ワーカーズ306号 2005.10.1.    案内へ戻る

どこに自民党との「対決軸」が?−−前原・民主党は第二自民党である
                                        
 九・一一総選挙において、小泉自民党は、当初の予想を大きく上回る地滑り的な大勝利を得た。自公両党の議席数は、前回に比較して五六増、なおかつ衆議院の議席の三分の二をこえる三二七を獲得したのである。かたや政権交代の絶好の機会と位置づけ選挙戦を戦った岡田・民主党は、前回に比較して六四減の一一三議席しか確保できず、結党以来の危機を迎えてしまった。しかし、実際の所では、比例代表と小選挙区での与党の得票は、それぞれ五一%、四九%であったのに、確定した議席数でこの大差となったのは、前々から指摘されていたように死票が増大する小選挙区制度の欠陥によるものであったのである。
 こうした状況下、敗北したら辞任すると明言していた岡田代表にかわって、ネクスト・キャビネットの防衛庁長官だった四十代の前原誠司氏が、菅直人氏との一騎打ちの末、新たな代表に僅差で選ばれた。周知の如く、前原氏は、京都大学法学部卒業で、旧日本海軍を背景とする「京都学派」の高坂正尭氏の弟子で、米民主党筋の親米派稲盛氏との関係も深い。そもそも決定的なのが「松下政経塾」出身である事実だ。民主党内には実に多い。
 根っからの反共派の前原氏は、自民党の久間元防衛庁長官やアメリカのネオコン派と近い「軍事オタク」の石破・前防衛庁長官とも親しく有事法制改正については、携帯電話のメールをやりとりする仲であり、人も知る憲法九条の改正論者だ。日本新党・さきがけと身過ぎ世過ぎで計算高く世渡りの前原氏の心は全くの親米で、端的にはアメリカの「草」の人だ。故に代表に決定後は官公労との訣別が売りである。こんな選択で民主党の危機は乗り切れ、未来は切り開けるのか。旧社会党出身の横路氏は、「自民党国防族と一緒に、ペンタゴンにも行く」、そんな人に民主党を任せられないと公然と前原批判を行っている。
 まさに民主党代表選で、民主党は真っ二つに党が割れたのだ。前原氏自身は、小泉総理から「『第二自民党』という批判を恐れて、あえて協力できるものを協力しないものが随分ある。野党はますます与党に近寄らないと政権をとれない」との愚説を語る。全く呆れ果てた事を言うではないか。実際は与党との対決のみが野党の活路を切り開くのである。
 九月二二日の衆院本会議において、民主党は、自民党・公明党と一致して憲法改正をめざす憲法特別委員会の設置に賛成した。一事が万事。何処に与党との対決軸があるのか。この危機において、民主党は第二自民党としての本質を明確にしたのである。 (猪瀬)


ぶっ壊すべきは小泉〈利権集団〉だ――小泉内閣4年間の「勝ち組政治」の中身――

 これを〈すれ違い〉、あるいは〈ギャップ〉とでもいうのだろうか。今回の総選挙での自民党の圧勝劇のはなしだ。小選挙区制で「民意」が極端に現れるという点を差し引いても、今回の結果のあまりのギャップに驚かざるを得ない。小泉政権こそ平成不況以降の閉塞状況を打破してくれるという〈小泉幻想〉が頂点に達した瞬間だった。
 しかし小泉政権4年間でやってきたことをちょっと冷静に振り返れば、有権者が望んだ〈改革〉と小泉〈改革〉路線がやろうとしていることのギャップの大きさに突き当たる。単純化して言えば、有権者は借金1000兆円時代のローン地獄で先の見えない現状から何とか逃れたい、という思いが選挙結果に表れたのだろう。ところが小泉首相が進めてきたのは、そうした有権者の思いとは裏腹に、グローバルな大競争時代を勝ち抜くことがすべてという、いわゆる弱肉強食の新自由主義的政策そのものだった。以下、経済・労働システムにまつわるいくつかの数字を見ながら、小泉〈改革〉の性格を再確認していきたい。

●大衆収奪

 小泉改革の最大の成果として取り上げられている不良債権問題。
 日本経済の低迷の元凶と見なされていた銀行の不良債権は、小泉政権誕生直前の01年3月で17・68兆円だった。その後02年3月期に22・1兆円とピークを記録し、それが昨年の9月時点では10・4兆円になった。02年に竹中金融相が中心になってまとめた金融再生プログラムで目標として設定した〈不良債権の半減〉という目標が達成されたわけだ。
 これだけ見てくると日本経済も健全化したと受け取れる。が、この過程では膨大な企業倒産や失業者が放り出された。このこと自体が経済の均衡を回復するために避けて通れない市場経済の矛盾の現れそのものだった。
 しかもこの不良債権の解消のためにとってきた超低金利――ゼロ金利政策で、本来預金者が手にするはずだった利息はほぼゼロ。いま平均的な定期預金の1年間の利率は0・03%、普通預金にいたっては、0・001%だ。一方、住宅金融公庫の住宅ローンの基準金利は3・23%だから、その差は定期預金で100分の一だ。ゼロ金利時代の前は定期預金にはふつう3〜4%の利息が付いたが、この換算だけで言えば年利300〜400%の住宅ローンになる計算だ。
 こうしたべらぼうな預金者収奪を何年も続ければ不良債権など解消しないはずがない。現に日本銀行の福井俊彦総裁は、今年1月の衆院予算委員会で低金利が続いたことで家計が受け取ったはずの利息が「93年の水準と比べ、その後の10年間の累計で154兆円減った」と証言している。結局は家計を犠牲にして企業の債務や銀行の不良債権を減らすためのゼロ金利だったわけだ。
 しかも不良債権の発生を振り返れば、その張本人は一攫千金のギャンブル経済にのめり込んだ銀行自身なのだ。銀行やバブルに踊った企業の尻ぬぐいを家計が負担させられてきたのが実態なのだ。これを大衆収奪による銀行救済といわずしてなんと言えばいいのだろうか。こうした不良債権の解消を小泉改革の〈成果〉だと受け取るとしたら、それは〈お人好し〉という意外にない。

●企業減税

 小泉首相が自民党総裁選や〈骨太の方針〉でも掲た〈国債発行額30兆円枠〉はどうなったのだろうか。4年間の小泉内閣ではこの公約は一回も守られなかった。しかも守られなかったことを「大したことはない」と開き直るありさまだ。
 これは少子高齢化などによる医療費や年金財政などへの国庫負担金の増加などの支出増もあるが、それ以上に税収の落ち込みが大きく作用している。05年度の予算で見れば、国の一般会計は82・2兆円。これをまかなう税収は44兆円で、国債での借金は34・4兆円。いわば支出の4割以上を借金でまかなっている計算になる。国債の返済分をのぞいた財政の基礎的収支、いわゆるプライマリーバランスは16兆円のマイナスだ。
 税収を見ると、個人が納税主体である所得税と消費税の合計は、消費税が導入された89年度で25兆円、それ以降04年度までほぼ同じ水準で推移している。他方、企業課税である法人税を見ると、89年度は19兆円だったのが00年から04年にかけて10兆円から12兆円の間を推移している。ほぼ半額強に減少している。平成不況以降は家計の収入は減り続け、一方、企業収益はこのところ史上最高とまで言われるほど増え、89年度の40兆円弱から一旦は減ったものの、04年度は45兆円にも上っているのに、である。現実はといえば家計から税をとり続け、企業課税は大幅に減らされてきたのが現実だ。原因は度重なる法人税率の削減にある。89年度は42%から40%に縮小、90年度に37・5%、98年度に34・5%、99年以降は30%に減らされてきた。
 こうした中で、本来は法人税を引き上げて所得税や消費税を引き下げなくてはならないのに、現実にやっていることやこれからやろうとしていることは全く逆だ。先の総選挙前に政府税調は定率減税の全廃など、いわゆる〈サラリーマン増税〉のアドバルーンを上げた。自民党はこれを否定するようなマニフェストを掲げたが、選挙が終わればいつも増税だったように、今回も増税の地ならしに余念がない。定率減税の全廃や各種所得控除の廃止・縮小などで17兆円もの増税を狙っている。定率減税の全廃だけで一世帯最大で29万円もの負担増だ。
 自民党は今回の総選挙のマニフェストでも「経済活性化と国際競争力強化を重視」を掲げているように、こうした税制の推移を見ても、小泉内閣の企業優先の姿勢は明らかだ。

