ワーカーズ332 2006.11.1.       案内へ戻る

教育基本法が危ない、今すぐ行動を起こそう!戦争国家化、格差拡大を許すな!

 安倍内閣は、教育基本法の「改正」案を、臨時国会の最重要課題に位置づけ、首相の私的諮問機関「教育再生会議」を発足させた。そして、十月二十五日には改正の趣旨説明を強行し、十月三十日から、いよいよ「教育基本法特別委員会」での審議が開始される。この間、衆議院補欠選挙での勝利を背景に、強行採決が予想されていた共謀罪等を先送りし、当面の安倍内閣の全精力を、教育基本法改悪一本に絞ったかのごとき展開ではある。
 今回の安倍教育改革の中心課題である教育基本法「改正」の二大柱は、「愛国心」と「教育再生」プランだ。愛国心教育批判に多言は要しない。問題は、「公立学校の再生のため」、全国的な学力調査を実施の上結果を公表し、「国の監査官による学校評価制度」による保護者の学校選択制導入と自治体の配布のクーポン券で学校を運営する「教育バウチャー制」導入だ。今まさに日本の戦後義務教育制度の根幹が変えられようとしているのである。
 この事で、日本の階級支配を支え、日本の労働者民衆を幻惑してきた「中流幻想」は完全に払拭され、決定的な時代への突入となる。こうして、階級闘争の時代が現出する。私たちは、この画期的な時代の到来を、日本の労働者民衆に知らしめなければならない。
 折からの北朝鮮の核実験に対して、自民党が率先して巻き起こす排外主義の嵐と敵基地先制攻撃論や核保有是認論が大手を振って台頭している。私たちはこの汚い策動に乗せられてはならない。労働者民衆の反撃が求められている。自分の真の敵は誰かを知ろう。
 十月三日の百五十名の院外集会の開催以来、国会議事堂の裏手では、日教組現場組合員の自主動員による座り込み闘争やハンガーストライキが今日に至るまで継続している。そして、十月十四日、全労連と全教は二万七千人集会を敢行した。十月二十六日、日教組も八千五百人集会を組織した。十一月二日にも五千人規模の中央集会が予定されている。
 教育基本法改悪案と同時期に審議が開始されている国民投票法案と防衛省法案とは密接不可分の三位一体の関係にある。今こそ、東アジアでの戦争を弄び核保有を高言し格差社会を拡大する安倍内閣を退陣にまで追い込んでいく歴史的な闘いに、断固として立ち上がろう。そして、憲法改悪を許さないためにも、まずこの前哨戦に全精力を傾注し、自民党等を完膚無きまでに痛打して、勝利を自らの手にしようではないか。  (直記彬)


破産宣告済の安倍教育改革

二周遅れの安倍教育改革

 十月十八日、安倍内閣は、臨時国会の目玉として、教育基本法の「改正」案を最重要課題に位置づけ、その第一段階として首相の私的諮問機関「教育再生会議」を発足させた。そして十月三十日から「教育基本法特別委員会」での審議が開始される。この「教育再生会議」等のメンバーの人選については、書きたい事は山ほどあるが省略する。
 今回の安倍教育改革の中心課題である教育基本法「改正」の二大柱は、「愛国心」と「市場原理」の導入だが、その安倍構想の原点は、一九八八年以降サッチャーの行った教育改革である。しかし、現在英国連邦では、サッチャー教育改革の見直しが始められているのだ。その意味において、安倍教育改革とは、二周遅れの時代錯誤の教育改革なのである。
 周知の如く安倍首相は、官房長官時の著書『美しい国へ』の中で、「教育の再生」について、実に二十七頁も割いている。今、ここで私たちが確認すべきは、安倍総理のサッチャーの教育改革に対する呆れ果てるほどの思い入れと手放しの絶賛ぶりである。
 現在、当の英国では、「これのまでのように上から現場を締め付けるのではなく、教師や学校を信頼する教育体制に変える必要がある」と教育改革を推し進めた張本人・現野党の保守党が政権奪取のために言い募り始めたのだ。しかし、安倍総理にこうした英国連邦保守党の問題意識は一切ない。何よりも象徴的なのは、「誇りを回復させたサッチャーの教育改革」という見出しだ。全く時代錯誤としか言いようがない。本当に安倍総理がかく考えるのなら、その二十余年後の検証は単に必要なばかりではなく、当然の事として、持論の正当性の誇示のため、不可欠となることは明白だ。しかし、その検証は一切なく、現在に至るまで、一九八0年代後半の英国連邦でのサッチャーの教育改革の全体像は全く見えていない。なるほど、自分に都合が悪い事は全て歴史家の判断に委ねる安倍総理の事だけはある。しかし、「調査なくして発言権なし」は、忘れてはならない真理なのである。
 今回安倍総理が最優先課題と位置付ける教育基本法「改正」案では、「愛国心」問題が注目されている。しかし、この愛国心問題に勝るとも劣らない重大問題は、安倍教育改革の導入で、現行の日本の義務教育システムが、決定的かつ劇的に変わる事なのである。
 安倍総理は、先の著書等で、「ゆとり教育の弊害で落ちた学力を取り戻す。国語・算数・理科の基礎学力を徹底させる。全国的な学力調査を実施し、結果を公表するべきだ」とし、「サッチャー改革のような国の監査官による学校評価制度」の導入を唱え、「公立学校の再生のため」には、父母が学校を選べる学校選択制が必要だとして、自治体が配布するクーポン券で、学校を自由選択できる「教育バウチャー制」導入を唱えている。さらに、来年の通常国会には、現行の教員免許を、十年に一度見直し能力や実績のない教師の免許更新を認めない「教育再生法案」も提出する方針だと公言して憚らない。安倍教育改革の目玉のいずれを取ってみても、サッチャーの教育改革の強権的手法そのものなのである。

