ワーカーズ331  06/10/15     案内へ戻る

人類は核を乗り越えられないのか
北朝鮮の核実験糾弾! 核を弄ぶすべての者たちも同罪だ!


 安倍首相の門出は順調のようにみえた。小泉政権の5年間でこじれにこじれた中国、韓国との首脳会談を早々に実現し、和解に向けたスタートを切ったかである。しかし、これがあいまい戦術によるものとあっては、美しい国創り内閣≠フ名が泣くというものだ。
 国会の代表質問で時ならぬ歴史論争となり、戦争責任は誰にあるのかが問われた。歴史改ざん派である安倍氏にとっては明言を避けたいところであり、ましてA級戦犯の孫としてはその戦争責任は認めがたい。そこであいまい戦術となったが、結局、指導者の戦争責任を認め、「植民地支配と侵略」を明記した1995年の村山談話と従軍慰安婦に対する軍の強制を認めた93年の河野官房長官談話の継承を明言した。
 これはもちろん本心ではないのだが、中韓両国首脳との会談を乗り切るために認めざるを得なかった。靖国神社参拝については、行くとも行かないとも言わないというなんとも姑息な態度で臨んでいる。しかし、歴史認識にしろ靖国参拝にしろ、いずれ本心が問われるし、いつまでもあいまいに済ますことはできない。あいまいな首相の中韓歴訪のさなかに、これに一撃を加えたのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)核実験の報である。
 もちろん我々は、独裁政権延命のために核を弄ぶ金正日政権を断固として糾弾する。同時に、窮鼠を狼に仕立て上げた者たちも許さない。自らは自由に核兵器開発を行い、あるいはその核の庇護の下にありながら、その脅威に対抗して核武装をしようとする国は許さない。何という欺瞞であろう。
 小泉政権は日朝国交正常化の課題を日程にのせながら、拉致問題解決をその前提とすることによって、暗礁に乗り上げさせた。その拉致問題をてこに総理の座を引き寄せた安倍氏は、北朝鮮制裁を弄び、窮鼠の捨て身の反撃を準備したのではないか。
 核実験の実施は核ミサイルの飛来と直結するものではないが、その脅威は質的に飛躍する。しかし我々は、この脅威に核武装で対抗する愚を侵してはならないし、制裁ばかりをわめきたてることにも反対である。核なき世界をめざそう。     (折口晴夫)
 

ネオコン政権?いやオルコン政権!――安倍政権を支えるオールド・コンサバティブ人脈――

 「選挙で勝てる首相」という人気先行で生まれた安倍政権。イメージは政治家の血筋と優しい雰囲気だという。しかしその優しいイメージの裏側では、復古的かつ閉鎖的で秘密主義のオールド保守の人脈がうごめいている。実は安倍政権を支える裏方は、表向きのソフトな優しさとは逆に、名うてのおどろおどろした復古的超タカ派の面々がわんさかだ。そうした臭いが強すぎるために安倍政権は発足時から危険な兆候と危うさを帯びて出発することになった。
 そうした安倍政権を裏側から支え、煽ってきたのが日本最大規模の保守主義・民族主義系の政治・圧力団体「日本会議」だということが次第に明らかになってきた。「日本会議」は最近表面化した安倍応援部隊の中心的存在であり、また以前から安倍とともに行動してきた自民党議員仲間の多くも何らかの形で日本会議とつながりを持っている。さらには安倍が政治的頭角を現す以前から、主張し行動してきた課題の多くが、実は日本会議の主張と多くの点で重なっているのである。
 ここでは安倍政権の屋台骨を形成する日本会議と安倍首相のつながりの一端を見ておきたい

■支えるのは日本会議人脈

 安倍晋三首相の誕生が確実視された頃から、安倍を取り巻く人脈や政治的背景に関する報道が目につくようになった。たとえば毎日新聞で8月29日に報道された記事もそうだった。
 そこではまさに生まれようとする安倍政権が直面する靖国神社への参拝問題や歴史認識について、安倍氏に近いと言われるメンバーの会合の模様が描かれている。具体的には安倍政権発足直後から直面せざるを得ないいくつかの政治課題に関する態度決定のために開かれた安倍ブレーンの会合だった。そこに現れた面々は、ある程度安倍人脈に通じている人から見れば何が謀議されたか一見して明かになるような顔ぶれだった。その会合の中心となったのは安倍政権で官房副長官に指名された下村博文衆議院議員で、集まった顔ぶれを列記すると以下のとおりだ。
 伊藤哲夫・日本政策研究センター所長
 西岡 力・東京基督教大学教授
 島田洋一・福井県立大学教授
 八木秀次・高崎経済大学教授
 この場には不参加だったが、もう一人、中西輝正京都大学教授も含めて、安倍ブレーン5人組だと言うのがメディアの見立てだ。朝日新聞は伊藤哲夫、中西輝政、八木秀次の他に岡崎久彦(外交評論家)、古川薫(作家)を揚げている。
 前号でも触れたように、記事で真っ先に紹介された保守系シンクタンクを運営する伊藤哲夫は、めざすべき国家像については常に「美しい国」を語ってきた人物で、安倍首相の隠れたイデオローグと目されている。実際、伊藤哲夫は中川昭一や安倍首相などが97年2月に立ち上げた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の設立にも関わっていた。彼は後で触れるように、日本会議の事務総長として実質的に日本会議を動かしている椛島有三と大学時代からのつきあいで、ともに「成長の家」の学生組織を中心的に担ってきた人物だという。
 こうした“安倍ブレーン”の他、たとえば、後で触れる「日本会議国会議員懇談会」で「歴史・教育・家庭問題」の座長も務めたこともある高市早苗を沖縄・北方担当大臣に、「自虐史観教育」を批判してきた「懇談会」監事でもある山谷えり子を首相補佐官に任命するなど、安倍首相に登用された議員のなかには「日本会議」に関わってきた人が多い。

■議会と在野を貫く反動勢力

 こうした日本会議にはその発足当初から、国会議員側の連携組織として同時に旗揚げされた自民党を中心とする超党派の議連「日本会議国会議員懇談会」と共同歩調を取ってきた。会長はあの郵政政局で自民党を追われた平沼赳夫、事務局長は下村博文官房副長官だ。
 この「懇談会」は中国との「歴史問題」、東京裁判、教科書問題、皇室問題などには必ずといってよいほど顔を出し、反動的な影響力を行使してきた。
 記憶に新しいのが、近いところでは01年1月のNHK番組改編問題での介入だ。そのとき矢面に立ったのは「若手議員の会」会長の中川昭一(現自民党政調会長)と前事務局長の安倍現首相だったが、ここでも上述の伊藤哲夫がNHKに放送中止を求めたり、「日本会議」の小田村四郎副会長らが片山総務相に面会し、番組内容のチェックの申し入れをするなど圧力を掛けている。
 その他にも女系・女性天皇を容認する皇室典範改正に強硬に反対したり、また昨年8月には「懇談会」会長の平沼赳夫が小泉首相に8月15日の靖国参拝を要請したりしてきた。
 つい最近では9月30日、「秋篠宮悠久仁(ひさひと)さまの誕生を祝う会」を日本会議などが2000人を集めて日比谷公会堂で開催している。そこに安倍首相の代理で出席した下村博文衆議院議員(現官房副長官)は、小泉前首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が出した女性・女系天皇を容認する報告書について、「内閣が変わったので拘束される必要はない」と明言している。ちなみにこの報告書が棚上げにされた理由の一端は、日本会議など皇室典範改正に反対する日本会議や議員懇談会をバックとした安倍官房長官(当時)の強い抵抗があったからだった。「議員懇談会」はこの他にも衆参両院に設置された憲法調査会の設置にも中心的な役割を果たした。
 こうした一連の動きを見れば、「議員懇談会」は発足以降、地方議会での決議の採択、著名運動などをはじめとした日本会議による反動的世論形成と相呼応する形で国政に圧力を加え続けてきた経緯が鮮やかに浮かび上がる。

■ブッシュ政権のネオコン人脈との類似性

 小泉前首相はサッチャー改革を念頭に置きながら、意図的不況政策などで財界などが要求する高コスト体質の打破と国際競争力の強化をめざし、あわせて米国の反テロ戦争に便乗する形で軍事大国化を推し進めた。小泉政権を引き継いだ安倍首相は、基本的にはそうした立場の継承する以外にはないが、その手法や趣はだいぶ変わらざるを得ない。
 かつて米国のブッシュ政権が、発足時には「優しい保守」を標榜していたにも関わらず、あの「9・11」以後、反テロ戦争に突き進んだ。それを政権内外から支えたのが政策集団「新アメリカの世紀プロジェクト」(PNAC)やシンクタンクのエンタープライズ研究所などに巣くっていたネオコン、それにキリスト教右派の宗教原理主義者、それらと連なる政治家達だった。
 それに照らし合わせると、いまの安倍政権は日本会議やその中核の宗教右派と自民党内タカ派集団という反動的ブロックに支えられた政権だと言えるだろう。現に安倍首相が“手本”にしているのは、宗教団体との連携で政権基盤をつくっていったブッシュ大統領の選挙手法「グラスルーツ・コンサバティブ(=草の根保守)」だという。
 とはいってもそうした日本の宗教右派と政治右派のブロックはネオコン=新保守主義ではなく、自称“真正保守”勢力だ。政権発足時の安倍首相は、歴史認識や対アジア外交では妥協姿勢の試運転からのスタートとなった。が、日本会議が掲げる“真正保守”とは、あの靖国史観に象徴されているように“反米保守”を含む復古的保守主義、いわばオールド・コンサバティブだ。アナクロニズムという以外にない。しかも安倍を首相に押し上げた有権者の“人気”と安倍政権の復古的保守主義は大きなギャップが内在している。その矛盾を拡げ顕在化していく労働者・市民の草の根からの反撃以外にはない。(廣)


