ワーカーズ309号 2005/11/15
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噴き出した移民の反乱
労働者と移民の連帯による生活防衛の大衆行動が求められる
十月二七日、パリ郊外で警官に追われた青年二人が、変電所で感電死したことをきっかけに出来したフランスの暴動は、十一月八日までに、フランスの三百の都市にまで広がり、放火された車は六千台、拘束された若者は全国で千五百五十人にも達している。同日フランス政府は、これを抑えこむため非常事態法の適用を決定し、住民の間でも暴力反対デモが行われ、夜の警護団も組織される状況とはなった。その実行者はほとんどがアラブ系の十五歳から二十五歳までの青少年たちで、移民してきた人達の二世三世である。
暴動は突然に起きたのではない。小規模な騒乱はすでに日常茶飯事だった。フランス内務省の資料では、今年の初めから十月までに、全国で二万八千台の車が放火されきた。
この背景には、戦後の「栄光の三十年」と呼ばれるフランスの経済成長に貢献した北アフリカの旧植民地の移民の多くが、一九七〇年代後半、石油ショック後の景気低迷で失業し郊外に定住した事にある。現在、この「治安重点市街区域」は全国に七百五十一カ所あり、大都市の郊外に集中していた。暴動発生の直前の公表によると、同区域の失業率は二0・七%と全国平均の倍、移民では男性二六%、女性三八%が失業者と一段と深刻だ。
「荒廃する郊外」育ちであるだけで差別を受け、貧困の中で学業に身が入らず、退学し非行に走る彼らが、日頃の鬱積した不満を爆発させのは明らかだ。その意味で今回の暴動は、歴史的遺産に満ち文化の香り高いフランスというイメージからは程遠いフランス社会の現実の一断面を全世界に見せつけた。確認すべきは、これら移民の存在が、フランスのみならず欧州の労働者の既得権を守らせ社民政治を大きく支え続けていた土台であり現実である。「移民社会の反乱」である暴動は、欧州全体で千五百万人とも二千万人とも推定されるイスラム系移民を抱えた欧州諸国にも衝撃を与え、現にベルギーや独でも起こっている。
グローバリズムに席巻される欧州でも、労働者階級と被抑圧民族の連帯の必要性は、誰の目にもはっきりしてきた。彼らと連帯し断固たる生活防衛に立ち上がりを大衆行動を発展させる他に今回の暴動の原因を根切りとする処方箋はない。フランスの暴動はこの事を教えている。私達は再度全世界の労働者階級と被抑圧民族の連帯を訴える。 (直記彬)
反戦通信−7・・・迷走につぐ迷走の普天間飛行場の移設
沖縄に基地を押しつける「県内移設」に抗議を!
10月26日午後、大野防衛庁長官とローレス米国防副次官は電話で会談し、普天間飛行場の移設先を、辺野古「沿岸部」(名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部を中心とした大浦湾から辺野古沖浅瀬にまたがる区域)で合意した。滑走路を1,500メートルから1,800メートルに拡大し、大浦湾の内側に大きな駐機場も建設するという案である。
また政府は、この日米合意を受けて、予定海域(公有水面)の使用権限を知事から国に移す「特別措置法案」を年明けの通常国会に提出する方向で検討している。稲嶺知事の反対で移転が進まない場合、政府は2006年予算案に建設費を計上し、同年度中にも着手する考えである。環境影響評価に3年、工期5年を見込み、2013年度中に完成させる模様だ。
しかし、この新たな日米合意に対して沖縄県民の怒りと反発は非常に強い。それは当然である。普天間基地の全面返還は96年の日米首脳会談で決定し、もうかれこれ約10年も経つのに、いまだ返還されていない。その移設先も、沖縄県民は当然「県外移設」を望んでいたが、97年のSACO合意に基づき、稲嶺知事による「軍民共用化と15年使用期限」という公約のもと、現行移設計画の辺野古沖海上基地を押しつけられた経過がある。さらに今回は、基地建設が生活と直接結びつくことになる地元住民に事前説明は一切なく、まったく地元を無視しての基地計画案の変更である。さらに、その建設に対して県知事が反対すると、「特別措置法」を制定して、知事から権限を奪い国の思い通りにやってしまおう、というわけである。
こんな決定の仕方は、言語道断であり、民主主義も説明責任もあったものではない。米軍の再編計画の都合だけを受け入れる、まさに「米国追随路線」であり、沖縄に「米軍軍事植民地」を押しつける以外の何ものでもない。
さすがに、こうした政府のやり方に腹を立てた稲嶺沖縄知事をはじめ、辺野古受け入れを決めていた岸本名護市長も、米軍機が頭の上を飛ぶ事になる地元の各区長も「反対だ!とても受け入れられない。話にならない。」と、以前の辺野古沖海上基地案に賛成してきた推進派も反発を強めている。
そしてさらに驚いたのが、今回日米は「沖縄に基地建設」と言うムチに対して、アメとして「第三海兵遠征軍司令部のグアム移転と約7千人の将兵の県外・国外移転」を決めた。ところが、なんとその米軍の移転費用を日本政府が負担すると言う。そんな例は世界各国でも無いと言う。このような米国べったりの日本政府のやり方にはあきれる外はない。
こうした日本政府の態度を見ている沖縄から、「先の大戦で沖縄は『捨て石』にされた。半世紀を経て、再び似た状況である」「今回の政府の姿勢は、昔の『琉球処分』のころの政府と同じである。廃藩置県に対して首里王府がのらりくらりと抵抗するので、日本政府は琉球を処分した。今回はまさに『第二の琉球処分』だと言える」等の怒りの声が次々に上がっている。
最後に、私たちには少し耳が痛いが、沖縄の「平和市民連絡会」のメッセージを紹介する。<若島三郎>
★「沖縄市民連絡会」のメッセージ
「沖縄の基地問題は『自分には関係ないね』と、無関心の日本人のみなさま。関係あるのよ。消費税が上がるのも、減税措置が減るのも、米軍基地も関係ありよ。貴方の財布を直撃する、税金UPの原因でもあるのよ。だって、思いやり予算。日本の税金で米軍基地にいくら払っていると思う?約5000億円!最新マンションに建て替えられる米軍住宅の建設費。見渡す芝生にまかれる水道代X'masイルミネーションの電気代まで、それにまた基地を新設するんでしょ?米軍のために日本政府が払ってあげているの。はああ、これが無ければ、少しは国民の生活楽になるのにね。借金膨れ上がっても、オトコに貢ぐ、殴られようが無理やりされようが、いいなりになるどうしようもない不幸なオンナみたいね。日本政府は。こんな政府はいやだと思いませんか?」
★参考資料・・・「 思いやり予算とは」
安保条約第6条に基づき、日本には米軍4万7000人が駐留している。日本の安全保障の代わりとして、その駐留費用は日本が負担している。
さて、日本側の負担は、(1)基地用地の借上げ費用(土地代):1,895億円、(2)住宅経費や光熱費など(思いやり予算):2,756億円の2つがある。
このうち「基地用地の借上げ費用」に関しては、日米地位協定で日本側の負担義務が明記されている。一方、「米軍基地内の住宅経費や光熱費など」については、どちらが負担するか特に決まっていない。
日本に負担義務は特にないが、故金丸氏が「思いやりをもって接しよう」ということで日本側負担を始めた(1978年)ことから思いやり予算と言われる。
思いやり予算の内訳(2000年度)を見てみると、(1)基地内の住宅整備費用;961億円、(2)基地住宅の光熱費;298億円、(3)日本人従業員の給与;1,493億円、(4)騒音対策の転地訓練費;4億円のようになっている。
最近の財政難から、日本側は思いやり予算の減額を主張している。一方、米国はそれに強く反発している。
11・16日米首脳会談を許さない!
