2004.12.15.  ワーカーズ287号           案内へもどる

暴走する小泉と増長する自衛隊!

 11月25日、小泉首相の靖国参拝に対する5件目の判決が千葉地裁で下された。参拝は公的なものとしつつ、憲法判断を避けた腰砕けの判決であった。ちなみに、5件中4件は公的参拝とし、福岡地裁は違憲との判断を示している。しかし、総ての判決が原告の賠償請求を退け、原告敗訴となっている。
 小泉首相はこの判決に、「私の勝ちですから。何も言うことはありません」と答えている。子どもの喧嘩ではあるまいに、一国の責任者が勝った負けたで済ましてどうする。こうした、何が何でも靖国参拝は続けるという小泉首相の姿勢が日中外交を座礁させ、不戦の誓いを新たにする≠スめに参拝しているという発言が中国国民の怒りを増幅させている。
 すでに経済界からも、参拝自重を求める発言が飛び出している。小泉首相が靖国参拝に固執すればするほどその反動性をさらけ出すばかりで、中国市場に目を向ける総資本にとっても障害にならざるを得ないであろう。
 12月4日、橋本元総理の犯罪、1億円献金隠し事件を曖昧にしたまま臨時国会が閉幕した。その翌日には、陸上自衛隊幹部と自民党幹部が結託して改憲案を作成していたことが発覚した。こうした事態は、イラク派兵に至る自衛隊の海外浸出の積み重ね、サマワでの報道管制と大本営発表の経験などから、自衛隊が自己主張を強めて、増長しつつあることを暴露している。
 彼らの望みは自衛隊の国軍への昇格であり、軍事行動を実行できる憲法への移行である。自衛隊出身で元防衛庁長官の中谷元氏がこのクーデターまがいの陰謀に一役買っていた事実は、事態の深刻さを物語っている。真相の究明を進めると同時に、こうした危険な動きを芽のうちに摘み取らなければならない。
 さらに9日には、自衛隊イラク派兵の1年延長が閣議決定された。ここでも、小泉首相は「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」という転倒した論理を弄び、国益≠フために自衛隊員の命を犠牲にしようとしている。自衛隊派兵から1年、自衛隊員は傷ついていないが外交官も含めれば5名の日本人犠牲者が出ている。さらに、自衛隊による後方支援に支えられた占領軍によって万余のイラク国民が殺されている。
 中東・イラクに存在した親日的感情は消え去り、自衛隊は占領軍、日本人は敵国民という意識へと変わりつつある。小泉政権による国益£ヌ求が、自衛隊のイラクでの実戦への突入という結果を迎えるのか、それとも、そうした事態になる前に自衛隊を撤退させることができるのか、2005年は日本に決定的な転機をもたらさずにはおかないだろう。(折口晴夫)

ずっこけた自民党の改憲草案
   それでも改憲策動は続く


 少し前の話になるが、自民党の憲法調査会が11月17日にとりまとめた改憲大綱の草案が、自民党内部の反対もあって白紙に戻された。調査会の拙速という自業自得でずっこけた格好だ。が、来年は国会の憲法調査会の最終報告が出る年でもあり、自民党などの改憲策動は新たな土俵で続く。警戒と反撃が重要だ。

■草案づくりのおそまつ

 白紙に戻されたのは、その草案があまりにずさんなうえに、取りまとめ作業が拙速にすぎたからだった。しかし、自民党内のすったもんだを笑ってすませることは出来ない。反対論が出たのは、参議院の位置づけに限られており、日の目を見なかったとはいえ、同じような内容は、自民党内の新たな土俵でまとめられる草案にも反映される可能性が高いからだ。
 自民党の憲法改正大綱の草案の主な柱は以下のようなものだった。

▽憲法の三原則として国民主権、基本的人権の尊重、新たな平和主義を明記
▽天皇は日本国の元首、女性天皇を容認
▽自衛軍の設置。集団的自衛権行使と武力行使を含む国際貢献活動を容認
▽プライバシー権や肖像権などの新しい権利を追加。国防の責務を明記、徴兵制は禁止
▽衆院の優越性拡大を規定。行政権は首相に属すると明記
▽憲法改正手続きを現行より簡素化

 この保岡草案にはいくつかの目新しい項目が入っている。プライバシー権や女性天皇問題などだ。これらの点は、前回の憲法調査会の後で焦点として浮上してきた問題だった。
 国民受けを狙った項目以外では、この草案には改憲戦力がこれまで主張してきた論点が盛り込まれている。たとえば戦力としての自衛軍の保持、一国平和主義の否定と海外での武力行使を含む「新たな平和主義」、天皇の元首化、国民の国家への義務の拡大、行政権の確立、改憲要件の緩和、等々だ。
 この草案にも流れている改憲勢力の狙いは一貫している。それは第一に戦力保持を前提とした交戦権の確立であり、第二に国民主権から国家主権への転換だ。そのための一里塚として戦力の保持と武力行使の規定を条項として滑り込ませることを狙っている。ひとたび改憲を実現すれば、その後も変えやすくなるからだ。
 戦力の保持――海外での武力行使の明記とは、9条の交戦権放棄条項の棚上げを狙ったものであり、あの大戦の反省に基づいて交戦権とそのための戦力を否定した日本が、戦争もできる「普通の国」になることだ。日本の現状はといえば、すでにそうした方向に限りなく梶を切ってきたが、明文改憲は、そうした方向転換を決定づけるものになる。
 改憲勢力は戦後民主主義を形骸化すべく、国家改造を策動してきた。それが国民主権から国家主権への転換だ。それがこの草案では「国防の責務」という条項としてもられている。
 現憲法に貫かれている国民主権原理は、国家を形成するに当たってどんな支配勢力といえども国民の主権を認めない限り政権を維持できない、という人類史発展の後戻りできない原理だ。そうしたものとして国民主権原理は、国民による国家による権力行使を規制するものとして憲法を位置づけてきた。(この原理がはたして実社会で実現されているのか、についてはここでは踏み込まない。)改憲勢力はそれを否定することで国民主権原理に対する無知をさらけ出すか、そうでなかれば多大な血をあがなって獲得してきた人類の発展に無謀な挑戦を挑むものだ。が、人類史そのものに棹さすこうした策動は決して成功するはずもないし、憲法12条にもあるように「国民の不断の努力によって」阻止しなくてはならない。

■頓挫は一時的なもの

 今回の保岡草案が白紙に戻されたとはいえ、自民党の改憲策動が頓挫したわけではない。改憲勢力が目指した内容そのものが認められなかったわけではなく、草案のとりまとめ作業があまりにずさんだったからだ。
 端的な例は衆院の優越規定条項である。これは参議院議員選出方法を、現在のように選挙で選ぶ方式から推薦制に切り替える事も含まれていた。そうなれば参議院や参議院議員の発言権が弱体化するわけで、実際、この草案は参院側から猛反発を受ける結果になった。改憲勢力としても参議院が衆議院のカーボンコピーだと揶揄される現状の改善策についての方向性と合意がないことが暴露される結果となった。このこと自体、大問題であり、そうした合意抜きで改憲に突き進んできた改憲派の思惑がどこにあるかを示して余りある。
 それはともかく、今回の草案は拙速なとりまとめ作業が跳ねられただけで、改憲の焦点となっている部分まで葬られたわけではない。年明け以降仕切り直しになるわけで、私たちとしても改憲策動へとの闘いを休むわけにはいかない。

■改憲阻止は現実の闘いから

 今回草案が頓挫したのも改憲勢力の焦りがある。憲法調査会は設置されてから4年、調査会も両院で議論を重ねてきた。ところが大騒ぎしているのは国会議員と一部マスコミのみで、何とか国民を改憲論の土俵に引きずり込もうとしてきたが、国民、有権者はさほど関心がないか、あるいは冷めた目だ。
 だからといって、国民世論が憲法改悪の歯止めになるかと言えば、そうでもない。改憲問題での世論調査でも、質問に仕方の違いもあって賛成、反対もばらつきがある。むしろこれまでの経緯を見れば、国民は積極的、能動的に憲法問題に関与してこなかった、というのが実相に近い。それはこれまで現行憲法にも、それと相反するはずの日米軍事同盟にも、その双方を容認してきたし、9条の解釈改憲と言われる手法をも容認してもきた。結局、国民は既成事実を受け入れるという態度決定を繰り返してきたといえる。だからいったん改憲のレールが敷かれれば、それを容認する可能性も高い。とすれば、改憲のレールを敷かれないようにすることが当面の焦点となる。
 改憲策動をつぶしていくには、単に条文の変更への反対だけでは決定的に弱い。条文上の議論になれば、そのこと自体が改憲論の土俵に乗ることを意味する。
 現在改憲論が高まっているのは、現実自体が憲法の枠組みから次第に乖離してきた解釈改憲の積み重ねの結果だ。だから現実の軍事大国化、国民主権の形骸化の現状を押し返すことが重要になる。それ自体が改憲阻止の闘いにもつうじる。そうした闘いの裏付けがあって初めて条文改憲への闘いも前進する。(廣)

郵政公社の営業実態。 “自爆”はやめよう!

