ワーカーズ317   2006.3.15,          案内へ戻る

あらゆる妨害はねのけ、勝利した岩国市住民投票
在日米軍基地再編強化・自衛隊の実戦部隊化に痛打!


 2月12日、米軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機を米海兵隊岩国基地に移転する案の是非を問う岩国市の住民投票が実施され、政府、自民党の圧力や右派マスコミの妨害をはねのけ、岩国市民は有権者の過半数を超える「移転反対」の意志を示した。安倍晋三官房長官らは、安全保障は国の責任だ、住民投票の結果にかかわらず再編計画を実行すると恫喝し、住民投票を中止に追い込もうとしたが、それらすべてが悪あがきに過ぎなかった。
 投票率が50%を割ったら開票すらしないという障害も乗り越えて示されたこの意志は、在日米軍基地の再編強化の策動に痛打を浴びせた。小泉政権はあらためてその結果にかかわらず計画は変更しないと強調しているが、沖縄でも神奈川でも米軍基地反対の火がさらに燃え上がることは間違いない。ひとつの譲歩が総ての破綻につながることを、小泉らは何より恐れているのである。
 右派マスコミを代表する読売新聞は、13日の社説でそれでも在日米軍再編は必要だ≠ニし、次のように主張している。「在日米軍再編は、北朝鮮の核開発、中国の軍事大国化という安全保障環境の変化や、国際テロなどの新たな脅威に対処するのが目的だ。日米同盟を強化し、日本の安全保障を、より強固なものとする上で、極めて重要な課題だ」「沖縄の米海兵隊普天間飛行場移転問題など、地元との調整でなお難題は少なくない。日本側の事情で再編計画が遅れては、日米の信頼関係が損なわれる。政府は、月内を目標とする日米最終合意に向け、全力を挙げなければならない」
 小泉らの心情を代弁するかのこの読売社説は、しかし米軍再編の一端しか述べていない。米軍の世界再編は何よりも米国(多国籍資本)の利害によるものであり、日本の安全保障など従属的な要素に過ぎない。日米同盟もそうした目的に合致したものに変質し、在日米軍基地の再編も同じ目的から機能を強化するものとなっている。もちろん、自衛隊もその目的に組み込まれ、米軍を補完し、いずれは実戦の先頭に立つことを求められよう。
 そうした面は隠され、もっぱら日本の安全保障*レ的であるかに装われている。そして、安全保障に口を挟むことは許さない、わがままを言うな、と犠牲を押しつける。小泉も「どこでも基地に賛成か反対かと言えば、反対だろう。そこが安全保障の難しいところだ」などととぼけている。
 今後、岩国の火を消すために、札びらが舞う一方で、国家的暴力の発動(ビラまき逮捕の頻発等)も予想される。この国の未来を大きく左右する、米軍再編強化と日米軍事一体化に対して、われわれの意志を鮮明に打ち出さなければならない。世界に権益を広げる日本資本は、実戦舞台としての自衛隊を望んでおり、それを今、ここで止めなければならない。           (折口晴夫)
 

日銀の量的緩和解除の背景と意味

日銀の量的緩和解除の背景

 三月九日、日本銀行は二〇〇一年三月から続けてきた量的金融緩和の解除を決めた。量的緩和とは、端的に言うと大衆の預金は「ゼロ金利」に抑えたままで金融機関には使い切れないほどの大量の資金を供給するという「異例の政策」だった。
 導入に至る経過は、一九九〇年代の長期不況の中、日銀は資金面で一般企業の経済活動を支えるためだとして、公定歩合を連続的に引き下げ、二〇〇一年には0・一%にまで下げた。しかし、景気回復がないため、金融政策も行き詰まる中で出てきたのが、この政策だった。その名の由来は、金融政策の目標を「金利」からお金の「量」に変えたことにある。
 実際の所、一般の金融機関が持っている国債や社債などを割高で日銀が大量に買い上げ、それに見合った現金を、民間銀行などが銀行同士のお金のやりとりのために日銀に開設している無利子の民間金融機関の日銀当座預金口座に振り込むとの金融操作を通して、日銀は大量の資金を金融機関に流し込んできた。
 この当座預金の残高目標額は、導入当初の五兆円からどんどん引き上げられ、今では三十兆―三十五兆円に膨れあがっている。日銀は「量的金融緩和」が経済や金融の安定に「相当な効果を発揮した」としている。しかし、日銀の発表でも、銀行の貸出平均残高(二月)は、九七年比で百五十兆円も減少し、前年同月比では八年二カ月ぶりに微増となった中で、都市銀行など大手銀行は依然としてマイナスが続いている。結局、当座預金に積まれたお金は、日本経済を活性化させることなく、民間の金融機関をカネ余り状態にしただけだったと評価されている。ではなぜ解除なのであろうか。
 この解除は、既に何回か「ワーカーズ」で論じてきたが、十八年十ヶ月にわたって米経済を指導してきた連邦準備理事会のグリーンスパン議長による利上げ政策の終焉に対応するものである。さらに二月からその任を引き継いだ連邦準備理事会バーナンキ新議長への新金融政策に対応するものである。端的に言えば、米国との関係から、今まで狭められてきた日銀の独自の金融政策の自由度を拡大しようとの思惑の為なのである。
 日銀が続けてきた量的緩和政策、特に日銀当座預金残を三十兆―三十五兆円に保ち続けてきた量的緩和の解除(十兆円程度に引き下げる)は、米国での高金利政策の終焉と日本でのゼロ金利からの離脱と長期金利の上昇との新たな相関関係の開始である。
 金融超大国をめざす米国にとっては、経常赤字の増大は大衆消費の伸びの結果であり、それはまた日本などの対米輸出国の経常黒字増を意味する。そのため、米国は経常赤字が増大すると赤字補填のため増大する経常黒字国の資金を米国へ誘導する金融政策を採るのである。
 実際、二00三年の米国のイラク侵攻以来増大した軍事予算と大幅減税で米国の財政赤字は史上最高となった。また二00三年までの減税と公共投資増、さらに低金利政策による景気回復と消費の伸びは経常赤字を過去最大にした。財政赤字と経常赤字のいわゆる「双子の赤字」の超増大である。このため、グリーンスパンは、二00四年六月から利上げ政策に転じ、フェデラルファンド金利を徐々に引き上げていった。その結果日本や中国の貿易黒字国から米国へ資金が流れ、二00五年末現在で、米債券の四十四%が外資に保有されるまでに至った。FF金利の上昇で米国の短期金利が上昇したためインフレが押さえられる一方、グリーンスパンは巧みに流入海外資金を米国債券市場へ誘導したので米債価格が上昇し、逆に長期金利は利上げを始めた二00四年六月の水準を下回るほどの低めに維持された。長期金利の下落の結果、住宅ブームが起こり、またこれが消費を伸ばす好循環になった。このように双子の赤字の中で利上げを繰り返してインフレを抑えながら消費を伸ばし米経済を好況に導くグリーンスパンの手腕は超一流だったのである。

