ワーカーズ320.321合併号 2006.5.1 .
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祝メーデー
国境・企業・雇用形態の壁を越えた労働者の団結と闘いで、格差社会、階級社会を克服しよう!
■〈均等待遇〉を闘い取り、〈格差社会〉〈階級社会〉を克服しよう!
〈格差社会〉〈階級社会〉は、弱肉強食の利潤・市場原理路線を突き進んだ小泉政権5年間で拡大したのは明らかだ。
多くの大企業は史上最高の利益を上げ、株主も肥え太る一方で、労働者世帯の収入はこの10年で毎月5万円以上も減っている。「格差があって何が悪い」と強弁する小泉首相だが、相続税の引き下げ、年金保険料の引き上げと給付引き下げ、定率減税の全廃等々、格差を造り出してきた張本人の開き直りは許すことは出来ない。
現に格差は拡大し続けている。この10年で貯蓄保有世帯の貯蓄額が2割増えた一方、貯蓄ゼロの世帯が7・9%から23・8%に増えている。家計資産も年収が最も高い層と最も低い層の格差はこの5年で3・1倍から3・4倍に拡大した。生活保護世帯も100万世帯を突破して10年前からほぼ倍増している。
その利潤・市場原理万能主義は労働者の中にも新たな二重構造をつくってきた。この10年で400万人を超える正社員が削減され、650万人のパート・請負・契約・派遣等の不安定・劣悪処遇の非正規社員に置き換えられてきた。その結果、一方には長時間・過密労働を余儀なくされている企業戦士という中核労働者、間に中間層を挟んで他方には、いつ首を切られるかという不安と劣悪な処遇を余儀なくされている非正規労働者への分断だ。いまではどこの会社でも仕事に追いまくられる正社員と、使い捨てにされている非正規社員という二種類の〈賃金奴隷〉状態を余儀なくされている。
さらに〈自殺者3万人時代〉はいまでも続き、そのうちリストラがらみの自殺者が約1万人にものぼっている。この1万人という数字は、あの米国同時テロが毎年2〜3回も起こっている悲惨な勘定になる。
こうした格差社会化・階級社会化はいまではにジニ係数など数字の上での話ではなく、私たちが生活・雇用破壊や将来不安などで日々実感し、身につまされている話だ。何をいまさら、と思わせた国会での格差社会の追究だったが、それだけ階級分断構造が誰の目にも明らかになってきたからだ。
フランスなどの直接行動の広がりとその成果は、労働者が団結して闘えば政治は変えられる、社会は動かせる、ことを再度教えてくれた。協同組合型社会づくりを見据えつつ、自分自身と仲間とその行動を信じて直面する課題での行動に決起しよう!(廣)
国境・企業・雇用形態の壁を越えた労働者の団結と闘いで、格差社会、階級社会を克服しよう!
■許さないぞ! 首切り自由化! 長時間労働!
利潤・市場原理万能社会を招き寄せた小泉構造改革の中心は、雇用をはじめとする労働法制の規制緩和が中心だった。この10年、労働者派遣法や裁量労働制の改悪など労働分野での規制緩和が強行され、いままた新たな規制緩和が目論まれている。就業規則の改悪と労組の無力化に直結する〈労使委員会〉の設置や〈金銭解雇=首切り自由化〉を目論む労働契約法の制定構想だ。厚生労働省は4月11日に「検討の視点」とするたたき台を示して成立に動き出した。
また厚労省は、年収の高い労働者を労働時間規制から外す「自律的労働時間制度」、米国のいわゆる〈ホワイトカラー・エグゼンプション(除外)〉の創設なども画策している。これは昨年6月に経団連が提言した「年収400万円以上のホワイトカラーを労働時間規制から除外すべきだ」という提言を受けたものだ。いまでさえサービス残業の蔓延で8時間労働制は形骸化されているが、この〈除外制度〉の導入で違法なサービス残業は合法化してしまおうというわけだ。厚労省は経営者や財界と一体となって、正社員のパート・派遣・請負などへの切り替えで雇用破壊を推し進める一方で、残る正社員にの権利破壊も推し進めようとしているのだ。経営者や財界が会社の意のままに労働者を使える体制づくりを追い求めるのは、いつの時代でも変わりがない。
さらなる労働法制の改悪は許してはならない。
労働法制の改悪には、実際の職場での既成事実が先行する。現に上記の〈除外制度〉もそうだ。個々の労働現場や地域から労働者自身の闘いで企業に縛りをかける闘いを拡げていくことが不可欠だ。そうした闘いと労働法制改悪阻止の闘いを結合していくことで、さらなる労働法制改悪の目論見を跳ね返そう!
■国境の壁を越えた闘いを!
90年代後半からの格差・階級社会化の進行の背景には、冷戦構造の崩壊に伴う経済のグローバル化の進展がある。EUの拡大、中国やインドの経済発展、自由貿易圏の拡大等々、この10年でモノ・カネ・ヒト・情報が国境を越えて行き交う時代を迎えている。
こうしたグローバル化の流れの中で、政府や財界は日本経済の高コスト体質是正をかけ声に、公共事業・規制産業の再編や福祉・公共サービスの切り捨てに突き進んできた。すべてはグローバル競争に生き残るためだ。こうした事情は高い失業率などに苦しむ西欧諸国でも同じだ。
国内での企業間競合に対して、労働者は企業の壁を越えた団結と闘いで自分自身の生活と未来を闘い取っていかなければならないのと同じように、いまでは国境を越えた労働者が同一の立場からそれぞれの政府と企業に闘っていくこと抜きには、身近で切実な雇用や賃金や労働時間規制を確保することが不可能な時代になっている。
企業間競争や国境を挟んだグローバル競合に巻き込まれてることは、雇用や労働条件の改悪競争に巻き込まれることでもある。反失業闘争など、企業間競争や国家的な競合関係から自立した、すべての労働者が国境を越えて連帯して闘う時代を切り開きたい。
■拡げよう!直接行動=直接民主主義!
その世界では、労働者をはじめとした直接行動による闘いが拡がっている。
フランスでは若者を対象とする〈期限付き自由解雇型〉の新雇用法を、若者・学生・労働者の大規模な共同闘争によって撤回に追い込んだ。アメリカでは“不法”移民労働者による居住権など市民権獲得を掲げた闘いが拡がっている。タイでも大規模な抗議行動でタクシン首相を退陣に追い込んだ。ネパールでは腐敗したギャネンドラ国王退陣と王政廃絶を迫る大衆的な闘いが拡がっている。
こうした闘いや成果は私たち日本の労働者も勇気づけられる出来事であり、見習うべき出来事だろう。ところがこうした直接行動への批判は大手メディアから〈街頭民主主義〉〈街頭政治〉との批判も出されている(『朝日』4・2など)。議会制民主主義との対比からだ。大手メディアも含めて既成勢力のほとんどが、〈議会制民主主義〉はこれ以上の制度は考えられない至上の政治システムだとの認識から出発している。が、本当にそうだろうか。
たとえば日本の〈議会制民主主義〉は〈国民の代表〉としての議員への白紙委任にすぎず、〈公約違反〉は道義的な責任を負うにすぎない。有権者による議会の解散請求権もない。国会議員や高級公務員のリコール(解職)制も、条文としては憲法に規定されているが具体的な手続きを含めて実定法が制定されていない。あるのは「請願権」だけだ。国民投票制は無いし、一部の自治体で住民投票制が制定されているが、それも強制力はない。〈主権者〉の権利はそれだけ剥ぎ取られているのだ。
直接行動権は確かに議会制民主主義と同義ではないが、少なくともその一部であることは疑いのないことだ。国民主権という観点から言えばまさに民主主義そのものだろう。
私たちは上記のような〈主権の制限〉を取り払った切り縮められない民主主義を要求していく必要がある。既存の勢力による〈主権者〉への批判や冷笑を跳ね返し、同時に労働者の権利拡大のためにも直接行動=直接民主主義を活用していきたい。
■オルタナティブは協同組合型社会!
