ワーカーズ350・351合併号 2007/8/10
案内へ戻る
民主党を押し上げた有権者の一票一揆 ――頓挫した“安倍革命”――
それにしても痛快事ではある。与党惨敗の結果に終わった参議院選挙のことだ。
今回の選挙は、政権発足直後の“安全運転”から安倍カラーむき出しの“戦後レジームからの脱却”路線に切り替えた安倍政権にとって、有権者による最初の審判の場だった。そのハードル越えに大敗したことで、戦前型保守体制への回帰をめざした“安倍革命”はとりあえず頓挫した。同時に今回の選挙結果は、“生活”を置き去りにした“改革”を進めた小泉政治に対する事後的なノーを突きつけたものでもあった。
今回の結果は、衆参での“ねじれ”構造を生み、二大政党制にまた一つ接近したともいえる。私たちにとって“第三の政治潮流”づくりは緊急の課題だ。
■批判票は民主党へ
今回の選挙結果は自民党・公明党の惨敗、民主党の躍進と特徴づけられる。それは一人区や複数区、都市部や地方、それに老若男女、政党支持層と無党派層とを問わず、雪崩現象となった。
少しだけ得票の推移についてみてみたい。
比較しやすい比例区の得票率で見ると、自民党は小泉ブームに沸いた01年の38・57%からこれも年金が争点になった前回04年の30・03%、今回の28・08%へとこの6年で10・49%も減らしている。公明党と併せて与党の得票率で見ると、それぞれ53・53%、45・44%、41・26%で12%も減らしている。
一方、民主党は24・14%(自由党も含む)、37・79%、39・48%と15・34%も増やしている。この間、共産党と社民党は併せて14・54%、13・15%、11・95%と微減に止まっており、それだけ民主党の躍進ぶりが際だつ。
これは政権党への批判票が第二党に流れるという選挙の性格に関わっている。民主党に実績といえるものはほとんど無いのに野党第一党として政権の批判票を吸収するという構造だ。
こうした傾向は一人区が多い地方部で民主党が圧勝したことでもわかる。長年の自民党支持者が今回だけは自民党に“お灸をすえる”として民主党に入れたケースも多かった。結局選挙区構成もあって自民党・公明党と民主党の獲得議席が01年の77対32(自由党も含む)から04年の60対50,今回の46対60と大逆転となったわけだ。
■“一票一揆”
安倍自民党の敗因は何だろうか。
第一は、争点をめぐる攻防戦での失態だろう。
“戦後レジームの打破”を掲げる安倍首相は、今年の初めには参院選の最大の争点は改憲だと明言していた。そうしたもくろみもあって教育基本法の改定や国民投票法の制定を強行し、改憲への地ならしに突き進んでいた。それが改憲派を多く抱える民主党にくさびを打つことにもなると考えてのことだろう。
それが一転したのは例の“宙に浮いた年金記録”をめぐる問題など、いわゆる生活に密着したテーマの浮上だった。そうしたテーマが争点になること自体、自民党にとっては苦い経験があったはずだ。現に、年金問題が争点になった前回04年の参院選、さかのぼれば消費税引き上げや医療費引き上げなどで国民負担が膨らみ、橋本内閣が退陣に追い込まれた98年の選挙でも生活に密着したテーマが争点になった選挙で、自民党は議席を大幅に減らした。
それを承知で年金問題など生活密着型のテーマを争点とせざるを得なかったところに、今回の結果のレールが敷かれていたといえる。安倍首相はそうした争点にもかかわらず、年金受給漏れの時効の撤廃や年金支給にかかわる浮ついた口約束などで乗り切れると見込んだのかもしれないが、結局は有権者に足下を見透かされていたわけだ。
一人一人の年金額に直接響く年金記録問題などで有権者の信頼を裏切り、老後の生活への不安が解消されない中では、平行するように吹き出してきた事務諸費などいわゆる“政治と金”の問題も安倍政権を見放すダメ押しともなった。“政治と金”の問題などは、自民党にとって今に始まった話ではない。にもかかわらずそうなったのは、それだけ自民党政権、安倍内閣への不信感が蔓延していたからと言うほかはない。年金問題は税金の問題などと並んでほとんどすべての有権者の懐具合に直接かかわる切実な問題なのだ。
第二は、安倍首相は否定に躍起になっているが、やはり“戦後レジームの打破”という“安倍革命”が拒絶されたということだろう。
安倍首相は今回の選挙結果は安倍内閣の基本路線まで否定されたとは言えない、と強弁している。“戦後レジームの打破”路線という政権の基本的立場が争点になったわけではないし、それにかかわる政策論議も深まったわけでもないというわけだ。しかし、選挙前の憲法改正などに関する世論調査でも、一般論としての憲法改正に賛成と反対は拮抗してはいたが、こと9条に限っては改訂に反対ないしは消極的意見のほうが多かった。