教育荒廃の極み―校長不在校の増大

 では、英国連邦で行われたサッチャーの教育改革とは一体何だったのか。その二十余年後の検証を行うことにしょう。確かに八0年代、サッチャー保守党政権は、「英国病」と表現された経済停滞を、国民の教育水準アップで回復しようと決意する。そして、連合四国であった英国連邦においては、教育の地方分権のため教員たちの自由裁量が強かったが、これに対して取った手法とは、中央集権化と「市場原理を持ち込む」事だった。
 具体的には、一九八八年の教育改革法で設けた全国共通カリキュラムと統一学力テストが二本柱で、九二年には実施の進捗状況を確認するため、学校現場の教室の授業を実際に監視する独立行政機関・教育水準局が設置された。人員は五千人以上、調査期間は一校あたり数名で一週間という徹底ぶりなのである。
 現在の英国連邦の義務教育は、五歳から十六歳までで、小学校が六年と中等学校が五年である。この計十一年を、四つの「キーステージ」(段階)に分け、各ステージの最後(七、十一、十四、十六歳)に、英語・算数・理科の三教科の統一学力テストを受けさせるというものだった。例外として七歳児は理科の統一学力テストはない。
 このサッチャーの教育改革は、九七年からのブレア労働党政権下でも強化され、全国規模の成績到達目標まで定められた。七歳児の結果報告こそないものの地域ごとの成績一覧表にして公表される。この結果、全国の小中学校は学力テストの成績で輪切りされ、各校ごとに「水準」に達した生徒の割合も公表される。メディアも各校の「実力」を実名で書き立ててきた。そして親には学校選択権が与えられ、学校への予算配分は入学者数でなされる事になった。これは親に学校という商品を選ばせる市場原理を適応した体制へと移行した。こうして廃校に追い込まれた学校は今までに百校を超えたと伝えられている。まさに「成績の悪い学校を名指しして晒し者にする体制」ができあがったのである。
 当然のことながら親たちは、こうしたデータを参考にして、わが子を少しでも上位の学校に入れようと必死になる。かくして個々の学校は、文字どおりの自由競争にさらされ、全体の実力が底上げされる筈だった。ところが現実は、それほど単純で甘くはなく、その果実は苦かった。社会構造について無知なサッチャーのもくろみははずれたのである。
 今や、イギリスでは、「サッチャーの教育改革は失敗だった」との反省が強まり、導入を始めた保守党内からも「(現行の)教育体制に終止符を打つ」といった声まで、上がっているのだ。では、一体、何が弊害となったのであろうか。
 それは、統一学力テストの実施の際、各学校が自分の学校の平均点を落とさない対策を取らざるをえない事態と直面したことにある。こうして六0年代日本の全国学力テストに対する対応と全く同様の対応をイギリスの各学校が取ったのであった。すなわち、当時英国連邦に出向していた日本人は回想した、「日本人生徒は英語力がないから受験させない方が得だと思ったのでしょう。うちの子は『受けなくていいですから』と言われた」と。これは、日本の愛媛県等でも実際起きたことで、成績が悪い児童には、欠席や出席停止を強要する対応があったのである。
 さらに学校間格差ばかりでなく、地域格差にまで広がった。入学希望者が、上位校の近所に引っ越すようになったため、周辺の地価が上がったのである。その結果、上位校に入学できるのは、富裕層の子どもだけとなる。こうして、サッチャーの教育改革は、義務教育全体を底上げするどころか、いま進行している格差社会を是認する現象が、次々と生み出され、拡大するようになってしまったのである。
 また軽視できない事として、子どもの「ストレスが高まった」点を挙げる事ができる。小学生の子息を抱えるロンドン在住のジャーナリストの阿部菜穂子さんも、0六年二月の講演で、「テストのある七歳児と十一歳児の約三分の一がストレスを感じ、十一歳児の四分の一が自信が無いと答えたというデータがある。夜眠れない子や心身症の子も増えている」と話している。私たちはこの事実にもっと注目すべきではないか。
 現在、英国連邦では、信じられない事態が出来している。それは、0六年に全英校長会が地方教育局資料で、全体の二十%を抽出したところ、公立小中等学校二百五十七校で、校長職が空席だったのだ。これを全国レベルに換算すると校長不在の学校は、千三百校、生徒数では五十万人になる。サッチャーの教育改革による荒廃は信じがたいほどの驚くべき事態を出来させている。こうした状況下、現在の英国では、「(テストで測れるものが)本当の学力か」「読み書き、計算などの基礎は上がっても思考能力は上がっているのか」との根本的な論争が起きつつあり、各学校間で競争させ学校自由選択制を導入した事で、「成績が良く生徒の人数が多いところに予算が優先配分され、学校間格差が広がった」事への反省が起こっていると伝えられているのだ。これは安倍教育改革に対する根本的批判である事は間違いない。まさに歴史的な愚行が再び演じられようとしているのである。
 安倍総理は、イギリスでサッチャー教育改革の根本的な点について、こうした大胆な論議がされているのに、なぜ今に至るまで一切沈黙しているのであろうか。安倍総理がとぼけて答弁しないのも尤もと言わざるをえない。

イギリスで進む再教育改革

 こうした弊害が表面化する中で、連合国家である英国連邦四地域の中でも、イングランドの教育改革への抵抗が強く、元々独立指向のスコットランドに加え、ウェールズ・北アイルランドでも、サッチャー教育改革を否定する動きが強まっている。かくして、この反動として英国連邦では、教育の地方分権化の回復が着々と進められているのだ。
 北アイルランドやウェールズは、すでに学力テストの結果公表を止めて、来年度までに、学力テスト自体を廃止する。0六年五月には「イングランド校長会」が、年次総会で、イングランドでも学力テスト結果の公表の廃止を全会一致で決議した。この事は実に決定的である。こうした折も折、日本では来年から、小六と中三に、日教組等の反対で止めていた全国学力調査が実施される。全く異常な事態ではないか。これを見ても、安倍総理に他国に学ぶ謙虚さと自国の政治に対する歴史的反省がない事が分かるというものだ。
 私自身何度か助言を聞いた事があり、英国教育事情に詳しい首都大学東京の大田直子教授(日教組全国教研講師団員)は、「そもそもサッチャー元首相が目指したのは(当時の)日本の公立学校制度だった」と語る。さらに、ブレア政権下でも、市場原理導入だけではなく、底辺校の学力向上のための救済措置を加えるなどの修正も施されたと解説する。「そうした内容や制度を細かく吟味することを抜きに、市場原理導入だけを優先すれば、日本の公立学校は解体してしまう」と、移民労働者の児童の学力底上げとして始まったサッチャー改革を解説した。まさに安倍総理は、思いこみの激しい一知半解の「天才」ではある。
 教育学者の大内裕和氏やジャーナリストの斎藤貴男氏も、「これで学校間格差ばかりでなく、地域格差にまで拡大する。イギリスばかりでなく、日本でも人気校近くに越したり、送り迎えできる富裕層と貧しい層の格差が絶対に広がる。本当はリーダーになるべき人だけが教育に恵まれればよいと思っているのではないか。学校は『いい材料(入学者)を仕入れて、いい製品(卒業生)を出荷する』場所になる」とまで的確に警告している。
 安倍教育改革は、既にイギリスにおいて完全に破産宣告されている。この決定的事実は実に重いのだ。さらに国会の答弁において明らかになった如く、過去の歴史に何ら学ぶことのない安倍総理の歴史認識の異様さと厚顔無恥は歴代総理中で際だっているのである。
 二十年前のサッチャー教育改革を全く無反省に後追いし、すでに破産宣告済の安倍教育改革を的確に暴露して、東アジアでの「戦争を弄び核保有を追求して格差社会を拡大する」安倍内閣を退陣にまで追い込んでいく歴史的な闘いに、今こそ断固として立ち上がろうではないか。憲法改悪を許さないためにもまず前哨戦で勝利しよう。      (直記彬)案内へ戻る


  「危機づくり」のキャッチボール――北朝鮮核危機のマッチポンプ――

 米国の思惑に乗って「六者協議」という枠組みを作ったにもかかわらず、とうとう北朝鮮に核実験を許し、北朝鮮を9番目の「核保有国」にしてしまった。
 このことは同じ朝鮮半島の韓国も含めて日米中三カ国にとって外交上の大失態だ。が、同時に日米の強硬派にとっては言葉にこそは出さないがこの上ない援軍にもなっている。現に北朝鮮の核実験は、発足したばかりの安倍政権にとっても大きな追い風になっている。それだけ北朝鮮を震源とする北東アジア地域の危機の持つ意味は、単に対外関係としてのみならず、国内の政治構造に与える影響もきわめて大きい。北朝鮮の核をめぐる危機に対しては、関係国による表向きのやりとりの裏で進行する事態をも複眼的に見ておかないと、事態はいっそう悪化する。

