ワーカーズ286号 2004年12月1日     案内へもどる

自衛隊はイラクから直ちに撤退せよ!
イラクの進む道はイラクの進歩的民衆とそれを支持する世界の人々にゆだねよ!


 小泉首相は、APEC会合に先立つブッシュ米大統領との会談で、自衛隊イラク派兵の延長を事実上約束した。その後も派兵延長を前提にした発言を繰り返している。国会では野党三党が共同で「イラク特措法廃止法案」を提出したが、審議未了で廃案に追い込もうとしている。
 日本国内で派兵の延長をめぐる議論が繰り広げられている最中に、イラクでは米軍によるファルージャ侵攻が強行された。2000人を超える一般市民が殺戮され、電気や水道などの社会的インフラはもちろん一般の民家までが徹底的に破壊された。人口30万人のうち10万人がファルージャにとどまったと言われているが、インフラの壊滅とおびただしい負傷者の発生にもかかわらず、米軍は新月十字社などによる医療や食糧や水などの支援を拒絶しており、市内は地獄絵図さながらの状態になっている。
 戦闘がファルージャ以外の都市へも拡大を見せる中で、イラク国民の米軍の占領への反発がかつてなく高まっている。穏健派のシーア派組織さえが暫定政権から離れ、いったんは来年1月の選挙への参加を表明したスンニ派の強硬派組織が再び米国とその傀儡暫定政権への批判を強めている。来年1月の「国民議会」選挙を成功させるためとして強行された攻撃であったが、その結果選挙の成り行きは、極めて危うくなり始めている。
 小泉首相と日本政府は、自衛隊のイラク派兵を合理化しようと、「イラク復興のため」、「国際貢献のため」、「日米同盟尊重のため」「日本の国益のため」等々と様々な言葉を弄している。しかし、これらはいずれもその本当の意図を隠すための言葉に過ぎない。
 イラクを徹底的に破壊する戦争に事実上参加しておいて「復興」を語るのが度し難い欺瞞であることは言うまでもない。「国際貢献」は、米国を中心とする大国による世界支配秩序維持への「貢献」の別名に過ぎない。「日米同盟」や「日本の国益」はいくらか本音を語った言葉ではあるが、これとても正直な発言とは言えない。
 日本が自衛隊をイラクに派兵した本当の動機は、「日米同盟」や「国益」のためというよりも、大企業やそれと結びついた政治家や官僚たち、つまり日本国民のごく一部の人々の特殊な利益のためである。彼らは、国益のためには日米同盟と米国への協力が重要であると語るその裏で、イラクの石油利権へのアクセス、米国の後ろだてによる国内での政治支配力強化を期待している。また自国軍の海外派兵の拡大や軍事強国化の進展を通して、国際的発言力の増大をめざしている。そしてまた、そうした政治を容認する国民世論の醸成や、国民動員のための様々な仕組みを構築することで、労働者・勤労者に対する支配力と影響力を強化しようとしているのである。
 米国のイラク占領や日本政府のそれへの協力に反対する闘いは、我々日本の労働者・民衆自身の地位と境遇の行く末を左右する闘いでもある。自衛隊をイラクから撤退させよう!

日中パワーゲーム
付き合わされるのはごめんだ


 小泉首相による靖国神社への参拝がネックになって途絶えていた日中首脳会談がAPECの舞台で開かれた。そこでは靖国神社参拝、中国原潜の領海侵犯、北朝鮮をめぐる6者協議、海底ガス田開発をめぐる軋轢などが話し合われた。
 「政冷経熱」と言われる日中関係だが、このところ日中間で摩擦が持ち上がるたびに一部の政治家やマスコミなどによって中国バッシングが超え高に叫ばれるようになった。それらの短絡的な思考や対応は日中双方のナショナリズムを刺激し、日中両国の民衆を国家間のパワーゲームに巻き込む危険性をはらんでいる。外交関係、とりわけ日中関係は過去の歴史問題も絡んで単純ではない。事態の背景を見据える複眼思考が欠かせない。

■噴飯ものの「内政干渉」論 咳嗽、喀痰、

 小泉首相は就任以降、毎年靖国神社の参拝を強行してきた。小泉首相は自民党総裁選で靖国神社への公式参拝を掲げてはいたが、当初は特攻隊などへの首相の個人的な思い入れや、日本遺族会の票目当ての参拝という性格が強かった。ところが中国の江沢民前国家主席の強硬な反対表明もあって、いまでは両国にとって抜き差しならない懸案事項になってしまった。
 中国からの小泉首相の靖国参拝への批判に対して、国内では非難の声が叫ばれている。たとえば自民党の安倍幹事長代理は「国のために殉じた方々に尊崇の念を供するため、靖国にお参りするのは一国のリーダーとして当然だ。外国から行くなと言われる筋合いはない。」と反発し、また読売新聞は「内政干渉」「他国からとやかく言われる筋合いはない」と反発している。
 果たして彼らに中国の批判を「内政干渉」だと反論する資格があるのだろうか。
 いうまでもなく靖国神社は戦前は軍国主義の精神的支柱であり、戦後にあっても79年にはA級戦犯の合祀が明らかになっている。また戦死者の霊が祀られるところなくして兵士を戦地に赴かせることは出来ないなどと、いままた新たな英霊づくりの拠点化の策動もある。そもそも靖国神社による戦犯の位置づけ自体が「戦争犯罪人というぬれぎぬを着せられた昭和殉難者」というものだ。結局、靖国神社や首相の参拝を支持する人たちは、あの戦争での侵略行為や残虐行為などを反省するという姿勢はかけらもなく、ただ戦争に負けたことだけを反省しているにすぎないのだ。
 こうした靖国神社をめぐるこれまでの経緯は、かつて日本軍に席巻されたアジアの近隣諸国などにとっては、戦後日本の継続的な軍事強国化の動向と合わせて再び繰り返されないとも限らない脅威として無関心ではいられない国際的関心事になっているのだ。
 安倍発言などは、世間話、井戸端会議としてはごく自然に聞こえるかもしれない。しかしそれは大きな歴史的な経緯と個人的な背景が絡んだ噴飯ものの強弁でしかない。
 安倍晋三はと言えば、いうまでもなくあのA級戦犯だった岸信介元首相の娘婿、安倍晋太郎の息子であり、晋三は岸の義理の孫にあたる。その岸は一旦は戦争犯罪人として公職追放されたものの、その後の米ソ冷戦構造下での公職追放令廃止によって復活し、やがて日本の首相になった。このことに象徴されるように、日本においては戦争責任の追及はうやむやにされ、ひいては戦争への反省を逃れてきたといえる。
 それに対してドイツでは戦後、長期にわたって執拗にナチス残党の戦争責任を追及してきた。そのことがあの戦争やユダヤ人虐殺などに対する国民的な反省の証の一つになってきたわけだ。それに比べて日本の戦後史はその限りでドイツと対極にある。ドイツの指導者が「内政干渉」を批判するのは許されるにしても、当の戦争責任者の人的・イデオロギー的末裔が「内政干渉」発言をする資格もないし、許されるはずもない。
 戦争責任に決着を付けるためには、いまでは現実離れしてしまったが、たとえば戦争責任者の追放は当然として、日本に侵略された中国を含むアジア諸国への100兆円規模の国家賠償や天皇制の放棄ぐらいは最低限必要だった。それで日本の私たちの生活レベルが数年にわたって縮小したとしても、それぐらいの誠意を示さなければ侵略された国民は決して日本を許さないだろうし、現に許してはいないのだ。
 戦争責任を曖昧にしてきたのは、私たち日本の国民自身である。だから首相の靖国参拝は、なにも中国や韓国などに言われるまでもなく、日本の労働者や市民による反戦・反軍拡の闘いによってやめさせなければならない課題なのだ。

