ワーカーズ  2006.10.1.    案内へ戻る

「再チャレンジ策」は格差放置の宣言    憲法と教育基本法の改悪を許すな!

安倍晋三政権が誕生した。閣僚や首相官邸要職の顔ぶれを見ると、この政権の性格がよくわかる。
 閣僚には、安倍首相と政治主張が一致するとは限らない人物も登用された。もちろん、総裁選で安倍を支持したか否かという基準だけはしっかり貫かれている。ここには、世論の人気に依存した安倍首相の基盤の危うさとともに、そうした脆弱さを抱えつつ来夏の参院選にどうしても勝たねばならぬという事情が反映している。
 片や、首相官邸人事では、安倍の本音が強く押し出された。小泉の新自由主義政治の継承、それが不可避に生み出す痛みや格差に対する不満を、ナショナリズムや国家主義の煽動によって押さえ込む、という魂胆だ。
 官房長官は安倍と懇意の「政策新人類」塩崎恭久、副長官には教育基本法改悪や皇室典範改正問題で安倍と気脈を通じた下村博文の抜擢だ。 5人の首相補佐官も同様の基準で選ばれている。拉致問題担当には安倍とともに北朝鮮脅威キャンペーンに一役買った中山恭子。教育再生担当には「自虐史観」批判や「ジェンダーフリー」叩きの急先鋒をつとめた山谷えり子。国家安全保障問題担当には、保守諸政党を渡り歩くなど節操を疑わせる反面、保守・タカ派姿勢だけは一貫している小池百合子。経済財政担当には、塩崎や安倍などと行動をともにしてきた「政策新人類」根本匠。広報担当は、新自由主義政治をメディア戦略で後押しすることに情熱を燃やしてきた世耕弘茂、だ。
 安倍首相は、5年以内の憲法の改悪に意欲を見せ、条件が整えば前倒しもあると言う。そしてその前にも教育基本法の改悪を実現すると言い、また学校査察官やバウチャー制度を導入して学校のランク付けや競争原理を強めると言っている。9月22日に東京地裁が出した、日の丸・君が代の強制は憲法違反、教育基本法違反だとする判決、この判決を引き出した労働者・市民の闘いに真正面から挑戦しようというわけだ。
 「格差社会」批判を意識して、「再チャレンジ可能な社会づくり」などとも言っている。しかし、格差を生み出した原因である労働力流動化政策、社会保障や福祉の切り捨て、大企業・資産家減税と一体の庶民増税等々にはまったく無反省、それどころかさらに強力に推し進めようとしている。安倍の言う「格差の是正」は、欺瞞の体すらなしていない、露骨な労働者攻撃だ。
 傲慢なお坊ちゃん政治家による戦争火遊び、庶民いじめは、労働者からの手痛いしっぺ返しをうけざるを得ないだろう。タカ派・反動・国家主義の政権に反撃を! 
 

米国から安倍総裁に突きつけられた批判と注文

「危険な国家主義者」との批判

 『ニューズウィーク』と『タイム』の二誌は、アジア版最新号で、日本の次期首相と予想された安倍晋三官房長官の写真を表紙に掲げて、彼の特集を組んだ。この二誌は、いわずと知れた米国を代表する最大の週刊誌である。両誌とも安倍氏のタカ派姿勢への憂慮を表明してはいるが、とくに『ニューズウィーク』は、リードで「実績はほとんどないが、周辺諸国はすでに彼のことを懸念している」と書くなど、実に率直で辛辣な筆致だ。
 『タイム』誌もこれに負けず劣らず、安倍氏は「支持者にとっては強力な指導者だが、批判者にとっては危険な国家主義者」と的確に批評し、同氏を首相の地位にまつりあげる上で小泉首相以上に「大きな責任を負っているかもしれない」のは、北朝鮮の金正日総書記だと指摘している。実際、実績もなく、閣僚経験の乏しい安倍氏の人気を高める上で、拉致問題等北朝鮮への対決姿勢が大きな役割を果たした事は歴然とした事実であった。
 これを指摘した上で、「彼(安倍氏)はそこから間違った教訓を引き出し」「国内で人気を失えば、彼は本能的に、より耳障りな国家主義に立ち戻るかもしれない」とスティーブン・ボーゲル米カリフォルニア大バークリー校准教授は解説している。
 そして安倍氏の外交顧問の岡崎久彦元駐タイ大使が、中国を念頭におき「戦争の準備をしなければならない」と述べていることも紹介しつつ靖国神社参拝を繰り返した小泉首相の下で中韓両国との関係が悪化した中で、「東京裁判の正当性を疑問視」し「歴史の審判を待つとする」安倍氏が首相になれば「傷が悪化する可能性がある」と警告した。
 さらに「安倍氏が評判どおりの強硬派なのか、ソウルと北京は大きな不安を抱いている」との調査機関=国際危機グループ(ICG)北東アジア責任者ピーター・ベック氏の声を肯定的に引用している。アメリカの週刊誌の安倍評はかくも率直かつ辛辣であった。

「遊就館で教えられている歴史は事実に基づいていない」との批判

 九月十四日、米下院外交委員会は、日本と近隣諸国に関する公聴会を開き、小泉首相の靖国神社参拝に反対を表明してきたハイド委員長が、靖国神社の遊就館の歴史観を批判して、その歴史観の是正を求めた。紹介すると太平洋戦争に従軍した経験を持つ共和党のハイド議員は、遊就館の展示が日本の戦争について「西洋帝国主義の支配から解放するためだったと若い世代に教えているのは困ったことだ」と主張し、「この博物館(遊就館)で教えられている歴史は事実に基づいていない、是正すべきだ」と語った。
 またナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者である民主党のラントス議員もハイド議員の主張に呼応して、「日本が過去の歴史に正直に取り組んでいないことは、日本自身にとって大きな危害となっている」と述べ、「日本の歴史健忘症の最も顕著な例が、日本首相の靖国参拝である」と指摘した。
 さらに同議員は、A級戦犯をまつっている靖国神社への首相の参拝は、「ドイツのヒムラー(ナチス親衛隊総司令官)、ゲーリング(ナチ政権下でヒトラーに次ぐ実力者)らの墓に花輪を置くに等しい」とも語った。そして日本の次期首相への「メッセージはシンプルだ」として、「戦争犯罪人に敬意を表することは道徳的に破綻している。この習わしをやめなければならない」と忠告した。
 その際、同議員は、侵略の歴史を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を日本政府が検定合格させたことにも言及しつつ「南京大虐殺はなかった。日本は他のアジア諸国を帝国主義から守るために開戦しただけだ」とする教科書を「歴史修正主義」だと表現した。そして将来の日米関係にとっても、「日本の超国粋主義者を除くすべての人々にとって、率直に公然と過去と向き合う日本の姿勢が最高の利益であることは明白だ」と語った。また外交委員会の他の出席者からも、小泉首相や後継者の靖国参拝についての厳しい批判がなされたのである。

