ワーカーズ 334 2006.12.1.         案内へ戻る

 いじめ、未履修、やらせ放置したまま
 格差拡大、愛国心押しつけの教育基本法改悪を許すな!


 十一月十五日、衆議院教育基本法特別委員会での一方的強行採決、続く十六日には、野党が審議拒否をする中、政府・与党は、衆議院本会議で採決を決断した。翌十七日午前中の参議院の本会議では、質疑に先立ち、「改正」案を審議する特別委員会の設置を議決した。安倍首相は、教育基本法「改正」案の趣旨説明と質疑を行い、審議入りを強行した。安倍首相は、与党の質疑に対して「教育再生に向けた第一歩として、改正案の早期成立を期して取り組んでいく」との決意を重ねて強調した。これに対し、日本新党を除く、民主・共産・社民・国民新の野党四党は、衆院での与党の単独強行採決に抗議して、同日の本会議を欠席したのである。
 ここに至るまでのわずか一・二週間の間でも、いじめ自殺の頻発と文科省・各県教育委員会の無策ぶりは決定的に暴露された。また高校における未履修問題は、二人の現職校長の自殺と未履修については文科省・各県教育委員会の黙認があった事も明白となった。それだけではない。さらに衝撃的な事実が発覚したのである。民意を聞くと全国で開催されたタウンミーティングで内閣府・文科省等の「やらせ発言」と謝礼について大々的に報道されてたのだ。まさに政府・与党は進退窮まるところまで追いつめられていたのである。
 こうした事から与党は、沖縄県知事選挙への影響を配慮して、来週以降に採決を延ばそうとの動きに支配されかかったが、安倍首相の指示で強行突破とはなったのであった。
 今後、十二月十五日までの会期内成立に向けて、政府与党は野党欠席のままでも審議を続ける予定で、週明けにも特別委で審議入りすると報道されている。何という事だろう。
 こんな事が許されてよいのであろうか。与党の数の専横と暴走は止まる事を知らない。私たちの怒りは抑えようがない。私たちはここまで政府与党になめられているのである。
 衆議院で強行採決された教育基本法「改正」案は、一九四七年に制定された教育基本法を全面的に改め、憲法との一体性を否定した内容で、教育の機会均等を否定し、格差社会を肯定・是認するものとなった。また学習指導要領で掲げられた徳目を、法律で教育の目標にまで高め、さらには、「公共の精神の尊重」や「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で、政府与党が過去一貫して求め続けてきた「愛国心」を明記したものである。
 教育基本法「改正」は、まさに安倍「戦争準備」内閣に信任状を与えるに等しいのだ。
 すべての労働者民衆は、衆議院での強行採決と参議院での与党単独審議入りを糾弾し、拡大していく格差社会を阻止するためにも、安倍教育バウチャー制の導入とともに教育基本法「改正」を断固阻止していかなければならない。
 ともに廃案に追い込むために闘いを強化していこうではないか。   (猪瀬一馬)


 露骨な企業減税を許すな!――負担は労働者・消費者に――

 経済成長重視を掲げる安倍政権のもとで、政府と財界による企業減税のもくろみが大手を振ってまかり通っている。経済財政諮問会議や政府税調が来年度予算編成での法人所得税減税の実施方針を相次いで打ち出している。
 これは安倍政権成立時からもくろまれていたもので、政府税調会長に前経済財政諮問会議の民間委員だった本間正明氏(阪大教授)が任命された時点ですでに規定方針となっていたものだ。
 しかし最近の企業業績は5年連続での増収増益が確実であり、企業所得も過去最高を更新している。他方、労働者・勤労者の側はといえば、この10年で1割の賃下げが進んでいるのが実態だ。
 こうした企業への大盤振る舞いともいえる企業減税は、近い将来での消費税引き上げのもくろみと合わせ、労働者・消費者の負担で企業減税をおこなうことであり、許すわけにはいかない。

■あからさまな企業優先路線――

 今回の法人税減税論議の方向性を最初に打ち出したのは、10月13日に開かれた安倍内閣最初の経済諮問会議だ。そこでは安倍内閣が掲げる「経済成長重視路線」のもと、7つの課題を確認し、さらに今後2年間を成長のための「離陸期間」として「労働ビックバン」や企業減税を進めることを確認した。
 こうした政府の方針を受けて、政府税調会長に任就任することが決まっていた本間正明は、11月6日、現在40%の法人所得税の実効税率をヨーロッパ並みの30%代半ばまで引き下げることを中長期的課題だと語った。これに今年経団連会長に就任したばかりの御手洗会長による「実効税率30%」という要望の打ち上げが続いた。いわずとしれた出来レースである。
 政府主導による法人減税のアドバルーンは、直ちに多方面からの批判を招いている。当然である。この5年ほど空前の企業利益の拡大が続いていたからだ。現に財務省が9月4日に発表した法人統計によれば、売上高は3年連続、経常利益は4年連続の増加で、どちらもバブル期を上回って過去最高を更新している。いわば企業は史上空前の利益を上げているのだ。
 しかもこの5年間は小泉政権の時代であり、その時代には労働者、勤労者の賃金収入は逆に減り続けてきた。パート・アルバイトを含む全従業員の給与は、3年連続で減少、ピークだった97年に比べれば10%も引き下げられてきたのだ。そのうえ小泉政権時代の定率減税の全廃方針など多くの増税策によって、労働者世帯は大幅な増税を押しつけられてきた。
 こうした企業減税のアドバルーンは、安倍内閣に方針によって来年の参議院選挙までは消費税の引き上げ論議は行わないという「増税隠し」の一方で行われているものであって、その意味でも労働者・勤労者を愚弄するものである。
 実際、政府の法人減税が実現すれば、法人税1%は4〜5千億円と見積もられているから、10%の減税は4〜5兆円もの企業減税になる。それを手っ取り早く補うとすれば消費税引き上げ以外になく、2%程度の引き上げが必要になる。これでは労働者、消費者の負担で企業減税するという姿があまりに明らかであり、それを隠そうというのが安倍内閣の魂胆なのだ。
 この安倍内閣の企業減税路線は、元はといえば経団連などの財界が高コスト体質の是正を掲げて公共事業費の削減や法人税引き下げ、賃金コスト引き下げの政策を推し進め、さらに御手洗経団連になって以降の「産業力の強化」「強い国への変身」という財界優先の政治路線にあるわけだが、今回の企業減税はそうした企業優先策をあからさまに押し出したものである。
 しかも政府・財界によるこうした企業減税の出来レースは、単なるアドバルーンでは終わらない。
当初の本間会長の言は、「ヨーロッパ並み」の「30%台半ば」であり、しかも「中長期的な課題」であった。ところがこのアドバルーンにさほど抵抗がないとみるや、11月21日にはこの12月にまとめる07年度答申に税率引き下げの必要性を盛り込むことを表明した。そうなれば08年以降の大規模な企業減税が現実化することになり、07年秋以降の消費税増税論議と併せて、労働者・消費者の犠牲による大規模場企業減税の実施という局面がやってくるのは確実だろう。そういう事態を招かないよう政府・財界による出来レースにストップをかける闘いは待ったなしである。

■自己チューな財界

 政府や財界は空前の企業利益を前に、なぜ今また大幅な企業減税を実施しようとするのだろうか。その「企業減税」の論理は手前勝手な独断とへりくつ以外のなにものでもない。
 経団連などの財界や本間税調会長は、現在の日本の実効税率が40%であるのに対し、アジア諸国などでは30%程度であり、今後の対外競争を考えた場合にはそうした諸国並みにすることが必要だ、としている。
 しかし法人税の実効税率は米国ではほぼ40%、欧米でも40%近くであり、すでに欧米並みになっている。財務省の考え方も日本の実効税率はすでに欧米並みになっているとの認識だ。というのも、実効税率を欧米並みに引き下げるという理屈で89年度以降段階的に40%に引き下げられた経緯があるからだ。この間、法人税は89年度の20兆円弱から最近の10兆円強まで、なんと10兆円近くの法人税を免れてきたのだ。それに最近では膨大な利益を上げている大銀行が何年も法人所得税を免れ、その多くが今後数年間も納入を免れるという現実もある。
 そもそも法人税の国際比較には実効税率だけでは正確な比較は出来ない。課税ベースが各国で異なっているからだ。日本は各種の引当金など、本来の利益から損金扱いで差し引くことができる特例が数多く認められている。いわゆる各種の租税特別措置だ。日本の企業は外国に比べて課税の分母自体が狭くなっているのだ。その廃止や縮小を求める声にもかかわらず、財界の抵抗などで遅々として進まないのが現状だ。
 こうした課税ベースの違いなどを含めた国際比較は、当の財務省が「各国で歴史や制度の違い、調査は不可能」だとしてやっていないのも、自己チューな財界を免罪するものに他ならない。
 財界の要求というのは、こうしたご都合主義の要求だが、それさえも欧米並みが実現したと思ったら今度はアジア並みにという。そもそも発展途上国が多いアジア並みにするという議論自体が恥知らずの主張で、とにかく財界の要求には際限というものがない。

