ワーカーズ363号    2008.2.15     案内へ戻る

縊り殺される地方自治!日米軍再編の重圧に屈した岩国市長選

 2月10日、投・開票された岩国市長選は、井原勝介前市長の再選を阻止するために立候補した福田良彦氏が47081票を集め当選した。米軍再編交付金を背に受け衆院議員から転じた37歳の福田氏だが、1782票という僅差での勝利だった。マスコミは岩国基地への米軍艦載機移転に弾みがつく、沖縄県宜野湾市の普天間飛行場の名護市への移転にも影響を与えそうだと報じている。
 自治体の首長選挙は、今回の岩国市長選のように時として国策を左右する。そこで争われるのは大企業や政治家・国家官僚の利権と、地方自治や市民の生きる権利である。ここで力を発揮するのが補助金等であり、これらは国家予算の私物化とでもいうべきものである。国家から流れ出るひも付きの膨大な税金が選挙結果を左右している、残念ながらこれがこの国の民主主義の現状である。
 今回の岩国市長選は、27億円の合併特例債を地震で耐久性に欠陥が生じた市庁舎建設費に当てることと引き換えに井原市長が辞職し、引き続き艦載機移駐反対を掲げ再選を期したものである。しかし、福田陣営は争点を曖昧にし、もっぱら汚いデマ攻撃に終始した。個人攻撃やこのままでは夕張のようになるといった組織的な口コミ≠ノよるデマ、市営バスや保育園・児童手当・母子家庭支援等が次々になくなるというビラ宣伝を行った。
 9年前に「市政をガラス張りにする」と公約して誕生した井原市政は談合や情実を廃し、自治体財政を食い物にしてきた業者や地方議員の敵意を集めてきた。国家においても地方においてもこうした利権まみれのたかり屋が跋扈していることを、岩国市長選挙においても暴露した。しかし、どんな汚い選挙であれ、彼らを権力へと押し上げているのは有権者である市民だという苦い事実を忘れてはならない。この結果、岩国市民はこれまで以上の基地公害=A耐え難い爆音に苦しむことになるだろう。
 日米軍の再編に対する抵抗がまたひとつ、こうして押し潰されようとしている。米国による軍事侵攻はアフガニスタンやイラクの悲惨な現状を生んできたが、この国は国益≠掲げてその渦中にさらに入ろうとしている。「反対しても変わらない」とあきらめてしまえば、本当に何も変わらない。戦争国家化への流れに抗して、闘い続けよう。
(折口晴夫) 


ガソリン税から未来を考える――どういう社会を創るのか――

 ガソリン暫定税率の継続問題で1月30日、与野党が衆参議長斡旋を受け入れた。斡旋案は玉虫色の文言だが、現実問題としては4月からのガソリン価格の引き下げは遠のいた。それだけ緊迫感は薄らいだが、この機会に目先のガソリン価格引き下げの可否を離れて、再度ガソリン税問題を考えてみたい。

■対決回避

 議長斡旋案の内容は、1)年度内に一定の結論を得る、2)与野党が合意すれば法案を修正する、3)つなぎ法案は取り下げる、というものだ。これは玉虫色の斡旋案だが、実質的には年度内に参院での議決で参院の態度を決め、年度内に衆院での再議決による暫定税率の延長を可能とする内容になっている。
 なぜそうなったか。それはつなぎ法案の強硬提出によってガソリン価格の4月引き下げが絶望的になり、また参院の存在を否定されたと受け止める民主党が、国会審議の拒否や内閣不信任案の提出も含めて、国会が全面対決の場となって衆院解散になだれ込む事へのプレッシャーから土壇場で引き下がったからだ。
 あの大連立騒動に引き続く民主党の腰砕けには“さもありなん”という以外にない。この受け入れには民主党の小沢代表の意向が反映されていたということも報じられており、民主党としても衆院解散に直結する事態への突入に自信を持ちきれなかったからだろう。
 ともあれ、こうした事態によって入り口での全面対決から、ガソリン税および暫定税率の中身をめぐる論戦が国会の場でも始まった。

■変わる対決の図式

 延長反対姿勢の鮮明化で当初民主党が主張したのは、暫定税率の廃止でガソリン価格を一リットルあたり約25円値下げする、というものだった。これに対して自民党は道路整備に支障を来すとして暫定税率を10年間延長し、計画通り今後10年で59兆円の道路整備を進める、というものだった。
 民主党の値下げ案に対しては、道路整備に支障が出るとの地方からの声に応えて、道路整備に支障を来さない、必要な財源は確保する、との態度を打ち出したことから、自民党などは財源問題を持ち出し、民主党はその財源の確保に頭を悩ます、という、新たな対決の構図も出てきた。
 このガソリン税に対する態度としては、自民党や民主党にしても内部に異論を抱え、あるいは衆参ねじれ国会という構図のなかで妥協が図られる可能性も高い。現に、一リットルあたり約25円の暫定税率部分のうちいくらかの部分を特定財源から切り離して一般財源とする案や、あるいはそのうち一定部分の税率を引き下げたりするという折衷案も出されている。
 そうした条件闘争やその土俵上での態度も大きな問題ではあるが、ここではより長期的な視点でこの問題を考えてみたい。

■どういう社会・生活を構想するのか

 前号でも提起したが、税制のあり方、財政のあり方は私たちの社会づくりをどう構想するのか、あるいはどういう社会、どういう生活をめざすのか、が密接に関わっている。ガソリン税の場合には、国交省が進める道路整備計画などが土台になっているが、それはあくまで国全体のマスタープランのなかでの部分政策のはずだが、現状はといえば国づくりのマスタープランなどというものは厳密な意味ではそもそも存在しない。その時々の政権の姿勢や各省庁の利害関係の力学のぶつかり合いで決まってくる。
 それはともかく、現行の道路整備計画の土台に流れているのは、他の交通手段や環境問題などには関わりなくガソリン税で入ってくる分を全額道路整備にまわす、という道路族の論理だ。それに対して私は前号で鉄道やバス・モノレールなど大量輸送の公共交通優先での総合交通体系づくりの視点を問題提起した。
 その視点は、現行の暫定税率を維持(あるいは引き上げも含めて)して、それを財源として鉄道などの公共輸送分野に投入するということだった。具体的には現行制度で年間約5・4兆円になる財源の内の一定部分を鉄道網やバス・モノレールの整備に投入するというもので、たとえば鉄道であれば線路などの軌道建設や維持費に、モノレールであれば高架建設やその維持費に、バスであればバス路線の整備にそれぞれ充てるというものだ。こうしてガソリン税を維持、あるいは引き上げる反面、鉄道などの運賃を大幅に引き下げることで人とモノの輸送費を引き下げるとどうなるか。その直接的な結果は長期的に見ればヒトやモノの移動は自動車やトラックなどから鉄道やバスなどへシフトする、ということになる。鉄道やバスへの移動が始まれば、現行の運転本数は増えるだろうし、場合によれば鉄道路線やバス路線自体が増えるだろう。あの国鉄分割民営化でやったことの逆の事態が起こるということだ。あのときは採算を重視するあまり地方の鉄道網を切り捨て、その背後で進んでいた過疎化を一層促進する結果を生んだ。

