ワーカーズ308号  2005/11/1    案内に戻る

☆海外での武力行使に道を開く自民党の改憲草案
  改悪阻止の最大の力は労働者・市民の闘いだ

 自民党が新憲法草案を発表した。その核心は、「自衛軍」の保持と、「国際平和の確保のための国際協調活動」を書き込んだ点にある。自民党は、この条項によって、これまで禁止されてきた「集団的自衛権」の行使が可能になると公言している。
 集団的自衛権とは、現在の日本の状況に照らして言えば、米国が行う戦争に日本もその一員として参加すると言うことだ。いま自衛隊がイラクに派兵されているが、この自衛隊が米英軍の兵員や武器の空輸、給水活動や道路補修等々にしか関われないことに、米国も日本政府も不満を募らせてきた。自民党の新憲法草案がめざしているのは、第一には、現在発生し、そしてこれからも頻発するであろう世界各地の反米や反帝国主義を掲げた様々な抗議や戦闘を鎮圧するための戦争に、自衛隊自身も乗り出していこうということだ。
 それだけではない。米軍がいま意欲を燃やしているのは、アジアの強国である中国をターゲットに据えた軍事戦略の構築だ。連動して日本の自衛隊も、防衛白書にも明らかなように、中国をにらんだ戦略を整えつつある。米日の支配層の最大の狙いは、米国や日本などの北の大国への最大の挑戦者として台頭しつつある中国を威嚇し、これを自分たちの支配秩序の下に押さえ続けておくことだ。とりわけ日本の支配層にとっては、中国とのアジアを舞台にした覇権争いは切実であり、そのことを念頭に置いて国民の中に反中国感情を育成することにも余念がない。
 改憲案の意図するものはそれだけではない。この間大企業が推し進めてきたリストラ、自民党が強行してきた構造改革政治=多国籍企業の利害を前面に押し出した新自由主義政治は、既存の企業社会秩序を崩壊させ、社会保障を切り縮め、農村や都市の自営業者への保護策も大きく後退させてきた。その結果は、大量失業、無権利で不安定な雇用の増大、自殺者の急増、犯罪の多発などによる社会不安の激化等々であった。自民党による改憲のもうひとつの狙いは、自らの弱肉強食政治が壊したこの社会を、より強権的な政治システムをつくりあげることによって再統合しようというものだ。
 愛国心や民族の伝統等々の文言が入らず、保守色が薄められたとも評論されている。しかしそれによって改憲案の危険性が弱まったわけでは決してない。それらはむしろ、自民党が本気になって改憲を推し進めようとしている決意の表れだ。
 公明党の優柔不断は結局は保守政治に引きずられる。民主党の乗り気薄のポーズは、民主主義や平和への信念からではなく、自民党に点数を稼がせたくないというみみっちいセクト主義から出たものに過ぎない。
 労働者・市民の闘いこそ憲法改悪阻止の最大の力だ。  (阿部治正)


☆排外主義を扇動する小泉首相
 あらわになった小泉靖国参拝の意図を暴く!

 10月17日午前、小泉純一郎首相が秋季例大祭中の靖国神社を参拝した。直前に下された大阪高裁の違憲判断を意識してか、過去4回の参拝とは様変わりした私的参拝≠強調したものだった。しかし、首相の靖国参拝という点において何の変わりもなく、その政治的な意図はこれまで以上にあらわになった。       (折口晴夫)

 小泉靖国参拝については、すでに本紙307号で大阪高裁判決の詳報を行っており、靖国神社の本質についても高橋哲哉著『靖国問題』が紹介されている。ここでは改めてそれらには触れないが、靖国神社による合祀の意味について高橋氏の指摘を紹介しておく。以下の引用は、東京招魂社を靖国神社と改称し、別格官幣社に格付けした際の「祭文」(1879年6月25日)を、高橋氏が翻訳≠オたものである。
「明治維新より今日まで、天皇が内外の国の暴虐なる敵たちを懲らしめ、反抗するものたちを服従させてきた祭に、お前たちが私心なき忠誠心を持って、家を忘れ身を投げ捨てて名誉の戦死を遂げた『大き高き勲功』によってこそ、『大皇国』を統治することができるのだ。と思し召したがゆえに、(中略)今後、お前たちを永遠に『怠る事無く』祭祀することにしよう」(『靖国問題』101ページ)
 靖国神社「遊就館」は、@殉国の英霊を慰霊顕彰する、A近代史の真実を明らかにする、ための軍事博物館だが、その基調は先の「祭文」と変わらない。今日においても、靖国神社が多くの合祀絶止(取り下げ)要求を拒否するというかたくなな態度を取り続けている理由も、もっぱら宗教的理由によるものではなく、靖国存在の正当性を否定するものへの拒絶にほかならない。靖国神社の反動性はこのように平和を否定し、国民を戦死へと駆り立てる役割を今も忠実も果たそうとしているところにある。
 小泉首相は今回も参拝の理由を、「過去の戦没者を追悼する自然な気持ちと、二度と戦争を起こしてはいけないという不戦の誓い」と説明している。しかし、近隣諸国から「重大な挑戦」と受け止められるような行為が、不戦の誓い≠ニ言えないことは明らかだ。また、国のために殺し、殺されること≠賛美する神社に参拝することは、およそ追悼とは無縁である。
 小泉首相が繰り返す参拝理由は、ウソも100回言えば真実になるたぐいの国民向けの欺瞞に過ぎない。今やその効果が絶大であることが証明され、右派マスコミだけではなく多くの国民から内政干渉≠ノ対する感情的な言葉が飛び出すようになっている。それらは歴史に対する無知をさらけ出すものであり、この間の歴史改ざん派の功績≠ナもあるが、一国の最高責任者の執拗な世論操作の効果は絶大である。
 かくして、中国や韓国との関係は完全に破綻し、多くの政治日程が暗礁に乗り上げてしまった。問題なのはそうした国家間の軋轢にとどまらず、国民の意識においても排外主義が台頭しつつあることである。靖国の歴史は血塗られたアジア侵略の歴史であり、それは内政*竭閧ナはなく外征*竭閧ナある。日本の世論が内政干渉#rすべしという方向にさらに進むなら、アジアの人びとから新たな戦争準備とみなされてもしかたがないだろう。
 この台頭しつつある排外意識・愛国心に対して、人びとには国境によって隔てられた利害関係などないこと、歴史の真実を見極めることなく戦争への歩みを止めることなどできないことを、あきらめることなく訴え続けることが重要である。
 また、小泉氏が一私人としての参拝を心から願うなら、即刻首相の座を降り議員の職も辞すべきであり、そうすれば心おきなく私人としての靖国参拝が実現するのである。最もそうなれば、小泉氏が靖国に参拝する意味もなくなるのであるが。


☆丸投げ判決に見る裁判官の立ち位置

 10月25日、同じハンセン病訴訟で全く正反対の判決が東京地裁で言い渡された。その違いは、ハンセン病補償法の解釈において台湾と韓国のハンセン病療養所が「国立ハンセン病療養所等」に含まれるかどうかの問題であった。台湾訴訟を担当した民事38部・菅野博之裁判長は、「入所時期がいくら古いものでも支給に妨げはなく、その限りでは時効、除斥の問題は生じず、かつ国籍や居住地による制限もないと解すべきだ」と原告勝訴とした。当然の判断である。
 一方、民事3部・鶴岡稔彦裁判長は「補償法が外地療養所入所者を対象から除外する趣旨だったとまで断定することは困難だが、内地療養所入所者を予定しているのであって、外地療養所入所者への対応は将来の課題にとどめられていたと解するのが素直である」とし、原告の請求を棄却した。東京地裁民事3部の素直≠ウが、誰のためのものであるかは明らかである。「平等取り扱いの原則」など眼中にないこの国の政治家や官僚にとって、司法のこの素直≠ウは大歓迎だろう。
 同じ「平等取り扱いの原則」から正反対の結論が引き出される現状は、この国の司法の劣化の深刻さを示すものである。裁判官の立ち位置の違いがこうした結論の違いを生み出しているのであるが、圧倒的多数の裁判官は鶴岡裁判長と同じく判断を丸投げして恥じない。誰に丸投げしているのかと言えば、直接的には立法府であるが、彼らの上司である最高裁も含めた国家に≠ナある。
 2日後の27日、今度は大阪高裁で年金国籍差別訴訟判決があった。こちらは私も傍聴していたが、若林諒裁判長は「不支給は適法」と控訴棄却の主文を言い渡した後、判決要旨を読み上げだした。わざわざそうするのだから、少しは原告側の主張を認める内容かと思ったら、ことごとく立法府の裁量≠ノ判断を委ね、結局裁判所独自の判断は何も示さなかった。当然、傍聴席からは批判の野次が相次いだ。
 裁判所のこの任務放棄に、「これでは裁判をする意味がない」「裁判所が存在する意味がない」といった声も裁判長に投げつけられた。ところが、裁判長はこうした野次にもかかわらず、またそれを制止するでもなく、ひたすら判決要旨の朗読を続け、終わったらさっさと退席した。これはどうも、自分の仕事をとにかくこなせばいいという姿勢のようで、こんな連中が司法という権力を振り回すのは実に危ないものがある。
 この裁判の争点は国際人権規約の解釈の問題であり、まさに「平等取り扱いの原則」に関わるものであった。手元に詳細を論じる資料がないので、裁判終了後の報告集会で述べられた判決批判を紹介するが、それは裁量≠フ問題ではないということだった。国内事情が問題となるのは、経済的理由などからただちに規約が示す基準を満たすことができないような場合であり、日本がそれに当てはまらないことは明らかである。
 そして、そうした場合でも「平等取り扱いの原則」は遵守しなければならないとされている。すなわち、外国籍だからということで人権を切り縮めることは許されないということである。年金裁判でいうなら、難民条約の発効に伴う1982年の国民年金法の改正、国籍条項撤廃の段階において、すべての外国人に年金法を適用すべき条約上の義務があったということである。この国の裁判官はこうした国際法上の常識に無知であり、井の中の蛙≠謔しく何でもかんでも立法府の裁量≠ニ書いてしまうのである。
 さらに、外国人は保険料を掛け捨てになる恐れがあるなんてことまで平気で書いてしまい、この裁判の原告が在日コリアンであることまで無視している。原告が日本に定住していることは法廷での証言でも明らかであり、また在日の人びとを一般の外国人と同一視できないことも明らかである。こうしたことすべてに目を閉ざさなければ、原告の請求を退けることはできなかったということである。
 原告があらゆる困難を乗り越えて法廷で真実を述べようと、聞く耳を持たない裁判官があらかじめ構築した判決の骨組みには何も反映されない。とりわけ戦後補償(謝罪と賠償)を求める裁判において、その傾向が顕著である。しかし、今回の韓国ハンセン病訴訟の舞台となった小鹿島(ソロクト)更生園では焼きごてが使用されていたのだ。
 「DAYS JAPAN」(05年4月号)においてその事実が明らかにされているが、焼きごては家畜に対してではなく、入所者の額や肩に押し当てられていた。もちろん、そのような行為は医療とは無縁な拷問であり、権力と結びついた医療≠ェ凶暴で残忍な行為に走ることを如実に示している。日本医学会の犯罪は731部隊をあげるまでもなく数多くあるが、問題はその責任が不問に付されているところにある。
 同じことは司法にも言える。鶴岡裁判長らは小鹿島更生園での焼きごて使用を追認した、と断ずることは不当であろうか。原告の視線に真正面から向き合うことなく、立法府の裁量≠ノ逃げ込み、人間的な懊悩もなく素直≠ネ判決を書いた裁判官らの罪は限りなく深い。   (折口晴夫)


