ワーカーズ316号 2006.3.1. 案内へ戻る
野党のていたらくを乗り越え、小泉自民党の新自由主義政治に反撃を
「4点セット」を大衆行動で徹底追求しよう!
年明けとともに開始された164国会は、耐震偽装、ライブドア、BSE、防衛施設庁の談合問題などの「4点セット」が世論の関心を集める中、野党が政府・与党を追いつめる絶好の機会だと見られていた。ところが、民主党の永田議員による、自民党の武部幹事長・ライブドアの金銭疑惑暴露の失敗によって、攻守がところを代えてしまった。永田議員は、入手した情報をきちんチェックしないまま国会で取り上げ、一転して窮地に陥ってしまったのである。
民主党の前原代表や野田幹事長は、永田議員と民主党が自民党・ライブドアの疑惑を追及しようとした姿勢は正しかったなどと弁明している。しかし永田議員や民主党の日頃の言動や政策を知る者にとっては、彼らによるライブドア・自民に対する追及がまともな政治的信念から出たものではないことは明らかだ。他ならぬ民主党自身が企業からの政治献金を自民党と競い合い、しばしば違法な金銭授受にさえ手を染めてきた(石井一、中野寛成、鹿野道彦等々)ことは周知の通りだ。永田議員や民主党は、自民党への攻撃をただセクト的な思惑から行ってきたにすぎず、彼らがこの問題を極めてずさんなやり方でしか取り扱えなかったのは、そうした政治的信念の欠如、自分たち自身の企業依存体質の結果なのだ。
メールの根拠が怪しくなったとたん病院に逃げ込む醜態を演じた永田議員、自らの責任に飛び火するのを恐れて永田議員の辞意を翻意させようとした野田氏や前原氏、前原体制に不満を持ちつつも火中の栗を拾うのは損だと保身を優先する菅氏や小沢氏。民主党の中はどこを見渡しても無責任と保身の輩ばかりだ。
民主党の腰の据わらぬ姿勢を見透かした小泉は、前原氏らの失態追及に手心を加え、温情さえ示そうとしているかに見える。前原民主党は基本路線では小泉自民党と同じ新自由主義改革路線をとっておりくみしやすいと小泉自民党は考えているのだ。そして民主党は、表面では強がりを言いつつ、この自民党の手加減に密かに胸をなで下ろしているのだ。こんなことでは、自民党を正面から批判し、根本から追及していくことなどできるわけがない。
小泉の新自由主義政治の問題性を物語るものは先にあげた4点セットばかりではない。何よりも、リストラ、低賃金、不安定雇用、社会保障制度の切り捨てなどによって日々の生活に困難を来す労働者・庶民が急速に増えつつある。多国籍大企業や勝ち組エリート集団の利害を最優先し、労働者・庶民にその犠牲をしわ寄せする小泉政治に対する本質的な批判と根本的な反撃の開始が求められている。民主党の自損行為と信用失墜は、そうした新しい闘いの必要をこそ教えるものである。折しも春闘の真っ最中である。労働者と広範な市民とが手をつないで、自民党政治への批判の声を突きつけていくときである。 2月25日 記 (阿部治正)
ライブドア捜査の現段階
送金指示メールの信憑性と民主党の危機
二月十六日、永田民主党議員が、武部勤自民党幹事長の二男に対して三千万円の資金提供を指示した「堀江メール」を衆院予算委員会でとりあげてた。そのメールを巡って、東京地検がただちにといってよいほどの早さで「全く把握していない」と異例のコメントを発表した。これを受けて、小泉総理や政府・与党の側から「ガセネタだ」と反論され、永田議員も民主党もそれが本物だという証拠を提示できず、窮地に陥っている。
武部氏は、メール問題が連日報道されることに関して「小泉首相は『有名税だからしょうがない』と言うが、有名税にしては高すぎる」とこぼしつつ、この問題を取り上げた永田衆院議員らに対し、そのテレビでの発言に関する損害賠償請求訴訟などの準備を進めていることも明らかにした。
言わずもがなの原則は、時の政府・与党の疑惑を、本格的に野党が追及するのなら、その追及に関わる材料や資料は間違いのないものでなければならない。この原則が守れなければその野党に対する信頼は一挙に崩壊はする。一般的に言っても、野党に対しては、時の与党への私的不満や私情に絡んだうっぷんをに関わって様々な情報が集まるものである。だからこそ、それをいかにきちんと選択して調査し、裏付けるかが問われているのだ。
二月二十四日、一貫して永田議員を擁護してきた前原代表自身も、ここにいたって「百パーセント、メールの確証がないということには、われわれに非がある」と言わざるをえない状況になったにもかかわらず、前原代表は党参院議員総会のあいさつで、「徹底的に疑問をはらしていくことが党としてやらなければならない大きな説明責任だ」と強調し、現時点では、野田佳彦・国会対策委員長ら党役員が引責辞任はないとの認識を示した。これに対して、自民党の武部幹事長は記者会見で、送金メール問題を指摘した永田衆院議員が議員辞職しない場合は、衆院懲罰委員会で処分を求める考えを示した。
民主党は、永田氏を辞職させれば「国会で疑惑を追及する議員が委縮し、将来に禍根を残す」と判断しており、党内では「だれかが辞めなければ、混乱は拡大するだけ」として、引責に言及した野田佳彦国対委員長の辞任論も強まっている。二月二十五日、前原誠司代表は、京都市内の会合で、「真相究明について引き続き頑張ってもらう」と述べ、野田委員長の辞任の必要はないとの認識を示した。
まさに民主党は危機にあり、自民党と攻守ところが変わってしまったのである。
ライブドアに対する疑惑の深化
二月一日、ライブドアグループの証券取引法違反事件で、同社が企業買収の際に相手側に渡した自社株を高値で売却して最終的にライブドア側に資金還流させていた仕組みなどに、スイスや香港に開設された金融機関の口座が使われていたことが発覚した。その狙いは、資金の流れを見えにくくして、違法な収益を合法的な資金に見せ掛ける資金洗浄や裏金づくりに利用された可能性もあるとみられる。
東京地検特捜部は、金の流れなどに不審な点がないか、堀江前社長や財務の責任者だった前取締役宮内前取締役らに説明を求めているとみられる。使われたのは、スイスに本拠がある金融機関など。スイスのほか香港の口座でも取引があったと伝えられている。
さらに二月十二日、ライブドアグループの証券取引法違反事件で、堀江前社長らは、株式交換による企業買収を利用して株売却益をライブドア側に還流させる際、複数の投資事業組合を介在させ、スイスや香港など海外の金融機関や、タックスヘイブンの企業を経由させていたことも発覚した。こうした仕組みを構築することで、ライブドアが多額の利益を得る目的であることを分かりにくくしていたとみられる。
インターネット関連企業「ライブドア」の二00四年九月期決算で、粉飾総額は連結ベースで約五十億円に上り、このうち十四億円を超す同社の単体決算粉飾に熊谷代表取締役が深く関与していたことが明らかになった。
熊谷代表取締役は、宮内前取締役の意向を受け、傘下にあった会社の預金などを自社の売り上げに付け替える工作を、直属の部下に指示していた。これにより、東京地検特捜部は、堀江前社長ら4人と熊谷取締役を、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で本格的に取り調べる方針だ。
容疑は、ライブドアの粉飾決算は、〈一〉子会社にする予定だったサイト運営「キューズ・ネット」など二社の預金など十四億数千万円を単体決算の売り上げに付け替え〈二〉売り上げと認められない自社株売却益三十数億円を連結決算の売り上げに計上〈三〉子会社のコンサルタント会社の架空売り上げ一億円余を連結決算に算入――などだが、このうち、熊谷取締役は〈一〉の付け替えに関与。直属の部下だった経営企画管理本部の幹部に、ライブドアの各事業部がキューズ社などと正常な取引があったように仮装する工作を指示していた。また、金融子会社「ライブドアファイナンス」中村前社長は、〈二〉の自社株売却益の還流工作に利用した海外口座の開設などに、関連会社「ライブドアマーケティング」岡本前社長は、〈三〉の架空売り上げ計上に、それぞれ関与していた。こうした一連の不正経理は、グループ財務責任者だった宮内被告は、堀江被告の了承の下で、統括・指示していた。
堀江前社長は、未だ否認を続けていると伝えられているが、このように外堀は完全に落とされてしまっているのである。
武部幹事長の逡巡とライブドアの闇
ライブドアの疑惑は相当に根深いものがあるようだ。実際にも、スイスや香港やタックスヘブンも関わり、広域暴力団の存在も取りざたされており、その闇の深さは私たちの想像を遙かに超えている。
そもそも「堀江メール」が永田議員により予算委員会で持ち出され大問題に発展した時、武部幹事長自身が、記者団に取り囲まれ弁明した際、明らかに戸惑いかつ逡巡する虚ろな表情を見せたことも、この疑惑の拡大に大いに貢献したと言える。その時、武部幹事長には、当然のことながら、この話を直ちに否定できるものが全くなかったのである。
昔から「子を知るに親に如くはない」との格言がある。武部幹事長にとっても、話題の渦中にある次男とは、親の目から見ても、まさに何でもありの人物だった。それ故の幹事長の逡巡と当惑であったのである。