■交通ネットワークで社会が変わる

 大都市での問題は前号でも若干触れた。今回は地方の状況を見てみる。
 たとえば地方都市。
 地方都市といっても多様だが、たとえば鉄道などの駅周辺に旧市街地が拡がり、周辺に住宅地、郊外に工場や事業所などがある場合を想定してみよう。旧市街地はシャッター通り、通勤にはマイカー通勤、通院にもマイカー、買い物には郊外の大型店というように、いまではマイカーが無くては生活できない事態になっている。すでに地方では一家に一台ではなく、働き手が2人いれば車は2台、3人いれば3台必要だ。通勤時間帯も含めてバスのネットワークが寸断されているから車がなければ働きにも出られないし、買い物にも行けない。
 そこに本数が増えた低運賃の鉄道や通勤バスなどのネットワークが整備されれば、近郊の駅周辺や住宅地からの通勤は鉄道や通勤バスで可能になり、一人一台のマイカーを使う必要もなくなり、道路整備も緊急のものではなくなる。工場や事業所も広大な駐車スペースも小さくて済む。
 これは大都市近郊の地方都市の例だが、千葉市には「都市モノレール」がある。懸垂式だから道路渋滞を尻目にその上の高架を安全・安定輸送ができる。通勤や通学、通院などで大変便利なもので、しかも直接には排ガスも出さない優れものだ。この「都市モノレール」は千葉県と千葉市が出資した第3セクターの鉄道会社だが、これが発足時から施設建設費なども含めた累積債務によって経営危機に陥っていた。出資こそ県と市から得ていたが建設費はモノレール会社の負債となり、運行維持費なども含めて経営主体で負担するシステムだった。その高架式施設をガソリン税を含めて税金で建設し、車両費や運航費だけモノレール会社で負担すればいいとなれば話は変わってくる。運賃は安くなり利用者は増えて経営もより安定し、それだけマイカー通勤からの移動も見込まれ、市内の渋滞もそれだけ緩和され道路整備費も少なくて済むはずだ。
 過疎地も考えてみよう。暫定税率の廃止で地方の道路整備が遅れると通院や緊急時に病院に行くまでに長い時間がかかってしまうと叫ばれている。確かに地方では道路整備が遅れて支障を来しているところは多い。しかしそれは過疎化が進み、公共交通のネットワークが崩れ、交通手段として自動車しか利用できなくなり、そうした事態に道路整備が追い着かないからだ。だから山間の狭い道路で車がすれ違うこともできないという事態も生まれる。
 しかし過疎化が進み、医療機関や廃院が統廃合などで減り続ければ、住民がかかれる医療施設までの距離が次々とのびてしまうことにもなる。こうした事態は道路建設だけで解決できる問題ではなく、過疎化そのものがもたらす障害という性格を持っている。

■道路問題からコミュニティーづくりを考える

 いうまでもなく過疎過密化は市場経済のもたらした歴史的現象の一つだ。それが橋本内閣から小泉内閣にいたる構造改革路線という新自由主義的政策によって加速されたのは周知の事実だ。市場至上主義、利潤至上主義はモノとカネとヒトの移動も効率第一の力学が働く。大量生産・大量消費・大量廃棄の自転車操業を突っ走るしかない資本主義の避けられない趨勢が、その土台になっている。その原理を大転換しない限り、過疎過密化や環境破壊は進む。
 税制や財政についても同じだ。それらは時の政権と諸勢力の利害関係によって左右される。ガソリン税の一般財源化についても、それを含む財政全体がどういう分野に使われるかは、時の政権と利害関係者の意向に左右される。せっかくガソリン税を一般財源化しても、それを現代国家の二大無駄遣いとされる軍事費や官僚体制の維持費に費やされるのであればなんにもならない。
 そもそも環境問題が深刻化し、あるいは医療体制が危うくなれば、それはガソリン税だけの問題ではなく、税制と財政全体の中からそれらの手当をすべきだろう。必要であれば軍事費を大幅に減らすことも考えるべきだろう。それらには手をつけないで、ガソリン税を環境目的税としてその関連事業に税金を投入するという対案も、一見はうなずけるとしても、それは税財政の全体から見れば目くらまし以外のなにものでもない。
 今回焦点となったのはガソリン価格を25円下げるのか、あるいは道路整備を進めるのかだった。しかし真に問われているのは、私たちが住む社会や地域をどうしていくのか、どういう生活と暮らしを創っていくのかという将来展望と不可分に関わっている。
 確かに車は便利だ。現に地方に行くほど生活必需品になっている。車や高速道路は人の移動範囲を劇的に拡げ、便利な移動手段としてすでに広く普及している。その便利さをすべて否定する気はないが、それに安住できる時代でもないのもまた真実だろう。
 目先の攻防としてガソリン税、暫定税率問題をめぐる攻防は続いていくが、そうした問題とは別に、どういう社会づくりをめざすのか、についても考えていきたい。(廣)案内へ戻る


頑迷固陋の反動派に放たれた真実――東京新聞の快挙を顕彰する

 この二月十日、つまり欺瞞に満ちた「建国の日」の前日、東京新聞に「週のはじめに考える 書き換わる聖徳太子像」との題で、「日本の原理の由来と未来」について考えることを勧める社説が掲載されています。すでに、0四年五月の「ワーカーズ」においては、谷沢永一氏著の『聖徳太子はいなかった』(新潮新書六十二)が、読書室に掲載された経緯もあり、「ワーカーズ」の読者の皆様には周知のこととは考えます。しかし、今回の東京新聞の快挙を顕彰するため、蛇足ながら筆を執りました。

 それでは、まず東京新聞の書き出しを引用します。

「実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。 戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえ るでしょうか。
 聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末 から七世紀前半の飛鳥時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入りさせていった皇太子です。
 『和を以て貴しと為す』との教えや貧しい者への優しい眼差(まなざ)し、太子の言葉とされる『世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)』の無常観などは、いまも人の心にしみて揺さぶります」

