ワーカーズ290号 2005.2.1 案内へ戻る
増税、社会保障切り捨ては許さない!
改憲、教基法改悪、メディア支配など危険な動きに抗議の声を上げよう!
第162通常国会が始まった。今国会では郵政民営化問題が最大の焦点だと言われている。それ以外にも、税制、年金、介護、医療、そして自衛隊のイラク派兵、米日の軍事力再編成、教育基本法、憲法問題などが大きな争点になろうとしている。
郵政民営化問題は、経営形態をめぐって政府と自民党「抵抗勢力」との間の議論が華々しいが、結局は「名分」を小泉首相が取り、自民党の「抵抗勢力」が「実質」を取る形で決着する可能性が大だと言われる。かけ声倒れ、尻すぼみに終わった道路公団民営化と同じ落としどころだ。
しかしかかる決着は、現在の郵政事業が抱えている矛盾のすべてを、郵政の現場で働く労働者、地域住民などに押しつけるものでしかない。今でさえ郵政労働者は、民間企業の下でとほとんど変わらぬ激しい労働強化、劣悪な労働条件を強いられている。小泉首相と抵抗勢力による妥協決着は、労働者や住民の負担と犠牲の上に支配層の利益を守るという点では、共通の利害に貫かれているのだ。
税制改革の名による労働者・庶民からのいっそうの税の搾り取り、資産家や大企業の税負担の軽減が狙われている。このままでは、医療や年金など各種の保険料の引き上げ、給付の引き下げの流れと相まって、庶民の暮らしはいっそう厳しさを増さざるを得ない。
国内で労働者・庶民への犠牲転嫁を強める一方で、自衛隊の海外派兵の拡大とその常態化、米国の世界的な軍事戦略とのいっそうの一体化、日本を米国の軍事戦略の前線司令基地と化そうとする動きが強まっている。
小泉首相は「国際貢献」「人道復興支援」のためだなどと言うが、実際には米国の世界覇権の拡大・強化に手を貸しつつ、それに便乗して日本の支配層の積年の野望である軍事強国化、日本の大企業が世界に張り巡らせた利権や権益を防衛・拡大せんとする動きであることは明らかだ。
サマワでの「給水」活動は役割を終えつつあると政府自身が認めざるを得なくなる中、政府は今、自衛隊のイラク派兵は、イラクの安定を見届けるため≠ネどと新たな理屈を持ち出し始めている。「人道復興支援」の看板さえ煩わしくなり、米国の中東覇権への協力とその利益配分への期待という本音を露わにしつつある。
1月18日に日本経団連が経験の提言を行った。提言は、軍隊の保持と集団的自衛権行使、そのための9条改憲と改憲要件の緩和を明確に求めている。日本商工会議所や経済同友会はすでに改憲要求の報告書を出しており、財界の改憲に向けての戦闘態勢がこれで整ったというわけだ。
市民の反戦ビラ撒きに対する逮捕・起訴などの刑事弾圧の頻発、有事訓練の実施準備、マスメディアの保守政治・財界との癒着の深まり、ビジネス重視の立場から小泉首相の靖国参拝に苦言を呈した財界人にさえテロ脅迫が繰り返される事態等々、事態は猶予を許さぬ様相を示し始めている。労働者・市民の反撃を組織しよう!
NHKの番組改ざん問題
保守政治とメディアの構造的癒着を暴露
■これまでの経過
1月12日の「朝日」が、2001年1月末に自民党の安倍晋三幹事長代理や中川昭一経済産業相がNHK幹部を呼びつけてNHK教養番組として準備されていた「問われる戦時性暴力」の内容変更を迫り、NHKが幹部それに応じて制作現場に番組の内容変更を強制し放送したことを伝えた。続く1月13日には、番組作成にデスクとして関わったNHKの長井チーフ・プロデューサーが記者会見をし、番組変更に関わる事実を内部告発の形で明らかにした。
これに対し、安倍幹事長代理は「NHK幹部を呼びつけた事実はない。NHKの側からやってきたのだ」「公平・中立にやって下さいと言っただけで介入はしていない」と言い、中川も「公平・中立にと要請しただけだ」と弁明した。またNHKは声明を出したり記者会見を開いたりして、「中川氏と会ったのは放送後」、両氏から「呼ばれた事実はない」、「予算の説明を行う際に合わせて番組の趣旨や狙いなどを説明した」だけ、放送総局長が同行したことや「今後行われる放送番組の説明を行うことは通常の業務の範囲内」、「圧力は感じなかった」、「番組は自主的に編成したもの」、「朝日の記事は事実を歪曲した虚偽報道」等々と主張し、その様子をNHKのニュース番組で「朝日」への非難を織り交ぜて長時間にわたって流した。NHKはまた「朝日」の記事を「虚偽報道だ」として、公開質問状なるものを発した。
安倍に至っては、「朝日」の記事や長井チーフプロデューサーの告発は北朝鮮の拉致問題に厳しく対処している自分たちをねらい撃ちにする意図を持った政治的攻撃だ、民衆法廷の主催者側の参加者には北朝鮮の工作者がいた等々と発言している。
これらの安倍や中川やNHK幹部の弁解や反論や攻撃に対して、「朝日」は、記事に書かれたことは「事実であると確信している」、「(松尾放送総局長が)取材からわずか10日で自らの言葉を翻したことに驚きを禁じ得ない」、NHKは「朝日」を中傷し名誉を傷つけたことを謝罪すべきであり、それがなされないなら法廷の場に訴える可能性もある、との通告書を送っている。
■番組「問われる戦時性暴力」とは?
問題にされているNHK番組「問われる戦時性暴力」は、旧日本軍が組織的に関与した「従軍慰安婦」制度やその後も続いた被害者への不誠実な対応などを告発するために市民団体が企画した「女性国際戦犯法廷」を取り上げようとしたものだ。そこには、従軍慰安婦としてかり出された女性たち、加害者側に立った元日本軍兵士たち、国際法学者などが参加し、当時の日本軍、政府、そして天皇の犯罪を具体的な証言や資料に基づいて告発・検証し、天皇有罪との判決を下した。
この「戦犯法廷」の意義は、番組の中では削られたしまった高橋哲哉東大教授の発言が良く物語っている。その主旨は以下のようなものである。
元「慰安婦」の人たちが日本政府に責任をとるようにと訴え、その声を民間の力が国際法の専門家に届けた意味は非常に大きい。国連人権委員会などが「慰安婦」問題で日本政府が責任をとるべきだと要求しているが、日本政府はそれに応えていない。民間の「国民基金」による解決は国家補償ではなく、被害者の納得を得られない。二国間条約で戦争被害の請求権は解決したという日本政府の主張は国際法上退けられている。
以上のように、この「戦犯法廷」は、日本政府が口先のお詫びで問題にほおかむりし、被害者への補償を拒否し、そればかりか安倍や中川をはじめとする自民党政治家などが歴史教科書への従軍慰安婦問題の記述の削除を要求するなどの動きを強める中で、こうした流れに抗して従軍慰安婦制度の事実を明らかにし、日本軍・政府と天皇の責任を明らかにし、合わせて被害者への補償を実現させようとの願いに基づいて取り組まれたものだった。
■安倍、中川とNHKのごまかし
中川は「朝日」の取材には29日にNHK幹部と会ったと言っておきながら、NHKがそれを否定して会ったのは放送後の2月2日だと言い始めると、自らも前言を翻して会ったのは放送の後と言い始めた。きわめて不自然な発言修正だ。また安倍・中川は、番組の内容の説明は面会の日にNHKの側から切り出したと言うのだが、両者とも事前に放送の中身をよく知り、それを問題視していたととれる発言を繰り返している。TV発言などを見る限り、番組の各部分の時間配分やその内容に具体的に言及するなど、その中身についても非常に詳しく把握していたことを自ら暴露している。「圧力を加えたつもりはない」というが、TVの取材に対し、「戦犯法廷」やその主催者たちに対して敵意をむき出しにし、感情を露わにしつつ攻撃を行っている。
またNHKは、予算の件などで話しに行っただけ∞番組についてはそのついでに自ら説明した∞圧力は感じなかった≠ネどと言うが、放送の直前に報道局長を連れて行くことも、番組内容について説明することも異常であり、両人に呼び出されたと考えるのが自然である。自主的に編集したと言うが、自主的につくろうとした番組の内容をなぜ安倍や中川に説明する必要があったのか、また安倍や中川にあった後に異例の報道局長試写会をやったり、その後突貫工事のような過密作業で改変を行ったりする必要があったのか、まったく納得のいく説明がなされていない。
安倍や中川、NHKが行っている弁解はまったく奇妙なもの、不合理なものである。安倍と中川は「従軍慰安婦」や「強制連行」の事実を否定しようとする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の発足時からの幹部であり、安倍は当時自民党森内閣の下で内閣官房副長官の任に就いていた。二人の「公平・中立に」の発言が特定の(異常な、右翼的な)政治的立場からの介入、圧力であることは明白である。