■究極の瀬戸際政策

 北朝鮮は核燃料となるウラン濃縮技術をすでに保有していたことから、すでに何年も前から核能力を誇示してきた。なぜ北朝鮮は核兵器製造技術とミサイル技術の保有を強行するのだろうか。
 一つには日米韓による北朝鮮包囲網に対する恐怖心だ。
 これは旧ソ連による保護がなくなった影響が大きい。北朝鮮にとって米国による武力攻撃は絵空事ではなくまさに現実的驚異だった。そうした驚異の中で生存してきた孤立した弱小国家として最後のよりどころを核保有に求めたのは、それがどんなに非理性的で無謀なものであったとしても、パワーポリティックスの必然的な結果の一つだ。
 二つには体制防衛だ。
 いうまでもなく北朝鮮の金正日体制というのは旧ソ連の崩壊以後、一段と独裁体制を強化してきた。その前の金日成体制もそうだったが、金正日政権が拠って立つ体制の存続最優先の先軍政治はそれを行き着くところまで推し進めたものだ。国内の支配体制としても、秘密警察や収容所の存在などをあげるまでもなく今では世界でも最悪の統制国家で、その上、国民を体制にとっての危険度から5つの「成分」に括り、それを分断支配するという統治構造は、現存する世界のどんな政治体制と比べても最も抑圧的なものといえる。こうした体制は、食糧危機やエネルギー不足など、国民生活を犠牲にしてのものだからなおさらだ。止むことのない脱北者の流出がそうした北朝鮮の極限の閉塞状況を物語っている。世襲で権力者を継承したことも含めて、こうした政治体制を金正日を中心とする一部の特権層が牛耳る「金王朝」といわれる所以だ。
 その金王朝による核実験と核保有は、極東に深刻な危機をもたらすと同時に、周辺国のナショナリズムを増幅する役割しか果たさないのは当然のことだろう。北朝鮮がおかれた孤立状況は核実験によって緩和されるどころか、いっそう孤立を深めるだけだ。しかも核実験が対外的な孤立状況のなかでの、支配体制の温存のための取引材料と強行されたことは明らかで、弁護の余地はない。

■日米中の打算

 就任したばかりの安倍首相はさっそく北朝鮮の核実験に怒ってみせたが、金正日政権を核保有に走らせてきた責任の一端はいうまでもなく自分たちのものであることを押し隠している。米国や日本は、冷戦時代から対ソ、対中、対北敵視政策を推し進め、軍事的な包囲網にとどまらず、経済的、政治的包囲網を作り上げてきた。それが旧ソ連の崩壊をもたらした一因でもあったわけだが、一方の中国が「社会主義市場経済」の名の下に資本主義化への道を歩んできたのに対し、北朝鮮は金王朝を守るためにすでに失敗が明らかになった中央統制型の経済システムに固執してきた。その破綻を先軍政治とかいう独裁体制を維持するために対外的な瀬戸際政策を多用するようになったのは追いつめられた金王朝の悪あがきだとしても、封じ込め政策がもたらす当然の結果の一つだからだ。たとえ失敗国家でもある独裁政権といえども恫喝に屈するとは限らないからだ。だから北朝鮮の核実験と核保有は、米国をはじめとした帝国主義勢力の封じ込め政策の一つの必然的な結果なのであり、自分たちのやってきたことの反射行為なのだ。
 安倍首相を含む日本の対北朝鮮強硬派は、北朝鮮の核実験や核保有の責任を「対話派」の屈服路線に求め、自分たちの制裁や対抗措置の正当性を強弁している。が、強硬派こそ対北朝鮮強硬路線一辺倒の立場に固執し、そうした北朝鮮封じ込め政策そのものが金正日政権の瀬戸際政策を呼び込んだことに対してほおかむりしている。彼らは02年9月の小泉首相と金正日の首脳会談と日朝平壌宣言に対してさえ米国と一体になって軌道修正させたのだ。その首脳会談では、金政権はいったんは拉致事件を謝罪し、解決の糸口をつかみかけていた。彼らは拉致問題の解決や日朝国交正常化そのものが自分たちの存在と軍事大国化や自国の体制維持のためにはむしろ避けたいというのが本音だ。
 北朝鮮の核実験は、安倍首相を含む強硬派のこうしたマッチポンプ式の危機増幅政策そのものの結果というべきなのだ。
 その北朝鮮の最大の脅威となってきた米国にとって、北朝鮮いじめは対中国包囲網の材料であり、また世界での「帝国」づくりの材料だった。北朝鮮の核開発は米国にとって当面の脅威ではなかったが、それを叩くことによって対中包囲網の形成や「悪の中枢」論による米国一国支配づくりを狙っていた。が、実際は「六者協議」の幹事役を押しつけた中国へへの依存を余儀なくされ、また日本や韓国の核武装論を呼び込む結果をもたらすという、日米安保体制の将来に不透明要素を呼び込む結果となった。
 その中国にとってはどうなのだろうか。
 中国にとって北朝鮮危機はどう転んでもプラスにはならない。中国が避けたいのは、北朝鮮が韓国に併合されるなどして米軍が駐留する韓国と国境を接して対峙する事態を招くこと、あるいは北朝鮮の体制が急速に崩壊して中国に膨大な難民が流れ込んでくることだ。だから現状維持が最も好ましいというのが現在の中国の立場だ。
 その中国も江沢民政権以降、北朝鮮を米国との対峙関係の緩衝地帯として位置づけてきた態度を若干修正しつつある。それは北朝鮮に対する中国の統制力が限界を持ったものであることに関わっている。
 もともと中国はあの朝鮮戦争で義勇軍を送り込んだことから、北朝鮮とは「血でうち固められた団結」という同盟関係にあり、実際にどちらかが武力攻撃された場合他方は「直ちに全力を挙げ軍事上の支援を与える」という条項を含む中朝友好協力相互援助条約を結んでいる。しかし近年の北朝鮮の瀬戸際政策などで、中国はその条項を棚上げしているともいわれる。その理由は中国のコントロールを離れた北朝鮮の暴発によって、自動的に米国の武力攻撃の矢面に立つ事態を避けたいとの思惑が背景にある。現に、北朝鮮が核開発を認めた02年2月には北朝鮮向けの石油パイプラインを「事故」を理由に3日間止めたとももあった。これは第二次朝鮮戦争の悪夢を恐れる中国が、「血の同盟関係」も絶対のものではないことを金正日政権に知らしめる意味合いを持っていた。
 こうした経緯でも明らかなように、中国は中長期的に米国の一国支配を阻止し、米国に対峙していくために経済発展が至上命令なので、現時点で米国と軍事的な衝突はなんとしても避けたいというのが本音なのだ。
 結局は中朝同盟といってもいまでは国益優先で、それだけ同盟関係も国益優先の打算的なものに変質してしまっている。だから北朝鮮は、中国が国益優先の立場から北朝鮮を見捨てるのではないかと疑い、それに対して、あえて暴発する可能性もちらつかせながら中国の裏切りを牽制しているのだ。