■企業の論理の筋違い

 こうした財界などによる実効税率の引き下げ要求の趣旨は、第一に、実効税率の引き下げによって対外競争力を強化する、という論理であり、第二に、企業が成長すればその成果が雇用確保や賃上げという形で労働者にも波及する、という論理である。しかしこうした論理は本音を隠した財界のへりくつとも言うべきもので、この数年の日本の現実そのものがそれを実証している。
 第一の論理は、要は対外競争でのコストダウンが必要で、そのための企業減税なのだ、というものであるが、これはある意味でいつの時代でもどの国の企業でも企業の要求としては当然のことだ。事実、この数年で世界各国で実効税率の引き下げ競争もあった。
 が、それが直接海外競争力に直結するわけではない。というのは、投資にしても貿易にしてもそれぞれの国の需要動向や賃金レベル、あるいは為替相場など様々な問題が絡んでくるからだ。
 たとえば80年代後半に製造業の中国への流出が急拡大して産業の空洞化が叫ばれたが、これはプラザ合意による円高が主たる要因だった。また米国などへの自動車メーカーによる投資拡大は、米国の旺盛な消費ブームと貿易摩擦問題が大きかった。さらにはこの十数年膨らんできた中国への輸出や投資などは、世界の工場、世界の市場といわれる安価な労働力や消費市場の膨張などの要因によるところが大きい。それにこのところ続く低金利政策で円安になっており、労働者の非正規化などによる賃金コスト引き下げなどと相まって、今では製造業の国内回帰も目立つようになった。ことさら実効税率が成長のネックになっているという現実はないのだ。

■労働条件の国際標準を!

 政府や財界が実効税率での国際基準をいうのであれば、賃金をはじめとした労働基準に関する国際標準も遵守すべきだろう。ところが財界などの反対もあってILOOが定めた条約や勧告の多くを未だ批准さえしていないのが日本の実情だ。
 たとえば最低賃金に関するいくつかの条約や勧告を批准しているが、その基本精神を遵守しているとはとてもいえない現状がある。労働債権の保護に関する条約も、また労働時間規制に関するすべての条約も批准していない。他にも近年大きな課題になっている非正規労働者保護に関する条約に関しても94年の「パートタイム労働に関する条約」についても未批准で、パートなどにたいして、自由意志に基づいて正規雇用になれるとの規定や均等待遇原則を無視し続けている。
 こうした国際的な労働基準の遵守に背を向けたまま、企業課税緩和の国際間競争を理由に企業減税に突っ走る政府や財界の思いどうりにさせるわけにはいかない。私たち労働者は、手前勝手な論理を振りまきながら企業減税に道を開こうとしている政府や財界に対し、それを許さない闘いとともに、労働基準の国際標準を遵守させる闘いを強化していく必要がある。
 小泉、安倍政権で進む弱肉強食の市場原理万能論を跳ね返し、労働者の主張を突きつけていく以外にない。(廣)案内へ戻る


 コラムの窓・・・「防衛庁の『省』昇格法案」

 今、危ない法案が目白押しである。
 言うまでもなく、1つは「教育基本法」の改正問題である。衆議院では単独採決して突破し、激戦の沖縄県知事選に勝利した安部自公連立政権は、この時とばかりに調子にのって、今の参議院において教育基本法の改正案の成立をめざしている。
 ところが、この法案の影に隠れてもう1つの重要な法案が審議されている。
 防衛庁の「省」への昇格法案である。正確には、「防衛庁設置法等の一部を改正する法律案」であり、関連73法に及ぶ大改正である。しかし、なぜかマスコミもその詳しい内容をあまり報道していない。
 私も、ついこの間までうかつにも「防衛庁」が「防衛省」に名前が変更になるぐらいだろうと考えていた。ところが、地域の反戦集会に参加して初めてこの法案の詳しい内容を聞き、この法案の狙いが自衛隊の海外軍事活動を可能にさせるものであることに気がつき、この法案もしっかり反対して阻止する必要性を痛感した。
 改正の提案理由を見ると、「我が国周辺の事態に対応して行う活動」を「自衛隊の任務として位置づける」となっている。つまり改正の目的は、「周辺事態」や「国際平和協力業務」を自衛隊の本来業務化することにあり、それらは、今度の「防衛省設置法等」の「等」に含まれる「自衛隊法改正案」に記載されているのである。
 自衛隊法第3条は、「直接侵略及び間接侵略に対し、我が国を防衛すること」として、自衛隊の任務を「国土」に限定している。ところが、冷戦の終結や9.11テロや米軍のイラク戦争等などで、自衛隊は米軍との共同作戦を強く要求され始め、事実PK0活動に参加して「国際平和協力業務」を遂行している。また、97年の「日米新ガイドライン」に盛り込まれた「周辺事態」における対米支援活動なども期待されている。
 そこで今回の改正の個所は、この第3条任務に「周辺事態に対応する活動」「国際平和のための取組への寄与」が新設され、「自衛隊の活動」に「後方地域支援」や「船舶検査活動」が加えられることになる。
 周辺事態や国際平和を名目とする活動が当然の任務となっていく。そうなれば、自衛隊の海外派遣を可能にする一般法制定に道を開くことになり、もはや特措法のような特別法の制定は必要がなくなる。
 これまでのPK0活動やインド洋・イラク派遣などは、第3条「自衛隊の任務」や第76条「自衛隊の行動」に規定できず、第100条の「雑則」及び「附則」に追加されて「付随的任務」として実施されてきた。
 しかしこの法案によって、「憲法9条」のいう「国土防衛」や「専守防衛」と相いれないレベルとなり、自衛隊の海外軍事活動が可能となる。
 最後に、「防衛庁」が「防衛省」になれば、当然他の中央官庁と同列に並び「防衛大臣」が誕生することになる。大臣としての責任と権限が与えられることになり、その権限の拡大は軍事発言の強化につながるであろう。
 最近久間防衛庁長官は、非核三原則で禁止じている核搭載艦艇の領海通過について、「緊急事態の場合はやむを得ない」と述べ、緊急時には例外的に容認する考えを表明した。これに対して、沖縄とか広島の平和団体から、「緊急時であろうと、非核三原則を破ることは許されない」「閣僚が公式に核持ち込みを容認する発言は初めてではないか。・・・防衛庁長官をすぐに更迭すべきだ」との抗議の声が上がっている。
 教育基本法を改正して子どもたちに「愛国心」教育を強化し、防衛庁を「省」に昇格させて自衛隊の海外軍事活動を可能にしていく。これだけでも安倍政権の狙い=軍事国家への道がよく見える。
 私たちは、こうした軍事国家への道を許してはいけない。声を上げて悪法法案に反対していこう!(英)


 沖縄知事選の総括と今後の展望(十一月二十三日、トピックスで公開済み・一部訂正加筆)