ブッシュ・小泉の軍事一体化路線に反対し、すべての米軍基地の撤去を
ブッシュ米大統領が11月15日に来日し、翌16日に京都迎賓館において日米首脳会談が開催される。最重要課題は、言うまでもなく日本国内の米軍基地の再編合意である。米国の世界戦略を軍事的に支える米軍の世界的再編の一環としてのそれは、同時に日本の世界戦略の展開でもある。
その方向は米軍と自衛隊の一体化、世界戦略の共有化である。イラクにおける米・英軍による軍事占領に対して、自衛隊の役割はその兵站支援やサマワでの人道復興支援≠ノ過ぎない。改憲派はこのことを歯痒く思い、もっとおおっぴらな軍事行動を実現しようとしている。しかし、9条改憲は小泉衆院圧勝後の今日においても、短期で実現できるものではない。そこで彼らは、お得意の既成事実の積み上げを先行させようとしているのだ。
米軍の日本駐留の根拠は安保条約にあり、それは米軍が日本を軍事的脅威から護るという建前によって成り立っていた。しかし、今や日本にとっての軍事的脅威など存在しない。むしろ、近隣諸国は自衛隊の存在を(プルトニウム大国の日本を)脅威と感じているのである。それは、イラク戦争に果たした米軍基地の役割からも明らかである。横須賀から出航した空母の艦載機がバクダッド攻撃の第1波に参加し、沖縄の海兵隊がファルージャでの虐殺に参加した、等々・・・
すでに、現状においてもここまで(殺す側に)来てしまっている。このことの自覚を欠くなら、日本の反戦平和運動は能天気な自己満足に終わるだろう。ブッシュと小泉が進めようとしている在日米軍基地の再編は、9条改憲・自衛隊の公然たる軍事的展開と一体のものであり、世界の軍事的緊張を高めるものとなる。従って、その危機は戦争に巻き込まれる≠ニいった寝ぼけた認識では対応できない。再び靖国の英霊≠生み出す社会を出現させるのか、それを阻止できるのかの瀬戸際にあることを自覚しなければならない。
米軍基地再編をめぐって関係14都道県知事が11日、頭越しの中間報告に対して政府に説明を要請した。すでに、松沢成文神奈川県知事や稲嶺恵一沖縄県知事は再編案を拒否し、地方自治をめぐる争いなろうとしている。とりわけ、沖縄の基地をめぐっては1990年代末、大田県知事の抵抗に政府は「駐留軍用地特別措置法」を改正して土地強奪を継続した。稲嶺知事はこの大田県政を転覆するために登場したが、米軍占領下のごとき沖縄の現状の強化を小泉が公認するに至って、反対に転ずるほかなくなった。
たとえブッシュと小泉の合意が成立しても、そのまま再編が進むわけではない。政府は反対する関係自治体への財政措置≠準備しているが、必要なら特別措置法≠フ全国化も辞さないだろう。それらは、反対運動の行方にかかっている。普天間基地の辺野子沖移設は、地元の人々と支援の力によって実力阻止された。ブッシュと小泉による軍事同盟強化に対しても、基地再編を許さず、すべての基地の撤去を掲げて反撃することは可能である。
小泉政権は「障害者自立支援法」を成立させ、ほんのわずかな財政削減を強行する一方で、基地移転費用は大判振舞しようとしている。在沖海兵隊のグアム移転にあたり、グアムの新たな司令部や住宅建設まで含め、数千億円を負担するというものだ。沖縄を切り捨て、福祉を切り捨て、軍事化を突き進む小泉政権に反撃を。 (折口晴夫)
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賃金不払残業=サービス残業をなくそう。
「所定労働時間外に労働時間の一部又は全部に対して所定の賃金又は割増賃金を支払うことなく労働を行わせる」、サービス残業が問題になっている。
厚生労働省では、この「サービス残業」を「労働基準法に違反し、長時間労働や過重労働の温床にもなり、その解消を図っていくことは、家族との触れ合いを含めた心豊かな生活を送っていく上で大変重要」だとして、本年11月を「賃金不払残業解消キャンペーン月間」とし、賃金不払残業の解消に向け、労使の主体的な取組を促すためのキャンペーン活動を実施している。
厚生労働省によれば、平成13年4月に「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について」を策定し、重点的に監督指導を実施することに加え、平成15年5月には「賃金不払残業総合対策要綱」及び「賃金不払残業の解消を図るために講ずべき措置等に関する指針」を策定し、事業場における賃金不払残業の実態を最もよく知る立場にある労使に対して主体的な取組を促すとともに、適正な労働時間の管理を一層徹底するなどの取組を行って、平成16年度において、全国の労働基準監督署の指導により不払いとなっていた割増賃金の支払いが行われた企業のうち、1企業当たり合計100万円以上の支払いがなされた企業数は1,437企業、対象労働者数は169,111人、支払われた割増賃金の合計は226億1,314万円となったと。
<参考資料>
○ 平成13年4月から平成17年3月までの4年間における状況
是正企業数は3,637企業、対象労働者数は498,959人、支払われた割増賃金の合計は618億6,497万円である。企業平均では1,701万円、労働者平均では12万円である。そのうち、1企業当たり1,000万円以上の割増賃金の支払が行われた事案をみると、是正企業数は742企業(全体の20.4%)、対象労働者数は347,345人(全体の69.6%)、支払われた割増賃金の合計額は520億6,151万円(全体の84.2%)である。企業平均では7,016万円、労働者平均では15万円である。
業種別等の状況によれば、「企業数及び対象労働者数では商業、支払われた割増賃金額では製造業が最も多く」「1企業での最高支払額は、14億4,128万円(製造業)で、次いで10億4,439万円(商業)、8億8,833万円(教育・研究業)の順である。」
これは氷山の一角にすぎない。ハンバーグで有名なマクドナルドでは、給与の支払い基準を1時間単位から分単位に変更し、20億円もの追加支払いをしたとのこと。
サービス残業は、従来、仕事を途中でやめることのできない「職人意識」などで、行われることが多かったが、今日では、職能給の導入などと連携したノルマ達成が大きく影響している。特に、「企業数及び対象労働者数では商業、」と言われているように、サービス産業や勤務時間管理がルーズな営業部門に多く、賃金未払い状態は正確には把握できていないと言っていい。
サービス残業を無くするためには、さしあたり大事なのは、労働者本人の自主申告が重要であり、その為の環境作りを早急に行い、従来、30分以下の労働時間の切り捨てを、分単位の支払いに変えることや、徹底した勤務時間管理と職能給の見直しが必要だ!(光)
イラク“正統政府”の虚構
イラク政治プロセスでかいま見える〈国家〉の本質
イラクで「新たな国づくり」をめざす政治プロセスが進んでいる。武装勢力によるテロ攻撃が収まる気配もないなかで、泥沼と化したイラクから当初の大義名分を失わずに派兵部隊を撤退させたい米国は、イラクでの支配的地位を得たいシーア派など各勢力の思惑に揺さぶられながらも、イラク政治プロセスを強引に推し進めている。
その政治プロセスでは、この10月25日に新憲法の信任投票が行われ、また12月15日までにはその新憲法に基づく国民議会選挙が行われることになっている。米国などはこの選挙をなんとしても予定通り実施し、イラク国民の意思に根ざした「民主的な国づくり」が順調に進んでいることを演出したいわけだ。
イラクをめぐる状況は、反米勢力による武力抵抗、新政権づくりでの諸勢力間の抗争。それに自衛隊の派兵・撤退など問題は多岐にわたる。それらの推移も重要だが、ここでは少し視点を変えて、イラクの新しい国造り、およびその中でかいま見える〈国家〉の本質について考えてみたい。
■国家とは何だろうか。
その〈国家〉と何なのだろうか。
国家とははっきりしているようで漠とした存在でもある。実在のものであるとともに単なる相互関係のようなものとも思える。国家を機関としてとらえれば国会とか内閣や省庁といった行政組織や警察や軍隊のような実力組織をイメージできるし、裸の王様のたとえのように、臣民が王様だと認めているから王様は王様でいられる、というように国家とは人と人の特殊な関係のようでもある。
国家とは何か、なぜ国家は生まれたのか、どういうプロセスで発生し、どういうふうになくなっていくのか、あるいはなくならないのか……。〈国家〉というものを考える場合、そうした発生史的・制度論的・機能論的考察などが不可欠になる。