■保守政治家とマスメディアの本性
今回のNHK番組改編問題の暴露において、何よりも大きな役割を果たしたのはメディアの現場からの内部告発、NHKの長井チーフ・プロデューサーの勇気ある行動であった。長井氏の、様々な圧力や脅しを覚悟の上での告発は、たたえられるべきである。彼の決意や願いを、労働者・市民は全力で受けとめ、これを防衛しなければならない。また保守政治家とメディアの癒着の事実を記事にした「朝日」の見識も、その限りでは評価されるべきである。
この問題をきっかけに政治による報道への圧力の事実について語るメディア関係者が少しずつ出始めた。しかし彼らの発言を待つまでもなく、保守政治家によるメディアへの圧力、相互の癒着の問題は、周知の事実である。大手メディアは、国の行く末を左右する大きな問題、労働者・市民の運命に大きな影響を及ぼす問題については、結局は体制にすり寄り、それを擁護する姿勢をとってきたのだ。
以下にそのほんの数例をあげよう。例えば、国民の闘いが大きく盛り上がった60年安保闘争の時には、大手メディアはそれに水を差すかのように「7社声明」を出して安保を容認する姿勢を表明した。民主主義に逆行する小選挙区制導入の際には、これで「政権交代が可能になる」かに言って擁護した。そして有事法制制定に際しては、今回の番組改編報道では見識を示した「朝日」も含めて、これを支持する論調を展開した。イラク戦争の開戦に当たっても、大手メディアはこれに事実上追随し、「朝日」でさえ批判的姿勢はきわめて中途半端であった。イラク戦争の報道に関しては防衛庁と協定を結び、また大手メディアの社員ジャーナリストは物騒となった現地から避難するのに自衛隊機に乗せてもらった。国内では、「邦人救出」を口実にした自衛隊の航空機や艦船の動員に対する根強い反対運動がねばり強く展開されてきたにもかかわらず、それを一瞬にして反古にしてしまうようなことを、よりによってメディアが、ジャーナリストが、やってのけたのである。また、反民主主義、民衆愚妹化の道具である皇室を賛美する報道の垂れ流しは、NHKから民法各社、「朝日」や「毎日」まで含めて、今も昔も変わらぬ姿である。
大手メディアの保守政治との癒着、自立性の弱さの理由は様々にあるが、その見過ごしにできないひとつは、経済的依存である。今回の事件でもNHKの予算決定が国会の多数派、政権政党に握られていることがあらためて指摘された。しかし問題を抱えているのはNHKだけではなく、民放各社や新聞社もまたその財源は大企業スポンサーに依存している。また大手メディアは人脈的にも政府と結びついている。政府は様々な審議会や委員会を設置し、そこにメディアの幹部たちを委員として遇して取り込んでいる。こうした、経済的依存、人脈的つながりを通して、大手メディアを牛耳る人々は、体制的思考を単に外から押しつけられているというのではなく、自らの意識に内面化する事態を生じさせてしまっているのである。
安倍や中川やNHK幹部を厳しく糾弾し、真相の徹底した糾明を要求していくことが重要だ。また前歴から見て権力との距離に不安のある「朝日」を腰砕けにさせないように監視していくことも必要だ。そして現場の良心的なジャーナリストを激励していくこと、さらには財政と人脈で政府や大企業と結びついた大手メディアに頼らないで、労働者・市民自らが主体的、積極的に情報発信を行い、民衆の側のメディアを創り出していくことが、より重要な課題として浮かび上がってきている。民衆自身の手による情報発信、民衆のメディアを創り出していこう。 (阿部治正)
.海老沢顧問は抗議電話の集中により辞任へ
一月二五日、NHK会長を辞任した海老沢前会長が二六日付で顧問に就任した茶番劇は、在任三日で終了しました。この破廉恥事件が報道されたことで、NHKには翌日から、数万件もの抗議の電話が殺到して、電話回線がパンク状態になり業務に支障が出たと報道されています。同局の労働組合「日本放送労働組合」によると、「電話を受けることができたのは数千件、受けきれない電話は数万件になるだろう」と説明しています。さらに驚くべき事に、海老沢氏の側近で同じく引責辞任した笠井前副会長と関根前専務理事も、二六日付で顧問に就任していたが発覚しました。まったく底知れぬ腐敗とはこうしたことを言うのではないでしょうか。
会長辞任の翌日、すぐに海老沢氏が顧問にしたことに対して、「肩書きに変わっただけで何も変わらない」「返り咲きは必要ない」「顧問は辞退すべきだ」「院政ではないか」というのが抗議電話のおおよその声であったと伝えられています。社会常識から言っても、普通の人が感じる当然の怒りではないでしょうか。
昨年一二月、制作費着服事件で、元プロデューサーが逮捕された際も電話回線がパンクし、一日で三千件近い抗議の声が寄せられたと言います。今回の顧問就任に対する抗議の受け切れなかった電話は、約一〇万件とされています。さらに付け加えればNHKは海老沢氏に支払う顧問料がいくらなのかも公表していないのですから、全く呆れ果てた話です。
こうした自然発生的な労働者民衆の抗議行動こそ、自らの破廉恥さを全く自覚できなかった海老沢氏ら三名を辞職に追い込んだものなのです。このことは高く評価しなければなりません。確かにこの背景には、彼らの感じる脅威がありました。不祥事による受信料の不払い者の急増が、もうすぐ五〇万人になると伝えられている現実の脅威です。
しかし、ここで今はっきりとさせておかなければならない核心とは、大衆行動こそが、社会を動かしで状況を切り開くことが出来るというこの事実ではないでしょうか。(S)
コラムの窓
労組の組織率過去最低19.2%
−−正規・非常勤労働者を包括できる新しい労働組合運動を作り出そう
労働者の労働組合加入の割合(組織率、6月末現在)が、前年同期比0.4増減の19.2%で過去最低になったことが、厚生労働省が発表した労働組合基礎調査でわかった。
1976年以降、29年連続の減少で、組合員数は前年同期比22万2千人減の1030万9千人、組合数は同1150組合減の6万2805組合だった。
一方、パート労働者の組合員は3万1千人増の36万3千人で、全組合員に占める割合は3・6%と前年比0・4ポイント増えた。組合員数を産業別でみると、製造(前年比3.3%減)と金融・保険(同5.5%減)の減少が目立ち、パート労働者の加入で飲食店・宿泊業(同15.1%増)で増えている。
厚労省は「正社員の採用手控えと、組合員の退職が原因」とみているようだが、そればかりではないだろう!。
29年連続で減少していることを考えると、高度経済成長下で“春闘”などの労働組合運動を担ってきた総評加盟の各組合が、鉄鋼や金属及び自動車の生産性向上運動や国鉄・郵政へのマル生運動などで企業内組合化し、現在の連合運動(旧総評と旧同盟の連合)に見られるように、その中心は限られた大企業や公務員の正規社員中心の企業内組合活動のみで、労組幹部による労使協議と大衆運動の放棄によって、労働時間のなし崩し的延長や賃金切り下げ・リストラ等に対抗できず、労働者の真の要求に応えられなくなり、労働組合の本来持つ魅力がなくなってしまったことだ。
正社員の採用抑制とそれに代わる非常勤・パート労働者の増加で、わずかだがパート労働者やフリーターなどが組合結成や組合加入している事は明るい材料である。しかし、そのことは、今の労働組合運動が、パート労働者などの要求を完全に守っているからではない、組合加盟は個人加盟の合同組織形態で、むしろ低労働条件と正社員との格差故に致し方なく参加するといったものであり、それだけパート労働者の労働条件が劣悪であるという結果である。
企業が正社員とパート労働者をうまく使い分け、それぞれに対抗意識を持たせ、労働者を分断し、低労働条件と低賃金で労働させ膨大な利益を得ているのが今の現状である。
企業内化した組合や正社員中心の今の組合運動では、I・T化や機械化が進み、正社員に代わって低賃金の非常勤化を進める経営者の経営理念には対抗できない。
こうした現状を打開する新しい労働組合運動を作り出さなくてはならない。
正社員もパート労働者も同一労働同一賃金(同一労働条件)をめざし、一企業内にとどまらない産業別で、大衆運動を保障した民主的な新しい団結を作り出そう。
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話し合いを拒否し、権力で土地を奪おうとする石川県知事
−−−静岡空港建設用地の「強制収用」申請に怒りの声あがる!