沖縄県知事選挙総括

 十一月十九日、稲嶺現知事の任期が十二月九日に満了となるのに伴い沖縄県知事選挙が実施された。
 結果は、即日開票されて、自民・公明両党が擁立した前県商工会議所連合会長・沖縄電力元会長である仲井真氏が、民主党など国会全野党が推薦した糸数氏を破り、初当選した。
 沖縄県選挙管理委員会の発表によれば、当日有権者数は百三万六千七百四十三人、投票率は六十四・五四%だった。この数字は過去最低だった前回0二年の五十七・二二%を、七・三二ポイント上回り、仲井真氏は得票数三十四万七千三百三票、得票率五十二・三%、糸数氏は得票数三十万九千九百八十五票、得票率四十六・七%で、その差は約三万七千票であった。負けてはならない選挙は実に薄氷を踏むような勝利でしかなかったのである。
 今回の沖縄県知事選の争点は、「米軍基地問題」「経済活性化」の沖縄県の二大懸案を抱える県民が、米軍再編を睨みどのような沖縄県の将来像を描くかが問われた選挙だった。
 焦点の米軍普天間飛行場移設問題で、仲井真氏は名護市辺野古崎にV字形滑走路を造る政府案に「現行のままでは賛成できない」としながらも、県内移設は容認する姿勢を示しており、移設に向けた政府と県の協議を続ける姿勢を示した。選挙戦で仲井真氏は、こうした公約を掲げたが、V字形案の問題点や政府に求める修正内容は一切明示せず、基地問題より経済振興を前面に掲げて闘った。沖縄県の約八%に上る失業率の半減や一千万人の観光客誘致を公約し、身近な問題への有権者の関心を引きつける戦術を取ったのである。
 これに対して、糸数氏は普天間基地の国外移設を主張した。糸数氏は全国会野党推薦を背景に民主党や保守系議員の多い地域政党そうぞうまで幅広い政党の支援を受けた。だが候補者擁立が、仲井真氏に比較して一ヶ月遅れてのハンディキャップと候補者選定過程でのごたごたやしこりが残ったままの選挙であった。
 仲井真氏は、稲嶺知事の後継者との立場を前面に打ち出し、失業対策や経済振興策の充実を主張。基地問題より生活に密着した課題を重視する県民世論を背景に、沖縄電力など組織票を取り込み、公明党からも支援を受けた。こうして振興策への期待が強い沖縄本島北部の票を固め、大票田の那覇市でも票を伸ばしていったのに対して、糸数氏は「新基地建設は許さない」と普天間飛行場の国外移設を訴えたが、「政策」を浸透させるには出馬表明の出遅れが響いた。沖縄戦の悲惨さを伝える「平和バスガイド」で培った知名度で追い上げたが、米軍嘉手納基地など基地が集中する沖縄本島中部で票を固め切れなかった。
 こうして、新知事に「経済活性化」を期待した有権者が、「基地撤廃」を期待した有権者を上回り、経済界出身で政府与党推薦の仲井真氏への追い風となり、選挙戦で勝ち抜く力となった。他方、国会全野党推薦の糸数氏は、「基地撤廃」を期待した有権者の圧倒的多数の票をほぼ固めたものの残念ながら仲井真氏にはわずかに及ばなかったのである。

共同通信社の出口調査結果

 選挙当日、県内四十カ所で投票を終えた千六百人に対して行われた共同通信社の出口調査によれば、仲井氏は推薦を受けた政党の支持層をぎりぎりまで固める組織選挙を展開した。これに対して、糸数氏は組織に加え無党派層を多く取り込む対照的な選挙戦を展開していた事が浮き彫りになったのである。
 仲井真氏は、推薦を受けた自民党支持層の七十七・八%、公明党支持層の八十七・三%をしっかりと固めて組織票を積み上げた半面、小泉内閣が引き寄せていた「支持政党なし」の三十七・八%しか獲得できていなかった。
 糸数氏は、かつて所属した沖縄社会大衆党の百%、社民党九十二・九%、共産党の八十八・二%のほか、民主党支持層の七十四・一%を固めた。加えて無党派層の六十一・五%を取り込んだ。地域別でも、無党派層の多い那覇市で糸数氏がややリードした。
 選挙戦の争点だった普天間飛行場の移設問題では、名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部へ移設する日米両政府案に反対が六十四・一%に上った。賛成と回答した人のうち仲井真氏に投票したのは八十・七%、糸数氏へは十七・七%。反対のうち糸数氏に投票したのは六十七・二%、仲井真氏へは三十一・五%だった。
 このように、当初民主党支持層の四割も纏めていないと言われてきた糸数氏は、当初リードが伝えられていた仲井真氏にしっかりと肉薄していたのである。

期日前投票が全投票数の六分の一

 この沖縄県知事選には特記すべき事がある。それは、全有権者数(百四万七千六百七十八人)の十・五%にあたる十一万六百六人が期日前に投票していた事だ。これはまさに空前絶後の数字である。信じがたい事ながら、この割合は投票者の実に約六人に一人、十七%にも達した。まったく不思議な事である。こんな選挙がいまだかってあったであろうか。
 当選した仲井真氏を推した自民・公明両党は、この間期日前投票の活用を組織的に呼びかけており、こうした動きが影響した可能性が指摘されている。この期日前投票の各市各郡別の表を見ると誰もが驚くのではないか。その理由は、見た者のすべてが確認できるように、まるで誰かの作為があったかのように数字が実に整然と並んでいるからである   
   http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=38&id=12834&page=1を見よ)。 
 0二年の前回、九八年の前々回の沖縄知事選では、不在者投票はともに五万人台だった。期日前投票導入で手続きが簡略化されたとはいえ、今回はほぼ倍増したことになる。
 この事に対して、仲井真氏の選挙陣営では、「堅い支持者にあらかじめ投票を済ませてもらい、その後は支持拡大に余力を振り向ける」とし、期日前投票の少ない市町村のテコ入れなどを進めたという。自民党幹部は「期日前投票の七割程度は仲井真票ではないか。投票日の票は、糸数氏と互角ぐらいだったかもしれない」と解説したのだ。この発言は確かに関係者にしか語ることが出来ない注目に値する発言ではある。沖縄県知事選挙の翌日に報道された十一月二十日二十二時七分の読売新聞のウェッブ・サイトも必見である       
  (http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061120ia24.htm)。
 この事に関連して、沖縄県知事選挙の期間、沖縄各地での社員旅行ツアーが大挙し計画され、沖縄観光がなぜか一段と盛んになったと不正選挙を疑うブログも公開されていた。
 社民党の保坂展人参議院議員が「保坂展人のどこどこ日記」で言っていた事だが、約三万七千票差で当落が決まったのであるから、この期日前投票で、実際に沖縄県知事選挙の帰趨が決せられていたのである。
 沖縄県選挙管理委員会は、こうした根拠薄弱な疑問を払拭するためにも、今回住民票の不正移動があったかなかったかについて、厳密な検証を今ただちに行うべきではないか。

今後の展望

 当選が決定した時、仲井真氏は、普天間問題について、政府がV字形案を沖縄の頭越しに決めたことに抗議するとした上で、「現行のV字形案は認められないと言ってきた。協議会に参加し、政府とよく協議したい。ストンと胸に落ちる答えを探りたい」と述べ、普天間の危険性の除去を日米両政府に要請すると語った。
 もちろんこの発言は真実でない。仲井真氏は普天間移設をめぐり、キャンプ・シュワブ沿岸部にV字形滑走路を造る日米両政府案には反対だが、稲嶺現知事が提案する暫定ヘリポート案の取り扱いなどで政府と地元が一致点を見いだせれば、移設実現に向け前進する腹づもりである事は疑うべくもない。彼がこうした発言をせざるをえないのも、負けてはならない総力戦で戦われたのにもかかわらず、糸数氏にやっとの事で勝ったと彼ら自身実感しているからではある。
 十一月十九日深夜の会見で、仲井真氏の選対本部長を務めた稲嶺現知事は、自民・公明
党の推す仲井真氏が糸数氏に約三万七千票差まで迫られた結果について、「大変厳しい選挙だった」と真実を語った。
 十一月二十一日の「しんぶん赤旗」でも、「仲井真選対のある幹部も一夜明けた二十日、『選挙結果が、県民の基地容認の意思を示していると思ったら大きな間違いだ。基地問題の対応はこれからが本当に厳しくなる。経済政策でも、できもしないことをいって勝ったということだ』」と赤裸々に報道している。彼らはまさに追いつめられていたのである。
 青息吐息の仲井真氏や選対幹部と比べて、糸数氏は意気軒昂である。記者団からの敗戦の要因はとの問いには、「スタートの出遅れがあり、有権者にしっかりと政策を浸透できなかった」と答え、事前の準備期間の短さをあげた。また、野党間の連携に関する問いには「野党はしっかりと纏まって頑張った。共闘を組んで勝てるチャンスだと思っていた」と話し、「結束をして戦うこと、共闘し組んでやることは今後もある」と答え、自公政権を倒すためにも、この後も一致協力するところはして、力をひとつにして戦うことは重要との考えを示した。今後とも「私たちアジア人、互いに争わず」の大道を歩んでいかねばならない。いたがって、私たちは敗北感に打ちひしがれる必要はどこにもないのである。
 薄氷を踏む勝利でしかなかった沖縄件知事選を除けば、安倍自民・公明党連立政権は、十月二十九日の北海道第二の都市旭川市長選、十一月二日の熊本市長選、十一月十二日の福島県知事選、十一月十九日の福岡市長選、また特記すべき事に冬柴氏の地元同日の兵庫県の有権者約三十七万六千人の尼崎市の市長選でも四十%の低投票率ながら約六万票の大差で敗北した。このように政府与党自らの推薦候補が続けて五連敗もしている。絶対に負ける事が出来ない沖縄県知事選での苦戦でも明らかになったが、安倍タカ派政権では、小泉前首相が味方に巻き込んできた無党派層の票をさっぱり取れなくなったのである。
 衆議院での教育基本法強行採決をしてまで今国会成立を追求する安倍「戦争準備」政権を、来年の統一地方選挙や参議院選挙において、労働者民衆の力で徹底して追いつめ打倒する闘いを着実に推し進めていこうではないか。ともに闘おう。      (直記彬)案内へ戻る


