ワーカーズ310号 2005.12.1.        案内へ戻る

政府・与党が庶民増税にゴーサイン
労働者・庶民からの追加収奪を許すな!
資本の政府の費用は資本が負担せよ!

 政府税制調査会の答申が出された。その中心は、定率減税の廃止、つまりサラリーマン・労働者増税だ。
 定率減税は、99年に「恒久減税」と銘打って導入され、景気回復が確かなものとなるまでは継続されるものとされていた。政府・与党は、この定率減税を廃止せんがために、景気が回復しつつあると強弁している。
 現実はどうか。徹底したリストラでトヨタなどの大企業は利潤を増やしはしたが、その影で労働者・庶民の賃金の停滞と減少、生活の困難が増しているというのが偽らざる現状だ。非正規労働者が増大し、失業者があふれ、大衆はギリギリかつかつの生活をやっとしのいでいる。
 政府税調の答申は、企業への減税措置である研究開発・IT投資減税についても廃止するとは言っている。しかしそれらは企業への多種多様で大規模な優遇税制のほんの一部であり、そうした微々たる企業優遇廃止で、この税調答申の本質が労働者増税策であることを隠すことなどはできない。政府・与党は、労働者に対して定率減税の廃止=労働者増税を飲ませるために、わずかばかりの企業現在縮小を持ち出しているだけなのである。
 それだけではない。この定率減税廃止は、その後に続くさらなる増税策、消費税の大増税の先触れだ。
 谷垣財務大臣は公然と消費税増税の必要を主張し、与謝野経済財政相がそれに唱和している。竹中総務相は彼らに対して「形を変えた抵抗勢力」などという言葉を投げつけているが、しかし竹中にしても消費税の増税を否定しているわけではない。ただ公然と発言するのが政治的に適切かどうか、あるいは導入の次期の問題で異を唱えているに過ぎない。何よりも竹中や谷垣らを背後で支えている日本の財界主流は、明確に消費税増税論を唱えている。しかもその率は、十数%という法外なものだ。
 06年、07年には我が国の支配階級は、一丸となって消費税増税の攻撃を打ち出してくることは確実である。彼らの口実は、財政危機の回避のため、将来にツケを回さないため、国防の強化のため、時代に見合った新たな公共投資のため、増大する社会保障費をまかなうため等々というものだ。しかし彼らが重視する軍事費にしろ、都市型の公共投資にしろ、また不承不承行っている社会保障にしろ、それらはいずれも彼ら自身の利益のためだ。彼ら財界・企業に利益をもたらし、またこの利益をもたらしてくれる体制を維持するためにこそ、国家財政は運用されているのである。
 だとすれば、その費用は彼ら財界・企業自身が負担するのが当然である。そもそも労働者や、労働者となるチャンスさえ奪われた人々には、そのギリギリかつかつの賃金や収入からこれ以上の税負担を負う余力はない。
 労働者増税、庶民増税の攻撃をなんとしても粉砕しよう。そして税の支出の方向と内容に対しても、労働者・民衆の利益、社会の進歩の観点から、介入を強めていこう。


非正規労働者の正社員化を!
正規、非正規を含む全労働者の均等待遇をめざそう!


 このところ景気の回復が言われ、それを象徴するかのように企業の利益が大幅に増えている。株価もこのところ上昇傾向を示し、小泉政権発足後初めて15000円の壁を越えた日もあった。
 企業利益の回復は労働者の賃金に波及し、賃金を柱とする内需拡大を呼び起こしてさらなる景気拡大につながる……、というのがかつての景気回復のパターンだった。ところがいまではこうした過去の常識は通用しないらしい。勤労者の賃金は減り続け、利益は企業や大株主の独り占めだ。勤労者の犠牲の上に企業が肥え太っている、というのが現実だ。こんな状況を許しておくことは出来ない。

■企業ばかりが収益増加

 つい先頃の11月17日、東証一部上場企業の中間決算では、売上高・経常利益ともに過去最高だった前年同期を上回り、3期連続の増収増益になったことが明らかになった。売上高で6・5%、経常利益で8・4%増だという。
これは中国などの海外需要が増えたことなどで素材産業が好調な上、不動産や情報通信産業の業績が押し上げたからだという。実際、鉄鋼大手5社も過去最高益を更新し、東京都心では地価上昇やマンション販売などでミニバブルが指摘され、またこのところの円安で、自動車産業も予想を覆して増益に転じた。
 その一週間後の11月25日、今度は大手銀行グループの中間決算でも連結当期利益の合計が1兆7290億円となって過去最高となったことが報道された。これまでの最高はバブル経済真っ最中の89年9月の8578億円というから、その儲けぶりはすさまじいという以外にない。
 この背景にはこのところの景気回復で不良債権処理費が減ってきたのが大きいという。ピーク時の02年3月期で7兆円を超えていたのが、今年3月には2兆円まで減少、不振企業の再建が進んで貸し倒れ引当金のうち2000億円が返ってきたという。本業のもうけは2兆511億円で、これは引き続くゼロ金利政策と各種手数料収入の増加によるという。郵政民営化や政府系金融機関の統廃合など公的金融の縮小化を進める小泉政権だが、銀行など金融機関に対しては、ゼロ金利政策や公的資金投入などで手厚い保護を与え続けてきた結果だろう。小泉改革がどこを向いているかが分かろうというものだ。
 企業が大儲けしているのであれば、多少は労働者にも配分があってしかるべきだと思うのは素人の浅はかさか、実際には減り続けているのが現実だ。

■しわ寄せは労働者に

 この8月に日本生活協同組合連合会がまとめた04年度の全国生計費調査が公表された。それによると「全国の給与所得世帯の実収入は減少。夫の給与・賞与は20、30代は回復しているが、40、50代では低下が続いている――。」という結果が出たという。また家計の消費支出についても、消費税の総額表示による変化を補正すると、低下傾向を脱していないという結果が明らかになった。
 また総務省による家計調査(2人以上の勤労者世帯)では、7〜9月期に世帯主の定期収入は前年同期比4・0%が下がり、実質消費支出も1・7%減少している。もう少し総務省の統計データを見ていく。勤労者の現金給与総額の推移は00年を100として04年まで見ていくと、01年=98・4,02年=95・5,03年=94・8、04年94・1と継続的に低下している。実質賃金指数(定期給与)も同様で、00年の100として04年の98・7まで継続的に減少している。05年も下がっているとすると、実質5年にわたって勤労者の収入は減少を続けているわけだ。
 供給側の商業統計でも、9月の全国スーパー販売額(速報)が前年同月比1・5%減になるという結果が出ている。企業利益が史上最高を更新しているさなかに、勤労者世帯では収入が減少し、結果的に消費も低迷しているというのが現実なのだ。

■労働者を切り捨てての景気回復

 企業利益の増加が労働者の賃金に波及する、というかつてのパターンが崩れているのはなぜか。それは利潤至上主義こそが企業目的であることを脇に置いて考えれば、この10年ほどの雇用構造の様変わりが原因だ。
 確かに統計上は失業率は下がっている。03年4月で5・8%となって最悪となった失業率は、05年の9月には4・2%まで低下した。確かに失業率が下がってきたことは、同じ勤労者として歓迎すべきことには違いない。しかし単に失業者が減ったことを喜んでいるわけにはいかない。失業者が減ったといっても正規雇用が増えたわけではなく、派遣社員や契約社員、それにパート・アルバイトなどの非正規労働者が増えているにすぎないからだ。
 総務省の労働力調査によれば、正規労働者は02年から04年までの2年間で100万人も減少し、逆にパートは50万人、派遣・契約・嘱託労働者は80万人も増えている。非正規労働者は04年の4〜6月で31・2%にもなり、いまでは3人に一人が何らかの非正規雇用を余儀なくされているわけだ。それだけ劣悪な労働環境で働かざるを得ない労働者が大量に創られているということだろう。
 その非正規労働者の賃金が少しでも引き上げられているなら、また多少の救いはある。しかし現実は逆だ。ピークの96年の1071円から04年の1003円まで、継続的に引き下げられてきているのが実態だ。
 こうした状況をトータルに見れば、リストラや非正規化などでコストダウンした企業が貿易などで利益を増やし、それを企業が独り占めにしている、という構図だ。

■非正規の正社員化、均等待遇は全労働者の課題だ

 かつて12月は経営側も労働側も翌年の春闘に向けて賃金をめぐる見解や戦術を固める時期だった。いま春闘はかけ声だけの「春討」におとしめられているが、それでも景気回復の兆しが見えるいま、非正規労働者の正社員化や均等待遇を勝ち取るチャンスであり、これまでの守勢から反転攻勢への局面打開をめざすときだろう。非正規労働者の待遇を引き上げることが出来れば、それだけ非正規労働者の雇用が企業のメリットではなくなる。そうなれば正規労働者の非正規への置き換えにも歯止めをかけられるだろう。
 先日の連合大会で会長選に立候補した鴨桃代氏が会長を務める全国コミュニティ・ユニオン連合会も「全国どこでも誰でも時給1200円」の要求を掲げている。全国最低賃金の引き上げを掲げている組合もある。そうした闘いを非正規労働者のみ成らず、全労働者の共通の闘いとして推し進めていく必要がある。
 労働者の処遇を切り捨てながら利益を独り占めしている企業に対して、労働者は大きな怒りをぶつける以外にない。(廣)


成年後見人制度の現状

●東京都が市民による成年後見人養成に

 東京都は認知症や知的障害者、精神障害者などの判断能力が不十分な人達に代わって財産の管理や契約行為を行う成年後見人を市民から一般公募し、養成する事業に乗り出す事を決めた。東京都では来年の3月をめどに50人を養成することにしている。都道府県が直接成年後見人を養成するのははじめての試みである。この背景には大都市の急激な高齢化問題とリフォーム詐欺や強引な訪問販売などの被害が続出していることがある。東京都ではこれから退職を迎える団塊の世代を成年後見活動の担い手として想定しているようである。現在第三者の後見人としては弁護士、司法書士、社会福祉士等が養成研修を受け活動を行っている。
 成年後見制度は、介護保険制度の導入と同じくして成立したが、いまだに市民の間に浸透していず、制度自体を知らない人も多い。認知症をはじめとする判断力の劣る人達が詐欺被害にあわないために、成年後見制度が有効に活用されなければならないのであるが、人の財産の管理をする仕事を簡単な講習を受けただけの人に任せて良いのであろうか、安易な対策は新たな問題を発生させるような気がしてならない。

●全財産を奪われ、自宅が競売にかけられた認知症の姉妹も

 埼玉県富士見市に住む80歳と78歳の認知症の姉妹が3年間で16社にも及ぶ訪問業者に住宅リフォーム工事の契約4600万円以上を結ばされていたという事件が起きた。この事件は、近所の人が姉妹の家にリフォーム業者が頻繁に出入りをしていることを気にかけ、家が競売にかけられたことを市に通報した事から発覚した。姉妹は全財産4000万円を失った上に700万円の未払い代金の為に自宅を競売にかけられていたのである。