■国家統治と外交のカード

 「内政干渉」などという安倍などの反応が噴飯ものだとしても、中国の批判がすべて正当だというわけではない。日本の国家中心主義と草の根ナショナリズムの拡大と同じような状況が中国でも拡大しているからだ。
 中国は東南アジア諸国も含めて日本軍による侵略の辛酸をなめてきた。そうした過去に対する怒りや最近の日本のナショナリズムの台頭や軍事大国化路線に警戒感を持つのは当然のことだ。日本の支配層が戦前の侵略行為にを今もって真剣に反省していない現状を考えれば、なおさらである。
 しかし最近の中国による靖国参拝批判には、そうした当然とも思える批判とは別の思惑からの批判も入り込むようになった。その一つがいわゆる対日外交カードとしての「歴史問題」「靖国問題」であり、二つめには中国自身のナショナリズムに軸足を置いた国家統合だ。
 最近の中国では学校での歴史教育の場面でも、ジャーナリズムの場面でも、愛国主義教育、民族主義イデオロギーの活用が目立っている。これは中国が改革開放路線の必然的な結果として「社会主義市場経済」に梶を切ったことに端を発している。それまでは国家統合のイデオロギーとして社会主義を掲げてきた。が、経済の資本主義化に伴って、財閥の勃興、その対極にある膨大な失業者、潜在的な失業者の存在、臨海部と内陸部との経済格差、あるいは党・国家官僚などの特権階級化と汚職・情実人事などの政治腐敗等々、様々な階級矛盾、社会矛盾が拡大してきた。
 そうした矛盾の焦点として、市場経済という本来は自由競争を基盤とする経済体制と、共産党独裁という政治構造とのミスマッチという基本的な国家構造がある。共産党にとっては、国民の不満や批判の矛先がいつ自分たちの政権構造に向けられるかもしれないという恐怖感がある。
 こうした状況の中で出てきたのが、国家統合のイデオロギーとしては形骸化した社会主義に代わるナショナリズムだ。階級矛盾や社会矛盾に根ざす政権への批判を外敵に向けようとするのは支配階級の常套手段であり、そうすることで13億の国民を束ねようというのが中国共産党の最近の統治スタンスだ。いわば社会主義から民族主義へという体制イデオロギーの転換というわけだ。共産党にとって民族主義イデオロギーは、抗日戦の歴史を前面に押し出すことで「中国共産党=日帝からの解放者」だとの都合のよいイメージを押し出すにも都合がよい。
 その他、経済成長によって中国民衆の間に芽生え始めた大国意識も背景にあるだろう。
 西安での日本人留学生による中国蔑視と受け取られた寸劇事件や重慶のアジア杯サッカー試合で起きた反日騒動など、最近の中国で浮かび上がった激しい反日意識の背景には、こうした三つの要因が絡み合って生じたものだろう。
 だから靖国カードは中国共産党にとっては単に対日外交カードであるばかりでなく、権力の正統性を保持する手段という性格も含まれている。

■情報操作

 中国原潜の領海侵犯事件でも同様な過剰反応が現れている。が、事件の真相はといえば、自民党の政治家や一部のマスコミが騒いでいるような、中国による挑発とか日本の領土が中国に脅かされている、というイメージとは実際はかなり違っている。
 事態の推移を追っていくと、何らかの事故や不具合を起こした中国原潜が、米軍や自衛隊の執拗な追尾を振り切る過程で日本の領海を通過してしまった、というのが真相のようだ。
 自衛隊の対潜哨戒能力は米軍と並んで世界最高水準にあり、東アジア海域での哨戒活動では中国潜水艦の探知・追尾は日常的に行われている。かつての冷戦時代にはソ連と米国の潜水艦どうしの哨戒、探知、追尾、離脱の水中ゲームは、海中での疑似戦闘行為=訓練として日常的に繰り広げられていた。いまは東アジア海域ではその日中、米中版が繰り広げられているのだ。01年4月に海南島付近で起こった米軍偵察機と中国軍機の接触事故などは、そうした偵察と牽制行為の危険な一端が知れ渡ったケースだった。
 中国原潜の領海侵犯自体は、国家間の緊張を高める愚行であって非難されるべきことだ。しかしより本質的な問題は、そうした危険な疑似戦闘ゲームが現実に私たちの知らないところで日常的に行われていること、それにそうした軍事情報がすべて秘匿されていること自体にある。国民が知らないところで戦争ゲームに熱中したままで、その過程でたまたま表沙汰になった日本領海侵犯事件を取り上げてことさら中国脅威論をあおり立てるのは、事の本質上、国民を「脅威への対抗論」=軍事優先主義引き込む情報操作そのものだ。短絡的な「脅威論」には警戒する必要がある。

■パワーゲームを拒否しよう

 「政令系熱」と言われる。経済面では貿易や投資でのつながりは活発だが、政治的には首脳の行き来が途絶えていることなど関係が冷えていることを指している。
 それでは靖国問題などを解決すれば両国関係がもっと良好な関係になるかといえば、事はそう単純ではない。中国との関係は米国が絡むことで三次元方程式のように複雑で微妙な関係である。
 確かに経済的には貿易、投資が拡大基調にある限り、両国の関係は相互補完関係にあって良好に推移するだろう。しかしこのところ両国の間で軋轢を露呈した海底資源の領有問題や、東南アジアを舞台とした経済圏づくりでの主導権争いなど両国の権益や利害がぶつかる場面も出ている。
 政治的には日本と中国はアジアの盟主を志向する姿勢では競争関係にある。中国は軍事的には台湾の武力統合をも視野に入れ米軍と対峙できるだけの軍近代化を進めている。日本は世界で活動する軍隊づくりをめざして米軍との一体化を深めている。この場面でも両国は中・長期的にはぶつかる可能性を抱えている。
 こうした中・長期的な両国関係を視野に入れながら、両国の政府は国民のあいだに国家中心主義イデオロギーを振りまき、それを押しつけようとしているのだ。
 両国間の外交カードも、こうした両国のパワーゲームの一つの駒としてもてあそばれている。今後も様々な軋轢が起こってくるだろう。そうした場面で日中両国のこうした国家的な思惑の巻き込まれないためにも、ナショナリズムや情報操作に巻き込まれることなく、労働者・市民レベルでの交流・連携の関係づくりに取り組んでいきたい。(廣)
      

最近のドル安とその背景について

ドル安の進行と日本の為替相場不介入の禁欲

 ブッシュが大統領に当選する直前、アメリカの株式相場とニューヨークの原油相場は激しい価格変動を経験したが、それ以降は、株式相場は一万五百ドル台、原油相場は四十六ドル台を推移してきた。しかし、ここにきてのドル安の進行である。円との関係で言えば、百二円台になったのである。実に四年十ヶ月ぶりのことであった。二六日も円は値を上げたのだ。
 ここで奇妙なことがある。それは、当選後始めて行われた小泉首相とブッシュ大統領との会談で、大統領は開口一番、「アメリカは強いドルを望む」と切り出した。その時も円高は、瞬間時には百二円まで急騰していたのであるが、政府・日銀はこの円の急騰に対し、全く介入しなかったという事実である。つい最近のことを振り返れば、日銀は、二〇〇三年末から二〇〇四年三月まで、百五円台を介入ラインとして必死に守りぬいたことを思い出す。このための資金は三十三兆円円であった。しかし、今回のほぼ五年ぶりの百二円台の円高でも介入していないのである。
 日本がアメリカのドルを買い支えてきたこととその思惑については、「ワーカーズ」の過去の記事で、ゴルゴ13のマンガを紹介した記事で解説している。そして、このドル買い介入を止めてしまったのは、今年の三月、グリーンスパン議長が不快感を表したことに起因している。それ以来日銀は、「従順」にも自主的介入をやめてしまったのであった。
 これが真実だったとすれば、今回の日米首脳会談で、ブッシュ大統領から「アメリカは強いドルを望む」の一言が小泉総理に対していわれたという事は、言外の言として為替介入を実行しドルの防衛に協力せよとの要求に他ならないと言うことになるのである。
 なぜ今回急激に円高が進行したかについては、ヘッジファンドの存在を考えなくしては説明がつかない。今回の円高は、ヘッジファンドがブッシュの小泉に対する発言から日銀の介入を期待してドル買いに回った機関投資家や一般投資家の裏をかいて、大いにドルを売りまくった為の結果として出来した。ヘッジファンドの動きは読まれていたのである。
 さて、では政府日銀はいつ思い切った介入をするのであろうか。大いに注目されるところではある。何しろ今年度の外国為替特別会計は一四〇兆円も計上されているのだから。
 このことに関しては、「私がここで問題にしたいのは、二〇〇四年度に日本の財務省が、為替介入資金を調達するため外国為替資金特別会計を通じて発行できる外国為替資金証券の発行限度額を、一四〇兆円に増額にしたという事実である。ほとんどの全国紙は書いていないことである。今一度確認しておこう。来年度予算案の規模はいくらであったかを。そして、なんと八三兆円もないという事実を。しかし、外国為替資金特別会計を通じて発行できる外国為替資金証券の発行限度額を、財務省は、約二倍の一四〇兆円に増額にしたのである」と「ワーカーズ」二〇〇四年一月一日号に書いた。彼らに禁欲は守れるのか。