 「教育基本法の改悪をとめよう!11・12全国集会」に参加して

 秋晴れの十一月十二日の日曜日、日比谷野外音楽堂で開催された「教育基本法の改悪をとめよう!11・12全国集会」に参加してきました。
 連日の国会前集会とリレーハンストの継続により、国会情勢を現実に動かしている勝利間に満ちた集会でした。結集した人数は八千人、集会後は、数寄屋橋・銀座方面へデモパレードに出発しました。集会で集まったカンパは二百二十六万円です。
 発言者を紹介しておきます。最初の発言者は、呼びかけ人の一人である大内裕和さんでした。続いて伊藤和巳さん(首都圏青年ユニオン)、稲荷明古さん(ユニオンぼちぼち)、うちらの声を国会にとどけよう!(高校生)、「おひとりさま大歓迎!」あんころチーム、♪歌ZAKI、呼びかけ人:高橋哲哉さん、川口彩子さん(予防訴訟弁護団)、近藤徹さん(予防訴訟原告団)、♪歌「教育基本法前文のうた」byまちかど教育芸人はやし、北海道人事委員会審理採決 勝利報告(北海道教職員組合)、国会議員から:石井郁子さん(日本共産党)、福島瑞穂さん(社会民主党)、猪俣邦顕さん(島根県教職員組合)、岩崎貞明さん(民法労連)、「連帯して、負けない運動に」福山真劫さん(平和フォーラム 事務局長)、♪詩のパフォーマンス杏(ビデオプレスTVの映像)、呼びかけ人:三宅晶子さん、伊藤誠一さん(日本弁護士連合会 副会長)、佐々木瑛さん(北海道)、橋本祐輔さん(大分)、最後に呼びかけ人の小森陽一全国連事務局長が締め括りの挨拶を行い、集会アピールを採択した後、デモ行進を行いました。
 <連帯メッセージ>は、韓国・全教組、糸数慶子さん(沖縄県知事選候補)、沖縄県高等学校教職員組合から寄せられておりました。
 ここで紹介した各人と各団体からの発言は、「あんころ」ホームページで見る事ができますので、大内さんの発言だけ報告して、ここでは省略します。是非個々にご確認下さい。
 私は川崎生まれの大内さんに親近感を持っています。労働組合の役割を力説するのは、教育基本法改悪阻止を訴える四人組の中でも大内さんだけだと私は強調しておきます。
 大内さんは、政府の教育基本法改悪法案では、「教育の機会均等」において現行法の「能力に応ずる」という部分が、「能力に応じた」に変えられ、また政府案の「義務教育」においては、「各個人の有する能力を伸ばしつつ」や「水準を確保」など、教育における市場原理の導入、新自由主義を強化する方向が打ち出されたと強調しました。
 また、安倍新政権はこれらに加え、教員免許更新制と教育バウチャー制度の導入を狙っており、教員免許更新制は「教員の質の向上」の名の下に、教員を評価によって序列化し、管理・統制を強化するもので、教育バウチャー制度は学校選択制の下、バウチャーの数、つまり生徒の集まった数によって教育予算の配分を決め、東京都の足立区では区内の公立小・中学校で実施した学力テストの結果を基に、予算配分に差をつける方針が出されたことを明らかにしました。来年四月には、小学校六年生、中学校三年生全員が参加する全国一斉学力テストの実施が予定され、全国の小・中学生、小・中学校が序列化される危険性はとても大きいとし、教育における格差は、労働現場における格差と密接に関わっているとも発言しました。
 そして、新自由主義による労働の規制緩和について触れ、低賃金で無権利の労働者が多数生み出された事を告発し、こうした若者に必要なのは、安倍首相がしきりに主張するカウンセリングや奉仕活動ではなく、フリーター・ニート・ワーキング・プアとは搾取された労働者ですから、彼らにとって必要なのはカウンセリングや奉仕活動ではなく、労働組合ですと大内さんはその核心を語ったのです。
 森元総理や中川政調会長は日教組を名指しで批判しましたがその一方で、教職員組合や自治体労働組合に激しく反対運動をされたら、教育基本法と憲法の改悪を実現することは難しいという彼らの不安と自信のなさを明確にしたと私たちを鼓舞し、不起立・不伴奏など「日の丸・君が代」強制に反対し、国会前のリレーハンストや座り込みに決起した現場教職員の運動は、今日現在まで教育基本法の改悪を阻止する上で大きな役割を果たしており、沖縄をはじめ全国各地の自治体労働者の平和運動は、在日米軍の再編・強化に強いブレーキをかけています。安倍政権は教職員組合や自治体労働組合が立ち上がることを恐れていると指摘し、こちらは恐れることなく、自信をもって教職員組合、自治体労働組合を軸に、教育基本法・憲法改悪阻止の運動をともにつくっていこうと挨拶を纏めました。
 この集会の最後では、来週が山場で、来週中に採決されなければ、今国会での教育基本法「改正」はほぼ阻止される事が確認されると参加者の歓声が上がる中確認されました。
 こうして、参加者一同自分たちの運動が歯止めになっている事が、確かに実感できる大いに盛り上がった集会とはなりました。ともに闘いましょう。   (稲渕)


 11・16日教組国会前座り込みと同日のヒューマン・チェーンとあんころ国会前集会に参加して

 衆議院教育基本法特別委員会での強行採決の翌日、私は一一・一六日教組国会前座り込みと同日のヒューマン・チェーンと「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」(略称:あんころ)の国会前集会に参加してきました。
 残念ながら、私が日教組の座り込み行動に参加した当日の午後には、政府与党は与党単独で衆議院本会議での教育基本法改悪を強行採決してしまっていたのです。何という事でしょうか。教育基本法改悪案が始めて審議される参議院議員に対する要請行動にも私は参加して、民主党の浅尾慶一郎他三名の議員対し、徹底審議と時間切れによる廃案を追求するよう強く訴えてきました。浅尾議員に対しては目前に迫っている逗子市長選挙での民主党推薦候補者について、特別の支援要請も行ってきました。そして、日教組の行動が終了してからは、当日計画されていたヒューマン・チェーンと恒例となったあんころの集会に参加しました。これらの集会が始まる五時前までは、組合員から臨時闘争資金を徴収して、連日六十名の大量動員で闘ってきた北教組の国会前集会にも参加してきたのです。
 この日のヒューマン・チェーンとあんころの国会前集会国会前集会は、特別委員会と衆議院本会議での強行採決との情勢の緊迫感から、集会が開始された五時には早くも四千名の結集があり、集会が終わり首相官邸前のシュプレヒコールを行った時には、五千名となりました。集会発言者と集会参加者は、発言の合間合間に種触れ被コールを挙げ、全員政府与党の委員会強行採決を怒りをもって糾弾しました。 (笹倉)


 オンブズな日々・その27・オンブズ兵庫10周年!

