ワーカーズ302・303合併号 2005年8月1日 案内へ戻る
未曾有の規模で広がるアスベスト被害
徹底した保証と対策は労働者・住民の闘いにかかっている
石綿による中皮腫の被害が未曾有の広がりを見せようとしている。
それにしても、許し難いのは、企業や国の態度だ。石綿を使用する企業は、石綿の有害性を知りながら、「代替品がない」「十分な安全対策をとっている」などと言って30年近くも労働者や住民の曝露状態を放置してきた。また国は、企業の言い分をおうむ返ししつつ、使用禁止の措置をとることをさぼってきた。
労働者は早くから、石綿がもたらす健康被害に警鐘を鳴らし、職業病闘争や禁止措置の立法化を求めて闘ってきた。しかし企業や保守政党はこうした声に耳を傾けず、これを踏みにじり、石綿を原因とする職業病や公害を野放しにしてきたのだ。
クボタなどいくつかの企業が石綿被害の実態を公表し始めたが、遅きに失したといわざるを得ない。企業は、石綿被害の深刻さや広大さをもはや隠し続けることがかなわなくなり、また自ら公表に踏み切った方が企業が受けるダメージを最小限に抑える上で得策だと判断して、公表に乗り出したに過ぎない。
政府の行動にも厳しく目を光らせる必要がある。政府への痛手を出来るだけ小さくしたいとの狙いから、「失敗があった」(厚労省副大臣)、「対策を急ぎたい」などとの発言も相次いでいる。しかし他方では、厚労省の官僚トップの厚労次官は「失敗があったとは思わない」などと発言し、厚労相もそれを追認している。また環境相は、この問題を公害として扱うことには消極的な姿勢を示している。
今後も、企業や国の側から被害の実態、行政の不手際についての報告が次々と出てくるであろう。しかし彼らが公表する内容は、この巨大な石綿被害に関わる事実の氷山の一角にとどまらざるを得ない。
職業病や公害などの本当の実態、それをもたらした責任の所在は、被害を受けた労働者や住民自身の独自の解明作業、独自の闘いによってしか明かにしえないことは、水俣、イタイイタイ病、四日市などの公害闘争が雄弁に物語っている。石綿が舞う労働現場がどこにどのくらいあったのか、そこでどのような無防備な状態で働くことを余儀なくされたのか等々を具体的に明らかにし得るのは、その現場を実際に体験し、それ故に日々健康被害の発生に脅かされている労働者以外にはない。
石綿被害の広がりは、公害問題が決して日本資本主義の過去の一時期の問題ではないことを改めて示した。同じことは、労働者・住民の監視やチェックや闘いがない限り、不可避的に発生すると考えるべきである。
バイオ、ナノテク等々から発生する可能性のある新たな健康被害、環境破壊に警鐘を鳴らす人々がいるが、企業や国は真剣な対策をとろうとしてはいない。労働者・住民の闘いで、石綿被害への徹底した対策と補償を要求するとともに、新たな種類の健康・環境破壊の発生を防ぐ必要がある。 (阿部治正)
兵庫発・アスベスト禍を問う
「クボタ」から始まった報道
6月29日、大手機械メーカー「クボタ」がアスベスト(石綿)が原因と見られるがんの一種、中皮腫などの疾患でこれまでに従業員など79人が死亡したことを明らかにした。「神戸新聞」はそのうち78人が尼崎市浜の旧神崎工場に勤務していたことから、その後兵庫県内のおびただしいアスベスト禍を連日報道している。30日の紙面では、この問題を取り組む「関西労働者安全センター」が工場近隣の住民2人がアスベスト禍とみられる中皮腫で死亡したと指摘していること、因果関係がはっきりしないとして「クボタ」は補償する考えはないとしていることなども報じた。
さらに詳しくみると、その深刻さが理解できる。「旧神崎工場では、1954年から75年まで青石綿を使ってパイプを製造、さらに71〜95年には白石綿を住宅建材に利用していた」「伊藤太一・安全衛生推進部長は『国の基準に従って管理してきたが、死亡者が相次ぎ、非常に残念』と話した」「厚生労働省は昨年10月、石綿の製造、使用、輸入を禁止。しかし石綿が原因の疾患は、10数年から40年潜伏期間を経て発症するという」「高度経済成長期に大量使用されていることから、専門家は今後患者が増加するとみている」等々
この一報からすでに、企業の利益優先の姿勢、国の規制の遅れ、そして大多数の専門家≠ニいわれる人たちの沈黙、あるいは加担が透けて見える。「DAYS JAPAN」最新号は「これからの40年間で被害者は10万人に及ぶとの試算もある」(昨年11月に東京で開催された世界アスベスト会議で報告された)と、この問題をこれまで放置してきた企業と国の責任を指摘している。夫をアスベスト被害で亡くし、「中皮腫・アスベスト疾患・患者家族の会」で活動している古川和子氏が「クボタ」報道について、「いままでは労働災害といわれてきたアスベスト問題が、『アスベスト公害』としての第一歩を踏み出した瞬間です」と述べたことを同誌は報じている。
さらに、「公害も労災職業病も犯罪である」と語った田淵宗昭氏の遺稿のなかにある「多くの人の命や健康を奪った企業・国は犯罪者としてその責任を問われねばならない」(「労働者住民医療」16号・1990年7月25日)という、アスベスト問題に対する告発を紹介している。田淵氏は海上保安庁四日市海上本部警備救難課長をしていた68年、石原産業、日本エアロジルの工場廃水垂れ流しを摘発。公害事件で初めて刑事責任を追及し、官業癒着にメスを入れた。
田淵氏は、美濃部都知事時代の東京で日本化学工業のクロム鉱滓投棄を暴き、住民と労災被害者の救済に力を尽くした。その後、行政マンから大学教授に転身。90年には全国労働安全衛生センター連絡会議初代議長に就任したが、同年7月4日転移性肝臓のため62歳で亡くなった。その早すぎる死が惜しまれたが、公害Gメンと呼ばれた田淵氏の名は『田淵宗昭記念基金』として顕彰されている。
なお報告者の今井明氏は、諸外国の動きも紹介しつつ次のように指摘している。「アスベストによる健康被害は1960年代から知られており、83年のアイスランドを皮切りに、ヨーロッパ諸国ではドイツが93年、フランスは98年、イギリスは99年に全面禁止を決定した。『70年代から90年代にかけて年間20〜30万トンを使用していた「アスベスト大国」の日本ではなぜ今まで全面禁止にならなかったのか?』国の責任が問われる。さらに2004年の『原則』禁止を受けて、日本企業がアジア諸国に生産の場を求め、健康被害を『輸出』することもまた、許されてはならない」(同誌5ページ)
アスベストとは何か
それではアスベストとは何か、中皮腫とは何か。一般の国語辞書には「石綿 蛇紋石などの鉱物性繊維」とある。このように、アスベストとは天然に産出する繊維状の鉱物の総称であり、耐熱、絶縁などの特性を持っているので、建材や断熱材として重宝された。問題はその繊維が製品の製造段階や家屋解体時に飛散し、これを吸入すると中皮腫や肺がんなどを引き起こす。まるで劣化ウラン弾被害による体内被曝のようだが、同種の労災に炭鉱労働者のじん肺があり、資本制化の労働の本質を暴くような実態がある。
ちなみに、手元にある切り抜きによると2002年11月7日、横浜地裁横須賀支部において原告勝訴の米軍基地じん肺訴訟判決が言い渡されている。これは米軍基地での石綿作業が原因でじん肺に罹患、雇用主である国の責任を全面的に認めたものである。石綿肺は比較的高い濃度の場合、吸い出してから5年くらいからがんの発生が見られ、最大で20年から30年の潜伏期間があるといわれている。悪性中皮腫は比較的低い暴露量で起こり、潜伏期間は20年から30年、40年に及ぶ。静かな時限爆弾≠ニ言われるゆえんである。
なお中皮腫とは、「体の内壁と内臓のすき間を袋状に覆う胸膜や心臓、腹膜などをつくっている中皮細胞にできるがんで、大半が胸膜に発生する。大量の胸水がたまるため息苦しく、痛みを覚える」(7・16「神戸新聞」、神戸労災病院大西副院長に聞く)というもので、多くは発症後、短期間で死に至る。
しかし、これらの労災認定において問題となるのは、中皮腫の43%で、医師が「仕事でアスベストにさらされた可能性はない」と労災を否定する判断を示している事実である。これは厚生労働省中皮腫研究班によるもので、中皮腫の診療経験が浅い医師も多く、問診や中皮腫への認識が不充分だったため医師が労災の可能性を見落とした疑いが強いということである。
アスベスト被曝の実態
それは「クボタ」のような生産現場であり、建築や解体の現場などであるが、ピーク時の1974年に年間35万トンも輸入し、3000もの利用法があったということだから、被曝労働はあらゆるところに及んだものと思われる。そこで見落としてはならないのが、港湾荷役現場である。7月14日の「神戸新聞」が、「コンテナ中は死の雪=vという衝撃的な見出しの記事を掲載した。神戸港は全国有数の石綿輸入港で、最盛期の70年代には年間10万トン以上が荷揚げされていた。その労働は「作業中にごみを吸うのは当り前」というものであった。
「手カギで袋を引き寄せるため穴が開き、こぼれた石綿が舞った。三重にマスクをしていたこともあったが、息苦しくて間もなく外した。光が差し込むと、『一瞬天ノ川ができたようにキラキラした』。『綺麗やな』と話したくらい。石綿の危険性は全く知らなかった」「袋を運び終えると、コンテナ内は雪が積もったように真っ白。顔にはマスクの形が残るほど石綿まみれだった」
この報道に呼応するように、68歳の神戸市在住の男性から「30年くらい前は港湾の荷役関係の仕事で扱ってました。貨物船からはしけに積み替えたりするとき、みんな手づかみで作業してましたよ。フォークリフトが巻き起こすほこりもすごくて。昔はよく知らなかったですわ」という声が寄せられている。しかし、予想外の被曝労働は他にもある。尼崎消防局の消防士が中皮腫で死亡し、妻が「石綿を使った建物内での消防活動が原因」として公務災害を申請していた(7月22日付「神戸新聞」)
アスベスト被曝は労働者だけでなく、工場の近隣住民や、「クボタ」労働者の妻が作業服についた石綿を吸って亡くなったという事実もある。さらに深刻な問題は、アスベストを使用した製品がどこにどれだけあるのか実態がつかめていない、学校などの公共施設でもアスベストを除去し切れていない(放置されている?)ことである。底知れないアスベスト被曝、その全貌は闇のなかである。
企業と国の犯罪を許すな!
