ワーカーズ349号 2007/7/15       案内へ戻る

弱り目に祟り目の安倍内閣  自公政権に退陣を迫ろう!

 まさに一難去ってまた一難の安倍内閣ではある。
 事務所経費不正問題で松岡農水大臣は「自殺」したのだが、今度はその後釜に据えた赤城農水大臣がまたまた事務所経費不正問題で渦中に巻き込まれる人にはなってしまった。
 彼の主たる後援会事務所として両親の住む実家が挙げられているが、両親と後援会責任者がそんな実態はないしその登録されている事実すら知らないとの証言は実に重たいものがある。そのような中で「経常経費」が十年間で九千万円計上されていたからである。
 当の赤城大臣は、この期に及んでも何とかの一つ覚えよろしく不正はないと強弁するばかりだし、これまた安倍総理に至っては、水道料が一時期月額八百円だった事のみを幼児的頑迷さで繰り返し言い張り、問題の所在をあいまいにして恥じない。そして「八百円の人を辞めさせるのか」と発言した。この十年間の「経常経費」が問題なのに全くとぼけている。安倍総理は、赤城大臣を擁護しまさに居直ったのである。
 この問題がマスコミに取り上げられて、大問題と成るや、まるで赤城大臣の窮地を救うべく口裏を合わせるかのように、両親と後援会責任者は前言を完全に翻し、後援会事務所として使用されている事実があったと言い出し、誰が考えても不自然な始末なのである。
 近所の人達もマスコミのインタビューに対して、そんな事実も実態もないことを次々に証言している。こうして安倍内閣は、事務所経費不正問題に対して、何ら誠実な対応をしないことで民心と大きく乖離している。知らぬは自分たちばかりである。不誠実でいい加減な対応を恥とも思わない点で、安倍総理と赤城農水大臣はまさに刎頸の友なのである。
 自民党の桝添政調会長は、この問題と安倍総理等の対応に危機感を募らせ、公明党も不快感を露わにし始めてはいる。まさに安倍政権の末期的危機がここに象徴されている。
 安倍総理と赤城農水大臣が何らの問題もないと言い募る毎に安倍内閣の支持率は低下していく他はない。この間の嵐のような強行採決の乱発と住民税と国保料の大幅値上げは労働者民衆を確実に覚醒させつつある。自公連立政権に退場を迫る声は確実に拡大している。
 この声をさらに大きく強くし、より一層明確なものにしていかなければならない。
 今こそ社会の主人公としての労働者民衆の底力を彼らに見せつける時である。(直記)


生存権・労働権の復権を!――参院選の争点を考える――

 05年の「郵政解散」総選挙では、既得権構造から排除された少なからぬ若者が小泉自民党に投票し、小泉自民党の圧勝をもたらした。しかしその選挙から2年もたたないというのに、そうした青年層を含む多くの労働者が劣悪な処遇での労働を余儀なくされている実態が、むしろ拡大している現実が浮かび上がっている。
 “改革には痛みが伴う”として強引に進められた構造改革は、劣悪な労働を強いられる人をいまも社会に蔓延させ続けている。弱肉強食の市場原理一辺倒の小泉新自由主義改革が何をもたらしたかは、私たちの身近にも拡がる劣悪な労働のあり方にはっきり現れている。
 今度の参院選は、年金や政治とカネが大きな争点だといわれる。がその根底にある根源的な争点といえるのが、このまま格差・二極化社会の拡大を許すのか、あるいは労働の尊厳、働くということの価値を復権・確立していくのかという選択肢だろう。
 今度の参院選では格差社会を拡大し続ける安倍自民党を少数派に追い込み、労働権の復権・確立の闘いの出発点としたい。(7月11日)

■労働者の使い捨て時代

 「労働権」といったが、ここでいう労働権とは、憲法で規定された職業選択の自由、勤労の権利と義務、団結権・団体交渉権・団体行動権とは少し意味合いが異なる領域も含まれる。労働しているということを根拠にとして、人格や生活を確保すること、労働を根拠とした権利を確立すること、いわば労働の尊厳を自覚し、相手にも認めさせる、ということだ。
 資本制社会では、いつの時代でも労働の尊厳はないがしろにされ、労働者は報われることは少なかった。が、05年選挙後のこの1〜2年だけ見ても労働の尊厳、労働という人間の基本的な営為に対する評価や対価の劣悪化が急速に拡がっている。直接的には弱肉強食の市場原理万能政策によるところが大きい。
 その労働の劣悪化は雇用、賃金に端的に表れている。
 この1〜2年だけをとっても、新規参入の規制緩和によるタクシー運転手の最低賃金以下という低賃金、一流といわれてきた大手製造業を舞台にした偽装請負の蔓延、介護ヘルパーなどにも拡がる非正規化の波と介護報酬の改訂による賃金の切り下げ、日雇い派遣労働者の激増と日当からのピンハネ問題、搾取としかいいようがない“外国人研修生”の苦役労働、フリーター労働者のタコ部屋生活、「ネットカフェ難民」化等々だ。
 他方では中堅の正規労働者の長時間労働・サービス残業の蔓延、そうした人たちのなかでの精神疾患の急増、自殺者3万人時代の継続等など、正規雇用の人たちのあいだでの労働強化も進んでいる。
 これらは労働分野における規制緩和など、小泉政権が進めてきた新自由主義路線の必然的な産物である。このまま推移すれば、日本でも若者ホームレスやスラム街が出現する時代もこないとは限らない。
 労働の劣悪化は、働いていながら生活保護以下の収入を余儀なくされている、いわゆるワーキングプアが急速に拡がってきたことと表裏一体の関係にある。これらは労働者が人として生きる権利を否定し、労働者を使い捨てにしてもかまわないという、あまりに労働者と労働を侮辱しているという意外にない。