ドル安の背景―経常赤字の削減は「ドル安以外にない」

 一一月一九日、フランクフルトで、グリーンスパン連邦準備制度理事会議長は、「米国の経常赤字の状況を踏まえれば、海外勢のドル資産への投資意欲はある時点で減退せざるを得ない」と発言した。この間の為替市場の動きは、円・ドルでは、二ケ月弱で八・〇七円上昇し、ドル・ユーロでは、二ヶ月弱で〇・四八三一ドルの下落、率では六〇%近い下落だった。こうした中でも、議長は、「更にドルを下落させる発言」をしたのである。
 更に、議長は海外投資家の米国債券投資に対しても「リスクヘッジをしない投資家は損をしても良いと考えていると言わざるを得ない」とまで発言した。これは、ドルが下落すれば「海外の投資家は債券の利回り以上の損失を被ることになる」ということで、ドルの下落によって今後債券価格が下落し金利が上昇することに対しての警告なのである。
 グリーンスパン議長は四年ほど前から「米国経済のソフトランディングが自分の使命」と発言してきた。そして、現在まで「奇跡的な手腕」で米国の景気を維持し、株式市場の下落を防いできたが、そろそろ景気持続も株式市場の高値維持も限界にきていると考え始めた。イラク戦争の泥沼化による戦費の増大がこれに拍車をかけていることは明らかだ。
 スノー財務長官も「強いドルは米国の国益だが、為替については市場に任せるべき」と日本の市場介入を阻止する化のような発言をしているもののその真の意図は日本の為替介入を求めていることは想像に難くない。彼ら政府高官が本気で言っているのなら、日本政府は、ドルに代えてユーロを外貨として保有してもいいということになり、それはアメリカの自殺行為となる。したがってアメリカの真意は逆の処にあることは明らかである。
 最近のドル安の背景とは、端的に言うと、米国は経常赤字を削減する方法は「ドル安以外にない」と決意し、日本の外国為替資金特別会計を通じて発行できる国為替資金証券の発行限度額一四〇兆円に目を付けて、ドル防衛への協力を求めたという事なのである。
 ブッシュ大統領の対イラク戦争での躓きとグリーンスパン議長のドル安誘導発言は、「二一世紀の新しい厳しい時代の始まり」、つまり来年の春頃からのアメリカ経済の本格的崩壊過程の始まりになるのではないかと私は冷静に考えてはいる。(直)


ついに義務教育費国庫負担制度は削減が決定された

 一一月一八日に発表された国庫補助金削減に関する自民党案では、義務教育国庫負担制度については、読む人の立場の違いにより、どのようにでも読めるような記述になっていました。すなわち読み取りとしては、義務教育国庫負担制度の今年度の削減はないというものと国庫負担率を現在の二分の一から三分の一となる可能性があるとの表記になっているのです。なんという混乱なのでしょうか。
 ここに示されているのは、義務教育を今後どのように進めていくかについて、自民党内での意見調整ができていないことの証明であり、あまりに深い対立ゆえに、あたかも判断を小泉総理に預けたかのような混沌とした状況なのです。
 しかし、こうした混沌とした観測記事が一週間ほど続いた一一月二六日、政府与党は、国・地方税財政の「三位一体改革」の「全体像」を決定しました。その中で、国家補助期負担金の廃止・縮減を明確にし、今年から二年度で、二兆八千三百八十億円と地方交付税削減の方向を確定したのです。
 この中に、義務教育の無償制・義務教育を受けるの機会均等と全国の義務教育の実施水準の平等化を財政的に支えてきた義務教育費国家負担制度も含まれていました。義務教育費国家負担制度は今年からの二年間で、八千五百億円を削減する、今年は暫定として四千二百五十億円の削減となりました。今後の義務教育国家負担制度については、来秋行われる中央教育審議会の答申を受けて恒久的措置を決定するとのことです。
 その他、生活保護費の国庫負担率引き下げは先送りしたものの国民健康保険に関しても国庫負担金を七千億円削減しました。国家としての最低基準の認定を放棄したのです。
 こうした義務教育や社会保障で国家としての最低基準を作ることを放棄すれば、弱肉強食の資本主義が牙をむき、日本社会の貧富の二極分裂は一層加速されることになるでしょう。このことが誰の目にも明らかになる時代の到来です。
 いよいよ私たちが生きていくためには社会革命が必要となる時代がやってきたのです。問題意識を持つものが連帯していかなければなりません。断固として闘っていこうではありませんか。(S)   

皇族離脱と皇室経済法―象徴天皇制の銭金の面

 皇室関係年間予算は約百七十五億円、警備予算は約八十八億円

 天皇家の紀宮と東京都職員の黒田慶樹氏との婚約が発表された。
 折からの新潟県中越地震の被災地を巡る天皇皇后の視察と相俟って、「国民に心を寄せる皇室」とのイメージ操作がまたまた展開されたのである。
 確かに四十四年ぶりの天皇家の女性の結婚である。先の昭和天皇の五女であった清宮貴子の結婚会見での「私の選んだ人を見てください」発言は、当時大変な流行語となる。しかしながら、選んだ結婚相手は、中世以来の知らぬ人なき名家である島津家であり、言ってみれば、そもそも選択の対象は旧華族しかなかったのである。
 もちろん今回の結婚話も全くの私事ということではない。今回秋篠宮と関係の深い黒田氏との婚約内定は、結婚による天皇家の長女の皇族離脱という問題を鋭く提起している。
 ここで問題を私たちが正確に認識するため、皇室関係の年間国家予算を解説しておく。
 皇室関係の予算を大別すると,皇室費と宮内庁費との二つに分かれている。
 皇室費は、さらに内廷費・宮廷費・皇族費の三つに分かれている。内廷費は、天皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てる。法律により定額が定められており、平成一六年度は、三億二千四百万円で、内廷費として支出されたものは、手元金となり、宮内庁の経理する公金でなくなる。宮廷費は、儀式、国賓・公賓等の接遇、行幸啓、外国訪問など皇室の公的活動等に必要な経費、皇室用財産の管理に必要な経費、皇居等の施設の整備に必要な経費などで、平成一六年度は、六三億三百二万円で、宮廷費は、宮内庁の経理する公金である。皇族費は、皇族としての品位保持の資に充てるためのもので、各宮家の皇族に対し年額で支出される。皇族費の定額は法律により定められ、平成一六年度は、三千五十万円で、各皇族ごとに皇族費を算出する基礎となる額となり、平成一六年度の皇族費の総額は、二億九千九百八十二万円で、皇族費として支出された経費は、各皇族の手元金となり、宮内庁の経理する公金ではなくなる。なお、皇族費には、皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金として支出されるものと皇族がその身分を離れる際に一時金として支出されるものもある。さらに宮内庁費とは、宮内庁の運営のために必要な人件費・事務費などが主なもので、平成一六年度は、百八億三千二百五十七万円である。
 その他の天皇が必要とする特筆すべき国家機関に、明治一九年、宮内省に皇宮警察署として誕生し、その後幾多の組織的な変遷を経てから、昭和二九年の新警察法の制定に伴い警察庁の附属機関となり、名称が改称された皇宮警察本部がある。
 皇宮警察は、天皇および各皇族の護衛や皇居・御所・御用邸などの警備を専門に行う国家警察で、都道府県警察のような刑事部門や交通部門などはない。皇宮警察本部の職員は、皇宮護衛官・警察庁事務官と警察庁技官で構成され、身分は国家公務員である。昨年度は、陣容も、私の記憶では鳥取県警か島根県警かのどちらかとほぼ同規模の一万人を超えた、予算規模も八十八億四千万円に迫る一大組織である。
 今までの記載から私たちが確認したように、国民統合の象徴として、戦後憲法で象徴天皇制を抱え込んだ日本国家は、現実的に生死する生身の天皇を持つことにより、その生活と身辺の警護の必要に迫られ、他の先進民主政体の国家と比較しても、直接に約百七十五億円ほど、間接的に約八十八億円ほどの合計二百六十六億円の余計な予算を、国家予算として持つことになる。
 すべての日本人は、今回の結婚について云々する前に、このように象徴天皇制の維持に費やされている銭金の面についても、同時に論議していかなければならない。ほとんどの人々は、日本は民主政体の国家だと考えてきたであろう。日本の本当の姿は今明らかになったように私たちが税金で養っているお飾りの天皇が鎮座まします階級国家なのである。
 しかし実際の処、何という税金の浪費であろうか。天皇に幻惑させられている人々は、皇族に支出された国家予算の規模がどのくらいのものであるか正確に認識しているのであろうか。私たちは時代遅れの象徴天皇制の即時廃止を要求する。ここにこそ構造改革のメスを大胆に入れるべきではないだろうか、私たちはそのように確信しているのである。