●しわ寄せは労働者

 小泉政権の〈改革〉の成果として失業率の改善が揚げられている。失業率は現時点で4・4%で最悪時の5・5%から見れば1ポイント以上好転している。しかしこれも見せかけの改善でしかない。
 一つは中国市場などへの輸出拡大などによる景気回復も要因としてあげられるが、最大の要因は労働力市場から多くの人が撤退していることだ。たとえば小泉内閣が発足した01年から見て04年には110万人も減っている。これだけで1・66%になる。現在の厳しい雇用環境の中で就職ををあきらめた人がそれだけ多いということだ。それ以上に失業問題の深刻さは次に見る非正規労働者の激増という現実に拡大した形で現れている。
 21世紀に入り、雇用構造は大きく変容し、ここ数年激変といえる変わりようだ。非正規社員は90年で全労働者の2割だったのが、04年には3割に激増している。ほぼ4人に一人から3人に一人が非正規だ。正社員は97年から見て400万人減少した。これは単純化して言えば潜在的な失業者が6%も存在するという数字だ。
 非正規労働者の内訳を見ると、おおざっぱに言ってパート・アルバイトが01年で1118万人で全労働者の26・1%。95年の798万人、17・8%からみると10%近く増えている。
 また派遣労働者は03年で236万人。その派遣労働者は03年には従業員30人以上の全企業の20%ですでに働いていたが、05年の9月には30%に増えている。さらに04年3月には製造業での派遣労働者の雇用が解禁になり、今では3分の一が製造業で働いている。この解禁自体がそれまで禁止されていた〈偽装請負〉=実質的な派遣労働の後追いであって、これも企業の都合に合わせた規制緩和だった。
 この他、ニートと呼ばれる働く意思も能力もないと見なされている若者が02年の推計で847000人。92年に比べて18万人増えている。
 雇用構造のこうした激変は80年代に英国や米国で起きたことが周回遅れで日本でも現実のものになったわけで、利潤至上主義の新自由主義的改革に必然的に付随する現象だ。それだけ労働者にとって見れば低処遇・不安定雇用が確実に拡がってることを意味する。いわば雇用構造の〈劣化〉である。

●ぶっ壊すべきは小泉〈利権集団〉

 簡単に経済政策や雇用構造を振り返ってきたが、上記のような新自由主義的政策を進める小泉〈改革〉路線も次のステージへと移りつつある。これまで〈小泉改革〉による痛みは、国債などの借金に頼る政策で緩和してきた。それが今度は〈小さな政府〉を全面に掲げることに象徴されるように、サラリーマン増税や社会保障での負担増と給付の削減等々、〈小泉改革〉はいよいよ労働者・勤労者に〈血を流す〉場面を押しつける段階に入りつつある。
 ここでは取り上げきれないが、〈自殺者3万人時代〉やこれから本格化する年金や医療・介護などの〈社会保障改革〉の中身なども深刻な内容を含んでいる。それらの〈改革〉の中身と性格を考えれば、〈小泉改革〉の性格はよりはっきりする。
 今度の総選挙では、小泉自民党が改革政党を標榜することに一旦は成功したが、現実の小泉改革は、グローバル化した大競争時代の中、多国籍展開する巨大企業、業界一位二位の勝ち組企業、さらには総選挙で話題をまいた某IT企業社長など一部の勝ち組の利益を代弁しているにすぎない。
 利権政治の打破を掲げる小泉政権の最大の利権集団は、小泉政権をして新自由主義的政策を推進させる財界であり、その主流を形成する上記のような人たちだ。私たちは小泉政権とそれを背後で動かす利権集団をぶっ壊す〈労働者版構造改革〉を推し進めるのみだ。(廣)


コラム
行き詰まった現代資本主義社会を“変革”する道筋を!


 小泉政権の約4年間でやってきたことといえば、まず、勤労者の収入が減ったこと、(総務省統計による、勤労者世帯の月額ベースで言えば)〇一年は五十五万一一六〇円だったのが〇四年では五三万二十八円と二万円以上の減少であり、そして、社会保障費の値上げでは、国民一人あたり約二万円の負担増である。
 こうした数字から、小泉政権が行いつつある“改革”の実態が、勤労市民への負担増で、決してよくない政策であることは明らかなのである。しかし、今度の衆議選は自民・公明の与党、とりわけ自民党内の小泉派の圧勝に終わった。
 『自民党をぶっ壊す』とか、『改革の本丸は郵政民営化』などと、まさに“改革”の推進者として自らの主張や行動をアピールした結果が、無党派層、とりわけその中の中間層に、強い指導者として受け入れられたようだ。
 自民党や民主党の叫ぶ“改革”は、“民間活力の導入”など、資本主義社会における“新自由主義的”改革で基本的には同じものである、しかし、“郵政民営化”という一つのテーマに絞って、単純に“改革”を訴えた自民党がより“改革”派としてみられ、公明党との選挙協力や、小選挙区比例代表選挙方式の影響もあり、従来からの支持票プラス無党派層の支持を得て、圧勝したのである。
“改革”を全面に掲げた自民党が勝利したと言うことは、行き詰まった現代資本主義社会の中で、おぼろげながらも“変革”や“改革”が求められているということである。
 しかし、小泉政権が掲げる“改革”とは、“小さな政府”、「政府機能の縮小」、「地方への権限委譲」など聞こえは良いが、要は、年金・医療・福祉の切り下げ・増税など個人負担の増大であり、財界やホリエモンのような一部の勝者に有利で、弱者切り捨ての“改革”なのである。
小泉政権は今や中間層にいる人たちに“勝者”への夢を抱かせているが、“勝者”は少数であり、圧倒的多数は切り捨てられるであろことは明らかである。
 我々は万人が平等に暮らせるよう、資本主義内の改良的“改革”ではなく、資本主義社会の革命的な変革をめざし、めざすべき新しい社会構成の提示と、その社会の実現に向けた、活動指針を創り出し、それを早急に示さなければならない。{M}  案内へ戻る

 
常任理事国入りへのお粗末な再挑戦

●小泉国際外交の敗北

 郵政民営化法案や北朝鮮・拉致問題等に隠れてあまり目立ってはいないが、日本の国連安保理常任理事国入りの八方ふさがりも、日本外交の重大な失敗の一つである。
 昨年来、日本の国連安保理常任理事国入りは、あたかも日本の最大の外交課題であり、成功が確実視され、小泉外交の大きな成果であるかに喧伝はされてきた。
 実際に、小泉首相も大いに熱心で、国連で常任理事国入りを強く訴えたし、世界の全日本大使を帰国させ作戦会議を開催していた。そして目的意識的に各国への支持交渉をしても来た。また、支持票を獲得するため、減り続けてきた政府開発援助(ODA)を増やしつつ、特に大票田であるアフリカの国々にばらまくとの全く姑息な手法も使ったのである。
 しかし、この8月上旬の段階では、日本の試みはすべて失敗した。常任理事国入りはほぼ絶望的になったのだ。
 最大の失敗は、もっとも頼りにしていた同盟国・アメリカが反対を唱え、あろうことか他国にも反対への同調を呼びかけ、そして支持母体となるべきアジア、特に隣国の中国・韓国などが反対したことだ。アメリカのボルトン新国連大使は、その第一声で日本などの国連改革に反対しようと、中国に共闘を呼びかけたほどなのだ。
 アメリカ追随一本ヤリの小泉外交、日本のアジア外交は一体何だったのか、これらが改めて深刻に問われる事件ではあった。
 アメリカが反対した理由は、国連の最大の決定権をもつ安保理事会に、これ以上参加国を増やし、アメリカの意思が通りにくくなることは許せないとの判断からである。イラク戦争の泥沼化と独仏へのいらだちが背景にある。また参加国が増えることで小回りが利かなくなることも理由の一つにはなる。こうしたアメリカの事情を読みきれなかった外務省の分析・情報能力はお粗末極まりないし、その失態は明らかだ。この件は、まずアメリカを説得してから動かなければならないことはあまりにも明々白々の事柄ではあったのだ。
 一方、アジア諸国とりわけ中国・韓国は靖国問題や歴史認識がからんでいる。やはり、隣国を説得できなくては、アジアの代表として乗り込むわけにはいくまい。
 それでも日本が望みをかけたのは、日本・ドイツ・インド・ブラジルの4カ国提案(G4)で、拒否権を保留にするなどアメリカなどが呑みやすいように妥協すれば、何とかなると甘い期待を抱いたためなのだろう。またアフリカ連合53カ国の案と妥協し、一本化すれば支持国が一挙に100カ国程度になり、アメリカ・中国が拒否権を使ってまで反対はしないだろうと、これまた甘い読みをしたためだった。
 “自信”を持っていた頃(5月)の日本は、6月に採択をもくろんでいたが、6月下旬にずれ込み、さらに7月・8月と採択日をズルズルと延ばしてきた。8月4日にアフリカが妥協案で一本化することを最後の望みとしたが、もともとアフリカは一枚岩ではなく、常任理事国入りを狙うナイジェリアの言葉にすがりついていただけの話だった。案の定、アフリカ会議は拒否権条項や安保理の増大枠で妥協がならず空中分解し、日本などG4案との一本化は失敗した。
 日本は戦後一貫して「国連外交」を旗印にしており、国連への拠出分担金も日本は、国連の予算全体の19・468%のお金を出している。これはアメリカの22%につぐ2番目の金額で、拒否権を持つ特権国よりも多額の貢献国である。
 それなのにこの有様である。今回の小泉国連外交の敗北はあまりにも明白なのである。

