ワーカーズ324号 2006/7/1    案内へ戻る

日銀総裁よ、お前もか
小泉構造改革の本質は公共の私有化にあり

 福井日銀総裁の村上ファンドへの私的投資が暴露された。一千万円の投資額が昨年末までに一千四百七十三万円に達したと本人の口から明らかにされたが、未だ利殖ではないと言い張っている。ゼロ金利を維持している日銀の長としては、私たちの想像をはるかに超えた背信行為である。これは、日銀が幹部の公私の別を明確にするため、内規改正すれば済む問題では断じてない。まさに小泉改革の実際の内実を端的に象徴する事件ではある。
 ついで三月二二日に発覚したことは、オリックスが福井氏ら投資家から資金を集めるまとめ役となって村上ファンド傘下の複数の投資組合を事実上、組織していたことであった。福井氏の提出資料等によれば、村上ファンドに投資する投資家は、オリックスがまとめ役を務める投資組合の組合員となる。オリックスは資金を取りまとめて「統合投資組合」を組織し、タックスヘブンのケイマン諸島にある「MACジャパンファンド」に出資して、オリックスは同ファンドから出資金の二%(初年度は三%)の手数料を得ていた。
 またオリックスは、村上ファンド設立の際、資本金の四五%をも出資しており、このただならぬ密接な関係について、構造改革・規制緩和の旗手・宮内氏は説明責任がある。
 さらに福井氏には、商船三井やキッコーマン、富士通等の株を持っているとも伝えられており、経済同友会の人脈での取引があったことは想像に難くない。またこの人脈と村上ファンドの人脈は一部重なり、この構図からも、経済同友会の政治性が浮かび上がる。
 政治性といえば、経済諮問会議の委員であった福井氏の郵政民営化についての政治的発言もある。日銀の役員は日銀法で積極的に政治運動にかかわってはならないのだが、参議院での採決が迫る昨年の七月二七日、福井氏は郵政民営化法案への支持を表明している。
 この事件は、まるで国家機関であり政治的に中立性があるかのような中央銀行が、実際は株式会社・日銀でしかなかったことを実際に暴露したものとして極めて重要である。
 先に問題となった郵政会社の西川現社長の銀行頭取時代の不始末の発覚といい、この間浮かれてしゃしゃり出てきたホリエモンやこれらの人物のいかがわしさが、小泉構造改革の本質が公共のものを私的所有化する事にあると何よりも事実で語っているのである。(N)


会社は誰のものか――労働権優位の社会を――

 村上代表が証券取引法違反で逮捕された。年初のライブドアの堀江元社長に引き続く逮捕で、マネー資本主義を招来した小泉首相の退場を象徴する事件となった。
 検察による「時代の寵児」に向けられたこの逮捕行為は、利潤のためには手段を選ばないという米国流の市場原理万能主義に対し、法による支配、言い換えれば国家による統制機能の回復という、国家権力による周到に準備された介入意図が透けて見えるようだ。
 こうした村上逮捕の持つ意味は脇へ置いておくとして、ここでの関心は、国土開発=西武鉄道の堤義明逮捕に続き、堀江、村上逮捕で再び持ち上がっている「会社は誰のものか」という、より根源的なテーマだ。それを考える一つの材料が6月23日の朝日新聞に出ているので、それを参考に再度この点を考えてみたい。

■現象論に終始する「ステークホルダー論」

 周知のように、「会社は誰のものか」という根源的なテーマが世情をにぎわすようになったのは、最近では国土開発の代表として西武鉄道グループに君臨したあの堤義明が虚偽記載で証券取引法違反で逮捕されたこと、さらには昨年ライブドアの堀江貴文社長がニッポン放送株を買い占めてフジサンケイグループを乗っ取ろうと世間の耳目を集めたからだ。当時、堀江社長の買い占めに対して、日本放送側が様々な対抗策を講じて派手な活劇を展開していたのは記憶に新しい。そこでは経営者側が株主を選ぶのか、あるいは株主の意志が会社経営を左右するのか、ということだった。いいかえれば一体「会社とは誰のものなのか」という究極のテーマが突然浮上したわけだ。
 このテーマも含む三人の専門家の主張を掲載した6月23日の朝日新聞の紹介から始めたい。
 ビル・エモット氏(英エコノミスト誌の前編集長)は、日本型資本主義はバブル経済でそれまでの銀行主導の規律が崩れたが、米国流のカウボーイのような株主の登場を想定した規制が甘く、それを東京地検がかつての日本型の既成を取り戻すためか、あるいは証券市場における法による統治を確立しようとして時代を象徴する有名人の逮捕に踏み切った。だが、それでも英米型に近づくだろう、というものだ。
 二人目は青木昌彦氏(スタンフォード大名誉教授)だ。かれは「会社とは何か、どうあるべきか」という論争について、一つは会社は株主のもので、経営者はその代理人として行動すべきだというもの、もう一つは会社は株主だけでなく従業員や地域コミュニティーなど様々なステークホルダー(利害関係人)から信託を受けた機関である、と紹介した上で、今回の一連の事件はステークホルダー論の新しい展開と位置づけることができる、としている。というのは、最近のように技術や価値観が多様な時代では、企業は建物・土地・機械のような「物的資産」より、たとえば「環境に優しい」というような「企業理念」や特別な情報生産力を持った「人的資源」やブランドなどの「情報資源」等が一層重要な役割を果たすからだという。結論的には、資本市場の公正性を保つルールづくりと、それに耐えられる企業の倫理的基準や企業価値を造り出していくことが必要だ、というものだ。

■「ステークホルダー論」では課題は見えてこない

 3人目は「不平等社会日本」の著者でもある佐藤俊樹氏(東京大助教授)。
 佐藤氏は「会社は本来、誰の所有物でもない。株主のものでも、従業員のものでも、経営幹部のものでもない。誰の所有物でもないから法人なのであって、誰かのものなら法人ではない。」という。彼によれば、バブル経済の崩壊後は労働組合や銀行の監視機能が低下し、経営者が「自分たちのもの」にし始めた会社に対し、村上氏が「物言う株主」として登場した。が、彼はいつでも株を売り抜けるという自由を手放さないまま会社を自分のモノ扱いした、だから村上ファンドによる阪神電鉄株の買い占め劇も、経営幹部による「私物化」と株主による「私物化」の正面衝突だったということになる。結局、佐藤氏は「会社は誰のものでもない。私たちは誰がどのように会社に関わるべきかを自分で考えて決めるしかない。」という結論で満足する。
 「会社は誰のものか」を直接取り上げていないエモット氏をのぞけば、青木氏も佐藤氏も結局は「ステークホルダー論」に立っていることが分かる。その「ステークホルダー論」というのは会社は株主、経営者、従業員、購買者・消費者など、様々な利害関係者が関わり支えている、という観点の考え方だ。実際、佐藤氏も「私たちの生活は会社に支えられている。『この会社なら』と安心して、商品やサービスが買える。勤め先や投資先にもできる。おかしな会社を延命させる必要はないが、快適な生活にはまともな会社が続くことが欠かせない。」として、青木氏と同じような趣旨の発言をしている。
 確かに青木氏や佐藤氏にの言うことは常識的なものだ。それでも最終的には「市場の評価に耐えられる企業価値」を強調する青木氏にしても、「会社に関わるべきかを自分で考えて決めるしかない。」としか示せない佐藤氏にしても、「ステークホルダー論」では、目の前で争われた企業の争奪劇に対して、読者、労働者はどういう方向での解決をめざすべきなのかさっぱり見えてこない。結局「ステークホルダー論」とは、会社とは様々な利害関係の結節点として存在している、という事実を後追いするだけでしかなく、「会社は誰のものか」という「有史以来」(?)の根源的な問題に正面から答えていないことになる。

■所有権の復活?

