ワーカーズ311号 2005/12/15

サマワ民衆から「ノー!」を突きつけられる日の丸・自衛隊
自衛隊はイラクから直ちに引き返せ!


 政府・与党は、自衛隊のイラク派兵延長を決定した。米国と「有志連合」を結んだ国々が次々と軍隊を撤退させ、サマワの英軍や豪軍が来年半ばでの撤退を決定し、米国内でさえイラク占領反対、米軍撤退の世論が多数を占め始める中で、日本政府はなお自衛隊撤退の断を下すことができないのだ。
 そもそも自衛隊のイラク派兵は、「非戦闘地域」での「人道支援」活動だと強弁して開始された。しかし相次ぐ自衛隊基地への砲撃、自衛隊車列への爆弾攻撃、サマワ民衆の反自衛隊のデモや投石を見ても明らかなように、「非戦闘地域」の虚構はとっくに崩壊している。また自衛隊の主任務とされた給水活動自体が、NGOによるそれと比べて費用対効果で数百分の一という非効率さであったことを見ても明らかなように、「人道支援」はあまりに見え透いた口実に過ぎなかった。
 自衛隊のイラク派兵は、国際的に孤立し非難の的となっていた米国を物質的・精神的に支援することが目的であり、ファルージャをはじめとする残虐な民衆殺戮、アブグレイブ刑務所での残忍な拷問など、米軍の無法と野蛮を助長する結果をもたらした。それはまた、中東そして世界の不安定さと混乱に拍車をかける役割を果たした。
 与党の中には1年後を待たない撤退に言及する者もいるが、小泉首相は1年延長のあとの再々延長を否定していない。また米国は陸自の活動範囲をサマワ以外に広げることも示唆し、航空自衛隊の活動範囲の拡大も要請してきているが、小泉首相はこれらを拒む姿勢は見せていない。
 もちろん、日本政府はただ米国の要求に押されて自衛隊をイラクに送り込んでいるのではない。派兵の1年延長で、自衛隊は5方面隊すべてが戦場への派兵経験を持つこととなる。アメリカ本土において、イラクで民衆殺戮を繰り広げてきたストライカー旅団とともに極めて実践的な軍事訓練も積み重ねてきている。日本の軍隊の海外の戦場での軍事行動はすでに既成事実となっており、このことは常時の海外派兵を合法化する恒久法の制定、そして憲法9条の改悪の野望へと連なっている。
 日本の支配層の狙いは、多国籍企業に代表される資本の自由な利潤追求活動に都合の良い世界秩序を、自らの軍事力を持って維持し、拡大し、うち固めることにおかれている。現時点では米軍と一体となってその課題を遂行することが目指されているが、しかし日本の支配層の目線はその先にも注がれている。EUやアジアの存在感の増大、米国を中心とした北米の力量の相対的低下、やがて訪れるであろうそうした時代に備えて、日本の支配層は独自の軍事力の強化、政治・軍事大国化の道を進もうとしているのである。そうした軍事強国化の道は、労働者・民衆の無権利、抑圧がまかり通る社会の再来でもある。
 労働者の闘いを強化し、自衛隊の海外派兵、軍事強国化の野望を打ち砕こう!


「耐震強度偽装」と公的融資

驚愕の事実発覚

 姉歯一級建築士が、マンションやホテルの耐震強度の計算書を偽造して、指定確認検査機関の審査をすり抜け、そのまま建築されていた問題は、「規制緩和」の掛け声の下で行われていた実態が必ずしも政・官・業の癒着を崩壊させるものでなかったことを赤裸々に暴露した。どうしてこのようなことが起こってしまったのであろうか。
 一九九八年、建設業者から出される建築計画に問題がないか審査する立場の「官」は、審査業務を民間に解放し、指定確認検査機関として「民営化」した。しかし、ここに新規参入した民間企業が利益を上げるためには、まず自分の所に審査を求めてくる顧客を集めなければならない。当然にも顧客は「速く、簡単に通してくれる」所に集まるのである。
 その結果、民間検査機関はスピードを重視し、審査の質を落としてきた。業者がいかなる不正をするにせよ、建築申請を審査する立場の検査機関が厳密に審査しこれを見破っていれば、危険マンションが建築されることはそもそもなかった。しかし実際には建築審査機関の民営化は、根本的な矛盾を生み出したのである。
 それは何かといえば、今回問題になった『イーホームズ』など民間審査機関は全国で約一二0社あり、東京都内では『ERI』『TBC』『ビューローベリタス』などがメジャーだが、何とこれらの会社はゼネコンや住宅会社から出資を受けた会社なのだ。報酬を貰っている先を検査、監査、鑑定するという日本社会の仕組みに無理がある。当然、報酬を払ってくれる依頼先に有利な結果を出す誘惑にかられる。このおかしな仕組みは、建築物の検査機関だけでなく、会計監査法人、不動産鑑定士、格付機関なども同様なのである。

民間審査機関が天下り先となった

 このように審査を受ける側が、審査する側の「株主」であるというのは矛盾そのものである。民営化時点で、なぜこの点の規制をしなかったのか多いに謎なのだか、民営化の旗振り役が、旧建設省住宅局長だった小川忠雄氏が現・都市再生機構副理事長であるという事実が、全てを雄弁に物語っている。まさにここにこそ問題があるのである。
 建設関係者の証言によれば、「建築審査を民営化したのは、橋本政権。もともとは阪神大震災の惨状を受け、安全建築と合理化を加速させるために、建築基準法を見直そうとしていたのが、いつの間にか建築審査の民営化にすり替わっていた。主導したのが旧建設省の小川局長です。彼は、住宅メーカーや建築業界との癒着が目に余るといわれていた人物で、業界の意を汲んだ立ち回りだったと受け止められていた。審査機関が民営化されることで、新たな天下り先が確保でき、旧建設省としても良い構想」であり、ここに新たな官僚の利権は生まれたのである。
 今回国会参考人招致を受け問題になった「イーホームズ」の藤田東吾社長は、吉原衆院議員の元秘書で、伊藤氏は「民営化路線」をとる小泉首相に極めて近い位置にいる。
 その伊藤氏に、姉歯建築士が偽装したマンションを販売していた施主「ヒューザー」の小嶋進社長は0三〜0四年に、パーティー券百万円分の購入と一六万円の献金を行い、今回の偽装問題が発覚する直前に、伊藤氏を介して国交省の担当課長に面会、公的援助を依頼していた。最近に公明党にも献金していた事が発覚する。まさに政・官・財の癒着だ。
 一方で、施主から実際に工事を請け負っていた熊本の「木村建設」は早々に破産を宣告し、予測される債務から逃げた。社長の妻が経営者だった平成設計も破産宣言してこの動きに追随している。「早く工事を終わらせたいなら木村に」を売りにしていた同社には、強度を偽装した姉歯一級建築士と多くの偽装ホテルの経営指導をしていた「総合経営研究所」の内河所長が設計段階で鉄筋量などを細かく指示していたことなどが指摘されている。
 今回、名前が挙がった姉歯氏・小嶋氏、そしてさらには内河氏も、何と創価学会員だとのインターネット情報が、二階堂ドットコムなどに現在飛び交っているのである。

建築基準法改正の概要と狙い

 今回の事件の背景となった建築基準法の全面的改正の概要の核心を紹介しておこう。
 阪神・淡路大震災三年後の一九九八年六月に法改正されたためにこの改正がこの地震の反省を受けて法改正されたものと勘違いしている向きもあるが、実際にはその前から検討されていたものであった。
 この「約半世紀ぶり」に行われた大改正の目玉は、建築物の安全性などを審査する基準が抜本的に見直されて、建物の建て方・建築仕様を細かく規制したこれまでの基準を、建築材料の「性能」を規定する新基準へと変更したことにある。これを官庁用語では「仕様規定」から「性能規定」への転換といってきた。しかし、問題は、新性能基準が「国民の生命、健康、財産の保護のため必要最低限のものとする必要がある」と説明されたことにあるのだ。この事実を始めて発見した『拒否できない日本』の著者・関岡英之氏は、先の文言のオリジナルは、世界貿易機関WTOの協定文書にあり、なおかつ「国際規格を基準として用いること」と明記されていることを暴露する。この事から分かったのは、今回の大法改正の背景は、阪神・淡路大震災の反省などではなく、「海外の基準・規格との整合等を図ること」と「我が国の建築市場の国際化を踏まえ、国際調和に配慮した規制体系とすること」にあったのである。
 端的に言えば、建物の安全性の強化よりも「国際調和への配慮」を重視したものであったのだった。
 こうして導入された「仕様規定」から「性能規定」への転換によって、従来からの建築方法は根本的に変化して、外国の建築方法や建材が、日本にどっと入ってくる道が開かれた。またこれが実に問題なのだが、地震が多い日本の建築基準を海外に合わせることは、地震設計を必要最低限にまで甘くすることになるということなのである。