 郵便局(郵便事業)における営業は、配達以外に、公社の切手や郵便はがき・レタックス・エクスパックなどの販売と民間企業の商品輸送に付随する輸送量を得る為の特定商品販売などがある。
 これらは時期を区切ったイベントとして取り組まれ、営業目標として一定数が算出され、局目標・課目標・班目標・個人目標などと割り当てられる。
 具体的な数字の決め方は、請け負った全体数を局・課・班・人員数で割った数がそれぞれ算出されるようで、市場動向や地域性・過去のデータなど科学的な根拠がなく、いたって単純に割り当てられるようである。
 こうした目標数は名目的には“努力目標”としておろされてはいるが実際には“責任目標”として割り当てられるから、成果主義賃金・能率給の設定評価でマイナス評価を受けない為には、売れない場合は職員自らが自腹を切って買うということが行われている。このノルマ達成の為に自腹を切るということを、“自爆”と言っているが、ノルマが少ない時は一つか二つ程度だったものが、目標数が何十個となるとこの“自爆”数も二桁台となり、万円単位の“自爆”にもなっているのである。
 静岡で最近行われた、「静岡おでん」一個1200円の販売イベントでは、「静岡おでん」を売るとそのおでんを郵送する為にエクスパック−−500円を使うのでこの商品がイベントとして取り組まれ、郵便外務職員に割り当てられたノルマは一人あたり24個であった。
 ノルマ達成の為に班ミーティングなどで言われたことは、『お客様に説明する為には、まず味見をし、その商品を知っておく必要がある。』からまずは自分で買うべきだというのである。自分が買う為に試食品を買うお客はそういないと思うのだが、そう進める管理者は自分も“自爆”しているからこういう指導を公然とするようになっているのである。 ノルマ達成の職員(未達成者も)のほとんどがノルマの5割以上を“自爆”していることを職員間の会話の中で言われているし、郵政の営業には“自爆”は公然のものとして行われていると言うことなのである。
 目標数の上昇と指導圧力の強化にともない、“自爆”の負担を少しでも軽減する為に、値引きなど指導されていないのに、中には、販売価格を値引きし、値びいた分を“自爆”するものも出てきており、後から営業に行ったものが値引きをお客からされた例もあるなど、成績アップの為には何でもありといったことが公然と行われている。
 年賀はがき一枚50円が金券ショップで48や49円で売られたりすることがあるが、これらは管理者も含めた職員が“自爆”した年賀はがきを金券ショップに引き取ってもらったりした結果であり、正規の値段で高く買わされたお客はこの値引きの実態をみてどう感じるだろうか。
 郵便職員の皆さん、郵政公社の誤った営業姿勢と強制的ノルマと闘い、もう“自爆”はやめよう! (光)

コラムの窓・スカイブルーの声

 さて、スカイブルーの声って、どんな声でしょう。スカイブルーというからには、どこまでも明るく清らかなのだろう、と想像するでしょう。ところが、これは郵便局員が接客のときに心がけなければならない声だというのです。しかし、こんな声を出せといわれても困惑するだけで、下手をすると唇が痙攣してしまいます。
 さらにオレンジの声というのもあるのですが、多分こちらは少し暖かい声ということになるのでしょう。しかも、これらの声を笑顔を維持したまま出さなければならないのです。考えるだけでストレスが溜まりそうですが、内心はどうあれ、外見上それらしく振舞えというのです。ロボットとかマニュアル人間ならいざ知らず、郵便労働者にそんなことを要求するのは、ないものねだりというものです。
 しかし、接客の極意はこんなものでは終わりません。何より大切なのはクッション言葉≠ナす。それは「恐れ入りますが」「申し訳ございませんが」「お手数ですが」といった言葉ですが、書留を配達するときには、「恐れ入りますが、こちらに印鑑をいただけますか」というふうになるのです。
 もちろん、私はこれまでそんな言葉を使ったことはないし、これからも使うつもりはありません。何故って、いかにも不自然な言葉使いだし、何より恐れ入らなければならないようなことではないでしょう。それにしてもこの言葉、尊敬というのではないし、丁寧とか謙譲とかにあたるのかもしれませんが、私にはあまりにもへりくだり過ぎる不自然な言葉に思えるのです。
 言葉や声は人となりを現すものであり、むやみに変えたりするものではありません。言葉や声を操ることを職業とするものは、スカイブルーの声だろうがオレンジの声だろうがお望みどおりでしょう。とりわけ声優は、それこそ7色の声だって操ります。そして、いつしか大山のぶ代の声がドラえもんそのもののように認識されるのだから、考えたらすごいことです。
 その大山のぶ代のドラえもんの声が消えるというのはどういうことか。そんなことをしたらドラえもんではなくなるのではないか。確かに、平均年齢が70歳近いとあっては、思い切って声優をがらっと代えるのも仕方ないことかも。子どもが大きくなったのでもう見ることもないので、関係ないのですが、どうなるのか興味がわく話題です。
 いずれにしろ、言葉や声をマニュアルに従属させるのは愚かなことです。たとえ仕事上のことであっても、演じることそのものが仕事であるなら仕方ないが、そうでない限り、自分の言葉、自分の声、自分らしさを大切にしたいものです。         (晴)

天皇家の内憂外患

 一一月三〇日、三九歳の誕生日の記者会見において、秋篠宮が、今年五月の皇太子の「雅子の人格否定」発言について、天皇と相談した上での発言でなかったことを「残念に思う」と発言した事に対し、外国紙や週刊誌が「皇族の確執が噴出」などと報じた。