皇室離脱の一時金は一億五千万円

 普通人なら全くの私事でしかない結婚が、皇族の結婚となると単なる私事とはならない。まして、四十余年ぶりの皇族からの離脱による結婚である。今回発表された紀宮の結婚で、皇族から離脱する際の一時金は、一体いくらなのであろうか。私たちの関心は、当然にもそこに思い及ばざるをえないのである。
 そのため、普通目にしないその根拠となる皇室経済法の一部分を引用することにする。
(本文より一字下げる―開始)
  第六条 皇族費は、皇族としての品位保持の資に充てるために、年額により毎年支出 するもの及び皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金額により支出するもの並びに皇 族であつた者としての品位保持の資に充てるために、皇族が皇室典範の定めるところに よりその身分を離れる際に一時金額により支出するものとする。その年額又は一時金額 は、別に法律で定める定額に基いて、これを算出する。
 2 前項の場合において、皇族が初めて独立の生計を営むことの認定は、皇室経済会議 の議を経ることを要する。
 3 年額による皇族費は、左の各号並びに第四項及び第五項の規定により算出する額と し、第四条第一項に規定する皇族以外の各皇族に対し、毎年これを支出するものとする。
  一 独立の生計を営む親王に対しては、定額相当額の金額とする。
  二 前号の親王の妃に対しては、定額の二分の一に相当する額の金額とする。但し、 その夫を失つて独立の生計を営む親王妃に対しては、定額相当額の金額とする。この場 合において、独立の生計を営むことの認定は、皇室経済会議の議を経ることを要する。
  三 独立の生計を営む内親王に対しては、定額の二分の一に相当する額の金額とする。
  四 独立の生計を営まない親王、その妃及び内親王に対しては、定額の十分の一に相 当する額の金額とする。ただし、成年に達した者に対しては、定額の十分の三に相当す る額の金額とする。
  五 王、王妃及び女王に対しては、それぞれ前各号の親王、親王妃及び内親王に準じ て算出した額の十分の七に相当する額の金額とする。
 4 摂政たる皇族に対しては、その在任中は、定額の三倍に相当する額の金額とする。
 5 同一人が二以上の身分を有するときは、その年額中の多額のものによる。
 6 皇族が初めて独立の生計を営む際に支出する一時金額による皇族費は、独立の生計 を営む皇族について算出する年額の二倍に相当する額の金額とする。
 7 皇族がその身分を離れる際に支出する一時金額による皇族費は、左の各号に掲げる 額を超えない範囲内において、皇室経済会議の議を経て定める金額とする。
  一 皇室典範第十一条、第十二条及び第十四条の規定により皇族の身分を離れる者に ついては、独立の生計を営む皇族について算出する年額の十倍に相当する額
  二 皇室典範第十三条の規定により皇族の身分を離れる者については、第三項及び第 五項の規定により算出する年額の十倍に相当する額。この場合において、成年に達した 皇族は、独立の生計を営む皇族とみなす。
(本文より一字下げる―終了)
 ここ十数年に及ぶ長期不況下で、生活保護認定が一段と厳しくなったこともあり、生活苦に呻吟する一般民衆の生活とは比較を絶して、皇族については、このようにあまりに手厚い保護がある。このことを読者に実際に確認して頂きたかったこともあり、敢えて長々と引用した。全くもって酷税にあえぐ私たちには腹立たしい記載ではないか。
 ここで読み取れたように離脱一時金は、算出する年額の十倍に相当する額である。なるほどなるほど、法律では、言葉使いにおいても庶民と差をつけて、皇族には給付する年額や支給する年額との言い方ではなく、皇族たちが国家から税金でもって養われている事実を少しでも意識させないように知恵を絞り、算出する年額というのだ。まさにこれは官僚の知恵の極致ではある。
 紀宮は、皇室典範一二条の規定により結婚後は皇籍を離れ、一般市民と同様に戸籍を持つ。そしていわゆる持参金にあたる「皇族の身分離脱の際の一時金」が支給されることになる。前例となる四十四年前の清宮の場合は千五百万円であった。
 マスコミの報道によると、紀宮の一時金の額は、一億五千二百万円を限度とし、皇室経済会議の論議を経て決定されると報道されている。今はそれ以上の予想がつかない。
 しかし、その論議の前提となる金額は、年収七百万円の結婚相手の黒田氏にとってみても、また普通の人々から見ても、想像を遙かに超えた額であることは明らかだ。それにしても、「皇族であつた者としての品位保持の資に充てるために、皇族が皇室典範の定めるところによりその身分を離れる際に」一時金を与えるとの皇室経済法とは、一体何なのだろうであろうか。
 そもそもある意味で結婚は全くの私事である。それなのにこの厚遇。まさに至れり尽くせりの国家的保護ではあると断じる他はない。ここでは、憲法の大前提である法の下の人間の平等などという理念などは、全く消え失せてしまっているのだ。このように象徴天皇制と民主政体は両立しないことが、ここまではっきりと露呈してしまったのである。
 日本国家は前近代国家だ、と事あるごとに私はよく言っている。もちろん冗談なのだが、このことについて言えば、マスコミの結婚美化のための狂態に怒りを募らせるとともにこの深刻な不況の時代に何とも呆れ果てた無駄金使いだというしかないのである。(猪)

第2期ブッシュ政権は何処へ
一極支配と多極化のせめぎ合いの中で


■ブッシュの勝利と一極支配の行方

 米大統領選挙はブッシュの勝利に終わった。この選挙は、イラク戦争、大減税による景気刺激策、雇用や医療などが公式の争点であったが、人工妊娠中絶や同姓結婚の是非も取りざたされた。イラク戦争への疑問の声の増大によって一時は再選に黄色信号がともったブッシュ大統領であったが、結局は中絶問題などを利用して保守票の掘り起こしが彼の勝利をもたらしたようだ。
 2期目に突入したブッシュ政権は、果たしてこれまでと同じく単独行動主義を貫くのか、それとも仏・独やロシア・中国などとの協調に動くのか、が盛んに論じられている。
 国際協調への配慮や復帰を期待する者は、「国際協調派」のパウエルが国務長官を退いたあとにも同じスタンスのコンドリーザ・ライスが就いた、泥沼化するイラク占領は欧州などの協力無しには出口が見いだせない等々の理由をあげる。単独行動主義、一極支配強化の道をますます強めるだろうと予想する者は、2期目の大統領は世論にさほど配慮する必要がなくなる、イラク戦争にも選挙でお墨付きが得られたとブッシュ政権は受けとめているはずだ、ライスは結局は対ソ戦略を研究してきた冷戦時代の理論家だ等々の理由をあげる、。果たしていずれが的を射た予測なのだろうか。
 結論から言えば、目先の行動としてはどちらもあり得る、ということだろう。しかしそれよりも重要なこと、我々がきちんと押さえておかなければならない点は、例え米国がどちらの道を歩んだとしてもその行き着く先は大きくは違わない、ということだ。
 米国を取り巻く客観的な情勢を冷静に踏まえるならば、米支配階級の行動としては、国際協調=仏・独などの取り込みを追及することが合理的だろう。しかし権力を握る支配階級は、多くの歴史的な先例が雄弁に物語るように、必ずしも合理的に行動するとは限らない。そればかりか往々にして不合理でばかげたやり方を好んで選択する。第2期ブッシュ政権がかりにこの不合理な道、単独行動主義の道を歩み続けるとすれば、イラク戦争の泥沼化、双子の赤字の増大、ドルの信認の低下、世界の多くの国々とのいっそうの軋轢の激化を招くことは避けられず、米国を大きな困難に追いやる可能性が大である。その結果、一極支配の野望の挫折がもたらされる可能性も小さくない。
 また仮に米支配階級が、世界の忠告に耳を傾けて、国際協調=諸大国の取り込みに力を入れた場合はどうだろう。もし米国のこの努力が、現実の効果を上げるに十分なほどに真剣であるならば、それは欧州の大国や中国などの発言力の確保、強化をもたらすだろう。そしてその道が徐々に踏み固められ、広げられていくとするならば、そこにも米国の覇権の相対化、一極支配の後退が待っているかも知れない。
 もちろん、米国の覇権の後退、欧州や中国などの力の台頭は、決して一直線にもたらされるものでも、そうした事態がすぐにでもやってくるということでもない。様々なジグザグや、行きつ戻りつの過程を繰り返しつつ、しかし米国が現在とっているような行動、米国の一極支配、米国の覇権はやがては後退して行かざるを得ないように思われる。