☆コラムの窓・・・イラク・クルドの現実

 日本は「難民鎖国」とも呼ばれ、国の内外からも難民迫害・虐待大国であると批判されています。
 先進国の中での日本の難民認定者の少なさは、国際社会からも度重なる批判を受けています。また、難民申請者を摘発・収容したり、空港で難民申請しようとする外国人を上陸拒否して追い返すなど、難民に対してあまりにもひどい、冷たい姿勢で接しています。
 こうした中、昨年の7月クルド2家族(カザンキラン一家とドーガン一家)が国連大学前で72日間も座り込みをして、日本の閉鎖的難民政策を公然と訴えました。この抗議行動は、日本政府の難民政策の問題点を広く知らしめ、多くの支援者の結集という点でも大変注目を集めました。
 ところが私を含め多くの日本人は、このクルド民族やクルド難民のことをほとんど知らないのではないかと思います。
 今、東京の岩波ホールで一つのクルド映画作品が上映されています。「亀も空を飛ぶ」(2004年/イラン・イラク合作/バフマン・ゴバディ監督・脚本・製作)という作品です。私の知人が以下のような感想を送ってきました。
 「とにかく、恐ろしく、底なしに暗い映画。時は、2003年3月のアメリカのイラク侵略戦争開始前後。
 舞台は、国境に接するイラクのクルディスタンの寒村で、その村の子どもたち、難民として逃げてきた子どもたちが主人公。
 戦争が、直接の戦闘行為によるものだけでなく、いかに広く傷口を広げ、惨禍を拡散するのか、その振り幅の怖ろしさをひしと感じいる映画。サダム・フセインによるクルド抑圧からの解放のプロパガンダなど塵芥のように霧散するような、とりわけ子どもたちの心に降り積もる戦争の重圧、地雷による犠牲とかを越えて、子どもを直裁に他殺・自殺に追いやる酷さに暗澹たる思いがつのる。
 おそらく世界的にも希有な、権力的に飼い慣らされたごとき「非暴力」意識が支配的な日本の反戦・平和運動参加者にこそこの映画は観られるべきと思う。目もくらむような崖の上に立つ少女、その深淵ほど私たちの平和意識は遠く隔たっているのではあるまいか?あまりにも絶望的な暗さ、それはイラク・クルドの暴力的現実、そのほんの一側面かもしれない。が、私たちはまず、崖っぷちに立ちつくすように、そこに真摯に対面すべき。
 一つの救いは、2:30からの上映終了後、4時15分より特別に行われた最新報告「子どもたちのイラク」だった。日本イラク医療支援ネットワーク代表・鎌田實(諏訪中央病院名誉院長)さん、および同事務局長・佐藤真紀さんによるお話し、訴えに光を感じた。
 お二人はイラクの隣国ヨルダンの首都アンマンで開かれたイラクの医師との会議を終え、先日帰国したばかり。何百億円もかけてイラクに自衛隊を派兵している莫大な税金の無駄づかいに比して、圧倒的にささやかな規模であれ、ウラン弾による子どもたちの甚大な被害に対処しきれないイラク現地の医療を支援しつつある志に一つの希望がある。この間の上映期間中にもすでに90万円の募金が集まったという。
 国がなす侵略と占領への愚かなる荷担、膨大な軍事的浪費、その規模に比していかにけた違いであれ、人々の思いをつなぐボランタリーな支援に一条の光あり。映画未見の人はぜひ足を運んでほしい。」
 なお、映画タイトルの「亀も空を飛ぶ」とは、当然亀が空を飛べる訳がありません。しかし不可能が可能になる、すなわち「絶望から希望へ」と言う、そんな監督の思いが、このタイトルに込められています。(英)    案内に戻る


☆ハイド委員長の小泉批判と野田答弁書の無知蒙昧

ハイド下院開講委員長の小泉批判

 十月二六日、加藤良三駐米大使は定例記者会見で、小泉首相の靖国神社参拝が、アジアに及ぼす影響について懸念を示す米共和党のヘンリー・ハイド下院外交委員長(81)からの書簡を受け取っていた事を明らかにした。同大使が靖国神社参拝問題に関連してこうした書簡を受け取ったのは今回が初めてだという。
 加藤大使によるとこの書簡の趣旨は、「アジアにおいても諸国間の対話が前進することがどの国にとっても大事であり、どの国の国益にも合致する。(靖国神社参拝で)そういう対話が疎外されるとしたら残念だ」というものであり、「(靖国神社参拝への)抗議という性格のものではなかった」と説明された。ハイド下院外交委員長は、イリノイ州出身で、当選一六回のベテラン議員で、一九四四年から米海軍に従軍してフィリピン海戦などに参戦した経験があると伝えられている。 ほとんどの日本のマスコミが伝えたのはこの程度の内容であった。
 しかし、韓国のマスコミの伝えることは、こうした説明とは異なっている。韓国では、この書簡で、「日本政府関係者らが靖国神社参拝を続けていることを遺憾に思う」と表明するとともに小泉純一郎首相と閣僚らの参拝を批判したと報道されている。
 報道によると、書簡の中でハイド氏は、自ら太平洋戦争に参戦した一人として、戦争で命を落とした軍人、民間人について国籍を問わず追悼することには共感するとした上で、「靖国神社は、第2次世界大戦の主要戦犯たちが合祀された所だ」として、「日本政府関係者の繰り返される神社参拝は遺憾だ」と述べ、そして、靖国神社を「(戦犯合祀のため)第二次大戦の未解決な歴史の象徴であり、太平洋戦争を生んだ軍国主義性向の象徴になった」と規定しつつ、「靖国神社はアジアをはじめ全世界的に、第二次世界大戦の未解決の歴史を象徴しており、太平洋戦争をも引き起こした軍国主義的な立場の象徴だ」と指摘した。さらに、ハイド委員長は今回の書簡で、ダグラス・マッカーサー将軍の名のもと、東条英機元首相を戦犯として有罪判決した「東京戦犯裁判」の正当性を強調した。「(ドイツ)ニュールンベルク戦犯裁判と同様に、東京戦犯裁判も『勝者だけの正義』ではなかった」と言及したのだ。 ここには、戦犯裁判は戦争勝者の論理であり、承服できないとする日本の一部右翼グループの主張に反論する一方で、ニュールンベルク判決に承服したドイツの成熟した態度と比較しようとする意図もうかがえると韓国のマスコミは報道したのである。
 実際に靖国神社には、A級戦犯十四人とB・C級戦犯約千人の位牌が保管されている。
今年の七月、米下院は、太平洋戦争開戦時の東条英機首相らをA級戦争犯罪人として裁いた極東軍事裁判(東京裁判)の判決を再確認する決議案を全会一致で可決した。そしてハイド氏は職責上明らかなように決議案を主導した議員の一人であった。
 アメリカ政府は今までは、欧米のマスコミがこの事を問題にした時も、下院議会とは異なる対応をして、同盟国である韓日間の歴史問題に中立的な態度を堅持してきた。同日にもトーマス・シーファ駐日米国大使が日本の新聞とのインタビューで、「(神社参拝は)韓国、中国に大きな憂慮になっている」と慎重に言及したにすぎなかったのである。
 この事実から韓国のマスコミは、委員長の書簡は、今年7月、米下院が全体会議で全会一致で採択した「対日本勝利六0周年」決議文に続き、日本政府の歴史忘却行為を指摘する二番目の努力と報道した。 どうして日本と韓国のマスコミとに明確に報道姿勢の相違が見られるのであろうか。まさにここにこそ靖国問題の本質が潜んでいるのである。

小泉首相の神社参拝に対する米国の警告―中央日報社説

米下院国際関係委員会のハイド委員長が、小泉首相の靖国神社参拝を批判する書簡を米国の日本大使あてに送った。シーファー駐日米大使も「中国・韓国などアジア諸国が神社参拝について懸念している」と話した。これまで同問題について「中立的態度」を示してきた米国が「日本に話すべきことは話したい」との立場に転じ、注目される。
ハイド委員長は、神社参拝に関連した日本政府の論理について、一つひとつ反論した。何よりも、戦犯への東京裁判が「勝者の定義」ではなかった、との点を明確にした。また「靖国は戦犯合祀で軍国主義志向の象徴となった」と強調した。これは、日本が同裁判を「勝者の定義」と見なし「有罪判決を受けた人々が、戦犯ではない」という論理を掲げていることについて、不当性を指摘したものだ。
こうした米国の指摘に対する日本の出方が気になる。これまで日本は、韓中の抗議を一掃してきたからだ。小泉首相は敗戦60周年に際した談話で、かつての日本の侵略について謝罪し「韓国、中国とともに域内平和を発展させて行く必要がある」と確かめあった。しかし、およそ2カ月後に神社参拝の強行に踏み切った。侵略を謝罪するとしながら、軍国主義日本のA級戦犯は追慕する、という二重の態度を堅持してきた。
とりわけ、同首相は、戦没者への追悼方法をどうすべきかは、他国が干渉すべき問題ではない、というごう慢さまで見せた。日本指導層のこうした態度の根底には「米国との同盟関係さえうまく維持できれば、北東アジアの機嫌を取る必要はない」との認識が働いているように思える。だから、米国の「保護傘」だけを気にし、周辺諸国は白眼視した。そうした日本の外交認識に、米国が介入したのだ。
米国としては、日本との関係のために北東アジアで、韓国・中国との関係が疎遠になるのを望まない。とくに、日本の「侵略歴史」という明白な犯罪に、米国が味方する理由がない。日本は、米国が沈黙を破って厳しく忠告したことの意味に気付かなければならない。日本はこれ以上周辺諸国の傷を突きまわすな。

