ワーカーズ355号  2007.10.15.   案内へ

自衛隊はインド洋とイラクから今すぐ撤退しろ!
新テロ特措法を廃案に!衆議院を解散せよ!


 インド洋で給油活動についての国会論戦が始まった。参議院総選挙の敗北で生じた衆参の「ねじれ」国会を日本政府は、強行突破しようとしている。「給油活動ができなくなる」となれば、国際社会で日本は孤立するとの強弁で事態を収拾する腹づもりのようだ。
 全くあきれた論拠である。本当にそれが事実であれば、参議院での敗北後も粛々とテロ特措法の審議を計画的に行なわなければらなかった。安倍外遊や安倍の突然の辞任で政治的空白期間を生み出した事をいかに説明するのか。言うそばから嘘はばれているのだ。
 この間決定的な事実が発覚した。外務省の働きかけで、アフガンに展開する国際治安支援部隊の任務を一年間延長する決議が国連安保理で採択された。ロシアは、決議の本来の目的である国際治安支援部隊の任務延長を、米国主導の対テロ作戦「不朽の自由」とは区別して「(『不朽の自由』の有志)連合の活動は国連の枠外のものだ」と言い切り、「過去の国際治安支援部隊の任期延長決議に盛り込まれなかった『不朽の自由』に言及する理由が不明確」と棄権した。自衛隊の活動目的と「謝意」強要の小細工は決定的に暴露された。
 また実際の給油量が四分の一の過小発表である事と給油された艦のイラク戦争への参戦も明らかになった。さらにイギリス・カナダ・ドイツが国際治安支援部隊の任務として地方復興を行っている最中の「不朽の自由」作戦の空爆はそのすべてをぶちこわし、アメリカに対する憎悪は増大し、アフガン情勢は六年前より悪化している事が明らかになった。
 今私たちに求められているのは、憲法違反の海外派兵とアメリカの軍事活動への支援活動の即時中止と速やかな撤兵である。反対の世論を大きく作り出さなければならない。国会での論戦においては、自公連立政権の憲法逸脱をとことん糾弾して闘い抜く事である。
 労働者民衆の大衆行動を至る所で組織し、国会内での闘争と結合して、自公連合政権の新テロ特措法を廃案に追い込み、一気に衆議院の解散に追い込もうではないか。(直記彬)


“対テロ戦争”の落とし穴――国家の暴力は善なのか――

 対テロ特措法に基づく海上補給活動の期限切れが迫り、その継続の是非が焦点になっている。
 参院で法案成立の主導権を握った野党の中心に位置する民主党は、参院選で勝利した直後から小沢代表自身が法案延長に反対の姿勢を鮮明にしてきた。
 07年体制とも称されるこうした構図の中で対テロ特措法の継続は絶望視され、海上補給動が現実にストップするかどうかのせめぎ合いが緊迫度を増している。実際に補給活動が停止されることになれば、対米関係はじめ日本の国際的立場は大きく変わる。このこと自体、対米一辺倒だった日本の外交姿勢の大きな転換点になるし、日本の将来を左右する大きな転機にもなる。
 民主党の反対姿勢が現実政治に大きな影響を与えることのなった結果、それに応じて民主党バッシングも厳しくなっているが、民主党の変身を許さない監視の目を強化するとともに、その民主党の態度自体に含まれる落とし穴にも目を向ける必要がある。
 落とし穴に目を向けたいというのは、対テロ戦争にしても対イラク戦争にしても、国家の目線からの対外活動とは一線を画したいわば労働者・市民の目線からの国際連帯の重要性を考えたいからだ。国家の目線というのは、対米武装闘争を単なる“反米テロ”と捉え、その掃討作戦を“対テロ戦争”だとするものだ。その根底には国家に対する暴力を一方的に悪とし、それを掃討する国家の暴力を善とする立場が貫かれている。“対テロ戦争”という観点に立つ限り、アフガンにしてもイラクにしても本当の解決は見えてこない。

■対決構図の転換

○民主党の補給活動の停止に関する姿勢そのものは以前から主張していたことであり、イラク特措法の廃止も含めた見直しなども参院選での民主党のマニュフェストにも明記されていた。そうした政策も含めて参院選で勝利したともいえるわけで、対テロ特措法の延長問題での民主党の反対姿勢は当然のことだ。
○しかし参院選後に雑誌で発表された小沢論文を期に、対決構図は様変わりした。小沢論文はインド洋やアラビア海での補給活動にかえてアフガン国際治安支援部隊(ISAF)であれば国連決議にもとづく国際貢献活動になりうるとして、いわば国際貢献活動自体は推進するとの立場からテロ特措法の停止を打ち出したからだ。
○こうした小沢代表の方針によって、国会情勢はある種のねじれ構図が出現することになった。すなわち米国一辺倒を批判する小沢民主党が、対米補給活動を継続したいとする自民・公明の与党以上に武力行使に接近するアフガン国際治安支援部隊に積極的に関わる姿勢を打ち出したからだ。というのも、現実のアフガン国際治安支援部隊というのは、地上軍などによるアフガン国内での対テロ掃討作戦、治安維持の活動を含んでおり、実際上、戦闘地域での武力行使の可能性を含んでいるからだ。
 なぜそうした姿勢を打ち出したのか。それは必ずしも一貫したものではないが以前から小沢代表が、武力行使も含めた国際貢献自体には積極的な姿勢を表明していたからだ。今回も同じだ。その背景には、補給活動の対象となっている米国の対テロ掃討活動、いわゆる「不朽の自由作戦」が国連決議を受けての武力行使ではなく、あくまで米国の個別的自衛権にもとづくものだとする小沢代表の政治的立場がある。そうした立場からの対米補給活動の対する批判は、一面では自民党の対米一辺倒の外交姿勢に対する痛烈な批判であると同時に、普通の労働者・市民の観点からの対外関係の展望とは大きな違いがある

