ワーカーズ 354号 2007.10.1.        案内へ戻る

福田がけっぷち政権に大衆行動で引導を----給油新法、格差放置・拡大政策を許すな!

 福田康夫を総理大臣とする新政権が誕生した。福田康夫は、麻生太郎と争った自民党総裁選の中で、格差是正、地方への配慮、アジア外交の立て直し、野党との話し合い重視等々を主張し、安倍政権との違いを語ったかに見える。
 しかし福田政権が、小泉純一郎が敷き、安倍晋三が引き継いだ、新自由主義政治から大きく離れるなどと考えることはできない。福田は、市場原理主義、アメリカの「対テロ戦争」支援、対アジア強硬政策を強行してきた小泉政権の下で「名官房長官」を務めてきたのであり、事実総裁選の中でも「構造改革の方向の継続」を強調している。
 また前任の安倍政権はその国民生活から乖離した姿を「ベルイサイユ化」と評されたが、世襲議員による政治という点では福田康夫の政権も同様だ。安倍も福田も、勤労者・市民の生活感覚とはおよそ無縁な環境で育ち、特権的な意識と思考にどっぷりと浸ってきたのであり、この点で両者に違いがあるかに期待するのは大きな見込み違いだ。
 福田は、「国民の政治に対する信頼回復が何よりも重要」などと言う。しかし現実問題としては、まずテロ特措法の延長、それが無理なら給油新法の制定に全力をあげざるを得ない。しかしアメリカによるアフガン戦争がテロの収束どころかその一層の激化をもたらしただけであること、そしてこの戦争とひとつながりのイラク戦争がますます世界を不安定化させつつあることは明らかだ。
 また消えた年金問題で国民に公約した1年間での解決策は、技術的な面からだけでも綱渡りが避けられない。国民年金に現れている年金制度の事実上の崩壊という事態への対応は、それ以上に困難だ。
 その困難の背景にあるのが、働く人々を搾取の対象としてしか見ない資本の体制、高齢者を効率の悪い搾取対象として労働の場から排除し、高齢者に対する支出を経済的空費としか見なすことができない今日の社会・経済の仕組みそのものなのだから当然だ。福田政権は、年金問題を解決に近づけるために必要な高齢者への雇用の保障、年金保険料の資本家負担の増大策は決してとれない。それどころか福田は、総裁選の中でも消費税増税の必要を年金問題にかこつけて押し出すことを決して忘れなかった。
 格差問題、つまり労働者からの権利剥奪と低賃金・劣悪な労働条件の押しつけ、経済的資源の大都市部への集中政策については、日本経団連や経済同友会などの資本家団体が手をゆるめてもらっては困る≠ニ圧力をかけている。福田政権が、自らのスポンサーである勢力のこの意向に抗して多少とも実のある格差是正策を講じるなどということを、私たちは信じることはできない。
 大衆行動で、福田新政権の戦争協力政策、格差放置・拡大の政策を打ち破っていこう! (阿部治正)


戦争支援法=テロ特措法の延長を許すな!
「対テロ戦争」は民衆を苦しめ、世界をいっそう不安定にさせただけだ

■テロ特措法とは

 2001年9月11日に起きたニューヨークの貿易センタービルへの攻撃を受けて、米国は「対テロ戦争」に打って出た。9・11攻撃はアルカイダによるものであり、アルカイダをかばうアフガニスタンのタリバン政権を打ち倒す必要がある、というのがその理屈だった。
 自民・公明の与党はすぐさま、テロ対策特別措置法を国会に提出し、米国のアーミテージによる「ショウ・ザ・フラッグ!」の檄を受け、同年11月にこれを強行採決した。92年に成立させたPKO協力法は紛争終結後にしか発動できず、99年に成立した周辺事態法は対象地域がことなることから、新たな法律の制定となったのだ。
 しかしこのテロ特措法は、当初から米軍など外国の軍隊との共同の軍事行動にあたるのではないか、憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に他ならないのではないか、として国民の大きな批判を浴びてきた。日本政府は、海自の活動は直接の軍事行動にはあたらない、後方支援に過ぎない、テロとの戦いは国際社会の一員としての正当な役割だとして、この批判をすり抜けてきた。この法律は、時限立法であったために、これまでに数度の延長を重ねてきている。
 米国のアフガニスタン攻撃は、タリバンを政権から放逐することに成功はしたもののその勢力を一掃することはできず、また多くの無辜の民衆の犠牲、農業のインフラの破壊などをもたらすことによって民衆の反発を買い、現在ではタリバン勢力の復活と戦闘の再度の拡大を招いてしまっている。そうした中、テロ特措法の何度目かの期限切れが本年の11月1日に迫っており、政府与党はその延長を政権の最重要課題として位置づけ、そして延長がかなわない場合には新法の制定も辞さないとしている。

■インド洋での海自の活動の実態

 与党の自民・公明は、自衛隊のインド洋での給油活動は米軍艦船に対してだけでなくパキスタン、カナダ、イタリア等々多数の国々の艦船に対して行われている、テロ活動を封じ込めるための海上封鎖などで効果を上げている、国際的に高く評価をされている、何よりも国連のお墨付きを得ている等々と言って正当化している。
 しかし彼らの言とは違って、海自の給油活動が主に米軍に対して行われて来たことは、すでに様々な資料が明らかにしているとおりだ。
 また、日本の市民団体の「ピースデポ」が米国の情報公開制度を用いて入手した情報は、03年2月に行われた海自の給油活動が、米補給艦ペコスへの給油を経由して空母キティーホークに再給油されたことを明らかにした。そしてそのキティーホークは、給油を受けた直後にペルシャ湾に入り、イラク開戦の戦闘に参加したのだ。ペコスへの給油が、自衛隊による米空母キティーホークへの給油をカモフラージュするための小細工以外の何ものでもなかったことは明白だ。もちろんイラク開戦の戦闘以降も、自衛隊が給油した油がイラク戦争に従軍する米艦船や航空機に用いられ続けてきたことは周知の通りである。
 それだけではない。海自のインド洋での活動は、補給艦による給油活動だけでなく、イージス艦によっても行われている。そもそも給油や洋上監視を主とする活動になぜ指揮通信・司令部機能の優れたハイテク艦のイージス艦を出動させなければならないのか。そう問われた政府・与党は炎天下のインド洋での作業には空調がよく効き居住性にすぐれた艦船が良いから≠ネどと説明をした。もちろんこんなものは子ども騙しも良いところであり、実際にはイージス艦の派遣はアフガン戦争とイラク戦争で重要な役割を果たした米英の軍事基地や軍事行動を防衛するという任の一翼を担うためであり、イージス艦が持つ高度な情報収集がそのために不可欠だったのである。自衛隊のイージス艦派遣は、インド洋上の米軍基地ディエゴガルシアの防衛の任に当たるためだったという疑いも、あながちまとはずれではないのである。

■アメリカの対テロ戦争の破綻

 米国による対テロ戦争は、いまやアフガニスタンでもイラクでも、破綻しつつあることは明かだ。
 アフガニスタンでは、この国の経済を支えてきた農業が戦乱によって大きなダメージを受け、日々の衣食住さえままならない大量の難民が国の内外にあふれかえっている。干ばつの深刻な影響も、戦争・内戦がなければ多少なりとも対策が講じられたかも知れないが、放置されたまま、拡大する一方である。何よりも、米軍の無差別攻撃や傍若無人な振る舞いがかえってタリバンの復活を促し、それにともなって戦線の拡大、人的被害の激増がもたらされている。
 イラクでも、ゲリラも民間人も見境なく殺傷する掃討作戦が米英軍によって繰り広げられている。それに対する報復として一度に何十人、何百人もの人々が犠牲になる自爆攻撃がイスラムゲリラによって連日のごとく繰り返されている。フセイン独裁下の社会を懐かしむというあってはらない思いさえが、人々の心に去来してしまうという悲惨で非道な社会が現出してしまっている。
 米国による対テロ戦争がテロを無くすどころかそのいっそうの拡大と激化を生み出していること、その原因が米国のエゴイスティックな動機、つまり石油をはじめとする戦略資源への影響力の強化、世界覇権の拡大、軍産複合体の利益の追及にこそあることはもはや隠しようもなく明らかとなっている。

