アエラ』1991年4/5号)。
ついでにもう少し参考数字を追加しましょう。第二次大戦の最後の年(1945年)の米国の軍事費は、GNP比で38%、朝鮮戦争時が11%、ベトナム戦争ピーク時8%、レーガン大統領時代の軍拡時代ですら7%等です。旧ソ連は、ブレジネフ時代を頂点として、戦後も一貫してGNP比で20%に高止まっていたと推定されます。ゴルバチョフの側近で改革派のヤコブレフはソ連崩壊後の1993年に「工業の三分の二から四分の三が軍需である事実、それこそが(ソ連の)経済的破局の根源」(『歴史の幻影』)と語りました。
ですから、北朝鮮・旧ソ連の例は、企業や銀行を所有しもしくは強力に管理しているという点で共通でも、韓国(7〜80年代)、中国、台湾(6〜80年代)、インド、ベトナム等のいわゆる「国家資本主義」の事例と区別されるべきなのです。前者と後者は、歴史経緯の差により国家体制と目標が異なっているのです。
後者の国家群は、国際市場進出のため経済開発に邁進する目的で、企業や経済システムを国家が所有しまたは強力に主導したのです。国家機能の全力を挙げて「国防」「軍事体制」「軍事経済」に邁進した国家と、国家機能の主力を注いで「経済開発」「資本蓄積」に(進路を定め変え)邁進した国家とは当然に重大な区別があります。なのでこの両者を(特に中国と旧ソ連や北朝鮮を)「国家資本主義」として一つにくくることは概念の混乱となるでしょう。
3●軍事経済のもとで衰亡しつつある金体制
「先軍政治」(金正日)つまり軍事優先で戦時体制や準戦時体制を継続することは、経済的には拡大再生産や特に民生的な消費物資の貧困、さらには技術革新の停滞、そして疲弊・旧式化した生産設備の更新すら滞るのは不可避なのです。軍事的経済つまり戦車や大砲や軍艦を造ることは、またはそれらを使用することもどのような生産物をもたらしません。その過程につぎ込まれた労力、資材、原料、エネルギーすべてが生産力の向上や拡大生産の余剰を産み出すものではないからです。言わんや民生の消費財はますます飢餓状態に落ち込んでゆくでしょう。
これらは,経済学以前の自明なことがらです。それが北朝鮮でありそして旧ソ連体制の根幹に存在していたのです。(「世界の警察」を自認する米国が展開した朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等々の軍事費の重圧のもと、軍事費がGNP比1%の日本や2%のカナダに対して、経済超大国である米国ですら60年〜90年代にかけて経済成長率低下があきらかにみられます。)
戦争経済は究極の浪費なのです。自滅的な衰退現象が加速度的に発生し、「反帝国主義」「社会主義」のかけ声もぼろが出て国民の不満が鬱積するという経過をたどるのです。現在の北朝鮮の状況は、すでに指摘したように旧ソビエトのスターリン体制がたどった軌跡をいっそう極端に踏襲しているといえるでしょう。
すべての生産や流通を軍事目的として動員しようとする国家は、私的な自由市場をそのまま認めることはできず、生産手段の私的小所有を制限し拘束することが当然となります。武器や軍事物資生産を最優先とする、−−旧ソ連でおなじみの−−「計画経済」「現物経済」が構築され「市場=商品貨幣経済」というものは抑制されせいぜい二義的意味しか持ち得なくなるのもまた当然なのです。
生産物(商品)を販売して剰余価値を実現する、という本来の資本の論理もここではせいぜい二義的な意味しか持ち得ないのが現実です。(だから、現代中国やかつての台湾の「国家資本主義」とは区別が必要なのです。)
この現実が「社会主義」の幻想として利用されました。スターリン体制成立期の1930年前後に発生した「クラーク(富農)撲滅・農民集団化」あるいは、金日成体制成立期の1950年台後半に主張された「100%社会主義化」などがそうです。個々の農民や小経営が消滅したばかりではなく、人々の豊かさへの願望や奢侈やレジャーへの要求も消費生活の豊かさも最小限に抑制されることになります。
北朝鮮の国家予算の真相は不明であるし、旧ソ連の経済統計もウソが多いことは有名でした。しかし、簡単に考えれば米国の半分の経済力しかないと見られた旧ソ連が、その後四〇年にわたって軍拡競争を米国と互角に渡り合ってきたのであれば、その疲弊は深刻なものであったことはすでにめいはくです。ヤコブレフの証言のように過大な軍事経済が「ソ連崩壊の根源」となったのです。すでにふれたとおり米国ですら、ソ連との軍拡競争、ベトナム戦争などによる経済的負担は、軍事産業を潤したにしても、経済力の低迷に直面させられ、ブレトンウッズ体制(金・ドルのリンク、固定相場制)の崩壊を道き、経済的には日本などの猛追をうけざるをえなかったのです。
北朝鮮の軍事支出は、公式には国家予算比でおおよそ14〜11%(86年〜94年)とされていますがそれを信ずるものはいないでしょう。旧ソ連をさらに上回る準戦時体制を維持している北朝鮮の現実からして、−−旧ソ連が平時で国家予算のほぼ半分が国防費なのですから−−国家予算の半分以上は軍需にかかわる予算ではないかと予想できます。まさにこの理由からしてもこのままでは金体制の崩壊はとおくない現実でしょう。
4●北朝鮮や旧ソ連の「巨大な歴史的意義」を讃えるのか?