 ここに各国マスコミの代表として、中央日報の社説を全文引用した。小泉総理の心の奥底まで見極めた実に辛辣なものではないか。韓国のマスコミは見るべき点をしっかりと認識しているのである。

公式参拝を巡る政府答弁書と野田答弁書

 十月二五日、日本政府は午前の閣議において、首相の靖国神社参拝については、追悼目的であることを公にして「二礼二拍手一礼」など神道の儀式を踏まなければ、公式参拝であっても憲法に抵触しないとする答弁書を破廉恥にも閣議決定した。
 今回の答弁書は、実に姑息なもので、中曽根康弘首相が一九八五年八月に公式参拝に踏み切った際の政府見解を踏襲しており、同内容の答弁書を二00一年五月にも閣議決定している。したがって、今回の政府答弁書は、三権分立に真っ向から異議を唱える許し難い暴挙なのである。
 この暴挙を糾弾すべき野党第一党の民主党はこれにどのように対応したのか。
 それは信じがたい対応ではあった。全ての労働者民衆は、野田佳彦氏の「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書及びそれに対する十月二五日答弁書を慎重に検討すべきだ。彼が持ち出す論拠は評論家櫻井よし子氏とほぼ同じである。
 まず、野田氏は、小泉総理の今年六月二日の予算委員会において、参拝の理由を「軍国主義を美化するものでもないし、日本が軍事大国になるために行っているのではない。この平和のありがたさをかみしめよう、二度と国民を戦場に駆り立てるようなことはしてはいけない、そういう気持ちを込めて」と述べると同時に、靖国神社に合祀されている「A級戦犯」を「戦争犯罪人であるという認識をしている」と述べている事を問題にする。そして、何と小泉総理が「A級戦犯」を戦争犯罪人と認めるかぎり、総理の靖国神社参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁はできないと野田氏はしたり顔でのたまうのである。
 この野田氏の論理構成は以下の如くである。極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約第十一条ならびにそれに基づいて行われた衆参合わせ四回に及ぶ国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。すなわち、「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻していると解釈できる。極東国際軍事裁判で「A級戦犯」として裁かれた人々の法的地位を誤認し、また社会的誤解を放置しているとすれば、それは「A級戦犯」とされた人々の人権侵害であると同時に、内閣総理大臣の靖国神社参拝に対する合理的な判断を妨げるものとなる。内閣総理大臣の靖国神社参拝は国際政治的な利害を踏まえて最終的な判断がなされるべきだとしても、「A級戦犯」に対する認識を再確認することは、人権と国家の名誉を守るために、緊急を要すると考える。それにしても大胆不敵な認識ではないか。
 この立場から、野田氏は、一.「戦犯」の名誉回復について 二.極東国際軍事裁判について 実に核心的な質問をした。この立場は自民党と靖国神社公式参拝を正当化する事を競い合いたいとする民主党の立場を端的に明らかにしたものである。詳しい質問内容はインターネットで公開されているので是非参照を期待したい。
 しかし、小泉総理は、こうした野田氏の政府見解を改めよとの「挑発」には乗らず、従来からの後藤田見解を堅持したのである。ここでは核心となる二つの回答を引用しておく。
「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出獄が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」
「平和条約第十一条は、前段の前半部分において、我が国が極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾することを規定しており、これを前提として、その余の部分において、我が国において拘禁されている戦争犯罪人について我が国が刑の執行の任に当たること等を規定している。このように、我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。政府としては、かかる立場を従来から表明しているところである」
 今までも櫻井よし子氏等のばかげた見解は巷では語られてはいたが、こうした立場に立つ野田氏の質問が、公然と国会の場で議論され始めたこと、そして自民党より一層反動的な勢力との面が強い民主党の核心的性格を如実に示したものとして、労働者民衆が記憶しておくに値するものである。

「A級戦犯」に関わる渡邉恒雄氏と小沢一郎氏の発言

野田氏の呆れた見解を知ったところで、意外な人物が、本当に本心からどうかは確定できないにせよ、充分謹聴に値する発言をしているので紹介して記事を終わりたい。
 まずは讀賣新聞の渡邉恒雄氏に登場していただこう。
「安倍晋三に会った時、こう言った。『貴方と僕とでは全く相容れない問題が有る。靖国参拝がそれだ』と。みんな軍隊の事を知らないからさ。それに勝つ見込み無しに開戦し、敗戦必至となっても本土決戦を決定し、無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない。あの軍というそのもののね、野蛮さ、暴虐さを許せない」
「僕は軍隊に入ってから、毎朝毎晩ぶん殴られ、蹴飛ばされ。理由なんて何も無くて、皮のスリッパでダーン、バーンと頬をひっぱたいた。連隊長が連隊全員を集めて立たせて、そこで、私的制裁は軍は禁止しておる。しかし、公的制裁はいいのだ、どんどん公的制裁をしろ、と演説する。公的制裁の名の下にボコボコやる」
「この間、僕は政治家達に話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音したもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。戦時中、よくこんな録音を放送出来たと思う。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけれど、殆(ほとん)どウソです。だから、僕はそういう焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無いと考えている。犠牲になった兵士は別だ。これは社の会議でも絶えず言ってます。君達は判らんかも知れんが、オレはそういう体験をしたので許せないんだ」
 これらは驚く勿(なか)れ、改憲を掲げる讀賣新聞社の渡邉恒雄氏が、田原総一朗氏責任編集の雑誌「オフレコ!」創刊号で発言した内容です。歴史を実体験した者の科白は、立場を超えて傾聴に値するのだとの感懐を僕は抱きましたとは田中康夫氏の弁である。
 続いては民主党の小沢一郎氏の発言。夕刊フジ連載の「剛腕コラム」二五0号から引用する。
 「小泉純一郎首相が17日、靖国神社に参拝した。秋季例大祭に合わせたもので、中国や韓国の反発や憲法の政教分離を意識してか、本殿に入らず、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳しないまま拝殿前で手を合わせる形式を取った。いわゆる私的参拝を演出したものだ。
 これまで首相は『政治家の信念として』とか『不戦の決意で』などと語り、就任前の『8月15日の参拝』という公約は果たしていないが、過 去5回、靖国神社に参拝している。
 一国の首相が政治的信念というなら、『私的参拝』『記帳しない』『終戦記念日以外』といった姑息な手段でごまかすことは止めるべきだ。堂々と昇殿して、内閣総理大臣として参拝すればいい。
 政治的信念ではないから、パフォーマンスで逃げるのだ。こうしたリーダーの姿勢は本当に国を危うくしている。中国や韓国の批判には同調できないが、この首相の姑息さだけは看過できない。
 僕は靖国神社には大きく2つの問題があると考えている。
 1つは、靖国神社が明治維新の戊辰戦争で亡くなった官軍戦没者の慰霊のために創建されたため、幕府側の戦没者が祭られていないこと。
 もう1つは、戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも『戦争で倒れた』という解釈で合祇していることだ。
 僕は基本的に、戦勝国側が一方的に敗戦国側を裁いて下した『戦犯』というものは受け入れられない。東京裁判(正式には極東国際軍事裁判)は不当な報復裁判である。
 しかし、東条英機元首相以下、当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい。
 彼らは戦争中、一般将兵に対して『生きて虜囚の辱めを受けず』『死して悠久の大義に生きろ』と教え、特攻や自決を強要した。沖縄やサイパンでは民間人まで自決している。
 その張本人たちが、おめおめと生きて『虜囚の辱めを受けた』うえ、不名誉な戦争犯罪人として裁かれた。とんでもない話だと思う。国家指導者としての責任感、使命感のなさに激しい憤りを感じる。
 この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている。ただ、『東条元首相らは立派だ』と思う人がいるなら、自分で神社を建てて靖国神社から分祀して祀ればいい。僕はその価値はないと思うが、それは自由だ。
 靖国神社は『一度、合祀した御霊は分祀できない』と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」
 日本を代表する反動的政治人間達のとりわけ小沢氏の発言には了解できない部分が多々あるが、小泉総理の靖国神社参拝を「政治的信念ではないから、パフォーマンスで逃げる」と見抜くことやその批判の核心には、私は聞くべきものがあると考えている。(猪瀬一馬)   案内に戻る


☆動き始めた「労働契約法」(3)

労働組合の組織率低下がもたらす事態

 「労働契約法」の背景には、すでに見たように「産業構造・就業構造の多用化」によって、「労働の最低基準を一律に定めた労働基準法などでは対応しきれなくなった」(日本経済新聞9月8日付)ことがあげられていますが、それに加えて「労組の組織率が低下している」ことがあげられています。
 すなわち、時間外労働や就業規則の変更などについて「会社側はこうした問題で社員の過半数が加入する労組などと協議・調整することが労基法で義務付けられている。しかし最近は労組の組織率が低下しているうえ、代替手続きも煩雑なため新たな労使組織を法制化、交渉を機動的に進められる道を開くことにした。」(日経・同)として組合に代わり「労使委員会」を常設しようとしているのです。
 そこで、「組合組織率の低下」の実態について見てみましょう。

雇用者数は増えても組合員数は横ばい

 戦後直後の1950年には、労働組合の組織率は46・2%と、全労働者の半分近くを組織していました。その後、労働組合員の実数は、1975年まで増え続けます。50年には577万人だった組合員は、75年には1259万人と、倍増します。ところが、組織率は逆に34・4%に低下します。(図W・1・1「労働組合の組織率等の推移」、表「W・1・2「総人口に占める労働組合員数の割合の推移」参照、有斐閣「目で見る労働法教材第2版」より」
 組合員数は倍増したのに、組織率は約5割弱から約3割強に減ったのは、雇用者の増加が組合員数の増加を上回ったためです。同じ時期に、雇用者数は50年の1256万人から、75年の3662万人と、ざっと3倍増です。全雇用者の数が3倍に増えたのに、組合員数は2倍にしか増えなかったために、組織率は5割弱から3割強に低下したわけです。
 ちなみに見方を変えて、総人口に占める労働組合員数の比で見ると、70年には6・9%だったのが、75年には11・2%に増加しており、その意味では社会的勢力としては、大きくなっているともいえます。