 「会社は誰のものか」に正面から向き合うには、やはり「所有」の問題に立ち返る必要がある。
 結論的に言えば、堀江氏や村上氏の行為が提起したものは、所有権至上主義の立場だ。日本放送株の所得によって日本放送ばかりでなくフジサンケイグループ全体をライブドア傘下の子会社にしたいという堀江氏や、自分が差し向けた経営陣によって阪神電鉄への支配権を獲得しようとした村上氏の行動は、それ自体非常に分かりやすいものだった。これに対して防衛策に追われた日本放送=フジサンケイグループや阪神電鉄側の防衛策は、経営権すなわち占有権による所有権への抵抗と見ることもできる。
 こういう観点で見れば、漫然とした経営陣につけいることで企業経営、企業統治のずさんさを暴き出した堀江氏や村上氏の行動は、既成勢力への挑戦とも受け取られてアウトサイダーなどから喝采を受けもした。しかし二人の行動は、経営権優位の日本的な会社のあり方への挑戦という側面はあったにしても、その性格自体は古い古典的なものでしかない。
 というのも、周知のように所有権至上主義の社会というのは、資本主義以前の封建社会での領主による統治権という政治権力優位の時代に対して、資本主義の成立とともに確立してくるものだからだ。日本でも明治政府が進めた政商の育成や官営工場の払い下げなどで強大な財閥が持ち株会社を通じて巨大な企業グループを支配してきた歴史がある。それが敗戦による財閥解体や企業グループによる株の相互持ち合いなどによって大株主の力が相対的に弱体化し、法人資本主義(奥村宏)や経営者革命(J・バーナム)が強調されるようになった。日本で言えば、戦前の所有権優位の時代から戦後の経営権・占有権優位の時代への転換だ。
 そうした日本的経営がバブル崩壊で崩れ、グローバル競争時代への突入という状況の中で登場した小泉首相は、規制緩和などで米国型の弱肉強食の市場=利潤万能型社会を招き寄せてきた。資本主義の先祖返りとも言えるかもしれない「儲かればいい」という二人は、そうした時代を象徴するものとして「時代の寵児」として持ち上げられたわけだ。が、しかしそれは私たち労働者のめざすべき方向とは全く逆のものでしかない。

■表舞台から退場した株主=資本家

 私たちがめざすべきは、経営権=占有権に対する所有権優位の社会ではない。占有権優位の社会こそめざすべき目的である。しかしその場合、現在の会社での占有権は経営者が独占している。そのうえ日本では労使運命共同体論で労働者は会社人間・企業戦士にさせられてきた。私たち労働者は、その経営者の指揮・監督する下である意味(知る業の恐怖を背負っているという意味で)では強制労働に従事させられている。若干の発言権や仕事のやり甲斐などというのは、あくまでその土台の上での話である。労働者はいわば経営を補助する位置、すなわち占有補助者の地位に甘んじている。その占有補助者の地位から経営権を獲得することで名実とも占有者の地位を確立すること、言い換えれば労働権優位の社会への転換であって、これが労働者がめざすべき課題であり目標なのだ(広西説)。
 佐藤氏は「誰の所有物でもないから法人なのだ」などとしているが、誰のものでもないものは皆のもの、すなわち共有物なのかというと、そんなことはないのは子供でも分かる。最終的な決定権が誰にあるのか、を見れば分かりやすい。会社(株式会社)は法律上は株数による議決権を通じて最終的な決定権は株主にある。しかし現在の大企業では単独で議決に必要な株を所有している株主はまれで、だから一般的には広く業務執行権を委ねられた経営者(取締役)の裁量の余地が大きくなっているのが普通だ。ほどんとの株主は零細株主で、持ち株に比例した有限責任を負う無力な存在でしかない。その分だけ大株主は相対的に少数の株の所有で大きな決定権を手にすることが出来るわけだ。が、単独の過半数に満たない株しか所有していない中では、絶対的な決定権を持つことは出来ない。いわゆるオーナー社長は例外的な存在でしかなく、結局は個々の会社では大株主と経営者の個々の状況で力関係が決まることになる。

■所有権優位から占有権優位、そして労働権優位の社会へ

 しかしここで考えなければならないのは大株主と経営者の力関係の変遷ではない。会社(株式会社)の持つ本来の意義こそ考えるべきなのだ。
 株式会社の意義については様々言われている。巨額の資金の集積や経営専門家による積極経営などだ。しかし私たち労働者が注目すべきは、株式会社によって所有と経営がはっきり分離してきたこと、大株主という会社の所有者が経営の一線からいなくなったことだ。言い換えれば生産過程から大株主、資本家がいなくなったことである。資本家による労働者に対する業務指揮権が経営専門家としての雇われ経営者に移されたことは、それだけ労働者に対する資本家の指揮命令権が弱体化したこと、所有にもとづく指揮権が間接化したということだ。逆に言えばそれだけ所有権の力が後退したことである。資本主義の発展は、それまでの政治権力優位から所有権優位の体制を確立したが、株式会社の発展を通じた資本主義の高度化そのものの結果として所有権の間接化が進んだことになる。現に会社や職場で働いている限りは、会社の所有者が誰であるかはほとんど意識されず、日常的には経営者と労働者が会社を動かし、支えているのである。
 とはいえ、経営者と労働者は占有者と占有補助者というように、その位置関係、利害関係がぶつかり合ってもいる。経営者の胸先三寸で労働者の首が飛ぶ場合もあり、現にバブル経済崩壊の過程で膨大な労働者がリストラ=解雇されてきた。占有補助者が占有者になるということはまさに革命的な事態である。
 株式会社の所有と経営の分離から、労働者が占有権を獲得して会社を我がものとするという課題について考えてきたが、その手本はすでに存在している。協同組合のことである。協同組合は、内部的には出資者=労働者が経営を担い、また自ら労働する。出資金の配当についても出資金に比例して受け取るのではなく、労働していることに対して平等に配当される建前になっている。いわば所有権は協同組合設立の場面だけの問題に局限されており、経営権は労働権と一体のもの、むしろ労働権を前提したものになっている。それだけ労働権の力が強化・拡大していることを意味しているわけで、いわば所有権至上主義や経営権至上主義に取って代わって「労働権至上主義社会」というべき社会のモデルになっている。
 とはいってもそうした関係は協同組合の内部原理に止まっており、また現存する協同組合は消費・流通協同組合がほとんどで、その中には「会社化」しているものも多くなっている。だから現存する協同組合をそのまま拡大していけば良いというほど課題は簡単なものではない。しかし資本主義がもたらした企業社会のただ中に、所有権の明らかな制限・後退や労働権優位のモデルが生み出されていることにこそ注目していきたい。単なる「ステークホルダー」の片割れに止まっている場合ではないのだ。(廣) 案内へ戻る


日銀とは何か―中央銀行業務と民主化

はじめに

 村上ファンドに福井日銀総裁が投資していたことが発覚して以来、大きな政治問題になった。現在、日本共産党は福井総裁の道義的問題追及の急先鋒として活躍している。
 三月二四日、民主党・日本共産党・社民党・、国民新党の野党四党は、国会内で党首会談を開き意見交換して、福井日銀総裁はただちに辞任すべきだと意思一致したとのこと。確認された「合意事項」は、福井日銀総裁は、日銀に対する内外の信頼を回復するため、その職責を自覚し、直ちに辞任すべきであるというものであった。この認識でよいのか。
 福井総裁の辞任を求める世論は各新聞社の調査によっても七十%を超えている。私たちも福井総裁の辞任を要求するものではあるが、ここで冷静になってこの機会に、一体日銀とは何か、その中央銀行業務とは何かを考えるとの立場に私たちは立つものである。
 皆さんは財布を是非見ていただきたい。もし一万円札が入っていたらしげしげと見ると中央の下部に「国立印刷局製造」の文字が確認できる。このように私たちが日常使用している日本銀行券とは、実際には嘗ての大蔵省造幣局、つまり国立印刷局が製造している。さらにいえば、一万円札の製造原価は、何とたったの一七円であるとのこと。驚きである。
 では一体なぜ日本で流通する貨幣は、日本銀行券であり、なぜ日本国家紙幣、つまり日銀の名前を抜いた「日本政府」券ではないか。ここにすべての問題が焦点化している。