●成年後見制度とは

 成年後見制度は、従来の禁治産・準禁治産制度に代わって2000年に施行された制度である。認知症や知的障害、精神障害などの理由で判断力が不十分な人達は、不動産や預貯金などの財産を管理したり、身の回りの世話のためのサービスや施設入所などの契約を結んだりする事が難しい場合がる。また自分に不利な契約であっても、判断ができないために契約を結んでしまい、悪徳商法の被害にあうこともある。この様な判断能力が不十分な人達を保護し、支援する制度が成年後見制度である。
 成年後見制度には法定後見制度と任意後見制度がある。法定後見制度には後見、保佐、補助の3つがあり、その人の判断能力の程度などにより選ぶようになっている。法定後見制度は裁判所によって選ばれた成年後見人、成年保佐人、成年補助人が本人の利益を考え契約などの法律行為を行ったり、本人の法律行為に同意を与えたり、本人が同意を得ないででした不利益な法律行為を後から取り消すというようなことができるというものである。任意後見制度は本人が十分な判断能力があるうちに、将来判断能力が不十分は状態になった場合に備えて、あらかじめ自らが選んだ代理人(任意後見人)に、自分の生活や療養の看護、財産管理などについて代理権を与える契約を結んでおくというものである。
   
●使いにくい成年後見制度

 国民生活センターによると、全国の相談窓口に70歳以上から寄せられた訪問販売に関する相談は年々増え続け2003年では48000件ある。認知症高齢者などが契約の当事者であるケースは約9900件(03年)もあり、3年間で倍以上に増えている。特に被害が多いのが70代の女性で大半が一人暮らしだという。この様なケースについて成年後見制度が活用されることが必要なのであるが、まだ市民権を得ていない。
 成年後見制度の存在を知らない人達も多いが、パンフレットなどを目にした人達も、この制度が本人の権利擁護のための制度であり、本人支援の為の制度であるという認識を持ってない場合が多い。その結果、判断能力が相当衰えた段階や財産被害の状況がすすみ、必要に迫られてようやく制度の利用を決断する傾向がある。そのために支援の選択肢が狭くなり、対応がより困難になっている。
 成年後見制度を介護保険の契約のために一つの利用法として位置づけているが、成年後見制度の対象者は介護保険のサービスを利用する人達だけではない、身寄りのない高齢者や両親が高齢になっている障害者等もニーズの高い人達である。対象者を広く市民全体として捉え、制度の広報と普及活動を行うことが行政のやるべき事であると考えている。
 また認知症の高齢者に関わる人達が広くこの制度を理解しておくことにより、地域福祉権利擁護事業の利用や成年後見制度を視野に入れての各機関との連携がはかれるようになるはずである。
 経済的に豊かではない人達にとっては、手続きのための費用や後見人の報酬の負担も問題になってくる。法定後見申立の鑑定費用は禁治産・準禁治産制度よりは安くなっているが、それでも10万円程度かかってしまう。また後見人の報酬は家庭裁判所でその報酬額を決定するが、月額3〜5万円程度必要になってくる(活動内容によってはこれ以上の金額になる)。
 いくつかの自治体では成年後見制度推進機関を創設し、申立費用や毎月の後見報酬を助成している。しかし、まだ取り組まれていない自治体のほうが多い。国の責任による専門職後見人報酬助成制度を構築する必要がある。また生活保護対象者に対しては成年後見人にたいする報酬扶助を創設し生活保護費においても対応できるようにすべきである。
 成年後見活動は片手間で行えるものではない、知識や経験、時間等を要するものである。安易に誰でも行えるようにすることよりも、この制度を広く知ってもらうことと、地域権利擁護事業や成年後見制度につなぐことができるような、ネットワーク作りに力を注ぐべきではないだろうか。民生委員が独居高齢者を殺害し預金を使うといった事件があったが、財産管理をすることはボランティア感覚でできるものではないだろう。今回の東京都の養成もアシスタントやネットワーク作りの一端として行う方がよいのではないだろうか。 (Y)
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日米関係の真実―注目せざるをえない三会合

アメリカン・エンタープライズ研究所の「日米同盟シンポジウム」

 まず最初に書いておかなければならない会議とは、「日米同盟の変遷 防衛協力と統合の深化に向けて」と銘打って開催されたアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)主催の日米同盟シンポジウムである。その会議は、十月二五日から二六日の二日間にわたって、衆議院第一議員会館の目と鼻の先にあるキャピトル東急ホテルにおいて開催されていた。このホテルは、国会議事堂に近接している関係から、よく国会議員達の会議会場として利用されていたという。
 ここで注目しておかなければならないのは、アメリカン・エンタープライズ研究所というシンクタンクの性格と日米の出席者である。ネオ・コンの言葉を日本で始めて定義づけた副島隆彦氏の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』には、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(正式名称)は、「伝統保守派のふりをしているが、実は今やネオ・コン派の一大拠点。リベラル派のブルッキングス研究所に対抗して、一九七0年に保守派知識人が大企業の献金を集めて作った。保守派の側からの反撃のシンクタンクのはずだったが、ネオ・コン派に占領されてしまった」と解説されている。
 十月二五日の主な出席者の名簿は、クリストファー・デミューズ(AEI理事長)、ジョセフ・R・ドノバンJr(在日米国大使館首席公使)、前原誠司(民主党代表)、リチャード・ローレス(米国防副次官)、長島明久(民主党「次の内閣」防衛庁長官)、アーロン・フリードバーグ(米プリンストン大学教授)、ダニエル・プレッツカ(元米上院外交委員会近東南アジア担当上級専門スタッフ/AEI外交防衛政策研究副部長)、額賀福志郎(元防衛庁長官)、石破茂(元防衛庁長官)、鶴岡公二(外務省総合政策局審議官)、ジョン・ヒル(米国防次官補室部長)、ダン・ブルーメンソール(元米国防総省・国際安全保障オフィス上級部長/AEI研究員)、ティモシー・ラーセン(在日米軍副司令官/少将)、金田秀昭(三菱総合研究所主任研顧問)、リチャード・ウィアー(米大統領国家安全保障会議統合参謀本部/中佐)、山口昇(防衛研究所副所長/陸上自衛隊陸将)、トーマス・ドネリー(米議会・日中安全保障検討委員会委員/AEI研究員)、安倍晋三(自民党幹事長代理)であった。
 翌二六日の主な出席者の名簿は、トーケル・パターソン(元米大統領特別顧問/元国家安全保障会議アジア担当上級部長)、リチャード・J・サミュエルズ(マサチューセッツ工科大学《MIT》国際研究センター所長)、佐藤達夫(三菱商事執行役員宇宙航空本部長)、ニコラス・エーベスタット(米国立アジア研究所顧問/AEI政治経済部門議長)、阿川尚之(慶応大学総合政策学部教授)、ケント・カルダー(ジョンズ・ホプキンス大学東アジア研究所/朝鮮半島研究所所長)、久間章生(元防衛庁長官)であった。
 安倍晋三から前原誠司までの自民党・民主党の政治家や石破・久間元防衛長官や阿川尚之氏や岡崎研の金田氏や防衛産業関係者や北朝鮮エキスパートのエバーシュタット氏やシミュレーションのサミュエルズ氏もいる。まさにネオ・コン派と日本の自民党・民主党と防衛産業関係者・自衛隊関係者との一大会議であったことが確認できる。ケント・カルダー氏について一言しておけば、彼こそは日本に構造改革を迫り郵政民営化を影で働きかけてきた張本人であり、『自民党長期政権の研究―危機と補助金』で自民党の補助金ばらまき体質を批判しつづけ、日本経済における旧大蔵省の役割を知悉していた日本研究者だ。
 アメリカは経済封鎖を仕掛けた国に対して戦争を仕掛けなかった史実は一つもないことの重さを感じさせるに充分な会議ではある。まさにその意味では記念すべき会議である。

国際情報戦略研究機構の設立記念講演会

 十月三一日に、国際情報戦略研究機構という民間シンクタンクの設立記念講演会帝国ホテルで行われた。このシンクタンクは、アメリカのブルッキングス研究所と“提携”しているとのこと。先に紹介したようにアメリカのリベラル派のシンクタンクであるブルッキングス研究所では、0三年最近の日本経済の低迷の中で日本研究を取りやめた。これは日本の地盤沈下に伴う対応なのだが、注目すべき事はこの事ばかりではなく、エドワード・リンカーン氏が首になっているのだ。彼こそは市場開放を声高に主張してきた規制緩和派の闘士であった。彼もまた「郵貯廃止論」と郵政三事業分割を強く主張していた人物であった。その後も彼は日本経済研究者として活躍している。
 このシンクタンクが設立されたことは朝鮮有事に対応したブルッキングス研究所のシンクタンクとしての動きと見ることができる。
 この国際情報戦略研究機構の設立講演会のパネラーは、石破茂元防衛庁長官、浜田和幸氏、竹村健一氏、木村剛氏、増田俊男氏(「力の意思」編集長)で、司会は元TBSの八塩圭子氏だった。講演終了後のパーティーでは、民主党喜納晶吉参院議員が、「花」を熱唱して会場を盛り上げたという。