小嶋社長・内河氏の破廉恥発言と公的融資

 テレビ等での小嶋社長の発言で私に強い印象を与えたのは、「阪神・淡路大地震で倒壊した建物の責任問題は不問に付された」との発言である。また一二月二日、内河所長は記者会見で、「(私の指導は)技術より経営。構造計算までは考えてもいなかった」と話しており、自分は関係ないとの発言をしていたが、内河氏はタイをはじめ海外にも人脈が豊富で、海外から輸入した工法は木村建設が次々と実践していった事が知られている。そして「素人でもできるスピード工法」などと、マンションなどにも取り入れていた。
 過去において、専門誌「月刊レジャー産業資料」のインタビューに対し、内河所長が「これまでたくさん仕事を手掛けてきましたが(中略)、『どのような構造が安く上がるのか』ということも計算しました」などと述べ、さらにこの記事の中で、内河所長は、「私が(中略)延べ床面積平方メートル当たり鉄筋量いくら、型枠量いくら、コンクリートがいくらというところまで計算し、設計の指示をしています」(二000年七月号)と得意然として語り、設計段階から深く関与していた事実を認めていたのであった。
 一方、参考人として出席したアトラス設計の渡辺代表によると、二00三年一一月、姉歯建築士と初めて会った際、渡された名刺には「平成設計」の社名が印刷されており、0四年三月に再び会い、姉歯建築士による構造計算の問題点を指摘した際には、姉歯建築士のほか、総研のチーフコンサルタントと平成設計関係者が同席していた。「その場をリードしていた人物は誰か」との質問に、渡辺代表は「総研のチーフコンサルタントが中心になって話していた」と答えている。内河氏は追いつめられたのである。
 これらは、このような手口のコストダウンが、「氷山の一角」どころか、多かれ少なかれ建設業界では「日常茶飯事」として行われているとの疑惑は広がる一方である。そういう疑問を誰しもが抱かざるを得ない。なにしろ状況証拠は限りなく黒なのだからだ。
 この問題が報道されて以降、はやばやと自民党武部勤幹事長が「この問題がすべてあらわになれば大変なことになる」と発言して、ジャーナリズムから批判を浴びたことは、まさに、建築業界の体質を裏付けているのといえよう。そもそも、「国交省が作った『建築基準法で定める耐力算定基準』を計算する『構造計算ソフトプログラム』自体、『百%守ればコスト競争に勝てない』代物と、専門家の間ではいわれてきた」との発言もある。
 ここに来て北側国交大臣はマンション居住者の公的融資による救済を実に早々と打ち出している。詐欺罪での告発が当然視される当該企業や特定できる人物が明らかであるにもかかわらず、また阪神・淡路大地震や中越地震の被害者に対する対応とは手のひらを返したような実に迅速かつはっきりした対応を示している。
 私たちはこの問題の徹底した解明と政府の問題隠しにも繋がる公的融資に反対するものである。とことん抗議していこうではないか。      (直記彬)   案内へ戻る


「安全・安心」はどこに求めるのか
――消費者=ユーザーが頼るべきは労働者・労働組合――

――耐震強度偽装事件を考える――

 姉歯建築士による構造計算書偽装が発覚して以降、耐震強度偽装事件は底知れない広がりをみせ、全国のマンション住民を不安に陥れている。浮かび上がったのは、建設コンサルタント会社「総合経営研究所」、不動産開発会社「ヒューザー」「シノケン」、建設会社「木村建設」などグルになった、多数の人命を危険に晒して暴利をむさぼる許し難い企業犯罪だ。
 それに姉歯容疑者が関わったマンションは、上記の悪徳会社だけでなく大手建設会社のものもある。鉄筋や柱の削減などのコストダウンは、今回の事件で指摘された以外の他の多くのマンションや建物でも行われているという。違法建築は何も今回明らかになった悪徳業者に限ったことではない。まだ表面化していないものも含め、欠陥住宅などの悪徳商法は広く蔓延しているかもしれない。それらを根絶するためにも、パーティー券の購入や役所への口利きなどで悪徳業者との癒着が暴露された伊藤公介自民党代議士など政治家も含めて、この事件を徹底的に究明・糾弾する必要がある。
 今回の事件では、偽装・欠陥建築が民間の検査会社をすり抜けて重ねられてきたことから、「建築確認の検査を民間に開放した結果、体勢がおろそかになった」などと、行き過ぎた民営化を批判する声も出ている。確かに市場万能論による民営化は新たな企業犯罪、経済犯罪の温床になる場合も多い。しかしだからといって国家・行政によるチェック体制を強化すれば違法・欠陥建築が無くなるわけでもない。この事件を期に、消費者・ユーザーと労働者の連携による安全・安心の確保について考えてみたい。

■行政か民間か――検査という砂上の楼閣

 以前は自治体の建築士が審査していた建築物の検査システムは、多くの手抜き建物が倒壊したあの阪神大震災の反省から、98年に法改正して民間の検査会社も出来るようにした。それまでの手薄な行政の検査態勢を充実させることを目的に検査機関を民間にも開放する、という趣旨だったという。が、その民間検査会社でも人手不足が続き、多くのケースで国交省の省令に則って簡略化された手順で検査が行われてきたのが実態だ。
 現状では確かに民間の検査システムは検査期間短縮など効率・コスト優先で、手抜き・偽装が行われる余地を大きくしている。利潤原理に歪められているのだ。しかし、だからといって民より官が優れているとは言い難い。現に平塚市などの自治体も、姉歯建築士の構造計算の偽装を見逃していた。その意味では官も民と同罪だ。
 検査を行政でやるか民間でやるかに関わらず、建築物の安全管理の保証を検査システムにだけ負わせるのは無理がある。そもそもすべての建築物を検査の段階で偽装や手抜き建設をチェックすることなど不可能だからだ。だから自治体が検査してきた時代から欠陥建築は後を絶たないのだ。それに行政依存の発想そのものが、消費者の自立、消費者主権の確立を妨げてきた経緯もある。安易な行政依存を排し、改めて消費者、ユーザーと労働者の連携、相互の信頼関係づくりをめざしたい。

■大事なのは消費者・ユーザーと労働者の連携

 こうした視点で改めて今回の事件を振り返ってみると、そもそも偽装事件や違法建築がなぜ起こってしまったのか、またなぜその発覚が遅れたか、がまず問われるべきだろう。
 規格通りの鉄骨や柱が使用されないことは、たとえ建設会社や設計者がグルになっていたとしても、現実にその鉄骨入りの柱を作る労働者や建設工事に携わる現場で働く労働者が一番よく知っていることだ。経験の長短などで個々の労働者がそれを見抜くことが難しいとすれば、集団の知識、集団の監視で見抜くことは可能だ。違法建築や手抜き工事を、実際に作業しながら監視するそうした労働者のネットワークがあれば、発注会社や建設施工会社、設計士が偽装・建築しようにも出来なくなる。そうした監視の目のネットワークは、建設関係の労働組合として想定するのが現実的だろう。
 こうしたことは、建築現場のみならず、かつて牛肉の産地表示偽装事件などでも明らかなことだ。どんな不正でも、大がかりなものであればそこで働く労働者が何らかの形で関わっているケースがほとんどだ。そうした情報は直接関与した労働者の、あるいは労働者の集団の眼でキャッチできたはずだ。現実はといえば、日常性に流されて労働者の目も曇りがちになりがちだ。が、労働者も自分の仕事や会社の利益だけではなく、消費者やユーザーにも向ける習慣が出来ていれば不可能ではないはずだ。そういう視点を持たないと、労働者、労働組合は消費者の眼には小さな既得権に執着する「エゴ集団」と写り、雇用や労働条件など自分たちの切実な要求にも支持を寄せてもらうことはできない。
 現実には今回の事件で建築土木関係の労働組合は、関連する労働者が解雇された場合、経済的救済や緊急融資(無利子)などの措置を講じるよう、県当局に求めるに止まっている。それ自体は当然の要請ではあるが、それに止まっていてはならないだろう。あえてこのことを指摘するのは、結果的に当事者になった建設労働者を非難するためではない。私自身も含め、すべての労働者の自省の必要性を確認したいからだ。
 他方では消費者やユーザーもセーフティ・ネットとしての労働者の役割を育てていく視点が欠かせなくなっている。いまは「消費者主権」が建前で、消費者・ユーザーはお金を持って購入者として現れる限りで企業から「お客様は神様」として扱われる。が、現実は商品情報をあまりに知らされないなど、「消費者主権」は外観だけ、体裁だけなのだ。見せかけの「消費者主権」に甘んじているだけでは、しっぺ返しは自分に降りかかってくる。

■消費者と労働者の連携で「安全・安心」を手にしよう!