■米軍支援ではなくアフガン民衆への支援を

 安倍政権に変わって福田新政権が誕生した。福田新政権にとっても、その最大の課題がテロ特措法の延長、新法の制定に置かれていることには違いはない。福田政権は、テロ特措法の延長や新法の制定について、野党の民主党ともよく話し合いたい、理解を得たいなどと言っている。
 民主党は、いまのところはテロ特措法延長、新法制定ともに反対の意思を示している。しかし彼らの反対の論拠は、アメリカの戦争だからダメ∞国連の決議に基づく戦争でないからダメ というものだ。裏を返せば、国連のお墨付きさえ得られれば自衛隊派兵だろうが直接の戦争参加だろうが引き受ける用意がある、という考えだ。
 しかし、戦争の善し悪し、それへの支持の是非は、国連の決議があるかどうかなどということで判断されるべきことではない。それは、勤労民衆の解放に資するかどうか、民衆自身の意思に基づいているかどうか、民衆自身の手による戦いであるかどうかということによって決せられるべきだ。米軍がアフガンやイラクでやっている戦争、そして日本が油をはじめとする物資提供、イージス艦や軍用機の派遣によって協力している戦争は、その対極に立つ戦争、民衆の利益に真っ向から反し、それを踏みにじるための戦争だ。
 アフガニスタンの民衆は、農業をはじめとする経済活動の基盤を破壊され、そのことによって自ら政治に参加する条件も極めて狭められ、奪われている。彼らは何よりも、きれいで豊富な水、作物が育つ土地、病気に立ち向かう医療体制などを切実に求めている。
 しかし米軍の始めた対テロ戦争が、アフガン民衆のこうした切実な要求を阻む最大の障害となっている。この戦争は直ちにやめるべきであり、そしてこの戦争をやめさせるための一助として、私たちは日本によるあらゆる協力を停止させるべきである。
 一日に何十万ガロンの油を軍隊に提供するカネがあるのなら、それはむしろアフガンの民衆が本当に必要としている経済支援、医療支援などにこそ振り向けられるべきである。
 テロ対策特措法の延長、新法の制定に断固として反対しよう! アフガンの民衆に対する民生支援をこそ要求しよう! (阿部治正)


コラムの窓・飛脚ゆうメールの怪?

 佐川が引き受け郵便局が配達する、そんな冊子小包≠受け取った経験はありませんか。ヤマトのメール便は自社便なので特に不思議はありませんが、佐川はどうなっているのか、どこから利益を上げているのか不思議です。郵政公社による大口利用者向けダンピングこそがその源泉であり、今や葉書に50円、封書に80円を払っているのは一般利用者だけです。
 佐川急便の「飛脚ゆうメール」(日本全国一律料金)という商品がそれで、「3辺が合計170センチメートル以内・重量3キログラム以内のお荷物を、佐川急便が差出人となって郵便局に差し出すことによって、さらに安価にお届けいたします。(配達は郵便局員が行います。)」という仕組みです。いつから郵便局は佐川の下請けになったのか、いぶかしくなります。
 佐川がさらに安価≠ニいう料金はというと、200グラム以内で110円、500グラム以内では160円・・・です。一方、郵便局の冊子小包は150グラムまで180円、250グラムまで210円、500グラムまでだと何と290円です。この料金差をどのように埋め合わせるのか、そこに超割引≠ニいううまい料金があるのです。
 その料金設定は信じられないことですが、年間100万個以上の差出になると、500グラムまでが県内だと70円、県外だと75円です。さらに800万個以上だと、県内55円、県外60円です。これはもう葉書や封書並みの料金です。
 例えば、私が3キロ近い重さの書籍を遠くの知人に送ろうとして、郵便局の冊子小包を利用すると590円になります。これを、安い佐川に出すと435円で、55円の節約になります。佐川はこれを郵便局の下請けにまわすと240円の負担で済むので、195円の手数料を得ることが出来るのです。ここにおいて、郵便局の冊子小包の基本料金は、ダンピングの証明以外のいかなる意味もなくなっているのです。
 9月15日付けの「週刊東洋経済」が郵便局の未来≠特集していますが、そこに次のような記述があります。

『実は新東京郵便局には佐川のトラックも頻繁に出入りしている。企業が発送するパンフレットや雑誌などのメール便で、2004年に郵政公社と提携したからだ。佐川が集配し、郵政が配送する。「飛脚ゆうメール」取扱高は、07年3月期実績で前年比3割増の5億5000万冊。佐川の別所規至営業部長は「配送網で郵政を超える規模の会社はなくメリットは大きい。大口割引も適用され、毎年2ケタ増で成長している」と手放しで喜ぶ』

 ちなみに、ヤマト運輸はメール便で8割(07年3月期19億7000万冊)のシェアを独走中とか。そのヤマトの木川眞社長は、「われわれは勝つ自信がある。ヤマトは全国3700センターをさらに5000まで増やそうとしているが、逆に郵政は拠点整理に乗り出しています。配達員も当社は正社員にこだわるが郵政は違う。そういう状況で満足できる品質を保てるか疑問です」(同誌)と豪語しています。
 最大のライバル、ヤマトにここまで言われてしまう郵便事業会社、もはや生き延びる道はベネッセや佐川、百貨店などの大口顧客の下請けとなる以外ないのでしょうか。もちろん、一般利用者には割高な料金設定が、郵便労働者には果てしないコスト・カットの犠牲が押し付けられるでしょう。安い宅配便やメール便があればそれでいいのか、公的物流・通信網としての郵便事業を残すべきなのか、最終的な選択は国民に委ねられているのです。(晴)

追記・9月23日、ヤマト運輸が運転手の残業代未払いで、大阪南労基署から労基法違反で是正勧告を受けたことが明らかになりました。木川社長の主張も表向きといういうことか、労務政策はどこも変わらないということのようです。企業はライバル同士でも労働者の境遇や利害は同じ、連帯という言葉を思い起こしたいものです。案内へ戻る


サブプライム問題の核心――世界恐慌の開始を告げる足下の地雷

サブプライム問題とは

 アメリカのサブプライム(低所得者向け住宅ローン)問題は、アメリカ格差社会にあっては、人種問題と密接に関わっている現実を直視しておかなければならない。このサブプライム問題とは、収入が低く信用力の低い借り主、つまりヒスパニックや黒人が借り主である事に深く関わっているのである。
 アメリカの九・一一事件後の経済失速を下支えしてきたのは、アフガンやイラク侵攻のため戦争経済であり、さらにはサブプライムによって支えられた住宅バブルであった。
 このバブルを支えてきたは、米国債に資金を供給してきた中国やアジアの「グローバル・セイビング・グラット」と呼ばれる過剰貯蓄である。中国やアジアの過剰貯蓄が前提になって、アメリカの国債を買い支え、これがアメリカ本国の資金の流動性の供給を保証してきたのである。
 アメリカ全土やニューヨークのミドルクラス、それからアッパーミドルクラスは、大体日本円換算で一億二千万円位の家に住んでいる。価格は十年前の二倍になっているといわれる。そこで彼らは倍になった分を借金し、もう一つ家や賃貸し用のアパートの部屋を二つ・三つ買う行動に走る。サブプライム問題の根が深いのは、こうした小金持ちの行動の中に、自分の居住する住宅を求めた収入が低くそもそも持ち家など持てない信用力の低い借り主、つまりヒスパニックや黒人の借り主たちが参入して、この住宅バブルをより巨大に拡大して一層複雑怪奇なものにして、全体的な把握を困難にしている事だ。
 アメリカでは、居住する住宅の現在の価値を超える、例えば住宅価値の百二十五%とかの追加資金をどんどん貸し出す。さすが資本主義のチャンプ・アメリカの銀行ではないか。今、サブプライムの破綻でその担保価値が崩れて、逆回転を起こし始めており、これが今度の信用恐慌・信用不安、それから信用市場の恐慌の土台となっているのである。