石川知事は昨年11月12日の臨時記者会見で、用地取得が難航している静岡空港の未買収用地について、土地収用法に基づく事業認定申請を行うことを述べた。
26日には、島田市で静岡空港推進派の関係者を大量動員して、形だけの「事前説明会」を開催し、12月1日には国土交通省に対して正式に土地収用のための事業認定の申請を提出した。
この静岡空港は県が設置・管理する地方空港(第三種空港)である。建設地は島田市と榛原町のあいだに広がる牧の原台地の茶畑と山林で、建設地決定からもう17年も経過し、建設工事は1996年から始めている。今度の2年開港延期で、開港は2009年春を予定している。これで2度目の開港時期の変更である。
このようにダラダラとした事業計画に対して、ムダな公共事業の典型として多くの人たちから批判を受けている空港である。
そもそも静岡県には、東海道新幹線、東名高速道路といった日本を代表する高速交通網が整備されており、東西の隣接地域に羽田空港、中部国際空港という大規模空港が存在しているのである。このような地域に、土地収用という強制力まで用いて地方空港を作ろうという事業にはまったく公益性はない。
かってのバブル時代に、「一県一空港主義」などと言う無責任なスローガンに踊らされて、争って地方空港を建設した多くの県は、今現在軒並みその経営維持費のために巨額の赤字経営に苦しんでいるのである。
静岡空港建設費の当初予算1,600億円では、とても空港が完成できないことは明白になっている。今後さらに、多額な国の補助金(国税)と県税を投資せざるを得ない状況である。
ゼネコン救済を目的にしたムダな静岡空港建設に反対してきた「空港はいらない静岡県民の会」などの8団体は、さっそく県に対して下記のような「要求書」を提出して、抗議行動を展開している。
土地収用法の適用という強権発動をストップさせるため、今後粘り強く石川県政と闘っている「県民の会」の昨年末の活動を紹介する。(若島)
04年11月15日
静岡県知事 石川 嘉延 殿
「空港はいらない静岡県民の会」他7団体
要 求 書
静岡県は事業認定申請準備の最後手続きとして「事前説明会」開催を通知、公告した。
われわれはこれに断固反対し抗議する。
この事業認定申請について石川知事は自ら「緊急の必要性がない」ことを認め、県議会「平成21」の質問に「今申請しても07年3月開港には間に合わない」と答えた。そして、今や県の描く空港の将来図は「公設・民営」のもとで「貨物空港化」や「小型飛行機路線」などという途方もなく愚劣な姿に変わり果てている。しかも、106万人というデタラメの需要予測が象徴するように、県や国交省が「事業継続」を妥当とした数値や理由の全ては宙に浮き、消し飛んでしまった。
県民合意のないこの空港には、いかなる必要性も事業認定の要件たる公益性もない。まして、「土地の合理的利用」は全く該当せず、ムダな公共事業そのものであることはますます明白となっている。
それにもかかわらず、石川官僚知事は強権発動にまで踏み切ろうとしている。だが、この卑劣な暴挙は断じて許されてはならない。石川知事自らが責任者であるプール金、裏金問題を含め不正、腐敗を極める県政の大暴走は県民世論と民主主義へのこの上なく悪質な挑戦である。われわれはこれを断固阻止するため、あらゆる闘いを継続しさらに強化する。
以下、われわれは当面、次の通り要求する。
1.事業認定申請の方針を直ちに撤回すること。
2.空港建設工事を直ちに中止すること。
3.「誠心誠意の交渉による全用地取得」の知事『確約書』の完全履行及び反対地権者 が示している話し合いのための3条件を受け入れること。
★11・28「土地収用反対」現地大集会に350余名が参加!
11月28日、県下各地はもとより、東京・大阪からも新幹線で現地集会に参集した者350名。大型バスやマイクロバスを仕立て、東は伊豆の下田、三島、富士、清水、静岡、焼津・藤枝から、西は自家用車にて掛川・袋井、浜松・浜北から、そしてもちろん地元の榛原・吉田・島田からも集会場に三々五々詰め掛けて、開始時刻の1時間前から集まりは
じめ、「土地収用反対」現地集会ははじめから熱気あふれるものになった。
●「11・28現地大集会に参加して」
昨年の11月、石川県知事が空港の未買収地を強制収用にむけ事業認定申請を行う事を表明した。
「成田」と同じになっしまう!毎日一生懸命働いている私の安い給料の中からとられている税金をムダな空港に使うとはなにごとだ!そんな思いが強くなり集会に参加しようと、午前中に現地を見学。集会が行われた「空港展望台」の反対側に連れて行ってもらう。
現地へ行くのは5年ぶりだったがまず驚くことは5年前には山があったのに山がなくなっていた。車から降りてみると山が、上からまっぷたつにわられて木は倒れ、土の断層があらわにみえる・・・ショック!!どうしてこんな事をしなくてはいけないのだろう。山が木が土が泣いているように思えた。
緑が残っている共有地の山を登っていくと建設中の空港が一望に見渡せた。山はけずられ、緑はなくなり赤茶色の土が見える。そして大きなオフロードダンプトラック(1台1億円)が砂煙を立てながら走っている。県民だよりでは「本体工事は6割完了」と書かれていたが赤茶色の土が見えるだけでまだまだではないかと思った。
県民の会が立てた「土地収用阻止」の大きな看板がありその後ろに私達の立ち木トラスト。反対地権者の所有地と共有地だけが緑を残している。
浜松から来たTさんが「ここは山の上でさえぎるものがなく、風がかなり強いので風力発電所を建設という代替え案を出している。いつ地震が起こるかわからない、危険な浜岡発電所は止めて安全な風力や太陽を使ったらいいと思う」と話され納得してしまった。
そうなんだよ、ここまで工事が進んでいると「いまさら工事を中止するのはもったいないよ」という声をよく聞くが、そういう人達を説得するのに代替え案はいいなあと思った。 また「何が何でも空港を造りたいのは、浜松基地は街中で危険で、静浜基地は狭いと言うことから将来はここを自衛隊の基地にしようという思惑がかなりある」という話もでた。 赤字でも空港を造らなければならない理由なんだろうが、自衛隊の基地になったら地元の人達はどうするのだろう。遅くはない、まだ間に合う空港建設を何が何でもストップさせなければならない。
午後の集会では全国各地から大勢の人達が集まり、いろいろな人達が挨拶をした。
その中で一番心に響いたのはある女性の国会議員が「こんな空港を造ったら今の子供達につけを回すことになるんです」という言葉だった。
建設をストップさせないと借金がどんどん増えてそのしわ寄せが子供達にいくことになってしまう。ムダなものに税金を使わないようにするのが大人の責任だ。空港建設より地震対策を優先するべきで、地元の公立学校の耐震工事はなされていなく地震が起きても避難するところはなく、考えると恐ろしくなる。
集会の最後に労組仲間が登場して、「県知事ブルース」(受験生ブルースのメロディで)を歌ってくれ大いに盛り上がった。
今年の7月県知事選があるという。なんとしても石川県知事に変わる知事を当選させて空港をストップさせようと決意を新たにして帰ってきた。(美)
象徴天皇制よ、さようなら―天皇はもう要らない
女性天皇即位の露払い
一月二七日、昨年末に報道された「皇室典範に関する有識者会議」が立ち上げられ、座長に吉川氏が就任した。なぜ今吉川氏なのか、私たちにはよく理解できないが、彼は、機械などのすべての工学に共通する「一般設計学」の研究が専門分野なのだという。彼自身は、女性天皇容認に向けた皇室制度の新たな設計に取り組むことに対して、「皇位継承の安定という現実問題と歴史的問題の接点を作って提案するのは難しいがやるしかない」と語ったと新聞では報道されている。
政府が今回有識者会議の設置を決めた背景には、女性天皇容認ムードの高まりや、皇太子の長女愛子の成長により、今後皇位継承をにらんだ教育をするかどうかの現実的な判断を迫られていることがあげられる。
新聞報道によると、女性天皇の検討は、すでに首相官邸を中心に極秘で進められ、公式に論議に入る時期を慎重に探っており、最も神経を使ったのは、何よりも天皇家の意向を踏まえなければならず、政府だけでは決められない点だった。検討にかかわった閣僚経験者も「事務的な検討は既に終わっている。あとは皇室がどう考えるかだ」と証言している。
皇室典範の改正は、皇位継承者の確保が目的だが、皇族の範囲が拡大し過ぎる恐れがあり、その範囲を歴代の天皇から四世(代)までに限ったり、皇位継承を皇族の長子に限定したりするなど、一定の歯止めをかける具体的な三案を想定していると伝えられている。
皇室典範改正に対する三つの案
現行の皇室典範は、皇位継承者を「男系男子」に限り、皇族の子孫すべてを皇族とする「永世皇族制」を採用している。その一方で、天皇や皇族は養子が許されず、女性皇族は結婚により皇籍を離れなければならない。皇室典範改正案は、女性天皇を前提とした上で、皇位継承者を確保するために女性皇族が婿養子をとって世襲の新宮家を創立し、その夫も皇族として加えることに道を開くものである。しかし、この制度では、皇族の範囲が大幅に拡大して財政負担が過大となり、国民感情とも相いれなくなる恐れがある。このため、永世皇族制を廃止し、皇位継承資格者も限定する制度設計が必要になった。