したがって、このような北朝鮮や旧ソ連を一定の独自の内容のある社会経済システム−−たとえば資本主義の急速な発展を導く(林氏)とか、社会主義の前夜(T・クリフ)とか−−と考えるのは無理があるし、現実に破綻していると私見では考えています。
旧ソ連や北朝鮮を「社会主義ではなく国家資本主義である」と考えるマルクス主義系の政治潮流や学者たちは、一定の影響力を持っていました。確かに、自称「社会主義」というデタラメに対して、一定の科学的論証を突きつけたトニー・クリフや林氏たちの当時の立論は意義があったでしょう。
しかし、すでに論じてきたように旧ソ連や北朝鮮が積極的な意味で「○○資本主義体制」と規定されるようなものではありませんでした。商品の存在や価格・貨幣の存在からその様な主張ができるでしょうか。「資本主義」では商品が市場で販売されて、剰余価値が実現され、近代的労働者への「搾取」が実現します。しかし、すでにふれてきたように旧ソ連や北朝鮮では、経済の目的は剰余価値の獲得を直接の目的としません。これらの体制の核心的な部分は、軍事体制の構築維持のための「計画経済」であり圧倒的な実物経済であり、自由な市場経済の否定(資本の運動の抑制)の上にありました。そのことはT・クリフも林氏でも認めている事実です。
したがって、私見では北朝鮮や旧ソ連に対する「国家資本主義」という規定は、この体制への間違った歴史認識をあたえるだけなのです。
強調したいことは、帝国主義戦争時代に幼弱な新生国家が陥る、資本主義の退廃的ケースなのです。北朝鮮の例は、その退廃した現実を旧ソ連体制以上に鮮明に示しています。
「ソ連は国家資本主義である」とはじめて唱えたトニー・クリフは、「国家によりすべての生産手段が統合された資本」であると論じました(『現代ソ連論』)。
他方、60年台の経済改革に刺激を受けた林氏は、スターリン体制を「本源的蓄積の体制」と規定し、さらに本源的蓄積の体制は、歴史的必然を持って市場経済・自由経済へと内在的に進化すると主張しました。さらにこの様な歴史観にもとづいて「半封建的ロシア」の生産力を解放し「ソ連における国民経済の急速な発展」を導いたスターリン体制の「歴史的な巨大な意義」を唱えました(『スターリン体制から自由化へ』『マルクス主義労働者同盟綱領』等)。この小論で長々と論ずることはできませんが、ソ連体制に対するあまりの過大評価と言わねばなりません。
つまずきのもとは、当時の林氏が旧ソ連当局の誇大宣伝を真に受けた点や、帝政ロシアの時代の産業力をあまりに低いものと決めつけたところにもあります。しかしいっそう深い原因は、旧ソ連の現実の歴史が、国民的労働と富を集中して、軍事体制・戦時体制を形成してきたという最も基本的な問題を見過ごし、「(軍産複合体の)国家」や「(戦時的)経済」というものの内容を具体的に見ようとしないところに研究姿勢の欠陥があったとおもいます。
スターリン政権が工業、農業の国家化を強引に推し進めたのは、「国家資本」の形成・集積のためではなく、国防体制の構築に総動員するために資本・市場経済を抑圧し規制するための国家への集中であったのです。(1920年台前半のソ連・ロシアであるならば、「国家資本主義」とよべたでしょうが。スターリン体制はこのような「国家資本主義」経済を変質〈否定〉させたと言うべきです。せっかく林氏は「国家による資本・市場の抑圧」(同上)を認めつつ「ソ連は国家資本主義」というクリフのソ連規定を乗り越えることができなかったのです。)
ロシア・ソ連の経済成長について簡単に振り返ってみましょう。ツアー時代(19世紀末から第一次大戦までの間)の工業生産の上昇率は平均で5%と推定されています(これはかなりの高水準である)。革命ロシア・旧ソ連時代で、もっとも成長の高かったのはネップ時代(本来の国家資本主義時代)です。これは公式統計からの推定でも確認できます。