■脇に追いやられる労働権

 労働の劣悪化は弱肉強食の市場原理によって加速した。なかでも企業活動の自由を拡大する各種の規制緩和の影響は甚大だった。純粋持ち株会社の解禁、分社化、業態間統合の緩和や、いわゆる三角合併の解禁によるM&Aの規制緩和など、一連の商法、会社法の改正で企業活動は大幅に自由化された。資本・企業にとって利潤獲得の機会、ビジネスチャンスは格段に拡大した。
 反面、企業の合従連衡や人為的な企業淘汰などから大きな影響を余儀なくされる労働者に対しては、労働者保護の視点や政策はすっぽり抜け落ちている。分社化や企業買収で所属会社が代わることで労働者が被る不利益には法的規制や確たる保証もなく、また労働組合の規制力による労働者の権利保護もままならない状況だ。
 この間世間の注目を集めた企業の身売りや買収劇があったが、その場合でも労働者の意向は無視され、労働者保護の課題は無視されてきた。
 つい最近の例でいえば、グッドウィルグループ傘下の介護事業コムスンによる登録スタッフの虚偽報告などによる介護報酬詐欺事件でもそうだった。コムスンの引き受けに名乗りを上げた居酒屋チェーン大手ワタミの渡辺美樹社長は、一括譲渡を求めるコムスンの労働組合に対して、賃金保証などの「要望は聞く」としながらも労組とは「かかわるつもりがない」「労働者か利用者か、といったら、私は利用者の側に立つ」と労働者軽視の態度を表明している。介護スタッフの誠実な働きぶりこそが利用者の身になった介護につながるという発想はまったくない。グッドウィルのオーナー経営者と同様、ワタミに引き継がれても、労働者を大事にしない企業が利用者の立場を尊重した経営など出来るはずもない。
 こうしたケースに象徴されているように、資本家・経営者は消費者・利用者保護は口にはするものの、事業活動に不可欠な労働という基本的資源への、働く人々への考慮など微塵も感じていない。これは何もコムスンに限ったことではなく、この間の多くの事件・出来事に共通する傾向だ。企業は商品やサービスが売れなければ負けなので、建前では消費者主権を受け入れる。が、その裏側では良い製品やサービス提供の担い手であるはずの労働者に対しては、コスト削減の対象として徹底的にしわ寄せしてきた。
 こうした場面でも労働という価値に対する評価はすべて後回しにされてきたのである。

■労働にもとづく権利の拡大

 労働権の尊厳について考える場合、今はやりの「株主主権」との対比で考えると分かりやすい。
 近年、国境を越えた企業買収の拡がり等で株価や配当などへの注目度が高まって、株主主権などという言葉も拡がり、いわゆる会社は誰のものか、という議論も交わされるようになった。この議論はいまだ決着していないとはいえ、こうした問いを生む土台は以前からあったものだ。すなわち所有権優位の考えにたつ株主主権、占有権にもとづく経営権、それに労働を根拠とする労働権で、それら相互間でのせめぎ合いと均衡の上に戦後日本の企業社会は成り立ってきた。
 日本は戦後の“グループ経営”や“間接経営”、あるいは“経営者革命”などの言葉で言い表されてきたような経営者優位、経営権優位の企業社会だった。それがいま株主主権という言葉に象徴されるような、所有権の力が拡大していると見ることもできる。
 現にこの数年、株式配当が引き上げられる傾向にある。これはこのところの“景気回復”や企業買収への防衛策も関係しているが、それは新自由主義自体が利潤至上主義を露骨に追求していることと表裏の関係にある。所有権が幅をきかせ始めているわけだ。
 対して労働権とは端的に言えば雇用・賃金・生活の権利である。これがいまさらなる圧迫を受けているのだ。
 さらなる、といったのは、日本ではすでに労働権はかなり切り縮められてしまっているからだ。春闘では経団連は個別企業の「支払い能力論」を強調する。これは賃金の優先度を他の要素に対して最後に追いやるという経営側の強い意志を代弁する防波堤の役割を果たしている。つまり企業は自分の利益をまず原材料費や光熱費、減価償却、拡大再生産費、利子返済、内部留保、株式配当、経営者報酬、などすべての支払いに充て、残りがあれば賃金原資に当てるという考え方だ。
 まったく労働者をバカにした話である。そうではなく、それを賃金原資を最優先にすること、少なくとも原材料費や光熱費と同格に格上げすること、それで余剰が出来たときは経営者報酬や株主配当にまわし、不足すれば株主が負担する、というようにするのが、労働権の復権・確立の意味である。言い換えれば企業活動の前提条件として労働者への賃金を保証させることだ。
 これは当然のこととして労働者自身による闘いを通してしか実現し得ないことで、国家や政府の法律や政策で保護されるという性格のものではない。労働者の団結と闘いがその源泉なのであり、その力が実効性を確保する源泉となる。
 労働権の復権・確立は少しも夢物語ではない。現に労働権が所有権・経営権を浸食し、それに肉薄したケースもある。ここでは詳しく紹介できないが、スウェーデンの「労働者基金」の実験であり西ドイツの「労使共同決定法」などだ。それらはいずれも挫折したか実効性を確保できなかったとはいえ、労働権の復権への貴重なピントになっている。
 私たち労働者はもっと自分たちの潜在的な可能性、力を信じて前進する必要があるし、それは可能なのだ。

■始まった反乱を拡げよう!

 今度の参院選は年金問題が最大の争点になっている。当然だろう。年金問題は生存権と直結したテーマだから。が、その年金制度、生存権の根幹に位置するのが労働権であることも確たる現実だ。いうまでもなく不安定雇用、低処遇は直接労働者世帯の生存権を脅かすからだ。
 いまその生存権、労働権の復権を求めて利潤至上主義社会の負担を一身に押しつけられている当事者自身が立ち上がり始めた。
 派遣労働者の偽装請負では、当事者による内部告発も拡がっている。労働組合を結成して労働局に申告・告発したり、厚労省への要請行動にも取り組んでいる。
 また今年のメーデーではフリーター全般労組が呼びかけた「自由と生存のメーデー07」が38団体の賛同を得て開催され、若者を中心に予想を大きく上回る420人が参加した。大阪では「明るいビンボー★メーデー」が開催され、フリーターや野宿者約100人が集まった。
 さらにこの7月1日には派遣労働者やネットカフェ難民、生活保護受給世帯などの支援団体でつくる「反貧困ネットワーク準備会」が貧困解消を共通目標に東京・永田町の社会文化会館で「もうガマンできない! 広がる貧困」と題した集会を開いた。
 こうした当事者による決起の拡がりは、それだけ労働権が浸食されてきた結果であり、その復権の必要性・不可欠性を象徴する行動だと受け止める必要がある。
 参院選挙ではそれぞれの地域や場面で安倍自民党を徹底的に追い詰め、過半数割れに追い込む闘いを拡げたい。併せて生存権を担保する根幹としての労働の復権、労働権の確立の闘いの出発点としたい。(廣)