4月23日に行われた千葉7区の補選で民主党候補が自民・公明候補を破った。先の総選挙での小泉自民党の圧勝に対する有権者のバランス感覚が働いたとも言える。が、それ以上に格差・階級社会化の現実がこの半年だけでもより露わになってきたことの結果でもある。
が、小泉政権による利潤・市場原理万能主義に対して、小沢民主党が言うように単なる政権交代を対置しても、それは一つの転機にはなりえても真のオルタナティブ(選択肢・対案)にはなり得ない。〈利潤・市場原理〉には〈協議・協同原理〉を対置したい。それが実現されるのは、労働者が労働者のままで資本家・経営者の機能も担う社会、いいかえれば労働者が所有権・経営権・労働権全部を担う社会であり、具体的には協同組合型社会だ。協同組合原理では、労働者が出資し、経営計画を立て、自分たち自身で働く。そうした原理で社会全体を造り替えていくことが利潤・市場原理万能社会に対する真のオルタナティブになる。
サッチャー英首相、レーガン米大統領に周回遅れで追随した小泉新自由主義政権に、さらには労働者や庶民を踏み台にすべてを飲み込むがごとく肥大化する資本制社会に対し、〈協議・協同原理〉の協同組合型社会づくりを対置して対抗しよう!(廣)
教育基本法・憲法の改悪、ナショナリズムの扇動を許すな!
派兵国家化は資本の海外権益の防衛、拡大がねらい
■教基法・国民投票法・憲法改悪、ナショナリズムの扇動
自民と公明が教育基本法に盛り込む「愛国心」の表現で合意した。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」を教育の「目標」とすると言うのだ。公明は「愛情の対象は統治機構ではない」と言うが、「伝統や文化」が支配層にとっては天皇制や反動文化とますます同一視されつつあることは明らかだ。またこのかんの一連の自衛隊海外派兵が「国際社会の平和と発展に寄与」することを口実に行われてきたことも見ても、この自公合意がナショナリズムや軍事強国化のねらいと無縁であるはずはない。
教基法の改悪が、憲法の改悪の策動と連動していることも明らかだ。自民と公明による憲法改悪のねらいは、軍隊保持の明記や軍隊の海外派兵のおおっぴらな合法化に置かれている。自公はこの改憲策動に拍車をかけるべく、今国会で国民投票法を成立させようとしている。さらには「話し合っただけ」「目配せしただけ」でも犯罪になるという共謀罪なる稀代の弾圧立法の成立も虎視眈々とねらっている。昨年の都道府県に続き今春からは市町村においても、戦争への罰則付きの国民動員計画=国民保護関連条例と国民保護計画の策定が進められつつある。
政府・与党・財界は、犯罪の多発やモラルの乱れを口実に「愛国心」の必要を協調してきた。また拉致や核武装計画を理由に北朝鮮への敵愾心を煽り、急速な経済発展や軍拡の理由に中国脅威論をあおり立て、かつては強い同盟関係を誇示した韓国との間でさe
領土紛争の挑発に手を染め始めている。
しかし社会の規範のほころびが、政府や財界がこの間おし進めてきた弱肉強食の新自由主義政治、失業や貧困や社会的ストレスの蔓延にこそ本当の背景があることは見やすい道理だ。
北朝鮮による拉致への開き直りや核兵器開発は、自国・北朝鮮と世界の労働者・民衆への挑戦であって断じて容認できない。しかしかつての朝鮮侵略や植民地支配を開き直り、米国の北朝鮮封じ込めや核先制攻撃の恫喝を支持してきた日本の支配層に、北朝鮮の独裁者の愚行を非難する十全な資格があるだろうか。中国や韓国との間の軋轢の激化に至っては、むしろより多く日本の側の都合で引き起こされていると見た方が正しい。日本の支配層は、成長するアジア市場おける利権や権益への野望にかられて、再び軍事強国化の道を歩もうとしている。そしてそのきな臭い道を合理化し、国民合意を取り付けるために、靖国参拝や領土問題で中国や韓国を挑発しつつナショナリズムの扇動を行っているのだ。
■背景にあるのは日本の資本の多国籍化
アフガン戦争やイラク戦争での自衛隊の派兵、有事法制や国民保護法の制定等々は、米国が主導する資本のグローバリゼイション、米国による世界覇権の追求に寄り添い、それと一体化しつつ進められてきた。しかしこのことは、決して日本が米国に一方的に追随していることを意味しない。日本の支配層は、米国から発せられる日本への軍事貢献要求をテコとして利用しつつ、自衛隊の海外派兵の拡大を追求し、その障害となる国内の諸制度を除去して有事法制や国民保護法制等々をごり押ししてきたのだ。
「米国追随」だけでは説明できない日本の支配層の独自の野望は、靖国参拝や中国や韓国との間の領土問題の扱いにかいま見えている。靖国参拝の強行は米国主導の戦後体制への異議申し立ての側面も有しており、釣魚台=尖閣諸島、独島=竹島への領有権主張とその紛争化は、必ずしも米国の望むところではない。それにもかかわらず日本の支配層が靖国参拝を強行し、領土問題の紛争化に手を染めようとしているのは、成長するアジア市場での中国を相手とした覇権争いへの乗り出しを決意しているからである。日本の支配層は、米国の利害に沿わない独自利害の主張を、将来の米国の権勢の退潮の可能性も視野に入れつつ、押し出そうとしているかのようである。
冷戦終結後の日本の保守世論の中には、米国万能と米国追随の意識が強まる反面、それを「負け犬根性」と批判する反米主義が頭をもたげ始めている。小泉政治の全面に出ているのは露骨な対米追随であるが、その一角にはすでに偏狭なナショナリズムも位置を占めていることを知らねばならない。
■世界の労働者と連帯してすべての覇権主義と闘おう
日本の支配層は、こうした「戦争が出来る国家」づくりを、「隣国の脅威」への備えや「国際平和への貢献」などを口実に推し進めようとしてきた。しかしその本当の動機は、日本の大企業が世界に張りめぐらせた権益の擁護、彼らが言うところの「国益」にある。
日本の大企業は、85年のプラザ合意以降に急速に対外投資を増加させ、多国籍企業化を進めた。今では日本の大企業は、世界の様々な地域の政情、とりわけアジアにおけるその成り行きに以前にも増して強い関心を示すようになっている。世界のそしてアジアの労働者や民衆の抗議や反抗から日本の大企業の権益を守ること、日本資本の利権を各国の民衆の反抗や新興国家の挑戦から防衛すること、そのためにこそ日本の支配層は、軍事力を強化し、その海外派兵の歯止めをはずし、そのために効果的に作動する国内動員システムを構築しようとしているのだ。
日本の支配層と同様、各国の支配層は自らと利害が競合する諸国家や諸勢力を敵視し、自国の労働者や民衆に同じ視点と同じ意識を注入しようとしている。その点では、中国や韓国も同様だ。日本の支配層のかつての侵略・植民地支配への開き直りという愚行を背景に、中国や韓国で反日意識が高まっている。両国とも、支配層側の動機は、それぞれの国家と社会内部の矛盾をごまかしつつ国民統合を強固にすること、資本のグローバル競争において日本との力関係を有利に導くことにある。
だからこそ、日本の労働者にとって重要なことは、かつての侵略と植民地支配への反省を行動を持って示すこと、日本支配層の開き直りのあらゆる現れを許さず闘うことである。そしてそれを前提として、日本とアジアや世界の労働者民衆との連帯を追求することである。
中国の民衆も、韓国の民衆も、北朝鮮の民衆も、日本の労働者と同じ課題を抱えている。彼らもまた、企業の経営者や成金連中のカネの力、官僚や政治エリートたちの独裁や専横に苦しめられている。政治的意見表明や政治闘争を行う上での条件の有利不利に深刻な隔たりはあるが、彼らもまた我々と同様、カネの権力と政治的権力という同じ敵と対面しているのだ。