突きつけられた工程表

 今金融証券筋で、『安倍政権の最初の100日間:工程表』とのレポートが注目されている。この七ページのレポートは、安倍政権が誕生する事を想定し、政権の立ち上がり時期の体制、内政・外交政策の展開を見通して分析を加えたものである。
 筆者は、米資系証券投資大手モルガン・スタンレーのチーフ・エコノミスト・ロバート・フェルドマン氏で、テレビには、よくひも付き眼鏡をかけて登場する。同氏は、小泉純一郎内閣の前半期、首相官邸をしばしば訪れ、小泉首相の「構造改革」政策のアドバイザーとしても知られ、竹中レンタル大臣に直接指示を出す日本構造改革の現場監督ともあだ名されている人物である。
 レポートが指摘する結論は、三点で「市場は安倍氏の経済政策を好感しよう」「市場は安倍氏の外交政策を疑問視するであろう」「政治の季節は九月で終わるわけではない」とし、今後の注目点を示す。曰く「安倍氏の首相就任後の最初の100日間の行動を注視すべきである」と。
 端的に要約すれば、安倍氏の経済政策を経済界は支持する、靖国参拝や歴史認識問題で“あいまい作戦”をとる安倍氏の外交政策には経済界も疑問を残している、来年の参院選まで政治の攻防は続く、新政権が政権基盤を固められるかどうか立ち上がりの百日間が安倍新政権の前途を占う勝負どころであると指摘できる。たしかに小泉総理と共に政界から竹中レンタル大臣は閣僚ばかりでなく参議院議員すら辞職して、民間人としてはこの十余年規制撤廃の一貫した旗振り人であった宮内氏が辞任した。経済政策推進面では若干弱体化はしつつあるようだ。しかしこのように安倍政権に百日間=短期決戦で政権体制を固めるべきだとの政権戦略を提示された事で、安倍氏と同氏周辺は、総裁選最中から、新政権を立ち上げたあと短期間に指示どおりの強い政権をめざす動きを展開している。

安倍内閣は改憲断行内閣だ

 七月二十七日、安倍陣営の参謀長格の中川秀直政調会長は、「(今回)選ばれる総理・総裁は〇一年四月(総裁選で小泉純一郎首相がそうであった)と同じく圧勝が義務付けられる。そうでなければ、小泉首相と同じく首相主導を貫けないからである」とし、強い政権をつくるには総裁選で他の二候補を大きく引き離して勝利するのが至上命令だと安倍陣営は党内の大勢を制するために活動してきた。
 安倍優位の自民党内の流れにインパクトを及ぼした一つの動きが再チャレンジ支援議員連盟(山本有二会長)の旗揚げで、安倍氏がかかげる再チャレンジ支援策を政府・自民党一体で取り組むとの名分で衆参若手議員九十四人を集めました。当時ポスト小泉レースで安倍氏を追い上げていた福田康夫元官房長官への党内の流れを止め、安倍陣営へ向ける役回りを演じました。以後、谷垣派、麻生氏が属する河野派以外の派閥は雪崩をうつように安倍支持へ傾きました。
 いうまでもなく、強い政権体制を短期につくり上げようという動きの背景には改憲がある。九月十一日、安倍氏は日本記者クラブの総裁候補討論会で、「改憲は五年近くのスパンで考えなければならない」との改憲スケジュールを明らかにした。
 彼は、総裁選圧勝→臨時国会で教育基本法改定など懸案を片付けつつ官邸主導の強い政権基盤を早急に確立→小泉路線の内外政策を微調整しつつ安倍路線を短期に定着を図る→来年参院選で与党過半数を確保する→消費税増税→五年以内の改憲実現を狙っている。小泉退陣後、勝ち馬に乗ろうとする自民党議員の安倍支持の流れが出来た如くではある。
 九月二十六日の組閣人事とその前日の党役員人事を見れば、安倍内閣の本質が、教育基本法改悪を突破口とする改憲断行内閣であり、国内的には、「再チャレンジ支援」の掛け声の下、「格差社会」の是認・拡大化をめざす内閣であり、対外的には、防衛庁の省への格上げに全てが象徴される対外戦争の戦端を開く内閣であることが明確になった。
 しかし、戦後始めて政治日程化された改憲断行は、自民党にとっても自民党自身本当にやり抜ける実力が問われていると共に間違えば政権瓦解の危険もある。この強さと弱さを背中合わせにしているのが安倍内閣の実態である事を見抜き、今後私たちは的確な情勢分析のもとで闘っていかなければならない。ワーカーズに結集して闘おう。 (直記彬)      案内へ戻る


コラムの窓   “格差”是正は労働者の手で。 

◆ “構造改革”の下、市場原理の導入や“競争原理”によるリストラ・年功序列賃金の廃止や非正規雇用者への置き換えが行われ、最低保証以下の低賃金労働者が発生・増加しつつある。“構造改革”を推し進めてきた小泉政権下では、この最低保障を守ろうとする動きよりも、最低限補償基準を下げよという意見まで出るような、格差拡大を助長し、それが当たり前のような風潮があった。
 小泉首相の任期終了につれ、その負の遺産である“格差拡大”問題が、大きな課題として取り上げられ始めている。
◆ 小泉政権を引き継ぐ安部新首相は「美しい国」「再チャレンジ」などの政権構想の中で、今の“格差拡大”は一時的なものであり、景気の回復とその波及効果・その恩恵によって格差が解消されるような、“高度経済成長”時代に錯覚させた“総中流”社会を再現する夢を持っているようだ。
 しかし、こうした安部構想に幻想を持つべきではないだろう。そもそも“格差拡大”は結果に過ぎない。企業利益の増大や景気の回復は労働者間に差別や競争を持ち込み低賃金で労働させた結果である。
 “格差”を助長するような政策や環境作りによって、主要企業は高収益をあげ、景気は回復傾向にあるというのに、ごく一部分の富裕層への富の集中と多数の“貧しき労働者”の発生こそそれを表しているといえよう。
 現代資本主義社会において“格差”がなくなる社会など想定することは出来ない。
◆ 今日の資本主義社会の中では、搾取・収奪される労働者とその利益を甘受する資本家という関係が根底にあるように、“もてる者”と“持たざる者”は常にあったし、今もこの関係は続いている。
 日本の1960年前後から80年代前半まで続いた“高度経済成長”時代の労働市場の高額化によって“総中流”時代になった時でも、相対的にせよ、資本家と労働者の格差は常にあった。1990年代のバブル期には、資産インフレの進行により、不動産や証券などを持つものと持たざるものの格差が進行していたし、バブル崩壊後から今日に至るまでは、企業がリストラを進め、また製造業等が国際競争力を維持するため、人事制度の改革に着手し、年功序列的な賃金の廃止や正社員の非正規雇用者への置き換えが行われた。その為に、職に就けない労働者やニート、フリーター等若年層と呼ばれる若者が増え、労働市場での低賃金化が起こり、成果主義賃金の導入等で若くして高給を得るビジネスマンが出現する一方、年収200万円以下というパートや非正規雇用者等の“貧しき労働者”が増大し、“格差拡大”は今も拡がり続けている。
◆ 問題はこの間、労働者を搾取し利潤追求する資本やその政府に抵抗勢力はどのような闘いを行ってきただろうか。組織的な労働者の闘いはどうだっただろうか?ということである。
 連合をはじめとする主要な労組が“企業内組合”化し、不況化で企業防衛主義に陥り、労働者の権利を放棄し、春闘・賃上げ闘争では連敗続き、労働法制改正闘争でも譲歩が相次いだ。その結果、失業者やニート、フリーター・契約社員が増え労働条件の格差や低下が起こり、最低賃金さえ下回る“貧しい労働者”の増大を許している。労働組合が大手企業や公務員に偏り、労働組合の組織率が20%を切ったのも、多くの労働者の利益を守り拡大できない、今の資本と抵抗勢力の力関係なのだ。
 大多数の“貧しい労働者”の不満や要求を吸収し、それを全ての働くものの要求として、資本家勢力に対する抵抗勢力の構築とその闘いを創り出し、資本や企業のおこぼれではなく、労働者の力で“格差”是正をはかろう。(M)