第六回日米安保戦略会議の開催

 十一月一0日・一一日の両日、ヘリテイジ財団主催のシンポジウム、第六回日米安保戦略会議が、国会議事堂正面右手にある憲政記念会館で行われた。
 ヘリテイジ財団は、「アメリカン・エンタープライズ研究所の活動にあきたらず、新しい保守派の結集軸となるべく設立された研究所。『新右翼』系に分類される実務官僚あがりの人々が、一九七三年に設立した。アメリカで最も強固な伝統保守思想の人々の集まりであろう」と副島氏の前掲書では解説し、その弟子の中田安彦氏は「共和党の海洋戦略を担う主要シンクタンクである」と補足している。
 当日の主な出席者を上げれば、瓦力(自民党・元防衛庁長官)、トマス・シーファー(駐日米大使)、武部勤(自民党・幹事長)、額賀福志郎(防衛庁長官)、宝珠山昇(元防衛施設庁長官)、ウィリアム・コーエン(元米国防長官)、石破茂(元防衛庁長官)、ウィリアム・シュナイダー(ラムズフェルド米国防長官顧問)、前原誠司(民主党代表)、長島昭久(民主党衆院議員)、ピーター・ブルックス(ヘリテイジ財団アジア研究センター所長)、バルビナ・ホワン女史(ヘリテイジ財団アジア研究部門北東アジア担当アナリスト)である。
 翌一一日の主な出席者は(重複を除く)、久間章生(元防衛庁長官)、西岡喬(三菱重工社長、日本経団連副会長)、マーヴィン・マクナマラ(ミサイル防衛庁副長官)、ピーター・フランクリン(レイセオン社 ミサイル防衛戦略事業部兼副社長)、その他、ロッキード・マーティン、ボーイング、ノースロップ・グラマンのミサイル防衛担当である。
 前回のアメリカン・エンタープライズ研究所のシンポジウムは、ケント・カルダー・リチャード・サミュエルズといったジャパン・ハンドラーズの知識人と日本の政治家を主体にしたシンポジウムだったが、今回のヘリテイジ財団主催のシンポジウムは実務官僚と兵器ビジネス関係者の会合であった。
 日本側の出席者には、最近「普天間より重要な日米同盟の強化」を書いた傲慢なジェイムズ・アウアー氏の覚えめでたい「操られ組」=前原・長島両氏が今回も参加している。
 パネルのタイトルは「中国、インドの台頭と日米同盟の深化」で、パネリストは、米側からコーエン元国防長官、ブルックス前国防次官補代理、日本側から石破前防衛庁長官、佐藤・公明党安全保障部会長であった。
 一0日の午前中に前原代表は基調講演を行うという大役を演じている。これで明らかになったように前原氏・特に長島氏こそは、日米軍事同盟のアメリカの意見を代弁する勢力として、アメリカが長年手塩にかけて育てた人物(外交問題評議会の主任研究員だったこともある)なのである。
 このように、現在の日本の安全保障議論が、自民・安倍、久間、額賀、民主・前原、長島、公明・赤松正雄、佐藤茂樹といった人物によって主導されており、しかも従来の戦略国際問題研究所(CSIS)のような自民党の山崎拓氏が関係の深かったシンクタンクではなく、ネオ・コンと呼ばれるより保守的かつタカ派的で軍需産業とも関係の深いアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)・ヘリテイジ財団といったシンクタンクとの連携のもとで行われていることに注目せざるをえない。「日米同盟」を壊さないためなら、どんな無理無体でも受け入れると考えている与野党政治家が増えていく現状には暗澹たる気分にさせられてしまう。
 ここで確認できることは、「日米同盟の強化・深化」とは、端的に言えば、「日米の兵器メーカーのビジネス話」を日常的にするということなのである。その証拠に今回のシンポでは、レイセオン社やボーイング、その他、イージス艦の指揮管制のシステムを販売するような電子会社などの展示会と説明会が並行して行われた。ロビーでも、三菱重工とか住友商事などの日本側の軍事関係企業の人々と米側の兵器メーカーの談笑する姿が、そこかしこで展開されていたのであった。
 このシンポ二日目のテーマは、何と「ミサイル防衛」である。ご存じのようにミサイル防衛というのは、本当に敵の弾道ミサイルが撃ち落とせるのか疑問視されている。現実に実験でも何度も失敗している。しかし、重要なのは開発がうまくいくかどうかということではなく、確実に取り引きが成立することなのである。
 この話は、言ってしまえば、防衛産業の日米交流(実態は日本の米の下請化)の話なのである。話がまとまってそこに多額の研究費や開発費が流れてくればよいということなのだ。わが国の防衛産業ナンバーワンの三菱重工は、一九八0年代から一九九0年代前半にかけて、FSX(次期支援戦闘機)の件で、アメリカと対立が激化し、結局兵器の国産化の路を経たれてしまった。現在は、アメリカの下請として生き残っているのである。
 ミサイル防衛では、日本のエレクトロニクスの技術がアメリカにとって必須のものであるから、アメリカは、一応、機密保持をすれば、ブラックボックスを開示すると持ちかけているとの話が聞こえてくる。
 今回の久間元長官の講演は、そのあたりの共有した情報の漏洩問題がメインであった。それに関連して、GSOMIA(General Security of Military Information Agreement)という、防衛機密漏洩防止協定を締結すること、武器輸出三原則の緩和でミサイル防衛の部品輸出を実現すること(昨年の官房長官談話で可能とさせられてしまった)などが話された。
 次に発言した、ウィリアム・シュナイダー氏もミサイル防衛といえばこの人と言う位有名な人でネオコン派である。また国防科学委員会というミサイル防衛にも関係が深い委員会の長をやってきた人物で、バンカーバスターなどに搭載した小型核兵器の開発を進めていたとも言われ、アメリカの対外戦争に深く関わってきた実にきな臭い人物なのである。

 これら三つの会合は、永田町などを舞台に展開していたように、日米関係の真の姿を浮かび上がらせるとともに今後の日本の近未来を暗示するものなのである。
 彼らの考えるような日本にならないよう私たちは闘いを強めていくしかない。(直記彬)


コラムの窓・田舎の郵便配達

 開局以来30余年の職場を追われて2ヵ月半、ようやく新しい職場にも慣れてきました。自転車通勤で慣れた仕事、休暇等も自由に取れていたのに、嫌がらせの強制配転でした。といっても、今はおおかたが本人同意のない配転なので、ことさら強制配転を恨んでいるわけではありません。ただ、慣れない電車通勤に時間がかかり、自由な時間が切り縮められてしまって、仕事だけで疲れ切ってしまうのが、困りものです。
 新しい職場は田舎に新興住宅が接木されたようなところで、これまでの普通の住宅地での郵便配達とはずいぶん違っています。その田舎の配達に始めてついて行ったとき、こんなところに家があるのかと驚いてしまいました。砂利道や山道から昼でも薄暗いところまで、とにかくついて行くのに必死でした。
 3日目に郵便と地図を持たされ、ひとりで配達に出たものの、外区など整備されていないし、脈絡もないような番号と名前だけが頼りで、本当に迷子になるのでは心細くなったものです。しかも、同じ苗字の家が何件も続いていて見分けがつかない、表札のない家も多くて困りました。その頃、雨が降ったらどうしようということばかり考えていました。幸い、晴れが続いたのですが、すごい雨が降った日は地図が濡れてしまって泣きそうになりました。
 そうしたこと以上に前の職場との大きな違いは、昼休みに職場に戻らないことです。田舎の配達は局からどんどん遠く離れていくので終わらないと帰れないうえに、昼食は民家の1室を借り受けた休憩所で済ますことになっているのです。それも、早くて午後2時前、遅くなったら4時前に辿りついて、それから食事ということになるのです。だから、私はまだ1度も局で昼休みを取ったことはないし、昼休みの時間に食事をしたこともありません。
 そうしたことからも予想できますが、1日のバイクの走行距離は70キロほどあり、前の局の20キロとは大違いです。このように全く様変わりの環境に投げ込まれてしまったのですが、よくしたものでもう地図は要らないし、同じ苗字の家も怖くなくなりました。ただ、少し前までバッタやカマキリ、ヘビを轢かないようにということで苦労しました。
 配達先はおおかたが農家で、お城のような石垣があったり広々とした前庭があったりで、狭い集合住宅に住んでいるわが身と比べ、それは一つのカルチャーショックでした。栗がたくさん落ちていた時期があって、渋柿をつるす作業も見かけたし、そして今は黒大豆の収穫期、そういう変化は見ていて新鮮です。その一方でこの先、不安なのは雪が降るということです。だから、冬を乗り切らないことには、田舎の郵便配達を楽しもうという余裕も生まれないでしょう。
 配転の前日、休みだったので朝からハンドマイクを持って、開局以来の職場にお別れの挨拶に行きました。管理者連中は大慌てでしたが、敷地外での演説だから手出しなどできません。「愚かな管理者連中を恐れることはない・・・」なんて言って、強制配転のお返しをしておきました。辞令の交付のときも、前任局では強制配転であることを指摘し、新任局では希望による配転ではないので(局長が決意表明をするように言っていたが)決意表明はしないで済ませました。
 こうして新しい職場で仕事をするようになったのですが、当局はさかんにこれを機会に落ちこぼれ職員≠卒業するように働きかけてきます。残念ながら、私は自分の姿勢を崩さずに働き続ける決意です。残業が多くなり、休暇も取りにくくなっていますが、こんなことでは負けません。
 郵政公社総体としては、民営化へまっしぐらのようで、「民営化しても、雇用はシッカリ確保されます」、だから一所懸命働けと公社への従属を要求しています。しかし、郵政民営化法第167条は「公社の解散の際現に公社の職員である者は、別に辞令を発せられない限り、この法律の施行の時において、承継計画において定めるところに従い、承継会社のいずれかの職員となるものとする」とあり、雇用が確保されるのは別に辞令が発せられない限り≠ノ過ぎません。この次に何が来ようと、当面は田舎の郵便やさんでいようと思う、今日このごろです。                       (晴)  案内へ戻る


動き始めた「労働契約法」(5)

「労使委員会の使命」とは何か?


 労働契約法(仮称)制定の大きなポイントのひとつは「労働組合との交渉などに代わる労使協議の場として常設の「労使委員会」を認める」(9月8日付、日経新聞)ことです。では、「労使委員会」とは、これまでの労働組合との交渉で締結する「労働協約」や労働者過半数代表との「労使協定」とどう違うのでしょう?ここで、労働条件の決定や変更にかかるこれまでのシステムを整理し(付表参照)、労使委員会との違いを見てみましょう。

個々の労働者との労働契約

 まず、労働者は企業に採用されると「労働契約」を結びます。これは個々の労働者と使用やとの間で、「労働契約の期間、労働時間、休暇、賃金、賃金の支払日」等、その企業で働くにあたっての、基本的な労働条件についての取り決めです。この労働契約については「民法では当事者間で契約内容を自由に決められるとしているが、労働をめぐる契約は労働者を保護する必要があるため、労働基準法などで労働時間の上限を定めるなど特別な法規制を設け、罰則も規定している」(同上、日経)とされます。つまり労働基準法の定めに達しない労働契約は、その部分は無効とされ、労基法で定める基準が適用されます。

労働組合との労働協約

 個々人の労働条件は、当然、職場全体で決まっている労働条件に規定されます。職場に労働組合があれば、労働組合と使用者は労働条件全般について、団体交渉を行ない、これに基づいて「労働協約」を締結します。いったん労働協約が締結されると、組合員の労働条件は、この労働協約を下回ることは許されなくなります。また、組合員数が職場労働者の4分の3以上となると、この労働協約は組合員以外の労働者にも適用されます。

過半数代表との労使協定

 時間外労働など労働基準法に定めるいくつかの事項については「労使協定の締結」が義務付けられています。「労使協定」とは、労基法で「当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、(それが)ないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定」のことで、協定する事項によっては労働基準監督所に届け出る義務があります。
 労使協定の対象は「時間外・休日労働、変形労働時間制、フレックスタイム、みなし労働制(事業場外、専門業務型裁量労働)、計画年休、休憩一斉付与の例外」等、労働時間に関するものが多く、この労使協定がないと「1日8時間、1週40時間、1週間に1日の休日」等の法定労働時間に抵触し、労基法違反として罰則が適用されます。
 労使協定の締結当事者資格は、職場に労働組合があれば明確ですが、それが無い場合の「労働者の過半数を代表する者」とは何かが問題となります。「管理・監督者」はこの「労働者の過半数」には含まれますが、「過半数を代表する者」になることはできないとされます。代表者の選出は「投票・挙手等の手続き」が必要ですが、この他「労働者の話し合い、持ち回り決議」でもOKとされます。
 また、労働組合がない場合の「過半数代表」の選出母体となる組織は何かが問題となりますが、最近の調査では、組合のない中小企業の5割から6割が「従業員会」などの親睦組織を持ち、文化・レクリエーションや共済活動を行なっていますが、そのうち3分の1程度が会社との労働条件の話し合いを行なっているといわれます(菅野和夫「新・雇用社会の法」参照)。

