2005.4.15.  ワーカーズ295号          案内へ戻る

戦後六十年―戦後教育の転換を象徴する教科書検定の実態
教育の反動化、差別・選別の強化を許すな!


 四月五日、文部科学省は、来年度から中学校で使われる教科書の検定結果を公表した。
 それによると侵略戦争を自衛戦争と美化してきた「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した歴史と公民の教科書が四年前に引き続き再び合格した。今回「つくる会」は、前回〇・〇三九%だった採択率を一〇%にすべく早々と策動を開始している。こうした中で、中・韓両政府は、日本政府が「つくる会」教科書を合格させたことに対して、極めて強い抗議と遺憾の意を表明し、激しい反日デモすら惹起させるまでになった。
 再度協調すると「つくる会」歴史教科書は、戦前の日本の侵略戦争を「大東亜戦争」と表記し、それが「自存自衛のため」の戦争で、アジアの解放につながったかに記述した。この立場は、南京大虐殺や強制連行、従軍慰安婦などアジアの人々への加害の事実を隠蔽し、過去の植民地支配を正当化している。これは細川内閣の謝罪からの大幅な後退である。
 さらに問題なのは、政府・自民党の政治的圧力と「つくる会」の両面からの攻撃で、従来は最低限説明していた従軍慰安婦の記載が、すべての教科書会社の歴史教科書の本文から消えたことだ。また「強制連行」など加害の事実等の記載も大幅に減ったのである。
 次なる問題は、中学校の教科書検定は四年ぶりであるが、学習指導要領の範囲を超えた「発展的な学習内容」の記載が認められたことだ。このことにより、たとえば理科や数学で、前回の検定時に削られた進化・イオン・二次方程式の解の公式などが復活した。
 この「発展的内容」は、「すべての子どもが学ぶ必要がない」とされており、「ゆとり教育」による学力低下批判の世論を受けて、練習問題も大幅に増加させた。こうして、現行に比べると数学と理科がともに二三%増えるなど、教科書の厚さは、一六年前の水準に戻り、高校レベルの教科内容が、軒並み発展的内容として復活したのである。
 まさに戦後教育の一大転換がめざされていることを我々ははっきりと確認すると共に憲法・教育基本法改悪阻止の闘いと連動させ、教育の反動化とエリート教育の推進と差別・選別の強化に反対していかなければならない。(猪瀬一馬)


激化する反日デモ
 ナショナリズム・排外主義を乗り越えよう


■高まる反日デモ

 3月に吹き荒れた韓国民衆の激しい日本批判、盧武鉉政権による厳しい声明に続いて、4月に入ってからは中国でも反日行動が始まり強まっている。
 4月2日に中国の成都で始まった反日デモは、3日に深セン(1万人)、9日には首都の北京(1万人)、10日には再び深セン(1万人)、そして広州(2万人)、上海などの中国各都市に広がった。デモ隊が掲げているスローガンは、「歴史問題」での日本の無反省への糾弾、釣魚島(魚釣島)への領有権の主張、日本の常任理事国入り阻止、日本製品のボイコット等々だ。
 デモに参加した民衆の一部は、日本大使館に投石を行い、日本メーカーの看板や日本料理店を破損させ、日本人留学生に暴行を加えるなどの行動にも出ている。

■日本支配層の欺瞞

 この中国における一連の行動に対して日本政府が行っているのは、中国政府がデモ隊の暴力行為を阻止しなかったことへの抗議や、謝罪と賠償の要求だ。これに対し中国政府は、「過激な行為は我々としても見たくはないものだ」、「日本側が、中国を侵略した歴史など中国人の感情にかかわる重大な問題に真剣に向き合い、適切に処理しなければならない」「デモの責任は日本側にある」と応えている。
 日本人学生への暴力行為などが許されないのは当然であり、こうした行為は批判されなければならない。しかし何万人もの民衆による反日デモという現象を、「暴力行為批判」だけで切って捨てることなど出来るはずもない。日本政府は、デモの参加者が掲げているスローガンに対し、どういう態度をとるのかを明らかにしなければならないはずなのだ。
 例えば、中国の民衆や政府が日本政府に突きつけている「歴史問題」を見てみよう。日本政府はこの問いかけにどう応えているか。
 小泉首相や政府幹部は、扶桑社の歴史教科書――かつての日本のアジア侵略を自存自衛のためであると言い、アジアの解放に貢献したかに強弁し、南京虐殺や強制連行や慰安婦問題にはほおかむりをした歴史偽造の教科書――の採用は「思想や出版の自由が認められている日本では」当然のことであると語り、扶桑社以外の教科書でも強制連行や従軍慰安婦の記述が減少し無くなったことは良いことだと言ってのけている。また戦争犯罪者を英霊として祭り、機関銃や大砲などの兵器を境内に展示し、侵略戦争を聖戦と語って恥じない靖国神社への参拝を当然とする方針を改める姿勢もまったく見せていない。
 しかし歴史に対するこんな姿勢は、中国や韓国の人々だけでなく我々日本の労働者・民衆にとっても噴飯ものであり、到底受け入れることは出来ない。
 また小泉政権や自民党の幹部たちは、歴史問題に直接応える代わりに、しばしば中国社会の内情についての次のような評論で応えている。いわく、中国では急速な経済成長の中で貧富の格差が拡大している、役人や官僚の腐敗が蔓延している、中国共産党の一党独裁への不満が強まっている、今回のデモはそうした中国社会への不満が日本批判という政府公認の主張を利用する形で現れたものだ……云々。
 この解説がすべて間違っているというわけではない。こうした分析は、情報社会の日本では誰でもが知ることが出来るいわば常識の部類に属することだ。
 重要なことは、このような知ったかぶりの解説を振りかざすことではなく、中国社会内部に中国の体制への不満が高まっているとしてもそれがなぜ日本批判の形をとって噴出するのか、その本当の背景や原因を知ることだ。韓国人や中国人の日本批判を単に彼の国々の国内問題だけ説明することは不可能であり、そこには現在の日本の支配層がアジア諸国に対してとっている尊大で誤った姿勢が明白に反映している。侵略、植民地化、残虐行為等々への開き直りとその美化、それと一体の対米追随路線、それらを通して再び軍事強国の道を歩もうとする野望が見え見えであるからこそ、アジアの諸国の民衆や政府は日本への警戒心を強め、その野望をくじこうとして、民衆は民衆の立場から、支配層は支配層の立場から、様々な行動に出ているのだ。

■背景に東アジアでのイニシアチブ・覇権争いも

 もちろん反日デモの動機は、侵略の歴史に無反省なままで再び軍事強国化の道を歩もうとする日本に対する、民衆の中から生じた警戒心ばかりではない。その背景には日本の政界やマスコミがしたり顔で解説する中国や韓国の社会内部の矛盾も存在するし、さらには東アジアの将来図をめぐるアジアの各国の支配層の間のイニシアチブ争い、支配権争いがある。
 基軸通貨ドルと強大な軍事力にまだ支えられてはいるがいずれは超大国の地位からの退潮は避けられない米国。EU統合とユーロで持ち直し存在感を増しつつあるが、すでに経済的に成熟し終えており、今後の急成長は見込めないヨーロッパ。これに対して中国や韓国を牽引車とするアジアの経済発展はめざましいものがあり、当分この勢いは続かざるを得ない。この急成長するアジア圏でのヘゲモニー争い、あるいはこのヘゲモニーをめぐる合従連衡が、日本、韓国、中国との間で、米国やロシア(そしてやがてはインドなど)を巻き込みながら激しく繰り広げられ始めようとしているのである。
 米国の軍事力と政治力を頼りに、豊富な資金と技術力でアジアでのヘゲモニーを確立しようとする日本。世界の工場の地位をさらに盤石にし、その上にハイテク部門をも立ち上げて、膨大な人口と国土を武器に米国も制しうる超大国への道を夢見る中国。米日と中国という巨大パワーの間に挟まりながら、これらの両パワーのバランスを図り、独自の着実な経済力の育成、朝鮮統一の期待がもたらす民族主義的エネルギーなどを背景に強力な存在感を示そうとする韓国。こうした諸国の、将来のアジア経済圏の中でどういう位置を占めるかをめぐる戦略的な思惑が、いわゆる「歴史問題」にも新たな意味合いを持たせることとなり、釣魚島や竹島の領有権、東シナ海の海底資源の開発・利用権をめぐる争いなどと相乗作用を生み出しながら、日本、韓国、中国との間で新たな大きな係争問題となっているのである。