日本会議とは

 1997年5月に「日本を守る国民会議(会長―黛敏郎)」と「日本を守る会」が統一して生まれた、自称「真性保守」を推進する国民運動組織。

構成団体

 神道・仏教系宗教・修養団体中心、神社本庁、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、オイスカ・インターナショナル、三五教などがメンバー。カルトと指摘された団体も一部含まれる。日本最大規模の保守主義・民族主義系の政治・言論団体。

 発足当初から憲法・教科書・靖国・北朝鮮などが問題化するたびに顔を出し、安倍政権発足とともに多くの耳目が集まるようになった。現在の会長は三好達(元最高裁長官)で、全国47都道府県に支部と推定25000人の構成員を持つ日本最大の反動的な政治・圧力団体といえる。代表委員でもある真正保守の長谷川三千子(埼玉大学教授)などは大日本帝国憲法の精神を賛美する挨拶を設立総会で行っているほどである。
 また顧問にはあの瀬島龍三の名前が、代表委員として石原慎太郎都知事の名前もある。また顧問や代表委員には久大神宮宮司や巴神社本庁座主、あるいは崇教真光教など、多くの宗教団体トップの名前も見える。こうした寄り合い所帯としての対外的な看板の意味合いもある顧問や代表委員の他に、椛島有三などかつての「成長の家」の学生組織を源流に持つ「日本協議会」が実質的な指導部層を構成しているように、きわめて宗教色が強い組織である。
 その実質的な中心人物は椛島有三だといわれ、彼は伊藤哲夫と大学時代からの親友で、ともに「成長の家」の学生部で中心的役割を果たしてきた人物だ。
 日本会議の設立趣意書には、「健全な国民精神を恢弘し」、「うるわしい歴史と伝統にもとづく国造り」を目的として、国民の気概の強化、東京裁判弛緩の克服、謝罪外交の克服、青少年の国への誇りと自信を取り戻させる、家族や教育の再生を目指して、国民運動を展開する方針を打ち出している。そうした立場から直面する政治的課題をも重視するとして、元号法制化、皇室敬慕の奉祝運動、歴史教科書の編纂事業、戦没者への追悼事業、昭和史検証事業、伝統にもとづく国家理念を構想した新憲法制定の提唱などの草の根運動を装った反動的世論形成を推進してきている。  案内へ戻る


コラムの窓・・・「偽装請負」

 姉歯建築士による耐震強度偽装建築問題が世間を騒がせたが、今度は大手製造会社による「偽装請負」が問題となり新聞などに取り上げられた。
 この「偽装請負」とは、契約上は独立している請負会社が業務を請け負いながら、実際には発注側企業の指揮管理下で、派遣社員のように働くこと。本来の請負は、社員から業務上の指示を受けることはできないことになっている。
 ところが、多くの製造会社では「偽装請負」とか「偽装出向」などのインチキやデタラメが蔓延し、現場の労働者に対して低賃金・長時間労働を押しつけている。
 今回、事業停止命令を受けた請負会社「コラボレート」(大阪市)は、国内最大級の人材会社「クリスタル」(京都市)グループの中心企業で、労働者を3万4290人も抱えている。
 この「コラボレート」は、発注企業である松下電器産業の完全子会社である「パナソニック半導体オプトデバイス」(鹿児島県)に、違法な雇用形態である「偽装請負」の形で、今年3月まで労働者を派遣していたことが判明した。
 「デバイス社」の担当者は、「早期退職制度で、社員が足りなくなり、請負をお願いした。法令への認識不足と相まって、3月末までコラボレートの労働者を指揮命令する状況が残ってしまった」との言い訳をしている。
 業務請負の名目で、実質的に労働者の派遣を受けいれる「偽装請負」を、自動車・電機・IT(情報技術)などの業界が規模を問わず、どこでもやっていることは周知の事実である。
 2004年3月に製造業への労働者派遣が解禁された後でも、広範に急増している。偽装請負などで発注側企業が文書指導を受けた件数は、03年度の91件から05年度には358件に増えている。多くの現場労働者を抱える製造業にとって、この「偽装請負」はとてもうまみのある労働者搾取の方法だと言える。
 この事に詳しい専門家は、「請負は労働者と全く違うものである。請負は賃金ではなく報酬である。労働基準法を初めとした労働法の保護対象外であり、厚生保険ではなく国民保険であり、健保ではなく国保である。失業保険の対象でもなく、有休もない。何時間働こうが残業代もなく、税金の申告は自分で確定申告をする。その代わり、時間管理されることもなく、細かく管理者から指示されることもない。ようは『請け負った業務』を期間内に終了させて成果物を納めさえすれば良いのである」と述べている。
 このように「偽装請負」は、労働者派遣法や職業安定法に違反するが、発注企業側には@残業代がかからない。A使用者責任を負わない。B契約期間の規制がない。などの利点がある。バブル崩壊後の1990年代後半から、合理化を急ぐ企業の間に一挙に広まった。
 今回、この「偽装請負」問題が大きく取り上げられたきっかけは、不安定な立場に置かれている契約社員の実態を告発した現場労働者の頑張りである。
 コラボレートの契約社員である矢部さんは、声を上げ始めて2年、大阪労働局の事業停止命令について「遅かった感があるが、今後も監督指導を強化してほしい」と述べている。
 また、「松下プラズマディスプレイ」茨木工場で働いた吉岡さんは、「今回の処分は請負会社だけだが、労働者を受け入れ偽装請負利用してきた発注側企業も許されるものではない。メーカー側の責任も問われないと、現場の労働者は救われない」と言っている。
 まったくそのとおりである。製造請負会社だけが処分されても、発注側の大手製造会社におとがめがないのでは、まったく片手落ちである。「偽装請負」の労働者を利用して莫大な利益を上げた大手製造会社こそが責任を問われるべきである。
 人件費を抑えるためにデタラメな労働者管理をしている日本企業。こうした企業のもとで「低賃金・長時間労働」を押しつけられている日本の労働者。
 自分の生活を守るためにも、人間らしい生活を勝ち取るためにも、泣き寝入りせずに、「声を上げていく」ことが求められている。上記の2人労働者の後に続こう!(英)

 
安倍総理と小沢民主党代表の推し進める「教育改革」とは何か

安倍総理の「教育改革」

 安倍総理が自分の内閣を五年以内に教育基本法「改正」と日本国憲法「改正」を断行する内閣だと位置づけていることは既に周知の事実である。では今臨時国会で成立をめざしている教育基本法「改正」をどのような考えに基づいて行おうとしているのであろうか。ベストセラーとなった『美しい国へ』から引用することでその思想を明らかにする。
 『美しい国へ』は、七章から構成されており、その最終章の第七章で教育改革が論じられている。しかし、第七章の表題は「教育改革」ではなく「教育の再生」となっていることに注目したい。この安倍総理の独特の用語法こそ端的に問題の所在を明らかにしている。
 すでに安倍総理の本については、「次期有力総理候補者の妄言集 安倍晋三『美しい国へ』を読む」との表題の実に辛辣な書評を公開している五十嵐仁氏の「転成仁語」が明らかにしている。ここでは教育改革に関わっての五十嵐氏の優れた議論を紹介したい。
 五十嵐氏は、「再生」という言葉には「死にかかっていたものが生き返ること」という意味や「すでに滅びたものが再びこの世に生まれること」などの意味があり、安倍氏は、どちらの意味で使っているのかと問うている。前者の意味でなら、「死にかかっている」戦後の民主主義教育が「生き返ること」を意味し、「教育の再生」という表題を見れば、誰でもそのような意味だと思うが、それは大間違いで「すでに滅びた」戦前の国家主義教育が「再びこの世に生まれること」こそ、安倍氏のめざしている「教育の再生」だと彼は批判する。安倍氏が「再生」するのは、国民の教育権に立脚した民主主義教育ではなく、国家の教育権が肥大化した国家主義教育に他ならず、そのことは、「教育の再興は国家の任である」(二百五頁)との言葉によりはっきりと示されおり、それも国の力によって、力づくで教育のあり方を変えようという意欲が第七章の随所に溢れていると五十嵐氏は的確に要約して見せた。誠に優れた断案である。
 安倍氏の本から証拠となる個所を引用して確認したい。
 「義務教育の構造改革は、まず国が目標を設定し、法律などの基盤を整備する。つぎに市区町村と学校の権限と責任を拡大して、実行可能にし、最後にその成果を検証する仕組みがあってはじめて完了する(二百八頁)」
 「また、全国的な学力調査を実施、その結果を公表するようにするべきではないか。学力調査の結果が悪い学校には支援措置を講じ、それでも改善が見られない場合には、教員の入れ替えなどを強制的におこなえるようにすべきだろう(二百九〜二百十頁)」
 「ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である。学力ばかりでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監査官が評価する仕組みだ。問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする(二百十一頁)」
 「学校運営の改革という面では、校長の権限の拡大と、保護者の参加が求められる。また、地元住民や地元企業が学校の運営に参加できるようにすれば、さらに大きな意味がある(二百十一頁)」
 こうした文章を見れば、安倍総理の推し進めようとしている教育政策は、先の通常国会に提出された教育基本法の「改正」案と全く同じことが分か。国が教育の目標を設定し、それを法律などによって義務づけるとの統治としての教育政策が実行されようとしているのだ。さらに、安倍総理の一大特徴は、何と言っても強権の発動を臆することなく口にする点だ。ここには二代目政治家の傍若無人に振る舞う、お坊っちゃんぶりが余す所なく発揮されている。曰く「国の監査官」などによる「学校評価制度」を導入し、「改善が見られない場合には、教員の入れ替えなどを強制的におこなえるようにすべき」で、「問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする」と。
 先の引用文を再度確認すれば、わずか二頁ほどの中で、「強制的に」と「教員の入れ替え」「教職員の入れ替え」を行うと強調している。いかに、安倍総理が日教組や現場教職員を敵視し排除したいと考えているかが端的に誰でも否定できないほど明瞭に示された。
 こうして安倍総理が推し進める「義務教育の構造改革」は、国の関与、文科相の命令、市区町村や校長の権限拡大、地元企業の学校運営への参加など、学校の外からの教育への介入を強め、内部での管理・監督を強化するものであることが示されたのである。
 これほど現行教育基本法の基本理念を否定した改革構想は当然にも明確に憲法違反だとの糾弾の声をあげる必要がある。先の通常国会で「改正案」が出されたとはいえまだ可決されてはいない。現行教育基本法はまだ変わっていないのである。だとすれば、憲法第九十九条で現行憲法等の遵守義務がある内閣官房長官の地位にありながらが、これほどまで明確に現行教育基本法の理念とは乖離した教育政策を掲げることが許されない。
 しかも、内閣官房長官とは、内閣の中枢でもあり、現職の閣僚が教育基本法を否定する発言をした場合、注意するべき立場に重大な職責を持っている。現代の日本の為政者が、こうした根本を根底から揺るがす行為を何の自覚もなく行使している無理・無法状態と現在顕著になっている日本国家の政治的危機と日本社会を支えてきた社会構造の最深部からの動揺とは密接不可分に結びついている。とりわけその危機は彼ら自身全く無自覚ながら政権党に集約的に現れていると言える。
 この事実を踏まえることなく、全ての責任を現行教育基本法に求める彼らの破廉恥な行為を糾弾していくと共に自民党等に退陣求めて闘っていかねばならない。