旧ソ連の改革派統計学者ハーニンによれば、1928〜89年の60年間に「ソ連国民所得」は6,9倍にとどまったとして、旧ソ連公式統計の89,5倍をまっこう否定しました。ちなみにアメリカは同時期に6,1倍です。しかし、旧ソ連の数字はきわめて平凡ですが、おおざっぱに言っても、自己崩壊(1991年)に至るほどのものではなかったかに見えます。
その内容が問題です。ソ連や北朝鮮さらにはナチスドイツのケースでも明らかなように、初期の段階では国家国民を挙げた工業の基盤づくりが成功し飛躍的な生産の増大の時期があります(北朝鮮の場合はソ連の援助もあった。)。事実スターリンは第1次5カ年計画の成果を誇り「あらゆる近代的防衛手段を大量に生産できる国になった・・・以上が工業の分野での5カ年計画を4カ年で遂行した総結果である」と。しかし、その後現実の戦争の勃発や長期にわたる臨戦態勢の中で全力で軍需生産に傾斜するために、民生品の生産はもとより工業基盤すらも拡大生産や、新技術の導入、設備の更新が停滞し経済全体の衰弱へとたどり着くと考えられるのです。
「スターリン体制がソ連の経済を急速に発展させた」「進歩的だ」という見解が歴史に対する誤認であることは明白ではないでしょうか。
5●20世紀の戦争と国家、そしてスターリン体制
「国民的立場」を装う一方で、特定階級・特定階層の利益集団による、社会支配組織こそが国家なのです。特定利害集団は、国家という組織のもとで人民を「国民」「市民」「公民」として統合し、その共同の利害をもつ運命共同体であるという前提の中で、自己の集団の利害を貫徹していこうとします。
国家の行為は「公的」「国民的」でなければなりません。戦争は国家の代表的な行為です。生まれたばかりの国家が、近代戦争を戦い抜くためには国家国民をあげた動員体制が必要であるしまたそれを典型的に造り上げたのがスターリン体制なのです。戦争と言う国家的事業の遂行のために、工業も経済も土地も国家化されたのでした。
つまり北朝鮮・旧ソ連のような体制だけが一貫して自由市場経済の制限を行い、資源と生産と労働力の組織化、そして国家全体の軍事化、要塞化を急速に可能にできたのです。
このような強力な集権的国家は、古代国家や前近代的な封建的社会ではもとより、明、清等の中世官僚制国家をして面目なからしめる存在なのです。そして、文明化された官僚制度と地方行政制度の網羅的確立、警察による全国的治安組織、農業集団化等国民的収奪のシステム、国家に忠誠を尽くすように教育された軍隊と国民の存在、その前提としての統制された通信網や教育制度、マスコミさらには体操、映画・音楽やダンスを利用した国家思想教育等々の存在は、「権力世襲」等の時代錯誤にもかかわらず近代国家に由来するものでしょう。
くりかえしになりますが、北朝鮮や旧ソ連は、近代国家形成の初期の過程で国際情勢に翻弄され、奇形的に軍事体制の泥沼に入り込んだ姿を示していると私見では考えています。それが北朝鮮や旧ソ連のいわゆる「スターリン体制」の基本形なのです。
そしてその体制がゆるみ、あるいは分解し、抑制されていた資本の運動が復活するかもしくは社会主義の協同的経済に置き換わることなくして、この社会は「自己の論理」では発展することも、前進することもできない退嬰的体制として早晩敗北が運命づけられているのです。巨大な軍事力と豊かな資源支配により半世紀以上も生き延びたソ連帝国すら事実上の内部崩壊に直面しました。同様に北朝鮮が、米ロ中対立を巧妙に利用したり核兵器開発をちらつかせ、支援物資をせしめてかろうじて生き延びているにすぎず、金体制の終末がいつおとずれてもおかしくはありません。
6●金体制は路線転換が可能か?
