ワーカーズ362号 2008/2/1
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「ガソリン国会」の空疎な内実――一般財源化すればよいのか
現在、「ガソリン国会」と称して、内実のない空疎な大騒ぎが巻き起こっている。これは、新テロ特措法反対を貫けず腰砕けとなった民主党の巻き返しのための新戦略である。
問題の「ガソリン税」とは、実は揮発油税と地方道路税の二つの税の合算である。揮発油税の本来の税額は、一リットルあたり二四・三円だが、租税特別措置法により暫定措置により二倍の四八・六円である。地方道路税も同様に元の四・四円から五・二円である。
今なぜ民主党が騒いでいるのか。この倍額徴収を定めた租税特別措置法の暫定税率適用期間が今年度末、つまり三月三十一日で終了するからだ。まさに人気取りなのである。
「ガソリン税」を財源に道路建設を主導する自民党道路族は、税率の維持のため同法改正を追求する。他方、民主党は、道路建設にメスを入れムダをなくせとの批判に「便乗」しつつ現下の高騰もあり、値下げを主張する民主党の姿勢は、支持されるとの読みがある。
民主党は、これらの税金を道路特定財源から一般財源化との議論を展開している。共産党は、暫定税率の一般財源化をすべきだと言いつつ環境問題が重要になっている今日、化石燃料への適切な課税は必要であると考えており、現行のエネルギー課税のあり方を抜本的に見直し、二酸化炭素の排出量を考慮した「環境税」を導入することを提言している。
確かに「暫定」と言いつつ三十年は長すぎる。しかし、ガソリンを安くすればどうなるのか。明らかに自動車利用を活性化し、CO2排出の増加は必然となる。それでよいのか。
したがって、私たちは、現行の「ガソリン税」並に維持しつつその使途を目的税化して、道路網の整備等に限定されない、「高齢化・過疎化社会」を見据えた全国的な鉄道網等の総合交通体系の計画的再整備や化石燃料から自然エネルギーへの転換の原資とする。
世界を見ても、日本におけるガソリンに対する悪名高い倍額徴税においてさえ課税額は、イギリス・フランス・ドイツ等の半分程度にすぎない。また日本より税額が安いのは、先進国ではアメリカくらいだとの知識を、この機会を利用して周知させなければならない。
私たちは、「ガソリン国会」での空疎な議論を批判し、この核心を訴える。 (猪瀬)
公共交通政策とセットで――ガソリン税を考える――
今国会でガソリン税(揮発油税と地方道路税)に関わる暫定税率の存廃問題が争点として急浮上している
この通常国会で審議される予算関連法案の攻防で衆院の解散に追い込みたい民主党は、争点として暫定税率の撤廃を掲げ、自民党の再延長方針に反対する姿勢を固めている。
確かに暫定税率(=割増税)を止めればガソリン価格は25円程度下がり、多くのドライバーなどにとってはとりあえずの朗報にはなる。が、他方では割増税を前提として道路整備などを計画している地方自治体などは、現実の問題として道路整備に支障が出るなど、廃止に伴う目先の影響は避けられない。
ガソリン国会ともいわれるようになった暫定税率問題。生活者として、あるいは労働者としてどう考えるべきなのだろうか。以下、総合交通政策の将来展望と絡めて考えてみたい
■急浮上した“暫定税率”
連日報じられているように、撤廃を主張している民主党の案を整理すると以下のようだ。
現時点でガソリン価格の全国平均は一リットルあたり153・7円(1月15日現在)だ。これに租税特別措置法の本則で本来かかる税額は28・7円、それに暫定税率分の25・1円が上乗せされている。(ガソリン税にはこの他、ガソリン税を含む価格に消費税がかかっているという問題もあるがここでは触れない。)その暫定税率の期限が3月いっぱいで切れる。だから民主党の案は暫定税率をやめることでガソリン価格が約25円の下がる、という主張だ。いわゆる“ガソリン値下げ国会”といわれるゆえんでもある。
確かに民主党の案はきわめて単純で分かりやすい。これは高騰を続けるガソリン価格で負担がふくらむ個人ドライバーや運輸業界にとって大きな負担軽減策にはなる。ドライバーの端くれでもある私もガソリン価格が下がることはありがたい、と瞬間的には思ってしまう。
この暫定税率を含めてガソリン税は道路特定財源として使途が決められており、国道や地方の道路整備などに使われている。その額は国と地方あわせて約5・4兆円、暫定税率部分が約2・6兆円だ。その暫定税率を引き下げれば国と地方の税収は減り、道路整備にも支障が出る。ちなみに総務省の試算によれば、暫定税率撤廃で国の減収分は約1・7兆円で、地方分の減収は都道府県が5987億円、市町村が3077億円、合計で9064億円になるという。