日銀とは何か、独立性とは何か

 ここはまず日本銀行の沿革史を確認することから考察を進めていきたい。
 日本銀行は、わが国の中央銀行として、明治一五年六月に制定された日本銀行条例に基づき、渋沢栄一を初代総裁として、同年一0月一0日に業務を開始した。その後、昭和一七年二月には、日本銀行法が制定され、日本銀行は同年五月一日に改組した。時代の要請もあり、昭和一七年の日本銀行法は、日本銀行の目的について、「国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル為国家ノ政策ニ即シ通貨ノ調節、金融ノ調整及信用制度ノ保持ニ任ズルヲ以テ目的トス」と定め、日銀総裁の任命権や罷免権、日銀に対する監督権限などは政府に与えられており、日銀は政府に対して独立して業務を行うことができない戦時色の濃い内容となっていた。そして、この昭和一七年の日本銀行法は、アメリカの思惑もあり、戦後数次に亘って部分的な改正が行われ、アメリカの中央銀行制度の影響を受け、一九四九年(昭和二四年)六月の改正では、最高意思決定機関として、政策委員会が設立され、ここでは公定歩合の変更などの重要な決定を行なう権限が与えられた。しかし、それでも同委員会では実質的な政策決定機能は果たすことができなかった。その後、戦争中に制定された法律がそのまま存続していたため、新しい日本銀行法を制定する必要性が何回か高まったが、政府からの独立性をめぐって意見が合わなかったため、現実的な改革にはつながらなかった。しかし、ようやく、一九九七年(平成九年六月)、「独立性」と「透明性」という二の理念の下に、日本銀行法は全面改正され、改正後の日本銀行法は一九九八年(平成一0年)四月一日に施行され、こうして新生日本銀行が誕生したのである。
 日本銀行の資本金は何とたったの一億円と日本銀行法により定められている。そのうち五千五百四万五千円(平成一七年三月末現在)は政府出資であり、残りは民間等の出資だ。なお、日本銀行法では、「日本銀行の資本金のうち政府からの出資の額は、五千五百万円を下回ってはならない」と定められている。日本銀行の出資者に対しては、経営参加権が認められていない他、残余財産の分配請求権も払込資本金額等の範囲内に限定されて、剰余金の出資者への配当は、払込出資金額に対して年五%以内に制限されているのである。
 以上、日銀のホームページに書いてあることを補足して紹介してみた。端的にいえば日銀は半官半民の会社なのだ。この点を私たちはしっかりと認識しておかなければならない。
 このように日銀は執念によって日本銀行法改正を成し遂げたが、その背景はどのようなものであったのか?日銀からすれば、次の三つの事情がある。一つには日本の金融の枠組み全体に対する見直し気運の高まり、二つには諸外国における中央銀行の独立性強化の動き、最後に市場化・国際化に対応する日本の金融システムの再構築の必要があった。
 これに若干の説明を加えれば、バブルの発生と崩壊という大きな経済変動の経験は、戦時中の昭和一七年に制定された旧日銀法の改正を含め、日本の金融の枠組み全体について見直しを行う契機となった。またこの間の諸外国の動きを見ても、欧州では通貨統合に向けて、欧州中央銀行が設立されることとなり、その前提として、各国中央銀行の独立性を強化するための制度改革が行われるなど、中央銀行制度をめぐる議論が活発化していた。このため、経済の市場化・国際化という大きな金融経済環境の変化に即し、戦時中の立法であった旧法を全面的に改正して、二一世紀の金融システムの中核に相応しい中央銀行をつくることは、グローバル・スタンダードを踏まえて日本の金融システムを再構築していくためにも必要だったと日銀は解説したのであった。
 こうした説明には、多くの政党が納得してしまった。日銀法改正案に日本共産党は、衆議院では賛成したのだが、参議院では反対に回り、この矛盾した投票行動は物議を醸したと原題『円のプリンスたち(邦訳題・円の支配者)』の一四頁に書いてある。このことは日共が日銀の説明した独立性の本当の意味を認識していないことを示しているのである。

中央銀行業務と民主化

 ここで一冊の本を紹介したい。二00一年五月出版の原題『円のプリンスたち(邦訳題・円の支配者)』である。著者はリチャード・A・ヴェルナーであった。とくに戦後日銀の中央銀行業務の実態についての三百八十頁に及ぶ浩瀚な書物の出来は、日本人には衝撃であり、国際的にも評価されるほどの出来映えで、数年後には、アメリカ版とスエーデン版が出版された。出版に際して加筆された部分や補足された部分は、二00三年八月、原題『中央銀行業務と構造転換(邦訳題不況が終わらない本当の理由)』として出版された。
 評判になった『円のプリンスたち』の内容を一言で要約すれば、日銀は中央銀行業務を遂行することで、中曽根内閣の私的諮問機関であった経済構造調整研究会の報告として、一九八六年に元日銀総裁の前川春雄氏の名で「前川レポート」を発表して以来、日本に構造転換を行わせようとわざと不況を長引かせているということに尽きる。「前川レポート」を要約すれば「構造改革なくして経済成長なし」であり、今では小泉政権の金看板になっているあのスローガンである。この事を信じられないという人々はそもそも日銀が政府機関でもなく、三権分立の中にも、明確に位置付いていない半官半民の組織であることを忘れているのだと私たちは指摘せざるをえない。日銀という中央銀行の実態を知るべきだ。
 実際にも七0年代から新興勢力である経済同友会との関係の濃密さは明らかで、オリックスの宮内氏と福井氏は、ともに経済同友会の役員でもある。その意味において、小泉政権の誕生を前もって準備していたのは、現福井日銀総裁である。まさに日銀がしたことであった。その意味で今回村上ファンド事件の発覚で小泉総理が福井総裁を辞職させられるかは大いに注目すべき事ではある。
 このように、構造転換をしなければならないと国民に信を問うこともない独立性のある中央銀行は非常に危険であるから、中央銀行券の発券を止め日本政府券を発行するか、民主化しその独立性を否定して政府機関に組み込むしかないとヴェルナーは断言した。
 ヴェルナーは続ける、「私は日銀の政策を一0年以上分析しています。九二〜九三年に私が日銀にいたときには、政策の失敗だと思いました。量的緩和の効果を良くわかっていないと思っていたのです。当時の日銀のある人に、なぜ今お金を作らないのかと訊ねたことがあります。こういう説明でした。『お金を注入すれば確かに景気回復になる。しかし、今、景気が回復することは日本にとって良いことではない。短期的には良いが、構造的には何も変わらない』つまり、わざと不況を長引かせるような政策を取っているということです。当時は私も信じなかったのですが、何年もの研究から『その通りだ』という結論にならざるを得ませんでした。何年も日銀が一貫していた取引と政策を考えるとそれしか結論が出ないのです」と。彼は、とことん日本を不況にして、追い詰めて日本を変えようと日銀は考えていると結論せざるをえないというのである。
 またヴェルナーはこうも指摘する、「まず、大蔵省も九二年から総合景気対策を決め、そして日銀に金利を引き下げるプレッシャーをかけました。日銀はこれに応対して金利をゼロにまで下げましたが、問題は金利をいくら下げてもお金の量が増えなければ景気は良くならないということです。実はこのことは日銀が良く知っていることなのです。二番目に、政策では金利引き下げで景気が良くならないので、大蔵省は財政刺激策を行いました。九二年から十四回もの刺激策を行い、総額は一三〇兆円です。大蔵省はお金を作れませんので、景気刺激策を行う場合は国債を発行します。投資家はこの国債を買うのですが、投資家もお金を作ることはできません。そして、お金を注入されたところは部分的に景気が良くなりますが、引き出されたところは逆に景気が悪くなり、差引きゼロになるのです。お金のシフトが起こっているだけなのです。そして三番目には、九四年終盤から九五年にかけて、金利引下げも財政総合経済対策も効果がなかったとき、もう一つの策を取りました。円安にして輸出を増やすことです。大蔵省は為替介入の責任者です。大蔵省は九四年から九五年にかけて、毎月世界最大規模の二兆円という為替介入、つまり米国債購入を行いました。実際の取引を行うのが日銀です。 しかし、この大量の資金の出所は国内経済だったのです。日銀の所有している国債を売却してお金を作ったのです。しかも為替介入資金よりも多い国債を売却しました。つまり、効果はマイナスです。日銀は信用創造ではなく、信用破壊を行ったのです。為替は連銀の信用創造と日銀の信用創造の差で決まります。この状態では、お金が米国から日本に流入して円高になります。九五年四月の七九・七五円という歴史的な円高は日銀の取引の結果だと証明できます。この時に初めて、日銀が景気を回復させようとしていないという話が本当だったと理解できました。その後の取引を見ても、日銀は不況を長引かせるような政策を取り続けています。九三年の三重野総裁は『中央銀行としての政策目的は短期的な景気回復ではなく、長期的に日本の経済構造を考えること』と言っています。その後の福井副総裁、山口副総裁も同様の発言をしています。確かに構造転換を行おうとすると、世界の歴史を見ると、危機がないとできないのです」と。彼の日銀批判の核心は、必要とされるときに貨幣を供給しないこと、つまり日銀は信用創造ではなく、信用破壊を行ったということに尽きる。
 日銀の中でもこうした信用量の決定ができる人物がプリンスと呼ばれる歴代の日銀総裁たちで、戦後の就任順序から挙げれば、一万田尚登、佐々木直、前川春雄、三重野康、福井俊彦である。戦後の日銀総裁は、この他にも山際、宇佐見、森永、澄田、松下がいるが、彼らは大蔵省からの出向であり、日銀内部にまで権力が及ばなかったという。前総裁の速水優氏は確かに日銀出身だが傍流であり、実質的な権力はなかったとヴェルナーは主張する。さらに、日銀の「素性」について、ヴェルナーはウォール街の金融財閥系だと主張している。なぜなら、その証拠は戦後最初の駐米大使に日銀総裁だった新木栄吉氏を選んだ事からも明らかだとしている。そして、戦後初の日銀総裁は、ドイツ留学の一万田氏だ。
 ヴェルナーは、現日銀総裁の福井氏は、八0年代後半から営業課長で実権を握っており、ウォール街の意に沿ってバブルを計画的に作ったのだと断じている。また、それだけに景気を良くすることも福井氏にとっては造作もなく、簡単なことだとしているのだ。
 このように、ヴェルナーは、国民に説明もせず日銀がわざと不況を長引かせることにより、構造転換をさせようとしているなら大変なことだ、つまり「日本の政府は日銀だ」ということになるともいう。その意味では、戦後最高の失業率や今年も八年続く三万人の自殺者の記録を更新したが、そうしたことのすべてを日銀が容認していることになる。
 この日銀と比較すれば、ヴェルナーの母国、ドイツの中央銀行ブンデスバンクについてのヴェルナーの指摘は傾聴に値する。「ブンデスバンクも日銀も独立しているという意味では同じですが、ブンデスバンクやアメリカ連銀の目的は物価の安定と経済の安定です。新しい日銀法には物価の安定は謳っていますが、経済の安定はありません。彼らはドイツの歴史で最大の金融政策の失敗は一九二二年から二三年のハイパーインフレだと認識しています。その原因は、政府による当時の中央銀行ライヒスバンクへの大量の信用創造の命令です。そして中央銀行が政府からある程度独立していることが必要だと気付いたのです。日本での大きな金融政策での失敗は景気循環で景気が失速した時の振れが大きいことです。バブル崩壊の時だけでなく、六〇年代や七〇年代にもありました。やはり、量的政策が問題だったのです。日本では日銀の独立性がありすぎることが問題ではないでしょうか。日銀法の改正で日銀の独立性がさらに高まったことは失敗だったと思います」この立場から彼は、経済の安定や経済成長率を明記するよう日銀法の改正を主張しているのである。
 ヴェルナーによれば、ドイツ議会がドイツの中央銀行ブンデスバンクを経済安定法で縛ったように「対策として、日銀法を改正して政府がGDP成長率を決めるべきだと思います。目標を示して日銀にオペレートさせ、目標達成に遠く及ばないようだと、責任を取らせるような体制が必要」だとしている。中央銀行は政府と国民に対して説明責任を果たすように民主化されていなければならない。その意味で、EUで誕生した欧州中央銀行は、独立性があり民主化されていないので痛恨事だと彼はいう。この指摘は重要だ。以上が『中央銀行業務と構造転換(邦訳題不況が終わらない本当の理由)』の内容である。
 また従来中央銀行の金融政策で大事なのは、金利だといわれてきたが、ヴェルナーによれば核心は信用創造だ。この点を経済学者も理解していないと指摘しつつ、スティングリッツやバーナンキのいうように、彼もまた信用創造が中央銀行の金融政策の中核とする。このことは大変理解しにくいことだとも考えるが、今はこれ以上触れることは出来ない。
 このことについては、スティングリッツやバーナンキの影響の下、ヴェルナーは精力的にパラダイムチェンジの経済学専門理論書『虚構の終焉』とその平易な解説書『謎解き!平成大不況』を書き上げている。これらの本の分析と評価については別の機会としたい。
 この事に関しては、日米の金利差が平成大不況の原因だとの持論を展開し、『マネー敗戦』の著書で知られる吉川元忠氏との対談本、原題『日本モデルを解体して(邦訳題なぜ日本経済は殺されたか)』を出版している。この本の中で、金利差を問題にする吉川氏に対して、信用創造と資金配分が重要だとヴェルナーは一歩も引いていない。その意味で私たちの日銀や大蔵省・財務省についての考えを深めるのに役立つ本だ。一読を勧めたい。
 またこのヴェルナーの理論展開の影響下にある売れっ子の森永卓郎氏は、『年収300万円時代 日本人のための幸福論』において、ヴェルナーのバブル期にも「窓口指導」があったとの証言を実際に日銀関係者と会うことにより自分で得て、『日本/権力構造の謎』で知られるカレル・ヴァン・ウォルフレンの説得を試みた。しかし、彼はヴェルナーよりも自分の方が日本に長く住んでいるしこの間の事も彼より詳しく知っているとして、もっと証拠が必要だとの立場を頑なに崩していない。それもこれも、彼には中央銀行についての認識が弱く、当然のことながら中央銀行の民主化の視点はないからだ。