こうしたアスベストの危険性に対する、国の規制はどうなっていたのか。少なくとも1976年には、その危険性を認識していたことが明らかになっている。それは、旧労働省が同年5月、全国の労働基準局に出した「石綿粉じんによる健康被害予防対策の推進について」という通達で、ロンドンの病院での調査結果を関係資料として引用し、本文では「石綿業務に従事する労働者だけでなく作業衣を家庭に持ち込むことで家族に被害が及ぶ恐れがある」としている。
ロンドンの病院での調査結果というのは、1965年までの50年間に中皮腫と診断された83人中、アスベストとの因果関係があったのは51人で、そのうち9人が家族や親類、11人が工場周辺住民だったというもの。この通達が生かされていたら、今日の底なしのアスベスト禍は起こらなかったであろう。それを出した官僚も、それを受けた官僚も、JR西日本の大惨事のように確実の起こるであろう大被害を予測しつつ、何もしなかったというほかない。
厚生労働省の戸苅利和事務次官はこの通達が生かされなかったことについて、「可能なかぎりの必要な対策は取ってきた」と居直っている。西博義・副大臣の「決定的な失敗」とした見解とはまるで逆の事務次官の発言は、有権者を気にしないで済む高級官僚の図太さ、驕りのよるものか、田淵氏が告発しているように根っからの犯罪者≠フ本性を明らかにしている。
もちろんその背後には日本石綿協会などの利害があり、規制の動きがあってもこれら団体の圧力によって潰されてきた。公害との闘いはいつでもどこでも、発生企業の御用学者を動員した原因否定と、企業優先の政治によって苦難の道を歩まされてきたが、アスベスト禍の告発もまた同じ道を歩んできたといえよう。資本の狡猾は一方でアスベストは安全だと言い、他方で大手損害保険会社がアスベスト被害について免責条項としている。
7月22日付の「神戸新聞」によると、「アスベストが原因で、企業が付近の住民や従業員の家族から請求される賠償金について、大手損害保険会社が1980年半ばから保険金の支払い対象外とする免責契約に切り替えていた」「損保各社は、70年代に米国など海外でアスベストによる健康被害が相次いだため、80年代に入って日本での被害拡大を予想。保険金支払いが急増する事態を回避するため、旧大蔵省(現金融庁)に免責を求め、認可を受けた」「追加的に免責条項を設ける場合には、契約先の企業に通知する義務があり、企業はこの時点でアスベストが損保のリスク負担に耐えられないほどの危険性があることを伝えられていたことになる」
長い引用になったが、結局アスベストの危険性を十分に知らされず、あるいはアスベストを取り扱っていることも知らされずにいたのは、現場の労働者だけだったということを、この損保の免責条項の報道が改めて明らかにした。しかもなお、アスベストを全面禁止するのは2008年となっていたが、さすがにこの方針は前倒しされるようだ。
7月21日、経財産業省と厚労省がアスベストに関連する20の業界団体関係者を集めて緊急会議を開き、「08年を待たずに禁止できるものから速やかに禁止していきたい」という方針を示した。会議では一部の団体から「千度を超える高熱や何千気圧という高気圧の中では、アスベストの代替品を見つけるのは難しい」という意見が出たという。
今後40年間に10万人が発症する≠ニいうショッキングな報告を前に、余りに遅きに失したが、日々新たな報道が続く現在、この企業と国の犯罪を徹底的に暴きださなければならない。アスベスト被害によるものだということを知ることもなく死んでいった多くの労働者の無念、「体の中をスプーンでかき回されるよう」な痛みを訴え亡くなった労働者とその家族の苦しみ、それらすべてに対する償いをさせなければならない。 (折口晴夫) 案内へ戻る
――郵政民営化――労働条件切り下げ競争を規制しよう!――新しい主体形成を展望して――
衆院で5票差で可決された郵政民営化法案の参院審議が正念場を迎えている。法案の可否をめぐる自民党内の攻防も、衆院解散をめぐる双方の疑心暗鬼をはらみつつ最終場面にさしかかっている。
もとはといえば、国民や有権者にとって郵政民営化の優先順位は高くなかった。しかも対中国、韓国などとの歴史認識問題、北朝鮮の核開発や拉致問題、それに国連常任理事国入りなど、対外政策は多方面にわたって行き詰まっている。また内政においても低迷から抜け出せない景気、あるいは年金や福祉の〈改革〉も手詰まりだ。
にもかかわらず、残す任期はあと一年、〈なのに〉ではなく〈だからこそ〉の執念なのだろうか、小泉首相は郵政民営化で突っ走り、衆院解散の可能性もはらみつつ、8月5日にも衆院本会議での採択を画策している。
■再度、民営化の本質を考える
民営化法案については、衆院にとどまらず参院においても民営化の功罪について議論が繰り返されている。それらについてはマスコミなどで連日報道されているが、ここではその本質について再度確認しておきたい。
言うまでもないことだが、民営化とは〈官=国家の論理〉から〈民=利潤原理〉への転換であって、決して国家や企業のための郵政事業から庶民や労働者のための郵政事業への転換ではない。
賛成派の主張を聞いていると、民営化しなければ郵政事業は破綻する、民営化すればうまくいく、という。逆に反対派の主張を聞いていると、何か民営化はすべて悪であり、国営郵政事業であればすべてよいかのように聞こえる。しかし国民・利用者や郵政で働く労働者の側からみれば、それぞれ性格は違いがあるにしても、それぞれ問題点や弊害があるのが実情だ。
これまでの〈国家の論理〉を土台とする郵政事業では、〈あまねく公平〉な〈全国均一サービス〉が〈建前〉としては確保されてきた。が、反面では膨大な郵貯資金を元手にした政策金融や事業特殊法人を舞台にした利権システムをはじめとして、官僚の無責任体制、世襲の特定局長制度や郵政ファミリー企業に象徴される利権構造を温存してきた。さらには郵政部内の労使関係としては〈スト権の否定〉や〈特別権力関係〉という〈命令と服従の人事・任用関係〉を労働者に押しつけてきた。
それが民営化すれば官の肥大化や利権構造は民間企業に付け替えられ、労使関係も法的には半封建的な労使関係から解放される反面、利潤原理による郵政三事業サービスの切り捨て、あるいは雇用や労働条件の切り捨てへの規制も解除される。
どちらにしても、国民・利用者や労働者にしてみれば支配関係と利害関係が再編されるだけのことで、決して事業運営の主体や労働条件の決定権を獲得できるわけでもない。だから私たちは〈国家の論理〉からも〈利潤原理〉からも自立した、労働者独自の団結した力に依拠して雇用と労働条件を確保すべきことを一貫して主張してきたわけだ。
■依拠すべきは労働者の自力
なぜそうしたスタンスに立つ必要があるのか。それは郵政事業を取り巻く状況の推移とその変化の中にこそ、その根拠があるからだ。
これまでの経緯を郵政労働者の視点で振り返れば、国有・国営経営形態の中で、あるいは公社形態から民営化への流れの中で郵政労働者の雇用や処遇は劇的に変化、いや悪化してきた。そのターニング・ポイントは日本郵政公社労働組合=JPU(旧全逓)が事業防衛路線を選択した1979年のあの〈10・28確認〉にある。
〈10.28確認〉は、直接的には前年の〈反マル生闘争〉の敗北の結果だが、実際はそれ以前から進んでいたヤマト運輸など宅配会社との企業間競争という現実があった。現にその三年前の76年にヤマト運輸は《クロネコヤマトの宅急便》を考案して郵便小包と旧国鉄小荷物の独占市場に殴り込みをかけてきた。〈10・28確認〉は、いわば労使正常化の名の下に「事業に対する共通認識」を合意したものだった。
「事業にたいする共通認識」というその意味あいは、脅かされつつあった小包や郵便のシェアを労使協調して守っていく、その結果として組合員の雇用を守っていく以外にない、というもので、それは〈事業あっての労働者〉という労働運動に注入された〈労使運命共同体論〉そのものだった。当然のこととして、競争に勝つため、雇用を守るためには、労働時間や賃金あるいは服務編成などでの効率化の受け入れは暗黙の了解事項になった。
当時の全逓としては、宅配会社の労働者と連携して双方の使用者と対決していく、という立脚点に、周囲の状況としても、また主体的な決断としても踏み切れなかったわけで。結果的にも全逓を企業内組合に封じ込めようという郵政省の戦略的な労使関係づくりに取り込まれていった、というのがこの間の真相なのだ。
この時点で全逓はすでに本質的なところで労働者の階級組織であることを止め、企業の太鼓持ち、御用組合に転落したことになる。だから今では郵政族議員や特定郵便局長会など郵政一家の末席に身を置き、そのお先棒を担ぐことでしか、すなわち国営――後者という経営形態と公務員という法的地位によってのみ、組合員の雇用を守るしかすべがないというわけだ。
しかし当然というべきか、〈10.28確認〉以降は、郵便局の統廃合や雇用合理化や服務合理化が相次ぎ、郵政労働者の雇用や労働条件はつるべ落としのように破壊され続けてきた、というのが現実だった。それは国有・国営事業であっても、企業間競争の土台の上では労働条件の切り下げ競争を免れるすべはない、ということなのだ。
かつては郵便が赤字になれば郵便事業の独占を背景に、郵便料金の値上げを繰り返すことで郵便事業は維持できた。しかし企業間競争の現実の前では、料金値上げは競争相手企業のシェア拡大を招き、郵便事業はじり貧に陥らざるを得ないし、雇用も守れない。むしろ料金値上げに頼った事業経営そのものが、宅配便業者の新たな参入を招き、独占が崩れる原因にもなってきたわけだ。
繰り返すことになるが、国有・国営でも独占が崩れれば競合という市場原理が入り込み、労働組合が規制を加えない限りは雇用や労働条件を脅かすことになる。だから先日亡くなったヤマト運輸の小倉元社長が、郵便の民営化よりも郵便法第5条の〈信書の国家独占〉条項の削除を標的にしたのは、労働者には過酷な経営者だったがそれだけ事業者としての戦略眼があったことになる。
たしかに民営化は雇用と労働条件などの改悪につながる限りで反対・阻止していかなければならない。が、郵政労働者としては、〈国有・国営〉であっても〈民間〉であっても、企業間競争を企業の壁を越えた労働者の団結の力で規制していかない限り、雇用破壊や労働条件改悪にたいする歯止めはかけられないことを銘記すべきだろう。
何回でも繰り返すが、雇用破壊・労働条件破壊との闘いは、弱肉強食の市場原理を、企業の壁を越えた労働者の団結した闘いで規制していく以外にないのだ。
■市場原理社会と対峙しよう!
目線を再び現実の民営化法案の攻防戦に移す。
キャスティングボードを握ることになった自民党内の抵抗勢力と小泉首相を中心とする執行部の抗争の構図はといえば、とりあえず与党という特権的な立場を失いたくない大多数の自民党議員を含めて、表面的にみればきわめてわかりやすいものだ。
対抗軸は二つ。一つは郵政族を中心とする公共事業を隠れ蓑にした旧来型利権政治派と構造改革派=市場原理派の抗争であり、もう一つはポスト小泉を視野に入れた政略としての党内抗争だ。
もっとも郵政民営化を推進してきた小泉首相は、構造改革を掲げながらも政権についてからというもの、道路公団の民営化にしても今回の郵政民営化にしても、旧田中派以降の橋本派つぶしに執念を燃やしてきた。いわば今回の郵政民営化は、小泉による橋本派の最終的解体、とどめを刺す、息の根を止める攻撃でもあるわけだ。それを考えれば国民・有権者の期待がそれほど高くない郵政民営化に血道を傾けるというのは、郵政改革を人質にした政略そのものであって、私たちが追求すべき利用者や労働者のための〈構造改革〉とは無縁のものだ。国民・有権者の支持が集まらないのも、そうした政略自体が見透かされているからでもある。
他方で郵政民営化法案にこぞって反対している野党はどうだろうか。
共産党や社民党は結局は旧来型の〈大きな政府〉論の立場からの反対だが、ここではその問題については触れない。民主党は小泉首相からも隠れ賛成派がいっぱいいると揶揄されているとおり、今回は投票行動では反対で結束しているが、それは政権奪取という政略優先でのこと。一皮むけば官僚出身議員や松下政経塾出身者など民営化賛成派も多い。国会総体でみれば、衆院で5票差で可決したといっても、実態としては民営化賛成派が多数派を形成していることは否定できない現実だ。ということは仮に今回は民営化法案が葬られても、中期的にみれば自民党と民主党という二大政党政治での攻防戦の局面で、再度同じような法案が出される可能性は高い。だからこそ、現在の反対派の論拠に依拠しない、労働者の独自のスタンスを確立すること、その上に立った労働者としての主体的な闘いが重要なのだ。
■切り捨てられる人々の結束で!