他方ではこのガソリン税は、道路特定財源として道路建設業者、道路族、国土交通省を貫く道路利権を構成し、その延命を意図していることも周知の事実だ。
暫定税率の廃止は、かくして一リットルあたり約25円の値下げか、あるいは地方を含む道路整備の継続かという、選挙を射程に入れた自・民両党の政争の具として幕が開いた。
■はじめは“政争の具”
それにしてもあまりに単純な話ではないだろうか。“ガソリン国会”では、ガソリンの値下げかあるいは道路づくりかが最大の争点になってしまう。いくら政権交代が大事だといっても、これではあまりに有権者をナメた話ではないだろうか。
そもそも特例廃止はどういういきさつででてきたのだろうか。最初は民主党の選挙戦術に関わっている。
周知のとおり民主党は先の臨時国会での新テロ対策特措法(=補給法案)をめぐる攻防で福田政権を追い込み、衆院の解散総選挙の実現をめざしていた。ところが大連立騒動をめぐる小沢党首の辞任――撤回騒動で頓挫し、新たな国会戦術を迫られていた。
そこで民主党が目をつけたのが3月で期限切れとなるガソリン税の暫定税率継続法案だ。これをを阻止できればガソリン価格の25円の値下げが実現して圧倒的多数の有権者の支持を得ることができる。阻止できなくても継続を強行した与党の負担強要の強引さをアピールして総選挙で与党を過半数割れに追い込める、そんな打算も働いたのだろう。小沢騒動で弱気になっていた民主党の賭でもあった。
民主党が派手な公約を掲げるにあたっては先例がある。道路公団などの民営化が争点にもなった03年11月の衆院選を前にしたマニュフェストで高速道路の無料化を打ち出したときだ。05年秋のあの郵政解散の場面でも公約に掲げた。分かりやすい公約を掲げて少しでも議席増につなげたいという発想はいまも変わらない。
受けて立つ自民党はどうか。
自民党は民主党のガソリン値下げという目玉公約に対抗して、地方の道路整備の停滞などを押し出して暫定税率の維持を強行する構えだ。これまた何とも旧来型の発想から抜け出ていない道路族の論理を押し出したわけだ。
かくして片やガソリン値下げ、此方は道路づくりの激突。何とも簡明な図式での世論と有権者の争奪戦が始まった。
分かりやすい構図で始まった対決劇はすぐさま様々な反響を呼び込んだ。1月23日に開かれた自民党の地方議員を中心に開かれた道路特定財源の堅持を求める都道府県議総決起大会もその流れの一つだ。他方では社民党は暫定税率の上乗せを廃止し、かわりに「環境税」を導入する方向で「地球温暖化対策法(仮称)」創設をめざす民主党と協力する方針を打ち出している(1月16日)。廃止する暫定税率分の一定部分を含めた二酸化炭素排出につながる分野に課税するという。
環境問題とのかねあいという批判は政府や自民党からも出ている。暫定税率維持のほうが地球温暖化の防止につながり「地球に優しい」と。道路利権の張本人がいつから環境派になったのかと唖然とさせる論陣を張り始めた。
ともあれガソリン値下げか道路づくりかという“二者択一”から、議論が環境問題に拡がったのは一歩前進だ。確かにガソリンの消費は環境問題と不可分のものであり、それ自体は評価すべきだ。が、目的税なのかあるいは何に使うかなどイマイチ漠然としたものでしかない。私はガソリン税を鉄道やバスなどの公共交通重視への転換という視点で考えるべきだと思ってきたし今も考えているので、以下その視点での問題提起をしてみたい。
■資源再配分と利権
その前に暫定税率の廃止とガソリン価格の値下げが現実にどう作用するかを簡単におさらいしてみたい。
いうまでもなくガソリン価格の引き下げはユーザーにとって目先の負担軽減になる。が、それは別にしてもガソリン・車利用の増加をもたらし、車社会のいっそうの進展や自動車産業の肥大化やひいては大気汚染の深刻化や自動車事故による膨大な死者を生む。ガソリン価格の変動が直ちに消費量の変動に結びつかないという統計もあるようだが、長い目で見ればそうした傾向は否定できない。この過程で車社会が進行すれば渋滞が多くなって車社会化にブレーキもかかる。その停滞を緩和するために道路整備を進めればそれだけ車社会化に加速が加わることにもなる。現実の車社会化はそのバランスの上で進んできたわけだ。
他方で暫定税率維持を主張している勢力はどうか。