そうしたアプローチ自体は脇に置くとしても、いまイラクで生じている事態は、国家とはなにか、国家とはいかに生じたのか、が凝縮された形で再演されていると見ることもできる。生まれてきたものはいずれ死を迎える。国家といえども例外ではない。そうした国家の発生と死滅(揚棄)を考える上で、イラクで起こっていることの推移を見ていくことも重要だと思う。
■イラク政治プロセス
はじめに、イラクの政治プロセスをざっと振り返ると、別表のようになる。(別表参照)
こうした政治プロセスによると、イラクではフセインの独裁体制が打倒された後に、国民の信任を受けた正式議会と正式政府による「民主国家」が誕生することになる。
しかし、米英軍の暫定占領当局(CPA)からイラク暫定政府へ主権移譲が行われたとはいえ、
ただ、米国としては、イラク攻撃を仕掛けた当初の思惑は決定的に失敗したと言っていい。とりわけ米軍はフセイン独裁体制を打倒した解放軍であり、その解放軍の力によってイラクで民主的な国家が誕生するというネオコンの思惑は完全に破綻した。米国による反イスラムの傀儡政権づくりは半ば失敗している。新たにうまれる政府は、よくてもイスラム(シーア派)色の強い政府だ。
なぜこうした事態になったのか。それは米国の思惑を超えた根強い反米意識や頻発する武装勢力によるゲリラ的な武力抵抗、それに米国の国際的な孤立によるものだ。だから米国も贅沢を言っていられない。イラク人自身の政権を、というイラク内外の大義名分に譲歩せざるを得ないわけだ。
しかし段階を積み上げて作られてきた暫定議会や暫定政府に「主権」が移譲されたと言っても、それは米軍の存在と武装勢力への掃討作戦の土台の上での話である。イラクの実態はといえば、13万人の米軍による事実上の占領体制下にあることに変わりはない。イラク暫定政府の「主権」は、そうした米国支配土台の上の楼閣にすぎず、米軍が存在しなければ、また米軍が反米武装勢力の掃討活動を続けなければ、イラク暫定政府の機能はいうに及ばず、その存在自体が成り立たないのが現実だ。イラク暫定政府の「主権」なるものは砂上の虚構であり、実際の主権=最終決定権は米国にあることは明らかだ。12月に作られる正式議会や正式政府といってもそれは米軍による占領状態という土台の上でのシャッポにすぎない。
■土台は暴力支配
それではいまイラクで進められている「国づくり」とは何だろうか。
政府やマスコミは〈国家〉についてあえて言及しないか、自明のものと前提としているかどちらかだが、「国家とはなにか」といった場合、いまでも主流は〈国家=契約説〉だろう。それは17〜18世紀の西欧で有力になった社会理論で、単純化していえば、出発点として自立した個人(あるいは家族)を自然状態として前提とし、それらの平等な個人・家族が共通利益のために自由意志に基づく契約によって代表者を選出して統治に当たらせる、というものだ。国家とはいわば自由な個人による契約関係を基礎として生まれる、というわけだ。こうした理論の系譜はホッブス、ロック、ルソーなどによって唱えられた。
しかしこれとは違う社会理論もある。人間の自然状態は孤立した抗争関係にある個人ではなく、人間は出発点から集団生活を送っていたというもので、マルクスの社会理論に代表される。それによれば国家は共同体と共同体の抗争で、何らかの血縁関係を基礎にした部族、あるいは部族連合としての征服共同体が、征服された共同体成員を内部に統合しつつ支配することで成立する社会関係を国家の発生としている。国家を契約関係ではなく、支配服従関係として見るわけだ。
こうした観点でイラクを見ると、国家とは実際どういうものであるか理解しやすいだろう。実際多くを語るまでもなく、イラクでの国づくりが平等な個人間の自主的な契約で創られつつあるとはとても思えない。むしろ逆だ。米国がどんなに手順を踏んでイラク人による自主的な国づくりを装っても、米軍の武力による占領状態のなかで米国の意志を押しつけているのが現実だ。ともかく米国による軍事支配という現実は誰も覆せないし、イラク人にとって米国の許容する国づくり以外にそもそも選択の余地はない。「米国が決めたことは何でもイエス。米軍の占領は現実なんだ。他に選択肢なんかない。」(イラク国民合意=INA=幹部)というとおりだ。征服者としての米国に不満を持っても、〈しかたなく〉同意・承諾する意外に選択の余地はない。そうした関係は自由意志に基づく契約とは言わない。「支配」に対する「押しつけられた承諾」、あるいは「服従」そのものだろう。その「服従」も「同意」「契約」だと言い換えるのが現代の「国家=契約説」に他ならない。
具体的に見ていけばよく分かる。まず米軍によるイラク攻撃と占領は、米国によるイラク支配そのものだ。その占領を土台としてイラクに親米政権をつくることは、傀儡政権を通じた米国によるイラクに対する間接支配である。フセイン支持勢力は武力で打倒されたし、反米武装勢力も米軍による掃討作戦にさらされている。シーア派内急進派のサドル派民兵の掃討作戦なども行われた。
イラク内部から見ればどうだろうか。フセイン時代はバース党支配によるフセインの独裁体制だった。民族的にはアラブ人によるクルド人の支配でもあった。宗教的にはスンニ派によるシーア派への支配体制だった。それぞれ契約関係ではない強制された「同意」「承諾」関係という支配関係だった。それが米軍占領統治下では関係が逆転、もしくは置き換えられた。フセイン支持勢力は軍事的に打倒され、米軍の武力攻撃にさらされている。民族的にはアラブとクルドの利権抗争、あるいは妥協・併存体制をめぐるせめぎ合いの最中だし、宗教的にはスンニ派にシーア派への従属的地位を「承諾」させられるかどうかのせめぎ合いが行われている。そうした幾層もの複合関係があるが、その大前提には米軍による軍事支配がある。
イラクの現実に象徴されているように、国家は武力による暴力支配が大前提になっている。思惑としてはどうであれ、圧倒的な米軍の軍事力の前には、イラクの国内勢力による論戦などは無力だ。ともかく米軍の占領を受け入れなければ話が始まらないし、それを受け入れる勢力のみが政治プロセスへの参加を許される。それを拒否すれば、反米武装勢力のように、米軍による掃討作戦の対象にされ、その決着がすべての前提となる。
平常時には表面に出てこないが、国家というのは本質的に武力、暴力支配が隠れている。法律とは支配勢力の意志が貫徹する形式だといわれるが、被支配勢力が法の枠内で異議申し立てをする場合は法的に処理する。が、その範囲を逸脱したとき、すなわち反対勢力が法の枠をはみ出すとき、国家は軍隊や警察などでそれを封殺する。国家が独自の人格を持つかのような緊急事態法など、いわゆる国家非常権の設定である。そういう法体系を創り上げるのが支配集団であり、国家なのだ。
国家の内部関係が支配・服従関係だという一例として、国民や構成員の知らないところで国家意志が決められるという問題がある。たとえば日本で例を挙げれば日米核密約などの秘密協定など。イラクをめぐってはキューバのガンタナモ基地やイラクのアルグレイブ刑務所での超法規的な捕虜や拷問、としての拘束、それに東欧諸国でつい最近存在が暴露されたの秘密捕虜収容所の存在等々だ。これらは法の外部での、すなわち国民が知らされていないところでの超法規的な実行支配、支配集団による専制体制の一端を示すものだろう。
■アソシエーション革命と〈国家〉
以上、ざっと見てきたように、イラクでの政治プロセスは言葉の真の意味での、すなわちイラク人の自由意志による民主的政府の創設という「正統性」とはほど遠いのが現実である。
もちろんイラクの現実は何らかの血縁関係を基礎にした部族、あるいは部族連合から「国家」関係の成立局面そのものではない。軍事的にはイラクは敗戦国家であり、その敗戦国家の戦後処理の一過程でもある。が、その過程はフセインの独裁国家から米国支配を土台とした別の支配・服従関係への再編過程でもある。そうした局面だからこそ、国家の本質がかいま見えることになる。
ここでは政治プロセスの是非は問わないとして、ともかく国、あるいは国家というものは個人間の契約関係などではなく、支配的集団と被支配集団の間での支配・服従関係に他ならないのだという根源的視点の入り口に立つことの重要性を銘記したい。