 これまで消費者、ユーザーは労働者の待遇改善や労働組合に冷淡だった。賃上げや時短の抑制は、商品コストを押し下げることで消費者にとってプラスになる、と。こうした財界や企業の言い分に流され、労働者の要求や闘いには冷淡であるばかりか、時には敵対者になってきた。今回の偽装事件でも、マンションの購入者は悪徳業者「ヒューザー」の営業マンの「広くて安い」というセールス話以外には必要な情報を得られず、結果として高額のローンを組んで危険な欠陥住宅をつかまされた。
 消費者・ユーザーは、労働者や労働組合を味方に付けなければ、今回のような企業犯罪を防ぐことは出来ない。「良い商品を安く」は消費者の変わらぬ願いには違いないが、労働者・生産者、またそのネットワークを味方につけることで、単なるセールス情報ではない確実で信頼できる情報を得ることができる。
 消費者は自分たちの安全・安心を守るためにも、遠い話のようだが労働者との連携を求め、労働者の集団の力を活用すべきだろう。「消費者かは神様である」などというおだて文句に踊らされることなく、また「行政、お上頼り」に甘んじることなく、労働者や労働組合こそ味方に付けるべきなのだ。
 逆に労働者は、企業のやることに無関心や言いなりではすまされない。結果的に企業犯罪に荷担することは、結局は自分が働く企業の破綻をもたらし、自分の生活も破綻することを自覚すべきだろう。現に「木村建設」「ヒューザー」「シノケン」などは賠償できずに破産申告したし、するだろう。労働者や労働組合も、自分たちの仕事と生活を守るためには、消費者・ユーザーの利便を実現することが不可欠なのだ。いまは市場万能の利潤原理で分断されているが、本来的には生産と消費、生産者と消費者は対立するものではなく、製品を挟んで不可分一体の関係にあるものなのだから。(廣)


コラムの窓・・・さらば小泉劇場

 ご存知のように、年末恒例の流行語大賞に「小泉劇場」が選ばれた。
 今年の衆議員選挙において郵政民営化に反対した自民党議員に次々に対立候補(刺客)を送り込み落選させ、選挙が終わってみれば、自民党296議席・公明党31議席となり、あわせれば327議席で衆院全議席の3分の2を上回る議席を獲得した。「小泉マジック」とか「小泉劇場」と呼ばれた。
 今回の受賞は目立ちたがり屋の小泉首相としては、さぞかし満足のことであろう!
 だが私たちは、この「小泉劇場」を終幕させなければならない。
 小泉首相は、「自民党をぶっ壊す」とか「郵政民営化こそが改革の本丸だ」とか「官から民へ」との威勢の良い言葉を並べて「小泉劇場」を4年間演じてきた。
 では、この4年間で私たちの日本社会は、一体どうなったのか?
 構造改革が進み、バブル後の長期不況を乗り越え社会全体に活気があふれ、人々は安心して生活できる社会が実現したのか?まったく逆である。
 最近次々に起こる事件を見れば、日本社会はここまでデタラメになったのか、もはや子どもたちが安心して生活することができない社会になってしまったのか、という感想を持つ人が多いと思う。
 あの姉歯建築士の耐震強度偽装事件もそうだが、それぞれの会社が責任を押しつけ合い、泥仕合を演じている。監督官庁の国土交通省もまったく監督能力がないことをさらけ出した。まさに総無責任体制である。また、リフォーム会社のインチキ商売など、悪質な事件を起こす会社が後をたたない。ウソとインチキでもなんでもよい、要は利益さえ上げればよい、自分の会社さえ儲かればよい、と言った風潮が蔓延している。
 さらに心を痛める悲惨な事件が、広島と栃木で連続して起こった小1女児殺害事件である。日本全国中の小学生の子を持つ親御さんにとっては他人事ではなく、日々の子どもの通学に頭を痛める毎日になっている。もはや日本社会は、小学生が1人で通学も出来ないほどの危険で恐ろしい社会になってしまっている。
 今までも交通事故から身を守る意味での集団登校はあった。しかし今は、小学生全員が防犯ブザーを持ち、いつ襲われるかわからないので集団登校で防衛している。さらにボランティア活動の大人が登下校を監視しなければならないほどの異常社会である。子どもたちが安心して生活できない社会となっている。
 ではどうして私たちの社会はこんなにも不安定になってしまったのか?その背景をしっかり検証する必要があるだろう。
 自由競争を基本とする資本主義の日本社会は、社会の弱者を救済しようとするセーフティネットがそれなりに機能して社会バランスをとってきた。しかし、小泉政権が登場してからは徹底した弱肉強食の市場原理が強まり、一部の「勝ち組」と圧倒多数の「負け組」がはっきりするような『階級社会』の性格を強めている。一部の「勝ち組」が、圧倒多数の「負け組」を搾取・収奪を強めている社会であり、弱者を救済しようとするセーフティネットも崩壊し機能不全に陥っている。 
 企業のリストラは多くの失業者を生み、家族崩壊をもたらしている。パートやアルバイト採用の増加は不安定若年労働者の増大でもある。ようやく企業に採用された正社員も不払いの長時間労働を強制され、まったく非人間的な生活を強いられている。こうした社会にあって、人々の人間関係は余裕のないギクキャクとしたものとなっており、多くの人たちが人間性を失い精神的な障害を起こしている。年間3万人の自殺者の存在もそれを示している。
 これが、小泉首相の言う「新自由主義改革」=利潤万能型社会が招き寄せた現実であり、結果だと言える。人間性を破壊する「小泉劇場」はもうゴメンだ。(英)案内へ戻る


「やさしいことばで日本国憲法」G 第3章 人びとの権利と義務 第31,33,34,35条
池田香代子訳 C.ダグラス・ラミス監修・解説

 
池田訳
第31条
だれも、法律がさだめるきちんとした手続きなしに、命や自由をうばわれたり、そのほかの罪を科されたりしません。
第33条
だれも、かかわった犯罪をはっきりと書いた令状がなければ、逮捕されることはありません。令状は、裁判官が発行します。ただし、まさに犯罪が行なわれているさいちゅうは、別です。
第34条
だれも、すぐにどういう罪で逮捕されるのか告げられず、弁護人に相談する権利を保障されずに、逮捕されたり、拘束されることはありません。じゅうぶんな理由がないのに、拘束されることはありません。逮捕や拘束の理由は、もとめられたら、すぐに公開の法廷の、本人と弁護人のいるまえで、しめさなければなりません。
第35条
住まいにたちいられたり、書類や持ち物を、調べられたり、取上げられたりしないことは、すべての人の権利です。ただし、じゅうぶんな理由のもとに発行され、調べる場所や、取り上げる物をきちんと書いた令状があるばあいは、別です。33条にさだめてあるばあいも、別です。

正文
第31条
何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
33条
何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
第34条
何人も、理由をただちに告げられ、且つ、ただちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
第35条
1)何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所を明示する令状がなければ、侵されない。
2)捜索又は押収は権限を有する司法官権が発する各別の令状により、これを行ふ。

 人間にとって最も大切な、生命や自由について政府の判断で侵されて行く、こんな時代が再びおとずれる可能性がでてきています。先日も、海外の空港内で「爆弾を持っている!」と叫んだ男性が、射殺されました。走って逃げる男性が、警備員の制止を無視したのが殺された理由でした。その後の調べで、男性は爆弾を所持していなかったことが明らかになっています。爆弾=自爆テロがインプットされてしまった社会状況が、そこにあると思います。人の命よりも国家の体制が優先された結果ではないでしょうか。有事立法が成立した今、日本に住む私たちも、決して関係ないことではないのです。
 最近、幼い子どもが犯罪に巻き込まれる事件が立て続けに、起こっています。犯罪を犯した疑いのある「容疑者」が、マスコミの報道ではまるで犯人と確定したような内容の記事になっていますが、これは人権侵害です。警察の取り調べも、一方的で犯人と仕立て上げる誘導が行なわれ、「自白」が強制される事例が過去にありました。再審で無罪となった西宮の「甲山事件」では、家に残してきた麻疹を患った子ども家族を巧みに利用した取調べによって、「自白」を強要した事実があります。警察が市民を守ってくれると思わないこと、人権に理解のある弁護人を選択できるよう、日頃から情報を集めておくことは、自分を守るための知恵だと思います。

ARITICLE 31
No person shall be deprived of life or liberty,nor shall any other criminal penalty be imposed, except according to procedure estabished by law.
ARITICLE 33
No person shall be apprehended except upon warrant issued by competent judicial officer which specifies the offense with which the person is charged, unless he is apprehended, the offense being committed.
ARITICLE 34
No person shall be arrested or detained without being at once informed of the charges against him or without the immediate privilege of counsel, not shall he be detained without adequate cause, and upon demand of any person such cause must be immediately shawn in open court in persence and the persence of his counset.
ARITICLE 35
The right of all persons to be secure in their homes, papers and effects against entries, searches and seizures adequate cause and particularly describing the place to be searshed and things to be seized,or except as provided by Article 33. Each search or seizure shall be maid upon separate warrant issued by a competent judicial officer.   (恵)


動き始めた「労働契約法」(6)最終回

「雇用類型化」に対抗し労働者の発言権強化を

 これまで「労働契約法」(仮称)制定へ向けた動きについて、検討される法の内容、背景とされる雇用・就労形態の多様化、とりわけパート・派遣労働者の増加、労組組織率の低下、移籍型出向など正社員の雇用環境の変化、想定されている労使委員会の問題など、いくつかの角度から見てきました。今回はまとめとして、労働契約をめぐって基本的に何が問題になっているのか、労使委員会などの新たな労使決定システムにどう対抗してゆくべきかを考えてみたいと思います。