先ほど〈表面的にみれば〉といったが、その表面を一皮むけば、そこには改革派と利権派の抗争と言うよりも、利権構造そのものの再編成という実相が浮かび上がる。
かつての郵貯事業や郵便事業は、郵政事業は相対的に市場原理から独立した国策だった。それらが富国強兵のための資金作りや軍事郵便制度など国家の必要性を土台として生まれたことでも明らかだ。それ以降、国策や公共性を隠れ蓑として、巨額の郵貯・簡保資金に寄生した膨大な政策金融や事業特殊法人を土台とする利権システム、あるいは郵政官僚と郵政族議員、それに特定郵便局長らによる郵政一家が形成されてきたわけだ。
他方、郵政民営化は現時点では高コスト体質の打破を掲げる財界の総意になっているし、銀行業界や米国生保会社なども郵貯資産の開放圧力をかけている。ねらいは周知のように巨額の郵貯資金などを〈政策金融〉から市場原理のただ中に奪い返すことにある。そしてこのことは同時に、これまでの国家の論理の一面の正統性を担保してきた、資本主義社会の直接的な果実から排除されてきた社会的弱者、過疎地、高齢者などへの所得や給付の再配分構造を切り捨てることでもある。それは各種所得控除の廃止による勤労者世帯への負担拡大とも連動している。
問題はそうした再配分構造の放棄は、支配階級にとっても諸刃の剣になるということだ。現状はといえば、確かに労働運動や市民運動などの低迷が続き、再配分構造を放棄しても支配構造が危機にさらされることはないという支配階級なりの判断なのだろう。
それにかつての伝統的な自民党の政治構造はといえば、自民党田中政治以降の土建政治に象徴される護送船団方式や利益再配分による政官業の利益配分政治だった。が、それでは利権政治や利益再配分での高コスト構造の打破をもくろむ財界の要請に応えられない。小泉首相が推進する新自由主義的な構造改革は、資本主義社会の中で取り残された、あるいはしわ寄せを受けてきた部分を所得の再配分などで取り込んできた構造が維持できなくなってきた結果であり、それだけ日本の支配構造に余裕がなくなってきた結果でもある。だからそれは労働者や社会的弱者の批判の矛先が財界や政府などに向けられるようになるかもしれない〈パンドラの扉〉にもなりうるだろう。だから支配階級にとっても冒険でもあるには違いない。
逆にみれば、自民党内部の根強い抵抗派の存在は、それだけ所得や利益の再配分体制を担ってきた自民党の利権政治への根強い需要の現れを背景にしているわけだ。しかしそうした需要は、これからは自民党に向かうことでは満たされない時代に入ったということだろう。(廣)
「衆院解散」を巡る〈珍妙〉な論理――議会制民主主義の虚構――
◇いま自民党内部を中心に、参議院で民営化法案が否決された場合の衆院解散の是非について議論が飛び交っている。されている。反対派は〈脅しだ〉〈憲法違反〉だとし、首相の解散権の発動を牽制している。他方首相をはじめとする執行部は、否決は衆院解散による〈政治の空白をつくる〉として否決を牽制している。この攻防戦がどれだけ衆院解散―自民党の分裂選挙―自民党敗北―民主党政権の誕生、あるいは何らかの政界再編につながるか、それに双方にそれだけの決意がほんとにあるのか現時点ではわからない。が、ここでの関心はこの議論に現れた議会制民主主義の本質に関わる問題だ。
◇各参議院議員は何を根拠に民営化法案への賛否の態度決定をするのか、参院議員一人一人の態度決定が何を根拠に行われるかを覗うことで、議会制民主主義という〈代表制〉の本質も浮かび上がってくる。新聞のアンケートなどによると、建前としては国民・利用者のためだとか郵政事業の将来を見越してなどといっている。が、実際は利害関係者の意向に左右されているのが実情だ。一方は集票活動を担う特定郵便局長、他方は財界・銀行だ。それ以上の本音は代議士という特権的な地位を失いたくない、という保身が一番なのだろう。その他には〈閣僚ら政府側との人間関係〉とか〈周りを見て決める〉という議員もいた。さもありなん。選挙での主権者の負託はあくまで〈白紙委任〉なのだから……。
◇また衆院解散は〈政治の空白を招く〉とか〈分裂選挙になる〉〈自民党が負ける〉などという話も出ている。あきれた論理だ。
衆院解散・総選挙による民意の政治への反映が、なぜ政治の空白になるのか?なぜ政治の混乱になるのか?むしろこの一年の民営化論議の迷走を考えれば、国政の重要案件に国民・有権者の声を反映することこそが明確な転機になるというものだろう。まあ郵政民営化が現時点での焦眉の大問題だと仮定した上でのことだが。ともかく有権者無視の自民党議員の感覚はこの程度のものだ。といっても、市町村の統廃合の住民投票をやるかどうかでの議論でも〈住民投票は住民の結束を分裂させる〉だとかの自治体議員の珍妙な声もあったが……。
◇自民党内部の議論は、だから議会制民主主義、代表制の建前からしても逆転した議論でしかないし、また議員自身の保身を優先した手前勝手な議論でしかない。いや、それとも議会制民主主義とは、建前ではともかく実際には主権者であるはずの有権者がかんじんの場面では意志決定の埒外におかれるトンでもないシステムだったりして……。(廣)
郵政職場から
罪を罰するだけでいいのか!
職場環境を改善するのは職場の労働者の団結した力、労働組合の責務である!
郵政公社の郵便配達職場で、郵便配達員による郵便物隠匿事件が相次いで起こっている。
隠匿した職員は、配達しきれない郵便物を、職場内の自分のロッカーに隠し持っていたとして、郵便物隠匿・窃盗事件、刑事事件として取り上げられ、即刻、懲戒免職処分である。
郵政公社は、こうした犯罪事件を防ぐために、コンポライエンス「法遵守」の実施、ロッカーや持ち物検査などの監督・監視の強化と処分等の厳罰主義を行っている。
しかし、こうした隠匿事件は後を絶たず、増加する傾向さえ示している。
郵政公社は、民営化の中で、効率化を進めるために大量の人減らしを行い、職員のアルバイト・パート化を進めている。
郵便配達現場も例外ではなく、雇用契約はいずれも4〜5時間の短時間で雇用され、従来一人で受け持っていた配達区を2〜3人で行うという形式に変わっている。
職場には多くの人員はいるのだが、正規職員はわずかで多くはパートや短時間職員である。人事交流制度という配置換えもあって、当然人の入れ替えは激しく、長期雇用者は少なく、ベテラン職員は減少傾向である。
受け持ち区域も、増加する住宅事情は棚に上げ、数年来変わってはいないので、配達しきれない地域もあり、残業・超過勤務が恒常化し、一日の雇用契約が4〜5時間が正規職員より多い8時間以上になる者もでている。しかし、この残業代を減らすために超過勤務の多い職員には問責をするなどの処置もしているところもあり、配達しきれない郵便物を昼休みに配ったり、朝の勤務時間前着手も日常化している。
「犯罪を起こせば自分が損をし、不幸になる」といって、盛んにコンポライエンスを強調する郵政公社だが、犯罪者を作っているのは郵政公社そのものといわねばならない、
罪を罰するだけでは犯罪はなくならない。
こうした職場環境を改善し、労働者が余裕を持って働ける状況を作らない限り、こうした事件はなくならないだろう。 郵政労働者「M」
郵便内務事務のアウトソーシングに抗して
現在国会で郵政民営化論議が行われているが、職場では様々な郵政公社当局による施策が導入され、私たち現場労働者はしんどい思いをしている。殺人的な深夜勤、大幅な減員、自爆営業、当局に逆らう者への制裁研修、・・・・・。
このような中、東京の牛込郵便局では郵便内務事務のアウトソーシング試行対象局に指定されました。これに抗する牛込郵便局労働者へのメッセージを、JPU(旧全逓)名古屋南部地方支部が出しました。
それをここに転載します。 (河野)
WEBめいなんより通信より 「職場がなくなる!」
「アクションプランフェーズU」でうちだされた新施策「郵便内務事務のアウトソーシング」の試行対象となった牛込局の労働者のみなさんの悲痛な叫び。この「実験」によって郵便課50人のうち、なんと7割にあたる35人が減員となるのです。この「丸投げ」は雇用がなくなるのはもちろんのこと、本務者だからこそ蓄積できたその局での特殊性や技術性・熟練性をともなった作業は無に帰すこととなります。昨今の非常勤の確保の困難性からしても、アルバイトで雇用されることが容易に予想される委託会社の職員が現在の職員と同等の水準を維持できるとは考えにくく重大なサービス低下ももたらしかねません。
このかん10時間連続深夜勤で健康や命さえ削りながら「痛み」に耐えてきた内務職場。「フェーズUの各施策が導入されれば、「アウトソーシング」によって職場はなくなり、配転先には「フェーズU」のもう一つの新施策「10時間2交代制勤務」で12時間拘束の職場が待っている。それにとどまらず「ヒューマンリソーシズ」によって内・外の垣根を取っ払われた人事政策によって、やったこともない集配業務を「配達デポ」「2ネット」といった長年の蓄積のある外務労働者にとっても極限まで追い込まれている職場に行かされることもあり得ます。こうしたことを考えれば、けっして、内務だけ、外務だけ、あの局だけなんてことはあり得ないと思います。名南支部は牛込局における闘いを全ての郵政労働者の将来に関わる闘いと受け止めここに激励と連帯のメッセージを送るものです。
「郵便内務事務のアウトソーシング」の導入に抗している牛込局の郵政労働者のみなさんへ
2005年7月5日 JPU名古屋南部地方支部執行委員会
「週間金曜日」に掲載されていた記事を読ませていただきました。先に行われたJPU第60回全国大会の議案では、「郵便内務事務のアウトソーシング」は「大会以降、その取扱いをふくめ慎重に検討・判断を行うこととします」とありました。しかし、「週間金曜日」の記事内容を見たときJPU本部の言い分とずいぶんとギャップがあることを感じざるをえず、郵政公社当局は実験局(牛込局)の指定や民間委託会社の選定も進んでいるようです。全国大会のときに元本部役員から「アウトソーシングの委託会社にキァリアが天下るぞ」との話しを聞いています。“委託会社にキァリアが天下る”施策が実験ですむはずもなく、トヨタ生産方式をまねた「JPS」も実験局=越谷局の悲惨な現実があったにもかかわらず、全国展開に強行にふみきり、昨年の年末始繁忙では業務を混乱させ、労働者への極限までの犠牲転嫁で乗り切ったのは6ヶ月前のことです。そして日々の業務運行もすべての職場で“欠員状態”の中で、労働者に超勤・廃休などを強制し乗り切っているのが郵政公社当局です。この現実の上にアクションプラン・フェーズUを強行し、特に効率化施策といわれる「郵便内務事務のアウトソーシング」「郵便内務の12時間拘束二交替制勤務」「集中処理局と配達専門局の機能分離の郵便ネットワークの再構築」の新規施策と「配達デポ方式」「2ネット方式」「物数減に伴う要員配置の見直し」は、どれをとっても郵政労働者は受け入れがたいものです。ここには、郵便局で働く労働者にとって雇用不安、生活不安がますもので「将来がない」ものばかりだからです。
私たちはJPU名古屋南部地方支部執行委員会は、「郵政民営化」には絶対反対!です。しかし、その背後で郵政労働者を過労死、過労自殺、精神疾患、早期退職に追い込んでいる郵政公社当局の労働強化、労務管理強化の体制・諸施策は絶対に許せません! 牛込局での「郵便内務事務のアウトソーシング」などの効率化の試験実施は、「週間金曜日」の記事どうりそこで働く者を雇用不安、生活不安に落としこみ、今後全国の郵政労働者を同様の不安に、いやすでにこの計画を聞いた瞬間に同様の不安を抱いています。牛込局でのビラ配りや集会のことを記事で見て、その内実は苦難の連続であることは同じ郵便局の職場に存在し多くの問題意識を持つ者として敬意を表します。そして牛込局での闘いは、郵政公社当局の押し進める効率化施策の実験局として全国の郵便局のなかでも先駆的な意味を持っているものであり、その意志は私たちはJPU名古屋南部地方支部のみならず全国の郵政労働者を勇気づけています。今後、いやすでにあるかもしれませんが労働組合上部機関から圧力がかかる可能性がありますが、全国大会での決定通り、検討をすべき段階です。郵政労働者の将来に関わる闘いであり、牛込局の郵政労働者だけの闘いではないにもかかわらず、今日の労働組合の現実は牛込局の郵政労働者を孤立化させていると思います。私たちではなんの力にもなれないかもしれませんが、せめて私たちの意志だけでもと思い「激励・連帯メッセージ」として送らせていただきました。“JPU”の理念である“ピープル・ファースト”の職場段階における実践として、アクションプラン・フェーズUの郵政労働者を雇用不安、生活不安に落としこめる効率化の試験実施に反対し、郵便局の職場の悲惨な現実を打ち破り、「人間らしく生き・働く」ことをめざして共にがんばろう!
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「コラムの窓」
町村外相の問題発言−−軍隊があるから平和が保てる
また沖縄では、日本政府への失望と怒りがうずまいている。
7月17日、沖縄では10年ぶりの「緊急抗議県民集会」が開催された。金武町にあるキャンプ・ハンセン内レンジ4に、米軍の都市型戦闘訓練施設がつくられ、7月12日より陸軍グリーンベレーによる実弾射撃演習が強行されたことへの抗議集会である。
実弾演習をするこの都市型戦闘訓練施設と、住民が住む伊芸地区はたった300メートルしか離れていない。また観光バス等が走る沖縄高速道路にもたった200メートルしか距離がない。それた実弾がいつ飛び込んでくるかわからない危険な距離で、金武町民はこれまでキャンプゲート前で抗議行動を続けてきた。
県民集会では、「訓練強行に県民の怒りは頂点に達している。政府は米国の言いなりで、ただ『安全』と繰り返すばかりで納得いく声明をしていない。沖縄だけへの負担の押しつけはもはや我慢できない」と日本政府を強く批判し、稲嶺知事もデモの先頭に立ち、自民党関係者も参加する超党派の1万人県民集会となった。
そして、沖縄県民がさらに強く反発する出来事が起こった。国会での町村外相の性暴力被害者に対する問題発言である。
ことは、過去(20年前に当時17歳)に米兵による性暴力を受けた沖縄女性が、7月3日の米兵による女児わいせつ事件を受け、「こんな事は許せないと思った。県民の側に立ち命を守ってほしい」との思いから、思い切って稲嶺知事につらい過去を手紙で打ち明けて基地撤去を直訴した。
次に紹介するのは彼女の手紙の趣旨内容である、「1995年9月に起こった米兵による少女暴行事件から10年、去る7月3日、またもや米兵による少女に対するワイセツ行為事件が起こりました。いったいいつまでこんなことが続くのでしようか、いったい何人の女性が犠牲になれば、気が済むでしょうか?・・・・わたしたち『被害者』が、『沖縄人』がいったい何をしたというのでしようか。基地があるというだけで、朝から子どもを外に遊びに出すこともできないことが、わたしたちの望む沖縄の姿なのでしようか。米兵たちは今日もわが物顔で、わたしたちの島を何の制限もされずに歩いています。仕事として『人殺しの術』を学び訓練している米兵たちがです。稲嶺知事、1日も早く基地をなくしてください。基地の県内移設に『NO』と言ってください。事件の多くは基地の外で起きているからです。沖縄はアメリカ・米軍のために存在しているのではありません。1日も早いご英断をお待ちいたしております。」
この問題を沖縄選出の国会議員が衆院・参院の各委員会で取り上げて、町村外相に質問をした。これに対し町村外相は「被害者の心情は率直に受け止めなければならないが、彼女の手紙に『人殺しの術を生業とする』という表現がある。軍隊の持つ一面かもしれないが、同時に、米軍、自衛隊があるからこそ日本の平和と安全が保たれている、その側面がすっぽりと抜け落ちて、それには一切触れず、ただそのある一面だけをとらえて物事を決めるということは、やはりバランスの取れた考え方ではなく問題だと思う」と述べ、被害者のつらい思いを切り捨て、人権より軍隊の存在こそが絶対であるとの軍隊賛美の発言をしたのである。
はたしてまともなことを言っているのは町村外相なのか、それとも彼女なのか?読者の皆さんはどう思われますか?