「証券化」の落とし穴

 全産業が関わる住宅バブルの中で、本来は貸し出しが不可能な収入しかない人にまで、ローン会社が貸し付けをした。なぜなら、ローン会社は、そうした危ない貸し付けをしても、ローン債権を「証券化」することで、金融機関が買い取ってくれると安心していたからである。いい加減な業者は、最低限の所得証明書も確認せず、ローンの実行を決めた。この「安全装置」があったので、ローン会社もルーズになってしまった。「証券化」されたサブプライムローン債権(ABS)を買い取った金融機関は、さらにこれを最新の金融工学を使って、リスク別に分割して、それを「証券化」して、ヘッジファンドに販売した。これが、住宅バブルを支えた債務担保証券(CDO)といわれる金融商品である。
 これについては、銀行実務に詳しい副島隆彦氏の説明を要約して、以下に紹介する。
 実際の処理としては、サブプライムローンを証券化し、これを「アセット・バックト・セキュリティーズ」(ABS)という形で証券化で、投資家に転売する。しかも、さらにもう一段階(場合によっては数段階)、この住宅ローン担保証券(MABS)を組み直して、スライスして、債務担保証券(CDO)の形にして売買した。これを英米やヨーロッパの銀行が投資案件として買っていた。彼らは、債務を資産だと強弁していたのだ。
 すなわち、住宅ローンの債権を担保に銀行が別の金融商品に組み直す。これは、担保付債券、担保つまり保証になる実体のある財産を裏づけにした証券と言い直したもので、区別は本当に不分明になる。しかし、信用力が高ければ、「第二のお金」として流通する。
 これに対して、債権は、借りた人に返却を要求できる権利だ。そして、この「住宅ローン債権」を、さらに、証券化あるいは債券にして、組み替え「仕組み債」と呼び、デリヴァティブとして、実際に売買されている。
 証券デリヴァティブには、元・基・源になるものが必ず無ければならない。この点を忘れてはならない。担保割れが生じたら終わりなのだ。まさにこれが落とし穴となる。
 例えば、年率十五%の年率の住宅ローンなら、その内の五%を自分の手数料と利益として、その五%を引いた十%の金融商品にして、別の銀行やヘッジファンド等に売る。これが債務担保証券(CDO)だ。また、これを有価証券(CP)とも呼ぶが、今はこの「アセットバックト・コマーシャル・ペーパー」(ABCP)が一番問題になっている。信用の収縮から、このPCの引き受け手が、世界中で急激にいなくなってしまったのである。
 アメリカの大銀行の子会社が発行していたABCP、つまり住宅ローンを組み込んだ有価証券に組み替えた商品の売買で、年率七〜八%の金融商品として売っていた。「米国債の五%よりは、高くて儲かる。かつ信用格付けもトリプルAだから、安全だ」と購入した。彼らは、「ムーディーズ、S&Pなどの信用格付け会社がAAAを付けているし、親会社である大銀行の保証も付いているようだから」と、どんどん買い込んでいたのであった。
 八月九日、それはついに爆発した。フランスを代表するABNパリバ銀行の子会社の三つのファンドが、自分が発行したABCPかCDOについての他の銀行たちからの解約・買い取り請求を受けられなくなり、一瞬に債務超過、あるいは、債務不履行に陥って、親会社のBNP銀行を頼った。ところが親会社の大銀行であるBNPパリバ銀行でさえ、その不足分を埋めることが出来なくて、結局、ヨーロッパ中央銀行(ECB)が、救済のため、一気に九百五十億ユーロ(十六兆円)という救済資金を、このCP(証券、債券)市場に突っ込んで、「帳尻を合わせた」のである。
 また時を同じくして、イギリスのこれも最大の銀行であるバークレイズ銀行が、手形交換所か、イングランド銀行の決済口座で、不渡りを二度起こしている。州立銀行の子会社の中堅銀行のIKB銀行もドイツ連邦銀行に救済された。
 これらの事からヨーロッパの各大手のファンドは、アメリカのサブライムを組み込んだアメリカ製の十%ぐらいの「住宅ローン担保証券」であるABCPやCODを買い込んでいた。そして、それらをさらに自分で作り直して、それぞれ利益を三%位抜いて、七〜八%の別のABCPにして、国内外の中堅の銀行に、売っていた事が判明したのである。
 今やすべての銀行という銀行に対して預金者から厳しい疑いの眼差しが集中している。

「タイタニック号の船長いわれたって安心できない」

 日本の銀行は、この十五年間の不良債権処理で地獄を見ていた為、幸い世界的には影響が少ない地域だといわれている。現に野村証券は白状したが、アメリカの子会社のファンド会社が、八百億円位の「サブライムを組み込んだ債券を買って」いた。しかし、三菱UFJのカリフォルニア州の大きな子会社銀行が、どれぐらいの、ABCPを抱え込んで苦しんでいるかは、実際まだよく分からない。他の大手銀行も、きっと隠しているが、かなりの「含み損」を抱えつつあるのかも知れない。今は、どこの銀行も戦々恐々の状態だ。
 それは、各銀行に対する「買ったABCPを返すから金を返してくれ」という預金者の行動から、突然発覚する。なぜなら必ず帳尻を合わせなければならないからだ。
 0七年八月、米国のサブプライムの焦げ付き問題で混乱した金融市場の出来の事態を重く見たジョージ・W・ブッシュ大統領は、サブプライム問題の被害者への救済に乗りだすことを表明した。0七年八月十七日、米連邦準備制度理事会(FRB)は、公定歩合を年六・二五%から五・七五%と一気に二段階の緊急引き下げをした。これでひと息はついたが、欧米の機関投資家や投資ファンドの損失は小さくない。これまで日本の株式市場を支えてきた外国人投資家だが、「ファンドが売れるもの、換金できるものを叩き売って損失を埋めたのが今回の金融ショック」で、日本の株式市場からも、彼らも一旦は資金を引き揚げたようだ。
 そして、九月十四日、住宅ローンでイギリスにおいて第五位であるノーザン・ロック銀行において、預金を引き出そうとする顧客がイギリス中で各支店に殺到して列を作る取り付け騒ぎが発生した。原因はアメリカ発のサブプライム問題によって資金繰りが苦しくなった事実が預金者に知られた為であった。小見出しは列を作った預金者のせりふである。
 九月十七日、ノーザン・ロック銀行で、顧客の預金引き出しが三日続いている事を受け、英政府は、混乱の回避に重点を置き、預金を全額保護すると発表した。ダーリング財務相は、同日のノーザン・ロックの株価が四十%以上も下落し、史上最安値を更新したことを受け、高まる危機感への対処方法をイングランド銀行(英中央銀行)および英金融サービス機構と協議した上で、今回の特例措置を発表した。
 ダーリング財務相は、「金融市場が現在のように不安定な間は、必要に応じ財務省およびイングランド銀行がノーザン・ロックの現預金をすべて保証する。ノーザン・ロックからの預金引き出しは引き続き可能だが、預金を継続した場合でもそれは保証される」と強調した。預金保護の通常規定では、保護される預金の上限は三万三千ポンド(約七百五十七万円)だが、今回の措置では上限なくすべての預金が保証される。
 一方、ノーザン・ロックの先行きは不安定なままだが、同社は救済的な買収案に同社がまもなく合意するとの憶測を否定して、同日午後に発表した声明で「ノーザン・ロックは現在、どの企業とも協議を行っていない」と強調した。
 まさか三十年代のような銀行取り付け騒ぎが勃発するなど誰が想像できたであろうか。アメリカのサブプライム問題は、その証券化によって全世界に広がり、かくも根深く、その闇はどれほど深いものか伺い知れないほどの漆黒の闇を生むことになったのである。
 米個人向けローンを手がけるHSBCファイナンスによると、サウスカロライナ州フォートミルやアリゾナ州フェニックス、ノースカロライナ州シャーロットの各支店で、人員削減が始まり、この動きは西海岸からシカゴ・ニューヨークへと広がりつつある。もちろん、その背景には住宅バブル崩壊の深刻化が影を落としているのである。
 九月十八日に開催された米連邦公開市場委員会(FOMC)は、政策金利であるFFレートの誘導目標を0・.五0%引き下げ、四・七五%とする事とを決定した。あわせて、公定歩合も0・五0%引き下げ、五・二五%とする事も発表した。FOMCの声明文は「借り入れ条件の引き締まりで住宅市場の調整が深刻化する可能性と経済成長がより広範に抑制される懸念が出てきた」として、従来よりも実体経済への影響を懸念する一方、「物価安定と持続的な経済成長のために必要であれば行動する」と述べ、将来の更なる利下げの可能性を示唆した。実にたった一ヶ月でバーナンキ議長は公定歩合を四段階も下げた。
 このように、アメリカもベン・バーナンキも、信用恐慌を防ぐのに今や必死なのである。

サブプライム問題の核心

 この事の深刻さを認識するために例を挙げよう。六千万円・七千万円で購入した住宅が、三千万円まで暴落した。しかし銀行ローンの残高は五千万円・六千万円残っている。それなのにまだ住宅が二千万円まで下どんどん下がる。この場合、住宅市場で価格が六千万円で購入した住宅が二千万円になった。さてこれからどうしようとの話にはとどまらない。ここで住宅ローンが証券されていることで傷口はとてつもなく大きくなる。
 アメリカのサブプライムでは、住宅ローンを、債券を金融商品に置きかえた。さらにそれが転々売買されるクレジットマーケット(信用市場)と呼ぶ金融商品市場で、簡単に言えば銀行間取引市場だ。それは投機市場で、銀行や証券会社が組んでいる投資信託、ファンドが購入している。だから住宅バブル崩壊というのは連鎖した信用市場崩壊、つまり信用恐慌になる。
 この話は、副島氏らによく腐肉入りのハンバーグにたとえられるので、その例を私も踏襲して話を進めよう。問題は、組み込んでいるハンバーガー(金融商品)の中に腐った肉(精算できない住宅ローン)が入っているから食べられない事なのである。
 「ハンバーガーの元の肉はどこの肉かわからない」のだ。だからみんな(各銀行)で「腐ったハンバーガー」を売っていたのが問題だった。ハンバーガーの中で使われているミンチにしたすべての肉が腐っているのではないが、ほんの一部でも腐った部分があるハンバーガーが人の口の中に入っていたらどうするのか。その人は、腐っているハンバーガーを口の中に入れたら吐き捨てるしかない。だから、ハンバーガーそのものごと捨てるしかないという大問題なのだ。これがサブプライム問題の核心である。
 この間、アメリカや日本では、段ボール箱で具をつくった中国製肉まんといって中国人をばかにしてきた。しかし、アメリカ発のサブプライムの住宅ローンの債券とは、つい最近までアメリカ資本主義の精華、金融工学の光り輝く金融商品であった。今明らかになったのは、この金融商品が、資本主義の腐朽性の極みの産物そのものであった事であるる。
 アメリカが、サブプライムローンを、腐った・信用力のない・返す当てのない、つまり信用の崩壊している、担保なし、つまり全く保証なしの金融商品に置き換えていた事実が完全に露呈した事で、全世界的な信用崩壊に繋がる現実性を帯びてきたのである。
 だから、一部にでも腐った肉を使っているハンバーガーは、やっぱり腐ったハンバーガーとしかいいようがない。それに価値はないと判断した投資家が、各発行銀行に対して払い戻しを求めてきたとしたら合法的に拒否できるのであろうか。もしこれが合法的に拒否できるのなら、世界信用恐慌はめでたく回避できるのだが、とてもそんなことはできはしない。この帳尻を合わせるには、一体どのくらいの資金が必要となるのであろうか。
 サブプライム問題とは、世界恐慌の開始を告げる足下の地雷なのである。 (直記彬)