 今回、戦後歴史学の今や常識になった聖徳太子の非実在説は、大山氏と藤枝氏の研究により、決定的となりました。引き続き東京新聞を引用します。

 「聖徳太子の実在に最後のとどめを刺したとされるのが、大山誠一中部大学教授の一九九六年からの『長屋王家木簡と金石文』『聖徳太子の誕生』『聖徳太子と日本人』などの一連の著書と論文、それに同教授グループの二〇〇三年の研究書『聖徳太子の真実』でした」

 言うまでもなく、聖徳太子研究で最も重視すべきものは、『日本書紀』が太子作として内容を記す「十七条憲法」と「三経義疏」です。聖徳太子の数多くの伝承や資料のうち太子の偉大さを示す業績といえば、この二つに極まるのは衆目の一致するところ。
 ところが、東京新聞の社説は、この二つへの批判の核心を記述しました。

 「このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を追われたのは有名です。
 三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです」

 さらに、世に知られた法隆寺の釈迦三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿等も、その光背の銘文研究や使用されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになったと書いて、東京新聞はさらに続けます。

 「国語・国文学、美術・建築史、宗教史からも実在は次々に否定され、史実として認められるのは、用明天皇の実子または親族に厩戸(うまやど)王が実在し、斑鳩宮に居住して斑鳩寺(法隆寺)を建てたことぐらい。聖徳太子が日本書紀によって創作され、後世に捏造(ねつぞう)が加えられたとの結論が学界の大勢になりました。
 太子像が創作・捏造となると、誰が何のために、その源となった日本書紀とは何かが、古代社会解明の焦点になるのは必然。そのいずれにも重大な役割を果たしたのが持統天皇側近の藤原不比等というのが大山教授の説くところ。長屋王や唐留学帰りの僧・道慈が関与、多くの渡来人が動員されたというのです」

 日本書紀は養老四(七二〇)年完成の最古の正史ですが、大山説では、その編纂過程と同時進行して律令体制の中央集権国家が形成されたとしています。隋・唐の統一と東アジアの大動乱、それによる大化の改新や壬申の乱を経て、古代社会の「倭の大王」は「日本の天皇」へ変わりました。すなわち、大変革の時代の日本書紀の任務とは、誕生した天皇の歴史的正統性と権威の構築だったのです。こうして、高天原−天孫降臨−神武天皇−現天皇と連なる万世一系の思想と論理が、つまり中国皇帝にも比肩できる聖天子・聖徳太子の権威の創作が作られました。日本書紀とは政治的意図により作られた歴史書なのです。

 東京新聞は、「大山教授の指摘や論考は、歴史学者として踏み込んだものですが、隋書倭国伝との比較などから『用明、崇峻、推古の三人は大王(天皇)でなかったのではないか』『大王位にあったのは蘇我馬子』などの考も示しています。『日本書紀の虚構を指摘するだけでは歴史学に値せず、真実を提示する責任』(『日本書紀の構想』)から」で、大山教授の今後の日本書紀との対決と挑戦に期待をかけていてます。
 最後に、頑迷固陋の反動派を意識して、東京新聞は、「憲法と皇室典範は『皇位は世襲』で『皇統に属する男系の男子がこれを継承する』と定めています。しかし、万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。建国記念の日に永遠であるかのような日本の原理の由来と未来を探ってみるのも」有意義なことではないかと社説を纏めました。

 聖徳太子の真実を社説で告げ知らせた東京新聞は、根拠が薄弱な建国の神話にすがるしかない反動派を事実で打ち破ったものです。彼らの根底を揺るがす真実の暴露は、まさに快挙であり、私たちの今後の闘いの鏑矢でもあります。
 この真実はザワザワと伝わるのです。真実に依拠しない建国神話を担ぐ反動派は弱さを露呈していかざるをえない。これを歴史の法則と言います。
 私は、これを機会に大山誠一氏著『聖徳太子と日本人――天皇制とともに生まれた〈聖徳太子〉像』(角川文庫)を是非読む事を勧めたい。(笹倉)


冷凍ギョーザ薬物中毒事件を考える

 昔も今も、人間は毎日食べ物を口にして生存している。
 従って、やや腐った食べ物を口にして中毒になったり、フグなどの毒にあたって死んでしまうことも多々あった。
 今回の中毒事件の特徴は、食べたものが「冷凍ギョーザ」であり、それが中国の「天洋食品」という食品会社で製造され、そのギョーザに薬物が混入されており、食べた日本の消費者が薬物中毒になった事件である。
 事件発生後調査が進み、混入された薬物が有機リン系農薬成分「メタミドホス」であり、さら別の「冷凍ギョーザ」から同じ農薬成分「ジクロルボス」も検出された。
 中毒症状を起こした「冷凍ギョーザ」の製造日が10月と6月であること、さらに3月の製品からも微量の上記の薬物が検出されたこと、ギョーザの包装の内側からも薬物が検出されたこと、等などから現地の工場内で混入された可能性が高いと指摘されている。しかし、事実関係については今後の原因究明を慎重に見守っていく必要がある。
 今回運悪く中毒になった人も私たちも、生協(生活協同組合)やスーパーなどの食品業界を信用して、毎日安心して食品を購入して生活している。
 私たちはこの中毒事件で多くのことを学んだと言える。
 この中毒事件の一連の動きの中で「冷凍ギョーザ」の輸入元である「ジェイティフーズ」(JT=日本たばこ会社の子会社)や生協やスーパー等がほとんど検査をしないで、現地会社にまかせきりにしている実態が明らかになった。また、中毒事件の報告を受けた食品関係の行政のお粗末さにも呆れた。
 時あたかも、福田首相は消費者重視の政治を強調し、消費者の生活を守るため「消費者行政推進本部の設置」をめざすと豪語していたが、現在の食品業界や行政にとって、利潤追求がすべてで私たち消費者の命や生活などの問題は二の次・三の次であることがはっきりした。
多くの評論家が指摘するように、日本の食の安心・安全が脆弱でまったく危機管理がなされていないことが明白になった。
 結論を先に述べれば、日本の食生活のカロリー自給率はたった39%であり、60%以上を海外の食品に頼っている現実がある。
 今回問題になった冷凍食品を取り上げると、冷凍技術の飛躍的な発展により多くの食材が冷凍され長期保存が可能になった。国内には4千種の冷凍食品が出回り、冷凍食品の輸入量も31万トン以上になり、その内中国製品は64%も占めている。
今回問題になったスーパーでも、次から次へと中国製「冷凍食品」が販売中止になり、他の中国食品も店頭に置けない雰囲気になっている。しかし、「もし中国製品の食材をすべて片づけると約4割の食材が消えてしまう」と述べていた。私たち日本の食生活は中国によって支えられている。これが現実である。
 私の知人で、脱サラして農業をしている人がいるが「私はなるべく農薬・殺虫剤を使わないで野菜を作り販売しているが、有機栽培は手間暇がかかる。どうしても値段が高くなる。ところが、その野菜をスーパーなどに卸してもあまり売れない、みんな安い中国野菜を買っている」と嘆いていたが、ここにも日本の消費者の現実がある。
 こうした現実の中から「このままではよくない」という声を上げ、食問題を学び新しい動きを開始している実践が各地で起こっている。農家の生産者も昔のような「農薬漬け」の栽培を止めて有機栽培をめざす動き、流通についても農協を頼らず直接販売者と取引しようとする動き、また消費者の方も給食関係者も子どもたちに安全な食べ物を食べさせたいと、直接生産者農家から仕入れする動きも出ている。
 現在の農業の従事者は全労働者の約4%程度にすぎなく、その平均年齢も65歳位だと聞く。また、農地の3分の1は後継者がいないため「休耕地」になってしまっている。このままでは、日本の農業は10年も持たないと。
 農家を「補助金漬け」という麻薬中毒者にした自民党の農業政策のツケが、今回ってきたと言える。
 昔から「地産地消」という言葉がある。これが食生活の基本となるような政策が求められている。(英)案内へ戻る