■イラク戦争の動機

 米国によるイラク戦争開始の動機は、様々に解説されている。
 その中でも最も流布されているのは、中東の石油資源に対する野望のためというものだが、この見方はまったく当を得たものである。
 イラク戦争開始前後の時期には、多くの評論家がしたり顔で「IT全盛の時代に資源獲得のための戦争などという発想は古い」と弁じ、「石油価格が安くなればブッシュのスポンサーである米国の石油資本だって困る」などという珍論さえ吐いていた。こうした手合いは、ほとんどがイラク戦争支持論者であった。
 しかし石油は、情報技術や金融や航空宇宙産業や代替エネルギーや新素材などがもてはやされる今日の世界においても、決定的、死活的に重要な資源である。この資源にどれだけアクセスできるか、それをどこまで支配できるかが、その国のこのブルジョア世界での国際的な地位を、いな死命さえも決定すると言っても過言ではない。
 米国は、世界第2位の埋蔵量を誇るイラクの石油資源を支配することによって、世界の石油市場をコントロールし、そのことを通して自らの経済的繁栄に不可欠である安い石油の安定供給を継続させ、そして米国のライバルとして再浮上しつつある欧州、そしてその一歩あとから新たに台頭しつつある中国などの動きを牽制することを狙ったのである。
 石油資源への支配力を強化することは、別の面からも米国にとって避けて通れなかった。それは世界経済におけるドルの支配力の維持の必要である。
 米国の世界の中での卓越した地位は、米国の国民通貨であるドルが国際的な決済通貨、世界の基軸通貨として通用していることによって支えられている。米国は、外国からの商品の輸入が輸出を超過する事態が続いても、他の国のように海外からの購買力の収縮に陥る心配が少ない。なぜなら、他の国なら外貨不足に陥って輸入を続けることができなくなるが、米国の場合は自らの国民通貨であるドルを増発して、海外への支払いに充てることが可能だからである。ドルのこの国際基軸通貨としての地位によって、米国は自らが生産する以上、自らが輸出する以上の消費と輸入を続けてくることができたのである。
 第二次大戦後しばらくの間の事情について言えば、米国の圧倒的な生産力と富があったからこそ、ドルが世界通貨として採用された。しかしその後は米国の生産力・競争力は徐々に低下していき、今ではドルの地位は生産力と富の裏付けを欠いた形骸と化しつつある。71年のドルと金との交換の停止は、その決定的な転換点であった。今では、米国の経済力がドルを支えるのではなく、逆にドルの国際基軸通貨としての制度的地位によって米国の経済が実力以上に引っ張り上げられている、という状態となっている。
 しかしこの逆転状態は長続きはしない。ドルの国際的な地位に、今ひたひたと動揺と危機が忍び寄りつつある。
 ひとつは欧州の経済統合とともに誕生したユーロの台頭であり、そしてもうひとつはドル自体の下落・暴落の不安である。もちろんドル不安とユーロの誕生は連動している。
 世界中に大量に垂れ流されたドルは、その富による裏付けへの疑念を増大させざるを得ず、折に触れてドル安に見舞われざるを得ない。もしドルの急激な下落が生じれば、、損失を被ることとなる企業や国家はドルを手放し、あるいは他のもっと安定した通貨≠ノ置き換えようと走る。欧州はそのもっと頼りになる通貨をユーロとして自ら創造し育てようととしているのであり、世界の他の国々もそのユーロになびき始めているのである。
 決定的なことは、もしドルからユーロへの移行が、世界経済にとってそして同時に米国経済にとって死活的に重要な商品である石油市場において進展すればどうなるか、ということである。それは米国にとってはまさに悪夢である。産油国がもし、ユーロで支払ってくれないなら石油は売らないと言い出せば、米国のドルはおしまいである。そしてドルの安定を前提にしていた米国の国内経済政策も、米国経済の繁栄も、米国の世界覇権も、おじゃんである。米国は、ドルの信認の低下、ドル離れ、それを加速することとなる原油代金決済のドルからユーロへの切り替えを恐れる十分な理由があるのである。
 そして、まさにそうしたときに、よりによってイラクのフセインは、石油代金決済をドルからユーロへの切り替える「蛮勇」を奮ったのである。イラクによる石油代金決済のユーロへの移行は、他の産油国に影響を及ぼすことも大いに懸念された。米国がイラクへの戦争を決意し、世界中の非難を向こうに回して先制攻撃を開始することとなった背景には、そうした事情が存在したのである。

■米国一極支配への欧州と中国の挑戦

 問題のユーロであるが、その国際的な地位はまだドルには及ばない。世界各国の外貨準備高の中では、ドルは未だ60数%を占めているが、ユーロは20%近くである(ちなみに円は5%)。しかし経済統合によって巨大市場として成長しつつあるEUが、米国及び北米経済圏の力を追い上げていくことは間違いない。EU諸国は、今は米国に水をあけられているIT、航空宇宙、金融などの分野でも、市場統合をテコにしつつ次第に力をつけてきている。ユーロの国際決済通貨としての地位もそれにつれて次第に上昇していくことは必然である。
 先頃開かれたチリのサンティアゴでのAPEC会合では、それに先立つドル安の進展が隠れた大きなテーマとなった。しかし「強いドルの維持」が言葉として語られるだけで、これといった対策が取られることはなく、ドル安つまり米国の経常赤字、財政赤字の累増は放任された。
 そして時あたかもそのAPECの直前に、ロシアのドル離れの姿勢が明確となった。ロシアは、これまでのルーブルのドル連動制をやめて2005年からはユーロを中心とする通貨バスケット制(ユーロ7割、ドル3割)に移行することを明らかにしたのである。いつまでもドル連動制を続けているとドル安・ドル暴落となれば自らの経済を危うくしかねない、ドルとの心中はごめんだ、というわけである。ロシアは、外貨準備でもユーロを増やす計画であり、ユーロの運用を積極化しようとしている。それと並行して、欧州がロシアに対して原油や天然ガスの取引をユーロで行うよう持ちかけており、ロシアはこれに前向きな姿勢を見せている。
 ドルを見放そうとしたイラクは米国によって容赦ない軍事的先制攻撃を受けたが、核武装したロシアは米国にとってイラクほど簡単な相手ではない。やはりAPECの直前に、ロシアは米国のミサイル防衛構想への対抗計画を明らかにした。その計画は、米国のミサイル防衛網を突破するミサイル技術の開発であり、すでに今年の初めに発射実験を行っており、今後数年以内に実戦配備する予定だという。
 ドル離れ、新たな経済圏の構築による米国の経済覇権への挑戦を試みているのは欧州勢だけではない。中国もまたしかりである。もちろん現在の中国はいまだ世界の工場としての地位を盤石のものにすべく力を集中する段階であり、米国はもちろん欧州との間にも大きな経済力の開きがある。何よりも、対米輸出で稼ぎまくっている今は、中国自身にとってもドル体制の安定が必要である。国内にも、沿海部と内陸部の経済格差、国有企業が発生させる膨大な不良債権、民族対立の根、共産党支配の重圧とそれへの反発等々の不安要素がある。
 しかし中国は東アジアではもはや無視できぬ重要アクターとなっており、ASEAN諸国とのFTA交渉などでは日本に先行し、巨大な存在感を示し始めている。中国が、東アジアにおける経済共同体の構築においては日本ではなく自らが主役になるべきである、との自負を育みつつあるのは明かである。このことは、人民元こそがアジアの共通決済通貨になるべきであるということでもある。中国もまた、自らの通貨=人民元を有力な国際決済通貨のひとつとして育てようとしているのである。

■国民国家やその連合の枠を超える労働者・民衆の国際連帯を

 米国による一極支配のあとにやって来るかも知れない多極世界は、米国の一極支配が行われている世界に比べよりマシであるとは必ずしも言えない。仏・独などの欧州の諸大国の米国への批判姿勢も、ロシアや中国などの米国へのよそよそしい態度も、大国による世界覇権、「帝国」的支配そのものへの反省や批判を意味しているのではない。欧州の諸大国やロシア・中国などもまた、彼ら自身の利権と覇権を拡大せんとする野望を抱いており、あわよくば米国のそれに取って代わって自らの世界覇権を目指すことを常に考えているのだ。
 我々労働者・民衆は、これらの諸大国の「反米」や「離米」の姿勢に自らの姿を重ね合わせることはできない。我々が依拠し、擁護し、その発展を追及するべきは、欧州やアジアや米国等々世界の至る所で試みられている労働者・民衆の闘いである。軍拡競争や戦争、利権や覇権の追及、その根っこに横たわる資本(民間資本や国家資本)による労働者・民衆への搾取と収奪と抑圧、これら資本主義や国家資本主義のの宿痾と対決し、新たな社会と世界の創造をめざす世界の労働者・民衆の闘いを深化させ、発展させることこそ、我々の課題である。
 イラク戦争の開始に反対してわき起こった1千万人を超える世界の民衆の共同行動は、新しい時代の新しい闘いの最初の萌芽である。この闘いの中で、共通の目標、戦略、実践的な結びつきを創り出すことこそ、我々の課題である。
 ともに闘おう!   (阿部治正)