●全く懲りない小泉総理の再策動

 九月十五日、小泉純一郎首相は、ニューヨークで開かれている国連総会特別首脳会合で演説して、安全保障理事会常任理事国入りの決意をあらためて表明した。ただ、日本・ドイツなど4カ国(G4)による安保理拡大決議案が、廃案に追い込まれたことを踏まえ、当初は今年9月の合意を目指していた安保理改革の目標期限を先延ばしし、「(来年9月までの)今次総会の会期中に決定」することを求めた。
 「言葉から行動へ」と題して、英語で行った拙い演説で、小泉首相は「安保理を改革することは、長らく死文化している『旧敵国条項』を国連憲章から削除することと同様に、国際社会の大義」と指摘した。その上で「わが国は改革された安保理で常任理事国として活動したい」と述べたのである。
 九月十六日、こうした事を受けて国連総会特別首脳会合は、包括的な国連改革を盛り込んだ「成果文書」案を正式採択した。さらにこの会議には、過去最大級の約190カ国の首脳らが参加して、創設60年を迎えた国連の「再生」をめざしつつテロ対策などで国際社会の結束を訴えたアピールを行い閉幕したのである。
 しかし、文書は最大の焦点である安保理改革については、常任理事国入りをめざす日本など4カ国(G4)が求める「年内決着」の期限を明記していない。他の対立点でも具体策を先送りしており、多国間協調を原則とする国連の立て直しについては多くの課題を残している。しかし、約40ページの成果文書は、安保理の「早期改革」に支持を表明しており、第2次大戦の敗戦国である日本などが現在も国連憲章で「敵国」とされている「旧敵国条項」削除への決意を示した事が注目されてはいる。
 ここでイラク戦争に参加するなと小泉総理に諫言して外交官を免職するまでに追いつめられた天木直人氏の暴露を紹介する。
 七月二十六日、イタリアの国連大使が、国連総会で演説した。「G4は、各国政府に対して、財政支援をテコにして圧力をかけている。いい加減にして欲しい。ある国に対してG4案の共同提案国になることを求め、拒否した場合は46万ドルの児童むけ開発プロジェクトが『立ち消え』になると脅した」国があると述べたと報じている。名指しこそしなかったがこれが日本であることは明らかだ。私も長らく経済協力局にいたが、こんな発言をする幹部を多く見てきた。なにしろ小泉首相が、かつて郵政大臣か厚生大臣か忘れたが、現職の大臣の時、アフリカの小国を訪れ、そこの大統領と面会できないのを怒って、「こんな生意気な国への援助は打ち切れ」と怒鳴ったのだ。そんな男が首相になっている国なのだ。日本には援助などする資格はない。国連常任理事国になる資格もない。そもそも世界に貢献する外交を何もしていない。天木氏の告発は実に重いものがある。
 まさに真実とは冷酷なものだ。日本の外務大臣・町村氏が、小泉総理の意向を受けて、常任理事国入りを再策動する最大の手法が、何の反省もなくこの手法なのである。正に世界の笑いものなのだ。小泉や町村らは、えらそうになんだかんだとはいっても、結局の所、国内における旧橋本派の補助金削減の脅し以外の説得方法を全く知らないのである。
 まさに世界に冠たる破廉恥国家・日本ではないだろうか。       (猪瀬一馬)


独総選挙の結果と第三極の台頭

■総選挙の結果

 九月十八日、ドイツ連邦議会(定数598)の前倒し総選挙の投票が行われた。連邦選挙管理委員会が19日未明に発表した暫定開票結果によると、民主・社会同盟と自民党は計286議席で過半数に及ばず、一方、与党の社民党と緑の党は計273議席にとどまった。このように、メルケル氏の保守中道の野党第1党、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)がシュレーダー首相の左派、社会民主党(SPD)をわずか3議席差で抑え、第1党となったものの野党単独での政権は取れなかった。
 得票率はCDU・CSUが35・2%、SPDが34・3%自由民主党(FDP)9・8%、左派党8.7%、90年連合・緑の党8.1%である。議席配分予測では、CDU・CSUは225議席、SPDは222議席、次いで自由民主党(FDP)61議席、左翼党54議席、90年連合・緑の党51議席などである。したがって、CDU・CSUと自由民主党(FDP)を合わせた野党連合の議席数は286、SPDと90年連合・緑の党の与党連合が273で、いずれも過半数には届かなかった。今回の投票率は77・7%で、前回2002年の79・1%から低下した。
 このため、メルケルCDU党首は「最強の政党となった。安定した政権を目指す」と宣言し、シュレーダー首相も「数カ月前には不可能なことが起きた。各党と安定政権樹立のために交渉を開始する」と述べ、引き続き首相として改革を継続したいと表明して、両氏ともに次期政権を担う意欲を表明する異常事態の出来とはなったが、実際の所両陣営とも過半数には届かず、結局新政権発足は今後の連立交渉に委ねられた。しかし、第1党の座は候補者死亡のため10月2日に延期された東部ドレスデンの投票結果によっては入れ替わることもあり得るため、新政権の成立は大幅にずれ込む可能性が出てきた。
 可能性としては、保守連合が過半数に届かないため、メルケル民主同盟党首(51)を首班とし、民主・社会同盟、社民党による大連立への模索が始まるとみられる。また、民主・社会同盟と自民党が少数与党になる可能性もある。いずれの場合も同党首が、女性、旧東独出身で初の首相に就任する見込みだと言われている。
 ただ、与党と旧東独の社会主義統一党(共産党)の流れをくむ左翼党の合計は、327議席で過半数を超えるため、同党の閣外協力で与党が残留する可能性のほか、社民党・緑の党・自民党が組む可能性もわずかながら残る。
 こうした中、シュレーダー首相は大連立も左翼党との協力も否定しており、いずれの場合も退陣は避けらない。今の時点では自民党は社民党との協力を全面否定しているのだ。