政府が女性天皇を前提に検討している三つの案は、〈1〉「世数(せすう)限定案」〈2〉「長子限定案」〈3〉「直宮家(じきみやけ)永世皇族案」である。
「世数限定案」とは、皇位継承者の範囲を、歴代の天皇から四世に限るもの。今の天皇家の場合、例えば皇太子(一世)、愛子(二世)、愛子の子(三世)、愛子の孫(四世)まで、男女を問わず継承資格が付与される。秋篠宮家の場合は、眞子と佳子の孫(四世)までで、その子は持たない。
「長子限定案」とは、天皇の子、孫の「親王」「内親王」すべてに皇位継承資格を与えたうえ、ひ孫以下の「王」「女王」は長子だけに継承権を与える案。例えば、秋篠宮家の場合は、天皇の孫の眞子と佳子は皇位継承資格を持ち、それぞれ第一子だけが資格を持つ。三笠宮寛仁親王家や高円宮家のお子さまは大正天皇のひ孫の女王であり、長女の彬子、承子の二人だけに継承資格が付与される。
さらに、「直宮家永世皇族案」とは、典範改正時の天皇の子(直宮)の子孫に継承資格を与え、世数は限定しないという案。今の天皇家の場合は、結婚して皇籍を離脱する紀宮さまをのぞき、皇太子家、秋篠宮家の子孫に限って皇位が継承されていくことになる。
象徴天皇制に対する共産党と私たちの立場
「天皇制の打倒」で知られてきた共産党は、四十二年ぶりに全面改定した新綱領で「憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意で解決する」として、自衛隊の存在とともに、天皇制を当面容認する立場に転換した。こうした変化は不破議長が進めてきた路線の象徴となり「新しい共産党」を無党派層に浸透する手段として位置付けられてはいたが、昨年七月の参院選で、自民・民主の「二大政党」の構図に埋没し、共産党は改選一五議席から四議席に大きく後退してしまった。
こんな中、昨年一一月中旬、宮内庁の招待に応じて不破議長が、来日中のマルグレーテ・デンマーク女王が主催する宮中晩餐(ばんさん)会の答礼行事に出席し、党の最高指導者として、初めて天皇・皇后と同席した。共産党がこうした大胆な行動に出た背景には「攻撃の対象としていた昭和天皇が亡くなって一六年が経過し、時代は大きく変化した」との判断や新綱領で打ち出した天皇制への立場を、「国民に一層わかりやすく」、誰にでも見える形で具体化した為だと推測されている。このことは、確かに不破議長が主導してきた現実路線への転換を一層明確にし「普通の政党」を印象づけようとの戦略から出たものであるものの労働者民衆の立場から言うと自滅の戦略という他はない。
私たち労働者民衆の立場は実にはっきりとしている。当面の課題としても、追求すべき日本の民主政体の中に、象徴天皇制を組み込む必要はない。私たちは、労働者民衆の政治意識を最大限発展させるため、その最大の条件を保証している民主制の徹底と明治以来の日本の根深い官僚制の根本的な打破をめざしている。象徴天皇制が危機に瀕してこのままでは消滅するというのなら、当然のこととして消滅させていかなければならない。
「 象徴天皇制よ、さようなら」、これが私たちの立場なのである。(猪瀬和正) 案内へ戻る
神教委から戦端はひらかれた―主任手当凍結提案の出て来た背景
先見の神教教
小泉内閣の推し進める構造改革の目玉の一つに、「二〇〇六年公務員制度改革」がある。
昨年一一月二日、人事院は、「公務員制度改革」を先取りして、一、民間賃金の低い地域に合わせて俸給水準を切り下げ、民間賃金の高いところは「地域手当」を支給する 二、職務・職責を反映し得るよう、級間水準差の是正、級構成の再編、昇級カーブのフラット化等俸給表構造の見直しを行う 三、普通昇級と特別昇給を廃止し、実績評価に基づく昇給制度(査定昇級)を導入するなど、勤務実績の給与への反映を行う 四、複線型の人事制度の導入に向け、3級構成程度の専門スタッフ職俸給表を新設する の具体的提言を行った。
このように、公務員制度に対しても、民間で資本の主導の下、強行に導入された様々な観点から制度見直しが進められようとしているのである。
ここで注目すべきは、この見直しが公務員制度改革に先んじて急速に進められている教育現場である。なぜなら、教育公務員について言えば、今まで全国の公立学校の教員の給料は、国立学校の教員の給料表に準じて作成されていたが、昨年四月に国立大学の独立法人化に伴って国立学校に勤務する教員がいなくなったことにより、各都道府県は、準拠してきた給料表がなくなり、各都道府県で独自に作成しなければならなくなったからである。別の言い方をすれば、各都道府県が、独自に作ることが出来るようになったとも言える。
こうしたことを背景にして、神奈川県では、二〇〇三年五月に神奈川県の優位性を確保しようとの思惑から、全国に先行して独自の教員給与制度交渉を、神教委と神教教(神教組と神高教)とが行っていた。こうした行動は、全国を揺るがした日教組の勤務評定反対闘争の最中にあって、勤務評定の是非を巡って流血の非妥協的な闘いを繰り広げていた他都道府県の闘いを尻目に、全国的な糾弾の対象となり大いに議論された「勤評神奈川方式」を生み出した末裔達の面目躍如とも言えるものである。
しかし勤評闘争当時は、絶大な交渉力を保持していた神教教も、その余勢を駆って革新県知事を擁立し続けてきた往時の力はなく、逆に神奈川県当局から、次々と窮地に立たされる局面に追い込まれるに到ったのである。
神教委からの核心的な提起
給与制度交渉で提起された神教委の主張の核心は、一、教員賃金の水準を整理していくには、給料表構造そのものの見直しが必要 二、その手法としては、新級を創設するとともに、中小教育職給料表と高等学校教育職給料表を統合・一本化する 三、新級を創設するためには、それに見合う「新たな職・新たな学校運営組織」の検討が必要 というものであった。
この神教委の見解は、さらに具体的に言うなら、「子どもと向き合う学校づくり」をコンセプトに、より組織的かつ機能的な学校運営が出来る組織体制をめざすとして、「主任制度」を廃止し、「新たな職」を、給料表上2級(教諭)と3級(教頭)の間に創り、そこに位置づけると共に中小と高校の給料表を一本化するということなのである。
神教教のこの間の「主任制度」に対する反論に比較して、ああいえばこういうと言った風の実に能弁な神教委は以下のように議論を展開してきた。
ここで言う「新たな学校運勢組織」とは、小学校では、「カリキュラム・地域連携」「児童指導・支援」「相談・健康」「学校管理・運営」の四グループを、中学では、「カリキュラム開発」「地域連携」「生徒指導・支援」「キャリアガイダンス・教育相談・健康」「学校運営・管理」の五グループを例示して、「新たな職」は、一、グループリーダーとしてグループ数と同一人数を配置 二、教諭・養護教諭・栄養教諭(設置後)をもって充てる 三、職務については、管理職の学校運営の補佐、グループの職務管理、人材育成 であるとしている。
こうして、ここに示された三の職務に明らかなように、誰の目にも明らかになった主任制度を上回る学校管理体制の要となる目玉としての「新たな職」を認めることは、主任制度反対闘争を、二六年間闘ってきた日教組・神教組組合員には、絶対に認められないことは明らかではないだろうか。
事ここにいたり全国に先行して行われてきた神奈川県での給与制度交渉は、まさに神教教にとって大変な踏み絵となって現出してきたのである。
主任手当支給凍結提案の奇手―問われる神教教と私たちの今後の闘い
神教教のしぶとい抵抗にもかかわらず、神教委は、ここに戦端を切り開いた。神教委は県議会の保守勢力から、神教組の「主任手当拠出」について、再三に亘って追及されてきたのであった。
この積年の保守勢力からの追及を逆手にとって、神教委は逆転に転じた。神教委は神教教に対して、一、現在の教員の職体系や主任制度を根本から見直すこと、新たな職制度や職体系にあわせた給与制度など、新制度の構築に向けて検討に着手している 二、新制度により主任制度、主任手当について抜本的に見直す 三、日程についても〇四年度中に新制度を確立し新たな職に関する人事委員会勧告を踏まえ、遅くとも〇六年度までに新制度を実施したい と、神教教に通告かつ提起してきた。
神教委は、主任制度そのものは、国の法令上の問題で現時点では凍結できないものの主任手当については、国立学校準拠制が廃止されたことから県条例で支給できないことにできるということから、神教教に対して、将来的には新2級導入を有利に展開する一助として、神教教も要求してきた主任手当支給凍結を提起してきた。ここにいたり、神教教は、闘いのターニングポイントにいやがおうもなく立たされてしまったのである。
一方の神奈川県当局にとっては、この凍結は、保守勢力からの追及から逃れる事が出来るばかりでなく普通の状況では願っても得られないはずの新2級創設のための貴重な原資と成る。他方の神教教にとっては、密室の中で給与制度交渉を行ってきた一切の責めを負わなければならない局面となってしまった。主任制度は要らないが、新たな職・新2級ならよいとは、組合員間で提起されたことも論議されたことも、一切無い。すべてのことはまったく組合員には耳に水のことなのである。