国家に関するこうした見方は、ワーカーズが取り組んでいる〈アソシエーション革命〉についても不可欠の視点だと思う。〈アソシエーション社会〉とか〈アソシエーション革命〉というと、平和ボケとか、権力問題を無視しているという声が必ず聞こえる。確かにそうした類のアソシエーション論も時に見受けられる。しかし〈アソシエーション革命〉というのは、そうした国家関係の本質としての暴力支配の把握とその揚棄という課題もそれ自身の内部に含んでいるのだ。だからといって暴力の土台の上での直接対決に走るのは本質的課題と戦術的課題という別次元の問題の混同ともいえるが、少なくとも権力支配、暴力支配の問題を正面から受け止めざるを得ないのは冷厳な現実だ。イラクの推移はそのことを改めて私たちに教えてくれていると思う。そのためにもイラクでの政治プロセスの推移と、その背後で貫徹する権力支配、暴力支配の現実を直視していきたい。(廣)
イラクをめぐる経過と今後の予定
03年
3・20 米英軍、イラク攻撃開始
4・ 9 フセイン政権崩壊
6・ 3 暫定占領当局(CPA)発足
7・13 統治評議会発足(CPAが選出)
9・ 1 暫定内閣名簿発表(首相不在)
04年
3・ 8 イラク基本法制定
6・ 1 暫定政府発足(米国と国連が任命)
6・ 8 国連安保理、主権委譲後の大枠を定める新決議採択
6・28 主権移譲、CPA解散、米国イラク大使館を設置
8・15 〜18 国民会議開催、諮問委員会(暫定議会)選出
05年
1・30 国民議会選挙実施、
4・28 移行政府発足
8・28 新憲法を起草
10・25 新憲法をめぐる国民投票
12・15まで 新憲法下で国民議会選挙実施予定
12月末までに正式政府発足予定
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動き出した「労働契約法」(4)
「出向・転籍」めぐる判例法の山
「労働契約法」の背景としては、これまで見てきた「就業形態の多様化」や「労組組織率の低下」に加えて、「バブル崩壊後に増えている出向や転籍などをめぐる契約ルールは法律で明確になっておらず、現状では労使間で解決する場合は過去の裁判の判例しか根拠になるものがない」(日経新聞9月8日付)という問題があげられています。
大企業ほど多い出向・転籍制度
出向制度は大企業になるほど多く採用されています。2001年の調査では、「出向制度」のある企業の割合は、全企業では37・3%ですが、これを企業規模別で見ると、1000人以上の企業で92・5%、300人から999人の企業で77・5%、100人から299人の企業で53・0%、30人から99人の企業で27・1%となっています。(図表V・5・5「出向制度がある企業の割合」(「目で見る労働法教材・第2版」有斐閣)。また出向から転籍に変わる割合も、やはり大企業ほど多くなっています。
企業グループ化と出向制度
もともと「出向」は、日本的な企業主義のもとで長期雇用されている正規社員の企業内配置転換制度の延長上に、企業グループ間の人材異動の制度として発展してきたものです。
「新雇用社会の法」(菅野和夫著・有斐閣)では「出向には、まず、子会社・関連会社への経営・技術指導のために行われる「人材援助型」と、従業員の人材開発・キャリア形成の一環としてなされる「人材育成型」があるといわれる。このような出向が日常的になされる背景は、高度成長後半期以後、事業部門を独立(分社化)させたり、新規事業に進出するために子会社・関連会社の設立が進んで、企業グループが形成されたりして、人事異動の単位が企業から企業グループに拡大されたことがある。」と指摘されています。
「定年延長」と高齢者出向・転籍の増加
ところが低成長時代に入ると、出向の目的は本来の人材活用から中高齢社員の処遇対策へと拡大していきます。「従業員の高年齢化によるポスト不足の中で、管理職適齢の中高年齢者を子会社の経営者や管理者として処遇する「中高年者処遇型」出向や、定年延長(55歳から60歳への)の対策として、定年前の高年齢者を子会社・関連会社へ出向・転籍させる「高齢者排出型」の出向もなされてきた。」(「新雇用社会の法」同上)といわれます。出向の対象者は、はじめは「企業発展のために選ばれた有能な社員」であったのが、「会社の重荷となる中高齢社員」へとマイナス化していきます。
リストラの手段へと変質
さらに、85年プラザ合意後の円高不況や90年前後のバブル崩壊を機に、露骨な「リストラ」(余剰人員対策)の手段としての出向・転籍が横行するようになります。「新雇用社会の法」(同上)では「さらに、産業構造や景気の変化によって余剰人員をかかえた企業においては、余剰人員を子会社・関連会社に送出する「雇用調整型」の出向もなされてきた。最近の企業組織の大規模な再編成の動きのなかでも、出向が人員再配置の重要な手段として大量に行われ、また人員削減の手段として転籍もかなり利用されるようになっている。」と述べられています。
雇用調整の方法としては、新規採用の中止、残業規制、希望退職、指名解雇、配置転換、臨時・季節・パート労働者の解雇、操業時間の短縮、一時帰休などと並んで「他企業の出向」があげられ、出向を雇用調整の手段とする割合は大企業ほど高くなっています。(図表V・6・2「雇用調整の実施状況」同上)
労働条件の不利益変更めぐる紛争
こうなってくると、出向や転籍は賃金や労働時間などの条件が悪化するケースもでてきたり、勤務地が遠くなり家庭生活との両立が困難になったり、本人の同意がない一方的な命令がでてきたりして、労働条件の不利益変更にともなう労働者個々人と企業との紛争が多発するようになりました。そして、そのたびに裁判が行なわれ、それぞれのケースについて、様々な法理解釈がなされ、「判例法」の山が積み重なっていきました。
出向や転籍は企業内の配置転換と異なって「労働契約」そのものをいったん廃棄して新しい労働契約を結ぶことになる、という点から、企業と労働者個々人との同意が必要という解釈が当初はなされていましたが、出向・転籍の常態化に対応するかのように、「就業規則」や「労使協定」に出向義務や条件が明記され、出向権の濫用でなければ、本人の同意がなくても、認められるとする判例が多くなってきました。それでも、新たなケースでの紛争は後を絶ちません。
そこで新法では、これまでの判例法の山を整理し、「出向後も出向前の賃金水準を維持するよう出向元・出向先が保証する」「転籍先の条件などを書面で示す」(日経・9月8日付)などの条件を明文化しようというのです。(松本誠也)
オンブズ別府大会報告・その4 ビーコンプラザ
オンブズ別府大会報告の最後に、別府・大分の話題をお伝えしたい。まず、会場になったビーコンプラザから。これがとてつもなく立派な施設で、なんでも殿様の家系の松平前県知事が残したハコ物だそうだ。どれほどスゴイかというと、次のとおり。
「別府から世界へ、世界から別府へ。海、山、高原そして温泉という自然の豊かな恵みにつつまれた別府。回路、空路、陸路のアクセスルートにも優れた別府。斬新なデザインを誇るビーコンプラザは、緑豊かな別府公園の一角に位置しています。ビーコンプラザは、世界の人々が交流し夢を育てる広場。人と情報が行き交う十字路。国際会議、コンサート、イベントなどあらゆるニーズに対応する、最大8000人収容可能な西日本有数のコンベンション施設です。ここから未来がスタートするのです」
さらに付属施設として、125メートルのグローバルタワーがある。これはビーコンプラザのシンボルだが、100メートルの展望デッキがある。折角なので、私も上ってみたが、その高さに足がすくんでしまった。360度のパノラマはさえぎるものがなく、来る時に乗ったフェリーも見えたし、幾条もの温泉の湯煙も見えた。
それにしてもこの施設、これだけの規模が有効に活用される催しが年に何度あるのか、実に疑わしい。建設費も巨額なものだったと思うが、維持費負担も相当に重いだろう。ハコ物の大きさを競う愚かしさは、大きすぎて有効に利用できないという点にある。その結果、廃墟のようになってしまう可能性がある。ビーコンプラザもすでにレストランが閉まっていて、食事は外でという不便な施設になってしまっている。
ついでながら、この10月に私が住んでいる西宮市に、兵庫県芸術文化センターがオープンした。2000席の大ホールを備えた超高級施設で、指揮者の佐渡裕氏が芸術監督(?)だとか。その前を通るたびに私は、本当にこんな立派な施設が必要なのか、開店休業状態になるのではないか、と疑うものである。