呆れ果てた二題話

 教育現場での日教組組合員の「日の丸・君が代」強制に対する闘いは、日教組本部の闘争放棄にもかかわらず、日本各地で粘り強く展開されている。こうした闘いの一環として、個人情報条例を利用した遵法闘争や各都道府県教育委員会を直接裁判に引き出す闘いがある。ここに呆れ果てた二題話を紹介する。


神奈川県教委の場合

 0八年一月十七日、「不起立者の情報収集を止めよ」と求めた教員達に対して、神奈川県個人情報保護審議会は、予想通り「思想、信条に関する個人情報を例外的に扱う正当性、必要性は認められない」として、校長から報告を求めるのは不適当であると答申した。しかし、同時に「最終的な実施権限は県教委に委ねられる」との見解も示しつつ最終判断は県教育委員会にあると逃げた。
 当然の事ながら、神奈川県教育委員会の判断は全国の注目を集めていた。
 二月四日、県教委は、過剰なまでに身構えて保身に走り、卒業式などで君が代斉唱時に起立しない教職員名を校長に報告させることについて、一切の判断を停止して、今後も報告を求めることを決めた。そして、同日行われた県教育委員会の二月定例会にその最終決定を報告する。
 出席した各教育委員は、自主的な見識が問われていたにもかかわらず、まともな判断力がない傀儡のように、審議会の答申を踏まえて県教委に翻意を迫ることなく了承してしまう。県教委の中岡高校教育課長は、破廉恥にも居直りを決め込み、この定例会で「校長と一体となって継続的に粘り強く指導していく」と強調さえしたのである。
 原告の一人である教員は、「審議会の答申の重みを全く理解しないものだ。法的手段に訴えることもあるかもしれない」と抗議する。当然のことである。
 このように、「正当性、必要性」がないと指摘されながら、遵法精神が全く欠如した教育官僚が、自分の発した職務命令に教員は従えとは、なんと呆れ果てた茶番劇ではないか。

東京都教委の場合

 さらに二月七日、卒業式などで「君が代」の起立斉唱を命じた職務命令に違反したことを理由に、東京都教育委員会が退職後の嘱託採用を拒否したのは、違憲・違法だとして、元都立高校教職員十三人が損害賠償を求めた東京地裁の裁判の判決が下される。
 中西裁判長の判決は「不起立が勤務成績を決定的に左右するものとは言えず、再雇用を否定すべき非違行為とするのは疑問」と述べ、十三人分の一年分の賃金相当額(一人当たり約百九十万円)、合計約二千七百六十万円の賠償を東京都に命じた。
 判決理由では、「不起立を極端に過大視する一方で、他の事情を考慮した形跡がなく、合理性や社会的相当性を著しく欠」き、「原告らの行為は積極的に式典の妨害をするものではなく、勤務成績を決定的に左右するものではない」とし、「不合格は客観的合理性や社会的相当性を著しく欠き、都教委が裁量を逸脱、乱用した不法行為である」と、都教委の裁量権を逸脱した今回の処分を明確に否定・批判した。
 しかし、その一方で、職務命令については、「『国歌を斉唱するよう指導するものとする』と定める学習指導要領の趣旨にかない、思想・良心の自由を制約するものではない」として、あえて踏み込まず合憲と判断する。
 裁判を見守った百名を超える支援者に対して、原告側弁護団は「通達や職務命令の違憲・違法性が認められなかったのは残念だが、都教委の強制に歯止めをかけた判決だ」「判決でわれわれは歯止めを勝ち取った。さらに憲法違反だという判決を勝ち取るために頑張っていきたい」と報告したのである。
 このように、明確な都教委の「不法行為」認定の判決に対して、東京都の中村教育長は、「主張が認められなかったのは大変遺憾。判決を詳細に確認し対応を検討したい」とのその場逃れの官僚的な答弁をするしかできなかった。
 判決の核心を全く認識出来ない人間が、東京の教育行政のトップに君臨する不条理を改めて日本中に知らしめた。教育の荒廃はここに極まったのである。