■総選挙での争点

 今回のドイツの総選挙の争点は、「増税」「対米関係」「ハゲタカファンド」の3点にあった。シュレーダー政権は今年初め、戦後最高の失業者500万人を出すなど失業の増加を抑えられないため、失業手当の実質的な引き下げなどの社会福祉の削減を行い支持率が低下していた。このため、州議会選では社民党が次々と敗北していった。今年5月に最大州で敗北後、起死回生を狙って、大技の総選挙の約1年前倒しを発表した。そして、7月に首相の不信任を経て大統領が議会を解散しのであった。
 メルケル党首は「職を増やすには政権交代が必要」と訴え、投資を促すため企業の社会保障負担を下げる一方消費税を上げるなど不人気な公約を掲げたが、政権を担っていた社民政権への批判はなお根強くて、結局第1党に返り咲いた。
 しかし、終盤の情勢として、保守党のキリスト教民主同盟(CDU)が、財務大臣候補に選ばれたハイデルベルク大学教授の「経済学者」が、貧乏人・金持ち一律の「フラットタックス」制度の導入を主張したために、シュレーダー首相が率いる社会民主党(SPD)からの追及を受け激しい追い上げを受けたため、圧倒的な支持を獲得するまでには至らなかった。
 そもそも、社民党は、労働者と企業の労使協調による合意形成型の政治をスローガンにしており、政策面でも金持ち・大企業に対する税率を重くして、中流階級の負担を押さえるというマニフェストを打ち出していた。これに対して、CDUのアンゲラ・メルケル党首は、大企業優遇の財界重視の政策を長らく訴えていた。さらに、メルケル党首は、フランスとドイツのEUコアグループ主導の外交ではなく、アメリカとイギリスとの協調を重視した「大西洋同盟主義者」であった。メルケル党首は、今年6月にドイツ国内で行われた、英米財界人を中心にした秘密会合のビルダーバーグ会議に出席して、欧米財界人に「顔見せ」を行っている。また、歴史的に仏独が組むのを英国は嫌って、分断工作を仕掛けようとする。その点から考えてみても、メルケルCDUの登場は、英国ロスチャイルド家の大陸奪還計画の一環であると見ることが出来る。
 こうした独総選挙の争点は、単純化すれば、「英米型の新自由主義」か「ヨーロッパ型の戦後社会民主主義」かの選択であった。社会民主党の政治家が、ドイツに襲来した「ハゲタカファンド勢力」のことを「ウジ虫」と批判したことで、「反ユダヤ主義を煽るものだ」と批判され、ドイツ国内で一騒動あったが、金融ユダヤ人たちの利益追求行動がかの地でも大いに批判を浴びているのである。また増税を主張した「学者大臣」が批判される事も何か日本に似てはいる。争点が不明確だった日本の郵政民営化総選挙と比較するとドイツの総選挙の対立軸は明確であった。
 この明確さのため、予想外のことが出来した。左翼党が大きく躍進したのである。ビスキー党首は「われわれは連邦議会の会派資格を獲得した。キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)の政権誕生を防いだのはわれわれだ。欧州全体にも左翼が統一すれば大きな力をもつことを示せた」と発言した。さらにビスキー党首は続けて「われわれはまず連邦議会でドイツ軍のアフガニスタンからの撤退、失業保険給付期間短縮や失業扶助金削減の廃止を提案する」と語ったのである。

■左翼党とはどんな政党か

 ラフォンテーヌ元社民党党首とともに左翼党共同筆頭候補として選挙戦をたたかったギジ元民主的社会主義党(PDS)党首は「左翼党の躍進でドイツはきょうから大きく変わる。一年前には考えられなかったことだが旧西独でも左翼の力が確立し、政治の風景が変わった」と強調した。ラフォンテーヌ氏もまた「社民党、CDU・CSUは敗北し、ドイツ国民は社会福祉削減の政策を明確に否定した。左翼党はこれから議会で大事な役割をはたす。労働者のみなさん、新しい左翼を支援してください」と訴えた。
 ベルリン紙ターゲスシュピーゲルは、CDU・CSUが、数週間で20ポイント近くも支持率を減らした理由として、同党には従来から労働者と使用者の社会的モラルを基本とする「ライン型資本主義」の要素があったが、この要素が「抑制され、ほこりをかぶって、有権者を失望させたからだ」と分析した。労働者解雇など社会、経済諸分野での規制緩和など、CDU・CSUの「アングロサクソン型資本主義モデルへの新たな政策」が市民の不安をかきたてたと論評した。南ドイツ新聞は、「CDU・CSUにとっては破局的な結果」となったが、社民党の「改革政策への信用が不足している」と指摘。「社民党の党員は減少するばかりで一部は左翼党の党員になったことで、シュレーダー氏は選挙中、社会民主主義の言葉を思い出した」と社民党が選挙戦のなかで政策を一部手直ししたことが低迷した支持率を回復した要因だとしていた。フランクフルター・アルゲマイネ紙は、「シュレーダー首相の時代は終わった」と宣言し、「シュレーダー首相は失業率を下げることができず、いかさま師と見破られた」と批判しつつその一方で「CDU・CSUの選挙政策にも多くの市民は不信を示した」と論じた。
 このように、戦後のドイツで社会的に定着していた「社会的市場経済」を守り抜こうとした党が左翼党であった。六年前、社民党の衰退を予言して、党首で蔵相でありながら、シュレーダー首相の「新しい中道路線」に対決して、一九九九年全ての役職から退いたラフォンテーヌ氏は、その時出版した著作『心臓は左で鼓動する』において、市場万能の新自由主義改革に対する鋭い批判を貫徹したのである。
 彼の支持者と旧東独のPDSとが合同して左翼党として闘ったのは、今回が初めてだったが、なによりもPDSが、東独時代の共産党支配時代を「社会主義・共産主義の名で行われた犯罪」と明確な根本的自己批判をしたことにより、東独の地域党的性格を脱して、今回全ドイツでの社会的な復権が勝ち取られたと言える。まさに大胆な宣言ではあった。
 こうして左翼党は、資本主義経済での企業の利潤追求を「重要な条件」と認める一方、国民の生活を守るための社会的規制を綱領に謳っている。何と大胆な大変な柔軟路線ではないか。なるほどなるほど、現在展望が見出せず全くいじけている日本共産党が、今回のドイツの総選挙の結果を過熱気味に報道をするのももっともである。彼らは自分達と似たような主張を掲げる党がドイツでは躍進していると言いたいのだ。
 しかしながら、ここで一言しておけば、日本共産党が本当にドイツから学ばなければならないことは、いつでも何処でも真剣な自己批判をしなければならない場面から逃げないことではないのか。まさにこの点でいつも自己批判することから逃げ回り、一人よい子になっている不誠実不徹底な態度こそ、日本共産党が、未だ心ある労働者民衆から、蛇蝎のように嫌われている支持が拡大できていない真の理由なのである。 (直記彬)     案内へ戻る


動き始めた「労働契約法」 @

労働条件決定システムの大転換へ

■厚労省2007年法案提出へ

 「日経新聞」報じるところによれば、「厚生労働省は労使間で労働条件などを決める際の基本的なルールや手続きを定めた「労働契約法」(仮称)の制定をめざす方針を決めた。就業形態が多様化し、労働の最低条件を一律に定めた労働基準法などでは対応しきれなくなったためだ。労働組合との交渉などに代わる労使協議の場として常設の「労使委員会」を認めるほか、企業再編に伴う労働条件の変更ルールや、解雇トラブルを金銭で解決する紛争処理の新しい仕組みもつくる。二〇〇七年にも法案を国会に提出する。」(9月8日付「日本経済新聞」朝刊)。記事に見られるように、これまで労働基準法や労働組合法をベースに、労使交渉で決めてきた「労働条件の決定システム」を大転換する方向が打ち出されたもので、私達勤労者にとって、多いに警戒すべき事柄です。今後、労働政策審議会を舞台に法案の具体化作業が始まり、再来年の国会が法案成立の山場になると見られます。

■法案のポイント

 では、「労働契約法」の内容はどのようなものなのでしょうか?日経新聞の記事によれば、そのポイントは以下のようなものです(表「労働契約法(仮称)のポイント」日経新聞より参照)。

労使委員会を常設

 労使協議の場として「労使委員会」を常設し、その構成は労働者側が半数以上とし、労働組合がなくても労働条件の変更が円滑に行なえるようにする。

解雇トラブルの金銭解決

 解雇トラブルで裁判所や労働委員会などが「解雇無効」とした場合でも、職場復帰せず「金銭補償」で解決する道を開く。

雇用継続型契約変更制度

 雇用契約内容の変更に労働者が不服の場合、従来は「変更を認めて契約更新するか」、「変更を拒否して退職するか」二者択一をせまられていたのを、「契約内容に不服でも、解決まで一時的に雇用主の要求を受け入れ解雇を防ぎ」、働きながら「係争」を続けられるようにする。