75年をピークに組合員数も漸減

 ところが、それまで増加していた組合員数は、75年をピークに、実数としても徐々に減り始めました。75年の1259万人から、2000年の1154万人へ、ほぼ1割の減少です。2002年には、さらに1153万人に減っています。そして組織率も、75年の34・4%から、2000年には21・5%と、ほぼ3分の2に減っています。
 実数では約1割の減少なのに、比率では3分に2まで減っているのは、2000年までは、雇用者数は一貫して増加し続けたためです。雇用者数は75年の3662万人から2000年の5379万人へ、ほぼ5割り増しの増え方です。
 つまり、オイルショック直後の75年から、バブル崩壊と、97年金融危機を経るまでの四半世紀の間に、雇用者数はどんどん増えていったのに、組合員数は横這い、ないしは漸減を続けたために、組織率は21・5%まで減っていったのです。ごく最近の統計では、2004年には、組織率は20%を切っています。
 それでも、組合員数を総人口比でみると、75年の11・2%に対して、2000年には9・1%と、漸減してるとはいえ、依然として大きな勢力であることは事実です。三池闘争が日本を揺さぶった60年でも、組合員の総人口比率は8・2%でしかなかったのですから。問題は単に「組織率」ではなく、その「中身」です。

ユニオン・ショップ協定の功罪

 製造業の大手・中堅企業における「正社員労働者の組合」の世界で見れば、労働組合の組織力は、昔も今もあまり変わらないと言えます。それは、これらの大手・中堅企業の多くでは、労使が「ユニオン・ショップ協定」を締結し、労働者は採用の時から、労働組合の加入が前提となったからです。
 このことは、60年代の高度成長から、75年にかけて、製造業の拡大の時代においては、工場の増設と採用人員の増加は、自動的に組合員の増加をもたらし、労働組合は、自らそれ程努力しなくても、容易く組織を拡大できた要因となりました。
 ところが、75年のオイルショックから、85年のプラザ合意(円高誘導)、その後のバブル崩壊にかけて、製造業の企業は、工場を海外に移転し、国内の工場を閉鎖し、新規採用を抑制するようになり、ユニオンショップを足場にしていた労働組合は、退職する組合員数に対して、新規採用の組合員数が追い付かず、徐々に減っていかざるをえなくなったのです。
 加えて、多くの企業の労使間では、ユニオン・ショップ協定の対象は、正規社員の限定され、社外工や臨時工は、対象外とされていたことも、企業がアウトソーシングを進め、契約社員、嘱託社員、派遣労働者、パート労働者を増やしていったのに対して、組織化がほとんど進まなかった要因のひとつでもありました。

あいまいな「過半数代表との労使協定」

 ユニオン・ショップという庇護のない、サービス産業や、パート・派遣労働者などが、どんどん増えていくと、こうした職場領域では、労働組合がないことが普通であり、経営者は、例えば時間外労働をさせるためには、組合に替わる「過半数代表」との労使協定を結ばなければなりませんが、この「過半数代表」というのが、きわめて曖昧です。
 製造業の領域では、組合の無い中小・零細企業において、様々な「従業員組織」(友の会など)が、労使協定を結ぶ役割を代替してきましたが、サービス業においては、それさえも極めて少なく、いつ「労使協定」が結ばれたのか、社員の殆どが知らない状態です。
 やがて、労働者個々人が、自ら同意した覚えの無い就業規則の変更や、残業の強制、配置転換などに対して、異議を唱えるようになり、個別労使紛争の増加をもたらすようになりました。 
 労働組合という頼るべき組織の無い労働者も不幸ですが、経営者にとっても、就業規則の不利益変更を、労働組合との交渉を通じて、多少の譲歩を伴いながらも、ある程度円滑に実施したいところが、組合不在のために、かえって現場での直接のトラブルを引き起こしてしまい、集団退社などのロスを抱えることになってしまう、というデメリットを意識し始めたのです。
 こうして、ユニオン・ショップに守られた正社員の労使交渉と労働協約、それが無い職場での代替的な「過半数代表」による「労使協定」、このどちらも機能しないような職場が増えるにいたって、第3のシステムとして「労使委員会」なるものが構想されるようになったのです。(松本誠也)


☆オンブズ別府大会報告・その3  公共事業・天下り・談合

 この国の借金は一体いくらあるのだろう。国債残高が600兆円を超えたとかいうが、国や地方自治体だけではなく、公的機関の借金とか洗いざらい含めたらもっと膨らむのではないか。問題はそれほど多額の税金がどこに消えてしまったのかだが、そのカギは公共事業・天下り・談合の三題話のなかにある。
 この国の官僚は優秀なので、税金を公共事業に流し込み、残らず使い尽くすためにあらゆる悪知恵を働かせる。しかも、その過程で再就職先まで確保することを忘れない。そうした手口のひとつに官製談合というものがあるが、すべての談合が直接的な加担のあるなしにかかわらず、官の容認のもとに行われていると言うべきだろう。
 市民オンブズマンが談合問題に取り組み始めて10年、落札率は下がりつつあるが、今も大多数の自治体で「極めて談合の疑いが強い」落札率95%以上が多数を占めている。平均落札率でみると
@都道府県 2002年度95・3%→2003年度94・0%→2004年度94・0%
A政令市 95・3%→94・7%→93・2%
B県庁所在市 91・3%→92・7%→90・9%
といった具合である。
 2004年度、平均落札額が最も低かったのは宮城県の78・6%。この数字を基準にして節約可能推計額≠計算すると、長野県の約5・5億円から東京都の約393億円まで、都道府県合計金額は約2766億円にものぼる。なお、政令指定都市の合計節約可能推計額は約767億円、県庁所在市では約288億円となる。
 それでは、平均落札率の低い宮城県や長野県の入札制度がどうなっているのかというと、「誰もが入札に参加できる」「誰が入札に参加しているか分からない」という分かりやすいものに過ぎない。これは一般競争入札というものだが、その実施にあたって特段の困難はないのに、遅々として入札改革は進まない。要は首長のやる気とお役人の認識しだいであるが、大方は旧弊を改めようという意志がない。というのも、談合やり放題の現状が彼らにとっては正常≠ネのである。
 しかも、この手の公共事業のなかには不必要なものもある。全国の自治体で過大な箱物が、道路が、ダムが、そして第3セクターが、自治体財政の破綻を昂進させている。10月14日の「神戸新聞」に、共同通信が配信した「公共事業は必要か」という石川嘉延静岡県知事と五十嵐敬喜法大教授の争論≠ェ掲載されたが、そのなかで石川知事が興味深い主張を行っている。ちなみに、彼によると日本経済には2、3%の潜在成長力を持っているらしい。だから、こんなことも言えるのだろう。
「30年かかっても完成しないダムとか、無駄なものはあるが、皆駄目と言うのではなくきめ細かな議論をすべきだ。整備新幹線や高速道路など進めるべきものはある。静岡空港も開港まであと4年にこぎ着けたが、こうした事業を進めることで、地域の活力を生み出すし、企業立地も進んでいる。東名高速は毎年2兆円の利益を上げているが、一方で事故や渋滞などが頻発しサービス水準が劣化し、動脈硬化を起こしている。(日本の動脈を)リニューアルするため第2東名高速はぜひ必要なプロジェクトだしそれがやっと認知されてきた」
 無駄な公共事業とは、仙台市の地下鉄東西線であり、首都圏の6都県が関わる群馬県の八ッ場ダムである。南に行けば、諫早の干拓であり、川辺川ダムである、等々。もちろん、静岡県知事が必要とする静岡空港や第2東名高速もムダである。私の身近では、開港が秒読みとなってる神戸空港がその最たるものである。
 さきの争論≠ナ五十嵐教授は次のように述べている。「道路公団の官製談合は、民営推進委(道路関係4公団民営化推進委員会)での議論の過程で発覚した事件だ。最終答申では結局赤字道路は税金で造ることになった。しかも、10月からは民営化されるから談合が談合でなくなる。公平で透明性の高い決定方式をつくるべきだ」「今、国にも地方にもカネがない。財政がきついということは、ある意味ではいいことだ。官僚はカネがあればそれを消化することが仕事になる。それに伴って天下りの問題などもでてくる」
政・官・業の癒着と利権政治を粉砕することなくして、この国に未来はない。    (折口晴夫)


☆太平洋を挟んだ新たなパワーゲーム(下)
 ――アジアの中の米中新冷戦――


■米国の「対中封じ込め」戦略

 以上、中国の実情などについて簡単に見てきたが、次は米国の対中封じ込め政策や具体的な対中牽制行為のいくつかを見ていきたい。
 米国の対中国の基本的な戦略としては、クリントン大統領時代の公式なものとしては〈戦略的なパートナー〉として位置づけられていた。が、01年1月に誕生したブッシュ政権は中国を〈戦略的競争相手〉と規定した。これ以下の格付けは、「戦略的潜在敵国」「戦略的敵国」しかないという、敵対的立場がにじみ出ている位置づけである。
 こうした米国の戦略的立場は、米国高官の折々の発言などにも様々な表現で現れている。
 たとえばブッシュ政権が発足する前年の5月に米国防総省が出した「二〇二五年までのアジア」という報告では中国の台頭を「米国の戦略的利益への脅威」だと警告を発している。
 またブッシュ政権発足直後の01年5月には、米軍から委託されたランド研究所から「米国とアジア―米国の新戦略と軍事態勢のために―」という報告書が発表された。この報告書では、日本の改憲への支持や沖縄の下地島の米軍基地化の提言で注目を集めたが、その中では米国の目標として「地域覇権国の台頭を阻止する。」として中国の軍事的な台頭を封じ込める立場を明言している。
 また02年10月12日に出されたブッシュ大統領が打ち出した「国家安全保障戦略」、いわゆるブッシュドクトリンは、「中国は軍事力を整備することで近隣国への影響を強めているが、その誤りを気づかせる。米国と同等かそれ以上の軍事力を築こうとする潜在的な敵を思いとどまらせるに十分な、強力な軍事力を保持する。」との対中封じ込めの立場を鮮明にしている。
 この他では、パウエル国務長官は01年1月の上院外交公聴会で、「中国は戦略的競争相手」という基本戦略や、「台湾関係法に基づく台湾への武器供与の継続」を表明している。またライス安全保障担当大統領補佐官は、就任前年の00年に外交誌『フォーリン・アフェアーズ』掲載の「国益を促進する」という論文の中で「アジア・太平洋の安定にとって中国は潜在的脅威。中国のパワーを封じ込めるため、日本との同盟関係が重要」と指摘している。
 これらを見ても、ブッシュ政権の中国封じ込め政策ははっきりしている。
 次に米国による中国包囲網と対中牽制策のいくつかを見ていきたい。