ここにいたって給与制度交渉の主導権は、神教教の手から神教委に移ってしまった。
こうした余裕から、一月四日、神奈川県は、二〇〇六年度から「小・中・高教員給与を統一」すると安んじて発表することが出来た。何よりも驚いたのは、全国の高校の教職員組合であり、神高教の組合員であったのである。
そして、今神教委から提起されている「主任手当支給凍結」を神教組は、今までの主任制度反対闘争の闘いの成果だと組合員の前で言いきることが出来るのであろうか。
私は、神教教が、今でこそしっかりと反対できず、苦渋の選択と当惑しつつあるが、今後この新2級創設の容認と導入を神奈川の闘いの成果と言い出す気がしてならない。
私自身や私の仲間は、新たな職場分断の要となる新2級創設には、自らの総力を挙げた反対闘争を組織することをここに明言しておく。(直木明)
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戦後60年を考える・・・「日本は哀れな国ですね」
2005年の今年は、ちょうど敗戦から60年と言うことで、週刊「金曜日」を始めとして各メディアが「60年特集」を組んでいます。
戦後の民主主義教育を受けた団塊の世代である私も、この60年は自分の人生の歴史でもあり、この60年を振り返り、今一度日本社会の諸問題を掘り起こすことは良いことだと思います。
冒頭の「哀れな国ですね」という言葉は、新聞などで大きく報じられご存知だと思いますが、都職員である在日韓国人女性が昇進試験拒否訴訟において、逆転敗訴の判決を受けた記者会見で漏らした言葉です。
さらに、「戦後民主主義の何たるかを大法廷は分かっていない。世界中に言いたい。”日本に来るな”と。外国人が日本で働くことはロボットになること。人間として扱われない」と、厳しい言葉を続けました。
きっと、彼女はもっともっと世界の人々に言いたかったと思います。日本は高度経済成長を成し遂げた経済大国だ、議会制民主主義に基づく先進国だと言われているが、実際は日本の民主主義のレベルや人権意識はこの程度にすぎないのです。「憲法の番人」だと言われている最高裁判事のレベルもこの程度なのです。日本の労働者も物言わないロボットのようにこき使われていますが、外国人労働者はそれ以上にこき使われ、人権などまったく無視されて家畜のように働かされています。なにが経済大国だ、なにが先進国ですか、まったく哀れな国です、皆さんはこんな国にこない方がいいですよ、と。
今回の大法廷の15人の最高裁判事のうち、「国は法律で特別永住者に日本での永住権を与えるとともに、就労活動等にも制限を加えていないのであって、特別永住者が地方公務員となることを制限していない」「在日韓国・朝鮮人ら特別永住者は地方自治の担い手で、自己実現の機会を求めたいという意思は十分に尊重されるべきだ」「都が日本国籍を有しないことのみを理由に管理職選考の受験機会を与えなかったのは、国籍による労働者の違法な差別といわざるを得ない」等の「違憲」立場からの反対意見を述べたのは2人だけでした。
代理人である在日韓国人として初めて弁護士になった金弁護士も、「1、2審判決より後退した。反対意見の方がはるかに合理的な内容だ。戦後60年、日本社会で在日の問題が理解されている時代状況の中で、最高裁は厳格な司法審査を放棄した」と批判しています。
今回の最高裁については、判決ばかりか幾つかの疑問も指摘されています。この最高裁の判決が出るまで2審判決から7年以上もかかっていること。最高裁では最初は小法廷で審議がスタートしたが、途中から大法廷に変更された経緯もあること。
最近の司法の反動化はひどく、まったく納得がいかない判決内容ばかりです。たまたま同じ日に、埼玉県の「桶川事件」の控訴審判決がありましたが、東京高裁は「警察の責任を認めず」両親の訴えを棄却しました。これらの判決を見ていると、世間的な感覚からしてみれば非常識な見解ばかりで、無理やり白を黒と言いくるめているとしか思えません。
在日韓国・朝鮮人に対して、日本社会がこのような昇進差別や就職差別をしていることが問題ですが、日本社会が在日の人たちに日本国籍を与えない、このことが最大の差別問題となっています。
今回の彼女も、韓国人の父、日本人の母を持つ2世の人です。日本で生まれ育ち、日本の学校で学び、日本語で話をして、日本社会の中で働き、日本の法律を守り、税金もしっかり払い、日本に何十年と生活しています。ところが、日本人として扱われない。日本国籍を持てない。当然選挙権もない。外国人登録証の所持が必要となる。
戦後60年、いまだに在日の人たちの思いが通じないままです。日本の人権差別の最大の問題が、この在日差別だと言えます。
私たちは彼女の重い言葉をしっかり受け止め、彼女にこれ以上の失望を与えないためにも、真の国際化と人権差別の撤廃をめざし闘っていく必要があります。(E・T)
教育基本法を変える? なんでだろう〜Q&A7
Q7 家庭での教育のことをずいぶん重視しているみたいだけど。・・・
答申は今の子どもたちは、夢や目標を持てずに、凶悪犯罪の増加も懸念されている。それは何より家庭や地域社会における「教育力」が弱いからだ≠ニ指摘し、だからこそ家庭(保護者)はもっと子どもの教育に責任を持ち、自らの役割について認識を深めることが重要だとする、新たな規定を設けるべき≠ニしているのです。
家庭教育、という新たな規定が設けられるということは、本来私的な領域にまで国家が介入する、ということを意味します。国家にとって都合のよい人間に子どもたちを育てることが家庭教育の正しい在り方、ということになってしまいそうです。そこでは、子どもが横道にそれれば、すぐさま家庭の責任とされます。家庭が評価の対象にされてしまうのです。不適格教員の次は不適格家庭探し。手をつなぎあって子どもたちを育むべき保護者同士、保護者と教師という横の信頼関係が壊され、国家とそれぞれの家庭が縦につながれるのです。失敗やまわり道をみんなで考えあうような余地はありません。子どもたちは今以上に「いい子」を演じることが求められ、仲間を見いだすこともできずに、ますます追い詰められていくことになるのではないでしょうか。(「子どもと教科書全国ネット21」発行パンフより)
しつけや礼儀作法は、本来、家庭で身に付けるものとされてきました。私たちの子どもの頃と比べ、今では基本的な生活のリズムが大きく変わってきています。確か、小学生の頃は夜9時には寝ていたと思いますが、学習塾に通う現代の子どもは、同時刻では電車で帰宅途中というのも珍しくありません。家族がそろって食事も困難な今、各家庭が多様な生活リズムで多様な価値観が生まれている、そんな状況ではないでしょうか。人が生きていくうえで大切なことは、社会性を身につけること=まわりの人との共生を育んで行くことにあると思います。答申が言う、「今の子どもたちが夢や目標を持てない」のは、家庭の責任ではなく何よりも政府の政策に問題があると、言い返さなくてはなりません。(恵)
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物流労働者の連携を
――郵政民営化を考える――〈2〉 「ワーカーズ288/289合併号より続き」
■官から民へ――資金の流れは変わるか
03年の郵政事業庁から郵政公社への改変の中心は郵便事業の規制緩和だった。すでに触れたように、今回の郵政民営化にあたっては財政投融資改革が掲げられていた。郵貯民営化の目的としてあげられていた特殊法人改革、公的金融改革はどうなっているのだろうか。
周知のように財政投融資とは、各種公社・公団や金融公庫、また地方自治体への投資・融資などを行ってきた、いわば国の第二の予算とも言うべきものだ。この財政投融資には、隠れた不良債権の山があるとも言われ、財投の運用団体総計では、公開されているものだけでも13兆円近くの欠損金があると言われている。(そうした公的金融や公的事業法人そのものの役割や意義の評価については、小泉首相の掲げる構造改革の当否を判断するためには欠かせない作業だが、ここではそうした問題には踏み込まない。)
こうした現状を受けて、森首相時代から特殊法人改革が叫ばれ、実際ここ数年の間にいくつかの特殊法人が整理、縮小されてきた。しかし時代遅れになった公的事業の縮小・再編という割には、実際に整理・縮小された特殊法人はわずかでしかない。
中でも特殊法人改革の焦点として注目された住宅金融公庫と日本道路公団改革については、すでにマスコミでも批判されているようにきわめて中途半端な政治決着に終わっている。
たとえば住宅金融公庫は、賃貸住宅事業から撤退することが決まっているが、それでもまだ財政融資資金を受け入れて存在している。日本道路公団についても、民営化が決まったとはいえ今後も新しい道路の建設は継続されるし、財政資金の投入は今後も継続される。
財政融資の出口である特殊法人改革も中途半端なら、入り口である郵貯などの運用も同じように中途半端なままだ。
たとえば、これまで郵貯などで集められた資金は全額旧大蔵省の資金運用部に預けられ、それが財政投融資の原資になってきた。が、このシステムは01年の郵政事業庁の設立時に全額自主運用する建前に改革された。実際は07年度末まで大蔵省が発行する特殊法人向けの財投債を郵政公社が引き受けるように義務づけられている。04年度で言えば、発行される財投債41兆円の内、22兆円が郵政公社が引き受けることになっている。