今問題となっている武部幹事長の次男は今海外にいるという。なぜ今海外にいるのかということに関して、何の報道もない。ここに大きな秘密がある。この点での全面的な解明が政権政党に果たして出来るものなのであろうか。私たちは疑問に感じてはいる。
このように大きな問題の存在を確かに感じてはいるが、残念ながら今私たちに真相に踏み込める力量はない。このこと自体は私たちにとっても全く腹立たしいことではある。
私たちは、かくも落剥した堀江前社長を、「我が息子」と褒め称えた武部幹事長や「改革の旗手」と持ち上げてきた竹中大臣の政治責任を断固追及することで、自らの責任を果たしてゆきたいと考えている。 (猪瀬一馬)
一番機は飛んだが
2月16日、神戸空港が賑々しく開港しました。しかし、誰もが祝福して、ということではありません。経緯はどうあれ開港した以上は賑わってほしい、というのが大方の神戸市民の偽らざる気持ちだと思いますが、開港から始まる借金返しの現実から逃れることはできないのです。
開港の前日、空港建設反対派総結集の開港反対シンポジウムが開催され、私も参加してきました。開港当日も、朝6時から現地での抗議行動や昼休み時間の市役所前抗議行動など多彩な行動があり、開港のお祭り騒ぎに一矢報いました。残念ながら、私は仕事でこの行動には参加できなかったのですが、シンポジウムで報告された空港の諸問題を紹介します。
まず第一に建設費の償還や維持費など、赤字がどの程度になるのかが大問題です。第二は安全性の問題、狭い空域や強い風が難題です。そして環境問題、空港島が潮流をさえぎり、大阪湾の汚染が進んでいます。さらに、空港島は航路もさえぎり、神戸港も台無しにしています。それぞれを専門家が問題ありとしているものであり、それでも建設が強行されたのだから、無責任ここに極まれりです。
空港島の埋立地を完売し、総ての飛行機が満席になる、こんな夢が実現すれば第一の問題はほぼ解決するでしょう。しかし現実は、売却予定用地82・6ヘクタールに対して、売れたのは0・3ヘクタール、それも3割の値引きでようやく売れたのです。「神戸空港の総事業費は3140億円に上る。市が1998年に組んだ財政計画では、そのうち約3000億円は空港島の土地売却で賄う」(2月7日付「神戸新聞」)ことなど、夢のまた夢です。
ちなみに、シンポジウムでは「臨海部土地造成事業」2780億円、「空港整備事業」594億円、「港湾整備事業」126億円という数字が示されています。もちろん、すべてが市の借金ということではなく、国からの補助金もあります。一方で、ポートライナーの空港島への延伸工事では、一般会計から350億円支出しています。
ジャンボ機の機長からは、まず、神戸空港にはジャンボ機は就航しないのでよかったという発言があり、問題の深刻さを示しました。横風(六甲おろし)の影響、追い風での着陸の難しさ、着陸のやり直しになったとき、空中待機場所≠フ問題など。こうした事態に備えて余分な燃料を積まなければならないのに、着陸時はできるだけ軽くしなければならない。とんでもないことが起こらなければいいのですが、いずれにしろパイロットにとって神戸空港は鬼門のようです。
環境問題としては、空港島の東側の溶存酸素(DO)の減少が深刻になっています。つまり、空港護岸によって明石海峡からの良好な潮流が妨害され、淀川の汚染水が南下せずに湾奥に滞留するようになったと考えられています。他に、飛行機の離着陸にともなう騒音、自動車とは比較にならない排気ガスによる大気汚染などがあります。
神戸港の水先人からは、空港からの距離によってマストの高さの規制があること、航路の変更については航路管理のお役人が自分達の仕事がなくなるので反対していることなどの指摘がありました。
さて、開港から1週間の2月23日、神戸市は早々に2006年度は黒字見通しとの発表を行ないました。それによると、空港島埋め立て(臨海部土地造成事業)経費を除く06年度の空港維持管理収支が1億1500万円の黒字になるということです。これが空港本体の建設(空港整備事業)にかかる市債償還費3億2300万円も含めてということなので、それはめでたいことだと思いつつ収入の内訳を見ると、県の補助金1億5800万円とあり、兵庫県民としてはとても喜んでおれない内容です。
神戸市民の憂鬱は、神戸市の新年度予算案に「空港を生かしたまちづくり」215億円という項があることで、さらに深まりそうです。具体的には、「神戸空港整備事業」124億円(これは先に示した594億円の総事業費の一部のようです)、「都心ウォーターフロント活性化」62億円などです。神戸市は鼻息荒く、10年間の総黒字額を29億3000万円と試算しているようですが、これは予定通り搭乗客が増えたらという予測・願望の数字に過ぎません。
確かに、開港1週間の平均搭乗率が81%ということで、申し分のない滑り出しです。しかし、往復1便だけの熊本線は46%という搭乗率で、すぐさま撤退ということはないとしても、予想通り好調な往復11便の羽田線85%や最高の91%を記録した往復3便の札幌線も、その数字を持続することは困難に思われます。神戸新聞も「神戸市の年間利用客予測を達成するには不透明感も残っている」(2月23日)と指摘しています。出だしの好調さと、神戸市の強気の姿勢にもかかわらず、神戸空港の前途には矢張り暗雲が立ち込めています。 (晴)
米国産牛肉輸入を巡る日米の動き
狂牛病とは
狂牛病は、今から十五年前の一九八六年にイギリスで始めて見つかった。この病気にかかった牛は、脳がまるでスポンジのようにスカスカになってしまい、そのため、立っていられなくなったり、異常な行動をとったりして死んでしまう。そして、この病気が、今から五年前の一九九六年になって、人間に感染するとの疑いから、大騒ぎになった。
狂牛病にかかった牛を食べることによって、「新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」という病気になるといい、この病気にかかった人は、忘れっぽくなったり、体がマヒしたり、歩けなくなったり、周囲の様子がわからなくなったりして死ぬ。この様子も狂牛病にかかった牛と同じで、イギリスでは百人が亡くなり、アメリカでもアルツハイマー病と診断された人の中にかなりの割合を占めているとの話がある。
では、どうして狂牛病になるのか。これは、「プリオン」と呼ばれるたんぱく質が関係していると考えられいる。プリオンには、よいプリオンと悪いプリオンがあって、悪いプリオンがあるとまわりのよいプリオンが、オセロゲームのように次々に悪いプリオンに変化していくという。悪いプリオンが入った細胞はそのまま死んで萎み、脳中にたまった悪いプリオンの入った細胞が死ぬことで、脳がスポンジのようにスカスカになっていくと考えられている。
細菌やウイルスは動物の体に入ると、それ自身が増殖することで病気を移していくのだが、悪いプリオンは、ほかのプリオンを次々に変化させることで増えていくという形をとる。細菌やウイルスは熱を加えると死ぬが、プリオンは高熱を加えても危険性はなかなかなくならないので、それだけ対策がやっかいだといわれている。
では、悪いプリオンは、どうして牛の体内に入ったのか。もともと牛は草食動物で草しか食べず、肉は食べていなかったが、肉のような動物性たんぱく質を牛に食べさせると、牛が乳を大量に出すことから、牛のエサに肉を混ぜ始め、ついには牛の肉や骨も混ぜていったのです。
こうして、狂牛病は、イギリスで発生した。イギリスでは、羊の肉や骨を砕いて牛のエサに混ぜていた。このため、病気になった羊の悪いプリオンが牛の体内に入ったと疑われている。
このように、牛の肉や骨を砕いて粉にしたエサのことを「肉骨粉」といい、いまや鶏の肉や鶏糞まで飼料になっているというから驚かされる。かくて、そもそもプリオンはもともとたんぱく質ですから、羊や牛、人間に関係なく、うつっていくということになったと考えられている。
米国産牛肉輸入を巡る日米の動き
日本で狂牛病の牛が発生した原因はまだ確定していないが、外国から輸入した肉骨粉に、悪いプリオンが入っていて、それを食べた牛が発病したと考えられている。イギリスでは、狂牛病がこれ以上広がらないようにするため、健康な牛も含めて四百八十万頭も大量に処分した。
全くの後手に回ったのだが、日本の農林水産省も、やっと、肉骨粉を外国から輸入することも国内で作ったり売ったりすることを禁止した。さらに、生まれて二年半以上たった牛を肉にするときに、狂牛病にかかっていないかを検査することになった。
狂牛病が問題になっているヨーロッパでは、牛の脳や脊髄、目などは避けるとの国際的な基準がある。
今回、アメリカの圧力で再開された牛肉に危険部位である脊髄が削除されていなかった問題が発覚したことで再開された米国産牛肉は直ちに輸入禁止になった。この事に関わり、中川農水大臣が閣議決定を無視し職責を果たしていないことも発覚した。
この間の報道により、私たちはこの問題に関するアメリカのご都合主義といい加減さを嫌と言うほど見聞きしたが、その分日本政府はまともだとの判断には立っていない。