■排外主義に民衆の連帯を対置しよう

 かくして、各国の支配層が口角泡を飛ばして「愛国」や「領土主権」を叫ぶ恰好となっているわけであるが、では私たち労働者・民衆の姿勢はどうあるべきなのだろうか。
 私たちの目指すべきは、国籍や民族に違いに左右されない働く者の共通の理想や利益、それを実現させるための国際的な連帯や団結だ。私たちが「歴史問題」にこだわるのも、かつての日本の侵略や植民地化や様々な残虐行為に無反省なままでは、また日本の政府がこうした犯罪行為への開き直りや美化の姿勢を強めている現状を放置したままでは、日本の民衆とアジアの民衆との間の本当の連帯や団結も困難であることを知っているからだ。
 私たちは、日本の政府を強いてアジアの民衆に対してきちんとした謝罪や補償を行わせるための取り組み、侵略への開き直りや美化の姿勢を断じて許さない闘いを通して、アジアの民衆との連帯をつくり出し、民衆が主役となったアジアと世界の建設への第一歩を記さなければならない。日本、中国、韓国のエゴイスティックな支配層が振りまくナショナリズムや排外主義に抗して、諸地域の民衆が連帯し共生する新しいアジアをつくり出していこう。  (阿部治正)   案内へ戻る


コラムの窓・・・東海地震と原発震災

 新潟地震を始めとして、北海道・東北・九州など日本列島各地で地震が多発しています。
 ところが、なぜか東海地方には地震が起こっていません。その事が、逆に静岡県の人間にとっては「そろそろ東海地震の番ではないか、いつ来てもおかしくない」との思いが強くなっています。<BR>
 最近テレビコマーシャルでも、司会者が地震の専門家に向かって「先生地震はいつ何時に起こるのですか」と質問し、先生が「そんなことがわかればノーベル賞ものだよ」と答えるシーンが流され、話題になっています。
 言うまでもなく、東海地方では30年ほど前から「マグニチュード8を超える地震がいつ発生してもおかしくない」「30年以内に84%の確立で起こる可能性あり」と多くの研究者が警告してきました。政府も自ら「大規模地震対策特別措置法」を制定して、来たるべき巨大地震への備えを多々講じてきました。
 これを受け静岡県も、莫大な税金を注ぎ込み地震対策を進め、毎年自治体や学校などで大規模な避難訓練を繰り返して、その備えを強化しています。
 ところが、最近大きな関心を集め大問題になっているのが、浜岡原発(5基)の「原発震災」の問題です。今月の9日に三島で、地震予知連絡会の全会長であった茂木清夫氏が「想定『東海地震』と浜岡原発について」というテーマで講演を行いましたが、約1,200人はいるホールが一杯になるほどの参加者がありました。
 こうした高い関心を呼び起こしたのが、1月にテレビ朝日が報道ステーションにおいて、東海地震の特集の中でこの浜岡原発の事を取り上げたことでした。
 神戸大学教授の石橋克彦氏は、「浜岡原発は、M8級といわれる東海地震の巨大な想定断層面の真上に設置されている。もし東海地震が浜岡原発に重大事故を引き起こして、大量の放射能漏れが生じれば、震災地における救助、復興活動は不可能になると同時に、地震被害のために、原発事故処理と住民の避難も困難になる。」と述べました。
 また、京大原子炉実験所助手の小出裕章氏も、原子炉が破壊された場合被害はどうなるか、という質問に対して「浜岡から200キロメートル離れた東京周辺でも、風向きが東京方面に向かえば200万人を超える人たちが、やがてガンで亡くなるだろう」とコメントしました。<BR>
 これに対してテレビに出ていた中部電力広報部の担当職員の「100%安全と考えています」とのコメントは、科学的説明のないまったく頼りない内容です。ただ会社の見解(願望と言った方がよいと思うが)を繰り返している感じでした。
 ところが中部電力は2月になると突然、耐震補強工事=「排気筒の鉄骨補強や配管の支持装置の追加など、1〜5号機で計800億円かけて、08年春までに工事を終える予定である。ただ工事などの詳細はこれから詰める」と発表しました。
 国の原子力安全委員会は原発の耐震指針を改定する作業を進めているが、もう3年半もたつが結論が出ていません。中部電力は、その指針の改定を先取りして「浜岡原発で想定されている『基準地振動』は600ガル。この数値は国内の原発では最も大きいが、さらにこれを1,000ガルに引き上げるために補強工事をする」という内容です。
 報道ステーションの反響が大きかったことや地元静岡の市民団体が「浜岡原発とめます本訴の会」(浜岡原発本訴訴訟団)を立ち上げて裁判闘争を展開していること、また「原発震災を防ぐ全国署名連絡会」も東海地震の前に浜岡原発をの運転停止を求める署名活動を展開しています。こうした状況を判断して、中部電力は急きょ方針転換をしたようです。
 しかし今回のこの方針転換とは、中部電力が今まで終始一貫「耐震性は十分だ。100%安全である」と言ってきたことは実はウソで、根拠は曖昧であったことを白状しているようなものです。<BR>
 特に、浜岡原発1号機と2号機は70年代初めに造られた原発で、当初30〜40年とされていた原発寿命に近づいています。老朽化にともない腐食や疲労が進んで事故だらけで満足に稼働できない状況にあります。事実、中部電力は1号機と2号機の「シュラウド」(炉心隔壁)に「多数のひび割れが見つかった」と言うことで、「シュラウド」の取り換えを発表しています。この「シュラウド」は原子炉内の主要部品で、約30トンもあるステンレス製円筒で、設計段階では交換を想定していません。1基150億円位をかけて、2年近く原発を止める大工事になります。さらに、この1号機と2号機は東海地震が真下で起こるとわかっていなかった時代に設計されたものです。
 来るべき東海地震に対して、耐震補強工事をした浜岡原発がそれに耐えられるかどうか?は誰にもはっきり断言できません。ただ、はっきりしていることはM8級の東海地震は確実にやってくること、そして浜岡原発で重大事故が起こったときは、チェルノブイリ原発事故以上の被害が出ることを覚悟しなければならないことです。
 天災は避けることはできません。しかし、人災は防ぐことはできます。言いかえれば、地震はとめられないが、原発はとめられるのです。
 中部電力はこれから800億円〜1,000億円位のお金をかけて耐震補強工事やシュラウド交換をやると言っていますが、私にはドブにお金を捨てるような思いがします。これからの未来社会を考えた場合、ここで原発を停止してそのお金を新エネルギー(風力発電や燃料電池やバイオ発電など)の開発にむけた方がよっぽど将来投資になり、次の世代の幸せにつながると考えます。皆さんはどう思いますか?(英)


三浦半島地区教組執行部選挙の結果と今後の展望

反執行部立候補者は五分の一の票を獲得

 何号か前のワーカーズ紙上で紹介した三浦半島地区教組の執行部選挙が終了した。三月上旬に行われたこの執行部選挙においては、日教組の執行部選挙として、全国的にも全く異例の展開となった。
 現行の委員長・副委員長・書記長の三役に、全国労組交流センター三浦半島地区教育労働者部会の組合員が、それぞれ対立候補として立候補し、全国的にも焦点化している「日の丸・君が代」との徹底闘争を訴えて立候補した。立候補者四名は、最高三百五十票から最低二百五十票を獲得した。四名の得票の総計は、一千二百四票であった。
 現行執行部は、ほぼその四倍の得票数で当選した。反執行部で闘った彼らは、投票した全組合員千五百票の五分の一を獲得したのだ。この数字が多いか少ないか。ここは、確かにそれぞれの立場によって、大いに議論が分かれるところではある。
 率直に言えば、私もその一員なのだが、今回の執行部選挙への取り組みは出遅れていた。この闘いに対する意識化は確かに遅れた。他の人はいざ知らず、私は執行部との関係において、彼らに幻想を持ち続け、彼らを押しのけてまでことを起こさなければならないとの判断には立てず、自分の主体の弱さを否定できなかった。そのため、この闘いの提起が、一二月から例年通り教組が取り組んでいた組織整備確立委員会の論議が終了しかかった時点で取り組まれたことに最大の反省点がある。
 三浦半島教育労働者部会で反執行部での立候補を決定したのは、一月下旬だった。そのため、執行部から為された「立候補者の分会推薦については、組確会議の推薦決定後に行われた」とのキャンペーンを、結果的に許すことになってしまった。このことはつくづく残念なことではあった。