住民税の減免制度について

 私の息子は、この四月からアルバイトを辞めて四年生の専門学校に進学しました。私としては、本人の思い通りにやりたいことをさせたいとの願いがあります。
 このため、息子の所得は今年度全くなくなったのですが、この六月の住民税の納税通知書では、何と四万円の納税義務があると通知されたのです。
 私は、仕事柄住民税の減免措置があることを知っていたので、前年度と比較して著しい所得減がある時は、各自治体毎に規定されている「特別の場合」として、減免措置が適用されないかどうか確かめることにしました。
 市民税課に確かめたところ、この措置が受けられるのは、定年退職者や企業の倒産による解雇者だけで、自己都合による退職者には適用されないと説明されたのです。何となく納得できなかったので、インターネットで各自治体の減免制度を検索したところ、まさに各自治体で周知させる度合いが全く異なっていることを私は実感させられました。
 私は横浜市に住んでいますが、横浜ではホームページに減免制度の記述はありません。またホームページに住民税の減免制度の記載がある自治体でも、驚くべき事に本人主義と申請主義が貫徹されています。勿論代理人が立てられないかはこれだけでは分かりません。
 具体的に言いますと住民税の減免制度の適用を受けたい住民は、今年の第一期納税期限である七月二日までに本人が減免申請をしなければならないと記載されているのです。
 実際の確認をしませんでしたが一度納税したら減免措置は受けられないかのように記載されていることにわたしは驚きました。こんな制度があることを私たちは周知されたこと、市の広報などで説明されたことがあるのでしょうか。そんなことは全く聞いたことがありません。これは行政サービスを云々する前の大変基本的な知識ではないでしょうか。
 まさに日本の自治体は、行政のための組織であり、住む人達の組織になっていないことがこの事からも認識できました。行政の手抜きとして考えられないこの申請主義を、今後様々な場面で追求していかなければならないと私は深く深く心に刻み込みました。(笹倉) 案内へ戻る


自殺についての考察

 7月2日、16歳で高校2年生の長男、14歳で中学3年生の次男、13歳で中学2年生の長女の、まだ10代の夢や希望が無理心中を図った父親によって絶たれた。まるで子どもは親の持ち物であるかのように自殺の道連れにする、いつまでこんなことが繰り返されるのか。自殺が未遂に終わってしまった父親は哀れだが、子どもたちの明日を奪った罪は重い。
 翌3日、神戸の18歳の男子高校生が授業中に校舎の渡り廊下から飛び降り自殺を遂げた。「トイレに行きたい」と教室を抜け出したものだが、教頭は「(亡くなった男子生徒について)欠席や遅刻などもなく、いじめられていたとも聞いていない」(7月4日付「神戸新聞」)と述べている。彼に何があったのか、「ポケットに遺書らしきメモがあった」ようなので、その一端でも明らかになれば、家族の苦悩も少しは和らぐかもしれないが、痛ましさが募る。
 ヒトはなぜ自死するのか。本能の赴くままに死に到る生物があるのかもしれないが、自らの意思において死を選ぶのはヒトだけだろう。いや、理性的な意思の途切れたところで死の扉が開くのかもしれない。そうした思いを抱えながら、いくつかの視点から死について考えてみたい。                         (折口晴夫)

9年連続自殺者3万人超!
 1998年にはじめて自殺者が3万人を超え、それ以降、昨年まで9年連続自殺者が3万人を割ることなく続いている。ちなみにこれは警察庁の発表で、厚生労働省・人口動態統計では2006年の自殺者数は29887人となっているのだが。いずれにしても、まるで毎年、町がひとつ全滅し続けているようなもので、これはサミットに参加する主要国の中でロシアに次ぐ自殺死亡率の高さである。
 昨年、自殺対策基本法が成立し、6月8日には対策大綱が閣議決定されている。あまりに遅きに失したものであり、その実効性も疑問である。数値目標では「30%減少」を求める意見もあったが、2016年までに05年の人口10万人当たりの自殺死亡率を20%以上減少させる、というところに落ち着いた。実に及び腰の対策≠ナあり、「週刊金曜日」(6月22日号)も次のように述べ、疑問を呈している。

「大綱の重要項目のひとつに『自殺の実態を明らかにする』調査・研究がある。これまで『自殺者3万人』時代を経過してきたのに、政府はその実態や社会的背景を明らかにしてこなかったということではないか」「98年に前年より自殺者が約8500人増え、3万人を超えたのだが、その理由は、バブル経済崩壊後の金融不安や景気悪化が大きな原因である。2004年以来、財務省は『穏やかに景気が回復している』というが、景気が回復しているにもかかわらず、なぜ自殺者が減らないのだろうか」(谷口硝子「『自殺』は個人的な問題ではなく社会的な問題だ」)

 谷口氏はその論を「『語れない自殺』『見えない貧困』など、『経済大国』日本で起きている現在の社会病理はかなり深刻だ。まず、それらを可視化していくことから、始めることが大切ではないだろうか」と締め括っている。また、大友信勝・龍谷大学社会学部教授の次のよう指摘を紹介し、新自由主義経済の下での大企業の繁栄と中小・零細企業の衰退、労働者の苦難が自殺者を生み出す大きな原因だとしている。

「2005年度だけで、消費者金融は借り手に生命保険をかけ、消費者金融大手5社の死亡保険金が39880件、うち約10%の3649件が自殺だった。消費者金融は『生命』を担保に苛酷な取立てを行ってきたのです」(谷口硝子・同)

 日本経済新聞社の調べによると、2007年度に連結経常利益が1000億円の大台に乗る上場企業が過去最多の96社もあるということだ。「期初に慎重な業績予想を開示し、年度末に向けて上方修正する企業が多いため、最終的に100社を超える可能性がある」(7月5日付「日経新聞」)ということだ。2000年度にはたったの39社しかなかったのに、昨年度は95社、そして今年度は100社を超えそうと、自殺者3万人時代≠フこの大企業の繁栄を喜ぶことはできない。