端的に言おう。まずはアメリカの犯罪を指摘する。その一点目は、特定危険部位の除去が最も効果的だと主張しながら,アメリカではそんなことをやっていないことだ。実際にきちんと特定危険部位の除去が行われているかどうかのチェックシステムなどない。その二点目、肉骨粉の使用制限も、全くいい加減で、牛には禁止しているが、いまだに鶏や豚には許可していることである。
このように米国の食品衛生行政システム自体がBSE(牛海綿状脳症)に対して効率的な行政ができていない。実際にも米食品医薬品局(FDA)の通達は遅れがちで、BSE発生が0三年十二月なのにBSE追加対策を半年以上もたった0四年七月九日に発表した。しかし、脳や脊髄など牛の特定危険部位を動物の飼料や人間の食品、化粧品に使用することを禁止したが、米国産牛肉の輸入再開問題の焦点になっている牛の検査体制強化などには触れていない。追加対策は米農務省や米食品医薬品局などが共同発表した。BSEの感染源になり得る特定危険部位について、すべての動物の飼料やペットフードに使用することを禁止する方針を表明した。しかしアメリカ国民の意見を募ったうえで最終判断するとしており、実施に移すのは0五年以降になる見通しだ。それにしても特定危険部位を含まない肉骨粉を豚や鳥の飼料に使うことは認めており、これらの飼料が牛のえさに混じってBSEに感染する危険が残る。日本側は肉骨粉の使用を全面的に禁止するよう求めており、米側の方針とはなお開きがある。
ここで全頭検査に触れれば、全頭検査を、欧州並みの二四ヶ月あるいは三十ヶ月齢以上の検査に切り替える必要がある。全頭検査に関する誤解は、全部の牛を調べるとBSE牛を全部見つかるとの思いこみにある。実際に、全頭検査をやっても、異常が見つからないBSE牛が結構いるのであり、現在の検査の確度はその程度なのである。
それよりも現実性がある対策は、全ての牛に行われる特定危険部位の除去である。
これまでの全頭検査の経費は百億円だという。まさに壮大な無駄遣いではないか。
何を為すべきか
『食のリスクを問いなおす―BSEパニックの真実』(ちくま新書)の著者池田正行氏は、私たちがなすべきこととして、以下の提案をしている。
全頭検査への誤解が原因で、食の安全を百億円で買った結果、BSEパニックはなくなった。BSEのリスクへの誤解で始まったパニックを、全頭検査=ゼロリスクという誤解を金で買ってパニックを押さえ込んだということだ。せっかくおとなしくなった消費者に対して、実はあんた誤解しているんだ、全頭検査はザルだと誰が好き好んで説明するだろうか。
畜産業者、流通小売業者、役人、研究者、すべて口をつぐんでいる。それは、日本でBSEパニックが起きる前の状況とそっくりだ。全員が説明責任を回避している。でも、私は彼らを責めるつもりはない。正しい説明をすれば、全頭検査至上主義の人々から攻撃されるばかりでなく、自分の商売、役人としての職場、研究が、それぞれ大変な損害を受けることを知っているからだ。”寝た子を起こすな”それが合言葉になっている。
例によって,大変な天邪鬼の私だけが,二00一年十月に全頭検査が始まった時から,全頭検査は早く止めて,三十―二四ヶ月以上に絞り込め,と主張してきた。この主張は拙著でも明らかにしている。言い換えれば、検診で早期癌を見つけることはできないから、それはあきらめて、検診の対象を絞り込み、進行癌を確実に捕まえてそれを治療しようという方針だ。実際、欧州はそうしている。
一.日本は、欧州と同様、二四あるいは三十ヶ月以上齢の牛の検査に切り替える。
二.米国も同様の検査体制にさせる。
三.米国における特定危険部位除去の厳密なチェック体制。
四.米国における肉骨粉使用の全面禁止。
このように、米国産牛肉輸入再開のための条件は、全頭検査などではなく、以上の4点セットで充分なのである。しかし、この四点セットの実現のためには、日本政府も米国政府も、双方の国民を説得するという困難な説明責任を負わなくてはならない。それが嫌なので、話題を、どうでもいい全頭検査に絞ってしまっているのが現状。
池田氏の提案は何とも現実的ではないか。確かにこの問題は政治的な側面もある。しかし、私たちも現実的な四点セットに関する論議をすることで、農水省や一部の消費団体等を中心とする全頭検査至上主義に疑問を呈していくことが必要である。
私たちは全頭検査よりも危険部位の徹底除去と肉骨粉の即時全面使用禁止の要求を日米両国政府に突きつけていかなければならない。 (直記彬)
コラムの窓・解けないダムの呪縛
ダム建設の目的には利水と治水があり、利水には水力発電や農業用水、上水用水源があります。利水と治水を兼ねたダムが多いのですが、利水は水を溜めておかないとダメで、治水は出水時に水を溜めることができないとダメです。つまり、利水と治水は対立したものです。
いずれにしろ、ダムはその機能が分かりやすいということもあり、20世紀を通じてつくり続けられてきました。その結果、川の流れは切断され、その生態系は破壊されてしまいました。さらに、ダムの放水で洪水がひどくなったり、ダムが決壊してしまうこともあります。
つまり、ダムの有効性は思っていたほどではなかったし、リスクも大きかったのです。だからこそ、河川行政が見直され、脱ダムが進みつつあるのです。ところが今も、洪水をひたすら堤防で閉じ込め、最短距離で海に流す、その流れを調節するためにダムをつくり続ける、この使い慣れた手法を捨てられない人々がいるのです。ダムに対する過度の期待、信仰ともいうべき幻想を捨てられない人々がいるのです。
だから、ダムを巡る攻防はお役人や業者だけが相手にしていては勝てない、ということを痛感しました。そのひとつは、御用学者の発言なんですが、この分野の権威としての自負からか、総合治水は浅くはあるが広く影響を及ぼす、そのてんダムの影響は局地的で済むからまだましなのだとのたまう。
聞いていると、御用学者としての立場からの発言というより、本当に総合治水ということが分かっていないようなので、驚きます。つまり、数量的に川の流下能力と流量を計算し、不足分をダム貯留で補う、それだけなのです。森林の保全や遊水地の確保、溜池の活用などの手法は、彼には邪道に映るのでしょう。それこそ、荒っぽい外科治療のようなもので、患部の切除しか考えず、その後の生活の質の問題は目に入らないのです。
そして、市民のなかにもお役所や学者にお任せで、とにかくダムができたらすべてが解決するという、安易な姿勢があります。自分達もリスクを負い、川のあるべき姿を模索する、そんな面倒なことはしたくないのです。近年の異常気象の影響もあり、100年確立(100年に1度の雨に備える)などといっても、局地的な豪雨が降るとそんな確立など何の役にも立たないのに、ダムにすがりついているのです。
現在では、洪水を堤防で防ぎきることはできないという前提に立ち、壊滅的被害を出す破提(堤防が壊れて洪水が流れ出る)を防ぎつつ、洪水を一時的に導きいれる遊水地(公園や校庭や田圃など)を設ける方向へと進みつつあります。ダムは満水になるとその機能を喪失するので、ダムに頼るのはかえって危険です。堤防からの越流(堤防を越えて洪水が流れ出る)があるという前提に立てば、堤防の間際に住もうなどとは考えないでしょう。
いつまで“理念の選択”なのか――社民党の《社会民主党宣言」を読む――
政治の舞台で小泉離れ、小泉外しが始まっている。
今通常国会でも焦点として浮上しているいわゆる「4点セット」の中には、偶然的要素もあるがライブドア事件、皇室典範問題など、明らかな反乱の仕掛けらしきものもかいま見える。
が、小泉政権との闘いの前進をめざす立場からは、与党や体制内部からの反乱に期待するのは筋違いというものだろう。現に「4点セット」などでぐらつき始めた小泉内閣を、民主党の稚拙なライブドアがらみの裏金暴露騒動で、またしても抱き起こしてしまう有様だ。むしろ今こそ正面から小泉政権を追い詰めていくことが肝心だろう。
そうした試みの一つとして社民党から《社会民主党宣言》(以下=《宣言》)が出された。
“その言やよし”。本当に期待できるだろうか。ざっとその《宣言》を読んでみたい。
■《社民党宣言》
この《宣言》は、社民党になってからの初めての本格的な綱領だとの位置づけで、最初の原案が昨年から全国討論にかけられ、その最終案を今年2月11日の党大会で採択したものだ。
《宣言》そのものはその要旨がメディアでも報道され、全文は社民党のホームページでも見られるので詳しくは紹介しないが、構成としては、T格差のない平和な社会を目指して、U私たちの社会民主主義とは、V政策の基本課題、W,改革の道筋、となっている。
それぞれの項目を見ていくと、Tでは、市場万能主義による格差の拡大や軍事力などによる力による政治を批判し、「もう一つの日本社会」を提唱。Uでは、「平和・自由・平等・共生」という理念を具体化する不断の改革運動」だと定義。Vでは経済、雇用、税財政、安全保障など、13項目にわたって基本的な考え方を提示している。Wでは、働く人々や社会的弱者の利益の実現を目的に労働者や中小企業や個人商店、第一次産業に従事する人々と連帯し、市民運動、NPOなどとの連携を深めていくとしている。
■労働者党への脱皮?