このことは参院選の投票直後におこなわれた緊急世論調査(朝日新聞)でも、安倍首相の独りよがりな解釈を完全に否定するものになっている。調査結果が安倍首相が「基本路線は多くの国民に理解されている」と述べたことに対して「納得する」が26%なのに対し、「納得しない」が62%と圧倒的に多かったからだ。むしろ逆に安倍内閣の「基本路線」に対して有権者が“ノー”審判を突きつけたのが今回の選挙結果だった。
有権者が安倍首相の“戦後体制の打破”路線にノーを突きつけたのは、もちろんこの間の安倍内閣の暴走ぶりが際だっていたからだ。国民投票法の強行採決によって、あたかも3年後の改憲が既定路線でもあるかのように暴走する安倍内閣に対して、有権者はストップをかけたのだ。
それにしても今回の参院選にいたるまでの安倍首相の迷走ぶりは稚拙という以外にない。
いわゆる“宙に浮いた年金記録”問題では当初は“不安を煽るだけ”と突っぱね、内閣支持率の低下を招くや“最後の一人まで支払う”と安請負し、また松岡農水相の事務所費問題では任命責任の追及を恐れて口封じを強いた首相には自殺という形でクロであることが暴露され、さらには年金問題が争点化されて土俵際まで追い詰められるや“安倍か小沢か”とブチ上げて首相選択選挙にすり替えようとしたり……。それでも局面打開が出来ないと思うや強引に投票日を延期して政治資金規正法の改正案など次々と強行採決に走ったり、それさえも赤城農水相の事務所問題でザル法に過ぎないと暴露されるや、選挙で負けても退陣する気がないと悪あがきに終始したり……。
「首相自身の責任ではない」との首相の取り巻きなど一部の見方にもかかわらず、今回の自民党大敗は安倍首相のいい加減さを直感力で感じ取っていた有権者の“一票一揆”という以外にない。
■足下には“格差社会”の拡がり
そして第三は、ますます拡がる“格差社会”という足下の現実だ。
“格差社会”の拡がりは今年に入っても様々な形で吹き出していた。自民党大敗の理由を問う選挙後の緊急調査でも「年金問題」の44%、「大臣の不祥事」38%につづいて「格差の問題」が12%と三番目に重視された。
しかし格差社会の拡がりという足下の現実は、実際にはこの12%という数字以上に大きかったのではないだろうか。年金問題はこれまでも度重なる負担率の引き上げと給付額の引き下げがセットになって何度も制度改悪が繰り返されてきた。現に自民党圧勝をもたらした小泉政権こそ、年金システムの改悪に止まらず、法人税や高額所得者の減税、贈与税や利子課税の軽減化と勤労課税の強化を進め、弱者切り捨ての利潤万能社会を招き寄せてきた張本人だった。その小泉自民党は05年総選挙では大勝したのである。
今回は年金制度のありかたではなく、年金記録や支給額など現行の年金制度そのものへの不信感が表面化したもので、一概に比較することは出来ない。が、仮に順調な経済成長や生活の改善傾向が多くの有権者に実感される状況を想定した場合、今回のような年金制度にかかわる欠陥体制への批判としてこれほどの自民党大敗をもたらしたかどうかは断言できない。現実としては小泉政権以降の“痛みを伴う改革”が実際は改革でも何でもなく、単なる弱肉強食の格差社会の拡がりしかもたらさなかった、という深刻な反省があったからだと見るべきだろう。
そうした土壌の上で吹き出した年金記録問題や政治家自身には大甘な“政治と金”の問題で、切り捨てられた人々や地方が、自民党に対する強烈なしっぺ返しを投票で示した結果ではないだろうか。確かに“格差問題”はアンケート調査でのトップにはならなかった。が、格差社会の拡がりに対するやり場のない怒りが、よりビジュアルで強烈なイメージを帯びた年金での官製サギや“ばんそうこう顔”への嫌悪感に自分たちの投票行動を象徴させたと受け取るべきだろう。
■保守二党制は通過点
今度の選挙結果によって、“美しい国”を掲げ、戦前型国家づくりをもくろむ“戦後レジームの打破”路線を突っ走った“安倍革命”は有権者の審判によってひとまず頓挫した。今後しばらくは、衆院解散の可能性も含めて政治は混迷と流動化を深めるだろう。有権者は自民党に痛撃を浴びせることで“安倍革命”を拒絶したのだ。
前回の総選挙の時にも言われたが、大量の無党派層が雪崩を打って特定の政治勢力を押し上げるという“05年体制”ともいわれた新しい政治メカニズムのもとでは、安倍政権への批判は民主党という野党第一党に流れるのはむしろ普通のことだろう。民主党にそれらしき実績や展望がないにもかかわらずだ。
こうした政治構造は、政権の党内たらい回しから疑似政権交代の外部化へという、いわゆる保守二党制への通過点といえる。今回の参院選結果が直ちに次期衆院選での与野党逆転による政権交代につながるかどうかは単純ではない。しかし内閣に対する批判が与野党間での政権交代につながる可能性が拡がったのは間違いない現実だ。