私は彼女の主張はまともで、沖縄の人々の思いを代表して述べていると言える。指導的立場の人に対してなんとか解決してほしいとの思いを切々と述べた内容である。沖縄で私たちのような性暴力被害者がいつまで続くのか?また米軍基地はいつまで続くのか?私たち『沖縄人』が悪いのか?軍隊とは人殺しを訓練するところではないのか?等々。事実彼女は襲われた米兵から、「I can kill you」と繰り返し言われながら暴行を受けて、本当に殺されると思って耐えたという。
米兵から性暴力を受けて立ち直ろうとしている沖縄女性に対する思いやりもなければ、その女性の素朴な疑問に対しても、政府の責任ある外相は何一つまともな説明もしないで、軍隊のおかげで日本の平和が保たれている、だから国民は我慢しなさいとお説教しているのにすぎない。
これが今の日本政府の姿でありレベルである。人々の痛みと要望を責任をもって解決しようとしない政府はもういらない。軍隊があるから平和を保てるのではなく、軍隊があるから戦争が起こり拡大していくのである。昔も今のイラク戦争もそうである。(英)
人民元切り上げの背景とその意味
人民元切り上げの背景
とうとう人民元が切り上げられた。具体的には、切り上げられただけでなく、ドルペッグ制から通貨バケット制へと移行したのである。
このことは「既定」のことではあった。過去何回かのサミットで具体的に指摘されており、この五月のサミットでこそ何の指摘もなかったものの人民元が切り上げられることは必至の情勢であった。
そもそもの原因は、中国経済の急成長にともなって世界的にも輸出が拡大し、中国側に大きな貿易黒字がでる一方、米国などの対中貿易赤字が拡大し続けたことにある。日本でも話題となったユニクロ旋風を思い起こして欲しい。今年第一・四半期のアメリカの貿易赤字は、一七一七億五七00万ドルだが、対中国赤字は、その内のほぼ四分の一を占めている。これにともなって、一方のアメリカ議会や産業界では人民元のレートが不当に過小評価され固定化されており、そのため中国製品が安く輸入されているからだとして、中国に為替制度の改革と人民元の切り上げをせまる圧力が強まっていた。他方の中国でも、ペッグ制による人民元の対ドル相場を維持するため、巨額のドル買い介入を続け、そのため六月末の外貨準備高は前年同期比五一・一%増の七一一0十億ドルにのぼっていた。また、人民元切り上げを狙った短期資金が、中国市場にも流入して、不動産投機を加熱するなど、中国にとっても対策が必要になっていた。
五月一七日、アメリカ財務省は、議会への報告書で、為替「改革」を行わなければ「為替操作国」と認定すると警告し、中国に切り上げを強く迫まった。
これに対して、中国政府は、表向きは「外圧には屈しない。条件が整えば自主的に為替制度を改革する」(温家宝首相)との立場をとっていた。しかし、米国などの圧力には「主権の問題」と反発しながらも、中国は中国の事情として、実際には国有銀行の立て直しなど国内環境の整備状況をみて、人民元切り上げの時期を模索していたのである。
これが今回の八月実施の予想を裏切った形で切り上げに至る大きな背景である。
この間のアメリカと中国のやりとりを暴露する。
五月二四日付けの英フィナンシャル・タイムズ紙 は、第一面で、アメリカ議会で保護主義的法案が成立するのを防ぐため、アメリカ財務省が中国当局に対して、人民元相場を最低でも一0%の規模で調整するよう通告したことを伝えた。それによると、アメリカ政権の動向に詳しい筋の話では、アメリカ政府は、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官を含む非公式特使を通じて、最低一0%という目標や米議会による警告の重大さ、迅速な対応の必要性について、中国側に訴えかけ、さらにキッシンジャー氏は、アメリカ財務省から、最低一0%という目標とともに、人民元を現在の対ドルペッグ制から対ドルバンド制ないしは通貨バスケット制に移行させる必要性について説明を受けていたという。
やはり非公式特使の役割を担ったアメリカ・シティグループの上級副会長ビル・ローズ氏は、 中国政府との協議についてはコメントを差し控えたものの、「外的圧力は別として、 中国が今後数カ月以内に資本勘定の開放を加速したり、市場金利制度や、より柔軟な 為替制度に向けて動くことは、同国の国益になると思う」と述べたとも同時に報道されている。
一方、アメリカ財務省報道官は、最低一0%という目標についてコメントを控えたが、中国も五%程度切り上げを考えたとのことだか、中国経済の失速を押さえるため、今回の切り上げになったことをどのように評価しているのであろうか。
切り上げの意味
七月二一日、中国人民銀行は、人民元の切り上げと「管理された変動為替相場制」に、即日移行すると発表をして、即日実施された。
このことにより、従来一米ドル=八・二八元前後に固定されていたドル・ペッグ制度が終わり、同日午後七時から、人民元は一ドル=八・一一元に、約二%ほど事実上切り上げられた。
中国が今回導入した為替制度は、「通貨バスケット制を参考に調整し、管理された変動相場制」だとしている。「管理された変動相場制」とは、変動制のもとで、通貨当局によって管理される為替制度だが、それは変動制のもとで相場が乱高下すると、貿易取引や経済活動に混乱が生じるので、変動幅を一定の範囲にとどめる管理を行うというものだ。
具体的に言えば、人民元とドルの相場は、基準値の上下0・三%の幅の変動にとどめられ、ドル以外の通貨の場合は、上下一・五%の幅で変動するというものだ。
この管理にあたっては、中国人民銀行(中央銀行)は、毎日当日の銀行間取引の終値を公表し、これを翌日の基準値とするのだという。
具体的に説明しておこう。切り上げ当日七月二一日午後七時(日本時間同八時)の人民元と米ドルの相場は、一ドル=八・一一元に調整された。従来は、一ドル=八・二七六〇―八・二八〇〇元の範囲に固定されていたため、約二%の人民元切り上げということになった。この相場が翌二二日の基準値となり、二二日には、一ドル=八・一一一一元と、わずかに人民元安となり、これが二三日の基準値となる。中国では、毎日毎日、これを繰り返すのだという。
そして、こうした人民元の変動は、「通貨バスケット制を参考に調整」して、決まりとは何か。通貨バスケットとは、複数の外国通貨を入れた、例えてみれば「かご」です。そして、それらの通貨の加重平均を一つの通貨のようにみなして、それと人民元を連動させるというものだ。
例えば、ドルとユーロが五0%ずつのバスケットを想定すると、ドルがユーロに対して一0%上昇しても、人民元は、バスケットのなかの比率に連動するため、ドルに対する下落の幅は半分の五%となる。ドルと直接連動している場合は、一0%の下落だから影響は少ない。中国がこれを選択したのにはこのことがある。実際には、こんなに単純な話ではなく、そもそも中国の通貨当局も、どんな通貨がどんな割合で入っているかは明らかにしていない。また、変動を小さく抑えるため、従来と同様に、ドル買い人民元売りの市場介入を行うのか、行うとすれば、どの程度の規模なのかも、一切明らかにはしていないのである。
したがってこの点に注目するなら、中国が導入した「通貨バスケット」は、その中身によっては、中国のドル離れが進むとの指摘は正しい。実際の所、米連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン議長やアジア開発銀行(ADB)などは、今回人民元を切り上げても米国の貿易赤字はほとんど減少しないと予測している。
一九七一年八月、米国はドルと金の交換を停止したが、ドルは、米国の経済力や軍事力を背景に、基軸通貨の地位を維持してきた。しかし今では、米国の財政赤字と経常収支の「双子の赤字」が膨大になり、世界にたれ流されたドルの暴落という「ドル不安」が絶えずつきまとう。
一方、欧州では、欧州連合(EU)の共通通貨ユーロが誕生し、国際的な貿易・金融取引にも使われ始めつつあり、現在一層の進展を巡っての混乱はあるもののドル一極体制が弱まっていることは明らかだと言える。
こうした中で、自国通貨をドルだけに連動させるのは、大変危険だという考えが台頭してきている。ドルなど外国通貨の大きな変動から自国通貨を守る方策の一つが、今回、中国が採用した通貨バスケットである。
しかし、人民元がドル連動でなくなったことで、ドル離れの可能性が生まれた。また、バスケットの採用で、中国が七千百十億ドルにものぼる外貨準備を、ユーロなどドル以外にも分散する現実性も一段と具体的なものとなる。
眼を転じてみると、東南アジア諸国では、一九九七年のアジア経済危機の教訓から、過度のドル依存を避ける方策を探っており、域内貿易で域内通貨を使用する試みも始めており、アジアの覇者としての自覚が必要以上に旺盛な中国が、その流れにのって、為替制度を変更したことは、将来の中国とアジアのドル離れの現実性が高くなったものと見るのは私の考え過ぎなのであろうか。 (直記彬) 案内へ戻る
介護保険制度の改正法成立
本末転倒! 生活の楽しみを奪って筋トレに励めとは
介護保険制度改正の目玉の一つに「介護予防」がある。厚労省は要介護認定を受ける高齢者が2000年の制度開始時と比較して1・7倍に増加しているとしている。増加の内訳をみると要支援や要介護1の人が47%を占め、重度の人に比べてその増加率が著しくなっている。しかし、介護サービスを利用しているにもかかわらず、要支援や要介護1の比較的軽度の高齢者の状態が2年後には重度化しており、軽度の人ほど重度化しやすい傾向が現れたと報告している。その上で、高齢者が要介護状態になることを防ぐための介護予防が今まで介護保険制度の中で重要視なされなかったことが原因である、としている。そのために今回の改正では介護予防という新しい考え方を導入し、要支援や要介護1など比較的要介護度の低い人を対象に、「介護予防サービス(新予防給付)」を創設した。「予防給付」として介護予防につながるメニューを集中的に提供し介護保険の対象にするとしている。
要介護度が低い(介護の必要性が低い段階)の高齢者が訪問介護サービスの家事援助のサービスを多く利用するが、それが自立支援につながっていないとし、これからは家事援助の利用を制限し、その分生活機能の低下防止のために筋力向上のトレーニングを行うとの方向を打ち出したのである。
東京都老人総合研究所では、生活機能低下、転倒危険者、軽度のぼけ、尿失禁経験者、低栄養状態、足のトラブル、口腔ケアの7項目をあげ、それぞれに対処法を挙げている。この項目を見る限りではこれらのチェック項目が高齢者の健康チェックとして必要であると思える。しかし、この中でも生活機能低下のための筋力向上トレーニングだけが大きく取り上げられすぎている事はやはり問題だと思われる。
今やデイサービスにはスポーツジム顔負けのトレーニングマシンが整備され、高齢者が筋トレに励む時代になろうとしている。家事援助の利用制限で痛手を受ける訪問介護事業所では、「介護予防」サービスに向けてのメニュー作りに余念がない。介護事業の大手のニチイ学館は筋力トレーニング設備を導入し、通所介護施設を介護予防サービスの拠点と位置づけ、要介護度の低い利用者が参加できるようにしている。有料老人ホーム事業を展開しているライフコミューンは施設にリハビリ専門職員を配置し、音読や計算ドリルなどを取り入れた脳活性化プログラムや、リハビリ用の機械を使った筋力トレーニングなどの独自に作成した自立支援プルグラムを提供するための準備に余念がない。介護予防プログラムの給付対象になるためにはリハビリ機器の導入など大きな投資が必要となり、市場では大きなビジネスチャンスと捉えられている。
また「介護予防」サービスを受けるためには介護予防計画の作成が義務づけられるようになる。当初この計画は介護支援専門員(ケアマネジャー)が作成することになっていた。しかし、今年の7月厚労省はこの計画作成をケアマネジャーではなく、市町村にになわせる方針を固めた。ケアマネジャーはサービス提供のための介護サービス計画を立てているが、自社の利益優先になりがちであり、利用者負担や給付費の拡大が予測されるために行政が作成することで必要以上の利用を食い止めるためだとされる。今回の改正では認定調査のケアマネジャーへの委託も取りやめ、原則的に市町村職員により行うことした。この様に厚労省はケアマネジャーを信頼できないとしているのであるが、この点については次回に論じたい。
介護保険制度の創設は社会的入院による医療費の増大を改善したいというねらいが大きかった。そのために本来在宅で高齢者が生活をするための援助という視点は当初から低かった。その代表的な例が訪問介護のサービス内容にある。ヘルパーに依頼できる内容が介護保険では限定されているのである。ペットを飼うことや草木の手入れ、野菜を育てる、部屋を模様替えする等の生活の潤いに関わる部分の援助は介護サービスとしては利用できないのである。
「閉じこもり」についての調査によると、外出頻度は、75歳以上の在宅高齢者では「週二日以下」が26%になっている。また一週間どこにも行かないで過ごしているとした高齢者が3割を超えるという報告もある。先の調査では外出できにくい理由として「出かけるための費用が高い」、「体が疲れやすい」、「一緒に出かける人が少ない」、「移動手段が少ない」などが挙げられている。