■,開き直り

 周知のように、対テロ特措法をめぐる対決構図の中で、その中軸を占めるインド洋やアラビア海での補給活動自体のずさんで欺瞞的な現実が浮き彫りになっている。日本の補給艦による米国の補給艦への補給が、対テロ特措法に規定された目的に反して間接的に対イラク戦争に転用されている現実が暴かれたからだ。このこと自体はピースデポという市民団体の執念による調査で分かったことで、そのこと自体高く評価されてしかるべきだ。
 実際、インド洋やアラビア海、あるいはペルシャ湾内も含め、対アフガン掃討作戦と併せて対イラク戦争を展開する米国艦隊の活動が、両者を明確に線引きしているとはとうてい考えられない実情にある。とりわけペルシャ湾での活動はあいだに米国と対峙するイランがあり、その上空を侵犯してアフガンにまで空爆に行くことは常識的に考えられないからだ。
 実際、今回明らかになったように、日本の補給艦「ときわ」が補給した米国補給艦ペコスは、直後に米国空母のキティホークに補給し、そのキティホークはペルシャ湾内の奥深くで対イラク攻撃作戦に参加した。しかもその時期がまさに対イラク武力行使が開始される直前だったこと、さらに日本の補給活動のピークが対イラク戦争が開始された時期とぴったり一致していたことなどを考えれば、なおさら転用疑惑はまさに現実だったと受け止めることが自然だろう。
 米国は10日、間接的に日本の補給を受けたキティホークは、補給料に見合った3日間は対アフガン作戦に従事し、対イラク戦への流用はなかったと回答したと日本政府に回答したという。詭弁と言うほかない。米空母はその後ペルシャ湾の奥深く、イラクに接近した洋上で作戦に従事しているからだ。
 仮に日本政府が米国の回答を承認するとすれば、これまた開き直り、日米間の出来レースというほかはない。これはかつて小泉元首相が米艦船からミサイルが発射されただけではそれがどこに飛んでいくのか分からない、と開き直ったのと同じだ。最初から対テロ特措法にもとずく補給活動は、それほどにうさんくさい代物でしかなかったわけだ。
 こうした茶番劇を含めて、防衛省をはじめとして、当の日本政府がそのことを知らなかったとはとても思えない。こうなることは熟知した上で、ただテロ特措法を通したいがためにその活動を限定したものに装ったこと、実際の活動内容が漏れた場面での言い逃れ探しでしかないことは十分推察できる。こうした姑息なやり方に軍事機密の口実が使われ、国民を暴き続けてきたのも国家の論理優先のなせる技という意外にない。国家の論理とはそれだけうさんくさい物であり、それだけいい加減なものである。

■欺瞞的な“対テロ戦争”