日経連の「雇用類型化」戦略

 戦後の労働者の雇用・就労形態の変化の特徴は、すでに見たように(1)農業や商店などの自営業の激減と雇用者数の増大、(2)第1次産業の激減・第2次産業の頭打ちないし漸減・第3次産業の圧倒的増加、(3)短期雇用・パート・派遣などの非典型雇用労働者の増加、(4)労働組合組織率の相対的低下、として概括できます。
 しかしこれには、産業構造の変化という客観的要因だけでなく、経営側の主体的な要因もあることを見逃してはなりません。特にバブル崩壊後の長期停滞の中、日経連(現在の日本経団連)が出した「新時代の日本的経営」という報告書に、それは表わされています。
 そこでは労働者を「長期蓄積能力活用型」(幹部社員)、「高度専門能力活用型」(スペシャリスト)、「雇用柔軟型」(一般従業員)の三つに類型化することが提唱されています。そして「正社員」は「長期蓄積型」の企業中枢部分を担う社員にしぼり、他の「専門能力型」あるいは「雇用柔軟型」は短期雇用で働く非正規社員として雇用してゆくことを明確に打ち出しています。
 このことにより、従来の労働契約のあり方が、一方では非正規労働者の増加にともなって、他方は正規労働者の内部からの再編によって、両面から変容をせまられているというのが、労働契約法制定の基本的な背景といえるでしょう。

正社員の労働契約関係の変容

 まず正社員の側からみてみましょう。従来「期限の定めのない雇用」として順調にいけば同じ会社で定年まで雇用されることを前提に、世帯主義・年功序列の賃金体系や企業内の配置転換と昇進制度、企業別組合を軸にした企業内福利厚生制度が行われていましたが、今や「同じ会社で働き続ける」という前提条件が崩れ始めているのです。
 不況期の事業規模縮小に伴う関連会社への出向(在籍型や移籍型)、経営合理化のため不採算部門を切り離す会社分割(スピンアウト)、業務の一部門を構内下請化するのと並行した社員の下請け会社への転籍、等々、基本的な労働関係の変更を、時には本人の意思にかかわりなく進めています。
 これは企業のスリム化のために、現職の正社員を「長期蓄積型」と「それ以外」に振り分けていく過程といえるし、また将来の「長期蓄積型」正社員といえども、企業グループの都合で頻繁に「転籍」「移籍」を強いていくことも意味していると言えるでしょう。

非典型労働者の多様な労働契約関係

 ひるがえって非典型労働者の側を見ると、ひとくちに「労働契約」といっても、そのあり方は多様で、一括りにするのは困難ですが、労働契約上問題となるポイントをいくつか挙げると次のようです。
 まず「短期雇用」の労働者が、実際には雇用更新を繰り返し、長期に働いている場合に、何らかの理不尽な「理由」で雇用の更新が拒否される問題です。例えば、まじめに働いていたのに、ちょっとした上司とのいさかいで「来期は雇用を更新しない」と言われる事実上の解雇権濫用。あるいは、雇用更新の際、雇用内容の無理な変更を告げられ、変更を断わったために更新を拒否される問題。雇用契約期間中なら産休が取れたのに、ちょうど出産が雇用更新期に重なったのを理由に、更新を拒否される等。
 次に、同じ短期雇用の中でも「短時間勤務」(パート)の場合は、上記の問題に加えて、健康保険や厚生年金に加入させてもらえない問題があります。というより、一日の勤務実態はフルタイムと変わらないのに、事業主が社会保険の負担を逃れるために、一月の勤務日数を制限し、パート扱いしているのです。さらに、働く側はフルタイムを希望しているのに、パートしか就職口がないため、一日の午前と午後をふたつの会社にまたがって、掛け持ち就業している人が増えています。それなのに社会保険に加入できていないため、将来に大きな不安を感じています。
 さらに「派遣労働者」になると、問題はいっそう複雑です。賃金は派遣元からもらい、仕事は派遣先の指揮命令のもとで行なうため、使用者責任のタライ回しが起きます。例えば「残業」を実際に命ずるのは派遣先ですが、その前提となる「時間外・休日協定(三六協定)」は派遣元と結んでおこなければなりません。派遣先でのトラブルを理由に、派遣先が「派遣契約の解約」を派遣元に通告されれば、派遣労働者は派遣元から新たな派遣先を紹介されない限り、収入の無い「登録」常態に戻ってしまい、事実上解雇されたのと同じ状況に陥ってしまいます。
 「委託・請負」についても複雑な問題が起きています。まず「請負会社」に雇用される労働者の場合、法的には請負会社の指揮命令のもとで仕事をするのが建て前なのに、現実には委託元会社の責任者の指揮命令を受け入れざるを得ないケースが多くあります。また「個人委託・請負」の場合はさらに深刻です。例えば運送会社からトラックをリースして、貨物の配達を請負う労働者が、実際には運送会社の指揮命令で働いているのに、請負契約時の収入が補償されない等。
 形はいろいろですが、要するに雇用契約としての使用者責任がきわめて曖昧か、全く無責任になっているため、労働者は泣き寝入りするか、個別労働紛争法を起こして労働委員会や簡易裁判所に駆け込むかしかないのが現状なのです。

「経営側の自由」をまかり通らせない闘いを

 このように、正規労働者、非典型労働者の両面から雇用契約のあり方が変容をせまられている中で、「労働契約法」制定へ向けて動いているわけですが、経営側は労働者を類型化して自由に使用し、自由に使い捨てるため、個別のトラブルに対応できるお墨付きの条文を欲しがっているという意図が透けて見えます。移籍型出向の明文化や、解雇トラブルの金銭解決、条件の折り合わない雇用更新(裁判は継続しながら雇い主側の条件で雇用更新する)、組合交渉に代わる労使委員会の設置、等々。
 もちろん、労働者側からも、一方的な出向命令への歯止めの制度は必要ですし、解雇撤回後現実的には復帰すべき職場がない場合のように次善の策としての金銭和解はありうることですし、雇用更新条件の一方的変更を拒否すれば解雇されてしまう今の二者択一のしくみは何とかしてほしいものです。
 ですから、それぞれの条文の案について、労働政策審議会を主な舞台に経営側と労働側の攻防が予想されますし、私達働く者は、しっかし監視してゆく必要があります。さらに監視するだけでなく、関心を持つ労働者の意見交換の場を各地で何回も設定し、そこで形成されたネットワークが主体となって、政府、審議会、労働団体などに申し入れや要請行動、必要な場合は抗議行動を行なっていくということも可能でしょう。
 雇用形態が多様化し、労働者が分断されている今日、私達働く者は、かつてのように「同じ職場だから」とか「同じ会社だから」「同じ非正規社員だから」といった形で、安易に共同戦線をはれる条件は、残念ながら乏しいことを認識しなければなりません。むしろ、雇用形態の違い(短期・短時間・派遣・請負)や直面する困難の内容の違い(移籍出向・分社化・整理解雇)をお互いに認め合い、そこからの闘い方もそれぞれ違うことを認めた上で、形態はそれぞれすごく違うが「同じ働く者として」質の高い連帯関係を築いていくことができるかどうかが問われている、そう強調しつつ、この連載をいったん終わりたいと思います。読者の皆さんのご意見をお寄せください。(松本誠也)案内へ戻る


不条理な死について・A海軍鶉野飛行場跡

 秋の連休にグリーンピア三木に出かけました。娘たちに振られたので、妻の父の墓参りも兼ねた、妻と妻の母と私の3人だけの1泊旅行でした。温泉でゆっくりというのもありましたが、私の目的は夏に神戸新聞が紹介していた「海軍鶉野(うずらの)飛行場跡」を訪れることでした。その記事には特攻へ向かった道≠ニいう大きな見出しがあり、上空から写した写真には田園を貫く1本の地道が延びています。
 どこにあるのかと思ったら、場所は兵庫県加西郡(現・加西市)南東部の鶉野台地。加西市には県のフラワーセンターがあり、子どもたちを連れて何度も行っているのに、そんなものがあるとは全く知りませんでした。行ってみて分かったことですが、なんとフラワーセンターのすぐ近くにありました。しかし、特に案内の表示もなく、道路の左右に空き地が延びているだけなので、注意して見てもとても滑走路跡とは思えません。
 さて、海軍鶉野飛行場とはどんなものだったのでしょうか。
「太平洋戦争は1942年6月のミッドウェー海戦を境に、日本に不利な状況へと向かった。軍はパイロットを短期間に多数養成するため、各地に訓練用の飛行場を急増した」「兵庫県内でも、・・・百戸以上の民家を立ち退かせ、同11月ごろ着工。近隣住民や朝鮮人労働者らを大量動員し、翌年9月、突貫工事で使用開始にこぎつけた。その翌月、パイロット志願の兵士を訓練する姫路海軍航空隊がここに設立された」(8月25日付「神戸新聞」)
 ここにパイロットを短期間に多数養成する≠ニありますが、のちに特攻へと向かうことになるものでした。隣接地には川西航空機(現・新明和工業)の工場が建てられ、510機余りの戦闘機「紫電」「紫電改」が組み立てられたということです。その試運転中の機体がエンジン停止で墜落し、国鉄北条線の線路を引っかけてしまい、列車が脱線転覆して死者11人、負傷者104人という大惨事を引き起こしています。また、敗戦前日まで米軍による爆撃や機銃掃射による攻撃が続き、犠牲者が出ています。
 「鶉野平和祈念の碑苑保存会」の上谷昭夫さんは次のように語っています。「20年3月23日、鶉野飛行場で編成された神風特別攻撃隊の出陣式が行われ、特攻隊名は姫路城にちなんで白鷺隊と呼ばれ、30数機の艦上攻撃機によって編成された」「同5月4日までの五度の出撃で、21機、63人の前途ある若者たちが戦死した」「二度と戦争が起こらないように・・・戦争の事実を風化させないように伝えたい」(10月3日付「神戸新聞」)
 飛行場跡に「平和祈念の碑」が建立されたのは1999年10月。実は私たちが訪れたときも、その碑があったのでそこが飛行場跡だと確信できたのです。旭日旗が翻り、碑には花束が供えられていました。フラワーセンターを訪れる県民をこの戦跡にも誘導すれば、戦争と平和を考える絶好の機会になるのに、兵庫県はそんなことを考えもしないのでしょう。
 それは、ここが今、陸上自衛隊の鶉野訓練場になっていることとも関係しているのかもしれません。現場には、「訓練場内は、関係者以外の者の使用は一切出来ませんのでお知らせします」という看板が立てられています。管理者は青野原駐屯地業務隊長となっていて、立ち入るのを躊躇させるものがあります。戦争が出来ない自衛隊を戦争をする自衛軍≠ノ変身させようという動きが強まるなかで、特攻が飛行訓練をしたこの戦跡を保存し、若くして死を強いられた兵士の無念に応えることの重要性はますます高まっています。

