トピックス 2012/10/7
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「沖縄通信・NO27」・・・オスプレイ沖縄配備を強行!
10月1日、オスプレイの沖縄配備拒否の声が沸き上がり、普天間飛行場ゲート前で座り込み抗議行動をしている中、米海兵隊はオスプレイの配備を強行した。
1日に岩国から計6機が飛来し、2日には3機が飛来し、6日に残りの3機が飛来して、配備予定の12機が普天間飛行場にそろった。
4日には、さっそく沖縄での飛行訓練を開始した。伊江島補助飛行場や本島北部の北部訓練場、キャンプ・ハンセンなどを飛行した。在沖米海兵隊は「試験飛行ではなく、スケジュールどおりの所定の訓練である」と回答している。
1.嘘と欺瞞の安全策・・・初日から合意ほご
9月19日、森本防衛大臣や玄葉外務大臣らが、「日米政府はオスプレイ配備の安全策に合意した」と胸を張って言ったが、4日の初飛行で早くも「安全策」の化けの皮がはがれた。
オスプレイの飛行ルールをめぐる日米合意の核心は①住宅密集地上空の飛行を避ける②ヘリモードでの飛行は米軍施設内とする、点にあった。
だが、オスプレイは連日、那覇市、浦添市、宜野湾市、中城村の学校や病院などの市街地上空をヘリモードで飛行している。
初飛行の1日、宜野湾市上大謝名地区でのオスプレイによる騒音が89.2デシベル(騒々しい工場の中の騒音に匹敵する)に達したことが判明。
4日、5日の飛行訓練では、名護市や金武町、宜野座村の学校周辺を飛行。名護市では8時すぎにオスプレイ1機が国立沖縄工業高等専門学校裏の米軍キャンプ・シュワブ内に着陸した際、学校グランド上空を通過した騒音の影響で一部の授業が中断した。
学校関係者は「子どもたちが、運動場にいたら墜落しても逃げられるが、教室に墜落したら逃げられない」と心配していたと報告。県民の不安(墜落の恐怖)は広がるばかりである。
米軍は抗議する県民をあざ笑うかのように、「安全策」を無視して好き勝手に本島上空での飛行訓練を繰り返している。
野田首相は「住民の生活に最大限の配慮を行うことが大前提」とコメントしたが、沖縄の現実を見れば、それはまっかな嘘で県民の反対を押さえるための欺瞞であった。政治責任は重く、その無責任な態度は許せない。
2.オスプレイ配備阻止の闘い
・9月26日(水)オスプレイ配備に反対する抗議行動が普天間飛行場の野嵩ゲート前で始まる。
朝7時から8時まで、主催者である「県民大会実行委員会」の呼びかけに応じて、県選出の国会議員や県内市町村長のほか市民も入れて約300人が結集し抗議集会が開かれる。その後、市民団体が中心となり夜8時までゲート前の座り込み行動を展開する。
・9月27日(木)朝7時から8時までの抗議集会後、野嵩ゲート前に座り込んだ市民約100人が、米軍の提供区域内に入り、警察隊や基地警備員ともみ合いになる。オスプレイ配備に怒る市民たちはゲートに向かって行進するなどの抗議活動を展開し、スクラムを組んでゲート前に座り込み、ついに野嵩ゲートを封鎖した。その後、ゲート前に車両4台を並べ封鎖を継続することに成功する。
・9月28日(金)朝7時から8時まで野嵩ゲート前の抗議集会後、市民団体約130人が大山ゲートに移動し、9時すぎより大山ゲート前に座り込み行動を展開する。これに対して、県警の機動隊が座り込み参加者をごぼう抜きの強制排除を開始する。何度も激しいもみ合いが続き、年配の女性が気絶して救急車で搬送される、機動隊との衝突で2人が肋骨にひびが入るなど、けが人が続出する。機動隊と衝突しながらも「オスプレイを阻止するぞ!」と声を上げ、悲壮な決意で座り込み行動を続け、27日の野嵩ゲートに続き、ついに大山ゲートも封鎖することに成功する。しかし、台風が接近し危険を避けるために、夕方6時半にいったん解散し大山ゲートを開放する。
