ワーカーズ344〜345合併号 07年5月1日   案内へ戻る

ボロボロになった「改憲手続き法」参議院での強行採決を許すな!

 東京都知事選挙の大勝を根拠に衆議院で強行採決を敢行し、沖縄参議院補欠選挙での勝利を背景に、今また政府与党は「改憲手続き法」の参議院での強行採決を画策している。
 まさに戦後六十余年、手を触れてこなかった改憲に、多くの反対がある中、かくもなりふり構わずとしか形容できない性急さで事を進めているのか。全く許せない事である。
 しかし今や「改憲手続き法」の提出論拠はボロボロになっている。政府は答弁不能だ。
 その第一は、ある水準を超えていないと国民投票そのものを無効とみなす最低投票率の規定がない事だ。地方公聴会でも与党推薦の公述人自身「せめて四十―五十%の(最低投票率の)定めが必要」だと発言した。憲法改正についての「国民投票」なのだから当然だ。
 その第二は、国家・地方公務員と教員等の約五百万人が、「地位利用」の口実のもと、国民投票運動を制限されている事だ。彼らの政治活動と思想信条の自由等の基本的人権を、この憲法改正論議が伯仲する時、なぜ不当にも剥奪・制限されなければならないのか。
 私たちは、参議院で行われている政治論戦に注目して、この二つの点についての政府与党見解のお粗末さを徹底的に暴露していかなければならない。そうすることで労働者民衆の政治行動を引き出し、この動きを深く広く展開していかなければならないのである。
 直ちに労働現場や地域で「改憲手続き法」強行採決反対の声をあげていこうではないか!
 政府与党は今現在、大変困難な事態に遭遇している。彼らを追いつめるのは今である。
 実際、この二つの点について、政府与党は全く説明にならない事しか言えず、全くの答弁不能状態に陥った。テレビ画面上に政府与党の醜態は見るに堪えない姿で晒されている。
 自分の改憲手続きについての主張に論理性が一切無いと自覚する政府与党は、それだからこそしゃにむに論戦を打ち切り、この事態の強行突破を図らざるを得ないのである。
 私たちは何としても「改憲手続き法」の参議院での強行採決を阻止するため、全力を挙げるしかない。まだまだ多くの労働者民衆に危機感は充分高まってはいない状勢である。
 五月上旬が勝負の時である。全力で闘い状勢を転換させていこうではないか。(直記)

メーデーにあたって訴えます(ワーカーズ2007年5月1日メーデー号より) 

 労働者の団結した力で格差社会を跳ね返し、協同社会をめざそう

自力・自闘・連帯で均等待遇を闘い取ろう!

●格差社会・階級社会がやってきた!
 “一億層中流社会幻想”は遠い過去の話。大企業・中小零細企業、持てる者・持たざる者、エリート社員・非正規社員、中央・地方等など。あらゆる場面で“格差社会”が拡がっている。
小泉前首相をはじめ市場万能原理、利潤至上主義の旗を振ってきた新自由主義者は言ってきた。まず強い者や持てるものが豊かになり、そうすればその次は持たざる者や社会的弱者にも恵みが廻ってくる。その結果はどうだ。止めもない“格差社会”の拡がりだ。

●弱肉強食の市場原理がもたらした“階級社会”!
 “格差社会”は市場・利潤万能主義の当然の結果だ。強いものが勝ち残るジャングルルールの下で弱者は切り捨てられ、新しい弱者が造り出される。
相次ぐ企業減税や相続税減税、額に汗の労働より株取引や利子収入への優遇税制、製造業への派遣労働の解禁などの規制緩和等など、“構造改革”がそれを後押しし続けた。

●“ワーキングプア”は意図的に造り出された!
 “格差社会”は労働者をも分断しつつある。終身雇用・年功賃金の日本的雇用は急速に剥ぎ取られ、パート・アルバイトから期間、派遣、契約、請負など様々な不安定・低処遇労働者が大量に造られてきた。いまではオンコール・ワーカーなど電話一本でその日の仕事にありつくしかない労働者まで大量に生み出されている。
すべては経団連(日経連)による「雇用の三類型」攻勢から始まった。一部の基幹社員以外は使い捨ての低賃金労働者に置き換える、利益さえ上げられれば労働者は生きてさえいればいいと。ワーキングプアの大量発生はその当然の帰結だ。