今回の反執行部選挙闘争の意義

 今回の反執行部選挙の意義について言えば、三教組の歴史始まって以来の「権力闘争」であったことが特記されなければならない。これまで、三教組は、文字どおり、社会党系・共産党系・無党派のゆるやかな連合体として、比較的うまくやりながら活動してきた。
 そうした三教組に背骨が入ったのは、七〇年代に始まった反主任制闘争からであった。この闘いと六〇年代末期から始められていた原子力潜水艦の横須賀寄港反対闘争と相俟って、闘う三教組の骨格がしっかりと形成されていったのである。
 この間、北教組との交流が進んだこともこのことに関係がある。こうした大衆闘争に依拠する三教組の運動は、全体として右派を形成している神奈川県教組の中では、確かに異色の存在ではあった。しかし、着実に進行する教育の反動攻勢の中で、三教組は徐々に弱体化していったが、そのことを決定的に明らかにしたのは、昨年春の「君が代」斉唱時不起立者への選別的処分の強行とこれに対する執行部の無対応であった。たぶんに信じられないことだったが、執行部は、市教委が被処分者に行う尋問に同席するなどもしなかった。このように被処分者を全く防衛せず、当該者がだった一人で、市教委の直接の尋問に晒されることを容認したのである。全く呆れ果てた対応ではないか。何のための組合なのか。
 こうして教組内の闘う部分に執行部不信が意識化されて分岐が明確に認識されていった。この流れが、今回の反執行部闘争としての四名の立候補となって結実したのである。
 先の得票数から確認できることは、三教組内に、原則的に闘おうと指向する部分の存在とこの四名の推薦人として大衆的に登場したその闘いをしっかり支えることができる核心的組合員がいるということである。
 この運動は確かに分会段階にも分岐を作り出すことになってはしまったが、いかに厳しくとも、ここはいつかははっきりと明確にし超えなければならないことではあった。

役員選挙に関わる公開質問状の提出と回答

 今回闘われた役員選挙は、教労部会も初めての経験であったことと執行部としても全く想定していない意表をついた事態だったこともあって、教労部会と執行部・中央選挙管理委員会の双方に、それぞれ具体的な反省課題や執行部側にも様々な失態を現出させた。
 特に失態については、反執行部で立候補した四名から、以下のように明確化された。
 その一。「候補者ビラは、候補者一人ひとりが配布せよ」との乱暴な話とビラが配布されなかったことがあったと突かれたのである。
 その二。「指定された投票日以前の投票」を行ってとよいと指導したことを、選挙期間を無視し公正な選挙を妨害したと突かれたのである。
 その三。ブロック会議での組織整備確立委員会で確認・推薦された候補者とそうでない候補者を明確にし、反執行部の立候補者を批判した発言を突かれてしまったのである。
 これらの三点に対して、執行部と中央選挙管理委員会は、木で鼻をくくったような回答をして、その一とその二については、否定するとともにその三については、従来から、そのように明確に扱いを変えた取り組みをしており、しかもそのことは組織活動をしている以上当然のことだと居直ったのである。
 確かに問題意識なき組合員には、単なる泥仕合をお互いにしているかのようではある。しかし、ここには、我々が、実際に組合民主主義を守り発展させなければならない点において、実に大きな問題があるのである。
 しかし組合員大衆が監視していない中での言い合いでは、組合員大衆の支持が揺らいでいない執行部には、本当に有利なものである。
 したがって、この闘いは、五月の定期大会までお預けとすることにしょう。

今後の三浦半島地区教労部会の闘い

 今回の執行部選挙において、執行部が得票数の八割を獲得したと言うことは、職場・分会の組合員には、「連合執行部の実態」が見えていないこと、別の言い方をすれば、我々が、明確な対決構造を提起できなかったことを明らかにした。
 このため、我々は各組合員に明確な分岐の意識化を迫ることに失敗した。したがって我々が今後しなければならないことは、職場・分会で、執行部との取り組みの差を明確に意識させることと思想性の高さを現実に示すことである。
 さらに言えば、若年層に切り込んでいくことと職場・分会で現実にヘゲモニーを示すことであり、つねに旗幟を鮮明に立てておくことである。
 そのためには、臆することなく、「大胆なれ、大胆なれ、しこうして大胆なれ」を合い言葉として、我々の勇往向前の気概を、職場・分会で公然と示すしかない。(猪瀬一馬)      案内へ戻る


介護施設での高齢者虐待
 なぜ起こる、介護士による暴力・虐待


 2月12日12人の認知症高齢者が暮らす石川県のグループホームで84歳の女性が顔や腹部にやけどを負って死亡した。死因は熱傷性ショックだった。逮捕された男性介護職員は石油ファンヒーターの熱風を女性の身体に当て死なせたと供述している。
 千葉県の特別養護老人ホームで今年の1月の午後7時頃から10時頃の間、認知症の女性入居者に介護職員が暴行をし、肋骨を9本折るケガをさせた疑いで現在取調中である。

●事件の共通性

 二つの事件の被害者はどちらも重度の認知症高齢者であり、個室で生活をしており、暴力を受けたのはともに夜間である。また犯行に及んだ介護職員は周囲の職員からは「まじめで優しい」という評価を受けていた。グループホームの事件では働きながらヘルパー2級の資格を取得したばかりであり、特別養護老人ホームの事件では容疑者はフロア主任を務めていた。
 骨折をさせたり死亡させたりすることは論外の行為であるが、「虐待や暴力は程度の違いこそあれ、どこの施設でもあり得る」と介護関係者からよく聞かれる。何故、事件にまで発展するこのような行為が福祉施設で起こるのであろうか。
 今回から何回かに分けて、グループホーム、特別養護老人ホーム、要介護高齢者について論じてみたい。

●グループホーム乱立! 低い設置基準

 グループホームが急増する中で、特定地域への集中を避ける必要や悪質なグループホームの乱立を防ぐためとして、厚労省は昨年7月にグループホームの数量規制に乗り出した。市町村が、需給状況に応じてグループホームの開設を規制できるよう、2006年からの導入を目指している。グループホームの評価についてもすでに外部評価を受けることを義務づけている。
 厚労省が躍起になって手を打たなければならないほどグループホームは乱立し、悪質なグループホームの問題が後を絶たないのである。
 こうした問題の背景には、介護保険制度におけるグループホームの設置基準が低すぎるという問題点がある。簡単に設立でき利益も確保しやすいグループホームは、2000年3月には266施設であったが、2005年6166施設と急増している。厚労省が介護保険制度の基盤整備のために「質より量」を優先してきたツケが、今頃になって回ってきているのである。
 グループホームは小規模運営であり、日常の生活に外部の目が届きにくいため「密室の介護」と呼ばれ、ケアの質が問われ続けてきた。一例を挙げると「グループホームから一歩も外に出たことがない」、「玄関には施錠がされている」、「夜は部屋に鍵がかかりトイレにも行けない」、「食事は一緒に作るのが基本だがあり合わせのものが出てくる」、「家族が面会に行くとあざが出来ていた、その理由を聞くと退所を暗に強要された」、「食材費を押さえるために腐りかけのものや、カップラーメンが夕食にでてくる」などである。
 グループホームは法人格を持っていれば開設が可能であり、約6割が営利法人でしめられている。管理者は認知症に関する研修が義務づけられているが、現場の介護職員には何の資格も研修も求められてはいない。また、日中は入居者3人に介護職員1人以上いる必要はあるが、夜間は「介護に支障がなければ」入居者18人までは職員1人でよいことになっている。先の事件では、12人の入居者が生活するグループホームで1人の職員が夜勤をしていたが、それ自体は問題にはされないのである。
 認知症の高齢者は見当識障害のある人が多く、昼夜逆転することが多い。つまり夜間に熟睡するのではなく、夜間に声を出して起きたり、徘徊したりすることもよく見られることなのである。そのような状況下で18人を1人でケアすることの心理的負担は相当なものである。また1人夜勤であるから仮眠することは出来ない。しかし、だからといって虐待が許されるということにはならない。
 グループホームの入所条件として、重度の認知症の高齢者は除外されていた。あくまでもグループ生活を楽しむことが出来る程度の認知症高齢者を対象にしていたのである。しかし厚労省はグループホームでもターミナルケアを行うことは差し支えないとし、重度の認知症高齢者はグループホームに適さないという規定を除外したのである。その一方で職員の配置基準はそのままである。夜勤を必要としない程度の認知症高齢者を対象にした施設であったものが、年を重ねるごとに重度の認知症高齢者も対象にせざるを得なくなったグループホームの現状がある。
●劣悪な労働条件、密室の中での行われるケア