 こうした経緯からしても、対テロ特措法の欺瞞制は明らかだし、そうした法律違反も確信犯的に犯して恥じない政府・防衛省の補給活動は直ちに停止すべきだ。そうした補給活動の停止要求は実現するまで貫かれなくてはならない。そうした現実政治の攻防戦で手をゆるめてはならないのは当然として、ここではそうした対テロ戦争という枠ぐみ自体を再検討する視点について考えてみたい。
 というのも、先に触れたように、民主党の対案というのが、与党が継続する海上補給活動以上に海外での武力行使に直結するアフガン復興支援活動に参加する姿勢を打ち出しているからだ。
 なぜ小沢民主党代表がそうした対案を打ち出すのかと言えば、小沢代表自身がかつてから日本の“国益”の実現のためには国際貢献が不可欠であること、その国際貢献とは国連決議に象徴される国際世論のお墨付きを前提条件としているからだ。そうした前提条件がクリアされれば、海外での武力行使も許されるし、それが日本の国益の実現につながるという立場だ。
 果たしてそうした立場が本当に日本の“国益”につながるのだろうか。むしろ“国益”という観点そのものに陥穽はないのか、ということである。
 あの9・11以降、いわゆる“対テロ戦争”という概念規定、いわば大義名分は一人歩きを続けてきた。もちろん米国内外でその根源的批判は繰り返し表明されてきたし、現にアフガンやイラクでの多くの人命が虫けらのように殺され続けている現状をふまえた批判はいっそう拡がっている。
 しかし参院選後の日本での議論においては、少なくとも自民党など与党と民主党の間での論争の中ではそうした“対テロ戦争”という基本的な土台自体を問う議論はほとんどない。むしろ米艦船への補給がイラク戦争に流用されたのではないかという疑惑など末枝末葉の論点に偏っていると言わざるを得ない。それだけ民主党の姿勢が政局がらみの表面的なものに止まっていることの反映でもある。
 現実はどうだったか。
 いまではあの9・11はすべての出発点であったかのように語られるケースが圧倒的に多い。しかし現実にはあの9・11は、米国とフセインのイラク、あるいはアルカイダのビンラディンとの間で織りなされた長い物語の結果でもあった。
 思い起こせば、アフガンのソ連の傀儡政権に対する米国による工作の先兵としてビンラディンにテコ入れをしたこと、それに対イラン封じ込めのためのイラクのフセイン体制にテコ入れしたことなどだ。そうした関係の清算もしくは相互離反の公然・隠然を問わないいきさつがあの9・11となって暴発した、というのがおおざっぱないきさつだった。
 こうした経緯を見れば、米国をはじめとして国家の論理というのはきわめて冷酷且つ行き当たりばったりだった。それが米国の“国益”に沿ったものだったと考えられたとしてもだ。
 考えてみれば、米国によるイスラエルべったりの中東政策、あるいは米国の“国益”最優先の対イラン、対イラク政策そのものがビンラディンをして反米武装闘争に駆り立てたともいえる。その結果が、片方は“国家”を背負った暴力を行使し、方や非政府の武装勢力を組織しての反米武装闘争だ。その後の状況は周知のとおりだ。国家を背負った米国は法的正統性を武器にしてアフガンやイラクで大手を振って武力掃討作戦を展開し、数知れない“誤爆”や“無差別攻撃”で多くの罪なき人々を殺し続け、イラクでは結果として10万人規模の一般市民を含む人が殺される内乱状態をもたらした。
 いま日本の政府や右翼ジャーナリズムは、補給活動から撤退することはテロ勢力の増長をもたらすだけだと補給活動の停止の主張を攻撃している。しかし米国によるまず“武力行使ありき”の姿勢そのものが自らの武力行使でアブガンでもイラクでも内乱状態をもたらし、結果としてテロ活動を増殖してきたことを棚上げにしている。逆説的にいえば、アフガン攻撃の前に、あるいはイラク攻撃の以前に毎月何十件もの米軍や宗派間での“自爆攻撃”があったのか、アラビア湾やインド洋で、護衛艦に頼らなくてはタンカーが行き来できなくなったのはいつからなのか、それらはすべて米国による対アフガン、対イラク戦争以降の話ではなかったのか。
 こうした現実を考えればなおさら対アフガン攻撃、対イラク戦争も含めて“国家の暴力”の孕む危険性に目を向けざるを得ない。民主党の提案も含めて、それを棚上げにした“対テロ戦争”ほど危険なものはない。

■“善隣友好関係”の視点

 国内政治の観点で見れば、政局の問題を含めて対テロ特措法に基づく海上補給活動の停止問題はある意味で日本の対外姿勢のターニングポイントになりうるものだ。が、そうした観点とは別に、あるいは私たちにとって“日本の選択”や“国益”の観点以上に重要なのは、国家の論理とは区別された、普通の労働者や市民の目線での交流・友好関係づくりだろう。一人一人の労働者や市民の関係として考えれば、窃盗や強盗や殺人事件などの個別的な刑事犯罪をのぞけば、お互いに殺し合ったり傷つけ合ったりすることはないはずだ。
 問題はそうした国際交流、連携関係がきわめて小さいことだ。石油利権や開発、対外投資や海外工場や支店など、企業活動ではすでに国境の壁を超えている。当然、労働者やビジネスマンも国境を越えて行き来し、相互の旅行者も増えている。それがそのまま国際連帯につながっているとは必ずしも言えない。そうした交流や連携が太くなり、お互いの顔が見える関係づくりが進めば、善隣友好関係の糸も太くなる。そうした連携関係を引きにして“国益”のぶつかり合いに対抗する手段をも手にすることが出来る。
 いま米国でもイラクからの撤兵を求める声が拡がっている。日本とは違い、公然と戦争を遂行している国でさえ、だ。アフガンやイラクでの米兵の“戦死者”の増加がその背景にある。もちろんベトナム戦争時の反戦闘争の経験もあるだろう。そうした“戦死者”の激増を背景とした反戦闘争はできることならしたくない。そうではなく、現に進展する人々の国境を越えた交流と連帯を背景とした反戦・平和の闘いこそ推し進めるべきだろう。
 こうしたことを考えれば目前の政策選択で自民党などの与党と政府の対米協力ありきの“対テロ戦争”路線と対決することと合わせ、自前の国際連帯のパイプを太くすることを平行して追求すること、こうした視点の重要性も再確認できるだろう。(廣)案内へ


軍拡と先制攻撃に道開くパトリオット配備を許すな!