おわりに

 今回の福井スキャンダルは、日銀の金融政策決定会合が開かれる前日に発覚し、この結果日銀はゼロ金利の解除を見送った。日銀の政策変更は早くとも七月になったのである。がどのような決定をしようと、総裁のスキャンダルとの相関が疑われます。
 福井総裁は国会で、富士通総研の理事長だった一九九九年に村上ファンドに一千万円投資したことを認めた。このファンドを創設した村上容疑者はインサイダー取引の疑いで逮捕されている。福井氏はその後、日銀総裁となったが、今年二月に解約を決めたが、解約手続きが完了するのは早くても今月末になるという。
 フィナンシャル・タイムズは、「福井総裁の投資が、このような騒ぎになったのには二つの理由がある。一つは、福井氏が、村上容疑者や、証券取引法違反で起訴されたライブドア前社長の堀江貴文被告らによって代表される資本主義の近代的かつ急進的なスタイルの支持者とみなされているからである。もう一つは、日銀はいま、日本の経済回復とデフレ脱却を見ながら、いつゼロ金利を解除して利上げするかという重大かつ政治的に微妙な決定を下そうとしており、このような時期に福井総裁も日銀自体も、その信用性を損なうような事態は決して許されない状況にあるからだ。福井総裁はこの騒ぎを切り抜けることができそうだ。総裁は、騒ぎを起こしたことを謝罪し、対処の仕方が十全ではなかったことを認めた。小泉首相は、なにも問題はないとし、日銀も、総裁は内規に違反していない、としている。しかし問題は、この規則、というよりもむしろ、規則の欠落にある。日銀の金融政策決定会合の新審議委員になった人は、公私の利害が相反すると疑われることを回避するため、投資の管理を信託機関に委託するよう助言される。しかしこれは義務ではない。また資産の公表義務もない。これは、他の経済大国の中央銀行幹部や政府高官に対する厳格な資産公表規定や、資産の運用を第三者に白紙委任する規定とは比べものにならない。米財務長官に指名された米証券大手ゴールドマン・サックスのハンク・ポールソン社長が所有する同社株などの扱いをめぐる複雑な交渉は、米国の場合のこの規定の厳しさを示している。福井氏がこの騒ぎを切り抜けた場合、総裁と日銀は今回の騒ぎを、日銀の内規を国際水準に高める機会として利用すべきである」と実に辛辣に批評した。
 本年一月まで約十八年間、アメリカの金融の大御所、FRBの議長を務めたアラン・グリーンスパン氏は、いかなる金融商品も株式も持ったことはなかった。つまり、前議長は特定団体、業界、企業等と一切の利害関係を持っていなかった。こんな当たり前のことを、殊更にいう事自体異常なことなのだ。日本の金融界がいかに世界の常識からかけ離れているかが分かるというものだろう。日本資本主義は世界標準では異形の資本主義なのである。
 ここで指摘されているように、こんなにも早い時点で、福井氏は「この騒ぎを切り抜けることができそうだ」と断言された。私たちにとっては、全く驚くべき事ではないか。
 まさに日銀とは何か、中央銀行業務とは何かが、そして中央銀行の民主化の必要性が、今私たちに問われているのである。    (直記彬)


餓死者が後を絶たないGDP世界第二位の日本

■生活保護の申請拒絶され餓死

 2006年5月23日に北九州市門司区の市営団地に住む56歳の男性が、死後4ケ月たって発見されました。その死因は餓死でした。
 男性は昨年までタクシーの運転手をしており、身体障害者の手帳も交付されていました。昨年の9月には電機・ガス・水道もとまり、男性は生活保護を区役所に申請しました。対応した区役所の担当者は、この時点でライフラインが止まっている事を把握しておりながら、書類すら渡すことなく申請を拒否しました。12月に食べるものも無くなつてしまった男性は、再度区役所に生活保護の申請をしています。しかし区役所はまたもこれを拒否したのでした。
 同じように生活保護をうけることが出来ずに餓死した人達がこの団地には他にもいました。
 新聞によると北九州市は厚生省の指導に従い保護率を抑制してきた経緯があるようです。生活保護の申請に来た市民に対し申請書類を渡さない。審査に時間をかけ精神的な負担を与える。病気であろうと働けるはずと迫る。親族などに強制的に扶養させる等々の対応がまかり通っていたのです。その
ため、この区の保護率は平均を大きく下回っていたといいます。 GDP世界第二位、「経済大国」、「豊かな日本」を自負する日
本ですが、北九州市の事件は特殊なケースというわけではないのです。凍死・餓死・衰弱死に追いやられているホームレスの人々。アパートで死後何ケ月も経って発見される独居高齢者リストラされ餓死して発見された労働者等々。
「豊かさ」から排除された人達が命の危機にさらされているのです。「経済大国日本」が「自殺大国日本」であることも、このことを裏づけているのではないでしょうか。