●景気回復の恩恵はやがては労働者に?とんでもない、恩恵は永遠にやってこない!
“景気回復”でいずれ恩恵は労働者にも届く……? とんでもない。労働者に景気回復の恩恵が届かないまま、早くも景気の減速が言われている。それもそのはず、これまでの“好景気”はリストラ景気、外需景気でしかない。労働者のコストを引き下げたから企業は巨額の利益を得たのだ。巨額の企業利益は外国に投資され、その結果の円安で輸出が伸びて企業は儲かる。その繰り返しがいまの“好景気”だ。だから好景気は労働者に無縁の循環で循環しているだけだ。この循環を断ち切らない限り、恩恵は永遠に労働者には届かない。

●格差社会を跳ね返すのは、労働者自身の事業だ。
 労働者は使い捨てのロボットでも奴隷でもない。私たち労働者は、企業を肥え太らすだけのワーキングプア、長時間労働を余儀なくされる企業戦士の地位から脱却し、まっとうな人間生活を取り戻さなければならない。
すべては“均等待遇”の闘いから始まる。様々な雇用形態を余儀なくされた労働者の処遇を均等なものにしなくてはならない。
いまアルバイトや派遣・請負など、法的保護からも労働組合による保護とも無縁だった労働者の決起が相次いでいる。今春闘では最低賃金引き上げの闘いも始まった。こうした挑戦を全国至る所に拡げていきたい。


安倍政権の戦前型国家づくりの野望を跳ね返そう

●安倍政権の“格差是正”はお題目
 「美しい国」を掲げて発足した安倍政権。教育基本法を改定して憲法改正を自らの政権で実現すると公言する安倍政権の見据える国造りとは何なのか。時代錯誤の戦前型国家づくりであることは明らかだ。確かに復古的保守主義政権に特有の共同体主義の色合いはかいま見える。が、財界が進める市場原理・利潤原理万能の競争社会を是正しようとする姿勢はない。実際、格差是正のかけ声はお題目に終わっている。実態が何一つ伴っていないからだ。
●戦前型国家づくりの野望の現れ
 復古主義的保守主義のもう一つの特徴である軍事大国化と国家主義指向は安倍政権でいっそう露骨になった。教育基本法の改悪を強行し、自らの政権で憲法改定を実現するという野望を剥き出しにしている。
 もくろみははっきりしている。戦後民主主義の否定と戦争体制づくりだ。そこでは国民は主権者などではなく、国家の忠実な奉仕者でしかない。さらに憲法第九条を変えることで軍事力を保持することだけではなく、それを実際に行使できる“普通の国”、普通の帝国主義国家にするということだ。 歴史の歯車を何百年も逆まわしにするのを許してはならない。
●復古主義路線は行き詰まる
 復古的保守主義の安倍政権、その“戦後体制の打破”路線は危険な矛盾を内包している。戦後体制とは途中から冷戦構造への組み込みという変質もあったとはいえ、基本は米国主導の“平和国家”“民主国家”づくりだった。安倍政権の“戦後体制の打破”という旗は、公然とその改造を公言する意味合いを持っている。 これは必然的に米国と衝突せざるを得ない目論見だ。いま従軍慰安婦や「河野談話」をめぐる米国の危機意識の根底には、こうした日本の“過去の清算”“対米自立”にある。 安倍政権は小泉政権と同様に米国との同盟に日本の命運をかけている。が、一皮めくれば日米の相克はのっぴきならい関係になる。遠くない将来、戦後体制の打破路線はジレンマに陥らざるを得ない。
●国民主権の徹底と国際連帯の旗を掲げよう
 安倍政権の“美しい国”“戦後政治の打破”路線の意図は、あくまで国家中心主義だ。国家のために国民があるなどと歴史の歯車を逆回しにすることは許せない。
 また日本の支配層は対米重視か、それともアジア重視かでせめぎ合っている。しかし私たち労働者はそうした二者択一を排し、労働者の国債連帯の立場を対置して安倍政権と対決しなくてはならない。
 すでに金や情報は国境を越えてつながっている。労働者の闘いも、国境を越えて連帯して闘っていくことで、帝国主義勢力と闘っていく必要がある。

『協同社会』の旗を掲げよう!

 世界ではイラクの泥沼で単独覇権の野望が潰えた米国。国内では“戦後体制の打破”を掲げて戦争体制と軍事大国化の野望を推し進める安倍政権。
 内側では、安定した階級支配システムとしての日本的労使関係≠フ崩壊で“格差社会”が拡がる中、派遣や請負労働者などマイノリティーの決起が続いています。
 いま既存の体制を土台から造り直す闘い、階級社会のオルタナティブとして協同原理≠ノ基づく『協同社会』の可能性が開かれつつあります。
 社会主義の崩壊≠ェ言われて十数年、この日本でも既成の社会主義を根源から見直した“アソシエーション革命”=“協同社会”を志向する潮流が着実に拡大しつつあります。“格差社会”という新たな階級社会が眼前に現れた日本型企業社会、それに対抗できる陣形づくりを多くの労働者の皆さんとの共同作業で創り上げていきたいと思います。案内へ戻る