■NPT体制の欺瞞

 今回の北朝鮮の核実験に対しては米国や日本のみならず、国連で制裁決議が採択されたように大多数の国が北朝鮮の核実験と核保有を非難した。それは核拡散に対する嫌悪感と危機感を背景にしたもので、一面では当然のリアクションといえる。が、このことは同時に現状の核不拡散体制=NPT体制の欺瞞と限界を露わにした。
 周知のようにNPT体制というのは国連安保理の常任理事国でもある米・ソ・英・仏・中による核保有の独占を前提として、それ以外の国の核保有を禁じるものだ。なぜそうした不平等条約ができたかといえば、核不拡散システムをつくりあげるためには米国を中心とする戦勝国のヘゲモニーに依存する以外になかったからだ。しかもその五大国はすでに核保有国だったことから、5大国の核保有を受け入れた上で、それ以外の国の核保有を禁ずることになったわけだ。いわば実効性の担保と妥協の産物だ。それでもNPT体制が受け入れられた唯一の条件が、いわゆる核保有国の核廃絶への取り組みだ。たしかに核保有国の核兵器を免罪にしたまま他の国の核保有だけ禁止するというのは明らかな二重基準で、その土台の上では核不拡散体制などできるはずもなかった。それを可能にしたのが核保有国の核廃絶に向けた取り組みだったのだが、その肝心の保有国の核廃絶の取り組みが形骸化しているのみならず、米国などの核兵器の小型化などによる「使用できる核兵器」づくりなど、むしろ核の独占が固定化されているのが現状なのだ。
 こうした全くの二重基準、空洞化という現実があるからイスラエルを始め、インド、パキスタンなどがすでに核保有国になるという、核不拡散体制の空洞化が進んでしまったのだ。
 こうした核不拡散体制の空洞化について、政府や自民党など、あるいは大多数のマスコミなどは正面から異議を唱えていない。なぜかといえばNPT体制に変わりうる対案を示せないからだ。それを示せるのは国家間対立と軍事整合性と利害関係を持たない、全世界の労働者や市民による核廃絶の闘いと善隣友好の取り組みだけだ。国家間の「対話と圧力」などによっては永遠に軍拡競争は止めることはできない。もし本気で北朝鮮の核保有をやめさせたいと思うなら、北朝鮮に核放棄を突きつけるとともに、同時に米国などに対しても即時の核廃絶を突きつけなければならない。が、そうした国や公認メディアなど存在しないのが現状なのだ。
 繰り返すが、核の危機を終わりにすることができるのは、「封じ込め」でも「強い国家」でも「制裁」でもない。唯一の被爆国である日本の労働者や市民を含めた、中国、韓国、北朝鮮の労働者や民衆による「核廃絶」の闘いと善隣友好の連帯の拡大だけだ。(廣)


核保有論の野望

■北朝鮮による核実験の強行で、さっそく飛び出たのが自民党の中川政調会長による「核保有の議論は必要だ」という10月15日の発言だ。
 この発言に対し、安倍首相は即座に日本の非核三原則の堅持と政府としての核保有論議を否定した。安倍首相によるこの否定発言は、北朝鮮の核実験が日本の核保有論を呼び起こし、ひいては日本が対米自立と自主武装路線に転換するのではないかという諸外国の懸念が存在するのを念頭に置いてそれを否定して見せた、というものだった。
 が、こうした政府や自民党の要人があえて核保有をほのめかす意見を表明し、政府がそれを否定してみせる、という構図は何も今に始まったことではない。
■その政治的意図は、国民意識を転換することにある。
 それはあの敗戦で不戦・非武装という憲法の精神を身をもって受け入れた人々に対して、その壁を何とか突き崩したいという意図が自民党の中にあるからである。現に中川政調会長に続いて麻生外相も「どうして持たないことになったのか議論することを含め、論議することまで止めるのは言論封殺といわれる。」「北朝鮮の核保有を前提にすれば、極東アジアの状況は一変した。そういう国が隣に出てきて日本は今のままでいいのか。」と、核保有論議を奨励するかのような発言を繰り返している。
 さらには自民党の新人議員でつくる「伝統と創造の会」(稲田朋美会長)が25日、核保有論議の口火を切った中川昭一政調会長を講師に招き、来月にも勉強会を開くことを決めたという。まるでこうした核保有論議を失速させまいとするかのような意図が丸見えだ。
 いまでは安倍首相まで政府の建前だけをのぞいて核保有論議を容認することで、実質的にはそうした論議の扉を開ける事態になっている。
■安倍首相が建前として政府内の議論を否定しながら、実質的に核保有論議を容認したのはむしろ当然だ。これまでの数多くの核保有論の口火を切った一つが当の安倍首相なのだ。
 記憶に新しいことだが、02年6月の安倍官房副長官(当時)が早稲田大学で「法理論と政策論は別だが、核兵器の使用は憲法上、問題ない」と講演した経緯もある。それへのフォロー発言で福田官房長官(当時)が「国際緊張が高まれば、国民が『持つべきではないか』となるかもしれない」という非核政策の転換発言も飛び出した。
 こうした繰り返させる「失言」が実は失言でも何でもいない。国民の非核意識になんとしても風穴を開けたい、という自民党の野望が隠された「意図的発言」なのだ。
 政治レベルでのこうした思惑は、今では自民党だけに存在するのではない。現在は野党である民主党も同じ穴のムジナにすぎない。現に02年の安倍発言の直前の02年4月には、自由党の小沢一郎党首(当時)が、訪中時に「(日本が)核兵器を作るのは簡単だ。その気になったら原発のプルトニウムで何千発分の核弾頭ができる。大陸間弾道弾になるようなロケットを持っている」と中国を牽制する発言をしている。
■政府や自民党のみならず、野党の民主党も含めてなぜこうした核保有発言が次々と出てくるのだろうか。それは今回は詳しく触れないが、すでに『ワーカーズ』でも何回か取り上げているように、国民の圧倒的多数の非核意識に対して、現実は核開発と核保有に向けた非公式な、いわば核保有プロジェクトとでもいうべき事態が相当の段階まで進められているという現実がある。日本の核保有はすでに技術的・法制的には目の前にある現実だ。残るのは米国やアジアの反発と国民の反発というハードルである。
 安倍首相をはじめとして中川、麻生といった核保有の野望を抱く面々は、そうしたハードルを可能な限り低くしたいという思惑も込めて、ことあるごとに核保有論に道を開く声を観測気球としてあげているのだ。
■こうした声に対し、久間防衛庁長官は「核兵器が抑止力になり、他国が核兵器を持つことをやめればいいが、逆に核競争になることだってある。将来的には核兵器を持っている各国も廃絶してもらいたい。」と発言し、一見すると防衛庁は核保有に否定的な態度を打ち出している。
 しかしこの発言も政治的意図のバイアスがかかったもので、手放しで評価することはできない。防衛庁は、仮に核武装するという事態になれば、それだけ責任も重大になるし諸外国や国民の圧力にも晒されることになるし、今はその準備ができていないということなのだ。軍事問題に関しては、政府にしても防衛庁にしても、今すぐ可能なこと以外はとりあえず否定してみせる、というのが基本的なスタンスになっているからだ。それは日本の支配層にとっての常套手段でもある。これはあの敗戦で非戦・非武装を受け入れたのも、敗戦直後での再軍備など内外ともに受け入れ不可能だと知っていたからだった。同じように再武装にあたって「自衛」の看板を設定したのも、あるいは日米安保で極東条項を作ったのも、すべてそういう打算からだった。
 それが着々と軍備増強を重ね、海外派兵や武力行使が可能な段階にくると、周辺事態法や有事法制づくりで、今では憲法改定が彼らの目標になっている。いわば武力の段階によって課題設定もまたランクアップされる、ということなのだ。
■自民党・政府の核保有論に公認を与えてはならない。(廣)案内へ戻る