さて、その他の無駄な公共事業では、「大入島埋立て」というのがある。これは佐伯湾に大型船が接岸できるように海底を浚渫し、水深を現在の10メートルから14メートルにするもの。さらに、その際に出る土砂で海の幸豊富な大入島を埋め立てる計画。その費用は70億円で、これが無駄になる。こうした港湾整備もあちこちで行われているが、大型船が接岸できる立派な施設ができても、利用がなければ無用の長物に過ぎない。実際にも、そうした巨大な釣堀≠ェ各地にあるようだ。
今回、別府での大会ということで、ぜひ温泉のはしごをしたいと思っていた。別府八湯めぐりというのがあって、そのうちは入れたのは二湯だけだった。それが市営浴場で、入浴料はなんと100円。古くて情緒があって、時間さえあれば全部回ったのに、残念だった。
とかく、しんどいばかりの運動が多く、オンブズ活動もご多分に漏れず忙しい。そうしたなかで、この全国大会に参加することは、自費だから費用負担は厳しいけれど、その分、色んなところに行ける。そして、折角遠くに行くのだから、たくさん歩いて楽しもうと参加している。来年は長野県松本市、未知の都市ではないが、どこに寄ろうか楽しみだ。(折口晴夫)
山歩きのおすすめ 「蛾ヶ岳と四尾連湖を訪ねて」
秋になり、紅葉の季節になった。子供達が小さい頃、夏はキャンプ、秋は山登り、冬はスキー等と休みの日を待ち望んであちらこちらによく出かけていた。特に山登りは、私達夫婦の趣味で四季を通してよく登った。春に韮崎の茅ヶ岳、夏に北海道の利尻山、秋に八ヶ岳の赤岳、冬に箱根の金時山等々、今思えば休みになれば出かけていたのだから「若かったなあ」とつくづく感じる。というのも、今は年を重ねてきたせいか1週間の仕事が終わると疲れが出て、出かけようという気力が湧いてこない。若い時は、日曜日に出かけても月曜日に仕事に行っても大丈夫だった。しかし、今は山登りに出かけるのは土曜日にしている。日曜日にはゆっくり休養を取らないと月曜日の仕事が大変になってしまう。
子供達も大きくなり最近は夫婦2人で山登りすることが多くなった。昨年、大学生の息子から誕生日プレゼントに「中高年のための登山学」という本をもらった。父と母2人で山登りを楽しんで欲しいと思う息子からのメッセージを受け取って「蛾ヶ岳(ひるがだけ)・・・首都圏から日帰りできる山。山梨県の御坂山塊西端にあり、交通の便がよい割にあまり知られていない。小さい山ながら頂上からは富士山も望め、花と展望が楽しめる」と、紹介されている山に出かけてみた。
私達は車で登り口である「四尾連湖(しびれこ)」の駐車場に着いた。8月の終わりだったので人の賑わいもなく、ひっそりとした静けさを感じ、四方緑に囲まれた美しい湖があった。車は駐車場に止め(料金1日400円から)案内板に従って登山道を歩く。歩き始めると汗があふれ出て息が切れてハーハーと苦しくなる。「ああ。何でこんな苦しい思いをするのだろう。このまま降りて帰りたいなあ」と山登りをするたびにいつも思いながら歩いている。でも不思議なものでひと汗かくと息も穏やかになる。30分ほど歩いて分岐点があり、雑木林をひたすら歩くと西肩峠に着き、ひと休みしてから最後の急斜面を登る。足元を見ると白い花がひっそりと咲いている。上の方にも黄色い花が見えると苦しさも忘れて花をめざして歩いてしまう。しかし、登っても登っても急坂で上を見るとため息が出てハーハーと息苦しい。立ち止まってふと後を振り返ると、太陽に照らされてキラキラ光っているコバルトブルーの湖が見える。「わあーきれいー」と歓声をあげてしまう。最後の一踏ん張りをして頂上に着く。(標高1279m)汗をいっぱいかいた体に「スー」とさわやかな風が吹く。この風がたまらなく気持ちがいい。苦しい山登りをしたからこそ、この風の心地好さを感じる。「山登りして良かった」と苦しさを忘れてまた山登りをしてしまう。やはり山登りはやめられない。頂上では残念ながら富士山は雲に隠れて見えなかったが南アルプス、八ヶ岳、奥秩父の山々が見え、お花もたくさん咲いていてチョウチョがとびまわっていた。
上りは1時間半ほどかかったが、下りは1時間ほどで降りて、湖畔にある水明荘という山荘に立ち寄った。この湖は、標高約800m、周囲1,5km、水深11mで富士8湖のひとつ数えられ、陥没湖で湧き水の為、水が清く澄んでいて四季折々楽しめるという。(下記参照)宿泊もでき、ロッヂ、バンガロー、キャンプ場もあるので、またゆっくり訪れたいと思いながら湖を後にした。山歩きは人生そのものだという人がいた。苦しい時があるからこそ喜びがあるのだろう。青い空と白い雲、赤や黄色の葉っぱが太陽の光を浴びて色鮮やかに燃える紅葉をもとめて山登りに行ってみませんか?(山登りの後の温泉とビールもおすすめ)(美)
交通ガイドJR身延線市川大門駅からタクシーで20分、四尾連湖下車
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四尾連湖の四季
春 桜・新緑ブッポウソウワラビ釣り(フナ)
夏 キャンプボート・水泳釣り(コイ・フナ・ウナギ)星座・ブッポウソウ
秋 紅葉・栗ひろいキノコ取り月見釣り(コイ・フナ)
冬 スケートワカサギの穴釣り雪見
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揺らぐドイツ大連立構想
社民党の党首の反乱
十月三一日、ドイツの次期副首相兼労働社会相に内定していた社会民主党(SPD)のミュンテフェリング党首が辞意を表明したことで、同党と保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)との大連立交渉を暗礁に乗り上げた。
今回ミュンテフェリング党首が辞意を示したのは、同党幹部会が決定した幹事長人事を関連してである。同党首らがワッサーヘーフェル氏を推薦したのに対して、ウィチョレクツォイル経済協力開発相ら左派はナーレス氏を対立候補として出馬させ、同日に幹部会で選挙が行われ結果、三五歳のナーレス氏が二三対一四の大差で勝利した。
ナーレス氏は反グローバル化運動「アタック」や金属産業労組(IGメタル)と強い関係があり、シュレーダー政権の社会保障解体の「改革」の多くに反対した。幹事長選挙でも青年・女性の幹部会員は同氏を支持した。その背景には、保守との大連立で「社民党の主体性が失われる」と社民党の一部に批判的な見解が広がっていることがある。
九月の連邦議会選挙で、社民党は第二党に後退し、社民党と90年連合・緑の党との連立政権下で進められた社会保障解体に反対する社会的弱者の声を代表した左翼党が躍進したことは左派の危機感を刺激するのに充分であった。社民党内部にはこの立場を考慮しないと同党がさらに弱体化するとの危機感が急速に台頭してきたのである。
今回の大連立交渉でも、財政赤字を三百五十億ユーロ削減するための緊縮予算や年金受給年齢を六五歳から六七歳へと引き上げる合意が決定され、さらに財政赤字削減のために付加価値税の増税の可能性も強くなるなどの見通しで危機感は現実のものであった。このため、従来の社民党左派よりさらに幅広い下部党員層が大連立に反対しつつある。
ミュンテフェリング氏は、次期副首相兼労働社会相のポストに就任することを確認しているが、権威失墜の同氏が率いる社民党代表団で連立交渉がうまく纏まるかは微妙だ。
同日、一方のCSUのシュトイバー党首も「ミュンテフェリング氏は連立交渉の支柱であり状況が変わった」として、内定していた経済・技術相就任を辞退すると発言した。
こうした事態に対して、左翼党のギジ連邦議会会派共同議長は「社民党の中で伝統的な社会民主主義への回帰の声が高まり、党内討論が始まっている」との見方を示している。
大連立反対の大デモの敢行
十一月五日、ベルリンでは「社会的泥棒(社会保障大幅削減)の大連立反対」をスローガンで、全国五十四都市の月曜デモ組織者や地方労組、失業者同盟、平和・青年・女性団体が呼びかけたデモに主催者発表で一万五千人が参加した。今回のデモはシュレーダー政権が実施した社会保障制度などの改悪の撤回を要求するとともに新たに大連立交渉の中で検討されている諸改悪に反対を表明するもので、ドイツの社会民主党(SPD)と保守キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の大連立に反対するデモでもあった。
大連立交渉ではすでに、二〇〇九年までの年金支給額据え置きや受給年齢の六五歳から六七歳への繰り上げなどで合意されており、付加価値税(消費税)の一六%から二0%への引き上げも検討されていた。ベルリン市内三カ所から出発したデモでは「(長期失業者支援制度を改悪した)ハルツ改革IVをなくせ」「(シュレーダー政権の経済社会改革政策)アジェンダ二〇一〇は仕事もつくらず、人々を貧困に追い込むものだ」などの横断幕やプラカードが掲げられ、ドイツの労働者民衆の反大連合の意思が明確に示されたのである。