天皇家の内憂

 一二月一日、この秋篠宮発言に関して、英紙タイムズはただちに反応して、「皇族の確執が噴出した」「皇室の中枢で深刻な対立があることをうかがわせる」と報じたし、国内の週刊誌もこの発言を大きく取り上げている。発言の内容を考えれば当然の反応である。
 一二月六日、こうした動きについて、羽毛田宮内庁次長は、秋篠宮の発言に関して、「特別なご意図をもたれておっしゃったことではなく、皇族の心構え、建設的な考えを述べられたもの」との認識を示すとともに報道されているような皇室内の確執や批判との見方を強く否定した。しかしながら彼らの困惑は、「宮内庁は『事無かれ主義』と書かれていることは謙虚に受け止める」としながらも、自ら冷静さや節度を失い、英紙や週刊誌の報道姿勢を「悪く言えば邪推、曲解」と強く批判して「何もないのに何かあってほしい、なければ作ってでもという“事あれ主義”だ」と決めつけた事からも明らかである。
 では、発端の秋篠宮発言の実際を検討する事にしよう。まずは正確な引用から始める。
(本文より一字下げる―開始)
 質問―皇太子妃殿下は長期の静養を続けており、五月の皇太子殿下の発言をきっかけに、 皇室をめぐるさまざまな報道や論議がなされました。皇位継承順序第二位にあるお立場 として、弟として、一連のことをどのように受け止められましたか。皇太子妃殿下につ いて、皇太子殿下は「東宮御所での生活の成り立ちに伴うさまざまな苦労があったと思 います」と述べられましたが、両殿下はご結婚後、そうした経験がおありだったでしょ うか。
 返答―一連の報道につきましては、確か私は昨年の(誕生日に合わせた)会見で、みな さんから、「陛下をどのように支えていくか」ということを聞かれました。それに対し て、コミュニケーションの大切さということを申しました。円滑な意思疎通が重要であ るということですね。それを受けて、皇太子殿下の(今年)二月の記者会見の時に、み なさんから皇太子殿下への質問の中に「秋篠宮が陛下との円滑な意思疎通が大切だとい うことを話していたけれども」という内容の質問があったと記憶しています。
  それに対して(皇太子)の答えは「コミュニケーションの重要性、よく図るというこ とは、当然のこと」であったと思います。そのことから考えますと、先ほど質問があり ました、五月のあの発言について、私も少なからず驚いたわけですけれども、陛下も非 常に驚かれたというふうに聞いております。
  私の感想としましては、やはり、先ほどお話ししましたようなことがあるのでしたら、 やはり、少なくても記者会見という場所において発言する前に、せめて、陛下とその内 容について話をして、そのうえでの話であって、そうあるべきではなかったかと思って おります。そこのところは私としては残念に思います。
  東宮御所での生活の成り立ちに伴う苦労ですね。これも、私ちょっと、どういう意味 なのか、理解できないところがありまして、前に、皇太子殿下本人にどういうことなの か尋ねたことがありました。
それで、東宮御所の成立に伴うさまざまな苦労ということについては、例えば、皇太 子妃になって、つまり、皇室に嫁ぐことによって、普段の生活でも、いろいろな人が周 りで働いている。そういう生活している空間においても、周りの人たちに対する気配り というか配慮というか、そういうこと(が必要)であったり、なかなか容易に外出する ことが難しい。そういうことだそうであります。
(本文より一字下げる―終了)
 この皇太子批判に繋がる発言を巡り、発言者の様々な憶測から様々な論評がされたが、こうした記者会見での公式な発言が、想像もつかないような大きな波紋を起こす事あると秋篠宮が少しの想像もできていないとしたら何という極楽とんぼなのであろうか。
 私が読んだ噴飯ものの解説記事を紹介する。この秋篠宮発言を訳知り顔の事情通の政治評論家である俵孝太郎は、「その核心とは、この苦言は秋篠宮個人の見解ではなく天皇の意思の代弁だ、という点だ」とする。秋篠宮は、記者会見の場で話す以上、「発言前に、せめて(天皇)陛下と内容について話をし、その上での発言であるべき」だったと、皇太子妃の「キャリアや人格を否定する動きがあったことは事実」との皇太子発言を批判した。俵によれば、「記者会見の場での発言なのだから、事前に天皇に内容について話し、了解を得ていたことは明らかだ」と解説するが、私などは、天皇発言に対する単なる伝聞を語っただけだとしか考えていない。秋篠宮は兄弟げんかは人を巻き込んで行うのではなく、当事者二人の間だけでしなければならないことも知らないのである。
 また皇太子妃の「生活に伴う様々な苦労」の中身が、「生活空間にいろいろな人がいて配慮しなければならなかった」とか「容易に外出することが難しかった」とかという、皇族にとって当然のあり方に対する不平不満にすぎなかった点を、皇太子から直接聞いた話として明らかにしたのも、皇太子妃の元外務省職員というキャリアにふさわしい公務のあり方について考慮を求めた皇太子の姿勢に対して、「私は自分のための公務は作らない。したいことは色々あるけれども、イコール公務かどうかは別」と批判的に述べたのも、天皇の意思の反映だと俵は想像する。 オフレコの二人だけの会話を事前の相談もなく突然に公然と明らかにする、これまた兄同様の呆れた弟の話ではある。
 勢いづいた俵は大胆に語る。「率直にいって、最近の皇太子と皇太子妃の言動には、首をかしげる面が多かった。病気なら療養は当然だが、身内の不幸では外出できるが災害で被災した国民の見舞いにはいけない病状など、私人ならいざしらず最高の公人にありうるだろうか。余震の中、体育館の床に膝をついて被災した幼児をあやした天皇・皇后の姿とは、違いがありすぎる」。このような思い入れたっぷりの俵からは、秋篠宮の発言は、「陛下のご軫念(しんねん)」、天皇の憂慮の念の代弁として、まことに重いと受け止めざるをえないのである。昔からひいきの引き倒しとは言うが、俵見解はまさにこれである。
 俵孝太郎には全く申し訳ない事だが、秋篠宮発言が天皇の代弁だというのは、全く勝手な思いこみと言うしかない。その証拠には、紀宮の婚約に対する感想を聞かれても、まだ正式のものでないと秋篠宮が発言を控えたことを見ても明らかである。そもそも問題にした五月の皇太子発言も二度目の記者会見では著しく後退したことを忘れているのだ。
 俵によれば、今回の秋篠宮会見は、まるで天皇が、皇太子を批判するために開かれたもののようだ。しかしそれが本当なら、天皇は自分の恥をさらす事を、半年もたってから、わざわざ公然化したことになる。それではなぜ天皇はその前に皇太子に直接に意見しなかったのであろうか。考えてみれば説明もつかないことが多すぎるのである。

天皇家の外患

 ついに政府内でも女帝論の議論が公然化してきた。生身の人間を国民統合の象徴とする象徴天皇制の矛盾が後継者が限られてきたことで公然化してきた。ここ数年で現皇室典範の改正がなされて女帝の認定もありうる状勢である。この女帝容認の動きには、宗教政党の公明党も野党の民主党も同調して賛成しているのである。
 これに関わって秋篠宮会見でもこうしたやりとりがあった。
(本文より一字下げる―開始)
 質問―昨年の殿下お誕生日会見の後、湯浅宮内庁長官は、秋篠宮さまの三人目のお子さ まについて「(天皇、皇后)両陛下のお孫さんはお三方ということですから、これから の皇室の繁栄を考えた場合には、私は三人目のご出産を強く希望したい」と言及しまし た。その後、発言は論議も呼びましたが、殿下ご自身は、発言をどのように受け止め、 その内容についてどのようなお考えをお持ちですか。
 返答―昨年、湯浅長官が三人目の子供を強く希望したいということを発言いたしまして、 その会見でそう話してしばらくして長官が私のところに来ましてですね、それについて の説明をしにきたわけなんですけれども、それを聞き、またそのときの記録を見ますと、 どうも私が昨年の記者会見で、三人目の子供について聞かれて、そのときの答えという のは、一昨年の会見で同じことを皆さんから聞かれて、それについてはよく相談しなが らと答え、それで昨年はその前の年の状況と変わらないと答えたということがあって、 それを受けての記者から長官への質問でその気持ちに、つまり秋篠宮の気持ちに変わり はないかということだったというふうに私は解釈しております。でそのことに対して、 長官が皇室の繁栄とそれから意外と報道されているところでは抜けているというか、知 られていないように思うのですが、秋篠宮一家の繁栄を考えたうえで、三人目を強く希 望したいということを話しております。宮内庁長官、自分の立場として、ということで すね。そうしますと、私が考えますに、そのような質問があればですね、宮内庁長官と いう立場としてそれについて話をするのであれば、そのようなこと以外になかなか言わ ざるを得ないのではないかと私はそのように感じております。
(本文より一字下げる―終了)
 ここでの返答もいかにも舞い上がったものである。野心があると疑われるような内容では、冷静に自分の立場をわきまえて為されている発言とはとうてい考えられない。
周知のように、現在天皇家では、次男・秋篠宮の出生以来、三八年間にわたって男子が誕生していない。皇太子と雅子の間に生まれたのも女子(愛子)である。現皇室典範では、皇位継承資格は「皇統に属する男系の男子」(第一条)と定められ、「皇族女子は、天皇及び皇族以外のものと結婚したときは、皇族の身分を離れる」(第一二条)としている。
 現在の皇位継承順位は、第一位・皇太子(長男)、第二位・秋篠宮(次男)で第三位以下の皇位継承者は、五十歳以上の高齢で各夫人も五十歳をすぎている。さらに皇室典範・第九条は、「天皇及び皇族は、養子をすることができない」とも規定している。したがって皇太子か秋篠宮に男子が生まれない限り、皇位継承者はいなくなる。そのため高齢なのに男子出産を強いられている皇太子妃・雅子は、心労のため帯状疱疹にかかり、回復後も公務を休んでいる状態だ。これについてはすでに「ワーカーズ」で論評済みである。
 こうして女帝論が登場してくる。中曽根や山崎拓らがもっともらしく女帝論を持ち出す背景は、「新たな憲法においても、日本文化の中心であり、日本人の精神的支柱をなすものとして天皇制を保持すべきものと考える」からである。何とかして天皇制を残したい山崎や自民党は、今後皇太子や秋篠宮の子として男子が生まれないことを見越した上で、現在の皇室典範を改訂して、女帝を認めようと主張しているのである。
 ここで確認しておきたいことは、「万世一系」と言われている天皇の血筋は、実際には何回も途絶えている事実である。さらに注目しなければならないのは、戦前の旧皇室典範では、正妻以外に男子を産ませる側室制度が存続していた事、また嫡子の男子だけではなく庶子の男子でも皇位継承の資格があった事である。
 事実、江戸末期の光格天皇以降、仁孝、孝明、明治、大正といずれの天皇も、庶子つまり側室の子である。つまり、近代化が進み一夫一婦制度が日本の社会制度として確立していく中で、ただひとり天皇家のみは、公然と一夫多妻を続けていたのである。
 すでに「ワーカーズ」二〇〇四年六月一五号に掲載したが、「昭和天皇の裕仁は、正妻・節子の嫡子であるが、節子は一六歳で裕仁を出産している。つまり、大正天皇は一五歳の節子を妊娠させた。一五歳とは、今日でいう中学三年生である。大正天皇の正妻だった節子は、裕仁、雍仁(秩父宮)、宣仁(高松宮)、祟仁(三笠宮)をつぎつぎと出産した。多くは成人まで育たないのであるが、四人とも無事に成人した。大正天皇は、病弱だったことも手伝って、節子以外の女性とのあいだには、子供を残さなかった。こうした事実を受けて、昭和天皇である裕仁は、側室制度を廃止した」のである。
 即位した裕仁は、女官の皇居への住み込みを止めさせて通勤制度を導入した。その後ある種の潔癖性から裕仁は、側室制度を自ら廃止したのだ。現在では、こうした側室制度が廃止されたのは、戦後だと勘違いしている人もいるようなのであえて再掲した。
 だがその結果、天皇家に嫁いだ女性には、とにかく正統な皇位継承者である男子を「早く産め、産め」という異常な圧力が加えられることにもなった。皇太子の雅子人格否定発言のように、当事者にとっては必ず男子を産めというのには非常なストレスなのである。