闘いの現場から
地区教組に闘いの強化を求める修正案の可決報告

 九月二十九日、私の所属する地区教組の第三百八回中央委員会が開催されました。今回の中央委員会は、来年度賃金確定闘争の方針の他、臨時国会での目玉となる教育基本法改悪攻撃に対して、私たちがいかに反撃するかについて論議する重要な機関会議となりました。私も会員である労組交流センター教育労働者部会でも、この中央委員会の重要性から各分会でのとりくみを確認していたのです。
 当日は、参集する各分会中央委員に対して、会場前で部会情宣を配布することから闘いは開始されました。中央委員会開会直後の委員長発言では、「日の丸・君が代」に対する九・二一東京地裁の違憲判決に一切触れなかったのです。何たる不手際ではありませんか。この事により、勝利判決を話題にして久しぶりに精神が高揚した各分会の現場組合員の感覚とずれている執行部の体質が浮き彫りとなりました。同時にこの事は部会関係者の発言の追い風となったのです。今回討論に参加した中央委員のほとんどが部会関係者でした。
 またまた「日の君」勝利判決について、被処分者である当該中央委員の追及と市教委への働きかけを求めた事に対する緊迫した答弁時に、この勝利判決について「まだ一審判決だから」との失言を、書記長はしてしまいました。この発言については、ただちにある中央委員から「三審あるのではなく、地裁の判断だ」との的確な反論がなされ、中央委員会の場で情勢をただただ静観するしか能がない執行部の体質が露呈してしまったのです。こうして、教育基本法改悪策動を粉砕するため闘いの強化を求める各分会からの発言が続きました。執行部の教基法反対のとりくみに対する不満が次から次と噴出して、私たちは中央委員会の論議を見事にリードしていき、今回私たちは勝利したのです。
 第一号議案当面の闘争推進に関する件については、五分会から合計十六本の中央委員会史上初めての大量修正案が提出されました。執行部の答弁と討議の中で、修正案は五本に集約され採決されたのです。採決時の参加中央委員の総数は九十二で、過半数は四十七と確認されました。実際に採決で可決した修正案は二本です。可決数は、教育基本法についての修正案は五十、九・二一東京地裁の違憲判決に関わるものは五十三でした。いうまでもなく、各分会の代表一名で構成される中央委員会で、この種の執行部批判ともなる修正案が可決されるのは極めて異例のことで、それほど私たちの質疑に対する執行部の対応はまずく、参加各中央委員の反感を買ったから可決したとの判断をする他ありません。
 可決された提案を紹介しておきます。―一括起項(一)政府案も民主党案も、ともに廃案をめざしてたたかいます。(二)日神教組に、国会闘争の強化を要求しとりくみます。また○教組でも国会闘争の強化を職場から追求します。(三)教基法の改悪を止めよう!全国連絡会の呼びかける国会闘争と11・12野音全国集会に職場から参加します。
 起項(五)卒入学式における「日の丸・君が代」反対のたたかいを強化するため、9月21日に出された東京地裁判決の内容をもって、各地教委へ違憲の「指導文書の撤回」と「処分撤回」の申し入れを行います。以上―
 その他の三本についても半数に迫る勢いで、まったく残念な結果とはなりました。こうして、私たちは地区での闘う方針を確立しましたが、当然のことながら肝腎なのは実行することです。しっかりと執行部が方針を実行するのを確認していきたいと考えております。
 全国の仲間の皆さん、教育基本法改悪策動を粉砕するため一緒に闘いましょう。(猪瀬)


闘いの現場から
八千五百人集会と演壇占拠未遂事件と日教組本部指導の真実

 十月二十六日、日比谷野外音楽堂において、「教育基本法改悪阻止!10・26日教組緊急中央行動」が開催されました。北海道から沖縄まで全国の津々浦々から参集した日教組の現場組合員は八千五百人です。北海道からは四百人の大量動員がありました。「なんとしても教育基本法の改悪を阻もう」との熱い思いから自発的に結集したのです。その結果、野音の会場外にも、組合員が溢れました。実にひさしぶりのことです。しかし、集会では、日教組組合史上第四回目の日教組「非常事態宣言」を、高橋睦子日教組副委員長が読み上げましたが、「教育基本法改正については国民的合意が形成されていないから慎重審議を要請する」との従来の立場を一歩も踏み出していない呆れ果てた内容でした。
 これについて、広島県教組や東京教組の組合員を中心に、「森越委員長を出せ」「委員長は何をしている」「本部はストライキ方針を出せ」等の怒号とヤジが飛び交いました。そして、血気にはやった広島県教組の青年部組合員が演壇に上がり込み、私たちに発言させろとマイクの奪い合いの小競り合いが始まったのです。組合員は静観しています。しばらくして、舞台裏から、本部役員や書記が飛び出して彼らをやっとの事で排除しました。
 この間、日政連議員の挨拶が強行されたのですが、会場の組合員は、拍手をし続ける本部支持派と静観する演壇占拠容認派の二分状況でした。広島県教組の行動に対しては登壇してまで阻止しようとの各県教組役員も彼らの行動を非難する怒号もヤジも一切ありませんでした。ここに来て始めて、中村譲書記長が、森越委員長が参加していない理由を明らかにしたのです。何と海外出張しているというではありませんか。たぶんウィーンでしよう。確かに、集会は緊急行動として取り組まれたものでしたが、委員長が不在の中で計画されたとは考えても見ませんでした。まさに日教組の「非常事態宣言」ではありませんか。ハワイ沖で原潜が実習船と衝突・沈没事件が発生したのにもかかわらず、平然とゴルフを続けた森喜朗元総理と森越委員長が全く同じ政治感覚なのに私は驚かされたのです。
 これでは八千五百人集会の本質は現場組合員を慰撫するためのアリバイ作りとガス抜きだったと非難されてもやむを得ません。日教組本部は教育基本法改正を阻止するため闘う意思が本当にあるのでしょうか。それとも一九九五年文科省とのパートナー路線を選択したため、全く闘えない組織に成り果ててしまったのでしょうか。私はそんな日教組を許すことが出来ません。憲法改悪の一里塚である教育基本法改悪と全力で闘いましよう。
 商業新聞もしんぶん赤旗も、十月二十六日の日教組集会に出来した事態を、一切報道していないので、真実を知る者として、その日の事を書かせていただきました。 (笹倉)案内へ戻る