日常生活の中での生き甲斐につながるヘルパーサービスなどの支援を介護保険制度の提供外としておいて、高齢者が生き甲斐を感じられる環境がなく、居宅で「閉じこもる」しかない状態を作り上げておいて、「閉じこもる」から要介護度が高くなり、それが介護保険の財政を圧迫する原因だとするのは、本末転倒であると言うしかない。枕詞であろうと、「介護の社会化」、「住み慣れた地域で暮らす」というのであれば、住み慣れた地域で閉じこもらないで暮らせるような環境を整備する、そして高齢者が社会参加し易い地域作りをすることこそ、今必要なのではないだろうか。
介護保険の財政の悪化の責任をを利用者だけに求めるのではなく、制度のあり方から見直すべきである。高齢になっても安心して暮らせる街作りをするためには何が必要なのかを見据える必要がある。先にふれた健康チェックを行い、自ら健康の保持や向上に努めるのは何ら問題ではない。しかし当たり前の生活を継続していけないような仕組みを作り、高齢者を「閉じこもり」にならざるを得ない状況に追いやり、それをそのままに放置したうえで「介護予防だ」、「筋トレだ」、ではないはずである。
虚弱になろうと、認知症になろうと、障害があろうと、当たり前の暮らしができることが必要なのだ。 (Y)
靖国神社・遊就館の原点は
私たちの原点となりうるか
靖国神社・遊就館の原点とは何か
今焦点になったいる小泉総理の靖国参拝問題の根底には、靖国神社・遊就館の存在がある。靖国神社は単なる慰霊のための施設ではない。今でこそ民間の宗教法人とはなっているものの戦前は「国を安らかにする」=靖国ための国家施設であった。
その目的を果たすため、国に尽くして死んだ人を祀る神社で、明治維新間もない頃に東京招魂社として創建されたが、一九八〇年に靖国神社となった。
そしてこの靖国の立場から、極めて特異な歴史観を宣伝し、それに関係する者達を顕彰して恥じない。私たちは彼らの原点をしっかりと見極めておくことが必要である。
遊就館とは、靖国神社の展示館だが、彼らの原点になる明治以来の「戦争の歴史」が語られ、侵略戦争を正当化するドキュメント映画を、日本の中国への侵略から太平洋戦争にいたるまでの戦争の全経過を「欧米諸国の植民地勢力にたいするアジアを代表しての」戦争という立場から毎日放映している。
また、二000年ごろに作成されたこの映画では、日本の戦争についての靖国神社の立場を描きながら、当事、首相の参拝が中断していたことを問題にし、「内閣総理大臣ならびに全閣僚、三権の長、そして天皇陛下がご参拝に」と強く訴えているのである。
まず指摘しておきたい特徴的なことは、太平洋戦争を二千万人のアジアの人びとの命を奪った侵略戦争を、“アジア解放の戦争だった”と語られていることだ。
「我国の自存自衛の為…皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦ひがございました」(「遊就館」の展示内容を紹介した『遊就館図録』靖国神社宮司の「ご挨拶」)。
このように靖国神社は、日本の戦争を、「自存自衛」の戦争、白人(欧米)の支配から「アジアを解放」するための「正しい戦争だった」としている。
しかし、太平洋戦争は、最初から、他国の領土を奪うことが目的の侵略戦争であった。一九三一年、日本は、満州=中国東北地方に攻め込んで以来、戦争を中国全土に拡大して、太平洋戦争に突入する前年には、中国から東南アジア、インド、オーストラリア、ニュージーランドまでの広大な地域を大東亜共栄圏=「日本の生存圏」などと称して、専制的な支配を広げることを決めていた。
日本軍が各地で行った蛮行には、軍隊と民間人の区別のない虐殺、暴行と略奪、強制労働への駆り立て、食料の強奪など、傍若無人の無法と野蛮を極めており、二千万人のアジアの人々の命を奪った。日本の戦争が、ドイツの戦争とならんで、なんの大義もないの侵略戦争だったことは、誰にも動かすことのできない世界史的な歴史の事実である。
たが、「遊就館」の展示には、日本の戦争について「侵略」「侵攻」という言葉はない。中国全土に戦火を広げたのも、「日中和平を拒否する中国側の意志があった。…広大な国土全域を戦場として、日本軍を疲弊させる道を選んだ」(『遊就館図録』)と、中国にその責任を押しつけて恥じない。
また“太平洋戦争をおこした責任はアメリカにあった”と靖国神社は、攻撃のホコ先をアメリカにも向ける。
彼らの言い分では、一九四一年の太平洋戦争の開戦の責任はアメリカにある。日本は戦争回避のために「日米交渉に最大限の努力を尽」くしたが、それなのにアメリカのルーズベルト大統領が、「資源に乏しい日本を、禁輸(石油などの輸出禁止)で追い詰めて開戦を強要」(『遊就館図録』)したから戦争になったという。
しかし、その本質はといえば、中国侵略をつづけるために、自暴自棄になって日本が仕掛けた戦争であった。
当時、日本にたいして国際社会がおこなっていた石油などの「禁輸」の根本には、日本による中国侵略があり、これを止めさせることがアメリカの要求であった。これに対して、日本は中国侵略に固執し、それを続けるための資源が必要だと東南アジアの石油を力ずくで取り上げるため始めたのが、太平洋戦争だった。
このように戦争賛美を国民に広めることが、靖国神社の「使命」なのだ。
続く主張の第二は、靖国神社宮司は、遊就館の「使命」を「英霊顕彰」と「近代史の真実を明らかにする」ことだとしている。
靖国神社は、「日本は正義の戦争をたたかった」という立場で、天皇のために死んだ軍人を「英霊」としてまつり、戦争行為そのものを顕彰し、戦争賛美の戦争観を国民に広げることを「使命」としている。
靖国神社は、この立場から、A級戦犯(戦争犯罪人)を、「ぬれぎぬを着せられ」た人たちと美化し、「神」としてまつっている。それなのに戦争犠牲人の圧倒的多数である空襲や広島・長崎の原爆、沖縄戦の犠牲になった一般の民間人は祀られてはいない。
靖国神社は、誤解のないように再度強調しておくが、戦争で犠牲となった民間人を追悼する施設ではないのである。
私たちの原点
私たちは太平洋戦争を、他国の領土を奪い、支配することを「侵略」「植民地支配」と認め、明治以来の拡張主義を、深く反省した。
今改憲が騒がしくなっているが、戦力放棄を定めた憲法第九条も、アメリカの無理やりの押しつけという背景がありながらも、戦争に深い反省を示すとの立場から受け入れてきたのである。
一九九五年、自民党歴代内閣は明言しなかったが、自社連合政権であった村山内閣は、村山談話を発表して、日本の「植民地支配と侵略」を反省する見解を明らかにした。確かに「二度と戦争を繰り返さない」「戦争犠牲者を出さない」というのが、戦争で親、兄弟を失った労働者民衆の立場である。
この「過去の侵略戦争への反省」は、戦後日本の出発点であり、アジアと世界に対する戦後の誓いであった。つい最近イラクに自衛隊を派兵するまで、このことは戦後日本の原点であり、世界の心ある人々の注目の的であったことを、私たちは忘れるべきではない。
私たちは、この立場よりさらに一歩進んで、労働者民衆の立場から、戦争と侵略を不可避的に求めていく日本資本主義を根本的に変革して、アソシエーション社会を作らなければ労働者民衆の生活の根本的か威厳はないとの立場が私たちの原点なのである。
ところが、侵略戦争を正当化する靖国神社は、曲がりなりにもようやく出した「植民地支配と侵略」を反省した政府見解を「うそと誤り」だと、この政府見解をまっこうから攻撃しているのである。
「そもそも大東亜戦争に参加した者で、侵略のために戦った者は一人もいなかった」、「台湾と朝鮮は植民地ではなく日本領であった」「嘘(うそ)と誤りに満ちた村山談話」──靖国神社の宮司が顧問となって作った写真集には、こんなことまで書かれてるのだ。
靖国神社の立場は、この原点を根本から覆す反動的なものである。
ヨーロッパでは、特にドイツではナチスを肯定すると犯罪になるという。ハーケンクロイツやナチスを連想させるものを公開しただけでも問題にまで発展するのに、日本でのこの現状、何ともはやと世界から驚かれるのも無理はない。
先陣を切った「半日デモ」に対するイギリスでの報道
四月一二日、英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)は、反日デモなどに関して「アジア人の非難合戦」という社説を掲載した。
その社説は、日本の戦後の対応はナチの残虐行為を認めてきたドイツと極めて対照的と指摘し、一方で「戦後の和解には加害者の反省と同時に犠牲者からの許しも必要」とし、更に中国指導部が自ら引き起こした数々の災難を、歴史教科書では触れていないことにも疑問を呈した内容となっている。
そして「事態の沈静化に向け、双方には謙虚な気持ちが求められている。日本は過去を正直に認め、全面的に謝罪すべきだ。中国も不満を繰り返し述べるのでなく和解の手を差し伸べる必要がある」との記述で社説は結んでいる。
正に正論である。
フィナンシャル・タイムズ(アジア版)は、四月六日付で、日本の教科書検定問題も一面トップで報道しており、一連の反日デモの主な原因である扶桑社の歴史教科書からまったくと言ってよいほど目を逸らしている日本のメディアとは対照的な報道姿勢をとっている。
日本が報道管制国家であるとの批判は、このように出るべくして出る批判なのである。
七月一九日付けの英紙フィナンシャル・タイムズは、アジアでの国家主義の台頭を論じた長文の記事を掲載した。このなかで、日本が行った侵略戦争を正当化する靖国神社の遊就館について「日本の戦争の記録を恥知らずにも美化している」と批判した。
ビクター・マレット記者のこの記事は、中国、韓国とともに「日本でのナショナリズムの高揚」を詳述するとともに、日本については、戦時の遺産を消し去ろうとする動きであると指摘して、「靖国神社に隣接する(戦争)博物館は日本の戦争の記録を恥知らずにも美化し、南京大虐殺のような“事件”を言いつくろっている。しかし、訪問者は、雑多で、時には辛らつな反応を感想簿に書き込んでおり、多くの日本人が(博物館の見方に)納得していないことをうかがわせている」と辛辣に批評した。
同記事では、石原慎太郎・東京都知事の「以前には、私たちが核武装が必要だと考えたことはなかったが、最近起こっていることを見ると、日本は核武装の必要がでるように思う」とのコメントも紹介し、最近の日本に対する批判がしっかりと書き込まれたのである。
「過去への反省の拒否を象徴」―その他の海外の反応
その他に、米紙ニューヨーク・タイムズや仏紙ルモンドなど欧米の有力紙が、相次いで靖国神社の特異な戦争観に論及した大型記事を掲載した。
六月二二日付けニューヨーク・タイムズは、靖国神社について「軍国主義の過去を再評価しようとする動きの象徴的中心」とその性格を描き出した。同紙の記事は、第四面の半ページ近くを使った特集記事を作り、写真も右翼の宣伝カーが靖国神社に集結している様子や、同神社内の戦争博物館内部のものの二枚を掲載した。
記事ではこの戦争博物館で上映されているビデオ「私たちは忘れない」を取り上げ、米国による戦後の占領を「無慈悲」と描き出しているが、日本自身によるアジアの占領にはふれていないと指摘しつつ南京大虐殺についても、この博物館では、中国人司令官を非難し、日本のおかげで「市内では市民が再び平和な生活を送れるようになった」と主張しているとして、その偏向を指摘するのを忘れていない。
記事はまた、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃について、靖国神社が「米国は大恐慌からのがれるために、真珠湾攻撃を日本に強要した」と宣伝していることを大きく取り上げた。この記事は、国際的英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンにも転載され、世界各国で読まれることになった。
翌二三日、今度は米国唯一の全国紙USAトゥデーが、靖国神社を取り上げた。「東京の神社がアジア中の怒りの的」と題して、八・九面の見開き特集を作ったのである。
記事では、過去の戦争を正しい戦争だったとする「靖国史観」に言及して、靖国神社がそのウェブサイトで、真珠湾攻撃や中国、東南アジアへの侵略を「国の独立と平和を維持し、全アジアを繁栄させるために、避け得なかった戦争」と説明していると伝えた。
記事ではまた、小泉首相の靖国参拝にふれて、靖国神社が「アジアの最大の紛争地の一つ」となっていることを指摘しつつ「数十年前に帝国日本軍に占領され、じゅうりんされた中国、韓国その他のアジア諸国は、小泉首相の挑戦的な靖国参拝が血塗られた過去へ反省を示すことを日本が拒否していることの象徴であるとみている」と断じた。
六月二八日、仏紙ルモンドの「アジア諸国や西側諸国の歴史家は靖国神社の見方を受け入れない」との報道は、靖国史観への批判が欧州にも広がったことを示した。同紙は、靖国神社の博物館について、日本の過去の戦争を「防衛戦争」「アジア人民の解放戦争」としているとずばり指摘した。
同紙はさらに、侵略戦争についての日本政府の態度についても、「中国と韓国は日本の侵略と日本軍が犯した残虐行為を糾弾している」ことについて、「十年前、村山首相は(その怒りの)沈静化の一歩を踏み出した」が、戦後六十年の「今度はあいまいなままだ」として伝えた。
こうした見方は、関係国の首脳からも表明されており、韓国の盧武鉉大統領は小泉首相との会談で、靖国神社について「過去の戦争を誇り、栄光のように展示していると聞いている」と述べて苦言を呈した。