各国の支配層は労働者や民衆の批判が自らに向けられるのを恐れて、「中国・韓国・北朝鮮こそトラブルメーカーだ」「敵は日本や米国だ」と叫んでいる。しかし我々は、敵は米国・日本・中国等々の支配層であり、味方は米国・中国・韓国等々の労働者と民衆である、と言わなければならない。
ある場合には結束し、他の場合には相互に激しく対立しつつ労働者・民衆への支配を貫徹しようとする各国の支配層に対し、労働者は国境を越えた団結と共同の闘いを作り出すことで対抗していかなければならない。そのための個々りみはすでに様々な形で開始されている。ともに闘おう。
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チェルノブイリ原発事故から20年−今も続く放射能汚染と被曝
今年の4月20日、「2065年までに約16000人が甲状腺癌に、約25000人が癌・白血病になるだろう」という報告が、WHO下部機関の「癌調査国際機関」(IARC)の研究者らによって行われました。しかし、昨年9月の「国際原子力機関」(IAEA)主催、チェルノブイリ・フォーラムは、「放射線被曝による最終的な死者数は約4000人」と推計し、広範囲に及ぶ放射能汚染による被曝被害については評価の対象にもせず切り捨てました。「チェリノブイリの放射線被曝による被害はそれほど深刻でない」との国際的宣伝を強め、原子力利用を推進しようという思惑は、国際機関として恥ずべきことではないでしょうか。被害者を切り捨てるIAEAの姿勢に抗議が殺到し、今年4月18日、WHOは「死者4000人」を「死者9000人」と、修正を迫られました。そして、チェルノブイリ・フォーラムとしても、「死者4000人」を取り下げました。事故から20年、私たちが教訓化すべきことは何なのか、考えてみたいと思います。
1 ベラル−シ被災地の健康被害
4月23日、チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西主催による20周年の集いに、ベラル−シから女性小児科医のべ−ラ・ルソ−バさんが来日されました。集いには私も参加しましたが、報告の言葉からは被災者への医療にひたむきな思いが伝わってきました。責任感の強さと飾らない人柄は、人々から「クラスノポ−リエの母」と呼ばれ慕われているそうです。クラスノポ−リエ地区は、チェルノブイリ原発から250キロメ−トルも離れていながら、3分の1以上が高汚染の「居住不能」地区となっています。人々の移住、出生率低下などで、地区の人口は事故前の23000人からほぼ半減し、今では13000人となっています。
報告からは、クラスノポ−リエ地区の子どもたちが複数の疾患、複数回罹患している実態が明らかになりました。子どもたちの疾患別罹患数と罹患率が詳しく述べられ、ここ数年の増加に注目してみました。子どもの総数は、2000年2927人、2004年2586人で、1000人あたりの罹患率が基本となります。貧血は、2000年54人、罹患率18・4%ですが、2004年には66人、罹患率25・5%と増加。扁桃炎は、200年64人、21・8%、2004年102人、39・4%と更なる増加がみられます。癌、発達障害のピ−クは1993年、その後減少しましたが、甲状腺癌が急増していることはちょうど、広島の20年後が再現されたかのようとも指摘されています。
来日には、もう1人、同地区の学校で英語教師をしているエレ−ナ・グルディノ−バさんが同行されました。彼女は、子どもたちが書いた絵を紹介し、チェルノブイリ原発事故の怖さが伝承されていること、そして自然が破壊された悲しさを訴えられました。社会的孤児と呼ばれる子どもたちの保護施設も紹介され、被曝による健康障害・ストレス・アルコ−ル依存が育児放棄に陥ってしまう惨状も明らかにされました。20年が経ち、政府はこれまで援助してきた学校での給食の無料を打ち切ると言い出しています。生活が元通りになっていないのに、援助の打ち切りは子どもへのしわ寄せとなってしまうでしょう。
2 リクビダートルの悲劇
タイミングよく4月16日にテレビで放送された、NHKスペシャル「チェルノブイリ事故20年・突然のがん多発・被ばく者500万人汚染地に暮らす」を観ました。リクビダ−トルとは、事故現場で処理作業に従事した労働者達です。その総数は、約5000人。当時、政府は、リクビダ−トルの功績を称え、住居を提供し、高額年金と無料の医療費を保障しました。しかし、5年後にソ連は崩壊し、分離したそれぞれの政府に委ねられ、保障の特権は無くなり年金の低下・医療の自己負担が押し付けられました。事故当時、作業中に40種類もの放射物質を吸い、そのなかでもセシウムという300年間も放射続ける物質を体内に取り込んでしまっているです。4月26日の事故の真相は、しばらく人々には秘密にされ、ようやく5月末日、避難誘導がなされたようです。5月1日、人々は何も知らず、メ−デ−をお祝いし終日、外で過ごしていた、ということです。
40歳代のリクビダ−トルの葬儀が行われました。癌が発症し亡くなりました。ここの宿舎では、毎日のように働き盛りの男性が亡くなり、妻や母親が途方にくれています。IAEAが彼らを被曝者として認定したのが、たったの50人・約1%に過ぎないという衝撃的な数字は、被曝の実態を知らない学者の失敗なのか・・・。
そして、ミンスクという比較的被曝の低い地区に住んでいる35歳男性の例。事故当時、16歳で毎日サッカ−をしていた彼は、35歳のある日突然、急性白血病を発症しました。低腺量被曝は、食べ物はもちろん、汚染されてしまっている土地からも発せられ、長期に及ぶと癌を発症するといわれています。3ヶ月間で15人もの死亡が確認されているミンスクで、これからも被害は予側されます。
原子力発電所は、私たちが未来に残す最大の危険な核廃棄物を伴います。もっと効率の良い電力の供給の仕方を考えていくこと必要です。原発に頼らない社会を目指すことは、私たちの生活のあり方を見直すいい機会です。15年間続けてこられた救援関西の方々、私より年上の女性たちが元気にはつらつと活動されている、とてもいい雰囲気の集まりでした。会の終わりに来日された2人に贈呈する品物は、手作りの物や子ども玩具など、心温まるもの、女性だからこその発想かなと思いました。 (恵)
JR西日本・尼崎事故から1年! 現地からの報告
2005年4月25日のJR尼崎事故から1年になります。107名の死者と555名の負傷者、このおびただしい犠牲者の直接の縁者だけでも2000名を超えるでしょう。子を失って親はその子の年を数え、夫を失った妻、妻を失った夫は人生に迷う。そして、親を失った子はどうすればいいのか…
家族を失った、その深い喪失感を私は想像できません。私には妻と4人の娘、さらにひとりの孫娘がいますが、考えてみれば明日もみんなが元気だという保障は何もないのです。病気や事故、犯罪に巻き込まれるなど、死への落とし穴はどこにでも転がっているのです。突然の理不尽な死が何によってもたらされたのかを知ること、そして再び同じような犠牲者を出さないこと、それが多くの家族のせめてもの願いではないでしょうか。
この間、新聞やテレビが犠牲者と家族の事故後の日々を伝えています。550名の負傷者のなかには、今も自力で立つこともできない人もいます。事故のショックから、電車に乗れない人もたくさんいます。いずれにせよ、この事故を境に多くの人々がそれ以前の日常を失ったのです。JR西日本はその責任を負っています。