秋篠宮発言で明らかになった事

 先の五月の皇太子人格否定発言と今回の秋篠宮皇太子否定発言が明らかにしたものは、社会人として当然にも知らなくてはならない社会常識を全くわきまえない二人の不肖の息子の呆れた言動である。
 これはまさに親の心子知らずの天皇家の内憂外患と呼ぶにふさわしい事ではある。(猪)

教育基本法をかえる? なんでだろう〜Q&A5

Q5 「公共の意識」ってどんな意識なの?
 「公共」という言葉が目立つのも答申の特徴です。公共の精神、公共の意識とは、住みよい市民生活をつくるために、ものごとを自分たちで話し合って決め、それにもとづいて力を合わせるという、市民による自治と協同の精神のことです。これは、民主主義社会では常識といえるでしょう。
 しかし答申で強調している「公共」の意味は、それとは違うようです。小林よしのり氏の「戦争論」や「新しい歴史教科書を作る会」の公民教科書で使われている「公共」の意味と同じで、公共=国家を意味していると思われます。事実、河村建夫文科副大臣は、答申の「公共」は、国家と同じ意味で使っている≠ニ国会で答弁しています。
 答申が「日本人の自覚」「愛国心」「伝統文化の尊重」などを強調していることからみても、「公共」の意識とは国家に奉仕する意識を意味しているのではないでしょうか。(子どもと教科書全国ネット21より)  
 そういえば先日、イラク反戦の宣伝を行なっている時に、警官が「公共物」を理由に文句を言ってきました。警官の言い分は、公共物に私物の物を掛けたり、注意啓発の看板が隠れるのは法に違反するというものでした。この場合、「公共」は国家のものという発想で、管理は警官がして当然と言うことでしょう。しかし、「公共」が皆の物という意識であれば、何も遠慮せずに、警官に従う必要はなかったのです。(恵)

「三位一体改革」を考える
 国家・自治体リストラに抗し、真の住民自治を!


■「全体像」最終決定

 11月26日に、政府・与党は国と地方の税財政改革、いわゆる「三位一体改革」の全体像を決定した。三位一体改革とは、マスコミ風に言えば、国から地方への国庫補助負担金を3兆円削減し、それに見合う3兆円を地方に税源移譲し、地方交付税のあり方を見直す、というものだ。
 明かとなった全体像は、全国知事会など地方六団体と中央省庁や族議員、そして財務省などのあいだの複雑な対立と駆け引きの末決定された。地方自治体の首長たちは自らが自由になる財源を求めて活発に動き、補助負担金の取り扱う権限を自らの権力の源泉と考える中央省庁の役人や族議員たちはその防衛のためにどん欲に闘い、財務省は国家支出の削減を抜け目なく追求した。そのためか、内容的には中央省庁・族議員、地方六団体、財務省などの痛み分け、重要案件の先送りの結果となった。
 まず国庫補助負担金だが、05年と06年で約2兆8380億円の削減となった。焦点となっていた義務教育費国庫負担金は、2年間で8500億円削減(05年度は4250億円を交付金に振り替え)、05年秋の中教審答申を受けて恒久措置を検討することで落ち着いた。国民健康保険の扱いは、国庫負担の2割に相当する7千億円を削減し、代わりに都道府県の負担を導入するという決着だ。急浮上した生活保護と児童扶養手当の国庫負担割合見直しは、国と地方の協議機関で05年秋までに結論を出すこととなった。
 肝心の地方への税源移譲だが、義務教育や国民健康保険の分野などを主にして2兆4160億円(04年度分は6560億円)となった。自治体側が要求していた「基幹税」による委譲、国税の所得税から地方税の個人住民税への税源移譲は容れられなかった。税源移譲は、今年と同様、05年度も「所得譲与税」と「税源移譲予定特例交付金」によって行われる。
 地方交付税や地方税は、かろうじて、「地方団体の財政運営に必要な一般財源の総額を確保する」こととなった。しかし財務省は、04年度に交付税を3兆円削減した実績に気をよくし、さらなる削減に意欲を燃やしている。