もちろん政権交代といっても過大評価は出来ない。与野党間での政権交代は、政治の危機を体制危機に転化するのを防ぐ議会制民主制の基本的な機能でもあるからだ。いわば政権交代によって階級による階級の支配という体制そのものを温存させるということである。
仮に次期衆院選で民主党が多数を占めて政権の座に着いた場合、体制内政治勢力としての本質はより前面に出てこざるを得ない。現に今回の選挙で参院第一党となったばかりの民主党でさえ、財界など支配勢力からの“国家利益を考慮すべきだ”とか“責任ある態度が必要”などという様々な政治的圧力に晒され始めている。
今回の選挙では政権交代を自己目的化した小沢民主党は有権者受けする政策を並べてはいたが、仮に政権を獲得した場合は、マニフェストに掲げた政策も修正を迫られる場面も出てくるだろう。現状ではどう考えても民主党の政権獲得は保守二党制に成らざるを得ないのだ。
こうした理解に立てば、投票による与野党の政権交代は大きく言って二面的な意味がある。
一つは労働者を中核とする有権者が自分たちの投票行動によって政権を左右できるという、政治に対する主体性の確保につながるという側面だ。与野党間の政権交代が現実化するということは、半世紀にわたる自民党一党支配に終止符を打ち、有権者の審判によって政権交代が実現するという限りで大きな前進といえる。
二つめは、そうした政権交代は保守二党制の定着と第三の潮流や第四潮流の否定という新しい支配構造の強化と結びつく可能性だ。与党と野党第一党が交互に政権を担当するという政治構造では、政権への批判票が野党第一党に集中し、その他の独自な政党への投票は見送られがちになる。死票を恐れるからだ。今回の選挙で与党に対する批判票が民主党に集中したという現実自体、保守二党制が現実化していることを示している。
が、自民党と民主党を軸とした与野党逆転の可能性は、そうした危険性を含んでいるとはいえ労働者を中心とする政権をつくりあげる上で避けて通れない通過点といえる。
確かに保守二党制は、今回の選挙結果でも現れているように、たとえ共産党や社民党といった議会内の第三勢力でさえ保守第一党と第二党のあいだで埋没しがちな傾向は否めない。ということは、私たちの中長期目標としての保守勢力と議会内革新勢力という第一および第二の道に対する労働者の政権をめざす第三局を形成することは、より以上に困難な課題といえる。しかし、労働者の大多数が自分たちの主体的行為を通じて経験するそうした通過点抜きには、私たちがめざす第三局としての労働者の政治勢力を結集することは不可能だろう。
■第三の道の主体づくりをめざして
今回の参院選の結果を一言で表すとすれば、本質的には“格差社会”の拡がりに対する有権者の一票一揆だった、と評価できるだろう。付け加えれば、前回総選挙での小泉自民党圧勝劇に対する有権者の絶妙なバランス感覚の発現という側面もある。こうした有権者の判断の背後にはいうまでもなく“格差社会”“階級社会”の進行の中で労働者や庶民のあいだで始まっている巨大な地殻変動がある。
とはいえ、今回の自民党に対する歴史的な拒絶反応は、それがいまだ明確な政治潮流としては登場するに至っていないことも浮き彫りにした。そうした拒絶反応が野党第一党の民主党を押し上げるかたちで表現されるに止まったからだ。ともかく自民党にお灸を据える、と。
私たちとしては、今回の結果を単なる有権者のバランス感覚に解消することなく、保守二党制が現実化すればするほど、そうした地殻変動を明確な形で結集できるような労働者の新しい政治勢力づくりが最大の課題だと受け取るべきだろう。(廣)
案内へ戻る
伏線となった前回総選挙
■年金問題や“政治とカネ”の問題が自民党敗北の直接的な敗因となったのは確かだろう。が、自民党の敗因は実は前回の衆院選での小泉自民党圧勝という現実そのものの中にすでに組み込まれていたともいえる。
05年9月に行われた総選挙で小泉自民党は296議席を獲得した。あの選挙で当時の小泉首相は「郵政民営化に賛成か反対か」を掲げて刺客選挙を仕掛け、自民党圧勝をもたらした。とはいえ、それは当時すでに進行していた弱肉強食の格差社会という土台の上での、疑似“改革騒動”の結果だった。いわば“小泉劇場”にまんまとはめられた意味合いもあった。
■その選挙結果が明らかになった瞬間から、現実のしわ寄せを一身に受けるいわゆる“負け組”や“社会的弱者”といわれる人たちは“自民党に勝たせすぎた”と悟った、人も多かった。だから今回の参院選挙は2年前の総選挙結果の反省を背負った有権者による審判となったわけだ。当然、今回の投票行動の結果は、306人(昨年末時点)という衆院での自民党絶対多数という現実とセットで考える必要がある。その上で今回民主党に参院での比較第一党という地位を与えたわけだ。