量的緩和解除の持つ意味

 さて量的緩和が解除されると当然預金金利も上がるのではという期待が生まれてくる。しかし、銀行は日銀の政策目標が金利に移っても、当面はゼロ金利が続くことを理由に、いまのところ預金金利を引き上げることを考えていない。しかし、早くも住宅ローン金利については、長期金利の上昇幅に連動して上がるといわれている。現に長期金利は上昇局面にあり、住宅ローン金利の引き上げも行われているのである。
 大衆にとっては、預金の超低金利、住宅ローンの金利上昇に加え、予想される大増税と社会保障の負担増がのしかかり、家計は三重の重圧に見舞われることになる。
 しかし同時に、現在日本の経済界でも、企業も膨大な余裕資金を抱えてその運用に苦しんでいることを忘れてはならない。かって経験のないほどの大規模な「余裕資金」は、デフレの産物はであっても、日銀の量的緩和政策の成果ではないのである。
 日銀を含めて世界中の中央銀行は、デフレの進行とともに、経済界に対する発言力の低下に苦しんでいる。その理由は、各企業に「デフレによる余裕資金」が急速に蓄積しているからだ。その意味では、今回の日銀の金融政策の変更に、株安や円高になるとの憶測は流されているもののかつての高い影響力を完全に失った日銀がどういう金融政策を採ろうと景気を左右するほどの影響はないとする冷静な見方もある。
 ここで確認しておきたいことは、デフレが生んだ新しい現象の中でも、注目すべき最も重要なポイントの一つは、長い間金融理論の中核とされてきた「長短金利の連動性原理」に対する著しい信頼性の低下である。
 なぜそうなったかについては、日本に限らず世界でも金融論の専門家は、誰も明らかにしてはいない。グリーンスパン自身、なぜ長期金利が上がらないのかとつぶやきながら、自分の判断力だけを信頼して大胆な金融政策の路線転換を断行できたのである。
 今度の日銀の金融政策の路線変更も、大幅な金利引き上げに直ちに繋がるわけではない。現在の公定歩合0・一%も既に五年近く継続しているが、実際にはその引き上げは容易な仕事ではない。公定歩合の改定は財政政策との関連が強いため、現在の財政危機の解消の見通しが立たない状況では、到底日銀の手の届かない難問なのである。
 こうした中でバーナンキの取る政策が注目されている。グリーンスパンの金融政策は一言で言うと外資依存型であった。しかし、過去において、「ヘリコプターからドル紙幣をまき散らせ」との過激なインフレターゲット論者として知られたバーナンキ新議長も、国内設備投資重視型政策を採ると予想されている。
 それは、二00五年末までに米国の海外進出企業が海外所得や余剰金を米国に持ち帰って雇用増大や基礎技術研究開発のために投資した場合に限り、三十五%の事業税を五・二五%に減税することを決めたHomeland Investment Act(二00四年施行)の効果で、約五十兆円が資金環流した実績からささやかれていることである。この説によれば、バーナンキ議長はこの膨大な帰国資金を梃子に設備投資と雇用増大を計算に入れた政策を採ることになるだろう。
 実際にも、バーナンキ議長は、遅くとも五月には高金利政策を終える。すると海外資金の流入は期待できないばかりか、むしろ流出が始まると考えられる。こうして潤沢な海外資金の住宅抵当債券買いで支えられてきた米国住宅産業にもマイナスの影響を及ぼし、消費が減速する。米国の利上げ終了と、日本の量的金融緩和出口到来で日本の長期金利は上昇に転じ日米金利差は縮小し、円高・ドル安に動くだろう。
 しかし、円高・ドル安は、米国の輸出競争力を高め外需は増大する。この外需増大は住宅ブーム終焉による消費の減退分を補完する。一方日本では円高による輸入コストダウンが内需を拡大し、円高による輸出の減退分を補完するというのがバーナンキの読みだと言うが、現実はアメリカにそんな甘い夢を見ることを許すのであろうか。ドル安に歯止めがかからなかったらどうするのであろう。私は大いに疑問だと考えている。 (直記彬)   案内へ戻る


国民保護計画=戦争動員プラン許すな

■進む市区町村での戦争動員計画

 04年に有事法制の一環として成立した「国民保護法」(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)に基づき、昨年は都道府県において国民保護関連条例と国民保護計画の策定が進められた。06年度は、市区町村における国民保護条例と国民保護計画が制定されようとしている。早い自治体では、この3月議会においてすでに条例案などが提出されている。
 国民保護法とは、武力攻撃事態やそれが予測される事態、あるいは緊急事態に際して、国民を保護するとの名目で、実は国民を国家の戦争計画や治安計画に協力させ、動員していこうとするものだ。中央政府各機関のみならず、都道府県や市区町村、電気やガスや電話や運送や医療等々に関わる指定公共機関、そして住民のひとりひとりに協力の義務が課せられる。協力を拒んだ公務員や民間企業労働者には解雇も含めた処分が加えられる恐れがあり、物資の保管や土地の収用の命令に反した者等には罰金刑や懲役刑を科すという強権も備えている。

■「国民保護」とは名ばかりの実態

 「国民保護」をうたうこの計画が本当は何のために制定されようとしているかを、昨年から今年の初めにかけて行われたいくつかの有事訓練が見事に物語っている。
 福井県の美浜町では、昨年11月27日に、原子力発電所がテロリストによって襲撃を受け、それに原発事故が重なったという想定の下に有事訓練が行われた。マシンガンや銃座を備えた自衛隊の巡視艇や装甲車がものものしく出動し、テロリストとみなされた「外国人」の追跡と拘束、住民避難の訓練を行ったが、その実態は「外国人」の拘束が主な目的で、原発事故という深刻な事態が想定されているにもかかわらず、住民避難はきわめておざなりであった。
 千葉県の富浦町では、今年3月7日に、弾道ミサイル発射などの緊急情報を伝達する「全国警報システム」(J―ALERT)の実証実験と住民の避難訓練が行われた。ここでもやはり「国籍不明のテロリスト」が登場し、彼らが「上陸するのが目撃された」という想定で訓練がスタートした。際だっていたのは、動員の主体が小学生に置かれたことだった。約120人の生徒が、自衛隊などに誘導されながら、近くのバス乗り場から約2キロ離れた町民体育館までバス避難するという訓練を施されたのであった。訓練に先立って、小学生の絵が表紙を飾るパンフレットが各家庭に配布され、「国籍不明のテロリスト」への警戒心が呼びかけられた。

■「武力攻撃事態」の絵空事

 政府は、有事法(武力攻撃事態対処法)において、いつくかのケースを示している。武力攻撃事態としては、着上陸攻撃、航空攻撃、弾道ミサイル攻撃、ゲリラや特殊部隊による攻撃。そして緊急事態としてテロ攻撃も対象とすることをうたっている。
 しかし政府自身、敵による着上陸攻撃や航空攻撃はほとんど想定されないと語らざるを得ない。政府が「あり得る事態」として強弁できるのは、弾道ミサイル攻撃やゲリラ攻撃、テロ攻撃などであるが、しかしそれさえ議論の前提がでたらめだと言うほかない。
 政府や自治体の首長たちは、隣国における核やミサイルの開発、アメリカにおける9・11テロ攻撃などを好んで口実にあげるが、そのこと事態、日本の有事法制や国民保護法の根拠の薄弱さを暴露するものだ。
 アメリカが他国の軍事的挑戦やテロ攻撃の恐怖にさいなまれざるを得ないのは、アメリカが世界に覇権を求め、軍事力にものを言わせて他国を攻撃し、人々を支配してきたからである。そしてスペインやイギリスがテロの標的となったのは、そうしたアメリカに積極的な協力を行ってきたからだ。そしてもし日本が他国のミサイル攻撃やテロ攻撃におびえなければならないのだとすれば、それは同じく日本が「戦争中毒」のアメリカに追随し、それを支持・支援しているが故である。
 日本の政府が行わなければならないのは、他国からの武力攻撃を想定した有事訓練などではなく、他国から敵視され、その攻撃を恐れなければならないような米国追随の外交政策をやめることである。そして米国に続けとばかりに推し進めている軍事強国化路線、自衛隊の海外派兵やそれをより公然と、大がかりに行うことを可能にするための憲法改悪などの策動を中止することである。