 11月26日、神戸にて市民オンブズマン兵庫結成10周年記念集会が開催されました。記念講演は、前長野県知事の田中康夫氏が「地域から日本を変える」をテーマに、長野県政6年の挑戦を報告しました。報告を聞いて、毀誉褒貶の激しかった田中県政に対する冷静な評価が必要だと痛感しました。
 このことを考えるうえで、吉川徹・元長野県望月町長の次の指摘は象徴的です。
「田中県政改革は、規制緩和・効率化・産業活性化・格差社会という国政の改革とはかなり性格を異にしていた。合併しない小さな町村を援助し、30人学級や宅幼老所設置に力を注いだ。そして、『公』の意味を問い、地域の『自律』、県民が主役の『行動する民主主義』を説いた。実際に、今まで光の当たらなかった地域の小さな団体をも支援した。国政からみると、地方における『おまかせ民主主義』と『善政』は包括できるが、『自律』と『行動する民主主義』は許容範囲を超えており、許せなかったのではないか。なぜなら、そこにはレジスタンスの萌芽があるからだ」
 田中氏が指摘するのは、やはり補助金のありかたです。大多数の首長はいかに国からの補助金を得るかに腐心しており、結果的に必要以上の過大なハコ物≠建設することになっています。しかも、それを生かすことができないまま、維持管理費の負担に耐えられなくなっているのです。
 例えば、僻地の特養ホームの新築は補助金の対象になるが、商店街の空き店舗などを利用したグループホームなどはダメ、ということです。こんなことにまで国の規制が及び、自治体の創意工夫が潰されている、と田中氏は指摘しているのです。そこで諦めないで、「宅幼老所」を推進するところに、田中氏の行動力が示されています。
 新知事の村井仁氏による脱・脱ダム宣言≠ノよって再びダム建設の歯車が回り始めた長野県政、田中氏が減らした借金を再び増加に向かわせることになりそうです。田中氏の講演で私が最も共感したのは、「官から民へ」という流れに対して、「官から公へ、民から公へ」という方向性を示していることです。ここで示されている公≠ヘ、もちろん国のことではありません。
 さて、県オンブズの10年の始まりは、兵庫県の食糧費支出に対する1万人監査請求の取り組みでした。8000人を超える監査請求人署名を集めたこの取り組みには私も参加し、その後の住民訴訟も何度か傍聴したので、あれからもう10年も過ぎたのだと懐かしくなりました。
 当時、中央官庁の官僚に対する接待や、お役人が仲間内で公費で飲み食いをする官官接待≠ノ対して、全国的な情報公開が取り組まれていました。1995年7月開催された第2回全国市民オンブズマン全国大会は「官官接待の根絶を目指して」をテーマに、300億円を上回る役人による飲み食い、たかる中央官僚とへつらう地方役人、眠る議会と死せる監査委員を告発しています。
 その後も、水道メーター談合(談合により8000円台だった水道メーターは2000円台に急落)、ごみ焼却炉談合(記念集会直前に勝訴判決を勝ち取る)など、全国と連携した住民訴訟を取り組んでいます。兵庫県や神戸市での取り組みでは、特別職の交際費や議員の海外視察、公用車やタクシーチケット等々、全体の経費節減効果は200億円を超えるのではないかと試算しています。
 10年に及ぶ活動の積み重ねが、こうした成果を生んでいるのです。しかし、オンブズマンの活動もご多分に漏れず高齢化が進み、若い世代への継承が課題となっています。そういう私もあと数年で現役を卒業する身でありながら、この業界≠ナは若い方なのです。困ったことです。  (晴)案内へ戻る


 何でも紹介欄  ライブハウスに行きませんか?

ライブのハシゴで気づいたこと

 最近、僕はライブハウスのハシゴをしています。タウン情報誌で見つけたり、知人・友人から誘われたりすると、ロックでもフォークでも島唄でも能狂言でも、とにかく紹介されたら、あまり好き嫌い無く、フットワークも軽く出かけて行きます。福岡(北九州市)に住んでいるので、地元の門司、小倉、黒埼はもとより、お隣の福岡市のカフェやガレージ、さらには熊本や別府まで足を伸ばし、終電に間に合わずビジネスホテルに一泊なんてこともあります。どうして僕は、こうまでライブに、はまってしまったのでしょうか?それは、各地のライブが、とにかく活気付いているからではないかと感じます。そこで、今回は、特定のミュージシャンというのではなく、いろいろなジャンルのライブから見えてきた世の中の変化について、紹介しようと思います。

健在な「70年代フォーク」シンガー

 まず、岡林信康。昨年の12月に福岡は飯塚市の嘉穂劇場という、かつては筑豊炭坑の労働者向けの芝居小屋だった劇場に、あの70年代の「フォークの神様」と言われた岡林がやってきました。寄せ場の労働者を歌った「山谷ブルース」や、「貧乏」をもたらす社会を告発した「チューリップのアップリケ」をはじめとした曲は、あまりにも有名です。
 その岡林は今も健在で、ヨーロッパに演奏旅行をした時に、現地のミュージシャンから「ヨーロッパの真似をしないで、日本人独自のロックを作ってみろ」と言われたのをきっかけに、一念発起し、日本各地の民謡や韓国民謡を研究し、いまやガラリとスタイルを変えて、「大漁節」のリズムを取りいれた岡林流「和製ロック」に挑戦しています。
 次は友部正人。つい先日、福岡市の酒蔵を改造したライブハウス「博多百年蔵」というところに、やはり70年代「大阪へやってきた」でデビューした「フォークの詩人」友部がやってきたのです。彼もまた元気に活動していて、最近は、詩人仲間と「詩の朗読」ライブというのをやっているとのことでした。
 岡林も友部も、僕などの知らないところで、つねに全国の小さな会場で、ライブを重ねていたのだということを、改めて知りました。最近、タウン情報誌に紹介されるようになった背景には、やはり「団塊世代」をターゲットにしたCD業界の「仕掛け」もあるのかもしれません。

新しいロック世代が登場

 さて、団塊世代から、目を転じて、若者世代はどうでしょうか?最近目に付くのは、イギリス系の新しいロックバンドが、どんどん来日し、決して大きなステージではないものの、二、三百人規模の「ガレージ・ライブ」が行わるようになっていることです。福岡にも「フィーダー」とか「ルースター」といった、本当に若いバンドが来ました。それを聴きに来ているのは、九割以上が二十代の若い男女ですが、中には、ちらほら五十代のミドル・ロックファンも(何を隠そう僕もその一人なのですが)見られます。
 若者の音楽文化情況といえば、最近までラップやヒップホップが主流かと思っていましたが、今や急速にロックファンが増えています。この背景は、何といっても、ブッシュの対イラク戦争に対してロンドンで二百万人のデモが行われたのを機に、パンク系のロックが息を吹き返したのだと思われます。かつての造船の町、グラスゴーを中心に、パワフルなロックバンドが次々に生まれ、日本の若者がいち早く、その魅力を発見したのでしょう。
 このように、フォークやロックを中心に、団塊世代とジュニア世代の不思議な共鳴現象が、起きています。

島唄とアイリッシュ

 しかし、音楽の世界は、決してフォークやロックやヒップホップだけで回っているわけではありません。トラディショナル(伝統文化)を見直し、それを新たにポップかしていく動きも盛んです。それは、ヨーロッパでは、「アイリッシュ」(ケルト)ブームであり、日本では沖縄・奄美の「島唄」や「津軽三味線」ブームであると言えるでしょう。そこには、共通したものがあると思います。先日、福岡のアイリッシュ・カフェに、京都を中心に活動しているアイリッシュ・フルートのバンドが来ましたが、日本の若者でアイリッシュに傾倒している人が徐々に増えています。
 アングロサクソンの大国イングランドに支配されたケルト人の島、アイルランド。その抑圧の中で、育まれてきたのがアイリッシュダンスをはじめとした文化です。ヨーロッパのキリスト教中心の近代文明を見直しのうねりの中で、アイリッシュブームは起きていると言えます。
 一方、この秋、僕は友人と奄美大島に旅行し、地元の居酒屋等で島唄を聴いて回りました。島唄の先生に、ちょっとだけ三線の手ほどきをしてもらいました。島唄と言えば、「元(はじめ)ちとせ」や「リッキ」、「中(あたり)孝介」といった若い歌手が、伝統的な島唄を新しい感覚でポップ化して注目されています。
 奄美は、中世の時代には、海洋交易のひとつの中心地として繁栄を謳歌し、遠く中央アジアや東南アジアから、様々な文化を取り入れ、その中で島唄も形成されたと思われますが、近世になると、西は琉球から、東は鹿児島の島津藩から、政治的にも経済的にも抑圧されるようになります。そんな中でも、脈々と歌い継がれた奄美の島唄が、今、誇らしげに登場しているのには、「シンク・グローバル、アクト・ローカル」といわれる社会的変化が背景にあり、沖縄や津軽とも共通すると思います。
 この他、オヤジバンドとしてベンチャーズを歌い続けている団塊世代の「北九州ブルージーンズ」や、戦後のキャバレー時代からディキシーランドジャズを続けている、昭和一桁世代の「ニュースカイラークジャズオーケストラ」(リーダーのサックス奏者は八十歳、自称「介護つきバンド」とか!?)など、ライブへ行くと、地元の老若男女が、それぞれの歩んできた時代を背負いながら、パワフルに活動しています。皆さんも、ご自分の住む街で、ライブに行ってみませんか?きっと、元気になれますよ。(松本誠也)