■右翼の妨害をはねのけ元気に闘われた集会とデモ

 9月30日、千葉県内において、ミサイル防衛計画と新型パトリオットミサイル(PAC3)の習志野基地への配備に反対する第1回目の市民統一行動が行われた。
 当日は雨の降る肌寒い日であったが、午後1時から津田沼駅近くの公園に続々と労働者、市民、自治体議員などが集まり、集会が開始された。集会では、このかんミサイル防衛配備反対の運動に取り組んできた千葉県内外の様々な市民団体から、それぞれの具体的な活動の報告、パトリオットミサイル配備の危険性などについての発言が行われた。また福島瑞穂、山内徳信、糸数慶子各氏など国会議員からの力強い連帯のアピールが寄せられた。
 集会のあと、二つのデモが連続して行われた。
 最初のデモは津田沼駅周辺の繁華街において行われ、雨の中を、街を行く市民に向かって「パトリオット配備反対」の訴えが行われた。
 津田沼駅周辺のデモの後、集会参加者は電車で自衛隊習志野基地の最寄り駅である薬園台駅まで移動し、二つめのデモに取り組んだ。デモは、薬園台公園を出発し、パトリオット配備が計画されている自衛隊習志野基地前で抗議と申し入れが行われ、続けて基地周辺の街を行進し、基地の街の市民・住民への「ともにパトリオットミサイル配備に反対しよう」との訴えが行われた。
 この日の行動に対しては、集会の開始前から、習志野基地への抗議・申し入れのデモが終わるまでの間ずっと、何台もの右翼の黒塗り宣伝カーがつきまとい、大音量の罵声や進行妨害などで市民の行動を妨害しようとした。しかし参加した市民は、こうした脅しや妨害や挑発をものともせず、集会とデモを最後まで意気軒昂に貫いた。

■戦争の恐怖、生活破壊、民衆の自由抑圧をもたらすミサイル防衛計画

 アメリカ政府が推し進め、日本政府が参加しようとしているミサイル防衛計画は、様々な問題を引き起こそうとしている。
 その最大のものは、このミサイル防衛計画が、「防衛」の名とは裏腹に、世界の軍備拡張競争にいっそうの拍車をかけると同時に、相手国への先制攻撃を引き起こす可能性を高めざるをえないという点にある。このミサイル防衛計画は、これまでの「抑止と均衡」というそれ自体恐るべき軍拡正当化理論であった軍事理論・戦略理論にさえ背いて、「相手の反撃をおそれずに先制攻撃を仕掛けることが可能な力を手に入れよう」「そのことを担保に世界覇権と世界支配を確実なものにしよう」との軍事戦略にもとづいて行われようとしているものなのだ。事実、アメリカが推し進めるこのミサイル防衛計画は、すでにロシアや中国などの対抗的な軍拡を生み出してしまっている。
 またこのミサイル防衛計画は、途方もないカネ食い虫でもある。アメリカのランド研究所は、ミサイル防衛計画の日本への導入だけで、5兆9千億円もの経費が必要とされることを明らかにしている。アジア全体、世界全体を覆うミサイル防衛を想定すれば、さらに巨額の富がこの軍拡計画に投げ込まれようとしていることは確実だ。こうした巨大な政府需要を人為的に産み出し、これにアメリカや日本の軍事産業=死の商人たちががほしいままに群がろうとしているのだ。
 こうした軍拡計画が、労働者・庶民の生活に何をもたらすかは明らかだ。世界の緊張激化と戦争への絶えざる不安の高まり。それを口実とした国家主義やナショナリズムの煽動、権力者たちの支配力の強化と勤労者・市民の権利の制限や自由の抑圧。そして「平和あっての国民生活」「国家あっての国民」などと言いつつ推し進められる、一方での増税などによる大衆収奪と他方での社会保障や福祉の切り捨ての進行。

■ミサイル防衛計画、PAC3配備に反対の声を

 私たちは、こうしたミサイル防衛計画、その一環としていま全国で計画されている新型パトリオットミサイル・PAC3の配備に断固として反対する。戦争を現実化させる危険性を持ち、そして労働者・庶民の暮らしをますます悪化させ、国家と癒着した権力者や企業家の支配力強化と民衆の無力化をもたらすことが必定のPAC3配備計画に対する反対行動を、PAC3配備が計画されている地域の市民も、そうでない地域の市民も、ともにこの推し進めていこう。
9・30パトリオットミサイルはいらない!第1回市民統一行動集会アピール

 日米両政府は、昨年最終合意に至った「米軍再編のためのロードマップ」に従い、日本国内の米軍と自衛隊の統合と軍事力の増強を強引に推し進めています。その一環として、この千葉県でも海外への戦力展開とテロ等への対応の実戦部隊として「陸自中央即応集団」3部隊が置かれ、米陸軍統合作戦司令部(UEX)との統合運用が予定されています。そして、航空自衛隊習志野基地には、3月の入間基地に続き、ミサイル防衛のためのパトリオットミサイル=PAC3がこの秋にも配備されようとしています。
 本日、私たちは9月1日の習志野基地への申し入れ行動に続き、「パトリオットミサイル配備」に反対する市民の意思を広く訴える集会を持ちました。軍事力によらない平和を求める市民の連帯は、千葉県内を越えて広がっています。

 私たちは繰り返し訴えてきました。
 ・日本のミサイル防衛への参加は、日本国憲法の平和主義の理念・精神を根底から覆すものです。
 ・日本と韓国、そしてポーランド、チェコへのミサイル防衛の展開は、ロシアと中国の軍拡を現に促進しつつあります。米軍再編は、軍事力に頼らない安全保障を前提とする国連憲章に抵触し、アジア地域の軍事的不安定をもたらすものです。
 ・ミサイル防衛は技術的に未完成であり、実際の「防衛」には役に立たないだけでなく「技術革新」の名目で多額な費用をこれからもつぎ込まなければなりません。テロ攻撃の危険性を高め、市民生活を圧迫するミサイル防衛で利益を得るのは、日米の軍需産業だけです。