出向と転籍

 労働者を関連会社などに出向させる場合、出向後も出向前の賃金水準を維持するよう、出向元・出向先が保証する。また移籍型出向に伴い「転籍先」の条件などを書面で示す。

試用期間・解雇理由・退職クーリングオフ

 「試用期間」をもうける場合、その上限を設定する。労働者を解雇する場合「解雇の理由」を文書で示す。雇用主からはたらきかけた「退職」を受け入れても、8日程度はクーリングオフが可能にする。

■背景に「就労多様化」と「判例法の山」

 「労働契約法」の動きが出てきた背景は、おおまかにいって二つあると言えます。
 第一は、サービス産業の拡大や、パート労働者・派遣労働者の増加などによって、労働組合の無い職場の割合が増え、労働者個々人のトラブルが、「個別労働関係紛争」として、都道府県の労働局に持ち込まれる件数が激増していることです。個別労働紛争相談件数は2001年度は約4万1千件、2002年度は約10万3千件、2003年度は約14万1千件と増え続け、2004年度には15万件を超えています。(グラフ「労働紛争の相談件数」日経記事より参照)
 第二は、「出向」や「転籍」などのトラブルについて、「労働基準法」等の「成文法」に定められていないため、裁判の判決の積み重ねによる「判例法」に頼らざるを得なくなってきていることです。
 「労働法」の動きは法文そのものを見ても本質は見えてきません。その背景にある「労働経済」の動きを見なければなりません。そこで、次回から、この「労働契約法」(仮称)制定の動きについて、その背景と問題点について、多面的に検討してみたいと思います。(松本誠也)


オンブズ別府大会報告

 9月10日・11日、別府市ビーコンプラザにおいて、第12回全国市民オンブズマン別府大会が開催された。「もっと広げよう、情報公開! 〜あの手この手の公金横領・不正支出にストップを〜」をメインスローガンに、全国から360人の市民が参加した。全国大会で明らかになることは、オンブズ活動の到達点と課題であり、それぞれの闘いの先端の姿である。
 10日午後から基調報告や記念講演、さらに現職警察官による裏金問題の告発などが行われた。11日は昼過ぎまで、@議会改革、A公共事業、B談合・入札改革、C補助金・業務委託問題(包括外部監査)、D情報公開、E警察問題の6分科会と全体会などが行われ、来年8月の長野県松本市での第13回大会での再会を約し、それぞれの帰途についた。実際には、多くの参加者が温泉に向かい、家族にお土産などを買ってから帰ったのだが。
 その最先端の成果と、この国が直面している課題について、これから4回の連載で報告したい。  (折口晴夫)

その1・キーポイントは現職の迫力!

 まず、記念講演を行った松葉謙三弁護士だが、彼は長野県副出納長兼会計局長を辞めてオンブズ活動に復帰したばかりだ。講演の内容はその1年間の長野県幹部職員としての経験であり、長野県議会議員の「議員と職員は身分が違う」と言い放つ傲慢と愚かさの暴露であった。松葉氏も1年間、威張る以外に能のない議員さんたちに泣かされたそうだが、しっかりお返しを考えれるということだった。
 まず、「偽オンブズマン」とののしった議員に対して辞めてから告訴した。次に、長野県は政務調査費の支出に関する情報公開が進んでいるので、その使途を調べ上げて監査請求を行った。松葉氏のように首長に請われて行政に入るオンブズ活動家はこれから増えると思われるが、本物のお役人になってしまう危険性もある。その点、お役人を1年で切り上げ、外からではわからない貴重な経験を積んでオンブズ活動に復帰したことは、賢明で正しい選択だと思う。
 松葉氏と入れ替わるように、大阪氏の互助連合会給付金等調査委員会の委員長に就任したのが「見張り番」の辻公雄弁護士だ。この委員会に批判的な労働者もいるようだが、大阪市の恐るべき放漫財政、公金私消に結果的に加担していた大阪市労連が厳しい批判を受けるのは当然だ。もちろん、辻氏が市当局への批判的視点を失うなら、市当局の労働者攻撃の尖兵となる可能性もある。しかし、味噌と糞を一緒にしてはいけない。私は辻氏の健闘を期待したい。
 松葉氏の次に登壇したのは愛媛県警の現職警察官仙波敏郎氏だ。昨年の函館大会では、元北海道警釧路方面本部長の原田宏二氏と元弟子屈署次長の斉藤邦雄氏が登壇し、その勇気を賞賛された。その後、明るい警察を実現する全国ネットワークが誕生し、まるで監獄のような警察の内部からの告発をサーポートする体制をつくりつつある。今年1月、現職警察官として始めて実名で裏金を告発した仙波氏の登場も、昨年大会の延長線上にある。
 内部告発直後に強制配転された仙波氏に与えられたのは机と電話1台だけで、1日6時間くらいはそこから松山城を眺めているという。それまでもニセ領収書を1枚も書かなかった仙波氏は、マル特(特別対象者)という要注意対象者として扱われていた。昇任試験に合格できないだけでなく、駐在所を転々としたのち鉄道警察隊に配属されていた。そして、今は県警10階の通信司令室で監視されている。
 今は常に公安に尾行されている仙波氏は、段上から会場にいるであろう公安に呼びかけたりもして、会場を沸かせた。彼が内部告発に踏み切ることができた理由は、もちろんニセ領収書作成を拒否してきたということが第一だが、妻がすでに亡くなり子も独立して今は1人であること、何かを理由に逮捕される恐れもないことなどがあげられた。尾行は単に彼が誰と会い何をするかの把握だけではなく、逮捕理由を探すためでもある。この厳しい条件のなかで働き続けている彼の「人生は闘いだ」という言葉は、強制配転の内示を受けていた私にとって大きな勇気を得るものだった。
    

アスベスト問題・続報−−救済新法にだまされるな!