反戦通信−12 「南から新風を!いよいよ沖縄県知事選」

 米軍再編の動向や新しくスタートした安倍政権の基盤を左右するとして、県内外から強い関心が寄せられいる沖縄県知事選挙(11月2日告示で19日投票)が始まる。
 革新側は4年前の雪辱をとげるため、野党統一候補として現職の参院議員である糸数慶子氏(59)=社民党、社会大衆党、共産党、民主党、自由連合、新党日本推薦=を擁立して今回の知事選にのぞむ。
 一方の保守側は現在の稲嶺県政の継続をめざして、前県商工会議所連合会会長の仲井真弘多氏(67)=自民党、公明党推薦=を擁立した。
この2人以外にも、琉球は独立をめざすべきとの主張を展開する屋良朝助氏(54)=琉球独立党党首=も出馬する意向である。
 しかし、保革2人による事実上の一騎打ちとなる見通しだ。
 保革とも立候補者の選出にはそれぞれに手間取り、両陣営とも立候補表明が遅れた。特に野党側は、4年前の知事選で野党分裂となり惨敗をきしたこともあり、早い段階から野党5者協議会などを頻繁に開き、勝てる統一候補者の擁立をめざした。
 ところが、野党協議会に下地幹郎氏の政党「そうぞう」が参加したこともあり、統一候補者の政策をめぐり対立が激しくなり、基地反対を最大の政策とするグループは元読谷村村長・山内徳信氏を統一候補者として推薦、これに対して「そうぞう」の下地氏も立候補宣言するなど、一時はまた野党分裂選挙になるか?と思わせた。
 だが、さすが今回は野党関係者も県民の期待=革新知事の復活を、裏切れない思いを強く持っており最後の調整に乗りだした。その大役を引き受けたのが糸数慶子氏であった。
今地元では、「ギリギリの会」というポスターがあっちこっちに貼られているようだ。これは、糸数氏を応援する市民グループが、野党統一候補としてギリギリで糸数氏が選ばれたところから命名した会の名前である。
 彼女は読谷村出身で、バスガイドとなり「平和バスガイド」の語り部として、さらに県会議員としての活動、そして2年前の参議院選挙で野党統一候補者となり参院議員になった人である。社会大衆党も現職国会議員の議席を失う覚悟で糸数氏を統一候補者として擁立した。
 では、今回の知事選の争点は何かと言えば、言うまでもなく米軍の普天間飛行場の移設問題である。
 1995年以降の日米間や政府と県の交渉で、移設先は辺野古沖と決まっていた。ところが、今年5月の在日米軍再編の日米最終合意により、キャンプ・シュワブ沿岸部V字形滑走路建設案へと変更になった。
 稲嶺知事はこの日米の頭越しの変更に態度を硬化させ、V字沿岸案は容認できないと表明、さらにシュワブ内での暫定ヘリポート建設案を打ち出した。だが政府は県の案の可能性を否定している。普天間移設措置協議会は8月29日に発足したが、政府と県の対立は依然と続いており、次回の会合は知事選後に持ち越しとなった。
 この普天間移設に関する候補者の対応は以下のようである。
 稲嶺県政の継続を表明する仲井真氏は当然稲嶺知事と同じ考えで、「現行のV字形案には賛成できない。暫定ヘリポート整備を含めあらゆる方策を検討。地元の意向に配慮しつつ政府と協議し解決を図る」と述べている。
 一方の糸数氏は、「辺野古沿岸案(V字形案)、新基地建設に反対。普天間基地の即時閉鎖・返還を求め日米両政府に働き掛ける。移設措置協議会に参加し反対を表明」すると述べ、普天間の国外移設を主張している。
 現在米軍は、航空機騒音などの被害に日々脅かされている地元住民の負担減などはまったく考慮せず、軍事戦略優先の論理を押しつけている。
 米空軍はF16戦闘機の後続機となる次世代戦闘攻撃機F35Aを、米国外基地では唯一嘉手納基地に配備することを検討しており、今後10年以内に嘉手納基地に二飛行中隊の少なくとも54機が配備されるとの見通しを示した。
 さらに、地元自治体の強い反対と現地での抗議行動にもかかわらず、対空誘導弾パトリオット・ミサイル(PAC3)の嘉手納基地への配備をも強行した。
 また、在沖米海兵隊はフィリピンでの合同演習に参加していた普天間飛行場所属のヘリ8機と給油機1機が帰還途中の11月2日に、宮古の下地島空港を使用する通知を出した。魅力ある下地島空港の恒常的な使用をめざしている。
 なお、陸上自衛隊がこの宮古島に200人規模の部隊を配備させ、新たな基地建設をすることを発表した。
このように在日米軍の再編以降、沖縄では「基地の負担軽減」どころか、「基地の機能強化」や「新たな負担増」が着々と進んでいる。
 米軍再編の内容を見れば、日本の自衛隊がアメリカの軍事戦略の中に組み込まれて、米軍と一緒に海外で闘うようになることが懸念される。特に憲法をはじめ国内法が改正されれば、まさに歯止めがなくなる。
 そのような中で、沖縄の人々はアメリカの軍事戦略に反対して、普天間飛行場の辺野古移設を10年間反対し続け止めたのである。大きな役割を果たしたと言える。
 今回の知事選は、この意味ではアメリカの軍事戦略に反対する闘いでもある。大きな歯止めを勝ち取るためにも、沖縄の糸数氏に応援のエールを送ろう!
 スポーツ界では、北の大地から「新庄旋風」が吹いた。政治界に南の島から「糸数新風」を吹かせたい。(若島)