■私は05年総選挙結果を受けて次のように指摘した。「今回は小泉マジック、小泉劇場は成功した。しかし同じマジックは二度は使えない。小泉劇場は一回こっきりのものでしかない。」だから今回の参院選挙で安倍首相が憲法改正を掲げることで“戦後体制の打破”に向けて正面突破をはかる、という安倍マジックは頓挫する運命にあったともいえる。マジックの巧拙によってではない。格差社会の拡がりという足下での様変わりした現実によってだ。現に私の身の回りでも憲法改悪だけは止めてもらいたいという人が初めて社民党に投票したケースもあった。余談だが、「今回だけは社民党」とばかに自信なさげに思えたキャッチコピーでもまんざらピントはずれではなかったのかも。次回はどうするんだという無粋な疑問は飲み込んでおくべきか。
■今回の結果には、仲良しクラブで固めた危うい内閣が、頼みもしないのに自分たちを戦争に連れて行くことに躍起となって9条改憲で突っ走るの安倍内閣はゴメンだ、という判断ももちろん働いていただろう。選挙後の緊急アンケートでもそうした判断が働いたことが浮かび上がっている。有権者は年金だけで投票したわけではないのだ。(廣)
護憲派は退潮したのか
安倍首相が掲げる“戦後レジームの打破”路線が拒絶された。安倍首相と仲間の右翼の取り巻き連中はその否定に躍起になっている。が、選挙後の緊急世論調査でも拒絶されたことは明らかだ。
それではなぜ護憲を掲げた共産党や社民党、9条ネットがふるわなかったのか。
争点が年金など生活に密着したテーマになったことで、安全保障や憲法改正など国と国民の将来を左右するテーマが後景化したことなどが言われている。それに護憲勢力の支持層が高齢化していることや、固定的な選挙戦術にも敗因はあっただろう。
それに、民主党の躍進は必ずしも護憲勢力の躍進ではない。むしろ民主党は改憲勢力が多数を占め、現に国民投票法案の審議では自民党と民主党を中心に調整がなされていた。また今回の選挙結果を獲得議席で見ると改憲容認政党といえる自民、公明、民主の3党の合計議席は、選挙前の214席から選挙後の212で、全議席242議席の圧倒的多数を形成していることには変わりない。
しかし今回の選挙結果は改憲発議に必要な3分の2を改憲勢力が占めるという事実は変わらないものの、改憲のレールをそのまま進んでいける状況にはない。それは選挙前の国民投票法の強行採決で民主党が改憲の入り口、すなわちその手続き法の扱いで自民・公明の与党と対決した、という構図があり、その上で自民党を敗北させたという有権者の判断があったからだ。だから9条改憲反対の民意も、かなりの部分が民主党へ流れたといえる。とりあえず改憲への暴走をストップさせたいと。それだけに今回の選挙結果には、改憲勢力としての民主党に対する牽制の意味合いも当然含まれている。
とはいえ今回の選挙で有権者は9条改憲に明確な形でノーを突きつけたわけではないことも現実だ。現実の護憲勢力の議席増をもたらさなかったからだ。9条改憲を許さない体勢づくりには、最終的に有権者の過半数の反対派形成は欠かせない。そのためにも国会外での9条護憲派の勢力拡大が大きな課題となる。今後3年間を含め、地道な草の根の反改憲世論の結集という課題は、現時点でも緊急の課題だ。(廣)
「自民対民主」の欺瞞を乗り越える第三極を!
今回の参院選挙は、与党の自民・公明の敗北、民主党の圧勝に終わった。
自民党と公明党の敗北の原因として、消えた年金、政治とカネ、閣僚の相次ぐ「失言」の三点セットが指摘されている。またこの三点セットにとどまらず、「戦後レジュームからの脱却」「美しい国づくり」「憲法改正」などの復古主義政治、そして格差の拡大や民衆の貧困化をもたらした小泉政権以来の「構造改革」政治があったことも強調されている。
こうした分析は、的を射ていると言えるだろう。ただ、今回の選挙における有権者の投票行動の本当の意味を知るには、もう少し人々の意識のニュアンスないしデティールを見ておく必要がある。
人々は確かに、いわゆる三点セットに対する批判や怒りばかりではなく、安倍首相の保守主義への疑問、そして大衆の貧困化への不満や怒りを表明した。安倍首相は「美しい国」、「戦後レジームからの脱却」などと高邁なことを言うが、その下で実際に起きているのは政治とカネをめぐる不祥事、閣僚たちの失言・暴言、消えた年金問題への不誠実な対応、そして都市と農村に渡る人々の暮らしの崩壊ではないか、というのである。
しかし、安倍首相の「戦後レジームからの脱却」や改憲路線に対する人々の態度は、はっきりとした「ノー」の姿勢というよりも、まだ「不信感」の段階にとどまっている。
