ワーカーズ339   07/2/15   案内へ戻る

あらゆる議員特権の公開と廃止を要求する!
事務所費、政治資金管理団体を使った不動産所得・・・、カネめぐる不正ぞろぞろ


 二月十三日、民主党は、政治資金収支報告書に多額の事務所費を計上した事を衆院予算委員会で取り上げた。そして、その事実以上に、政治資金の詳細公開に消極的な安倍首相の姿勢を追及した。それに対し自民党も民主党の小沢代表が資金管理団体を通じて取得した不動産を現地視察する等、お互いに党首のイメージを傷つけようと必至のようだ。事態は全くの泥仕合とはなりつつある。私たちはあらゆる議員特権の公開と廃止を要求する!
 民主党馬淵議員が「小沢代表は領収書を含めて公開する用意があると述べている。首相が明らかにする姿勢を示すべきだ」と質問すると首相は「各党の議論で『この水準で公開しろ』と決まれば、それに従うのは言うまでもない」と答弁する。さらに馬淵議員が政治資金規正法で領収書の添付が不要な事務所費の詳細公開に意欲を示す小沢代表を持ち上げ、伊吹文科相松岡農相の対応を糺す。両相が「疑惑は一切ない」と反論すると馬淵議員は「『個々の支出を積み上げ、適正に報告を行っている』と答弁する想定問答が一月三0日の閣僚懇談会後に配布されたのではないか」と切り込んだが、この想定問答については、下村官房副長官は先の記者会見での前言を翻し十三日の答弁では「閣僚の立場を離れ、政治家同士で議論したことを話す必要はない」とした。彼らは一体何を恐れているのか。
 これに対して、二月十二日自民党の中堅・若手議員らの「国会改革に関する委員会」は、小沢代表が資金管理団体を通じ、世田谷区に取得した秘書の独身寮を現地視察し、篠田委員長は、政治資金を使って「不動産を持つことには違和感がある。秘書には住居手当を出せばいい」と批判する。お互いの醜さをさらけ出すべくもっともっとやればよい。しかし、この問題の核心は、労働者民衆の想像を絶するあらゆる議員特権の公開と廃止にこそある。ここに一切触れない自民党と民主党のやりとりなど全くの茶番でしかないのだ。 (I)


原子力空母配備「住民投票条例案」 反対31票、賛成10票で否決

 二月八日、全国的にも注目されていた神奈川県の横須賀市臨時市議会で審議されていた米海軍横須賀基地への原子力空母配備の是非を問う住民投票条例案が、本会議で各会派の討論後、自民や公明、保守会派の反対で三十一対十で否決された。この暴挙に対して、満員となっていた傍聴席からは「市民をあなどるな!」などの声が上がった。原子力空母母港化反対に全会一致の決議が過去二回なされていた横須賀市議会の真実が、今こうして暴かれたのである。
 反対した自民党市議は「原子力空母の問題は本市に決定権はない」「日米安保体制堅持の立場から原子力空母の配備は当然のこと」などと述べ、公明党市議は「住民投票の実施は市政の混乱の火種となる」と反対討論した。では彼らは過去二回もなぜ賛成してきたのか。全く説明がつかない対応ではないのか。彼らのご都合主義は断固として糾弾しなければならない。
 賛成討論を行ったのは、教組出身の原田氏やネットの原島氏や共産党の二人の議員等であった。原田氏の所属した会派は分裂し、今度の市議選に民主党公認で出る市議二人も賛否が分かれた。まさに有象無象の議員は、今回の自分がどの立場に立つのかについて、今まで市民に対して包み隠して政治的立場を誰の目にも明らかにしてしまったのである。
 約四万の同条例制定の請求署名を集めた「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」は、本会議後に記者会見して、共同代表の呉東正彦弁護士らは「多くの市民は到底納得できないでしょう。市議会が市民の意見を市政に反映させる機能、市政をチェックする機能を失ってしまったのではないか。このことは次の市議会議員選挙でも市民に問われなくてはなりません」「大切なことを自分たちで決める街としていくため、さらなる運動を展開していく」との抗議の声明を発表した。
 この声明の中で、横須賀市議会も、市民の多数の署名を尊重して三日間かけて慎重に審議した事、また賛成討論が八人反対討論三人と賛成が討論を圧倒していたことなどを評価しつつも、「なぜ、市民の声をきちんと聞く手続きを、取ろうとしないのでしょうか。この素朴な問い掛けに市長も市議会もきちんと答えて」いないと指摘し、「市議会の否決が、変わり始めた市民の風をとめられない」と述べて、横須賀市議会の構成を変える事を新たな目標として、「更なる運動を展開していく所存です」と宣言した。
 その後、横須賀中央駅前で、市議会決定に対する同会の抗議の宣伝情宣活動を行ったのだか、四月十五日に告示される横須賀市議会選挙は、「条例反対派」が今までかぶり続けてきた偽りの仮面が全部はがれた選挙でもあり、選挙民にとっては、実に分かりやすくなった選挙でもある。反対した議員たちには、今回の選挙が市議会議員に対する裁定の場だと深刻に認識させなければならない。
 私たちはこの機会を積極的に捉えて、横須賀市議会の住民自治推進勢力の伸張・拡大に力を尽くしていかなければならないだろう。
 ともに闘おう!            (猪瀬一馬)
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原子力空母配備問う住民投票条例案否決“市民の声なぜ聞かぬ”
横須賀「成功させる会」
 神奈川県の横須賀市議会が、住民投票条例案を否決したことに対し、「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」は八日、声明を発表しました。
 