■条例、計画を阻止しよう

 「国民保護計画」の目的が、実際にはアメリカが行う戦争に自衛隊を協力させ、参加させること、そうした戦争に自治体や民間企業や国民を有無を言わさず動員させることに置かれていることは明らかだ。また「有事」やその「恐れ」を必要に応じて語ることで、国民を思いのままに操り、自在に統制する力を手に入れることも、政府のねらいである。
 政府が昨年10月16日に行った「国民保護タウンミーティング イン 東京」では、有事計画でのコンビニネットワークの活用、消防団の有事訓練とそれへの若者の勧誘の重要性、そしてスパイ防止法の制定の必要性等々があけすけに語られた。
 会場からの、思想や行動の自由や権利に配慮することはスパイの活動を野放しにすることになるのではないかとの質問に対し、有事法制担当大臣の村田吉隆は、政府は「共謀罪」でその危険に対応しようと努力していると答え、もっぱら暴力団などの犯罪組織対策であるかに説明してきた「共謀罪」の本当のねらいを自ら語った。村田大臣はまた、イギリスにおいて監視カメラや盗聴器や令状無しの逮捕などが横行している事態を「テロに対して法制が完備されている」と持ち上げさえした。
 さらに、有事ブームを自ら煽り、そのブームに乗っかって有事コンサルタントとして数々のビジネスチャンスをモノにしている(株)独立総合研究所代表取締役社長の青山繁晴は、イスラム教徒の一部にテロリズムが浸透しており、日本にもそのようなテロリストがすでに入ってきている、などと煽った。そして「まずは国民保護法を実施し、訓練を行って国民意識を高める必要がある。その訓練の中で、避難住民の中にテロリストが紛れ込んでいるといった新しいリアルな事態を経験してはじめて国民は、スパイ防止法の必要性を自ら知る」などと、スパイ防止法制定をめざす姿勢を語り、その実現に向けてのプロセスの要諦まで披露して見せている。
 政府が自在に「有事」のアラートを鳴らすことで国民を操り、労働者や民衆の権利を制限し、国民を相互監視の下に置くことを可能とさせる「国民保護計画」の具体化を許してはならない。国民保護協議会への自衛隊員の参加を阻むとともに、市民委員や弁護士の参加を要求していこう。国民保護計画が人権保護と相容れないことを徹底的に暴露し、政府・支配層のねらいを打ち破っていこう。     (阿部治正)


「ジニ係数」(所得格差)めぐる労働経済論争

 昨年の秋、衆議院選挙で「改革を止めるな」と叫んだ小泉首相とその「チルドレン」が圧勝したころから、書店の店頭には「下流社会」をはじめ「改革の影」としての「格差の拡大」に警告を発する新書本が続々と並ぶようになったのは皮肉なことです。そして今年1月に始まった通常国会でも、野党議員はおろか与党議員からも「格差が拡大しているのでは?」との質問が出されました。所得格差を示す「ジニ係数」をめぐって内閣府から「反論」が出されるなど、国会審議は、さながら労働経済学会の質疑の様相を呈したのは注目すべきです。ところで「ジニ係数」とはいったい何なのでしょうか?それをめぐる論戦の奥に、どんな問題があるのでしょうか?

ローレンツ曲線とジニ係数

 所得の平等・不平等の度合いを計る指標のひとつがローレンツ曲線とジニ係数です。グラフ「図2・2ローレンツ曲線で見る家計格差」(高木郁郎「労働経済と労使関係」第一書林刊)を参照しながら説明しましょう。
 社会の構成員を所得の低い人から高い人まで、その所得を順々に足していくとします。それをグラフにしたのがローレンツ曲線です。
 仮に社会の全員が同じ所得であったら、それは「原点を通る45度の直線」になるはずです。しかし、所得の低い人と高い人の割合が多くなると、ローレンツ曲線は「右下に凸の曲線」になります。所得の格差が大きくなるにつれ、曲線は「より下に凸」のカーブを描くようになります。
 この45度の直線とローレンツ曲線に囲まれた「弓状」の面積が、45度の直線とX軸、Y軸に囲まれた「三角形」の面積に対して、どれだけの比率を占めているかがジニ係数なのです。
 所得格差が全く無ければ、ジニ係数は「0」であり、逆にたった1人で社会の所得を一人占めしていれば、ジニ係数は「1」となります。「0・5」は上位4分の1の人が、全所得の4分の3を占めている状態です。
 グラフでも明らかなように、1990年と2000年では、ローレンツ曲線は下に凸にずれており、ジニ係数は上がっている、すなわち所得格差は拡大していることがわかります。
 この傾向については、すでに1998年、労働経済学者の橘木俊詔氏がその著書「日本の経済格差」(岩波新書)で指摘しています。

「高齢化と世帯人員減少が主因」と反論

 これに対して内閣府は、今年の1月に反論を試みています。小泉首相の国会答弁も、この内閣府の見解をベースにしています。
 確かに政府の調査でも、ジニ係数は「0・308」と、十年前より0・011ポイント、20年前より0・028ポイント上昇しているとされます。
 しかし、ジニ係数上昇に寄与した要因を分析すると、その大部分が高齢化と世帯人員の減少によるものである、というのが内閣府の反論です。
 具体的には「所得再分配調査のジニ係数(税や年金で再分配する前の所得)」は、2001年に0・498で、1998年に比べて0・026ポイント上がっているものの、そのうち高齢者世帯の増加による分が0・017ポイント、世帯人員の減少による分が0・007ポイントで、これら二つの要因がジニ係数上昇の9割を占めている、というのです。
 つまり高齢化と核家族化による統計上の上昇であり、格差の拡大は実質的にはきわめてゆるやかで、大したことはないというわけです。
 これに対して、橘木氏は「高齢化と世帯人員減少で補正した上でOECDが算出した係数はどうか?」とOECDのデータを示し、これらの要因を差し引いても日本のジニ係数がOECD諸国の中で上位にある、と再反論しています。

高齢化の中身が問題では?

 「高齢化が主因だから大したことはない」という内閣府の反論は、実は「反論」以上の重大な問題を示してしまっていることに気がつくでしょうか?
 まず、高齢人口の増大の中身です。産業構造の変化に伴って、労働力人口に占める自営業者とその家族従事者(その大部分は農業)の割合が低下し、雇用者の割合が増加しています。自営業者は60歳を過ぎても働き続け収入を得ており、従来は高齢者層の中の所得格差は、この自営業収入の格差が反映していたと見ることができます。
 ところが、徐々に高齢者における自営業者の割合は減り、製造業やサービス業の労働者の定年後の引退組が増えてきています。この層は退職後は、年金に頼らざるを得ず、再就職があったとしても極めて低賃金です。さらに会社の規模やリストラで退職金の有無が、大きくひびいてきます。
 高齢層の格差の中身が、自営業者収入の格差から、労働者の退職後の格差に置き換わりつつあるのです。そして、それは「2006年危機」といわれる団塊世代の大量定年退職で、退職金の有無を軸に、深刻な格差を生み出すことが予想されます。
 「大したことはない」どころではないのではないでしょうか?この点を突っ込んで、さらに追及すべきなのに、野党は勉強不足です。

深刻な若者の所得格差

 さらに政府の調査でも、もろに出ているのが、30代半ば以下の層です。29歳以下のジニ係数は、1994年から2004年までの十年間で、大幅に増えています。(グラフ「年齢層別では」日本経済新聞2月7日より)
 ここには企業が90年代以降、正社員の新規採用を抑え、非正規労働者(パート、契約社員、派遣社員、請負)の採用に置き換えてきた結果が、如実に表れています。この非正規労働者の増加が、結婚して家庭を作る事を困難にし、単身者の割合を増やしているとすれば、「世帯人員の減少」は単なる「核家族化」どころか、格差拡大と背中合わせであると言わなければなりません。
 この若者の格差は、これから十年後、二十年後と進むにつれて、30代、40代の労働者の格差となっていくのは明らかです。
 また中高年についても、リストラの効果がジワジワと効いてきます。前述した退職金の有無に象徴されるリストラについて、もう一度考えてみましょう。企業が中高年の人件費を削るには、労使関係の安定のため、目先の賃金を下げる前に、将来の退職金について制度切り下げが先行するものです。現役部分の賃金に本格的に手をつけるのは、むしろこれからなのです。
 このようにジニ係数をめぐる政府の反論も、問題意識を持って突っ込んでいくと、そこに深刻な事態が見えてきます。(松本誠也)
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コラムの窓・・・「格差社会を考える」
 