それが証拠に、今回の選挙で反自民票を大量に集めた民主党は、必ずしも安倍流の復古政治への批判的態度を表明しているわけではないし、「改憲反対」「九条を守れ」と言っているわけでもない。むしろ民主党の中に改憲派議員がたくさんおり、安倍晋三に共感する復古派議員さえいることは、人々も知っている。そして事実そうした民主党議員が、今回も多くの議席を得た。安倍首相の改憲政治は、人々から明白な拒否の意思表示を受けたのではなく、ようやく不信と疑問の目で見られはじめるに至った段階だ、というのが実状だろう。
「構造改革」政治についても同様だ。確かにこの十年来続いてきた小さな政府、規制緩和、労働力流動化政策等々の市場競争至上主義の政治は、人々から強い批判を受け、それどころか怨嗟の対象にすらなりつつあるかに見える。
しかし、この点でも、人々の「市場主義改革ノー」の意識はまだ強い確信にまでは到達していない。その証拠に、今回の選挙で安倍政権に「ノー」を突きつけたその有権者自身が、次期首相にふさわしい政治を尋ねる世論調査などで小泉元首相に対して圧倒的な支持を表明している。人々は、自分たちの暮らしの不安定化と市場競争至上主義の構造改革政治がどう結びついているかを十分には理解し切れていず、それどころか構造改革政治への幻想もまだ捨て切れてはいないのだ。
「改革」の表看板の真の内容(=労働者への攻撃)には気づいていないのだ。
では、安倍首相、与党の自民・公明は、どのような意味で人々の拒絶反応にあったのか。人々の安倍政権批判の内容はどのようなものだったのか。
有権者が、単に政治とカネ、失言・暴言、年金問題への不誠実な対応への批判にとどまらず、「美しい国」や構造改革政治に不信を表明したのはまぎれもない事実だ。しかし同時に有権者は、復古主義的な政治・軍事大国化路線や市場競争主義に対しては、疑問やわだかまりを感じつつも、それを明確に批判はしきれないはがゆさを感じていた。何故ならば、自分たちの暮らしがグローバル資本主義の中での熾烈な国際競争の中にすでに置かれてしまっており、そして単なる既得権益擁護の政治ではこの事態に対処し得ないことを知っているからだ。
そこで人々は、とりあえず分かりやすい三点セットへの批判という形を借りて、復古主義政治、市場競争市場主義への不信を表明した。この三点セットは必ずしも新自由主義的構造改革や安倍晋三流の復古主義に固有の問題というわけではないが、政治とカネ、失言・暴言などのおなじみのスキャンダル、そして消えた年金問題=戦後福祉国家の欺瞞と詐欺行為への怒りに託して、安倍晋三の「美しい国家」と小泉が強行した「構造改革」政治への不信をさらけ出したのだ。
以上見たように、改憲を通した強権国家化、政治・軍事大国化をめざす路線、それと一対の企業・経済の国際競争力強化路線=市場至上主義の構造改革路線への批判は、まだ人々の間で強く育ってはいない。不信と疑問が頭をもたげはじめているが、自民党や体制派イデオローグや保守メディアなどから政治・軍事大国化と経済の国際競争力強化を抜きには国民の生活の維持・向上もあり得ないと脅されるとそれに反論しきれない。自身の暮らしの実状を根拠に頑として「美しい国」や市場主義的改革を拒否するという自信と確信も表明することができない。それが、今回の参院選挙が示した有権者の政治意識の現状と言えるだろう。
今回の参院選挙の結果が示すものが以上のようだとするならば、我々がなさねばならないこと、我々に課せられている課題は明らかだ。
第一に、安倍晋三が言う「美しい国」の幻想が生み出す作り物の安息や連帯感、それと抱き合わせの「美しい国」に同調せぬ者たちへの強権的抑圧と排除の体制に対して、明確なオルタナティブを対置することである。それは労働者・市民自身の労働と生活の中から育まれる自主的な協力と連帯に基づく民主主義的な政治的意思決定のシステムであり、それを生み出すための闘いだ。
そして第二は、「市場の声」に従うことこそが不正や腐敗を防止し、社会の矛盾や困難を解決し、経済・社会に活力と豊かさをもたらす最善の道だと説く新自由主義の主張の嘘を暴き出し、資本の労働者に対する支配を前提にした市場経済に代わるより人間的な経済・社会のシステムをめざして闘うことだ。格差の拡大、貧困化に苦しむ労働者の境遇の改善のための闘いと同時に、生産・労働・所有に対する労働者のイニシアチブを強化・拡大するための闘いをあらゆる方向から開始し、発展させていかなければならない。
自民と民主の保守に大政党制に対峙する第三極を生みだそう! (阿部治正)
案内へ戻る
中国残留孤児の闘い、まだ道半ば
★国の新支援策決まる
今回の参議院選挙を直前にして支持率の低迷に悩む安部政権は、失地回復の一環として、被害者と国との間の大きな三大訴訟の和解に乗りだした。言うまでもなく、選挙前に安倍の人気回復及び何とか国民の支持率を少しでも上げたい意図を持っての和解工作である。