■「三位一体改革」の背景と狙い

 この「三位一体改革」の狙いはどこにあるのだろうか、またそれが声高に叫ばれるようになった背景にはどのような事情があるのだろうか。
 「三位一体改革」とは、ひとことで言えば国家・自治体リストラのことである。日本の国家財政が巨額の債務を抱えて行き詰まっていることは周知の事実だ。04年度予算における公債発行は36兆5900億円、公債依存度44・6%、04年末公債発行残高は483兆、国と地方の長期債務残高は719兆円でGDPの実に150%に達するという有様である。
 この未曾有の国家財政危機に対する政府の対応はどうか。例えば財務省は、今後10年間で歳出を30%削減するか、さもなくば税収を40%ひきあげることでしかこの財政危機は解消し得ないと言う。実際には、歳出削減と増税を組み合わせて対応していくと言うことだろうが、しかし歳出削減にしろ増税にしろ政府が考えている規模は巨額だ。
 もちろん政府が考えている財政政策は、国民各層に対し中立的なものであるはずがない。歳出削減は、すでに現在の財界にとっては厄介者となった大規模公共事業、農山村対策費、そして教育や福祉や医療など勤労者・庶民の生活のセーフティネットの分野で遂行されようとしている。歳入増は、大企業や資産家への優遇税制を据え置いたまま、勤労者・庶民増税である消費税の増税が考えられている。
 こうした政府の財政政策を貫いているのは、現在の財界の主流となったIT関連産業を中心とした世界を股にかけてビジネスを行う多国籍企業の利害である。彼ら多国籍企業の経営者にとっては、大規模土木事業やそれに依存した重厚長大産業、勤労者のセーフティネットなどに国税を大規模に投入するのは無駄であるばかりか自らの負担を増すものとしか思えない。したがってそうした支出を削減・効率化し、むしろ自らの多国籍的企業展開を支える投資、多国籍企業の国際競争力を強化するための技術開発支援等々へと国家財政の支出方向を転換させようとしているのである。それが、彼らの言う「小さな政府」「規制緩和」の意味である。
 「三位一体改革」も、そうした国家財政の再編・立て直しの方策として打ち出されてきたものである。今回の「全体像」の決定が、小中学校教育や国民健康保険や生活保護など国民のナショナルミニマムの保障に関わる分野、裕福な自治体と貧しい自治体との格差を是正するための交付税などをターゲットにしていることにもそれは現れている。もちろん交付税が果たしてきた役割は、単に自治体間格差の是正と言うだけでなく、地方自治体に無駄な公共事業を押しつける格好の手段としても機能してきた。2000年度末における交付税特別会計の赤字は実に38兆円2も達しており、国や地自体の財政の危機に拍車をかけてきた。これをスリム化することは多国籍企業の利益に大いにかなっているというわけである。

■闘いの方向

 「三位一体改革」をめぐる争いは、主に地方自治体首長、中央省庁や族議員、そして政府中枢とのあいだで繰り広げられてきた。労働者や庶民のナショナルミニマムやセーフティネットの防衛と真の住民自治の要求は、一部は自治体首長の「税源移譲を!」の声に吸収され、一部は「国庫補助負担金の防衛!」という中央省庁や族議員の既得権益擁護の策動に取り込まれた。
 それはとりわけ、義務教育費の国庫負担金の削減とその一般財源化に反対する声に現れていた。義務教育費国庫負担削減に反対する主張は文部科学省の役人や族議員のそれと見まごうばかりであり、労働者・庶民としての独自の教育理念や教育要求は残念ながら希薄であった。
 小中学校の教職員の人件費を国家が保障すべきであることは当然のことである。しかしその国家は必ずしも中央政府である必要はなく、地方政府である自治体が引き受けて悪いわけではない。その場合重要なことは、国から地方へと教員の人件費にあてる財源・税源をきちんと移譲させることであり、そして何よりも地域の労働者や市民が自らの教育要求、教育理念や計画を自治体に突きつけ、自治体の教育行政に自らの意思を反映させるための取り組みを強めることである。義務教育にかかる費用は国庫負担、ないしは自治体間の全国的調整でまかない、教育の中身は教育労働者をはじめ地域の労働者・市民の声を反映させてより民主的で進歩的なものに転換させていく、これが我々の基本的スタンスであるべきである。
 もちろん今日では、子どもたちへの教育機能という点では地域社会のちからは崩壊状態であり、教育の保守化の動きも地域の中で草の根的にうごめいている。労働者・市民の要求を自治体行政に反映させることが容易でないのは確かであり、教育運動が地域化することでむしろ各個撃破される危険性も生じ得る。コミュニティスクール、学校運営協議会、株式会社学校等々、文科相や教育委員会や校長の権限を強め、教職員のイニシアチブを形骸化させるための仕掛けも次々と打ち出されてきている。しかし、だからこそ、地域での労働者・市民による教育要求や教育実践はますます重要となってくる。一般の労働者・市民にとって身近な地域や地方自治体のレベルで、教育の理念を掘り下げ、練り上げ、進歩的な教育実践を創り出していくことが大きな意義も持ってくるのである。
 政府・文科相が教育の2階建て化=A少数のエリートへの巨額の資金をつぎ込んでの個性重視・才能開花の教育と大多数の庶民の子弟への安上がりの凡庸教育への二層化を目指していることは明かである。この方向を批判するに当たって「国家による義務教育保障」のスローガンは一見有効であるかに思えるが、しかし決定的に不十分であり、危険性も内包している。それだけでは、財源を握ることによって国家による教育の管理・統制を貫こうとする政府や文部科学省の役人との対抗は難しく、労働者・市民の手による教育理念と教育実践は遠ざかるばかりである。
 教育をめぐる中央政府や文科相を相手取っての全国的取り組み、産別的な闘いが大きな意義も持っていることはいうまでもない。しかし同時に、政府・文科相の教育の国家管理・統制、草の根保守主義の策動と学校現場や地域で激しくしのぎを削って闘うこともますます重要となってきている。政府が義務教育費は地方の一般財源に移すというのなら、それを受けて立って学校現場と地域とを我々労働者派の自治の場とすることをめざす取り組みが強化されなければならない。教育や福祉の分野でも国家依存を廃し、労働者・民衆の自治を打ち立てることがめざされねばならない。
 税や社会保険料という形で中央政府に莫大な富を集中し、それを国家官僚や職業政治家たちの手によって公共事業だ社会保障だ教育だという形で分配するという国家や社会のあり方、大きな政府による「福祉国家」(「土建国家」は言うまでもない)は労働者の理想ではない。社会が生み出した富をそれを生産した人々自身のコントロールの下に置き、労働者・住民の手による生産や投資や社会保障の決定と運営こそがめざされなければならない。それは必然的に労働者・住民にとってより身近な自治体の役割を重要なものとして要請する。労働者がめざす政府は、ラジカルな「小さな政府」、労働者自治・住民自治に基づく地方政府とその全国的連合であるべきだ。
 「三位一体改革」をめぐる闘いはまだこれからが正念場である。労働者・庶民の独自の要求を掲げた取り組みを強化しよう!  (阿部治正)


「ドル・石油」体制の揺らぎ―ドル安ユーロ高の背景

今回の基調はドル安・ユーロ高

 一二月に入ってから、国際為替相場の乱高下が続いている。ニューヨークの原油相場は、四〇ドル台にまで下がり、投機資金は国際為替相場に投入されていることが分かる。
 一二月一〇日のニューヨーク外国為替市場の円相場は、三日間続落した。一〇日は、前日比六〇銭円安・ドル高の一ドル=一〇五円二〇―三〇銭で取引を終えた。財務省が介入を見あわせていたため、年末を前にした持ち高調整のドルの買い戻しに加え、大幅増税による日本の景気先行きに対する不信を背景にした円売りが優勢になったと判断できる。
 展開を詳しく見ると、オプション絡みのドル買いも巻き込み、円はロンドン市場で一〇六円二〇銭と一一月一二日以来、約一カ月ぶりの水準まで下落した。ニューヨーク市場での最安値は一〇六円一〇銭となり、底値と判断されると円は若干買い戻されたのだ。
 注目しておかねばならないことは、一二月七日、東京外為市場では、日本と欧州の通貨当局による介入への警戒感から、円は反落したが、ユーロは、一時一ユーロ=一・三四六八ドルと対ドルで最高値を更新したことである。
 この動きに対して、一二月六日発表した為替相場に関する声明は、米国に対する明らかなメッセージだとベルギーのレインデルス財務相は記者団に語った。記者団からのユーロ圏財務相がユーロ高に対する不満を表明したのにユーロは上昇を続けていることに失望しているかとの問いに、レインデルス財務相は、「即時の反応は期待していなかった」と述べ、ユーロ圏のメッセージは、今後も繰り返されるだろう、との見方を示した。発せられた「メッセージは、アメリカの友人に向けられたものだ。不均衡があるのは米国側で、それを何とかできるかは米国次第だ」というものと彼は解説した。