「全国学力・学習状況調査」の実施状況について

 四月二十四日に強行実施された「全国学力・学習状況調査」について、全国での実施状況を、全国の仲間と読者とで確認しておきたい。
 当日は、全国の小学六年生と中学三年生の約二百三十三万人を対象として実施された。このように中学生を対象とした「全国学力・学習状況調査」が実施されたのは、一九六四年以来実に四十三年ぶりである。小学生が対象となった「全国学力・学習状況調査」は今回が初めてである。この事から見ても今回の文科省の決意には実に重たいものがある。
 参加の建前は、各市区町村教育委員会の判断によるものなのだが、官僚に自主的判断を求めるのは無理というもので、全国の国公私立合わせて、約三万二千七百校が参加した。
 文科省に対して、『全国学力テスト、参加しません。―犬山市教育委員会の選択』を、明石書店から緊急出版してまで、「学力調査は子どもに学力をつける事には繋がらず点数競争と子どもと学校を序列化するだけ」だとの正論を突きつけ批判した愛知県犬山市教育委員会は、実施当日は、平常授業を行った。また私立学校の約四割も参加しなかった。
 テストは、国語と算数・数学の二教科で、その他として児童・生徒の生活習慣や家庭環境について答えさせる「児童・生徒質問紙調査」が実施されるとともに学校長に対しては就学援助世帯の全児童に対する割合や授業方法等についての「学校質問紙調査」が実施された。私たちはこうした事が同時に調査されたのを注目せざるを得ない。文科省は児童・生徒の学力と生活習慣・家庭環境・親の収入・授業方法等との相関関係の調査に明らかに踏み出した事をしっかりと認識すべきである。その次は東京都で提案された学校配当予算に段階を付ける事だと私たちは予想する。文科省は現実に存在する教育格差の是正に動くのではなく、この格差をさらに拡大させようと策動を始めたのである。糾弾あるのみ。
 また実施されたテストの集約・採点を、文科省官僚との関係が深いベネッセ等民間業者が受注する事から、全国の市民団体の情報管理についての異議申し立てに対応して、文科省は、当該市町村の個人情報保護審議会等から氏名を書かせる事について支障があるとの指摘があるなど「特別の事情がある場合」は、「氏名・個人番号対象方式」(氏名の代わりに個人番号を記入させる)等の「例外措置」を取る事ができるとした。
 この「氏名・個人番号対象方式」を、全国で二百三十七市区町村教育委員会(全国の十二・四%)が採用した。この事により、参加した公立学校の約二十四%が、この方式で実施される事とはなった。日教組が反対の闘いを放棄した中での貴重な闘いではあった。
 今後とも、私たちは教育荒廃と格差の拡大をもたらすだけの「全国学力・学習状況調査」に断固反対する。この事の問題性を徹底的に明らかにすると共に労働者民衆と連帯して、ますます拡大するばかりの「格差社会」と闘っていく。ともに闘おう。  (猪瀬)