 本日集まった私たち平和を愛する市民は、このミサイル防衛と米軍再編の問題点を改めて確認し、習志野基地へのPAC3配備、これに続くミサイル防衛の整備、米軍再編の強行に強く反対します。米軍再編に反対する神奈川県内の市民の闘い、岩国をはじめとする全国の米軍基地に対する市民の闘い、そして何よりもねばり強く闘い続けている沖縄の市民の闘いとの連帯を、ここに強く表明します。

 習志野基地へのPAC3配備を中止してください。
 入間基地のPAC3の首都圏展開訓練はやめ、入間基地から撤去してください。
 アメリカのミサイル防衛計画、米軍再編計画に組み込まれた「新防衛大綱」を見直し、自衛隊の戦力縮小を求めます。

2007年9月30日
パトリオットミサイルはいらない! 第1回市民統一行動参加者一同


反戦通信−16・・・「沖縄の9.29県民大会」報告

 9月29日の「『教科書検定意見撤回を求める』沖縄県民大会」に11万6000人の沖縄県民が結集した。まさに、沖縄県民の怒りが爆発した。
 1995年10月21日の米兵による少女暴行事件に抗議する県民大会9万人を上回る復帰後最大の抗議集会となった。
 当日は実行委員会構成団体の22団体と共催団体247団体の頑張りで、「おじい」「おばあ」も「おとう」「おかあ」も「息子」「娘」も「孫」も、まさに世代を越えて結集した。なぜか高校の野球部の生徒が多く参加していた。確認したところ、全国選抜大会の出場のかかった県大会の大詰めの試合があったが、この県民大会への参加を優先して、試合日程を延期したとのこと。それぞれの人がそれぞれに努力をして、この県民大会に結集した事をひしひしと感じた。それは、当日のカンパ総額が678万9,736円も集まったことにも現れている。
「集団自決」の生き残りの証言者や沖縄戦で地獄を見た年配者の発言は、ともに事実を明確に示しその訴えには真の迫力があり、胸に強く迫るものがあった。この「おじい」「おばあ」の迫力と力の原動力は一体何であろうか?と自分なりに考えてみた。
 それは、太平洋戦争において唯一の地上戦を経験し、本土の「捨て石」とされた沖縄県民の痛みと無念さではないかと。その中から「再び戦争を起こしてはならない。再び子どもや孫にあの悲惨な経験をさせたくない」との強い決意を感じる。
 また、沖縄戦で同世代の多くの人たちが無念に死んでゆき、生き残った人たちは「なぜ、私だけが生き残ったのか」を自問してきたという。その苦悩の中から「自分の生があるかぎり死んでいった人たちの声を代弁していく。それが使命だと思う」と述べた沖縄戦の生き残り女性の発言は忘れられない。
 当日の高校生の発言も胸を打つものがあった。「記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を体験したおじいやおばあたちがうそをついていると言うのか」と怒る男子高校生。将来日本史の先生になりたいという女子高校生は「うそを真実と言わないでください。次の世代の子どもたちに真実を伝えたい。醜い戦争を美化しないでほしい」と訴えた。
 戦争への道を断固拒否する「おじい」や「おばあ」を見て育った若い世代は、「学び伝える」沖縄教育の中で真実を学びそして行動している。
 この県民大会に衝撃を受けた政府及び自民党は手のひらをかえすように“理解”を示し、「今度の県民大会の結果を重く受け止めている」などの答弁をしている。しかし、「審議会の決定に介入できない」とのウソと詭弁を繰り返した文部科学省の責任は重い。この文科省の責任を明確にしない限り、この問題の解決はない。
 最後に、県民大会の実行委員会が県民にアピールした文章を紹介する。沖縄戦を経験した沖縄県民の気持ちがよく現われている。(若島三郎)

 「砲弾の豪雨の中へ放り出され 自決せよと強いられ 死んでいった沖縄人の魂は 怒りをもって再びこの島の上を さまよっている」
 「いまだ砲弾が埋まる沖縄の野山に 拾われない死者の骨が散らばる 泥にまみれて死んだ魂を正義の戦争のために殉じたと 偽りをいうなかれ」
 「歴史の真実をそのまま 次の世代へ伝えることが日本を正しく歩ましめる 歪められた教科書は 再び戦争と破壊へと向かう」
 「沖縄戦の死者の怒りの声が 聞こえないか 大和の政治家・文科省には届かないか 届かなければ 聞こえなければ 生きている私たちが声を一つにして 押し上げ 訴えよう」<9.29教科書検定意見撤回を求める県民大会実行委員会>案内へ