■「水際作戦」を進めてきた政府

 生活保護制度は憲法第25条が謳う「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するために、日本国籍を持つ人達に「無差別平等」に与えられている権利です。しかも生活保護法ではこれを国家責任で行うことも明示してあります。しかし、国家責任をうたいながら、「水際作戦といわれる、「生活保護申請者追い払い作戦(申請を受け付けない)」が昔から行われています。
 保護担当のケースワーカーが申請を却下する根拠となつているのが、「保護の補足性の原理」です。生活保護法には「保護の補足性の原理」という条文があり、資産や資力、扶養の優先を求めています。つまり、「働けるだろう」と言って追い返すのは「資力の活用」となり、「子供がいるから養って貰いなさい」と言うのは「扶養の優先」となるわけです。
 加えて近年では、福祉の世界全般でもてはやされている「自立支援」という言葉が、生活保護の分野でも幅をきかせています。しかし、申請者の自立を本気で考えているのなら、単に追い返すというやり方ではなく、別の対応策がとられるべきであるはずです。行政は、自立支援のうたい文句を悪用し、生活保護申請拒絶、保護率削減のみを追い求めているのです。
 左記の死亡事件の報に接し、母子家庭の母親の餓死事件を思い起こした人も多かつたのではないでしょうか。1987年に札幌市で39歳の母子家庭の母親が生活保護の申請を拒否され、三人の子どもを残して餓死した事件は大きくマスコミに取り上げられました。彼女は「若いので働ける」と言われ再度の申請も拒否されていました。
 こんな事件もありました。生活保護を受けている高齢の女性が、夏の猛暑で脱水症にならないためにと、白米と漬け物だけの質素な生活をしながらお金を貯めてエアコンを購入しました。しかし市の職員はエアコンを買うほどの資産があるということでクーラーを取り上げ、補助も打ち切ります。そして彼女は熱中症で死亡しました。生活保護を打ち切られ抗議の自殺をした人もいます。行政によるこの様な「犯罪」は昔から続いているのです。

■保護費大幅削減、母子加算や老齢加算を夕−ゲットに

 厚生労働省は社会保障費削減策の一つとして、生活保護制度を大幅に見直そうとしています。一人親の家庭の給付に上乗せしている「母子加算」の支給要件を厳しく、持ち家に住む高齢者には自宅を担保にした生活資金の貸付制度を利用させて生活保護の対象から外す方針です。給付の基本となる「基準額」の引き下げも検討しています。政府はこの見直しで国費負担を最大で年間500億円ほど削減できりとみており、早ければ07年度から実施する予定です。
 生活保護における生活扶助の基準額は保護法の発足以来少しずつ上昇してきました。1957年の「朝日訴訟」も基準額の引き上げに貢献しました。長期入院中の朝日さんは兄からの仕送り月1500円を受けていましたが、900円の医療費自己負担を引いた残りの600円で生活するようにとの福祉事務所による保護変更の決定が行われました。朝日さんは、この決定に対し、保護基準があまりにも劣悪であり、生存権、健康で文化的な生活を営む権利侵害するとして裁判に訴えました。一審は朝日さんの勝利でした(二審は敗訴、三審中に朝日さんが死亡し、裁判は集結)。
 しかし近年は、基準額の引き下げが進められています。2003年度に初めて前年度を1%程度下回り、2004年共引き続き減少させられました。このまま生活保護基準や加算の削除がなされると、生活保護が貧困に陥った際の受け皿にはならなくなつてしまう
恐れが大です。
 文部科学調省の調査で、2004年度に経済的理由で国や区市町村などから給食費や学用品代、修学旅行費などの「就学援助」を受けた小・中学生は全国平均で 12・8%にも及び、2000年度よりも約36%も増加していることが分かりました。単に高齢者や母子家庭だけではなく、一般家庭でも保護を必要としている人たちが急増していることを、この数字は示しています。
 生活保護受給者数と保護費が過去最大を記録しています。しかし政府は、その原因を解明し、人々の「健康で文化的な生活を保障する」ための方策を考えるのではなく、貧しい者、高齢者、障害者など「国家にとつて利益を生まないとみなされた者」への排除の仕組み作りを着々と進めています。生活保護が決して一部の人々の運命といえなくなつているいまこそ、この問題について大きな国民的議論を巻き起こしていきましょう。保護基準の切り下げや老齢加算廃止、母子加算見直しなど被保護者を圧迫するこれらの流れを止めるために、ともに声を上げていきましよう。(Y)


読者の声・・・「ツナミ」救援物資に思う

 2004年12月の津波の影響で、個々スリランカでも海岸部の多くの被害が出た。
 私もちょうどコロンボにいて、海の方から海水が川へ逆流していると人々がさわいでいるのを見た。しかし、その時は津波とはつゆ思わなかった。そのことの重大さは後のニュースを見て知ったくらいだ。
 国連のフッド・プログラムや世界各国からの救援物資がスリランカにも届き、私のいる田舎でも、特にサムールディとかピンパディの名で月数百円の額で、国から涙金を支給されている貧しい人々のところに届けられた。
 ところが、しばらくたって知ったことだが、受取った人々の大半はこうした救援食料を捨ててしまったとのこと。理由は缶詰食品の味覚になじまなかったことと、経験のない食品に排他的感情や恐れが働いたことらしい。
 スリランカは島国であって、海外へ出稼ぎに行く人々が多いにもかかわらず、食べ物については意外に保守的だ。特に椰子の果実や唐辛子等のスパイスを使った三度三度の食事は、毎日同じ繰り返しであきもせず食べているが、外国の味覚、たとえば日本の醤油や味噌等は敬遠する。発酵食品はビール・チーズ・ヨーグルト程度のものしか知らない。
 こうした実情のところへ、トマトソースや薄味調理のグリーンピース、中国製のいわしのトマトソース煮のような缶詰がどっと入って来た。中にはマケドニアから送られて来た4kgの缶詰もある。マケドニアはいえば、古代アレキサンダー王か、ユーゴ紛争の際に名前を思い出したぐらいの遠い国だが、決して豊かな国ではない。職を求める若い女たちが甘い言葉にだまされ外国につれてゆかれ強制売春をさせられているニュースもあった。
 そんな国から送られてきた善意の食料がまた貧しい国の人々にたべられることなく捨てられているのだ。悲劇というしかない。
 国連やその他の救援機関で買い上げられる救援物質は、買い上げられる国にとっても援助を意味するに相違ないが、こうした活動はよほどきめ細かい配慮がないと、まったく無駄に終わってしまう。 <スリランカ・松田>案内へ戻る


コラムの窓・・・「京都議定書から9年余、危機的な地球温暖化」

 1997年、京都において国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議(地球温暖化防止京都会議)が開かれて、まさに地球環境問題にとって画期的な「京都議定書」が採択されて、はや9年がたつ。
 ところが、世界全体の二酸化炭素など温室効果ガスの排出量はいぜん減少せず、04年の世界の温室効果ガスの排出量は過去最高を記録し、05年の日本の温室効果ガスの排出量も、過去最高を記録している。
 こうした中、世界各地で「猛暑」や「暖冬」や「集中豪雨」などの異常気象が多発しており、地球温暖化は悪化の一途である。このままでは水没してしまう島国が出てくることも懸念されている。
 京都議定書が採択された当時は、多くの科学者は短期の気象変化と温暖化の関連づけに慎重な姿勢をとっていた。
 しかし、その後の研究過程の中で地球の温暖化の影響は、想像以上に深刻であることに多くの科学者たちが気がつき始めている。最近も国連の環境団体が、最近の異常気象の原因が、やはり地球の温暖化にあることを発表した。
 ここで、あらためて「京都議定書」の意義と問題点を考えてみたい。
 議定書のポイントは、2008年〜12年平均の温室効果ガスは排出量を、先進国全体で90年比で5.2%削減することを定めた。その排出削減量を国別義務として、日本は6%、米国は7%、欧州連合(EU)は8%と決めた。さらに、国同士の排出量取引制度などの国際協調の仕組みも盛り込んだ。
 そして、この「京都議定書」が05年2月16日に発効し、地球温暖化防止への世界的な取り組みが、法的効力をもつ段階に入ったのである。
 これを受けて日本の小泉首相も、「地球温暖化対策推進本部」を立ち上げて、温暖化ストップ・キャンペーンに乗りだした。昨年の夏、政府が全府省の大臣、幹部を「ノーネクタイ・ノー上着」にしたことを覚えていると思う。
 そのキャンペーンの宣伝文句には、「ひとつのチームになろう。京都議定書目標達成計画、始まる。温暖化ストップ、みんなで力をあわせてこそ、温室効果ガス6%削減という目標に近づける。『チーム・マイナス6%』にはそんな思いがこめられています。みなさんも、いますぐできることから始めてください。電気をこまめに切る。省エネルギー型の製品を使う。アイドリングをやめる。あなたも、『チーム・マイナス6%』の一員になって下さい。」と書かれている。
 ところが、この宣伝文句には大変な間違いがある。いや意図的に書かなかったかもしれないが。
 それは、議定書の各国の削減目標は90年度比としている。日本は90年度以降削減どころか排出量は増加の一途である。03年度(日本は年度で比較する)の排出量は90年度比で8%増で、達成には「マイナイ6%」ではなく、現状から「マイナス14%」(8%+6%)が必要なのである。
 これから二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量を14%も削減するのは、途方もない大きな課題である。とても、国民がこまめに電気を切る、省エネルギー型を使う、アイドリングをやめる、等などのレベルの問題ではない。
 本当に達成しようとするならば、現在の資源やエネルギーの大量消費・廃棄を見直すために、産業構造の大転換が必要である。政府からそんな方向性の政策転換は提示されていない。今の政策のままで、本当に「マイナス14%」が可能なのか、疑問を持つ。
 さらにひどい国が、アメリカである。97年の京都議定書を主要先進国が批准するなか、01年に経済活動の制約を嫌い、批准をせずに離脱を決めた。ここにも、自国だけの都合だけを考えて行動する悪しきアメリカの単独行動主義が見られる。
 世界人口の約4%にすぎないアメリカが、世界のエネルギーの約25%を消費している訳で、この世界最大の経済大国であるアメリカが参加しなければ、この議定書の目標達成はむずかしい。
 これに対して、温暖化防止に積極的な欧州連合(EU)は、02年時点で90年比で2.9%の削減をもう実現している。これはやはり、90年代に積極的に「炭素税」(化石燃料を燃やす際に出る二酸化炭素の炭素量に課税するもの)を導入する。脱化石燃料・脱原発をめざして、新エネルギーの開発に力を入れてきた成果だと言える。
 いずれにしても、議定書に続く第2期(2013年以降)の枠組みを検討する交渉もスタートしている訳で、中国やインドなどの途上国の扱いも大きな焦点となる。(英)
  