 職員の給料も低く抑えられている。資格規定がないために無資格者を雇用し人件費を低く抑えているところが多く、非常勤職員が半数以上を占めてグループホームが多い。厚労省の2002年の介護事業経営実態調査によると介護福祉士の場合は平均給与は20万4000円、その他の介護職員は17万8000円、非常勤職員は8万5000円となっている。千葉周辺のグループホームの例では15万円程度の給与が多いように思える。介護福祉士資格を持った正職員でも給与約12万円という施設も多い。
 グループホームが認知症高齢者やその家族にとって安心して暮らせる施設になるためには制度的な改善、指定取り消しなどの厳しい運営基準が求められている。また介護職員の質の向上のためにも、その前提として労働条件の向上と研修制度の確立が急がれる。(Y)


〈商品生産の揚棄〉を考える @
――「単一の協同組合論」「一国一工場論」を素材として――


1,はじめに

 個々の企業を労働者自身が所有し、管理・運営し、自ら働く、という協同組合に変えること。私はこれまでそうした協同組合原理に基づいて全社会を造り替えることが社会主義だと述べてきた。このことは「共同所有の三形態」など、マルクス説の独自な解釈を展開してきた広西説を基礎として展望可能だと考えている。
 ただ広西説は社会主義を説明するに当たって、主として資本家的企業の内部編成を変革することに重点が置かれていて、社会全体の編成原理がどのように変わるかという事については具体性を欠くきらいがあった。
 社会主義とは広西氏によれば、企業の占有補助者としての労働者が占有者に格上げされることで、それまで利潤を独占していた株主や経営者とともに利潤の分配を獲得すること、これは上からの統括労働を連帯労働に変えることでもあり、これが社会主義であるという。
 他方で社会全体の編成原理については、平均利潤の成立を前提として、この平均利潤を株主と経営者が共通占有するのが資本主義であり、これを労働者まで含めた共通占有にすることが社会主義である、と説明してきた。この利潤分配制の社会、資本家的生産を揚棄した労働者まで含めた共通占有の社会=社会主義でも商品生産が行われ、それは共産主義の高度の社会に至るまで続く、というのが広西氏の主張だ。しかしこの主張は間違っていると思っている。
 広西説では、個々の企業内部や社会全体の抽象的な編成原理は語られてはいるが、個々の協同組合(アソシエーション)と他の協同組合の関係、いわば社会全体の編成原理については具体的に語られてこなかった。
 広西説は「利潤」というのは生産果実の「歴史的限定符」であると正確に把握する視点があるにもかかわらず、「商品」についてはそうした歴史的、概念的な解釈はない。これは商品生産が共産主義の高度な段階まで続くという広西氏の社会主義解釈から出てくるものだが、このことはそれだけ社会編成への関心が希薄だったことの結果かもしれない。逆に社会編成への関心が希薄な結果、そうした結論が出てくる背景にもなっているように思われる。この点は克服されるべき課題だと思っている。

2,「協同組合的社会」への二つの批判

 最近、ソ連型社会主義へのオルタナティブとして、協同組合型社会が社会主義であるとの主張が一つの潮流として形成されてきている。私もその一人であるが、この「社会主義=協同組合型社会」説に対する批判としていくつかの説がある。
 代表的なものが、協同組合型社会では個々の企業は協同組合原理で編成されても、社会全体では商品生産は無くならない、というものである。こうした見解は、カウツキーの見解を援用してなされるケースも多い。
 もう一つの代表的な見解は、協同組合型社会を含めて何らかの「計画経済」を志向する社会は、結局はすでにソ連などで破綻したような「一国一工場体制」に行き着かざるを得ないこと、それを回避するためには市場を前提とした社会主義をめざす必要がある、というもので、たとえば国分幸氏などの見解もその一つだ。
 これらの二方向からの批判に対して、私としては、基本的には広西説のマルクス解釈の立場に立ち、それを一貫させることでその欠陥と限界を是正し、ひいては社会主義の本来の姿の再構成を試みてみたい、というのが本稿の意図でもある。具体的には上記の二つの見解の批判的検討を通じて、協同組合型社会が一国一工場というスターリン体制を招来しないこと、なおかつその社会が商品生産を克服した、協同型、連帯型経済システムであることを考えていきたい。

3,カウツキーの協同組合論

 カウツキーの主張については、かつてワーカーズ内部でも協同組合型社会に関して論争があり、また新聞『Workers』紙上でも論争として紹介されたこともある。批判者の一人は明言はしていなかったがカウツキーの主張を念頭に置いて批判していたと思われる議論もあった。その批判者の一人はカウツキーが『エルフルト綱領解説』で展開していた協同組合型社会の批判を援用し、ほぼそれに自説を重ね合わせて議論を展開していたように思う。
 今回このテーマを今取り上げるのは、かつての論争をぶり返そうということではない。ただ私自身の自己了解の順序で、ここにきてたまたまその場面がきたと言うことにすぎない。
 はじめにカウツキーの見解から見ていくことにする。
 カウツキーの『エルフルト綱領解説』(改造車文庫復刻版1977年)では、一つの共同体の形成、すなわち労働者国家こそが商品生産を克服できる、としている。しかしカウツキーは30年後にはこうした見解を「監獄あるいは兵営」(国分氏の解説)のごとき野蛮なものとして否定するようになる。
 カウツキーの主張は次のようなものだ。

1)「自家用生産」説

 まずカウツキーは未来社会の姿について「生産手段に対する私有を廃して組合財産とする」(第4章)のが社会主義だというところから自説の展開を始めている。しかしそれだけでは資本主義的搾取はなくなるが、競争、生産過剰、恐慌、破産は依然として存続する、という。「破産した企業の労働者は」とカウツキーは続ける。「生産手段を失い、そうして再び――無産者となって、生き延びるためには労働力を売らなければならない事になるだろう。幸運なる組合の労働者は、そのときには自分で働くよりも賃金労働者を雇い入れるほうが利益な事に気がつくだろう。すなわち搾取者――資本家となるだろう。」そして「しばらくの後には元の状態、すなわち資本家的生産方法に立ち返る、と言うことで幕が下りるであろう。」
 「商品生産は私有財産を前提としており、私有財産を排除せんとする一切の努力を無効にする」と考えるカウツキーは、商品生産の廃止のための方策として「販売のための生産を廃して、自家用のための生産」を対置する。「自家用のための組合的生産は、共産主義的、又は今日の言葉で言えば社会主義的生産に他ならない。ただかかる生産方法によってのみ、商品生産を打破することができる。」
 カウツキーは、「市場」に対置するものとして「自家用のための生産」を対置する。ただし、かつて歴史上に現れた古い形態の「自家用のための組合的生産」をよみがえらせることにはもちろん否定的だ。カウツキーがいう古い形態の組合的生産というのは、ジョン・ペラーやフーリエなどが提案した200〜300人の組合や1800人規模のファランステールのことだ。カウツキーはそうした規模の経営は『エルフルト綱領解説』の時点ですでに事実として乗り越えられているという。時代は進み、機械の普及などによって全国規模の企業の誕生やそうした企業相互間の連携などが進んで「ついには資本主義諸国の全経済界を、唯一の機関に統括せんとしつつある」という。だから時代に合った「社会主義的組合の範囲となりうるものは現存の社会的機関の中でただ一つである。それはすなわち現代国家である。」という。また註では「社会主義的組合が繁栄するためには、組合の範囲はますます拡張さられなければなるまい。個々の社会主義的国民はついに、唯一の協同団体に融合し、全人類は唯一の社会をつくるであろう、と固く信じている。」と展望を語っている。