引き続き郵便労働者として

 郵政公社が民営化され、私は国家公務員から、めでたくも郵便事業会社の社員に変身した。配達先でも、「制服変わったんや」とかよく言われる。しかし、この新しい制服、黒が基調になっていて、それでなくても暗い職場がさらに暗くなってしまった。「暑そうだね」と声をかけられたこともあったが、確かに暑苦しい感じで、夏場はどうなるのだろうと思う。
 その一方で、ポロシャツになったので、ネクタイは必要なくなった。私はこれまでもネクタイはしたことがなかったので関係ないが、他の労働者にとっては負担が一つでも減ることになり、喜ばしいことだ。ついでに、これも私は着けたことがない名札はというと、icチップ内蔵となり、これを身に着けていないと仕事が出来なくなった。
 それというのも、局舎に入るのも、扉を開けるのもこのicチップ。情けなくも、この名札を家にも持ち帰らなければならないし、職場では首から提げてなければならない。もっとも、邪魔なので、胸のポケットに入れてることが多いのだが、職場を移動するときはこれをかざさなければならないので実に面倒だ。
 しかし、この局舎≠ニいうのは郵便局会社の所有になったから、そこに間借りしているようなもので、配達先でも「郵便局」と言っていけなくなった。「日本郵政事業会社」と名乗ること、それもニッポン≠ナあってニホン≠ヘダメだそうだ。もうこの段階でウンザリしてしまって、完全に戦意喪失。せめて、気持ちよく郵便配達させろよと思う。
 さて、民営化で大きく変わったのは、携帯端末に決済系が付け加わったことだ。現金は現金出納機で行う、代金引換郵便などの現金の取扱いは携帯端末に記録する、3万円を超えたらプリンタで領収書を印刷して収入印紙を貼る、など。さいわい、まだこれを扱ったことがないが、どうなるかわからない。実際、税付郵便を配達したとき、端末での入金記録がうまくいかず、受取人を前に局に電話をかける始末だった。
 それより悲惨だったのは、9月末の夜勤のときだが、夜の11時を過ぎても配達が終わらず、帰宅時には終電車もなくなってしまったときだ。50代半ばで強制配転にあい、わからないところを頼りない地図だけで、しかも日が暮れてしまえば、郵便を配達するどころか、迷子になってしまう。もう居直って11時過ぎまで配達し続けたのだが、さすがに、これには管理者連中も困ったようだ。
 夜勤は今もしているが、応援が入ることもあるし、幾分は慣れたので遅くても10時頃には終わるようになった。民営化にかかわらず、働き続けるにはあれこれのの困難がつきまとう。それでもあと数年、郵便配達にこだわり続けたい。         (晴)


スタートした年金分割制度

私事ですが、年金もまるで他人事、という時期は過ぎて切実な問題となる年令になってきました。今回、兵庫県内で活躍中の社労士・高見香織さんの話を聞く機会があり、ぜひ読者の皆さんにも紹介したいと思います。
 そもそも老後の生計を支える年金が、どれくらいの支給額になるのか? 個々人の現役時代の年金の種類・掛金額・年数で異なるはもちろんのことですが、2005年家計調査年報では、夫婦2人で166553円が平均支給額となっています。しかし、消費支出が平均212137円と赤字会計となり、貯金の取り崩しで何とか家計が成り立っている状態です。さらに、深刻なのは、25年間掛金した基礎年金支給額は66000円しかない独居老人の生活です。いかに不安定かは、家賃・光熱費を差し引けば一体、食費にいくら回せるのかを見れば、一目瞭然です。病気も出来ない、そんなギリギリの生活を強いられる日本の社会は、健全さを欠いてしまっているといえます。
 ところで、今年4月の年金分割制度が始まって、どう変わったのか? 分割制度開始後、1ヵ月で社会保険事務所などへの相談件数が11957件もあったそうです。それだけの反響のある制度とは? 離婚をした妻にも、基礎年金プラス夫の厚生年金の最大半分を受け取ることが出来る、というものです。しかし、これには夫婦間での合意が必要です。合意が出来ない場合は、調停等の裁判所での手続きで分割割合を決め、その割合に基づいて年金分割をすることができます。しかも、分割可能な期間は、離婚から2年間で、それを過ぎると分割できないという制限がつきます。相当な精神的なプレッシャーが圧し掛かって来そうです。
 そして、2008年4月には「3号分割」というやり方で少し内容が変わります。「分割される側」が国民年金第3号被保険者であった期間が、分割対象期間となります。夫である「分割する側」の同意を必要としない、つまり妻からの一方的な請求により分割できることになります。そのうえ、離婚から何年たっていても、分割することができるのです。専業主婦という経済的な自立が困難な女性たちには、心強い「分割制度」と言えるでしょう。
 ここで忘れてはならないのは、働く女性(1号、2号被保険者)と扶養される女性(3号被保険者)との不公平感は解消されないままであることです。3号被保険者が保険料を負担せずに年金がもらえる基礎年金制度がある以上、給付と負担に関する不公平は今後も維持されることになります。最近のこと、私も3号被保険者から1号に変わらざるをえず、月額14100円の国民年金の支払いが、大きな負担だと実感しました。
 社労士の高橋香織さんは、40歳になったばかりで離婚も経験された女性です。自立した女性を感じさせ、社労士という仕事に適任という印象を受けました。会場からの質問にも丁寧に分かりやすく返答され、とても好感が持てました。社労士という職は、労働者に助言し勇気を与えるとても価値ある仕事だなあと、つくづく実感しました。まだまだ教わることがいっぱいです。        (折口恵子)