検証「格差社会」の論点(5)

危機に向かう「労働二極化」社会

 「ジニ係数」をめぐって始まった「格差論争」について、高年齢者、若年者、女性といった角度から、さまざまな労働統計を検証してきました。90年代の長期停滞から、小泉政権の登場と構造改革を経て、今日に到るまでの、「格差形成のプロセス」と「現段階」について、基礎的な情況認識は得られたでしょう。そこで、今回は中間的なまとめとして、改めて「格差社会」の全体像を確認したいと思います。

「M字型社会」への移行?

 大前研一氏は最近の著書「ロウアーミドルの衝撃」(講談社刊)で、「日本の大多数を占めていたミドルクラスが崩壊し、ロウアーミドル以下の層とアッパー層に完全に二極化し、所得階層の分布がM字型を描く「M字型社会」に移行していることは明らかなのだ。」と述べています。
 大前氏が示すグラフ「年収階層別世帯数割合」(図表1・11)を見てみましょう。そこでは、1992年から2002年までの10年間における、所得階層の変化が表れています。一見して明らかなのは、グラフが「中流世帯から両極へ二極化」していることです。
 このグラフは、ある意味では「ジニ係数」よりも、リアルに格差の拡大のようすを描いています。しかも、これまで「高年齢者」「若年者」「女性」について分析してきた目をもって、このグラフを見ると、随所に様々な立場の労働者の直面した、それぞれの苦難のストーリーが見て取れるようです。

「リストラ」「非正規化」の軌跡

 まず、年収500万円から600万円前後の「中流世帯」の割合が総じて減少し、山が左にシフトしています。この変化は、40代、50代の中高年労働者に対するリストラの経過を反映しています。関連会社への出向や転籍で、労働条件が切下げられ、本社に残った労働者も、人員を削減されサービス残業にあえいでいます。
 次に、いちばん左を見ると、年収100万円から200万円の「低所得世帯」の割合が、急増しています。この部分は、若者の多くが、正社員の就職の道を閉ざされ、派遣労働者やパート労働者として、低賃金・不安定雇用にさらされながら働いている、あるいは短期雇用と失業を繰り返している様子がうかがえます。そして、その多くが女性労働者で占められていることも、忘れてはなりません。

報われぬ「成果主義」「契約社員」

 さらに、「中流」と「低所得」の狭間にあって、年収300万円前後の層が山のピークをなしています。ここには、成果主義賃金のもとで「業績アップ」に駆り立てられ、サービス残業や休日出勤に追われ、努力の割には「低いランク付け」をされている、報われない「若き正社員」や、また専門技術(システムエンジニア等)を持ちながらも、有期契約で技術を安く買いたたかれる「契約社員」の姿が見えてきます。
 ひるがえって、右の山を見てみましょう。年収1千万円以上の層が、増えています。インターネットを駆使し、マネーゲームで企業の買収(MアンドA)を繰り返し、都心の高給マンションに住む「勝ち組企業」の経営者や管理職、高給労働者(兼・個人投資家?)の高笑いが聞こえてきそうです。

「新時代の日本的経営」がベース

 さて、このグラフで見た「M字型」への移行は、日本経団連(旧日経連)が1995年に発表した「新時代の「日本的経営」で打ち出された雇用類型化戦略と見事なまでに一致しています。
 森岡孝二氏は、著書「働きすぎの時代」(岩波新書)で、これを解説しています。そこでは、「労働力を、A「長期蓄積能力活用型クループ」(長期雇用の正社員)、B「高度専門能力活用型グループ」(有期雇用の低年俸契約社員)、C「雇用柔軟型グループ」(パート・アルバイト・派遣)の三類型に分け、Aグループを極端に絞り込み、BグループとCグループを大幅に増やして、雇用の流動化と人件費の引き下げを打ち出した。」と財界の雇用戦略を説明しています。(図4・4「日本経団連が描く雇用の階層構造」同著より参照)

「時短」どころか「労働時間の二極化」

 森岡孝二氏は同著で「労働時間も二極分化が進む」と指摘しています。図4・5のグラフは1980年から2004年までの、短時間労働者(週35時間未満)と長時間労働者(週60時間以上)の数を示しています(同著参照)。
 それを見ると、1993年から2003年までの十年間で、週60時間以上の長時間労働者は13%から16%に増え、一方、週35時間未満の短時間労働者も18%から24%に増えていることがわかります。
 80年代以来の「労働時間短縮」は掛け声だけで、実際は長時間と短時間への二極分化が進んでいたのです。週60時間以上の労働者が減ったのは、わずかに90年代初頭のバブル崩壊に伴う「残業の減少」の時期だけだったことが、読み取れます。そして、90年代半ば以降は、「時短」の歯車は逆に回りはじめ、ついに最近では過労が原因の突然死や自殺の激増にまで到っているのです。

「均等待遇」にも逆風

 短時間労働者の需要が増えたのなら、正社員とパート社員の時給の格差は少しは縮まったのでしょうか?事態は正反対です。
 森岡氏は同著で、男性・女性それぞれで「一般労働者」と「パートタイム労働者」の一時間あたりの給与額を比較しています(表5・4参照)。
 それによると、1993年から2001年までの間に、一般労働者の時間当たり給与を100としたパートの時給の指数(格差)は、男性では54・9から50・7に、女性では70・1から66・4に、ともに下がっています。
 「均等待遇」に近づくどころか、一般とパートの時給格差は、ますますひどくなっているのです。

「労働二極化」の先に何が?

 一方にはリストラや成果主義賃金のもとで、長時間・過密労働に駆り立てられる正社員、もう一方には短時間・不安定雇用のもとで、時給単価もますます切下げられ、雇用期間も短期化される非正規社員、恐ろしい「労働の二極化」時代の到来です。
 これが、小泉首相の言う「多少の格差はあっていい」社会、「一等も二等・三等も同じではおもしろくない」社会、「悪平等はいけない」社会、その実際の姿なのです。
 小泉首相の「後継候補」とその取り巻き達は「再チャレンジ議員連盟」なる集まりを作って、はしゃいでいますが、深刻な「労働の二極化」のもとで呻吟する労働者に、いったいどのような「再チャレンジ」をしろというのでしょうか?過労で倒れる寸前の労働者に、何を「再チャレンジしろ」と?切下げられた時給で、パートを掛け持ち、国保料も払えない「ダブルジョブ」労働者に、何を「再チャレンジしろ」と?働く者を犠牲にして、格差拡大に拍車をかけてきた自分達こそ、再チャレンジ(一から出直し)すべきではないでしょうか?
 (格差論争の検証は、今回でいったん区切りをつけたいと思います。ここまでは、いわば格差論の「前編」で、現状分析が中心でした。近いうちに「後編」(?)として、構造改革のあり方と格差との関連性や、格差がこれから経済・社会構造にどのような影響をもたらすか、それに対する対抗策はいかに立てるべきか、等を考えていかなければいけないと思うのですが、それにはしばらく準備が必要です。すでにいろいろな雑誌等で、様々な人が「提言」を出していますので、それらに耳を傾ける必要もあります。読者の皆さんからの、ご意見をお寄せください。松本誠也)
(松本誠也)


夏山紹介  日本第二の高峰北岳へ!