労使代表で構成する「労使委員会」

 さて、問題の「労使委員会」ですが、これはすでに労働基準法の近年の改正によって、「企画業務型裁量労働制」の関連で登場しているものです。
 「みなし労働時間制」とは、もともと、「事業場外労働のみなし労働時間制」といって出張や外回りの営業のように労働時間の算定が困難な場合や、「専門業務型裁量労働制」といって「新商品の研究開発、情報システムの分析・設計」等、その業務の時間配分に使用者が具体的な指示をすることが困難なものとして厚生労働省が定めた業務について、そのうち一定の場合に、その労働時間を「労使協定で定めた時間」とするものです。
 ところが、この「みなし労働制」に、新たに「企画業務型裁量労働制」が加わることになりました。これは「事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析の業務」で、「業務の遂行手段及び時間配分の決定に関し使用者が具体的な指示をしないこととする業務」について適用されます。企業の中枢で事業計画を立てる等、経営担当者に近い部署で働く人々が対象ですが、これに対し労働団体側からの抵抗もあって、従来の労使協定よりもハードルの高い要件として、「労使委員会の設置と5分の4以上の多数による決議」が義務付けられたのが、労使委員会導入の経緯です。
 この「労使委員会」について、「目的」は「賃金、労働時間その他の労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に意見を述べること」とされ、「構成員」は「使用者及び当該事業場の労働者を代表する者」とし「委員の半数は、労働者の過半数を組織する労働組合又は組合がない場合は過半数を代表する者によって、任期を決めて指名されている」ことが要件とされ、「議事」については「議事録が作成、保存され、事業場の労働者に周知」されなければなりません。(労基法38条)
 また、労使委員会は、今述べた「企画業務型裁量労働」の他に、「事業場外のみなし労働制、専門業務型裁量労働制、変形労働時間制、フレックスタイム、時間外・休日労働、計画年休、年休の標準報酬日額、休憩一斉付与の例外」についても、前述した「過半数代表との労使協定」を代替できるとされています。(同上)

就業規則の追認機関になる危険性

 つまり「労働契約法」がめざす「労使委員会」は、すでに労働時間の関連で労働基準法に登場している「労使委員会」を、さらに枠を拡大して、常設の労働条件決定組織にしてゆこうというものなのです。
 職場の労働組合の力が強ければ、労使委員会は団体交渉との役割分担により労使協議の円滑化に役立つ側面が無いとは言えません。つまり労働条件の「骨子」は団体交渉で労働協約を締結しておき、その労働協約に基づき「各論」については労使委員会に委ねるなど。しかし、労働組合が弱いと団体交渉の形骸化に拍車を掛けかねない懸念があります。
 また、未組織の中小企業職場では、これまで親睦組織である「従業員会」を活用して労使の話し合いに利用してきたのを、法的に明確化し、責任を持たせることになるとの見方もできるでしょうが、労働組合のように団体行動が保証されているわけではありませんから、労働者にとって、どこまで有利になるのかは疑問です。
 さらに、労働組合も従業員会も全くなく、そもそも労働条件について話し合う習慣のない職場で労使委員会を導入しても、それまでの管理者と労働者の一方的命令・服従関係が反映し、「就業規則変更の追認の場」として経営側にうまく利用されてしまう懸念もあります。(松本誠也)


タミフル薬害問題の深層にあるもの

厚労省「一二人死亡」把握せず

 米食品医薬品局(FDA)は、インフルエンザ治療薬のタミフル(リン酸オセルタミビル)を飲んだ後、日本の一六歳以下の子供一二人が死亡していたと発表した。
 日本の厚生労働省は、薬品との因果関係は薄いと見ていたため、死亡例は把握しながらも、その死亡数を副作用によるものとして統計にまとめていなかった。今回、インフルエンザ流行シーズンを前にして、日本国民は、厚労省から直接にではなく、何と米国の米食品医薬品局から、タミフル薬害の深刻な実態を聞いた。私達は何と言うべきであろうか。
 さらに米国が死亡例として公表した一二人のうち、何人を死亡例として日本で公表してきたかは、同省でも「すぐには分からない」というのが実情だ。米食品医薬品局からの「日本での死者は一三人か」との問い合わせに対しても、確認に苦労した。そのため、米国の調査対象外となった一六歳をこえた人々については死亡患者は全く不明という体たらくなのである。
 米食品医薬品局は、今回、二階の窓から飛び降りた日本の少年二人とおびえた様子で車道に飛び出した日本の少年一人を、直接の薬害の死亡例ではないが、タミフル服用後の異常行動の例として公表した。しかし、厚労省は「異常行動の可能性は薬の添付文書に盛り込んだ。行動の具体例は医学的には必要ない」として、三人についても公表しなかった。
 タミフルの輸入販売元の中外製薬によれば、一二人の死者のうち、七人はタミフルと死亡との因果関係を否定できないが、残る五人は主治医が因果関係を否定している。いつものことながら、日本の厚労省と薬剤会社の破廉恥体質には呆れ果てるばかりではないか。

タミフル人気と異常な対応の日本

 一一月二二日、インフルエンザ治療薬タミフル(一般名オセルタミビル)が、インターネットによる個人輸入代行で、本来の薬価の十倍近い一箱(十カプセル)三万円もの高額で取引されいると報道された。これに関わるある輸入業者によると、六年前からタミフルの輸入代行をしているが、日本で保険薬として承認された二00一年以降、去年まではほとんど注文はなく、八千円で販売していたが、今月に入って新型インフルエンザに関する報道が増え、国がタミフルの備蓄を強化する計画を発表すると、品薄になるとの憶測からか注文が急に増え始め、ここ一週間で約二十箱の注文があったという。
 輸入販売元の中外製薬によれば、タミフル一カプセルの薬価は、三六三・七円、一日二回の服用で、通常は五日分処方されるため十カプセルで三六三七円になるが、保険が適用されるため、薬剤の自己負担は三割負担で約千百円、それに診察費などが加算されても、一回の受診で自己負担はせいぜい三千円程度だとのこと。同社広報部では「今冬用に千二百万人分を出荷する予定だ。医師の処方薬であり、流行しても十分な量が確保されるので、個人輸入はしないでほしい」と説明している。
 現在、新型インフルエンザ出現に備え、治療薬の切り札といわれるタミフルの備蓄に世界各国が躍起となっている。新型に対応したワクチンがすぐできないため、この治療薬にが注目されているが、タミフルを世界で最も消費しているのがこの日本なのだ。
 製造元のスイス・ロシュ社の調査では、過去五年間に日本で約二千四百万人がタミフルの処方を受けており、処方量は世界の七七%を占めた。日本の販売元・中外製薬によると、一昨年から今年六月までの全販売額の四三%が日本分で、米食品医薬品局の調査でも、過去五年の処方分のうち、子どもの処方量は、日本が米国の十三倍だった。こんなにも多いのは、日本の健康保険制度下の医師の処方と患者の薬信仰に原因があると断言できる。
 このような中で、一一月一四日、厚労省はタミフルの備蓄目標を、それまでの約一・七倍の二千五百万人分に増やした。だが、世界各国で備蓄を増やそうとの動きの中で、このまま大量消費を続けると日本に対する国際批判も出かねない状況とはなったのである。

タミフルとは何か、何のための備蓄か

 ここで極めて根本的な事に立ち返る必要がある。光文社ペパーバックスから『患者見殺し 医療改革のペテン 「年金崩壊」の次は「医療崩壊」』との警世の著書があるア谷博征氏のタミフルについての総括をまずは聞いてみる事にしよう。
「一.製造元ロッシュの発表 世界の服用者の約八割を占める約二千四百五十万人が日本で服用している(なぜ?!)。二.FDA(米食品医薬品局)の発表 大人も含めた死者は全世界で七一人 三.私がタミフルの添付文書(薬剤情報)を読む限りでは・・・・ 『効果を得るにはウイルスが増える前、発症四八時間以内に飲む必要がある。熱のある期間が平均約一日縮まり、熱の高さや関節痛も緩和される』とあります。インフルエンザにかかると四日程度、発熱が続きます。そのたった一日!?症状が早く治るだけ・・・・。この添付文書を読んだために、私は一昨年からあまり人に勧めていません。それじゃ、消炎鎮痛剤と変わりませんから(ただし、消炎鎮痛剤は発ガン作用があったり、心筋梗塞後の服用に悪影響が出るオマケつきですが)。以上、タミフルを飲んでメリットがデメリットを上回る人は 一.近日中に重要な仕事や試験があるという人 二.寝たきりで免疫力が低下している人に限られると思います。インフルエンザに関わらず、ウイルス感染は、じっと発熱の時期を耐える、安静にするしかないのです。そして、この発熱に耐えない、子供・高齢者に少しだけ解熱剤を使うというのが基本です。一般の人だけでなく、医療従事者もタミフルが効くといって、処方を希望されます。説明すればするほど、不信感を持たれるので、希望どおりに処方することが多くなっています。人の思い込みほど怖いものはなし。タミフル、タミフルと騒いでいるのは、世界の八割のシェアを持つ日本だけ(タバコと同じ)。宣伝効果で国民が洗脳される良い例でしょう。インターネットが発達したこの時代。専門家でなくても、自分で調べようと思えば、ある程度はできる時代になりました。自分の体と脳を守るためにも、新聞、テレビなどの報道や権威者の書いた本などもまずは疑ってかかる習慣が必要」だとのことだ。
 人間に本来備わっている自然治癒力を信じようと常々主張しているいかにも冷静な崎谷医師らしい実に謹聴すべき見解ではある。今求められているのはまさに冷静さなのである。
 実際の所、タミフルは“発症”でなく、“感染”して四八時間以内に飲まないと効果がないと薬の添付文書に明記されおり、そもそもこの薬はウイルスそのものを殺すのではなく、増殖を防ぐものだと説明されているのである。すでに症状が出るほど、体内でウイルスが増殖してしまってからでは、もはや手遅れの可能性が高いし、この段階でのタミフルの使用は耐性菌の発生に繋がりかねない危険を秘めているとも言われている。現に国立感染症研究所のHPには、出現が予想される新型インフルエンザの潜伏期間は三ないし四日とある。この予想が正しければ、タミフルは何の役にも立たないではないか。しかしながら、先に紹介したように、このような疑問に対しては一顧だにしない厚労省は二千五百万人分備蓄するとしており、その費用は数百億円にもなる。財政が破綻しているとの理由で国民に増税路線をしゃにむに推し進める日本政府は一切の説明責任に対して頬かむりを決め込んでいる。崎谷医師が提言したように、自然治癒力を重視している漢方やアロマセラピーなどの東洋医学を、今こそ健康保険制度に取り込むことが求められているのである。
 鳥インフルエンザや新型インフルエンザが大流行する可能性は、確かに誰にも否定できない可能性を秘めてはいるが、この大宣伝の中で、タミフルの国家的備蓄の為の準備金は現実のものなのである。まさに政官財の癒着による無駄金使いの生きた見本ではある。