戦前回帰型政権は統制社会がお好き――安倍政権を考える――

 拉致問題での強硬姿勢と小泉前首相の周到なてこ入れなどで、小泉政権以前では予想もされていなかった安倍政権が発足した。
 著書の表題が『美しい日本』という耳障りのよい看板と「ソフトな」語り口で登場した安倍
新首相。その内実は「戦後レジームからの脱却」や「憲法改正」「教育基本法改正」「戦う政治家」などを公言しているように、戦前思考の国家主義の臭いをまき散らしている。
 当面は安倍政権との闘いが急務だが、ここではその一つである安倍首相のマスコミ規制、思想統制、権力への批判への露骨な弾圧姿勢ぶりを取り上げてみる(9・26)。

■情緒的な安倍支持の世論

 その前に安倍を押し上げた「世論の人気」について考えてみる。
 安倍は北朝鮮による拉致問題での強硬姿勢などで世論の人気が高まった。それ自体、小泉首相の靖国参拝問題など、意図的なナショナリズムを背景としている。
 その安倍人気の主な支え手は主婦層だといわれている。アンケートでも主婦層の人気が高い。その主婦層は安倍首相の戦前回帰の姿勢などについてはほとんど知らない、というか、関係ないところで好感を集めているといえる。中でも際だっているのは、テレビなどで見る場合の安倍の男前ぶりへの人気だ。たとえば病院の待合室などでの世間話として「安倍さんはほんとにいい男だねー」という声も聞かれるほどだ。ちなみに私の一番身近な「おばさん」に聞いてみた。「安倍は戦後生まれの初めての首相だといっているけど、戦後の歴史はよくないと思って戦前の日本がいいと思っているんだよ」と。すると、「へー、ほんとにそうなの?」ときた。情けない話だが、こういう話はけっこう多い。
 余談はともかく、表向きソフトでいい男前の新首相だが、その好印象の背後では恐ろしい本音が透けて見える。

■メディア規制

 この数年、自民党のメディア、特にテレビへ局への強硬姿勢が目につく。これは安倍幹事長就任と軌を一にしている。この数年で起こったことを東京新聞(9・23)がまとめている。それを紹介する形でいくつかピックアップしてみたい。
 ア)03年11月、衆院選直前にテレビ朝日が民主党の閣僚構想を長時間流したことに対して抗議、テレビ朝日への自民党幹部の出演を拒否した。
 イ)04年の参院選では、TBS、テレビ朝日の年金報道について「政治的公平・公正を強く疑われる」と報道各社に2,300件も送った。
 ハ)その選挙戦では、「みどりの会議」の中村敦夫代表のHPに掲載されたパロディストのマッド・アマノ氏の作品に対して、幹事長名で削除を「厳重通告」。アマノ氏は「事実上の脅迫だった」と反発している。
 ニ)05年8月の「NHK番組改編問題」では、NHK幹部に対して事前に番組内容を問いただすという形で「圧力」をかけ、あとで朝日新聞の資料が外部に流出した事件では、党役員に対する取材を事実上拒否した。
 ホ)06年7月TBSのニュース番組で内容と無関係な安倍氏の写真が放映され、同局に総務省から「厳重注意」が下がった。総務省は最近テレビ局に番組への圧力を強めているが、これも安倍幹事長の手回しがあったことを示唆している。
 逆に、安倍が取材を受ける、あるいは何らかの問い合わせに対してはほとんど回答を拒否、あるいは無視してきた。
 たとえば先ほどもふれたマッド・アマノ氏の「逆通告書」には返事は無し、ジャーナリストや弁護士の取材や公開質問状などに対してもほとんど「ノーコメント」や回答なしだという。
 こうした安倍の異常とも思えるメディアに対する統制癖が目立つ一方、自分自身の総裁選に当たっての公約などは曖昧にごまかしている。また安倍自身の靖国参拝についても、4月に隠密参拝したことに対して「参拝したかしないか公言する必要はない」と繰り返してきた。首相就任後の参拝についても「あえて宣言するつもりはない」と明言を拒否している。最高権力者としての説明責任には冷淡だ。
 こうした安倍の姿勢は、自らの考えや姿勢を明らかにすることなく、自分たちの都合の悪いことに対しては規制に走るということだ。いかえれば「知らしめべからず、依らしめるべし」(=国民は真実を知る必要はない、ただ権力に従順であればよい)という権力の立場を体現したものだろう。