今回の《宣言》では、自衛隊の存在そのものではなく、周辺事態法やイラク派兵、ミサイル防衛など、自衛隊の現状が違憲だという立場を打ち出している。この点について新聞などメディアでは自衛隊は違憲「状態」だとする態度が話題になり、また自民党や民主党などからは社会党時代への「先祖返り」と批判もされている。これは村山前委員長が政権につく直前に当時の社会党が自衛隊は「憲法の枠内」とした方針との関わりからだ。
しかしこの《宣言》の立場はなんとも苦しい解釈だ。なぜなら、それではどこまでなら自衛隊は合憲なのか、あるいはどういう政治情勢なら違憲ではないのか、という、線引きの問題になってしまうからだ。
その点については今回は踏み込まないが、《宣言》ではこれ以上に目を引く主張もあった。「格差の拡大を是正した生活優先の社会」という観点に立った主張だ。これは今国会でも取り上げられるほどになった、格差拡大、階級社会化の問題だ。そうした現状をどう克服、解決していくかは当面の最大の課題であって、社民党がそうした現実に着目したのは当然のことであり、歓迎できることだろう。
たしかに先代の土井社民党時代でも、選挙公約などに労働者の権利擁護や均等待遇なども掲げ、労働者・勤労者の立場も反映していた部分はあった。が、それでも土井社民党のイメージはあまりに護憲一本やりだった。
その土井党首へのスキャンダルの波及などで凋落が止まらない状況下で登場した福島社民党は、それまでの護憲の党に加えて、女性党、市民党のイメージを打ち出して生き残りをめざしてきた。その福島社民党が、最近の格差社会化をふまえて労働者、弱者の党として支持基盤を拡大したいという事だろう。
社民党のこうした路線選択は決して悪いことではない。ただ問題は《宣言》がそうした立場から現状に対する深い洞察と根源的な解決策の提案になっているかどうかである。が、まさにこの点で《宣言》は決定的な弱点をさらけ出す。
■欠落する“新しい社会”像
最初に気づくのは、《宣言》には社民党がめざす“新しい社会像”がないことだ。これは《宣言》が社会民主主義の定義として「不断の改革運動」と定義していることと関連している。たしかに《宣言》でも「憲法の理念が実現された社会」とか「格差を是正した生活優先社会」という「もう一つの日本社会」に言及している。が、どうしてそれらと相容れない現実が造り出されたかとという相互関連の中で提起されているわけではなく、単に並列的、選択的に記述されるに止まっている。
また“新しい社会像”が無いことに関連していることだが、《宣言》では闘うべき、規制すべき相手像も不明確だ。格差の拡大などは自然現象ではない。企業や財界、あるいは小泉政権は新自由主義を掲げて弱肉強食の市場万能社会を創り上げてきた。「社会的規制による公正な市場経済」の主張にみられるように、そうした勢力と徹底的に闘い抜く姿勢と決意が感じられない。
たとえば《宣言》でも提案されている所得税や住民税の最高税率引き上げや累進制の強化、あるいは「企業に応分の社会的責任を求めた法人税の見直し」なども、それ自体、企業や財界の利害を侵害するわけで、そうした勢力との激闘はさけられない。企業サイドからも資本や資金の対外流出やその結果としての首切りなどの脅しもあるなかで、「応分の社会的責任」などという腰の引けた姿勢では資本・企業から自立した労働者の闘いは創り上げられないし、結果として企業利益の聖域に切り込むことも出来ないだろう。
■“理念の選択”からの脱皮こそ必要
そもそもこうした税制や財政支出による所得の再配分はかつての革新勢力の最大の看板だったわけだが、《宣言》でもそうした立場が引き継がれている。しかしそうした「大きな政府」の立場は、経済の高度成長という背景のなかで部分的に可能になったものだ。またそれ自体階級支配の一つの安定装置にもなってきた。それが低成長やマイナス成長、あるいは経済のグローバル化の中で切り崩されてきたわけで、こうした状況の中では単なる「大きな政府」「福祉国家」の選択肢を提示するだけでは無力だという以外にない。
思えば社会党時代からそうなのだが、社民党は労働者政党から“脱皮”して国民政党に転換することで再生をめざした。よくいえばイメージとしては市民の党、護憲の党、女性に配慮した党として存続しようとした。要は社民党は階級闘争を否定するところから再出発しようとしたわけだ。だから社民党にとって階級闘争とか労働者の党というのは禁句になっている。だから社民党は護憲をはじめとして“理念の選択”という選択肢しか提示することができない。それが「理念」としていかに正しくとも、現実的な階級利益という利害関係に切り込む決意と体制をつくりあげないことには闘いの主体形成が出来るはずがないし、観客(劇場)民主主義からも脱皮できるはずもない。政治は理念だけで動いているわけではないからだ。
むしろ格差が拡大し、“新しい階級社会”が現れ出ようとしている今こそ、労働者の党、階級闘争の党に転換するべき局面ではないだろうか。現状はといえば、格差社会が拡がっている今、“勤労者の党”、“労働者の党”がいつ旗揚げされてもおかしくない時代になっている。
そこまで社民党に期待するのは無い物ねだりだろうが、ともかく社民党がそうした方向に少しでも梶を切ったこと自体は評価したい。(廣)
色鉛筆・職務を全うするための卒業式?
三女が県立高校を卒業するにあたって、校長に申し入れをしてきました。校長は、昨年、当校に着任したばかりで、工業高校を経て「国立淡路青年の家」が前職場でした。卒業式についても、校長自身が卒業生に送る言葉をあれこれ思案している、という具合でした。
例によって、「日の丸」「君が代」の押し付けに反対と、意思を伝えると「どうぞ、ご自由に」という態度でした。雨の振る中、わざわざ不便な学校に出向いてきた心情を、どう思っているのか、こちらもやや強い口調で反論しました。
校長に反対を認めてもらうためだけに、わざわざ出向いて来たのではないこと。式場に「日の丸」が貼り付けられることで、憲法が謳う「思想・良心の自由」が侵されてしまっていること。強制はしないというが、すでに強制された環境での卒業式にならざるをえない、という認識に欠けていることなど、立場の違いをどう埋めていくのか困難な作業でした。
「学習指導要領」にそって行われる卒業式に何も疑問を持たず、任務を遂行することだけを考えている校長は、ある意味、「幸せ」なのかもしれません。管理されることに慣れてしまい、哀れな存在であることを証明するこんな発言がありました。「私の首がかかっていますから」と・・・。付け加えて、「式を妨害することは許されません」と、脅迫めいた言葉に唖然としました。卒業式の主人公は、一体、誰ですか?
校長の言う「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方の審議」によって、「自己実現の夢に挑戦し、目標に向かって生き生き活動する『魅力ある学校づくり』を進める」(学校通信、北萌112号)ことが、どれほど自分の行動と相反するものなのか、教育者としての資質を問われるのは当然です。校長にはこの自覚は全くありませんでした。
申し入れの事前の電話で、教頭が教職員組合の窓口になる教員を知らなかったことは、意外でした。個人情報保護法のために保護者にも教えてくれないのかと思ったのですが、本当に知らない様子でした。ということは、卒業式の運営に関して、組合との交渉は持たれていない、職員会議での議論も出来ていない、ということでしょうか。教師間の横のつながりもなく、良心のある教師は孤立を強いられるのではと心配です。帰り際、娘の担任に「申し入れ書」を渡し、反対する親の存在を知ってもらい、教師の判断で、せめて生徒に「日の丸」「君が代」は強制でなく拒否する権利があることを伝えてほしいと願いながら、学校を後にしました。
今回、他団体の人と一緒に西宮市の教育委員会に申し入れをしてきました。教育総務グループの職員との話し合いでしたが、終始、こちらが威圧的に迫り話し合える土壌が作れていない、そんな感じを受けました。時間制限もあり、相手を説得することの困難さを教えられました。そんなわけですが、少数でありながらも、反対の声をあげていくことをモットーにこれからも頑張るつもりです。(恵)
中華帝国の再興とアジア世界の台頭 D 〈寄稿〉
六、終わりにー日本労働者階級の任務
中国の台頭とアジア世界への世界の中心の移動に伴って、日本の労働者階級と人民の国際的な任務は、さらに重大なものとなってきている。
それは一言で言えば、マルクスの時代のイギリスの役割=世界革命の情報センターとしての役割を、この激動するアジアや世界において日本が果たせるかという問題である。
確かに世界革命のためには、最低限でもマルクスの第一インターのような、世界革命の綱領を持つ世界的な革命の組織の建設が必須である。
「共産党宣言」以来の、第一インターから第二インター、ロシア革命・コミンテルンと第四インター、中国革命と東欧社会主義圏の成立、スターリン批判とハンガリー革命、モスクワ宣言とモスクワ声明、キューバ革命とゲバラ主義、中ソ論争とプロ文革、パレスチナ革命とイスラム革命、ベトナム革命と反米国際統一戦線、アフガン侵略とソ連の敗北、ケ小平路線とブレジネフの「新思考」、ポルポト革命と中越戦争、天安門事件とソ連崩壊、更にグラムシ・チトー・トリアッチ・ユーロコミュニズム・アミン・アルセチュール・ネグリなどなどや、国内においてはアナボル論争から講座派・労農派論争、自立・従属論争などなどを経て現在に至る150年を超えるマルクス主義運動とその理論の検討、さらに現代世界の分析の上に、労働者・農民などの生産者階級が真に社会の主人公となる新世界にいたる道筋を解明することが、現在我々が直面する最重要の課題である事は疑いない。と同時に、この世界革命を目的意識的に遂行していくための組織、それがマルクスの第一インターのような組織であるべきなのか、民主集中制に基づくレーニン型の組織であるべきなのか、更にはあくまで人民自信の結集と決起に奉仕し続けるアナキズム型の組織とその連合であるべきなのか、あるいはさまざまな傾向をも包含する平民社型の組織であるべきなのかなどの問題を、直面する緊喫の闘争の中で模索しながら進んでいかざるを得ない。