暫定税率そのものは30年前からだが、揮発油税が特定財源になったのは1953年からだ。それ以来、道路建設に自動車関連税が投入される仕組みが拡大してきた。この目的税・特定財源によって道路整備が進められ、道路建設業者や国土交通省(旧運輸省、建設省、国土庁など)、国や地方の道路族政治家などが肥大化する道路利権に群がって利権集団を形成してきた。今回の暫定税率維持という主張も、一度握った特定財源という利権は離さないというわけだ。
いうまでもなく、税制の持つ意味の一つは人とモノを含む社会的な資源の再配分機能だ。市場の趨勢に任せただけでは不可能な政策課題を実現する機能でもある。
かつて田中角栄が道路特定財源を整備したのも、道路づくりを基軸として建設業者・官僚・政治家を貫く利権と自民党の政治基盤づくりが目的だったとはいえ、それは日本が敗戦からの復興を鉄道などの公共輸送中心から自動車産業中心の経済復興への大転換という“日本株式会社”路線の上にのっかったものでもあった。
こうした高度経済成長期以降の日本の車中心社会は、単に産業構造を変えたばかりでなく、あの国鉄分割民営化に象徴されるように地方の公共輸送を切り捨てながら過疎化・過密化傾向を市場経済の成り行きに任せてきた。挙げ句の果てが現在の“地方の衰退”だった。
ということをふまえながら冒頭でも触れたガソリン税と公共輸送の問題に向き合うことにする。
■総合交通体系
私としては現行のガソリン税は、目的税として鉄道・バス・モノレールなどの大量輸送機関の援助にまわすべきだと思う。とうぜん大都市や地方都市、過疎地などを考慮した上でだ。それにガソリン税はもっと引き上げても良いと思う。現にイギリスやドイツ、フランスなど西欧諸国では、ガソリン1リットルあたり220円前後で日本より70円も高い。220円のうち税金だけで140円前後で、日本の61円の2・3倍だ。
これは車社会でのガソリン消費がそれだけ二酸化炭素をふりまき環境悪化につながっているという、大なり小なりの反省があるからだ。現に鉄道などに比べて人やモノを運ぶためのエネルギー消費率が、車の場合は格段に多いというのはすでに公知のことでもある。
ところが車が走る道路は基本的に税金で造られているのに対し、鉄道の軌道などには原則として国税は投入されていない。地方レベルでは新駅の建設や路線バスなどへの援助が行われ、道路特定財源からは“開かずの踏切”の解消などわずかばかりの支出が行われているだけだ。だからトヨタなどのメーカーは道路などのインフラを気にすることなく車を売ってこれたのだ。道路の整備費の一定割合を自動車メーカーが負担するシステムだったら、これほどの車中心社会は出来なかったことになる。
車社会の進行は、物流の側面でみても鉄道貨物などからトラック輸送への切り替えでもあった。一見、ドア・ツー・ドアで便利になったようだが、その業界は年間3000時間を超える長時間労働が当たり前、トラック運転手の犠牲の上での成り立つという異常業界だ。
仮に鉄道の軌道などを税金で整備し、鉄道会社はレールの上を走る列車の費用だけ負担することを考えてみる。そうなれば鉄道運賃は格段に安くてすみ、利用者も増える。路線や列車本数も増え、通勤・通学も列車等の利用で済むケースも増える。車が減れば本数が増えるバスなども渋滞に巻き込まれることなく通院・通学などでも便利になるだろう。鉄道の駅を中心とした地方の生活圏も維持・発展し、いまの“地方の崩壊”もまったくちがった景色になっていたかもしれない。
大気汚染訴訟を持ち出すまでもなく、都市圏における排ガスなどによる大気汚染は深刻の域を超えている。あるいは毎日繰り返されている大都市とその周辺における渋滞は、たとえば首都高が“首都駐車場”と揶揄されているように、公害のバラマキとエネルギーの無駄遣いの最たるものだ。暫定税率や環境税構想が浮上したいまは、車中心社会から鉄道やバス、モノレールなど、大量輸送の公共交通優先社会への見直しの良い機会だ。すでに世界では通勤などで大都市に車を乗り入れることを禁止して途中の駅で列車などに乗り換える試みや、カーシェアなどの試みも始まっている。
暫定税率廃止の対案として浮上している環境税はそれなりに納得できるものだ。が、それが一般財源になるのかあるいは特定財源になるのかははっきりしない。また環境保護目的に支出される場合も総花的では効果もそれほど期待できない。ガソリン税を公共交通対策に充てる目的税としたほうが総合交通政策としてはより明瞭になるし、同時に環境対策にもなる。
もとより具体化には整合性は厳密に検討する必要があるにしても、ガソリン値下げか道路造りかという二者択一ではなく、将来の社会をどう構想するかという視点も含めて“第三の道”を考えてみたい。(廣)
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官僚的情報統制を打ち破れ!