■米国による対中圧力と牽制

 米国による中国の封じ込めや軍事的、政治的牽制の試みは枚挙にいとまがないほどだ。ここではその一端を読み取るために、今年に入ってから起きたことをざっと振り返ってみたい。
 まず今年05年に初めて訪中したライス国務長官は、台湾独立阻止をねらった「反国家分裂法」を強く批判している。
 ついで6月4日、ラムズフェルド米国防相は、アジア・太平洋地域の国防相による「アジア安全保障会議」で中国の軍拡に公然と懸念を表明することで中国を牽制し、その発言に対して中国の崖天凱外交部アジア局長が反論するというちょっとした鞘当てがあった。
 また6月16日、今度はライス米国務長官がイスラエルを訪問している。表向きの目的はガザ撤退などの中東和平だとされていたが、実はイスラエルの対中武器輸出の阻止という別の目的もあった。この訪問前という時期は、イスラエルと米国の間に中国への武器輸出をめぐって軋轢があり、米政府がイスラエルとの軍事技術の共同開発を一時凍結する異例の制裁措置を数カ月にわたって取っていた時期だった。理由はイスラエルが保有している自国制の無人攻撃機「ハーピー」(=主に対空レーダー施設を標的にする)の新型を中国に供与しようとしていた疑惑を、イスラエルが米国に持たれていたからだ(6月16日「朝日」)。
 ライス長官によるこの訪問の結果、イスラエルは「ハーピー」の輸出を断念し、併せて対中武器輸出には米国と事前協議するという協定を結ぶ羽目になった。これは毎年二〇億ドルにも上る対イスラエル武器輸出停止などの脅しを使った圧力の結果であり、対中封じ込め策がうまくいったケースだ。
 こうしたケース以前にもイスラエルによる対中武器輸出に圧力を加えたことがあった。イスラエルは90年代にも複数の「ハーピー」を中国に輸出しており、また00年には、イスラエルが独自開発のレーダーシステム「ファルコン」を搭載した四基の早期警戒管制機(AWACS)を中国に引き渡す計画が進んでいたが、米国の圧力で断念する事態に追い込まれた「前科」もあった。
 さらに7月19日には米国防総省が中国の軍事力に関する「米国防総省の年次報告」公表している。この中では、中国は89年以降毎年二桁の軍事費増大が続いており、その国防費も実際には中国が公式に発表している04年度で2000億元超という額の2倍〜3倍にも達するとしている。あわせて中国には台湾の対岸に展開されている短距離ミサイルが650〜730基あり、毎年100基ほど増強されていることは前にも触れた。
 またEUが天安門事件に際して実施した対中武器禁輸処置の緩和に踏み出そうとしたが、05年の春から夏にかけて米政府の圧力もあって英独仏外相レベルで「棚上げ」にされるという事態も起こっている。
 こうした一連の対中封じ込め政策や政治的・軍事的牽制に対して中国はどういう対応をしてきたのか、以下、簡単に見ていきたい。

■米中のつばぜり合い

 中国は度重なる米国の対中封じ込め工作や軍事圧力には、すでに触れたようにユーゴ大使館の爆破事件や米軍の偵察機事件などでの対応のように終始、冷静に対応してきた。それは中国にとって今直ちに米国と全面的に対峙する力はないし、長期的に見てプラスにはならないことを、ケ小平以後の中国の歴代指導者が熟知しているからだ。それだけに「多極的世界」へという名目で中国が米国と対峙するという長期的な戦略目標への執念は根強いものがある。だからこそ当面の経済発展に全力を注いでいるのである。
 それでも中国は米国に低姿勢一辺倒というわけではない。台湾解放を意図し、EUの対中武器輸出解禁を反故にすることにも影響した「反国家分裂法」の制定、弾道ミサイルの増配備、あるいは有人宇宙船開発など、長期的な軍事拡大戦略は着実に推し進めている。さらに、ときには米国へのあからさまな牽制発言などで米国の対中姿勢を推し量るなど、狡猾な側面も見せている。
 その一例が中国軍幹部による核兵器の「先制使用発言」である。
 今年7月14日、人民解放軍のスポークスマン的立場にあった朱成虎国防大学防務学院長(少将)が北京で外国記者団に対し、「中国が米国に対し、核攻撃をする用意がある」と中国による核の先制使用発言をおこなった(7.15(夕)「朝日」)。朱成虎少将はこの発言に続いて「中国には通常戦力で米国に勝つ能力はない。」、「(中台)両岸の紛争に米軍が介入すれば、核攻撃の応酬になるかもしれない。西安より東の都市をすべて犠牲にしても、我々は核兵器で応戦する」、「米国が中国領土内の目標圏にミサイルや位置誘導兵器を発射してきた場合、核兵器で応戦しなければならないだろう」、「当然ながら米国人も数百の都市が破壊されると思っておいてほしい。」という趣旨の発言したそうだ。この発言は「台湾情勢をめぐって米国が軍事介入するなら」という前提つきの発言だったが、これは米当局者にも衝撃を与え、すぐ米国務省スポークスマンの反論が出された(17日)。
 朱成虎少将は中国革命の元勲だった朱徳元帥の孫に当たる人物なので、多少の暴走は許されると思ったのか、あるいは共産党指導部の代弁として発言したのかは不明だが、とにかく中国共産党は後日、この発言に関して処分しないことを決めたという。この辺にも中国指導部の本音がかいま見える。
 中国高官によるこの種の発言は前例もある。
 96年、訪中したフリーマン元米国防次官補に、人民解放軍の熊光楷・副総参謀長は「米政府には台湾よりロサンゼルスの方が大事だ」と語りかけたといわれる。米国が台湾問題に干渉すれば中国は米国に核攻撃を仕掛けるという趣旨の間接的な脅しというわけだ。
 中国が核の先制攻撃を否定していないことは極めて危険きわまることだが、米国も核の先制使用を公言しており、いずれにしても米中の核兵器使用をめぐる危険なパワーゲームは今後も続くだろう。

■緊張拡大一辺倒ではない

 米中の対峙関係の流れをざっと見てきた。そのなかでは中国の硬軟織り交ぜた柔軟な対応について触れてきたが、米国も対中包囲網一辺倒ではない。そうは言っていられない事情もあったわけだ。
 90年代後半から米中の軋轢は増していたが、その転機になったのがあの9・11米国「同時テロ」だ。それ以降、米国は反テロ戦争を呼号し、アフガン攻撃の枠組みをつくっていったが、国内に反政府勢力を抱える中国は、政治的・軍事的打算もあってそれに便乗した。その「米中同盟」は米国のイラク戦争では断絶したが、いまだにテロ情報の交換など「反テロ戦争」では両国とも手を携えている。
 また現在進行中の北朝鮮の核開発阻止をめぐる6者協議では、米国としても議長国として推挙した中国に頼らざるを得ないこともあって、米中の共同歩調関係が続いている。
 そして何よりも、経済的には米国にとって貿易額が第一位になるなど、米中の経済的な結びつきの拡大がある。すでに米中はどちらにとっても相手国無くして自国経済が成り立ち得ないまでに経済的な結びつきは深まっているのだ。こうした結びつきに影響されて、ブッシュ政権の対中強硬姿勢は、その度ごとに米国経済界やそうした勢力を代弁する民主党の一部などから牽制あるいは対抗意見などが出される状況にある。それに中国もクリントン前大統領など、米国要人を高額な講演料で招聘したりすることで、米国内部の親中派へのテコ入れを惜しまない。
 対中強硬路線一本槍を貫徹できないブッシュ政権は、時には戦略的なブレを露呈することになる。たとえば以下のような中台関係をめぐるブッシュ大統領の発言だ。
 03年12月にワシントンを訪問した中国の温家宝首相に対して、ブッシュ大統領が「中台の現状変更に反対する」と発言した場面があった。台湾の陳水扁総統が新憲法の制定やそのための住民投票をおこなおうとしていた状況のさなかに、台湾独立につながる「現状変更」に反対するとの立場を口にしたわけだ。そのときは米国の対中政策の「軌道修正」が一部の人々から「政策転換」と受け取られもした。もっともその翌年4月の同首相の訪米時には、台湾関係法を根拠として「米国には台湾の自衛を助ける責任がある」と発言し、前言を訂正する形になった(※台湾関係法――米国は、台湾の人々の安全、あるいは社会的または経済体制を危機にさらすいかなる武力行使または他の形による強制にも抵抗する能力を維持する」)。
 また今年9月の胡錦涛主席の訪米では、双方が自重して経済問題中心の形式的な会談になったようだ。