そんななか、現地での取り組みとして、4月22日に国際シンポジウムが、23日に集会とデモが行われました。22日は仕事を休めなかったので、私は23日のJR「尼崎」駅前での集会と事故現場までのデモに参加しました。ノーモア尼崎事故 命と安全を守れ!≠ニ銘打たれたこの集会には500名の参加者があり、前日のシンポジウム参加者からの挨拶や遺族からのメッセージなどがありました。
イギリス・フランス・韓国の鉄道労働者からそれぞれの国の鉄道について語られ、国労の労組役員からの発言もありました。しかし、その発言は国労を代表するものではないということをわざわざ断らなければならない、ここに現在の国労の姿が現れていました。駅前広場での集会ということで、演壇の背後では電車がひっきりなしに到着し、そして発車していきます。何事もなければ、それはありきたりの駅の姿なのですが。
尼崎での集会ということで、クボタのアスベスト汚染についての報告もありました。それは事故発生と同時期、近隣住民被害者とクボタの交渉が進み、あの6月29日のクボタショック≠ヨとつながったということです。利益を追い求める企業の下で、その犠牲は突発的に、或いはゆっくりと、しかし確実にもたらされます。JR尼崎先事故のように、クボタショック≠フように。
集会終了後、事故現場までの行進が行なわれました。私は始めて事故現場を訪れたのですが、マンションは下部に少し目隠しが施されていたためか、とても電車がぶつかったとは思えません。注意しなければ通りすごしてしまうでしょう。確かにレールがカーブしている地点に接するように建っていますが、どうしてここでという思いに駆られました。
その日は朝方少し雨が降っていましたが、集会は春の暖かさのなかで行なわれ、いい取り組みになったと思います。ひとつ難を言えば、スローガンのなかに国民の命を守れ≠ニいうのがあって、何で国民の…≠ネのかと、大いに引っかかりました。
むしろ、鉄道をめぐる状況はどの国も同じようで、安全は鉄道労働者と利用者の協力した力で守るしかありません。日本においては、国鉄の分割民営化地点まで戻り、解体されてしまった自立した労働を復活させなければなりません。それを先頭で担う鉄建公団訴訟の行方が焦点となっており、原告団への支援を行なっていきたい。 (晴)
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検証「格差社会」の論点(2)
高年齢者(団塊世代)の格差拡大
「格差拡大」への政府の反論
「ジニ係数(所得格差)が上がっている」という指摘に対し、小泉首相は「言われるほどの格差拡大はない」と反論しましたが、そのもとになっているのが内閣府の分析です。それはジニ係数の上昇分のうち9割が「高齢化と核家族化によるもの」であるから、実質的な格差拡大は微々たるものだ、というものです。
竹中平蔵総務大臣も「ジニ係数についていえば、リタイアした高齢者が増えると、所得ゼロの層が増えますから当然、表面上の数値が上がるんですね。(中略)これらの補正をおこなった暫定的な数値を見ると、それほど格差は広がっていないという専門家の報告があることを、小泉総理も国会で答弁されています。」と説明しています(文芸春秋5月号「日本人よ「格差」を恐れるな」より)。
反論にならない「高齢化主因」説
「高齢化が主因だから格差拡大は大したことない」というのも奇妙な理屈です。では「医療費の増大」についても「高齢者が増えれば、病気が増えるのは当然だから、高齢化を差し引いたら、医療費は大して増えていない」と彼らは言うのでしょうか?とんでもありません。「高齢化で医療費が増えているのは大変な問題だ」と叫んでいるのではないでしょうか?それなのに、何故「格差」については「高齢化に伴って格差が拡大しているのは問題」と言わないのでしょうか?「医療費増大」も「格差拡大」も、そこに「高齢化」が寄与しているのなら、どちらも「高齢化社会」の「直面する問題」だと言わなければならないはずです。
団塊世代「自営業」から「労働者」へ
ところで竹中大臣は「高齢者が増えれば所得ゼロ層が増えるのは当然」などと、簡単に済ませていますが、彼は単に内閣府官僚の作成した統計資料を受け売りしているにすぎず、高齢化の中身について何ら突っ込んだ分析をしていません。これが「一流の経済学者」の言うことか?と耳を疑ってしまいます。
2007年をピークに団塊世代が大量に定年退職を迎えます。戦後、労働力人口に占める自営業者(農業が大半)の割合は激減し、製造業・サービス業の雇用者(労働者)の割合が増大しましたが、この戦後の労働力人口における構成変化は、今まさに高年齢者層の構成変化として現れつつあるのです。
グラフ「年齢別にみた就業者の産業」(日経新聞「団塊が変える(8)」より)でわかるように、2000年の時点で、75歳から79歳の高齢者においては、「農林漁業・鉱業」が約半分を占めていますが、50歳から54歳の団塊世代にかけて「製造業・サービス業」の割合が圧倒的に増えています。高年齢者の構成が、自営業者(農民)から雇用者(労働者)へと変化してきており、高齢層の格差も「自営業収入の格差」から「労働者(退職者)の格差」へと置換しつつあるのです。
高年齢期における労働者の格差とは、現役時代に蓄積した「資産」の格差、「退職金」の格差、さらに退職後の「再就職」賃金と「老齢年金」の格差に他なりません。
リストラで「資産」「退職金」の格差
日経新聞の「団塊世代アンケート」(1月8日付「日経」より)によれば、団体世代の金融資産(保険を除く)を尋ねたところ「五百万円未満」が34・4%、「五百万円以上一千万円未満」が19・2%、つまり半数が「資産一千万円未満」なのです。この程度の「資産」は住宅ローンの返済で、おおかた消えてしまうでしょう。
さらに「退職金」は悲惨です。「退職金なし」が25・6%、「退職一時金は出るが五百万円未満」が22・8%。つまり「ゼロから五百万円未満」が半分という回答です。
「バブル経済崩壊後、企業のリストラの影響をどこまで受けたかによってこの世代の収入格差が拡大した」(「日経」同上、住友信託銀行調査部・青木美香氏の分析)というのが、これから退職し、高年齢者の仲間入りをする、団塊世代の実態なのです。
堺屋太一などは「団塊世代が引退後、旅行や住宅に資金を放出し、経済が活性化する」などと「団塊ばら色」論を振りまいていますが、調査結果は「団塊退職で高齢層の格差に拍車がかかる」と語っているのです。
「団塊ジュニア」の安全弁も外れる
さらに言えば、この団塊「現役」世代が、若者世代、とりわけ就職難で「フリーター化・ニート化」する「団塊ジュニア世代」を、「親子同居」や「仕送り」でかろうじて支え、若年世代の急激な格差拡大の緩衝作用を担っていたのですが、その「安全弁」も団塊「退職」で、取り外されつつあるわけです。それが今後、新たな社会的危機の一要素となっていくということも考えなければなりません。
労働経済を具体的に分析すれば「高齢化が主因だから格差は大したことない」などという小泉首相や竹中大臣の「反論」が、いかにデタラメかが明らかになります。(松本誠也)
東京都教委の自信喪失と暴挙
自信喪失の三・一三通達
既に周知の通り、石原知事と東京都教委は、憲法改悪・教基法改悪の先取り攻撃として、天皇制と侵略戦争を賛美する「日の丸・君が代」を教職員・生徒・保護者に強制し、抗議・抵抗する教職員を恫喝しつつ、指示に従わない教職員には、大量処分を強行してきた。
その戦端は、0三年十月二三日に「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」を通達し、学校の儀式的行事において、校長が職務命令によって教職員に「国歌斉唱」を強制してきた事で切り開かれた。すでに抗議の不起立や伴奏拒否した教職員は、この三年間で延べ四百四十五人(再雇用職員の「解雇」を含む)が処分されている。