過労自殺、過去最多!
 7月16日、過労が原因でうつ病などの精神障害となり、自殺(未遂を含む)した労働者の労災認定が2006年度、過去最多の66人(前年度比6割増)だったことが厚生労働省のまとめで明らかになった。働き盛り、要するにこき使われている30代が、精神障害の認定者数においても40%を占め突出して多かったそうだ。
 この数字は労災認定≠ウれたものであり、過労自殺の一部に過ぎない。裁判で争われている事例では、「月150‐120時間の残業に、取引先とのトラブルやノルマを達成できない悩みも重なった」(23歳の男性)、「月平均100時間の残業。うつ病の発症をうかがわせる事実を認識しながら上司は何もしなかった」(41歳同)、「納期が迫り、残業は月159時間に」(28歳同)など、恐るべき実態があることを「神戸新聞」(5月17日)は伝えている。
 人材派遣会社「ザ・アール」の奥谷礼子社長が過労自殺について、「本人の自己管理ですよ」「労働者を甘やかしすぎ」と主張したのは失言ではなく、資本の本音である。黙って働きノルマを達成すること、それができない者、病気になったり死んでしまう者はいらない、というのが人材派遣≠フ鉄則なのだ。「ザ・アール」に災いあれ、とでも言うほかない。
 奥谷が例外でないことは、内閣総理大臣の諮問機関「規制改革会議」の再チャレンジワーキンググループ・労働タクスフォースの5月21日付けの意見書を見れば明らかである。「脱格差と活力をもたらす労働市場へ‐労働法制の抜本的見直しを‐」という表題のついたこの意見書は、労働者保護をなくし自由な契約を実現することが労働者にとっても利益になるという珍奇な意見を披瀝している。つまり、すべてを競争場裏にさらし、誰にも這い上がるチャンスを与えよ。そうすることが、敗退した者にも多くの再チャレンジの機会を与えることになるというのだ。
 ありもしない自由な労働契約≠前提にしたこうした主張が臆面もなく闊歩している現実こそが、過労死・過労自殺を増加させているのだ。人減らしと過大なノルマ、その圧力の下で終わらない仕事に追われ、死ぬまで働くこと以外の選択肢を見出せない労働者が存在することを、かの労働作戦任務軍≠フ主査、福井秀夫・政策研究大学院教授を筆頭とする先生方は知らないのか、そんなことは問題ではないと思っているのか。いずれにしても、労働者が自らの力でこの圧力をはね退けない限り、労働現場から死の陰を取り去ることはできない。

子どもの自殺過去最多!
 警察庁の統計で昨年の自殺者が3万人を超えたことはすでに述べたが、学生・生徒の自殺も886人で過去最多となっている。親の自殺で残された子はその悲しみに加えて、経済的困難が現実の生活を脅かすことになる。一方、子の自殺は、残された親に深い自責と果てしない喪失感をもたらす。自殺対策は自殺を防ぐ手立てを考えることだけではなく、遺族が抱えた重荷をどう解きほぐすかということでもある。
 長年、子どもを亡くした親たちとかかわってきた若林一美・山梨英和大学教授は、「悲しみのなかに秘められた思いに、まずは耳を傾けること。それが今、私たちの暮らす社会で足りないことではないだろうか」と次のように語っている。

「原因追究と予防対策にのみ重点を置いた第三者の発言や報道に、遺族はひたすらわが身を責め、身を縮めている。自死遺族の口を閉ざさせているのは、差別や偏見ばかりではなく、こういった無理解の壁である。その壁の前で、自死に関する事実の多くの部分が隠されてしまうように思えてならない」(7月2日付「神戸新聞」)

 学校でのいじめが原因となった子どもの自殺がどの程度の比率かわからないが、多くの場合、学校や教育委員会の自己防衛と責任逃れによって事実関係すら明らかにならない。それは、学校という子どもの可能性を伸ばすべき場が、画一的な枠組みを押し付けることによって、むしろその可能性を閉ざすものとなっていることと無関係ではないだろう。将来への希望を持ち続けている子どもが自死の誘惑に駆られることはないだろう。 

副作用による自殺が急増?
 厚生労働省と独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」によると、抗うつ剤「パキシル」の副作用と疑われる自殺が増えている。
    04年度 05年度 06年度
自殺既遂  1件  11件  15件
自殺企図  2件   2件 24件

 背景にうつ病などの患者の増加と、それに比例した抗うつ剤の売上増加があるが、安易な処方が副作用をもたらしているようだ。精神保健学の田島治・杏林大学教授は「投与後、最初の9日間は慎重に様子をみて注意が必要。また、うつ病を早く見つけ、治療するという流れにのって、軽いうつ状態にまで、すべて薬を投与するのは問題だ。特に若い人の場合、カウンセリングで治るケースも多く、慎重にすべきだ」(6月28日付「神戸新聞」)と指摘している。
 なにやら春先に問題となった「タミフル」を思い起こさせるが、本来的に薬は毒でもあるからある程度の副作用は仕方ない、という問題でもなさそうだ。「タミフル」や「パキシル」を飲んではいけないと警告を鳴らしていた、NPO法人・医療ビジランスセンター(薬のチェック)代表の浜六郎医師は「その毒性は重大であり、それによる害は、得られる効果と比較して、『薬として成り立ち得ない』程度に深刻なものばかりである。その意味で、薬として『許容できる限度を超えた害』のあるものだ」(「週刊金曜日」6月1日号)と厳しく指弾している。
 ついでに紹介しておくと、浜医師は飲んではいけない危険な薬として、睡眠剤「ハルシオン」、解熱剤「ボルタレン」「ポンタール」「ロキソニン」「ニフラン」などをあげている。それにしても、家庭常備薬としてよく知られている「正露丸」まで危ない薬だったとは驚きだ。歯に詰めて虫歯の痛みが止まるのは神経を麻痺させるからであり、「常用量のわずか4倍を服用して腸が麻痺して壊死し、放置したら確実に死亡した思われる例も紹介されている」そうだ。

 このようにしてこの国は自殺者3万人時代≠ノ突入し、そこから脱出できそうにもない。景気の回復にもかかわらずということではなく、むしろ3万人の自殺者の犠牲の上に資本の利益がもたらされているというのが真実である。子どもも大人も競争にさらされ、極論すれば、敗者は浮かばれない生活に甘んじるか死を選ぶしかないのが、この国の現実ではないか。
 