 本紙8月1日号で、国内最大のアスベストユーザーだったクボタの記者会見から始まった今回のアスベスト禍≠ノついて報告した。その続報として、その後の動きや新たな情報をお伝えしたい。まず大きな動きとして、8月下旬に至ってようやく、政府は被害者救済のための特別法を策定し、来年の通常国会への提出を目指すことを決めた。
 アスベスト規制の枠組みは、第一がもっぱら労働現場でアスベスト被曝を防ぐための規制であり、第2がアスベストの飛散による大気汚染の規制である。それぞれ旧労働省、環境庁に責任があるのだが、救済新法を報じた記事で次のように述べている。
政府見解「関係省庁の連携が十分だったとは言えず反省の余地がある」「旧環境庁が総合的に石綿問題をとらえる視点に欠け、所管の範囲でしか対策を取っていなかった」、そして話題の人物、小池百合子環境相「率直に反省すべき点がある。縄張り意識、縦割り意識の問題があったんだと思う」(8月26日付「神戸新聞」)
 日本のアスベスト輸入は1960年代に急拡大、74年の35万2110トンをピークとし、その総量は1000万トンに達している。この数字が今後40年間に10万人が発症する≠ニ予想される原因となっているのだが、政府の認識は反省の余地≠ナあり、縄張り・縦割り意識≠ェ災いしたというに過ぎない。救済策では、死後5年の時効等によって労災での補償が受けられない労働者の遺族、公害健康被害補償法で救済されない家族や近隣住民が対象となるようだ。
 日本におけるアスベスト利用は、江戸時代に平賀源内がアスベストで織った布を火浣布と名づけて将軍に献上したというエピソードもあるが、ほぼ100%輸入に頼っている。従って、60年代以降の輸入の急拡大を早期に止めていたら、かくも深刻なアスベスト汚染は阻止できたのである。
 例えば8月28日の神戸新聞は「500万戸に石綿入り瓦」という見出しで、汚染の実態を報道している。「クボタ」のホームページを見ると、旧神崎工場で1995年まで白石綿を使って住宅建材(外壁材・屋根材)を、小田原工場及び滋賀工場では2001年まで屋根材を製造していたとある。問題の瓦(クボタのカラーベストや松下電工グループのフルベスト)はセメント製で、補強材として最大約25%の石綿を混ぜていた。
「両社の建材事業を受け継ぎ、約9割の市場シェアを占めるクボタ松下電工外装(大阪市)によると、合計で約6億平方メートル分の石綿入りの瓦を販売した。一戸建て住宅に換算すれば約600万戸に相当し、既に家屋が解体されたと見込まれる分を差し引いても400万‐500万戸で使われているという。このほか大建工業(大阪市)や大和スレート(高松市)もかつて販売や製造を手掛けていた」(神戸新聞)
 なお、「クボタ」の旧神崎工場で石綿パイプの製造で10年以上作業していた251人労働者のうち、47・8%が中皮腫や肺ガンを発症し、死亡者が61人にも上っていることが明らかになった。これは10年以上作業に従事した労働者の4分の1近くが死亡しているということであり、もはや殺人工場と言うほかない。「規制がほとんどない中、毒性の強い青石綿が高濃度で飛散する中、簡易なガーゼマスクなどをつけて作業。また、大型集じん機を通した上で、工場の外部に空気排出していたといい、周辺への拡散が懸念される」(9月22日付「神戸新聞」)
 次に、アスベスト代替繊維の危険性を指摘している「日経ものづくり」(8月号・ホームページ版)から紹介しよう。アスベスト代替繊維にはグラスウールやロックウール、セラミック繊維があるが、「そのなかには、形状や体内における溶解性などからアスベストと同様に発がん性が疑われるものがある」「仮に吸い込んでも、溶解性が高ければ肺の中で溶けてしまうが、低ければ体内に滞留し重篤な障害を起こす恐れがある」
 セラミック繊維の体内における溶解性はアスベスト他の代替繊維の中間、発がん性評価は「第2B群」(ヒトに対してがん原性となる可能性がある)で、じん肺や呼吸器疾患を引き起こす恐れもある。他にチタン酸カリウムウイスカや炭化ケイ素ウイスカも体内で溶けにくく滞留しやすい性質を持っていて、発がん性が疑われている。溶解する、しないというのは、「通常、肺胞外のpHは弱アルカリ性の7・4、肺胞内でマクロファージと呼ぶ貪食細胞が分泌する酵素のpHは4・8。つまり、この酸に耐える繊維は化学的に溶けずに、体内にとどまる可能性をもつ」ということである。
 溶解性以外の問題としては、「鼻や口から吸い込むと、気道や気管支にとどまらずに肺の奥深く、空気と血液との間で酸素や二酸化炭素のガス交換を行う肺胞にまで到達する点」である。つまりその小ささが問題で、ナノ粒子やナノマテリアルの有害性が危惧されている。つまり、「ナノテクに使われるような材料でも、便利だからと安易に使っていると、アスベストの二の舞を演じる恐れがある」ということだ。
 9月18日、ILO(国際労働期間)が世界の労災の実態に関する報告書を発表したが、アスベストが原因で死亡した労働者は毎年約10万人と推計している。翌々日の20日、米国立労働安全衛生研究所のチームが米石綿禍の死者数が減少に転じるのは10年先になるという分析をまとめている。これは、石綿肺による死亡率と40年前の石綿消費量の間に強い関係があるとみられること、米国で石綿消費量が減ったのが1970年代後半以降であることから、死亡率の減少も2015‐20年以降になるだろうということだ。
 以上、最近の動きなどを紹介してきたが、政府が進めている救済新法について最後にもう一度ふれたい。それは救済の財源に関するもので、国と原因企業が財源を拠出して対応することを決めた。「財源は原因企業の拠出金が主体だが、倒産などで廃業した企業もあるため、その一部は国が負担することになった」(9月9日付「神戸新聞」)ということだ。原因企業にとことん責任を取らせるのは当然だが、ここまでアスベスト汚染を深刻なものにした国、その直接的な責任者であった官僚たちを裁きの場に引きずり出さなければならない。                             (折口晴夫)   案内へ戻る


ガイドブック紹介
日本消費者連盟編集・発行「グッバイ・アスベスト‐暮らしの中の発ガン物質」(川村暁雄・著)


 表題から近刊書と思うかもしれませんが、初版発行は1987年4月です。私が入手したのは最近ですが、すでに縁が黄ばんだ88年10月発行の第5刷です。しかし、その内容は現状をしっかり批判する内容になっています。そうです、20年近く前にすでに今の危機は明らかだったのです。
 このガイドブックの見開きに書かれている言葉によっても、それは明らかです。「柔軟で、強靭で、酸やアルカリにも強く、熱にも強い。手に取ればまるで羽毛のよう。類いまれな性質をそなえ、なお安い。人類はこの便利さにどっぷりと浸かっていました。いまでは、アスベストは約3000種類の製品となって生活のあらゆる場面に浸透しています。魚の網焼き、自動車のブレーキ・ライニング、台所の壁の不燃材、水道のセメント・パイプ、学校の体育館の天井の吹きつけ材」「しかし、この繊維の危険性は、今はもう十二分に明らかです。わたしたちは今度は悪夢との戦いをはじめなくてはなりません」
 本書の構成は、第1章・アスベスト汚染、第2章・くらしの汚染、第3章・吹きつけアスベスト、第4章・環境汚染、第5章・アスベスト労働、第6章・国際社会の中で、となっています。まず第1章で特筆すべきはアスベストとタバコの関係で、タバコを吸わない人の肺ガン発生頻度を1とすると、タバコを吸う人は10倍、アスベスト労働者は5倍、そしてタバコを吸うアスベスト労働者は50倍。小学生に算数問題のようですが、怖い数字です。
 くらしの汚染では、ヘアドライヤーやトースターの断熱材だけではなくベビーパウダーの中にまで含まれていました。さらに、日本酒やワインの製造過程でアスベストを使用したフィルターで濾過が行われていたことが、1985年の朝日新聞のスクープとして紹介されています。これらは1980年代のことなのですが、それほど無防備に使用されていたのです。こんなかたちでアスベスト汚染に曝されていたとしても、その影響が現れるのはもう少し先だと思います。
 アスベストの吹きつけは「71年から72年にかけてその使用はピークをむかえています。日本では75年に厳しい規制が行われ、現在は一応行われていません。日本の吹き付け総量は71〜74年までの4年間のみ統計が存在しており、その合計は6・7万トン」(24ページ)ということです。なかでも深刻なのは学校での吹きつけの実態で、「アスベスト業界の大手、ニチアスについて書いた本によりと『ほとんどの都立高校の教室を手がけ、都立の中学校、小学校の教室も軒なみ(アスベスと吹きつけによる)吸音作業をすることになった』というのが現状です」(27ページ)
 アスベストによる環境汚染は生産・廃棄の過程でもたらされますが、本書ではこれまでの総使用量は575万トンとされています。それが現在では総輸入量1000万トン、輸入規制の遅れがこれだけの汚染拡大をもたらしたのです。
 労働現場の深刻なアスベスト汚染はこの間の報道でも明らかですが、80年代にはまだ大半が潜伏期ということもあって、肺ガン・中皮腫の労災認定は年間で1桁でした。なお、アスベスト肺(じん肺)については労災の因果関係が比較的立証しやすいので、年間1000〜2000人の労災認定が行われています。
 当時のアスベスト規制には大きな抜け穴がありました。それは「5%以上のアスベストを含む製品は包装などにその旨表示する必要があります」という表示義務規定です。このため、5%以下なら吹きつけ材にも含まれていても問題なしとされ、包装が解かれてしまえばアスベスト製品であることも分からなくなってしまいます。その結果、ホームセンターなどで購入した建材が日曜大工などで加工されたりしたら、アスベスト被曝を引き起こすことになります。
 第6章では、1986年6月、ILO(国際労働機関)のアスベスト条約(石綿の利用における安全にかんする条約)採択に際して、日本政府が国際基準の足を引っぱったことが指摘されています。それは旧労働省の担当者の次のような発言でも明らかです。「石綿問題については、日本代表が一貫してリードを保ち、曝露のおそれに対しては工学的に抑制措置を講じることができるという対応を打ち出し、これが各国の支持を得て使用禁止案を阻止できたわけです」(化学工業日報・86年7月28日)
 日本がこの条約を採択したのは、何と今回のアスベスト禍&道が始まった7月国会でした。それにしても、このような警鐘を鳴らすガイドブックがあることを今ごろ知ったというのは、余りに迂闊でした。もはや遅きに失した感はありますが、アスベスト汚染の責任追及や被害者救済をめざしましょう。                  (晴)
 