 神奈川県教委と東京都教委のかくも呆れ果てた実態。彼らの支配は今大いに揺らいでいる。(猪瀬)案内へ戻る


環境的危機との闘い方としての、地球温暖化対策を問う!                  折口晴夫

1.地球温暖化の現状
 シベリアの永久凍土から原形をとどめたマンモスが現れ、学術的関心が集まっている。温暖化がもっと進めばマンモスの登場など珍しくもなくなる可能性があるが、永久凍土が溶け出すことの地球的危機は計りしれない。それは、次のようなサイクルに突入したことを示すからである。
シベリアの森林伐採→永久凍土が溶け出す→湖が出来る→メタンガスが噴出→温暖化(止められない温暖化の進行)
 転がりだしたら止まらないこのフィードバックの始まりは、日本の木材輸入が大きな原因となっている。「そのシベリアの木材なんですけれども、韓国企業が伐採して、日本が輸入しているというケースが多い。日本はかつて、シベリアの木材をほとんど輸入していませんでした。しかしベニヤ合板を作るために熱帯林をさんざん伐採して、国際的に大きな非難を浴びたことから輸入元を多様化しました。その一つがシベリアの森林だったわけです」(扶桑社新書・田中優「地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか」37ページ)
 危機のシナリオは他にもある。森が二酸化炭素を吸収する場から排出する場になってしまう、同じように二酸化炭素を吸収していた海も排出する側に変わってしまう、熱を反射して宇宙に逃がす氷河が溶けて熱を吸収する水になる、これらもフィードバック現象である。もっと恐ろしいのが海底に沈んでいるメタン・ハイドレードの噴出であり、すべてに生物が絶滅に到る危機である。
「これを日本は燃料として使おうなんて考えているのですが、このメタン・ハイドレード、実は非常に微妙なバランスで海底に存在しているので、下手に海をかき回すと溶けて湧き出してしまいます」「地球の歴史では、メタンガスのシャーベットであるメタン・ハイドレードが、何度か溶けたことがあります。その溶けたときに何が起こったかというと、『全球蒸発』です。地球の海が、全部蒸発してしまったのです」「海が二酸化炭素を排出するほど酸性化する頃には、メタン・ハイドレードも溶け出してしまうのではないかと思います。つまり、地球上の生命が絶滅してしまうことになってしまうのです」(同42〜43ページ)
 ICPP「気候変動に関する政府間パネル」が昨年まとめた第4次評価報告書によると、「@気温上昇のスピードが近年さらに加速している、A今世紀末の地球の平均気温は最高6・4度、海面は最大59センチ上昇する、B温暖化の原因は二酸化炭素など温室効果ガスが人間活動によって増加した『可能性がかなり高い』とほぼ断言した」(1月1日「読売新聞」)
 気温が2・4度上昇すると、20億〜30億人が水不足に苦しむことになるとの試算もあるが、温暖化の暴走≠ヘもう始まっていてもはやどうすることもできないという指摘すらある。田中優氏はこの点について、今は試合終了≠ワでのロスタイムだという。いずれにしても、人類に残された時間が残り少ない事だけは確かだ。

2.石油と戦争と温暖化
 田中優氏は温暖化を防ぐためには軍備や戦争のない社会が必要だと指摘し、石油をめぐる戦争について解説している。それはピークオイル(需要に生産が追いつかなくなるピーク)という問題である。自国内での需要を賄いきれなくなった米国が資源国を狙う、イラク侵略もその延長線上にある。
「このように資源から世界を見ていくと、世界の戦争地域は5つに分類することが出来ることに気づきます。1つは石油がある地域。もう1つは天然ガスが採れる地域。もう1つはそのパイプラインが通る地域。あとは水が豊かな地域と鉱物資源が採れる地域、この5つに集約されます。よく民族紛争だとか、宗教紛争だとかいいますけれども、そんなのは言葉の上で利用されているにすぎない」(同書75〜76ページ)
 軍事が温暖化に与える影響は非常に大きいことは、戦争によるエネルギー浪費や環境破壊を見るだけでも明らかであり、軍事演習などでも同じである。例えば、F15戦闘機が全速力で8時間飛んだら二酸化炭素の排出量は一人の日本人が生涯で排出する量に等しくなる。装甲車の燃費はリッター200メートルである等、「軍事は、我々の温暖化防止の小さな努力など、一瞬で吹き飛ばしてしまうほどの二酸化炭素を排出しているのです」(同書84ページ)

3.日本の温暖化対策
 福田康夫首相は1月26日、世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、7月の洞爺湖サミットに向けた地球温暖化対策「クールアース推進構想」を発表した。しかし、「すでに各国が具体的な数値目標で競っている段階で『今さら削減目標設定を言うのは周回遅れ』(在京外交筋)」という評価である。二酸化炭素排出量削減に無策なまま、いつまでも原発はクリーンエネルギー≠ニ言っているようではどうしようもない。
 また、省エネ等のライフスタイルの実践が強調されているが、家庭における二酸化炭素排出量は全体の13パーセントにすぎない。「日本の二酸化炭素排出量の約半分は、たった167工場が出している」(同書93ページ)のであり、ここでの排出量削減抜きにどんな対策≠烽りえない。自然エネルギーとされるバイオ燃料も食用との競合や、大規模化による環境破壊が進行している。風車も大型化による低周波騒音の発生などが問題となっている。
 これらは温暖化対策への企業参入、利益追求により必然的にもたらされたものである。それは、どんなに燃費のいい車を開発しようと環境にいい車などない、という事実と符合するものである。車の存在自体が環境にとってマイナス要因であり、トヨタが世界一に自動車生産メーカーになるなら、そのマイナスは計り知れない。
「京都議定書で日本は二酸化炭素を6パーセント削減しなければいけないと決めました。6パーセント二酸化炭素を削減させるには、6パーセント経済を縮小すればいいのです。あるいは自動車の総走行距離を6パーセント減らせばいいのです。そうすれば、二酸化炭素は確実に減ります」「けれども、各国政府が取っているのは経済拡大路線で、日本も経済成長を続けながら6パーセント減らすという考え方で取り組んでいます。そうすると、化石燃料の消費を減らした分、代替エネルギーに頼らざるを得なくなります。だから代替エネルギーの生産も大規模になってしまうわけです」(「自然と人間」1月号より・天笠啓祐「バイオ燃料が途上国の食料を奪う」)

4.温暖化対策の今後
 以上のように、地球温暖化の元凶は資本による利益追求であり、軍産複合体による戦争政策である。大量生産・大量消費・大量廃棄というサイクルをどこかで断ち切らない限り、地球温暖化にストップをかけることは出来ない。自然エネルギーへの移行は急務だが、利益追求の大規模化は更なる環境破壊につながる。
 今日の日本社会を象徴するものとして、24時間営業のコンビニをあげることが出来るだろう。終夜で煌々と明かりをつけ、期限切れの食品をどんどん捨てる。そこにある便利さ≠ヘ多くのものを犠牲にして提供されている。この便利さ≠われわれは捨てることが出来るのか。地球に優しいというという言葉は、再生紙の偽装にみられるように、エコが容易にエゴ≠ノ変わることの危険性を示している。
 また、ガソリン税をめぐる自・公と民主のどたばたも、温暖化対策という視点からみることの必要性を明らかにしている。道路建設財源としてのガソリン税は廃止されなければならないが、排ガス規制や自動車走行の抑制という視点からはガソリンへの課税は必要であろう。
 再開されたインド洋での無料のガソリンスタンドを放置して、身の回りの環境にやさしい生活の実践のみに終始するなら、それは結果的に問題の本質を隠蔽することになる。軍備や戦争のない社会を目指すことと、自ら実践できる省資源・省エネを結び付けて取り組むこと。大量生産・大量消費・大量廃棄という便利さ=iコンビニ・自販機・オール電化等)に踊らされない生活を組み立てること。われわれの温暖化対策は、さしあたってこうしたものではないだろうか。