 映画紹介 『麦の穂をゆらす風』を見て

 十一月二十七日、川崎のチネチッタで、私は今年のカンヌ映画祭でパルムドール受賞作を獲得したケン・ローチ監督の『麦をゆらす風』を見てきました。この映画とほぼ同時期の激動のアイルランドを描いた映画は、一九九二年のニール・ジョーダン監督の『マイケル・コリンズ』があり、私は何度か見ていました。この『マイケル・コリンズ』は、アイルランド人のジョーダンが、アイルランド共和国軍の要職にあったマイケル・コリンズと初代大統領となるデ・ヴァレラとその右腕のハリーとの友情と確執、そしてアイルランドの内戦に至る経過と彼らの影響下の闘士によるマイケル・コリンズの暗殺までを描いた重厚な映画です。この映画も必見です。ニール・ジョーダン監督が、これらのアイルランドの英雄たちを描いたのとは対称的に、ケン・ローチ監督は、歴史上の英雄の物語ではなく、例えば『大地と自由』で描いたごとく全く無名の人々の内戦時代の悲劇を描きました。
 この映画のタイトルは、アイルランドの伝統歌の名曲『The wind that shakes the barley』から取っています。この歌は、十九世紀後半から広くアイルランドで歌われ、アイルランド抵抗のシンボルとなりました。歌詞はユナイテッド・アイリッシュメンの一七九八年の蜂起を歌ったもので、愛する娘への恋心と祖国の自由を願う心の狭間に揺れながらも、アイルランドの独立運動に身を投じると決然と告げるや否や狙撃され即死した恋人を抱き、血に血の報復で自分も後を追うと誓う青年を歌っています。詩人ロバート・ドワイヤー・ジョイスの詞に、アイルランド独立を掲げていた青年アイルランド党のメンバーが曲をつけ、機関紙「ザ・ネイション」 に発表したもので、アイリッシュ・トラッド(伝統歌)の中でも、イギリス支配への抵抗を歌う「レベル・ソング」(反逆歌)の代表的な曲となりました。それゆえ、イギリス支配下のアイルランドでは、その弾圧により命を落とした者や戦争で逝った者を弔う時に、今までよく歌われてきたのです。
 この映画は、一九二十年代のアイルランドのコーク州が舞台となっています。
 主人公は暴力を忌避し人命を救う医者を志す青年デミアンです。彼はロンドンでの仕事が決まり、アイルランドを離れる前に、友人たちとハーリング(ホッケーの一種)をします。ゲームを終え、別れの挨拶のため親代わりのぺギー一家を訪れたところへ、イギリスの退役軍人で構成されたブラック・アンド・タンズ(治安警察補助部隊 その名称はその黒と黄褐色の2色の軍服に由来する)があらわれ、デミアンたちが国土防衛法で禁止された集会をしていたと厳しく咎め、侮辱的な尋問を始めました。ぺギーの孫のミホールは、二度聞かれたにもかかわらずアイルランド名しか言わない反抗的態度のため、周りが“マイケル”と英語名を教えているのに、十七歳の若さで、ブラック・アンド・タンズの怒りを買って虐殺されてしまいます。
 ミホールの葬儀の日、村の女性が、「麦の穂をゆらす風」を歌って死を悼みます。イギリスへの抵抗、そしてアイルランド独立のため、武器をとって闘おうと話し合う若者たちが集まり、両親が死んだため神学校に行っていたデミアンの兄テディはそのリーダーです。しかしデミアンは、イギリス軍の強大な武力の前に何ができるのかと疑問を投げかけます。そんな彼に好意を持ち続てきけたミホールの姉シネードは逃げるのと批判するのでした。
 彼がロンドンへ出発する日、駅で起きた情景に彼の気持ちは変わります。イギリス兵士を列車に乗せるのを、組合で禁止されていると駅員・運転士・車掌が拒否したため、彼らは手酷い暴力を受けたのです。しかし、断固として態度を変えず、兵士たちに乗車をあきらめさせます。こうして、彼も医師になる道を捨て、兄テディとともにアイルランド独立をめざす闘いに参加すると決めました。
 暴力を忌避していた彼が、銃で敵の命を奪うようになるまで、たいして時間はいりませんでした。彼らの闘いは悲惨そのもので、裏切りにも直面します。そのため銃殺される事になったのですが間一髪、イギリス兵の手引きで脱走します。この時の牢獄で、デミアンは、長らく独立への戦いをつづけている男ダンに出会います。彼こそ、デミアンに闘いを決意させたあの日の列車の運転士だったのです。このダンは、一九一六6年アイルランド市民軍を含むダブリンの共和派の軍事指導者としてイースター蜂起を指揮し、五日間の戦闘の後、蜂起は失敗に終わり、逮捕されたコノリーとともに闘ったのだと聞かされます。負傷により担架に乗せられたまま処刑場に運ばれ、ジェームズ・コノリーは椅子に縛り付けられて銃殺されたのです。この誇りを踏みにじる無惨な英国の処刑方法が、当時穏健だったアイルランド国民を激しく憤らせ、抵抗運動に火をつける結果となりました。
 この映画でダンとデキアンの間で語られたコノリーの有名なスピーチの一節は、「明日、イギリス軍を追い払い、ダブリン城に緑(アイルランド)の旗を掲げようとも、社会共和国を組織しない限り、我々の努力は無に帰する。イギリスは、その資本主義者を通して、その地主を通して、その金融家を通して、彼らがこの国に植えつけたすべての商業的で個人主義的な制度を通して、私たちを支配し続けるだろう」でした。このシーンは、ダンとデミアンが、後日条約反対派になり徹底抗戦を呼びかける事への伏線かも知れません。
 村の人々は、彼らの闘いを助け、女たちも「クマン・ナ・バン」(女性自治組織)として組織化され、武器の隠匿や彼らを匿い、軍令の伝達にも関わるなど、アイルランド共和軍の高度に発達した諜報ネットワーク、そして共和国議会の民事裁判運営に重要な役割を果たしていました。『マイケル・コリンズ』でも、ロンドンから派遣された対マイケル・コリンズテロ対策の特殊部隊長に仕えていたロージーは、部隊構成員を記述したメモを彼の部屋のゴミ箱から拾い上げて、マイケル・コリンズに褒められるシーンがありました。シネードもまたその闘争に加わり、彼らを支えていたのです。映画では、民事裁判の判決を不服としたテディら共和国軍が介入した事に「クマン・ナ・バン」は反発し対立が深刻化し始めた時、ダンはこの闘いはアイルランドの貧しい人々を救うためのものであるべきだと発言して、彼らの現実判断からくる歪んだ行動を諫めます。
 独立のための戦いは、日に日に激しくなり、イギリスはそれに対抗して強制捜査を実施し、家屋・村・町を焼き払い略奪にまで発展して、報復が報復を招く悪循環となり、戦闘はどんどん残酷なものとなっていったのです。ついにシネードとぺギーらが暮す家も焼き討ちにあいます。しかし、激しいゲリラ戦は各地でイギリス軍を苦しめ、精根尽き果てたイギリスは停戦を申し入れてきます。ようやく自由と平和を手にする時が来たと喜ぶデミアンたち。しかし、この喜びはつかの間でした。イギリス軍は撤退し、イギリスとアイルランドは講和条約を結ばれたが、その内容はアイルランドを完全に独立させるものではありません。イギリスは“アイルランド自由国”を認めたものの、それは英連邦の自治領だったのです。イギリスはアイルランドから得られる利益を手放そうとせず、イギリス国王は総督として権限を持ち続け、北の六郡はイギリスに残り、アイルランドは分断される事になりました。
 やがてアイルランドの指導者たちが、この条約の賛成派と反対派に分裂し、アイルランド人同志が闘う内戦へと発展します。『マイケル・コリンズ』が、この間の上層部の闘いを描いたのに対して、この作品では、目の前の悲惨な戦争を止めて、条約を自由へのステップと考えて賛成するテディと完全な自由と貧しい人々の幸福を求めて条約に反対するデミアンとの兄弟間の分裂として焦点化したのです。『マイケル・コリンズ』では、アイルランド人自身が一年続いた内戦について沈黙しているので、ここまでは描けていません。
 アイルランドの内戦とは、かつて共に戦った仲間たちが、隣り合って生活していた者たちが、そして家族や兄弟が、敵味方に分かれ殺しあうことを意味していました。この作品は美しい風景の中で繰り広げられたアイルランド内戦の残酷な真実を無名の人々の生活から描き出したのです。まさに深く静かな感動を呼ぶ作品に見事なまでに仕上がっています。
 この映画は、イギリス本国で、イギリス人のケン・ローチが、なぜ恥部であったアイルランド統治を暴き立てる反イギリス映画を作らなければならないのかとの物議を大いに醸したとの事です。ケン・ローチ監督は、「この映画はイギリスとアイルランドの間の歴史を語るだけでなく、占領軍に支配された植民地が独立を求める世界中で起きている戦いの物語であり、独立への戦いと同時にその後にどのような社会を築くのかがいかに重要かを語っている」と述べましたが、カンヌ映画祭では、明確に「この映画が、イギリスがその帝国主義的な過去から歩み出す小さな一歩になってくれることを願う。過去について真実を語れたならば、私たちは現実についても真実を語ることができる。イギリスが、今力づくで違法にその占領軍をどこに派遣しているか、皆さんに説明するまでもないでしょう」と語ります。受賞でこの映画制作意図が誰でもはっきり理解できるまでになりました。
 確かに過去の過ちを語ることは易しい事ではありません。しかし、現実にその一歩を踏み出さなければ、世界はどうなるのでしょうか。ローチのメッセージは、声高でないが実に重たいのです。彼が言いたかった事は「イギリスはイラクから手を引け」でした。このメッセージは世界的に言っても現在大変なインパクトがあります。イギリス軍は一体何時イラクから撤退するのでしょうか。すでにブレアは引退を表明しています。
 昨今、ハリウッド映画やその影響を受けた娯楽映画が世界を席巻しています。そうであればこそこうした良質の映画を大勢の人達に鑑賞していただきたいものです。私とともにこの映画を観賞した人達は残念ながら五十名もいなかったようなのです。私たちは、長らく語られなかった真実を客観視する為、またケン・ローチ監督の今回の快挙を顕彰する為にも、この映画の事を、是非とも自分の周りの人々に語っていきたいものです。(霞ヶ丘)案内へ戻る
 