住民の声生かす市議会づくりへ
党県委・党市議団 神奈川県横須賀市議会で、「原子力空母の横須賀配備についての住民投票に関する条例」案が否決されたことに対して、日本共産党県委員会(小池潔委員長)、党三浦半島地区委員会(有谷隆敏委員長)、党横須賀市会議員団(ねぎしかずこ団長)は八日、声明を発表しました。

 声明は、「住民の声を聞くのかどうかという住民自治の問題が問われている時に、蒲谷亮一市長の姿勢をチェックするはずの市議会がその役割を充分に果たさず、『住民投票条例』案を否決した責任はきわめて重いといわざるを得ません」と批判。引き続き、原子力空母の配備を許さないたたかいを市民とともにがんばるとのべるとともに、「当面の課題として、来るべきいっせい地方選挙で市民の声を聞き、市民の声を生かせる市議会をつくり、新たな展望を切り開くため全力をあげる決意です」と表明しています。


読書室  T
『看護のための「いのちの歴史」の物語』 本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子各氏共著  現代社 1700円


 0七年一月二十五日、三浦つとむの学統を受け継ぐ南郷継正氏の弟子たち十数名が、三十余年の研鑽を経て、一九七九年の宣言以来待望久しかった「生命史観」を具体的に明らかにした著作をついに出版した。本書は季刊『綜合看護』現代社に連載された論文を書き直したもので、著者として今回名が出た人たちはその代表である。まさに偉業ではないか。
 『看護のための「いのちの歴史」の物語』の表題の最初にある「看護のための」について言えば、看護の対象とは何よりもまず生きている人間であり、「人間とは何か」「いのちとは何か」が分からなければ、見事な看護にはならないのは自明である。ゆえに、本書では、看護の対象である人間とは、一体どのような存在かを理解するため、「いのち」 の起源を地球の誕生まで遡って、「いのち」がサルを経て人間 にまで進化してきた過程を、「いのちの歴史」 として学べるように構成されている。すなわち、「人間とはどのような存在か」 を分かるためには、つまり人間を全体的に把握し、「いのち」が人間にまで至ったプロセス(=歴史性)を踏まえて人間を理解することが大切であり、それを看護に結びつけるための 「いのちの歴史」 なのである。
 このように、私たちは、単細胞の「いのち」が誕生してから、三十五億年の壮大な 「いのちの歴史」 を学ぶ事で、新たな看護の世界が見えてくるであろう。また、本書で説かれている「いのちの歴史」とは、世情よく言われている「生物の歴史」とは全く違う。つまり、「地球上に存在しているありとあらゆる種としての実体の歴史、つまり生物体のたどってきた道」を説いたものではなく、「その生物を生かし続けているもの、すなわち『いのち』自体の変化・発展の歴史に着目」した場合浮かび上がってきたもの、言い換えれば、「『いのち』はどのように生まれ、どのような姿や形をとって現代の人間まで発展してきたかの、壮大なパノラマ」を説く。人間に至る進化の直系はここに明らかになった。
 本書は言う。「『いのちの歴史』を学ぶことによって人間に関するどんな問題も、自分の力でその答えを探っていくことができる実力がつくのです」また、「あらゆる人間の問題そして人間を生んだ自然の問題、人間がつくった社会の問題を解く鍵は、『いのちの歴史』の物語にあります」そして、「人間は、生き物の頂点として、高度に発達した脳をもち、認識の働きですべての活動が統括されています。体の仕組みも働きも複雑怪奇であり、それを理解することは極めて困難なように思われます。しかし、それはそこまで発展してきたからこそであり、初めは単純なものからここまで発展してきたのです。そしてついには生命体は『認識』あるいは『こころ』というものをもつに至ったのですが、いささか文学的な表現をすれば、『いのち』が咲き誇ったのが『こころ』であるということもできるでしょう。したがって『いのちの歴史』の物語を基礎とすれば、われわれの『こころ』の謎を解くこともできるのです」と。そして、『なんごうつぐまさが説く 看護学生・心理学科学生への"夢"講義(第一巻)』は今まさに第二巻の出版がなされようとはしている。
 さらに付け加えれば、本書の叙述は、同じ事柄が何度も話題にされて、つまりその度に螺旋状に説明が詳しくなるよう諄々と説得的に説かれている。そのため、初めはまず全体像を描けるようにし、徐々にその発展の構造や意味と必然性が理解できるようになる。もちろん、学術論文ではなく、あくまで「看護のための」との限定付きなので、厳密な論証のようなものは煩瑣にならない程度に省略されている部分も多々ある。したがって、本書は、学術論文ではなく物語なのである。この学術論文は別に出版するとのことだ。
 ここで本書の章立て(第14章と第15章については節も)の構成を紹介しておこう。
 第1章 プロローグ 「いのちの歴史」の学びは、人間の謎を解く
 第2章 大宇宙の中での、私たちの太陽系はどのようなものだろう
 第3章 「いのちの形成(生命現象)」は地球現象として始まった
 第4章 「いのちの形成(生命現象)」過程の謎を解く
 第5章 「生命体の歴史」は自らが生みだした水の発展とともに
 第6章 「生命体の歴史」は運動形態の発展として理解しよう
 第7章 運動形態を担う生命体の構造の発展を知ろう
 第8章 地球の激変に対応して、両生類段階から哺乳類段階へ