一つは、6月18日に国と和解合意した「トンネルじん肺訴訟」(国発注のトンネル工事現場で「じん肺」になった元労働者と遺族が国に損害賠償を求めた裁判)である。06年7月、東京地裁が初めて国の責任を認め、別の4地裁でも国が敗訴していた。約1千人の原告団による約4年半に及ぶ国との争いであった。
二つ目は、7月2日に和解が成立した「東京大気汚染公害訴訟」(東京都内のぜんそく患者らが国や都や、自動車メーカー7社などに賠償と汚染物質の差し止めを求めた裁判)である。原告側は東京高裁が「メーカーに解決金12億円の支払いを促したこと」について、「賠償金としては不十分」としながら「メーカーの法的責任を前提にしなければ不可能な金額」として勧告を受け入れた。
そして三つ目が、9月8日に与党の新支援策を受諾した「中国残留孤児の国家賠償訴訟」(日本に帰国した残留孤児2,500人のうち約9割が国を相手取って起こした集団訴訟である。神戸地裁では勝訴したが、その他の地裁では次々に敗訴して、通算1勝7敗となっていた)の問題である。
1.「中国残留日本人孤児」とは
かっての軍国主義日本は、日清・日露戦争を経て台湾や朝鮮を支配下に置き、さらに中国への侵略を企てた。その中国侵略の拠点こそが、「満州」(中国東北部)であり、天津に亡命中だった清朝最後の皇帝「溥儀」を担ぎ上げて、「満州国」という傀儡国家を作り上げた。
世界大恐慌に見舞われ、農村は大不況で没落する農民層が増大する中、戦前日本は「満蒙は日本の生命線」というスローガンのもと、国策として多くの開拓団や青少年義勇軍として約32万人の日本人を満州国に送り出した。その内実は、現地の中国人農民を追い出して農地を奪い、そこに「開拓団」を送り込み住まわせたのである。
その後、中国本土への本格的な侵略戦争、さらに太平洋戦争への突入と、まさに破滅への戦争の道に突き進んだ。
そして、1945年8月8日のソ連軍の参戦によって、満州は地獄と化した。「開拓団」の人たちはまったくソ連軍の参戦についても、精鋭を誇った「関東軍」の主力部隊がほとんど南方に転進してしまったことも知らされておらず、満州に残っていた「関東軍」や「満州官僚」及びその家族はソ連参戦に驚き、いち早く脱出して安全圏に逃れていた。
結局、残されたのは「開拓団」(男性はほとんど兵隊として徴集され、残っているのは年寄りや女性や子どもなどの弱者だけ)であった。その逃避行は多くの犠牲者を出すまさに生き地獄であり、その時生まれたのが「中国残留日本人孤児」であった。
2.なぜ、「国家賠償闘争」に立ち上がったのか?
72年の日中国交回復後、厚生省の中国帰国事業の取り組みによって多くの「残留孤児」たちが日本に帰国した。ところが、ようやく帰国した「残留孤児」たちにとって日本の生活は決してバラ色ではなかった。
残留孤児たちが訴訟に立ち上がった直接の目的は、老後の生活安定であり、「生活保護」
からの脱却であった。裁判で争われたのは残留孤児の生活困難の原因が「国の誤りや怠慢」にあるのか、それとも「個人の問題」なのかだった。
残留孤児の皆さんは「国が侵略戦争をしたことに根本の原因がある。開拓団を国策で送り出し、利用した末に棄民したこと、早期帰国義務を怠ったこと、帰国を妨害したこと、日本語教育などの自立支援をせず、すぐ働かせたこと」を主張し、さらに「中国では日本の鬼っ子として非難され、日本に帰ってからは中国人と言われ、役所の職員には厄介者扱いされ、職場では賃金差別を受けてきた。こうした一生の苦労・辛苦の原因が日本政府にあること。日本政府が反省せず残留孤児たちを差別しつづけていること」を批判してきた。だからこそ、要求案には常に政府の謝罪を求めていたのである。
こうした孤児たちの要求に対して、国は「国家補償」として行うのか?それとも「生活保護」の延長として社会保障一般として処理するか?が争点となった。
厚生労働省は他の生活困窮者への配慮を強調して、あくまで社会保障としての処理(収入認定)にこだわった。
3.新支援策の内容
7月9日に決まった支援策の骨子は、@国民年金の保険料40年分を国が肩代わりして満額(月額6万6千円)を支給する。A低収入の人には生活支援金を最大8万円支給する。ほか必要な住宅・医療費も支給する。B勤労所得(厚生年金など)の3割は収入認定から除外するなどである。国会に法案が提出され、来年1月から実施される予定である。
確かに経済的側面から見れば、14万6千円に加えて医療費と住宅費の扶助が付くことから、生活保護を受けている帰国残留孤児(65歳以上)は単身で17万円〜18万円、夫婦ではおよそ21万円〜22万円ほどの支給になり、帰国者の生活条件は改善されることになる。