さらに、大連立交渉では、原発廃止延期が検討されており、北部のリューネブルクでは、原発廃止と自然エネルギー拡大を求めるデモに約七千人が参加しました。四十の環境団体が主催したもので、参加者は「原発廃止の約束を守れ」などの横断幕を掲げていた。
ながらくドイツ労働者階級を社民主義の下に包摂していた社民党の政治が、このように根本的に揺らぎ始めた兆候としてこれらのデモには是非とも注目しておく必要がある。
フランスの暴動でも確認できたように移民労働者を受け入れてきたことである種守られてきた既得権に安住してきた基幹組織労働者の土台が、ドイツにおいても席捲してきたグローバリズムの大波によって、その根底から資本によって見直され始めているのである。
今や全世界で労働者民衆の大きなデモは起こっている。グローバリズムに根ざした新自由主義や市場原理主義との原則的な対峙を追求していくため、私達は労働者階級主体の大衆行動をさらに明確なものにして展開していかなければならない。 (猪瀬一馬)
米FRB追加利上げと住宅バブル
またしても0・25%追加利上げ
一一月一日、米連邦準備制度理事会(FRB)は、定例の連邦公開市場委員会(FOMC)を開き、短期金利の指標となるフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を0・二五%引き上げ、年四・0%とすることを全会一致で決定して、即日実施した。同時に公定歩合も同率引き上げ、年五・0%とした。
二00四年六月以来、金融引き締めに転じてから、これで連続十二回目の短期金利引き上げとなり、米国の短期金利は一%から四%にも引き上げられたことになる。利上げ幅は計三%にも達した。同日発表した声明は「エネルギー価格と諸物価の上昇によってインフレ圧力が高まる可能性がある」と指摘しており、物価上昇への警戒感が、今回の連続利上げの背景となった。
こうしたグリーンスパンの日本のバブル経済の崩壊に学んだとされる絶妙な金融操作は続いている。この結果、現実に、「双子の赤字」が一段と増加しているのに、米国の利上げが連続するのと歩調を合わせるかのようにドル高が進行している。その理由は明らかだ。世界唯一の金融センターのニューヨークに向かって、世界中から巨額の余裕資金が、毎日のように流入を続けているからである。まさにアメリカの繁栄を支える「帝国循環」だ。
日本円の対米ドルレートをとっても、日銀のドル買い介入がないのにもかかわらず、百十七円台の円安が進行している。このように日本の対米輸出超過は増加の一途であるが、ドル高が連日進行し続ける最大の原因は、日米間の金利差を求めて、巨額の個人資金がニューヨークに向かって流出するからである。
再度確認するとアメリカの増え続ける「双子の赤字」の影響が、ドル相場に及んでいないのは日米間の金利差にある。しかし、この四%という金利については、グリーンスパン氏がたびたび発言していた「正常な金利」に到達することになる。その後の利上げがどうなるのかが焦点になるが、米連邦準備制度理事会(FRB)は、今後の金融政策運営では「緩和政策は慎重なペースで解除できる」との表現を踏襲しつつ年内最後となる次回十二月十三日のFOMCでも、利上げを継続する見通しだと伝えられている。
住宅バブルに崩壊は間近
アメリカの住宅バブルにがようやくかげりが見えてきた。ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、アメリカの住宅市場が売り手から買い手市場に移り変わりつつあると伝えた。利上げ前の駆け込み需要で住宅の平均価格は、二00五年六月までの十二ヵ月間に九・四%伸び、一九七九年以来の上昇となっていたが、その後状況は一変し、今のうちに売ろうとする売り手と高値では買わない買い手の駆け引きで、取り引きがうまく進まず、ボストンでは、多くの住宅が定価の一割五分から二割引きで契約されており、カリフォルニアの一等地でも、七月には売却用住宅の回転が、三月の0・六ヵ月分から七・五ヵ月分へと急増した。住宅バブルと呼ばれて飛ぶように売れた頃と違い、買い手が値引きや改装などの手間を売り手に要求することも日常化したと伝えている。
これまでアメリカの景気を支えて来たのは住宅バブルに代表された旺盛な個人消費によるとは衆目一致した意見ではあった。借金した住宅を買いさえすれば、短期間に値上がりすると言う状態がここ五年も続いたので、人々は争って投資目的で住宅を買った。さらに自分の居住する家を担保に銀行から借金し株式に投資するなどして、一段と豊かになった個人が消費を活発化させ景気を押し上げてきた。一九八0年代に日本で見られた土地ブームと全く同じ現象がアメリカでも起こっていたのである。
いまやアメリカの広報誌に落ちぶれたと噂されている日経新聞から、アメリカ住宅バブルに関する記事を、時系列で列挙してみよう。
五月二六日米住宅市場が加熱…「投機的」FRB(米連邦準備理事会)警戒、八月一日米住宅ローン緩む審査基準…当局、異例の懸念再表明、八月五日住宅が支える好循環…低金利、膨らむリスク、八月一五日米REIT(不動産投資信託)にじむ調整色…不動産加熱に警戒感、八月一七日米住宅着工なお高水準…市場、加熱に警戒感も、八月二四日米住宅バブルの行方は…金利のねじれが危機増殖、八月三一日米住宅市場変化の兆し…新築価格低下続く、中古の在庫増加、九月三日米住宅価格値上がり続く(四〜六月)…低金利と投機資金流入、九月五日FRB議長談…「住宅ブームが沈静化するのは避けられない」、九月二一日米住宅着工一・三%減…需要一段落の見方、紹介はこのくらいにしておこう。
アメリカ政府の自国民に対する警告は執拗かつ徹底的なものがある。全てを自己責任としてほおかぶりしているどこかの政府とは大違いではある。
「バブルは破裂してから判るもの」(グリーンスパンFRB議長)との名言もある。反グローバリズムの闘士でもあるアメリカのプリンストン大学のポール・クルーグマン教授も、八月二五日の発言として、米国で住宅バブルが発生しているとした上で、二00六年の春にもバブルがはじける公算が大きいという見通しを示すとともに「間違っているかもしれないが、米国の住宅バブルは来年春にも弾けると思う」と語った。そして、同教授は、バブルが向こう三年間で弾けなければ驚きだとも述べた。同教授は、この間の住宅価格の上昇について、中国など新興市場国から米国債買いによって資金が流入し、利回りが低く抑えられていることが要因の一つであると指摘。「米国人は住宅購入資金を中国人から借りてきて支払っている」と説明したのである。
前号で、次期FRB議長の議長に、グレン・ハバード氏ではなく、日本のバブル期の研究者にして日本の戦前期の経済研究者でもあるB・バーナンキ氏が登場した必然性を説明してきたが、こうしたグリーンスパンの絶妙な金利政策から読み取れることも、アメリカが、今後本格化する住宅バブル崩壊に対応した政策を確定した事である。 (直記彬)
『やさしいことばで日本国憲法』E 第3章 人々の権利と義務 第20・24・25条 池田訳
第20条
すべての人は、なにを信仰しても自由です。宗教組織は、国から特権をあたえられたり、政治に威力をおよぼしたりしてはなりません。だれも、宗教にかかわる行動や、儀式や、典礼や、行事にむりやり参加させられることはありません。国と国の機関は、宗教教育そのほかの、宗教にかかわることをしてはなりません。
第24条
結婚は、当事者が同意すれば、それだけで成立します。結婚とは、当事者どうしがおなじ権利を持つことをふまえ、たがいに力をあわせて維持していくものです。結婚相手をえらぶことや、財産にまつわる権利や、相続や、どこに住むかをえらぶことや、離婚など、結婚と家族にまつわる法律は、個人の尊厳と両性の真の平等をふまえてつくられます。
25条
すくなくともこれだけは、というレベルの、健康で文化的な生活をいとなむことは、すべての人の権利です。国は、生活のあらゆる分野に、社会としての思いやりと、安心と、すこやかさがいきわたり、それらがますます充実するように、努力しなければなりません。
正文
第20条
1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。