「原子力空母配備の是非を問う」住民投票条例の制定を求める運動の開始

 この十月一日、横須賀市で、「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」が設立され、住民一人一人の意思を確認するため、「原子力空母配備の是非を問う」住民投票条例の制定を求める運動が始まりました。
 この運動が開始されたのは、直接には、蒲谷現横須賀市長が、先の保守間での一騎打ちとなった市長選挙において、原子力空母配備に反対する立場を表明して市長選を勝ち抜いてきたとの事実があったのです。こうして神奈川県知事・横須賀市長と家族住宅建設予定地を持つ横浜市長の原子力空母母港化の反対陣形は出来上がったかに見えました。その防衛施設庁は姑息な対応を積み重ねる中で、横須賀市への原子力空母母港化に不可欠となる米軍家族住宅の建設地として、逗子市池子地区と隣接する横浜市金沢区六浦地区とする決定について、中田現横浜市長の支持を取り付けました。もちろん松下政経塾出身者の中田市長に、関係地区住人の声を聞くとの謙虚な姿勢は一切ないのです。まさにトップダウンでありました。当然にも中田市長は原子力空母母港化にも賛成していくことになります。こうして情勢は一段と厳しくなっていったのですが、当初は反対のポーズを取ってはいたものの同じく松下政経塾出身者である松沢現神奈川県知事も横須賀市の原子力空母母港化止むなしの政治的決定を、これまたトップダウンで一方的に広報していったのです。
 こうして横須賀市の母港化反対の住民は、この間横須賀市住民に対して「原子力空母配備の是非を問う」ことがなかったとの事実を踏まえ、自治体の首長は、重大な問題の決定に当たっては、住民投票で決することを求めて、「住民投票条例」の制定を求める運動の開始しました。今母港化阻止を勝ち取るための具体的とりくみに私たちは踏み出すのです。
 そのためには横須賀市住民の個々の署名を集める選挙管理委員会に登録した受任者を大量に集める必要があります。しかし、横須賀市に住む国家・地方公務員は、政治活動の制限の対象となるため、排除されてしまうので、まずは受任者をどれだけ確保できるかが当面の課題です。ぜひとも受任者を確保し、有権者の五十分の一、七千百十二名以上の署名捺印を取り、「住民投票条例」の制定を求める運動を成功させなければなりません。
 日米安保体制の本土における首都圏の要に位置する横須賀市から、こうした運動が開始されたことをお知らせしたく筆を執りました。(笹倉)


かつどう≠見せてもろて

 先日、図書館へ本を返しに行った。偶然、館内の広告かつどう、みえへんか?≠ニいう、まるっきり口語体の宣伝広告を見かけ、見せてもらうことにした。3Fの一角を小劇場のように舞台はデコデコと飾り付け一切なし、楽隊も和洋ごちゃまぜで、スクリーンと同じ平面に椅子が片隅に陣取って置いてある。
 まずは、昭和3年作のカツドウ≠フ説明を学者(一応)さんから聞いた。弁士の方のカツドウ≠フ製作、上映に関する「ヨモヤマ話」を面白く拝聴した。さて、実録忠臣蔵≠ェ始まろうとする時、舞台の片隅の楽隊の中に、さっきカツドウ≠説明した学者がいた。大阪昭和初期(私はまだ生まれていなかった)の文化にまで及ぶ説明(大阪の文化はごった煮の雑炊のような文化という結論らしい批評)をしてくれた学者さんがなんと楽隊の一人だった。たしかバイオリン弾きでもあるという思わず笑ってしまう楽隊、この興行のありようが、大阪南部の文化のありようを物語るようで、大変興味深かった。
 さて、弁士のお年のわりに美声の弁を聞きながら無声映画を見た。赤穂のイモ≠ェいじめられている最中に、画面にカンシンの股くぐり≠フ映像が一瞬画面にうつったのがある。これは、赤穂のイモ侍まるだしのタクミノカミの不幸と重ねあわせて、いじめ≠浮き立たせるためであったと想像する。しかし昭和3年の大衆にもなじんだ赤穂の仇討ち≠フお話と、韓信の股くぐりとは同質のものではなかろうが、チョッとうつしてみるという重ね合わせの手法にひきつけられる。いじめ≠浮き立たせさらに効果を狙ったものとすれば、中国古典文化が昭和初期に、しかも大衆娯楽にまで入り込んでいたものだろうと想像を掻き立てられる。どのように受け入れられたのかも再考を要するものと思う。
 最近の状況から、中国古典のひき立て役のいじめ≠フ効果をもくろんだいじわる≠カいさんの計とも言えそうだが。最近の要請に合わせて新たにスクリーンにチラッと登場させた試みならば、余りに作為的というか二つの中国と日本の話を同じものとしてくっつけた(つなぐ)とすれば、少々無理があるのではないかとも思う。
 さらに弁士さんの上映前の説明紹介はさすが(経験談−裏ばなし?)だと、とても面白く聞かせてもらったが、上映中の弁にはアドリブを入れうる余地が無かったように見えたが、なぜだろう?テーマが堪忍袋の緒が切れて&s当なお裁きを受けるという、しんどいテーマなるが故に、判官びいきの価値観に水をさすアドリヴは、言いにくかったかも知れない。
 そこでクチャクチャひねくり回すのが好きな私の文明批評的なほじくるネタができたと、じっくり画面と語りを頭に叩き込んでおこうと、面白いだけでない観劇(映画)となり、さらにタダ≠ナすまんなと思わざるを得なかった。映画花よりもなお・・≠みているし、坊ちゃん≠うらなり≠フ視点から見直されているように、一瞬かすめた中国古典が日本でどのように受け入れられてきたか、と問いも生まれる。
 明治以来、日本は欧米に文化にぞっこんで受容し影響もされてきた故に、東洋の盟主たりうると錯覚した。アジアの中で最も進んだクニ≠ニ錯覚してきたようにも思われる。学生であった頃、学生演劇でもフランスを知ったり学んだりすることで、アジアの中心の華たりうるという情緒がそここに感じられたものである。かといって閉ざされたナショナル一本やりであればいつか来た道≠たどりはしないかと、私はおびえる。
 批評・評論するな、作品をめざせ≠ニどやしつけられそうだったから、批評なんぞやっても・・・と行為−作品を創るのも行為≠ヨの憧れみたいな先入見が私の中にあって、ウロチョロしてきたが、動くとあちこちしんどくて、共生≠ニいうのは最初の姿、傷つけあい、共食いまでにいたりかねぬぶつかり合いの惨状。その惨状が生み出した人たる証のようなゆずりあい、相互扶助の念が必要となって生み出された思想?≠ナはなかろうかと、最近になって気づいたことだが・・・。
 結論めくがカツドウ≠みて、クチャクチャひねくり回して、お隣の中国古典文化(中国文化の核ともいえるものは、中国古典で出尽くしたように思う)がどのように私どもに、受け入れられたかを確かめてみたい衝動にかられた。大きな問題に象の尻尾を私自身の手でつかんでいけそうな予感が、語られたのは喜びであった。カツドウ≠ィおきに。しかし体力の点でアカンワ。   2006・10・25朝 宮森常子