ではなぜドル安・ユーロ高なのか

 最近出来した突然の円高ドル安は、円が強いから生じたものではない。ドルが弱くなったから相対的に生じたものである。核心はドル安・ユーロ高なのである。
 その背景には、ドルとユーロのせめぎ合いがある。一つの指標を見てみよう。世界中の外貨準備の通貨別シェア推移に見ると、ドルのシェアは、二〇〇三年度では六三・八%、アメリカの世界経済のシェアが二〇%なのと比較して、非常に高い割合であった。ところが二〇〇四年度の外国為替市場における通貨別取引シェアのドルの割合は四四%と、外貨準備の通貨別シェアと比べると二〇ポイントも落ちている。一体なぜだろうか。
 ユーロは、かつてドイツマルク、フランスフランなど各国通貨に分かれており、統一された時の外貨準備のユーロのシェアは一三・五%だったが、今は一九・七%になった。今、世界がユーロシフトに動いている理由は、アメリカがドル安に責任を負わないのなら、ユーロはもっとシェアを拡大してもいいと市場に判断されているからだ。
 アメリカの一〇年物国債の利回りは一〇月末あたりで底を付けてから上が始め、今は四・四%位になった。しかしこのようにユーロシフトの動きが顕著になり始めると、米国債はもっと利回りを上げないと誰も買わないから、金利はさらに上昇するだろう。
 となると、日本の一〇年物国債の利回りこれに引きずられて上がる局面が発生してくる。 このように米国債の続落から世界での通貨の動きを理解すれば、ドルとユーロがせめぎ合っていることが私たちに確認できるのである。

石油支払いのユーロ決済が増加

 アメリカの大義名分なきイラク侵攻の背景に石油利権があることは今では周知のことであるが、二〇〇年一一月六日、フセインが世界で始めて、「ドル・石油」体制に風穴を開けた。彼は原油取引をドル建てからユーロ建てに踏み切ったのである。
 この動きは中東地域を始め、世界に広がっていった。イランはイラクに続いて二〇〇年末にユーロ決済に、二〇〇二年一二月には、北朝鮮も外貨決済をユーロにしたのである。今やアフリカ北部やロシアの免税店でも、ユーロ表記がされているという。まさに先に紹介した三国は、二〇〇二年一月二九日、ブッシュの一般教書演説で、「悪の枢軸」と名指して批判した当の国であった。アメリカの「ドル・石油」体制への反逆者と三国は認定されたのであった。この間、ヨーロッパとの関係が深いロシアやアメリカの影響下にできるだけ入らないしようにしたい中国も、ユーロを意識し始めたのである。
 こうしたユーロへのシフトが強まる中で、一一月一八日、ロシア中央銀行は、自国通貨ルーブルを米ドルに連動させる現行の為替制度を廃止し、二〇〇五年からユーロを中心に構成する通貨バスケットを指標に相場を管理する手法を導入することが分かった。
 ロシアは、欧州との貿易が全体の五割を占める実態を踏まえ、ユーロとの連動を高めることが狙いで、外貨準備に占めるユーロの比率も引き上げる予定だという。ロシアは世界一位の燃料資源輸出国であり、これを契機にロシアの原油などの欧州向け輸出がドル建てからユーロ建てに替われば、現在米ドルで行われている世界の石油取引が、ユーロ決済へとの流れが加速されることも予想される。まさに「ドル・石油」体制の危機なのである。
 一〇月には中国政府も初めてユーロ建て国債を発行するなど、国際社会の中でのドルの地位はますます下がっており、米国経済を支えるドル還流システムの危機は、いっそう深まっているのである。
 一二月一〇日、プーチン大統領は、スペインの首相と会談した後の記者会見で、「ウクライナが欧州連合に加入するなら喜ばしい」と述べ、「われわれは、旧ソ連の一定地域での統一経済圏の創出、一方でEUとの共通経済圏の構築という二方向で動いている」とロシアの立場を明らかにするとともにアメリカを牽制したのである。

ドル安円高を容認する日本

 ドル安・円高が今は一服したとはいえ、今一〇五円台である。今年の一・二月には、このラインが日本の介入する数値であった。だから一〇二円台でも介入しなかった日本を見て、世界はいぶかしく思っていることは間違いない。まさに不可解な日本である。
 一二月五日付の英日曜紙「オブザーバー」は、日本の政府・与党は、米国がドル安是正に動かなければ、保有する米国債の売却も辞さない構えを見せ、米国を牽制していると報道して、自らの精神の安定を保っている。
 確かに理解できないことである。今年の二月、単月で、八兆円もの介入をした日本のこの間の動きは全く彼らの理解を超えている。現実においても、日本政府・日銀は、昨年初めから今年三月初旬までに、実に三三兆円もの「円売り・ドル買い」の介入を実施してきた。この金額は、過去最高だった九九年の七兆六千億円をはるかに上回る規模なのである。
 事実、二〇〇三年度の米財務省の四千億ドル近くの米国債残高のうち、一六七一億ドル・四四・三%を保有しており、今年の一月から三月までの介入で、さらに一〇億ドルほど増やしている。次の保有者は国内投資家の二二・%、イギリス八・六%、中国八・二%と続く。中国もこの間の米国債購入が増え、イギリスを抜いたと考えられる。ドル安により米国債は日々に減価していく。そのため、その先に見たように中国も、ドルからユーロに目を移しつつあるのである。
 だがアメリカから言われるままイラクに自衛隊を送り込み、国会での議論もないままに自衛隊のイラク派兵を延長させる小泉総理に日々減価していく米国債を売り抜く決意と能力はあるだろうか。そんなものあるわけはない。まさに現実に日本はドル安・円高を成り行きに任せてしぶしぶながら容認していく以外の道を選択はできないのである。
 この間の介入に対する不可解なまでの慎重姿勢はそのことを暗示しているとしか私には考えられない。今や関係者の間では、一〇一円割れが語られている昨今ではある。(直)