憲法理念投げ捨てた最高裁!解決の道開けぬ戦後補償問題

 4月27日午前、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)が西松強制労働訴訟上告審において、原告勝訴の広島高裁判決を破棄して請求棄却判決を行なった。同日午後、最高裁第1小法廷(才口千晴裁判長)が中国人元従軍慰安婦訴訟上告審において、原告の請求を棄却した東京高裁判決を支持して原告敗訴判決を行なった。
 時あたかも、カメレオンのごとき安倍晋三首相が訪米し、慰安婦問題についての自らの見解について弁明しているところであった。強きに媚びへつらう安倍は、弱い立場の人々の声には耳を閉ざし、歴史の事実を見ようとはしない。その場限りの謝罪をいくら繰り返しても誰も納得しないし、その謝罪の裏にある本心が透けて見えるだけである。
 広島高裁判決は、日中共同声明(1972年9月に北京で調印)には個人請求権放棄は明記されていない、時効の主張は著しく正義に反する、として法の正義を示した。ところが最高裁は、共同声明により「個人の損害賠償等の請求権を含め、戦争中に生じたすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解される。日中戦争中に生じた中華人民共和国の国民に日本やその国民、法人に対する請求権は裁判上訴求する機能を失ったというべきだ」として、原告の願いを切り捨てた。 憲法の理念を体現すべき立場にある最高裁が、著しく正義に反する?判断をするとは情けない限りである。こうして原告を切り捨てておきながら、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかったこと、西松建設は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けていることなどの事情を考慮すると、西松建設を含む関係者に被害救済に向けた努力をすることが期待される」などど、他人事のように言う。
 本当に被害者の苦痛が理解できるなら、法の力で救済すべきではなかったのか。従軍慰安婦訴訟判決も同じ判断を示しているが、最高裁は正義の実現以外に、何か守るべき法そのものが存在しているとでも思っているのだろうか。それは、守るべきものを捨て、捨てるべきものを守るようなものだ。4月28日の「神戸新聞」社説は次のように述べ、この司法の限界?を批判している。「この日の最高裁判決も含め、ほとんどの裁判で被害を認めながら救済の手を差し伸べられなかったことは、司法が自ら限界をさらしたことになるだろう。『法の正義』とは何なのか。問い返さざるを得ない」
 社説は「過ちを正さない『正義なき国』になっていいのだろうか」と、なかば自問するように締めくくっている。この国の司法の体たらく、安倍政権へと至る傲慢な政治に心痛める思いだ。従軍慰安婦問題は何か、野田正彰・関西学院大学教授は次のように述べている。「被害者は『敗訴でもいい。裁判で争そうことで、誤ろうとしない日本の姿勢を歴史に残し、批判し続けることが重要』と思っている。提訴は今後も続くだろう」「14、5歳の少女が拉致・監禁されて何年もの間強姦され、逃亡を図れば見せしめに惨殺された。性的奴隷以下のすさまじい体験をした彼女らは人格が変わり、60年たった今も精神症状は悪化している」「日本が彼女らに対してできることが明確にある。それは『あなたたちは被害者で、生きていていい。老後はできるだけのことをする』と表明することだ。これを怠るのは国の不法行為といえる」(4月28日付「神戸新聞」)しかし、彼女たちは死に絶えつつあり、遠からず謝罪さえ出来なくなろうとしている。  -折口晴夫-


官製談合って何だ

 4月19日、公正取引委員会が独占禁止法違反容疑で「緑資源機構」に対する強制調査を行いました。調査対象は林道整備事業をめぐる談合疑惑です。独立行政法人「緑資源機構」は農林水産省の所管で、理事長は林野庁長官の天下りの指定席。談合疑惑の受注側には林野庁所管の公益法人や民間コンサルタント。まるで絵に描いたような官製談合の構図が浮かび上がります。
 庶民から吸い上げられた血税がこのようにお役人によるお役人のための政治?に食い尽くされる、この国の醜い姿です。続報によって、その姿が浮かび上がってきます。天下り実態は、「受注側の5公益法人に、2年前の時点で計256人の国家公務員が天下っていた」「林野庁OBが中心とみられ、特に理事などの役員クラスでは44人のうち林野庁出身者が大半の41人を占めた」(4月20日付「神戸新聞」) この記事には林野庁林政課のコメントが載っています。曰く「天下りが多数かどうかは、主観が入ることなのでコメントできない。公益法人や民間から要請があれば法令に従って紹介している。再就職したOBは、林野行政に長年携わった経験や知識が評価されたと考える」。これほど傲慢なコメントがあるでしょうか。数字が隠しようもなく暴露している事実を、主観?の問題にすり替え、再就職は経験や知識が評価されたためと強弁しています。事実は、最も天下りが多い林野弘済会では、全役員クラス27人中、13人が林野庁OBです。
 22日の同紙では、「業務丸投げ仲介料2割」との見出しで続報が出ています。財団法人「森公弘済会」が受注した業務の大半を民間業者に丸投げし、最大で2割の仲介手数料を得ていた、能力もないのに受注している、等と報じています。「役職員数は昨年4月現在で25人だが、関係者によると、業務に必要な測量士は1人しかいないこともあったという。元林野庁長官ら3人が同機構幹部などを経由して理事長や理事として天下っている」 お役人の再就職の受け皿として全く必要のない組織をつくり、従って能力もないのに受注した業務は丸投げとなる、全く穀潰しです。こうした組織がどれほどあり、どれほどの血税が浪費されているのか、考えただけでもため息が出ます。諸悪の根源である天下りを全廃することなくして、この役人天国を潰すことはできないし、官製談合をなくすこともできません。 (晴)案内へ戻る


“必要生計費”の合意形成を!――最低賃金を考える――(下) 

■本来は“最低必要生計費”(上)
■低すぎる“最低賃金”(上)
■重要課題に浮上(上)
■雇用・労働システムはジグソーパズル(上)