2)単一の協同組合

 上記のようにカウツキーは、商品生産を打破するには国家規模の協同組合が必要であるというが、それは国家と融合したもの、あるいは国家そのものだ。そういうと国家の廃絶を主張していたマルクスの主張と齟齬が生じるが、カウツキーはそうした観点についてはあまり頓着しない。むしろ次のような牧歌的な解説で満足する。今度はカウツキーの国家理解について簡単に見ていこう。
 カウツキーは「現代国家は、……かかる組合の唯一の自然的根拠である。」として、現実の歴史的発展の中で国家が経済的な機能を担ってきており、それが次第に拡大しつつある現実を振り返る。そして「現代国家の経済的活動は、社会主義的組合に向かって進む発達の、自然的出発点である。」とする。また国家の経済的機能が拡大すること自体が社会主義への接近ではないことにも注意を喚起する。国家社会主義などもあるからだ。カウツキーは続ける。「社会主義の出発点となるのは、労働者階級が国家において支配階級となった暁に於いて初めて国家は資本主義的企業たる性質を失うであろう。その時初めて国家を打倒して社会主義的組合とすることができるであろう。……すなわち社会民主党は労働者階級が政治上の権力を獲得し、これを用いて国家を打倒して完全に自足する一大経済組合とすることを欲するのである。」
 ここまでくれば、カウツキーがどんな協同組合を念頭に置いていたかがはっきりする。それは経済規模の発展によって個々に形成された協同組合、あるいは当初から大規模に形成された協同組合が、国家と融合、あるいは国家と一体化した協同組合になる。そして労働者階級が国家権力を獲得することによって、この全国規模の協同組合は「自足経済」を実現し、資本家的企業の性格を脱却し、搾取や商品生産を揚棄できる、というわけだ。
 こうしたカウツキーの立場は、商品生産を廃止するために、個々の企業による販売のための生産を廃止する方策として「一つの協同組合」「国家的な自足経済団体」を展望する。結局は一つの国営協同組合、国家協同組合という、いわば「一国一工場体制」に行き着くことになる。
 たしかに弱肉強食の競合企業による商品生産を廃止するために、全企業を一つの経済組織にしてしまえば、その生産物は販売する必要のない、内部で流通する単なる製品になるかもしれない。しかしカウツキーはその全国一つの協同組合がどのようにして全国的な生産を調整するのか、その調整のための何らかの機関が形成されないのか、その調整機関が果たして個々の労働者から自立して独自の機関、すなわち新たな国家機関にならないのか、という難題には言及していない。あのソ連が、生産手段の国家的所有と中央指令型の計画経済を進めたことと、その過程でゴスプランをはじめとした経済組織やその他の膨大な官僚組織の肥大化をもたらしたことを経験した私たちは、むしろその点こそが知りたいことなのだ。が、カウツキーはそうした疑問に踏み込む前で思考停止する。
 こうしたカウツキーの協同組合論はどう評価すればいいのだろうか。

3)協同組合と株式企業の同一視

 第一に目に付くのが、いわゆる『一国一工場論』である。これはあのレーニンも『国家と革命』の中でそう受け取られても仕方がないような記述をしているが、それもエンゲルスばかりでなくカウツキーなど18世紀後半のドイツの社会主義文献の影響もあったかもしれない。実際にカウツキーを日和見主義と断罪する以前には、レーニンもカウツキーを高く評価していたからである。
 この『一国一工場』論については後半の国分氏のところでも触れるが、近年の社会主義のオルタナティブ、アソシエーション論議の中ですでに克服された事柄だと思う。『一国一工場』体制は、結局は国家所有と国家=官僚組織の肥大化を招く、アソシエーション社会とは無縁なものだというのがアソシエーション論の基本的な了解になっているからだ。というのも、ソ連の実例を見るまでもなく、マルクスのアソシエーション論そのものが生産手段の国家所有を土台とするものと無縁であるばかりか、むしろ生産手段の国家所有や国有経済は共同所有の幻想形態、疎外体であって、協同形態的な私的所有の性格を持ったものである、というのがマルクスの考えだったからだ。
 それにカウツキーは、個々の協同組合が破産して生産手段を失う、あるいは破産した企業(協同組合)の労働者は再び労働力を売らなくては生きていけない、さらには成功した協同組合は賃金労働者を雇い入れる、などと想定している。これも協同組合原理とその原理で成り立つ協同組合的社会の内実を、あまりに粗雑に描いているとしか言いようがない。これでは資本主義の大海のなかでの私的企業の運命と何ら違わない。カウツキーは、破産や失業という概念を協同組合的社会で発生する当然の出来事として語ることで、市場経済と協同組合型社会を何の疑問もなく同一視しているわけだ。
 いうまでもなく、マルクスは「生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない。同様にここでは、生産物に費やされた労働が、この生産物の価値として、すなわちその生産物の有する物的特性として現れることもない。」『ドイツ労働者党綱領評注』(=『ゴータ綱領批判』)としているように、協同組合社会においては生産物が使用価値としてのみ現れ、交換価値としての物的特性を失っている、従って生産物は使用価値と交換価値の二つの性格を帯びた商品でもなく、従って商品でない生産物は市場で交換されることもない、というのがマルクスの協同組合社会についての把握だからだ。
 カウツキーは、マルクスがそう把握した協同組合的社会での個々の協同組合について安易に資本制社会での一企業と同列視する。それを前提として国家的協同組合、国家企業に行き着くのだが、そうした理解は前提から間違っていると言わざるを得ない。カウツキーがそうした理解に立つのも、そもそも所有と占有の区別さえなく、協同組合的社会が生産手段の所有権に土台を置く社会というよりも、労働を土台としている社会であることを見ないからだ。
 ここでマルクスが共同所有がどのように理解していたかについて考えてみたい。
 協同組合的社会がどのように生まれるのかについては固定的に理解することは避けなければならないが、少なくともマルクスは革命過程の中で労働者が株主や経営者を追放するか、あるいは株主や経営者が放棄した企業の管理・運営を労働者が担う、ことに見ていた(『フランスの内乱』)。この過程を別の角度から見れば、それは資本主義社会の中で潜在的には社会的な占有者の地位を獲得していた労働者が、「収奪者を収奪する」(『資本論』、『フランスの内乱』)ことで潜在的なものが表に現れる、いわば公然たる占有者になることだ。いわば占有補助者(経営者の指揮の下で用益を補助する者)が占有者(自らのものとして運用・用益すること)に格上げされることである(広西氏)。だから革命を成し遂げた段階で、すでに労働者は工場・企業の公然たる占有者になっている。これは無所有であった労働者が「株」や「持ち分」などの形で新たに企業の所有権を獲得するという意味ではない。新たに工場・企業の所有権を獲得することなど必要ではない。生産手段を共同で占有しているという現実が承認されればよい。これは工場・企業を「自らのものとして運用・用益する」ことで生まれる生産果実を、構成員が奪い合うことなく同等に取得することを含んでいる。こうした人と人との共同性を帯びた関係が、共同所有という性格を獲得するのである。
 繰り返すことになるが、協同組合的社会とは、工場・企業の所有権を基礎として、その所有権を根拠として分配がおこなわれる社会ではない。そうではなくて工場・企業の占有者であるという事実、いわば自らのものとして運用・労働しているという事実を基礎として分配がおこなわれる社会なのだ。
 ついでに言えば『エルフルト綱領解説』でも、原文はおおむねゲノッセンシャフトだと思われるが、共有とか共同財産とか、あるいは組合財産とかの訳語が無頓着に使われている。マルクスにとって所有というのは、一定の生産諸関係の中で取り結ぶ人と人の関係、人と生産諸条件との関係行為(『経済学批判要項』)についての概念であり、私的所有や共同所有という場合は、その関係の社会的な性格に着目した概念だと捉えるべきなのだ。そうした人と人との関係を権利関係に置き換える法的概念としての「所有権」や「財産」と区別しないのは、厳密には誤った理解だということになる。(次号へ続く)         案内へ戻る