富弘美術館の紹介

 私は今年の夏、群馬県勢多郡東村にある富弘美術館を訪ねた。以前、テレビで星野富弘さんのドキュメントを見ることがあった。彼は、大学卒業後、中学校の体育教師になり、その2ヶ月後にクラブ活動中、誤って墜落し、頸髄損傷を負い、首から下が全く感覚がなく動かなくなってしまった。
 死にたいほどつらい日々だったが、まわりの人達の励ましで少しずつ生きていこうとする中で、口に筆をくわえて字を書くことをはじめ、らんの花を長い時間かけて写生していくと、美しさに感動する心があれば絵を描けるのではないかと、希望が持てるようになって「生きていこう」という気持ちになったという。
 そして、9年間の病院生活の後も、手足の運動機能は回復しなかったが、ふるさとの東村に帰り、自ら下あごレバーで動かせる車イスで散歩しながら、怪我をする前には気がつかなかった自然の美しさに毎日、触れ、詩をそえた草花の絵を描き続けている。
 そうした彼の詩画作品展が全国各地で開かれ、大きな感動を呼び、1991年ふるさと創生資金を生かして東村村立富弘美術館が造られた。開館してみるとものすごい人気で3カ月で10万人、今年の7月までに約460万人が訪れたという。(村の人口は3200人を超える程度)日々の生活に疲れているたくさんの人達が、生きる勇気や喜びを自然に教えてくれる彼の詩画に出会って救われた人もいるだろう。
 また、私は、彼の手記を読む機会があった。体が動かなくなってしまった彼の心の中の葛藤、苦しさ、つらさを自分自身でもがきながらも絵を描くことで「ありのままの自分でいい」と答えを見つけていく彼の姿や、9年間という闘病生活で、24時間付きっきりで彼の手と足になって、時には息子から怒鳴られたりしても、ひたすら息子の世話を続ける母親の姿に私は涙を流さずにはいられなかった。たくさんの人に感動を与えている詩画も、この母親がいなければ描けなかったもので、彼と母親の2人の作品であって、彼が一番母親に感謝しているのだろう。こうした、彼と母親の詩画を一度見たいと思っていたので、訪れる日を楽しみにしていた。東北自動車道の佐野・藤岡ICを降りて渡良瀬川沿いに道は進み、緑がいっぱいの山々に囲まれた中に美術館はあった。
 彼が初めてサインペンをくわえて書いた文字やスケッチブックの絵を見た時は、よだれを垂らしながら歯を食いしばって書いたと思うと胸が熱くなり、私は時を忘れたかのように、ひとつひとつ作品に吸い込まれていった。たくさんの作品の中で、私はどうしても、彼と母親の絆を感じる詩画に出会った時は、ひとつひとつの言葉が身にしみていくのを感じ、心が洗われていくようだった。「淡い花は母の色をしている 弱さと悲しみが混じり合った 温かな母の色をしている」ばら(1978) 
 そして、この美術館が既存施設を改修した建物で、狭くて老朽化が進んだ為、隣地での新美術館建設が決まった。ところが驚くことに、設計案をインターネットを使って、国際公開設計競技として募集したら『設計競技史上の世界記録』ともいわれる約1200案が世界中から集まったという。
 そして、地元の小学生も参加して体育館でサンプルを並べて、公開審査を行い、村人達が選んだ。施工者もヒヤリングを行って公開審査をしてこれも村人達が選び、一番安い建設会社より一億円も高い会社が選ばれたというのだからびっくりしてしまう。談合や不正がはびこっている今の世の中にどうしてこんな事ができるのか不思議でたまらない。
 美術館は、12月26日から来年の4月15日まで休館して、翌日の4月16日に生まれ変わるという。東村の人達が選んだ新しい美術館ができあがったら、また訪れたいと思っている。〈美〉

“お客様は神様です”?!

★ 日本の高度経済成長時代に「お客様は神様です」という言葉を流行らしたのは今は亡き歌手の三波春夫である。
 彼は、彼の歌や演技を見るために多くの客が入場料等を払ってくれることを、自分にお金=「富」をもたらしてくれる者として見、お客を崇め奉り「神様」といった。
★ 今日、この「富」をもたらしてくれる「お客様」を獲得する為に、企業の営業方針「お客様第一主義」を重要視し、企業間でしのぎ、きそっといる。
 特に、企業の商品販売・営業部門やサービス産業などで、営業方針の第一に掲げられており、「お客様」を獲得するために、スローガン化され、接客マナー・接遇態度の研修などで営業目標額などと一緒に唱和するなど、重要な「言葉」になっている。
★ 「お客様第一主義」による接遇目的は、「お客様に」多少問題があろうとも、「お客」のご機嫌を取り、売り上げの拡大を図るのが目的であるが、営業労働者には、営業成績による能率給の採用と相まって、髪型や服装などの容姿や言葉遣いまで変更を強要され、意識変革を強要されることである。
 客の方も神様扱いされることによって優越感を感じるらしく、時にはその気にさせられて特に必要ないものまで買わされてしまうというわけである。
そしてこのことは、売る側と買う側の差別化を助長するとともに、営業労働者には営業ノルマの強要や、労働時間の変則化や延長、サービス残業の日常化など、労働強化をもたらしている。
★ 「お客様は神様」ではお客は「富」をもたらす者として、何か、すばらしく、新しい「富」を作り出すかに描かれるが、実際の商品交換に置いては、時にはあくどい手口があったりもするが、等価交換が行われて「富」は新たに生まれてはいない。消費者としての「お客」は、好みによる選択はあるが、働いて得た、労働の対価ではない労働力生産費の賃金で、生活に必要なものを手に入れて、賃金から生活用品へ変換したにすぎず、全く新しい富を作り出してはいないのだ。
★ 商取引では、売る側も買う側もお互いが尊重されなければならないことは言うまでもなく、平等でなければ公平な取引にはならないというものなのだが、特定の商品が万物と交換できる貨幣という“魔物”に変わり、この“魔物”こそ神懸かりと言うべきだろう。
★ 「神様」の獲得のために働かされている者が差別され、労働強化がされていることこそが、新しい富を生み出しているのであり、そのことが企業利益を生んでいる根源であることを私たちはもっと強調すべきではないだろうか。 〈M〉

介護日誌−2

 転倒・骨折により急に寝たきりになってしまった母の、次の受け入れ先を求めて右往左往し、やっとみつけた行き先は、入院している総合病院の部屋のひとつ上の階にある療養型病棟だった。一杯で無理といわれていたので、一ヵ月という期限つきだ。同じ大きさの部屋に、今までは6人だったのが4人となり、鼻腔栄養食で意識も明白でない方もいて全体に静かだなあというのが第一印象だった。食堂ではエプロンをつけた15−6人のお年寄りが、揃って食事を待っている。見慣れてくるとそうでもないが、正直に言って最初はちょっと驚いた。
 母は相変わらず食欲も無く、枕元に容器を置いて嘔吐を繰り返している。リハビリ訓練を全て断りベッドに伏せる日々で、じょくそう(床ずれ)ができ、その上体重も25キロにまで落ちてしまった。胃の検査や、吐き気止めの薬を飲んだりもしたが、それさえ吐いてしまい体力は日に日に落ちていった。
 それでも便は出るので、おむつに失敗する回数も増えていった。「便がでる」「出てしまった」という感覚さえまるで無い様子で、とてもはらはらした。便の失敗時や、毎朝必ず一回は看護師さんたちが下の洗浄をしてくださるのだが、母が言うには「おむつを取り替えるのも、ここの看護婦さんは上手だよ」とのこと。気がつけば周囲はそういう介護を必要とするお年寄りばかりなのだから無理もない。手際が良いわけだ。
 前の一般病棟では、6人部屋の上夕食時など家族の見舞いで部屋中わいわい大にぎわいで、母もそれなりに会話の中に入っていたが、ここではひたすら静かな時間が過ぎてゆく。家族の見舞いも少ない。そんなある日に母を見舞うと突然「そこをかたずけて。○○(孫の名)の食べるものあるかね?」とまるで自宅に居るかの様なことを口走ったことがある。これはいよいよ寝たきりの上痴呆の症状まででてしまったかと、真っ暗な気持ちになってしまった。(これは後に取り越し苦労だと判明する。)
 さてここでの入院も「一ヵ月間」とのことで、母の見舞いと仕事の合間を縫ってつぎの段階のための準備に、またまた右往左往の日々となる。在宅介護に必要なベッド、エアーマットレス(床ずれ予防)、車椅子等のレンタルの手続き。月に4〜7日間の施設へのショートステイの申し込み。訪問看護、ヘルパー、介護タクシーの手配などなど。
 入浴については、病棟での様子を一回見学させてもらった。これだけバタバタと動き回っても不安は膨らんでゆくばかりで「家で安心して介護できる。大丈夫。」などとはとても思えなかった。
 その間にも同室の患者さんがつぎつぎに退院してゆく。家族も本人も一様に不安な想いを一杯に抱えながら・・・。(澄)

「反戦通信−3」・・・イラクから自衛隊を撤退させよう!

 小泉首相は、12月14日に期限切れとなる自衛隊のイラク派兵の延長を公言しています。11月には、第四次派遣部隊がサマワに到着しました。今まで以上に、攻撃される危険性が高まっています。
 多くの国民も米軍のイラク戦争に荷担する自衛隊をイラクから撤退すべきであると考えています。私たちはアメリカの無差別殺戮であるイラク戦争を止めること。そして、自衛隊をイラクから撤退させるために行動しましょう!
 「イラク意見広告の会」から、自衛隊のイラクからの撤退を求める具体的な運動の計画案が提起されていますので紹介します。ご協力をよろしく。(E・T)

−−イラク意見広告の呼びかけ人より−−
■ 毎日新聞12月2日朝刊に意見広告を掲載することが決定しました
 私たちは、さる11月15日に「イラク意見広告の会」を発足させ、17日に「自衛隊のイラクからの撤退とイラク復興支援策の基本に戻っての再検討を求める意見広告」を提起しました。あわせて、そのための募金を呼びかけました。すでに各地から募金が寄せられています。また、会のHP(http://www.ac-net.org/iik/)には 多くの方々から寄せられたメッセージを掲載しています。
 その後、呼びかけ人(=会の世話人)は毎日新聞社と話し合いを進め、12月2日の同紙朝刊に1ページ全面の意見広告を掲載することが決定しました。また、呼びかけ人で協議をした結果、今回の意見広告のための募金の目標額を800万円に設定しました。目標額を超えた場合は新聞以外のメディアでの広告も検討する予定です。