小沢民主党代表の「教育改革」

 民主党の日本国教育基本法(新法)については、前々号である「ワーカーズ」第二九九号で批判しているので、ここでは簡単に五点の批判点を確認していきたい。
 @ 愛国心、宗教的情操の涵養の前文での明文化
 愛国心の扱いについて、与党案が自民党と公明党との妥協として「国を愛する態度」としたのに対して、統治機構を連想させる「国」という言葉を避けて「日本を愛する心」とした説明する。しかし、かつての軍国主義時代の愛国心教育においても、日本あるいは郷土を愛せと言っていたのであり、これで歯止めになるとは言えないことは自明のことことだ。さらに民主党はこの「日本を愛する心」を前文に入れただけで、条文ではないから強制力はないと詭弁を弄している。そもそも前文とは、その法律の全体を貫く原則・理念を示すものなのであり、前文に書かれてあれば、以下の条文に影響する。当然にも「日本に居住する外国人」についても「日本を愛する心を涵養」しなければならないのだ。また宗教教育で尊重されなければならないとして、「宗教的感性の涵養」が新たに書き込まれた。言葉でこそ「感性」とあるが、政府・与党案で見送られた「宗教的情操」と内容は変わらない。「宗教的情操の涵養」の名目で国家神道的教育が行なわれたように特定の宗教教育や国家主義教育が行われることになる。
A「個人の尊厳」、「個人の価値」の削除と「人間」への書き換え
 現行法の前文にある「個人の尊厳」と第一条(教育の目的)にある「個人の価値」が削除され、「人間の尊厳」へと置き換えられた。この書き換えにより、戦前の教育勅語を否定して、「個人の価値」を基盤とする現行法の基本理念が完全否定されている。抽象化することで、政府・与党案同様、民主的で文化的な国家、社会及び家庭の形成者たるに「必要な資質」が第一条で定められ、国家が要請する資質を身に付けることが「教育の目的」とされたのである。このため、第二条「学ぶ権利の保障」も、一人ひとりの学習者個人の意思を具体的に保証していない。
B新自由主義による競争・格差の拡大と是認
 民主党案では、現行法第三条の教育の機会均等の核心「すべて国民は、ひとしく」の「ひとしく」が削除されている。そして項目のタイトルも「教育の機会均等」ではなく、「適切かつ最善な教育の機会及び環境の享受等」とし、機会均等の保障を斬り縮めた。こうして競争・格差の拡大は是認される。また第四条の学校教育では新たに、本人及び保護者等の関係者に学校が情報を提供すること、「点検及び評価」が義務化され、国及び地方公共団体が、学校による情報の提供と点検及び評価の実施を「支援」することが明記された。このことは、第七条「基礎的な学力の修得」として2007年度から導入される全国学力テストで、「点検及び評価」が実施され、学校は明確に序列化され、競争が激化する。第四条の学校の「自主性及び自律性」や第十八条の保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する学校理事会の「主体的・自律的運営」も学力テストの点数競争に振り回されることになる。また第十九条の教育の振興に関する計画に、教育に関する国と地方公共団体の「予算の確保及び充実」が盛り込まれたが、これも「点検及び評価」に従って、市場主義的に配分されれば、学校間の格差を一層助長することになる。
C教育委員会制度の廃止と国、地方公共団体の長による教育内容支配
 教育行政については、与党案ですら残された「教育は、不当な支配に服することなく」という文言が削られた。政府・与党案では言葉は残っても意味が正反対になると説明したが、民主党案では文言そのものが削除されたのだ。新法前文では「国政の中心に教育を据え」、第七条で国は普通教育の「最終的な責任」を有し、とあるように、教育振興基本計画等を通して、政府による「国策としての教育」が実施される。また第十八条では「地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとして、その長が行わなければならない」との規定が新設されてた。こうして教育行政の独立性や合議制に基づく教育委員会制度が否定され、行政の長が直接、教育内容に関わることになる。現行法第十条で定められた教育行政の政治的中立性は否定される。だとすれば国家や行政の長による教育内容への関わりの歯止めはなくなることになりかねない。
D教育基本法と憲法との一体性の切断
 現行法の前文にある「真理と平和を希求し」の部分は、民主党案では「真理と正義を愛し」と変えられ、第一条の教育の目的でも現行法にある「平和的な」という言葉が削除されてた。前文の末尾には「日本国憲法の精神と新たな理念に基づく教育」をめざして「日本国教育基本法を制定する」とされ、「新たな理念」が書き加えられています。さらに、この民主党案の最後には、「教育基本法は、廃止する」と明記されている。このことは「日本国憲法を確定」し、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と書かれた現行法前文の理念を完全否定するものだ。先の「平和的な」との言葉の削除と考え合わせれば、民主党が教育基本法を新法に変えることで憲法との一体性を切断したいとの意気込みが実によく伝わってくるではないか。
 結論としては、民主党案は、平和と個人の価値を理念とした教育基本法を廃止し、若干の色合いこそ違うが、新国家主義・新自由主義という「新たな理念に基づく教育」を導入しようとするもので、教育を統治行為と捉える立場からは、政府・与党案よりも一段と統制色が強いものといえる。こんな内容なのだから改憲勢力の日本会議がこの民主党案を与党案よりよいと評価するのも大いに理由があるというものだ。
 この民主党の新法提案のバックホーンになったものこそ、小沢代表の考え方である。このことは、九月五日発刊の『小沢主義 志を持て、日本人』の第六章で確認が出来る。
 新書版全百九十頁中第六章二十四頁が教育改革に割かれている。その論旨は、社会全体にモラルの崩壊が見られるが、その原因は教育の崩壊にある。動物の子育ては自立の知恵を教えている。人間の子育ては、集団生活で暮らしていくための最低限のルールとモラルを教えることこそがが教育の基本だ。昔は「しつけ」と言ったが、現代の「しつけ教育」は大人になることは自己責任を取ることだと教えることにある。甘やかしてきた大人の側にニート増加の原因の大半の責任がある。敗戦によって「しつけ」が軽視され古い日本的価値観がなくなったため、価値観なき戦後の子育ては子どもの好き勝手にさせるのが「民主主義」だと誤解してしまった。教育の復興は学校のカリキュラムを変えればよいとの単純な話ではない。そもそも大人が自立していないのに子どもに自立を求めるのは筋違いだ。本当のモラルや「しつけ」が復活するには一世紀を要する。今何をするべきかが政治家の使命と国民一人一人の義務である。日本の学校教育の本質的欠陥とは義務教育の「最終責任者」が明確でない点にある。これを明確にしなければならない。GHQによる教育改革は「強い日本を復活させない」ことにあったのは今や常識だ。その観点から教育の地方分権化と教育委員会制度だ。戦前の教育の中央集権システムを壊したかったのだ。警察も同様の措置にあったが、警察庁は復活した。教育では復活せず文科大臣は法制度的には各都道府県教育委員会に「命令」できず「指導・助言」できるだけだ。こうして誰が教育の最終責任者か明確でない。教育現場に「事なかれ主義」がはびこるのもこれが原因だ。何か問題が起こったときトップが責任を取らないシステムでは教師が萎縮するのももっともで現場の教員ばかりを責めるのは筋違いだ。各都道府県教育委員会に責任を取らすのは無理があるので義務教育の最終責任は国家に持たせるとの法整備を進めるべきだ。中央集権=反動だというのは偏見だ。ネコの目のように学習指導要領が変わるが誰も責任は取っていない。民主主義のルールに反する。いくら上から押し付け、洗脳したところで、本物の愛国心は生まれない。本当の愛国心とは、やはり日常教育の中、家庭生活や社会生活の中から生まれてくる。「お上になんとかしてもらいたい」意識を脱して、国民一人一人が、この国をどういう国にしたいか、明日の日本を支える若者たちにどのような人間になって欲しいかを真剣に考えていかない限り、本当の教育改革は生まれない。そして、新しい日本も生まれてこない。僕はそう思うのである。
 小沢代表の教育改革論の概要を要約したが、与党案より民主党案が日本会議に評価され、東京や神奈川県厚木のシンポジウムと、大々的な運動に発展しているのももっともだと言える内容である。小沢代表の中央集権的な教育システムの追求と義務教育の国家責任の明確化と義務教育での最低限度の「しつけ教育」の実行の三位一体の提案は、改憲勢力の旗印になりかねない危険な思想である。

