トピックス2017/9/27
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小池新党にすがる民進党のボロボロ 「野党共闘」一本やりの勢力も不明を恥じるべきだ
小池百合子氏の「希望の党」の旗揚げで、民進党がメロメロ、ボロボロになりつつある。
小池氏の新党の政治性格は、本質的に安倍晋三氏が導いてきた自民党と同じものである。新自由主義的経済政策、軍事外交でのタカ派路線、国民・市民の権利の徹底的軽視等々、何も違いは見られない。違いがあるとすれば、安倍自民党は森友・加計疑惑に見られるように手垢がつきすぎて、国民の信頼を大きく失いつつあるが、小池氏はまだボロを出していない、そのぶん国民を騙せるのりしろが大きいという点だけである。
国民を騙す手管という点では、「原発ゼロ」という、小池氏自身が信念もやる気も持っていないスローガンを平気で掲げていることが象徴をしている。また、安倍自民党は民進党を敵に回して野党に追いやってきたが、小池新党は民進党をも大きく取り込もうとしている。日本の支配層である資本の勢力は、安倍晋三が使い物にならなくなったのならば、安倍がやろうとしたことを本当に実現してくれるかもしれぬ新しい勢力は大歓迎ということであろう。
「野党共闘」を切り札とし、呼号してきた勢力は、その不明を恥じなければならない。不明...というのは、何よりも信頼し、依拠し、働きかけ、ともに資本の勢力と闘わなければならない労働者・民衆にしっかりと顔を向けてこなかったこと。暮らしと労働の現場で困難を抱え苦しんでいる人々に対して、言葉ではなく実践で寄り添い、支援し、ともに抵抗の闘いを創り出していくことを軽視してきたこと。徹底的に重視され、最も力を入れなければならなかったそういう活動に代えて、既成政治勢力の数あわせにうつつを抜かし、そんなやり方で自民や資本の勢力と闘えるという幻想を振りまいてきたこと。
「野党共闘」が仲間に引き込もうとした民進党とは、そもそもどの様な政党なのか。この政党はどういう階級階層に依拠し、そのどの様な要求を代弁して政治活動をしてきたのか。こういう、政治のイロハを等閑視し、民進党も含めた野党共闘、候補者一本化なるものを、事実上闘いの全て、切り札としてきたのがこの1年数ヶ月の野党の姿だったのではなかったか。
私は、与党議員を落とせる可能性のある選挙区での野党の共同を否定するものではないと言ってきた。そうした選挙区では、口先ではなく本気で、積極的に推進すべきであると言ってきた。しかし、いわゆる「野党共闘」主義者が強調してきたのは、全ての選挙区で、いつでもどこでも野党共闘、これに反対する者は市民の味方に非ずというが如き主張であった。まったくもって非現実的で、何のための野党の共同かも見失った、「野党共闘」の念仏踊りに過ぎなかった。
民進党のボロボロ、メロメロぶりは、「野党共闘」を金科玉条としてきた勢力をもメロメロにさせずにはおかない。表面上は平静を装ったり、自己弁護にふけったり、裏切りを糾弾したりは出来ても、その身に負った実際のダメージを免れることは出来ない。
「急がば回れ」「ローマは1日にしてならず」。目の前のひとつひとつの選挙に、細心の注意を払い、様々な工夫をしながら、勝つために最大限の力を発揮して闘うことの重要性は言うまでもない。しかしそれと同時に重要なことは、厳しい階級政治の現実から決して目を背けることなく、資本による搾取と抑圧に呻吟する働く人々・民衆の中に入っていき、そこに根を下ろし、彼らとともに誰もないがしろに出来ない確たる力をつくりだしていくことであるはずだ。 (阿部治正)
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