昨年末の12月26日、東京地裁(杉原則彦裁判長)において注目すべき判決が下された。それは、政府・外務省が公開を渋り、隠し通そうとしていた日韓会談文書の公開を迫るもので、「公文書不開示決定処分取消等請求事件」における一部勝訴判決である。日韓会談文書はすでに韓国において全文が公開されており、ことさら隠さなければならない理由もないのに、児戯のごとき外務官僚の対応を打ち破るべく司法の場で争われていた。
情報公開法は例外規定を設けてはいるが、開示請求に係る行政文書は原則公開となっており、不作為の違法を確認した今回の東京地裁判決は当然の結論であった。しかし、国家官僚の恣意的な運用のなかで、本来公開されるべき情報が不開示決定とされたり、大部分黒塗りの一部公開となることが多い。もちろん、こうした対応は情報公開法の精神を踏みにじるものである。
東京地裁判決は「情報公開法のこのような目的及び趣旨に照らすと、開示請求に対しては、速やかに開示決定等がされるべき」だとし、さらに次のように指摘している。
「外務省に係る開示請求においては、統計上、開示決定等がされるまでの期間につき他の行政機関と比較して長期間を要する件数が極めて多いことに照らすと、情報公開法の目的及び趣旨に沿った速やかな開示決定等をするための取組が不十分であると評価されてもやむを得ない」
外務官僚がどれほど世間を嘗めているかは、2006年4月25日に行われた今回の開示請求に対して5月25日、なんと「開示請求に係る決定期限の特例の適用について、平成18年6月24日までに可能な部分について開示決定等を行い、残りの部分については、平成20年5月26日までに開示決定を行う予定」と通知した。公開の判断を2年先に行うというのだが、常識ある人間にははずかしくて出来ないことだ。
それができるのは、官僚は「情報は我が物」という意識から、公開するかしないかを含めて好きに扱えると思っているからである。そして、手持ちの情報を操って世論を操作・扇動する等、そうした扱いには長けているのである。同じく外務省になるが、明白となった沖縄密約の存在を、いつまでも否定し続けているのも情報操作の典型である。
他にも、無罪に結びつく証拠は握りつぶし、有罪立証に都合のいい証拠だけを開示し裁判に臨む検察。インド洋での給油活動等の実態を隠し、平気でウソの情報を流す防衛省。薬害の蔓延を許す厚労省等々、そこに一貫しているのは情報を操作し、隠蔽し、捏造する姿である。
すべての情報を無条件で公開させること、それがどんなに困難であっても、そうしないではこの国ではいかなる真実も明らかにならない。官僚による恣意的な政治を打破するために、情報公開をさらに進めよう。 (折口晴夫)
情報公開法第1条(目的)
この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。
反戦通信−18 「<続>スリランカ内戦・・・武装グループによる市民虐殺」
スリランカでの内戦の泥沼化が心配されている。
02年2月に、シンハラ人政府と少数派タミル人の武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の停戦合意がようやく成立し、和平交渉が開始された。
ところが、その後両者の武力衝突が繰り返されて、和平交渉は無期限延期された。05年11月、LTTEに対する強硬派のラジャパク大統領が当選すると、ますます軍事衝突はエスカレートしていき、コロンボ市内でも軍や警察をねらった爆弾テロが多発し始めた。
そして、ついに今年1月2日政府は停戦破棄を決定した。政府軍は昨年7月、東部のLTTEの支配地域を制圧し、現在はLTTEの本拠地である北部への攻撃を強めている。政府軍の陸軍司令官は「今後6〜7ヶ月で大きな変化が起きる」と、LTTEを壊滅させる自信を示している。
現在、コロンボ市内特に駅や学校などはテロ厳戒態勢で、治安部隊や警備員が物々しく警戒している。停戦破棄で爆弾テロの不安は確実に高まっているようだ。
爆弾テロが多発している状況について、スリランカ在住のMさんから、第2弾のレポートが届いたので紹介する。
(E・T)
このところスリランカではバスをねらった爆弾事件が頻発している。つい先日1月15日には、私の住んでいる所から車で1時間半ほど南へ行った道路上でバスが仕掛け爆弾でやられた。