 蛇足ですが、私たちが宿泊したグリーンピア三木は大規模年金保養基地≠ニいうもので、年金加入者・受給者の余暇活動のために建設された曰く付きの施設です。ちなみに、こうした施設が全国に13カ所もあったものがすべて2足3文で売り払われています。
 グリーンピア三木も兵庫県が9億1855万円で買い取ることが決まっていますが、これは時価の半額相当とのことです。それでも、全国施設のなかでは最高額なのですが、県は「資産価値や収益性からみて廉価であると判断した」(11月16日付「神戸新聞」)ようです。なお、この施設は民間業者が管理運営するようですが、これからどうなることやら。              (晴)


中華帝国の再興とアジア世界の台頭  @

一、はじめに
 21世紀世界の基本的動向

 21世紀の世界は、20世紀の世界とは大きく異なった、というよりも全く隔絶した様相の世界となる事は確実であるように思われる。今後20〜30年間に起こるであろうことは、一言で言えば、アメリカから中国への覇権国家の交代であり、欧米からアジアへの世界の中心の移動である。(注1)
20世紀は、世界を蹂躙し、強盗的略奪で先行する英・仏・西・蘭・葡などの帝国主義と、それを追走する独・伊・露・日・米などの新興の帝国主義諸国が、市場と資源の争奪と世界の領土的分割をめぐって激突し、二度にわたる帝国主義世界大戦を引き起こし、数千万人もの民衆を殺戮した前半と、この大戦を通じてその力を増大させて戦後世界に登場した米・ソの世界分割戦=冷戦期の後半、に分けることが出来るが、いずれにせよ西欧・米ソなどの白人による有色人種に対する支配が貫徹した世界であった。支配する側には「準白人」とみなされて有頂天になっていた日本も混じってはいたが!

 だが、今始まったばかりの21世紀は、20世紀後半に起こった、
(ア)帝国主義間の戦争とその衰退を利用しての、中国革命やキューバ革命、エジプトのスエズ運河の国有化(=スエズ戦争、これによるイギリスの敗退を見たイギリス労働党の理論家ストレイチーは、「帝国主義の終焉」を書いて帝国主義は割に合わなくなった、終わった、と主張した)やベトナム革命・アルジェリア革命(政権に復帰したドゴールは、一気に兵を引いてアルジェリアの独立を認めた)などの相次ぐ反帝民族革命を先頭にしたアジア・アフリカ・ラテンアメリカの民族解放運動の爆発的な前進と世界的な規模での植民地体制の崩壊、
(イ)「黄金の60年代」を通じての、戦争で崩壊し、衰退した英・仏・独・日・伊各帝国主義諸国の経済的・政治的復興と米ソとの競争の激化(例えば、フランスによる、毛沢東政権の承認・イギリスのECへの加盟の拒否・NATOからの脱退・アメリカに対するドルと金との交換要求など)、米ソの相対化、
(ウ)60年代後半からのドル危機の進化と71年の金とドルの交換停止、ブレトンウッズ体制の崩壊、50万人の軍隊を動員したベトナム侵略戦争の敗北によるアメリカ帝国主義の衰退、更にサミットやG5など復活した西欧・日を含めた帝国主義諸国家の合議制による世界支配への移行とアメリカのone of themへの転落、
(エ)70年代末から90年代前半にかけてのソ連のアフガン侵略 と敗北と長年にわたる圧制に対する民衆の反抗の増大(「プラハの春」やポーランドの「連帯運動」など)・経済の停滞と窮迫を基礎にしたソ連社会帝国主義とその従属国家群=東欧圏の専制支配体制の崩壊、党・国家・軍上層部に巣食う官僚支配階級(赤い貴族)による国有財産の略奪競争と専制的国家資本主義から私的資本主義への転換、
(オ)文化大革命の破産と「改革・開放」路線による中国の私的資本主義への転換、天安門事件における「人民解放軍」による人民大虐殺、外国資本と低賃金労働力の結合による経済の高度成長と特権的官僚支配階級の「赤い資本家」への翻身、
(カ)80年代末から2000年にかけての仏・独を枢軸としたヨーロッパの群小帝国主義連合としてのEUの成立と新たな国際通貨ユーロの創設・アメリカのドルへの対抗など、世界を左右する激震が相次いできた。

 だが21世紀を特徴づける最大の激震は、世界人民の反帝独立闘争の継続的展開(注2)としての、アメリカ・EUに匹敵する世界三大工業地帯の一つとしての東アジア世界=アセアン+3(中・日・韓)の急速な台頭であり、それに続く大国インド、ロシア、ブラジル、イスラム世界、そしてアフリカの台頭である。
 過去数百年にわたって、欧米日露などの強盗的帝国主義国家集団によって思うがままに虐げられ、収奪され続けてきた中国、アセアン、インド、イスラム、アフリカ、ラテンアメリカなどの被抑圧民族・被抑圧人民が、さまざまな試行錯誤の末に、長年にわたって彼らを帝国主義の隷属状態に縛り付けてきた最奥の秘密である西欧の先進工業技術を我が物とし、工業生産力を急速に増大させ、世界の工業生産体系の中で重要な位置を占めことによって、帝国主義への隷属の鎖を断ち切り、独自の道を歩み始めたのである。

(ア)近年のアセアンや中国、そしてそれに歩調を合わせた韓国の、アメリカの規制を離れたアジア債券市場開設や東アジア共同体形成の動き、
(イ)中国やロシアとの関係を強化しつつ、今ではもう既に米・中・日・独に次ぐ世界第5位の経済大国であり、IT技術大国として年7〜8%もの経済成長を遂げているインドの動き、
(ウ)メスコスールに足場を置き、EUと連携しながらアメリカに抵抗するブラジルや南米諸国の動き、
 (エ)キューバ、エクアドルを先頭にした南米における反米気運の高まり、
 (オ)米・英・日三国同盟による中東イスラム地域への侵略戦争に対する非妥協的で英雄的なイスラム世界の人民戦争、反米・英・イスラエル運動の前進、
 (カ)資源をめぐる米・欧・中の争奪的介入に対抗しつつ、アフリカ会議によって独自の勢力を形成し始めたアフリカ諸国の動きなどは、
世界はもはやアメリカやヨーロッパの指揮に従って動くものではない事、そのような時代はとうに過ぎ去ったことをはっきりと示している。
 
 この20世紀後半を支配した米ソ二超大国の顕著な没落と新たな勢力の復活・台頭による世界の多極化を、かつてハーバード大のハンチントンは「文明の衝突」として描いたが、現実の世界はそのような評論家的でシニカルで皮相なものではない。
 そうではなく、第一には、コロンブス以来500年にわたって、スペイン・オランダ・ポルトガル・イギリス・フランス・ドイツ・ロシアそしてアメリカ・日本などの強盗諸国の残虐な侵略と略奪によって、悲惨な生活におとしめられていたこの地球上の9割を占める被抑圧民族と人民が、帝国主義勢力の漸次的衰退とその支配体制の破綻の中で、世界的規模で、帝国主義の支配をはねのけ、自らの民族とその文化の存在と生存を、今初めて、世界的規模で公然と主張し始めているのであり、
 第二には、その人民運動の前進を基礎にして、衰退しつつあるアメリカ、崩壊し再興しつつあるロシア、復活したイギリスやヨーロッパ・日本などの旧帝国主義諸国に対抗して、新興の中国とそれに続くインド・ブラジル・イランなどの国々が、相次いで生産力を増大し、独自の主張を展開してきているのである。
 だから、今眼前で起こっている事は、単純な「文明の衝突」などではなく、被抑圧民族・被抑圧人民の闘争の前進を基礎にして、古い帝国主義世界全体が、ゆっくりとだが着実に、地滑り的に没落に向かい、中国、インド、ブラジルなどの新しい大国が、そして工業化したアジア地域が最大の工業世界として頭をもたげてきているということなのである。 
 また近年、イタリアのネグリやハートは、一連の著作の中で、彼らの「帝国」論を展開しているが、そしていつものように日本の「左翼」の間では、これは何か流行のアクセサリーのように持てはやされているが、この論も、現実の帝国主義を彼らの凹レンズの目を通して巨大なもの(虚像なのだが)として描き、これほどに帝国主義の支配を突き崩して進んでいる世界の人民運動を、初期の魯迅や、石川啄木が慨嘆したような、さらさらと指の間から落つる砂粒のような、得体の知れない無力なマルチチュードとして描くことによって、「左翼インテリ」の中にはある種の満足感を、民衆の間には無力感やあきらめを撒き散らしそうとている。 
 また、この「帝国」理論は、仏独を枢軸とするヨーロッパの弱小帝国主義連合=EU結成の動きを「帝国」概念で捉えた程度のものであって、現実の世界の跡をとぼとぼと後追いしている程度のものでしかない。ただ、ソ連・東欧圏の崩壊後、世界のマルクス主義の陣営が深い混迷の中にあり、資本主義を克服する積極的な未来を提示し得ない事こそが最大の問題であり、それはネグリ・ハートばかりでなく直接我々自身に迫られている問題でもある。
 しかし、そのような理論的な遅れなどはものともせず、現実の世界は、支配され、搾取され、収奪され、踏みにじられながらも、世界のあらゆる富の生産を担っている各国人民の、帝国主義や各種の支配者・収奪者に対する闘争によってじりじりと前進を続けており、巨大な歴史の歯車は帝国主義と一切の諸悪を巻き込んで、ギシギシと回り続けている事もまた確かである。