「やらせ」と瞞着を事とする自公連立政権を打倒せよ!

世界を唖然とさせた「やらせ」決議

 九月十九日、十一月一日の「イラク特措法」の期限切れを前に、国連安保理事会において、国際治安支援部隊(ISAF)の任務を一年間延長する決議が採択された。「前文」には、日本が海上阻止行動に参加する米軍主導の「不朽の自由」作戦(OEF)参加国への「謝意」が初めて盛り込まれた。一見するとインド洋上での海上自衛隊による給油活動に国際社会の謝意を示されたかのごとくではある。だがこの決議は安保理事会の全会一致でではなく、ロシアは決議のお膳立てに対する強い「不快感」から棄権した。
 この決議について、国連のなんたるかを知らないおつむの軽い町村外相は、「国連決議がないという民主党の反対根拠はなくなった」「(民主党は)国際的な努力や意見に、もうちょっと敏感になってもらいたい」と得意満面となり、慎重居士の与謝野官房長官ですら「全体の考え方の整合性をどうするかは民主党に課せられた宿題だ」と解説を付けた。
 しかし好事魔多し。調子に乗った町村外相は、外務省内で記者団に、日本の国連代表部が、米・英・フランスなどの安保理事会メンバーに決議採択を求めてきたこと、九月七日町村氏本人もシドニーでライス米国務長官と会談した時、是非とも謝意を盛り込むよう要請したことを明らかにした。要するに日米合作による自作自演の「やらせ」決議である。
 そもそも、今回の安保理事会決議自体は、アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)の駐留期間延長のため、毎年行っている出来レースの決議にすぎないのである。
 この決議自体、最近のアフガン情勢の悪化を見極め、真にアフガン情勢の安定化とテロ防止をいかにすべきかを再検討するものではない。それゆえ決議本文の内容と「前文」のアメリカ主導のもとに有志でおこなわれている「不朽の自由」作戦(OEF)とは、無関係なものだ。現にこれまでの安保理事会決議でも、両者が関連づけられた事はない。
 アメリカ等に無視され自尊心を痛く傷つけられたロシアのチュルキン国連大使は、この決議に棄権するにあたり、「不朽の自由作戦(OEF)は国連の枠外でおこなわれているもの」「決議は国連の特定の加盟国の国内事情を優先させたもの」と的確に批判した。
 九月二十日、ロシア外務省は、アフガニスタンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)に関する国連安保理決議案の採択でロシアが棄権した問題で、「これまで安保理で議論されたことがないインド洋の海上阻止活動が盛り込まれ、棄権せざるを得なかった」「アフガンやほかの紛争に関する過去の国連決議で扱われたことがないまったく新しい要素だ。海上阻止活動を行う根拠について米国などの提案国に説明を求めたが、無視され、性急な採択が行われた」とする報道声明文を発表して、チュルキン国連大使とロシアの立場を重ねて擁護したのである。
 このように、安保理事会で拒否権を持つロシアが、現時点では海上阻止活動を受け入れていない事を明確にしたもので、「米国の活動を国連安保理事会で承認する決議はない」としてきた民主党の小沢代表の主張が、ロシアの行動で逆に裏付けられた形とはなった。
 まさに「下手の考え休むに似たり」。アメリカからの「特措法」延長要請により民主党対策に目が奪われた自公連立政権の「やらせ」は、世界の笑いものとはなったのである。

給油高を四分の一と公表する瞞着

 二00一年十二月の開始以来、0七年八月末までに、防衛省によれば、計十一ヵ国の艦艇に計地百七十七回、約四十八万キロリットル(二百二十億円相当)の給油活動を海上自衛隊が行ってきたと公表されている。この二百二十億円は、税金からの支出ではあるが、どこの国のどの軍艦に一体どれだけ給油され、給油された軍艦がどこへ行き、いかなる作戦に使われたかは、「軍事機密」の名の下に一切情報公開されていない。当然の疑問ながら、この給油が本当にテロ防止に役立っているのか、またイラク戦争にも使われているのではないかといわれてきた。
 九月二十日、特定非営利活動法人(NPO法人)「ピースデポ」(横浜市港北区、梅林宏道代表)が米情報公開法により航海日誌などを入手し、記者会見で調査結果を発表した。
 この調査によると、「ときわ」が0三年二月二十五日、米給油艦ペコスに約七十九万ガロンの燃料を補給。約六時間後にはオマーン湾北側で、ペコスがキティホークに給油し事が判明した。当時、給油量は、約十九万ガロンと実際の四分の一も少なく報告されていた。
 キティホークは、この給油を受けてから、約二十時間後にはペルシャ湾入り、その後の三月二十日開戦のイラク戦争では、空爆を担った事実が発覚してしまった。かくして海自の燃料がイラク作戦に転用された事が暴露されたのである。
 0三年五月当時、キティホークが給油後、イラクでの作戦に参加した。この事実から、海上自衛隊が提供した燃料が、テロ対策以外に使われたのではないかとの指摘について、政府は、「ときわ」が提供した燃料を空母の一日の行動に必要な約二十万ガロンと発表し、「ペルシャ湾に行ってイラクでの活動に使えるような量ではない」とし、テロ対策特別法の範囲を超えた給油活動ではないという見解を示して労働者民衆を瞞着してきた。
 今回の横浜市のNPO「ピースデポ」の暴露は、当時の政府の説明が全くの嘘だった事を白日の下にさらした。まさに大変なスクープである。政府は追いつめられたのだ。
 九月二十一日、これについて、防衛省は、データの入力に誤りがあり、「ときわ」が給油したのは約八十万ガロンと訂正した上で、防衛省は「当時空母はイラクでの作戦ではなく、テロ対策に当たっていたことをアメリカ側に確認したが、あらためて確認する」と説明にもならないことを付け足して、破廉恥にも居直りを決め込んだのである。
 しかし、この決定的な事実が暴露されたことにより、アフガン周辺で対テロ作戦にあたる米軍艦などへの後方支援に海自の活動を限定されているテロ特措法の適応範囲が、今後厳しく国会で論議されることは不可避とはなった。
 また、国際テロ組織アルカイダの活動がアフガン周辺からイラク国内にも拡大したのに伴い、米海軍は「対テロ」と「対イラク」作戦を同時に展開していて、エンタープライズ等の空母攻撃群などの米軍艦は現在、ペルシャ湾内側の作戦海域で「対テロ」と「対イラク」作戦を同時に実施してのは公然たる事実である。テロ特措法は、こうした一連の作戦航海で複数の作戦を実施する米軍艦に補給することを想定していない。策定した0一年当時の支援活動地域の概念が不当に拡大されている事も国会で追及されるべき問題である。

「やらせ」と瞞着を事とする自公連立政権を打倒せよ!