臨時国会での与党教育基本法「改正」案と民主党の新法を廃案に

 以上、安倍総理と小沢代表の教育改革論について、詳しく検討してきた。
 この両者に対する私たち労働者民衆の立場は、進行する格差社会の是認拡大と迫まる対外戦争を一段と引き寄せる結果にしか行き着かない教育基本法改悪策動を粉砕する立場である。この前哨戦で私たちは負けることは出来ない。
 最大の野党である民主党の対案が与党提案より一段と反動的なことを確認した私たちは、彼らと一線を画しつつ改憲策動と一体となっている教育基本法改悪策動と闘っていかなければならない。ともに闘おう。       (猪瀬一馬) 案内へ戻る


読書室

「在日韓国・朝鮮人‐若い世代のアイデンティティ」( 福岡安則著・中央公論社)
 無関心が差別を温存している


 8月の「現代を問う会」で、朝鮮民主主義人民共和国の呼び方を「北鮮」と発言した年配の参加者がいました。その言葉が差別発言であると、会のメンバーから指摘があり、その後議論が継続されました。本書はこの議論をきっかけに読んでみようと思い、なかでも著者自身による「在日」の若者への聞き取り調査は、考えさせられるものがありました。10年以上前の出版ですが、多様な生き方を求める若者の生の声は、日本社会がどれほど閉鎖的であり差別的かを物語っています。

「在日」=仮住まい=H
 「さほど問題なく日本社会に適応しているかのようにいわれる在日韓国・朝鮮人の若者は、実際には、その多くが成長の過程で日本人側の偏見と差別にぶつかり、アイデンティティの葛藤を体験している。だが、彼らの存在と意識は、実に多様化し揺れ動いている。本書は、二世・三世と呼ばれる人々の聞き取り調査を通して、民族問題とそのアイデンティティを考えるとともに、日本社会の構成員としての九〇年代の『在日』の生き方を模索する」
 そもそも「在日」とは、どういう意味で使われているのでしょうか。著者によれば、「在日」という表現は「在日本」のつづまった言い回しであり、もともとは在日韓国・朝鮮人の当事者自身が使い始めた言葉、とあります。それは、「在日本大韓民国居留民団」、「在日本朝鮮人総連合会」という二つの大きな民族組織の正式名称からも明らかです。当事者自身が、日本は仮住まい≠ニいう意識を強く持っていたことの表れと、指摘されています。
 しかし、二世・三世となると日本で生まれ、日本の文化にどっぷり浸かって育った人々です。その人たちをあくまで「在日韓国・朝鮮人」と呼び続けることに、象徴的な意味があるという訳です。
「彼ら/彼女らの存在の現実的態様とは別次元で、日本社会の一般的構成員の観念世界においては、彼ら/彼女らは、いつまでも仮住まいの非定住者≠ノすぎないのだ。基本的な部分において文化を共有している人たちを、純粋な非日本人≠フ側へと押し出す、無意識のもしくは共同主観的なメカニズムが、ここに働いている」。(18ページ)
 私自身、何らの疑問も持たずに使い続けてきた「在日」という言葉。その意識が彼ら/彼女らを社会の構成員として認めようとしないメカニズムに、組していたとは・・・。「コリア系日本人」と位置づけられるのは、いつのことになるのか、まずは正しい歴史を知り、社会に目を向ける姿勢を持つことでしょう。

「在日」若者の多様なアイディンティティ
  1988年以降、若い世代の人たちを中心に、150名を超える在日韓国・朝鮮人から「聞き取り」をしてきた著者。その独自の分類はわかり易く、日本社会で生きていくなかでの苦悩やあきらめが伝わってきます。若者のアイディンティティの葛藤は、日本社会に「同化された自己」と、個人差があるが民族性の自覚を持つ「異化された自己」が錯綜することで起こっていると分析されています。4つの分類は図3を参照してください。
T 「共生志向」タイプ・共に生きる・・・社会的差別に対して「社会変革」の方向で問題の解決をめざす。自分の生まれ育った地域に根ざし、自分の身のまわりから運動を起こす志向性が強い。「民闘連」のメンバーなど。新しい生き方の模索をめざす。
U 「祖国志向」タイプ・在外公民・・・「祖国発展」「祖国統一」に寄与すること。日本に同化することなく、「在外公民」としての自覚を持ち、「在日朝鮮人社会」を維持しなければならない。民族差別に対しては「自力救済」。「朝鮮総連」社会のなかに自分の居場所を見いだす。
V 「個人志向」タイプ・自己実現・・・個人主義的な意味合いで「自己の確立」を達成することであり、「個人的成功」の追求の形をとることが多い。具体的には、社会的「移動」によって、差別的評価から自由になることをめざす。アメリカなどへの留学、一流大学∞一流企業≠めざす。
W 「帰化志向」タイプ・日本人になりたい・・・日本人≠ノ一体化することで、民族差別を受けないですむ存在になりたいと願う。つまり在日韓国・朝鮮人として生きることの「違和感」を、まわりの日本人社会に「適応」することで解消する。
私たちが共鳴するのは、Tの「共生志向」タイプですが、他のタイプだからといって批判することはできません。日本社会で生きていくうえで、たとえ「帰化」したとしても自己の内面には、自分の出身地をも否定してしまうことはできないものがあるからです。違いを認めあう共生社会なら、こんな無理した生き方を強いられることはないのですから。

意識しないで、同じに≠ニいう呪縛
 著者は大学の教授も担っており、そこでの社会学の授業で「在日韓国・朝鮮人問題」を取り上げています。学生が提出したレポートには、日本の若者の率直な意見が述べられています。質問は「身近な所に在日韓国・朝鮮人がいたとしたら、あなたは、その人に対して、どういうふうに振る舞うと思いますか? もしくは、これまで同級生などに在日韓国・朝鮮人がいたという人は、実際にどう振る舞いましたか?」というものです。
 ただし、本名を使わずに通名の場合は、たとえ出会いがあったとしても学生には分からないということになります。オープンにできないこと自体に、日本人側の態度が問われているということでしょう。
「『在日韓国・朝鮮人』に対しては、はっきり言って、普通につきあっていく自信がありません。それは過去の戦争によって、彼らのなかには日本に反感を持つ人もいるだろうと思うからです」
「私は普通にふるまうと思います。普通というのは、他の人たちと同じようにつきあうということです。在日韓国・朝鮮人だからといって、特別な目で見たり、またわざと気を使ったりはしたくないのです。もしかしたら、そのような人たちと出会ったら、はじめはとまどうかもしれない。しかし、私は普通にふるまいたい」
 出会いを避けたいとする意見と、より多数をしめるのは、普通にふるまうという態度ですが、そうすることが差別をしないで平等だと誤解されている点に大きな問題があると著者が強調しています。
「他者が自分とは『ちがう』存在であると意識する≠アと自体が、なにかいけないことであるかのような錯覚されてしまう。『ちがい』を意識しないで、少なくとも表面的には普通に∞同じように$レすることが、差別しない態度と思い込まれる。・・・『ちがい』を意識しないようにすることは、『在日』の若者たちが抱えこまされている葛藤への理解、共感の可能性を閉ざすことにしかならない」
 意識しなけれは、彼ら・彼女らがなぜ日本に暮らすことになったのか、なぜ母国に帰れないのかも、知ろうとする努力もしないでいい。まずは、「ちがい」をきちんと認め合うことが、「出会い」の出発点となるのです。大人も含めて、もっと世の中で起こっていることに関心を持とうと、呼びかけたい。

 最近の新聞記事で、フランス政府による移民退去に、体を張って阻止した人たちの報告が掲載されました。それは、就学児童を抱える不法移民家庭の強制退去に反対する運動で各地に広がったのです。元電気工学師、ロジェ氏はその児童を6日間、体を張って自宅でかくまい抵抗運動を成し遂げたと、誇らしげな氏の顔写真が添えられています。私も20代はじめ、大阪で不法入国していた在日韓国人の家族を支援する運動に参加したことがあります。この場合も、長男が小学就学のために身元を明かす必要があり、入管に特別在留許可を申請したのです。裁判闘争を経て、不本意ながら和解での許可でしたが、滞在が延長されました。
 そんな経験もあり、「在日韓国・朝鮮人問題」は理解していると思い込んでいましたが、この本を手にして閉鎖的な日本社会は、日本の若者の意識をもさらに蝕んでいることを教えられました。大人の私たちは、もっと声を出し、正しい方向を示して行く事を求められている、そうこの本は訴えているように思えました。  (折口恵子)


『格差社会』 橘木 俊詔氏著 岩波新書刊行

 十月六日、厚生労働省は、生活保護世帯が二〇〇五年度月平均で初めて百万世帯を突破した。このことは、小泉「構造改革」が、生活困難者を急増させている実態を改めて鋭く告発する。0六年七月の保護世帯(速報値)もすでに百六万八千五百二十三世帯(受給人数百五十万四千百八十六人)となり、0六年度月平均保護世帯も過去最高を更新することは間違いない。
 0五年度について、保護世帯の主な内訳は、「高齢者世帯」の四十五万一千九百六十二世帯、「障害者・傷病者世帯」の三十八万九千八百十八世帯、「母子世帯」の九万五百三十一世帯であった。
 今政府は、「歳出削減」の名の下に、生活保護費の大幅カットを進めている。七十歳以上の高齢者に支給されていた老齢加算を、0四年度から段階的に縮小して、今年四月からは廃止した。さらに、0六年七月に閣議決定した「骨太方針2006」には、@母子家庭に二万円余を加算する母子加算の廃止A衣食や水光熱費など生活保護の中心となる「生活扶助基準」の引き下げB自宅を持つ人に生活保護を受けにくくする「リバースモーゲージ制度」(所有不動産を担保に生活資金を貸し付ける制度)の導入などを、0七―0八年度に実施することを明記したのである。
 政府は生活保護の削減を社会保障費抑制・削減の当面の標的と位置付けているのだ。
 八年前、『日本の経済格差』、その後『家計からみる日本経済』を執筆した橘木氏は、この九月二十日、『格差社会』を出版した。こうして橘木三部作は完成したのである。
 この本は五章構成で、第一章では、データを使って、格差の現状を検証し、格差の拡大は「見かけ」か、政府がそう主張する意味は何かを考えている。第二章では、格差を拡大する要因について考え、特に雇用システムの激変に注目し、構造改革の問題点を格差の視点から論じている。第三章では、格差拡大の中で、日本社会の二極化と新しい貧困層の出現が持つ意味を論じている。第四章では、格差拡大の中で、日本はどのような国になるのか、どのような問題が発生するのかを検証している。そして第五章では、橘木氏の考える格差社会への是正策を、出来る限り具体的に提言している。
 私もこの第五章を、この本の核心として高く評価している。確かに参考になる提言ばかりではある。しかし同時に物足らないことも事実である。なぜかと言えば、私たちは、個々人の自律した連帯社会を求めて政治・社会革命をしなければならないとの明確な立場にあるが、橘木氏は現存する社会を前提として、具体的な提言を行う立場にあるからである。
 この点が根本的とも言える欠点ではあるが、無い物ねだりを止めれば、私たちが受け入れなければならない当面の戦術について、参考になる政策が確かにあることも事実である。したがってこの本を熟読する意義を否定することは出来ない。私たちは産湯とともに赤ん坊を流してしまう愚かしさとは訣別しなければならないだろう。   (直記彬)   案内へ戻る