樹の上に爆弾を仕掛け、通りかかったバスに合わせてリモート・コントロールで爆発させたものらしい。バスから逃げ出した乗客を数人の武装グループ(人数は不明)が銃を乱射し、27人の女性・子どもを含む乗客の命をうばい、60人の市民に傷をおわせた。
その上、武装グループは逃げる途中、そこから南へやはり1〜2時間の二つの村にあらわれ、田圃で働いていた農民10人程を殺した。
軍の特殊部隊・警察・ガードマンは市民の通報を受けその地に急行、一度撃ち合いがあったが、武装グループはキャレー(雑木林)へ逃げ込んだ。
今日21日になっても彼等の行く方は不明。逃げる途中で放棄したピストル、弾帯、銃弾などの一部は19日に押収された。メディアは武装グループはLTTE(タミール・タイガー)だと最初から報じているが、真相はわからない。
この事件は私のところから近い場所でおこったことだし、何度もこの近くを私自身も訪れているから、私にとって人ごとではない。しかし、この事件を考えてみると、どうも腑に落ちない点が多い。
まずLTTEならば、なぜ一般市民をねらうのか、という点だ。彼らは日頃、軍や警察は目標としても、一般市民を犠牲にすることはない、と言っている。少なくとも彼らは暴力団ではない。一定の政治目的をもっている。タミールの自治を求めて闘っているのなら、シンハラ多数人の反感を買うような行為はつとめて避けるべきだ。
市民のバスを爆破させたり、今度のように一般市民にむけて銃を乱射したりすれば、自分達に憎悪のおかえしが来ることは明らかだ。
次ぎに軍・警察の対応だ。通信、輸送手段の発達した今日、どこかで事件が発生すれば、緊急に対応することはむずかしいことではない。こんな大事件にもかかわらずヘリコプターが捜索に加わっていない。私のまわりの人たちは「キャレー」だから空からの捜索はむずかしいと、したり顔だ。
しかし空と地上部隊が呼応すれば、強力な捜索力となる。「キャレー」はジャングルと英訳されているが、このスリランカのキャレーはアマゾンのジャングルと言ったような昼なお暗い。視界のさえぎられた広大な場所ではない。我々の感覚からいえば雑木林だ。グループは武器をもって車の通る道路を徒歩で移動するわけにいかないから、キャレーづたいに逃げたのであろうが、バス襲撃の場所からさらに車で1〜2時間の場所にあらわれて農民を殺害している。
押収された武器、弾薬、それにバスを襲った時に多数の人を殺した銃、をかかえて、雑木林を逃げまわるのは大変なことだ。しかも付近には人家もある。
一言でいって、この武装グループの行動の異常さ、軍・警察の無能ぶりは、何か意図的なものがある。
私は先の「ワーカーズ」へのレポートで「戦争、それは利益だ」という文章を書いたが、戦争の継続を望む一部政府・軍上層部の陰謀だとしたら、容易に理解できる。
真剣に犯人達をつかまえようとする意図が見えない。どこかでストップがかかっている。テロ行為はすべてタミール・タイガーの仕業と決めつける一般世論を形成しながら、この戦いを勝利させるためには莫大な軍事費が必要なことを強調している。マルクス主義を標榜するJVPも国会で軍事費を承認させる手助けをし、愛国戦線を結成するというトンチンカンな対応をしている。
この事件は多分忘れた頃に、犯人が検挙されたというニュースが発表され、無実の罪をきせられた者が法廷に立つことになるかもしれない。(スリランカ・M)
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コラムの窓 春闘課題 “同一労働=同一賃金”制度の確立を
08年春闘の課題は、国民の一部への富の集中と多数の貧困化という「二極分化」の是正、大企業が史上空前の利益を更新し、投資家への配当や企業経営者の報酬を倍増させる一方で、労働者は所得低下による貧困化が進行し、地域間、企業規模間、雇用形態の違いなどでの格差が拡大し続け、社会の不公正な「ゆがみ」の是正が重要な課題として取り組まれている。
‘格差社会’‘二極分化’という‘ゆがみ’は今始まったことではない、賃労働と資本という階級社会の中で引き継がれ、温存され、資本との力関係の中で伸縮し続けている。