■米国は中国の台頭を抑えられない

 これまでに見てきたように、米国による対中封じ込め政策は、あらゆる諸国への間接的な対中圧力行使を伴っている。たとえば中国への武器供与に関するイスラエルや対EUへの圧力もそうだし、日本への集団的自衛権の行使、有事法制の整備、それに憲法改定への圧力等々だ。
 しかし米国がイラク戦争の泥沼化に手を焼いている間に、中国は周辺国をはじめとして世界の各国と提携を進めるなど、次々と手を打って米国の対中包囲網を突破するような工作を行ってきている。たとえばつい最近だけでも、中国はパキスタンと安全保障条約を締結し、またフィリピンとも防衛協力協定に署名している。この他、経済的にも日本より先手を打って「東アジア共同体」構想を推進しているのは周知の通りだ。
 さらに韓国もこれまでの日米韓の同盟体制を相対化し、北東アジアでの独自な位置を占めようという戦略からか、「バランサー」という言い方で中国やロシア、それに北朝鮮との関係強化に軸足を移している。
 米国が将来の大国だと認めるインドも米国の思惑どうりには動かない。米国は米国防総省が00年にまとめた報告書「アジア 二〇二五」で、一旦は「新中印共同支配」という一つのシナリオを書いた。しかし対中包囲網の形成にインドの抱き込みが不可欠だと考えた米国は、米国の意向に反して核開発を強行したにもかかわらず、核技術の供与などで協定を結ぶなどしてインドの取り込みを画策している。が、インドは米ロ中、それにEUの間隙を縫って自国の国益追求の道を踏み外さないようにしている。
 そもそも経済成長を続ける中国を完全に封じ込めることなど不可能に近い。かつてキッシンジャー元米国務長官が、米紙への寄稿で「封じ込め政策は米国を孤立させるだけだ」と言ったように、封じ込め戦略は米国の孤立か、あるいは新たな冷戦構造を生み出すだけだ。
 こうしてみてくると、中国の対米戦略は硬軟含めて一貫したものであるのに対して、米国の戦略は尻抜けであり揺れているというのが本当のところのように見える。
 となれば、中国のこれまでの対米対峙という戦略は万全かと言えば、そうともいえない。それは他でもなく中国国内の事情が鍵を握っている。
 まず第一は中国経済の高度成長がどこまで続くかという問題だ。これまで様々な調査会社や政府機関で中国の経済発展を予想してきたが、長期予測というものはあまり当たったためしはない。それに中国経済の発展は、これまでの改革開放路線のもとで進めてきた市場化経済で蓄積されてきた内部矛盾がどう展開するかに左右される。今でも大量の失業者や拡がる所得格差、沿海部(都市)と内陸部(農村)の格差、政府や党の腐敗、追いつけ型経済の限界等々、不安定要素はいくらでもある。各地で暴動やデモが相次いでもいる。中国の未来は米国の対中封じ込め政策よりも、そうした経済問題、国内問題が左右する可能性が高い。

■「戦国史」には労働者・市民の国際連携を対置!

 アジア・太平洋をめぐる米中のつばぜり合いをざっと見てきたが、中国とどう関わっていくかは日本の将来を左右する決定的な要素の一つだ。日本の対中関係はここでは詳しくは触れられなかったが、少なくとも表向きは米国一辺倒に傾斜しながらも、中国を潜在的脅威と見なすことで着実に軍事大国化への道を突き進んでいる。
 このことはたとえば対テロ支援法、イラク支援法、有事法制、それに最近の米軍のトランスフォーメーションに関わる一連の対応などでも明らかだ。またそうしたスタンスを支えるかのような戦略認識を打ち出すようになっている。
 たとえば04年の防衛大綱には、中国軍の近代化、海洋戦略を「注視」するといった対中警戒感を明言し、また05年8月の防衛白書では、中国軍の動向について「核・ミサイル戦力や海空軍力の近代化を推進し、海洋における活動範囲の拡大を図っている」と警戒感を示すところまで踏み込んだ。
 今回は台頭著しいインドやロシア、それに日本の対応などについては具体的に見ていくことはできなかったが、いずれにしても、米中、あるいは日米中ロ印などの諸国が、アジア・太平洋・インド洋地域で21世紀版「戦国史」を展開していくことになるのだろう。
 そうした国々による戦国史と対決するのは、いうまでもなく国境を越えた労働者・市民の連携である。(廣)  案内に戻る


☆次期FRB議長はなぜバーナンキ氏なのか
なぜグレン・ハバード氏ではないのか


ブッシュ大統領FRB議長にバーナンキ氏を指名

 十月二四日、アメリカのブッシュ大統領は、FRB=連邦準備制度理事会の次期議長にCEA=現大統領経済諮問委員会に所属するバーナンキ委員長を指名すると発表した。
 ブッシュ大統領によれば、「バーナンキ氏は理論的な厳密さと規範によって名声を得てきた。彼は世界の金融関係者の間で尊敬を集めてきた。そして、彼はFRBの傑出した議長になるでしょう」と述べて、バーナンキ氏を指名したのである。
 日本にはなじみの薄いバーナンキ氏の経歴を紹介する。彼は現在五一歳、プリンストン大学の経済学部長、FRB理事などを経て、今年六月から大統領経済諮問委員会の委員長に就任していた。
 一方、一八年以上にわたってFRB議長を務め、「通貨の番人」と呼ばれたグリーンスパン議長は来年一月末に退任予定で、「グリーンスパン議長の分別のある判断と賢明な政策によって、インフレが抑え込まれてきた」とブッシュ大統領は、その功績を称えている。
 日本のマスコミが伝えているのはこうした表面的な記事でしかない。確かに、グリーンスパン氏は、日本のバブル経済の崩壊に学んだとされる公定歩合を小刻みに上げるという手腕で、崩壊されるとここ数年言われ続けてきた住宅バブルは 「奇跡的な」延命を続けさせてきた。しかし、もう限界だというのが、経済専門家の間でも急速に増えてきており、経済指標もそのことを暗示させつつある。まさにグリーンスパン議長の花道を飾る時はこの時しかないようだ。
 この「ベンジャミン・バーナンキ氏は、日本の昭和初期の、大不景気と戦争の時代への突入の時代の経済史の研究学者である。そして、1980年代の日本のバブル経済と、それが破綻(デフレ経済)する過程の精密な研究家でもある。バーナンキは、だから、デフレ経済(大不況入り、恐慌)に対処するためにアメリカが特別に育てた人材なのである」とは『世界覇権国家アメリカを動かす政治家と知識人たち』の名著で知られる副島隆彦氏の傾聴すべき見解である。したがって、この人事は、「来年の一月末で、アラン・グリーンスパンがFRB議長を辞めるので、そのあとの、三・四月ごろには、経済異変が起きるだろう。グリーンスパンがやめるまでは、花道を飾らせるので、何ごとも起きないようにして、平穏に続く。そのために、日本の流れ込んでいる外国の資金(その裏には、日本政府が過剰に抱える日本からの資金もある)による仕組まれた株高が続く」後の事態に対する対処を狙ってのものだとの見解ではある。この副島見解は正しいだろう。
 しかし、ここで指摘しておかなければならないことは、バーナンキ氏がブッシュ政権第一期目のCEA=大統領経済諮問委員会に所属し昨年までその委員長を務めていたグレン・ハバード氏とFRB=連邦準備制度理事会の次期議長の席を巡って競い合っていたという事実である。この事に関連してさらに詳しく述べていきたい。

なぜ゛グレン・ハバード氏ではなかったのか

 グレン・ハバード氏は、現在、コロンビア大学ビジネススクールの学長である。彼の専門はアメリカの財政・税法学である。今支持率の急落にあえいでいるブッシュ政権が第二期目の選挙を危なげなく勝利できたのも、四年間連続の納税者一人あたり年額三千ドル=三三万円の減税の為なのであり、この減税政策を提唱して主導してきたのが彼本人なのだ。
 ブッシュ大統領の覚えもめでたくなるのは当たり前の展開ではある。こうして逼迫するアメリカ国家財政を支えるためには、アメリカ以外の国から資金を環流させる必要があることから、今、ハバード氏が担っているのは、にわかには信じられない事だろうが日本経済のコントロールなのである。この事の決定的な暴露が国会で為されている。公開されている一五五―参―財政金融委員会―三号 二00二年十一月七日の議事録から引用する。

○大門実紀史君 日本共産党の大門実紀史です。
 そういう点で竹中大臣にお聞きしたいのは、大臣は金融担当に就任される前から、ハバードCEAの委員長を含めアメリカの政府高官の方々とは何度もお会いされていると思いますし、電話でも連絡取り合っておられるというふうに思いますが、大臣はそのアメリカの要請、なぜこんなに、早く処理してほしいというふうな要請についても直接お聞きになったことはあるんじゃないかというふうに思いますが、なぜこれほどアメリカが日本の不良債権処理に御執心といいますか熱心なのか、大臣、分かる範囲で教えてもらえればと思います。
○国務大臣(竹中平蔵君) 私の経済財政政策担当大臣としてのカウンターパートは、アメリカの政府の中ではそのCEA委員長のハバードないしは大統領経済補佐官のリンゼーということになると思います。したがって、経済問題に関する情報交換は、カウンターパートとしては当然のことながらしております。
 しかしながら、今御指摘にありましたように、これは、アメリカの政府というのは非常にきっちりといいますか、はっきりとしておりまして、要請をしたというようなことは一度もございません。さらには、アドバイスというお言葉がございましたが、そういうことはアドバイスを受けるような性格のものでもございません。そういうことについても特にありません。
(略)
 最初に戻りますが、要請とかアドバイスとか、そういう性格のもの、そういうことは一切ございません。
○大門実紀史君 要請、アドバイスはないということですが、絶えず重要、強調をしてきたということで、表現の問題が多分にあると思います。
(略) 
 特に今回、今年のことでいきますと、五月にそのアダム・ポーゼンさんがレポートを出していますし、IMFも九月には声明を出していますけれども、ここには、日本の不良債権処理は要するになっていない、今のやり方はなっていない、もっと急ぐように米国政府は日本に圧力を掛けなさいと、ここまではっきり言っています。公的資金を入れて早期処理をしろというふうなこともこの中に出てきます。つまり、アメリカは非常にいら立ちを、この早期最終処理方針は出発したけれども、ずっと一年間見ていて、かなりいら立ちを表してきていることが読み取れるんですね。その上での九月のブッシュ・小泉会談、それで今回の加速策というふうに見て取れなくはないと。そういう流れに事実経過ではなっているというふうに思います。
 私は、そういう点で、柳澤大臣が更迭されたということも、一体どういう意味が、どういうことなのかというふうに、そのアメリカの、特にハバードさんの向こうでしゃべっていることも含めて調べてみますと、日本では九月十三日にハバードさんと柳澤大臣の会談があって、ハバードさんが、更に厳しい銀行検査をやるべきだと。もう一つは、ハバードさんは公的資金に慎重ですけれども、将来的には公的資金も念頭に入れてと、それで銀行の改革と。この辺のことをハバードさんが柳澤大臣に言われたら、強調されたら、そんな状態にはないと。柳澤大臣は、そんな状態にはないんだと、今は必要ないということで突っぱねられたと。意見対立があったという報道がワシントン・ポストでされています。
 その後、柳澤大臣が更迭をされて、竹中大臣が就任をされると。竹中大臣については、元々アメリカの評価は高いわけですけれども、この経過の中でかなり高くなってきていますね。十月三十日、竹中大臣が就任されるとすぐ、ワシントン・ポストのインタビューでハバードさんが、彼は優秀だ、これで不良債権処理が進む、歓迎というふうなことを答えておりますし、その後も、竹中方針支持、自民党の皆さんや銀行から反発が出ても、異例の支持表明をする、竹中案でやらないと日本は大変なことになるという警告までやる、ちょっと異常なかかわり方だと思いますが、そういうことがあったというふうに思います。
 そこで、ずばり私聞いてみたいなと思っているんですけれども、竹中大臣が金融大臣を兼務される、これについてアメリカの強い期待があったんではないかというふうに思いますが、そういうことを聞かれておりませんか。
○国務大臣(竹中平蔵君) 閣僚の任命というのは総理の権限の中でも最も重要なものの一部に属すると思います。これについては、総理が様々な点を考えて、総理の責任においてなされたことでありますので、私がどうこう申し上げるという立場にはないと思っております。
○大門実紀史君 じゃ、今度総理に聞いてみます。
 大門議員の活躍により、グレン・ハバード氏と竹中平蔵氏との厚いチャンネルの存在が明らかにされた。竹中大臣は、その回答の中で、はっきりと「私の経済財政政策担当大臣としてのカウンターパートは、アメリカの政府の中ではそのCEA委員長のハバードないしは大統領経済補佐官のリンゼーということになると思います。したがって、経済問題に関する情報交換は、カウンターパートとしては当然のことながらしております」と無邪気に答えている。副島氏の弟子筋では、竹中“レンタル”大臣という表現がよく使われているが、柳沢金融大臣に代わってアメリカから小泉政権にレンタルされた大臣が、まさにこの竹中大臣で、今回の改造内閣でも早々残留が決まったのもそれが理由なのである。
 しかし、日本からアメリカに対する資金環流させるための諸法案、とりわけ八月の郵政民営化法案が参議院で否決された事により、事態の展開が数ヶ月遠のいた為、日本の労働者民衆に大増税を仕掛けた影の立役者で大活躍のグレン・ハバード氏であったにもかかわらず、一時的なものであったにせよ、この一大失敗のため、彼の命運は尽きたのであった。これに関連して、私は副島隆彦氏の新著『重税国家 日本の奈落』(祥伝社)の検討をお勧めする。まさに一読の価値がある著作である。
 こうして、ブッシュ政権は、この間の信賞必罰の実行と現実的判断として、デフレ経済(大不況入り、恐慌)に対処するためにアメリカが特別に育てた人材であるバーナンキ氏を指名したのであった。        (直記彬)