コラム 転職 “TRUCKER”

 六十才の定年間近に、三十八年と十一ヶ月勤めた郵便局を退職して、中小の冷凍倉庫会社の運送部門に再就職した。いわゆる“トラック野郎”(近年女性ドライバーも増えている)になったわけである。年齢や肉体的なことを考えればもっと違った選択もあっただろうが、長年、郵便配達という仕事をしてきて、嫌だとかつらいとか思ったことがなかった。自分では天職的な仕事と思っていたが、少し飽きも来ていたし、今後はいろいろな仕事をしてみたいという思いもあって、体力があるうちに?同じ運送という職業を、選んでみた。
 再就職して二ヶ月が過ぎ、だいたいの仕事の内容や仕方が理解し一人で出来るようになってきた。荷を積んで目的地に荷を降ろしてひと仕事が終わるという作業は郵便配達と基本的にはほぼ同じ作業だが、配達件数こそ少ないが、荷の重量や走る距離など何十・何百倍もあり、それに深夜の夜間長距離運転など、不慣れさもあってか、肉体的・精神的負担はかなりきついものである。
この入社した会社(私は入社したばかりで会社の全容をよく知らないのだが)の運送部門には管理者の部長と四から五名(定員が何人なのか不明だが今は四名)の運転手がいるだけ、労働組合もなく、正社員は部長のみで、運転手は全員正式な社員ではない。ほぼ一年単位の契約社員で、一日の勤務時間は決まっておらず、“やっつけ仕事”で、給料は一日一万円(三ヶ月の見習い期間中九千円、長く勤めている人は一・二千円プラスがあるようだ)、休日は基本的には土・日と祝祭日が休みと言う労働条件である。
四名の運転手のうち私が一番の高齢なのだが、とにかく一番戸惑っているのは、勤務時間・拘束時間の長さである。勤務時間は基本的には朝八時から夕方の十七時までだが、現実はあってなきがごとし、“やっつけ仕事”だから、まれにその日の仕事が早く終われば午後十四時とか十五時には帰宅という場合もあるが、県外への輸送仕事(東は茨城・西は京都まで)がある場合、届け先が明朝午前二時からなどの場合には、前日の午後二十二時頃から仕事を始めなければならないし、午前二時から四時頃までに荷を降ろし、少しの仮眠をとって、別な場所で荷を降ろしたり積んだりして(荷を積まないで帰ってくることもある)、帰ってくる頃は正午過ぎで、約十四から十五時間かかるのである。それから、その日の整理と次の段取りをして帰宅するには一時間から二時間かかるから、占めて十七時間以上拘束されると言うことになる。(こうした深夜から明朝にかかる仕事が、私の場合は週に二から三回あり−−毎日こうした仕事をしている者もある−−、県外輸送が連続続く場合などは肉体的精神的疲労は極度に達する)これでも一勤務で超過勤務手当はつかないし、何らかの手当もなしなのである。八月に台風が来たときなどは横浜までの仕事だったが、交通渋滞を予想し早めに出発したが、結局交通ストップ(ほとんど車の中で待機)に会い、午後二十一時出発、翌日の午後十七時帰社し家に帰ったのは十八時過ぎ、占めて二十一時間の仕事であったが何の手当も付かなかった。
 郵便局では考えられなかったことではあるが、大手運送会社や労働組合があるところでは超過勤務手当や長距離手当などあるようだが、業界の大半を占める下請けや中小運送業者は『待ち時間』が多いという理由などで、こうした手当はないし、サービス残業はもちろん記録されていないのが現状である。
 私が入社して二ヶ月間に四人のうち私も含めて二名が入れ替わった。二名が労働条件の悪さを指摘して、退職していった。(トラック運転手は一つの運送会社に長く勤めるのではなく、転々と会社を変えることが多いようだ)私の肉体や精神がいつまで持つかは疑問だが、運送の九〇%を占めるトラック業、深夜の道路を走るトラックの列や、パーキングを埋め尽くすトラックの姿は、まさしく、日本の産業・経済を支えうる重要な産業の一つであること。インターネットが普及した時代にあってもなおその底辺で支えているのは“トラック野郎”であることはまちがいがないろう。しかし、その“トラック野郎”の現状は決して恵まれたものではない、単なる運転手のモラルや過失ではない居眠り運転・過積載・スピード違反等々、交通事故のニュースを見ない日はないほどに、過酷で劣悪な環境で働いている結果が伝えられている。
 いつの日か、“トラック野郎”が大同団結して、自らの労働環境を良い方に変えようと立ち上がったとき、彼らの仕事が経済を支える重要な職場である以上、その影響力は計り知れないものとなる事を信じつつ、しばらくの間、この仕事を私は続けたいと思っている。(光)案内へ