■国家主義と草の根保守の結託

 そんな安倍も単にメディアの統制だけやっているわけではない。小泉首相の靖国参拝などで先鋭化した国内の対立に対しても、安倍は「周辺」に「草の根保守を組織してほしい」と指示したという。その「周辺」とは安倍を支持してきた「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」の呼びかけ人の伊藤哲夫日本政策研究センター所長などだと思われるが、その伊藤などは以前から草の根保守の結集を目指してきていた人物だ。彼ら安倍のブレーンといわれる人たちは、安倍が米国の外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿する原稿の書き手でもあるが、その原稿では安倍外交の基本戦略を「日本の植民地支配と侵略を謝罪した『村山談話』路線からの脱却」だとしていたという(「朝日」8・29)。これは安倍が掲げている「戦後レジームからの脱却」と通底するものだが、安倍の背後にはそうした日本版ネオコン人脈が吸い寄せられているのだ。
 そうした安倍の動向と直接関係があるかどうかは不明だが、安倍に批判的だった自民党の加藤元幹事長宅が右翼によって放火されて全焼し、また同じく批判的だった田中真紀子の自宅にも脅迫電話がかかり、表札に生卵が投げつけられたという。仮に直接指示していなくても、草の根右翼や草の根ナショナリズムをあおるような言動を繰り返し、その跋扈を容認する(小泉も安倍も加藤宅放火事件を自分からは批判しなかった)ことで、反権力、反政府の声を押さえ込みたい、という思惑と根底ではつながっているとみて良い。
 安倍は総裁選の時から「戦後体制からの脱却」という旗印の下、憲法や教育基本法の改定などとともに、戦前の治安維持法の復活ともいえる共謀罪制定を明言している。そうした国家主義への傾斜と草の根ナショナリズムの結託は紛れもなく戦前の統制社会を招き寄せるだろう。

■したたかな「世論」

 しかし現実は安倍政権のこんな思惑通りには進まないだろう。すでに安倍政権の発足から多くのハードルが立ち現れている。そもそも来年の参議院選までの10ヶ月政権だとのさめた見方も広がっているし、小泉フィーバーの再来にはほど遠いのが現実だ。
 安倍政権の行く末に立ちはだかる一つの材料としてこんな調査がある。世界価値観調査2000だ。そこでは自国の軍隊を「非常に信頼する」と答えた人はわずか8・5%、調査対象60カ国中43番目だった。「もし戦争が起きたら国のために戦うか」という項目では、最低の15・6%で、下から2番目のドイツの半分以下だった。
 「戦う」率が高かったのはベトナム94・4%、中国89・9%、米ロは6割台だ。高い国のベトナムや中国は侵略戦争をはねつけた国、米ロは戦争や侵略ばかりやっている国で、その理由は対極にあるが、低い国の日独両国は敗戦国だ。
 日本でこうした結果が出たのはある意味で健全な態度というべきだろう。安倍首相などはこうした国民意識、中でも若者意識に我慢ができない。これは最近の若者などの利己主義的傾向も反映している面もある。だが安倍など日本のネオコンが言うように、こうした国民意識は戦後民主主義や戦後教育が悪いのでもない。それはあの無謀な戦争を強要された日本の多くの庶民にとって、それだけあの無謀で残虐な戦争へと暴走したこと、それを主導した軍部や「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、」という強い忌避の姿勢が染みついているということの表れだろう。
 安倍新首相への期待は一割程度しかないという調査結果も出ている。これを見れば、安倍への支持も「いい男前だ」とか「優しそうだ」というような情緒的なものであるとともに、有権者も何ら幻想をもっておらず、「劇場の座席」から冷静にみていることも伺われる。
 私たちにとっての「戦後体制からの脱却」とは、一面ではそうした「観客民主主義からの脱却」にこそある。(廣)  案内へ戻る


格差社会と高齢者

 「介護の社会化」をキャッチコピーにして登場した介護保険制度は6年目を迎えています。メインテーマの一つであった「介護の社会化」はいまだに達成できていません。社会的入院も全く減っていません。それどころか増加しているというデータもあるほどです。
 しかし政府は社会的入院の原因を解消することもせずに、療養病床を削減する方針を出しています。政府は「社会的入院」の患者を施設や自宅に移すことで、医療費の削減を図るとしていますが、長期入院をせざるを得ない原因を取り除くための方策は出されていません。
 高齢者を取り巻く現状は益々厳しいものになっています。ここでは高齢者の犯罪や介護殺人から現状の問題点を考えてみたいと思います。

●高齢者の自殺増加

 2003年度の自殺者の総数は34427人であり前年度に比べ2284人増加しています。年齢別では60歳以上が最も多く全体の33・5%を占めており、原因は「健康問題」が最も多くついで、「経済・生活問題」となっています。2005年度の年代別自殺者をみると、50歳代、70歳以上、60歳代、40歳代の順となっています。

●高齢者の犯罪急増―孤独と貧困が要因か

 2005年度の交通事故を除く刑法犯で摘発された65歳以上は42099人に及び前年度より15%近くも増加しています。また高齢人口に占める高齢者犯罪の比率が急増しているという報告もあります。65歳以上の10万人あたりの刑法犯摘発者が164・9人にものぼり1990年の3倍強に増加しているといいます。単に、高齢者数が増えたから高齢者犯罪数が増えたということだけでないようです。
 警察庁の高齢者犯罪の今年度上半期の報告でも同様な結果が出ています。刑法犯で検挙された65歳以上の高齢者は22577人であり、前年度の同時期に比べ9%増となっています。その主な犯罪は万引き、暴行、殺人、強盗の順になっていますが、万引きが特出しており約6割にも及んでいます。
 高齢者の犯罪で万引きがこのように大多数を占めているのでしょうか。
 外国のある研究者は、は万引きする人たちを6つのタイプに分けています。依存強迫的万引き者、プロの万引き者、貧困万引き者、薬物依存万引き者、万引き依存者です。依存強迫的万引き者は怒りや不安などのフラストレーションの解消法として万引きをするというもので、全体の85%を占めてとしています。この研究は日本のものではないためにそのまま当てはめることはできませんが、高齢者の孤独や不安から万引きをする人たちも少なくないのではないでしょうか。
 2006年度の高齢社会白書によると高齢者世帯の年間所得の分布は、「100〜200万円未満」が27・4%で最も多く、次いで、「200〜300万円未満」が19・8%、「300〜400万円未満」が17・7%、「100万円未満」が15・2%と続いており、中央値は234万円となっています。年間所得「200〜300万未満」以下の世帯の割合は高齢者世帯では約6割を占めています。
 生活保護を受けている者のうちで65歳以上の者の割合が一番多く38・2%を占めています。また貯蓄現在高階級別の世帯分布をみてみると、世帯主の年齢が65歳以上の世帯では、4000万円以上の貯蓄を有する世帯は18・6%と全体の2割弱です。
 白書からは高齢者の所得格差が浮き彫りにされています。万引きをする高齢者は精神的不安や孤独が原因というだけではなく、現実的に万引きをせざるを得ない経済的困窮に追い込まれている人たちがいることもこの数字が示しているのではないでしょうか。
 