  色鉛筆  幼い子の痛ましい事故に思う

 昨年の夏、東京都内の民間児童養護施設で、2歳半の女の子が亡くなった事故の記事(1/11付朝日新聞)を読んで、私はとても切ない気持ちになり安心して子育てできる社会の必要性を強く感じた。 
 その事故とは、夜勤に出る准看護師のシングルマザーが、区が事業を委託している施設に預けた時に起こった。司法解剖した医師は「気管から気道にグミのような粘着度の高い物質がたくさん詰まっており、おそらく窒息死だろう」と説明し、死亡推定時刻を午前2時頃と告げた。そして、母親は施設や区から説明を受けると、事故当夜、幼児保育の経験が5年ある男性職員が午後9時以降1人で6人の子をみていた。11時頃から牛乳などをかけずにコーンフレークを5〜6皿女の子に食べさせ、午前0時頃には約15分間でチューイングキャンディーとグミキャンディーを与えた。0時半頃から約1時間は寝付いた様子だったので同じ部屋で2時頃寝て、その時は変わった様子はなかったが朝7時半に起きた時には、女の子は冷たくなっていたという。 
 私は、どうしてこんな事故が起きるのだろうと心を痛めながらも、児童養護施設にショートステイがあることを初めて知った。ショートステイというのは、養護老人ホームだけだと思っていたが、記事によると「子どものショートステイ事業」は、児童福祉法に基づく市区町村の事業で親の病気や急な仕事などの時、児童養護施設や乳児院などが7日まで預かるという。この母親も6月に区に利用を申し込み、区から指定されて夜勤の際に預けたのが児童養護施設で1日3千円で受け入れてくれた。
 ところが、施設側によると、児童養護施設で暮らす約50人中8割が虐待を受けた子どもたちで、スタッフは傷ついた心をケアしつつ、世話をしている。それとは別に子どものショートステイ事業で年間延べ400人弱を受け入れているという。園長は「事実上の夜間保育所と化していて、1ヶ月の半分も預けようとする親もいる」という。なんというショートステイ事業だろう。夜間に働く母親を支えるならば幼児専門スタッフが複数いる夜間保育所を充実させるべきではないだろうか。しかしその為には、お金がかかるので、とりあえず安上がりに補助金を出すだけで、事業をすすめることができる児童養護施設に委託しているのだ。今の政府が行っている少子化対策は、この様なものばかりで根本の所を解決しようとしないから子どもは増えないし、事故が起こっているのだ。この事故は行政側に責任があると思う。さらに、区の担当課長は『委託先での事故、現時点では行政としての事故原因の究明には踏み込んでいない、補償も施設と遺族の問題』という逃げ腰で、何の責任も感じていないのだからあきれてしまう。母親は10月、担当職員と施設を、幼児保育の基本的注意義務を怠ったとして業務上過失致死容疑で告訴したが、捜査は難航しているという。
 私は2歳半という幼い子が夜間、母親と一緒に寝られないことが切なくなる。この事故当夜も施設側は「通常ならば寝る前に食べさせないが、深夜に大声で泣かれては他の子を起こしてしまうので、求めに応じて与えた。ふだんから、母恋しさに悲鳴のような泣き声を上げ困っていた」という。女の子は母親を求めていたのだろう。幼い子は、不安を感じた時すぐに隣に母親がいて、肌と肌が触れ合って安心して眠りにつくものだ。しかし、母親を責めることはできない。シングルマザーで上の娘2人合わせて4人家族が生きていく為には、必死に働いて夜間も働かなければならなかったのだろう。私は、夜間も働かなければならない今の社会に怒りを感じる。幼い子のいる母親に対しては、夜間働かなくても生活できるような社会を創らなければ安心して子育てはできない。母親は今も「私が働きに出なければ良かったの?」とやり切れぬ思いに苦しんでいるという。(美)案内へ戻る


元社保庁長官が最高裁判事、こんな人に住基ネット裁判を扱って欲しくない・・

 私は住基ネット大阪訴訟の原告である守口市民です。2006年11月30日、大阪高裁では「住基ネットの運用はプライバシー権(自己コントロール権)を侵害するものであり、憲法13条に違反する」との判決を勝ち取りました。しかし守口・吹田両市は直ちに最高裁へ上告した為、我々は被上告人となっています。
 昨年末、急に最高裁は弁論期日を2月7日に指定し、決定しました。しかも勝訴した大阪訴訟のみを対象としています。
 住基ネットの運用は自己情報コントロール権を侵害し、住民票コードによる、各省庁が保有するデータとデータマッチングの危険性とセキュリティの危険性を有しています。現に愛媛県愛南町では、ほぼ全住民の住民票コードを含む住基情報が流出するという「想定外」の事件が起きてしまいました。
 にもかかわらず、「最適化計画」によるデータマッチングを高度に行うシステムを推進しています。こうした現状から最高裁の強引で拙速な動きは行政の動きに追随しているのではと思い、担当する最高裁第1小法廷の裁判官5名は如何なる人たちか調べてみました。涌井紀夫裁判長以外の4名は小泉内閣が任命した人たちでした。司法における老けた小泉チルドレン?でしょうか。元行政官、検察官には驚きました。
 憲法76条第3項に「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めています。行政権から裁判官は独立しているはずです。少なくとも元社会保険庁長官や高検検事長であった人達が最高裁の裁判官であること自体が憲法違反ではないでしょうか。
 大混乱を引き起こした社会保険庁では既に0年前に年金記録処理での不正、ミスが山積し、将来トラブルになると予言されていました。結果、現在「宙に浮いた5000万件の年金記録」が社会問題となり、国民を不安に陥れました。政府は「最後の一人まで」と公約したものの2000万件は欠陥データ≠ニして迷宮入りとなりそうです。
 既に基礎年金番号と住民票コードは照合作業が終わっていてリンクしているようです。又、社会保障番号に住民票コードを用いる案も検討されています。膨大な年金記録を保有する迷宮社会保険庁が切り札≠ニして住基ネット活用により効率化を計ろうとするのは目に見えています。
 現在社会保険庁は底なしの実態が暴露されています。国民から預かった保険料を着服、横領、記録管理の杜撰等信じがたい公務員の実態が次々に暴かれています。この頭目の一人が横尾和子裁判官です。94年から96年に社会保険庁長官を務めています。この人物が最高裁の裁判官とは余りにも国民を愚弄し、司法そのものの尊厳を貶めているように思われます。我々被上告人は、このような人物に住基ネット裁判の憲法判断を委ねることに抗議し、忌避を求めます。  2008年1月8日守口市住民 山中喜美子・