 21世紀は、ソ連東欧「社会主義圏」の崩壊に続いて、
(ア)世界中に軍事基地を置き、30万人(イラク・アフガンを加えると50万人)もの軍隊を常駐し、国際通貨ドルの一元的な支配によって世界に覇を唱えようとしたアメリカ帝国主義が、政治的にも経済的にも破産し、決定的な没落に向かい、(ベトナム戦争での敗北に続いて、アフガンでもイラクでもアメリカは10年と持たずに敗北するであろうし、それぞれ年間40〜50兆円にも上る国際収支と財政収支のいわゆる双子の赤字を累積し続けているアメリカの財政破綻もそう遠くはないであろう)
(イ)同時に、過去500年にわたって、我が物顔に世界に進出し、世界中の富を略奪し、栄耀栄華を誇ってきた西洋世界も、「後進世界」の工業国化の中で次第に相対化され、それに代わって、超大国中国が、そしてそれと共にアジア世界が、世界の中心に躍り出て来ようとしているのである。
 だが、歴史はそれで終わりではない。それと共に、世界の労働者階級、農民を中心にした反帝平和と人民の民主主義政権を目指す人民闘争は、レーニン主義=スターリン主義の呪縛から解き放たれ、新たな革命理論の創造を通じ、帝国主義や各種の反動勢力との闘争を通じて、必ずやそれらを打倒し、労働者・農民の新世界を築いて行くであろう。諸民族と諸文化が百花繚乱し、国家の消滅を通じて、働く者達が、協同し、交流し、共に進歩するアソシエーション世界が実現されるであろう! 

(注1)これは決して私の独創ではない。かつてレーニンやトインビーなども、遠い将来の問題としてではあるが、中国やインドが世界史を決定する勢力として登場して来るであることを予測していた。そしてそれが今現実化して来ているということなのである。また。この小論を書いた後で、私は、かつて「ミスター円」と呼ばれ、官僚の中の官僚である大蔵省の中枢にいた榊原英資の、「アジアは近代資本主義を超える」(中央公論社刊)を手に入れて一読したが、榊原は私とは正反対の、日本帝国主義ブルジョアジーへの提言という観点からだが、現代世界の動向という点については、ほとんど同一の結論に至っている。この本の中で榊原は、ブローデルやウォーラースティンやアンドレ・グンダー・フランクの説を紹介しているが、それを読んでさらに勉強の必要を感じた。例えば、かつてサミール・アミンと並んで従属論の旗手であったフランクは次のように述べているというのだ。
 「とにかくも客観的に世界経済を検証してみれば、千年前の宋代の中国が、そのなかで優越的な地位を持っていたことは、すぐに分かることであるが、ことはそれだけでは(なく)・・・世界経済におけるアジア、特に中国の優越性が、少なくとも1800年までは継続していた・・・。東洋が衰退をはじめ、西洋が支配的地位へ昇り始めたのは、1800年に至って初めてのことである。ーーそして、それもまた一時的な事のように思われる。実際、世界経済は、その方向づけを戻す(リオリエント)気配を見せており、アジアは1800年を過ぎるまで『伝統的に』その手中にあった世界経済における(『中心的』ではないにしても)その優越的な地位を再び占める可能性が出てきている。」(アンドレ・グンダー・フランク著、山下範久訳『リオリエントーアジア時代のグローバルエコノミー』藤原書店・2000年)「リオリエント」という本の表題は、 「界が再び(Re)、オリエント(東洋)に方向転換(リオリエント)するという意味の掛詞となっているらしい。

(注2)20世紀における反帝民族解放革命の本質は、外国帝国主義の支配を廃絶し、統一した国内市場の形成を基礎に民族主義的国民国家を創出するブルジョア革命である。しかし、帝国主義列強の支配が世界の隅々まで行き渡っている20世紀においては、植民地・半植民地や従属国において、微弱な民族ブルジョアジーの力では革命を勝利に導くことなど論外であって、中国やベトナムに典型的に見られるように、どうしても国民の大半を占める農民階級を主力軍とした農民戦争に頼らざるを得なかったし又今もそうである。そして、戦後世界の「共産主義運動」においては、この農民戦争による民主主義革命がプロレタリア革命に連続的に転化したように長期にわたって喧伝されてきたが、実際には、たとえば中国においても、ベトナムにおいても、北朝鮮においても、さらに言えばロシアにおいてさえ、そこに成立した政権は、「社会主義」を唱えながらも、民族主義を基礎に、封建的要素を色濃く残したブルジョア独裁政権であった事、「労農政権」などでは決してなく、逆に労働者・農民を専制的に支配し、例えば「収容所群島」と称される如く苛酷に搾取・収奪する政権であったことは、今となっては全く明らかであろう。だから、反帝民族解放運動をプロレタリア革命運動と同一視して、その革命によって成立した政権が資本主義の道を歩むのを(例えば中国やベトナムなど)、「革命の変質」などというのは事の本質を理解していないものといわざるを得ないだろう。植民地・従属国が、民族解放革命の継続として自国のブルジョア的発展へと進んでいくのはその社会の到達段階から言って当然であるが、そこに成立した権力が帝国主義列強の包囲の中で自力で産業革命を成し遂げ(近代的工業を移植し)国民国家を創出するために、社会主義の看板を掲げて、労働者や農民を民族主義的国民国家の建設とその強化・発展のために一貫して動員してきたというのが紛れもない歴史的事実なのである。それゆえに、歴史的に見れば、日本の天皇制独裁国家やソ連や中国の共産党独裁国家、韓国の朴正毅独裁政権やアジア各国の開発独裁政権などの、革命の結果成立した独裁権力が、民衆をナショナリズムであおりながら強権的に国民国家を創出し、先行する列強に追いつきその仲間入りをしてきたのと同様のことが、反帝民族解放運動の継続として、さらに言えば戦後成立した「社会主義陣営」の中で一貫して行われて来たと言えるであろう。中国やインドやアセアンなどの資本主義の発展が「反帝民族解放闘争の継続的発展」と言うのはそういう意味においてである。  (北山峻)案内へ戻る