タミフルの背後には誰が居るのか

 既に書いたようにこのタミフルを製造・販売しているのはスイスのロシュ社だ。この薬をわが国で独占販売してるのは中外製薬である。しかし、この会社はロシュ社の関連会社が五割の株主で、要するに中外製薬はロシュ社のグループ会社だ。さらに追求すると実際にこの薬を開発したのは、米国のバイオ企業・ギリアド・サイエンシズ社(本社・カリフォルニア州 米ナスダック上場)なのである。
 かくして、タミフルが評判となりロシュ社が儲かればギリアド社、そして中外製薬も儲かるという構図となる。実際、三社ともこの間株価が急騰した。そして、ギリアド社の元会長で大株主はといえば、何とイラク戦争で悪名轟くラムズフェルド米国防長官その人である。この事に関しては、トヨタ自動車の世界戦略をも論じた注目すべき園田義明氏著『最新・アメリカの政治地図 地政学と人脈で読む国際関係』(講談社現代新書)の二一八頁には、「一九九六年にはジョージ・P・シュルツが取締役に合流し、そして一九九七年に会長として迎えられたのが現在のドナルト・ラムズフエルド国務長官である」と明記されている。このように、元国務長官のシュルツ氏も、同社出身ともなれば、マスコミの鳥インフルエンザ等の騒ぎの深層に何があるかは、誰にも否定しきれない現実性がある。
 再度確認しておこう。タミフルはインフルエンザに係った場合平均八日続く症状を一日早目に回復させる程度の効果しかない。ヨーロッパの合理思想、つまりレイシオの観点からは全く説明が付かない事だ。したがって、世界ではそれほどこの薬は使用されてはいない。ところが、日本では、健康保険制度とも関わって、インフルエンザの症状緩和にと、多くの医師が処方しており、このため世界のタミフルの実に八割も消費しているのである。
 仮にインフルエンザ流行が始まっても、ウイルス感染は、じっと発熱の時期を耐え安静にしているしかないが、崎谷医師の指摘のように、発熱に耐えられない子供・高齢者に対しては、少しだけ解熱剤を使うというのが基本だ。しかし、罹患した子供や高齢者に対して、タミフルを使えば抵抗力が弱い分、深刻な副作用が出て、過去大問題となったサリドマイドやエイズの非加熱製剤のような薬害被害を起こすことになりかねないのである。
 崎谷医師が人間に本来的に備わっている自然治癒力を強調した事に対応して、社会的には公衆衛生を徹底することが求められている。近代に入って病原菌による病気の流行が抑えられたのは、主として公衆衛生の徹底のためだとの細菌学者ルネ・デュボスの見解は、実に歴史的に検証された真実なのである。
 厚労省の労働者民衆不在の医療政策と膨大な無駄遣いを糾弾していこう。(猪瀬一馬)    案内へ戻る


不条理な死について・@無言館・遺された絵画展

 小泉首相は特攻にことのほか思い入れがあるということですが、それはいかなる意味においてでしょうか。国のために命を投げ出す若者の存在が彼にとっては重要なのか、それとも本心から若くして散った命を悼む気持ちがあるのだろうか。たとえそれが本心からだとしても、政治の場面においてそれを裏切っている小泉首相の偽善を私は許せません。
 さて、この夏休みに家族で丹後半島に泳ぎに行きました。そのついでに、丹波市立植野記念美術館に立ち寄り、無言館・遺された絵画展を観ました。戦後60年の企画として全国各地で開催されていたもので、年末からは広島での開催が予定されています。いつか「無言館」訪問をと思っていた私にとって、この展覧会は実にありがたい企画でした。
 どの作品もその前に立つと、心塞がる思いに駆られます。とりわけ、蜂谷清の「祖母の像」の前からは立ち去りがたくなってしまいました。いま、その図録を観ています。そこには
「ばあやん、わしもいつかは戦争にゆかねばならん
そしたら、こうしてばあやんの絵もかけなくなる。」
という蜂谷清の言葉が記されています。
 1945年7月1日、フィリピン・レイテ島において戦死とあり、日本の敗戦まであとわずかの時期です。祖母なつの肖像画は実に丹精に描かれています。可愛がっていた孫清の、享年22歳の早すぎる死をなつはどのように受け止めたのだろうか。
 展覧会のポスターには
「あと五分、あと十分この絵を書かせてくれ・・・
小生は生きて帰らねばなりません。絵をかくために・・・。」
という言葉もあります。この言葉を残したのは、45年4月19日、フィリピン・ルソン島バギオにおいて戦死した日高安典。享年27歳でした。応召の日、彼はぎりぎりまで自室にこもり、絵筆を動かすことをやめなかったということです。その戦死の知らせを受けたときのことを、弟は次のように語っています。
「戦死の知らせは、安典の名を書いた小さな紙切れが一枚入っている白木の箱が一つ届いただけなんです。いつも剛気で涙など見せることのなかった母が、あの時だけは空の箱を抱いて肩をふるわせて泣いていたのをおぼえています」
 ここには、国家の冷酷で非人間的な本性があますことなく示されています。戦争をする国家にとって、兵士はいくらでも取替えの利く消耗品であり、戦死者も単に数量に過ぎないのです。未来への希望を持った人格も、その死を悼む家族の存在も、ひとりの兵士の死に過ぎないのです。山之井龍郎、俊郎兄弟は合作の少女の絵を残し、兄は45年5月9日にルソン島バギオで、弟は43年4月26日に南方へ向かう輸送船が爆沈して戦死。享年は24歳と21歳。相次ぐ息子の非業の死に、ご両親の悲しみはいかばかりだったでしょう。
 小泉首相が賛美する特攻兵もいます。堀井正四は45年3月18日、米空母艦隊に体当たりするために出撃、九州東南海で特攻兵として戦死。享年21歳。ふるさとの山を描いたのでしょうか、「斜光」という作品が紹介されています。
 才気走った作品もあれば、稚拙なものもあります。彼らはすべてが戦争へと動員される時代にあって、世間の冷たい目に負けずに、絵を描くという希望を捨てなかったのです。無言館来訪者の「画が何かを叫んでいる。声にならない何かを。無言だけれど。確かに、何かを叫んである」という書き込みが、戦争によってその未来を踏みにじられた彼らの無念を浮かび上がらせています。
 もちろん、彼らの多くはあの時代にあって東京美術学校(現・東京芸術大学)へ進学できる家庭環境にあったからこそ、その作品は大切に保存され、こうして私たちの目にも触れることができたのだと思います。そのことを思うと、何も遺せずに死んでいった兵士たちの深い絶望に慄然とします。

「不条理な死について」 次号では兵庫県加西市にある「海軍鶉野飛行場跡」見学記を、新年号には姫路市立美術館「ケーテ・コルビッツ展」を紹介します。なお、展覧会の開催は次の通りです。                           (晴)

無言館「遺された絵画展」・広島展 12月23日〜06年2月5日・尾道市立美術館
ケーテ・コルビッツ展 12月24日まで(午前10時〜午後5時)・姫路市立美術館


ある文化人類学者との間での「民族」の概念をめぐる対話

 文化人類学では、民族を「主観的なわれわれ意識=vとしてとらえる見方が一定の支持を得ていると聞きました。私は、こうした民族概念には大いなる違和感を感じています。そうした民族概念をとなえる人たちと私との間には、おそらく「民族」の理解以前に、そもそも「概念」というものについての考え方の違いが存在しているのでしょう。私は、社会科学における「概念」というものは、物事を内在的、本質的にとらえるべきものと考えています。様々な外形的な指標や主観的な思いを根拠に「概念」とするのではなく、「概念は」その現象に内在する本質をとらえるべきだと考えているのです。
 例えば、「貨幣」という概念がありますが、これは現象的には紙幣、合金のコイン、コンピュータ内の電磁気記録、またドルや円や元やユーロ、また歴史をさかのぼれば銀や金の塊、布や毛皮や家畜であったりします。このように現象的には様々な形をとっていますが、しかしその品質は、「それ自身に内在的な価値を有した商品、その商品が一般的な等価物としての形態を獲得したもの」というべきであり、それが貨幣の概念の核でしょう。紙幣や電子磁気記録なども、貨幣が上で述べたような根っこを持っているからこそ、その上に派生が可能となっている現象です。
 こうした貨幣の概念に対して、別の考えを対置する人もいるでしょう。貨幣とは、ドルだ、円だ、毛皮だ、いや国家が強制通用力を与えた交換手段だ…等々。さらには「自分たちが貨幣だと思っていればそれを貨幣と呼んで良い」ということで、NPOなどが町興しで試みている地域通貨を貨幣だと言う人もいるかもしれません。
 しかし、学問としては、そうした外形や主観をよりどころにして勝手に貨幣の概念をつくっても良いというわけではありません。そうした概念では、貨幣を成り立たせており、貨幣と一体となっている様々な経済現象を合理的に説明すること、貨幣の強力な力、その神秘性のメカニズム等々を筋道を立てて説明することが不可能になってしまうからです。さらに言えば、これは「概念」をめぐる話には余計なことですが、人々が貨幣の「魔力」と「権力」から自由になる社会を展望することも不可能となってしまうからです。
 私の願いは、人々が民族への偏狭なこだわりから自由になること、とりわけ民族形成に先行・成功した人々がその尊大な民族意識を脱ぎ捨て、それから解放されることです。
 そのための方途は、基本的には次のように考えられます。
 ひとつは、民族形成に先行・成功した社会における取り組みです。こうした社会では、民族意識や民族主義はすでに進歩性を失い、魅力を減じ、人々を引きつける力が弱まっています。こうした社会では個人の尊重、個人の自律が重視されるようになり、またそれを土台にした労働者、勤労者の資本の支配からの自立が重要な要請となっています。だからこそ逆に民族主義、国民的・国家的統合を必死になって煽る人たちもいるのです。私たちはそれに対して、自由で自立した諸個人の連帯、労働者・市民による対抗運動を育てていく必要があります。その先には、民族的結合とは異なった、勤労者的連帯に基づく共同社会が生み出されていくものと思います。
 もうひとつは、「民族」を主張することがまだ進歩的な意義を持っている社会、あるいは「民族」を叫ばなければ押しつぶされてしまう国内的国際的な環境におかれている人々の中における取り組みです。こうした社会には「民族」を主張しなければならない条件がより強く存在しているのだとすれば、なおさら他の文化の尊重、自分たちの文化の相対化の姿勢を持って、様々な人々が共存して生活できるようにするための努力が重要になってきます。
 みっつめは、これが最も重要なことのように思いますが、上の二つの流れが相互の交流と協力を試みていくこと、コミュニケーションを強め、深めていくことです。ひとつは、すでに民族形成を遂げ、民族現象が退廃を起こしている社会における、民族復興の悪あがきを押さえ、民族を乗り越えようとする努力。もうひとつはまだまだ「民族」が現実の生命力や正当性や魅力を持っている人々の間における、それでも他文化の尊重、自文化の相対化、民族の凶暴性の抑止を試みようとするための努力。この二つの大きな人類史的努力を相互に交流させていく試みが、今必要になっているのではないかと考えているのですが、いかがでしょうか。  (阿部治正)  