『やさしいことばで日本国憲法』B池田訳

第1章 天皇
第1条
天皇はこの国の象徴、人々のまとまりの象徴です、天皇の地位は、主権者である人々の意志によります。

第2章 戦争の放棄
第9条
わたしたちは、心からもとめます、世界じゅうの国が、正義と秩序をもとにした、平和な関係になることを、そのため、日本のわたしたちは、戦争という国家の特別な権利を放棄します。国と国との争いを解決するために、武力で脅したり、それを使ったりしません。これからは、ずっと。この目的をまっとうするために、陸軍、海軍、空軍そのほかの、戦争で人を殺すための武器と、そのために訓練された人びとの組織をけっして持ちません。戦争で人を殺すのは罪ではないという特権を国にみとめません。

正文
第1章 天皇 第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

第2章 戦争の放棄 第9条
日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 天皇が第1章に位置することを、どう考えたらいいのでしょうか。戦前とは違い象徴となった天皇を強調するためなのか? しかし、天皇の存在自体が民主主義には合わない特別な地位であることは、問題ある事実として押さえておかなくてはならないでしょう。今むしろ注目しなければならないのは、9条にある「交戦権」をめぐっての政府の思惑です。ダグラス・ラミス氏の解説を見てみましょう。「おそらく、第9条で唯一むずかしい専門用語は『交戦権』であろう。政府には、これを『侵略する権利』、あるいは『戦争をしかける権利』だと、わたしたちに信じさせたがっている人がいる。そうすれば、交戦権が認められなくても自衛権は残る。しかし、これはことばの意味と違う。『侵略する権利』などというものは存在しない。侵略は国連憲章で禁止され、ニュルンベルク国際裁判で戦争犯罪として定義された。交戦権とは、その中身をほどいてみて見ると、『戦争で人を殺すのは罪ではないという特権』を意味する。交戦権で守られた軍人は、連続殺人犯として、裁判にかけられることなく、何百というおびただしい人びとを殺すことができる。これが戦争の法的基礎である。これなしには戦争は不可能だ」。自衛隊がイラクに派遣されている限り、交戦権が巧みに利用され戦争へと引きずられる可能性は否定されないということです。

CHAPTER1. THE ENPEROR
Article 1.
the Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.

CHAPTER 11 RENUNCIATION OF WAR
Artcle 9.
Aspiring sincerely to an internatinal peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of setting international disputes.In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land,sea,and air forces, as well as other war potential, will never be maintained .The right of belligerency of the state will not be recognized.
(マガジンハウス・池田香代子訳「やさしいことばで日本国憲法」より) (恵)   案内へ戻る


川辺川ダムはいらん!−−国交省、強制収用で完全敗北!

 1966年に発表された川辺川ダム建設計画は、完成すれば九州最大級のアーチ式コンクリートダムになるはずでした。が、8月29日、熊本県収用委員会が国土交通省に対して、ダム建設のための漁業権などの収用裁決申請を取り下げるよう異例の勧告を出したため、完全に頓挫してしまいました。その経緯について、川辺川ダム問題ブックレット編集委員会編集「川辺川ダムはいらん!‐住民が考えた球磨川流域の総合治水対策」(花伝社)を紹介しつつ、報告します。

 勧告から半月過ぎた9月15日、国交省が申請取り下げを決定したことで、発表から40年にしてダム建設計画はいったん白紙となりました。しかしこれは、農林水産省が進めていた利水事業の新計画がまとまらなかったためで、国交省はあくまで「治水のためのダムは必要」との姿勢を崩していません。従って、強制収用の再申請の可能性は今も消えていないのです。それほどに、官僚は執念深いのです。
 この間、過大な水需要(自治体が必要としている水道水源)予測の下に進められていた利水ダム建設があちこちで破綻しています。しかし治水も兼ねていることが多いため、利水からの撤退がダム建設そのものの消滅とはならないのです。その場合、独立行政法人・水資源機構が撤退し、国交省が前面に出てくることになります。なお、川辺川の場合は農業用水です。
 1976年に告示された川辺川ダムの基本計画によると、@総貯水量1億3300万立方メートル、A湛水(水没)面積391ヘクタール、Bダム本体の高さ107・5メートル、Cダム堤の最大幅274メートル、その費用は350億円でした。それが、98年には2650億円となり、今では3300億円になるということが国交省の内部文書(04年8月)で明らかになっています。そこにはなんと「利水事業の事前協議で表明すれば大騒ぎになるが、基本計画の変更時に表明すれば熊本県の反発を招く」と書かれているのです。
 小さく生んで大きく育てる≠ニいうのが公共事業の常とはいえ、その無責任さには驚くばかりです。実際にそうなったら熊本県の負担は145億円も増加してしまい、破綻寸前の県財政はその負担に耐えられないでしょう。それほどまでに決定的な情報さえ、官僚は私物のように扱い、都合の悪いものは隠そうとするのです。
 川辺川ダムは治水や利水だけではなく、発電なども予定された多目的ダムです。すなわち、@洪水調節(治水)、A流水の正常な機能の維持、Bかんがい(利水)、C発電です。@については、「この住民集会(01年12月の川辺川ダムを考える住民討論集会)の中で、過去最大の洪水が来ても一部の未改修の地区を除いて球磨川からあふれないこと。ダムに頼った治水は危険であること。ダムなしの総合治水対策のほうが優れていることなどが明らかになりました」
 Aについては、ダムこそが自然な川の流れを阻害するものであり、「川の流量の自然な変化があって生態系は維持されるのであって、ダムによって一定の流量を保てば本来の生態系は破壊されます」。Cについては、ダム建設によって取水口の水没などで廃止される三つの発電所の出力合計と、川辺川ダムの発電量がほぼ同じであり、これではダムを造る意味がありません。
 そして、Bの利水については裁判で争そわれ、ダム建設反対の原告農家が勝訴しています。「2000名以上もの農民が農林水産省を相手に裁判を起こした『川辺川利水訴訟』で2003年5月16日、福岡高等裁判所は原告農家勝訴とする判決を下し、計画は事実上白紙に戻りました」
 一方、ダム本体工事をじめるためるためには漁業権という関門があります。まず、球磨川漁協が2001年2月と11月、川辺川漁業補償契約の受け入れを拒否しました。そこで、国交省は12月に流域の漁業権の強制収用を求める裁決申請を熊本県収用委員会に対して行いました。その結果が、冒頭で紹介した国交省の完全敗北です。もうこの後にあるのはダム事業認定の消滅、ダム建設計画の公益性≠フ消滅です。

 結局のところ、ダムというのは計画し建設することそのものが目的化されているのが現状です。政・官・業の利権トライアングルが税金を食いものにし、川を殺し、環境を破壊してきたのです。さらに、計画から完成まで30年〜40年、それ以上になれば、水没で移転になるにしろ建設反対に立ち上がるにしろ、人生の大半を左右されてしまうことになるのです。これほど理不尽なことはありません。
 ダムの時代はすでに終わっているのに、利権トライアングルは亡霊の如くさ迷い続けているのです。彼らに死を、我らに明日を!   (晴)


書籍
タバコはこんなに害になる 著 平山 雄(ひらやま たけし) 発行 健友館


 この本は、1984年に発行された。私は、何年か前古本屋で手に入れたのだが、なかなか面白かった。
 著者の平山さんの経歴を見ると、1923年生まれで国立がんセンター疫学部長、国際保健機構(WHO)専門委員、対ガン協会常務理事などを歴任している。現在は亡くなられているようである。
 タバコの煙にはニコチンがあり、ニコチンが強い習慣性を持ち、タバコを吸わないといらいらしてくるらしい。らしいというのは、私はタバコを吸ったことがないのでわからない。
 肺がんや喉頭がん胃がん等、タバコが原因のがんが増えていると言います。それらの病気になりにくいようにするにはタバコを吸わないこと、吸っている人はやめることと著者は言う。
そして、著者は受動喫煙(他人のタバコの煙を吸わされること)の害についても述べている。「他人のタバコの煙を吸わされた人は、呼吸機能・循環機能が害われる」、「受動喫煙させられている人の肺組織が破壊される」、と。
 著者は、まず身近なタバコ(職場や家庭)を追放しようと言っている。しかし、職場は一部全面禁煙のところも出ているようであるが、多くは分煙(煙がもれてくる)もしくは吸い放題であろう。居酒屋などはほとんど吸い放題である。
 私の提言は、身体に毒であるタバコの販売を禁止することを求めたい。   (河野)