●介護殺人―介護疲れや経済的困窮 

 2006年2月、京都市の桂川の河川敷で血まみれの男女が通行人に発見されました。車椅子に乗った女性はすでに死亡していましたが、男性のほうはまだ息がありました。死亡していたのは認知症の当時86才女性でした。息子は同意を得た上で介護をしてきた母親の首を絞めたのでした。息子自身も包丁で首を切り自殺を図りました。息子は長年一人で母親を介護していましたが、昨春からは母親の認知症が悪化し、会社を退職し失業給付金で母親をデイサービスに通わせていましたが、その給付金も底をつき家賃も介護サービス費も払えなくなり心中を決意したといいます。介護疲れと経済生活困窮のために起きた事件でした。京都地裁は被告に懲役2年6ヶ月の判決を言い渡しましたが執行猶予がつきました。
 愛知県では認知症の妻を一人で介護していた夫が、回復の見込みがないことに絶望し、妻の首を絞めて殺害し、自分も自殺を図りましたが死にきれませんでした。この男性は殺人罪で懲役3年、執行猶予5年の判決を受けましたが、拘置所を出所して4日後に飛び降り自殺をしました。殺害した妻や弟らに宛てて「ごめんなさい」と書かれた遺書が残されていました。
 加藤悦子(日本福祉大学)によると98年〜2003年の間で報道された介護殺人の件数は198件で、約6割が老老介護のもとで発生していたといいます。
 
 高齢者や障害者が暮らしにくい社会が豊かな社会であるはずがありません。小泉政権がもたらした格差社会は、人が人として尊厳を持って生きることすら奪ってしまっています。安倍内閣はさらに格差を増大する方向に向かっているように思えます。人が人として当たり前の権利を享受できる社会に組み替えていく必要に迫られていると感じています。             (Y)  案内へ戻る


読書室
『小沢主義 オザワイズム 志を持て、日本人』小沢一郎著集英社インターナショナル刊


 安倍晋三氏の『美しい国へ』がベストセラーになってはいるが、この本は早々とゴーストライターが書いたものと噂された。さらに歴史認識・靖国問題等、問題をはぐらかせることに汲々としている点やことさらに空疎な言葉が踊っていることもあり、私たちはあえて読書室で取り上げないことにした。これは安倍氏に対する無言の批判ではある。
 この本については、すでに五十嵐仁氏の転成仁語サイトに、

「先日、フランスのAFP通信社から取材を受け、『まあ、選挙で言えばマニフェストのようなものでしょう』と答えました。総裁選に向けて政見を明らかにし政策を提言するというのは悪いことではない、とも……」「そう答えた手前、早速、本書を手にとってパラパラとめくり、『おわりに』という部分を読んでガックリ来ました。そこには、『本書は、いわゆる政策提言のための本ではない』と書いてあったからです」「この本は、『わたしが十代、二十代の頃、どんなことを考えていたか、私の生まれたこの国に対してどんな感情を抱いていたか、そしていま、政治家としてどう行動すべきなのか、を正直につづったもの』なのだそうです。そんな本を、どうして総裁選の前に出したのでしょうか。なぜ、堂々と、『政策提言のための本』だと書かなかったのでしょうか」「そう言えない訳があるからです。この本は、自らの生い立ちや体験、自分の関心のあること、知っていることで成り立っており、『政策提言』のようなものは、ほとんど出てこないからです」
 「すでにここに、安倍さんという人の限界が示されています。総裁選に向けて何か自分を売り出すような本を出したい。だけど、まともに『「政策提言』をするような政見はない。さし当たり書けることを掻き集めて、本にして出してしまおう、ということだったのではないでしょうか」「本書を一読してすぐに気がつくのは、経済について何も書かれていないということです。財政や金融問題も出てきません。安倍さんという人は経済のことは何も分からないのだな、ということがよく分かります」「このことは、目次からも明瞭です。『わたしの原点』『自立する国家』『ナショナリズムとはなにか』『日米同盟の構図』『日本とアジアそして中国』というのが、第1章から第5章までの構成です。以下、『少子国家の未来』『教育の再生』というのが、第6章と第7章です」
 「この構成からも明白なように、本書の半分以上は、安全保障、外交、歴史認識、憲法などの問題で占められています。第6章は『少子国家の未来』という表題ですが、中身の大半は年金の問題です。途中で、『メッセージ性の高い少子化対策を打ち出さなければならない』とか、『効果のある経済的な支援を検討していかなければならない』などの言葉も出てきますが、具体的な内容は皆無です。何も思いつかなかった、ということでしょう」
 「このように、本書の構成と内容は、極めて独特です。それは、安倍さんの『考えていた』こと、『抱いて』きた『感情』、『政治家としてどう行動すべきなのか』という問いへの回答が独特であるということを物語っています」「このように偏った関心と知識しか持っていないのが、安倍さんという人なのです。そのことを、本書は誰にでも分かるように明らかにしてしまいました」「こんな本を出して、恥ずかしくないのでしょうか。これが総理候補としての『マニフェスト』だとしたら、哀しくなるほどに貧弱だと言わなければなりません」との大変優れた断案がある。是非とも読者にはご一読あれ。
 さて本題に入る。小沢氏の本は、新書版百九十頁の小著である。しかし、これを書くのに二年以上費やしたと小沢氏はまえがきで語っている。その意味では小沢氏が、「時間をかけた分、内容は濃いものになった」「この本には、僕の思想や信条のすべてが詰まっていると言ってもよい」「『小沢主義』というタイトルは、けっして羊頭狗肉ではないと確信している」と語る通りの本である。
 章立てを紹介すると、まえがき、第1章選挙の重さ、第2章政治不在の国・日本、第3章「お上意識」からの脱却、第4章リーダーの条件、第5章二十一世紀、日本の外交、第六章日本復活は教育から との構成である。
 十三年前出版されたベストセラー『日本改造論』以来注目している人達からは、各章ごとにこの間のぶれない小沢氏の持論や信条が平易に語られており、小沢支持者には答えられない小沢節の面目躍如の本とはなっている。ここには自民党最大の敵であり、日本の労働者民衆の最大の敵対者となるであろう小沢氏が確かに存在する。
 田中角栄の最後の教え子としての小沢氏は、第2章第3章で、吉田ドクトリンの功罪を語り、自民党の国内利権政党としての特質と利益再配分政治と官僚機構の密接不可分の関係を暴き立てる。そして自民党国対政治が社会党のなれ合いと不可分の関係にあり、昔から自社は連携していたことを明らかにした。反小沢のもとで、社会党首村山首相を擁立した自社さきがけ大連立政権が出来た秘密は実にこの点にあったのである。
 第4章では、西郷より大久保を高く評価し、坂本龍馬と福沢諭吉を高く評価している。
 第5章では、靖国問題をこじらせたのは、小泉総理の嘘にあることを指摘し、A級戦犯分祀論と国連派遣軍を自衛隊とは別に組織するとの持論を展開している。
 第6章では、ワーカーズ前号で取り扱った民主党の「日本国教育基本法案」の提案の背景となる思想を展開している。今後私たちが全面的に批判していかなければならないのだが、教育の最終責任を国家に持たせるとの小沢氏の思想は、この本で一番注目しておかなければならない論点ではある。
 最後に私は、安倍氏の本を読む時間があれば、その分をこの本を読むことに充てるよう提言しておきたい。読者にとってそれだけの価値は充分あるからだ。  (猪瀬一馬)


色鉛筆  もう一つの社会は可能だ!