第24条
1)婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2)配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第25条
1)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
自民党の憲法改正案が出ましたが、あまりにも自分たちの都合の良い案に、呆れかえりました。靖国参拝を合法化するために、これまで国の宗教活動の禁止を、「社会的儀礼又は習俗的行動の範囲を超える宗教教育その他の宗教活動」と範囲をゆるめ、例外規定を入れるというものです。憲法違反にならないためのこじつけと言うほかありません。また、離婚と婚姻、家族の規定を個人の尊厳と両性の本質的平等としていたのを、新たに「家族の役割」を押しつけています。これは個人では統制が困難として、家族単位で国家に従わせようとする意図が見え見えです。そして、第25条では「基本的人権の尊重」という生きるための権利に、環境権、犯罪被害者の権利を付け足すという手法で、いかにも改善されたというイメージ作りを出しています。つまり、憲法のそもそもの役割を忘れた、人々の権利よりも「公益」を優先した自民党の姿勢が鮮明になったということでしょう。
CHAPITAR V. RIGHT AND DUTIES OF THE PEOPLE
Article 20
Freedom of religion is to all. No relaigious organizaition shall receive any privileges from the State, nor exercise any political autthority. No person shall be compelled to take part in any religious act, celebration, rite or practice.The State and its organs shall refrain from religious education or any other religious activity.
Artcle 24
Marriage shall be based only on the mutual consent of both sexes and it shall be maintained through mutual cooperation with the equal right of hasband and wife as a basis. With regard to choice of spouse, property right, inheritance, choice of domicile, divorce and other matters pretaining to marrage and the family, laws shall be enacted from the standpoint of individual dignity and the essntial equality of the sexes.
Artcle 25
All people shall have the right to minimum standards of wholesome and cultured
living. In all spheres of life, the State shall use its endeavors for the
promotion and extention of social welfare and security, and of public health.(マガジンハウス・池田香代子訳「やさしいことばで日本国憲法」より)
(恵)
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四国の人のやりたいまー
お四国≠フ名で知られている四国八十八ヶ所めぐり。そこでは村総出でお接待≠キるという。今様にいえば、全く無償の行為=B仏教にお参りすることもさることながら、このお接待にあづかり、多くのことを感得するらしい。
オナゴ≠いじめたというトガ≠ナやられて、民主党(私は政治家は好まないが)の菅さんがスゲ笠かぶって、ニコニコうれしそうにお四国めぐり≠していた顔がTVで紹介された。だからTV党なのだ。私は。
もうこの世にいない母は、ふるさと≠フ徳島をすてるほどの気の強い明治生まれの女性だった。その気の強さの故か、晩年、頭が変てこ(今で言う認知症)になっても、妄想のゆえかお客さんが泊まってはるから、はよ近所のウドン屋さんへ注文してこい≠ニいった。無償で手伝いに来てくれていた方(一人はオバアチャン、もう一人はオバアにはまだ間がある主婦)で若い方が、機転をきかしてお盆に丼鉢(空の)をいくつかのせて、高く棒げて(母には見えないように)、はーい≠ニ母の前を通り過ぎて、やっと母は安心した顔になった。
私が今でも、借金して買ったものでも人様にあげたいものは、お四国≠フ母の血を受けているのかも知れない、つまりヤリタイマー=Bところが、この習性も都市ではすんなりと受け入れられず、かえって何か下心あるんちゃうか≠ニ警戒心の方が強い。こんなにオレオレ≠ニか手の込んだ他人様の懐ねらいが日常茶飯事のこととなれば、無理もないが。最近では殺し≠熾ス気という世の中だから。
省略
人々が母親の胎内にもどりたがるようにお四国≠めざして歩む人々の思いも、それを受け入れるお四国の人々の思いも、何とか納得できそうだ。そうした思いが現在の大地も人々も砂漠のような状況から超出しうる火種を、胸の中にともして戻ってくることなのかも。
同様に、あらゆる分野でこうした試みというより、自然に求める思いが新しい何かを生み出しつつあるように思う。実例を耳にすることもある。こうした果てしない超出の試みが、ひょっとすれば、手塚治虫が見たがってた、かすかな光≠みれるかも。その意味であきらめない≠ニいう言葉も好きだし、そのためには、デリカシーを含有するずぶとい精神も養われよう。今はその前夜にあるオモシロサもあるように思っている。やりたいよー≠諱A永遠なれ!2005・10・3 宮森常子
先日、4日間の東北旅行から無事に帰ってきた、との知らせがありました。宮森さんのやりたいよー≠ヘ、旅先での新しい出会いなのでしょうか。たくさんの写真も撮ってこられたそうで旅行記も期待できそうです。旅の様子を少し紹介します。
「山形に映画祭があって、そこでは崔洋二氏らが出てきて、コトバの弾丸≠フやりとり。うらやましかったですね。こっちで弾丸の如きコトバを口に出すと狂気≠ニされ、カルシウムが足らんか、何とか見当はずれの見方をされますが。全く日本列島は小さいけれど、行くとこ行くとこ違っていて、まさにでっかい国にみえます」。 (恵)
大阪市長選について
私は大阪市民ですが、今回の大阪市長選挙はあまり興味がありません。関淳一前大阪市長の辞任、そして再出馬、いったい関は何を考えているのでしょうか?大阪市政の破綻の責任を取って辞めるなら話はわかりますが。第3セクターの破綻による大借金や大阪市の労組のヤミ専従問題など、関自身助役の時代は見てみんふりをしていたのです。
関は再出馬するべきではありません。
大阪市議の船場太郎(元大阪市議会議長 元吉本新喜劇座長)は結局出馬表明したのだが、さっさとそれを撤回しました。本当に優柔不断な人です。
さて関以外は、前大阪市議で共産党推薦の姫野浄、前衆議院議員の辻恵の3人が立候補する予定です。(この文を書いているのは12日で告示が13日)
自民党と公明党が関を推薦しています。この両党はあくまでも与党でいたいのでしょう。民主党は、自主投票ですが一部の議員が辻を応援するようです。辻が本当に腐った大阪市政を立て直す事ができるのかどうか、わかりません。お手並み拝見と言ったところでしょうか。姫野は大阪市職員のヤミ専従問題やカラ超勤問題を解決できるかですが、ヤミ専従問題は、ある程度改善してくれるような気はします。カラ超勤問題はどうかなという感じです。
いずれにしろ大阪市政を変えることができるのは、市民による市政の監視と行動でしょう。関だけは、勝たせたくないと言う気持ちです。 (M)
日教組の「教育の危機宣言」を紹介します
子どもたちの明るい未来のために、義務教育費国庫負担制度の存続を!