■賃金概念の根本的転換

 “格差是正”とはいうものの、最低賃金制引き上げという場面でも結局は企業利益に制約された議論に止まっているのが実情だ。たとえば最低賃金法では最低賃金の基準を「労働者の生計費」に置くと言いながらも「事業の支払い能力」という基準と並列的な規定に止まっており、それは政府が今国会に提出している最低賃金法改正案でも変わっていない。要は企業の支払い能力の範囲内で、という制約があるのである。
 これは経団連(日経連)の支払い能力論に通じるものであり、こうした賃金概念では賃金は企業の支払い能力のレベルによって限りなく切り下げられることになる。そうではなく、賃金というのは生身の人間の生計費を支えるものである以上、必要最小限の賃金額は企業の支払い能力に関係なく必要不可欠なものだ、だから賃金は企業がどういう状況であれ、労働者を雇って営利活動をする以上、必ず支払われなければならない性格のものなのだ。その額は企業利潤に、すなわち支払い能力にリンクするものではなくて、労働者の生計費にリンクすべきものなのである。
 しかし長年にわたる日本の労使関係の中で、賃金とは企業にとって個別企業を超えたところで形成される固定費ではなく、企業の業績次第でどうにでもなる可変変数に押し込められてきた。こうした事情は最低賃金に止まらない。普通の労働者の賃金についてもそうだった。これを根本から転換して、賃金を企業利益の従属変数から、労働者の生計費の従属変数に転換することが必要なのである。個々の起業家が事業を興そうとする場合、あるいはそれを続けようとする場合、必ず支払われなければならない不可侵の費用として賃金を位置づける、ということがここでいう賃金概念の根本的転換だ。
 もちろんこうした転換は経営側の猛烈な抵抗に遭うことは避けられない。これまでも賃金は誰が決めるのかという攻防戦の歴史そのものだったし、これからもそうだからだ。しかしそうした抵抗や包囲網を打ち破っていかない限り、賃金が文字どうり労働者の生計費を支えるものにはならないだろう。

■賃金抑制圧力

 これまで低レベルの張り付いてきた最低賃金も、このところの格差社会の是正が焦点になるにしたがって若干の引き上げ機運を呼び込んでいる。政府も格差是正や生活保護との整合性を掲げざるを得ないのが現状だ。
 しかし現実としては最低賃金はほとんど引き上げられてこなかったし、引き上げられてもほんの数円でしかない。最近になって、今国会に「格差是正緊急措置法案」を提出し、全国平均1000円という最低賃金引き上げをめざす民主党はじめ、最低賃金引き上げをめざして様々な「要求」が提起され始めた。共産党は全国一律の最低賃金として1000円以上、社民党は全国一律の最低賃金に地域別の上乗せ方式を要求、段階的に1000円以上に引き上げることを要求している。
 こうした要求は確かに必要であり重要だ。そうした声を結集し、企業や政府に迫っていくことが、最低賃金引き上げに道を開く一つの力になることは確かである。
 しかし問題はそうした改正案や要求案のもとに、果たしてどれだけの人々を結集できるのか、ということである。現状ではそうした改正案や要求は、単なる打ち上げ花火的に打ち上げてみた、というようなものに止まっていると言わざるを得ない。確かにパートの人など、時給673円より1000円の方がいいに決まっている。「時給はずっと最低賃金と同額でした。」「もし時給が100円高かったら、月1500円以上違う。本当に助かるのに」という声さえあるほどだ。
 しかしこうした打ち上げ花火的要求には必ず反対の力学が働く。中小企業の経営者などだ。「最低賃金があと20〜30円上がったら、うちは倒産ですよ」という町工場の経営者の声もある。山口日本商工会議所会頭も「時給1000円は論外だ。」と言っている。民主党の全国平均1000円という要求は「現実離れ」という声は、経営者団体のみではなく連合の内部にもあるという。
 この「現実離れ」「論外」という壁こそ、私たちが突き破っていかなければならない分厚い壁である。「現実」とは言うまでもなく企業の支払い能力である。ではこの企業の支払い能力はどういう経緯で小さくされてきたのだろうか。それは親企業や取引企業の納入コスト切り下げ圧力だ。ピラミッド状に形成されてきた日本の産業構造、企業構造の中で、中小の下請け企業は親会社の一方的な単価引き下げの要求の受け入れを強いられ続けてきた。取引停止をちらつかせられれば拒否はできない。あの世界に冠たるトヨタも下請け企業の血と汗を搾り取って史上空前の利益を上げているのである。
 こうした製造業のコスト切り下げ圧力自体は、最近では90年代以降急速に進展してきた経済のグローバル化を背景としている。中国・インドをはじめとして、日本は後発国の急速な追い上げにあいながらもなおかつ好調さを維持している。が、それは極限にまで買いたたかれている各種の形を取った非正規労働者という膨大な低賃金労働者を踏み台にしたものだ。
 それはともかく、この二重構造ということだけを考えてみても、最低賃金の引き上げという課題は、親企業の単価引き下げの強要構造の打破と対になって初めて実効性を確保できる。親企業や取引企業の無理難題を跳ね返す闘い抜きに、最低賃金の引き上げを掲げたところで、それは「現実」とかけ離れたところで花火を上げていることと変わらない。
 こうした課題と闘いは、その性格上、下請け企業の労働者、あるいはパートだけの闘いとしては成立しないことは明らかだろう。取引を切られるのが関の山だからである。そうではなく、下請け企業の労働者と親企業の労働者、ひいては企業グループすべての労働者の共通の闘い、あるいは一企業グループの壁を越えた、全労働者の闘いにならない限り、現実の力を持った闘いにはならない。