東京の原告団全国連絡会の代表は、この支援策の提案について「62年間の私たちの苦しみもそろそろ光が見える」と述べ、「この機会を逃したら解決はできない」「まず生活を楽にしたい」との立場から与党案を受け入れるとの記者会見を開いた。
しかし、一部の原告人からは「支援策は孤児を生活弱者としてしか見ていない。国が戦争の責任を認めて孤児の人権を尊重しなければ『日本に帰ってきて良かった』とは思えない」と批判意見も出ている。
また、「生活保護を受けている孤児には生活支援金が全額支払われるが、厚生年金を受け取っている孤児には、月々の厚生年金の7割を引いた金額しか支払われない」こと、「なぜ年一回の収入調査で生活を監視されるのか?まるで犯罪者扱いだ」との不満も多い。
ある残留孤児は今回の新支援策について、次のように述べている。
「私たち残留孤児は国策によって中国に行かされ、戦後中国に残された。私は帰国した翌日から働いた。安い給料、日本語が出来ないなどでストレスがたまり体調を崩したが、必死に厚生年金を掛けた。今になってその厚生年金が収入認定されることになった。これでは働き損だ。この間、日本政府は生活困窮者のような扱いである。政府は私たち全員が同じ戦争被害者であるという政策を取るべきなのに、なぜ拉致被害者家族のように同じ取り扱いをしないのか?東京での事前説明会で配布された資料は日本語だけで、なぜ中国語と日本語の両方で書いたものを配ってくれないのか?後から内容が分かっても駄目だ。反対意見を出せなかった」と。
4.8.15全国集会の開催
中国残留孤児の闘いを支援している「日中友好雄鷹会」は、今年も8月15日に東京で全国集会を開催する予定である。午前10時から「社会文化会館」(千代田区永田町)で全国集会を開催し、午後2時からデモ行進を予定している。
雄鷹会の主なスローガンは、@新支援策の成果を踏まえ、中国帰国者問題の全面解決に向けて引き続き堅固な活動を作り出そう!・・・国は国家賠償ではなく社会保障として処理したこと、残留孤児に公式な謝罪もないこと、また残留孤児や2世・3世などに対する差別やいじめがなくなるわけがないこと、このような問題が解決されない限り残留孤児の人間性の回復はありえない。引き続き闘いを継続していくことを提起している。
さらに、A改憲、自衛隊増強、軍事大国化への道に警鐘を鳴らし、再び戦争を起こさせないために、一致団結して、反戦平和運動を力強く前進させよう!・・・前後62年の歴史の中で、今の時代ほど日本が軍事大国への道へ進み、戦争を引き起こす可能性が現実味を持って危惧される時代はない。今こそ、この反戦平和の闘いを多くの労働者・市民・学生とともに作り上げていこう、と呼びかけている。
反戦集会の多い8.15敗戦記念日だが、是非ともご参加を!(若島三郎)
コラムの窓・耐震偽装原発
原発震災の現実性、7月16日に発生した新潟県中越沖地震が突き付けたこの事実から目を逸らすことは、単に地域住民とか日本国内の問題ではなく、全世界を脅威に曝すことになります。ところが、国の調査対策委員長に内定した班目春樹東大教授が「運転再開には少なくとも1年はかかる」などと、呆けたことを言っているようです。
避難所アンケートにおいても、「再稼動すべきではない」という回答は3分の1に過ぎず、半数の「不安だがやむを得ない」を含めた再稼動容認派が3分の2に及んでいます。目の前であれだけのトラブルがあっても、原発そのものの可否を判断の対象とはできない、この思考の停止には驚くほかありません。
「日本の電力供給を支えるため」「地元の経済・財政が潤う」「知人が原発関連施設で仕事している」といったことが理由になっているようですが、下手に再稼動してチェルノブイリ級の破滅的事故でも起きたらどうするのでしょうか。これは、単に柏崎刈羽原発だけの問題ではなく、原発列島とでも表現するほかない55基もの原発がひしめくすべての地域に関わるものです。
例えば、電力供給の問題をとっても、原発一辺倒の日本のエネルギー政策がかくも杜撰な原発稼動を許してきたし、原発がなければ電力供給が成り立たないかの国民的錯覚をもたらしてきました。そうしたなかで今回、原発震災の可能性があらわとなり、エネルギー政策の変更を迫られているにもかかわらず、原発抜きの電力供給に考えが及ばないのだから救いがたい。
しかし、東京電力は2003年にもトラブル隠しが発覚してすべての原発を一時停止した経験があり、必要に迫られれば何とかなるものです。原発の夜間余剰電力の活用のためにオール電化≠ネどという浪費を煽る狡猾と、これに踊らされる消費者の愚かさが、思い切った節電や脱原発・再生可能エネルギーへの転換を阻んでいます。