読書室
『民族とは何か』
(関曠野 講談社現代新書)への書評

ピューリタン革命をモデルとみなす民族概念の新たなドグマの案出

■「民族とは何か」が問われる背景

 イラク戦争とその後の泥沼の反米闘争、パレスチナとイスラエルとの激しい戦い、チェチェンの抵抗と惨劇、日本と韓国や中国との間の対立の激化、ヨーロッパ諸国における移民の反乱等々、国家、民族、エスニックグループなどをめぐる問題が深刻化の度を増している。
 背景に、欧米の諸大国や日本などによる中東・アフリカ・アジア・ラテンアメリカの人々に対する抑圧的姿勢、排外主義的態度、軍事的攻撃や支配などが存在していることは間違いない。
 しかし、今日の民族問題は、単に欧米諸大国や日本などの先進諸国によるそれ以外の人々に対する傲慢な姿勢から発したものばかりではない。米国と欧州との間に見られる先進諸国同士の軋轢の再来、そして「南南対立」とも呼ばれる途上諸国同士の角逐、エスニックグループ同士の闘争なども重要なファクターとなっている。
 こうした事情を背景にして、「民族」についての考察が再び活性化しつつある。文化人類学や歴史学や社会思想やジャーナリズムの中で、活発な議論が行われている。
 関曠野氏の手になる『民族とは何か』も、そうした雰囲気の中から誕生した一つの書物だ。端的な書名と新書版ということもあって、よく読まれているようである。本書の内容を簡単に紹介し、その真贋についての基本的なコメントを記してみたい。

■民族形成をピューリタン革命から説明

 本書で関氏は、民族とは何かを論ずるにあたってまず、民族(Nation)の語源をたどる。Nationは、旧約聖書のヘブライ語goi訳語であり、「goiはエジプト人やアモリ人など周辺の様々な社会とヘブライ社会との横の関係において使われることが多い。神と盟約したヘブライ人のイスラエルも一つのgoiであるが、複数形のgoimという言葉は、様々な国々からなる国際社会≠ニいう認識を含むと同時に、その中にあって唯一、神の招命を受けた選ばれた民ヘブライ人という意識と分かちがたく結びついている」「してみると、この旧約聖書の用語goiに近代的な民族の概念と深く通底するものがあることは明らかである。すなわちここには、(一)世界は複数の政治社会によって構成され、(二)そうした社会は対抗し競争するライバル関係にあり、(三)その中で自分たちの社会は別格の地位を占めており、(四)ほかの社会とのライバル関係が問題であるかぎり自分たちの社会の構成員は○○人という地位と資格において全員が平等である――という認識がある」
 次に関氏は、「十六世紀の宗教改革こそは、民族の概念の産婆役だった」と論を進める。「民族主義を産業社会の視覚から説明するゲルナーさえ」が次のように論じているではないかと述べ、ゲルナーの以下の文章を引用する。
 「産業社会の出現は、新たに出現した世界を特徴づけることになる独自な要素のいくつかをたまたま持っていたプロテスタンティズムと何らかの形で深く結びついており、このことがまた民族主義を生み出した。読み書きの能力と書物による教養の強調、聖なるものの独占を廃した聖職者なき教会共同体、各人を他者が主催する礼拝に頼ることのない自身の祭司と良心にした個人主義。これらすべては、共有された文化への相対的に平等なアクセスが行き渡り、文化の規範が特権的専門家に管理されているのではなく文書によって公的にアクセスできるような、匿名の個人主義的で構造化の度合いの低い大衆社会の前触れになった」「こうした社会においては、人の主な忠誠の対象になるのは、読み書きの媒体とその政治的保護者である」
 また関氏は、「宗教改革と民族主義の関係」を「的確な歴史の感覚を持って」論じていた論者としてハンス・コーンをあげ、以下のように引用する。
 「近代の民族主義は、十七世紀の英国において最初に完全な形で現れた」「この国は、科学的精神、政治思想や政治活動、営利企業のような近代を特徴付けそれを以前の時期からはっきりと区別する、まさにそうした分野でその指導性を発揮した」「史上初めて、国家と教会の土台となっていた権威主義的伝統は十七世紀の英国革命によって、人間の自由の名の下に挑戦された」「ピューリタンの影響の下に、選ばれた民、神との盟約、メシアへの期待というヘブライ民族主義の三つの主要な観念が復活した。英国は自らを新たなイスラエルとみなした。こうして英国の民族主義は、宗教的な母胎から生じ、この独特な性格を一貫して保ってきた」
 このように、西欧の宗教改革とピューリタンの活動を民族発生の基盤とみなす関氏は、民族の誕生を資本主義の生成・発展と結びつけてとらえる見方についてはどのように評価するのであろうか。彼は、ウォーラーステインの世界システム論を紹介した後、「資本主義と民族主義との間には、古典的なマルクス主義の経済決定論が説くような因果関係はないとしても、歴史的な深い平行関係がある」と一応は認める。しかしその後ですぐ、「民族の観念と資本主義の間には歴史的にも論理的にも必然的な関係はない」と断じる。なぜならば、「資本主義的『世界経済』の誕生は、ヨーロッパにおける強力な主権国家の形成を歴史の必然にしたかもしれない。しかしこの課題を果たす上では民族の観念は不可欠ではなかった。この課題に直面した十六、七世紀のヨーロッパ世界のむしろ自然で一般的な動向は、強力な絶対君主制国家の確立だった」。これに対して、「しかしプロテスタントのオランダと英国がカトリックのスペイン帝国を打ち負かした時、世界経済における民族国家の優位性がはっきりと証明された」「王権神授説に立つ君主に対抗して、市民階級は自らを君主ではなく神に仕える民、神への忠誠と奉仕によって自由である民とみなした。そして革命が生んだ民族国家は、選ばれた民の一体感でまとまり高度な大衆動員の能力を備えた新型の国家であり、その後の世界経済における国家間競争に際して比類ない強みを発揮することができた」「…様々な歴史的要因が絡みあっていた十六、七世紀のヨーロッパの状況の中で、民族の観念は――意図せずして結果的に――資本主義の発展のための決定的なブースター(推進機)の役割を果たした」だけである、というのである。

■民族の内実は平等と人民主権

 これでおわかりだと思うが、関氏の民族の概念は、ピューリタンの共同社会や宗教的観念や思想に範をとろうとする点に際だった特徴がある。また彼は、旧約聖書におけるヘブライ人についての叙述の中から、オランダや英国などの近代ヨーロッパの国家に通じると彼がみなしている、共同体の構成員の法的地位の平等、政治単位の複数主義、民族形成に先立つ国家建設等々の徴(しるし)を探し出していく。かくして関氏の民族の概念は、さらに肉付けされ、次のように説明される。
 「ここでは三つのことが重要である。第一に、国家が民族に先行する。英国ではこの時期までに、中世以来の歴代の君主によって集権的国家機構が整えられていた。ゆえに民族とは、そうした上から押しつけられた国家機構を何らかの形で人民のものに作り変えようとする主体なのである」「こうした意味で、民族国家とは人民主権を原則とする国家と言える。第二に、民族の観念は身分、地位、位階性に対立し、民族の成員としての平等の観念を含んでいる。平等とは何よりも、民族国家の成員の権利における平等のことである。第三に、民族とは立法なかんずく憲法制定の主体である。民族の観念が人民による立法を示唆するものでなければ、民族自決という言葉は無意味であろう」

■フランスとドイツは民族形成に失敗

 関氏の民族概念がこのように英国のピューリタン革命をモデルにしたものであってみれば、同じヨーロッパの諸国であっても、フランスやドイツの民族形成や民族概念が失敗作、不完全なもの、いびつなものとみなされるのは当然である。
 彼は、フランス革命を「挫折した革命」と呼び、その要因を次のように示す。周辺の君主主義国の干渉という地政学的要因によるジャコバン急進主義の台頭、英国の金権政治などによる英国モデルへの幻滅、思想的混乱―つまりフランス啓蒙思想の理神論と英国の自然権思想の混在と角逐による「民族」の思想的バックボーンの混乱)、ジャコバン派による古代ローマの共和制の理想視等々。かくしてフランス革命は当初の課題であった憲法制定を果たせず、ジャコバン派の恐怖政治、軍事主義、国家主義に道を譲り、挫折の道を転がっていったというのである。
 フランス革命がかくなる評価を受けるのであれば、ドイツの近代の歩みについての関氏の評価もまた容易に想像できるだろう。彼は、ドイツの民族主義は「民俗学の創始者ヘルダーが示唆した民族についての非政治的で民族誌学的な観念が広く受け入れられ、その影響は東欧にも広まっていった」と述べ、「民族とは独自の言語・文化・歴史によって定義される個性的な存在であるという見解が民族についての社会の通念になった」と、その情緒主義やロマン主義や独断性や恣意性などを慨嘆する。そしてその担い手は先に挙げたヘルダーであり、フィヒテやヘーゲルとその左派であり、そしてドイツを超えてオーストリア・ハンガリーのオットー・バウアーやロシアのレーニンやスターリンにまで辿られる。
 ここで留意すべきは、関氏は、マルクスについては、「経済決定論」を唱え、民族に対して「プロレタリアートの普遍性」を対置した人と見なし、民族誌学的主張を持って回った人としては告発はしていないことである。マルクスはむしろ、階級を強調することでドイツの左右対立に拍車をかけ、ナチズムの温床の一要因を生んだ人として非難されている。
 関氏のナチズムについての理解は、こうしたドイツ論の上に置かれている。彼は、ドイツには民族は不在で民族主義も不発だったのであり、そしてこのことがナチズムを登場させた一因となったと主張する。ナチズムは民族の概念がはらむ人民主権論や平等の概念や選挙された議会などのイメージを敏感にかぎ取り、それを恐れ、むしろ人種のドグマに頼ることを選んだが、この曖昧でいかがわしい概念はそれ故に強烈な反ユダヤ主義で支えられる必要があったというのである。

■米国の反植民地主義とソ連の新帝国化

 関氏は、20世紀は「民族の世紀」であったと言う。この世紀は、ロシア、オスマントルコ、オーストラリア=ハンガリーという三つの帝国の解体過程が生じさせた諸民族国家の誕生の舞台であり、その中でアメリカが独特の役割を果たしたと言うのである。
 「独立革命によって生まれた国アメリカにとっては、世界は帝国ではなく自立した諸民族によって構成されるべきものだった。そしてアメリカ人は、ヨーロッパ人の植民地帝国に対しては伝統的に強い反感を抱いていた」
 「アメリカ人はメイフラワー号のピューリタンに始まる国の歴史からして、世界帝国と植民地主義には反感を持つ」「そして諸民族の関係を律するものは自由と平等の原則でなければならない。自由は、機会均等の原則に立つ能力主義の立場から、個人が能力を発揮することに対する不公正な障害がないことと解釈される。『民族』とは、封建制の身分序列から解放されて能力主義的価値観の下で共に生きることに同意した人々のことである」
 「ウイルソンの『民族自決』は、自由な貿易が世界平和をもたらすというアメリカ的信条の産物なのである」
 アメリカの民族主義についてこう述べた後、関氏はロシアと中国についても論を進める。ロシアと中国は帝国としては崩壊しつつも、その後の混乱を諸民族の形成へと導くことができず、共産党一党独裁下の新種の世界帝国型国家を目指すこととなったとされる。ソ連崩壊後のバルト三国の独立に端を発する民族問題の噴出、ユーゴにおける凄惨な民族対立は、ドイツの民族誌学的民族論の血を引くスターリンの民族政策も無関係ではないとされる。民族についての思想の蓄積が貧困であり、民族を政治的単位として認めず、それゆえに諸民族の政治的自立とその相互の紛争や交渉の訓練の機会を持たなかった結果が、泥沼の民族紛争だとされているのである。