私は時間があれば、家の近くの図書館に出かけます。冊数は少ないですが、専門的なものを除けば、ほぼ読みたい本は見つかります。しかし、貸し出し期間の2週間では、集中力も低下したこの頃、読み終わることは出来ません。そんななか、とても納得できる本に出会いました。
 その本は、西宮市男女共同参画センターで見つけたもので、女性の自立を啓発する書物とともに並んでいました。男女を問わず働くこととは何か、失業者が増え格差社会が進行中の今、とても大切なメッセージが籠められていました。たぶん、もうご存知の方もあると思いますが、私なりの感想を書いてみたいと思います。
 「豊かさの条件」(岩波新書)、著者は暉峻淑子(てるおかいつこ)さん、1928年生まれで埼玉大学名誉教授と、紹介されています。2003年の発行です。社会の現状から目を背むけず、むしろ変革していく方向性を探って行く、この姿勢が原動力になっているに違いありません。そのことは、内戦下のユーゴに自らが出向き、難民を支える活動を10年余りも続けられている著者の生き方が、互助精神をベースに作られていることにも現れていると言えます。
 社会にとって労働とは何でしょう。「社会を支えている労働者の立場が、そんなに不安定、無権利でいいものだろうか。労働は人間社会の根幹を成すものだから、不安定な労働のあり方は、社会全体を不安定にする。…憲法27条に『勤労の権利』がうたわれているように、私たちは労働を通して収入を得るだけではない。自分の能力を発揮することで自己の存在感をたしかめ、社会や人々との関係をひろげ深めることができる。人間にとって労働のあり方ほど大切なものはない」(5ページ)。
 8時間労働であれば、1日の3分の1を職場ですごすことになります。自己責任を強いられ、効率を押し付けられ、時間に追われるそんな職場で、同僚との意思疎通・連帯感が生まれるでしょうか。とくに、パートや派遣は休憩時間がなかったり、あってもバラバラでは会話すら出来ません。私の職場では15分の昼食時間が唯一の皆で話せる場なのです。
 労働現場の無権利状態は失業者になっても、続きます。失業者の3分の1しか失業保険がもらえない日本の現状に著者は厳しい批判を行っています。そもそも事業主の約半分しか雇用保険に加入していない実態があること。ドイツとの比較で大きな違いは、国際的な経済競争に勝つことは労働者を解雇することとする日本に対し、ドイツでは労働者の質を高めることとしている点です。
 公益法人(トレーガー)が失業者の自助活動を支援するドイツでは、失業者が7人以上集まって環境・福祉・青少年支援などの自助活動する場合、給与も経費もトレーガーが支払います。生活を保障し再挑戦の機会が得られるよう、様々な工夫と努力が社会の責任で成されているドイツの社会に学ぶところは大いにあります。労働者を使い捨て平気な日本の政府・大企業に「企業も国も、リストラをしては自分の首を絞めているのだ」との著者の声を、ぶつけてやりたい。
 本書では、日本の管理教育が子どもたちから、個性や自由な発想・自分の意思と決断などを奪い、本来、人間として培われるものが疎かになっていることも指摘されています。お金と物と学習塾が与えられ、孤食が増え会話も少なくなると、会話の中で物事を反芻し発展させること、つまり思想が醗酵する土台ができにくくなるということも。教師からの一方的な黒板での授業よりも、意見交換を重視した柔軟な取り組みが楽しい授業になるはずです。
 「なぜ助け合うのか」をわざわざ、3章で語る理由は、「人間の生命と生活という共通の基盤に立つ住民主権だけが、競争社会への強い批判勢力となることができるのだ」とする著者の主張にあります。「生活市民」がダム工事の中止や25人学級を実現したことを例に出されています。労働組合が衰退し、本来の役割が期待できない現在、そうかもしれません。しかし、労働現場で日々起こる管理者へのささやかな抵抗は、労働者自身の人権を守るため今もどこかで行われているのです。著者が提起する「もうひとつの世界を可能」にする人とは? 肩書きに縛られない自由で人間的な判断と行動力ができる人達、つまり市民的共同体の一員として存在する人なのです。人間にとっての労働を意義深く定義付けた著者の視点は、どうなったんでしょう。   (恵)  案内へ戻る


全国オンブズ・福岡大会開催される

9月16・17の両日、第13回全国市民オンブズマン福岡大会が台風襲来のなかで開催された。雨風をついて全国から340人が参加し、17日午後には九州内の特急などはすでに運休となるなか、台風に追われるように散会した。私は午後3時過ぎの新幹線に乗ったが、新大阪に着くころには、広島までの折返し運転となっていた。
 考えてみれば、オンブズマンの運動も台風のようなもので、先進地では大きな波乱をもたらしてきた。最近では北海道警の裏金追及、大阪市の第3セクター破綻や職員厚遇*竭閧ネどの取り組みが知られているが、食糧費の浪費にはじまる官僚の利権漁りや談合の摘発などを一貫して追及してきた。大会では、その成果が確認できる報告を幾つも聞くことができた。
 さて、大会ははじめに地元から、福岡市のオリンピック招致が人工島と地下鉄3号の失敗を隠蔽し11月の市長選を乗り切るためであったこと、それが石原都知事の横槍で頓挫したとが報告された。招致活動には随意契約で4200万円の公費が支出されており、その返還を求めて市民オンブズマン福岡が監査請求を行なっている。いまどきオリンピック招致とはと呆れるが、石原都知事も選挙対策の人気取りではないか。
 メーンの講演は浅野史郎慶應義塾大学教授の「知事室から見た市民オンブズマン」だったが、彼の知事時代がまさにオンブズマンの歴史と重なっている。浅野氏は1993年の出直し宮城県知事選に厚生省を退職して立候補した。宮城県では1990年にすでに情報公開条例が誕生しており、仙台市民オンブズマンが食糧費支出を追及し、95年には4人の県幹部を訴えた。浅野氏はその対応を迫られ、一瞬は迷ったがこの悪しき慣習≠フ根絶を決意し、県政のトップとしての姿勢を明らかにした。
 岐阜県のようにならなかったのはそのときの決意の賜物であり、トップの姿勢が曖昧なら裏金をなくすことはできないと言いきった。その後、情報公開条例を改正し、県議会も県警も情報公開の対象にした。警察ウラ金をめぐる浅野知事と宮城県警のバトルは熾烈だったが、せっかく彼が止めた捜査費≠焉A昨年誕生した新知事の最初の仕事で復活してしまった。浅野氏が4選出馬しなかったのは、知事以外の仕事もしたかったからとか言っていたが、確かに大学教授のほうが気楽ではあるだろう。
 談合問題でも浅野知事は、選挙で県建設業協会の応援を受けなかったから、それな 閧フ実績を残せたとしている。平均落札率で0・1%しか違わないのに長野県に負けて悔しいと、2005年度都道府県落札ランキングには恨めしそうだった。確かに、宮城74・9%で長野74・8%、しかし2004年度では宮城78・6%で長野83・1%となっており、1位2位を分け合っている。
 むしろ、全国平均の91・1%(04年度は94・0%)と比べれば、宮城県と長野県の談合排除の姿勢の強さがよくわかる。ちなみに、総ての都道府県が長野県の水準に達したら、入札において約2400億円の節約が可能との数字がはじき出されている。ついでにあげておくと、47位の宮崎県の落札率は95・8%というほとんど談合と断定できる酷い実態である。
 現職知事から見たオンブズマンは「敵だが、必要な敵」だったそうで、「(重箱のすみにこそ真実が宿っているので)勇気を持って重箱のすみをつついてほしい」と講演を締めくくった。これは、細かいことばかりを取り上げて、巨悪を見過ごしているのではというオンブズマン批判に負けるなというエールのようです。もちろん、私たちも巨悪をこそ追及しなければならないと思っているが、それには内部告発で談合情報が明らかになることなどが必 vである。
 オンブズマンはスーパーマンではないし、お助けマンでもなく、ただの市民に過ぎない。市民が闘うことによって、巨悪の摘発が可能となる。次号で引き続き、分科会を中心とした大会の模様を報告したい。       (折口晴夫)