「ヤンキー先生」、風に舞い上がる

義家氏の不見識

 安倍内閣の目玉である教育再生会議に抜擢され、担当室長を務める横浜市教育委員の義家弘介氏は、かねてから政界入りが噂されていたが、今回の参議院選挙戦に自民党公認で出馬することになった。任期半ばで辞任し立候補する義家氏の不見識は糾弾に値する。
 六月二十五日行われた出馬声明の記者会見の席において、義家氏は「志のあるリーダーじゃないと教育は変えられない。最重要課題に教育を掲げる安倍内閣の下で、改革をしなければならない」と出馬の意図を明らかにしつつ、「いま、逆風が吹いている。安倍政権への逆風もある」とも語り、自らが安倍内閣を支える政治姿勢を明確にしたのである。
 確かに今参議院選挙の一大争点となる「消えた年金履歴」を始めとして、改憲手続き法等の強行採決は二十回にも達し、現職閣僚の自殺や六月下旬に労働者民衆を直撃した住民税大増税や国保料の大幅引き上げ等々、また相次ぐ柳沢・久間・赤城ら閣僚の失言・失態により、安部内閣の支持率は今や二十%台にまで急落している。だからこそ、この安倍内閣を守る御盾として立候補するため、安倍総理に任命された教育再生会議の担当室長の職を中途で投げ出すのだと彼は理解できない強弁をする。義家氏のこの理解できない、何ともすばらしい「責任感」や「規範意識」を、私たちは何と形容すべきだろうか。
 この義家氏の呆れ果てた露骨なまでの野望については、松岡農水大臣の自殺を「死人に口なし」と形容した無知無見識丸出しの伊吹文科相ですら、「私なら(教育再生会議の)職を全うした」と批判をせざるを得なかった。また再生会議内部からも反発が出るなど義家氏の無責任で身勝手な行動に対する当然の批判が広がっている。
 義家氏の全く破廉恥な立候補の結果、彼に参院選への出馬の意思がないと事前確認の上、作成し全国の保護司会などに配布した「社会を明るくする運動」のPRビデオ約一万本の使用を自粛するよう法務省が関係機関に要請している事がわかった。こうして、同省の予算によるビデオ制作費約八百四十万円が無駄になる可能性も出てきたと報道された。この事前確認を無視した無責任な嘘つき男を私たちは何と批判すべきだろうか。
 要するに、義家氏は安倍総理の口車に乗り、風を全面に受けた凧のように一気に舞い上がろうとの政治的野望を、恥ずかし気もなく剥き出しにしただけだ。この会見には、安倍総理に対するおべっかや追従こそあれ、義家氏自身の教育者の名に恥じない「教育再生」の為の一家言の表明など一切見出せなかったのである。

義家氏の経歴と問われる技量

 そもそも安倍内閣がめざす「教育再生」とは、「美しい国づくり」「戦後レジームからの脱却」「規範意識」等々の言葉が象徴するように、その内容たるや、学校現場の教職職員や「国民」教育への官僚統制・国家統制を一段と強化し「戦争できる国家作り」をめざしたものである。
 そのため、学校現場の教職員には、児童・生徒間での競争心をあおり立てるとともに「国を愛する姿勢」を植え付けるようとことん強要する。そして、自民党等は、これに反対する日教組組合員や反抗する教職員には、教員免許を更新することなく、教壇から合法的に追放できるようにした。彼らにとって長年の悲願であった法律改正を、彼らは論戦を通じてではなく、今国会で数に任せた強行採決により成立させたのである。
 また児童・生徒や保護者には、学区選択制の導入を行い、一斉学力テストや学校評価により、不毛な競争に駆り立て、各校への予算配当にも公然と格差を持ち込もうとしている。
 つい先日も、足立区の学校が、一斉学力テストの際、障害児学級の児童の答案を抜いて平均点を出したことや間違った答えを指で指摘し、正答へと誘導した事実が発覚した。まさに勤評闘争の渦中、香川県で起こった事が、足立区でも校長の指導により起こった。このように、結果がよければ経過は問わない驚くべき教育荒廃が出来してきたのである。
 義家氏は今回の自分の立候補を、「教育再生」や「教育改革」に、自分の経験を生かすものと正当化してはいる。しかし、高校の教師としての勤めた期間は、実際には約六年間で、そのうち担任した期間はたったの三年間であり、担任経験の内実に至っては、北星学園余市高校の三十六期生の一つのクラスを持ち上がりで、三年間担任したのみである。
 これが教師としてに人に誇れる程の経験年数だろうか。当然の事ながら、教師として自慢するほどの技量が、本当に彼にあるものかとの批判や疑問視する声も多いのである。
 教育者に対する毀誉褒貶は世の常ながら、義家氏ほどスキャンダルが多い人も珍しい。何と「義家弘介研究会」の必見のサイトがある。彼は、まさに横浜市では注目の人なのである。読者には、自分のお気に入りの検索エンジンで、是非とも確認してもらいたい。
 サイト開設者は、「このサイトは横浜市教育委員義家弘介を研究するための資料と検証のサイト」と説明している。教育委員就任後、横浜市の五百二十校の学校訪問をすると公約した義家氏が、実際には何校学校訪問をしたかが暴露されている。またここには二転三転した教え子と彼の結婚の説明を始めとして、数々の疑惑が徹底的に暴き立てられている。
 かって義家氏は、「日の丸君が代の強制に反対する」と大見得を切り、右翼のサイトで「教育再生会議」のメンバーにふさわしくないと批判されてもきた。また教育基本法改悪の動きに対しては、「まず子どもの声を聞け」と発言してきた事もあった。
 しかし、現在の義家氏は、「教育再生会議」の中で、かっての主張を劇的に翻し、労働者民衆の反対の声を一切無視し強行採決された教育基本法改悪を高く評価し、その具体化に狂奔している。こうして、義家氏は、教育基本法改悪に反対して国会前に座り込んだ教員たちを、「学校に帰れ」と切り捨てるまでになり、彼の心事は窺えないもののいまや安倍内閣に逆風が吹いているからと自ら自民党から立候補するまでに舞い上がっている。
 まさに類は友を呼ぶ。背後に極右団体や広域暴力団が見え隠れする安倍総理は、「ヤンキー先生」と言う名の嘘つきでうさんくさい人物を、教育改革の遂行のためと称して、教育界から引き出し政治家に仕立てるまでに思い上がってしまったのである。
 自分の力量を過信して恥じることのない彼ら二人に鉄槌を降そうではないか。 (猪瀬)案内へ戻る