年末にテレビを見ていた際、金正日の元料理人だという人物の談話で「金正恩大将は改革開放を実行するだろう」と自信満々に述べていたことが印象に残りました。
すでに述べて来たように、北朝鮮にしろ旧ソ連にしろ、それはらは資本主義の発展史に名を残すような積極的な経済システムではなく、自滅的な準戦時体制を継続してきたのに過ぎません。この体制は本来的に短命なものです。自壊をしたくなければ、何らかの転換はさけられられません。
そこですぐに考えられることが中国流の「改革開放路線」への転換です。中国にならえばよいというわけです。共産党の独裁支配をそのままにして、経済路線が切り替わったのだから北朝鮮も同じ路線に切り替えればよいと。いまや中国は国内の企業・資本を所有ないしは統制しながらも、国内・国際市場においては生産物を商品として販売し、剰余価値の獲得をはかり富を集積する典型的な「国家資本主義国」です。
しかし、中国でケ小平の改革開放路線が定着するまでは、階級闘争が激しく戦い抜かれました。この国では60年台になると、官僚がエリート化するばかりではなく、国家資本主義官僚が一大勢力として登場したのでした。これに反発する労働者や農民、学生と毛派の権力奪還闘争が結びつき「文化大革命」という内乱にひとしい闘争が展開されました。
しかし、観念的で不合理な毛路線からの大衆的な離反が、ケ路線への国民的期待へとつながり、毛派を圧伏できたのです。かくしてこの時点でケ小平を頂点とする国家資本主義官僚が、共産党と国家を支配することになりました。
さらに国家資本主義経済の発展過程で、反政府・民主化運動が高まった際には徹底弾圧(天安門事件1989年)することによりケ小平の改革開放路線が勝利したのです。
当時の中国とは階級情勢や国際情勢は大いに異なります。とはいえ観念的で冒険的な「先軍政治」を掲げる金体制に対して、それに挑めるほどの国家資本主義官僚層がはたして北朝鮮にどれだけ存在するでしょうか。彼らの活発な政治的動向はほとんどみられません。しかし、北朝鮮の新しい金正恩体制が、自ら「変身」して、内部闘争を克服し内乱にも備える覚悟と能力が存在すると考えるには疑問があります。私見では、改革開放は小規模にとどまり、もし今後大きな変化がおこるとすれば、内部崩壊や分裂による新たな政治局面が生じる可能性が高いのではないかと考えています。
しかし、異なった見解もありますので、それをもうすこし検討してみましょう。
7●改革開放への動向
韓国の北朝鮮研究者集団による『北朝鮮は、いま』(岩波新書2007年)は、最近の動向を網羅的にかつ簡潔にまとめたものなので、たいへん参考になります。
そこから読み取れる北朝鮮の現状は、@飢餓者百万とも言われた食糧事情はやや緩和しているが、配給制度も機能不全にちかい。A国家の経済統制は、ものが無く弛緩し、その結果として市場経済が広がっている。B社会的規律の崩壊や不満分子の存在は顕著ではない。C「先軍政治」はそのままだが、「先軍思想」「先軍精神」などの観念化がみられる。D金正日により、党の役割が低下したとみられるがこの間大きな変化はない。E核開発および運搬手段(ミサイル)の開発は徐々に進行し「核兵器の保有国」と考えられる。F経済的には中国依存が深まっている等々。
ここでは「改革開放」への動向を中心として考えてみましょう。
「北朝鮮経済は、周知の通り90年台に《苦難の行軍》と言われるマイナス成長を経験した。国民所得が80年代後半に比べて約半分になってしまうほど経済的委縮を経験したが、99年には成長がプラスに転じた」(同上)。
北朝鮮では90年台前半、餓死者が百万人とも言われる経済的危機・食料危機がありました。直接の理由は洪水などの自然災害もありましたが、準戦時体制による国力の損耗が根底にあります。同時に不合理な「自然改造」あるいは自然破壊があったとも指摘されています。その面では失政や人災が輪をかけました。
その後現在に至るまで基本的には食糧問題も中国との援助的な貿易、支援物資に頼ってかろうじて息をついでいると言われています。
こうした中で、北朝鮮もなんらかの「改革」を打ち出さざるを得なかったのでしょう。
「北朝鮮が2002年に着手した《七・一措置》は、経済活動の分権化、貨幣化、市場化を目指す経済改革政策として国営企業および協同農場の経営管理体系、分配制度、価格制度、財政、対外経済制度、などすべての分野にわたって施行された。《計画》だけにたよっていた経済運用体系に《市場》の要素も加えようとする改革措置だった。」(同上)。
その結果として一定の成果があったといいます。「食料の生産は80年代の水準を回復しつつある。卸、小売業はめざましい成長を遂げた。貿易も急増」した反面、軽工業、重工業が低迷しているといいます。