ただ、マルクスやエンゲルスが、「共産主義者は、他の労働者諸党に対する特別な党ではない」「彼らは、宗派的な原理を掲げて、プロレタリア運動をその型にはめようとするものではない」(「共産党宣言」マル・エン全集第4卷p487)、として、例えばパリ・コミューンにおいてはバクーニン派やプルードン派をも含めた多くの労働者諸党やグループと共闘関係にあった如くに、生涯にわたって他の労働者諸党とは論争もすれば共闘もするという関係であったのとは対照的に、ロシア革命や中国革命においてレーニンや毛沢東は、権力を掌握した直後から、ブルジョア政党のみならず他の労働者諸党や民主諸党、農民政党からアナキズムに至るあらゆる政党を、ロシア革命を推進した中心部隊であり珠玉であったクロンシュタット・ソヴィエトやペテルスブルグ・ソヴィエトまでをも、最終的には党内反対派までをも、「プロレタリア階級独裁」の名の下に徹底的に弾圧し殺戮したが、これはマルクス主義ではないばかりかそれに真っ向から背くものであり、何よりも革命に対する重大な裏切りであった。ここから、ロシア革命や中国革命の変質が、「共産党」による労働者・農民に対する専制支配体制が始まったのである。
この「我こそは唯一前衛党である」という小ブルジョア的な思い上がりは、現在でもコミンテルンの影響下で結成されてきた「レーニン主義」諸党派に連綿として受け継がれており、労働運動や人民運動内部に抜きがたい分裂を持ち込んでいるばかりか、最悪の形では、「内ゲバ」などという殺人合戦までをも引き起こし、労働運動や人民運動を破壊している。
だから、ロシア革命や中国革命が破産し、その「革命」の内実が次第に明らかになる中で、レーニンや毛沢東の党建設路線は今では根本的な欠陥を持つものとして再検討されるべきであり、我々は、今こそマルクスの原点に戻り、それを基礎に民主的で革命的な組織を建設していかなければならない。レーニン=スターリン的組織原則の下で、世界の共産主義運動をスターリン専制政権=「ソ連」社会帝国主義の道具=「社会主義の祖国」防衛の道具に変え、その結果ギリシャやスペインの革命を破壊し、ユーゴや中国の革命をも流産させようとし、最後は米・英帝国主義と「ソ連」社会帝国主義の取引の結果としてスターリンによって死刑執行されたコミンテルンの解体後、国際労働者階級の分断と無組織状態はもう数十年にも及んでいるが、この状況の下では、世界革命を推進する国際的な組織の再建を目指しながらも、我々は当面最低限の活動として、多くの人々と共同しながら、各国の革命運動の情報を集中し、相互の交流を推進して闘争を発展させていく活動から着手して行かざるを得ない。
世界中からの収奪の結果として、早くから膨大な中間階級が形成され、市民社会が展開されていたヨーロッパやアメリカと異なって、欧米諸国に一貫して侵略され収奪され続けてきたアジア諸国は、今急速に工業化しつつあるとはいえ、農村人口が未だ70%を超える(中国の2004年の人口センサスでも58、2%であるー中国情報ハンドブックp187)状況であり、アジア全体としては、依然として「後進的」な産業構造を脱してはいない。
このことは、先にも述べたように、豊富な低賃金労働力の存在によって、米・欧・日資本を急激に吸引し、この地域の急速な工業化をもたらしていると共に、この地域における急速な商品経済の浸透と大規模な農民層分解によって、アジア各国内部に隔絶した貧富の差をもたらし、欧米社会とは比べものにならない激烈な階級矛盾・民族矛盾を発生させる原因とも成っている。このことは、最近頻発している中国国内で頻発している暴動ばかりでなく、インドネシアやミャンマーやフィリッピンやブータン、スリランカやインドなどの諸国においても、繰り返し暴動や武装闘争が起こっている事によっても実証される。
これは、先進工業国クラブである経済開発強力機構(OECD)の加盟国である日本や韓国の階級闘争にも影響を及ぼさざるを得ない。
日本は、60年代から90年代初頭にかけての経済成長と蓄積によって、バブル崩壊後の「失われた10年」を経た今でも、辛うじて豊かな社会のような顔をしているが、しかしその内実はぼろぼろである。
年30兆円を超える膨大な財政赤字の累積によって、今では794兆円(地方を合わせると1000兆円)という、国家予算の9年分(13年分)にも当たる、世界でもアメリカにつぐ巨大な財政赤字を抱え、破産国家の道を暴走している。
日本では、今、6600万人の労働人口のうち失業者や半失業者(フリーターやパート労働者などの停滞的・流動的過剰人口)が1800万人を超え、充分な栄養を取れない貧困人口が1000万人を超え、自殺者が毎年3万人を超え、年金不払い者が4割を超え、出生率が1・3を割り込んで人口が減少し始め、急速に社会の老齢化が進行している。
この間、低賃金労働力と市場を求めての工場の海外移転による国内産業の空洞化が進行し、労働条件の悪化と地方都市の空洞化が進行する反面、「中国特需」に代表されるアジアの低賃金労働者からの搾取と、巨額の国家財政を食い物にして、巨大金融資本と大独占企業だけが空前の利益を上げている。
日本人民は、敗戦後の極端な窮乏生活から立ち上がり、朝鮮特需から高度経済成長を経て、日本が世界第二の「経済大国」になる中で、労働組合を中心とした持続的な人民運動によって、衣食住の問題を基本的に解決し、さらにその50%を超える部分が、いくらか生活に余裕のあるいわゆる中間階級を形成してきた。しかしこの中間階級は、右肩上がりの成長によって歴史上日本社会に初めて訪れた「西欧型」市民社会の中で、第二次大戦中とは反対に「贅沢は素敵だ」「消費こそ美徳」の生活に没入し、「昭和元禄」を謳歌し、海外旅行やレジャーに突進した。そして逆にこの中間階級の形成と軌を一にして、戦闘的労働運動と人民運動は労使協調に飲み込まれ急速に終息して来た。この30年、戦後労働運動の中核組織であった国労や総評の解体を目指した国鉄の分割民営化や電電公社の分割民営化をはじめとして、戦闘的労働運動は今ではその大部分が解体され、労使協調の連合に統合された。
しかし今日、日本経済がグローバリゼィションの波に飲み込まれ、日本独占資本が国際的な競争の激化の中で、「リストラ」「贅肉落とし」と称して労働者・人民からの搾取・収奪の強化による経営の「スリム化」を押し進めた結果、人民の窮乏化が急速に進行し、中間階級の分解が進行し、貧富の差が増大し、露骨な弱肉強食の社会が現出している。
社会を最も敏感に反映する青少年の間では、「ホリエモン」に代表される露骨な拝金主義が横行する一方、未来に何の夢も希望も見出せない無気力・無感動で刹那的・享楽的な若者が増大している。
こうした中間層の崩壊の中で、労働運動ばかりでなくそれに代わる形で一時期もてはやされた様々な市民運動でさえも、そのエネルギーの供給源を失い、急速に低迷してきている。
これらの鬱積する社会的・階級的矛盾をどのように結集しどの方向に導くのか、このことが日本の全ての政治勢力に問われているのであり、小泉や岡田と我々との争奪の中心問題でもある。
西欧諸国と比べても日本の中間階級の地盤は極めて脆弱であり、その分解の速度は速く、貧困層の再形成は急速なものがあるから、労働者の無権利状態の拡大ばかりでなく、失業・生活保護問題、年金問題、老人福祉問題、少子化問題、医療介護問題、サラリーマン減税の撤廃や配偶者控除の廃止・消費税の税率アップなどの増税問題、中小企業の倒産問題、アジア諸国とのFTA(自由貿易協定)締結に伴う安価な農産物の流入による農業破壊の進行、教育の荒廃の進行と科学技術の後れなどの国内問題が今後さらに深刻な問題となっていくことは確実である。と同時に、帝国主義ブルジョアジーは、反動的な米・英・日三国同盟を形成してイラク侵略戦争を行い、中国やヨーロッパに対抗する反動政策を推し進めているが、その結果として国際的な孤立は更に深まっている。今、彼らはこの窮地からの中央突破を試みて、人民からの収奪を一層進めるための「郵政民営化」をはじめとした「構造改革」を強行し、憲法九条の廃止と集団的自衛権の容認・海外派兵の合法化、日の丸・君が代の強制と軌を一にした極東裁判の見直しや二千万人ものアジア人民を殺戮したアジア侵略戦争の賛美を行うなどの途方もない方向に進んで行こうと策動している。
国内においても、これらの政治的反動政策に反対する闘争と人民からの搾取収奪の強化に反対する闘争をしっかりと結合して、激発するアジア人民や世界人民との闘争と連帯して闘いを進めていく、その闘争のセンターが求められているが、同時にそれが、かつて孫文の中国革命期成同盟に対して宮崎龍介達が果たしたように、国際主義に基づくアジアや世界の人民革命運動の情報交流センターとなる必要があるだろう。
例えば、専制政府に反対する中国人民の闘争は、今、大変な苦難の中にある。