しかしながら、教職員の闘う意思は強靱であり、生徒の反撃も続いている。三月十三日、都教委は、三月のA都立高校定時制の卒業式の斉唱時において、出席生徒の大半の不起立に直面した。驚きあわてた東京都教委は、その報復として、「入学式・卒業式等における国旗掲揚および国歌斉唱の指導について」という新たな通達を出した。これは、教職員を使って、生徒の内心にまで介入させようとするもので、「日の丸・君が代」攻撃のエスカレートであり、憲法・教基法違反ばかりか、子どもの権利条約の公然たる無視そのものだ。
続く三月三十日、東京都教育委員会は、0六年卒業式で「日の丸・君が代」の強制に抗議して不起立・不伴奏などを理由に、三十三人の教職員の懲戒処分を決定した。翌三十一日には該当者を東京都教職員研修センター分館に呼び付け処分を発令した。その内容は停職三ヶ月一人、停職一カ月一人、減給十分の一・一カ月十人、戒告二十一人であった。私たちは、東京都教委による処分強行の暴挙を糾弾するものである。
この被処分者の内のほとんどは、被処分者が式場外職務を命じられた中で、「次は自分の版だと自覚した」教職員であった。昨年に引き続き教職員は処分の恫喝に対しては、自然発生的にリレーを繋ぐやり方で闘い始めた。この闘いは継続した長期的なものとして引き継がれつつある。今回の処分の十人の該当者は、都教委の「事情聴取」時に弁護士立ち会いを要求したにもかかわらず、一方的に拒否され、「事情聴取」も行わないままの処分発令だった。短期間による処分発令は、入学式を前にした恫喝として行ったのである。
抗議集会での発言
三月三十一日、水道橋の総合技術センター前で、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会の呼びかけで行われ、「卒業式処分抗議・該当者支援行動」が三百人の規模で闘われた。
前段の全水道会館で決起集会では、被処分者の会の共同代表の星野直之氏が、「十・二三通達以降、都教委の不当な介入によって教育現場が暗くなっており、退職する仲間たちが増えている。石原都知事・都教委は、『ファシスト』の集まりだ。教基法改悪法案が今、密室で法案作成を審議している。四月上旬にも法案全文を作ろうと急ピッチで進めている。今夜の教基法改悪反対全国集会にも合流し頑張っていこう」と挨拶した。また事務局長の近藤徹氏は、「本日、十・二三通達以来、三回目の不当処分発令の日を迎えた。都教委は、昨日、臨時総会を開き、非公開で決定した。教基法が改悪されたら学校全部がこのようになってしまうことの見本だ。教基法改悪、憲法改悪にむけた国民投票法案も国会に上程しようとしている。十・二三通達、三・一三通達、処分撤回を掲げ、断固として抗議行動を行っていこう」と力強く行動提起した。参加者全体は、ただちに処分発令会場である総合技術センター前にむかった。
被処分者の一人である根津公子さん(中学教諭)は、「停職三か月の処分です。あまりにも不当だ。都教委のやり方に怒り、暴挙をやめるまで闘い続けます。そして、子どもが安心して行ける学校にするために、皆さんともに闘っていきましょう」とアピールした。
こうした東京都での意気軒昂な闘いは、大阪・広島・北九州等にも、確実に波及している。
今度は職員会議での採決禁止通知
四月十三日、都立高校改革を打ち出している東京都教育委員会は、ついに血迷ったとしか言いようがない通知、つまり職員会議について「挙手や採決による教職員の意向確認は不適切」などとする学校経営の適正化に関する通知を都立学校長に出したのである。
都教委によると、都立学校の運営については一九九八年、校長や副校長、主幹らによる「企画調整会議」を中枢機関に位置付け、職員会議は校長の職務の補助機関とした。しかし、今年一月、都立高校を中心に約二百六十校に学校運営について現状を点検したところ、二十二校が何らかの問題があると回答し、うち七割が職員会議で挙手などによる採決をしていたという。旧文部省は00年に「職員会議は意思決定権を持たない」との通知を出しているが、挙手や採決そのものを禁止するのは極めて異例だ。今回、都教委は「教職員の意見を聞くことが必要でも、挙手や採決では企画調整会議の機能を否定し、校長の責任に基づく意思決定に影響を与えかねない」として、通知で明確化した。このように校長の意思を貫徹させた効率的な学校運営を狙って、教育現場での主導権確保を目指す同庁の姿勢を反映した内容だが、当然にも教職員の反発が必至の情勢である。
この呆れた通知をよく読むと、学校経営について通知は「職員会議を中心とした経営から脱却することが不可欠」と強調し、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と指示。会議の運営上の権限がある「議長」を置く学校は、単なる「司会者」に改めるよう求めている。
そのうえで校長、副校長(教頭)、主幹教諭らによる「企画調整会議」を、学校経営の中枢として方向付けの場とするよう促している。しかしながら、旧文部省通知ですら「挙手」や「採決」まで具体的に禁止しているわけではない。学校現場では、最終的に校長が決定権を行使する場合でも、教職員の賛否の多少を参考にする場合があり、今回の通知により、こうした意味での校長の教職員の意思把握も困難になりそうだ。
四月十四日、東京都高等学校教職員組合は、都教育庁が職員会議での教職員の「挙手」や「採決」を禁止する通知を出した問題で、「学校現場を荒廃させる愚挙」と、撤回を求め、「教職員相互の協力関係を作るため、共通理解・合意形成は必要」と批判する声明を発表した。当然のことながら、校長のリーダーシップ確立は制度の問題ではないと指摘したのである。
それにつけても今回の都教委官僚の頓珍漢、何と評すべきなのであろうか。(猪瀬一馬)
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暴露された共産党の体質と常任幹部会の実態
筆坂秀世氏の本と共産党の反応
四月中旬、筆坂秀世氏の『日本共産党』(新潮新書)は突然出来した。この本に対しての日本共産党の反応はといえば極めて注目すべきものがあった。
まず四月十九日の『赤旗』には、不破哲三前議長の『筆坂氏の本を読んで』が掲載され、翌二十日浜野忠夫幹部会副委員長の『筆坂氏の本の虚構と思惑』、さらに翌日志位委員長の二十日の記者会見でのやりとりが『筆坂氏の本について誤りの合理化が転落の原因』との見出しで、この本に関して三日連続の記事を掲載する丁寧さではあった。この共産党の異常な反応が、筆坂秀世氏の『日本共産党』
の出版があったことを読者に告知させ、その結果またまた増刷となり、合計で五万部となったという。
特に不破哲三氏の論文は、最初の小見出しが「ここまで落ちることができるのか」という刺激的な言葉である。明らかに「堕落した」という意味で使っているに注目する必要がある。この一言こそ、共産党の党離反者に対する常套句であり、共産党の批判が理性的な批判ではなく、まず何よりも道徳的な批判であることの決定的な証明なのである。
さて伝記作家として知られている小島直記氏には「他伝信ずべからず自伝信ずべからず」の至言がある。他人が書いたからまた本人が書いたから真実と言うことはない。このことは、互いの証言が背馳している場合、当事者同士がいくら私は当事者だから本当のことを知っていると強弁しあっても、それだけでは何の真実も明らかにしないことを教えている。
私たちに求められるのは、まさに物事自体の論理性であり、自らの主体性なのである。
不用意な筆坂発言とセクハラ問題の真実