「工場・企業もやはり市場を通じて物資を取引している。工場・企業所、協同団体が市場で製品を販売できるようになったのも、過去とは違う点だ。工場では国家計画を超過した生産物を市場で販売する。」七・一措置の結果として「政治の役割が小さくなる一方で、経済原理の適応が広がっている。」(同上)。
これらの「改革」は、ロシア・ソ連の歴史に照らして考えれば「ネップ(新経済政策1921〜26年)」の時期のようなものと想像されます。経済が疲弊し、国家機能もレベルダウンしている状況では、「国家政策」云々よりも、個々の農民や企業者の経済的自主性を認め、自由な交換・売買を認めざるを得ないと言うことです(国家はそこから「取引税」を取る)。当時のロシアは「戦時共産主義」と呼ばれた統制経済を大幅に緩和しました。計画経済を実施し国防力を高めるためには、それだけの財力や組織力が前提ですが、その前提がかなり衰弱していたということでしよう。当時のロシアの場合は、内乱やそれに続いた帝国主義軍隊の干渉戦争等で、新しいこの国家は衰弱していました。同様に北朝鮮の場合は、長期の臨戦態勢が国力を損耗させてきたことはすでに述べました。
国家は、こうして、農民たちの自由な経済活動を一定程度認める他は無いのです。「七・一措置」もおそらく一面ではその様なものではないかとおもいます。
「(過去の計画経済に復帰することは不可能である。)なぜなら、国が計画経済を維持することができる手段、工場・農場などの生産主体に下す命令を遂行することができる手段、つまり、資源と資本を保有することができないからだ。」(同上)。という指摘ももっともなのです。
また、それにとどまらない企業管理システム(独立採算制を基本とする。)も導入されており、おそらくこれらは旧ソ連の「経済改革」を模しているものと考えられます。
「機関や企業の独立採算制実施によって実利が経済活動の中心指標となって効率が向上」したとの指摘も。
この限りでは、北朝鮮はすでに軍事経済を一部緩和し、市場取引を認め「国家資本主義体制」つまり国家が経済の管制高地を握りながらも資本主義の復活へカジを切りつつあると言えるでしょう。
金体制が、経済の極度の不振の中で、食料等の基本的な資源の枯渇に直面し、市場を認め国家セクター以外の経済活動を承認するのは、自壊したくなければ避けられない選択であると言えるでしょう。同時に工業製品の枯渇についても、軍需に集中してきた体制を少しでも「解いて」民需の一定の復活を認め、活性化しない限りは、工業の更新のための剰余の蓄積も果たせないのですから、これらも選択の余地のない「政策」と言えるでしょう。
しかし、別の分析者はこれとは異なった結論を下しています。「北朝鮮は2002年7月の対内的な経済改革措置が失敗したために市場指向的改革を中断し、対外関係改善を通じて経済回復を追い求める政策転換を断行したようにみえる。」「北朝鮮の改革に対する恐怖はより大きくなった。」(同上)と。
前述した1921年〜26年の旧ソ連のネップは指導者や国家官僚たちとって「譲歩」であり、国家の力が回復することで再び全面的な国家統制経済に移行することは当然のシナリオでした(現にそうなりました。)。北朝鮮の場合も、時期限定の「市場化」なのでしょうか。
もちろん、客観情勢は大いに違っています。特に違うのは、経済大国・中国が北朝鮮経済支援を続けていると言うことでしょう。北朝鮮の指導部が合理的な選択がとれるのであれば、誰もが思うように「改革開放」路線への転化を選ぶでしょう。追い風が吹いているにもかかわらず「改革開放政策」に大胆に舵を切れないのは、国内的ないくつかの理由が考えられます。
おおざっぱには以下のような推測ができます。
国家体制の衰弱により、国内の自然発生的な市場経済は認めてゆくとしても、外資を大胆に導入し国家の強い支援・指導で国際市場に商品を売り込むような展望がみえてこない。したがって国家資本主義官僚層は未結集であり、同じく北朝鮮には国家資本主義の路線を掲げる強力な指導部がない。つまり、中国のような国家資本主義を邁進するための客観的条件が成熟していないと考えられます。
国家体制が衰弱している状況で、市場経済が一人歩きし私的富の蓄積が生まれる事への恐怖も指摘できます。経済の無政府化はすすんでいます。インフレは年平均300〜400%と一般民衆を直撃。外貨稼ぎが広く行われ、副業がさかんだといいます。いわんや大胆な「改革開放政策」は、民衆内部での格差を発生させ人心を荒廃を生み出し、金体制への求心力崩壊させてしまう可能性がある等々、内部の階級対立の顕在化を恐れているとも言えるでしょう。
金体制を護持している、権力者たちが「改革開放」路線、つまり国家資本主義へと舵を切ることに躊躇しているのでしょう。いずれにしても、国民の苦痛と貧困の上に居座り続ける金体制の終局は近づいているでしょう。 以上 トピックス案内へ戻る