「学校選択制」の行き着く先は

 長年日本の小・中学校は、どの地域のどの学校で学んでも一定水準の教育を受けられるように、地域学区制を取り入れてきた。
 ところが新自由主義教育を標榜する東京都は、7年前の2000年度に品川区に全国に先駆けて学校選択制を区立小学校(40校)に導入した。さらに、01年度には中学校(18校)にも導入し、3年後の03年4月からは学力テスト(学力定着度調査)も実施し始めた。
 その後、次々に他の区にも学校選択制が導入されて、現在東京23区のうち小学校で14区、中学校では19区に学校選択制が導入されている。
 「学校選択制」の導入にあたっては、「学力偏重主義が蔓延する」「生徒に競争主義を煽ることに繋がる」「人気校と不人気校との学校間格差が生じる」「各学校の生徒数にバラつきが生まれる」等などの批判が多く寄せられた。
 8日の朝日新聞報道によると、足立区の小学校で学力テストに関して障害児排除と言うべき「成績向上不正」が起こっていたことが明らかになった。
 足立区の学力テストは、05年度から区立すべての小・中学校で小2から中3の全児童生徒を対象に行っている。昨年4月に行われた06年度分おいて小学校1校が、障害のある6年生3人の児童の答案用紙を採点集計から除いていたと言う。
 区教委は、「学校の学力実態を知るために、はずした方がいいと判断したようだ」と言っているが、実際は学校の学力テストの点数を少しでも上げたい、「成績向上」をめざすために不正をした、これが実態であろう。
 なぜなら、この小学校の学力テストの順位は05年度において72校中44位であった、ところが06年度は突然1位になっているのである。この両年は、同じ問題が多かったと言う。しかし、今年度より業者が変わりテスト内容も大きく変わった。今月5日に発表された同校の今年度の順位は59位に落ちている。
 たった1年で成績が大幅に向上したことに関して、その他の不正疑惑も浮かび上がっている。「授業中に過去問題を何回も受けさせた」「試験中に校長や教師が間違っている子の机をたたいて書き直したりさせた」、等が指摘され調査中である。また、「成績の悪い子の答案を採点しても、上に上げないなどの不正をしている学校がある」との指摘もあり、区教委は全小・中学校での調査を行うと言っている。
 東京都に「学校選択制」が導入された結果、保護者は「よい学校」(何をもってよい学校と言うかが問題であるが、多くの保護者は学力テストの成績結果を重視する)に入学させたいと言うことになり、学校の校長や教員の方は、テストの結果で学校の人気が決まるので、生徒に「成績を上げろ」とハッパをかけて、休み時間も削ってテスト勉強させることになる。さらに、今回のような「不正」に手を染めることにもなる。
 こうした環境のもとで育つ子どもたちの間でも『バカ学校』や『エリート学校』という言葉が飛び交っていると言う。この子たちの10年後・20年後が心配になる。
 この「学校選択制」に関してこれだけ問題が多発しているにもかかわらず、あの「教育再生会議」では、イギリス型の「学力テスト結果」と「学校選択制」と「外部評価制」の三点セットの導入を提言している。
 その内最大の焦点が「全国学力・学習状況調査」である。特に結果を公表するかどうかで大変問題になっている。文科省は公式的には、学習状況を把握して今後の施策や指導改善に役立てると言っている。だが「教育再生会議」では、あからさまにテスト結果による「ランキングによる予算配分」の考え方を打ち出している。
 そのイギリスでは、ランキングの低い底辺校は予算がつかない、「失敗校」という「さらし者政策」の二重の足かせの中で、地域の学校が百の単位で廃校処分となり、結局は公教育現場の疲弊と所得上中位層の公立学校からの離脱と私学への流入増を招いた。その反省に立ちブレア政権は公立の復権に力を注いだが、まったく不十分であり階級間格差は埋まらなかった。
 「教育再生会議」なる安倍政権の教育改革とは、所得格差という『階級社会』がどんどん進み定着する中で、教育においても学校間格差を公然と認める『階級教育』を徹底させようとしている。そのために、教員免許更新制などの教育三法案によって、教員の管理・統制を強化しようとしている。(英)


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 今回は、いま大活躍中のフリーター全般労働組合のサイトをど紹介します。同労組は、非正規労働者の労働条件改善、権利擁護のために奮闘しています。
 以下の文章は、同労組のサイトの「フリーターに役立つ法律知識」(ただいま12回まで連載)から引用させて頂きました。

フリ−タに役立つ法律知識
 第2回 突然「今月でクビ」と言われたら?

【Q】
 私は、ある日上司から「おまえもいつまでもフリーター続けるわけにはいかないだろう?正社員の仕事を探せ」と言われ、その月一杯で解雇されました。後日、別の上司から、実は業績不振で、事務職から切っていくことにしたのだと打ち明けられました。既に退職してしまいましたが納得が行きません。どうしたら良いのでしょうか?
【A】
(1)まず本事例では解雇予告手当てが支払われていない可稗埠があります。 解雇は1ケ月前に予告を行うか、30日分「以上」の予告手当てを支払う必要があります。また、予告日数の不足分は金銭で支払うとが・法律で定められています。 お話では通告を受けた月に解雇とあるので予告が一ヶ月を満たしていないと思われます。《会社が解雇を告げた日を要確認です》

(2)次に今回事例は労働基準法18条2項(注1)の基準から見ても不当解雇です。そもそも、今回の解雇理由はそもそも解雇理由足りえないお粗末なものです。恐らくは本当の理由であろと想像される「業績不振」についても、その責を安易に労働者へ転嫁することは解雇4要件(注2)に照らしても不当です。
 もし、貴方が今回の解雇に納得していないならば、労働基準監督所、各自治体にある労政事務所に相談なざるか、各地に個人でも加盟出来る労働組合があるのでそこに加盟するなりして解決をはかると良いでしょう。
(フリーター労組メールマガジン 2006年8月25日号より)

 第9回 これって派遣?偽装請負??