■アングロサクソン型への唐突な疑問

 関氏の民族概念は、以上のごとく、それなりに一貫した形で展開されてきた。しかし、この書の後半にさしかかる部分で、彼は唐突にアングロサクソン型民族国家モデルへの疑問なるものについて論じ始める。
 第一に、世界各地で噴出する収拾困難にも見える民族紛争を見ると、むしろ英国やアメリカを先例とする民族国家よりも、種族や宗教などを異にする多種多様な人々が古くから混住している東欧などの状況の方がむしろ普遍的であるようにも思える、と言う。また第二に、アングロサクソン型民族国家は近代的な国民経済や能力主義的平等と同一視されてきたが、しかし英国における民族国家の形成は本来はロックなどの自然権の理論、万人の同意に基づく社会契約としての政治秩序という観念に基づくものであり、能力主義的競争と機会均等を原則とする近代的な国民経済の論理とは同じではなく、むしろ対立する可能性がある、とも言う。こうして関氏は、アメリカが押し進めるグローバリゼイションは超大国やサミット先進国クラブの論理であり、おまけにアメリカは各国が直面する民族形成の困難に無自覚であり、民族紛争を発生させる可能性を高めていると言うのである。
 もちろん、そのことによって関氏の民族国家に対する強い思い入れが揺らぐわけではない。彼が言いたいのは、次のことである。すなわち、「人々はどれほど困難であっても国家という疎遠な枠組みをあえて自分たちのものとして引き受け、それを人民が信頼でき同意できるものに作り直さなければならない。ここでは民族とは、現存する何かではなく未来に向けた課題なのである」

■良き民族国家への希求の枠を出ず

 そろそろ、関の民族概念への私の評価を述べなければならない。
 関氏は、経済決定論批判なるものを試み、民族誌学的民族論をも批判し、民族をその政治的意義において理解すべきだと強調し、そしてその決定的な契機としてピューリタン革命を位置づけてきた。しかしもし本当に宗教改革を民族形成の重要な契機とみなし、旧約聖書の解釈論にその鍵を求めるのなら、関氏が蘊蓄(うんちく)を傾けた古代のイスラエルの民の共同体もまた民族の典型と呼んで良いはずだ。しかし関氏は決してそうはしない。そうしないのは、やはり民族がまぎれもなく近代の産物だと観念しているからである。
 そしてヘブライ人の時代と近代とを決定的に区別するのは、自由や平等や政治的民主主義の主張の「洗練」もそうではあるが、何よりもそうした思想や政治システムが商品生産の発展と近代工業の興隆、資本主義の発展に支えられているという点にある。諸個人の平等の観念は、人々がそれぞれに所有者として相対しあう経済関係、商品経済の発展無しにはあり得ない。とりわけ、それらが民主主義的議会や憲法などの政治システムとして結実するに至るためには、商品経済がメインストリームとなり、資本主義的工業化がある程度進展することを抜きには不可能である。もしそれらを抜きに諸個人の平等や民主主義や議会制度の成立を説明できるというのなら、やってみるがよい。これは、「経済決定論」などという特別な「論」や「イデオロギー」の問題ではない。平等や民主主義や議会などの歴史的現象そのものを背後で支えている、あるいはそれらに内在している、「事実」の問題なのである。関氏がマルクス主義を経済決定論などと非難するのは、マルクス理論への皮相な理解と偏見ゆえの単なる言いがかり以上ではない。

 関氏は、経済決定論なるものを非難するとともに、歴史の中に法則性や必然性を見いだそうとする思想を、「歴史における理性」信仰、ロゴス主義的な歴史観、ニュートン物理学を範にとった謬論として批判する。彼がそれに対置する歴史観は、「模倣による伝播が生み出す系譜的な連続性」というものである。つまり関氏にとっての歴史は、ヘブライの民の共同体に始まり、プロテスタントの宗教改革と英国革命、フランスとドイツの革命、ソビエト・ロシア、中国・北朝鮮等々へと連なる模倣と伝播の流れ以外ではない。しかもフランスやドイツの革命以降の、関氏が言うところの民族形成の不全は、フランスの思想的混乱、ドイツの民族誌学、アジアにおけるヒンドゥー教や仏教や儒教や道教やイスラム教における「平等な民」という観念の不在の責に帰される。
 だが同時に関氏は、こうした言説とは矛盾したことを言う。つまり英米のアングロサクソン型民族国家は普遍性において疑問がある、むしろ社会的諸集団が入り組んだモザイクをなす東欧などの方が普遍的現象かもしれない、というのである。こうした疑問を表明せざるを得ないこと自体が、自己の言説の破綻の証明なのだが、関氏にその自覚はない。
 では、関氏はこの自らのジレンマをどう解こうとするのか。これまた、唐突に国連を持ち出してくることによってである。関氏は言う。国連は「加盟国がまともな民族国家であることを前提にして組織されている」「ここに歴史の新しい契機がある」「国連が国際政治の基本的な枠組みをなしていることが、非ヨーロッパ世界の国々の政治的発展を外部から条件付づけ、民族国家の成長を促進する可能性がある」云々。
 しかし、現実の国連は、彼が言うのとは違って、まともな民族国家の集まりとは決して言えない。そこには、関氏でなくとも民族国家としては形成不全としか言いようのない国家がいくつも加盟している。また国連の現状は、依然として、圧倒的多数の弱小国、中小国を自分たちの都合の用意秩序の下に統合しておこうとするための、諸大国の利害調整の機関以上にはなり得ていない。
 結局関氏は、英国流のピューリタン主義平等主義や民主主義と民族概念とを同一視し、そうした観念をドグマ化したために、それ以外の民族形成のタイプやその歴史的な意義を認めることができなかった。関氏にあっては、東欧やアジアや中東やアフリカやラテンアメリカ等々においてはまだ民族は確立されておらず、その十全な形成と発展こそが重要な課題なのだとされるのである。

 また関氏は、アングロサクソン型民族モデルへの疑問を呈しつつも、その疑問の中身は、民族たるものは経済功利主義などではなく政治的民主主義・平等主義などにこそその内実を置くべきだとの苦言から先には進まないし、それ以上に深められもしない。しかし、現代社会において最も重要な真実は、民族国家が、政治的民主主義(その成熟の度合いは様々であるが)を標榜しつつも、その下で階級的支配を確立し、資本による労働者への搾取を貫徹していることである。またさらに重要なことは、こうした階級支配と搾取の体制は、同時にそれを掘り崩す物質的な条件を生み出していかざるを得ないということである。つまり、自立した労働者、そうした労働者の連帯と団結、労働者たちによる資本の支配に対する対抗運動、対抗社会の形成のための運動の発展である。
 しかし関氏の目には、そうした階級支配や搾取との闘い、民族を越えようとする市民的勤労者的連帯の試み、自由で自立した諸個人の社会連帯の追求、労働者の国境を越えた共同と連帯の発展による「民族の止揚」という課題は決して映し出されない。彼の主張は、労働者・勤労者の国際主義を非難し、良き民族と良き国民国家の形成、そうした諸国家の国際的併存、国際連合の意義と役割への期待などというものに行き着いてしまわざるを得ない。
 関氏の民族理論は確かに極右の観念的な民族主義を批判するものとはなっているが、しかしその批判は民主主義的民族理論の対置以上ではなく、民族を乗り越えようとする人々の努力とは無縁なものとなっているのである。   (阿部治正)


『やさしいことばで日本国憲法』F 第3章 人びとの権利と義務 第26・27・28・29条 池田訳

第26条
能力にしたがって、ひとしく教育を受けることは、すべての人びとの権利です。自分が育てる子どもたちに、普通教育をうけさせることは、すべての人びとの義務です。この義務教育は無料です。くわしいことは、法律でさだめます。
第27条
働くことは、すべての人びとの権利であり、義務でもあります。賃金や労働時間や休憩など、労働条件は、すべて法律によってさだめられます。
子どもを、本人ではないだれかのために働かせてはなりません。
第28条
働く人には、組合をつくったり、団体で交渉したり、行動したりする権利があります。
第29条
財産を持ったり使ったりする権利を、侵してはなりません。財産にまつわる権利は、社会全体の利益とおりあうように、法律によって定められます。社会全体が個人の財産を使うことがありますが、そのばあいは、きちんと埋めあわせがなされます。
正文
第26条
1)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2)すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第27条
1)すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3)児童は、これを酷使してはならない。
第28条
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第29条
1)財産権は、これを侵してはならない。
2)財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3)私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

 義務教育という言葉に、教育を受ける本人が義務を押し付けられるていると、理解している人がいるかもしれません。しかし本来は、教育は権利として保障されると理解すべきです。かつて在宅の重度障害児には教育を受ける権利は保障されていませんでした。今では、「能力にしたがって」と問題点を抱えながらも、送迎バスなどで通学できる保障も整いつつあります。一方で、学校の荒廃は子ども達を不登校という行動に追い込んでいます。教育の権利保障が本当のものなら、本人が希望する学習の場を提供する義務が政府にあるといえます。
 27条の労働の権利は、現在の失業率を見る限り不充分としか言えません。そのうえ、若者のニート化が社会的にも深刻な事態となっています。社会とのつながりを絶ち、自分の人生設計が持てない、持とうとしない無気力な若者が増えることは、何が原因なのか。私たち大人が支えてきた社会を、今一度振り返り見直す作業が必要だと思います。更なる攻撃となる「労働契約法」制定の動きは、ますます労働者を孤立化してしまう危険なものです。攻撃に負けず、一つひとつに向き合って行くしかありません。

CHAPTAR V. RIGHTS AND DUTIES OF THE PEOPLE
Article 26
All people shall have the right to receive an equal education correspondent to their ability, as provided for by law. All people shall be obigated to have all boys and girls under thier protection recive ordinary education as provided for by law. Such compulsory education shall be free.
Article 27
All people shall have the right and obligation to work. Standerds for wages, hours< rest and other working conditions shall be fixed by law. Children shall not be exploited.
Article 28
The right of workers to organize and to bargain and act colectively is guaranteed.
Article 29
The right to own or to hold property is inviolable. Property rights shall be defined by law, in conformity with the public welfare, Private property may be taken for public use upon just compensation therefor.
(マガジンハウス・池田香代子訳「やさしいことばで日本国憲法」より)  (恵)     案内へ戻る