 今通常国会において、「4点セット問題」(ホリエモンのライブドア事件、耐震偽装事件の政界への拡大、米牛肉の再禁輸問題、防衛施設庁の談合問題)が起こり、小泉首相は昨年の総選挙時以降の勢いが失速する事態に直面したものの、民主党のメール問題の大失態に救われた形となった。
 しかし、上記の「4点セット問題」以外でも、「格差社会をめぐる小泉改革への批判拡大」、「皇室典範改正の頓挫」、「靖国参拝などをめぐる対中韓外交の行き詰まり」、「米軍再編協議の停滞と反基地運動の拡大(沖縄の辺野古沿岸基地反対、岩国の住民投票で反対多数、等)」問題が吹き出し政権の末期症状を示している。
 今回は上記の諸問題の中から、国会でも論戦になった「格差社会」の問題を取り上げたい。小泉首相は自分の構造改革の失敗を認めたくないため、「そんなに格差は広がっていない。『負け組』ではなく、『待ち組』だよ」と、相変わらずウソとごまかしである。
 90年のバブル崩壊以降、大企業は生き残りを掛けて、労働者の「首切り」「出向」「配置転換」などを強行し、数千人規模の人員削減の大リストラを実行した。
 2001年4月小泉政権が誕生し、キャッチフレーズ「聖域なき構造改革」のかけ声のもと、医療、保育、教育、福祉、雇用など、あらゆる分野の規制緩和が進んだ。
 そして、2003年3月に「労働基準法改正」(解雇ルールの新設、有期雇用【期限付き雇用】、裁量労働の拡大)法案が成立した。
 これ以降、「正規から非正規へ」という雇用形態がどんどん進行し、あらゆる職場に契約・派遣・パート等の雇用者が存在するようになった。労働者にとってのバイブルである「労働基準法」が骨抜きになり、多くの労働者がムチャクチャな労働条件のもとで働かされる状況が生まれはじめた。
 労働相談に忙しい全国ユニオンの鴨桃代さんは、非正規雇用者の実態を次ぎように報告している。
 『非正規雇用形態もどんどん多様化して、どこの職場にも契約社員、パート・アルバイト、派遣、請負、オンコールワーカー(携帯電話で1日契約の仕事を受ける)等々が広がっている。職場には正規労働者はほんの一部しかおらず、あとの大部分が非正規労働者で占められているのも決して珍しくない状況である。
 この非正規雇用者がどんどん増大しており、現在1500万人になり全雇用者の35%も占めるようになった。また、若者のフリーターも急増して約417万人と言われている。
 賃金を見てみると、パートの平均時給が893円なので、年収は893円×2000時間で約178万円となる。派遣の平均時給が1250円なので、年収は1250円×2000時間で約250万円となる。また、零細企業の新規高卒者の基本給は12万円〜15万円などというひどい低賃金である。仮に月15万円×14ヶ月(ボーナス2ヶ月分として)だとすると、年収は約210万円にしかならない。
 従って、このような低賃金ではとても「生活できない」「独立できない」のであり、仕方が無く「複合就労」(仕事のかけ持ち)をしたり、親を頼る「パラサイトシングル・カップル」が多くなるのは必然である。
 さらに、非正規雇用者の処遇格差もひどい。有給がない、健康診断や医務室などの施設の利用差別とか、制服支給や名簿記載がない等、日々の身分差別が当たり前になっている。また、契約期間の短期化(6ヶ月未満が88%にもなっている)や解雇自由(契約解除、更新の拒否など)等もまかり通っている。まさに人権なき職場である。』
 正規と非正規という労働の二極化がどんどん進んで行く中で、今労働現場では労働者同士の対立が強まっている。「官と民」の対立、「正規と非正規」の対立、「大企業と中小・零細」との対立が蔓延している。民間労働者は「公務員は高給取りでいいな、5時に終われるし」と。パートは「私たちは仕事量は一人前だが、賃金は半人前扱いだよ」「あの正社員はプラプラしてたいした仕事もしないで、私たちより高い月給だよ」と。零細企業の労働者は「大企業はいいな、週休2日制で長期休みは海外旅行だよ」と、それぞれがその格差に苛立っている。
 非正規は「低賃金」(森永卓郎氏の「年収300万円時代を生き抜く経済学」をはるかに下回る生活水準である)や「処遇格差」(身分差別)などで苛立ち、正規も非正規よりは多少賃金や処遇などで優遇されていても、フレックスタイムとかポストで「長時間労働」や「サービス残業」を強要され苛立っている。今の若者は、不安定雇用のフリーターを選ぶか、過労死覚悟で正社員になるかの選択を迫られている。
 格差社会を形成している要因として、企業の「低賃金」と「長時間労働」と「悪環境」がある。この過酷な労働条件の中で働いている日本の労働者は、次第に余裕をなくし、そして生活崩壊が始まっている。まさに労働は人が生きることの基盤である。その労働のあり方は今の私たち大人だけでなく、子どもたちの世代にも末ながく縛っていくことになる。
 地域組合である全国ユニオンは、「仲間を増やそう・なくせ格差社会・・・だれでもどこでも時給1200円以上」をスローガンにして、正規も非正規も団結して闘う「均等待遇の実現」をめざす運動を提起している。それは、「人権を柱とする社会的労働運動」であり、「人としての心と労働者としての団結をとりもどす」「仕事と生活の調和をめざす、これからの働き方をつくる」労働運動だと述べている。
 労働組合の組織率がわずか2割の時代だが、嘆かず焦らず「働いている人たち」との連帯と団結をめざしていこう。(英)


暴露された真実―アメリカ食肉業界の実態

三頭目の発覚

 三月十一日、米農務省は、米国内で牛海綿状脳症(BSE)感染の疑いがある牛が見つかったと発表した。この牛の組織をアイオワ州エイメスの政府試験所に送り、確認テストを行っている。結果は四日から七日以内に判明する。この牛がBSEに感染していれば、米国牛としては、今回が三頭目となる。
 問題の牛は同省が行っているBSE強化サーベイランス検査で発見された。牛が飼育された州など詳しい状況は明らかにしていない。国際的な検査手法である「免疫組織化学検査」に加え、日本や欧州諸国が採用している「ウエスタンブロット法」も使って検査する。
 同省のクリフォード主任獣医師は、声明の中で、「BSE感染が確定したわけではないが、万全の安全対策がとられている」と強調した。そしてこの牛の肉は、食用としても家畜用飼料としても流通していないことを明らかにした。
 米国では、二〇〇三年十二月、ワシントン州でカナダ生まれの牛のBSE感染が確認され、〇五年六月には米国産としては初めてのBSE感染牛がテキサス州で見つかっている。
 米国で三例目となるBSE感染の疑いがある牛が見つかったことで、政府は米農務省からの詳しい情報を待って、今後の対応を決める方針だ。
 政府は今後、外交ルートを通じて、牛の月齢や出生地などの情報を米側に求める方針だが、米国のBSE検査は生後三十カ月以上の高齢牛や死亡牛に限って行っている。このため、現時点では生後二十カ月以下の若齢牛に限定した輸入再開条件を覆す事態につながる可能性は低いとみている。
 しかし、米国産牛肉への危険部位混入など米側のずさんな対応が明らかになっており、日本国内での関心とはかけ離れた米国の米産牛肉輸入問題に対する無責任ぶりはさらに際だったものになった。