・9月29日(土)台風が荒れ狂う午後4時すぎ、市民団体は車両4台(その後、支援者の車両8台もかけつけ計12台)で大山ゲート前を封鎖。同時に、佐真下ゲート前も車両2台で封鎖する。これで、米軍普天間飛行場の主要3ゲートが市民団体の直接行動によってすべて封鎖された。
・9月30日(日)米軍は主要ゲートを全てを封鎖され基地機能がマヒし始めたこと、明日(10月1日)にはオスプレイが普天間に飛来する事もあり、県警にゲートを封鎖する市民らの排除を強く依頼する。米軍に忠実な県警は前日よりもさらに機動隊を大量動員して、力ずくの暴力的な強制排除に乗り出した。
午後1時半、野嵩ゲート前の車両付近に座り込んだ市民らに対して、機動隊が包囲し、ごぼう抜きの強制排除を行う。さらに、排除された市民らは機動隊員に取り囲まれて監禁状態におかれる。車両の中にたてこもったメンバーに対しては「違法駐車」などを根拠にレッカー車で排除される。抵抗むなしく、増強された機動隊に排除され大山ゲートは封鎖解除されてしまった。
県警はすぐに野嵩ゲートに移動する。危険を感じた市民団体も野嵩ゲートに結集し、すぐさまゲート前に座り込む。座り込んだ市民団体は県警責任者に「米軍の提供区域内での排除の根拠を示せ」と強く抗議する。
夜7時すぎ県警は「米軍からの要請があった」との理由で、強制排除に乗り出す。座り込み者も車両の間に座り込み、激しく抵抗する。暴力的な強制排除の中で、年配者が気絶するなど救急車で5人も病院に運ばれる事態になる。さらに県警は、排除した市民らを機動隊バスの間に閉じ込め、3時間以上も狭い空間に監禁状態にした。
その間、野嵩ゲート前に他の市民たちも集まり、「同じ県民として恥ずかしくないのか」との抗議の声、ゲートをふさいだ車両の排除が始まると、大勢の市民らが参加して搬出を阻止しようと体を張って抵抗する。激しい抵抗を続ける市民から「沖縄を返せ」の歌声が上がる、怒号も飛び交い、騒然とした雰囲気に包まれた。夜11時半、最後の車両が排除され、野嵩ゲートも封鎖解除された。
(米軍普天間飛行場の野嵩ゲート前での抗議集会)
3.新たな闘いへ・・・「オスプレイ配備撤回」
ゲート前で同じウチナー同士の市民と若い警察官が対決し衝突を繰り返している時、ゲート内の安全な所にいる米兵はその衝突をニヤニヤと笑ってみている。そうした米兵を見ると、本当に腹が立つ。
一体誰を守る警察なのか?警察官は米軍のイヌか?日本政府はどこの国民の政府なのか?まさに日本は米国の「属国」である。この闘争を通じて、あらためてその事を痛感した。
機動隊の暴力的排除によって市民12名がケガを負い、他の人たちも首や腰を痛め、腕には内出血のアザが残っている状態である。それにもめげず、1日早朝から大山ゲート前での抗議行動、野嵩ゲート前でも朝7時から夜8時まで抗議の座り込み行動を取り組んでいる。野嵩ゲート前を車で通る市民から激励や手振りが増えており、また毎日差し入れが届き、オスプレイ阻止の「力と心」が結集している。
オスプレイ配備の阻止は出来なかったが、「オスプレイ配備反対」から、「オスプレイ配備阻止」へ、さらに「オスプレイ配備撤回」へと、闘いは着実につながり進んでいる。
今回のオスプレイ配備の阻止闘争は、米軍普天間飛行場の主要3ゲートすべてを封鎖した。これは沖縄復帰から40年の長い歴史の中でも、初めての実力行使による事実上の基地封鎖であった。
沖縄での基地運動は、日本政府への抗議表明の側面が強かった。しかし、今回は米軍基地そのものを標的とした点で、これまでとの運動と異なる。
今後「オスプレイ配備撤回」運動が米軍基地の「全基地閉鎖」に発展する可能性を秘めていると言える。
(富田 英司)
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