 第9章 哺乳類段階の誕生(1) ―卵生から胎生への過程的構造
 第10章 哺乳類段階の誕生(2) ―胎生・授乳の必要性
 第11章 哺乳類段階でのサル(猿類)への道
 第12章 サルへの道は植物の発展とともに
 第13章 ここまでの「いのちの歴史」をふり返ると
 第14章 サルから人類への過程 ―脳の実体的・機能的発展とは何か
 第1節 木に登ることで分化した手と足が脳の発達をうながした
 第2節 実体的に発達した脳の像形成の変化とは何か
 第3節 脳の「問いかけ的認識」の芽ばえへの過程を見よう
 第4節 樹上から降りたサルはヒト(人類)への過程をたどる
 第5節 ヒトから人間への過程は労働によって発達した認識によって
 第15章 エピローグ 「いのちの歴史」の学びを看護に生かすには
 第1節 「いのちの歴史」は「こころの歴史」へと続く
 第2節 看護には弁証法の学びが必須である
 この構成を見るだけで、本書の壮大な観点や具体的な視点が確認できる。太陽系や地球の生成については、エンゲルスが『空想から科学へ』で、カント=ラプラスの星雲説を肯定的に引用したように、哲学者は問題にしてきた。大哲学者のヘーゲルもこの事を論じてはいる。本書の核心は、太陽系と地球の生成が「いのち」の歴史の核心にある事を明確にした事である。その意味では、地球の歴史は「いのち」の歴史なのである。
 残念ながら、マルクスやエンゲルスが、若気の至りから自然界をも考察するとの哲学の本流からははずれた事、これを深刻に反省した晩年のエンゲルスは精力的な研究を開始し『自然の弁証法』を残したが、ヘーゲルが築き上げた体系と比較して、唯物論哲学の自然体系は全くの未完に終わった。もちろん、さすがはエンゲルスで、『サルの人間化における労働の役割』を残してはいる。しかし、今回本書の第14章で、地球の生生発展の中で、サルの人間化を考察する事でエンゲルスの見解は決定的に揚棄されたのであった。
 本書では、地球が太陽系の他の衛星が持つことが出来なかった「いのち」の歴史を切り開けたのは、地球が自分の直径4分の1の月自ら生み出しかつ自らの衛星に持った事が決定的だった事を指摘している。私に言わせれば、弁証法のすべての基礎であり、核心としての決定的な自己内二分裂を地球は生み出したのである。
 さらに、カントのアンチノミーの基礎となったゼノンの逆理を使って、弁証法的思考を展開していく。そして、エンゲルスが抽象した弁証法の三大法則、つまり量質転化と対立物の相互浸透それに否定の否定が、随所で論理的説明に使われる。例えば、「いのち」の歴史の発展段階として、カイメン段階→クラゲ段階・魚類段階→両生類段階・哺乳類段階という発展や初期哺乳類→サル→ヒト・人間という発展は、大地から離れ海や樹上に行くがまた再び大地へ戻るとの否定の否定としての発展である等々。
 こうして、 生命体の誕生に関しては、オパーリンの『生命の起源』が有機物の生成に着目したものの水との関係を視野に入れなかったため失敗した事や本書では扱われていなかったがアドルフ・ポルトマンの『人間はどこまで動物か』での人間未熟児出生説が根本的に揚棄された。また、サルがなぜ人間になれたのかの謎も、第14章において根底から明らかにされた。この章の著者は、南郷氏の配偶者看護学者の薄井坦子氏に影響を受けた医師の瀬江千史氏だ。これをとっても本書が南郷学派の宣言書である事は明白である。
 「心に青雲」のサイトを公開している南郷氏の空手の弟子は、「本書は実は、南郷学派による、21世紀の『弁証法はどういう科学か』ではなかろうか。三浦つとむさんの『弁証法はどういう科学か』(講談社)は、教科書としては最高であると、南郷師範は説かれるが、いわば知識的に弁証法を正しく理解するには最適な本であるけれど、弁証法を運動として理解するのは不足している。弁証法とはまさに運動であり、宇宙規模での激動を捉える論理であるということを、この『看護のための「いのちの歴史」の物語』は、《生命の歴史》を解くと直接に、解きあかしたのだ」と本書を高く評価した。
 また、彼は、その意味で本書の最終章にある「第15章エピローグ“いのちの歴史”の学びを看護に生かすには」の中の弁証法の“学び方”と“使い方”を説いた箇所が最も重要な部分ではないかとも発言している。この点私も全く同感である。
 彼は言う。「弁証法の学びは、具体的な事実の一つ一つにあたりながら、これは量質転化、これは相互浸透などと当てはめて学習する(と、南郷師範から教わった)。その学習がやがて、『弁証法というものの形が、アバウトな像として少しずつ頭の中で形成されていくことになる』、これが弁証法の学びである」と。
 『看護のための「いのちの歴史」の物語』は、弁証法の学び方の実践編としても読める。三浦つとむ氏の現行『弁証法はどういう科学か』(講談社新書159)は、1968初版以降若干改訂されたが、今でも書店で購入できる信じがたいほどの寿命を保ってはいる。しかし、例証主義に走る事や相対主義に道を開きかねない弱点等が散見され、そのために弁証法に対する信頼が失われている事は残念ながら否定できない。しかし、この弱点を克服した優れた本が今回出版された。これこそ私たちが学ぶべき本である。
 社会についての記述がほとんどない事に不満が残るもののそれは梯明秀氏の戦前の『社会の起源』が底本とはなるだろう。全面的な書き換え、これは私自身の課題でもある。
 その事はともかくとして是非とも読者諸賢に本書の一読を勧めたい。   (直記彬)案内へ戻る