☆郵政職場より−− 星マークの数で人を格付けするな!

 さる10月14日、参議院本会議で郵政民営化法案が可決されました。これで、2007年10月から民営化されることが決まったわけですが、職場では民営化の話が出ることはほとんどありません。
 それはなぜか、要するに職場実態が厳しくなる一方なので、民営化になるならないはそんなことはどうでもいいとみんな思っているようです。
 最近の職場で特徴的なことは、「2つ星」認定の筆記試験がありました。これは、利用者と直接接する職員約34万人(非常勤含む)に対し接客態度のいいほうから、「3つ星」「2つ星」「1つ星」「星なし」ランク付けをし、その星の着いたバッジを皆に着けさせる
というものです。
 すでに「1つ星」は、認定された者は着けさせられています。認定されない者には、当初は利用者と接しない仕事をさせる、つまり窓口には出させない、書留配達等(利用者と対面授受)をさせない、ことを郵政公社当局はやってきました。しかし、それでは仕事が回らないということで、「星なし」職員にも窓口担務や書留配達等の配達を復活させました。
 さて話は戻りますが、「2つ星」認定の試験は筆記試験なのですが、なんと勤務時間外なのです。私は試験を受けていないのでどんな内容か分かりませんが、けっこう受けた人は多かったようです。 「3つ星」の試験は来年から、筆記と面接がありますがおそらく勤務時間外なのでしょう。
 こんなくだらないランク付けをされるのも嫌ですが、それを利用者に分かるようにバッジを着けさせるというのも問題だと思います。このような荒廃した職場を、何とか変えたいと思ってます。                        (河野)


☆やさしい言葉で日本国憲法D
第3章 人びとの権利と義務 第14・15・16・17条 池田訳


第3章 人びとの権利と義務
第14条
すべての人びとは、法のもとに平等です。政治や、経済や、社会のさまざまな分野で、人種や、信仰、性別や、境遇や、家柄を理由に、差別してはなりません。華族や貴族階級はみとめません。栄誉賞や勲章などに、特権はありません。そうした賞は、それをうける本人の一代かぎりのものです。
第15条
自治体の議員や長などをえらんだり、やめさせたりするには、人びとの権利です。これらの公務員はすべて、共同体全体の奉仕者であって、一部の人びとの奉仕者ではありません。公務員は、おとなが普通選挙でえらびます。選挙では、投票の秘密がまもられます。だれに投票しても、公的にも私的にも、責任を問われません。
第16条
損失を埋めあわせることや、公務員をやめさせることや、法律や制令や条例などをつくったり、なくしたり、変えたりすることを提案する権利は、すべての人のものです。そのような提案は、だれにでもできます。
17条
公務員が法律に反することをしたために被害をこうむった人は、法律のさだめにしたがって、国やおおやけの組織に、損失の埋めあわせの訴えをおこすことができます。
正文
第14条
1)すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2)華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3)栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第15条
1)公務員を選定し、及びこれを罷免する事は、国民固有の権利である。
2)すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
3)公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4)すべての選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。
第16条
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第17条
何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

 すべての人びとは、法のもとに平等とありますが、あまりにも違う所得の差が存在する現状を、どう理解すればいいのでしょうか。たしかに、貧富の差に関係なく、義務教育制度により教育を受ける権利は保障されました。しかし、受験戦争が激化するなか、塾に通い優秀な大学をめざすことが目的となり、個人として負担しなければならない教育資金が必要となっています。つまり、経済的なところで平等でないのです。個人の努力では、どうしようもない、解決策が見つからない、そんな閉塞した社会にますます進行中です。それでは、私たちはどうしたらいいのか。まともな政党はない、労働組合も頼りにならない、それなら自分たちで作りましょう。まずは、自分の住んでいる自治体が健全に動いているのかチェックしてみましょう。そして、仲間を募り声を出していくこと、これが原点だと思います。

CHAPITAR V. RIGHTS AND DUTIES OF THE PEOPLE
Article 14
All of the people are equal under the law and there shall be no discriminaition in political, economic or social relations becouse of race, creed sex, socil status or family origin. Peers and peerage shall not de recognized. No privilege .shall accompany any award of honor, decoration or any distinction, nor shall any such award be volid beyond the lifetime of the individual who now holds or hereaffer may receive it.
Article 15
The people have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them. All public offcials are servants of the whole community and not of any group thereof. Universal adult suffrage is guaranteed with regard to the election of pubulic offcials. In all elections, secrety of the ballot shall not be violated. A voter shaii not be answerable, publicly or privately,for the choice he has made.
Article 16
Every person shall have the right of peaceful petition for the redress of the removal of public officials, for the enactment, repeal or amendment of laws,ordinances or regulations and for other matters, not shall any person be in any way discriminated against for sponsoring such a pettition.
Article 17
Every person may sue for redress as provided by law from the State or a public entity, in case he has surffered damage through illegal act of any public official.
(マガジンハウス・池田香代子訳「やさしいことばで日本国憲法」より) (恵)案内に戻る


☆参院神奈川補選が物語るもの

 十月二三日、民主党・斎藤つよし氏の衆院選くら替え出馬に伴う参院神奈川補選が投・開票され、小泉総理たっての要請で立候補した自民党新人の前外相川口より子氏が、民主党新人の牧山ひろえ氏、共産党元議員のはたの君枝氏を抑えて初当選を果たしました。
 この選挙は、自民党が圧勝した衆院選後に実施される初の国政選挙として、自民が勢いを持続させるのか、野党の「反転攻勢」となるのかに全国的な注目が集まっていましたが、神奈川では引き続き自民党が勝利しました。これで0七年改選組の三議席は「自民二・公明一」となりましたが、投票率は三二・七五%と驚くほどの低率とはなりました。
 女性三氏の争いとなった補選でした。最近の国政選挙での各党候補の得票数と率は、
【( )内の数字は得票率】2005年参院補選  05年衆院比例   04年参院選
□□□日本共産党    375507票   327041票    397660票
□□□(畑野君枝)   (16.38%)   (6.98%)    (10.85%)
□□□自民党     1150868票  2030524票   1217100票
□□□□□□□□□□□(50.21%)   (43.35%)   (33.22%)
□□□民主党     765589票   1330222票   1700263票
□□□□□□□□□□□(33.40%)   (28.40%)   (46.41%)
でありました。
 この結果を見る限り、衆院選時の自民党と共産党の得票比は六対一、自民・公明与党の合計得票でみると八対一でしたが、今回は三対一に大きく縮まり、さらに民主党とは、四対一が二対一となり、共産党の健闘が目立ちました。自民党に対する批判票が増大したのです。こうしてたった1カ月で投票率・得票数がほとんど半減する結果とはなりました。
 今回の選挙での争点は、川口元外務大臣が立候補していたのにもかかわらず、手詰まり状態に陥りつつある日本の外交やまるでアメリカの言いなりと言うしかない米軍基地移設等の焦眉の問題はほとんど論議されず、競うように子育て策の充実を第一に掲げたのです。全く呆れ果てた選挙ではありませんか。
 そのため、米陸軍・第一軍団司令部のキャンプ座間移設に市をあげて反対している座間市では、はたの氏は、衆院選時の二・五倍の得票率(一八・一四%)を記録し、川崎市全体では、全県平均を上回る一九・七二%、同市川崎区では二三・八七%を獲得しました。
 他方、川口氏を擁立した自民党は、公明党の支援を受けたものの衆院比例票より八七万九千票余も減らし百十五万八百六十八票、牧山氏を立てた民主党も、五六万四千票余減らし七六万五千五百八十九票でした。
 このようにはたの氏が得票を大きく伸ばした背景には、小泉自公政権の悪政と真正面から対決する“たしかな野党”としての日本共産党への支持と期待の広がりが一方にあり、他方で自民・民主両党が大幅に得票を減らした背景には、小泉政治への批判とともに、自民党と競い合うとし明確な対決軸を示そうともしない前原民主党への批判があります。
 十月二四日の朝日新聞の担当記者座談会でも、「争点になってもおかしくない話として在日米軍再編問題があった」が、「真正面から『反対』と訴えたのは畑野氏だけだった」とのべ、「川口氏にも牧山氏にも、率先して議論しようという姿勢はなかった」と指摘しています。
 確認できたように今回の神奈川補選でも、民主、共産の合わせた票は自民とわずか一万票足らずの差でしかありません。こうした中にあっても、共産党の志位委員長は、得票率が倍に増えた、自民党の三分の一、民主の半分だと追い上げた事を喜んでいるようです。
 十月二八日、米海軍は、神奈川県の米軍横須賀基地を母港としている空母「キティホーク」が二00八年に退役し、後継艦としてニミッツ級の原子力空母を配備すると発表しました。なんたる横暴でしょうか。原子力空母が日本に配備されるのは初めての事です。このことについて、米海軍は、今回の入れ替えは、キティホークの老朽化に伴う通常の交代であることを強調しており、朝鮮半島や台湾海峡有事などを念頭に、「西太平洋地域の安全保障環境は、もっとも能力の高い艦船の前方展開を必要としている」と説明しています。
 私たちは現実に転化しつつある朝鮮戦争に対して、その阻止のために現在何をしなければならないかがまさに問われている大事な時期にあると言えます。    (笹倉)