制裁研修に抗して!・1つ星≠目指さないことの意味

 昨秋、本紙284号で接遇4級未取得を理由に訓練道場送りとなった顛末を報告した。国会では郵政事業の民営化を巡って、その利権を誰が簒奪するかが争われているが、現場ではそんなことに関りなく労働の非人間化がさらに進んである。
 新年度から始まった「アクションプラン・フェーズ2」なるものが3月に職場周知されたが、今後2年間で職員数を26・2万人から25・2万人へ1万人削減に示されるように、その内容は徹底的な雇用破壊に彩られている。焦点となっている接遇4級はさらにハードルが上がると同時に、取得者には1つ星バッチを付けさせるということだ。
 利用者からの苦情があればそれは剥奪されるし、もっと上の2つ星・3つ星を目指すことを強要される。髭や茶髪だけではなく長髪もダメ、派手な模様が透けて見えるシャツもダメ、ダメダメづくしで締め上げるのが接遇4級の目的だ。すでに長い髪を切った者が数名いるが、こんなふうにハードルを上げたらモラルが低下するのも当然だ。
 例えばこんな話がある。職場の誰かが誰かに勝手に商品などを注文して送り付ける嫌がらせをやっている、こんなことはやめなさいという周知が続いている。これは執拗な無言電話の類で、被害者は警察にも相談しているということだが、恨みによる犯行と思われる。職場が腐りつつある。

3泊4日の制裁研修送り
 そんななか3月15日から3泊4日、近畿郵政研修所での「郵政接遇・マナー研修」を受けさせられた。これは接遇4級未取得者への制裁であり、他の労働者には言うことを聞かない者はこうなるという見せしめの意味がある。しかも、3桁はいるという未取得者のトップを切って行われたものである。さすがに私も行く前は憂鬱になったが、顔見知りの仲間と行動を共にすることができたので、元気になって帰ってくることができた。
 さてその研修だが、対象者はたったの8人で、髭が5人、茶髪が1人、そして私のような名前・ネクタイ不着用が2人という顔ぶれ。つまり全員確信犯で、さっそく近畿支社の担当者に「研修を受けたら4級認定されるのか」「髭で引っかかっているのに、こんな研修意味がない」等口々に迫った。答えはとにかく受けてもらう、認定は各局の判断だというものだった。
 初日は前に受けた訓練道場の復習のようなもので、この時点で私も含め2人が立たない、発声しない、つまり研修をボイコットすることとなった。研修には各局の管理者も1人ずつついてきていて、彼らも研修を受けるという形式になっていたが、その管理者が耳元で「立ちなさい。業務命令です。問責の対象になります」と言う。研修が終わるまで何回言われたか数えてないが、最後には「問責します」とか言っていた。
 こうして始まった研修は2日目から3日間、外部講師による研修となった。その講師が何と地獄の訓練≠売りものにしている「管理者養成学校」から来ているというから驚きだった。落ちこぼれ職員に管理者コースの研修をやってどうするつもりなのか、近畿支社は何を考えているのかと言う発言が相次いだのは当然だ。これには講師も戸惑ったようで、しかも「起立」と号令をかけても座ったままの者が2人もいるわけだから、内心では帰りたくなったのではないか。
 研修の内容だが、発声練習と「共感論争」というデイベートのようなもの、そして暗記してそれを講師の前で復唱するものなど。見学≠オていると、いやいややっている者をうまく引き込んでいくのがよく分かる。しかし、その内容は反労働者的で、とても認めることはできない。

管理者養成学校が流す害毒
 そこで、管理者養成学校についてホームページで調べてみた。「出張訓練」(講師派遣)の項を見ると、講師の時給は31500円、旅費や宿泊費は実費を取り、さらに前泊には「講師拘束料」として52500円なり。近畿支社は8人の落ちこぼれ職員のためにどれだけの費用をかけ、どれだけの成果≠得たのか、聞いてみたいものだ。
 次に「管理者養成基礎コース」を見ると、13日間の合宿で費用は323400円となっている。こんな研修を受ける物好きがいるのかと疑うが、これが1班15人編成で月2回の開催となっているから、需要はあるのだろう。プログラムには「駅頭歌唱」とか「40キロ夜間行進」というのがある。
駅頭歌唱訓練・「恥ずかしい」「できない、無理だ」という消極性が行動を鈍らせる。JR富士宮駅前で一人、大きな声で歌う。人前に立つことをためらい、尻込みしない度胸をつける。
ということなので、富士宮へ行けばこれが見物できるのではないか。
 こうした類の酷い内容が並んでいるが、なかでも最悪なのが「孤独訓練・3日間、1坪ほどの小屋(通称・ポチ小屋)で一人になり、周囲の雑音から逃れ、職場の問題と今までの自分の現状を徹底的に考える」というもの。こうした試練≠経て、最後の「私の抱負・地獄の訓練の成果を渾身の力でスピーチする。地獄の中で自分は何をつかんだか、明日から何を行うか。汗と涙で訴える。感動の一瞬。訓練のクライマックス」を迎える。
 それで、我々の研修はどうだったか。特筆すべきは「素読」と「行動力基本動作10ヶ条」で、いずれもひどい内容だった。まず、「素読」というのは管理者養成学校の創始者が書いた「これが指導者だ」という本の抜き書きを大声を出して読むというもの。管理者向けのハウツー物のようで、何度も読むうちに内容を覚えろということのようだ。講師はこれをそらんじたが、実に下らない。
 講師が最も時間をかけたのが10ヶ条≠ナ、そのうち5項目を暗記して講師の審査を受けろとおっしゃる。ここにきて、3人目の拒否者が出た。@の「行動5分前には所定の場所で・・・」というのを受け入れることができなかったのだ。職場でも5分前行動≠ニか言っているが、これは5分間の労働時間の剽窃のようなもので、始業前のお茶汲みや終業後の掃除といっしょにごみ箱に捨ててしまうようなものだ。
 私はずっと黙って座っていたが、Gの「時が深更に及ぼうとも・・・」というくだりを講師が毎日深夜に及んでもやり遂げろなんて言ったので、思わず「そんなことしたら過労死だ」と口を挟んでしまった。講師の反応はなく、と言うか、無視されてしまった。彼はこれ以上ペースを乱されたくなかったのだろう。実際、始めから拒否していた2人は途中から講師に無視され、研修生は4人半ということになっていた。

これからどうなる
 こうして3泊4日の制裁研修は終わった。しかし、研修を受けた者と拒否した者が出たし、講師の選定はひどいミスマッチだった。近畿支社はこれをどう総括し、次の手をどう打つのか。まだ第2陣の制裁研修も明らかになっていない。接遇4級などというものを持ち出し、はからずも髭面や茶髪をあぶり出してしまってこのツケを、近畿支社はどうつけるつもりなのか。
 時あたかも、我が局がパワーアップサポート局に指定された。「職場風土の改善を図り、『真っ向サービス』ができる職場づくりを行うため」ということで、改善できるまで指定解除されない。管理者連中は自分たちの成績にかかわるのでカリカリして、職場をもっと締め上げにかかろうとしている。
 ちなみに、当局発表によると配達物数が対前期比95・7%と減少しているのに、総労働時間は103・2%に、賃金・超勤の使用状況はなんと107・1%に増えている。これではサポート≠ェ必要と言われてもしかたあるまい。アクションプランといい1つ星バッチといい、職場の抑圧は増えるばかりだ。これの抗して闘うことなしに、郵便労働者の明日はない。 (折口晴夫)