読書室 U
     日本経済団体連合会「希望の国、日本」‐ビジョン2007‐
     経団連・御手洗ビジョン「企業も国旗・国歌を」


 経団連が求めるこの国の明日、「希望の国、日本」が刊行された。技術革新や改革を徹底すれば、年平均で実質2・2%、名目3・3%の経済成長が可能だとしている。小泉の5年間で確かに企業の業績は回復したが、それは労働者から絞りつくした結果であり、累々たる屍の上に築かれて繁栄に過ぎない。大企業における不払い残業の横行、偽装請負などの脱法行為、その結果が、自殺大国やワーキングプアと呼ばれる労働実態の出現である。実に恐るべきたくらみだ。
 政治的要求としては9条改憲を求め、国民に愛国心を持つことを要求している。「新しい教育基本法の理念に基き、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持ちをはぐくむ」「国益の確保や国際平和の安定のために集団的自衛権を行使できることを明らかにする」等、言いたい放題だ。

 キャノン会長にして、経団連会長の御手洗富士夫氏は本書刊行の意図を次のように述べている。
「日本における『官から民へ』『国から地方へ』を旗印とした構造改革は、疲弊した枠組みを破壊し力強い日本を再生する夢を与えた。そして不良債権をはじめ経済面では過去の負債の処理がようやく一段落した今、求められているのは、新しい経済社会を創造していく確かな地図でないかと思う」「経団連が今回、改めてビジョンを取りまとめたのはこのような考えからである。したがって、本ビジョンでは華やかな夢やキャッチコピーにはページを割いていない。予測可能な10年後のあるべき姿を目標として示し、これを確実に実現するために国・地方、企業、国民が取り組むべき具体策(ロードマップ)を書き込むことに力を注いだ」
 ビジョンは、我々の前に二手の道があるという。それは、弊害重視か成長重視かということだが、あまりに明け透けな弊害重視派≠ニいう命名に敵意すら感じる。
「一方には、先行きをさまざまに思い悩み、弊害が最も小さくなる道を進むことを主張する人々(弊害重視派)がいる。弊害重視派は、所得格差の拡大、都市と地方間での不均衡など不平等の問題を厳しく指弾する。そして、改革を中断しても、その是正を急ぐことを訴える。税や社会保障を通じた所得再分配の拡充や公共事業の拡張が弊害重視派の処方箋である」「他方には、ベストのシナリオにチャレンジするひとびと(成長重視派)がいる。成長重視派は、いわゆる弊害は、グローバル化や少子高齢化などがもたらす歪みであり、改革の手綱を緩めれば、かえって事態は悪化すると考える。改革を徹底し、成長の果実をもって弊害を克服する、これが、成長重視派の基本スタンスである」

 特徴的な内容を、幾つか引用しよう。
「法と社会の下に、人種、信条、性別、年齢、障害の有無などにより差別されないという平等は、『希望の国』では絶対的に保障される。しかし、結果の平等は求められない。公正な競争の結果としての経済的な受益の違いは経済活力の源泉として是認される。結果の平等は、ひとびとの研鑽、努力、勤労の意欲を殺ぎ、無気力と怠惰を助長する」(17ページ)
「それでもなお解消されない格差について必要最小限のセーフテイネットを用意することは社会の重要な努めである」(18ページ)
「一部には、経団連は、経済界の利益のみを追い求め、その主張は企業エゴに偏っているとの見方があるが、全く謬見であると言わざるをえない。経団連が、企業活動の活性化を訴えるのは、それが経済の発展、ひいては雇用の拡大や税収の増大、輸出入の増加など内外社会の繁栄に資すると確信するからである」(24〜25ページ)
「金融市場の国際競争力を高めるには、投資家の厚みを増す必要がある。『貯蓄から投資へ』の流れを一段と推し進めるため、税制などの整備を進め、国内投資家を育成するとともに、海外からも投資家を呼び込んでいくことが求められる」(42ページ)
「資源供給途絶リスクが小さい原子力を、安全性の確保を大前提として、国民の理解を得ながら、原子燃料サイクルを含めて積極的に活用し、最適なエネルギー供給バランスを追求すべきである」(43〜44ページ)
「国民生活のセーフテイネットである社会保障制度を将来にわたり持続可能なものとしていくには、社会保障給付の増大を徹底して抑制し、経済の身の丈に近づけていく必要がある。このため、まず自助・互助で対応する部分と公的制度で対応する部分の役割分担を見直し、公的制度の関わる範囲を大幅に縮減することが求められてる」(60ページ)
「国税・地方税を合わせた法人税実効税率は約40%であり、もともと法人税率の低いアジア諸国はもとより、EU諸国においても法人税率の低いアジア諸国はもとより、EU諸国においても税率引下げが行われた結果、諸外国と比して、高止まりの様相を呈している」(62ページ)
「2009年度の基礎年金国庫負担割合の引き上げなどを勘案し、消費税率を2%引き上げると、2011年度の国のプライマリーバランスはかろうじて0.6%程度の黒字、また、地方は0.5%程度の黒字となる」(64ページ)
「年功型賃金、定期昇給など既にその時代的使命を終えた仕組みは徐々に姿を消しつつあるが、その残滓がしがらみとなり、多様かつ柔軟な働き方の実現や中途採用など再チャレンジの妨げとなっている」(71ページ)
「労使の自治を基本に、規制は最小限とする方向で、労働市場改革を進めていくことが求められる」「労使も、労働の流動性を高め、再チャレンジのチャンスを広げる観点から、もはや形骸化した『春闘』や、正規・非正規の区別にとらわれることなく、多様な就労・雇用ニーズへの対応、役割や仕事、業績に応じた人事・報酬制度の整備をはじめ、それぞれの企業において『内なる改革』進めていかなければならない」(73〜74ページ)