■マーケットバスケット方式

 民主党などの政党や労働団体による最低賃金引き上げの要求はどれも重要な課題である。その場合、平均1000円、最低1000円などという要求で問題になるのがその根拠の正当性だ。説得力のある根拠でないと企業など相手側の抵抗を打破できないだけでなく、何よりそうした要求を闘いとるべき労働者の側での強固な確信が形成されないからだ。そのためには要求の根拠自体が労働者のあいだで共有されていなければならない。
 たとえば現状ではいくつかの“根拠”が提起されている。
 一つは最低1000円という要求だが、これはそのままでは根拠とは言えない。あくまでとりあえずという“現実感覚”に過ぎない。
 二つめは平均的労働者の半額、というものだ。これでいけば正規労働者の年収を仮に500万円とすれば年収250万円、時給では1250円だ。世界基準でいえば正規労働者の半額以下が貧困層と考えられていることを考えれば、これも一定の根拠となる。
 三つ目は初任給と同額程度、というものだ。現状では初任給は15万円〜20万円だから、年間180万円〜240万円、時給では900円〜1200円だ。これには正規労働者であれば見込めるボーナスが除外されているから、それを含めれば255万円から340万円、時給では1275円から1700円になる。これも一つの根拠にはなる。
 しかしこうした“根拠”も、その元になる平均的労働者の賃金や初任給そのものが労働者の必要生計費から算出されたものではなく、これまでの賃金水準の単なる追認という性格を持ったものでしかない。それは闘いの出発時にはやむを得ないとしても、本来は根拠とは言えない代物だ。
 その点で参考になるのがマーケット・バスケット方式だ。
 マーケット・バスケット方式というのは、年配の労働者であれば知っている人も多いが、最近の若者には耳遠いものだろう。それは戦後の賃金闘争の初期の場面で労働組合が賃金要求の根拠として採用したもので、一言で言えば生活に必要な費用を積み重ねていくことで必要生計費を算出し、それを賃金要求の基礎に据えたものだ。そこではたとえば食費はいくら、光熱費、住居費はいくら、教養娯楽費はいくら、等々と算出し、それを合算した金額を獲得できるだけの賃上げ要求を提出して闘うことで、一定の成果をあげた時期もあった。こうした必要額が労働者のあいだで説得力を確保できれば、それだけ賃上げ闘争への労働者の主体的参加が拡大し、経営側への大きな圧力になるからである。
 もちろんこうした要求方式は万能でもないし、現に経営者の切り崩しの中で徐々に形骸化されてきた敗北の歴史もある。しかし現状の最低1000円の要求など、根拠もあいまいな単なる“言い値”のような要求を何年繰り返してみたところで、そんな要求が勝ち取れるわけではない。もちろんいまここでそんな根拠がある要求額は示せないし、示したところでたいした意味はないが、広範な労働者による現実の要求づくりと闘いづくりの過程の中でそうした根拠ある要求を形成していくことこそが求められているのである。