続・全国市民オンブズマン福岡大会報告

 台風下で開催された今年の全国大会、分科会が分散することなく同じ会場で報告され、結果的に総ての報告を聞くことができた。その内容は、@談合・入札改革、A情報公開、B議会改革・政務調査費、C警察問題、D住民訴訟の行政裁量について、E大阪からの報告、であった。@の談合についてはすでに前号で触れたので、ここでは他のテーマについて紹介したい。

A情報公開
 情報公開法が誕生し、国家機関の情報が市民の検証に曝されるようになったのが2001年4月。そのなかで大きな壁に阻まれていたのが、外交情報や公安・警察情報だった。「・・おそれがあると行政機関の長が認めるについて相当の理由がある場合には不開示とできる」という規定を楯に、怪しげな支出が闇に閉ざされてきた。しかし、スタートから5年を経て、この扉もようやくこじ開けられようとしている。
「全体として情報公開に後ろ向きの判決が続いた中で、この1年間の最大の収穫は、情報公開市民センターの提起した外務省の報償費の情報公開訴訟で勝利判決(東京地方裁判所2006年2月28日)と、その1ヵ月後の滋賀県市民オンブズマンが滋賀県警本部長を相手取った捜査報償費の偽名領収証の情報公開訴訟の控訴審での勝利判決(大阪高等裁判所2006年3月29日)である」
 特に、外交文書では、「国の安全が害される恐れ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれる恐れ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがある」という理由で不開示となる場合が多いようだ。具体例として「日韓会談文書」をあげると、昨年8月に韓国政府が全面公開したにもかかわらず、外務省は「公にすることにより、交渉上不利益を被るおそれがある」と抵抗している。日韓会談の全貌を明らかにすることは、今後予想される日朝国交正常化交渉に悪い影響を及ぼすということか。
 しかし、そうしたたいそうな理由で隠されているのが、フランス大使館が期末にワイン購入に1000万円も支出したことだったりしている。また、在外公館では海外渡航議員に対する公費接待を報償費から支出している。この報償費についても、外務省は「公にしないことを前提とした機密性の高い外交事務に支出される」としている。結論的に言えば、不開示とされている情報は開示したくない情報、開示したら悪事がばれてしまう情報であろう。

B議会改革・政務調査費
 政務調査費支出に関しては、監査請求や住民訴訟によって不当・違法なものは返還が実現されるようになり、領収書等の支出情報も公開への流れが大きくなっている。従来、議員の多くには何に使おうと自由な第2報酬≠ニいう意識が強かった。だから、その領収書を公開することはできない。いや、領収書すらない、というのが事実に近いだろう。だからこそ、その情報公開には強い抵抗があった。
 政務調査費支出のデタラメの一環を示せば、東京・品川区議会では3日に1回飲み食いをしていた、大分の市議会議員は甲子園で野球観戦、兵庫県議会議員はマイカーローンに支出、等々。ちなみに、この不埒な兵庫県議はオンブズマンの告発によって、詐欺容疑で書類送検された。

C警察問題
 ここで特筆すべきは、現職警察官として始めて裏金を告発した愛媛県警仙波敏郎巡査部長が、人事委員会への不服申立で勝利(6月6日・配置転換処分取り消し)し、現職復帰したことである。オンブズえひめは、ウィニーによる情報流出で発覚した県警本部刑事部捜査第一課の裏金問題でも、住民訴訟を取り組んでいる。しかし他方で、北海道警と鋭く対立していた北海道新聞が、道警の脅し≠ノ腰砕けとなってしまった。
 この警察問題では、不正を隠蔽する監察室、全く機能しない公安委員会、ほとんど機能しない裁判所、法廷で偽証する警察官、それを鵜呑みにする裁判官、途中までよかった北海道新聞、という評価になるということだ。さらに付け加えれば、そこそこ機能する検察審査会・情報公開審査会、意外と機能することがある県人事委員会・監査委員、というのもある。
 少し変わった視点から、北海道警の裏金を告発し、今は「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の代表である原田宏二氏が警察官のけん銃使用について報告した。これは、「今年に入って警察官がけん銃を使用(発砲)した事件は、8月14日に起きた岐阜各務原市の事件を含め計17件に上り、既に昨年1年間に起きた16件を超えている」ことの意味を明らかにするものだった。
 2001年に「警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範(国家公安委員会規則)」の改正が行なわれ、けん銃使用の壁が低くなったことがその原因だと原田氏は指摘している。その背景には、治安悪化を理由とした警察権力の強化、裏金等で権威失墜し現場でのトラブル多発、公務執行妨害事件≠フ多発、等がある。
 原田氏は木製の警棒が金属製の折りたたみ式になり、一方でけん銃使用の基準(@取出し、A構え、B威嚇射撃、C相手に向けて撃つ、の4段階)が緩和され、警棒が有効に使われなくなった傾向があるとしている。そして、「犯罪の凶悪化、治安の悪化を理由に、Nシステムを始め、けん銃の使用、職務質問など、国民の気がつかないところで、警察権力が強化されている。国民の監視が必要だ」と強調した。

D住民訴訟の行政裁量について
 ここでは「違法である。しかし、責任はない」という、厄介な問題が取り上げられている。全国都道府県議会議員軟式野球大会への参加に対する公費支出をめぐって示された最高裁の判断において、「議会による、先行原因行為が違法である場合に、先行原因行為のために必要な支出等の手続きを行った当該職員に損害賠償責任を問うことができるための要件」が示された。
 実にわかりづらい設定だが、議員の野球大会への公費支出が違法であっても、それが「著しく合理性を欠き、そのための予算執行の適正確保の見地から看過し得ない瑕疵がある場合でなければ」随行職員らの支出を違法とはいえない、というもの。つまり、上司の職務命令(旅行命令)で野球大会への随行を指示された職員は、職務命令に重大かつ明白な瑕疵≠ェない限り、命令に従う義務を負い、命令に従った責任もない。これを職務命令服従義務論というのだそうだが、とんでもない論≠ナある。
 報告は、行政裁量をどこまでも尊重≠オ誰の責任も問わないこの論理に対して、「最高裁はどこまで免責するのか」と怒る。さらに、頑張って住民訴訟で勝利しても、議会が認定された返還請求を放棄する議決を行なったら、判決も無になるということまである。実にとんでもない事態であるが、こんなことでめげないのがオンブズマンの本領である。

E大阪からの報告
 市民グループ「見張り番」からの報告は、「大阪市の厚遇問題、同和補助金問題について」であった。もう旧聞になるが、2008年のオリンピック誘致に手を上げた大阪市が使った税金が最低でも900億円とされ、市民への負担がまだ残っているという、主催地福岡とも関連する報告から始まった。そこから、変身スーツ、ヤミ専従、ヤミ昇給、ヤミ年金・退職金などの取り組みが紹介された。
 これらは、一方で労使交渉で勝ち取られたものや、既得権・便宜供与に関するものでもあるが、労働者としての正当な獲得物であるといえるか疑問とするところである。このことは、芦原病院や飛鳥会への税金投入における部落解放同盟の関わりについても指摘できる。差別行政との闘いによって勝ち取られた成果が、いつしか利権となり、今日の腐敗・堕落を招いたのではないか。その総括が問われている。

 以上が分科会の報告だが、せめてその一端なり私も見習いたいと思っている。読者の皆さんも身近な自治体行政のあり方の目を向けていただきたい。ちなみに、「中学社会・公民的分野」(大阪書籍)がオンブズマンの全国大会≠紹介している。これは中3の娘が使っている教科書だが、「市民の立場に立ち、行政に対する苦情や救済の申し立てを処理したり、行政を監視したりする人をオンブズマン(又はオンブズパーソン)といいます」と説明されている。その名に恥じない仕事をしなければと身が引き締まる思いだ。(折口晴夫)