 以上がビジョンのおおよその内容であるが、資本が何を望んでいるか実によくわかる。資本家は弊害≠ノ無関心であり、無縁である。彼らの関心は常に利潤の極大化である。そのために、常に人件費を切り詰めることを考えている。いや、彼らにとって、非正規労働者の賃金は人件費ではなく、単なる経費≠ノすぎない。人権の尊重≠ニいう言葉も出てくるが、単なる言葉遊びに過ぎない。
 2005年の国勢調査の労働力集計によると、2000年の前回調査と比較して臨時雇用者が100万人増加し、正規雇用者は143万人減少している。こうした雇用の劣化を示す数字はいくらでも示すことができるし、現職死や過労死・過労自殺の多発が弊害≠フ深刻さを示している。企業不祥事の多発も、彼らに倫理を求めることの愚かさを明らかにしている。
 資本家が望む成長≠ニは何か。それは労働者の利益とは無縁なものであり、資本による搾取、収奪、環境破壊など、すべてを奪いつくす過程に過ぎない。成長神話、幻想を打ち破り、格差なき社会をめざそう。                  (折口晴夫)

資料@ 目次(章立て)
第1章 今後10年間に予想される潮流変化
 1.グローバル化のさらなる進行
2.人口減少と少子高齢化の進行
第2章 めざす国のかたち
1.精神面を含めより豊かな生活
 2.開かれた機会、公正な競争に支えられた社会
 3.世界から尊敬され親しみを持たれる国
第3章 「希望の国」の実現に向けた優先課題
 1.新しい成長エンジンに点火する
 2.アジアとともに世界を支える
 3.政府の役割を再定義する
 4.道州制、労働市場改革により暮らしを変える
5.教育を再生し、社会の絆を固くする
第4章 今後5年間に重点的に講じるべき方策
第5章 2015年の日本の経済・産業構造

資料A 10年後の姿
原子力を基幹電源として積極活用(2030年での発電比率目標30〜40%)
社会保障番号、社会保障個人勘定の活用
法人課税の実効税率は30%程度、個人所得税は累進税率構造の緩和
地方体制は、自立的な市町村と道州(道州制の導入)に再編成
企業においてワーク・ライフ・バランスの考えの下、多様な働き方の選択肢が整備
男女ともに、無理なく仕事と家庭を両立できるような職場環境が形成
国民の心のうちに国を愛する気持ちが自然に溢れ、日本に対する誇りと責任を胸に
国旗・国歌を尊重する気持ちが育まれている
2010年代初頭までに、新しい時代の日本にふさわしいかたちに憲法改正
自衛隊は国民の強い信任のもと、迅速かつ効率的に国益の確保のために任務を遂行