 テロ特措法が目的とするテロ抑圧について、肝心のアフガン情勢は、八月の国連に提出されたNATO事務総長の報告でも、南部を中心にテロ攻撃が0六年同期の二倍に達している。北部を中心に約三千五百人の兵力を派遣しているドイツは、これまでに三十0人近い犠牲者を出し、ドイツの国内世論は撤収論が大勢を占めている。まさに出口が見えないどころか、逆にタリバン勢力を拡大し、テロの温床を育てていると言っても過言ではない。
 私たちは、九・一一同時多発テロを口実としたアメリカのアフガン侵攻を糾弾するとともに直ちに全軍の撤兵を要求する。そして、労働者民衆の中で反対の声を大きく挙げていくとともに憲法違反のテロ特捜法の延長・それに変わる新法の作成に反対する。自公連立政権には、民意の反映の為、衆議院の解散・総選挙を要求するものである。
今こそ労働者民衆の手で「やらせ」と瞞着を事とする自公連立政権を打倒せよ!(猪瀬)案内へ戻る


何でも紹介欄
「九・一一同時多発テロ」解明の現段階

 三冊の専門的研究書の紹介


 あの事件が起きて六年が経過した。あまりの衝撃にこの事件の背景を冷静に追求することは当時はほとんどできなかった。しかし、時間の経過する中で、九・一一の背景や原因についての専門的で充実した研究書が次々に刊行されている。

 まず一番目は、クレアモント大学・デヴィッド・レイ・グリフィン教授の『9.11事件は謀略か―「21世紀の真珠湾攻撃」とブッシュ政権』(緑風出版)である。
 二番目は、「★阿修羅♪」の常連投稿者の「バルセロナから愛をこめて」こと、童子丸開氏の『WTCビル崩壊の徹底究明』(社会評論社)である。
 そして三番目にきくちゆみ氏を含む七名で書かれ木村朗氏が編集した『9・11事件の省察――偽りの反テロ戦争とつくられる戦争構造』(凱風社)である。
 まず第一番目のグリフィンの本は注目に値する。彼は左翼の学者やジャーナリストではなく、全米でも著名なクレアモント大学の神学教授である。弁証法神学の研究者なので、実に論理的な記述がなされている著作となっている。注目したいのは、彼の「陰謀論」についての見解を論じている序章である。この箇所だけでも是非ご一読を進めたい。
 この本が書かれた目的は、「WTC(世界貿易センター)ビル崩壊」の徹底究明――破綻した米国政府の「九・一一」公式説の論駁にある。
 周知のように九・一一事件は、アルカイダの犯行とされきたが、事件直後からブッシュ政権が絡んだ数々の疑惑が取り沙汰され、政府の公式説明はあまりに矛盾に満ちていると切り込む。
 たとえば、第十一便と第百七十五便はスクランブルもうけず、どうやって世界貿易センタービルに突入できたのか?ツインタワーは航空機の衝突・炎上では崩壊しない、爆破解体されたのではないか?ペンタゴンに激突したのは本当に旅客機だったのか?なぜオサマ・ビン・ラディンとアルカイダの捜索は手ぬるかったのか?なぜ米国政府高官はFBI捜査員の警告を無視し捜査を妨害したのか?
 このように「九・一一事件をめぐるさまざまな疑惑をひとつひとつ検討し、ブッシュ政権の共犯性を示す証拠四十項目を列挙し、真相解明のための徹底調査を求める全米騒然の書」とこの本の宣伝文には書かれている!
 二番目の本は、搦め手から問題に迫っている。すなわちビル崩壊に到った背景については全く触れることなく、政府の公式見解、NIST(米国立標準技術研究所)の見解を技術的・物理的に不可能として徹底的に論駁する本である。このやり方も正当なのである。
 皆さんも、本の目次をみて自分の関心のある部分を是非読んでみる事をお勧めする。このほんのもう一つの決定的な特徴は、二百三十枚のカラー写真が掲載されていることである。そのため値段は四千若円となっているが、まさに「百聞は一見にしかず」である。
 三番目の本は、事件の背景を様々な角度から解明した本である。本の章構成を紹介すると、第一章 九・一一事件の世界史的意味と軍産複合体の影 第二章 なぜ九・一一事件の真相究明を求めるのか 第三章 「九・一一」の考察 第四章 九・一一事件と平和学 第五章 グリフィンの「九・一一」をめぐる考察方法 第六章「反テロ戦争」論の現在 第七章 つくられる戦争構造に抗して となっている。実に多彩な考察視点ではないか。
 本の宣伝文を引用すれば、「九・一一事件を世界の人々は一体どのように受け止めたのか・・本書は九・一一事件の真相をめぐる疑問点・矛盾点とは何かを明らかにすると同時に、戦争報道と情報操作のあり方、反テロ戦争の本質的意味とその実態・具体的展開、軍産複合体と戦争構造・戦争プロパガンダとの関係、といった様々な問題を多角的な観点から分析・考察。本書で各執筆者によって明らかにされた諸事実や論点は、九・一一事件の今後の研究や真相究明のための重要な第一歩となる本ではないだろうか。また、日本と世界が現在直面している平和と民主主義の危機からの根本的な転換となる何らかの手助けとなるであろう」と書かれている。まさに事件についての総括的な本の登場ではあった。

今アメリカ本国では

 この間の「ニューヨーク・タイムズ」が報道したように、放射性被爆と似た状況の患者が、つまり少なくとも二百八十三人の救命士が、白血病を含む血液細胞癌やガンにかかったという事実から、劣化ウランが使用されたとの説も出ている。
 この事件を未だにハイジャックされた飛行機の衝突だと言い張る諸君に対しては、私はWTC七ビルに飛行機が全く衝突していてないのに、このビルが爆破解体でガラガラと崩れ去ったような異様な崩落現象の説明を要求したい。またこのビルが崩壊していないにもかかわらず、今第七ビルが崩壊しましたとテレビ報道された事実の不可解さを指摘しておきたい。些細な事ながら、何らかの「計画」があったと象徴する出来事ではある。
 今アメリカ本国では、「Infowar.com」のビデオ・ジャーナリストであるアレックス・ジョーンズが、九月の第一週末にフォックス・ニュース・チャンネルの生放送番組を中継中の近くの公道にやってきて、「911 was an inside job」コールをメガホンスピーカーで訴えたとか。「条例」違反容疑で拘束されたが、微罪ゆえにすぐに釈放されたとのこと。    http://www.justin.tv/wearechange/34839/ALEX_JONES_RELEASED
 http://www.youtube.com/watch?v=qHAScDFZd8A
 http://www.youtube.com/watch?v=eVzY1FPhdDU
 http://www.youtube.com/watch?v=deF4efK91Vs
 また「九一一の真相」について、果敢にロックフェラー、ゴア、ヒラリー、ジュリアーニ、ブルームバーグなどの政治家、著名人に突撃インタビューしてきた「we are change」のサイトには、九月九日からの六周年のイベントやデモやコンサートの告知もされており、事件当日は、WTC跡地にて、真相究明を訴えるデモ活動を行った。注目すべき運動だ。
 http://www.wearechange.org/91107/9-11-07/
 http://www.wearechange.org/91107/travel/
 http://jp.youtube.com/watch?v=pCWHltbowug
 この最後のサイトは必見。アメリカでは、政府の公式見解を受け入れている人は、十八%しかいないといわれている。あまりにも政府自身により真実が隠蔽されている事について、ほとんどの人々は何らかの政府の関与があったと疑っているのである。
 秋の夜長には先に紹介した三冊の内のいずれかの本を読んで、今の世界情勢をじっくりと考える一時を過ごすよう是非お勧めしたい。      (笹倉)


とりあえずの政権修繕内閣――“政権党”にしがみつく福田自民党――

 ほぼ10日にわたる悪趣味ともいえる政治ショーを経て、派閥連合に乗った福田内閣が党内の幅広い支持を得て発足した。派閥の談合で誕生したとの批判は免れないが、調整型で手堅いイメージを財界などから評価されてきた福田政権の発足は、参院選で民主党の惨敗した傷手の中、政権党として生き残りをかけた自民党の防衛本能の現れでもあった。
 福田内閣の発足に至る経緯の中では「クーデター」説などの紆余曲折もあったが、私たちとしては、まずは衆参での与野党逆転状況というなかでの福田内閣発足の意味を理解するところから闘いを進めたい。