 静岡市と山梨県や長野県の県境には3千メートル級の山々が連なる赤石山脈があり、日本最高峰の富士山もある。
静岡市に住む私は、若い時に、労働組合活動の合間に好くこの山々を登ったものである。
 登山を楽しむ方法として分類するなら、挑戦型と観賞型に分類すると、私のは挑戦型にはいるかな!?
 これらの山を一つずつ、自宅から日帰りで登って帰宅する(バイクや車という交通機関を利用して)という無鉄砲なことも好くやっていたからである。
 六〇才に近くなった今の私にはとても出来ないことを好くやっていたと思うが、富士山や八ヶ岳・秩父の山・木曽駒ヶ岳等々。今回紹介する日本第二の高峰北岳にも四回ほど登ったことがあるが、最初に登ったのは、二〇代の半ばに挑戦し、朝の午前四時に起き、自宅を出て、北岳の頂上を経て午後七時半には家に帰宅したものだった。
 ここまでは話の序で、私が行ってきた、山登り方法を今回紹介するつもりは毛頭ありません。こんなことをしても何の楽しみもないでしょうし、無謀で・危険きわまりない方法なのですから。もっと、じっくり計画を立てて、余裕のある山行を行ってほしいと思う。
 さて、北岳は標高三千百九十二メートルで、日本第2の高峰である。平家物語の中に「北に遠ざかりて雪白き山あり、とへば甲斐の白峰といふ」と記されており、白峰三山の最も北に位置している。第三位の穂高岳より二メートル高いのだが、北アルプスの俊英な山容と違って、南アルプス特有の取っつきの悪さとなだらかな山容によって知名度は低い。
 北岳登山道には、雪渓はあるし、北岳にしか生息していないキタダケ草など(季節あり)の高山植物が群生する花畑や、岩登りが出来る北岳バットレス、頂上に立てば、身近に甲斐駒ヶ岳や仙丈岳、遠く、東に富士山や北に穂高連峰など三六〇度、日本の最高峰を一望することが出来るのである。
 北岳の魅力を短い文書で語るのは、至難の業であるが、登頂すれば、日常の細々した気持ちを一気に解放してくれることはまちがいなし。まずは挑戦あれ。ただし、先に述べたように、北岳は標高三千メートル以上の山であり、夏場でも気温がマイナス以下になることもあり、風が強く吹くこともあるので充分な装備と計画を立てて安全な登山をすべきである。なお、よく使われている、登山道の起点である広河原まではマイカー規制期間や交通規制もあり、確認する必要があります。  以上   (M-I) 案内へ戻る


読書室
『福井日銀 危険な素顔』 リチャード・ヴェルナー 石井正幸共著 アップル出版社刊


 この本は、九二〜九三年日銀金融研究所に在籍していたやベストセラー『円の支配者』等の著書で知られてもいるリチャード・ヴェルナー氏と七二年日銀に入行して様々な部署を勤め上げてながらも中途退職した石井正幸氏とが、九八年の日銀接待汚職事件と現職課長の逮捕で引責辞任し、「世の中に迷い出る」として「日銀に戻ることはない」と公言しながら、前言を翻しての0三年の福井新総裁誕生に際して、日銀と福井氏の問題点を様々な角度から明らかにした対談本である。当然にも今から三年前の本ではあるが、今回の福井総裁の村上ファンドへの投資やこの投資を仲介していた宮内氏との深い関係が暴露されてしまった現在、再度注目を集めるに値する本である。なぜなら、日銀の情報操作もあって、日銀に対する批判本は極めて少ないからである。この本には常日頃は政府機関でかつ中立性の外観を持つ中央銀行である日銀の実態が赤裸々に明らかにされている。
 まず本の目次を紹介する。
 プロローグ 福井日銀総裁への書簡
 一章 誰も書かなかった福井新総裁誕生の舞台裏
 二章 米国の筋書き通りに動く福井傀儡政権
 三章 私物化される日銀のゆがんだ現実
 四章 日銀伝統のあきれた情報操作
 五章 福井日銀の権力と景気回復のシナリオ
 六章 福井日銀に緊急提言・こうすれば景気は回復する
 七章 日銀に実績主義を導入し、罰則規程を作れ
 エピローグ 福井日銀のするべきこと

 プロローグでは、日銀接待汚職事件では現職課長の逮捕等、二人の自殺者と百人にも達する内部処分がありながら、日銀には戻らないとの前言を翻して総裁に就任した福井氏に説明責任を求めている。
 副総裁辞任後緊急避難先として設けられたポストは、富士通総研理事長であり、富士通総研で面倒を見ている日銀OBは元局長の二人で最高研究幹部だとのこと。そして、三人合計で年収五千万円を超えることが明らかにされている。なるほど富士通が振るわないのは単に成果主義賃金制度の導入だけではなかったことがこれで分かった。
 続く一章では、石井氏が開口一番、「福井さんが総裁就任を受諾するとは思わなかった」と発言したが、ヴェルナー氏は「今から三0年以上も前に、日銀内部の偉い人が集まって、二000年あたりの総裁は福井俊彦にしようと決めていた」「それ以来、福井さんはずっと日銀のプリンスと呼ばれていた」と応じ、「福井さんを選んだのはだれか。小泉さんか。いや、日銀だ」と発言した。そして「プリンスの条件は能力でなく忠誠心」と断言する。今回の村上ファンドへの投資が発覚しても福井日銀総裁に辞める必要がないと小泉総理や谷垣財務大臣・与謝野金融担当大臣が彼を守るのはそのためなのである。
 二章からヴェルナー氏の『円の支配者』で展開した視点からの福井氏批判が全面展開される。彼は、八0年代後半のバブルの発生もバブル潰しも、八六年九月から八九年五月まで日銀営業局長だった福井氏の責任だと厳しいのだ。そして、九四年一二月から九八年三月まで副総裁だった福井氏は、バブル崩壊後や近年のデフレスパイラルもすべて福井氏の責任だと彼は断言して憚らない。0二年一一月に彼が福井氏に会った時「失業率は八%を目指すべきだ」といったことをもって「国民のことは全然考えない」とこき下ろしている。こうして福井氏は日本に外資が入りやすい環境、つまり構造改革をした人物だと彼は論難される。
 三章では、日銀がなぜ日銀法を改正したかったかをヴェルナー氏が解説する。その関連でドイツの中央銀行の歴史が明らかにされた。私などは初めて聞く話であった。それによると第二次世界大戦まえのライヒスバンクは独立性が高く、ハイパーインフレを引き起こしたが二十年代から三十年代の総裁はシャハトで、彼は公然とヒトラーを支持したとのこと。彼の支持があったからこそヒトラーは政権を取れた。こうしてシャハトはヒトラーの経済顧問と総裁を兼任するまでになった。戦後はこの反省に立ち、政府との関係において独立した中央銀行は危ないとの認識からブンデスバンクは創られ、ドイツの国会が法律で中央銀行が取るべき政策を決めればそれに従わなければならない。この中央銀行は百%政府出資だという。日銀は、戦後初代総裁が戦前日銀派遣でドイツに留学しライヒスバンクを研究した経過もあって、この銀行のやり方が規範となっているという。「窓口指導」もこの銀行が始めたとのこと。その他、日銀がいう「独立性」と「透明性」についてのヴェルナー氏の批評は辛らつで大変ためになる。
 紙面の関係で四章以下の解説は省略するが、世界のほとんどの国の中央銀行は国家と民間が折半で所有している。一体中央銀行とは何かを考えるには、入門書として最適の本だ。もちろん読んで感じた疑問には各自がとことん納得するまでの追求が不可欠である。
 誰でもが感じるだろう最大の疑問はヴェルナーの中央銀行万能説である。彼によれば、中央銀行が正しい政策を行い、信用供与・創造を的確に続けていれば経済は悪くはならないのだという。しかし、この事をもって、彼の主張と問題指摘の全てを否定してしまうのは正しくないだろう。まず自分の目で検討することから始めようではないか。 (猪瀬)


航空自衛隊の派兵拡大を許すな!
 イラクの自衛隊はすべて引き返せ!

■陸自撤退の裏で空自の任務拡大

 政府は、6月20日に、サマワの自衛隊の撤退を決めた。自衛隊はいよいよイラクから引き上げるのか、と受け止めた国民は多いことだろう。
 しかしサマワの陸自の撤退は、航空自衛隊の任務拡大と一体であった。航空自衛隊は、これまで行ってきたイラク南部のタリルやバスラでの任務に加えて、バラド、激戦地のアサドやバクダッド、そして北部のアルビルにまでその活動範囲を広げようとしているのだ。
 イラクからの自衛隊の撤退どころか、これでは派兵の拡大というしかない。

■空自任務拡大の危険な内容

 自衛隊のイラク派兵に対する世論の関心はサマワでの陸自の活動に主に注がれ、空自の活動について注目されることは少なかった。しかし空自の活動は、サマワでの陸自の活動と同様、あるいはそれ以上に、自衛隊のイラク派兵の危険な性格を物語っていた。
 サマワでの陸自の活動は、「人道復興支援」を建前として開始された。もちろんそれは欺瞞であり、陸自の「人道復興支援活動」の本当の役割は、国際的な非難にさらされてきたアメリカの無法なイラク戦争とイラク占領を国際政治の中で強力にバックアップすることに置かれていた。
 しかし航空自衛隊の活動は最初から「人道復興支援」の名目ではなく、「安全確保支援活動」すなわち治安活動=直接の軍事活動への支援として開始された。空自の任務は「人員や物資の輸送」とされているが、輸送した兵員の3割は米兵であった。もちろん、日本政府自身が兵員と武器を切り離すことは出来ないと発言しているとおり、米兵の輸送は武器の輸送と一体であった。
 イラクでの米軍の活動の中心は空軍部隊であり、米空軍はイラクの各地で激しい空爆をを繰り返してきた。航空自衛隊は、こうした米空軍の活動をこれまで以上に緊密に、そして強力に支援する任務に乗り出そうとしているのだ。航空自衛隊が輸送した米兵が、ファルージャやアサド等々での米軍の「掃討作戦」に参加した疑いも指摘されている。米軍は、テロリスト勢力の掃討だと称して、女性や子どもや老人などを含む多くのイラクの一般市民を殺害してきた。航空自衛隊の活動範囲やその任務が拡大されていくなら、自衛隊のイラクでの活動はこうした野蛮な殺戮行為とますます一体化していくことは避けられない。