コラムの窓・内定通知は出たものの

 郵便局が行う最後の年賀状配達が終了しました。残念ながら有終の美を飾ることはできませんでした。年賀状の元旦配達が7年連続で減少(2000年の約274800万通から07年の約191900万通へ)するなかで、年賀状の配達が遅いという苦情が前年の2割増しもあったということです。何とも、情けないことです。
 確かに年賀の差し出しが年々遅くなっているのは事実ですが、元旦配達に向けて現場の労働者は変わらず努力しているのです。問題はシステムにあり、年賀配送の拠点局で滞ったら現場はお手上げです。それはダムのようなもので、処理しきれないと、必然的にそこに年賀は溜め込まれてしまうのです。
 郵政公社の生田総裁は記者会見で「28日までに引き受けたものは総て元旦にお届けして、さらに29日までに引き受けたものの一部も何とか元旦に配達した」と述べていますが、これはウソです。新聞投書欄には、早く差し出したのに元旦に届かなかった、同じ日に出したのに届いたところと届かないところがある、などの多くの怒りの声が載りました。これも民営化に向かうなかでの、郵便局の崩壊の一過程なのでしょう。
 関連する最近の報道を見ると、その傾向は明らかです。@12月29日、公社の内部調査によると約4400局ある簡易郵便局の1割を超える500局ほどが閉鎖になる模様。A1月23日、証券取引等監視委員会が2月5日から郵政公社に立ち入り検査に入ることを決めた。B同25日、公正取引委員会がゆうパックの翌日配達地域で誇大広告に排除命令を出した。
@簡易局は田舎にあるわけですが、受託者も高齢化するなかで、民営化による業務の拡大・複雑化をきらい、契約継続を望まない受託者が1割越えということです。集配局の再編と合わせ、過疎地域の郵便局の切り捨てが早くも見えてきました。
A郵政公社が投資信託を販売を始めたのは2005年10月ですが、その販売残高は昨年末で早くも5616億円。この金額は上位地方銀行に匹敵するということで、顧客の苦情が増えることが予想されるので、利用者保護が軽視されていないかどうか検証するための調査です。
Bこの分野での民間宅配便との競争は熾烈を極めているので、いまやダンピング競争状態です。だから、こうした誇大広告も当然というところでしょう。
 さて、年賀が終了して一段落した1月中旬、本務者に対して一斉に「帰属会社の内定通知」が行われました。私は「郵便事業会社○○支店」ということで、もう私の職場は郵便局ではなくなり、私は郵便局員ではなくなるのです。郵便局を名乗ることができるのは、窓口会社だけです。淋しい限りです。
 ところで、この内定≠ノは大きな問題があります。ひとつは、10月1日の雇用はこういう形で保障されますが、その後の雇用保障は霧のなかです。なにしろ、昨年度の郵便局別損益試算によると、7割が赤字局という結果になっているのです。事業が生き残るためには終わりなきコスト削減、人減らし・賃下げとサービス低下の攻撃がかけられてくるでしょう。
 もうひとつの問題点は、内定通知の対象者が常勤職員、再任用職員、及び郵政短時間職員だけということです。今や郵便事業を支える主力となりつつあるゆうメイト(16万人ともいわれる非常勤労働者)の雇用保障がないのです。そこに、「良質なゆうメイトの確保」という選別排除が行われる可能性があります。やはり、闘いなくして労働者の明日はないということのようです。       (晴)案内へ戻る


読書室 V
     橋本健二『階級社会』――現代日本の格差を問う――講談社選書メチエ  1500円


 格差社会が大きな問題になっている。マスコミやテレビで取り上げられない日はないぐらいだ。それだけ多くの人に格差が実感されていることの表れだろう。そうした格差社会の進行に合わせるように、これまで数多くのいわゆる《格差本》が出版されてきた。
 特に1998年に出版された橘木俊詔の『日本の経済格差』は、日本に新しい格差が広がっていることをジニ係数という指標を使って数量的に明らかにしたことで話題になった。このジニ係数で見られる格差の拡大については、後になって小泉首相が官僚や学者を動員して否定しようとしたことから格差の拡大をめぐる論争の第2ラウンドが行われたことは記憶に新しい。
 その他、佐藤俊樹『不平等社会日本』(00年)、斉藤貴男『機会不平等』(00年)、中央公論編集部『論争・中流崩壊』(01年)、三浦展『下流社会――新たな階層集団の出現』(05年)、林信吾『しのびよるネオ階級社会』(05年)等など、《格差本》は次々出版されてきた。いま書店を覗けばそれらが平積みにされ、特設コーナーを設けている書店も多い。少しでも関心がある人は1〜2冊は読んでいるのではないかと思う。それだけ格差社会が深刻になり、多くの人も実感を深めていることの反映だといえる。
 とはいっても、90年代後半から《新しい階級社会》の到来を訴えてきた側からすれば、最近の日本が「階級社会」に変わりつつあると捉えた《格差本》も感じていたのも確かだ。タイトルに「階級社会」と付く本はほんとに少ない。新書などの手に入れやすい本の中では『しのびよるネオ階級社会』ぐらいだろうか。
 そうしたなかで昨年出版された本書のタイトルはそのものズバリの『階級社会』だった。

■『階級社会』

 そうした各種の《格差本》は、それぞれの問題意識から進行中の各種の格差拡大の諸断面に光を当ててはいるものの、その格差の評価と処方箋は千差万別だ。中には「トンデモ本」に近いものもある。私としては格差の拡大に対してはそれを克服していく主体の形成、いわゆる階級形成=労働者としての階級的な団結の形成を内在化させているかどうかを判断のポイントにおいているが、そうしたものは少ないのが実情だ。
 今回紹介する橋本健二『階級社会』は、著者がマルクス主義の立場から日本の階級構造などを研究してきた専門家だけに、基本的な視点としてはいま進行している事態が新たな階級社会だという認識については私としても共有できる捉え方にはなっている。
 本書の構成は以下のようなものだ。
第一章 階級の死と再生
第2章 階級へのまなざし
第3章 庶民とヒーローのまなざし
第4章 拡大する階級格差
第5章 アンダークラス化する若者たち
第6章 女たちの階級選択
第7章 「格差社会」のゆくえ
 本書の題名になっている「階級社会」あるいは「階級」という言葉だが、これは著者が後書きでも言っているように、日本では長いあいだ死語になっていた言葉だ。その死語になっていた「階級」に関する研究をライフワークにしてきた著者が感慨深げに語っているのは、「階級」という言葉や概念を難しい説明抜きで語ることが出来るようになった、あるいはなってしまった現実への複雑な思いだろう。同感という以外にない。
 とはいえ著者にとっての階級とは、一応、マルクス主義の階級概念に立ってはいるが、それに社会学でいう「社会階層」概念を加味しているのが特徴だ。その場合の階級は、富、威信、権力、情報という4つの社会的資源を基準として社会集団を区分する。そこで出てくる階級区分は、(1)資本家(従業員5人以上の経営者・役員・自営業者・家族従業者)、(2)旧中間階級(従業員5人未満の経営者、農民や商工業者)、(3)新中間階級(専門・管理・事務職〈男のみ〉)、(4)労働者(専門職など以外の被雇用者、および女性事務職)、という「四つの階級」だ。
 著者はこうした階級区分に基づいてSSM調査(社会階層と移動全国調査)や総務省の産業構造基本調査などのデータを駆使して階級間格差などを浮き彫りにしていく。それらのデータに裏付けられた数量的な格差の検証は確かに説得力があるし参考にもなるのだが、上記の「4つの階級」区分自体が問題を含んでいるため、様々な分析結果がイマイチの実感が伴わないのが難点だろうか。統計データを活用する都合上の便宜的な階級区分であることは著者も認めてはいる。が、それにしてもたえず倒産の危機におびえる零細企業家といえる従業員5人以上の経営者がすべて資本家に含まれることや、事務職(男)が新中間階級に区分されていることには違和感以上のものがある。それに各階級内部の上層、下層といった分析もない。だから世帯収入として資本家階級1196万円、新中間階級804万円、労働者階級599万円という、単なる序列ということも可能な階級間格差しか抽出できないことになる。