それに対して個別の特殊法人が発行・償還する財投機関債も年々増えているが、まだ財投債のほうが圧倒的に多い。04年度は4兆4千億円で、05年度の計画でも6兆円弱だ。結果的には郵貯で集めた資金を大蔵省経由で特殊法人に流れていくという構造は何ら変わっていない。銀行なども低金利時代にあって利ざやが稼げる投資対象が限られているので、大量の国債を保有しているが、結局は銀行や郵貯から流れた資金で政府の一般会計や様々な特殊法人に流れ込んでいる構造は全く変わっていない。これでは郵政民営化が民間活力の活性化につながるどころか、郵貯、銀行含めて政府頼みの構造そのものだといわざるをえない。
特殊法人改革や公的金融の整理・縮小が進んでいないとはいえ、財政投資自体はこの数年着実に減少している。96年には40兆円にまで膨らんだ財政投融資(当初計画)は、97年以降暫時減少を続け、05年度計画では半分以下の17兆円にまで縮小している。それは入り口である郵貯の問題というよりも、出口である特殊法人や公的金融事業そのものの事情によるところが大きい。
たとえば住宅金融公庫は、かつての年間6000億円もの補給金を食う「お荷物特殊法人」になっていたが、いまでは新規の住宅供給事業から手を引いている。それは親方日の丸商売による放漫経営が限界にきていたからだ。道路公団にしても、採算がとれるところはあらかた道路を造ってしまったという事情がある。現時点で言えば、何も郵政民営化を強行しなければそれらの整理・縮小が出来ないというわけではない。激変緩和策など止めて郵貯の自主運用を進めれば、入り口は財務相理財局と郵政公社の判断でいくらでも縮小できるシステムになっているからだ。
かつては財務省(旧大蔵省)は、郵貯などが財政投融資の原資となるシステムは決して手放さないと見られてきた。しかし、さすがの財務相も公庫や事業法人の債務超過や実質的な破綻状態を前にして抵抗を続けることは出来なかった。結局ソフトランディングの確保がやっとで、財投を縮小する道を受け入れるしかなかったわけだ。
しかしここでも財務相は既得権にしがみつく。財投債の引き受け義務を07年末までとした計画をホゴにし、郵政民営化後にも郵貯などに財投債の引き受けを続けさせる計画が政府内で画策されている。また全国均一サービスを郵便だけではなく貯金・保険事業にも義務づけようという、郵政族の動きもある。そうした義務づけが温存されれば、当然その見返りとして何らかの優遇策も必要になり、それらに絡む利権も温存されることになる。もしそうなれば、何のための郵政民営化だったのか、ということになる。
結局、小泉首相が強行しようとする郵政民営化の目的として掲げてきた、特殊法人改革、公的金融改革、その双方とも中途半端なものに終わる可能性が高い。
では郵政民営化の本当の目的、現実的な効果はどこにあるのだろうか。二つのことを考えてみたい。
■実績づくりと派閥抗争
小泉首相が郵政民営化にこだわっているのは、特殊法人改革など構造改革ももちろんあるだろうが、隠された目的として旧竹下派、現橋本派つぶしの意味合いが大きい。これは小泉首相がこれまでやってきた公共事業の縮小、道路公団改革、郵政民営化、あるいは自民党内部での派閥つぶしとも思える党・内閣人事、このどれをとっても建設族、道路族、郵政族などを束ねてきた橋本派憎しという小泉首相の本音が見え隠れしている。
さらには小泉首相が旧郵政相時代に味わった屈辱も取りざたされている。自分が郵政大臣だったにもかかわらず、郵政民営化を掲げたことに反発した郵政官僚が、橋本派と結託して小泉外しを画策した事への怨念だ。
これらのことは直接表面化してきたわけではないが、小泉改革の推移とその政治的結果を追っていけば容易に見てとれる事柄だ。橋本派つぶしが目的だとは小泉首相としては口が裂けても言えないわけで、それを構造改革の大義名分を立てつつ実現する。小泉首相の構造改革は、たぶんにそうした様相が見て取れる。
こうした竹下派つぶしが小泉首相にとってどれだけ自民党の派閥政治そのもの打破に結びつけて考えられているのか、という問題についてははっきりしない。が、官邸主導の強権政治を志向する小泉首相にとっては、保守二大政党制の実現などを視野に政治改革を求める財界の要請に沿った派閥政治の打破を念頭に置いたものと考えられる。
しかしだからといって郵政民営化の目論見を小泉首相と郵政一家の攻防戦という見立てですますことは出来ない。それは矮小化というものだろう。現実の問題として、郵政民営化の政治的・経済的思惑は別のところにもある。それは現在郵貯に向かっている小口預金をメガバンクや証券会社、あるいは外国の金融・投資会社に解放する、という性格だ。最後にこの問題を検討しておきたい。
■リスク・マネーへの誘導
先ほども触れたが現在は超低金利政策で、銀行などにとって実質ゼロ金利の低コスト資金の調達は容易に出来る。この超低金利は銀行の不良債権解消と政府の国債の利払いコスト抑制のための意図的政策だ。財政は緊縮、金融はジャブジャブという相矛盾した政策を見れば一目瞭然だ。個人預金残高が現在約700兆円強だから正当な金利が2%と仮定した場合、本来庶民の手に入るべき年間15兆円近くの利子分を政府と金融機関が奪っている計算になる。
それはともかく、こうした超低金利政策がいつまで続けられるか分からないし、何より少子高齢化時代が眼前に迫っている。この1〜2年、勤労者の所得が減っているにも関わらず個人消費が若干ではあれ増えた局面もある。このあり得ない現象は、一つは貯金を取り崩して消費に回すという、生活レベルを落としたくない消費者の消費性向にもよる。が、それに加えて、退職後に年金や貯金を取り崩して生活せざるを得ない現役引退世代が増加しつつあることが指摘されている。こうした傾向は現在55〜57歳のいわゆる団塊の世代があと数年で相次いで現役を退くことで加速する。だからこれからは否応なく人口構成の高年齢化に伴って、現在700兆円以上あるといわれる個人金融資産が減少に転ずる時代が確実にやってくる。
民間金融機関はこうした預金残高縮小時代の到来を見越して、700兆円の3割を占める約227兆円(03年度末)を集めている郵便貯金を標的にしているだ。他にもある。証券会社や海外の投資会社などもこの郵便貯金を含めた700兆円の個人預金を狙っている。米国では預貯金は個人金融資産の一割しかなく、最大のものは株式・出資金だ。小口預金の争奪戦は今後いっそう激化する傾向にある。
こうしたなか、現時点では利率の上での有利さはなくなったとはいえ全額政府補償の郵貯は、個人零細預金者から見れば安心・確実な預金先である。だからこそ、身近なところにある郵貯に預金が集まり、また年金や社会保障制度の改革などに比較して優先度の高い課題としては郵政民営化には支持が集まらないのである。
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郵政民営化に関わるいくつかの問題を見てきたが、これらを見れば郵政民営化の当初の目的とはかなりずれていることが浮かび上がる。いわゆる「抵抗勢力」との攻防の結果でもあるが、郵政事業を取り巻く状況の変化によるところも大きい。結局は小泉首相も抵抗勢力も痛み分け、道路公団と同じような妥協が繰り返される公算が大きくなった。
官か民か、官僚か大資本かの争奪戦に労働者が巻き込まれても仕方がないが、郵政と言えば全逓の存在を考えないわけにはいかない。全逓はかつて国労や全電通と併せて公労協を構成し、スト権ストや反マル生闘争などで日本の労働運動を牽引した時代もあった。いまではJPUと名称も変更して当時の面影もないが、次号では郵政民営化に対して労働者はどういう展望のもとで闘っていくべきか、について考えてみたい。(廣)
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読者からの手紙 私ののぞみ
よみ・かきは一応できても、ソロバンはさっぱりだめでしたが、映画・演劇・オペラなど大好きで、外国からきたものでも見たいけど滅法高くて、結局おそくでもテレビで見せてくれるのが安上がりで、それを待つことになります。近くのフェスティゲート7Fでは安くて世界の映画を見せてくれますが。
何でも商業ベースに乗らなければならないのでしょうか。もう71歳のバアさんではいくら旅中毒みたいに旅が好きで、写真や映像化したくてもお金がかかるから、結局テレビを見て、その批評を書く位しかできないことになります。
サルティバンコ(大道芸人というイタリア語らしい)ですが一度、南港で見ましたが滅法高かったが、たしかにすばらしいでしたが。大道芸人のおひねりをもらって育った人々の歌などは、特に昔から好きでした。前夜≠ニいう雑誌2号で知ったのですが、パリの劇団「ジョリモーム」の主張に全く共感、目の鱗がおちたような思いでした。
私自身、年金だけの収入で賄っていかねばならず、何かをやろうとしても、お金がかかるし、もう自分で稼ぐことの論外、ラチ外にある年齢であれば、公共の保障がけずられるということは、本当にこたえます。民営化の本質は公共の利益の切り捨て、保障の削減であることを痛切に感じます。