ドイツでの反応とアメリカ議会の動き
一体、ドイツは日本に対する見方はどうなのであろうか。「今」のドイツで一般に認識されている考え方、社会の価値観はどういったものなのであろうか。
5月10日付けのフィナンシャル・タイムズに載っていた、ドイツの日刊紙Der Tagesspiegel紙の論説委員クレメンツ・ウエルギンClements Wergin氏の記事を紹介する。
「歴史と付き合うための、ドイツから日本への教訓」と題する記事である。
「今週、〔対独戦勝記念式典が開催されるので〕ドイツの残虐行為の記憶を扱った記事が、再び世界中のメディアに出た。
過去は消えていなかったードイツ人にとっても、近隣諸国にとってもーこれが、ドイツ人の大部分が認めることになった事実だ。おそらく、中国全土で反日デモが起き、東アジアの攻撃の歴史をうまく受け入れることができないでいる日本の失敗に対する不満という形で、今年歴史がよみがえってきたことに、日本も驚いてはいけないのだろう。
韓国人や中国人の一部は、歴史の取り扱い方に関して、日本はドイツを見習うべきだ、という。これは、日本の戦時の行為をドイツのナチの行為のレベルにまで上げさせることになり、やや不公平だ。しかし、何故日本が、ドイツがそうしたように、歴史と向き合ってこなかったのかを問いかけるのは理にかなっている。特に、東アジアの諸国が新たな地域統合の枠組み作りを考えているならば、日本がドイツの経験から学べることことは多いかもしれない。
丁度中国で反日運動が高まっていた時に、私は日本を訪問した。与党自民党の政治家から、ドイツの経験に関する奇妙なコメントを耳にした。割と若い議員は、ドイツにとっては、過去の歴史を処理することが簡単だったろう、と言った。「何でもヒットラーが悪かった、ということにしておけばいいのだから。日本は、アメリカ人がそう望んだために、天皇制を維持しなけれならなかった(だから、過去の清算は難しかった)」。
また、町村外相は、ドイツ人はヒットラーをスケープゴートに使った、と言った。「まるでナチはドイツ人ではなかったかのように話して、何でもナチのせいにした」。
実際は、逆だった。
ドイツ社会の中で、戦後間もなくは、少数のナチドイツに加わった人たちが戦争犯罪に手を染めたとする考え方があった。1968年の学生ストの頃からこうした考え方は崩壊しだした。学生たちは、ドイツが戦争犯罪での責任を明確にすることを望んだからだ。
それから40年間、国民の間で熱狂的な議論が起きて、社会の大部分がナチドイツの犯罪の共犯者であったことに、ドイツ人は直面せざるを得なくなった。歴史はドイツの熱狂的トピックとなった。
過去のことばかりが話題に上る、と考えるドイツ人は多いが、ドイツ人の残虐行為を記憶に残すには、後悔や良心の呵責を持ち続けることが正しいやり方だ、とする考え方が広く社会の中で受け止められている。ドイツのケーラー大統領が「私達には、こうした苦しみを覚えておく責任がある、過去に関する議論に終わりは無い」
極めて重要な指摘である。
来年使われる日本の歴史の教科書の中には、南京の大虐殺での戦争犯罪を省略するようなものも出てきた。ドイツと比較し日本の歴史に対する政府の態度には全く呆れてしまう。
一九八0年代から一九九0年代の最初の頃まで、やっと日本の過去に向き合う歴史教科書が書かれてきたが、この傾向は、今や逆転してきている。
現在、歴史を「自虐的に」語るのは国家のプライドが許さないとの議論がある。靖国神社を参拝し続ける小泉首相もその一人であろう。日本の多くの保守派の人たちは、日本の歴史を批判的・客館的に見ることは、日本を国際的・対外的に弱体化させるものだとの認識を持っている。確かに、先ほど確認したように、ドイツの例をみると、こうした懸念は一部あたっていると言える。多くのドイツ人は、ドイツ人であることを公開や良心の呵責なしに考えられないこともあるようだ。しかし、それはいかに困難でも、自らの問題として、克服していかなければならない課題なのだ。この点から逃げることはできない。
欧州にはある合意があるという。それは、ドイツが自ら後悔の念を繰り返す限り、近隣諸国は、過去の歴史を政治的道具としてドイツに対しては使わないというものだ。確かに、この点においては、日本はもちろんのこと、中国や韓国も、欧州から学ぶ必要がある。
しかし、アジア地域の反日デモを沈静化させるのは、私たちの支配者を追及する運動に係っている。日本の支配者とは、悔い改めないことを持って人士達であるからだ。
最後に、七月一四日米上下両院で、参戦兵士をたたえる決議が採択されたのであるが、このことを紹介して記事を終える。もはや政治問題でもあることが明白になったのである。
このことについて、韓国の中央日報の記事を貼り付ける。
(貼り付け開始)
「日本軍国主義が太平洋戦争主犯」…米下院が決議案採択
米下院が60年ぶりに初めて太平洋戦争勝利記念決議案を採択した。 決議案は、太平洋戦争を起こした日本を「ファシズム軍国主義」と強力に非難し、日本戦犯に対して有罪評決を下した極東軍事裁判の結果が有効であることを確認した。
決議案は、日本の太平洋戦争美化の動きに釘を刺す一方、小泉日本首相の靖国神社参拝に対しても間接的なけん制の意味を持つと評価される。「日本に対する勝利(V−J:Victory over Japan)」と題されたこの決議案は、太平洋戦争当時、フィリピン戦線に参戦したヘンリー・ハイド下院国際関係委員長が上程した。 14日、下院本会議で表決に付され、出席議員339人全員の賛成で通過した。 上院も近く同じ決議案審議に入る予定だ。
◇ニュース分析=米国はその間、第2次世界大戦に関連し、主にヨーロッパ戦争での勝利を浮き彫りにしながら、太平洋戦争と日本軍国主義には閉口してきた。 緊密な同盟である日本を刺激しないという意図と考えられている。 日本の強大な対米ロビー力も作用したとみられる。 しかし日本が最近、韓国・中国侵略に関する歴史歪曲はもちろん、太平洋戦争さえも「米国が誘導した側面がある」と歪曲する兆しを表れたことで、米議会が問題提起の必要性を感じたものと分析される。
(貼り付け終了)
この決議の中で、東京裁判については、「その判決と、特定の個人に人道にたいする罪を犯した戦争犯罪人として有罪判決を下したことを再確認する」と述べた部分があることは、東京裁判否定の靖国神社と櫻井よしこ等言論人の言動と深く関わるところである。
靖国神社とそれに関わる運動を推し進める日本の反動派の諸君は、世界の世論とアメリカ議会での動きにどのように反応するのであろうか。ポチ保守派いずこへ。
それにしてもここで紹介してきた記事のほとんどが、日本のマスコミでは、全くといってよいほど、事実すら報道されていない。日本の危機も深いものがある。 (猪瀬一馬) 案内へ戻る
小泉首相靖国神社参拝違憲アジア訴訟控訴審棄却される!
7月26日、台風7号の影響の雨風のなか抽選にならび、その甲斐あって判決の法廷を傍聴することができた。しかし、控訴棄却の、主文だけを、裁判長はこれでもかと言い放った。さらに、わたしの周囲でこの判決に拍手が響いた。どうも靖国応援団側の空席に座ってしまったようだった。
開廷と同時に例の儀式、2分間のテレビカメラでの撮影が行われたが、静止した法廷を撮影してなにがおもしろいのか。どうせなら、短い時間なのだから実況放映したらと思うが、それを要求するテレビマンも、それを認める裁判長もいないようだ。それより前に、東京の裁判所のように、傍聴者の荷物を預かり、ゲートも潜らせるというアホなことを大阪地裁も始めている。
さて、そんなふうに開廷して裁判長が発言しかけたとき、原告の傍聴者が判決要旨の説明を要求した。しかし裁判長は、これに応えることなく居丈高に控訴棄却を告げ、靖国応援団の拍手と原告の野次を受けながら退廷した。報告集会のなかで、韓国から駆けつけた原告の李熙子さんが「傲慢な判決」と表現したが、まさにその通りだった。
こんなことで、敗訴したことは理解できるが、判決内容は全くわからない。だからこそ、判決要旨の説明の要求だったのに、単に面倒くさいのか、主文だけで当然と思っているのか、裁判がどんどん遠ざかっていくのを実感させる。弁護団の説明で、この判決が一審判決を維持しているものであることを、ようやく理解できた。この傲慢判決≠ノ何か意味があるとすれば、それは小泉靖国参拝の職務行為性を認めた一審判決を維持している点だけだ。
そこから違憲判断へと踏み込まないのは一審と同じで、弁護士はこれを「憲法判断の回
避ではなく、憲法判断からの逃避だ」と指摘した。いみじくも、李熙子さんは「死んだものを生き返らせろと言っているのではない」と言ったが、求めているのは裁判官としての基本的な任務であり、当り前の判断であった。
かくして、2回目で結審、3回目がこの判決日となった。原告団は上告を決定し、私もさっそく委任状を書いた。9月30日には二次訴訟(台湾訴訟)控訴審判決が、同じ大法廷である。靖国をめぐっては、小泉の居直り的8月15日参拝も囁かれている。それらがどうなろうと、戦争国家化への重要な仕掛けとしてのヤスクニをめぐる闘いを終わらせることはできない。 (晴)
読書案内−夏休みにどうですか? 中学生にも読める「憲法の本」
「やさしいいことばで日本国憲法」(マガジンハウス 訳者 池田香代子 C・ダグラス・スミス監修、解説)
正直言って、憲法と言えば「9条」ぐらいしか思いつきません。「日本国憲法 全文」を読み、理解するなんて自力ではとうてい無理なことでしょう。しかし、池田香代子さんの「英文憲法」からの訳文は、憲法制定の意義をふまえて何をどう理解し考えるか、を導いてくれます。しかも、絵本の感覚で中学生にも理解できることばを用いながら・・・。同時に英語の勉強になるかもしれません。
まっさらな目で憲法を読み直そう
「憲法を新たに訳すことになった、ひとつめのきっかけは、お年をめした読者からのメ−ルでした。そこには『世界がもし100人の村だったら』を『憲法』のとなりに置いておきたい、とありました。ふたつめのきっかけは、『イマジン』(ジョン・レノン)でした。この歌は、『100人の村』を音楽で表現したCDに収録されました。わたしはその詞を訳したのですが、それを読んだ若い友だちが、憲法がこんな訳だったらいいな、と言ったんです。
憲法の誕生に立ち会った方と、憲法のもとに生まれ育った方が、21世紀の初めといういまこのとき、『100人の村』と『イマジン』のむこうに憲法を見た−わたしはただならぬ胸さわぎを覚えました。そしてこの国の憲法は、日本人とアメリカ人が知恵を出しあい、力をあわせてつくった、そのときの共通言語は英語だった、だから英語で書かれた憲法が存在するのだ、とあらためて気づきました。・・・」(4ページ)
この本の見開きには、まず、書くことになった動機がありのままの言葉で紹介されています。憲法を受け身的に与えられたものと否定的にとらえ、新しい憲法をと主張する人々に、憲法の中味をぜひ慎重に読んでみることを促しています。そして、戦争を二度と起こさないための意志を継ぎ未来へ託した夢、これが憲法と彼女の思いが伝わってきます。それは、私たちにも、もう一ど子どもに返って夢を見ることで、この国のあり方を問うことを呼びかけている、そんなふうにも思えてくるのです。
主権はひとびとのものだ
「日本のわたしたちは、正しい方法でえらばれた国会議員をつうじ、わたしたちと子孫のために、かたく心に決めました。
すべての国ぐにと平和に力をあわせ、その成果を手にいれよう、自由の恵みを、この国にくまなくいきわたらせよう、政府がひきおこす恐ろしい戦争に二度とさらされないようにしよう、と。
わたしたちは、主権は人びとのものだと高らかに宣言し、この憲法をさだめます。」
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との調和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(6ページ)
ふたつの憲法前文を載せましたが、どちらが池田さんの新訳条文か、解ると思います。比較してみると、「すべての国ぐにと平和に力をあわせ、その成果を手に入れよう」と「諸国民との調和による成果」では、受け取る側は大きなずれを感じると思います。平和に力をあわせるでは、当然、世界の人々との協力・理解が求められるでしょう。しかし、諸国民との調和による成果、という回りくどい言い方では、世界という単位、平和という理念は見えてこないのではないでしょうか。
参考に英文も紹介しますが、Weから始まる主語に注目してください。日本語訳なら日本国民。ここには、第1人称と第3人称違のいがあり、Weなら私たち自身という主体が存在します。
「We,the Japanese people,acting through our duly elected representatives in the National Diet,determined that we shall secure forourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land,and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government,do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.」(7ページ)
新訳によって何が見えてくるのだろう?