資本主義社会では民主主義の名の下に、貴族と奴隷や士農工商・えた・ひにん等の封建的階級制度を廃止し、資本と労働者という新しい階級関係を創り上げ、その階級の中に‘格差’をもたらす事による支配関係を築いてきた。
“一億層中流社会”と言われていた時もあったが、それは見せかけのものであり、内実は、年功賃金から職能給へと賃金制度を変更し、労働形態もパートや契約社員の採用による労働者間の‘格差’の導入によって、中間層を分解解体し、新たな階級社会を創りあげた。
どの職場でも、今や正規労働者は過半数を割っており、労働作業の主力は派遣やパート・アルバイトといった非正規労働者である。にもかかわらず非正規労働者の実態は、社会保障も正規労働者より低く、賃金は最低賃金を下回る者もある。
労働者の貧困化の原因は、資本が労働者を搾取し収奪する意外利潤を得ることが出来ないから、搾取・収奪方法として正規労働を派遣やパートなどの非正規労働へ「置き換え」=雇用形態の違いによる賃金差別・格差を利用し、低賃金化したことである。
また、「置き換え」が労働者を孤立化し組織化を遅らせ、労働者の団結力を削いでおり、今日の労働組合組織率は1976年以降連続減少しており、今や18%台にすぎず、80%を超す労働者が未組織状態では、資本に対する抵抗力は小さく、資本の低賃金下を阻止できない。
契約社員やパート労働者が主流になりつつある今日、これらの労働者を含め、孤立化や分断化された多くの労働者を組織化することは必要であり、賃金差別や格差をなくすために、“職種別賃金”や“同一労働=同一賃金”制度の導入を強く求めるべきである。(光)
世界同時株安とサブプライム問題の深刻化
世界同時株安とアメリカの対応
一月二十二日の東京株式市場は、世界同時株安の進行する中で、日経平均株価の終値が前日比で七五二円八九銭安の一万二五七三円○五銭と大幅に続落して、一万三千円台を大きく割り込み、二○○五年九月以来、二年四カ月ぶりの安値水準まで一気に落ち込む。
アメリカの景気対策への失望感を背景に、前週末のニューヨーク市場から暴落から始まった連鎖株安に歯止めは掛からず、売りが売りを呼ぶ展開とはなってしまった。日経平均は、昨年末の大納会から二千七百円強も値下がりしたのである。
さらに詳しく見れば、東証一部の九十七%に相当する千六百八十二銘柄が、一気に値下がりする全面安で、東証株価指数(TOPIX)も同七三・七九ポイント低下の一二一九・九五と大幅続落し、出来高は二十七億八千九百十二万株、売買代金は三兆五百四十二億円となる。
このように、この日の日経平均は、前日の欧州での株安や円高進行を背景に落ち続け、後場でも、アジア各国での市場の連日の急落を受けて、下げ止まりなく、世界金融市場の混乱やアメリカでの景気減速が高成長を続けてきた中国等の新興工業国にも波及するとの見方から、投資資金がリスクの高い株式市場から一気に逃げ出しているのである。
世界同時株安を受けて、一月二十二日、米連邦準備制度理事会(FRB)は、連邦公開市場委員会の緊急声明を発表し、短期金利の指標となるフェデラルファンド(FF)金利を四・二五%から0・七五%と一気に引き下げ、三・五%にした。すでに利下げは、今月末に予定済みではあったが、サブプライムローンの焦げ付き増大に端を発した金融市場の混乱や株安が続く中、急遽前倒しとなり、異例の大幅切り下げとなった。
FF金利が定例の連邦公開市場委員会を待たず、緊急で金利引き下げを発表するのは、二〇〇一年九月の同時テロ直後以来で、また一気に0・七五%の引き下げも、実に二十三年ぶりだ。また今回の緊急声明について言うと、「経済見通しが一段と悪化」していると指摘した上で、今後も「必要なら迅速に行動する」として、追加利下げも示唆している。これについては、早々と0.二五%の追加利下げは完全に織り込まれており、0.五%の利下げも七十八%の確率で実施されるとの予想がささやかれている。まさにドル安を阻止するためには、何でもするヘリコプター・ベンの面目躍如といった展開ではある。
一方、翌二十三日、アメリカ上院銀行委員会のドッド委員長は、二十四日にポールソン財務省長官と会談し、政府が約一兆から二兆円を拠出して、サブプライムローンを大幅割引で買い取るための買い取り機構を設置する予定だと発表した。彼らは、今まで露骨に軽蔑してきた日本政府の不良債権整理策に急追随するほどの動転ぶりなのである。