子どもたちは、義務教育を受ける場所を自分できめることはできません。
住んでいる場所で教育条件に違いをつくってはいけません。
義務教育に「貧富の差」を決してもたらしてはいけません。
日本には、都市部や山間・へき地・離島など子どもたちがどこに住んでいても、義務教育がきちんと受けられることを保障する「義務教育費国庫負担制度」があります。
これは、教職員の給与費の半分を国が負担し、個々の自治体の財政力によって格差が生まれないように、必要な教職員数を確実に確保するための制度です。
今、政府では「三位一体改革」の中で、この義務教育費国庫負担制度の廃止につながる大幅な削減をしようとしています。
試算によれば、仮にこの制度を廃止し、都道府県の税収で義務教育を行うことになると、一部の都府県を除く40道府県においては、現在の義務教育費が確保されず、その結果、平均2割の教職員が減らされる危機にあります。
私たちは「地方分権」に反対しているわけではありません。教育分野においても「分権」は必要であると考えます。
国は、教育の基本的制度や大綱的な学習内容を示すことにとどめ、具体的な教育内容などについては、現場である学校や地方自治体にまかせる「分権」こそが、必要だと考えます。
多くの知事や市町村長が教育分野に対して、不満に感じられ求められているのはこうしたことではないでしょうか。
国からの教育費の削減は、教育条件の低下・地域間格差をもたらします。過度の学校の統廃合が起こり、人口の流動化が生まれ、地域コミュニティーの崩壊にもつながります。さらに、地方財政をよりいっそう圧迫し、教育のみならず福祉・医療など様々な分野の住民サービスの低下を招きかねません。
私たちは、憲法で保障されている「教育を受ける権利」の侵害につながる、教育の重大な危機であると捉えています。ここに、「教育の危機宣言」を発し、現行の義務教育費国庫負担制度を存続させるよう、保護者・市民の皆さんに強く訴えます。
十一月五日 日本教職員組合
中教審最終答申においても、「国庫負担制度堅持」が盛り込まれたのにもかかわらず、小泉政権は地方の声を聞くと称して、日本の義務教育制度の財政的保証の根幹をなす義務教育国庫負担制度を廃止しようとしております。今鋭く政治問題化している生活保護費・児童扶養手当の国庫負担率を現行の四分の三から二分の一に削減する攻撃と軌を一にした対応です。日本を急速に「格差社会」に変質させるこうした攻撃に断固として反対していかなければなりません。各地域でともに闘いましょう。(二00五・一一・九 境之谷)
恒例の一一月全国労働者総決起集会に参加して
今年も夫婦して恒例の日比谷野外音楽堂での集会に参加してきました。今年で八回になる集会は曇天に中に始まり集会中には小雨が降り出し、デモ行進終了時には大雨となり、かなりきつい集会とはなりました。集会参加者は連合集会を上回る四千六百人で、会場でのカンパは百七十万円が集まりました。その中に手紙付きの十万円カンパもあり大いに会場の参加者を鼓舞した出来事がありました。
今年の集会は関西地区生コン支部の委員長以下数名が今でも収監中であるとの緊迫した状況下で開催されました。三年前から集会は国際色が出てきて、今年もアメリカと韓国からそれぞれ二十名ほどの参加者がありました。韓国からは昨年に引き続き民主労総ソウル地域本部長以下ソウル大学病院支部労働組合や公務員労働組合ソウル本部の代表が挨拶しました。その前座として民主労総文化宣伝隊が律動と労働歌を披露して大いに盛り上がりました。彼らは一二月のゼネストに向けて意気軒昂に闘いに突入すると宣言したのです。
その後動労千葉から基調提起を受けました。「怒りの声をたぎらせて支配の厚い壁を打ち破ろう」との提起に拍手は一段と高まり、「小泉反動内閣打倒・国際的団結の発展」が確認されました。その後決意表明した労組の中には、三十四年闘い続けて全面的な勝利を勝ち取った全金本山労働組合もありました。彼らの不屈なの闘いと全面的な勝利に対しては会場からは大きな拍手が巻き起こりました。
会場には自治労全逓国労医療福祉関係の労組の旗がはためき、参加者の大部隊としては教組がありました。今年も、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者と一ヶ月の停職処分を受けた根津公子さんからもアピールがされました。その他特筆すべき事は、在日の旧ビルマ労働者が大挙登壇して反軍政の熱烈なアピールをしたことです。クルド人達も登壇したました。今までの集会にはなかったことでした。
今年の集会で、全国集会は一皮むけました。本当に大衆的といって良い集会になりつつあります。この集会が注目されだしたことは、私が所属している地域連合と教組の大幹部がお忍びで様子を見に来たことからも明らかです。
小泉政治と対決していくためにもたたかう労働組合の全国ネットワークをより広くより強くしていかなければならないと確信させた集会でありました。 (霞ヶ丘)
色鉛筆−「ブライトアイズ」
秋は学校の行事が続きます。当の本人は練習や準備に忙しいですが、参観する私も色んなことを感じさせてもらっています。今日は、中学校の合唱コンクールがあり末娘の成長ぶりを見てきました。
合唱コンクールは、上の子ども達の時からの恒例の行事で、何度も鑑賞し課題曲・クラス選曲も聞き覚えのあるものがほとんどです。しかし、練習を重ねクラスが一つになるために頑張っている姿は、心を動かされるものがあります。そして、私が楽しみにしていた鑑賞行事とはどんなものだったか、皆さんに紹介しましょう。
演奏してくれたのは、「ブライトアイズ」という名古屋市内のロックバンドです。メンバーは5名で、そのうち1名は健聴者ですが、その他のメンバーは耳が不自由です。バンド名「BRIGHT EYES」を日本語に訳すと「輝く目」という意味で「耳が聞こえなくても瞳がある」というのが由来だそうです。
耳が聞こえないのにどうやって演奏するのだろう・・・。こんな心配は、演奏が始まったらどこえやら、飛んでいってしまいました。ボーカルを中心に、お互いの目を合図に体の動きにも気を配りながら、リズムをとっていく。さすが結成17年目のチームワークと、感心しました。
バンドはリズム中心で、いつもドラムを中心にメンバーが孤を描くように並び、視線をドラムに集中して、目を見ながら音合わせをしています。唯一の健聴者の方がドラム担当ですが、残念なことに演奏当日に体調を崩され、欠席となりました。ドラムなしで、ベースからの振動でリズムを合わせ、自分自身にも挑戦しているメンバーの姿に、努力と勇気を見せられた思いでした。
手話を交えた曲に会場は大いに盛り上がり、子ども達も手話に夢中になって、少しは手話も覚えたようです。手拍子を添えてメンバーと会場が一体となったひと時は、私にとっても日常からの解放となり、楽しい気持ちを共有できたと思います。
ところで、気がかりな国体ですが、今年は岡山で開催されました。来年は兵庫ということで、小・中学校の校門にはシンボルマスコットの「はばたん」がついた「のじぎく兵庫国体」の横断幕が張られています。幼稚園、保育所には「はばたん」のうちわを配る、公共機関の受付には「はばたん」のぬいぐるみと、嫌でも目に入ります。なぜ、こんなに力を入れる必要があるのでしょうか。たった4日間の「国体」なのに・・・、やっぱり背後には「日の丸」? 気になります。(恵)
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