西村議員の二つの顔

怪しげな錬金術師としての顔

 一一月二八日、奔放な発言で知られる民主党衆院議員の西村真悟氏は、弁護士法違反容疑で逮捕された。西村容疑者の法律事務所を仕切っていた鈴木浩治容疑者が、非弁活動で請求した保険金総額は約九億円で、その報酬総額が約三億円に上ることが分かった。
 鈴木氏は交通事故による保険金のうち最低でも一割、多いケースで五割程度を報酬として依頼者から受け取り、この中から三千数百万円が、「名義貸し料」として西村容疑者側に流れていたことも判明した。一部は政治活動にも使われており、大阪地検特捜部と大阪府警は、使途の全容解明を進めている。
 調べでは、西村容疑者と政策秘書の佐々木俊夫容疑者らは、鈴木容疑者が非弁活動をしていると認識しながら、西村容疑者の弁護士名義を使うことを認め、九八年五月〜昨年二月、四三回にわたって示談交渉などを請け負わせ、保険会社から保険金を振り込ませた疑い。これを含めて計一九0件以上の保険金請求が確認されている。
 「せっかくの弁護士資格。使わないのはもったいない」と西村議員の政策秘書・佐々木俊夫容疑者は思い、知人の鈴木容疑者を紹介したという。佐々木容疑者の説明では、八八〜八九年ごろ、友人から鈴木容疑者を紹介された。同容疑者は「自分は交通事故訴訟案件に詳しい。この能力が使えないか」と売り込んできたという。
 大阪府堺市にあった西村議員の法律事務所は、九三年に初当選して以来“開店休業”状態。西村議員は引き合わされた鈴木容疑者を見込んで、九八年ごろ大阪市内に法律事務所を移し、業務をさせることにした。鈴木容疑者は「西村真悟法律事務所事務局長」「事務所長」などと名乗った。西村容疑者側と鈴木容疑者との間に雇用関係はなかったが、弁護士業務を任された鈴木容疑者は、現職衆院議員で弁護士の「看板」を最大限に生かそうと、「西村真悟法律事務所事務局長」などと刷り込んだ名刺で、依頼者との交渉にあたった。
 当初、西村容疑者側と鈴木容疑者の間では、保険金の一割を報酬として依頼者から受け取り、それを折半することで折り合っていた。ところが、一割を超える報酬を鈴木容疑者から請求された依頼者もいた。西村容疑者は調べに「報酬はずっと一割と思っていた。(鈴木容疑者が)約束を超える報酬を受けていたことは知らなかった」と供述している。
 昨年一一月には、鈴木容疑者が引き受けた依頼者が「報酬が高過ぎる」として、西村容疑者に対するトラブルの調停を大阪弁護士会に申し立てたケース(その後取り下げ)もあった。「他の政治家は支援者の相談に乗り、役人に口を利けば、謝礼とか金が入るシステムを持っている。西村(議員)はそれがなかった。金に無頓着なこともあり、金がなかった」と西村議員と親しい地方議員は語った。ある大阪府議は「西村議員は選挙にお金のかからない人。全国から支援者が集まって手弁当で協力してくれる」とのことで思想信条に共鳴した支援組織「日本真悟の会」は全国に約四0支部あるという。
 それにしてもこんな悪辣な事件が今まで発覚していなかったことはこの事実を握りつぶす勢力がいたことを伺わすに充分なものがある。ではなぜ今回発覚したのであろうか。

危うい言論人としての顔

 西村真悟氏というと一般的には、独自の国家観などから過激な言動を繰り返すこわもての面が知られている。まさに彼が得意とするこの面から彼は追いつめられたのである。
 過去には「国防軍にふさわしい法整備が必要」「軍務に服することは国民の奉仕に含まれる」「専守防衛は不道徳な思想だ」などの発言や新進党に所属していた九七年五月には中国も領有権を主張する尖閣諸島に上陸したこともあった。自由党所属で防衛政務次官だった九九年一0月には、週刊誌の対談記事で日本の核武装の検討を主張し、集団的自衛権を「強姦されている女を男が助ける原理」などと述べ政務次官辞任に追い込まれた。
 政界でも孤立をしているといわれる。ある民主党衆院議員は「西村君は変わり者。政界では旧民社党系の議員でもあまり付き合いはないはずだ」と話す。北朝鮮による拉致問題に一緒に取り組んだ自民党衆院議員は「暴力団まがいの行動右翼とも付き合い、民主党内でも浮いていた。党のイメージを壊していると迷惑がる民主党議員もいた」と証言する。そもそも鈴木浩治容疑者は過去に政治団体に所属していた右翼活動家で、西村議員を支援していたという。これが出会うきっかけともなったのである。
 この逮捕劇に関して、藤井昇氏のメルマガでは次のように書かれている。

 西村先生自身の弁明によれば、今年1月にこの“非弁活動”の事が問題となり、4月には罰金を払って一件落着していた、との事である。一度解決済みとされた問題が再び蒸し返された、とはどういう事か。小泉政権による、西村先生への政治攻撃の可能性が大いにある。その理由は2つ考えられる。
 第一に、小泉首相は、対北朝鮮国交正常化を狙っているようだ。金正日政権が続く限り、拉致問題を完全に解決しての国交正常化という事は有りえない。
小泉が拉致問題の完全解決を棚上げしての(大部分の拉致被害者を見殺しにしての)国交正常化を画策しているとすれば、この場合最も強力な柱になるのは、西村先生その人である。
 第二に、これはこのメルマガ上で既に指摘した事だが、小泉は民主党に大連立構想をもちかけている。大義(建前)は憲法改正であるが、本音は「小泉翼賛体制」確立による真の愛国者の排除である。この場合も反対派の急先鋒になるのは西村先生その人であろう。
 小泉首相が(より正確にはその側近が)上記のような理由から、西村先生の政治的抹殺を図ったとしても、少しも不思議ではない。西村先生に隙があったのは確かではあるが・・・。

 私もこの見解には同感である。更にいえば、西村真悟議員は、総選挙後の議員集会で、「小泉首相は、日本をマネーゲームに投げ込もうとしている、あいつは狙撃してもいい男ですよ」という演説をやってしまった。こんな事を公然といってしまっては国会議員の見識が問われてしまうというものではないか。ここにおいて、奇矯の士・西村真悟氏は、小泉首相と飯島秘書官に決定的に睨まれてしまったのである。
 「国民に率先垂範していかなければならない議員が、政治不信を増大することになった。心からおわび申し上げたい」と西村議員逮捕を受け、民主党の前原誠司代表は、苦渋の表情を浮かべながら、記者団に語った。民主党は臨時役員会で、西村議員を党倫理規則に定められた三段階の処分のうち最も重い除籍(除名)にすることを決めた。西村議員は一一月二八日、秘書を通じて離党届を提出したが、党側は受理しないで処分を科す。また、西村議員が政党名で当選した比例代表選出である点を踏まえ、あえて同規則には基づかない議員辞職も同時に求める方針だという。
 前原代表就任の翌日には、小林憲司前衆院議員(愛知7区で落選)が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、新体制の出はなをくじいた。一0月に入ると、計屋圭宏前衆院議員(神奈川一0区で落選)が公選法違反(買収)容疑で逮捕され、五島正規衆院議員(比例四国ブロック)の政策秘書も同容疑で逮捕された。
 四件目の事件という打撃に、前原氏は「反省すべきところは反省し、本来の任務である政策立案や政府・与党の問題点を追及するなかで信頼を回復するしかない」としている。
 ただ、今回の事件を巡っては、西村議員から「非弁活動を知らなかった」との報告を真に受けた鳩山氏が、何の確認もしないまま、会見で「党として対応する必要はない」と述べるなど、民主党執行部の危機管理の甘さも露呈した。民主党が信頼を回復し、党再生をはかる道のりは険しそうだとは全マスコミの一致した見方である。
 自民党にすり寄る前原民主党を解党に追い込むためにも西村真悟破廉恥事件を徹底して暴露し労働者民衆の大衆行動を組織し闘っていかなければならない。  (佐藤啓治)


タブーに触れない竹中平蔵・総務大臣の国有財産売却論

国有財産売却論争―竹中氏VS財務相

 国有財産は売却するべきかまたどれだけ売却できるのか――国家財政再建の手法としての国有財産の売却を巡って、政府・与党内で、こんな議論が白熱しているという。
 それは国債発行残高が六00兆円にも達する日本国家を、「株式会社」に見立てて、会社の資産売却で得た資金を、「会社」再建のため借金の返済に充てようとの発想からだ。
 「小さな政府」の立場からその実現を唱える竹中総務相らが、実効ある大胆な計画を求めるのに対して、財布を預かる立場の財務省は、「非現実的な計画は無責任」と抵抗しているとのことだが、この案に自民党も検討に乗り出して、売却論争の渦は、NHKの民営化の話までも飛び火し広がる一方なのである。
 総務大臣でありながら、未だ経済諮問会議のメンバーでもある竹中大臣は「非常に驚いた。この目標で国民が納得するだろうか」と今月半ばの経済財政諮問会議で、政府の資産圧縮に関する民間から議員の提出資料を激しく批判した。「対国内総生産比を、今後一0年間でおおむね半減させる」という目標は当初、例外を設けず「総資産」を対象にするはずだった。しかし、提出資料では対象から公務員宿舎などは除かれ、「金融資産」に限定されていたからだ。その後、小泉総理の意向で、一転公務員宿舎の売却が具体化した。
 竹中氏は経済財政相だった今春、資産・負債管理問題を提起して、諮問会議の民間議員と連携して資産売却策の検討に乗り出した。これに対して、財務省は「政府の資産には簡単に売却できないものが多く、総資産を半減させるのは非現実的」と強調する。諮問会議が民間有識者も招いて九月に立ち上げた検討会では、道路や港湾、ダムなどの公共用財産、特殊法人への出資金などを「売却困難」と指摘し、竹中氏側や有識者らと激論を展開した。
 竹中氏は、自らが総務相に転じた直後の民間からの議員の変節を、「財務省による骨抜き」と見て、一気に怒りを爆発させた事が背景にはあったのである。
 実際、日本政府の総資産は一般会計・特別会計合わせ六九五兆円(0三年度末)でGDPの約一・四倍、日本より経済規模の大きい米国の五倍にも達している。
 うち、財務省が半減可能とする「金融資産」は約四00兆円だという。外貨準備が大半の現金・預金や有価証券、公的年金がらみの運用寄託金など「売却困難」なものもあるが、約七割を占める「貸付金」は、縮小を進める財政投融資が大半だからだ。
 一一月二四日、細川財務事務次官は、記者会見で「米国と日本では制度が違う」と単純な資産額の比較を牽制すると、一一月二五日、竹中氏は、記者会見で「国が違えば制度が違うのは当たり前。言い訳的な議論でなく、どうしたら資産を圧縮できるか議論してほしい」と反論した。確かに竹中大臣のこの点での奮闘は誰にでも確認できる事なのではある。