テレビの前でお尻にタコができるほど座り込んで、朽ち果てるのを甘受するより(それも覚悟しておりますが)、抗議の声を身近なことから上げること。今の状況の中でもできることは書くこと、批評の端くれ、単なる随想みたいなものでも自分自身考えることを投げ込んで、書くことしかできなくとも、書くこと賭ける以外にありません。
最近、大阪でもタダの公開講座が開かれるようになったことはありがたいことですが、そしてさらに深めるなり、行動(あらゆるジャンルでの)に移すにも、やっぱりお金がいります。交通費を捻出するにも難儀する場合があります。
サラ金の恐ろしさも十分知っているし、手もとにお金があったことは滅多にないので、守る心配ないのですが。公設の質屋を重宝していたこともあり、大阪でも以前あったのがなぜ無くなったか、ということを皮切りに、大阪市への抗議の手がかりにしようと思った。役所のOBに質問したところ門前払い扱い4回ほど、偶然出会って返答を求めても全くの無視。せめて、どこに尋ねればよいか位の示唆はしてくれてもよさそうなのに。なぜ、そんなむちゃくちゃな態度をとるのだろうっと、かえって変に思います。
民営化ということは、直接私たちの生活に公共の保障はしない結果になるのではないか。だから、民間での病気になった場合とか保険の広告(テレビででも)が大変増えました。なんで抗議をしないで受け入れねばならないかを残念、無念に思う。理論的にも民営化の本質は何か、何故に民営化しなければならないか、について勉強したいと思うので、勉強の手段を教えて下さい。 省略
山村の郵便局は廃止されることに不安がるお年寄りの現状をテレビは伝えておりました。都市も同様であることを書こうと思い、根なし草のような私でも大阪市内を特に近辺の事情を知ろうと歩き始めました。映画化されたことで逝った友の志が活きたという喜こびと私自身連帯(失われていた)を感じ得た喜びもありました。風音≠ニいう沖縄の映画ですが、それについて詳細はいつか書くつもりです。紙とペンとで余生を過ごす覚悟でおります。2005.1.20 宮森常子
読書室 「明かりの向こう側」 児童文学 上中まさみ著、新風舎
紹介するにあたって
阪神・淡路大震災から10年を迎え、各地で犠牲者を追悼する行事が行なわれました。今年は、母親となった震災遺児が追悼のメッセージを読み上げるなど、時の流れを感じさせられました。今でも、震災の映像が映し出されると、画面に釘付けとなってしまう私。著者の上中ひとみさんは、震災で1歳半の息子さんを亡くされました。彼女とは、震災以前からの知り合いで、彼女の娘さんと私の末娘が同い年、しかも出産した助産院が同じという間柄でした。今回、この本を手に出来たのも、2年前、長女の就職したディサービスで彼女が既に働いていたという偶然です。
突然の我が子の死に直面した時、それをどう受け止めるのか。物語の主人公・和美が弟の事故死で自分を追い詰める様を、自身の心境に置き換え綴った文に、私は吸い込まれていきました。児童書に託した彼女の前向きな生き方に教えられると共に、家族を失うことでの心の痛手を、皆さんにも感じ取って欲しいと思いました。6433人の犠牲者1人ひとりに物語があること、そしてその重みを感じながら・・・。
「世界がまるごとひっくり返った日」
主人公・和美は小学6年生の女の子。弟・健志は小学校に入学したばっかり。交通事故は、お習字の帰り道に大急ぎで自転車をこぎ、トラックにぶつかってしまい起こります。和美はせっかく健志を迎えに行ったのに、7時のテレビ番組が気になり健志を置いて先に帰ってしまう。その直後に起こった事故だから、和美は自分を責め続け一人で悩み、健志の死を嘘か夢の出来事かに、思い込むようにしてしまうのでした。
そして不思議な出来事が、花火の灯りの下で始まります。何十年も前に宝ヶ池でおぼれて亡くなったみっくん≠ェ和美の前に現れ、一緒にあそびます。やがて、花火を怖がったり、くすのきの下にいる虫を気遣うやさしい心のみっくん≠ノ、健志の面影をだぶらせ別れを惜しむようになっていくのでした。学校の教師が「亡くなった弟のことは早く忘れることが一番の供養」と無神経な態度をとることで、和美の心は混乱し不安はいっそうつのっていきます。
読者の皆さんも気になっていると思いますが、和美の家族はどうしているのでしょうか?和美の母親は自分のことで精一杯で、和美を気遣う余裕もありません。そればかりか、健志の事故死が家に流れる悪い「霊」のためと人から言われ、「霊」を取り除く様々な物を買わされる始末です。それが、騙されてると分かっていても、和美と父親はだまって見守るしかありません。そうすることで、母親が健志の後を追い自殺することはないだろうと、思っていたからです。家族は、健志の死について思いを伝え合うことも出来ず、それぞれ健志の居ない生活に戸惑いながら時を過ごしていました。
「心の声に耳を傾けて」
ちょっと、話は変わりますが、震災でわが子を亡くした母親たち(34人)の手記が、今年8月に出版予定という新聞記事を目にしました。それには、震災5年後の2000年3月の時点での、母親たちの率直な思いが記されています。「悲しみは一生消えないが、前進する希望が見えてきた」「亡くなった子どもと再会するとき、笑顔で会いたい」と8割の母親に回復の兆しが見えてきたそうです。遺髪をお守りに入れて常に持ち歩いていた母親は、あれからずっと旅行など楽しんではいけないと思ってきた、ようやく昨年夫婦で海外旅行に出掛けたという母親もいます。自分を責め続け、悲しみのふちにいる母親たちに「立ち直るなんて言葉は簡単に使ってはいけない。できることはそばに寄り添うだけ」との思いを執筆者の高木教授は語りかけます。時間をかけた心のケアーの必要性を、読者の皆さんにも感じ取っていただいたと思います。
ところで、和美は健志の死を現実のものとしてとらえ、向き合うことができたのでしょうか?「そのとき目の前の白いもやが、強い風に追われるように晴れていき、その向こうから一筋の明かりが差し込んできた。夢で見た山の向こうの明かりかと思って見ていると、明かりはもやが晴れるにしたがって大きくふくらみ、やがて8月の入道雲のような目もくらむ大きな輝きの集合体になった。
ああ、そうか。そうだったのか。
まばゆい光を目にしたとき、和美は不思議なほどはっきりとなにかを理解した。自分の体に張り付いていた鋼鉄の鎧を内側から叩き割られたような感じだった。和美は重い鎧から解放されて心も体も軽くなった、自分の存在をまるごと感じた。と同時に自分の中で深くつながっている、健志の存在を、みっくんの存在を強く意識することができた。
(存在って、こんなふうにして、みんな、つながることなんだ)
そう思えたとき、健志が死んだと聞かされた瞬間から突きつけられていた難問の答えがひとつだけ解けたような気がした。『ありがとう』和美は思わず叫んだ。誰に対して感謝しているのかわからないが、そう口にせずにおれなかった。」
少し長い引用でしたが、題名の「明かりの向こう側」は暗闇の中からの脱出であり、希望は亡くなったわが子の存在も認めるなかにあった、ということでしょうか。一人の命が失われる≠サのことの意味を真剣に考えることを、子どもに伝えなければとしみじみ思いました。その後、和美の家族は無理に健志を忘れるのではなく、食事の時も健志の分も用意するなど、健志の存在をそのまま受け入れることにしました。終わるにあたって、本書に送られた「生と死を考える会」のアルフォス・デーケン氏の言葉をあなたへ。
「愛の絆は、生も死も超えて光り輝く。別れの悲しみに沈むと時、もう一度ほほえみを取り戻すために、この本をそっとあなたに捧げます」。 (恵)
オンブズな日々・その21・住民基本台帳から流出する個人情報
住民基本台帳ネットワークシステムがスタートして2年半近く、すでにこの制度は既成事実化されたかに思われます。危ぶまれた個人情報の大量流出も、杞憂に終わったかに思われます。しかし、それがもたらすとされた利便性は無に等しく、住基カードの普及は遅々として進んでいません。個人情報の流出も、証拠が残らなければ事態が表面化するまで発覚しません。
この制度を推進するのは国とITゼネコン。自治体が管理する個人情報を使い放題の国と、自治体の予算を使い放題のITゼネコン。どちらも個人情報がどうなろうと、プライバシーを侵害しようと平気です。私たちの異議申し立てに対しても、4情報(住所・氏名・生年月日・性別)はプライバシーではないとし、その根拠として住民基本台帳大量閲覧制度を上げています。
だから、住基ネットに対する異議申し立てはこの大量閲覧制度を避けて通る事は出来ません。ご存じのように、住民基本台帳法第3条(市町村長の責務)によって、市町村長に住基台帳管理の責務が課せられています。その一方で、第11条(住民基本台帳の一部の写しの閲覧)1項には「何人でも、・・・閲覧を請求することができる」とされています。