【Q】
 登録した派遣会社から、ある機械の製造工場を紹介されて、1年間働いてきました。出勤時間を指示され、正社員と同じ時間帯に同じような仕事をして、交代で夜勤もこなしてきました。それなのに、私だけ雇用保険にも社会保険にも加入させてくれません。有給休暇も認められません。会社に聞いたら「あなたは請負だから雇用保険や社会保険には入れない。有給なんてあるわけない」と言われました。
【A】
 請負契約は、本来、仕事の完成だけを約束するものです。たとえば、フリーライターが「何月何日までに何文字でこれこれ.についての原稿を送ります」という約束をするというように。この場合、ライターは約束の日までに原稿を送ればよく、いつどこで原稿を書くかを自分で決め
ることができます。依頼主には「何時から何時までどこで原稿を書きなさい」と指示する権限はありません。
 請負契約で仕事を請け負う人は、個人事業主です。ちなみに、個人事業主は労働基準法上の労働者にはあたりませんが、労働組合法の上では労働者です。個人事業主には、労働基準法上の労働者の権利である労働時間の規制や労災は適用されませんが、労働組合法上の労働者の権利である団結権や団体交渉権、争議権は認められています。
 だから、個人事業主であるプロ野球選手にも労働組合があり、ストライキを行うこともあるわけです。しかし勤務時間や勤務場所を定められ、しかも仕事の指示を受けて働いているのであれば、いくら請負と呼ばれていようと、実態は、会社に雇われ.ている状態だといえます。つまり、あなたは請負契約ではなく雇用契約を結んで働いている、労働基準法上の労働者。実際は、雇用関係があるにも関わらず、雇用者の義務を逃れるために請負契約を偽装された「偽装請負」です。当然、会社は雇用保険にも社会保険にも加入させる義務があります。有給休暇も取得する権利があります。
 そもそも姑息な手段で責任逃れをするような会社ですから、個人で会社に申し入れてもまともに対応しないどころか、契約切れを理由に解雇をされてしまう可能性もあります。労働組合には憲法28条によって団体交渉権が保障されているため、労働組合の交渉を会社は拒否することはできません。労働組合に加入して、仲間と一緒に会社と交渉することをお勧めします。まずは電話かメールで相談してください。
※フリーター・派遣・偽装請負の電話相談を開設しています。2007年2月から毎週月曜日(:祝祭日をのぞく)18:00〜21:00
電話相談 03−5371−5202(フリーターづ引阻メールマガジン 2007年3月26日号より)   案内へ戻る


映画紹介 殯(もがり)の森 河瀬直美監督

 試写会の券が運よく抽選で当たり、近くの市民ホールで観て来ました。当日は主人公のうだしげき″さんがステージに登場し、映画にまつわるエピソードを語ってくれました。映画とは全く関係ない所で生活していたうだしげききんが、どうして主人公という大役を引き受けることになったのか?
 偶然、行きつけの居酒屋で見つけた監督の河瀬直美さんに、勇気を出して声をかけたことから、出会いが始まったそうです。奈良県を舞台にし、生と死を見つめ人間のあり方を模索する‥・。神秘な森の世界に皆さんもど一緒に。

■足元の出来事を映画に創作

 2007年第60回カンヌ映画祭コンペティション部門で、見事、グランプリの栄誉に輝きました。過去にパルムドール(最高賞)を受賞した四監督の作品が並ぶなか、公式上映後、鳴り止まぬスタンディングオーベーションの中、生と死を等しく見つめ、その結び目を描いた河瀬直美さんの映像世界は国境やことばを超えて、見る者の心に届いた、と報告されています。
 河瀬直美さんは出生後すぐに両親が離婚。その後養母に育てられました。6年ほど前から養母に認知症の兆候が表れ、家族や友人の協力、ヘルパー\デイサービスなどを利用しながら、仕事と介護を両立。2004年には男児を出産。それらの経験が彼女の原動力になっていると言えます。90年代前半に発表したドキュメンタリー作品「につつまれて」や「かたつむり」以来、つねに自身の足元の出来事を徹底的に掘り下げ、突き詰めることで、個を超えた普遍的な出来事を播いてきました。そしてこの「殯の森」にも、一貫した創作姿勢が遺憾なく発揮されていると、評価されています。

■「こうしゃなあかんってこと、ないから」

 冒頭、緑鮮やかな農耕地が風でなびき、その中をお葬式の列が歩いて行く。その土地の風習・しきたりを、農作物を使ったお供えを作る作業で自然に伝えているように見えます。33年前に妻を亡くした認知症の主人公しげき≠ヘ、グループホーム「ほととぎす」で、妻の思い出とと
もに静かに日々を送っています。そこに、新任介護福祉士として真千子が、不慮の事故で子どもを亡くした喪失感を抱えやってきます。そこで、2人は出会い、しげきの妻が「真子」であったことと、名前も1字違いの真千子に何か心を引き付けられ、物語は展開して行きます。
 私が、印象に残ったのは、茶畑でしげき″と真千子がかくれんぼをし、そのカメラ視線がお互いの目の高さから上空に移動した時です。お
互いに広い茶畑でかくれんぼしているけれど、二日酸然に姿を見つけることができ、観客である私も遊びの仲間に引き込まれてしまいました。まるで、子どもに返ったようなしげき≠フ生き生きした姿は、認知症という二舵的なとらえ方を見直し、個々の関係こそを大切にすべきでないかと、教えているように思えました。しげき″とのトラブルで真千子が手にけがをし、落ち込んでいましたが、その時ホームの主任が声をかけてくれました。その言葉が「こうしゃなあかんってこと、ないから」でした。介護をする側として、何が原因で暴力がふるわれ、けがをするに至ったのか、とても気になることです。しかし、何かマニュアルがあって、こう対処すればいいという型にはまった解決の仕方では、本当のつながりを作ることは出来ないでしょう。お互いの心を通じるように努力することで、関係が出来ていくのではないでしょうか。やがて2人はうち解け一緒に、しげき″の妻が眠る森へ出かけていきます。

■男女を超え、生きる者同士の絆

 森に迷った2人が、濁流に呑まれそうになるシーンは、ハラハラどきどきでした。しげき″に助けられ、何とか無事だった真千子は幼児のように泣き叫び、しげき″を頼りに体を休める場所を探します。火を煩すしげき″は、手際よく美千子は安心して休みますが、やがて、しげき″が寒さのため体を震わせ意識も朦朧としてきます。季節は盛夏というのに森の中はなんと変化が激しいことか‥・。その時、真千子のとった行動は衝撃的でした。しげき″の濡れたシャツを脱がせ、自身も上半身裸になり、しげき″の体を抱え必死に温めたのです。死なせてはいけない、生きて欲しいという思いがそうさせたのでしょう。それは、不慮の事故で死なせてしまった子どもへの償いだったのかもしれません。
 主人公のうだしげき″さんは、この役作りのために半年くらい、この「ほととぎす」のグループホームで生活を共にしたそうです。入居者の方たちの仕草、しゃべり方を自然に表現できるよう努力され、10歳以上年上の演技をこなされました。森の中をさ迷うシーンも事前に、何時間も掛けて歩き疲れてから本番の撮影に臨むという、監督の厳しい注文があったそうです。「今、大切にしなければならないもの」を教えてくれる映画です。ぜひ、観にいってください。最後に、映画の案内に書かれていた詩を紹介します。