竹中大臣にとってのタブーとは

 竹中大臣はそれこそ今獅子奮迅の活躍なのだが同時に彼が口を固く閉ざす問題がある。
 日本が持っている国有資産のうち外貨準備について、財務省は「売却困難」といっている。もちろんこれはウソである。しかし、ここでは問題にするのは止めておこう。
 単独では日本国の最大の資産は、米国債である。米国債への投資ランキングの世界一から三位までを紹介すると、一位・日本、米国債(短期債含む)投資は六七九五億ドル 二位中国、同二二三五億ドル、三位英国、同一二二九億ドルである。百二十円レートで換算すれば、八一・五四兆円であり、百三十円レートで換算すれば八八・三三五兆円買っていることになる。ここ二0年ばかりの為替レートの変動により、この額が実際の所、どれ位の減価が進んでいるかについては、正確な把握は大変困難なことであろう。もちろん竹中大臣と論争する人々もこの点は一切語らない。これによって竹中大臣の偏頗な議論が徹底して暴露されることはないので、彼は財政再建の闘士然と振る舞えているのである。
 竹中大臣は、かって郵政民営化委員会の審議に際して「資本の内外差別はしては行けない」というものの売却する資産については、実際は売れもしない橋やダムなどの財投資産ばかりをあげつらってきた。彼が本気で国有財産の売却を取り上げる気ならこの米国債資産を圧縮するという観点こそ強調しなければならないことは全く明らかなことだ。しかしこの重要な論点を竹中大臣はもとよりマスコミは一切議論すらしていないのである。
 この点からも竹中レンタル大臣とのあだ名は実に的確無比だといわなければならない。
 このように郵政民営化による国民資産の外資への売却にしても、米国債売却を口にしない竹中大臣や政府首脳にしても、この抜本的な日本国家財政再建案を提示すらしないで、再建案の中軸とする具体案を庶民大増税に求めていることは明らかである。
 アメリカ国債の売却を口にしただけで橋本龍太郎は総理大臣を更迭され、今や政界から引退を強制されて橋本派は、自らの身から出たさびによりボロボロにされて消滅しつつある。ついで売却をほのめかした親中国派の加藤紘一も叩きつぶされてしまった。アメリカの威光は日本政界では恐ろしいまでの力を秘めている。それゆえ、小泉と竹中の無理無体な政治が、何の抵抗も受けずに続けられているのである。
 労働者民衆の大衆行動でこの大増税に反撃していかなければならない。 (猪瀬一馬)


義務教育国庫負担制度は国の負担割合が二分の一から三分の一に

 一一月三0日、政府・与党は、06年度までの三位一体の改革にかかる国庫補助負担金の改革及び税源移譲について合意しました。義務教育費国庫負担金にかかわる合意事項は、次のとおりです。

<義務教育費国庫負担金部分の合意内容>
 義務教育制度については、その根幹を維持し、義務教育費国庫負担制度を堅持する。その方針の下、費用負担について、小中学校を通じて国庫負担の割合は三分の一とし、8,500億円程度の減額及び税源移譲を確実に実施する。また、今後、与党において、義務教育や高等学校教育等の在り方、国、都道府県、市町村の役割について引き続き検討する。
<代替財源についての合意内容>
・義務教育費国庫負担金については削減額と同額の税源移譲を行う。
・公立学校等施設整備費補助金については、削減分の約5割程度を税源移譲する。
・税源移譲は、平成18年度税制改正において、所得税から住民税への恒久措置として行う。したがって、住民税への移譲の時期は19年度からとなる。なお、来年度については、所得譲与税によって措置する。

 このように今回の義務教育費国庫負担制度は堅持されたものの負担割合が二分の一から三分の一に縮減され、また恒久措置についても確言されていないことから、来年度再議論が行われることも予想されるなど、到底私たちが満足できる内容とはなっていません。これに対して、日教組は、同日ただちに記者会見を行い、「義務教育費国庫負担金の削減に抗議する日教組声明」を発表しました。

<義務教育費国庫負担金の削減に抗議する日教組声明>(抜粋)
・政府・与党は、義務教育費国庫負担金について国の負担割合を三分の一とする大幅削減を決定した。また、恒久措置については若干あいまいな部分がある。
・地方六団体は、今後増えることが確実な生活保護や高齢者関係の費用の税源移譲は拒否し、人数が減少するだろう子どもの費用の移譲を求めた。そこには、教育論など何もない。
・憲法で、義務教育について「だれもが無償でひとしく受ける権利」が保障されている。子どもたちが、その居住地や家計の収入の多寡にかかわらず義務教育をきちんと受けられるようにする必要がある。そのため、国は優先的に義務教育の財源は確保するということが、義務教育費国庫負担法である。
・子どもたちへの教育の失敗は取り返しがつかない。
・日教組は教育関係者とともに、六三七万人もの制度堅持の署名を国民から集めた。義務教育費国庫負担金削減について抗議するとともに、その撤回を強く求め、国民からも異議を唱えていただくよう訴えるものである。

 この間、全国の日教組各県組織は、義務教育費国庫負担制度堅持にむけて、地元国会議員への訪問要請・はがき行動、自治体首長への働きかけ、街頭行動、一一月一八日には教育の危機宣言にあわせた新聞意見広告を掲載する等、多岐にわたる積極的なとりくみを展開してきました。確かに、従来の比較すれば今回のとりくみは多様で広汎に闘われたといってよいでしょう。しかしながら日教組組合員の自らの問題として認識されストライキなどの大衆行動を軸にした闘いが行われなかった結果、制度堅持は守りきれなかったのです。この事が最近の日本の冷酷なほどはっきりしてきた階級社会化が一層進む契機となることは明らかです。全く残念だとしか言うことはありません。   (笹倉)


色鉛筆・・・民間保育園日誌3

 NO308号で1歳児12人の子供達と散歩していることを紹介したが、その5日前の10月27日にS県で散歩中の保育園児の中に車が突っ込むという痛々しい事故が起こった。その情報が流れるとすぐに事故防止のためのリーダー会議が開かれ、次の日には道路の右側でも左側でも安全な歩道があるところを歩き、交通ルールをしっかり守って常に安全確認をして気を締めていくことが確認された。と、そこまでは良かったが園長から「また事故が起こると困るから1週間は散歩を中止します」という伝達があり、驚いてしまった。私達も好きで毎日散歩に行ってるわけではない。園庭は、幼児クラスが所狭しという状態で遊び回っていて、安全に遊べる乳児専用の庭がないから毎日散歩に行って安全な公園、広場で遊んでいるのだ。散歩を中止というならばいったいどこで遊べばいいの?と悩みながら、1週間園庭を歩き回ったり、園庭の隅を乳母車などで囲って狭い中で遊んだりした。狭い中で遊ぶことも危険と隣り合わせで子供達も保育士もつらかった。この様に事故が起こると、何故か管理者というのは「事故が起こらないように」とその場的な対処しか取らないようだ。安全に散歩に行く為には、保育士の人数を増やしたり、乳児が安全に遊べる園庭をつくったりするなどの根本的解決はしてくれない。すべて保育士に負担をかけてくる。
 そして1週間が過ぎ、園庭での遊びはもう限界と言うことになり、リーダー保育士が散歩に行っていいかどうか園長に尋ねると「事故の前は誘導用ロープを使って歩いていたようですが、安全の為に乳母車で行って下さい」と言われた。4月当初、1才だった子供達も2才になり体重も10kg以上になって大きくなっている。その子供達を5〜6人狭い乳母車に乗せて散歩に行けと言うことなのだ。5人で50kg以上でその重さはずっしりとくる。園長命令には、正規保育士達は文句一つ言わず黙って従うだけで、パート保育士である私もグッと我慢するしかなかった。避難訓練の時は、それ以上に最悪で、安全な場所に早く避難する為には、50kg以上ある乳母車を押して約18分間走った。息苦しくて体中が痛くなり、保育士というのは肉体的労働であることをつくづく感じた。本当に地震、火災などが起こった時には、どうなるのかとても不安だ。そうした為にも保育士の人数は増やして欲しいというのが切実な願いだ。
 しかし、民間保育園は公立保育園に比べて、クラスを持たないフリー保育士の人数が少なく、遅番、早番の代わりにクラスに入ってくれるパート保育士もいない。その為に、突然体調を崩して休みを取る保育士がいると複数担任のいるクラスから1名の保育士がまわされたり、また遅番で9:30に出勤する保育士がいるクラスでも、8:30〜9:30の時間帯は、いつもより1名少ない保育士で保育している。こうすることによってなんとかまわっているが、保育士が見る子供の人数は増えるのだからまたまた保育士に負担がかかってくる。本当に民間保育園は、保育士の負担が大きく労働時間も長く仕事量も多く休憩時間もない。その為か若い保育士達が多く、息子達と同じ年頃の20代保育士達と一緒に仕事している。4月、公立保育園で看護師をしている顔見知りのDさんの子供さんのクラス担任になると「先生位の方がいてくれるだけで安心感がありますよ」と言ってくれたひとことが心に残っている。(年を重ねてきた保育士も捨てたものではない)(美) 案内へ戻る