色鉛筆   介護日誌 14  「私はうつ?」

 底知れない疲労感と、ゆううつな気分の日が続く。注意力散漫で、空のやかんを火にかけたり、家の鍵などを無くすことの連続。ささいなことでイライラかっかするかと思えば、反対に涙が止まらなくなる時もある。思い返してみても「笑った」という記憶はずっと無く、膀胱炎などにもかかり、いよいよ心身ともに下り坂の一途をたどる。
 そんなある朝、母の部屋の襖をどうしても開けられなくなってしまった。私の心も体もそれを拒んでいる。「おはよう」と一歩踏み出せばいいのに、それがどうしても出来ないのだ。
 厚生労働省によれば、介護する人の4人に1人が欝症状だと目にしたことがある。母に介護が必要になって3年半。それでもひどい認知症や徘徊、重度の寝たきりでもなく、また夫と妹との「3人4脚」の恵まれた介護だといえる。
 それでも私は腹をくくり、朝の介護は夫にすべて任せ、その他も出来るだけ手を抜くことにした。訪問看護士によるあれこれの指導(腰を伸ばすだの、おむつのお尻を時々外気に当てるだの)も、日々の着替えも、毎日のむべき下剤さえも、私の気持ち次第で止めてしまった。むろん葛藤もあったが、つとめて無視をした。
 少しづつ効果が現れ、2ヵ月近くたって気持ちもだんだん穏やかになってきた。そんな、少しほっとしていたある日のこと、母に突然「異変」が起きた。
 夕方4時半過ぎ、デイサービスから戻った母の車椅子を、玄関の上がり口に寄せ、いつもの様に「さあ靴を脱いで」「熱いお茶がいい?冷たいの?」と声をかけたのだが、その日の母は、まったく動かず返事もない。仏像のように座ったきりまるで反応が無いのだ。仕方なく23センチもの段差を必死で押し上げ(いつもは私がズボンの腰部分を引き上げると、自分の足でどうにか上がれる)室内用の車椅子に移す。そこでいつもならすぐに自分から動くのに、じっとして動かない。私は汚れ物を洗濯機にかけ、お茶を用意しながら様子をみるが、やはりまったく動かない。思いついて今日のデイサービスに、日中の様子を電話でたずねてみると「お変わりなかったです。」という。その間にも母にあれこれ声をかけるが「・・・あれ」「・・・ことばが出てこないだよ・・・」
 帰宅した夫によれば、昨晩の夕食後も同じように1時間ちかく、促されるまで座っていたという。後から支えられての歩行も、今日は足がもつれてまるで力が入らない。いよいよ脳梗塞?私の不安はどんどん大きくなる。
 その日は週末なので、ハラハラどきどきしながら妹の家に送った。
 さて翌々日「大丈夫だったよ。」と戻ってきた。なんのことはない、あの異変はただ疲れていただけだったのか、それとも母に思うところがあったのか(例えばストライキとか)は謎のままだ。
 それまでは母に対して、(あれもやろうとしない、これも)と不満だらけだったのが、それ以来母が何をしても「ああ、ありがたい」「ここまでやれる」と感謝する気持ちに変わった。とはいえしばらくするとまたもとのもくあみ、「また〜!」「もお〜!」「自分でやって!」。
 それにしても、これだけ変化の激しい、老人の介護度はよほど慎重に柔軟なものでなければと思う。
 母を介護中だと言うと、たいていの人は「大変だね」と言う。『より清潔、楽、簡単、快適』でありたい現代生活だが、母との生活はいつもその対極にある。よごれものや臭い、なにをしていても有無を言わさず中断される等など、これらはいつも多くの介護者たちに背負わされている日常だ。そしていつも心の病気や、ひょとして虐待などの犯罪にいたるかもしれない危険性をはらんでいる。
 「認知症の親を殺めし記事あれば、切り抜きており5枚になりぬ」(大和市・岩下勝明、10月9日朝日新聞・朝日花壇より)。
 真に「美しい国」なら、こんな記事があってはならない。(澄)


連載 グラフで見る高校生の意識調査 1

この程、「男女共同参画社会に向けての高校生アンケート調査報告書」−2005年兵庫県芦屋市、尼崎市、西宮市の県立高校生3200名を対象に− のタイトルのパンフレットを入手しました。作成に関わったのは、兵庫県男女推進委員連絡会議・阪神南の方たちです。昨年2月から3月にかけて実施されたアンケート調査ですが、今年の10月にやっと出来上がったそうです。調査結果を項目ごとに統計を出し、答えた高校生の思いを綴った文も丁寧にまとめるという手の込んだ作業がなされています。せっかくの貴重な報告を私が見るだけではもったいない! と思い読者の皆さんにも紹介します。全部で15項目あるので、1項目ずつの報告となります。

 このアンケートは、県立高校全15校の2年生を対象に実施され、男子1700人、女子1566人、計3266人の回答を得ました。調査を実施したのは、兵庫県知事から委嘱を受け阪神南地域で活動する兵庫県男女共同参画推進員です。
 目的は「男女共同参画社会とは、男や女であるというまえに、ひとりの人間としての人権を、互いに尊重しつつ責任を分かち合いながら、個性豊かに生き、社会のあらゆる分野に参画する社会です。こうした社会の実現に向け、若い世代の男女共同参画についての意識や考え方を知るためにこの調査を実施しました」。
 内容については、高校生にとって身近なことがらを中心に選んでいます。兵庫県が13年前に実施した「高校生の女性問題に関する意識調査」と同じ内容の項目もあります。13年前と現在との変化や、世代による意識の違いを見ることができます。
 推進員の作成に向けての熱い思いをどうぞ。
「この調査から浮かび上がってきた高校生の意識は、現在の社会を大きく映し出しています。今までの社会の価値観や習慣にとらわれず、若い世代が個性と能力を発揮し自らが選んだ人生を悔いなく生きるためには、今の社会の何が妨げになっているのか、あるいは、何が必要なのかをこの調査結果から読み取ることが必要でしょう。皆さんは、これらの結果をみて、どんな感想をお持ちになるでしょうか」。

問1 学校生活の中で次の@〜Gの役割や行為は男性・女性どちらがするものだと思いますか?
@学級委員長 A生徒会長 B文化祭の実行委員 C部活動のリーダー D部活動のマネージャー E授業中の発言 F重たい荷物を運ぶ G会議の司会・進行 (グラフは紙面の関係上、@Dのみとします)
@ABEGの項目については、男女どちらも70〜80%以上の人が「両方するもの」と答えています。これらに比べ、「C部活動のリーダー」は男女の考えの違いが大きく、「男子・どちらかといえば男子」と答えた男子は33%で、女子よりも約18%多くなっています。「D部活動のマネージャー」は、男女共に約70%が「女子・どちらといえば女子」と答えています。一方「F重たい荷物を運ぶ」は男女共に「男子・どちらかといえば男子」と答えています。

 部活動のリーダーとマネージャーの役割は、社会の一般的な家庭を形成する男女の関係に似ているように思います。夫はリーダーシップをとって家庭を引っ張っていく、妻は夫に従い家事育児に専念する、というように。学級委員長・生徒会長については、実際に女子が選ばれていることもあり、かつての男子がなって当たり前とした固定観念は、変わりつつあることを表わしています。市会議員・国会議員もこれにならって、男女同数に近づけたいですね。   (恵)   案内へ戻る


闘いの現場から
「教育基本法の改悪を止めよう!10・10国会前集会」に夫婦で参加して

 アンチ「心の総動員」、通称あんころの「教育基本法の改悪を止めよう!10・10国会前集会」に夫婦で参加してきました。秋晴れの中、汗ばむ陽気でした。
 当日は、前日の北朝鮮の核実験があったので、余り外に出ない方がよいのでは、風向きが心配だ、との冗談が言い合ったのですが、私は専門部の旗を持っての参加が決まっていたので勝手に止めることは出来なかったのです。
 18時から19時までの一時間の集会でしたが、私たちは時間にゆとりがあったので、近くの憲政記念館をじっくり見てから参加しました。いつも思うことは、ここに来る人は団体が中心であり、私たちのような来訪者は稀で館内がいつもがらんとしていることです。
 日本の議会がどのようであったかについては、もっと関心を持つべきだと考えている私には、大変残念なことです。しかしその分展示をじっくり眺めることが出来たのですから皮肉という他ありません。いったことがない人には是非一度いくことをお勧めします。
 さて、集会は、衆議院第二議員会館前の道路で行われました。つまり国会議事堂の真裏に当たります。そこで大声を上げるのですから気分は爽快です。集会は二十代の女性の司会で運営され、私にも発言してと言われ準備もしていたのですが、最初は渋っていた地区教組執行部の執行委員発言を譲り、地区での闘いを報告させて、集会を盛り上げることに貢献してきました。私の地区からは、全分会百十一から十一名の結集をさせることが出来ました。地区では、十月下旬には、神奈川での集会、十一月九日には、地区教組の十割動員集会を開催し、十一月十二日のあんころの野音全国集会への参加も予定されています。
 集会での発言者は、順不同で挙げておけば、主催者側の三宅晶子氏、福島瑞穂社民党党首、共産党議員、神奈川の人、香川の人、名古屋の人、教育法研究者、被処分の会会員、予防訴訟原告団団員、憲法の人等と多彩でした。最後に首相官邸まで移動してシュプレヒコールを行い集会を終えました。結集人数は四百人でした。
 この国会前集会は、三度目で、九月二十六日には豪雨の中で七百五十人の集会が凭れました。その後十月三日にもつまり毎週火曜日の定例集会がもたれることになったのです。
 次回は十月十七日の同時刻に同じ場所で集会を開きます。皆さんの参加を呼びかけて、報告を終わります。ともに闘いましょう。 (直記)