■欠かせない戦略的構え

 上記で見てきたように、最低賃金引き上げというテーマは単に目先のセーフティネットとしての緊急課題に止まらない。それは正規労働者も含めた日本の労働者全体の賃金闘争に関わるものであり、ひいては広く日本の労働システム全体に関わる大きなテーマでもある。
 だから最低賃金の引き上げという課題は、一回の地方選や参議院選挙という場当たり的な処方箋では解決不可能な、確固とした目的意識にもとづく長期にわたる一貫した闘いの課題なのである。そうであるだけこうした課題は非正規労働者だけで解決できるものではないし、また労働組合レベルだけで解決できるものでもない、それだけ労働者の要求と結びついた政治の領域での課題でもある。長期的な展望を実現しようとする強固な目的意識と、それを一歩一歩着実に実現していくねばり強い闘いを継続していく主体の形成こそ不可欠の課題になる。
 それに正規労働者の側としては、仮にも非正規労働者が自分たちの踏み台として存在しているおかげで自分たちの雇用と高給が守られている、などと考えて最低賃金引き上げの闘いに冷淡でいるわけにはいかない。目先のことはともかく、中長期的にはリストラや自らの賃金の下降圧力に晒され続けることであり、自分たちの長期的な生活保障に反するからだ。
 とはいえ、最低賃金の引き上げを闘い取るべき主体は、やはり差別され搾取されている当の低賃金労働者自身だろう。そうした人たちが決起することで多くの労働者も必ずそうした闘いに結集する。現にフリーターやパート・アルバイトなどの当事者による組合結成や要求を提出しての闘いを起こし始めている。そうした運動、闘いを拡大するのが目下の緊急な課題だろう。
 労働者の処遇というジグソーパズルの模様替えをめざす場合、ひとまとめに全体の模様替えが実現することはあり得ない。結局は一つのピースの形や大きさを無理矢理に変え、それを軋轢を伴いながらも周辺に波及させながら全体を変えていく以外に方法はない。すべてはそれぞれの課題で最初のピースの一片を変える闘いから始まる。 ( 廣 )案内へ戻る


色鉛筆 介護日誌19 ―介護がくれた贈り物―

 母親が、成人した息子の自慢話をする時は、よほど気をつけないと、鼻持ちならなかったり耳障りだったりしてしまう。それを今回は覚悟の上で、息子の自慢話をさせて頂きたい。どうかお許しを。
 その夜は、夫も私もそれぞれにどうしても抜けられない会合があり、母(84歳、歩行不可で車イス)とあわただしく夕食を済ませ、家を後にした。本当は、食後すぐにベットに横になると吐いてしまうことが多いため(「逆流性食道炎」という)、車イスに座っていて欲しいのだが、すでに母は自分でベットの中に入ってしまっていた。不安はあったが、たぶん大丈夫だろうと油断したのが間違いのもとだった。
 しばらくして盛大に嘔吐し、汚物の中で母が横たわっていると、2階で休んでいた息子が通りかかり、母を着替えさせ、その上汚れた枕カバー、シーツ、服などを取り替え、風呂場で洗濯(手洗い)までしてくれていたのだ。誰に頼まれたわけでもないし、彼は連日の夜勤や長時間勤務で相当に疲れているはずだ。うかつにも私はそこまでやってくれるとは思いもよらなかった。
 息子が洗ってくれたものは、むろん完璧ではないから、後で私がもう一回洗いなおすと、まだ人参や卵がそのまま出てきて、布は吐瀉物で黄色に染まっている。今まではいつも、自分で吐きそうになりながら洗いものをするときの私は、イライラカッカし恨みつらみをつのらせていた。今回は、息子の思わぬ行為に、心の底からあたたかいものがこみあげてきた。 翌日母にこの出来事についてたずねると、孫息子に世話になったことは覚えているが、なぜかその場所が自宅ではなく「車で連れて行ってもらった先」だと言う。どうやらデイサービスやショートステイでお世話になっている施設だと思っているらしく、その時も「あんた(息子)ここで働いているのかねって聞いただよ」と母は真顔で言う。一方、息子の方はあまり多くを語らない。私たちとは違う「祖母と孫」との間柄がそうさせたのだろうか。

 「天然」 「天然ボケ」ということばが流行っているが、時々母にもこれがある。真夜中に突然「まだごはんを食べていない!」と言い張ったり(こちらが「食べたでしょ」と言うと引き下がるからまだ救われている)、夕食の食卓で「朝かね?夜かね?」と聞いたり。ある時はふだん出来ない1人でのベットから車イスの移乗、おまけに襖までガラリ!と開け「お風呂に火をつけたから止めなきゃ」と力強く部屋から出てきたことも。半世紀の時を超える(?)母の言動に、こちらは「は?」と考えたりくすっと笑ったりと、けっこう楽しんでいる。ただただ、世話のかかる厄介な人と思うことがほとんどなのだが(ごめんなさい)、みっともなさも醜さもあわせた上での84年の存在感が私たちに色々なものを伝えているのだなとも思う。
 母のこんな天然の笑えることばとともに、息子の今回の行為は、まさに大きな贈り物。そんな大袈裟なと笑われぬうちに自慢話はおしまい。(澄)