読書室・・・「出る杭は打たれる」

 一冊の本を、皆さんに紹介したい。
 著者はアンドレ・レイレさんというフランス人で、題は「出る杭は打たれる−−フランス人労働司祭の日本人論」(岩波現代文庫)という。
 1人のフランス人労働司祭が1970年の夏に日本に赴任する。川崎の下請けの労働現場で働きはじめる。労働慣行や組合活動に不合理を感じながらも、危険できつい仕事に励む。そして、労災事故にあう、労働組合を結成する、さまざまな出来事に遭遇する・・・。自由と自立した精神の大切さを身をもって示し、91年に日本を離れる。そして、92年にフランスでこの本を書き上げる。94年に日本語に邦訳されて出版される。
 バブル崩壊前の繁栄を続ける日本資本主義の下で、川崎の下請け労働者として21年間働き、日本社会を外国人の下請け労働者の目で見つめて日本人論をまとめた本である。
 労働司祭という言葉はあまり聞いたことがないと思う。牧師の道を選んだ彼は、フランス人宣教師の1人として、司祭がいない国々へ司祭を一定期間派遣する「フィディ・ドヌム」事業の一環として、労働者たちのあいだに教会の存在を示す労働司祭として横浜に派遣されたのである。
 勿論、キリスト教の宣教師が書いた本なので、彼の宗教観にとてもついていけない部分もあるが、しかし1人の外国人労働者として日本社会を冷静に分析している日本社会論は一読に値する。
 彼が分析した日本社会の特徴を一言で言えば、本の題である「出る杭は打たれる」、まさにこれが日本村社会の掟であると。
 彼が川崎の下請け会社で働いていた時、ほとんどの労働者は会社から不当に扱われてもサービス残業を押しつけられも文句を言わない、労働現場でケガをしても労災にしてもらえない等など、「泣き寝入り」がほとんどであった。たまに骨のある労働者が文句を言ったり、労働基準監督署に訴えたり、裁判闘争に持ちこんだりすると、会社はその労働者を徹底的に叩いて村八分にしてしまう。そうしたことが日本社会では日常的に行なわれているが、それが問題にならない。
 下請け企業労働者の実態がどれほど過酷なものなのか、日本のマスコミはほとんど知らせようとしない。下請け企業の複雑な実態は隠されたままで、社会の底辺で何が起こっているのか、大半の日本人は知らない。日本社会はますますモダンになっていくが、それを底辺で支えているのは誰なのか?そこに目をむけるべきであると、彼は指摘している。
 その彼が、最後まで納得できなかったのが「残業」問題であった。日本では残業が慣習化しており、いったい何時になったら帰宅できるのか、それがわからないで働く事が一番つらかったと言っている。
 そして、日本の労働者に「自分たちの労働がもたらしたその豊かさを活用して、生活を楽しむことを学ぶべきでしょう。有給休暇はきちんととり、自由時間は自分でつかって、教養を高め、旅行をして、世界に目をひらき、世界の人たちと情報を交換しあうことが大切です。こうして、人間としての大義のために活動し、また貧しい国の援助にも積極的に取り組んでいくべきだと思います。これが私が一番伝えたかったことです」と彼は述べている。
 彼が危惧したように、現在の日本社会はますます閉鎖社会の度合いを強めている。日本村社会の掟を破ろうとする日本人や在日外国人や政治難民に対しても徹底的に叩こうとする。あの「イラク人質事件」の関係者に対する猛烈なバッシングがその一例であろう。
 今話題になっているライブドアの堀江氏に対するバッシングも、そうした面があると思っている。確かに、堀江氏も日本社会では「勝ち組」の資本家であり、フジサンケイグループの資本家と同じ穴のムジナの特権階級であろう。従って、私たちから見ればあくまでも旧経営者タイプと新経営者タイプとの間の闘いにすぎない。
 しかしながら、堀江氏のプロ野球球団買収騒ぎの時も、結局は「楽天」が登場してきて堀江氏は敗北、今度のフジテレビ買収騒ぎでも、結局は「ソフトバンク」が登場してきて、堀江氏の旗色が悪くなり始めている。「勝ち組」として日本村社会の掟を破ろうとする堀江氏も、やはり「出る杭は打たれる」それを感じさせる日本村社会である。(若島三郎)     案内へ戻る


NY原油高騰の原因と背景

 四月上旬、ニューヨーク原油価格は、三月にOPEC(石油輸出国機構)総会で増産を確認したにもかかわらず、一バレル=五七ドルを突破した。そして、昨年一〇月の史上最高値を更新したと思いきや六〇ドルを超えようとするまでに高騰した。
 今回の原油先物相場の値上がりは、ニューヨーク商品市場に、大量の投機資金が殺到した結果であり、投機資金が大量買いに入るのは、中国の石油需要の急増が背景にある。
 三月のOPEC総会では、現行生産枠(イラクを除く一〇カ国で日量二千七百万バレル)をただちに同五十万バレル拡大するとともに、高騰が続けば五月からさらに同五十万バレルの追加増枠が決めた。しかしOPECが最大限百万バレル増産した場合、原油の「生産余力が失われ」、予想外の供給中断に柔軟に対応ができないとの懸念が強まるという。なぜなら、OPECの中でサウジ以外の増産可能な産油国が現実にはない。また非加盟の産油国の中で最大の潜在増産力を持つロシアは、カスピ海地区、東シベリアでの油田開発が進行しているが、開発は順調とは言えない。いずれも規模こそ大きいが、採掘した原油を世界市場に供給する輸送施設建設の問題点といえば、輸送距離が数千キロと長大なことと工事そのものが難工事であることである。こうした要因があるなら高騰も避けられない。
 一方、原油高にもかかわらず、世界経済への影響は今のところ深刻ではない。IMF(国際通貨基金)によると、二〇〇五年の世界経済成長は四・五%となり、好不況の分岐点といわれている三%を大きく上回る見通しだ。このため、OPECは、原油価格がもっと高くても大丈夫と踏んでいるかのようである。
 実際、世界の石油需要も旺盛である。IEA(国際エネルギー機関)は、〇五年の石油需要を、日量八千四百三十万バレルとして、昨年を同百九十万バレル上回ると予測しており、特に、今年第4四半期は、同八千六百十万バレルになると見込んでいる。
 さらに、ここ数年、需要拡大のペースが加速度的に速まっている事実がある。中国の石油消費量は、九五年の日量が、〇四年には倍増して六百四十万バレルへになったが、国内生産は、三百四十万バレルであることから、石油輸入は日量三百万バレルにもなる。このように需要増の中心は中国なのである。
 アメリカは、世界全体の石油消費のほぼ二四%を占めダントツの第一位だが、中国も九%と日本を抜いて第二位なのである。そして、中国の経済成長率は、八〜九%と高水準だが、石油消費の伸び率は、経済成長率の半分が国際的な標準とされるいるにもかかわらず、年率六%前後とかなりの高水準である。
 またインドも同様に石油消費が急増している。こうした世界情勢が原油高の背景にあることを知っておかなければならない。だからこそ投機資金が跳梁しているのである。
 今後の輸入増対策のため、中国は、(1)CNPC(中国石油天然ガス)、SINOPEC(中国石油化工)などが権益ベースでの海外生産拡大(2)輸入ソースの多元化(3)自動車の燃費効率の改善や石油税賦課(検討中)による需要抑制(4)代替燃料開発(5)戦略石油備蓄(08年までに35日分)(6)国内原油生産の拡大――の6つの政策をとっている。
 しかし、中国のこうした海外権益の拡大策は、米国や現実に石油の掘削を巡って緊張関係に突入しつつある日本とのあつれきを強めることは必至であり、今後とも原油価格の高騰を現実性させる要因となることは明らかなのではないだろうか。      (直記彬)


教育基本法を変える? なんでだろう〜Q&A12

12 教育基本法を変えることは、憲法「改正」と関係あるの?
 憲法9条があるために、海外派兵はしないとか、他国を攻撃するための武器は持たないなど、自衛隊の行動にはいろいろな制約があり、政府もそれをしぶしぶ認めていたのです。
 しかし、1990年代になって、湾岸戦争をきっかけに自衛隊の海外派兵が行われるようになりました。いま有事法制が成立し、いよいよ自衛隊が国内や海外でほんものの戦争をやることになります。ほんものの戦争をやるためには、いよいよ憲法第9条がじゃまになります。そこで、2000年から国会に憲法調査会がつくられ、憲法「改正」にもっていこうとしています。
 また戦争をするためにはどうしても兵隊が必要です。そのためには子どもたちをお国のために喜んで戦争に参加する兵隊に仕立てあげなくてはなりません。1999年の国旗・国歌法もそのしかけの一つでした。子どもたちに国防の義務を教える「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書も登場しました。けれどもその教科書は、平和を願う多くの市民が強く反対したため、ほとんど採用されませんでした。そこで戦争をやりたい政治家たちは、「つくる会」教科書だけでなく、すべての教科書が戦争を賛美し、国防の義務を書くように、教育全体のしくみを変えようとして、教育基本法を「改正」しようと考えたのではないでしょうか。ですから答申には、平和とか人権とか主権者などの言葉はほとんど出てきません。ここには教育基本法「改正」と憲法「改正」との深いつながりがあります。
 教育でここまで国家への奉仕を強調するのは、いまの世界では異常です。アジアの人々は、日本がまた戦争をする国になろうとするのかと批判の目でみています。イラクへの無法な戦争にたいしては全世界で大きな反戦運動がおこりましたが、そのなかでアメリカを支持した数少ない国の一つが日本です。その日本政府が「戦争のできる国」づくりのために教育基本法を「改正」するのなら、無法な戦争で多くの人々を殺す側に立つのかどうかが世界のなかで問われることになります。(子どもと教科書全国ネット21・発行)