2006.10.15.読者からの手紙

なにかの終わりか始まりかを予感させる北朝鮮の核実験

 イラク戦争で私どもは何を学んだか? イラクに(現象的)には核兵器がありやなしやで、なしという結論に至らせないためにあり≠ニ断定して、強引にアメリカさんがやった戦争というのが誰しもの抱く思いであろう。
 北朝鮮がない≠フにあり≠ニしてやられるなら、本当にある≠アとを選んだのが今度の北朝鮮の行動といわれれば、道理としてはたしかに筋が通る。しかし、この行為が核拡散防止条約に真っ向から対峙する意味をもつのは、多くを言わなくとも分かることだ。それも、この事件によって諸外国の様々な思惑と現状がかなり明白にさらけ出され、政治°yび国際情勢に、イヤでも注目せざるを得ない目が覚めた′果はあったが、そんな呑気なことでもないと改めて気付かないようである。
 さて、私は戦中・戦後は小学生〜中学生位の年齢であったから、痛ましい子のチビさん≠フ運命が私どもの幼少期とその後の状況と二重写しになり、気になってしようがない。あってはならない、忘れてはならない事実として、どんな方法でも記録にとどめなければと思うし、それ位のことしかできそうにない。
 何が正常で何が異端かはいろいろ論じられてきたが、一休さんの狂歌の如く、最低限の生存権は、地球上のすべての人々が保障されるべきだというのは、それには深くて遠い先の夢≠ニもいえそうなジグザグで、多くの試行錯誤を重ねても近づきうるだけのことかも知れない。
 さて異常か異端をより生存のましな状況に他を同化していく道行きの方法として、寛容≠ェ説かれた。その手続きとしてかなんと呼ばれるか知らないが、同化をめざして寛容=iホラル・ルアンダの映画の如く−たとえ異質であっても受け入れ、手をさしのべる、許容、千手観音の理念)が一つの方法。もう一つが包囲≠フやり方。大阪城を攻め落とす方法を思い起こされたい。まず外堀を埋めさせ裸の城(城の性格も主人を守るために下臣があるという形が、作られたのが現在にも影響を及ぼしているようだ)そして包囲≠オてつぶす、屈伏させるやり方であろう。
 北朝鮮は最後に残された裸の城=|その理念はもう説明せずとも明らかだろうが、私の持論不平等であっても対等でありうる≠ニいうことと、中身を問わないならば現れ方は同じところがある。
 北朝鮮のやり方は分からないでもないが、子っちびさん≠フ運命を思った場合、核という武力≠ナ廃墟しか残さぬ核武装という脅迫の力をつけるために、子っちびさん≠生み出してもしようがない、というのはとても肯定できない。しかし文化に力点をおく私は、ペンにどんな力が残されているか。これまでそれ故にジャーナリズムの受け手の立場を貫いてきたのだが・・・。嫌われながらも上から下まで写し批判の火種として、そのお道具としてTV派だったのだが・・・。北朝鮮の事件を機に、良き報道のあり方をさらに探ってもらいたいもの。
 目的≠フためには手段≠選ばずには私は組しない。ましてヒロシマ・ナガサキの経験を持つ日本の一人として。反戦≠ヘわかっていても、どうもシンから体ごと動かないという正直な告白を聞いたこともある。それぞれが今度の北朝鮮のありように、自らのありようというか社会の流れとの接点を、改めて考えてみようとされる方々もあろう。
省略
 大本営発表に懲りた世代の私たちは、歴代の学≠る人々が、民衆レベルでみんな学者≠ナあってほしい−知識人であって欲しい−というのを悲願としてきたが、これがきっかけとなればいいなと思う。
 庶民の食卓に「マッタケ、アサリ・・・は食べません」という庶民の対応、全くスットポケていて海の男たちよ、海を泣かすな≠ニいう歌とは全く反対のものだが、まあホロ苦い笑いといったところ。韓国も貧しいんだなと想像を掻き立てられる。食わいやー≠ニいうところか。すさまじい歴史をどう乗り越えてきたか? 知性・理性と本能というせめぎあいに、こういうとらえ方も図式にすぎないのか? 宗教とは? 民族とは? 政治とは? なんぼ長生きしても時間が足りない。
 若者たちよ。これからですよ。体を大切に。沖縄の花、真赤なハイビスカスが大輪の2つの花を咲かせていた。 2006・10・10 宮森常子


読者の声・・・Today考

 私の居る田舎では椰子の木がどこにでもある。椰子の花の蜜をあつめてハクルという黒砂糖ににた甘味やラーという酒をつくる。
 ラーは英語でトデイー、日本人の感覚からいうとドブロクだ。これは一日たつと甘味がぬけて酢になる。だから大手の酒造会社では、生のままでは使えないから加工してアラックという一種のウィスキーにする。
 ラーは750mlで35円程度、大衆の嗜好品だ。しかしどっこい最近は特に取締りの眼が厳しくなって、大ぴらには飲めない。大衆が自由に造り自由に味わえるのは、官憲の目の届かないところだけだ。アルコールは国家収入の大きな財源だ。女房達の造る漬物同様、亭主達がラーを造って農作業が終わっあと一杯やる楽しみは、国家の手で奪わねばならない。
 一方カシップという密造酒もある。日本でも戦後メチル・アルコールが盛んにつくられて、中には目がつぶれた人もいたとか。健康上の理由ならカシップと違ってラーにはあまり問題はない。
 天然そのものだから度をすごさない限り健康飲料だ。アラックやビールはあたりまえの生活をしている人では、結婚式や娘の初潮の祝いぐらいしか飲むことが出来ない。ヨーロッパや日本の5%以下の収入の人達が手の届く値段ではない。スリランカに来た当時はいつもラーの密造や運搬でつかまっている者達を白い眼で見ていたが、警察の公然たるワイロ強要や政治家の金まみれの状態を見るにつけ、私の同情はとみに密造者達にむけられている。<スリランカ・松田>