本格化する日本の「うそつき社会」化

 姉歯建築設計事務所が構造計算書を偽造していたと連日のように報道されています。それによれば、首都圏の20棟以上のマンションやホテルの建築確認に、この偽造構造計算書が使われていて、10棟以上の建物が、震度5強の地震で倒壊の恐れがあるというのです。このため、倒壊の疑われているホテルなどは営業の停止を求められ、耐震強度が0・5以下のマンションに住む入居者に対しては退去勧告が発せられ、最終的には使用禁止命令が出される展開になると報道されています。ヒューザー・シノケン・サン中央ホームの3社が建築主の11棟(計408戸)が対象となりました。入居者にとってはまさに降ってわいたような椿事の出来です。
 これは許されない卑劣な犯罪ではないでしょうか。ヒューザーの社長が典型ですが、彼らや国交省等は、構造計算書を偽造した一級建築士を矢面に立てて責任回避に必死になっているようです。しかし、構造計算書をチェックした民間検査機関も建築主も設計会社も施工業者も、おおよそこれに関した人々すべてが、彼に責任転嫁出来ないことは明らかなのです。それぞれがプロなのだから、当該一級建築士の仕事が、あまりにも速くかつ費用が安かったのは気付いていただろうし、その理由は通常のマンションより鉄筋の数や柱の太さなどが違っている事にあることは当然にも想定されたことなのです。このように関係者は自分たちの利益を最優先して、人命にかかわる安全性を軽視した結果に過ぎません。
 まさにモラルの低下は目に余るものがあります。政治家や役人も含めて日本全体が「自分さえ良ければいい」「目先の利益さえ出ればいい」との考え方に染まり、無責任社会になりつつあります。確認するまでもなく、一国の総理大臣・小泉首相が「(このくらいの)公約違反など大したことじゃない」と国会で公言したのですから、役所や大企業の幹部が不祥事を起こしても、その場でこそ謝罪はするものの根本的な責任を取らない事が常態化するのは理の当然の展開です。JR西日本社長の尼崎事故への対応はその象徴です。
 この問題の本質は、「自由競争社会で経済は最適化する」とは、アプリオリに必ずしも成り立たない事を教えています。現在日本中に小泉・竹中路線による日本の米国化によって、「自由経済・競争社会・格差社会・自己責任社会はすばらしい」とのイデオロギーが振りまかれています。これに関連して、私は一年三ヶ月ほど前に出版された『「うそつき病」がはびこるアメリカ』(デービット・カラハン著NHK出版)を思い出します。その本の帯には、確か「行き過ぎた市場主義がもたらしたもの」とありました。
 本書の内容を端的に紹介すれば、「いまやアメリカでは、あらゆる人がうそをつき、ズルをしている。罪悪感はほとんどない。理由はただ『みんながやっているから』。そうしないと生き残れない、極端な競争社会になってしまったのだ。この国のいたるところに蔓延する不正は、どんな将来を指し示しているのか」を明らかにしたものです。訳者の小林由香利氏は、「訳者あとがき」において、「いつのまにか、『正直者はバカをみる』という図式にすり替わってしまっている。誠実な人間よりも要領のいい人間がもてはやされる時代に、人びとは周囲に後れをとるまいとする。結果だけがすべてという環境のなかで、他人を出し抜こうとする。そして、不正に手を染めてゆく。エリートから有名人から、ごく普通の学生や労働者まで、本書に登場する『うそつき病』の人びとは、不正を働いてもまったく悪びれる様子はない」と本書での指摘を補足しています。
 今回の事件のように、善良な労働者民衆をだまして、やっと良い住宅を購入したと信じ込ませ、欠陥住宅を掴ませるのです。被害者がそれを「欠陥住宅だ」と気づくまでに、詐欺師は莫大な利益を得られるばかりではなく、被害者が損失に気づかないまま、偽装倒産をはかることで、長期に亘るアフターケアから逃げ通し、後は知らぬ存ぜぬのうそつき社会が出来したのです。姉歯建築士やヒューザーの社長はこのような社会の典型的人格です。
 この事を私は断じて許すことは出来ません。まさに日本社会を最底辺で支えてきた労働者民衆の規制力の発揮や腐りきった日本社会の変革が求められているといえます。(笹倉)


自然に対する向かい方のちがい、支配か共生か

 先日、世界のたいていの場所に普及している、カラオケの発明者のお話を聞きに行った。生き方、生涯のお話もオモシロかったが、高給取りながら窓際族の生活にウツ病になり、医者のすすめでワン公の世話をして、またもとに戻ったという。ワン公(動物一般)のおかげで、生き返ることができたのだから、感謝≠ニいうかお返ししなければと思ったそうだ。
 そのお返しは、殺されるかも知れぬ運命のノラ犬たちを引き受けて、何か人間との関わりによって役立つように、つまり動物と人との共生という企てらしい。ワン公への感謝という思いは、広げれば自然(動物は自然の中で生きるもの)の感謝とともに畏敬の念を持つという、自然をネジ伏せる考え方、やり方とは違うもののようであろう。洋の東西南北のちがいの現れは、どうもそこらへんにあるようだ。
 パンダももともとは、山の神(オカミさんは力もあり恐ろしくもあるから、多分この自然神の名にあやかったものであろう)のお使い、お仕えするものと見られていたらしいが・・・。
 キツネ、タヌキ、ワン公、その他(生きているもの、動物たちは多分、自然神の家来であったのだろう)の動物も、その生命を敢えて断って、人間の生きるのに必要な糧とせざるを得なかった頃、自然神やそのお仕えするものへの感謝と畏敬を表したのが、儀式として残っているのだろう。古代文明の研究者の焦点が自然への対し方の違いを探ることにあるようで、ワン公との共生でウツ病が治ったことをお犬様のおかげとするのも、この現在にも残っている古代からの心情ではないかと思う。
省略
 都市が生まれるようになると、人も動物も自然から引き離され、共生の域をこえて自然や生き物を、人間のために従属的なものとするようになるらしい。ノラネコを商売道具にしているニュースにふれると、せめて共生の念を持ってもらいたいと願う。見捨てられたネコと人が共生しうるように。
 人だけがええ目しては、人も荒廃するだろう。さらに動物たちも。現在にも底流をなしていると思われる古代文明、その後の洋の東西南北の違いを見すえる必要を痛感している。あちこちで起こる暴動、結局、支配と被支配の関係になってしまう結果であろうし、それを超えるためには?
 食わねば生きられないけれど、私自身はもう老いてそんなに食いたいと思わないから、できるだけ菜食に転向」しようと決めた。沖縄へ通っていた頃、これぞ沖縄と、コンクリートの道に生えている雑草を撮ることが多かった。
省略
 わが家に居ついたノラネコども・・・。芸を覚えるなら一緒にサーカスか、大道芸人になるか、庇護するだけでなく、共生の道を考えたが、今どうにもならんで困るが、といって寝てばかりのネコどもと一緒に寝る生活になるやも知れない・・・。
 ネコと一緒になら山節≠ゥ、と苦笑する。沖縄では、平和のシンボルやんばるくいな≠食うのがノラネコとあって、ネコには風当たりが強いらしい。犬は番犬としても人の役に立っているらしいが。ノラネコたちは、飼いネコも含めてゴクツブシなのであろう。
2005・11・19 宮森常子  


反戦通信−8・・・辺野古沿岸部の謎<軍港併設構想か>

 前号の反戦通信で、日米の首脳が沖縄普天間飛行場の移設先を、辺野古「沿岸部」(名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部を中心とした大浦湾から辺野古沖浅瀬にまたがる区域)で合意したことを報告した。
 滑走路が1,500メートルから1,800メートルに拡大されたが、それ以上に現地の関係者が驚いのが、大浦湾の内側を埋め立てて造る大きな駐機場である。なぜこんなにも広いのか?この大きな駐機場は何に使うのか?疑問が次々にわき出てくる。
 そこで注目を集め憶測をよんでいるのが、「軍港併設構想」である。
 「SACO合意を究明する会」代表の真喜志さんによると、1966年に米軍が策定した辺野古崎周辺の基地計画図には、海兵隊の飛行場と、大浦湾側に海軍の軍港が描かれていると言う。「米軍がかつての構想を基にオスプレイを配備し、軍港を併せた基地を造ろうとしているのではないか」と述べている。
 さらに真喜志さんは「辺野古弾薬庫からの弾薬補給もスムーズになり、軍港機能も併設できる。米軍が検討した過去の運用構想をすべて満たす要素が、駐機場スペースの広さに凝縮されているだろう」と分析する。
 事実、シュワブ基地の大浦湾側の海底は約500メートル沖合から傾斜が急になり、水深は15メートル以上になり、米軍の原子力空母でも寄港可能な水深だと言う。沿岸案の計画図を見ると、浅瀬を埋める駐機場は海底の断層のへりまで広がり、目の前は急激な傾斜の深い海である。広い駐機場をバースに用い、軍港としての使用が可能となる。
 そもそも米軍は、普天間飛行場が要らなくなったので返還するのではなく、基地として古くなり機能が低下しているので、新しいところに「最新型のヘリ基地」を建設したいというのが本音である。
 移転先としてなぜ辺野古が選ばれたかと言えば、中部の嘉手納飛行場と北部の訓練場と西の伊江島飛行場を結ぶポイントがキャンプシュワブのある辺野古にあたるからである。
 まさに米軍は、軍再編とさらなる強化をめざして基地建設をねらっている。
 こうした米軍の思惑を、沖縄・日本の連帯した闘いで葬り去ろう!(若島三郎)


色鉛筆・・・「介護日誌8」<父の最期にあたって>

 先日、実父が93年の生涯を閉じた。日頃の私は、自分の姑の介護を理由に、父の介護を、2人の義姉と2人の姉に頼りきっていた。(やはり介護は女の肩にかかっている。)だが父の最期の2ヵ月は入院先で、主治医から「あと半月」と余命を宣告されたこともあり、日頃の親不孝を少しでも返上すべく出来得るかぎり、30キロの道を父のもとに通い続けた。仕事を終え、夕食の支度をし車に乗るとすでに道路はひどい渋滞で、往復の時間が3時間、父との面会はたった15分などということもしばしばあった。それでも安らかな寝息を立てている父の姿を見て、ほっとするために通わずにはいられなかった。
 いよいよ父の最期がま近くなると、夫や義妹が母の介護や家事を引き受けてくれ、本当に助けられた。ただしどうしても彼らが仕事などで抜けられない時もあり、その時には私も迷った末、母に夕食を食べさせベッドに寝かせて、父のもとに向かった。病院で父の顔を見たとたんに、今度は母の方が心配になり、急いで帰宅すると母がベッドで嘔吐してあちこちが汚れていて、その場に座込みたくなるほどの疲れがどっと出てきてしまったことも。
 両方の老親の間での綱渡りの様な日々は、2ヵ月で終了したが、もしもこれ以上長かったらと考えるととても自信が持てない。こういういわば「緊急時」には、もっと気軽にヘルパーさんやデイサービスなどを頼める制度が必要だと痛感する。
 父の通夜には思いがけず、義妹がショートステイ中の母を「一時外出」させて会いに来てくれた。最近は頼りない言動になってきた母も、父にお別れをしたあと、大勢の前できちんと立派なあいさつが出来て、感激してしまった。介護するということは、むろん楽ではないけれど、時にこうした思いがけない喜びも与えてくれる。
 晩年の5年近くを、父は姉たちの介護を受けながら在宅で過ごした。時におむつを自分で外してしまい、手に持ったり壁につけたりといった話も聞き姉たちには本当に感謝している。父の死後「父があんまり『死にたい!死にたい!』と叫ぶから、『じゃあ死んでみる?!』と怒鳴ってしまったことがある。」と、姉が私に話てくれた。他人が聞けばとんでもない話だが、私には分かる気がする。
 死の翌日から、父の顔はつやつやと輝き始めた。「生きる苦悩から解放されたんだね。」という傍らの誰かの一言が、胸にひびいた。(澄)        案内へ戻る