十三億人もの膨大な中国人民は、共産党独裁の下で、集会や結社の自由もない徹底的な政治的無権利状態におかれており、体制に反 ホするものは容赦なく投獄され、形ばかりの裁判によって簡単に死刑にされている。
天安門事件における二千人ともいわれる人民虐殺ばかりでなく、1998年に結成された非合法組織、中国民主党の一斉摘発や、更には宗教団体である法輪功に対する弾圧、年間一万五千人にも及ぶ死刑執行などは、ほんの氷山の一角にすぎない。
また、これと同様の専制政治や人民運動に対する弾圧は、金正日独裁の北朝鮮でも、プーチン独裁のチェチェンでも、ホメイニ独裁のイランでも、インドネシアのアチェでも、サウジアラビヤやトルコでも、イラクやアフガニスタンはもとよりインドやパキスタン、スリランカでも、ブータンやチベットでも、東トルキスタン(新彊ウイグル自治区)やモンゴル(内モンゴル自治区)でも、フィリピンでも、アジアではまだ多くの国々で広く行われている。
様々な制約があるとはいえ日本帝国主義によるアジア人民・世界人民からの搾取と収奪の上に、アジアにおいては例外的に存在しているブルジョア民主主義の制度を最大限活用して、日本の労働者階級と人民は、苛酷な条件の下で闘っているアジアのこれらの人民運動の結節点になり、その解放闘争の前進のための情報センターとしての役割を果たさねばならない。
これらのアジア諸国人民の解放がなければ自国の解放もないということ、帝国主義国の労働者階級は、自国人民ばかりでなく、自国の帝国主義ブルジョアジーに支配され収奪されている被抑圧民族・被抑圧人民と団結し、世界的には少なくともアメリカ・EU・日本・中国・ロシアなど、世界の主要な帝国主義ブルジョアジーを打倒することなしには自らの解放を勝ち取ることも出来ないということを自覚せねばならない。そうではなく、一国だけで共産主義に進むことが出来ると考えるのは、20世紀「社会主義」の結果として今ではその破産が明白となっているスターリン主義の轍を踏むものであリ、その亜流にならざるを得ないだろう。これらアジア人民・世界人民との共同した闘争の勝利だけが、国家の死滅の上に、労働者・農民・都市勤労人民の協同社会=新しいアソシエーション世界への扉を開くものであり、我々にとっては、それを永遠に追求する以外には道はないのだという事、そしてそれだけがマルクスの原点に立つことでもあるだろう。
アジアも世界も、今、確かに新しい時代に向かって歩みだそうとしている。
そして我々の前にも、困難ではあるが、二十世紀の「社会主義」の残骸を乗り越えて、今確かに、新しい未来が開けようとしている。(了)(北山 峻)
「医療制度改革」その背景と問題点(下)
厚生労働白書「地域の視点」の虚と実
これまで見てきたように、今回の「医療制度改革」法案の特徴は、@財界の強い要請を受けて医療給付費を抑制することが至上命題、A医療費抑制のターゲットは高齢者医療、B方法は都道府県別の「高齢者保険導入」と「医療費適正化計画」で「予防重視の医療」への転換、等と言えます。では厚労省が医療給付費抑制の切り札として「地域重視」を押し出す発想のバックボーンとなっている認識は、どのようなものなのでしょうか?
「厚生労働白書」の問題意識
この「地域(都道府県単位)」という厚労省のとなえる「視点」について、一般のマスコミは深く突っ込んで報道や論評を行なっていませんが、実はその点に重要な問題があると考えられます。厚労省の問題意識は、平成17年版「厚生労働白書」に全面展開されていますので、関心のある方は、ぜひ書店で購入するか、図書館で閲覧するかして、一読されることをお勧めします。
「白書」は「序章・「地域」という視点」で、「戦後、地域の産業構造の変化に伴い、都市への人口の流入や地方の過疎化」の結果「各地域における経済状況や人口構造について差異が生じ」、また「介護、福祉、少子化対策、医療、雇用等の施策については、地域によって多様なニーズが生じている」としたうえで「社会保障サービスは」「世帯構成の変化、伝統的な共同体による互助の仕組みが後退」する中で、「これまで家族や共同体が果たしてきた機能の一部を外部化し、地域単位で補完するような役割を果たすようになってきている。」と地域の新たな役割を指摘しています。
「地域が支える社会保障」?
そして「地域の疾病動向等が影響する健康づくり施策等のように」「地域という視点に立ってこそ、うまく機能するような施策が重要になってきている」と地域単位の施策の必要を強調すると同時に、「一方で地域の様々な差異の中には」「是正すべき格差も存在する」と医療費の地域格差の問題を暗示し、さらに「サービスの提供をどの主体が担っていくかの検討が重要」と、今回の保険制度再編成に通ずる問題意識も示しています。
こうした「地域」という視点から「白書」は、まず「地域社会の変遷と社会保障を取り巻く状況の変化」を分析した上で、「地域差」や「地域の取り組み」という切り口で、介護保険制度、障害者福祉、少子化対策、生活保護、保健医療、雇用について、全面的に見直し、「地域とともに支える社会保障の構築」を提唱しています。
これらをすべて紹介するには、とても紙面が足りませんから、今回は、その中の「医療」に限って紹介しましょう。
医療費の地域格差の原因は?
「白書」は「保健医療の現状と地域差と要因」という項目をもうけ、地域の疾病動向、医療供給体制、医療費の動向等について様々な角度から分析します。そして、地域毎の医療費に格差が生じていることについて、大きく2つの要因を指摘します。
第一は「医療費は人口当りの病床数、平均在院日数と正の相関関係がある」と、都道府県別1人あたりの国民医療費および老人医療費と平均在院日数・病床数のグラフが示され、ここから「病床数の削減」「平均在院日数の短縮」という課題が導かれます。
第二は「老人医療費は生活習慣病の受療率と正の相関関係がある」と、都道府県別の糖尿病、心疾患、脳血管疾患、悪性新生物の受療率と、1人あたり老人医療費のグラフ(別掲参照)が示され、これらの疾患について地域毎の予防対策の必要性が強調されます。
つまり、@医療費膨張のある部分は「地域格差の是正」で抑制できる、そのために、A「多すぎるベッド」「長すぎる入院」の是正(効率性)と、B「生活習慣病」の地域格差の是正(予防対)、という両面から対策を講ずるべきという結論を導きたいのです。
各自治体の先進的取り組み
そこで「白書」は、「地域の特性に応じた保健医療に関する取り組み」として、いくつかの自治体の事例を紹介しています。
ここでは紙数の都合で詳しくは紹介できませんが、概略は次のとおりです。
@「富山県の糖尿病対策」 かかりつけ医を受診し、糖尿病教室に紹介された患者と家族に、医師、保健師、栄養士、地域の健康ボランティア、食生活改善推進委員等が有機的に指導とケアにあたり、その結果を医療機関に還元する取り組み。
A「新潟県阿賀野市(旧笹神村)の若い世代からの脳卒中対策」 働き盛りの40代の住民への訪問指導、基本検診の推奨、夜間健康座談会、各集落ごとの保健推進員設置、保健師の訪問、などの取り組み。
B「佐賀県のC型肝炎対策」 肝ガンの死亡率が多いため、その原因のひとつであるC型肝炎ウイルス対策として、市町村によるスクリーニング検査によるC型肝炎キャリアの発見、医療機関のインターフェロン療法につなげる病診連携体制の構築、市町村と医療機関の連携のパイプとして県保健所の機能強化の取り組み。
C「広島県の肝炎対策」 肝ガン、肝硬変、慢性肝炎の死亡率が高いため、県医師会、広島大学、県、広島市の4者で「地域保健対策協議会」を組織し、C型肝炎感染者に健康管理手帳を交付し、かかりつけ医と専門医による「肝炎治療支援ネットワーク」を構築。
D「東京都台東区の女性トータルサポート事業」 女性の乳がん死亡率、喫煙率、多量飲酒の平均が高いことに着目し、「女性のための健康相談事業」をきっかけに、女性のライフステージに合わせて、育児期の母親の健康、更年期障害、乳がんなどの「トータルヘルスサポート」を事業化。
この他、総合的な保健医療分野の取り組みとして、E長野県の脳卒中対策を軸にした地域の健康づくり、F武蔵野市の医師会と連携した検診の充実、G福岡県の老人医療費問題対策、などが紹介されています。
「保険制度」「医療費」「予防対策」のリンクが不明
以上で「医療制度改革」法案が、大目標として「医療給付費の抑制」を掲げながら、なぜ、その方策として「地域」(都道府県)の視点が色濃く織り込まれているのか、厚労省のコンセプト、その輪郭が明らかになってきたかと思います。
要約すれば、都道府県ごとに高齢者に保険料を負担させる保険制度を作り(ホップ)、都道府県ごとに医療費適正化計画を義務付け(ステップ)、都道府県ごとに疾病予防対策を講じさせる(ジャンプ)という組み立てです。
問題は、今回の法案では、そのうちホップ(保険制度再編)だけが目立って具体的であるのに、ステップ(医療費適正化計画)になると曖昧模糊としており、ジャンプ(疾病予防対策)にいたっては「お題目」だけで、ほとんど見えなくなってしまっていることです。
結局、今回具体的になっているのは「保険制度の再編」と「診療報酬の改定」だけです。これによって被保険者(労働者・住民)や医療機関(病院・診療所)は、確かに「影響」を受けます。しかし前述した「地域の疾病予防対策」や、それによる「医療費適正化」へのパワーは、「保険」と「医療機関」のメカニズムの中からは出てこないのです。むしろ、その外側である「自治体の保健行政」と「地域市民の自覚的取り組み」が必要なのに、そのための具体的な枠組みは、きわめて不十分です。
地域・職場に対抗的ヘルス・プロモーションを!