奥六郡の俘囚の長・安倍頼時の第二子・宗任と現代安倍家三代

 時の人となった安倍晋三総理は、時々ワープロの転換ミスで阿部と表示されていることがあります。そこで絶対に間違えないための歴史上の豆知識を一つ紹介しておきます。
 安倍晋三総理の父・晋太郎氏と話をしたことがある古沢襄氏は、自分のサイトで、私が岩手県の出身だといったら「安倍家のルーツも岩手県」と応じてきた晋太郎氏からは「安倍宗任の末裔なんだよ」と聞いたことがあり、その後、平成十七年十月一日より合併により遠野市宮守町になった宮守村の村会議長だった阿部文右衛門氏とも四方山話をしていたら「安倍晋太郎は東北の王者だった安倍一族の末裔だ」として裏付けとなる石至下史談会の「原姓安倍氏 豊間根家の栞」を送っていただいたとのこと。
 その栞の「前九年役の敗北」の項に、「安倍宗任、正任は朝廷軍に降り、肥前国松浦(まつら)また伊予国桑村に流罪、宗任は後、宗像郡大島で生涯を閉じ、地元安昌院に眠る。(天仁元年 1108)。七十七歳であったという。宗任の末裔は今は亡き自由民主党幹事長の要職にあった安倍晋太郎氏で又、子息の晋三氏は父の跡を継ぎて、衆院議員の要職に奔走されている」と平成十一年時点での記述にあった古沢氏は語っています。
 しかし何事にも慎重な古沢氏は、『姓氏家系大辞典』三巻で、陸奥の安倍氏をさらに調べると、「『肥筑の安倍氏』の項目に、鎮西要略に『奥州夷安倍貞任の弟宗任、則任俘となり、宗任は松浦に配され、則任は筑後に配せらる。宗任の子孫松浦党を称す』と載せたり。宗任の配所は小鹿嶋なりと伝ふるも詳かならず」、「さらに『筑前の安倍氏』の項目には、筑前国宗像郡大嶋に安倍宗任の墓と称するものあり。伝えて云う。『宗任伊予国に配流せられ、後本嶋に流され、終に此の地にて死せり。その子三人、長子は松浦に行き、松浦党の祖となり、次男は薩摩に行き、三男此の嶋に留り嶋三郎季任と云い、その子孫今に此の嶋に残れり』旧志略に見ゆ」とあったとのこと。このように古沢氏は、旧志略の方が鎮西要略よりも詳しいこと、そして両者とも安倍氏は配流された蝦夷の頭目という扱いになっていることを明らかにしました。
 しかし古沢氏によると別の説もあり、『平家物語』では、剣の巻に、『宗任は筑紫へ流されたりけるが、子孫繁盛して今にあり。松浦党とはこれなり』とあるとのこと。確かに平家は西国の水軍と密接な関係があり、松浦党はまさしく水軍で、後に博多湾に来襲した蒙古の軍船と壮絶な戦いを演じて、勇名を轟かせた事はよく知られております。
また宗任の墓がある筑前国宗像郡大嶋は、水軍の根拠地となっています。この松浦党は壇ノ浦の海戦で平家方についたが、同時に源氏の恩顧も忘れていません。先の『平家物語』にも「源義家の請によりて、宗任を松浦に下して領地を給う」との記述があります。
 伝承では安倍頼時の長子貞任は猪突猛進型の武将だったが、宗任は知略に優れた名将といわれ、安倍一族を滅ぼした源頼義・義家親子は、宗任の武略を惜しみ、死一等を減じて朝廷から貰い受け、頼義の領地・伊予国に連れてきたが、配流とは名ばかりで、間もなく松浦の領地を与えられていると古沢氏は語りました。
 「さて安倍家が松浦姓を名乗らずに安倍の本姓を名乗ってきたのは何故であろうか。安倍家は山口県大津郡油谷町の名門で、晋太郎の父親は安倍寛、戦前の衆院議員である。晋太郎は自らを安倍宗任と末裔といったが、その根拠はいわなかった。私は宗任の長男が祖となった松浦党の系譜ではなく、水軍の根拠地・大嶋に残った三男の末裔でないかと思っている。それなら安倍の本姓を名乗ってきたことの説明がつく。安倍家には、その言い伝えが残ったのであろう」と古沢氏は推察しております。
 ここで問題となる前九年の役とは、表向きは朝廷の支配に反乱したからとされていますが、実際は「金・駿馬などの奥六郡の財宝と安倍氏掌握の北方交易によるアシカ、アザラシの皮などの珍宝等を、頼義が手に入れるための私戦に等しい」と今では地元で判断されています。端的に言えば、権力を笠に着た新興勢力による土着勢力討伐だったのです。さぞかし宗任らは無念であったでしょう。一族を滅ぼした憎き敵に情けをかけられて宗任とその子孫は生き延びることができたのですから、子孫に反骨と反権力意識が強まっていったことは想像するに難くありません。
 安倍晋三氏について三回もコラムで取り上げた防衛庁OBの太田述正氏も、公開されている自分の第一回目のコラムで、
「彼らはその敵であったところの、前九年の役やその続編とも言える後三年の役で力をつけた新興武家勢力が、内ゲバである源平の戦いを経て、朝廷に代わって日本の権力を握るプロセスを、故郷から遠く離れた地で反権力意識を心底に潜めつつ複雑な思いをして見守り、複眼的歴史観を培ったことと思われます。
 安倍一族の末裔としての矜恃と反権力意識、そして複眼的歴史観を身につけていた考えられるのが、晋三の祖父、安倍寛(かん。一八九四〜一九四六年)です。
 寛は、山口県出身で、東大法学部を卒業後出身地の日置村長、山口県議を経て、衆議院議員に当選するのですが、大政党の金権腐敗を糾弾するなど、清廉潔白な人物として知られ、大変に人気が高く、『今松陰』『昭和の吉田松陰』と呼ばれていたといいます。
 特筆されるのは、彼が時の権力に阿ることも時代に流されることもなく、先の大戦中の一九四二年の翼賛選挙に、大政翼賛会の推薦を受けずに無所属で出馬し当選したことです」と記述しています。
 この安倍寛氏に補足すると、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、安倍寛(あべ かん、一八九四〜一九四六年一月三十日)は、日本の政治家。元衆議院議員。安倍晋太郎(元外務大臣)は長男。安倍晋三(衆議院議員、現内閣総理大臣、自民党総裁)、岸信夫(参議院議員)は孫と紹介し、来歴・人物については、「山口県大津郡日置村(後に油谷町に分割→現長門市)出身。安倍家は代々地主であり醤油醸造業、酒造業等を営んでいた。東京帝国大学法学部を卒業後、日置村長、山口県議会議員などを経て、衆議院議員に当選。大政党の金権腐敗を糾弾するなど、清廉潔白な人物として知られた。大変に人気が高く、『大津聖人』『今松陰』『昭和の吉田松陰』『今高杉(高杉晋作)』と呼ばれていたという。いわゆる“ハト派”であり、第二次世界大戦中の一九四二年の翼賛選挙に際しても非推薦で出馬当選した。戦後第一回の総選挙に向けて準備していたが、直前に心臓麻痺で急死した。若いころ、脊椎カリエスをわずらうなど、健康的には恵まれなかった。長男の晋太郎が後継者という事にはなるが、政治家として晋太郎が国政の場に立ったのは、寛の死後十二年経ってからの事である。非常な人格者として知られ、晋太郎と娘との結婚話が持ち上がった岸信介が、『大津聖人の息子なら心配ない』と語った」と先祖のことには触れていないものの「清廉潔白な人物」として記載しています。
 ここ紹介された安倍晋太郎氏については、同事典で「東京市四谷区(現・東京都新宿区)に安倍寛、静子夫妻の長男として生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。『晋太郎』の名は、明治維新の志士であった高杉晋作の一字を取って命名された。父の安倍寛は村長、山口県議を経て、昭和十二年(一九三七年)の第二十回衆議院議員総選挙で衆議院議員となった。同期には三木武夫、赤城宗徳がいる。反骨精神旺盛な気性から軍部に対しても一歩も引かず、悪名高い翼賛選挙でも非推薦を貫いて選挙戦に臨んだ。安倍が幼い頃に両親は離婚していたが、安倍にはその事実は伏せられて母は死んだと教えられていた。しかし、山口県立山口中学校(現山口県立山口高等学校)に進学した際に母親が生きていて東京で再婚していると聞かされる。安倍は二度に渡り上京し、母親の居所を探すが再会は叶わなかった。山口中学から一浪した後岡山第六高等学校に入学。翌年東京帝国大学法学部に推薦入学する。学徒動員で海軍に入隊する前夜、父親から母について家の事情で離婚したことと、再婚して子供をもうけた(この異父弟が、後に興銀最後の頭取となる西村正雄である)が、その後亡くなったことを聞かせられる。敗戦直後、父と祖父を相次いで亡くす。戦後、東大に復学。東大卒業後毎日新聞社に入社する。入社試験では、面接の時、父親のように将来は政治家になると正直に自分の希望を吐露した。毎日新聞では社会部記者を経て、政治部に移った。政治部記者としては、可もなく不可もなかったといわれる。岸信介の長女、洋子と結婚し、昭和三十一年(一九五六年)岸が石橋湛山内閣の外相として入閣したのを機に毎日新聞を退職し外相秘書官となった。病気のため、石橋が退陣し岸内閣が成立すると、安倍は首相秘書官となった」と記載しています。
 この記述から、父子間の複雑な事情と葛藤が読み取れ、寛氏の急死がなければ、岸氏の長女との結婚にはひょっとしたら一波乱あったかも知れないことが予想できます。
 ここまで細かなことを書き綴ってきましたが、私が一番言いたいことは総理の書いた『美しい国へ』では、先祖の話はもちろん、祖父と書いたらそれは岸信介氏にしか意味しておらず、寛氏には一切触れていないことを批判したいが為です。アイデンティティを何かにつけて強調する安倍氏の言行不一致は強く批判されなればなりません。常識で考えても誰にでも先祖と父方と母方の双方に祖父は一人ずついるのですから、安倍晋三総理の偏頗で歪んだ不公平な態度は何を恐れて隠しているのかと糾弾に値します。保守を自認しながら先祖も自分のもう一人の祖父についても一切語らないからです。そして安倍寛氏の戦前の政治的経歴は充分注目に値するものですから、やはりこの事実に触れていないのはゴーストライターが書いた証拠だとこのことだけで断定できるほどの失態ではありませんか。
 なぜ阿部総理は安倍家の先祖と父方の祖父に触れなかったのでしょうか。私には想像出来る気がします。それは現在の自分の政治的立場にふさわしくないからだとするしかありません。ベストセラーとなった『美しい国へ』では、安倍総理は岸氏等がA級戦犯との評価は正しくないことまた言葉を尽くして天皇と天皇制を賛美しております。まさに手放しの褒めようです。しかし、祖父の寛氏は「反骨精神旺盛な気性から軍部に対しても一歩も引かず、悪名高い翼賛選挙でも非推薦を貫いて選挙戦に臨んだ」ことから分かるように時の権力に逆らった人物です。岸氏とは対極にある政治家だったのです。さらに自分の先祖は天皇に対して何をしたのでしょうか。表題にある俘囚とは、朝廷の支配下に組み込まれた蝦夷のことで、これに対して朝廷の支配に反抗的な蝦夷を夷俘と呼んで歴史的には区別してきました。朝廷の立場から言えば、安倍頼時等は、一旦は恭順したものの何度も反乱を企て天皇を裏切ってきた実に不誠実な人物なのです。したがって安倍総理の現在持っている説明能力では、この二つの事実は実に重たいものであり、どんな弁明をしたらよいかどうしても想像もつかないからに他なりません。
 安倍総理は自らを「たたかう政治家」だとしていますが、言葉の本来の意味からすれば、当然にも時の権力と闘うことなのですから、先祖と祖父の闘ってきた事実を、自らひた隠しに隠したことは、自ら自分は敷かれたレールの上を走るだけしか出来ない二代目政治家であることを問わず語りに語っているとしか私には考えられません。   (稲渕)


闘いの現場から
 九月二十九日、私の所属する地区教組の第三百八回中央委員会が開催されました。この中央委員会は、賃金闘争の他、臨時国会での教育基本法改悪攻撃にいかに反撃するかについて論議する大切な機関会議となりました。私も会員である労組交流センター教育労働者部会でもこの中央委員会についての各分会でのとりくみを確認していました。
 参集する各分会中央委員に会場前で部会情宣を配布することから当日の闘いは開始されたのです。開会直後の委員長発言では、「日の丸・君が代」に対する九・二一東京地裁の違憲判決には一切触れなかったのです。なんたる不手際ではありませんか。現場組合員の感覚とずれている執行部の体質が浮き彫りとなりました。このことは部会関係者の発言の追い風となりました。討論に参加した中央委員のほとんどが部会関係者でした。
 またまた答弁時に、書記長が「まだ一審判決だから」との失言をしてしまったのです。この発言については、ただちに「三審あるではなく、地裁の判断だ」との反論がなされました。情勢を静観するしか能がない執行部の体質が露呈しました。教育基本法改悪策動を粉砕するため闘いの教科を求める発言が続きました。執行部のとりくみに対する不満が噴出しました。こうして私たちが中央委員会の論議をリードしていったのです。
 第一号議案当面の闘争推進に関する件については、五分会から合計十六本の中央委員会史上初めての大量修正案が提出されました。執行部の答弁と討議の中で、修正案は五本に集約され採決されました。採決時の参加中央委員の総数は九十二で、過半数は四十七と確認されていました。採決で可決した修正案は二本でした。可決数は、教育基本法についての修正案は五十、九・二一東京地裁の違憲判決に関わるものは五十三でした。
 可決された提案を紹介します。―一括起項(一)政府案も民主党案も、ともに廃案をめざしてたたかいます。(二)日神教組に、国会闘争の強化を要求しとりくみます。また○教組でも国会闘争の強化を職場から追求します。(三)教基法の改悪を止めよう!全国連絡会の呼びかける国会闘争と11・12野音全国集会に職場から参加します。起項(五)卒入学式における「日の丸・君が代」反対のたたかいを強化するため、9月21日に出された東京地裁判決の内容をもって、各地教委へ違憲の「指導文書の撤回」と「処分撤回」の申し入れを行います。以上―
 その他の三本についても半数に迫る勢いで残念ではありました。こうして私たちは闘う方針を確立しましたが、肝腎なのは実行することです。しっかりと執行部の実行を確認していきます。
 全国の仲間の皆さん、教育基本法改悪策動を粉砕するため一緒に闘いましょう。(猪瀬)   案内へ戻る