■インパクトに欠けた振り子原理

 福田康夫個人としては、首相になる三度目のチャンスをものにできたということだろう。
 一回目は小泉首相退陣から安倍内閣成立時、二回目は参院選で惨敗した場面、そして今回の安倍首相辞任劇の時だ。前者の二回のケースでは確実に首相の座を射止める確証に欠けため、あえて打って出なかったわけだが、それだけ自ら局面を切り開いていくという姿勢を欠いていた。
 それでも今回の福田内閣の成立は、自民党内での振り子原理が発揮された結果だった。ただしその意味するところは従来に比べるとかなり小振りだ。振り子の中身も、政策的というよりも政治手法、あるいは政治資質をめぐるものだった。
 政治姿勢や政策について言えば、福田首相は安倍前首相とは重なる部分もあるが、違う部分も多い。02年の核武装容認発言などタカ派の爪を覗かせた場面もあったが、米国一辺倒の安倍首相とは違って、対北朝鮮、対中国融和姿勢も目立った。福田首相の外交スタンスとしては、対米関係と対アジア関係のバランス外交だろう。これは同じ支配者勢力の中にある、対アジア・中国重視路線も含め、その中間に位置すると思われる。あるいはイデオロギー外交を前面に出した安倍首相とは違って、より実務的、官僚的発想に近いかもしれない。
 福田政権発足の意味するものは、そうした福田新首相の政治姿勢以上に、安倍内閣の発足と政権放り投げにいたる経緯そのものに拠るところが大きい。それだけ政権後半にあたる半年間の安倍首相による政権運営と辞任劇は稚拙なものだった。安倍内閣の成果だとされる日中。日韓関係の修復も、小泉首相のあとに誰が首相になっても同じ事をしていただろう。それは小泉首相が国家のメンツ優先で突っ張ったことの当然のリアクションでもあった。
 それに教育基本法の改定や憲法改定に直結する国民投票法の制定、防衛庁への省への格上げなども、あの郵政選挙でかすめ取った衆院での圧倒的な多数派を頼りにごり押しした代物で、当人や右翼の取り巻きの思惑とは裏腹にかえって改憲のもくろみも遠のいた。
 そして“政治とカネ”、年金不祥事、それに格差問題という、いわば生活感覚にもとづく不満と批判の中で安倍政権はもろくも崩壊した。いってみれば戦前型国家づくりを強行しようとしたいわゆる“国家の論理”が“生活の論理”の上で空転し、自滅したのが安倍内閣だといえる。
 こうした安倍政権の発足と破綻という経緯そのものが、後継内閣を特徴づけた。とりあえずの修繕内閣、一時の癒しの内閣、というわけだ。
 実際、安倍内閣に変わってどういう政治路線をめざし、どう政策展開するのかといったことは後回し、まずはじめに“福田ありき”だった。現に、総裁選での福田候補の政権公約は、何のインパクトもない官僚の作文風だった。それでも官僚上がりではないが最も官僚タイプの福田が反安倍勢力の領袖に押される形で圧倒的な優位に立ち、それが一瞬の内に党内で受け入れられた。つい一年前には強い国家主義指向と清新さで圧倒的人気をもって安倍晋三を総裁と首相に押し上げたのに、だ。こうした振り子原理が政権党からの転落を恐れる自民党の議員集団や党内世論の変わり身というものだろう。

■小手先の微調整

 発足した福田政権の役割はすでに半ば以上は絞られている。安倍政権の一年間の経験で有権者から見放された自民党を再度政権党として有権者の認知を取り付ける、というものだ。が、それは形式的、小手先のものにならざるを得ない。
 というのも、福田首相は総裁選以来、“希望と安心”とか“自立と共生”など、行き過ぎた構造改革を軌道修正するかのような姿勢を見せている。が、基本姿勢としては小泉政権の市場原理万能型の構造改革路線を踏襲する以外の選択肢を示せないでいるからだ。
 いうまでもなく、先の参院選で自民党が惨敗したのも、小泉政権以来の構造改革の負の遺産の結果だった。なかでも勝ち組・負け組への社会の分裂、“格差社会”という新しい階級社会化の進行、そうした社会での年金や最低賃金や生活保護といったセーフティ・ネットの崩壊など、多くの庶民の生活は破綻と不安のなかに追いやられている。そうした不安や不満の拡がりに対し、それを偏狭なナショナリズムや戦前型国家作りを露骨に押し出した復古的な国家主義路線で強引に引っ張ろうとしてずっこけたのが安倍政権だった。
 その安倍政権を引き継いだ福田政権も、基本路線としては構造改革の推進を掲げざるを得ない。それは単に自身が官房長官として支えた小泉元首相への気兼ねや打算だけではないだろう。小泉政権のアジテーション政治が財界や官僚との軋轢をもたらしてきた反省から、本来の自民党政治への回帰によって政権基盤の安定を確保したい、というのが本音だと思われる。論より証拠、党役員人事はかつての政官財トライアングルの復活の色合いが濃く、他方で早くも経団連会長経験者などが顔を連ねる財界有力者との定期会合も始まった。福田政権の親財界、親官僚政治は隠せないのだ。
 とはいっても先祖返りだけでは政権は立ちゆかなくなる。いずれ避けられない解散総選挙で民主党と渡り合って政権を維持するためには、有権者の信任を獲得する必要があるからだ。そのために――希望と安心のくにづくり――というキャッチフレーズが必要なのだ。市場原理優先の構造改革の結果が弱者切り捨て、格差社会化なのであり、そうした基本路線のレールを走りながら「希望と安心」もないものだ。が、そうした美辞麗句を掲げざるを得ないところに、“痛みを覚悟せよ”と強弁した小泉元首相のように旗幟を鮮明にできない福田政権の弱点が透けて見えるということだろう。

■穏健小泉路線?

 繰り返すようだが、小泉行動改革の軌道修正という“配慮”は小手先のものでしかなく表面的なものに止まるだろう。福田首相は財政再建にしても年金改革にしても財界寄りの姿勢を示唆しているからだ。
 たとえば福田首相は総裁選の時から消費税増税の可能性をほのめかしている。これは類例がない国や地方の借金の解消に向けた財政再建や年金財政での消費増税を念頭に置いているのだろう。が、これは財界の要請でもある。
 かつて小泉政権時代を含めて自民党は高額所得者を対象とした減税や企業減税を進めてきた。まず企業や富裕層が豊かにならなければ活力は生まれない、というわけだ。それが屁理屈だったことは、いまでは底が割れてしまったはずだ。それにほおかむりして大衆課税の性格が強い消費税引き上げを目論んでいるとすれば、「希望と安心」が誰にとってのものかは言わずもがな、だろう。
 年金改革にしても、基礎年金部分の税方式への転換を示唆している。これは民主党の主張と同じであることから、民主党との協調路線を模索しているのでは、との読み込みもある。が、この税方式への転換は財界の年来の主張でもある。労使折半の基礎年金の負担から逃れたいというのが財界の露骨な本音だからだ。民主党の主張とあわせて結局は財界の要求に沿った年金改革を目論んでいることは明らかであり、ここでも財界寄りの姿勢は小泉政権時代以降、ちっとも変わっていない。
 内政での経済・財政政策は小泉政権以来の市場優先型構造改革路線を踏襲するとする福田政権だが、対アジア外交など、対外政策では若干の軌道修正を意図しているように見える。安倍内閣は市場原理万能の構造改革の継承を掲げながら、現実には保守の立場から国家の役割を拡大する方向に梶を切りつつあった。同時に戦前型国家作りをめざすイデオロギー色の濃い復古的な国家主義政策を強行しようともした。
 結果的には二兎を追って挫折したわけだが、福田新政権はそうした安倍前政権による米国との軋轢も呼び込んだ復古型ナショナリズム、あるいは露骨な対中国包囲網路線の修正を意図していると読み取れる。言い換えれば安倍政権で一旦は復古調の国家主義的な対外政策を、若干現実主義に立って軌道修正させる方向性を示唆している。
 こうした福田新政権の性格は一言でいえば穏健小泉路線とも特徴づけられる。新たに発足した自民党四役の顔ぶれなど見れば、小泉路線の精算の意図も見え隠れしているが、橋本政権から始まったグローバリズムの中での新自由主義的な構造改革路線という大きな流れから見れば、そうした選択肢しか取り得ないのが実情だろう。それだけ自民党政権の選択肢は狭まっているわけだ。

■労働者政治を推し進める第三局の形成へ

 それにしても与野党激突といわれる衆参ねじれ国会での双方の看板役者を眺めてみれば、思わず悪い夢でも見ているかの錯覚にかられる。一方はかつての田中派7奉行の一人で、元自民党幹事長の小沢一郎、方や元首相の息子で森内閣と小泉内閣で長らく官房長官の座にいた福田康夫。何のことはない、かつての角福戦争の代替わりが与野党双方の党首に鎮座しての“激突”だ。
 かつて永田町でも語られたこともあった。自民党が圧倒的多数派を独占したら権力をめぐって自民党は必ず分裂すると。目の前に現れた現実はいきさつこそ違え、圧倒的多数派を形成した自民党が分裂し、それぞれ衆参に根城を構えて相まみえている、というわけだ。
 悪い夢はともかく、現実としては衆参での与野党逆転状況で、自民党政治は民主党と折り合いをつけなければ一歩も進まない状況になった。このこと自体は万年与党の座にあぐらをかいてきた自民党にとっては細川政権で下野したことに次ぐ党存続の危機であり、私たちにとっても自民党を追い詰める好機でもある。
 とはいえ与野党攻防の展開によっては恐るべき翼賛体制の扉を開ける可能性も踏めている。
 自民党としては、衆参での与野党逆転国会の閉塞状況を突破するためにいずれ総選挙で政権基盤を再構築する以外にないが、他方では民主党との協議・調整での政策展開を模索することになる。その場合、仮に民主党がそれに応じて妥協する道を選択すれば、その瞬間に国会では自民・民主連合という圧倒的多数派が形成されることになる。仮に連立政権を組むことはなくとも、だ。永田町の一部でささやかれるいわゆる“大連立”はその極端なケースだ。部分連合ということもあり得る。ねじれ国会ではこれまでにも増して何らかの政界再編の可能性を孕んでいる。
 とはいえ、現実には民主党は反自民という有権者の意向に縛られてもいる。そうした有権者の目の前で安易な妥協に走れば、民主党は即、有権者に見放されるだろう。が、保守二大政党制というのは、常にそうした可能性を内包していることを忘れるわけにはいかない。。
 私たちとしては民主党がそうした妥協に走ることに監視の目を向け、あわせてそれ以上に独自の政治勢力の形成に向けて前進していく必要がある。そのためにも、与野党による攻防戦の表面に目を奪われることなく、その攻防戦の階級的な性格や意味合いを正確に理解・位置づける必要がある。
 というのも、小泉政権以降繰り返されたいわゆる二分法政治が幅をきかせてきたからだ。そこではあらゆる場面で赤か白か、生か悪か、右か左か、という二分法が席巻した。メディアによる世論調査やテレビを舞台にした政治のショー化もその一環だった。議席争いの“オセロゲーム”化も、一面ではその反映でもある。
 が、現実政治は二分法で動いているわけではない。“正・反・合”などの弁証法的視点を持ち出すまでもなく、“複眼思考”“重層思考”を大事にしたい。人間社会の動きとは本来多元的なものだし、現実はそうした関係が輻輳したものだ。現実社会は、個々の自立した主体の相互関係が織りなすシナリオのない舞台だともいえる。そうした視点に立ってこそ深い洞察と大局観、長期的展望に立った地に足がついた闘いや運動の展開が可能になる。
 こうした視点も念頭に置きながら、労働者政治をめざす戦略的な第三極づくりをめざしたい。(廣)案内へ戻る