「白書」を編纂した厚労省の官僚が自覚しているかどうかは別として、そこに紹介されている各自治体の取り組みの方向性は、ある意味では小泉構造改革のめざす市場原理主義とは相反するものです。
だから、医療給付費抑制を第一に組み立てた保険制度の再編と、地域自治体の疾病予防対策とその結果としての医療費軽減効果を、ドッキングさせようとしても、肝心のところでつながりが見えなくなったり、矛盾が生じたりするのです。
私達は、厚労省の提示した「地域の視点」について、その欺瞞性を指摘するだけでなく、むしと積極的に受け取って、職場の労働者、地域市民のヘゲモニーのもとで、健康を守るための制度構築を行なっていくことも考えるべきです。患者市民団体、労働組合、保健所スタッフ、医療従事者、大学研究者、自治体職員などが主体となって、労働者・市民の手による健康計画(ヘルス・プロモーション)を起こしてゆくべきではないでしょうか?(松本誠也)
反戦通信(NO・10)・・・沖縄版アブグレイブ事件
沖縄では、米兵によるタクシー強盗など相変わらず米軍関係者による事件が後を絶たない。沖縄ばかりではなく、本土の米軍基地でも事件が多発している。最近も、米海軍横須賀基地で詐欺や傷害容疑で米兵が逮捕されたばかりである。
1月22日には海上基地建設問題で騒がれているあの沖縄の辺野古で、さらにビックリする事件が起きていた。現場は米軍キャンプ・シュワブと民間地がつながる辺野古の砂浜である。
以下は事件を知ったジャーナリストのTさんとMさんの報告である。(若島三郎)
『信じられないようなことが辺野古で起きた。本土(広島)から辺野古の浜を訪ねた1人の青年が、3人の米兵に小突き回されたり、四つん這いにされたうえ、浜を断ち切る有刺鉄線に結わえつけられた平和を願うメッセージを取り除くよう強要されたという。
僕は驚愕し、仲間に報告、現地と連絡を取り、次のことを確認しました。
@事件はフェンスのこちら側(民有地)で起きた。報じたのは地元沖縄2紙と地元放送局だけ。A那覇防衛施設局は抗議文書の受け取りを拒否。B米軍は「事件はなかった」と全面否定。C所轄の名護警察署は告発の受け取りを拒否していたが、2月に入ってようやく受理。D抗議行動は続いているが、本土メディアは依然無視の状態。
僕はイラクのアブグレイブ刑務所で起きたレイプ・恐るべき屈辱的な暴力を想起します。同時に本土メディアの対応は、イラクで起きた香田さん事件のような冷酷さ(ひどいバッシング)と同質のものを感じます。メディアの隅に身を置く者として言いようのない恥ずかしさを覚えます。
沖縄現地はこの事実を本土が知ることを訴えています。僕たちはこの屈辱的犯罪行為に対して抗議の声を上げること、さらにメディアに対して事件を取り上げるように最大限の働きかけ(なすべき当然の圧力)をするよう、皆さんに呼びかけます。』(Tさん)
『なんと不気味な事件だろう。米兵の憎悪の激しとその陰湿さ、執拗さは尋常ではない。イラクやアフガン体験が、彼らの精神を荒廃させ、人間性を喪失させているのだろうか。しかし例えどのような理由であれ、このような行為は絶対に許されることではない。
気になることが3つある。その一つ目は、今回もまた犯人が「3人」だったこと。95年の少女暴行事件も「3人」だった。他にも3人組による事件はあった。「3人は社会の始まり」という。人間3人一緒なら理性を働かせる者が1人ぐらいはいるのが普通だ。ところがそうはならない。僕はそこに沖縄の闇の深さを感じる。
二つ目は、アメリカ人、とりわけ兵士たちの対日意識の問題。彼らの心の中に「ブッシュと小泉」のような“従属関係”、つまり「日本人は何もかもアメリカに従うもの」だとする共通認識がめばえているのではないか、という点だ。だとすれば、日米同盟の悪しき終着点というべきだろう。コトは深刻だ。
そして三つ目は、マスコミの問題。今度の辺野古の事件を僕は沖縄からのメールでしか知ることができなかった。本土のマスコミでは報道されていないからだ。いったいなぜ報道しないのだろう。』(Mさん)
(何でも紹介欄)
ドッグス・ダイ・イン・ホット・カー
「格差社会」イギリスの元気なロックバンド
ルームシェアでバイトをしながら演奏活動
1年ほど前、CDショップで偶然見つけたのがこのアルバム。試聴コーナーでヘッドホンを付けて聴くうちに、一発で気に入って、衝動買いしてしまった。明るく早いテンポにハイセンスな転調を伴ったコード進行、歯切れの良いコーラス。
曲の良さもさることながら、もうひとつ気に入ったのが、ポスターの写真だった。それは、男性数人と女性1人の若者が、一軒の家を借りて、共同生活しながら、歌の練習をしている場面だ。女性は、洗濯機から洗いあがったジーンズを引っ張り出しながら、歌っている。男性の1人は、アイロンを掛けながら、もう1人の男性は、ビニールのゴミ袋を縛りながら、さらにもう1人の男性はテーブルでカボチャを切りながら、みんな歌っている。天井から釣り下がった裸電球を「マイク」に見立てているのが、なんともユーモラスだ。
実際、彼らはスコットランドの高校で知り合い、かつての造船の町・グラスゴーに拠点をもうけ、一軒の家を借りてルームシェアをしながら、演奏活動を始めたのだそうだ。
元気なフリーターが、ルームシェアをしながら、ミュージシャンの道を歩み始めた、そんな息吹が伝わってくる。
仕事と学校を題材にした歌詞
サウンドやポスターだけではない。歌詞もとても好きだ。彼らは、身近な日常生活を題材に、ロック独特のパロディーの効いた歌詞をつけて、どんどん曲を書いている。卒業した高校や、今の仕事、そこから見る「大人達の世界」にこだわっているように見える。
「サム・ホワット・オブ・ザ・ウェイ」という曲から紹介しよう。
「先生たちは本当に得意だったんだろうか。教師という仕事が得意だったんだろうか。それはきっとたいへんな仕事だし、彼らの手に負えるのかな。僕らだってこんな風になるはじゅじゃなかったのに。
僕らは働いて そのために苦しみながら、どんなつらい仕事でもする。そしてお金をもらうために耐えているうちに、日々が過ぎていく 毎日毎日がただ過ぎていく。愚か者みたいな死に様を迎えたくないんだ。僕は敗北したわけじゃなくて、だたちょっと道を外してしまっただけ。(中略)
今や僕らは稼いだお金で、必死に請求書の支払いをするけど、世界が僕らに向かって眉をひそめている気がする。僕らは前に習ったよりずっと多くのことを、今になって学んでいるし、自分ではそれが素敵なことだと思っているのにね。(後略)」
子供のような素直な感性を失わずに社会に出て、「大人の世界」に違和感をいだき、斜にかまえてしまう。何やら、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公を思い出すのは僕だけだろうか。
「格差社会」が生んだパンクロック
彼らの音楽が、僕らを引き付ける要素には、サッチャー旋風が吹き荒れた80年代以降、イギリスの若者を取り巻く社会状況の中で、脈々と息づいてきたパンクロックのエネルギーがあるのは確実だと思う。
最近、平凡社新書で「しのびよるネオ階級社会・イギリス化する日本の格差」を書いた林信吾氏が、その著書の中で、イギリスの格差社会の状況を伝えているが、その中に「パンクロックの伝説的バンドであるセックス・ピストルズのジョン・ライドン」が、ロンドンの下層労働者地区でるフィンズブリー・パークという地域で育ったころのエピソードが彼の自伝から紹介されている。
「家族全員で一つの寝室と一つの台所を共有する生活だった。隣の部屋には浮浪者が住んでいて、その部屋の臭いことといったら!」「ブリキのメッキトタンの風呂は、感触が気持ち悪かった。その上、湯を沸かす大鍋もなくて、熱い風呂に入ったためしがない。家にあるのはヤカンとスープ鍋だけで、風呂に湯が溜まる頃には寒さで凍えているという始末」
またアイルランド系移民の二世であるジョン・ライドンは、常に差別を受けていたともいう。
「カトリック学校へ行く途中にあるプロテスタント居住区は、いつも走って通り過ぎたもんさ。「汚らしいアイルランド野郎ども!」なんて罵声を浴びながらね。今じゃ、その罵声も黒人やその他の人種に対して向けられてるようだけど。(中略)世界中の労働者階級に共通する問題点かもしれないけど、労働者階級は自分より下に位置すると思われる人間に対して、常に憎しみを抱くんだ。そもそも彼らを上から押さえつけている中流や上流の中枢にいる人間に向かって行くことはしないんでね」
こんな重層的差別に、さらに拍車をかけるような労働者の分断を持ち込んだサッチャー旋風の中で、「ノー・フューチャー・フォー・ユー」(君たちに未来はない!)と叫んで爆発的に登場したのが、セックス・ピストルズだった。
その頃、日本はバブルに浮かれていたためか、パンクロックの心情にはピンと来ない人が多く、うわべだけの「ニューウェーブ」ファッションだけがもてはやされてしまったのが、今も尾を引いているように思う。