この規定によって住所、氏名、生年月日、性別の4情報があらゆる業者に漏れているのです。第11条の3項には次のような規定がありますが、この規定を活用している首長を私は知りません。「市町村長は、第1項の請求が不当な目的によることが明らかになったとき又は住民基本台帳の一部の写しの閲覧により知りえた事項を不当な目的に使用される恐れがあることその他の当該請求を拒むに足りる相当な理由があると認めるときは、当該請求を拒むことができる。」
それでは実態はどうか、西宮市について調べてみました。西宮市は基本的人権または個人のプライバシーの侵害等の不当な目的に利用されることを防止するため≠ノ、「西宮市住民基本台帳等の閲覧等の事務処理要領」を定めています。しかし、閲覧を拒否する基準を設けていても、これまで拒否した事例はないのです。要領は、閲覧希望者に誓約書を提出させ、町別・生年月日順に記載された補助簿からの転記のみを許しています。
つまり、コピーや写真撮影はダメで、1件(1人)300円の手数料も取っています。300円の手数料というのは、私たちが普通に住民票などを取った時の手数料と同じです。西宮市はこうした手間も費用も掛かる措置によって安易な閲覧を制限したいようですが、業者にすればこうして手に入れた名簿を活用したくなるのは当然です。誓約書は「閲覧目的以外に転用しない」ことを業者に義務づけていますが、それを検証する手段はなく、良識≠期待する、建前的・形式的な誓約に過ぎません。
2003年度の実績を見ると、一般閲覧の申請数が162件67192人、公用閲覧が26件13242人となっています。一般閲覧だけで6人に1人以上の西宮市民の個人情報が、市役所から流出していることになります。その見返りとして、西宮市は約2000万円の手数料収入を得ているのです。全く何ということでしょう。実務を担当している市民課の職員はさすがに不本意なようで、原則公開≠ニなっている法の改正に期待を持っているようです。
さて、それではどういう業者がどういう名簿を手に入れているのかというと、予想通り受験産業がダントツで、新成人を対象にした晴れ着や着付けの業者も名前が出ています。こうした業者は小学校入学や成人式を迎える年齢層をターゲットにしており、世論調査や視聴率調査の場合は市民を無作為抽出しています。例えば、兵庫県阪神・淡路復興本部が無作為で、「兵庫県住宅再建共済制度(仮称)」に関する県民意向調査の対象者抽出を行っています。
我が家にも京都の呉服屋からしつこく電話が掛かってきた時期があったし、現役を名乗る大学生からの家庭教師の勧誘は日常化しています。ベネッセからは通っている学校まで特定したダイレクトメールが送られてくるし、最近は兵庫県南部の高校の偏差値ランクを記入したパンフレットを配布してまわる業者まで現れています。ちなみに、西宮市は総合選抜なので公立高校は同じ偏差値ですが、こんなランク付けは中学生を追い詰めるだけです。
このように、住基台帳の大量閲覧は市民のプライバシーを侵害し、もっぱら業者の利益を図るものにすぎません。日々しつこく勧誘の電話があることから、こうして作成された名簿が流通・売買されていることは間違いない≠ナしょう。しかも、それは多くの業者に家族構成まで知られていることを実感させるものであり、腹立たしい限りです。ここに自己情報コントロール権、自治体が保有する個人情報は本人同意がない限り外部提供をしてはならないという原則を確立ことの重要性があります。
なお、特定非営利法人・情報公開クリアリングハウスが住基台帳大量閲覧制度について全国的な実態調査を呼びかけています。私が西宮市で調査したのもこの呼びかけに答えたものであり、読者の皆さんもやってみてはいかがでしょうか。自治体によってはまた違った結果がでるかもしれませんが、大多数の自治体が個人情報を垂れ流してる実態が明らかになれば、その是正、法改正へと向かう力も生まれてくるのではないでしょうか。(晴)
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あれから10年・「越えられなかった私有の壁」
年末あたりから、大震災から10年の報道が目立ちだし、いやおうなく当時を振り返ったりしてしまう。といっても、子どもが通っていた学校(校区の学校は小・中・高すべて)が潰れてしまって大変だったが、家族は誰れも怪我もしなかったので、個人的には振り返るべきものもない。
報じられる多くは親や子を亡くした後の苦難の10年であり、住宅再建の困難な現実だった。とりわけ子どもを亡くした親や、親を亡くした子どものこの10年は喪失感にさいなまれるものであったと思われる。
最近は大きな災害でなくても、元気に出かけた子が元気に帰ってくるかどうか分からないような世相なので、親は気が休まらない。私も子どもに何かあったらどうしようと思うことが多々あり、想像するだけで息苦しくなる。だから、当事者の10年の日々を分かる≠ネんて言えないし、そんな資格もない。ただただ、今あることに敬意を評するだけである。
一方で住宅は再建が可能という面はあるが、違ったかたちの大きな困難があった。それは、住宅は全壊して失ったのにローンは残されたという状態、再建したために二重ローンになってしまった、というような事態だ。なかには、定年後の終の棲家を失った事例もある。これらすべてが、私有財産への公的支援はなじまないということで、切り捨てられてきた。少なくとも、失った住宅のローンを免除されるか、新たな公的住宅を保障されるべきだった。
個人では責任の取りようもない事態に対して、かの自己責任≠ェ当然のように押し付けられてきた。そこには、庶民にとって最大の私有財産としての、持ち家の呪縛があるように思われる。誰にも公的住宅が保障されるなら、持ち家にこだわる必要もないし、震災後の多くの悲劇も避けられただろう。10年にしてその思いはさらに深まり、確信となった。震災当時も、私有財産としての空家・空室はあっても、被災者に解放されることはなかったのではないか。
そうした被災者の最も悲劇的な結末は孤独死であろう。「神戸市内(北・西区を除く)で自宅で誰にもみとられずに亡くなった独居者が、2004年の1年間に過去最多の計428人に上っていたことが、兵庫県監察医務室の11日までの調査で分かった」(1月11日付「神戸新聞」)
この調査は被災者に限ったものではないが、「阪神・淡路大震災の仮設住宅や災害復興住宅で相次いだ独居死≠ヘ震災から10年を経て、一般住宅を含め、被災地でより深刻化している状況が浮き彫りになった」と報じている。なお、死因を見ると、自殺が45人で1割を超えている。
さらに13日にはこの報道に追い討ちをかけるように、西宮市内の災害復興住宅で1人暮らしの63歳の男性が死後1年8ヶ月で発見された。すでに死体は白骨化しており、発見された翌日が65歳の誕生日だった。発見されたきっかけが、家賃滞納に対する強制執行だったというから、実に無残な人生の末路というほかない。彼が住んでいた高層住宅は西宮浜の埋め立て地にあり、視界にはヨットハーバーが広がり、休日には家族連れがくつろぐ芝生公園もある。まるで孤独地獄だ。
一見、快適そうに見える高層住宅も独居者、とりわけ老人には鉄の扉によって隔絶された孤独な空間に過ぎない。必要とされていたのは住まい≠ナあったのに、あてがわれたのは隔絶された空間に過ぎなかった。私にはこうした悲劇も、二重ローンの苦しみも、私有財産としての住宅から流れ出る害悪の裏と表のように思えてならない。この国には住まうべき住宅があるのだろうか。 (折口晴夫)
色鉛筆・・・介護日誌 3
とうとう母が退院する日がやってきた。25キロに痩せ細り、ベッドから起き上がり車イスに座っているのもやっとの状態・・・。(この先どうなるんだろう?このまま吐き続けたら?私たち家族だけで支えきれるだろうか?)次から次へと不安がわきあがってくる。 その母に、病院から渡された一ヵ月分の手提げ用の紙袋にいっぱいの薬を見てびっくり!浣腸なども入ってはいるものの、下剤等の飲み薬がほとんどで、なんと「吐き気止め」の薬は内科と整形外科と両方から処方されている。
看護師に確認すると、しばらく待たされた後「両方とも飲んでください。」との返答。そりゃあむちゃくちゃじゃないかと内心思っていると、傍らで母が「こりゃあ薬漬けだ。」とぽつり。
退院後は吐き気は止み、これらの薬はほとんど飲まずに済んでしまった。こんな過剰な投薬で、だれが得をするの? ほぼ寝たきり状態になってしまった母の退院を前に、母の息子(夫)、娘(義妹)、私たちは何度も話し合った。
そして出した結論は、半日のパート勤めの私の家で日中を過ごし、夕方から翌朝まで義妹(幸い車で10分の距離)の家でというもので、無論母の思いなどまったく考慮に入れる余地など無かった。ケアマネージャーからは「無理です」と反対されたが、押し切った。
尿カテーテルをつけていることもあり「介護度4」との判定が出され、週2回各90分間の訪問看護が入浴介助などに入ってくれることになった。私の仕事中の、母が一人になってしまう数時間の間に、鍵を預けたヘルパーさんに週3回各30分間安全確認などに来てもらうことにする。週5日毎日とは行かず不安もあったが、とにかく心強かった。
さらに母の部屋に介護ベッド、エアーマット(寝返りができず電動で波打たせじょくそうを予防)、車イスなどをレンタルで揃えた。一割負担で、月に3150円。
こうして不安を抱えた綱渡りのような「在宅介護」がスタートした。(澄) 案内へ戻る