「マレー半島南部、戦争の傷跡に学ぶ旅」(高嶋ツアー)の参加感想文
  
 東京での「沖縄・教科書検定問題」集会の時、高嶋先生に直接会って話しを聞き、この8月のツアーに参加しようと決めた。
 友人からこの高嶋ツアーの意義と内容を聞き、前から是非参加したと思っていた。本当に参加して良かった。豊富な資料と精力的な現地説明をいただいた高嶋先生に感謝したい。
 朝鮮や中国への戦争被害調査に参加した事はあったが、東南アジアにおける日本の侵略実態については詳しくは知らなかった。
 まず驚いたのが、このツアーがなんと通算34回目である事。高嶋先生は高校教員の時代から、百数十回の現地調査に取り組み、マレー半島におけるの侵略戦争・加害研究の先駆者として、また高嶋教科書訴訟の原告として戦争の真実を正しく子どもたちに伝える活動を取り組んでこられた人である。今も、沖縄の「教科書検定問題」でも文科省を相手に大活躍されている。
 8月17日(金)11時30分に成田からシンガポールに飛んで、乗り換え便でようやく21時にクアラルンプールに到着した。その後、日本軍のマレー半島攻撃と同じように、私たちもセレンバン〜マラッカ〜ジョホールバルへと南下していき、最後にシンガポールに渡った。
 マレー半島とシンガポールを占領した日本軍は、マレー半島各地で「敵性華僑狩り」を実施して、多くの華僑(中国人)を殺害している。<「老若男女ヲ問ハズ徹底的ニ掃討」した。第5師団歩兵第11連隊第1大隊命令>
 私たちは、日本軍に殺された人々を慰霊した「殉難華僑追悼碑」(今回は約14ヶ所を訪問したが、マレー半島とシンガポーには約28ヶ所の追悼碑がある)を周った。また、日本軍占領地に設置された「慰安所跡」や731部隊の分遣部隊跡や日本人墓地なども訪
問した。
 日本軍に殺された村の生き残りの被害者から、日本軍はほとんど調査をやらず突然村に侵入してきて村人を皆殺しにした様子などを直接聞くことが出来た。今でも、日本の天皇の戦争責任と国家賠償を追及している被害者の叫びを聞き、胸が締めしけられた。
 まだ戦後は終わっていない。日本はアジアへの侵略戦争の責任を果たしていない。高嶋先生は「戦争責任と戦後責任」と分けて書いていたが、私たち戦後世代は当然「戦後責任」が問われている。この思いを痛感した。
 今回のツアーで学んだことは多い。多くの日本人は太平洋戦争が「真珠湾攻撃」から始まったと思っている。しかし、日本海軍の12月8日真珠湾攻撃(米国には手続きの関係で宣戦布告が遅れたと言われている)の約1時間半前に、日本陸軍は英領マレーのコタバルやタイに上陸作戦を展開した。
 当然、英国や当時中立国の立場をとっていたタイにも宣戦布告はしていないのである。まさに国際法違反を犯して戦争を開始したのである。 
 実際マレー半島に来てみて、当時の日本軍はこんな遠い半島や島まで侵略のために進軍したのか。なぜ、こんな遠い国まで軍隊を派遣したのか。日本にはない石油・各種資源を奪うためであった。石油・資源のないことは昔も今も変わりはない。とするならば、自国にない資源を奪うのではなく、日本は多くの外国諸国と友好関係を結び、資源を分けていただく姿勢を持ち続ける必要があるのではないか。資源が輸入出来ない限り私たちの生活・経済は成り立たないのである。この事をしっかり認識している日本の政治家がどの位いるのか、とても心配である。
 最近では、日本がアメリカと戦争したことを知らない高校生が多くいる事が指摘されている。やはりこれは現在の日本史・世界史といった歴史学習の欠落であり、右傾化している歴史教科書の問題でもある。
 1990年代以降、タカ派的な政治家集団が教科書検定に猛烈に圧力を掛けており、教科書記述が政治的影響を受けている。そのタカ派は今現在「南京大虐殺はなかった」、従軍慰安婦を強制的に徴発したことを示す根拠資料がないから「狭い意味での強制はなかった」、「沖縄における集団自決では軍命令はなかった」と、歴史歪曲を露骨に押し進めようとしている。
 9月29日には、沖縄では「教科書検定問題」に保革をこえて抗議する5万人の県民集会が行われた。私たちは、次の世代のためにも「戦後責任」を果たさなければならない。(E・T)


「ほだな使い方でいいんだが?‐政務調査費‐」

 去る9月15日と16日の両日、山形市・ビッグウイング(山形国際交流プラザ)で第14回全国市民オンブズマン山形大会が開催された。15日午後は基調報告、記念講演、分科会があり、夜には懇親会が持たれた。16日は分科会報告や各地からの報告が行われ、大会宣言や来年開催地が千葉に決まったことなどを確認して、昼過ぎに散会となった。特徴的な内容について紹介し、オンブズの今日的課題を提起したい。

見張り番の仕事
 この1年、オンブズマン活動の大きな焦点となったのが政務調査費支出だった。自治体議会議員の政務調査費支出は従来、その実態が闇に閉ざされていた。これは、議員が好き勝手に使いたいために領収書等を非公開とし、市民によるチェックが出来なかったためであった。こうした税金の乱費があるところ、オンブズマンの出番である。そして、ひとたび情報公開が勝ち取られるや、監査請求から裁判へと議員達を引きずりだし、不当な支出は返還させることになる。
 そうしたなかで、政務調査費を支出する側の議員と、費用を負担する側の市民との認識の相違がどんどん明らかになっている。議員はそれを議員活動全般にかかわる経費として自由に使うことを望み、だから領収書等の公開を拒み続けてきたのである。われわれからすれば、当然それは政務調査≠フための費用であり、支出のすべてが公開されなければならないと主張している。例えば、事務所費用や事務員の雇用、車や携帯の費用、新聞や雑誌の講読など、すべてが対立している。
 その到達点が、大阪府議会議員の政務調査費支出に対する外部監査である。議員一人あたり年額708万円(会派に120万円、議員個人に588万円)という、一般労働者の年収を越える高額となっている。これに対して、見張り番が04年・05年の支出のうち約8億1000万円を目的外として監査請求を行った。大阪府監査委員4人のうち2人が府議で、さらに関係者が1人いたため、外部監査となった。その外部監査で、05・06年度の支出のうち、3億4000万円を返還すべき目的外支出とした。
 見張り番は返還が認定されなかった支出のうち約2億円について7月17日、住民訴訟を提起している。また、返還対象と指摘された議員のなかにも、監査の結果を不服として返還しない議員もあり、これに対して太田府知事が返還請求訴訟提起へと進みつつある。実にすごいバトルとなっているが、政務調査費支出の1円からの情報公開の流れは押し止め得ないものとなりつつある。

仙波敏郎氏の仕事
 警察裏金を内部告発した愛媛県警巡査部長仙波敏郎さんの国賠訴訟が9月11日、松山地裁において全面勝訴した。加戸守行愛媛県知事が控訴したため裁判は続くが、判決は内部告発に対する報復人事に県警本部長も関与していたことや裏金作りの事実も認定しており、その意義は計り知れない。仙波さんは「県警の管理職は判決文を読んで『犯罪を取り締まる』という原点に戻ってほしい。(裏金作りに協力しなかったため)ずっと巡査部長ですが、全く悔いはありません」(9月12日付「毎日新聞」)と述べている。
 04年の函館大会以来、警察裏金問題はオンブズマンにとっても重要な課題になっていた。警察OBによる告発から更に現職による告発を支える組織作りが進められ、05年1月20日の仙波さんによる実名での告発へと進んだ。そして、同年9月の別府大会で挨拶に立ち、「一部のキャリア警察官のために、24万人の警察官のほとんどが不正をしている」と話している。その仙波さんが報復人事を跳ね除け、全国大会直前に一審完全勝訴を勝ち取ったことに、私は大きな感慨を覚えた。

 以上のほかにも幾つかの報告すべき課題があるが、別の機会に行いたい。会場となった山形ビッグウイング、国際レベルのコンベンションセンターをうたう典型的な箱物で、JR「山形」駅からのバスは1日に数本しかない。15日の夜の懇親会に参加したら帰りの足はもうタクシーしかない不便な立地だった。これはこれで、地方の公共交通の問題でもあるのだが、車がなければ生活が成り立たないというのは深刻だ。(折口晴夫)


色鉛筆−民営化で、どうなるの?