事実で粉砕されたデ・カップリング論
昨年の夏からヨーロッパで急浮上したサブプライムローンの破綻問題について、同時期中国を含むアジアでのサブプライム問題はほとんど影響は出ていないとの報道がなされている。これを受けて、昨年末には誰に目にも明らかになる世界経済の低迷と不況の深刻化の中で、IMFは、アメリカと日本やヨーロッパが不況でも、これらの国と一緒ではなく中国は例外であり、世界経済の成長は続くのだとするデ・カップリング論を展開してきた。
しかし、この度やっと真実が報道された。デ・カップリング論は間違っている。やはり中国でもサブプライムローンでの巨額の損失のあることが発覚したのである。
そもそも、中国の外貨準備高は、〇六年に日本を抜いて世界最大となり、〇七年末の額は日本の一・五倍にもなった。そんなにもドルを保持する国にサブプライムローン問題がないと考えること自体全く空想的なことである。
ついでに最新情報を伝えておこう。一月十一日、中国人民銀行(中央銀行)が発表した金融報告によると、〇七年末の中国の外貨準備高は、何と一兆五千三百億ドル、つまり百六十三兆七千百億円もある。中国人民銀行は、貿易黒字の拡大によるドル流入に対して、ドルを買って人民元を売る市場介入を続けた結果、前年末比で四十三・三%も増加した。
ドル流入により中国でも株や住宅の市場は拡大を続け、このため中国でも株・住宅バブルがはじけるのは、時間の問題でこの二・三月だと言われている状況である。
こんな中、一月二十一日の香港英字紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストは、中国の大手国有商業銀行の中国銀行が、0七年の第四・四半期に、巨額の評価損を計上する見込みであると報道した。同銀行は、昨年八月には、サブプライム関連証券の保有額が九十六億五千万ドルだったが、九月には七十九億五千万ドルに大幅に縮小したことが知られている。円換算すれば、その額は千八百十九億円であった。
かくして、IMFがアメリカと日本やヨーロッパが不況でも、これらの国と一緒ではなく中国は例外であり、今後も世界経済の成長は続くのだとするデ・カップリング論は事実で粉砕された。その損失額は未だはっきりはしていないものの中国もまた例外ではないことがはっきりしてきた。昨年の八月の報道は虚偽だったのである。
サブプライム問題がドル覇権の終わりの始まりであることが、またしても事実で裏付けられたといえる。債務を債権へと付け替える金融工学に浮かれきったアメリカに、本来金を貸すことが出来ない階層にまで、サラ金よろしく高利で貸しまくり、彼らに住宅を押しつけてきたツケが回ってきた。まさに自業自得の展開とはいうもののアメリカはその深刻さに心底おののいている。この恐怖は、同時に世界各国の支配者の恐怖でもある。
今こそ各国で自国の階級支配を揺るがす闘いを貫徹していこうではないか。(直記彬)
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2008.2.1.読者からの手紙
神奈川からのたより
この一月、昨年来の座間米軍基地への米陸軍第一軍団司令本部の移転問題、横須賀市原子力空母母港化の二大反戦闘争の渦中にある神奈川県において、新たに迎撃用パトリオットミサイル(PAC3)が、横須賀の武山基地に緊急配備されました。
この配備は、ミサイル防衛(MD)配備の一環として、昨年三月埼玉県入間基地、同十一月には千葉県習志野基地への配備に続くものです。そして今年の三月には、茨城県霞ヶ浦基地に配備される予定です。
このミサイル一発は、何と五億円で、すでに支出したミサイル防衛(MD)配備の予算は七千億円だと報道されています。一基地は十六発所有します。日本政府は、一体どこの国がミサイルを撃ってとくると想定しているのでしょうか。そのことがほとんど議論されていないのです。この構想はアメリカの先制攻撃戦略に位置づけられ、一体なのです。私たちはマスコミの言うがままになっています。私たちに充分周知させられていない中でのこんなにも多額の税金の投入があるのです。こんな事で日本は本当に民主国家なのでしょうか。何かがおかしいと言わざるをえません。