グラスゴーから吹いてくる風
ブレアがブッシュと手を結んでイラクに派兵し、百万人の反戦デモが起きたのを機に、イギリスでは、寝た子を起こしたように、ロックが息を吹き返した。彼らを「ポスト・パンク」と呼ぶ者、「80年代リバイバル」と呼ぶ者、評価は様々だが、いずれにしても新鮮に受けとめられているのは確かだ。
リバプールでビートルズによって産声を上げたイギリスのロックは、レッド・ツェペリンによって芸術の域(?)に達したのち、一転してセックス・ピストルズの攻撃的なパンクへ、そしてしばらくロンドン・イーズトエンドを中心にした都会的なニューウェーブが続いていたが、今新たに造船労働者の街グラスゴーから風が吹き始めた。
同じグラスゴー出身の「フランツ・フェルディナンド」なども、ちょっと粗野だけどパワーのある歌声で、最近日本でも注目されてきたようだ。
ちなみに、「ドッグス・ダイ・イン・ホット・カー」というバンド名は、夏に飼い主がショッピングをしている間に「車の中の熱暑で犬が死んでしまう!」という、動物愛護団体の標語なのだそうだ。音楽の内容には、あまり関係がないようなのだが。もしかしたら、社会がおかしな方向へ走っているうちに、顧みられない若者達が犠牲になっている、と警告しているのかもしれない、などと解釈するのは深読みだろうか?(松本誠也)
映画紹介
第11回にしのみやアジア映画祭
「天上草原」(2002年・モンゴル)大自然の中で繰り広げられる癒しの物語
毎年2月11、12日の2日間で、アジアの各国からの映画が上映されます。今年で11回目とは、この報告を書くまで気づきませんでした。毎年、企画の準備も大変だろなと思い、主催者の方への感謝も含め感想を書きたいと思います。
この作品の美しい四季おりおりの景色は、すばらしい! の一言です。モンゴルの自然の雄大さと、動物の群れと人の共存には、とても同じ時に生きているとは思えないものを感じます。私たちの生活がどれほど、自然からかけ離れてしまったのかを教えてくれる貴重な映画でもあります。
物語は、5年の刑を終え出所した男性・シェリガンが、刑務所仲間の息子を預かって帰ってくるシーンから始まります。刑務所仲間の息子・フーズ(虎子)は、心身を患って失語症になり、預かる夫婦は四苦八苦の毎日。しかもシェリガンは、妻バルマとの関係が悪く、フーズへの対応をめぐってもぶつかり合ってしまう。そんな3人の生活が、観る側には、じれったくもあり、何か変化を求めたくなるような、ちょっと退屈な場面でもありました。
しかし、シェリガンの弟・テングリが、物語を展開させる存在となります。義理の姉であるバルマを慕い、実兄との恋のライバルでもあったのですが、自ら軍隊に入りバルマの元から去ってしまいます。この別れ際、バルマが本当はテングリを愛していたのかと、思わせるシーンもあり、本当にハラハラさせられました。
その後、主人公の少年・フーズは、父親代わりのシェリガンと母親代わりのバルマに心を開き、3人が仲むつまじく過ごす日々が続きます。フーズが学校に通い、友達もできて遊ぶ様子や、モンゴル相撲で体力を養う子どもたち、素朴な自然の中での遊びを羨ましく思いました。特に、驚いたのは幼少の頃(6〜12歳)から、馬を乗りこなすことです。クライマックスの馬レースはとても迫力があり、子どもが乗っているとは思えないほどでした。
馬レースで優勝したフーズの口から出た言葉は、「テングリー!」という叫び声でした。軍隊で顔にやけどを負い、身元を隠し帰って来たものの、大雪のなか街に戻ってしまったのです。テングリの身を案じ、何度も叫んだフーズにシェリガン・バルマと同様、会場も感動に浸っていました。やがてそうなるだろうと予感はしていたものの、最後にフーズは実の父親の元へと帰っていきます。
ところで、映画に出てくる女性の民族衣装は、とても美しく手作りとは思えないほどの繊細な図柄でした。しかし、あの衣装での毎日の水汲み・家畜の世話など重労働はこなせるのか、疑問でした。「天上草原オフィシャルウェブサイト」からの資料によると、「デール」と呼ばれるこの民族衣装は、じつに機能的に作られているということです。高い襟は体からの水分蒸発と、毒虫などの進入を防ぎます。長い袖と袖の折り返し部分は、乗馬の際に防風、防寒の手袋代わりになります。とめはずし可能なボタンは、温度や通気を調節することができます。腹部に堅く巻かれた帯は胃下垂を防ぎます。うーん、なるほど、納得してしまいました。こうしてみると、日本の着物も案外、機能的なのかもしれません。
食事のシーンは、何度も出てきますが、羊の肉を一滴の血も無駄にせずに食べきる彼らの食生活には、自然の摂理を感じます。飽食の現代社会、職場のぎすぎすした関係に疲れ
ている方、ぜひご覧になってください。きっと癒されるにちがいありません。(恵)
「皇室典範」改正に関して
最近は下火になってきましたが、「皇室典範」改正問題は、端的に言い切るならば、皇位継承権を巡る皇太子と秋篠宮との争いに他なりません。今回第三子の懐妊が明らかにされた秋篠宮夫妻の第三子が、もし男子であれば、皇位継承権の第三位の位置になります。
これに関連して、今年の歌会始において、秋篠宮夫妻は、二人してコウノトリを課題に取り上げ、第三子出産に対する夫婦の思いを謳っていたのです。彼らは、現在のように象徴として、税金で扶養されている皇族の存在を深く考えたことがあるのでしょうか。本当に夫婦そろって全くいい気なものであるといわざるをえません。この事を考えれば、まさに彼らによって、天皇家の家督相続を巡る騒動が仕掛けられたといったところです。
こうした秋篠宮の野心に私は怒りを隠せません。私は、天皇制が政治的に廃止できないのなら、当然の成り行きとして、天皇制が自然消滅しそうなのであれば、そのまま消滅させていけばよいとの考えでおります。
このような考え方を私たちは拡げていくべきなのではないでしょうか。 (笹倉)
どの国の人々とも交われる可能性を持ちたい
巨頭会談がどうであろうと、私はどこの国の人々とも仲良くしたいと思う感を、強くしたことを書いてみる。昨年10月末だったか、戦没画学生の絵を許して下さい≠ニ戦後生き残った一人の資産家の方だったと思うが、残された画を集める巡礼の旅をした。その後、長野の上田市に無言館≠設けられたこと、大阪にも画の展覧会があったそうだが見そびれてしまった。
もう40年前に、くされ縁の友(もうこの世にいない)と東北全域を1ヶ月近くうろうろ歩き回ったこともある。今回、最後の旅と思い1人で上田市をかわきりに2日ばかりかけて、旅に出たときのこと。上田市駅前に真田幸村の勇ましい像(これは大阪の悲劇的なイメージとは異なるもの)と、ずっと前に中国から寄贈されたと書かれているシシの一対の石像があった。
その像の近くでボーッと棚に寄りかかっているお人、多分中国人でビジネスか観光でやってきた人と思う。だれかれなくに話しかける大阪のオバハンそのものの私が、「沖縄のシーサーとは違うようですね」と話しかけた。このご仁、飛び上がるように怯えてか「私は何も知りません」と、逃げるように立ち去った。
私はどこの国の人とも仲良くなりたいのに、なんでこんなに怯えたように逃げ出すのだろうと思った。悲しい思いから、どういう壁があるのか。民間交流もなかなか多くの壁を越えていかねばならんなと、思ったものであった。おカミ同士がいがみ合うから、なんでもない一般の人間まで迷惑する。
見知らぬ人々と交わるには媒介となるもの、音楽とか芸能その他の芸≠持っていると、よりこの壁を越えていくのに都合がいいだろうと思う。けれど芸無しのバアさんで、貯めたお金を全部旅に使い、日本のあっちゃこっちゃの上っ面ながら感じとっているのもあって、ついしゃべりたがるのだが。やっぱり、お墨付きがないとあかんのかな?
フジコ・へミングさんとか、お墨付きでなく個人として世界を歩けるものを備えている人ならでは、どの国の人も好きだけど、どの国も(壁を作るものとしてであろう)きらいだ≠ニ言いうるのであろうと、しみじみ思ったものであった。
オクニの巨頭同士がどうであろうと、私どもシモジモ≠フ人間はどの国の人々とも仲良くしうる、共通のものは何か。芸≠ヘ媒介としてだけ、でなくジャンルは違っても行き着くところは共通のもの≠ノ至るのではなかろうか。
それは、オリンピックの栄光の炎に燃える人々だけのものではなかろうと思う。「私は私は、あんたじゃないわ」と排他的に最初は見えようと、だんだん越えていくものであろう。五木氏のいう大河―よき方への流れとしての≠フ一滴として自覚しうるようになろう。線香花火の最も貧素な安物の1本の花火であっても美しいものとなりうると思っている。
こういう例の旅のエピソードは、いっぱいあって旅中毒になったけれど、今や動く体力も懐も文句をいうか、とぼしいながら広い世界を感得しうる術も少しづつ探りえつつあるように思っているが・・・。みんな、そこらへんで笑ったり怒ったり、泣いたりしているのでは? 2006・2・23 宮森常子