米国農務省のBSE違反記録資料

 三月八日、参院予算委員会での共産党議員の質問で、訪米調査で入手した米国農務省のBSE違反記録には、米国内の食肉処理場で危険部位を除去しないなどの違反が常習的におこなわれていた衝撃の実態が記されていた事実を告発したが、厚生労働相、農水相、食品安全委員長の三者が、この違反記録の原本を見ることも検討することもなく、米国産牛肉の輸入再開を決めていた重大な問題が暴露された。
 BSE違反記録は、二〇〇四年一月から〇五年五月までの、米国内の六千カ所の屠畜場・食肉処理場での違反事例(累計千三十六件)の詳細が記録された公文書で、同記録には、日本向けに牛肉を輸出している複数の米企業が、BSE危険部位除去や月齢確認などで常習的に違反をしていたことが明記されていた。
 共産党議員は、違反記録のなかから、昨年十二月以降に日本向け輸出指定をうけたカーギル・ミート社のネブラスカ州スカイラー食肉処理場と、ネブラスカビーフ社のネブラスカ州オマハ食肉処理場での違反行為の詳細をピックアップし、この二社が、危険部位除去違反など同じ違反を繰り返している事実をつきつけ、「危険部位」の除去、生後二十カ月以下の条件順守が現実に守られる保障がないことを明らかにした。
 ネブラスカビーフ社のオマハ食肉処理場では、〇四年七月二十八日、同年八月十九日、同十月十二日、二十六日の四回、危険部位の脊髄(せきずい)除去不徹底の違反が繰り返され、米国農務省の食品安全検査局から「同社の防止対策は、違反の再発防止のために適切に実施されていない。非効果的、または不適切だ」と指摘を受けたのに、翌〇五年一月にも同様の違反を起こしている。
 カーギル・ミート社のネブラスカ州スカイラー食肉処理場では、牛の月齢確認をしないまま解体処理する違反が五回も繰り返されていた。同社では〇四年三月だけで四回、月齢三十カ月以上の牛の頭部を混入させる違反を起こし、〇四年九月には「危険部位」を切断したノコギリの洗浄、熱湯消毒を怠った違反を起こしていた。
 なぜ、同じ違反が繰り返されるのかについては、検査官が作業現場や、商品の牛肉を見ないで輸出証明書に署名する、米国の食肉処理場の検査体制の問題点もとりあげた。その例として、雑誌『ニューズウィーク』(二月八日号)は、元検査官の証言を紹介し、事実確認なしで「輸出証明書に署名するよう会社側や米国農務省の食品安全検査局の上司から要求されることが少なくない」と報道していることを提示した。
 国会の質問では、BSE違反記録や検査体制の問題点について、「米国が是正したといえば、そのとおり信じて、(政府として)きちっと調べもしない」と指摘し、日本政府のずさんさ、関係閣僚等関係者の重大な責任を糾弾した。そして、今問題になっている月齢確認や危険部位除去の違反行為が、米農務省の報告書のような「例外的なもの」ではなく、アメリカでは構造的な問題であることを裏付けたといえる。

アメリカのBSE対策の実態

 端的に言えば、アメリカの食肉業界は巨大企業による寡占になっている。牛肉では、四企業(IBP<0一年にタイソン・フーズ に買収された>、コンアガラ、エクセル、ファムランド)が業界の八十一%のシェアを占める。これは、特にレーガン、ブッシュという共和党政権の時代に加速した。そして、これらの食肉業界の代表者はアメリカ農務省に派遣され、食品産業政策に直接に関わっている。実際、レーガン政権では農務長官に養豚界のジョン・ブロック、副長官に全米食肉協会会長のリチャード・リングが就任している。しかし、民主党政権でもこうした状態は変わらない。クリントンの最大の後援者はタイソン社の会長である。アメリカ農務省は食品産業省の異名を持つが、実質的にも生産者が運営しているのだ。連邦政府が本来監督する対象の業界に支配されているのは、食肉業界でも同じでことある。
 実際の精肉現場も日本とは質・量とも桁はずれである。例えば、全米最大の屠畜場IBP(カンザス州)では、一時間に四百頭の牛を屠畜している(一週間で三万頭)。ちなみに日本最大の芝浦屠畜場では、一年間になんとアメリカのほぼ一週間分と同じたった三万五千頭である。鶏にいたっては、アメリカでは、一分間に三十五羽のスピードで屠畜している。食肉監視員にこの膨大な数をどうやって監視しろというのであろうか。さらに言うなら、八十年代のレーガン政権の時に、農務省はこの監視員の数を減らし、大屠畜場の衛生基準を緩和している。そのため、牛では受け持ち時間内に屠畜される数のうち、完全に検査できるのは0・三%以下といわれている。そのおかげで、食中毒による死者の数が急増している。
 こんな激務の屠畜場で働く労働者は、実際にはベトナム、ソマリアからの難民、中南米の移民である。近年の食肉処理のスピード加速が、彼らの労働を一層過酷にしている。労働環境も劣悪で、それを告発すると解雇されるために一層悲惨な状況に陥っている。屠畜される家畜の中には、悲惨にも意識のあるまま殺されることも多いという。
 このような状況でアメリカのBSE汚染の実態はどのようなものであろうか。0三年十二月にアメリカで最初の狂牛病の発症が伝えられた。この牛はカナダ産とされたが、その感染源や同時期に移動されたはずの家畜の行方や発症の有無など何も分かっていない。
 先に紹介したように、アメリカでは、飼育頭数が膨大で、牛の出自や年齢を把握する「トレーサビィリティ」が全く確立していないのである。また後述するが、米国のBSEに対する姿勢は、あくまでも監視である。これは、BSEの発生状況を把握するための受身的なもので、BSE予防措置ではない。その予防措置でない監視でさえも、全く機能していない。まず、現在拡大された検査対象でさえ全体の0・五%の二十万頭(一年間に屠畜されるのは三千五百万頭)にすぎない(以前は二万頭)。しかも、この二十万頭もかなり恣意的にサンプリングされていることが判明している。
 これについては、0四年のアメリカ農務省監査局の内部報告書に対し、米消費者団体およびヘンリー・ワックスマン下院議員が批判書簡を公開している事実がある。
 前号の「ワーカーズ」でも書いたことだが、アメリカでは、除去した特定危険部位は焼却されずに、何と飼料用に使用されている。九七年まで牛や羊などの反芻動物由来の肉骨粉を牛に給餌することは合法であり、九七年以降も非反芻動物(豚、鶏、ペット)由来の肉骨粉を牛に与えることは禁止されていないのだ。また非反芻動物に反芻動物由来の肉骨粉飼料を与えることも合法とされている。
 こうして、牛の死体から造られた肉骨粉飼料を鶏に与える。そして、鶏が出した排泄物を牛の飼料に与えている。認識力あるものなら誰でも、このような給餌について、食物連鎖を考えれば、BSEの交差感染・感染拡大が起こることが分かろうというものである。
 さらに一言付け加えれば、アメリカの牛肉にはもっと大きな問題がある。それは、ウシ成長ホルモンの大量投与である。この薬品は、牛の成長を早めるという純粋に経済的な視点だけで開発されたものである。遺伝子組み換え食品汚染で悪名高い、ロックフェラ−傘下にあるモンサント社が特許を持っている。モンサント社は連邦食品医薬品局を抱き込んで、国内でも大々的に酪農家などに対して売り込んでいるのだ。
 このウシ成長ホルモンは、食肉に大量に残留していることがアメリカ消費者団体から指摘され、EUを中心に世界的にも使用反対運動が巻き起こっている。このホルモンを投与された乳牛に異常が出るだけでなく、私たちに乳がんや小児がんなどの発ガン作用を引き起こすと言われている。大変な問題ではないだろうか。
 米国政府は、牛肉輸出再開に向けて強引に圧力をかけている。それは圧力をかけることしか方法がないからである。アメリカはBSE検査体制の整備や監視行動を強化することなどもはや全く出来ないのである。
 しかし、私たちは自らの原則を曲げてまで輸入再開を急ぐ必要は全くない。この事を再確認しておこうではないか。 (猪瀬一馬)
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色鉛筆  介護日誌10