 連載 グラフで見る高校生の意識調査・その4

 問4 保護者にどこまで進学するように言われていますか
   あなたはどこまで進学したいですか

 「高校まで」を希望する保護者が全体で2割弱います。男子の保護者は70%以上が大学・大学院への進学を希望していますが、女子の場合は55%にとどまっています。この割合は、保護者と本人で大きな差はありません。
 本人と保護者の希望に違いがあるのは、専門学校への進学です。専門学校への進学を希望する高校生の割合に比べ、保護者の割合は少なくなっています。
 前回(14年前)の調査と大きく違うのは、女子の短大への進学希望が、保護者・本人共に大きく減ったことです。一方、男女共に専門学校への進学希望は増えています。

 専門学校の希望が増えてきたのは、ここ10年ほどで専門学校の各種分野も増え、資格が取りやすくなったからだと思います。しかし、専門学校に掛かる教育費は大学よりも高額だと耳にします。保護者と高校生本人との希望のずれは、ここに原因があるのではないでしょうか。自分の将来に目標を持ち、専門学校を目指すことは、目的もなく大学に行く者たちよりも、一歩進んだ健全な判断だと思います。女子の短大離れは、充実した専門学校に移行したからでしょう。保護者の経済力に左右されず進学を選択するには、現行の奨学金制度をもっと充実させる必要があると思います。  (恵)


転校は逃げじゃない≠ニいう一文について思い出すこと−わが母のやり方紹介

 国民小学校4年生の時だったと思う。男女共学。私は何か知らん副級長さんだった。5年生になって学童疎開が始まったから、その直前のこと。雨の日、待避訓練で一つの教室に集められた。私はオシッコに行きたいと、どうしても言えず、ジョージョーとやってしまった。傘のシズクと思われたらしいが。
 やっと家へ帰ったが、副級長さんがおもらし≠ニあって、日頃仲のよかった友だちもみな嘲笑し、とてもやっていけないと思った。母に転校させて≠ニいうとアホ、そんなことで転校しとっとたらどないすんねん≠ニ翌日から、ランドセルを背負わされ、お尻を叩かれて登校させられた。
 人の噂も75日とか、しかし、このときトラウマなるものを体感した。当時、毎朝学校で朝礼があり、いつもオシッコをもらさないかと言う不安が、実際に体の調子が変てこになってしまった。それは、列を離れて先生にオシッコに行かせて下さい≠ニ言わせ、オトイレにかけこんでも出ないという事態を起こした。年とって、これがトラウマ∞条件反射≠ニいうものらしいことを知った。
 しかし、気の強い母にお尻を叩かれて尻込みをおしきって登校したことは、よかったと思う。現在のいじめ≠ヘもっと陰湿なのであろうが。死≠ノ至るほどならば大人がその前に、手をさしのべるべきであろう。
 いじめ≠演ずる挑発的(大人に対して)な小学生に出会ったことを書いてみる(私の思い込みであろうか?)。公開講座のからの帰途、電車のホームで小学生男の子が二人、一人が上に乗っかり下にいる一人が謝ってるじゃないかカンニン≠ニ言っているのに出会った。サラリーマンの男性は避けて通る。私は、我が家に住み着いたネコたち(みなオスなので手術して去勢してあるのだが)が老いたボスネコの上にのっかって、かみついているネコを思い出した。
 ボスネコは逃げ出せずミーミーと泣く。そうした光景にも似た小学生(男の子)二人であった。大人たちが通り過ぎていく前での挑発的な演技とも感じた。何もよういわんのか≠ニ。
 本当のいじめ≠ネら人通りのあるところ、ホームでやるはずはなかろう。私は負けた子に負けとったらあかんやん・・かかっていけ≠ニ言い捨てて通り過ぎた。ムカつくほどイヤな光景であった。情けない大人への挑発行為だと私は感じたが、思い違いだろうか。いやらしいジャレあいのように思った。私の思い込みであろうか。最近入手したベケットの劇本言いちがい、見ちがい≠ニいう本。どんな芝居かな?と興味しんしん。  2006・11・24 宮森常子

 最近、我が家の20年来の愛読紙「神戸新聞」では、いじめ≠取り上げた連載を行なっています。一般読者からのいじめについて、「私はこう思う」という意見欄を設けて紹介するやり方です。実際にいじめられた方からの声が多く、対処方法を具体的に示し参考になる貴重な体験談です。例えば、いじめの現状から脱け出すために、誰かに相談できれば1番いいですがそれ以外に、何か好きなことに打ち込む、学校を休む、転校する、とにかく、一度ゆっくり心を休める所を見つけることです。生きていれば、今のいじめが、人生のほんの一時だったことに気づくときがくるはず、と忠告している大人が何人も居ます。関心を持ってくれる人がこんなに居る、この声はきっと被害にあっている少年・少女に届くはずです。
 紙面には、一般読者の他に、元教師・タレント・知識人・精神科医など色んな分野から、なくせいじめ自殺「君に伝えたいこと」をメッセージで発信しています。このなかで、いじめをしている側の精神分析がなされ、意外な面を教えられました。
 「中心になっていじめている子はともかく、一緒になっていじめている子どもたちはいつも心が不安定でピリピリしているということだった。誰かをいじめていないと自分がやられるんじゃないか。誰かを攻撃していないと自分が疎外されるんじゃないか。いじめで優位な立場なったはずなのに、不安でしょうがない。だからまたいじめを繰り返して、不安を消し去ろうとする」(11月25日)
 いじめている側の子どもたちへの配慮も考えないと、いじめは無くならないということです。いじめることで不安は解消されない、むしろ自分の居場所を見つければもっと安心して日々を暮らせることを、伝える。これは、人生の先輩である大人たちが自分の行動でもって示していく、そんな課題を突きつけられた記事でした。  (恵)