原子力安全委員会・耐震指針検討分科会委員の席を蹴った石橋克彦・神戸大学教授(地震学)は、分科会の新指針を批判して「活断層の有無にかかわらず、少なくともマグニチュード7クラスの直下地震が起こりうるということを考慮すべきなのに、盛り込まれなかった」(7月21日付「神戸新聞」)と指摘しています。さらに、次のように原発の耐震指針見直しの必要性を指摘しています。
「日本海側の海岸線直下や沖合の海底では地震が多発している。原発が集中し、京阪神にも近い福井県の若狭湾でいつ起きても不思議ではない」「今回、この程度の被害で済んだのは不幸中の幸い。柏崎刈羽原発7基のうち、3基が点検中で停止中だったが、すべて運転中なら大変な事態になっただろう」(同前) (晴)
生活第一≠ニいうことの意味
参院選は自民党の惨敗に終わった。自民党党首安倍はんは、にも拘わらず涼しい顔で続投を宣言することのナゾを問いたい。スーパーモーニングで鳥越氏は、安倍はんは自らのイデオロギー、改革から改憲に至るまで自らは正しく、さまざまの不祥事はとるに足らぬという指摘は、深い意味をもつものと言う。
民主党党首は生活第一≠ニいうモットーをかかげた。これまで革新的な主張の軸は、パンのみに生くるにあらず≠ニいうのが主流をなしてきたようだ。そして、生活、特に日々のくり返しの日常生活には何もなくて、風化させていく無風地帯としてとらえてきた傾向があった。特に思想≠論ずる人々の間で。
今回の選挙で何よりも年金問題、格差社会の生活の現実からの主張が主軸をなした。イデオロギー論争よりも。そしてそれがいかに切実な状況にあるか、ということ。かつてはそのような状況から、戦争になだれこんでいったのではなかったか。
それ故にこそ、私が愛惜してやまない枝雀は日常性にこだわり、日常生活からの平たく&\現しつづけて倒れたのではなかったか。税金の使いみちのウス暗さを明らかにすべくいろんな人々が努力されている。
国民はハテナ? と思っても、どうやって知ることができるだろうか。具体的ということは税収を何になんぼ使ったかを、明らかにすることであろう。国民の一人として明瞭にわかるように公表してもらいたい。私は、必要な薬を一つ一つ袋に入れ、なくなったら医者の所へもらいに行く、というかつての置き薬屋方式で薬をもらっている。これならムダなく、料金も少なくてすむし合理的であろう。
近代化以前のやり方をオカミは平気でやっているのでは? なんのために? と思うようになった。巷ではこんな努力もされているのに。怒る≠ニ切れる奴≠ニレッテルをはる方がおかしいよ。私は枝雀から多くのものを得たように思うし、学んだことを現実に生かすべく、足腰立たずとも舌はあるし、まだ書ける。 2007・8・1 宮森常子
(おまけ)
枝雀落語は思えば社会性を持った井戸端のおはなし、おわらいであった。私はそう思っている。
色鉛筆 「りゅうりぇんれんの物語」
1970年青森に生まれ、宮城教育大の言語障害児教育課程を卒業、仙台でアマチュア劇団での経験もある寺岡東子さんの朗読を聞いてきました。30代という若さで、歴史教科書から葬られようとしている「強制連行」を語る、という頼もしい女性に出会いました。
この集いは、末娘の通う公立高校の1年生対象の授業ですが、一般市民にも参加を募り学校開放に似た体裁で行なわれています。昨年2月に亡くなった茨木のり子さんの後年の代表作の一つが、長編詩「りゅうりぇんれん物語」です。この実話に基づく長編叙事詩をライフワークとして、各地を回り思いを伝えていく寺岡東子さん。高校生の心にどう響いたでしょうか。
小柄で、飾り気のない寺岡東子さんは、Tシャツに一枚布の巻きスカート、黒足袋にわらじという独特の雰囲気で登場しました。片手に物語の本を用意していますが、聴衆の顔を見ながら語りかけるその手法に、いつしか、「りゅうりぇんれん」が想像でなく実在した人物だったことを実感します。
教科書には、「強制連行」という言葉があっても、日本軍が現地の人々に強制した事実を丁寧に説明している資料は、生徒たちに提供されていないのが現状です。中国山東省を舞台にした「りゅうりぇんれんの物語」と、この機会に出会えた生徒たちは幸運です。日本の戦争責任を歴史の正しい認識でとらえることは、3年後に予想される国民投票≠フ結果を左右することでしょう。
朗読は1時間ぐらいですが、生徒たちは事前に渡された「りゅうりぇんれん物語」のコピーを手にしており、寺岡さんの話を活字で追うという、残念な行動をしていました。なかには、顔を机に伏せ眠っている生徒もいましたが、寺岡さんは生徒の列の中に入り、少しでも気持ちを伝えようと努力されていました。これも、今ふうの学生感覚なのかと、残念に思いました。
寺岡東子さんは、神戸の私立「ちびくろ保育園」に勤務しながら、フリースクールのスタッフも勤めるという多忙な毎日です。そして全国を回る朗読の活動、パワーの秘訣はどこにあるのか、ゆっくり聞いてみたいものです。 (恵)
案内へ戻る