 母との一日は、カテーテル導尿の袋に溜まった一晩分の尿をペットボトルにとることから始まる。多い時には2000ccを越えることもあり、ゆっくりと時間をかけて移しかえてゆく。その間に、顔を合わせ会話をするのだが、「おはよう。どう?」のこちらの声掛けに対して、雨あられの様に不調を訴える声を浴びせられる羽目になる。
 「体中痺れて自分の体じゃないみたいだ」「起き上がれない」「何でこんなに動けなくなっちゃったのか自分でも情けない」「(デイサービスには行きたくないから)お昼まで寝かしておいてちょうだい」などなどなど。その頃には、私の方の気分もすっかり滅入ってしまい、次の洗面・朝食場面ではこちらの仏頂面になってしまっている。
 骨折により歩行不能になって3年目。介護度4の83才の母にとってみれば、自分の身の不運を嘆き悲しむことは理解できなくはない。車イスが頼りだが、家の中は狭く思う様に移動は出来ない。排便も自分ではほとんどコントロールできず、下剤と浣腸、おむつの世話にならねばならない。世話をしてくれる家族の顔を見れば仏頂面、とくればこれはもう「もう生きていたくない」と呟くのも無理はないとも思う。
 この言葉は母がよく口にするのだが、こちらがイライラしている時には「その生きていたくない人の面倒をみさせられてるこっちの身にもなって下さい!」と怒鳴ってしまう。そして自分の口から出た言葉で、母と同様に自分も傷つく。余裕のない心で過ごさざるを得ない在宅介護の日々。
 先日、知人の父が亡くなりすぐに駆け付けた。安らかに眠る夫の傍らで、10年近く認知症であったその人をたった1人で介護されていた母が座っている。人はこれほどにもやつれてしまうものなのかと、驚かされる。彼女の口から、生前の出来事が溢れてくる。入浴、入れ歯、食事、発熱、通院治療・・・。ひとつひとつは健康な人にとっては、日常のごく有りふれた事柄だが、自分よりずっと大柄な夫を1人で介護していた彼女にとっては、それがどれだけ大きな負担であったことか。そしてそれらの世話を充分にしてあげられなかったことへの自責の念にかられている。
 もともと老人を大切にしない日本ではあった。2000年に始まった介護保険制度は、少しはそれを改善してくれただろうか?毎月約3000円の保険料を、40才以上の国民から徴収しながら、老人の生きがいや人としての尊厳は守られているだろうか?介護する側の尊厳はどうだろう?斉藤義彦氏が著書「介護保険最前線」(ミネルヴァ書房)で述べている様に、日本の場合はドイツに比べて“半分保険”でしかないという。昼間はもちろん、夜間や土曜日曜は、家族の犠牲の上で成り立っている。まだまだ多くの課題を抱えている。2006年4月実施予定の改正介護保険法も、問題の解決には程遠いものと言わざるを得ない。それどころか、利用者に新たな負担増を負わせるもので、貧しい人にはますます利用しにくいものとなってしまっている。貧しい年寄りや弱者は、生きるなということか?
 「もう嫌になっちゃう!」と、いつでも私の愚痴を聞いてくれる友人がいる。数年前に、在宅介護(壮絶な)の後舅を看取っているので、“先輩”であり何よりよく気持ちを理解してくれるので、私の良きカウンセラーなのだ。その彼女が言うのに、時々、おじいちゃんが死んだことは嘘で、まだ生きていて介護をしなくてはならなくなるという夢で、何度もくり返し同じ夢を見るという。今朝もそれで目覚めが最悪だったと2人で笑いあった後、ふと人の心にそこまで深く記憶を刻みつけられることの怖さを思うと笑えない。
 母亡き後、後悔のない様な介護をしようと思いつつ、つい今日も仏頂面になってしまう私。今朝は尿をとりながら、母が何も言わないので、「今日は体が痺れないの?」と聞くと「あんまり言うと嫌われると思って(我慢した)」と母。なかなかにしたたかなのだ。(澄)


――春闘――波及しない春闘相場――

拡大する日本型階級社会――

 基幹労連(旧鉄鋼労連)や自動車・電機など、民間大手の春闘は5年ぶりの「賃上げ要求」で有額回答が出される情勢だ。本号が発行される3月15日は、その民間大手の一斉回答日に指定されている。
 有額回答とはいっても定期昇給に当たる部分を差し引けば月に1000円から1500円で、またしても500円玉をめぐる攻防だ。このところの「景気回復」でかつてない企業利益をため込んでいる大企業にあってはあまりに低額にすぎる引き上げ額でしかない。
 が、それが民間大手の賃上げに止まらず、中小・零細労組、あるいは非正規労働者など、他の労働者に波及すれば、それでも賃上げ闘争の反転攻勢につながる。が、実態はそうした賃上げの波及構造は足下から崩れているのが現状だ。

■有額回答は前進だが……

 かつての高度成長期の春闘では、民間大手の賃上げは系列企業やグループ企業などのルート、あるいは春闘第二幕の中小労組の賃上げ闘争によって中小・未組織労働者の賃上げに波及していく構造があった。新卒者や若年労働者の人手不足などが背景にあったからだ。
 しかし今ではそうした民間大手と中小・零細企業労働者の賃上げ波及構造は崩れてしまっている。たとえば大企業と中小企業の労働者の年間給与差はこの10年で256万円から298万円にも拡大している。それ以上にいま急激に増えているパート・派遣・請負など非正規労働者の賃金は、春闘相場の波及から隔絶しているのが実情だ。
 そもそも非正規労働者の大多数にとって春闘などない。あるのは労働市場での過酷な需給関係だけである。長期不況下のこの数年、労組のある大企業でも賃金は引き下げられてきたが、パートや派遣、請負などの賃金はそれ以上に引き下げられてきた。非正規労働者は労組の賃上げ要求の枠外に置かれ、またあまりに低い最低賃金制などのために法的保護も受けられない状況のもとで、企業の言い値で働かされてきた。結果的にも雇用構造が大きく分断されている中では、「春闘」での賃上げ成果は一部の大企業に止まらざるを得ない。
 今年の春闘の中で大労組の幹部などは、増大した企業利益を家計にも配分すべきだ、と賃金引き上げの正当性を主張している。たとえば電機連合の中村正武代表は「企業は設備投資も、研究開発費も、株主への配当も増やしてきた。あと一つ、人への投資を忘れてはいないだろうか」と。
 こうした言葉自体はよい。が、電機連合をはじめとして民間大単産幹部はこの数年に拡大した雇用構造の重層化にあまりに無頓着・無力だった。リストラ解雇には無抵抗、ワークシェアリングにも消極的、結局残った正社員の利益確保に汲々としてきたのが実態だ。その結果急速に進んだ雇用構造の分断状況を前提とした正社員だけの賃上げ要求などは、分断状況を固定化を拡大再生産するだけで、結局は自らの賃金闘争自体も説得力を持たなくなってしまうだろう。
 そもそも長期不況下における市場の縮小過程での企業利益の増大は、非正規労働者の拡大などによるコストダウンが最大の要因だろう。たとえば正規労働者はこの10年で400万人も減って、逆に非正規労働者は650万人も増えている。だからこの非正規化によるコストダウンで溜め込んだ利益を家計にも配分すべきだということは、それが一部の正社員のみに止まることは前提になっているのである。連合がいくらすべてのパート時給の10円引き上げを看板に掲げていても実行ある成果を上げられないのはこうした雇用構造の分断を前提としているからだ。