共産党の小選挙区立候補擁立戦術について

 衆議院に小選挙区制が導入されて以来初めて、共産党は結果的に全選挙区への候補者擁立を見送りました。2003年総選挙における共産党の比例区立候補者内訳は、比例区単独立候補16人+小選挙区との重複立候補31人=47人で、立候補者実数は、小選挙区300人+比例区単独16人=316人でした。2003年12月4日10中総において、不破議長は、小選挙区300人立候補者中、78%・235人が、法定有効投票率10%以下を認めました。このため供託金没収者率合計は、没収者数264人÷(小選挙区300人+重複31人)≒84%にもなったのです。今回の総選挙では、党中央委員会が全選挙区からの候補者擁立の方針を見直したため、25の選挙区から立候補しませんでした。しかし、小選挙区275人立候補者中、81%・223人が、法定有効投票率10%以下でした。したがって、共産党は、2回連続して、7億円以上もの供託金を没収されました。共産党は、こうした金額の供託金没収を事前に覚悟した選挙をする実に奇特な政党なのです。これを支える考え方は、比例区で議員を当選させるには、すべての小選挙区から立候補者を擁立しなければ闘えないというものです。しかし、この考え方は正しいのでしょうか。今回図らずも25選挙区から立候補させなかったのですから、ここは党中央自らが真剣に総括しなければならない事です。また、今回小選挙区で闘った党員には、立候補者名を言わずに政党名だけを浸透させろとの信じられない中央指導があったとのことです。この事への批判が「さざ波通信」に書かれていました。実際無理やり候補者に仕立てられる専従党員からも全選挙区からの「泡沫候補」擁立は止めよとの声が上がっているのです。
 このような政党助成金十数億円の受け取り拒否と約七億円の供託金の計画的上納は、確かに日本国家に対する共産党だけにしかできない実に献身的な直接的貢献です。しかし、さすがの共産党も財政負担から戦術の手直しが不可避になりました。今後の選挙では、選挙区での全立候補者擁立を貫徹できず、戦術を部分的に変更せざるをえなかったのです。
 私がこの間の共産党の選挙戦術のぶれをスケッチすれば、(1)3回とも300人立候補で連続惨敗結果(2)全小選挙区立候補を取り止める方針(3)そのため、70数人の立候補者しか決めていなかった(4)今回の突然の解散により、275人立候補者の擁立に踏み切る、というものでした。したがって、解散日から公示日までの短期間に、約200人の立候補者を擁立したのですが、立候補者の職業を見れば分かる通り、当然にも共産党専従・共産党系民主団体専従・共産党市町村会議員が圧倒的な比率を占めました。立候補見送り25選挙区は、時間の関係で擁立できなかった共産党組織のためにできたものです。
 今回の共産党の比例得票数は492万票であり、全選挙区平均では一万六千票強でした。おおざっぱに言えば、公明党の約900万票の約半分の力があると言えます。今回の公明党の自民党応援が小泉の大勝を支えたものなのですから、共産党も、選挙戦術を変えるだけで、自公からの政権交代も可能だとの議論には、大いに根拠があることなのです。
 最後に付け加えておきます。立候補が予定されていた共産党の候補者が急病のため、「空白区」になった選挙区がありました。ライブドア社長の堀江貴文氏と亀井静香氏と参戦などで全国的に注目される広島六区です。
 共産党広島県委員会は、堀江氏が出馬表明する前日の今月十八日、広島六区への候補者擁立を断念し、自主投票を決定していました。このため、中国・四国地方で唯一の「共産空白区」となったのです。
 堀江氏の参入で、広島六区が一躍全国の注目を集めてしまい、地元の動きが連日、マスコミで取り上げられ、共産党の政策をアピールできる絶好のチャンスだったのにもかかわらず、立候補予定者がいないため結果的に“蚊帳の外”に置かれた無念さを県東部地区副委員長の寺本氏は「解散以降、地区の党員五、六人に出馬を要請したが、断られた。時間があれば説得できたかもしれない。党員からは『選挙には行かない』という声もあり、申し訳ない気持ちでいっぱい」と語り、地元の共産党関係者は「あくまで自主投票」「自民も民主も同じ穴のムジナ」と繰り返してはいます。
 共産党の公認候補が獲得した票は、前々回総選挙(平成十二年)が約一万九千六百票、前回(十五年)は、減らして約一万八百票でした。ただし前回選挙では、元自民党政調会長・亀井氏と民主前職の佐藤氏との差はわずか約一万七千票であったので、今回は堀江氏との三つ巴の戦いでもあり、接戦を制するためには、共産票は無視できなくなったのです。
 結果は、亀井氏約十一万一千票、堀江氏約八万四千票、民主・佐藤氏約六万八千票、無所属・伊藤氏約三千票でした。
 これから見る限り、共産党の票の流れ方で、議席の行方が代わりそうもなかったのですが、全小選挙区立候補戦術を共産党の最大の誤りだと批判している人もいることをお知らせしておきます。   (笹倉)


色鉛筆‐もったいない! キャベツの処分

 キャベツが豊作と、新聞記事の見出しが目に入りました。単純に想像して、豊作なら農家は潤うと思うのですが、それが大変な事態になっていました。
豊作によりキャベツの価格が暴落し、出荷する費用を加算すれば赤字になってしまうそうです。それで、廃棄処分という結末ですが、その量がなんと12290トンにもなります。キャベツ1個が1キログラムとすれば、その数は膨大なものです。北海道をはじめ、青森、岩手、長野、熊本など日本各地で処分が行われています。なんて、もったいないことでしょう。そして、生産者にとっても日々の労働が報われなかったという、悔しい思いがつのるはずです。
 この話には、続きがあり廃棄の代償として政府から交付金が出されました。廃棄キャベツ1キロあたり、32円が生産者に支払われます。これを計算してみると、12290かける1000かける32で、3億9328万年。食糧自給率40パーセントが、改善されない現状がここにあるように思えます。交付金があるから廃棄処分ができる、もしなければ廃棄ではない何らかの方法を見つける努力がなされるかもしれません。私の家では、産地直送で週1回運ばれてきます。その中には、同じ野菜がたくさん入ってきます。今は、ししとうが冷蔵庫にいっぱいです。生産者と消費者との関係作りもひとつの方法かもしれません。
 ところで、こんなユニークな実践があります。ある農村で廃棄用のトマトをケチャップに加工し、商品化しました。その中心になったのは地域の主婦たちで5年間の試行錯誤で、やっと本格的に商品として出荷するに至ったというものです。しかも、年商3億円というから、すごいものです。主婦のアイデアが生かされた、とてもうれしい例のひとつです。
 トマトは農家の生産物、作業場はもともと収穫時に使う場所ならば、事業を始める設備費用はそんなにかからないのかもしれません。主婦たちの自主運営、苦労もあるだろうが自分たちの頭で考え行動する、責任も問われるが成果も自分たちのものになる。こういう小規模な取り組みが、これからは地域を活性化していくのかもしれません。
 今夏のワーカーズ・サマースクールでは、無認可の保育所を借りて行いました。私と同年代のスタッフは阪神大震災にもめげず、再生し協力会員とともに自主運営で頑張っています。子育て中の若い母親たちの集う場所としても利用され、地域では生活の場として馴染み親しまれています。こんな労働の場も少し羨ましく思うのですが、皆さんはどうですか? 体力勝負の現職場に日々通いながら、これから先の労働・生活の場をあれこれ思案しているこの頃です。      (恵)    案内へ戻る