■イラク派兵とは何だったのか

 アメリカの開始したイラク戦争は、「大量破壊兵器の保有阻止」「独裁者からの民衆の解放」「イラクの民主化」等々のスローガンによって合理化されてきた。しかし肝心の大量破壊兵器疑惑はアメリカによるでっち上げであることが明瞭になり、「民主化」や「民衆の解放」も、一般市民の大量殺戮、アブグレイブ刑務所での拷問、新生イラク政府の強権と暴力への支持とテコ入れ等々によって馬脚を現した。
 アメリカのイラク戦争とイラク占領の目的は、当初から指摘されていたように、世界第2位の石油埋蔵量を有するイラクの支配、中東における親米政権の拡大、中東におけるアメリカの橋頭堡であるイスラエルへの支援等々を通して、グローバル資本主義を舞台に今後ますます激化して行くであろう国際的な争闘戦と覇権争いにおいて、アメリカの影響力と支配力を決定的に強化することに置かれていたのだ。
 アメリカはまた、このイラク戦争を通して、米軍の世界戦略と戦力配置を大きく変化させようとしてきた。いわゆる「米軍再編」を強力に遂行することによって、アメリカの世界覇権をより確実なものにしようとしてきたのだ。
 アメリカのこうした思惑は、イラク戦争開始の前から国際的な疑念の目にさらされ、フランスやドイツなどヨーロッパの大国の支持獲得に失敗し、またロシアや中国は距離を置いた。こうした中で日本の小泉政権のアメリカ支持の姿勢はイギリスのそれとともに際だっており、アメリカにとってはきわめて有力な援軍となった。アメリカは、イギリスや日本の支援を抜きにはイラク戦争を戦うことは出来なかったのであり、その意味でも、日本政府は、この3年間にイラクで生じた大規模な破壊と殺戮、何世代の後まで禍をもたらす劣化ウランなどによる環境破壊、その後の内戦による大量の犠牲等々に、大きな責任を負っているのである。

■日米軍事同盟の新段階への飛躍、九条改憲を許すな!

 アメリカによるイラク戦争は、中東と世界に大きな混乱をもたらし、新たな紛争や戦争の種をまいた。日本の与党や政府はこのことに直接の大きな責任を負っているが、しかしそのことを一顧だにすることなく、政府や自民党は米軍の新たな世界軍事戦略を支持し、その中に自らを進んで組み入れようとしている。アフリカから中東、東アジア、東南アジアへと広がるいわゆる「不安定の弧」を射程に入れた米軍再編への協力、それを通した日米軍事同盟の新たな段階への飛躍を目指している。
 イラクに派兵された陸自も空自もこれまでは自らが直接に武力を発動していないが、今後は武力行使も可能にさせる方策を、与党・政府は探っている。自衛隊の武器使用基準の緩和、恒久的海外派兵法の制定、そして憲法九条の改悪等々に向けた動きである。
 こうした策動を、単なる米国追随と非難するだけでは我々は大きな過ちを犯すことになる。日本の海外派兵の拡大、改憲策動などの震源となっているのは日本の支配層自身の覇権主義的野望であり、その背景にあるのは日本の大企業の海外展開と海外権益の拡大である。
 自衛隊の海外派兵の拡大、日本の戦争国家化を許さず、ともに闘おう! (阿部治正)


読者からの手紙 ワタダ氏への支援広がる

 三月二二日、イラク派遣命令を現役将校として始めて拒否したワタダ陸軍中尉は、イラク派遣の準備のため、ワシントン州のフォートルイス陸軍基地から近接の位置にあるマコード空軍基地に移動せよとの陸軍命令を正式に拒否しました。
 前号でも紹介したようにワタダ中尉は「イラク戦争は道徳的に誤っているだけでなく、アメリカの法律を大いに侵害している」との立場から、陸軍の命令には従わないと宣言して、アメリカのイラク反戦運動に大いに貢献しました。また同日、彼の母親のキャロライン・ホーさんは「イラク行きをやめるという息子の決断は、十分な自己分析の結果です。愛国心に基づく行動です。全米の人たち、兵士に対し、『恐れて沈黙する必要はない。皆さんには歴史の流れを変える力がある』と訴えているのです」と息子さんの闘いに対しての支援を呼びかけました。
 この陸軍のイラク派遣命令をワタダ中尉が正式に拒否したことで、支援の運動が全米に拡大していきました。三月二七日には全米で始めての統一行動が展開される予定であるといわれております。
 また三月一七日、この運動とは全く別にカナダとアメリカの国境近くに位置するカナダのフォートエリーでイラク従軍拒否米兵と反戦イラク帰還兵の集会が開催されました。今イラク従軍を拒否している米兵は約八千人といわれ、「脱走」してカナダにいる米兵は二三百人いるといわれています。無届けで持ち場を三十日離れると「脱走兵」(AWOL)となりますが、この集会にはTシャツにAWOLと書かれた揃いの姿で多数の米兵が参加したのです。こうした公然たる行動はベトナム反戦闘争が盛り上がったときですらなかったとのこと。その意味では歴史的な集会となりました。アメリカ本国でたった一人の反乱で運動を始めたシーハンさんの反戦闘争はここまで拡大しています。私たちも見習わなければならないと考える昨今です。   (笹倉)


色鉛筆  高齢者虐待防止法は、虐待を防げるの?

 4月1日に「高齢者虐待防止法」が施行された。法律では、虐待を1身体的虐待、2心理的虐待、3経済的虐待、4介護・世話の放棄、放任、5性的虐待の5つに定義し、これらの発見者による市町村への通報義務を課している。それを受けて市町村などが、調査や援助、相談等の対応にあたる。
 2000年開始の介護保険制度により、家庭の中にヘルパーなどが入るようになって実態が明らかになり、「防止法」の必要性が生じたという。虐待の実態について、3月28日の朝日新聞によると「03年10月までの1年間に、ケアマネージャーを通じて得られた1991人の家庭内の虐待ケースだと、虐待を受けている人の平均年令は82歳。女性が4分の3。全体の約6割が介護や支援が必要な認知症の人。虐待している人は息子が最も多く約3割。息子の配偶者、配偶者が2割ずつ。6割が主たる介護者だったが、このうち半数以上が介護の協力者がいなくて、孤立していた。原因では、本人と虐待している人の人間関係、介護疲れが多かった。」という。今も「老老介護」の上の殺人が、後を断たない。先ずは、虐待を起こさないようにすべきだ。施設には充分な職員を配置すべきだし、在宅介護なら充分で柔軟な支援を保障する必要がある。その意味では、「高齢者虐待防止法」は、後手に回っているといわざるを得ない。
 いま、介護保険料を40歳以上から一律に徴収しているが、富裕層からはより多くを徴収したらどうだろう?福井日銀総裁が、1000万円を倍以上にして手に入れているのをみて、そんなことを考えていたら、6月25日厚生労働省が、生活保護費削減を発表。母子家庭や高齢者など、また弱いものいじめだ。弱いものにこそ手厚い保護や、支援をするべきだし自殺、虐待などの深刻な問題に、きちんとした根本的な対応を望む。

 5月はずっと悪天候だった。来る日も来る日も雨雨雨・・・。そんな日々、母(84歳で介護度4)の排便の失敗が一週間も続いた。パンツ式のおむつの中に、大きなパットを当てているので、おおかたはこのおむつ内で納まってくれるので、何とか後始末も楽なのだが、一週間の最終日にベッドの母の掛け布団を取ると、おむつから水様の便が漏れだし、ズボン、シーツ、その下の防水シーツ、布団カバーまで汚すというひどい被害。外は雨。家には母と2人だけ。正直に言えば、その時思わず(何で生きてるの?早くこの介護を終わらせてよ)という思いが、胸にわいた。
 汚れ物を風呂場でごしごし洗い、漂白剤入りのバケツにギューギューに詰込み、週末の介護担当の妹の家に、母と一緒に送り届ける。大きな洗濯物は、以前はコインランドリーのお世話になったのだが、最近は幸いなことに妹の家に乾燥機が入ったので安心だ。持つべきものは、介護の協力者(しかも頼もしい)と文明の利器。いまの私にとって、妹の存在はとても大きい。この時にも、週末の妹への交替無しに介護が続いていたら、きっと虐待していたと自信をもって言える。(澄)案内へ戻る