「英語テクストを『新訳』することに、どんな意味があるのだろうか。憲法の『真意』を明らかにするためと考えるのは間違っているだろう。憲法の真意は日本語テクストにあり、そこに明確に表現されている。このような翻訳の意味は、憲法条項についての読者の思考をほぐすことにある。同じ言い方がくり返されると決まり文句になる傾向があるが、決まり文句はものを考える上で重大な障害物だ。同じ考えでも違うことばで表現されれば、新鮮さをとりもどし生き生きしてくるし、読者がそのことばの意味をあらためて考える助けになりうる。
しかし、実際のところ、この本は英語版憲法の新訳ではない。むしろ、日本語版英語版、双方もとに、憲法をわかりやすいことばで書き直したものだ。哲学の分析方法に『ほどく』と呼ばれるものがある。ことばと概念が、包みやス−ツケ−スのようなものだとすると、その中身を知るには、外側のラベルを読むという方法がある。他に、開けて中のものを全部取り出して見てみる、というのもある。後者なら、中に何が入っているか、より鮮やかに理解できるだろう。」(64・65ページ)C・ダグラス・スミス
主権在民、民主主義、私たちはあたりまえのようにこの言葉を使ってきました。しかし、実社会でこの権利を実行するのにどれほど困難なことか、体験した方は実感されていると思います。余計なことを考えずに、世間の流れに合わせれば平穏に暮らせるかもしれません。けれども、そこには無気力な生活、未来のない社会が待ち受けています。
すでに哲学の分析方法の「ほどく」を、なぜこの時期に、なぜ憲法に、なのかは池田香代子さんが答えています。それは、今、自衛隊のイラク派兵を正当化するための憲法改悪の動きに、何らかの歯止めになるはずです。そういうことで、「やさしいことばで日本国憲法」をこれから連載で、「ワ−カ−ズ」にて紹介したいと思います。皆さん、一緒に憲法を見直しませんか? (恵)
第4回6カ国協議開かれる
世界覇権と体制維持をかけてぶつかり合う米国と北朝鮮の支配層
北京の釣魚台で北朝鮮の核問題、朝鮮半島の非核化などをテーマに、米・中・露・韓・北朝鮮・日本の6カ国協議が開催されている。03年8月に第1回、04年2月と6月に第2回、第3回と開催されてきた6者協議は、今回で4回目だ。
前回までの協議では、北朝鮮の核と核開発計画の放棄を前提としなければ北朝鮮の安全の保証の約束はできないとする米国、これに対し米国による敵視政策の放棄・自国の安全に確たる保証が得られなければ核の放棄はあり得ないとする北朝鮮とが激しくぶつかり合い、幾度も暗礁に乗り上げるという経緯をたどってきた。米国の「北朝鮮の核放棄確約先行」論と、北朝鮮の「同時進行」論との対立である。もちろん、米国と北朝鮮が取引と駆け引きの対象としているのは、核開発の続行か放棄かという問題だけでなく、ミサイル開発、「人権問題」、エネルギー支援や経済支援なども含まれている。
今回の協議では、米国や中国は、北朝鮮の安全の保証が先か核放棄が先かという議論の細部は詰めず、朝鮮半島の非核化という大きな目標での合意を目指しているという。今回の協議でなにがしかの進展が見られなければ、この6カ国協議の枠組み自体が崩壊しかねないとの思いが、参加各国を協議成功の演出に向かわせているとも言われている。実際、今回の協議では、米国も北朝鮮も従来よりはいくから「柔軟」な姿勢を今のところは見せている。
◆ ◆ ◆
しかし、核放棄が先か安全の保証が先かの議論は単なる形式論ではなく、米国と北朝鮮という二つの国家の深層の要求と実は深く結びついている。
米国の側には、軍需産業やエネルギー産業など軍備の拡張・ハイテク化、米国の世界覇権の維持と強化に深い利害を持つ強大な勢力、それに加えて宗教的原理主義勢力の政治的影響力の増殖が目立ってきており、彼らは「反テロ戦争」、「悪の体制」の崩壊を追求することに抵抗感はなく、そのためには核兵器の先制使用も辞さないとしている。
確かに米国の中にも北朝鮮の体制の軟着陸論は存在する。イラクの占領で手こずっている間は朝鮮半島での戦争に訴えたくても出来ないという事情もある。しかしイラク戦争での、あの日々明白になりつつある挫折の経験にもかかわらず、現に世論の多数を制し、政治権力を握っているのは、反米国家=ならず者国家を転覆させるためには戦争も辞さずとする好戦的な勢力でり続けている。こうした米国に、北朝鮮の支配層が抱く米国からの軍事攻撃への恐怖感、それ故の核計画に対する固い執着は、配慮する必要のあまり感ぜられないものである。
北朝鮮の側にも、現在の経済的危機を脱出しない限り体制の安全も確保しがたいことを知り、外国からの支援や経済改革の重要性を理解している勢力はいる。しかし、北朝鮮の極端で硬直した独裁的体制が「西側」諸国からの経済的文化的浸透に耐えることは極めて困難である。そして現在の金正日体制はそのことを直感して、あくまでも体制の安全が大前提だ、それを保証してくれるのは核計画しかない、この計画を生き延びさせ、いつでも再復活させられるやり方でしか米国などとの取引には応じられない、との立場を離れることは出来ないのだ。
かくして、核放棄が先か安全の保証が先かをめぐる対立は、今回の6カ国協議では棚上げされるかも知れないが、早晩蒸し返され、対立が再燃されることとなろう。
◆ ◆ ◆
今回の6カ国協議では、朝鮮半島の非核化の意味と内容をめぐってもつばぜり合いが繰り広げられている。米国は、非核化の中には北朝鮮が開発を進めている濃縮ウラン型の核開発や核の産業的利用も含まれると主張している。これに対し北朝鮮は、濃縮ウラン型の計画は有していないとごまかし、産業的利用は排除されるべきではないと主張している。朝鮮半島の非核化という以上、むしろ韓国に配置されている米国の核兵器や韓国の核開発計画や韓国や日本に米国が提供している核の傘も対象に含まれるべきだとも強調している。
米国が、放棄され廃棄されるべきは北朝鮮の核計画だけだと主張しているのは、北朝鮮は独裁国家であり、危険なならず者国家だからだ、という理屈からだ。
しかし、世界の世論を敵にまわして強行されたアフガン戦争やイラク戦争を見てもわかるように、また実際に核兵器を広島や長崎で使用し、いままた「使える核兵器」の開発に血道を上げていることを見ても明らかなとおり、米国は決して平和的な信頼できる国家などとは言えない。戦後60年の間、米国は世界のいたるところの紛争に介入し、自ら戦争を仕掛け、民主的な政権を転覆し、野蛮な独裁政権を支援し、数百万人の無辜の民衆を殺戮し、血祭りに上げてきたのである。地域や世界を危険に陥れるならず者国家というなら、米国ほどその言葉にふさわしい国家はないはずなのだ。米国が北朝鮮の核開発を放棄させることによって手に入れようとしているのは、アジアや世界の平和などではさらさらなく、これまで米国がその野蛮な暴力支配によって確保してきた世界覇権をよりいっそう確固たるものにすることだけである。
北朝鮮の側の事情もたいして違いがあるわけではない。北朝鮮の言い分は、6者協議はこれまでのような核と体制保証の取引の場ではなく、北朝鮮の核保有国への仲間入りによって「核軍縮交渉」の場になった、というものだ。しかし、核軍縮交渉の名によって、北朝鮮の主張に同情や共感を寄せる人々が出てくるなどということを、金正日は期待すべきではない。北朝鮮が核開発カードによって手に入れようとしているのは、軍事的影響力と権威の強化、外国からの経済支援のいずれにせよ、この国の野蛮で反動的な支配体制の維持と強化以外ではないことを、知らない者はいないからである。
◆ ◆ ◆
6カ国協議、米国と北朝鮮との核をめぐる駆け引きが物語っているのは、核兵器というおぞましい存在が、世界の国々の覇権争いや権益拡張、体制の維持・強化のための重要な手段、決定的な拠り所となっているという現実だ。しかもこうした核兵器開発競争、核軍拡競争が、ますます激化し、拡大しようとしているという事実だ。
労働者・民衆が目指す理想と現実の世界との間には、かくのごとく巨大なギャップが存在する。しかし、私たちは落胆したり、諦めたりする必要はない。各国の支配層が進める核武装化が現在の状態にとどめられているのは、また米国が北朝鮮への核先制攻撃に乗り出すことが出来ていず、イスラエルがアラブ諸国に核兵器を撃ち込むことが出来ていず、北朝鮮が暴走に身を委ねることが出来ていないのは、世界の労働者・民衆による彼らが持ち、また持とうとする核兵器に対する抗議と監視の闘いの結果でもあるからだ。
各国の支配層が核兵器の使用を躊躇し、あるいは考慮の外に置かざるを得ないのは、何も支配層同士の共倒れ、いわゆる「相互確証破壊」の理論を信じるからだけではない。彼らが何よりも恐れているのは、核兵器の使用が自らの支配体制にダメージを与え、これを崩壊させてしまう可能性であり、そのことが、自らが支配し、搾取し、抑圧する労働者・民衆によって実現されるという事態だ。
拡散し、危険性を増す核兵器に対するより強力な規制力を、世界の労働者・民衆の連帯した闘いによってつくり出そう。自国の支配層の核開発、核兵器保有への野望の表れを見つけ次第糾弾し、葬り去り、世界の様々な地域に非核地帯をつくり出させ、核兵器や戦争の恐怖のない世界をつくりあげるためにともに闘っていこう!
(阿部治正) 案内へ戻る
国土交通省、静岡空港の土地収用の事業認定を認める!