痴呆ケアの質的向上のためのツール
 パーソン・センタード・ケアとDCM法


 厚生労働省の推計(2003年6月高齢者介護研究会報告書)によると要介護認定者のうちの「痴呆性老人自立度U」以上の「何らかの介護・支援を必要とする痴呆がある高齢者」は2002年で150万人、2015年までには250万人、2025年には323万人に達するものとされている。
 介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)の利用者のうち痴呆性高齢者の占める割合はなんらかの痴呆を有する人は81%、痴呆症でない高齢者は19%に過ぎない。特に「痴呆性老人自立度V」以上の利用者が65%近くを占めている(厚生労働省発表 2001年介護サービス施設・事業所調査の概況より)。 このように急増する痴呆性高齢者数であるが、彼らが安心して生活していける環境は整備されているとは言い難い現状がある。
 「痴呆症であること」イコール「何もわからない人」、「介護が大変な人」というように捉えられていることが多い。基本症状から引き起こされる不安や混乱を理解し、痴呆症の人という以前に、尊厳ある人であること、たまたま痴呆症を患っている、そのためにいくつかの生活上に困難さが見られる人である、という理解がまだ薄い。
 2004年10月に行なわれた国際アルツハイマー病協会国際会議で痴呆症の前田氏と手嶋氏が周囲の偏見を取り除いてほしいと訴えた。日本人の痴呆性高齢者が公的な場面で自らの主張をしたのは初めてのことであった。
 元オーストラリア政府高官で痴呆の当事者として始めて国際アルツハイマー病協会の理事になったクリスティーン・ブライアン氏は、自らの痴呆の体験を著書にしている。彼女は各国を訪問し痴呆の人がどのような体験をしているのか、どのような生活の困難を感じているのかを話し、政策やケアの内容などを始めとする様々な決定に本人が参画することの意義を訴えている。2005年より「痴呆症」という呼称も「認知症」と改められることが決まっている。痴呆症の当事者の発言する機会が増え、呼び方も変わることなどから偏見が是正され、痴呆性高齢者を取り巻く環境も改善されると思われる。
 特別養護老人ホームなどの高齢者施設において痴呆性高齢者がどのような行動をとりどのように感じているかをはかる観察法がある。この理念はパーソン・センタード・ケア(Person Centered Care その人中心のケア)であり、この理念を体現する為に行なわれる観察法がDCM法(Dementia Care Mapping Method)である。
 パーソン・センタード・ケアはトム・キッドウッド氏により提唱されたものであり、その理念は、「その人を中心としたケア」である。DCM法とは痴呆のある人に対する人中心ケア(パーソン・センタード・ケア)の質を改善するための観察法によるツールである。これは痴呆性高齢者を徹底的に観察することによって得た豊富で詳細なデータを元にケアの評価を行いケアの改善を図るものである。この評価をするためにはブラッドフォード大学の講習を受けて観察者(マッパー)の資格を取得する必要がある。
 イギリスでは一般的なアセスメントルールとして利用され、NSF(高齢者サービスを行う際の国家基準)にパーソン・センタード・ケアを行わなければならない旨が表記され、パーソン・センタード・ケアに基づいたDCM法を行うことが英国における国家基準になっている。マッピングという技法を用い、ケアの評価を繰り返していくことにより、その人中心のケアが行われその水準が維持し改善されることが期待されており、職員研修の焦点を絞り、ケアプランの作成ツールとしても用いられている。現在はアメリカやドイツ、オーストラリア、デンマーク、スイス等でも取り入れられている。
 日本では2002年度と2003年度に、厚生労働省の老人保健健康推進等事業の補助金を受け高齢者痴呆介護研究・研修大府センターが日本におけるDCM法の有用性及びシステム導入に関する研究事業をおこなっている。2004年2月に基礎マッパー養成の為の研修会が2度開催され、英国ブラッドフォード大学公認の基礎課程修了者が40人近く誕生し、その上級コースの資格者は日本では10人もいない。日本では導入されたばかりのDCM法であるが、痴呆ケアの分野でのDCM法の関心は高く、2004年に京都で行なわれた国際アルツハイマー病協会国際会議でDCMのワークショップは大きな反響をよんでいた。この会や痴呆ケア学会でもDCMの事例検討報告がいくつかなされるようになってきている。
 トム・キッドウッド氏は、痴呆症の進行状態により痴呆症の現れる症状は異なるがその状態は固定しているのではなく、人や環境といった社会との関わりにより変化するとしている。痴呆性高齢者の行動には全て何らかの意味あるいは意義があると考え、パーソンフッド(Personhood  その人らしさ)が尊重され、引き出されている状態をWell being(よい状態)と呼び、その反対を悪い状態(illbeing)と呼んでいる。DCMでは、痴呆性高齢者が経験する悪い状態の多くは不適切なケアの提供の結果であると仮定し、痴呆の状態が進行しても、痴呆症高齢者はよい状態を経験する潜在的能力があると仮定している。
 マッピングの方法は食堂や廊下、フロアなどの公共の場所で痴呆性高齢者の行動を5分間毎に6時間観察し彼らの行動をアセスメントする。行動はカテゴリーで示し、よい状態であるのか悪い状態であるのかを数字で表す。行動のカテゴリーは25に分類されるが、これを行動カテゴリー(BCC behavior category code)と呼ぶ。よい状態から悪い状態までをマイナス5、マイナス3、マイナス1、プラス1、プラス3、プラス5の6段階に分け評価するが、この値をWIB値と呼ぶ。
 例えば飲食はFのカテゴリーで表すが、周囲ととてもよく関わり、明らかに楽しみながら飲食している場合はFのプラス5。社交性を示し、楽しみながら食事をとっている場合はFのプラス3。よい状態を示す明らかな兆候が認められているが一人であったり、他者とのかかわりが少ない場合はFのプラス1。食事中に不満や、ややよくない状況が見られる、例えばうまく食べられなくてぼろぼろこぼし困ってしまっている、この場合はFのマイナス1である。また食事の自立性が損なわれ、社会性も欠如し、提供されている食べ物や飲み物に不満を持っている、例えば自分で食べることが出来るのに介護職の都合で食事介助をされてなどはFのマイナス3である。サポート不足などにより自立性が極度に妨げられている状態など、例えば食事介助時食べたくないものを無理やり口の中に入れられ、明らかな不快感が認められるなどの場合はFのマイナス5となる。
 6時間かけて、利用者を観察することで得られる行動の様子を数値化したものと行動をカテゴリー化したものを記録し評価する。これらの内容をその後職員にフィードバックすることにより、ケアの検証を行い、ケアの向上やケアプランへの影響につなげていくのである。
 日本ではまだ導入されたばかりのDCM法であるが、これから痴呆性高齢者のケアの質的向上を図るための研修ツールとして期待されている。よりよいケアをめざすツールの開発の試みは、もちろんそれだけでは万能ではない。そうした努力が、社会の構造変革をめざす活動とが結ぶつくならば、その成果はより大きなものになることが期待できるだろう。
(Y)

「反戦通信−4」・・・沖縄からの署名呼びかけ

 夏の8月13日に起こった、普天間基地所属の米海兵隊ヘリコプターが大学ビルに墜落炎上した事故をご記憶のことと思います。
 一般マスコミでも広く報道されたように、8月13日(金)午後13時18分、米軍の大型輸送ヘリCH53D(全長約22メートル、総重量約32トン)が、普天間基地近くの沖縄国際大学に墜落しました。その後、米軍はこの沖縄の同型ヘリをイラクへ派遣して、沖縄からの海兵隊と共に、イラク戦争に参戦しています。
今回の事故で、死傷者が出なかったのはまさに「奇跡」でした。一歩間違えれば、普天間基地近くに住む宜野湾市民に大変な犠牲者がでる大惨事になってもおかしくない事故でした。
 しかしその後の状況は、いつものパターンで事件の風化が始まっており、本土のメディアももはや積極的に取り上げることはありません。
 そうした状況の中、沖縄国際大学平和学ゼミナールがこの事件を風化させないために、沖縄国際大学1号館の壁の保存運動に乗り出しました。沖縄で始まったこの運動の呼びかけに応えて、署名などのご協力をお願いします。
 そこで、署名活動に協力している団体の呼びかけ文を紹介します。(E・T)

記憶の場を残そう!
決して風化させてはいけない
2004.8.13 米軍ヘリ墜落炎上事件
 沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落した8月13日、あれから3カ月が過ぎました。メディアを含めた他府県の人々の目には、もうこちらへ向うことはないかもしれません。沖縄でも風化は始まっています。
 でもそんな無関心をよそに、ヘリが激突した一号館の壁は今も私たちにあの事故のすさまじさを呼び起こしてくれます。ヘリ塵落の事実をこれほどまでに伝えられるものは、今やこの壁しかないと思います。
 沖縄では沖縄戦の傷跡を「戦跡」として語り継ぐ努力がたくさんの人によってなされ、だからこそ、沖縄は「平和を学ぶ場」となりえてきたのだと思います。
 沖国大のヘリ墜落現場を沖縄の基地問題の現実を感じられる場、「平和」というものについて考えられる場にしていくことを私たちは切に願います。
 私たちは、沖国大1号館の壁を保存し、ヘリ墜落炎上(米軍占領の実態)の記憶を共有する場、この事件を決して風化させることない「記憶の場」にすることを願い、平和学ゼミナールの署名活動に協力しています。どうぞあなたの力をお貸しください! 
 私たちひとりひとりは微力ですが、無力ではありません。署名は大きな力となります。全面改築が決まっている一号館のせめて「壁」だけでも残し、「記憶の場」にしたいと願う署名です。(沖国大学平和学ゼミの壁保存署名活動に協力している「記憶の場を考える」実行委員会)