■社会を変える主体は誰か

 著者は格差社会を問題にしている議論は大きく分けて二つあるという。一つは所得などの格差自体を問題とするもの、二つめは階級間、階層間の移動の機会の有無を問題とするものだ。そして前者を「結果の平等」、後者を「機会の平等」に関連づける。その上で「機会の平等」論の陥穽に言及し、「格差はあっても、誰にもチャンスが開かれた公正な競争社会というのは、実が幻想である。」と断言する。そうではなく、格差拡大そのもののもたらす問題を明らかにしていくべきだとし、格差はそれぞれの労働の社会的承認、言い換えれば「自尊」の意義について語っている。そして格差の拡大は「自尊」の無視であり、人間に対する侮辱だとも言っている。確かにそれはその通りだろう。
 人間に対する侮辱を糾弾する著者だが、問題は誰がこうした階級社会、格差社会を克服していく当事者なのだろうか、ということだろう。そうした場面では、著者は当の労働者階級自身がその主体となることには悲観的だ。なぜなら格差社会で最も差別され不利益を被っている労働者階級やそれ以下のアンダークラスの人々は、同時に政治への関心が低く連帯意識も希薄だからだという。著者は階級間格差を是正しそれを変えていく勢力として、すなわち広義の階級闘争の担い手を労働者階級ではなく新中間階級に求めている。著者は新中間階級は労働者階級を搾取しているとまでいうのだが、その階級基盤は資本家階級ほど安定したものではなく、また資本家階級と労働者階級に分岐していく傾向に注目する。政治的関心も高く格差拡大の現実とその弊害を最もよく理解する新中間階級が社会を変えていく、と主張しているわけだ。
 確かに現実は労働者階級が政治的には最も不活発な階級だという側面は否定できない。そうした人々は日々の労働や生活に追われ、政治への関わりや仲間づくりの時間がない。またそうした人々は日々の生活が維持していける限りで現状維持指向も強かった。ただしそうした状況が一変したのが現在の状況ではなかったのか。かつて政治に無関心で行動力もなかった同じ労働者階級が、様変わりした状況の中で自らの境遇に関心を向け、積極的に行動に立ち上がらざるを得ない状況が生まれている、そうした時代認識、時代の変化を読み取る感覚こそ重要ではないのだろうか。
 現にいま様々な場面で個別争議に立ち上がる人が増え、あるいはパート・派遣・フリーター・青年・外国人等などの非正規労働者が各種のユニオン運動を通じて行動に起こし始まっている。逆に自ら創りだしてきた1650万人ともいわれる非正規労働者がどう動くのか不安を深める資本家・経営者は、そうした人々への統合・統治システムづくりに乗り出している。新しい階級社会とは、長い間搾取と支配の対象でしかなかった労働者階級が社会を変える最前線に躍り出てくる時代でもあるのだ。
 多くの格差本には、格差社会、競争社会を必然と捉え、〈覚悟せよ〉とそれを受容させようとするもの、あるいはその中で生き抜いていく決意と能力を身に付ける必要性を唱えるもの、さらにはそこで生まれる格差を所得保障や社会保障などの再配分でセーフティネットづくりを提言するもの、また本書のように労働者階級に代わる社会階層による社会変革を期待するもの等など、多岐にわたっている。最初の二つの立場は論外であるにしても、少なくとも〈労働者の解放は労働者自身の事業である〉という立場で新しい階級社会の克服を考えたい。(廣)