■ 皆様から寄せられた募金を有効に使わせていただくため、創意と説得力のある紙面作りに取り組んでいます
今回の意見広告は12月14日に期限切れとなるイラクへの自衛隊派遣延長に「ノー」の意見を表明することが主たる目的です。しかし、国民のなかには「人道支援のために自衛隊を派遣しているのだから、ここで撤退するのはおかしい」と考えている方々もなお少なくありません。そこで、今回の意見広告は、こうした方々との対話の扉を少しでも開けるような創意と工夫を凝らした紙面作りをしたいと考えています。
具体的には、次のような紙面作りを準備中です。
1.今回の意見広告の主題にふさわしく、多くの国民の方々から共感を得る力を持ち合  わせた著名人のメッセージ(目下、交渉中です。)
2.私たち会の意見・主張(簡潔・明瞭に)――暫定案――
  ・「私たちは政府が期限切れとなる自衛隊のイラク派遣を打ち切るよう求めます。」
  ・「自衛隊をイラクに駐留させることは自衛隊員を危険にさらし、民間ボランティア    のイラク人道支援を困難にします。」
3.自衛隊の派遣を延長しようとする政府の見解を事実で覆すような「市民発の情報」
  ・これでもサマワは非戦闘地域といえるのか?
  ・自衛隊は本当にサマワ市民に歓迎されているのか?
  ・復興支援は自衛隊でないとできないのか? 内外のNGO等はイラク復興のために   どんな支援をしてきたのか? 自衛隊と民間ボランティアでは、どちらがより効果   的な支援をしているのか?

■ 紙面を買い取る意見広告のためには多額の資金が必要です。募金にぜひともご協力をお願いします
以上のように、私たちは、最近のマスコミ報道では十分伝えられていないイラク情報を独自に調査し、そのなかから厳選した事実を「市民発の情報」として意見広告に掲載することによって説得力を持った「意見発信」をタイムリーに行いたいと連日、準備に努めています。どうか、皆様方からのご厚志をいただきますよう、心よりお願いいたします。

<振込み先>みずほ銀行 本郷支店
     口座名義 イラクイケンコウコクノカイ
     口座番号 普通2546754
      郵便振替
     口座名義 イラク意見広告の会
     口座番号 00110−8−704525

<呼びかけ人>
相澤 恭行   特定非営利活動法人PEACE ON 代表
市野川 容孝  東京大学大学院総合文化研究科 助教授
伊藤 和子   劣化ウラン廃絶キャンペーン 弁護士
稲垣 耕作   京都大学大学院情報学研究科 助教授
植田 健男   名古屋大学大学院教育発達科学研究科 教授 
鎌仲 ひとみ  映画監督
久保 亨    信州大学人文学部 教授
熊谷 宏    Friends_Of_Kucinich, Japan
小坂 祥司   No!!小型核兵器DUサッポロ・ポロジェクト代表 弁護士
笹井 明子   老人党リアルグル―プ「護憲+」
佐藤 博文   弁護士
佐藤 真紀   日本国際ボランティアセンター イラク事業担当
高橋 文彦   関東学院大学法学部 教授
醍醐 聰    東京大学大学院経済学研究科 教授
西村 汎子   白梅学園短期大学 名誉教授
野村 剛史   東京大学大学院総合文化研究科 教授
平尾 彩子   Dialogue 21 発行人
平田 昌司   京都大学文学研究科 教授
細井 明美   リバーベンドプロジェクト
保立 道久   東京大学史料編纂所 教授
箕輪 登    イラク派兵差止北海道訴訟原告 元防衛政務次官
八木 紀一郎  京都大学大学院経済学研究科 教授
山中 章    三重大学人文学部 教授
横山 伊徳   東京大学史料編纂所 教授

続報・あまりに愚かな決定 

 本紙前号で、原子力委員会の原子力開発利用長期計画策定会議が使用済み核燃料を再処理する核燃料サイクルを維持すること、青森県六ヶ所村の日本原燃・核燃料再処理工場の稼動にもゴーサインを出したことを、「あまりに愚かな決定」だと批判した。そして、この路線の最後のカギを握っているのが三村申悟青森県知事であり、稼動開始の了解を出させないようにというグリーンピースの知事宛はがきキャンペーンを紹介した。
 しかしその結果は、あまりにはやく出てしまった。11月18日、青森県と六ヶ所村が劣化ウランを使った稼動試験に向けて、日本原燃に安全協定を申し入れた。三村知事は記者会見で「県民の安全が最も大事」と述べたというが、県民第一でどうしてそんな結論が出るのか。原発利権に骨がらみで国策追認しかできないくせに、県民の安全が最も大事≠ネんてよく言えたものだ。
 三者の安全協定は22日に締結され、早ければ年内にも稼動試験が始まると報じられている。試験とはいえ、約53トンの劣化ウランが使用されるものであり、工場は核汚染されてしまう。核汚染される前と後では、施設の解体撤去の負担は全く違ったものとなる。成り行きに従うことしかできない連中に舵取りを任せることの愚かさ、危険性は斯くの如きものだ。
 原子力委員会のこの愚挙について、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長は次のように批判している。
「原子力委の選択は、二重の意味で戦艦大和の歴史と重なる。第一に、技術や環境が大きく変わった現実を見ずに大艦巨砲主義にしがみつき、大和建造という間違った技術選択をしたことである。第二に、敗戦が決定的な45年春に沖縄に向けて出航した戦艦大和の状況に現在は酷似している。
 正当な政治判断をするものがいないまま最後の出航をした大和と、巨額の国民負担と環境リスクと無用なプルトニウムを生み出し誰もが不必要と思いつつ運転に突き進む六ヶ所再処理工場。いずれも政策転換の政治責任を誰も取らない『悲劇』だ」(「Stopザもんじゅ」107号)
 原子力政策を批判したこの飯田氏の指摘は、今日のこの国の総ての分野に共通する欠陥を指摘するものとなっている。破滅へと向かう原子力発電、地震によって誘発される原発の崩壊か、老朽化による重大事故の発生か、耐え切れない費用負担による自滅か、それとも脱原発による危機の回避か、恐るべき岐路を迎えている。青森県知事のあまりに愚かな決定を超えて、あきらめることなく再処理工場の稼動に反対し続けよう。
                                (折口晴夫)
オンブズな日々・その20
費用弁償の決算


 議員報酬についてはこの連載でもたびたび触れていますが、その実態は不明朗、且つ不可解なものです。とりわけ、政務調査費と費用弁償は何の基準もなく、自治体によって大きな違いがあります。まともな自治体では、政務調査費の収支報告には領収書や視察報告などの情報公開が義務づけられ、費用弁償は廃止されています。馴れ合い自治体では、政務調査費の支出は闇の中で、費用弁償もたっぷり支給されています。
 我が西宮市はというと、市当局と議会に緊張関係はなく、先ごろ行われた市長選挙では4分の3近い有権者が棄権という状態で、無関心、無気力が市民を覆っています。当然、政務調査費は税金を取られない第2の報酬と化し、費用弁償も議員の求めに応じてという状態です。その是正を求めて、市長や市議会議長への申し入れや議会への陳情を行っても、市民が無関心では迫力を欠き、結果も芳しくありません。
 それではと監査請求をやってみても、露骨な身内監査に泣かされます。9月に市議会特別委員会に対するふたつの監査請求を行いましたが、結果はやはり酷い内容でした。特別委員会への費用弁償の支給では、@金額が近隣自治体に比べ突出している、A管外視察にあたっては3800円の日当から13000円の費用弁償へと、大震災後にお手盛りで変更してます。
 さすがに、監査委員もこの実態を擁護することは出来なかったのか、次のような監査意見≠付しています。「近隣他市において、会議への出席などに対する市議会議員に支給する費用弁償は、その制度を設けていない市や最近廃止した市も見られ、また、制度が設けられている市についてもその額は本市より低額である市が多いことなどの状況から、特別委員会への出席に対する費用弁償のあり方について、市議会とも十分協議されることが必要と考えます」
 ところで、市議会の費用はどれくらいか、西宮市の場合は次の通りです。議員報酬・約3億7360万円、議員期末手当・1億6330万円、議員共済会負担金・約3535万円、議員費用弁償・約1289万円、普通旅費・約209万円、自動車借上料・1068万円、政務調査費補助金・8010万円、議員一人あたりの直接年間経費・約1541万円(2004年度・定数45・欠員1)
 この金額が多いのか少ないのか、費用対効果の計算ではほとんどムダ金というほかありません。常に行政追認で存在価値もない状態なのだから、多いとか少ないとか以前の問題です。費用弁償では議員一人当たり約29万円ですが、その半分は予算・決算の特別委員会で支給されています。月額報酬69万円が支給されているのに、予算や決算という議員としての本来業務≠ノ日額13000円の費用弁償が支給されているのはどういうことかと思ってしまいます。
 さらに酷いのは会期中の開催で、「正副委員長の互選」というのがあります。これは議会開会中に委員がちょっと集まるだけで特別委員会を開催したことになり、費用弁償支給の主要な根拠となっている交通費の支出もありません。監査請求の意見陳述では「民間の求人広告を見ても分かるように、市民は1時間単価700円くらいの安いパート給料で苦労しており、その一方で、13000円も費用弁償を支給しているのは市民感情とかけ離れた感覚である」という厳しい批判もでています。
 さて問題の管外視察への費用弁償の支給ですが、議会事務局の説明ではこうです。「特別委員会の管外視察は、特別委員会を開催した後、その休憩中に他市等の視察を行っているという位置づけで、開催は復命書をもって確認している。『開催』は、行程の途中か、現地で宣告し、そのまま休憩に入り、視察を行い、帰途に『閉会』の宣告を行う。特別委員会管外視察報告書は休憩中に行われる視察旅行の復命の位置づけであり、委員会記録に代えて報告書を作成している」
 開会・休憩・再開・閉会、休憩中の管外視察、実に奇妙なものですが、これが1997年3月に行われた市議会各派幹事会の確認に従って、旅費条例の日当を支給せず、費用弁償を支給する≠スめに行われてきたものです。漏れ聞くところによると、さすがにこの非常識は今後是正されるようです。近隣に比べ突出した費用弁償の金額も、いくらかは減額される可能性もあるようです。
 その程度の譲歩で追及を止めるつもりはありません。目標は費用弁償そのものの廃止であり、さらに政務調査費支出の完全透明化です。しかし、我が西宮市議会はよくやってくれます。特権維持のためにかくも知恵を絞り続ける彼らに乾杯!
                               (晴)