今回出版された本の中で筆坂氏は、離党した理由は、「一言でいえば、プライドを取り戻したかったからだ」と言い切って、セクハラ問題について展開していく。彼の説明によると問題の日は、0三年五月二六日で、その後その女性からセクハラとして訴えられ、六月五日、志位委員長・市田書記局長・浜野副委員長から調査を受けたという。
核心部分なので引用する。「六月九日、私も出席した常任幹部会(記録係を入れない秘密会議であった)での処分は『警告』ということであった。
ところが、六月一四日に一枚のファックスが書記局に届いた。そこには“セクハラ議員は自民党だけではない。共産党の最高幹部にもいる。それが甘い処分で済ますなら、七中総を機に世間に公表する”という趣旨のことが書かれていた。
一種の『脅迫状』である。秘密会議のことが漏れているうえに、開催が迫っていた第七回中央委員会総会のことを『七中総』という党内用語で呼ぶなど、あきらかに党内からだと判断できるものであった。これに慌てた共産党指導部は、一六日の常任幹部会で、急遽『警告』から『罷免』に処分内容を変更した」 この核心部について、『筆坂秀世氏の本の虚構と思惑』の中で浜野氏は、「事件後二度目の常任幹部会会議で、筆坂氏の党中央委員罷免・議員辞職勧告という
方向を決め、市田書記局長と私が筆坂氏に会ってそれを伝えた際も、氏はそれを素直に受け入れた」とのみ書いているのである。
このように、浜野氏の反論文では、なぜか開催日時を明記せず、しかも最初の常任幹部会の決定が、当初の「警告」という処分だったことについては反論をしていないし、全く触れてさえいないのだ。最初の常任幹部会が六月九日の常任幹部会、二度目の常任幹部会を六月一六日の常任幹部会とすると、浜野氏の反論と筆坂氏の記述が見事に一致している。これこそ、当事者同士の認識が一致する確定的事実であり、真実だと推定される。
浜野氏はこの確定的事実を隠蔽するために、二回の常任幹部会の席での筆坂氏の言動を事細かに、それこそ臨場感溢れる筆致で記述したのである。
また筆坂氏が議員辞職の際あるいはその後氏に記者会見させなかったという党の対応について、「共産党からはめられていた猿轡」などの語を使いながら、この対応のために「最後のプライドまでズタズタにされてしまった」とうらみをのべたと紹介しながら、浜野氏は記者会見すれば、結果的に、被害者の二次被害を強めることにしかならないことを心配して、止めたのだと反論している。しかし、筆坂氏の主張では、当初、記者会見することは許可されていたこと、指導部(筆
坂氏は不破哲三氏を指す言葉と紹介している)が二次被害を出さないためと称して中止したと告発していたのであるから、浜野氏のこの子細に触れていない説明では何ら回答になっていないのである。
それにしても筆坂氏の自己分析は甘い。自分の気持ちを二度までもプライドと記述したことは稚拙そのものではあった。この言葉は、自らを共産党ナンバー4と本にも記した筆坂氏の傲慢不遜を示すものとして、不破氏らに徹底して利用され尽くしたのである。
セクハラ問題の真実については、インターネットで、「行政調査新聞」を検索して、その中の「国内展望」の0三年の九月二十二日の記事「あきれた粛清劇…日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層」(http://www.gyouseinews.com/domestic/sep2003/001.html
)を読む事を勧めたい。この行政調査新聞を出しているのは右翼で、ほかの記事に関しては内容の保障はできないが、事筆坂問題の内容にかぎってはおおよそが真実とされている。それもそのはず、共産党の国会議員の秘書が、その情報を提供したからで、もちろんその秘書はすでに解任させられているという。
彼女が共産党に「脅迫状」を送った張本人である。『さざ波通信』の党員投稿者は、「読めばあまりのおぞましさに、信じられない、まさか、なんということか…と思う人が多いのではないでしょうか。このさざなみ通信に参加している人の多くが、党の再生を願っている人々だと思いますので、上記記事を読んでもらえば、並大抵のことでは信頼される党の再生はできないということが判ってもらえるのではないでしょうか。党の内部問題は外に出さないという昔からの規約ど
おり、すべて都合の悪いことは隠してしまう党の体質は変わることはありません」とコメントしているのを是非とも紹介しておくことにした。
「不破さんは、現代のマルクスだ」
ここで小見出しに使った言葉は、「第四章不破議長時代の罪と罰」で紹介されたものである。この引用するのも恥ずかしいお追従は、いわさきちひろと縁があった松本善明元衆議院議員の言葉である。今は亡きちひろ氏は、このお追従を聞
き、何を考えるであろうか。
筆坂氏はこの本に日本共産党の実態を客観的に記述したと書いている。この本の最後の小見出しは「自戒を込めて」である。
大切なところなので引用する。「これで拙論を終えるが、いま私は、あらためてみずからの責任を痛感している次第だ。ここで日本共産党に着いて書いてきた多くの問題点は、私が党在籍中にも感じていたこと、気がついていたことであったからだ。にもかかわらず私自身、最高幹部の一人という立場に安住し、あえて軋轢を避けて保身的になっていたことを残念ながら否定することはできない。いまになってこれだけのことを言うのであれば、党内にいる時なぜ言わなかったとの批判もあるだろう。当然の批判である。こうした私への批判を、私は甘受する」 確かに筆坂氏の批判は、多岐に亘ってはいるがそのほとんどは、すでに様々な人々に批判されていることの蒸し返しに過ぎない。したがってここではその紹介はしないでおく。
ただひとつ、筆坂氏の功績と言えば、それは日本共産党の常任幹部会での議論があまりにもお粗末の一言であることを体験していた当事者自身が告白したことである。
それは「第三章見えざる当指導部の実態」の中で詳説されている。この章の小見出しは、不透明な党内序列、物言わぬ幹部達、大言壮語が飛び交う党大会、建前に過ぎない「自己批判」、自分で質問もつくれない議員たち、宮本顕治という存在、宮本議長引退の真相である。この章については、不破氏と浜野氏は必死になって反論しているのである。
不破氏に至っては、筆坂氏の語る「真相」とは、小泉首相の用語法にならえば「ガセネタ」であるなどと口を滑らせ、不破氏の他の一面であり、宮本顕治の茶坊主として成り上がるための重要な要素であった事大主義を、周囲に余すところなく露呈させてしまった。なるほどなるほど天皇が主催する夕食会に参加し「天皇との共存路線を明確にした」と常任幹部会にメモを回わす人物だけのことはある。確かに「大物」である。筆坂本の本質とは、共産党の幹部がトップに依存する体質を暴露し、またその体質が不破氏を君臨させることになり、結局彼の思うがままにさせている言動、行動を批判している本なのである。
先に紹介した第四章で、筆坂氏は、「地区委員長や市会議員が『不破さんはレーニンを超えた』とか『マルクス以上だ』などと発言し、そういうことが地区委員会発行の党員向けニュースにまで掲載されている。個人崇拝だというと逆に批判された」という訴えを紹介している。しかしながら、ここで筆坂氏が、「本当に不破議長は完全無欠なのか」と批判の太刀筋を間違えたため、不破氏はどんな人間でも「完全無欠」な人間などありえないと逃げを打つことに成功した。常人であれば面はゆいばかりの党内評価に対して、否定も肯定もしていないのは、何とも面妖と言うしかない。ここには不破氏の臆面なき自己認識が示されている。全く呆れるほどの夜郎自大ではないか。