生きてゆくこと、死に行くこと、それは、連綿と続く人間の営みのなかで起こるさまざまな出来事の、ひとつの結び目のようなもの、遺された者が逝ってしまった者を思い続ける限り、たとえ目には見えなくても、そこには間違いなく、命と命のたしかな結びつきがある……。    (折口恵子)


読者からの手紙

沖縄の最期の旅をやめたこと、をめぐって

 旅人として沖積を訪れた頃の強烈な記憶として、北部やんぼるのあたりをほっつき歩いたとき、バス停で出会った一人のばぁさんの重い口から聞いた話。戦争でズンベラボンの何もない白骨だけ残った沖緒の戦後、何もない中で木を一本一本植えたということ。眼前に見る深々とした緑となった現在、恐らく本土の人々は知らないのではなかろうか。
 これは何にも変えがたい立派な公共事業ではなかったか。それを今、開発とかで木が伐られ、士が掘り返ざれている。私が訪れた頃でも一部であったけど、その兆しはあった。最期の旅で、ズンベラボンの地に緑を植えつけた大きな仕事のことをもっと知りたくて、旅を企てたのだが、なんしよ脚力と金力が苦情をいうので止めにした。 TVのCMでビート・たけし君が、最初の「資源もったいない」と、海辺の流木を燃やして暖をとるCMがあった。そのCMから「これからは自家発電時代」と照れ臭いのか。鼻を空に向けていうCMに登場。ここ大都市でも「街を縁に」がおそまきながら始まった。
 高層建築がぎっしり詰まった都会で、自家発電をなしうる者は進んでやればいいのに。格差社会は否定すべくもなく、金力とぼしき私どもは、冷暖房を電力に頼らない方法を見っけようと苦心する。私といぅ個人は、そのプロセスを楽しもうとする。もうアカンゾ、もうアカンゾという想いが四六時中ありながら、現状に変わるビジョンが浮かばない限り、人、生きとし生けるものの多幸をのせて、長く維持しぅる世の中なかの形を探らねばならないだろう、と思う。
 学び≠フ方法として、例えば近代を準備した萌芽を前の時代の中に見ようとするのは古典的な方法であろう。それも結構だが、現在の諸悪の根源はないのか、そこから発想するしかないほどに時間がない。沖縄の北部の森はどうなったか、どうなるのだろう。そこに棲む野鳥、野獣はいかに? また沖縄全体の緑の行方は?調査の結果を知たいもの。私たちは戦中・戦後を生きてきた。沖縄でズンベラボンの地に苗木を植えていたとき、私たちは食うもの、じゃがいもを家の周りの狭い地に植えていた。それとて盗まれてしまったけど。木を植える気などなかった。
もっとひどい生活条件にあった沖縄で、なぜ、一本一本苗木を植えることが出来たのだろう。森に親しんだ伝説であろうか。それに森をつぶそうとする気になった経過を知りたい。 フランスの文化人類学者?のレビイ・ストロースでさえ、とっくに日本は開発しすぎるとずっと昔に指摘していた。老いてやっとないがまま゛の人間になりえた故にか、今住む大阪を、それでも大阪好きやといえるものをつかみたい。思えば、たけし君は一歩も二歩も進んでいた。ことエネルギー問題についても
 ハンモックで夏を越そうと思ったが、それも果たせずにいる。みんな治療費にいってしまう。学″の方向として現在の課題から、かつて外側とバランスのとれた時代はあったか、それも知りたい。かつての古きよき‥・の探求が未来のビジョンをいかにも実現可能の証左をなすには、もう私はアカン。毎日散歩している近くのかなり年輩の女性と老いたりとも、ピョンピョン元気に跳ね回る、小さな老犬を見るのは心楽しい。 O7:7・8 宮森常子


色鉛筆 非正規労働者 住民税にショック!!

 毎日、正規労働者と同じ仕事をして、自分でも「やらなくてもいいのに」と思いながら、ついついやってしまうサービス残業。一生懸命働いても正規労働者の3分の1という安い賃金でこき使われている非正規労働者の私。年間給与収入が200万円しかない低額所得者の私に、6月「市民税・県民税 納税通知書」が送られてきた。今年の住民税は値上げになることは聞いていたが、通知書を見てあ然としてしまった。昨年の通知書を探し出して比べてみると・・・1年間に納める住民税が、前年度は31,600円だったのに今年度は80,900円。なんと49,300円も増えている。2.6倍とは信じられないーーショック!!どうして低額所得者の私からこんなに住民税を取るのだろう。高額所得者からたくさん住民税を取るべきではないか。
 通知書と一緒に同封されたパンフレット(市課税課で発行)を読むと『各地方自治体が自主性を発揮し、より身近な行政サービスを行うために進められてきた三位一体改革。その一環として国の所得税から市、県民税へ3兆円の税源移譲が行われます』と書かれている。身近な行政サービスをよくするためとはよく言ったもので、小泉政権が行ってきた三位一体改革の本当の狙いは、国家財政の破綻を地方自治体に押しつけるためのものだ。さらにパンフレットには、『市、県民税の税率構造が一律に10%改められました。』とあり、前年度までは、課税所得金額に対して、税率が5%だったということがわかった。そして、最後には『税源移譲による税負担の増はありませんが、定率減税の廃止及び65才以上の非課税措置の廃止により、税負担は増となります。』とはっきり書かれていた。まさに増税だ。ところが政府は『年の納税額は基本的には変わりません』と税源移譲を宣伝するだけで実質増税になったことはあまり言わない。だが、実際に税額を見るとあまりの増額にショックを受けている人が大半だ。
しかし、ショックを受けてばかりでは始まらないと思い、やりたい放題に自分達の都合のいいようにやつてきた「自民党政治が悪い!」と、職場の休憩時間に同じ非正規労働者の仲間に話してみた。すると「自民党政治が悪いというのは、百も承知」「悪いとわかっているのになぜ、選挙になるとやっぱり自民党になっちゃうんだろうね」「民主党の小沢もだーい嫌い」と、話が盛り上がった。こんな普通の思いをみんなが思っているんだから・・・でも選挙は何が起こるかわからない。「住民税が増税になったのは自民党政治が悪いからだ!」ということを周りの人たちに訴えていこうと思う。(美)     案内へ戻る