 今は高1の末娘が1歳半の時から、郵便局に勤め始めて今年11月で、もう15年目に入ります。娘2人を自転車の前と後ろ乗せて、保育所の送り迎えをしていた頃は、毎日が時間に追われていました。その時と比べると、時間の余裕はあるのに体力・集中力が劣っている自分を感じるこの頃です。
 さて、郵便局が10月1日から民営化に移行、新しい制服は支給されたものの、職場がどうなるのか、管理者からの詳しい説明も無いまま今(9月25日現在)に至っています。4時間雇用で契約し、日々雇用で時間給の私たちには社会保険でさえ加入する資格も無く、使い捨て同然の労働者として勤めてきました。
 民営化に移行が決まってから職員・非常勤に配布されてきた「民営化週報」も、88号を数えました。一方的に配布されるだけで、管理者からの説明は一切無し、文面の終わりには質問・疑問は東京の広報部門広報部宛にメールをと、記してあります。なぜ、現場の管理者に質問してはならないのか? 即答できる判断力がないのかと、疑ってしまいます。
 「民営化週報」84号には、新会社の人事制度・労働条件等の概要が説明されています。社員区分は、正社員・期間雇用社員・短時間社員・高齢再雇用社員の4区分とされ、時給制契約社員から月給制契約社員への登用、月給制契約社員から正社員への登用制度を設けていると、何か誇らしげです。
 休息も満足にとれず、時間に追われる毎日で必死に働かざるを得ない状況に追い込まれている職場は、競争心理も働き、精神的にとても疲れます。以前は郵便の組み立てを終え、みんなが揃うまで待って、全員で昼食をとっていたのが、今ではバラバラでの食事でゆっくり会話もできません。こんな状況なので、新しく入ってきた同僚への配慮ができず、心苦しい思いでいます。
 新しい雇用契約では、私たちは期間雇用社員に区分され、パートタイマーで1〜6時間未満の労働時間になるようです。職場の同僚たちは130万円の枠を超えないようにと、涙ぐましい努力を重ね、なんとか扶養家族でいることを維持しています。私もそうしてきたのですが、今回、郵政の調査で130万円を超える収入となることが判明し、年間約30万円の健康保険・国民年金等が自己負担となるようです。
 そんなわけで、9月に、他局から就任したばかりの課長に、雇用時間を6時間に変更して欲しいと、要望しているところです。忙しいと言う理由でなかなか顔を見せくれません。民営化で、職場がどうなるのか、不安な心境の毎日です。(恵)


「イラク開戦の動機は石油」とグリーンスパン前FRB議長が『回顧録』で暴露する

 米連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン前議長は、九月十七日に発売される回顧録『The Age of Turbulence: Adventures in a New World(激動の時代)』の中で、「イラク戦争は原油の利権確保のために始められたようなもの」とブッシュ政権を批判していると報道されました。ロックフェラー氏は怒り狂っているともいわれています。
 FRB議長時代の同氏は、政治的な発言をほとんどしないことで知られていました。しかし、議長辞任から一年半を経て、今回出版される『回顧録』では、ジョージ・W・ブッシュ大統領の経済政策についても批判しており、「制御不能な歳出を拒否しようとしない事が、大統領の最大の失点だ」などと指摘しているとも伝えられています。それゆえに「金融の神様」とまで讃えられた彼の証言には、千鈞の重みがあるといわざるを得ません。
 九月十六日、これに動揺したロバート・ゲーツ国防長官は、全米ネットのABCテレビで、イラク戦争が原油をめぐる利権争いだとするグリーンスパン氏の主張に対して、「一九九一年の湾岸戦争時にも同じことが言われたが、そうした主張が正しいとは思わない。イラク戦争はあくまで湾岸地域の安定化とイラクの大量破壊兵器開発計画を阻止するものだ」と慌てて反論しました。真実はどちらにあるのでしょうか。確認したいものです。
 その他、『回顧録』は、一九八七年のブラックマンデー、ネットバブル、二00一年の九・一一米同時多発テロに伴う経済の混乱について、また自分の幼年時代やジャズ・ミュージシャンをやっていた若い頃の回想も含んだ非常に多彩な内容と評価されています。
 私は、是非とも早急な翻訳本の刊行を期待しています。   (稲渕)


 泥棒にも三分の理

 1.3日前のスーパーモーニングで、お役人の年金ネコババの犯罪を弾劾したついでに、盗みは絶対の悪≠ニ結ぶ。私は最後の結語に抗議する。戦後の下山事件にも似た事件が、福岡で最近起こったことをお忘れではあるまい。52歳の男性に労働を強要して、生活保護打ち切った。この男性、餓死してしまった。「おにぎりが食べたいなあ」という言葉を残して。私ならば、肉体の苦痛は犯罪だと思うから、お弁当なり何なり盗みにはい出るだろう。
 ごく近い過去、沖縄では、日本政府もアメリカ占領軍もみすてた沖縄島民は、地形も変わってしまい、(私は沖縄で『国敗れて山河あり』と、杜甫の句を口にしたら右翼に間違われたらしい経験がある)白骨しかない島で、生きる≠ノはあるところから持ってくる¢シに何が出来たであろうか。
 あるところから持ってきた&ィと、生きるべく生活必需品とを交易した密貿易の女王とされた、沖縄の「ナツコ」を尊敬する。小さなサパニで海を渡るのに、ザーマスなんてお笑いだ。荒々しい言葉使いで当然だし、そのコトバはダイヤモンドより光り輝いている。言論人のなんて薄っぺらなことと、イヤになった。見えないものを見抜けない情けない日本の言論人たち。恥ずかしい限り。
 あっちと言えば、だーとあっち、こっちと言えば、だーとこっち、大合唱≠フもろさを目に見せつけられているようで、うんざり。かつて沖縄では、盗んだ品物のことを戦利品≠ニ言ったとか。銃をもった米兵の目をかいくぐって盗んでくるのだから、命がけにちがいない。だから体をはっての戦い、だから戦利品≠ネのであって、沖縄では戦争が終わっていなかったと言えよう。
餓死するか、盗んででも生き続けるか、あなたはどちらをとるか。盗みは絶対の悪≠ニされる方々よ。個々の人々が担える自己責任の限度を明確にしないで、絶対の悪≠ニみなすのは、オカミの責任を問わぬおめでたい方々としか、言いようがない。これを明確に制度化することも無いままに、陪審員制度による裁判なんて百害ありはしないか、と危ぶむ。最近の刑事事件もののドラマでも個人の責任、モラルを問う傾向が強い。芸能人の方々もしっかりしてよ。
 私は以上のように考える。われらみなアイヒマン≠フ著者は思考することを止めたが故の上意下達が徹底することが、かっての悪夢をまた可能にすると警笛を鳴らす。この意見に私も賛同する。肉体を痛めつけるのは、こうした精神をひねりつぶすためであることを銘記されたし。
 戦争がひとたび起これば、(広島の戦争)人は思考力を失い機械の如く動き、勝った方も負けた方も人が死ぬ。だから戦争だ。
2007・9・5 夜 宮森常子

(おまけ) 役人の年金ネコババ事件で、ネコが機嫌を悪くする。ネコは苦労してオサカナを入手するのだから。もっとも戦後すぐのネコだが。ついでに、大阪の史跡を紹介しておこう。大黒町に大国神社というのがあって、境内に木津なんとか氏の銅像が立っている。彼は、なんでも秀吉時代の大阪城の財務官で、戦乱の後の民の食糧難に城内の米を配り、ついには自腹を切って米を買い与え、大阪城のご金蔵破りをやって米にかえ放出した。そのトガで彼は処刑されたとか。それが木津なにがしか氏の像である。大塩平八郎が現れるずっと昔のお話。宮森
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