友への手紙・ある新聞記者への質問

 世の中の荒れ方がひどくなるに従って警察の必要度も増し、世間の見方も変わったよう(好意的に)です。しかし、そうだからといって警察という権力中枢たる本質は変わるものでしょうか。警察とふれあう機会の多い事件記者のような方の見解は、今のところはっきりさせていないようですが。
 ついでに司法の感心しない傾向も目立ちます。貴方の記事、心待ちにしています。規則に従うというはラクだし、事なかれ主義の傾向を助長しかねません。規則を守る者のヨロイは制服でしょう。それを着ると無防備の人間はメロメロになっちゃいませんか。近所を徘徊する制服まがいのものを身につけて、自分が社会のお役に立っていると思って意気揚々としているのが気になります。
 私が今後わが町≠フドキュメンタリーを撮ることに、こだわり続けるとすれば、この町の住民のいろんな階層の人々の意識を探りたい。例えば、警察と民間の間に立って制服まがいのものを身につけて徘徊する人種のことをどう思うか、を賛否を問わず意識を語ってもらいたい、それをテーマに撮りたいと思います。だいぶサイードの思想に影響を受けているようですね私。日頃のリョーキ的な事件の報道を聞くと、どんな力を使ってでもくい止めねばならんとも思いますが、それも有効とは思えません。
 わが家のトナリはAV産業、24時間無人で誰でも勝手に入れます。少し前、私目当てかも知れませんが小さな事件がありました。お会いした時詳しく話したいけど、ああいう産業はヤクザ≠ナあることは明らか。警察の出方と私とトナリと周辺のからみ、そうした状況から、その後の変化は警察は上からからめとり、タスキ(大阪府警と振興会)かけた人々を組織化しました。まあ様子を見ていますが。
 中国さんは、いろんな病種を作ってくれますね。日本のオカミはアメリカさんにすりよっていたし、今は中国にもすりよっている感じ。いつになったらシャンとするの? 病気もくるよ。
 大阪知事選、具体策をよく聞いてみて判断したいと思ってます。理論や庶民の感覚も残念ながら東京ですネ。大阪では温暖化は問題にしないようですね。大会社誘致とかをねらっていたり・・・。

 私自身はいつ死んでもいいや≠ニ思いますが・・。まあドキュメンタリーの1作でも撮ってからにしようか、と余りきばっていません。世の中どこまで落ちていくのかネ。今に安倍さんの主張が出まわりそうネ。その先に・・・。年よりでよかったヨ。
2008・1・10 えべっさんの夜  宮森常子


 大阪府橋下新知事誕生にガッカリ

2月6日、大阪府の新しい知事に橋下徹氏が就任した。
 橋下知事は、昨年大阪府知事選について、「出馬は2万%ない」、と言いながら前言をひっくり返し立候補した。
 また、知事選に勝利後のインタビューでは、「府債の発行は原則しない」、と言いながら結局は2008年度当初予算で160億円の府債発行をすると言ったり、発言が軽すぎる。府債の発行をしないなどそんなことは、現実問題として無理なのはみんなわかっていた。知らないのは、橋下知事の勉強不足である。
 また橋下知事は、83の府の施設のうち、中之島図書館(大阪市北区))と中央図書館(東大阪市)の2施設以外は、廃止や売却も含む見直しをすると言っている。
 府立体育会館や、女性総合センター(ドーンセンター)やワッハ上方も廃止や売却の対象に入っている。府立体育館は様々なスポーツをするため多くの利用があるし、女性センターはドメスティックバイオレンスなど様々な社会問題の相談や講演をを行っているし、ワッハ上方は、上方演芸の資料展示や芸人さんの催しなどを行っている。
 おいおい橋下さんよ、笑いやスポーツや女性などの社会問題はどうでもいいのかと問いたい。
 橋下知事が今までどういうことをやってきたのかも見ておきたい。
 『雑誌『週刊新潮』は1月17日号で、橋下徹氏が、過去に商工ローンの顧問弁護士を務めていたと報じた。
 記事によると橋下氏は、”みなし弁済”規定をタテに利息制限法を超える高利を取っていた
商工ローン『シティズ』の顧問弁護士を1999年から2004年まで務めていたといい、
関係者の話として「債務者からの訴訟でも会社を勝利に導いてきた」と伝えた』。
こんな反動的な企業の顧問弁護士をやってきた人物が、大阪府知事とは情けない。
また橋下知事は、岩国市長(当時)の井原氏が米空母艦載機移駐の是非を問う住民投票を行った件について、「防衛政策に自治体が異議を差し挟むべきではない」「間接代表制をとる日本の法制度上、直接民主制の住民投票の対象には制限がある」と持論を展開。井原氏が「国民が国政にものを言うのは当然」と反論すると、1日に「憲法を全く勉強していない」などと再反論したという。
 住民が、国に意見を言うことは当然の権利である。
 こんな知事を、1日も早く退陣させたい。          (河野)
 