最後の飛騨への旅の風景

 11月15日から2日間、旅人であって行きずりながらも親しくしてもらった人たちへの別れを、それとなく告げるためでもあって、飛騨へ向かうことにした。その数日前、テレビに写った仙台から自衛隊がイラクへ出発する風景、日の丸の波、主婦の止めても聞かないという亭主や男たちの勇ましげな誇らしげな面持ちを見て、またいつかきた道≠ニいう思いが深かった。
ギリシャの喜劇女の平和≠フ如く、戦争に行くならセックスお断りと女性が一斉に男どもを拒否したというほどに至らずとも、わが江戸の昔でも赤穂義士の討ち入りの義≠ノ背き、悪女の深情けといわれようが、女の愛に負け不忠≠ニいう名折れのを敢えて選んだとされる小山田庄左衛門の話がある。この悪女≠演じたのはかの名優、山田五十鈴さんであった。このカップルの後日談は知るよしもないが。
さらに、フ≠ノ落ちない話だが日露戦争≠ヘ正義の戦争≠ナあったとされる。当時の国際情勢から見れば、そういえるかも知れないが、明治以来急速な近代化のための工業化に伴う都市化。都市への人口の流入から東京の下層社会≠ニいう流れに貧困層を描いた文学からしても、吹きだまりのような河原にみちた生活であってみれば、国のため∞名誉≠フために男を上げる≠ニいうのにすすんで戦場に向かう人々もあったであろう。徴兵と民衆≠ニいう力作はその間の事情を調査したものであろう。
どのような時代であろうと、絶対の平和≠それに伴う心情を求めるのは女性ではなかろうか。どこかに男の世界と女の世界の違いがあるのかも知れないが。
 飛騨の山里で多分、家に伝わる業(なりわい)を継承した女性の老いた身でありながら、自分自身のネットワーク求めようとする珍しい個≠フ主張を実践している方。もう一人の女性は当時若々しいパートの女性であって、村人の作った合掌造りを見せたいと言ってくれたけれど、時間がなくて果たせなかったが、村のボランティアとして介護活動などやってることを聞かしてくれた。あれから何年たったろう。山里に珍しい外に開いた女性、老年と若年のお二人にお会いしたくなって旅に出ることを思いたった。
 お年寄りの方は、今も仕事を続けておられるが、字はもう書けなくなったとか。ボランティアの若い女性の代筆で手紙が届き、もう一人の女性からは仕事の合間で時間を割いてくれる日時を知らせてくれた。
 15日の昼頃、飛騨に到着、若かった方の女性はが車をもって待っていてくれた。記憶にあった若々しい面影もおばちゃんの顔になっていた。(省略)
飛騨の里のばあ様にはボランティアの方に託し、車で見ておきたかった村人たちの合掌造りに案内してもらった。想像していたのとは異なり、目玉ではなかろうが一応観光のために造られていた。
 縄文時代のものであるという。熊の皮でも着て、この中で生活してもよかろうなど冗談を言いながらも、何でも商品化されてしまう現代の味気なさを感じずにはいられなかった。一応、人間の文化財として名のある人は、若い人々に支えられて伝統を守ることも出来ようが・・・(省略)世界を広くできるのも恵まれた者で、生きるのに精一杯の者はこの地から出てみる機会もなく、その気にのもならないのであろう。(省略)
朝早く宮川町という朝市に行ってみた。川沿いにずらりと露店が並び、この店の人々は開放的で何を聞いても明るい親しげな返事が返ってくる。左甚五郎の出身地であり、彼を誇りとするらしく、日光まで行ったらこんな小さなサルだった、というだけだが。都市に住む私たちは、見ざる、言わざる、聞かざる、≠ヘ保身術の極意として意味づけて見たがるものだが、そんな気配は全然なく、さかしげにこんな意味を述べたくなってしまう雰囲気。
 さらに、12時頃になるとさっさと店をたたみ、落ち葉もすべてきれいに掃除し、向かい側に立ち並ぶ商店の人々とも互いに「元気でな」と言葉を交わしてさっさと消える見事さ。(省略)都市では仲間といえば仲良しクラブ≠ンたいなのを想像しがちだが、本来の仲間とはこういうものだろう。
 現在の都市にも恐らくこうした交わりがあるのだろうし、気がつかないだけなのかもしれないが、快い風景を見た思いで飛騨を後にすべくバス停へ。バスの待合所には、ばあ様が多く、柳田国男の世界を見る思いであった。地震の影響で野菜が高いとか、駅前で100円で買ったカボスの使い方を教えてくれるとか、都市を知っている一人のばあ様は名古屋のホームレスのことを「自分の時間を自由に使える王様だぜ」というようなことを言うのに、随分えらいばあ様がいるもんだと感心したり。絵の展覧会をこの地で見るよりよっぽどオモロイ場であった。商品化されない何かは、こういう語らいの中にあるのでは?と改めて思ったものである。
 若い旅人は全く時間に追われて、次々に場所を移動するだけのように見えるが。それでも日常性からの脱出の開放感があるのだろう。老いて動けなくなれば、日常性の中に新たな発見もあるものだと思っているが。   2004.11.19 宮森常子

教育基本法を変える? なんでだろう〜 Q&A4
 Q4 郷土愛とか愛国心とか伝統文化の尊重とかって必要な気もするんだけど・・・
 郷土愛や愛国心などがいままでの教育基本法には定められていないから付け加えるというのですが、郷土愛や国、伝統文化についての考えは一人ひとりずいぶん違うと思います。
 愛国心についても、必要だと思う人もいるし、もっと個人のほうが大切だから、あるいは世界じゅうの人のつながりが深くなっているときに自分の国だけにこだわるのはおかしいから、必要ないと思う人もいます。また、必要だと思う人でも、愛国心の中身はいろいろでしょう。武器をとって国を守るのが愛国心と考える人もいるかもしれないし、平和で民主的な国にするようつとめることが愛国心だと考える人もいます。
 けれども愛国心のことが教育基本法に書かれると、教育の中身の基準とされている学習指導要領や教科書が変わり、社会とか国語とかの教科でも道徳教育でも、愛国心をもっと重視して子どもに教えることになるでしょう。そのとき、どうしても一人ひとりの考え方の違いが無視され、愛国心が必要かどうかも、その中身も、政府の考えによって一つの方向に統制されることになります。現に「日に丸・君が代」では、一切の反対を許さない勢いで強制がすすみ、従わない教師は不適格教員とすることまで行なわれています。福岡をはじめ全国的に子どもの愛国心を3段階で評価する通知表まで出ました。子どもが「自発的に」愛国心を持つようにしむける「心のノート」も小中学生全員に配られています。もし教育基本法に愛国心がもりこまれたら、子どもの心の統制がなんの歯止めもなくもっとすすむことになるのです。
 郷土愛とか愛国心とか伝統文化の尊重などは、子どもや教師、親などにとって一人ひとり違う心の中の問題です。そこまで立ち入って一つの考え方を強制することは、憲法に定められた思想良心の自由を侵すことで許されません。
 もしそうなったら、教育基本法は、政府をしばる法律から国民をしばる法律へ、その性質を根本的に変えることになります。(子どもと教科書全国ネット21より) 
自分の生まれ育った郷土や国を愛するという言い回しに、自然に受け入れてしまいそうな雰囲気があります。しかし、今、日本の国がイラクに自衛隊を送り込んでいる状態で、どうして愛国心などを持つことができるのでしょうか。アメリカの戦争に荷担することを認めてしまう、そんな愛国心なら捨ててしまおうと言いたいです。そもそも、国家という中身は、国民を守ることよりも国家の利益を優先させることにあることを、忘れてはいけないと思います。(恵)

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