 憲法では、戦争放棄を謳っているのに、自衛隊は武器を持ってイラクに派兵されています。すでに「改正」を待ちきれず、既成事実でイラク派兵を正当化しようとしています。イラクの復興はイラクの人々の手によって成されるのが、一番良い方法です。アメリカ主導の選挙では、本来の民主的な政治は実現できるはずがありません。私たちに突きつけられているのは、まさに殺す側にたつのか、どうかなのです。黙っていること、行動を起こさないことは、知らぬ間に殺す側に立たされてしまっている、ということです。(恵)


色鉛筆・やさしいことばで日本国憲法

 「世界がもし100人の村だったら」の著者、池田香代子さんの話を聞く機会がありました。ピンクのカーディガンをはおり、おかっぱ頭の彼女は年齢よりも若く見え、とても分かり易い言葉で語りかけてくれました。たったの5分間の朗読でこの村の話が終えるのと同じ様に。
 そもそも、この100人村の話は今から10年前、環境学者の女性が発信したインターネット上でのうわさ話だったそうです。そして10年の間にメールが回り、色んな人からも話は付けたされ注目されるようになりました。英語から日本語に翻訳し出版に至った動機は、イラク戦争で被害にあったイラクの人々の支援金を作るためという素朴なものでした。
 100万円が目標の支援金は、それをはるかに超え、約3400万円もの売上となり納税後の2000万円が日本国内で使われたそうです。まずは、「100人の村基金」を設立し、国内で難民となっている人々(トルコ人、クルド人、中国人)への支援金にも活用されたそうです。一人の女性が思い立ち行動を起こし、数人の賛同するメンバーが支えた運動が、こんなにも共感者を産んでいる! 私は、力を張らずに自然体で講演する彼女を目の前にして、パワーの源を感じずにいられませんでした。
 何から始めたらいいのか、戸惑う人がほとんどですが、彼女からの4つの行動提起は今からでも行動に移せそうでした。@今日の話を5人に伝え、意見交換する、Aメディアを支える(良い記事はほめる、さらに詳しい情報を要求する)、B省エネ、地産地消に努める、C水問題、日本の食料輸入は大量の水も略奪していることに気づく。これなら、1つぐらいだったらすぐに出来そうですね。
 100人の村からはじまり、食べ物編、1000人の村、戦争の作り方など、次々と出版されていたことは、この日はじめて知りました。私が購入したのは、「やさしいことばで日本国憲法」で、もうすぐ誕生日を迎える末娘のプレゼントにするつもりです。表紙をめくると、著者・池田香代子さんのサインと娘の名前。きっと、思い出に残ることでしょう。
 英文憲法を訳し、そこには日本語版に無い、「We」からはじまる憲法の主体が明確になっている点を、するどく指摘する洞察力。憲法が誰のためのものなのか、そして私たちがその条文を知りどう生かしていくのか、生きていく上で最も大切な問いかけを頂いた気持ちです。難しい学者の話よりも、彼女自身の感性からの訴えや呼びかけに、参加した人たちは心動かされたはずです。(恵)


大和市議会「横須賀市の空母の母港返上」を求める意見書を全会一致で可決

 米国軍の世界的再編成、つまりキャンプ座間へのアメリカ陸軍第一軍団司令部の移転問題と横須賀の空母母港化を巡る状勢は、現実に日々刻々と変化しており動いています。
 二月二十二日、「原子力空母配備に反対する決議」が横須賀市議会で全会一致で可決されたことを皮切りにして、三月四日には、葉山町議会でも可決され、座間市議会・逗子市議会と「原子力空母配備反対の決議」が可決されました。最近にない盛り上がりです。この状況を受けて、しぶしぶ松沢神奈川県知事や中田横浜市長も、アリバイ作りのリップサービスとして、原子力空母の配備に反対していく考えを明らかにしたのです。
 これが単なるリップサービスでしかないというのは、中田横浜市長が、横須賀の空母母港化と一体である米軍家族住宅の金沢区六浦町への建設を、早々とやむを得ないと認め、長島逗子市長を公然と裏切る行動に出たことからも明らかです。今、この二人のコンビは、松下政経塾卒業生として、欠ける事なき望月の世として、我が世の春を歌っているかのようです。全くいい気な二人組なのです。
 今回は、大和市と綾瀬市にまたがるいわゆる厚木基地の反飛行機爆音の住民運動の成果として、大和市議会が「横須賀市の空母の母港返上」を求める意見書を、全会一致で可決しました。残念ながら、今現在市議会ホームページに、意見書が公開されていないので詳しい文面が紹介できないのですが、こうした反対運動の着実な広がりを見ると私はうれしくなります。
 横須賀市の市民団体は、「原子力空母配備反対」のステッカーを販売する取り組みを展開しております。私も五枚購入してささやかながら協力しています。(S)


 小さな事柄も大きな事柄もいっしょ≠ノ思えること

 年金と体力の限界から行動範囲がグンとせばまり、足下にある見たくない現実≠フひとつ、ペットが人間の勝手でアウシュビッツ同様の処分のされ方で殺されていくのを知った。殺される直前のイヌ・ネコたちの絶望のひとみと姿を、写真集にされた児玉山枝さんのモノいえぬ動物たちが動物収容所で、そして安楽死≠ナはない苦しみの声を上げて窒息死(ガスによる?)させられていく。そしてそのボタンを押すことを余儀なくさせられる、一応公務員の方々の苦悩をも伝えられる写真集を求めに出かけることを、私は決心した。
 それまでに至らせたのは、3年間寝込みほとんど理性を失っていた母が、ふと心につきさす名言死ぬことは怖くないけど、痛いのや苦しむのはイヤじゃ≠ニいう言葉を残して去ったことにある。また、わが師ご夫妻というのもおこがましい不肖の学生の一人であったが、特に奥方(今はお二人ともこの世にはいない)が息子さんが安田講堂(だったと思うが)に最後の砦としてたてこもった時のことを語られた。(全共闘運動には様々な評価があろう)奥方は(母親)は世間と全共闘の息子との間での苦悩を第一線にあるのは、私よ≠ニまで言われていた。TVでホ−スで水の攻撃やそうした実像の中継を、奥方はとても見れなかったけどご亭主の先生はこれも歴史の一コマだ≠ニジッと目をそらされなかった、という話を奥方の口からうかがった。それは悲しみをこらえつつ、娘の生死のほども定かでない横田ご夫妻の姿とも重なる。
 私は、人々をむしろ励ます山古志村に取り残され必死にじいさんと子犬を守り生き抜いた℃ハ真入りの実話の本はみんなに、私だけはなくなったわが友たち、先輩たちの魂というか思想というか、志を引き継ぐといえば大げさだが、目をつぶりたいとも思う。このもっとも弱いもの言えぬ小さな動物たちの運命というか人災ともいえる現実から目をそらすことは許されぬという、いささか大げさであるが・・・。この写真集をもとに、何がなしうるかを最後の私の実践というか仕事とする、したいという思いで一枚一枚のぺ−ジを、立派な扇町公園の建物の並ぶ片隅で、見入った。
 扉をのりこえて生きることの苦しさ、残酷さをいつまで続けねばならぬのだろうか。山古志村のワン公の生≠ヨの記録と死≠ヨの痛ましいペットたちの記録の二つを抱えて、余生を何ができるか。事大主義の大上段にかまえることの恥じらいをも覚える老境で、人々の支えを待ちつつ最後の仕事を構想(奇異と見えようとも)を実践に移す準備をしている。
 沖縄では肉体が亡ぶとも魂は残るとされ、雲の上のようでも学問上でも宗教学上でも思想≠ヘ残されて見直されていく。いわゆる、それが温故知新≠ニ味もしゃしゃらもない骨がらみの言葉を肉声として、具体的によみがえらせる一つの努力の目標ともしうること、それの一つの企てとして私は喜ぶ。それは人によってそれぞれ努力のあり方は異なるであろうが、その努力の果てにあきらめず℃ぬまで変容を(表現としては)も恐れず持続しつづけていくもの、それが一人一人のもの核≠ニもいえるものであろう事を知った。
 棺桶に片足つっこむような思いでいる。墓でも国家的にもなお続く殺し合い。ロ−マ法王の死≠フ日に記す。      2005・4・3 宮森常子
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