私などには真偽は確かめようもないが、本当に不破氏等は一切反論していないのだ。これではまるでどこぞの教祖のようではないか。このことこそ、共産党の外部にいる私たちには想像も出来ない事態である。
第二十四回党大会で議長職を退任したヒラの不破哲三氏こそ、現在でもただ一人の指導部として君臨しているとの筆坂氏の批判が真実であることは、筆坂本に対する批判が、単なるヒラの常任幹部会委員である不破氏の論文を、その皮切りに『赤旗』に掲載されたことをとって見ても証明できる。事実は何よりも雄弁である。日本共産党が組織体として体を為しているとすれば、当然にもここは筆坂氏の調査にも関わった市田書記局長が、筆坂批判記事を書くべき所である。しかしながら、不破氏や不破氏の忠犬ならぬ浜野忠夫副委員長が、ただちに反論文を書くのでは、全く鼻白むとしか言いようがない。
日本共産党のトップである志位委員長を差し置いて、ヒラの常任幹部委員の不破氏の登場や“筆坂氏にかかわるセクハラ問題の調査や処分を直接担当した”だけで、浜野副委員長の反論文が『赤旗』に掲載されていることを考えると、筆坂氏の言うように、現在の共産党は、不破氏の院政下にあることを物語っていると見る他はない。現実に不破氏と志位氏の筆坂批判は「落ちる」と全く同じ言葉をキーワードに使っているのだ。「問うに落ちず語るに落ちる」とは、この事である。日本共産党とはかくも不思議な政党なのである。
ここで先に紹介済みの「行政調査新聞」に立ち戻れば、そこには不破哲三氏の印税収入や土地取得の疑惑に触れている。不破氏がこの事を本当に不当だと考えるのなら、それこそ筆坂氏にお説教したように正々堂々と自分の立場を明らかにしないのであろうか。実際、不破氏が議員辞職したのは、国民に自分の財産を公開したくなかったからで、常任幹部委員に留まったのは党の実権を握っていたいからなのだとの批判があるのである。(直記彬)
コラムの窓・・・「水俣病50年」を考える
今年はチェルノブイリ原発事故から20年。今から20年前の1986年4月26日、旧ソ連のウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所の4号炉が突然爆発炎上して大量の放射能を全世界にまきちらした。
広範囲の土地が汚染され、今なお人が入れない地域が多く存在しており、多くの人たちが「白血病」や「甲状腺ガン」で死んでいる。事故の年に生まれた子どもたちも20歳になり、体内低被爆の苦しみを受けつづけている。現在も放射能汚染による被害が続き、これからも続くだろう。
さて、今回紹介するもう一つの事件も50年という節目を迎えた。
1956年5月1日、水俣保健所に「原因不明の中枢神経症患者が発生している」と届けられた。この日が水俣病が公式に公認された日となる。
この日から、まさに水俣病患者たちの壮絶な闘いがはじまった。あれから50年、日本の公害の原点といわれる水俣病は今次第に忘れ去られようとしている。
こうした状況の中、今から12年前に「水俣フォーラム」が立ち上げられた。1996年に東京で初めて「水俣展」を開催し、それ以後14都道府県、16都市の会場で17回開催を続けてきた。来場者は合計11万人をこえるという。
この50年の節目を迎え「水俣フォーラム」は、4月29日に東京で「水俣病・・・新たな50年のために」という大集会を行った。
午前中は、叢相(そうそう)行列・・・東京に水俣の記憶を訪ねるということで、環境省、日比谷・松本楼、旧東京地裁前、丸の内警察署、旧チッソ本社入居ビル跡、等などを歩き通した。午後は、日比谷公会堂で特別講演会が開催され、緒方正人さん、石牟礼道子さん、中原八重子さん、原田正純さんなどが発言をした。
「水俣病新たな50年のために」というこのイベントを機会に、あらためてこの水俣病50年を考えてみた。
水俣病という公害を生みだしたチッソ株式会社水俣工場による、メチル水銀の排出は開始から数えれば、それは74年にも及ぶという。メチル水銀を含んだチッソ水俣工場の排水は、水俣湾に垂れ流され、琵琶湖と同じ広さの不知火海に広がり、その沿岸には20万人以上の人が暮らしている。今なお認定申請が続出し被害者の全体数は把握されていない。
公式確認の4年前の1952年8月には、「海がおかしい」という漁民の訴えを受けて、熊本県水産課が調査をして、「チッソ水俣工場の排水が水俣湾で排水ヘドロになっている」ことを確認している。そして、熊本大学研究班が、水俣湾産の魚介類を介した食中毒であり、「有機水銀説」を発表したのである。
さらに、魚が危険だとわかり、魚を取り、売り、食べることを禁止する事が一番必要であったにもかかわらず、当時厚生省はそれをやらずに被害を極限まで拡大させてしまった。
チッソも「有機水銀説」を認めず、メチル水銀の流出をなかなか止めようとしなかった。
その後の被害者たちの長い裁判闘争となかなか進まない補償問題など。そこには早期の患者救済という視点はまったく欠落している。
やはりここから、国・政府、官僚、企業、御用学者たちの本質がよく見えてくる。原因を知りながら隠蔽しつづける、御用学者を登場させてごまかそうとする、加害企業を庇護する、企業は絶対に責任を認めようとしないし補償しない、被害者の闘いを警察権力で弾圧する、等などの姿である。
日本の公害の原点と政府、官僚、財界の資本主義経済体制という構造の本質の原型は、さかのぼればあの明治時代の足尾銅山鉱毒事件に見られる。それは、現代の薬害エイズ事件にも通ずる問題である。 (英)
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アイフル営業停止の背後にあるものとは
四月二十一日、金融庁は「どうする?アイフル」のキャッチ・コピーで知られる消費者金融会社アイフルに対して、全国千七百の店舗での業務停止を命じました。この措置に踏み切った背景には、債務者に対する悪辣で過酷な取り立てや関係書類を渡さなかったことなどを理由に挙げています。同日、同社の株価は千円も急落して、七千二百円となりました。
五月八日から始まる三日以上最長二十五日の業務停止期間中、各店舗では新たな貸し出しは禁止されます。金融庁が、消費者金融大手に対して、全店舗での業務停止を命じたのは初めてのことでした。まさに降ってわいたような株価「大暴落」です。
最近、小泉総理等がこれまで連呼してきた「構造改革」が、様々な本によって暴露され、その実は米国による対日要求項目そのものであることが指摘される様になってきました。このシステムとは、米国が年に一回、日本側に「対日改革要望書」を提出して、日本側はこれを受けて「宿題」を実施し、翌年、ブッシュ大統領に報告するというものです。
そして何よりも私たちが驚かされることは、そこでの要求項目は、これまでほぼ全て実現していることなのです。
昨年十二月七日に仮翻訳が公開された最新版の「対日改革要望書」は、在日米国大使館のHPで閲覧可能です。その中に「金融サービス」という項目があります。そして、さらに小項目として「ノンバンク金融」、つまり「消費者金融」について言及されており、法的整備をせよとのアメリカの要求があるのです。
この狙いは明確です。アメリカは日本の消費者金融マーケットの法的なルールを作り変え、自らが参入したいと考えていることを推察させます。ここ草刈り場となるのです。
小泉内閣の下で日本の構造改革が着実に進みつつあることに、私たちはもっと敏感でなければならないのではないでしょうか。 (笹倉)
子どもの英語教育について
コトバは、意志あるいは思考の表現のひとつのありよう、伝達のひとつの媒介をなすものと思う。何を考え、何を伝えたいか、何を表現したいか、を考えるのにまず母国語で考えるのではなかろうか。夢≠みて、学ぶ外国語で寝言をいうのかしら?