またこのミサイルの問題点は、二十キロと射程が短く、さらに自走式の発射台から撃ち出されることです。発射時の騒音でガラス窓が割れるとはすでに私たちは伝えられております。発射するために自走式の発射台はしっかりと固定しておかなければなりません。このための準備にも場所と時間が必要です。実用に当たってのマニュアルは公表されてはいないようです。その事もまた不安材料の一つです。
横須賀市の米軍基地機能の充実と絡んで、軍人の数も増えます。そのため、逗子市の池子米軍家族住宅が手狭になることから、隣接する横浜市金沢区六浦地区に、新たな家族住宅を増設する計画も、私たちの反対をよそに横浜市が許可し着々と進行しております。
この八月原子力空母の母港化問題は、山場を迎えます。日本国家は、横須賀市の協力に対して、十一月二十二日の市議会総務常任委員会で、再編交付金を今年度は全国最高額の五億八千四百万円交付するとともに、0七年から今後十年までの間の総額では約七十億円を受け取れるようにしたことを明らかにしました。
まさに私たちを、また横須賀市民を馬鹿にしたようなやり方ではないでしょうか。私たちは、今後とも隊列を崩すことなく、断固闘っていきたいと考えます。 (笹倉)
介護日誌−23 「死から学ぶ」
昨年12月、身近な2人の女性が亡くなった。
57歳の知人は、医師の宣告した余命よりはるかに長い、2年間の闘病の後の死。あとに残してゆく子供や孫たちに、そして周囲のひとたちにもとてもたくさんのメッセージを残してくれた。限られた一刻一刻を大切に生きてゆく姿そのものが尊い。つらく苦しい病状のはずなのに、一度もそれを口に出さなかった。ほほえむ若々しい遺影が、今も様々なものを伝えてくれる。
もう一人は、私の介護生活の伴走者・理解者である友人のお母さん。85年の生涯の最期は、自宅で3人の娘たちとおおぜいの孫や曾孫に囲まれて穏やかに迎えられた。幸福だったのは、お母さんだけでなく周囲のご家族もだったのではと思う。通夜の席に並び立つ三姉妹の表情には、悲しみとともに何ともいえない満ち足りた温かい心が伝わってきた。 在宅で最期を看取るには、かかりつけ医の存在は不可欠だが、このお母さんの場合、稀にみる良い主治医だったと思う。死の数日前、何も喉を通らなくなった時、「冷めたいストレッチャーに乗せて病院に運ぶより、このまま自宅で看ましょう。自分の母親にやってやりたいことをお母さんにもしてあげたい。」とおっしゃった。病院へ行けば、ありとあらゆる「延命」のための処置が施されるだろう。それより自宅で湯たんぽで温め、家族に囲まれた中の方がご本人にとっていちばん良いと判断されたのだと思う。それからも24時間ずっと連絡可能にしてくださり、往診以外にも時間が空くたびに寄って下さったとのこと。そして亡くなった後「こんなに穏やかな最期は、初めて見ました。皆さん(家族)の介護に感動しました。」とおっしゃったと、友人が教えてくれた。
家族が介護する時、介護にかかわれる人の数や金銭的な保障、あるいは職業などが介護の質を大きく左右する。友人のケースの様に、たまたま幸運な条件が揃えば、介護する側される側どちらも心満たされる。それは、死後にも大きな意味を持つ。けれど多くは、孤独なお金の余裕も無い介護を強いられているのが現実だ。老老介護の末の殺人事件や虐待は、増えこそすれ減ることは無い。
昨年の正月に、私の母(85歳、介護度4)が急激な血圧低下により一時的に意識不明となって大騒ぎになった。その一年後、今度は私が同じ目にあってしまった。いやはやあたり前のことだけれど、健康もそして命も永遠ではないのだということを痛感した。母の介護も、いよいよ6年目に入る。
私「おはよう、ご飯食べよう。」
母「食べるものが何も無いだよ。」
私「は?」
母「私の年金がおりると盗みに来る人がいるだよ。」
私「大丈夫、食べる物もあるからね。さ、起きて起きて!」
目覚めてすぐの母は、60年前を生きていたり架空の出来事の中だったりするので、びっくりしたり笑えたり。ぼちぼち一緒に歩んでいる。(澄)
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