 個人の名前について

 住基ネットの問題の折、親からもらった名前を数字で表記することはに反対≠ニいうことばに、いかにも日本らしい反対思想、(少々こじつけみたいな)だと感じたものだった。戸籍が出来た明治の当初、村落共同体から分離しえぬ家やその中の人であり、そうした人々一人一人に名前をつけるようお達し。
父の家は平家の落人が住みついたという石川県の山奥の村にあった。何のことやらわからぬまま、村のお宮さんの近くに森があったとかで、姓は宮森となったという。名はじい様が頭に浮かんだ名をつけたのであろう。そのように個人は尊重されもせず、名前はいい加減なものであったろう。
 現在でも個の意識はまだまだ確立していないように思われる。奇妙に排他的なエゴが個の意識といえようか。逝った友のお母さんの言だが、胃がんで入院されたとき病院てええで。誰もおばあちゃんなんていわない。ちゃんと私の姓と名を呼んでくれる≠ニ。
 ムコさんを早くから亡くし、4〜5人の子どもを連れて郷里へ疎開したものの、あの空襲がはじまった時期に、子どもを連れて大阪へ戻ってこられたのだから、郷里での生活は想像に難くない。それから散々苦労してこられたわけで、共同体的なものにもたれかかる甘さは、許されない状況の中で生きてこられたのだろう。だから個人としての意識がはっきりした言動をとられたと、今にして思う。
 子持ちで社会の中に放り出されて生きてきたお人、このような女性を私は美しい≠ニ思う。だから親娘関係といえども友情で結ばれていたように私には見えた。親からもらった名前≠ニいう表現には蒙古斑をお尻にくっつけたようなひびきがある。東洋、つまり日本での自己と他者のありようは、西洋の自己と他者の明確なありようとは違っているのではなかろうか。
 在日の外国では、日本のアイマイさはゆとりがあっていい≠ニいう人もあれば日本ではそのアイマイさが生きにくい≠ニいう外人さんもある。アジアの人同士での語り合いを今後、深めたいものと思う。大阪市大の学長であった恒藤恭先生は「個人主義的世界民」という言葉を残された。EUブロック、アジアブロック、アフリカブロックetc、のブロック中で一人一音を奏でるシンフォニーが成立すれば・・・と夢見る。さて私はどんな音を立てるのか、74才にしてやっとスタートラインに立った思いである。音にもならずに生涯を終えても、それでもいいと思っている。目標持っただけでもよし。
2007・9・10 宮森常子


 色鉛筆  介護日誌22 「たかが50円だけれど・・・」

 「あら?通所は2回だけれど、入浴は1回休んだのでは?」
 母(85歳・介護度4)がお世話になっている通所リハビリ施設からの、前月の請求書を見てふと疑問がわく。
 母は週3回デイサービスのお世話になっている。火曜と金曜は”通所介護”、木曜は「介護老人保険施設」での”通所リハビリ”。ほぼ朝9時頃に、着替え一式・タオル・連絡帳などの入ったバッグを持って送迎の車に乗り、昼食・入浴・リハビリ・おやつ・レクリエーションなどで一日を過ごし、夕方4時半すぎに戻って来る。
 前月の木曜夕方のこと、朝と同じ服装で帰宅したので「今日はお風呂に入らなかったの?」とたずねると「そう」と母。ごくたまに入浴が嫌な時もあり、職員も無理強いはしないので、入らなかったのだと思った。ところが後日の請求書では、入浴したことになっている。一回の入浴介助料金が500円で、そのうちこちらの自己負担はわずか50円だ。黙っていればとも思ったが、電話で確認してみる。(この時点でもう半月以上前のことになっている。)「この日は入浴されています。」との回答。あの請求書を出したのだもの当然の回答だ。何とも腑に落ちないわたしは、なおも連絡帳に『連絡帳に入浴の有無を記入する欄を設けて欲しい』『あの日なぜ母は着替えずに戻ったのか』と書いて提出。(ちょっとしつこいかと思いつつ)
 その夕方の送りの車に、責任者という女性が乗ってきて「申し訳ありませんでした。入浴チェックの欄を設けました。あの日は手違いで、入浴後も同じ服を着せてしまったようです。今後このようなことが無いように気をつけます。」とこちらが恐縮するほどの低姿勢。
 母はこの木曜の通所リハビリを「嫌いだ」という。理由は、遠い、人数が多い(40人以上)、話相手が居ないといつたところか。火曜と金曜の通所介護は、近くて少人数(28人位)しかも食事がおいしい(手作り)ので母は気に入っている。人気が高くいつも満員だ。もう一日増やして欲しいと希望したが、いっぱいでことわられてしまった。
 私が母の立場にたってみれば、お風呂ひとつとっても40人もがまるでいもあらいのように次からつぎへ、着替えもそのままなんて考えただけで嫌だなあと思う。そこに働く人も利用者も、ともに人間性を尊重されるべきだ。

 最近、家のすぐ近くに新しく出来た通所介護所で一日体験入所を試みてみた。ロビーに外国製のリハビリ機械が並び、利用されているお年寄りは健康そのものに見える。母も私もちょっと気後れがした。案の定、ここも母には合わないらしい。やれやれ・・。  
 それにしても、いまの母にデイサービスが無ければ一日中ベッドで過ごすだろう。いずれもっと弱くなつたら仕方ないが、いまはとにかく、時々の「登園拒否」をなだめすかして送り出している。入浴・話相手・座って体力を保つなど、心身ともに健康を保つためにはデイサービスが不可欠・・・・なんて思っているのは私だけで、母は「そんなの関係無いよ」だったりして・・・。(澄)案内へ