さまざま、標準語あるいは共通語というのは、最低限、必要な事柄についての伝達のためにまず作られ、どの地方でも通用するコトバであろう。しかし、個々の人々が全身でじっくり語り合えるのは、出身地の人々との(方言での)間で交すコトバではなかろうか。これだけ他国の人々が交流しあう時代となれば、向き合うお国の人々との国のコトバを学ぶ必要があろう。しかし、それ以前に、どの国の人々も母国語、母国の地方の(地方出身の方なれば)方言で考えるのではなかろうか。
本末転倒と思われるのは、先に外国語を子どもにオカミの決めたこととして教え込むのは、ペラペラ、口だけ達者で仏つくって魂いれず≠ニいうことになりはしないか。
戦後みた映画ヒロシマ・モナムール ヒロシマわが愛≠ニいう日仏合作の映画だったと思うが、ひとり帰国するフランスの女優さんのそばに、英語の達者な(何語でもよいが)日本人の青年が寄ってきてしゃべる。彼女と青年の間に太い柱(空港内の支柱であったろう)をカメラは写し出す。相手を尊重するなら、相手国のコトバでカタコトでもはじめる心がけ、その上で最も意志の疎通をはかれるコトバを選ぶのが順序であろう。外国の人々に文明の力・機器を用いること・を借りてもいいのではないか。
国連会議の映像では、耳に何やらかぶっているではないか。外国からの旅人に万国語でサービスする機器もあるそうな。何よりも日本を訪れてくれる外国人に、日本人が日本を誇れる何を紹介するのか。悲しいことに私はまだまだ、誇れる何かをつかみたいと藻掻いている状態、この年になって。
命捨てるほどの祖国ありや≠ヘ?戦後すぐ鮎川信夫が意地≠出す以前に祖国喪失≠ニ、凝縮したコトバで表現したコトバの続きであったと思う。変てこな誇れる日本≠ノ傾くのを憂えるし、恐ろしくもある。 2006・3・28 宮森常子
色鉛筆・・・介護日誌11
ケアマネージャーのアドバイス(家族が休養し、より長く在宅介護を続けられるように)により、月に2回各1週間ほど特別養護老人ホームでのショートステイを利用している。介護度4の母が利用できる最大限の日数である。
出発の朝は、あわただしくバッグに着替えや書類を入れ、送迎の車を見送ったあとの私は、バンザーイ自由だ!と小躍りする。だがその自由は、瞬く間に終わってしまう。母には申し訳ないが、ショートステイから戻る日の私の気分は重い。聡明な介護の先輩は「ショートステイに預けないほうがいいんじゃない?」と提言してくれるが、いやいやとんでもない。私たちにとっては、ショートステイ無しの介護の日々など考えられないのだ。母は、重い認知症でもなく(いまのところ・・・)、介護も私ひとりでなく、夫や義妹と一緒なので、恵まれている方なのだが、やはり日々の精神的な負担が大きいのだと思う。
さて母がショートステイから戻る日。夕方、介護ベッドを整え、熱いお茶を用意して待つ。母を迎え、玄関で室内用の車椅子に乗るとすぐに「車椅子を押して」「上着を脱がせて」「ベッドに横にならせて」「ふとんを掛けて」とつづけざまな指示を聞くことになる。まあショートステイ中、母も気苦労が多かったことだろうからと、手伝ってやりながらも私の本音は(自分でやろうよ。本当は自分でてきるんでしょう?)
実は、ショート中の朝晩の着替えは、全部介助してもらっている。母ひとりで出来なくはないのだが、とても時間がかかるため母が職員にお願いをしてしまっている。
家での着替えは、まずベッドで寝たまま靴下とズボンをはき(腰を上げてウエストまでズボンをあげるのに一苦労。最近では省略されることもしばしば)、次にベッドに起き上がり足を下に降ろし、着ていた服を脱いで着替えるのだが、きちんと座っていられずにころんころんと後に倒れてしまう。そこで車椅子に移って着替えるのだが、背もたれに寄り掛かってしまうので、服を腰まで下げられず背中が丸出しだったり・・・。このあたりで思いどうりにいかないことに苛立つのか「オエー」と吐き気がきて、あわててビニール袋をあてがう。自分でやることと介助することの兼ね合い、駆け引きは本当に難しい。いつでも母は、介助を求め、私は出来るだけ自分でやらせようとする。
母がいれば、毎食後の入歯洗い(これが私には結構苦痛な作業)やエプロンとおしぼりの用意、薬(下剤)やカテーテル袋の尿の始末やら、つぎつぎと追い立てられるように用事が出てくる。10日に1回の訪問看護の日は、訪問の時間は60分だが事前にお湯や用具を準備、終わった後のかたずけなどでほぼ半日が終わってしまう。
やはり、母のショートステイ中は何といっても私たちにとっては天国なのだ。
母にはひとつ不思議ななぞがある。ウィークデイは長男のいる我が家で、週末は義妹つまり実の娘の家で過ごすのだが、その週末の便の失敗がとても多いのだ。しかも1週間から10日ぶりの排便だから、1回や2回では済まない。先日も日曜日に、2回失敗しトイレに何度も連れていっている。「自分じゃわからない」というのが、母の言い分なのだ。 妹にばかり便の始末をさせて、悪かったなあと思って迎えた月曜日の朝の母の「出ちゃった」のことばに耳を疑う私。信じられないが、昨日あれほどたくさん出たのにまた両手に山盛り一杯の便がおむつの中に・・・。どうりでこの頃、母の旺盛な食欲にかげりがさしていたわけだ。(澄)
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