■拡がる分断構造

 いま「景気回復」過程にあるといわれているが、その牽引役でもある電機産業は国内での新工場の建設ラッシュだ。
 今年1月7日には松下電器産業が世界最大のプラズマ工場を尼崎に建設する計画を発表、投資額は1800億円規模だという。シャープはすでに計画している三重県亀山市での第2液晶パネル工場建設のための1500億円の投資に加え、2000億円を追加投資することを1月11日に発表した。さらに1月13日には日立もプラズマディスプレーパネルの増産計画のための1000億円の投資を発表している。
 こうした新規工場の建設などには当然労働者の新規採用を伴うはずだ。が、実際に雇われる正規社員はほんの一部。大多数は請負会社の労働者で、実際に工場で働くのは請負労働者がほとんどだという。
 たとえば三重県亀山市のシャープの液晶テレビ製造工場。昨年の時点で約2600人が働いているが、正社員は800人にすぎない。後の1800人は請負会社の従業員だという(この項「アエラ」05・6・6より)。この工場の工程は液晶パネルの製造とテレビの組み立てに分かれており、「最高機密の集積」と言われる液晶パネルの製造工程はシャープの正社員、液晶パネルを組み込むテレビの組み立て工程が請負労働者の受け持ちだ。正社員と請負労働者の区別は食堂から駐車場、また立ち入り区域まで厳格に決められているという。
 その請負労働者の賃金は時給900円〜1100円、残業2時間込みで一ヶ月フルに働いて23万円。「6ヶ月ごとに契約更新制」で、「正社員に登用あり」という請負会社の宣伝広告は、請負会社の正社員ということだという(「アエラ」同)。
 仮に今春闘でシャープに有額回答があっても、こうした請負労働者は当然対象外だ。現時点ではそれが回り回って請け負い労働者に波及するルートもない。むしろ激烈な競争下で請負主の大企業による請負賃金の引き下げ圧力は強い。
 そもそもテレビなどの製造業は、一時期前までは空洞化が叫ばれ、海外に流出していた。それがいま国内回帰しているのは、液晶などの最先端技術に関わっているとはいえ、直接の生産工程や組み立て工程がライン丸ごと請負会社に外注するようになったことが大きい。また03年に派遣労働が製造業にも解禁されたことも影響している。その人件費のコストダウンで電機産業など製造業の競争力が強化され、空前の利益を手にしてきたわけだ。
 こうした請負労働者は統計上はサービス業に分類される。その数は01年の時点でおよそ100万人弱。いまでは軽く100万人を超えていると見られている。こうした請負労働者は時給がすべてだ。有給休暇も取らせないし、請負会社は社会保険料も払わないのがほとんど。まさに請け負い労働者は派遣先企業と請負会社が共謀する無法地帯に放置されているのが現状だ。

■日本型階級社会

 先に例示したシャープでは3月9日、出産・育児のために退職する社員の再雇用を保証する制度を導入すると発表した。「新制度は男女社員が対象。子どもが小学校に入学するまでの最長7年間、会社を離れていても、退職時に申請していた元社員は全員再雇用する」ということだそうだ。働く女性にとって朗報であることは間違いない。しかしこれも先ほどの有額回答と同じで、あくまで正社員だけに適用される制度でしかない。製造工場など、現場ではそうした正規社員の処遇とは全く別世界の現実が拡がっているのである。工場などの現場で働く多くの請負労働者や派遣・パートなどの無権利状態を前提とし、その上で正社員だけの好条件を獲得することがどういう意味を持つのかはいうまでもないことだろう。その先に見えるのは労働者の分断支配そのものである。
 かつてイギリスなどでは「アス・アンド・ゼム」=「我らとやつら」といういまでも存続している対立構造の中で階級社会が形成されてきた。資本家・経営者の職務を代行する職員=ホワイトカラーと現場労働者=ブルーカラーの対立である。いま日本では正規社員のブルーカラーを間に挟んで非正規ブルーカラーとエリート社員という三重構造が形成されつつある。こうした「日本的雇用の重層構造」が、イギリス型の階級構造になるかそれとも旧日経連の雇用の三類型化に収斂するかどうかは別途検討したいが、少なくとも「日本型階級社会化」が進行していることは間違いないだろう。
 これまで正規社員中心の連合などは、本音では非正規労働者を正社員の雇用と一定の労働条件を維持する調整弁、踏み台として位置づけてきた。組合員の中にもそうした意識が根を張っているという面もある。しかし着実に拡がる非正規労働者の不安定・低処遇・無権利状態と労働者の分断構造を打破する意識改革や具体的取り組みなくして、正社員も含めたすべての労働者の明るい未来はあり得ない。(廣)           案内へ戻る


オンブズな日々・その24・リセットできたら

 人生をやり直しできたら、そう思うひとは多いでしょう。また、どうにもならなくなった目前の事態を、ないことにできたらどんなに有難いだろうか。そう、それがリセットできたら≠ニいうため息です。
 しかし、リセットできないからこそ人生であり、取り返すことができないからこそ過去なのです。私たちは、ひたすら過ぎ去った過去の重みに耐え、今に最善を尽くさなければと思うのですが、どうでしょうか。今回はそうした事態をふたつ紹介します。  (晴)

人生の悲哀
 2月22日の地元紙の記事、「兵庫労働局元職員を逮捕」という見出しが目に付きました。逮捕理由はわいせつDVD所持という情けない話です。昨年同労働局を懲戒免職されたSは、生活費を稼ぐために犯罪に手を染め、このDVD販売で月15万円ほどを稼いでいたようです。
 さて、このSの転落の原因が、お役人生活には欠かせない裏金づくりでした。公金1億3000万円の詐取容疑で、詐欺や収賄罪の裁判が進行しており、今は保釈中。前々日の20日も神戸地裁で公判が開かれ、出廷したばかりという、まさに人生のどん詰まり状態です。
 労働局の裏金づくりはどんなだったかというと、雇用計画係主任という名前のついたSの仕事が裏金づくり担当だったのです。そのため、Sと後任のKが罪に問われ、Kには昨年10月に神戸地裁で1年4月の実刑判決が出ています。この裏金づくりでは7人の職員が懲戒免職になっていますが、裏金で接待を受けるなどして最も甘い汁を吸った厚生労働省の高級官僚はぬくぬくと生き延びています。
 裏金の総額は5億9000万円と高額であり、延滞金を加えると国への弁済総額は7億円近くまで膨らみます。このうち、約1億1700万円に延滞利息を加えたものを、約700人の職員によって昨年10月17日に返済しているということです。国庫への債務は年利5%なので、早く返済しないと債務はまた膨らみます。お気の毒ですが、仕方ありません。
 さて、この労働局の裏金づくり、兵庫だけのはずがありません。昨年11月8日、会計検査院が2004年度決算の検査報告を小泉首相に提出しました。その報告によると、調査が行なわれた25労働局のうち、24労働局で約27億円の不正経理が指摘されています。免職1人を含む45人に懲戒処分が出され、厚労省の中野雅之地方課長は記者会見で次のような述べています。「誠に遺憾。申し訳ない。中でも青森、京都労働局は組織的な不正経理だった」(11月9日付「神戸新聞」)
 今後、不正経理を実行、指示した場合は原則、懲戒免職だとも中野は言っていますが、中野らこそが懲戒に問われるべきなのです。末端の職員はその役割を負わされ、拒むこともできずに不正に手を染め、発覚したら真っ先にその罪を問われてSやKのように転落するのです。これを避けるためには、たとえそれが組織の意志であっても、不正を跳ね返す以外ないのです。