取消を求めて原告団提訴する
7月5日国土交通省は、静岡空港の土地収用のための事業認定を告示した。
昨年12月静岡県石川知事は、用地交渉が難航している静岡空港の未買収用地取得について、「土地収用法に基づく事業認定申請」を行った。これに対して、国土交通省は過去の成田空港建設についての教訓をまったく無視して、天下の悪法である「土地収用」の事業認定を認めた。あの大きな犠牲を払った失敗の教訓を、どう考えているのか?このようなご都合主義の国土交通省に対して怒りを感じる。
さっそく「空港はいらない静岡県民の会」が中心になり訴訟原告団を結成して、7月12日静岡地裁に事業認定の取消を求めて提訴した。
今回の第一次原告団には、収用予定地内に土地を持つ4名の地権者、地権者の土地を共有する共有地権者35名、さらにオオタカの森を守るトラストの木所有者11名が名を連ねた。
提訴の後の報告集会で、38名の弁護団代表の渡辺弁護士は、「7月5日、インターネットで官報を読んだが何のことはない、起業者の静岡県の言うことをそのまま、まとめただけの事業認定である。国交省と社会資本整備審議会は、申請後3ヶ月で処理しなければならないところを、5月・6月と伸びて7ヶ月過ぎたので、『もしかすると』の期待感があったが、ものの見事に裏切られた。事業認定の内容については県の言うとおりであり、石川知事が空港設置許可の際提出した『確約書』にはまったく触れていない。空港の設置許可をした同じ国交省大臣だから。これから訴訟で闘っていく訳だが、『何をどうやって、どのように、審査、審議したのか』われわれ原告側は鋭利、主張立証を尽くし、裁判所がそれに対してどこまで答えてくれるのか、それが訴訟の重大なポイントだと思います。初公判は、9月の後半になるのではないか、と考えている。」と報告した。
そして、原告団の地権者代表である松本さんは、「先祖代々から受け継いだ、茶園や、里山を絶対に守る。後世に残していきたい。強制収用という、暴力的・非民主的なやり方で、土地を取り上げる県のやり方に怒りを覚える。成田では、同じ国交省・運輸省が、『土地収用はしない』と反対地主と約束し現在に至っている。しかし、地方空港ではその約束が守られていない。これから長い道のりだと思うが、気を引き締めて日々の農業生活をしながら、平常心でやっていきたい。『無駄な公共事業を絶つ』『正義の闘い』で、けっして後ろめたいものではない。県民の理解を得ています。最後まで頑張りましょう。」と力強い挨拶をした。
これまでに原告団は、この事業認定に備えて強力な弁護団の結成(2月26日)及び訴訟原告団の結成総会(4月23日)を開き、闘いの準備をしてきた。いよいよこれから本格的な法廷闘争がスタートする。さらに原告団は闘いの輪を広げる意味で、「第二次原告団」の募集を開始している。(若島)
色鉛筆
介護日誌−6 「介護保険の見直しに思う」
2000年にスタートした介護保険制度は、5年目の今年さまざまな議論の末、見直しがなされた。利用者数は、制度開始から4年で約300万人に倍増、給付費も3・2兆円から04年度は5・5兆円にも膨れあがった。25年度には20兆円に達する見とうしだという。(04年5月21日・10月17日朝日新聞)
制度の開始前からすでに財政破綻は指摘されていた。したがって今回の「見直し」も、サービス給付をいかに押さえるかという点に主眼がおかれ、それはそのまま弱者切り捨てにつながるのではないかと思う。
例えば、今までヘルパーさんが行なっていた料理や掃除などの家事代行サービスを限定し、軽度の要支援・要介護1の人の重度化を防ごうという点について。一律に本人に家事をやらせれば重度化しないと考えるのは間違いで、ヘルパーさんを必要としているケースにまで当てはめるべきではない。本人にやらせるにしても、極端な話今以上の見守りや援助が不可欠だと思う。お年寄りはだんだんに衰えてゆくというのが自然の摂理、そして健康・気力・体力などの変化の波は著しい。絶対的な固定した状態はありえないのだから、今以上のきめ細かで柔軟な対応があってこその見直しであるべきだ。
余談になるが、最近我が家で起きたミステリー。歩けないし一人では決して仏壇まで行けないはずの母が、お盆の朝一人でベッドを這い下り線香を上げ、またベッドに這い上がっていたのだ。その時のどうしても!≠フ一念の成せるわざで、翌日には全く出来なくなっている。身体能力の上下の波は本当に予測がつかない。
軽度の人の筋力トレーニングによる介護予防というのも、その効果の表れる人は少数なのではないかと思う。
04年6月11日の朝日新聞によると、介護労働者の平均賃金は16万8000円、女性が8割を占め、正社員は55・1%、勤続年数は3年未満が65・6%だという。どんなにやりがいのある仕事でも、低賃金で過重な労働であれば定着しないのは当然だ。介護労働者も、在宅で介護中の私も心身の疲労が極限に達したときに、その時点ですぐに助けを求めることができず簡単に虐待などに走ってしまい易い。
一方では、02年度だけでも介護サービス事業者による介護報酬の不正請求は32億1千万円にものぼることが厚生労働省の調査で明らかになったという。(04年4月朝日新聞)
まさにお年寄りを食い物にする企業の論理がまかりとうっている。こういった不正は何とかならないものかと痛感する。
2年半の母の在宅介護のうえで、介護保険のおかげでどれだけ助けられているかはかり知れない反面、今回の見直しは何か隔靴掻痒の感は否めない。見直しのさらなる再考を、弱者の声に耳を傾け向けながらおこなって欲しいと切に思う。(澄)
靖国問題について−なぜ戦争が起こらねばならなかったか
靖国問題を論じる前に、余り専門的には深くはない素人の私は、なぜ戦争−国家間の食いあい−が起こるのだろうと疑問を持ったし、自然と生物(人間をも含めあらゆる生き物)が自然の中で、それでも仲よし≠ナはなかったであろうとし、生きる中での食いあいはあったろうと、想像する。自然から人というのが分離して国を作ったのはいつごろからか、その当時の国のありようと人々の生活のありようは考古学や最古からの哲学etc,完全に実証しうるものでなくとも、遺物からサスペンス同様の想像力、その他を駆使してのぞきみることもできよう。
なぜ戦争が起こらねばならなかったかを原初的に、更に時代を下って戦争がなぜ、どんな風に行われてきたかを辿ることによって、殺し合い−戦争の根本的な種をとりのぞいていくには、どうするかを今後考え実践し続けていかねばならないだろう。それは、ひとり日本の靖国問題だけではなく、今後全世界の人々が課題とすべきことであろう。
私は戦中・戦後を生きた美空ひばり≠ニ同世代のものだから、少女時代はほしがりません勝つまでは≠信じこんていたものであった(美空ひばりはそんなときでも押し入れで、蓄音機で歌を聴いていたという)。食えないため−国内の矛盾のあらわれだと思っているが−に兵隊に、軍隊に入ればめし≠ェ食えると貧しい村の青年や人々は戦争になだれこんで行ったという事実は、あとで知った。
中国でも不幸な独りぼっちの貧しい老人が、今では餃子も食える≠ニ養老院で生活する中で、目を細めていたのをTVで見たのは、新生中国が誕生して直後のことであったと記憶する。抗日戦争を闘い抜きとにかく食わせた毛さんは、後には神の子として利用もされ、誤りも犯したであろうが、その功績は消すことはできないであろう。毛さんは秦の始皇帝を評価していたが、中国法制史=iニイダタカシ氏の著)を読んだ時、その刑罰の残酷さに私は読み続けることができなかったし、国家というものはこんなに酷いものか、と思ったものであった。
小泉はんが持ち出した孔子様は治国を演じた人であったが、周の時代の治め方(多分、文化の管理者としての国家のありよう)にかえれ、と主張したように思う。中国史の研究家の発言を待ちたいと思うが。
私は戦後、戦争をはじめたのは天皇だと思いこんでいたし、めし≠ェ食えると貧乏から脱け出す手段として兵隊になっても、馬≠ナも靴≠ナも何でも陛下のもの≠損ねたら、えらい目にあわされたそうだ。後に天皇は操り人形みたいにされてきた歴史の上におかれた姿であったことを、やっと知った。
役立たずの年よりになって暇ができて、大なり小なり戦禍を経験した父、母、姉、私を振り返ってみて、本気で勉強したいし、記録とともになぜに? を追求したいという思いでいる。靖国問題をもっと深めて戦争はなぜ? というところから、アジアも全世界もとらえなおして考えてみたい。
省略
父や母、姉はもうこの世にいないが、お国のために≠ネど口に出したことはなかったし、ひたすら家族を食わせ、空襲下で日々の無事のみ、その日、その日すごすのに精一杯。軍国少女は私位のものであったと思う。
その後、夢中で生きてきて誤りも犯し、自分をも見失うこともあったが、この年になって、もっと根本的に考え直し勉強したいと思うかたわら、せっせと歩き回って巷の風聞や人生ことばを交わしたりする魅力にとりつかれ、旅中毒にかかっていたが、もう限界。誰も読んでくれないかもしれないが、底辺を歩いてきてとらえたこと、学んだこと、etcを徒然草≠謔しくそこはかとなく書き作りたいもの、と思っているが、果たせるかどうか。どっちを向いてもぶっそうな世の中だが、黙って死を待つのも芸がないとも思って、最後の計画をねっているところ。 2005・7・12 宮森常子
元赤旗平壌特派員の萩原遼氏の除籍について
最近、日本共産党は、元赤旗平壌特派員であり党員である萩原遼氏(「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」名誉代表)を除籍しました。
その直接のきっかけは、5月24日、東京の首相官邸近くのホテルで行われた朝鮮総連結成50周年記念パーティーの会場前で、朝鮮総連批判のビラを配ったからです。言うまでもなく、この記念パーティーには、不破哲三日本共産党議長が出席して、金正日に対して祝賀メッセージを読みました。
萩原氏が配ったビラには、「朝鮮総連は『帰国事業』という巨大な誘拐・拉致に責任を取れ」との守る会の声明が掲載されており、「(朝鮮総連は)いまも北朝鮮で地獄の苦しみにある何十万人もの在日朝鮮人帰国者を希望するところに行かせるよう本国当局に進言すべき」で、また「すでに日本に戻ってきた帰国者の生活と教育、就職斡旋などで朝鮮総連は組織を挙げて支援する責務がある」と訴えるものでした。
毎日新聞が伝えるところによると、ビラの配り方は、一枚一枚封筒に入れ、参加者に「お読み下さい」と言って、手渡したもので、混乱を起こすようなものではなかったとのこと。
著書に、「北朝鮮に消えた友と私の物語」、「朝鮮戦争?金日成とマッカーサーの陰謀」、「拉致と核と餓死の国 北朝鮮」、最新刊として「金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く」などがある萩原遼さんは、1958以来、共産党員でした。
萩原さんは、早くから北朝鮮の圧政を批判し、朝鮮戦争が、金日成のしかけたものであることを、綿密に研究した著書や北朝鮮の飢餓が金正日の意図的なものであること(金正日の戦争)などを明らかにした極めて説得的な著書を書いてきました。
忘れてはならないことに、大韓航空機爆破事件の金賢姫に関して、北朝鮮がそのような人間は存在しないと強弁した際、平壌空港での金賢姫の少女時代の写真を発掘・公表したのも萩原さんでした。
この除籍に対して、萩原さんは、「不当除籍に抗議、金正日と握手する日本共産党―党の方針から逸脱したのは私ではなく、不破氏の方だ。彼の言動こそ厳重に審査せよ!―」の声明を発表しています。
それによると「東京都都議会議員選挙を前にして唐突に日本共産党が私を除籍したのは、朝鮮総連との関係」であるとし、5月24日、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が発表した声明「朝鮮総連は『帰国事業』という巨大な誘拐・拉致に責任を取れ」をレセプション参加者に配ったことをもって、「我が党の立場や活動を攻撃することに他ならない」と言っていることから、日本共産党はいつから朝鮮総連と一心同体になったのかと萩原さんは鋭く詰問し、朝鮮総連から頼まれて、今回の除籍処分の措置を急いだとの見方もあることを示唆もしました。
萩原さんは、朝鮮総連を以下のように糾弾しています。
「そもそも朝鮮総連とは何か。北朝鮮の金正日政権の出先組織である。彼らは北朝鮮の駐日大使館のごとく振舞っている。その主要メンバーは朝鮮労働党員であり、朝鮮労働党日本支部を構成し、組織の指示どおりに動いている。
彼らは日本人拉致の現地請負人としてその幇助に加わってきた。それに関わった元メンバーの証言が何冊も公になっている。朝鮮総連は紛れもない拉致の下手人ではないか。朝鮮総連はまた1960年代に帰国運動と称する大規模な「誘拐・拉致」運動の推進者として10万人近い在日朝鮮人とその日本人妻を北の地に送り、日本への一時帰国もほとんど許さず40年あまりも拘禁し、今なお地獄の苦しみを与えている。
さらに朝鮮総連は、帰国者を人質にして日本に残った在日朝鮮人の家族に億単位の金を恐喝するなど、ゆすり、たかりを常習とする反社会団体である。彼らはまた配下の暴力団と組んで麻薬の持ち込み、密売にも手を染めているとも伝えられる。これらはみな本国の金正日の指示と了解のもとに行われている。朝鮮総連の幹部と握手することは金正日と握手することに他ならない。
こうした事実を不問に付して、彼らと握手し、結成記念パーティーに駆けつけるとは、日本共産党もまたその同類であることを天下に知らしめることになるのではないか。暴力団の集会に出席した政治家は世論の指弾を受け、確実に失脚する。暴力団の何十倍も悪質な反社会集団の集会にいそいそと馳せ参じることは党を汚す行為ではないか」と。
この言葉激しい朝鮮総連糾弾の文章は、いかにも時代受けするもののような印象があります。しかし、萩原さんの履歴の中では、正に血を吐く思いで綴られた言葉なのです。
多感な高校生の時、在日の親友を「帰国運動」で送り出し、その後の消息が無くなったことを、北朝鮮特派員になった事を機会に親友の足取りを調べ始めた時、北朝鮮当局によって逮捕・強制送還された経験を持つ萩原さんは、朝鮮労働党を金日成盲従分子と糾弾した宮本顕治の立場を自分のものとしました。彼にとっては不破は裏切り者です。
今回、萩原さんは、この除籍を不当だとして、日本共産党と不破議長に、以下のような質問をしています。「何の説明もなしに2000年に朝鮮総連と和解し、その後は彼らの大会に党幹部を出席させ祝辞を述べさせている。いつ、どの党会議でこんな方針に変わったのか説明されたい。説明もなしに勝手に党の方針に反する言動を取ることは、これこそ規律違反であり、処分の対象となる。規律委員会は私に対する不当な措置を取り消し、不破氏の言動を党規約と決定に照らして厳重に審査すべきである」と。
除籍というう形での事実上の「除名」となった萩原さんに対する今回の突然のやり方は、宮本「ズル顕」路線に代わって不破「ソフト」路線と対比されている日本共産党の相も変わらぬ組織体質を何よりも雄弁に語るものとして、今後の朝鮮問題を考えていく上でも、特記しておかなければならない事件であると私は考えております。 (笹倉) 案内へ戻る