コラムの窓・・・・踊る郵便局

 いやはや、最近の郵便局は何が起こるかわからない。某郵便局で見よし大作戦≠ネるものが始まりました。これまでも、3誤防止やロッカーシャッフルなど、部外者には通じない施策がどこからともなく降りてきて、そのたびに現場は迷惑を被ってきました。
 郵便配達で最も避けなければならないこと、それは「誤配・誤還付・誤転送」の3誤≠ナあり、これをいかに防ぐか頭の痛いところです。しかし、どんなに注意をしてもゼロにすることは困難であり、とにかく注意する以外ありません。当局の対応は、そういう事故≠犯した労働者の個人責任を追及し、人格を否定するような言い方で非難するようになってきています。もちろん、そんなことしてもこうした事故≠ヘなくならないし、職場が殺伐となり、事態は悪化するだけです。
 人は間違いを犯すもの。なんて言ったら居直っているようですが、いかなる間違いも犯さずに郵便を配達するのは不可能です。当局だってそんなことはわかっているはずなのに、ひたすら3誤防止を叫んでいます。その結果が見よし≠ネのでしょう。これは、電車の運転士や車掌が発車のときなどに声を出して確認していたいりするが、それと同じ事をやれということ。
 例えば、書留の授受の時、「書留○○通、ヨシ!」と声に出して確認せよ。他の色々な場面でも、もちろん配達中も、そうしろということのようです。しかし、郵便事故が起こるのは、過重な負担や人格を否定するような労務管理がより大きな要因です。最近では、日没と競争で郵便を配達しているような状態で、真っ暗になっても配達が終わらない。こうした実態を放置して、何が3誤防止かと思います。
 ロッカーシャッフルというのは、両隣とロッカーを交換すること。何のためにというと、ロッカーに郵便を隠させないための施策で、ロッカー点検だけでは生ぬるいということでやりだしたようです。私はどちらも無視してほっているのですが、これらはもう人権侵害のたぐいです。それでも、命令されたこと(ロッカー点検は建前的には任意ですが)にはさからえないのが今の郵便局の実状であす。
 最近、午前中に1時間半もかけて業務研修がありました。ひとつはパソコンのセキュリティについて、ウイルス対策と顧客データなどの保護についてでした。もうひとつは、「違則取扱い」に関するビデオ鑑賞。決められた取扱いをしなさい、そうでないと内部犯罪を誘発する原因をつくるぞ、という脅しのような内容でした。
 その際たるものとして、業務改善命令の原因となった新潟・長岡局での料金別納の闇ダンピングがあります。しかし、これは違則取扱い≠ニいうことではなく、意図的な引き受け郵便物数のごまかしであり、その動機は営業ノルマの重圧です。
 別の日の午後には、一つ星(接遇ランク)未取得者に対する研修がありました。てっきり私ひとりかと思ったら、対象者は4人。研修自体はどうでもいいようなものでしたが、4人もいることを知って、私はうれしくなりました。こうした研修が頻繁にあり、郵便配達をさらに困難にしています。
 いま、郵便労働者は焼けたフライパンの上で踊っているで、いつまでこの無意味な踊りを続けさせられるのか、誰にもわかりません。いや、踊らされているのか、自ら踊っているのか、それすらわからなくされています。このうえに、生田総裁がメッセージビデオで追い討ちをかけて言います。今は胸突き八丁で苦しいが、この峠を越えたら展望が開ける≠ニ。そこには新たな壁があった、というのが生田の笑えない落ちなのですが。
 どこまでも続くダンピング合戦、果てしないコスト削減、というとことか。そしてまた、冷凍ゆうパックの取扱いが、確実な赤字設定で始まりました。積極的な宣伝はしないという説明で、何故そんな愚かなサービスを始めるのか。多分、大口顧客の要望に抗し切れなかったのでしょう。かくして、郵政公社の混迷はさらに深まり、それにも増して郵便労働者の憂いが秋とともに深まっています。        (晴)案内へ戻る


連載 グラフで見る高校生の意識調査 その2

 問2 あなたの学校やクラスでは、次の@〜Gの役割や行為は男性・女性どちらがすることが多いですか?
 問1では意識を聞きましたが、問2では実際の現状を聞いています。「@学級委員長」「A生徒会長」は意識の上では70%以上が「両方するもの」としながら、現状は@の47%、Aの39%を「男子がしていることが多い」と答え、意識と現実が必ずしも一致していないことがわかります。
 特に、性別でははっきり一方の性に役割分担されているのが「D部活動のマネジャー」と「F重たい荷物を運ぶ」です。部活動のマネージャーは、意識の上では75%が「女子・どちらかといえば女子がするもの」と答え、実際では「女子がすることが多い」と約90%が答えています。反対に、重たい荷物を運ぶのは意識の上でも実際でも約80%が「男子」と答えています。
 学校生活の中の役割や行為で、意識の上で「男女両方がするもの」と答え、実際でも「男女が同じくらいしている」と答え、「意識と実際との差がほとんど無い」と言える項目はありませんでした。

 学校生活から帰宅し家庭では、母親・父親の役割分担が自然な形で入り込んでいるはずです。物事を決める時、主導権を握るのは経済力のある父親になっているのは多いのではないでしょうか。そんな家庭の環境が、意識の上では男女平等でありながら、実際は異なってしまうことにつながっているように思います。(恵)
(男女共同参画社会に向けての高校生アンケート調査報告書より 発行者・兵庫県男女共同参画推進員連絡会議・阪神南)
 

 色鉛筆  パート労働者「130万円の壁」 

厚生労働省は、パート労働者が厚生年金や健康保険に加入できるようパート労働法の改正を検討している。「主婦による補助的な仕事」といわれてきたパート労働者の数は、96年に1千万人を超えて05年には1266万人になった。働く女性の4割がパートかアルバイトで、1日約5時間、月に約18日(週4〜5日)勤務で平均年収は109万円という。
子どもが小さく短時間しか働けない女性達もいるが、働く時間を抑えている人もいる(下記参照)夫がサラリーマンだと、妻の収入によっては夫婦の手取額が減ってしまうからだ。私自身も子育てが一段落してからパートの仕事に出始め、始めは3時間程度だったが、だんだんに働く時間が延びていった。すると、私の年収が130万円を超えると、旦那の扶養から外され、私は勤め先の厚生年金と健康保険に入らなければならなくなり、その保険料を負担すると手取額が減ってしまうことが分かった。慌てて1月からの給料明細書を探し出して、毎月の給料を合計して130万円を1円でも超したらアウトなので11月〜12月は、計算しながら働いてヒヤヒヤしたことがあった。これが「130万円の壁」だ。私のまわりの女性達の中にも能力があるにもかかわらず、130万円を超えないようにサービス残業をしたり、安い賃金でも文句を言わずに働いている。そこが経営側としては、安くこきつかえるパート労働者が、自分の利益を上げるためには都合がよいのだ。
 そして、私は130万円の壁には、もうひとつの問題を含んでいると考える。それは「夫は働き、妻は家庭を守る」という考え方が根底にあって、家事・育児・介護などは全て女性の負担になっていることだ。大半の男性達は長時間労働を強いられて、家庭は全て女性に任せるという現状の中で、女性達はパートの仕事を選ばざるを得なく、家庭にしわ寄せがいかないように130万円に抑えているのだ。毎日の食事が、安全な食材で作られて、おいしく安く食べられる食堂があれば、食事の支度に縛られることはないし、安心して子供を産み育てられる環境があれば、女性達は何人でも子供を産むだろう。また60才を過ぎても誰でも働ける場所があれば、毎日健康に生きていける。こんな社会になれば、女性達は家庭から解放されて自分の能力を最大に生かしていきいきと働くことができるだろう。
 厚生労働省は、パート労働者に「厚生年金に加入するとお得です」と宣伝しているが、保険料の半分を負担している事業主側は、自分たちの負担が増えるため、パートの依存度の高い飲食業、小売業を中心に経済界からの反発が出そうだと言われている。どういう方向にいくか目が離せない。(美)

参照資料 
   パートに聞きました
年収や労働時間で働き方調整してる?

している     32.5%
関係なく働く   29.6%
調整の必要がない 30.1%
その他
『「06年1月のパートタイム労働者実態調査」から』 案内へ戻る