色鉛筆
保育園日誌 少子化問題2

 12月に入って私のクラスでは「嘔吐下痢症」の風邪が流行してクラスの半分の子供が病気になって休んでしまった。この風邪の感染力は強く、子供だけでなく大人にもうつり、20代の同僚達は熱も出て休んでしまうほどだ。免疫力のある50代の私は気持ちが悪くて食べられなかったが、休まないで乗り切ることができた。
 保育園という集団に初めて入った0〜1才児の子供達はどうしても病気にうつりやすく、1年目は病気との闘いになる。10月に入園し1才になったばかりのNちゃんは、先月、発熱して母親に電話連絡をすると仕事を休むことができず、急きょ祖母がお迎えに来た。こうしたケースが多く、フルタイム働いている母親が迎えに来ることは少ない。子供が病気の時は、職場を休めることができるような体制を作るべきだ。
 しかし、私の職場でも人件費を節約する為にぎりぎりの人数で働いているので休むことができない。こうした状況はどこの職場でも同じようだ。子供の病気は大人と違って1日で治るものでなく、少なくとも2〜3日か長くて1週間くらいかかってしまうので、またまた大変なのだ。Nちゃんはその後、熱が上がったり下がったりして咳もひどくなり肺炎で1週間ほど入院してしまった。その入院の時も仕事が休めず、三交代勤務の父親が夜中に仕事をして昼間病院でNちゃんに付き添い、母親は昼間仕事をして夜、父親と交替して病院に泊まったという。退院後は祖母にしばらくみてもらってから保育園に来た。子供が病気になった時は、家族で綱渡りのようにして乗り切り、なんと言っても祖父母等を頼よざるを得ない状況におかれている。
 ところが、祖父母等子供をみてくれる家族がいればいいほうで、以前の保育園で祖父母等がいなく、両親とも仕事が休めず朝から熱のある子供を預かったことがあるが、いつ病状が変化するかわからずとても不安だった。市内の保育園にひとつだけ、看護師がいて病児保育をやっている保育園があるが、それは何かおかしい。熱で苦しんでいる子供の病気の時は、親がそばにいてあげることはあたりまえのこと。子供も病気で苦しい時に親にそばにいてほしいと思うのはあたりまえのこと。なのに、このあたりまえのことをしたくてもできないこの社会は、何ともおかしい社会になってきている。
 これでは、子供を産もうとしない女性が増えていくのは当然で、少子化になっていくはずだ。少子化対策は、何よりも子供を安心して産んで、安心して子育てすることができるような社会をつくることだ。利益優先の社会ではなく、子供の病気の時は仕事が休めて、親が子供にしっかりかかわれる時間ができるように、親の労働時間を短くすることができるような社会にしなければならない。 (美)

読者からの手紙

池子米軍家族住宅増設に対する地元での反対集会に参加して

 一二月四日、横浜市金沢区六浦南のひまわり公園において、地元で初の池子米軍家族住宅増設反対集会が、千人規模で開催されました。当日は、共産党の小池晃参議院議員・横浜市会や逗子市議会議員などが参加しました。その他の参加者は、長島逗子市長や「横須賀の空母母港化に反対する会」の呉東弁護士など、多士済々の顔ぶれでありました。
 この米軍家族住宅の増設計画は、〇三年七月、横浜市内にある上瀬谷、深谷、富岡、根岸の四基地返還(上瀬谷は一部返還)の条件として、逗子市にまたがる米海軍・池子住宅地区の横浜市域(金沢区)に米軍住宅八百戸を増設と突然発表されたのです。
 従来から懸案になっていた横浜市内の米海軍基地(上瀬谷、深谷、富岡、根岸など)の返還問題で、日米合同委員会の施設調整部会が、基地返還と引き換えに池子住宅地区(逗子市、横浜市金沢区)の横浜市側に米軍住宅を増設することで合意したのですが、その合意によると、返還対象に池子住宅地区の飛び地(約一・二ヘクタール)、上瀬谷基地の「残余部分」(住宅などがある約五十ヘクタール)、小柴貯油施設の一部(約十ヘクタール)を追加し、米軍住宅増設戸数は、当初予定より百戸削減して七百戸としました。
 返還対象の合計面積は約三百八十ヘクタールで、横浜市内の米軍基地面積の七割程度となりますが、今回の決定を住民に一切問うことなく増設を容認した中田横浜市長は、金沢区六浦地区の住人の長年の基地返還の願いを踏みにじったのです。
 また焦点になっている米軍住宅増設については、百戸削減したのですが、七百戸増設に伴う「改変面積」を、池子住宅地区の横浜市域の面積の半分以下に抑制しました。横浜市域の面積は約三七ヘクタールなので、半分以下とすれば一九ヘクタール以下となり、すでに逗子市側にある米軍住宅は、約八二ヘクタールの面積に八百五十四戸を建てたことを考えると、四分の一以下の面積に七百戸も建設するとなれば、当初地元に説明していた二十階建てを上回る相当高層な建物となる現実性が出てきます。そうなれば今や注目されてきた里山や緑地が破壊され、周辺地域の住環境への影響も大変大きいものとなるでしょう。
 集会に参加した長島市長は、逗子市議会に、この住宅増設計画が、一九九四年に国が県・逗子市と交わした「追加建設はない」とする三者合意に明確に違反しているとして、現在国を相手に裁判を起こし、費用として八百万円の予算を計上して闘っています。
 神奈川県内には、横浜市や相模原市や座間市をはじめとして、謀略のための通信基地や補給基地を含めた米軍基地が集中し、厚木基地では実戦さながらの夜間訓練も実施されており、実際に横須賀基地がイラク戦争の出撃拠点となったように世界各地へのアメリカの先制攻撃の足場にされています。米軍の世界的な再編・変革の中で、米陸軍第一軍団司令部の座間への移転も計画されています。その上、米軍は、二〇〇八年度には、粘り強い反対運動があるにもかかわらず、横須賀基地に原子力空母を配備しようと画策しています。
 逗子市の米軍家族住宅地区に隣接する横浜市域への増設建設計画はその具体的な条件整備であることは間違いないのです。是非とも総力で反対していかなければなりません。(S)

「老人パワーは健在です」

エエジャナイカ℃ョのパワーについて
 最近、若者たちが積極的に文化活動に力を注ぐ。私たち戦中・戦後の世代には、自分が何をやりたいか、何が好きかも考えるヒマもなく生きてきて、若者を応援したい思いがする。その反面、大きな変化か変革の前には、わがクニ≠ナもエエジャないか=E・・とモノ言えぬ人々も「踊り狂い」、そのパワーとともに明治維新の一匹狼、身分を問わずホレボレするような人物も続出したのだと思う。
 政治界の貧弱さは先進国はもちろん、かといって未開とされていた地域から未来が・・・とも思えない側面があって、文化による抵抗と言うより、文化(あらゆるジャンルの)が政治的限界を超えていくパワーが生まれ始めているのではないか、そんな気がする。
 足が動かなくともスキーを担いで、早く走る電動車という文明の利器を使って、駆け抜けていく年とったばあさん。影(負の面)をも明るい表現で光≠ニまでいかずとも、もう悪なことは起こすはずのないと信じたい若い芽が、あちこちに芽生えている。
 年寄りは対抗するのではなく、年寄り自体のパワーで若い芽に参加していけそうな気がしている。モノ言うだけでも、また踊りでも映像でも音でも何でも、気質にあった文化的活動の可能性を自ら味わってみたい思いがしている。
 しかし、見捨てられ、きりすてられていく人々を無視しない、大切に思う心を持ち続けてもらいたい。ペシャワール会の中村氏は忘れられたアフガン≠ニいう一文を、ホームレスの人々に自立の支援の一つとしての雑誌、「ビッグイシュー」に一文を寄せておられる。

日本の民衆の精神の底流はうばすて≠ナあろう
 うばすて≠自らすすんで引き受けようとするお年寄りが、新潟の亡びゆく様に残るか去るかを選ばねばならなくなった時、若者は去ることをすすめ、自らはこの崩壊するやも知れぬ村を、運命をともにすることを決心したという。
 かく申す根なし草の私も、死に場所を新潟の亡びゆくこの村にしてもよいとも思う。
 今夜、地下鉄電車にぶら下がっていた宝塚造形芸術大学で、それほど若くない私にも親しい感覚を共有しうる崔洋一さん、松本零士さんなどが、講師陣で来年4月から(メディア・コンテンツ学部)開校という広告に、メディアでもテレビに受け手として賭けてきた私であるから、ここで映像化の技術を習い新潟のかの村へ住みつこうと思う。その映像をとる仕事を私の最後で最初の仕事としたい。
 自転車もようのらず、歩くことしゃべること位しかできない私が、新しい技術を学ぼうとしている、と思わず笑ってしまった。しかし、高いだろうなあ。説明会に行くことにする。まるで、黒沢の海の見える場所≠フラストシーンのようでもある。(12月7日・宮森常子)

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