 つれづれなるままに(ミクロからマクロへ至るまでの曲折)

 11月25日、今日は公開講座最後の日、特別講座として桂染丸氏の落語の国の笑い≠ニいう時間がある。上本町4丁目の地下鉄を降りて改札を出たところに、赤いハッピを着たおネエさんが300円の宝くじを売っている。落語の授業を受けに行くのには恰好の庶民の夢≠売っているのに出くわした。高津の富くじ≠ニいう落語を思い出し、300円払って夢≠買った。うれしくも楽しくもなんともなく、つまらない思いである。
 さて、染丸さんは大阪・京都で学生さんたちに教えているそうだ。落語が都市に生まれたもの。江戸の中期に大阪・名古屋・江戸の三都に時を同じくして一斉に生まれたとか。なんでその時代に? というのに答えはまだわからんとか。私は落語に限らず笑い≠ヘ心を遊ばせる≠アとであろうと解している。
 「二宮金次郎」はたしかに村の勉学にはげむ少年で、結果として篤農家として登場したであろうが、オモシロクはない。その残された教訓はゴモットモ≠ニスバラシイものもあるが、マジメにクソ≠ェつくような感じがしないでもない。
 お笑い≠フ芸は都市のものであることは、言を待たずとも感得できる。江戸と大阪の気風のちがいも、経済の土台と管理体制のちがいからくることの説明もオモシロク聞いた。椎名麟三氏が戦前、阪神電車改札の切符切りであった頃、切符にパンチを入れる(当時は切符)一枚一枚にパンチで穴をあけたそうだ)のに技があった。パンチを指先でクルリと宙に浮かせてまわす仕草をやってからパンチを入れた、というくだりを昔読んだ彼の小説からの切れ端を思い出した。
 単調な切符切りという仕事の中での遊び≠ナはなかったかと、今にして思う。それにしても呑気なくらしであったんだな、たとえ貧しくとも。現在のサマを書いてみる。5時かっきりに授業が終わって地下鉄ホームに立つ。電車がすべり込んでくる。バタバタと飛び乗る人々。電車後尾の車掌の発車の合図を出さずに待っている。
 安全≠ェ頭にあるかどうかはわからないが、私の足はノロイ。私は行って≠ニいうゴーサインをしながら歩き続ける。客から行って≠ニいうサインをホームの客から受けたことは意外であったかもしれないが、車掌さんの顔がホコロビ、発車して過ぎ去った。大きく見れば客がとびのり≠オようがしまいが、地下鉄の過密ダイヤは変わらぬであろう。決められたダイヤの中での、せめてものの安全≠ノすぎなくても、車掌の一瞬の笑みに私は気をよくしたものだ。ルールを守る≠ニいうのは、こういうことでしかないのだが・・・。
 私のとった行動がよかったか、間違っていたかわからなくなった。土曜日の午後5時過ぎ、退社の時刻とはいえ、なんであんなに急ぐのだろうか。セカセカ人々、事故多発もなんのその。ゲートから一斉にとび出す競走馬みたいに思われるといったらどやされそうだが。
 チャップリンの目「モダンタイムス」は、流れを歴史とすれば、その中にそれを投げ込み、歴史もそれもつき離してみている目。小説家の小川洋子氏のいう「自分をきりすてる」ということであるかも知れない。上手≠ニいうことは手慣れ≠トしまうということであろうし、そこから力点≠ニ手抜き≠キることのコツを発見する。その慣れ≠ェついには機械的な動きとなり、ロボットのように身体的に覚えこんでしまう動きとなるものらしい。
 上手の手から水がもれる≠やうさもあろう。私がりくつっぽくて敬遠され考えてたら生きてられへん、お前さんはわからん≠ニいう反発の中、ナゾときの材料が込められているかも? いずれにせよ宙ブラリンの自分を見出すのみ。2006・11・26朝 宮森常子


 介護日誌16・・・○月□日

 午前3時、階下で母(84才介護度4)の「助けてー!」の叫び声。聴力が弱い私はまったく気づかず、夫があわてて見にゆくとベッドから落ちて畳に尻餅をついている。ひとりでベッドから車椅子に移ろうとして落ちたらしい。幸いにして怪我は無くほっとする。それにしても不思議なのは、ひとりで着替え脱いだパジャマを畳んで台の上に置いてあったこと。いつもはひとりで着替えるのは大変だと大騒ぎするのに・・・。おまけに翌朝、母はこの真夜中の出来事をまったく覚えていない。
 こんな「事件」のあと、しばらく私は幻聴に悩まされる。睡眠中しばしば、母の呼ぶ声や物音に驚き階下を見にゆくと、幻聴なのだ。

  ○月△日
 今日は夫が休みで朝はゆっくり。午前7時半、そっと襖を開けて見るとぐっすり休んでいる様子。ここで私の「計算」が働く。(今日は一日2食にしよう)私が楽だし、身長140センチそこそこで、ベッドと車椅子での生活がすべての母にとって、3食きっちり食べるということは食べ過ぎなのでは?と思う。母は毎日下剤を飲んでいるが、ほとんど自然排便は無く、浣腸や摘便(人差し指で肛門の奥を刺激してもらい便を掻きだす)のお世話を受けなければ半月間でも便秘してしまう。(それでも母は苦痛でもなく普通に食べられることも不思議)
 8時半、30分後に訪問看護による導尿カテーテルの交換(ほぼ10日に1回)があるので、それに備えてお茶を一杯飲んでもらう。
 9時から10時まで訪問看護。便秘5日目なので、浣腸と摘便のお世話を受けび
っくりするほど大量に出る。今日はトイレに行くのに間に合わず、ベッド上での排便になってしまい、次から次へと出てくるためおむつが何枚も必要になる。それでもとにかく出てくれたことに感謝。臭いは・・・とてもきつい。あー逃げ出したい。
 それにしても、母にとっては赤の他人の私たちの前に下半身をさらさねばならないことは、気持ちの上で相当の苦痛だろうなと想像する。

  ○月◎日
 今日は母についての「ケース会議」の日。介護保険制度が4月に「改正」され、利用料金の負担増など悪くなったという実感は多いが、今日の「ケース会議」は唯一良くなったといえること。
 担当のケアマネージャーを中心に、いま母が利用中のデイサービス(2箇所)、ショートステイ、訪問看護、そして私の6人の話し合いに、母も同席させて頂いた。約1時間ほど、母の現状や今後の方向性について本人の希望も取り入れながら、よい話し合いを持つことが出来た。「最低でも1日4時間は座っていられるように」など、具体的な目標もあげられた。
 2箇所のデイサービスでの様子について「同一人物とは思えない」と言われる。片方では終日仲良しの人とおしゃべり、もう片方では一日黙って座っているとのことで、びっくりする。今後配慮してくださるとのことで、ほっ。
  ○月▽日
 母が6日間のショートステイに出発する日の朝。これからしばらくの自由な日々を思い私は浮き浮きと、荷物の準備をする。ところが予定の迎えの時間が30分近く過ぎても、車が来ない。5分が1時間にも感じられていらいらしてくる。40分遅れでやっとお迎えが来て事情が判明。送迎車は、車椅子でも乗れる大型のもので、今日が初めての運転手さんだっために大幅に遅れてしまったのだ。60代の生真面目そうな男性が、慣れない手つきで車椅子用リフトの操作をしているのを見て、少し同情してしまった。私か密かに「ばあちゃんの白馬の王子」と呼んでいた、前の運転手さんは体調を悪くされたとのこと。王子の健康と、今日の新人氏の運転上達を祈る。(澄)案内へ戻る