漂流するドーム
 大阪ドームは経営が破綻して売りに出されていましたが、応札した企業はタクシー大手のMKグループの大阪エムケイだけでした。応札価格は最低入札価格の100億円。この入札は管財人が「不適格」としたため、ドームの行く手はさらに険しくなっています。エムケイはドームをギャンブルの拠点にするという青写真を持っていたようで、さすがのそれはまずかったのでしょう。
 大阪市の第3セクター「大阪シティドーム」が設立されたのは1992年1月。そして、大阪ドームは97年3月に近鉄の本拠地として開業したのですが、2000年3月には早くも債務超過に転落し、01年9月には近鉄が大阪ドームで12年ぶりにリーグ優勝を決めるということもありましたが、結局04年11月にドーム社が大阪地裁に特別調停を申し立てました。
 大阪ドームの不動産鑑定額は98億8000万円で、ドーム社はこれを市に売却して金融機関への債務の一部として返還する。残りは債権放棄、つまり棒引きにしてほしいという意向でした。しかし、金融機関に対する債務は約410億円にも上り、市にも大阪ドームにそんなに多額の公費を投入する余裕などありません。
 昨年10月6日、この特別調停を断念したドーム社は、会社更生法の適用を申請しました。その結果、先の競争入札が行なわれたのですが、それも暗礁に乗り上げてしまったのです。大阪市の第3セクターは次々と破綻し、そのたびに止め処なく公費が投入されてきました。助役から市長になった関は、この事態に重い責任を負っており、先に行なわれたみそぎ選挙≠ノよってそれが消え去るものではありません。
 その関が、いわゆる職員厚遇*竭閧ナも自らの責任から身をかわし、大阪ドームへの追加投資はできないとしつつ、経済界の支援によってドームを支えたいと虫のいいことを言っています。ここでも、最も責任を負うべきものが生き延びるという構図があります。神戸空港もそうですが、この手の施設はつくってしまってからも生き血を吸う如く、公金の追加投入を求め続けるのです。その罪の深さ、重さを告発しなければなりません。


実践知について

 フィリピンで土砂に埋まっている人々を、ボランティア及び色んな人がかけつけて、進まぬ救出の中で望み(生きている)ある限り掘り続ける≠ニいうコトバを伝えてくれたこと。昔から宗教者か誰かのことばで人事をつくして天命を待つ≠ニ言われてきたコトバそのまま。ボランティアとして救出活動する人々は恐らく若者たちであろう。
 若者のナイーブな情熱に甘えていいのだろうか。日本の政治家、諸先生方。この国の首領は何を目指しているのだろう。死者になってから、どのように、おとむらいしようと、死者は怒るだろうに。日常生活に耐えながら、ベットの上で亡くなられた人々にお楽になられた≠ニホッとする人々の述懐は正直なところ。不慮の死≠ノ遭遇した人々、戦禍であろうと山崩れで生き埋めにあうと、ベットの上での死者に対するようにお楽になられた≠ニお祭りすることはとてもできない。
 苦しかったろう、痛かったろう≠ニ救出に携わった人々はもちろん、こういう報に接すると、貧しくともヌクヌク生きている者の胸に傷となって残る。なんでこんな不当な死者が続出なのかという問いと、明日はわが身≠ニ思わざるを得ない今日、忘れてしまうには余りにも多い不慮の死=B
 亡くなられた、月参りのおじゅっさんはよくもうあかん≠ニ言いながら、私の質問というか愚問に丁寧に、答えといえるかどうかわからんけどと言いたげながら、自分自身の答えを返してくれたものだった。大阪・新世界近くの広報版にもうあかん≠ニいうビラが張ってあった。なんかいな?逝ったおじゅっさんの記憶もあって近寄ってみると、交通課のおまわりさん係りの「高齢者の交通事故の数値」とともに、警告を呼び起こすセリフであった。
 おまわりさんの悲鳴かな? お年寄りに代わっての悲鳴のセリフかな?≠ヌっちかわからぬながら、数値という冷ややかなデータに、赤い血の通ったコトバもうあかん≠ニいうセリフを添えたこのビラの作成者の思いは・・・。それは、フィリピンだけでなく様々な形で、世界中の不慮の死者の救出に、何かの形で関わった実践知から生まれたコトバであったろう。
 望みある限り∞もうあかん≠アういうコトバを生み出した状況を想像し、記憶を呼び起こし、こんな文を続けることの空しさにも、耐えて書き続けること。そのニヒリステイックな空気は、堺筋の通り(大阪南部)の沈んだ賑やかさの中にただよう空気の香りでもある。
    2006・2・27 宮森常子


「教科書をつくる会」内紛により、名誉会長・会長・副会長は辞任した

 三月十一日、扶桑社版の中学歴史・公民教科書を主導した「新しい歴史教科書をつくる会」の会長だった八木高崎経済大助教授と副会長だった藤岡拓殖大教授らが辞任した。八木氏は「事実上の解任で(藤岡氏に)わたしが追放された」と話しており、採択率の低さと採択にむけての運動の対応への違いが激化し内部の対立が役員変更として表面化した。
 八木・藤岡両氏の辞任が決まったのは、二月二十七日の理事会であり、辞任後も二人は理事として会にとどまっている。後任の会長には種子島元BMW東京社長が就任した。
 つくる会の公式声明では、発端は昨年十二月の八木氏の中国訪問で、その時、八木氏は中国の知識人と歴史認識について討論したことが軽率だったと批判され、藤岡氏も執行部の一員としての責任を問われたのだと説明している。これについて、八木氏は「以前の韓国訪問は問題にされず、何が問題か分からない。わたしが自由に動くのが疎ましくなって追放したのが真相だ」と述べ、藤岡氏は「八木氏は私人として訪中したというが、つくる会会長として行動している。公私混同が問題になった」と話しているが、その内紛の真相は藪の中で外部からはよく分からない。
 この事を報じた新聞では記載されなかったことがある。それは一九九七年、「つくる会」は、藤岡氏らが中心となり発足した。そして大著『国民の歴史』を執筆し、実際にも旧版『新しい歴史教科書』を執筆して、つい最近まで名誉会長に留まっていた西尾幹二電気通信大名誉教授が、今回の内紛で理事すら辞めたことである。
 日本知識人の「自我の弱さ」を常日頃口にする異常に自己肥大した人格を持つ西尾幹二氏のインターネット日誌二00六年三月七日の「『つくる会』顛末記[近況報告]――お別れに際して――は、この問題に関心を持つ人達の必読の文章である。
 これが西尾幹二氏一流の我田引水の文章でないとすれば、「つくる会」の未来はまさにないことが明らかだと私は考える。もちろんインターネット上で公開されている実に長文の文章である。是非ご一読あれ。(笹倉)


我々自身が声を上げていこう

 自民党が調子づいている。小泉の人気は低下するどころか上昇している。
 民主党の永田議員のおそまつな国会発言は、もちろん永田議員や民主党の志の低さから出たものであつた。武部幹事長とライブドアとの癒着を、単なる政敵たたきのスキャンダルレベルでしかとらえられなかったために、自ら陥った落とし穴であつた。
 しかし、だからといって、小泉や自民が復調するなどということがあつて良いわけがない。BSE、ライブドア、耐震偽装、防衛施設庁の談合問題を見ても明らかなように、自民党の政治が民衆に大きな不幸と困難を押しっけようとしていることはあまりに明らかだからだ。
 民主党のていたらくによって救われた自民党であるが、その陰にはマスメディアの力添えも働いているように見える。自民と民主の両党の罪を論評、批判するに際してのマスメディアの力の入れ方は、明らかにバランスを欠いている。いわゆる「4点セット」と「永田にせメール」の扱いは、本来なら8対2、9対1位の比率で自民批判に重きを置くべきだ。
 メディアの扱いがそうなつていないのは、メディア自身が物事の軽重、どちらが現在の社会体制が抱える問題をより本質的に映しているかを見極める力も意欲も無くしているからなのだろう。彼らにとつては、「4点セット」と「永田にせメール」は、どちらも紙面や画面を飾るスキャンダルにすぎないのだ。その意味では、マスメディアの視点、関心は、自らがおおいにケチをつけている永田議員や民主党のレベルと大差がないといわざるを得ない。
 労働者・民衆の立場に立ったメディアの登場、活躍がいまほど欲せられる時はない。もちろん、誰かが代わって労働者・民衆のために暴露を行い、批判の論陣を張つてくれるわけではない。他力本願は、自民や民主やそれらとなれ合うことしか知らないメディアを喜ばせ、のさばらせるだけである。私たちひとりひとりが、声を上げていかなければならない。    (三月)


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