☆呆れ果てる破廉恥漢に充ち満ちた民主党の実態

 今回の小泉クーデター選挙において民主党衆議院議員のうち七九名が選挙で落選した。故大野伴睦に「猿は木から落ちても猿だが、議員は選挙に落ちたらただの人である」の名言があるが、これらの人々の浪人生活は本当に大変だろう。想像するにあまりある。
 こんな中、政治評論家の森田実氏は、最近何人かの議席を失った前議員と懇談したという。彼は、「皆、誇り高い。愚痴は言わないし、他人の悪口も言わない」といった後、最近、前議員同士で話し合うことがあるそうで、その中で出ている「声」を聞くことができたとして、ホームページに以下の記事を公開している。森田氏は義憤に駆られたという。

前代表への不信
前議員だけの会で出る最も強い不満の矛先は前執行部とくに前代表に向けられている。ある落選議員の声を紹介する。
「今回の民主党大敗北の責任は第一に前代表にある。前代表は自分が代表を辞めれば自分自身の責任は済んだと思っているのだろうか。国会中継を見ていると、時々前代表の姿が映る。こんな時は気分が悪くなってテレビを消してしまう。このことを同じ落選した議員に話すと、皆そうだという。前代表の顔を見るのもイヤだ。前代表にはわからないだろうが、もう少し、自分の責任というものを感じてほしい。それに最近前代表は党の会議に出て、普通に発言しているという。これもどうかと思う。」
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前選対委員長・現幹事長代理のG氏への不信
ある前議員の話である。
「Gさんは今回の民主党敗北の第一級のA級戦犯なのに、総選挙が終わると、すぐに前原さんを担いで動き出し、前原体制が発足すると自分はちゃっかりと幹事長代理の座を射止めて、スイスイやっている。Gさんも、前代表と同じく、なんの責任も感じていないように見える。自分さえよければいいのだろうが、ひどすぎる。彼の顔がテレビに映ると、気分が悪くなってスイッチを切ってしまう」
この話は、いろいろなところで耳にしている。G現幹事長代理には、こんな利己的な精神で政治家が務めるのか、と問いたい。
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S前政調会長(現NC厚生労働大臣)とK前幹事長(現常任幹事会議長)のこと
次々と落選議員の声を紹介する。
「この二人もA級戦犯として大きな責任を負っているのに、ちゃっかりと前原体制のなかで重要ポストを得た。Kさんは幹事長として選挙の総責任者で、最も責任の重い人なのにちゃっかり常任幹事会議長になってしまった」「いちばん許せないのは前政調会長のSさんだ。Sさんが政調会長として、郵政民営化反対の対案を出そうとする動きを潰した。Sさんは今回の敗戦で最も責任が重い人だ。彼こそA級戦犯の中のA級戦犯だ。それなのに総選挙が終わるとすぐに前原支持で動き出したという話だ。Sさんという人には人間の心があるのだろうかと感じている。本当に自分さえよければよい人だ。そしてちゃっかりとネクスト・キャビネットの「厚生労働大臣・統括副大臣」になって、テレビに出演している。Sという人の人間性を疑う」
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じつは、私は、いま、落選して議席を失った前議員の間を回り、なぜ負けたかを、敗者の側から語ってもらっている。こうした取材を通じて、9月11日の総選挙において選挙区で何が起きたかを記録している。
こうした時、民主党という政党の不人情で薄っぺらな党体質をよく耳にする。松下政経塾出身議員は世渡りはうまいが「温かい心」がない。同志愛がないという話をよく耳にする。
前執行部での責任を負っていた幹部にもの申す。政治家が自分の過ちで多くの同志を傷つけておきながら、知らぬ顔で、自分だけの利益を追求し、自分だけよいポストにつく――政治家がこんな薄っぺらな生き方をしていいのか、と。
七九名もの現職議員を落選させた責任を負うべき前代表、前幹事長、前政調会長、前選挙対策委員長が、そろいもそろって、あたかもなんの責任をも感じないかのように平然と振る舞っている。責任をとらず、いいポストを得ている。民主党よ、こんな無責任を許していいのか。とくに、前選挙対策委員長のGさん。以前より高い幹事長代理に就任して、落選した同志たちに対しやましさを感じないのか。直ちに幹事長代理を辞職して、落選して苦労している前議員を回って、お詫びするべきではないのか。真面目さを示して
ほしい。Sさんも「NC厚生労働大臣」として、テレビに出演するような無神経な行動は慎むべきではないか。Oさん、Kさんも同
様である。責任感をもたない政党は滅びることを知るべきである。 

残念ながら、若干の者はともかくこれらの人々が誰だと言うことは、民主党執行部に詳しくない私としてはただちに特定はできない。森田氏の今後の暴露に期待するものである。
まさに危機の時に人間の真価が見て取れるのである。自民党が支配者党として、既に歴史的に堕落した人々の群れに成り果てた集団だとすれば、民主党というのは、新興勢力として、人を蹴落としても自らは成り上がりたい人々の群れでしかなかった事が、こうした落選議員達が自らの落剥の日々の中で彼ら自身悟る事ができた。どうしようもないとはこの事だ。この教訓を真に生きたものとするには、彼ら自身、別党を立ち上げるべきなのである。したがって、論理的に出てくる結論は、自民党でも民主党でもない第三の政党がこの日本社会を真に変革できるというこの事である。ともに闘っていこう。 (霞ヶ丘)


☆色鉛筆 --民間保育園日誌2

 空一面の青い空。「あっヒコーキ!」とK君が指さす方向を見ると空高く飛行機が飛び白いヒコーキ雲が見える。「きれいだねえ」と子供達と一緒になってつぶやく幸せなひととき。10月は1年中でいちばんさわやかな季節で、私はこのきれいな青い空と白い雲を毎年、子供達と見ながら散歩してきた。しかし、今年は昨年までとは違う。昨年まで公立保育園で働いていた私は、1歳児4人の子供達と手をつないで散歩していた。2人ずつ手をつないであいている手と私がつなげば、安心して歩くことができた。でも、今年民間保育園で働く私は、1歳児6人の子供達と歩かなくてはならない。車の交通量が多く危険なので、道路のすみを歩くのには2人ずつ手をつなぐと3列になってしまう。私の手は2本しかないため、あと2人とは手をつなぐことができない。この様に同じ1歳児でも公立保育園と民間保育園では、保育士1人に対しての子供の人数が違う。 
 保育園は児童福祉法に位置づけられた「児童福祉施設」。児童福祉法は@市町村が「保育に欠ける」子供を保育園に入園させて保育する義務(24条)。A国は保育園の運営に当たって最低基準(職員配置や施設基準など)を定め、維持向上を図る義務。B最低基準を維持するために必要な費用と国と自治体が負担する義務を定めている。Aの児童福祉施設最低基準で、保育士の配置基準がゼロ歳児は3人に対して1人、1〜2歳児は6人に対して1人、3歳児は20人に対して1人、4〜5歳児は30人に対して1人などと規定されている。だが、何とこの法律は、戦争後の1948年(57年前)に制定されたままというのだから驚いてしまう。それでも少しずつ改善されてきているがなぜか4〜5歳児はずっと保育士1人あたり30人というのは57年間変わっていないことに驚く。そして外国と比べるとまたまた驚いてしまう。イギリスでは2歳児未満は3人に対して1人、2歳児は4人に対して1人、3〜4歳児は8人に対して1人というのだからびっくり!スウェーデンはもっとすごい。3歳児未満児は5人に対して2人、3〜6歳児は5人に対して1人というのだからまたまたびっくり!
 日本は保育士1人に対して子供の人数がなんと多いことがはっきり分かる。「ひとりひとりを大切に」「個性を伸ばす」等と、きれいごとを言ってもこうした人的環境では無理というものだ。日本の中でも、先に書いたように公立保育園と民間保育園では、保育士1人に対しての子供の人数が違っている。(私自身が経験)公立保育園では、市町村の努力によって予算をつけて最低基準以上の保育士が配置されているが、私立保育園では、最低基準の保育士しか配置されていない。それはなぜかというと、人件費を抑える為だ。最低基準を守っていれば法律的には問題はないが、私達保育士には大きな大きな負担がかかってくる。今、産まれて1年たって1人で歩き始めた1歳児の子供達12人を2人の保育士で担当しているが、おやつ、給食の支度、片付け掃除などの雑用がある時は、1人で12人の子供を見ている。まだはっきり言葉が言えないためにおもちゃの取り合いをしてけんかを始めて泣いたりと大騒ぎ、けがをしないように常に12人の子供を見ていなくてはならないのでとても大変だ。でも子供達のかわいい笑顔からエネルギーをもらって、今日も元気に散歩に出かけた。誘導用ロープを持って。(美)   案内に戻る