いろえんぴつ  非正規労働者「ハケンの品格」

 私は今、TVドラマの「ハケンの品格」がおもしろくて、毎週楽しみにしている。そう、ハケン=派遣なのだ。私自身もそうだが、現在パートや派遣などの非正規労働者は、1633万人、働き手の3割を超えている。(図参照)こうした実態からこのTVドラマが始まったのだろうが、見ているとウンウンと共感することばかりで、釘付けになって見てしまう。毎回、ドラマの最初に『おごれる正社員は久しからず。今やハケンなしには会社は回らない。例えば、この大前春子(主人公)、彼女の辞書に、不可能と残業の文字はない。わずらわしい人間関係は、一切排除し3ヶ月契約終了とともにどこへともなく去る。だが、スーパー派遣、大前春子がなぜ非正社員の道を選んだのか定かではない。』というナレーションが流れる。その中の『今やハケンなしには会社は回らない』という言葉に胸を打つ。私の職場でも半数が非正規労働者。私達、非正規労働者がいるから職場が回っていると自負したい。
 主人公は数多くの資格やスキルを持つ時給3000円という有能なスーパー派遣。ある会社に派遣され、正社員との会話がおもしろい。『あ、そこの派遣!』「・・・・・」『どうして返事をしない』「私の名前は大前春子です」『派遣、コーヒー入れて』「私の仕事ではありません」『どうしていちいちたてつくの!ハケンは、ハイハイと言うことを聞いていればそれでいいの!』と言う。正社員は、派遣社員を物扱いして雑用をすればいいと思っている。それに対して主人公は、はっきり言うので見ていてスカッとする。また、主人公は職場で問題がおきて、まわりが大騒ぎになっても自分の仕事を続けて、12時になると「休憩にいきます」18時になると「お先に失礼します」と言って職場を去る。『感情というものはないのか!』と言う言葉を正社員に浴びせられても「時間外は契約ではありません」とはっきり言う。非正規労働者は、契約時間だけ働けばいいのだが、山ほどある仕事をこなす為に、毎日サービス残業をしている私達。同じ職場で働く非正規労働者の仲間達と「主人公のようにはっきり私達も言ってみたいねえ」等とこのドラマの話で毎週盛り上がっている。
 インターネットでこのドラマの掲示板を見ると「ハケンOLのひと言」で20〜30代の女性達がたくさん書き込んであった。その中に「正社員にこき使われています。一瞬やめようかと思ったけど、これを見てまた頑張ろうと思った」と励まされている女性がいた。また「ドラマの中で春子が、派遣社員が思っていることなどを口に出して代弁してくれるようで嬉しい、すっきりした」と職場でものを言えない女性もいる。さらに「ハケンの待遇の悪さを取り上げて欲しい、派遣制度の見直し、国と会社の責任、派遣会社のマージンの取りすぎなど待遇を改善してくれるような内容も盛り込んで欲しい」と労働条件の改善を訴える女性もいて驚いた。女性達の本音が書かれていて、いかに差別されているか知ることができ、このドラマを見て数多くの女性達が、元気をもらったり自分の立場に置き換えたりしているようだ。
 私が、毎週見たくなるもうひとつの理由に、主人公の言葉に魅力を感じるからだ。先週は、リストラ対象の正社員をみんなで助けようとするが、主人公は「ハケンは3ヶ月に1度、リストラの恐怖にさらされている」と正社員には理解できない、非正規労働者の真実の言葉に感動してしまう。しかし、同じ労働者でありながら、正規労働者と非正規労働者で差別されること自体がおかしい。差別することによって、正規と非正規が対立することを喜んでいるのは、企業側だ。本当は、正規と非正規は一緒になって企業側と闘わなければならない。このドラマで正規労働者と非正規労働者がお互いの立場を理解することができたらいいのだが・・・さて、どうなることか?(美)

 雇用者の内訳 5407万人  正規雇用3774万人
(69.8%)役員400万人    非正規雇用1633万人(30.2%)  パート780万人
       正社員3374万人                       アルバイト340
                                         派遣労働106
                                         契約社員嘱託278
                                         その他159

連載
グラフで見る高校生の意識調査 その8


 問8 次の@〜Hの性質は男性・女性どちらのイメージだと思いますか。1〜6の中から1つ選んでください。(@指導力がある、A素直、B思いやりがある、C自分の考えを主張する、Dかわいらしい、Eよく気がつく、F頼りがいがある、G控えめ、H協調性がある。紙面構成の都合でグラフは、@・B・C・F・Hの5つのみの紹介)
 「自分の考えを主張する」「協調性がある」は、男女にかかわらず、両方のイメージと捉える人が多いようです。
 「指導力がある」「頼りがいがある」は半数以上の人が男性のイメージと捉えています。
  一方、「かわいらしい」は8割以上が女性のイメージと捉えています。
 「素直」「思いやりがある」「よく気がつく」「控えめ」は、どちらかといえば女性のイメージだと捉えている人が約3割います。特に「よく気がつく」「控えめ」「素直」は男子よりも女子のほうが「どちらかといえば女性」と答える人が10%程度多くいました。   (「男女共同参画社会に向けての高校生アンケート調査報告書」発行者・南阪神ねっと、より転載)

 女性のイメージに「控えめ」「素直」が多いのは、男性に従うことが美徳とする古い慣習が残っているからだと思います。実際、西宮市の女性議員は定数45人中7人で、15・6%にすぎません。審議会等での女性委員は25・1%と男性の4分の1です。政策決定の場に女性の数が少ないのは、女性に能力や意欲が無いからでしょうか。女性の社会参加が進み、女性の地位も向上したように錯覚しがちですが、西宮市における女性管理職の割合は4・1%という低い割合です。2006年度男女共同参画白書では、国の審議会等委員への女性の参画の拡大について、男女のいずれかの一方の委員の数が委員総数の10分の4未満とならないことを目標に推進しています。単なる目標に終わらせるのではなく、女性の側から要求していく姿勢がまず必要です。   (恵)
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