        大 会 宣 言

 この2日間,私たちは「行政の姿が見えますか?‐民営化の透明度を検証する‐」というメインテーマのもと,第13回全国市民オンブズマン福岡大会を開催しました。
 この大会で、はじめて私たちが調査した都道府県と政令市に関する「外郭団体への業務委託の実態調査」では、自治体が外郭団体に対しておこなった業務委託中、随意契約によるものが9割を優に越える、という驚くべき実態が明らかになりました。一方、指定管理者に関する調査では、指定管理者の選定方法や選定手続がまだまだ不透明であることや、指定管理者を導入した施設に関する情報の公開が遅れていることも明らかになりました。
 地方公共団体の事務・事業のアウトソーシング化ともいえる民間への委託は、1997年12月の行政改革会議の最終報告以降,急速に進展してきましたが、これが新たな利権 フ温床となり、行政の透明性の要請に逆行する結果を生み出していることを、ここに指摘せざるを得ません。
 また、本大会では、9年前の第4回全国市民オンブズマン福岡大会での議論を彷彿とさせる、過去10数年にわたる岐阜県での裏金作りや情報の隠蔽の実態、多くの議会が領収証すらも未だに公開していない政務調査費の闇、さらに、私たちが住む自治体でも同様の問題があるにちがいないと思わせる大阪市の乱脈ぶりなども報告されました。
 私たちは、初めて集った94年の第1回仙台大会以降、情報の隠蔽の陰には必ず腐敗があることを実証し、行政の透明化を求めてきました。
 そして、今後も行政による不当な情報の隠蔽を許さないために、国、自治体に次の3点を求めるとともに、さらに連携して行政の監視活動を続けることを宣言します。

 第1 国及び地方公共団体は,外郭団体に対する業務委託の実態を調査・公表するとともに、委託業務のあり方,外郭団体の必要性などについて、市民が検証できるデータを全面的に開示すること。
 第2 指定管理者制度については,指定管理者に管理を委託することの可否について十分な議論を行うとともに,管理委託する場合には委託先の情報公開や指定管理者の選定方法・選定手続の公開などを徹底すること。
 第3 政務調査費をはじめとする不透明な公金の支出を公開するとともに、住民監査請求、住民訴訟が行政監視に実効性をもつよう、制度の見直しを行うこと。 2006年9月17日  第13回全国市民オンブズマン福岡大会参加者一同


オンブスな日々 その25  「やってみたいな!本人訴訟」

 9月14日、市民オンブズ西宮が提起した西宮市職員自治振興会補助金不正流用返還請求訴訟、いわゆるヤミ退職金などに支出された公費の返還を求める裁判の第7回口頭弁論が神戸地裁でありました。この日、市民オンブズマン兵庫が取り組むクリーンセンターごみ焼却炉談合裁判判決も予定されていて、その結果を楽しみにしていたのですが、直前になってその期日が10月12日に延期になってしまいました。
 ドタキャンのごときこうした判決の延期は結構あるようですが、裁判官の職務怠慢ではないでしょうか。それとも、裁判官は過労死しそうなくらい事件を抱えていて、こうした事態もやむを得ないのでしょうか。いずれにしても、仕事の都合をつけて傍聴するわたし達にとっては腹立たしい限りです。それ以上に、延期の理由の説明もなければ謝罪もない、その高圧的な姿勢こそが問題なのですが。
 当日、わたし達の裁判は午後1時半から、延期となった判決は1時15分からの予定でしたが、その時間帯に5件も6件もの口頭弁論が入っていました。口頭弁論といいつつ、準備書面のやり取りだけで済ませてしまうにしても、これはさすがに詰め込みすぎです。西宮の裁判が始まった時にはすでに2時を過ぎていて、しかも数分で終わりです。それぞれ時間とお金と労力を注ぎ込んでいるのに、こんな扱いは実に失礼です。
 そんなこんなでしたが、1時15分から傍聴に入ったら、幸運にも本人訴訟に出くわしました。裁判長にまでずけずけと文句を言い(戦術的にはまずいのかもしれませんが)、なかなかおもしろかったのです。他にも本人訴訟があって、裁判長が結審と言ってから、原告がしゃべりだしたりして、素人相手に裁判長は四苦八苦していました。裁判が長引いたのはそうした事情もあったのですが、なんだかわたしにも本人訴訟ができそうな気分になりました。
 さて、延期となったクリーンセンター関連ですが、同じ日に大阪高裁で京都・焼却炉工事談合訴訟判決があり、損害金を受注量を8%と認定しました。なお、これまでのごみ焼却炉談合住民訴訟の結果は以下の通りです。
 大阪高裁は京都地裁の5%から8%・18億3000万円に損害額を多く認定し、川崎重工業に返還を命じたのです。さらに関連で、名古屋市が8月7日、受注業者に契約額の10%+利息、合計44億7600万円を支払うよう損害賠償請求の内容証明を送ったと発表しています。
 ごみ焼却炉は巨大でうまみのある公共事業です。ストーカ炉という焼却方式だけで、1994年4月から4年半の間だけで契約金額合計が1兆円を超え、三菱重工業、川崎重工業、日本鋼管(現JFEエンジニアリング)、日立造船、タクマの5社が談合を行なっていました。ちなみに、兵庫の被告も川重です。
 これら住民訴訟は、本来なら談合によって損害を受けた各自治体が受注企業に返還を求めなければならないのをサボっているから、代わりに提起しているものです。名古屋のような動きはまだ例外的なものですが、市民の力で談合企業や責任放棄の自治体を追い詰めなければ、いつまでも税金の垂れ流しはなくなりません。            (晴)