オンブズな日々  その29「なくそう!議員特権」

 統一地方選挙が終わりました。特筆すべきは、高知県東洋町の町長選挙で核のゴミ拒否を掲げた沢山保太郎候補が、交付金目当てに核廃棄物最終処分場の調査に応募した現職に勝利したことでした。東洋町の皆さんが、札びらを切れば何でもできると思っている中央の政治に、地方の意地を見せて一矢報いたのです。 さて、兵庫はどうだったかというと、議員特権に厳しい審判が下されました。前半の県議会選挙では、自民党は大敗北を喫し、7人もの現職が落選したのです。例えば、政務調査費の違法支出を刑事告発され、書類送検された芦屋市選挙区の門信雄議員と姫路市選挙区の清元功章議員が落選です。
 その一方で、政務調査費違法支出を告発した市民オンブズ尼崎の丸尾牧市議が県議選に挑戦し、見事に当選を果たしました。彼こそが今回の自民敗北の仕掛け人であり、県議会は内部に火種を迎え入れることになってしまったのです。お気の毒なことですが、市民は丸尾氏の活躍を期待していることでしょう。地元紙も次のように指摘しています。「政務調査費をめぐっては、市民オンブズが情報公開で入手した資料を基に、議会は厳しい追及を受けた。しかし今度は、丸尾らによって、議会内部からの監視が強まる」(4月10日付「神戸新聞」) 後半戦の西宮市議選では、「なくそう!議員特権」を掲げた市民オンブズ西宮の四津谷薫氏が初の挑戦で当選を果たしました。西宮市議会では、昨年末の朝日新聞でタクシーチケット【使用料及び賃貸料(自動車借上料)990万円】の不正支出が暴かれ、慌てて新年度からは廃止を決めたところです。政務調査費支出の領収書公開も、市民の追及に抗しきれなくなって、3月議会で公開を決定(しかし改選後の7月からということですが)せざるをえなくなったのです。
 こうした議員特権追及を粘り強く続けてきたオンブズの四津谷氏が、2500票の支持を得て当選した(最下位当選者は1805票)のも当然だったと言えるでしょう。「神戸新聞」もその選挙戦に注目し、次のような記事を告示の翌日に掲載しています。「『なくそう議員特権』。西宮市の阪急夙川駅前で第一声を上げた同市議選の新人候補は、選挙戦のスローガンをこう掲げた。市議に支給されるタクシーチケット(本年度から廃止)の私的流用の疑いが指摘された同市会。『議会、議員が(改革に向けて)何をするかが問われている選挙』とした上で、年間で総額8100万円が支給される政務調査費の半減なども訴えた」 タクシーチケットについては市民オンブズ西宮が不正支出分の返還を求める監査請求を行っていましたが、3月28日に棄却されています。政務調査費は議員一人年間180万円、45人分で8100万円になります。ちなみに月額報酬は69万円、現在は65万円に減額されたいますが、費用弁償なども含めると、西宮市会議員の年収は1400万円を超えています。まさに議員特権?です。
 さて、こうした結果からオンブズへの期待は高まっており、責任の重さを感じています。ところで、市民派芦屋市議の挑戦を受けて敗退した門県議は、結局、不起訴になっています。これを不服として、神戸検察審査会に審査申立てをしていたところ、4月16日付けの「本件不起訴処分不当である」という結果通知が届きました。門議員にはお気の毒ですが、自ら蒔いた種だから仕方ありません。 検察審査会が示す議決理由は市民感覚に沿うものであり、神戸地検の不起訴を告発する内容にもなっています。当然の見解とはいえ、思わず拍手したくなりました。「自動車購入のローン代金を、調査研究費のリース代金として充てるのは、一般的、社会的常識からして納得できるものではない」「本件は、オンブズマンの監査請求により発覚した事案であり、既に訂正の報告をなし、法定利息を含め兵庫県知事に返還したとしても、県民の血税を自己の利益とした悪質な事案である」「被疑者が本当に事実関係を率直に認め、猛省しているとは認めがたく、連続4期目となる現職県会議員であること、警察常任委員会委員の要職にあること等から県政を預かる立場にあるものとして制裁されてしかるべきである」              (晴)

流山市議選について

 前々号で書いておいた流山市の友人の選挙は、彼も奮闘したのですが残念ながら落選してしまいました。革新無所属のこれと言って地盤もない新人候補者には、統一地方選挙で自民党を苦戦に追い込んだ民主党の新自由主義の台頭の前に為す術がなかったのです。
 日本の労働者民衆の政治的経験の不足から、統一地方選挙は、自民党とそれほど大差ない民主党を、地方でも有力な政治勢力へと押し上げたのですが、私たちにとっては闘いはこれからと言うべき時ではないでしょうか。いたずらに自分勝手な絶望感や失望感に浸っている暇な時間はないと私たちは覚悟すべきです。
 改憲手続き法・教育関連四法案・イラク特別措置法延長法案等、政府与党のやりたい放題の悪法が目白押しに国会で審議されているのです。
 まさに闘いはここから、闘いは今からです。ともに闘っていきましょう。  (笹倉)案内へ戻る