 私たちには必要ない! 放射線照射食品

 私は、食の安全を考え生産者との信頼関係を育む、地域の共同購入会に加入しています。今、殺虫剤混入疑惑で連日話題に上っている中国産の餃子ですが、日本の食卓、業界がこれほどまでに輸入食品に頼っていたのか、ちょっと驚いています。先日、この共同購入の会(あしの会)主催の勉強会があり、「放射線照射食品」の話を聞いてきました。知らないうちに忍び寄る危険な食品認可の動きに、参加者一同ため息と、何らかの歯止めをと意見交換が持たれました。
 放射線といえば、レントゲン撮影時に体内に放射され、特に妊婦には浴びると危険と、記憶していました。ガン患者は治療のため、放射線を幹部に当てガン細胞を壊す、しかし健康な細胞まで壊してしまうというリスクを伴います。なぜ、原子力委員会がこの時期(2006年10月)に、食品、特に94種類の香辛料への放射線照射を検討するよう報告書にまとめたのでしょうか。
 この報告書に至るまでには、過去の経過を説明しなければなりません。講師・里見広氏は、公衆衛生学博士の学位を持たれ、健康情報研究センター代表、聖心女子大学の講師も勤めながら、各地の消費者グループとも連携され食品照射反対運動の世話人という忙しさです。里見氏のレジュメには、そもそも放射線照射食品が生まれたのはどこからか? 興味深い資料が紹介されています。
「照射食品は第二次世界大戦中、米国陸軍が兵士に食べさせる食料の腐敗を防ぐために研究を始めた。戦後になっても陸軍は研究を続け、1963年、米国の米国食品医療品庁(FDA=日本の厚生労働省にあたる役所)はベーコンへの照射を認めた。しかし、陸軍はベーコンだけでなくハムにも照射したいと申請したところ、FDAはカリフォルニア大学の動物実験で成長率低下、赤血球の減少、死亡率の増加などが認められたとして、先に許可した照射ベーコンの照射を禁止、ハムへの照射申請を却下した(1968年8月)・・・」
 放射線照射で殺菌や殺虫ができ、それが原子力の平和利用だという宣伝は未来の可能性を覆すことになりました。10年後の1978年、国際原子力委員会(IAEA)の調査では、食品照射の計画を持っていた国が、76カ国から19カ国に減少したのは当然のことでしょう。
 では、日本の場合は、どうなっているのでしょうか。日本は食品衛生法で食品の放射線照射が禁止されています。しかし、1959年12月、例外規定で異物混入の検査と食品の厚み確認のために0、1グレイ以下の放射と、じゃがいもの発芽防止のために150グレイが認められています。以後1974年商業ベースにのせ照射じゃがいもを市場に出荷、消費者の反対運動にあい売れ残る、という予想通りの事態になりました。そして売れ残りは、非常識にも学校給食にまわすという結末、またもや父母の反対運動に、そんな恥ずかしいことがあったとは・・・。照射じゃがいも、今でもどこかの市場にでているのは、ご存知でしたか?
 1974年から4年間、和光堂のベビーフードに最高3万グレイという強い放射線を当てていたのが発覚。この事件の影響で、新しい品目の照射食品は許可にならない、そんな状況が続いていたのですが、グローバル化した世界の市場は、輸入食品のコストを少しでも減らしたい輸入業者の思惑を優先させる方向に向かっています。そして原子力産業はコバルト60を作って販売し儲ける、照射牛肉を日本に輸入して欲しい米国の畜産業。消費者にとっては、コストは1割上昇、品質は落ちて味もまずくなる、なによりも遺伝子が傷つけられ(その後の研究で細胞に吸収されたシンクロブタンが有力なチェック物質と発見)、ガンの発症率も増える、何もメリットはありません。
 三菱総研が照射食品の認可を左右するという特権をもち、広く研究する条件作りも整備されなていない(照射機を設置するのも高額で手が出ない、研究費も出ない)のは大変な問題です。データをひとりじめにし、都合のいい勝手な情報だけ流すのは許されません。皆さん、遺伝子組み換え商品の時もそうでしたが、表示の抜け道は巧みに用意されています。こんなことにならないよう、認可の段階で反対していきましょう。安全な食べ物が健康を維持してくれるのですから。    折口恵子


市場原理主義では働く者は生きられない

最近、若い経済学者と議論をする機会があった。竹中平蔵を「同志」と呼ぶその男は、大企業を対象に「妥当な賃金水準」についてアンケート調査をしたという。結果は、新卒独身労働者は12・5万円、45歳で4人家族の中堅労働者は19・5万円。彼が言うには、「これこそが市場の声」「社会の厚生を最大にする賃金水準」なのだそうだ。これを企業の主観的・非現実的な願望、と聞き流すことは出来ない。確かに古くからある労働市場では、労働者の抵抗や様々な制度の規制によってこうした虫の良すぎる要求は日の目を見ていない。だが最近新しく登場した労働市場、例えば介護労働市場などでは、この要求に近い賃金水準がすでに横行している。古い労働市場においても、労働法制の相次ぐ規制緩和に直撃された分野では同じ事が起ている。思えばこの10年近くの間、有期雇用契約期間拡大、裁量労働など労働時間の弾力化、労働者派遣の「原則自由」化、民間職業紹介事業の解禁等々、労働法制は企業側の要求を飲む形で改悪を重ねてきた。いまや誰の目にも明らかになりつつある地域の崩壊、社会の解体という事態の根底にあるのも、実はこうした市場原理主義に基づく労働政策だ。しかし、一昨年のホワイトカラーエグゼンプション法案の取り下げを機に、様子が変化。パート労働法や派遣法の改正論議では、企業側の要求ごり押しは難しくなり、逆に労働者の声に配慮するそぶりをせざるを得なくなった。新年早々の派遣法改正案をめぐる攻防でも、企業に不利となる法案なら通さない方がましと、「労使の意見の隔たり」を演出して次期国会以降に先送りした。変化の背景にあるのは、もちろん労働者自身の立ち上がりだ。とりわけ、ワーキングプアと呼ばれる若者たちの行動はめざましい。今年も若者たちが中心になって、「自由と生存のメーデー」が闘われるそうだ。若くはない私も、何とか参加してみたいと思っている。(H・Y)


若い力士の死に思う

 17歳の若い力士が急死した。急死と言うより「殺された」と言った方が正しいのではないか。
 前時津風親方の言動は許しがたい。将来性のある若者の未来を奪ってしまったこと、また将来性ある兄弟子たちにとてつもない重い「十字架」を背負わせたこと、前時津風親方は犯罪者としてしっかり制裁を受けるべきである。
 ところが、一番おかしいと思うことは日本相撲協会の最高責任者である北の海理事長の言動である。
 この力士の急死は、親から預かった若い力士が親方の間違った指導によって死んだかもしれない大事件である。その時の対応についても、指導機関である文部科学省から注意されてようやく親御さんに謝罪に出掛ける始末であった。
 今回の逮捕についても、もはや相撲の「しごき」とは呼べない制裁をしていたことがはっきりした。その「制裁殺人」の中心人物が親方にあることも明確になった。
 親方を指導する立場の理事長として、その事件の重みを認識してその責任を取ることは当然だと言える。また、相撲協会関係者もこの事件の重みを受け、相撲協会の古い体質改善に乗り出すべきである。ところが、理事長以下まったくそうした動きが見えてこない。
 相撲協会を信用して息子さんを預け、結局息子さんを失った親御さんにとって、この半年間まさに「針にムシロ」の生活であったと思う。息子さんの遺体が帰ってきた時、これは変だと思って行動したので、ようやくこのような事実関係が明らかになった。
 こうした親御さんの気持ちを考えれば、理事長として謝罪して、はっきり責任を取って、相撲協会としても損害賠償に応じることが道理だと考える。
 最近日本社会では、指導者の責任問題がまったくうやむやになっている。
 「薬害肝炎問題」にも見られるように官僚どもは全く責任を取らない、取ろうとしない。また、大企業による「偽装請負」、外食産業による「管理職偽装」、食品会社の「製造偽装」等など、民間会社でも列挙に暇がない。
 こうした偽装が判明する度に、テレビで「すいませんでした」と頭を下げるばかり。謝ればいいのではない、指導者としてどう責任をとるのかが問題なのだ。
 今の日本社会における指導者の責任放棄は根が深くタチが悪い。私たちが抗議の声を上げ、徹底的に追及し責任をとらせる行動が必要がある。(若島)案内へ戻る