それはないよ、石原東京都知事

 九月二十一日、東京地裁は、東京都教育委員会が「日の丸・君が代」を強制する通達を出したことは違憲・違法だとして教職員四百一人が訴えた裁判で、「日の丸」に向かっての起立と「君が代」斉唱の義務はないとする原告の主張を全面的に認める判決を下しました。難波裁判長は、通達は教育基本法一〇条の「不当な支配」に該当し、教職員には憲法一九条の思想・良心の自由に基づいて起立・斉唱を拒否する自由があると裁定し、「日の丸・君が代」が「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱」として用いられてきたことは「歴史的事実」と指摘して、懲戒処分までして起立・斉唱させることは思想・良心の自由を侵害するとして、違憲の判断を示したのです。あまりにも当然の判決といえます。
 しかしながら翌日、東京都教育庁は、入学式や卒業式での国旗・国歌の強制を違憲とした東京地裁判決を受け、都内で都立学校の校長を対象にした臨時校長連絡会を開きました。この会には都立高校や盲・ろう・養護学校の校長二百五十一人が出席し、その場で都教委は、日の丸と君が代の指導について、今後も従来通りの方針で臨むことを説明したのです。
 連絡会は姑息にも非公開で、東京都教育庁高等学校教育指導課は、同庁側が控訴する方針を示したうえで、判決の内容を説明し「私どもの行政行為が何ら阻まれるものではないので、今まで通り、通達に基づいて国旗・国歌の指導を実施してほしい」と要請しましたが、校長二人から質問があり、「控訴審はどうするのか」との問いには「訴訟態勢を強化する」、「(教職員への)職務命令をどう考えたらいいのか」との質問には「一向に変わらない」などと返答をしたと広報しました。このようにいくら校長等のイエスマンを集めても動揺は隠し切れていません。そして、この動揺を抑えたのが、公務員は、指示に従わねばならないとしてきた石原都知事その人でした。
 九月二十二日、石原慎太郎知事は定例会見で、東京地裁判決について「(裁判官は)都立高校の実態を見ているのかね。現場に行って見たほうがいい。乱れに乱れている」と疑問を呈し「子供たちの規律を取り戻すために、ある種の統一行動は必要。その一つが国歌、国旗に対する敬意だ」と指摘し、さらに「(学習)指導要領でやりなさいといわれていることを教師が行わない限り、義務を怠ったことになるから、注意、処分を受けるのは当たり前」と語り、指導徹底を打ち出した0三年十月二十三日の通達を擁護したのです。そして控訴を指示しました。この行為はまさに天につばする行為です。
 しかし、そもそも予防訴訟といわれた同訴訟は、都教委が二〇〇三年十月に「日の丸・君が代」の実施方法を細かく定めた通達(10・23通達)を出して教職員に起立・斉唱を強制したことに対し、その義務はないことの確認を求めて都立学校の教職員らが都と都教委を相手に起こしたものなのです。だから石原都知事の対応は完全に誤りで、ただちに自ら違法な通達を撤回し、それに基づいた不当な処分をなかったものとして謝罪すると共に被処分者の原状回復に着手するものでなければならなかったのです。
 こうして都教委は、都知事の後押しもあり、違法行為を改めることなく今まで通りの対応をしていくと決めてかかっていますが、これは許すべからざる脱法行為です。労働者民衆の大衆行動で断固粉砕する必要があります。ともに闘いましょう。  (笹倉)


●三島由紀夫について わが友、ヒトラー≠軸に

  彼は戦争中に遺書の末尾に天皇陛下万歳≠ニ書いた。彼は天皇家をどのようにみていたかは、彼の作品を通じてどうやらたんぼの神様≠ンたいなのが、彼の描く天皇像であったように思われる。
 いまだに天皇家が行なう年中行事としての儀式も、農事に関わるものが多いそうだ。田植えだとか、婚礼の儀式についても、私どもが年中行事として賑わう儀式のように。
 彼の「わが友、ヒットラー」を読んでみて、当時ヒットラーをとり巻く最も純情で誠実な兵SS(親衛隊員)をヒットラーの手で殺させたのは財閥(鉄と薬にかかわる財閥、その他の財閥)の示唆によるものとしているようだ。ユダヤ人(当時の巨豪であった)虐殺の理由が種の純潔を守るため≠ニいうのは、どうもこじつけのリクツのように思われてならないが…。
 余談になるが、日本でも反戦を貫けず、不本意ながら中国戦線へかり出された当時の学生? 戦場でも赤十字のしるしを朱で書いたカバンにメンソレータムと歯磨きを入れて、山奥の村まで入っていった人もいた。その人がどこへ行っても仁丹のナポレオンな兜みたいなのをかぶった男性の立て札を、仁丹の広告として立ててあるのが目についたと言う。だから、三島がドイツの財閥の中心が鉄と薬≠ニ思ったのも不思議はなかろう。
 そうした財閥こそ三島、ヒットラーをそそのかしたと見る。最も忠実なSSをさえ手にかけろ、と。そしてその銃声(殺す)をヒットラーにきけ、と要求する。三島の描くヒットラーは悩み深き者、それ故に翻弄され、えげつない処罰に及んだという。いわゆる農本主義と重商主義の対立があり、商≠フ方をつぶさせたのがまた別の財閥で、陰媒家のようなもの、とする。ユダヤ人虐殺に至る財閥の暗闘があったのかもしれない。
 三島が文≠虚学とし、武を実学≠ニみたのは、彼の商≠ニ農≠ノついての見方を反映させたものかも知れない。彼は若きサムライのために≠書いた文の中に戦後は一億総町人化≠ニいう一文を残した。が、どうも彼は商≠ヘピンハネを本命とするものと思ったかのようで、文武両道≠形として模索していたように思われる。
 彼のいうサムライ−武士道≠ニはなんだろうか。どうやら卑怯であってはならぬ≠ニいうのが根幹らしい。彼は戦後を一億総町人化≠ニいったが、私は生活には汚濁がいっぱいころがっていて、一億総奴隷化になりかねないとも思う。
 恰好だけよくとも…と安吾は堕落論≠書いた。とことん落ちてみろ…∞そこから…≠ニいうらしい。現在は底の底にうごめいているようで、これではアカンと立ち上がる人々も多くなったように思われるがナカナカ…。かく申す「我輩はノラネコである」
  2006・9・25 (宮森常子) 案内へ戻る