ワーカーズ365号 2008/3/15    案内へ戻る

立ち上がる非正規労働者
 時給引き上げ、均等待遇、日雇い派遣の禁止、直接雇用を勝ち取ろう!


 派遣労働者の春闘が大詰めを迎えている。派遣の闘いは、パート、嘱託、有期雇用など様々な雇用形態に置かれている非正規労働者全体の象徴であるとともに、正規労働者を含めた労働者全体にとってもその動向が注目される存在となっている。
 背景には、この20年近く進められてきた労働力流動化政策・労働法制の改悪の結果生み出された大量のワーキングプアの存在と貧困の拡大。ワーキングプアの劣悪な労働条件に正規労働者の労働条件を合わせようとする「逆均等化」の動きの横行。大企業の正規労働者の運動の後退と弱体化。そうした中で始まった「ワーキングプアの逆襲」が、労働者全体が置かれた逆境を押し返す「反転攻勢」の重要な一部となっている現実がある。
 格差と貧困の象徴となった感のある派遣労働者だが、現在その規模は260万人に達している。労働者全体の3割を占める600万人の非正規労働者の中核部隊だ。なかでも仕事がある時のだけ雇用される登録型の派遣労働者は、日雇い派遣・スポット派遣と言われ、極めて劣悪な労働条件と生活を強いられている。年収が100万円から150万円、アパートも借りられずネットカフェや深夜喫茶などでの寝泊まりを余儀なくされ、社会保険からも排除されている為に、身体をこわすとそのまま要生活保護状態に陥らざるを得ない者も少なくない。もちろん最後のセーフティネットであるはずの生活保護も、「水際作戦」とやらが横行していて容易には受給できない。
 こうした「蟹工船」の時代と見まごうばかりの労働条件を強いることは、20年前であれば直ちに違法とされ厳しく罰せられるはずであったが、いまは「合法」だ。こうした状況を作りだしたのは、85年に「専門性の高い業務に限定」とペテン的言辞を弄しての労働者派遣法の制定、そして99年の対象業務の「原則自由化」、04年の製造業にまでの拡大であった。そしてそれを後押ししたのは、80年代以降日本の政治の主流を乗っ取った感のある新自由主義政治による、労働組合攻撃、規制緩和、要するに市場競争至上主義の横行だ。
 こうした中で、ワーキングプアの逆襲は開始された。最初は、それ自体が極めて反社会的な法である派遣法にさえ違反する悪徳行為(多重派遣、偽装請負、データ装備費などの名目による賃金横取り、一方的解雇等々)に対する告発から始まったが、いまでは派遣法そのものを問題とする闘いへと発展しつつある。
 企業側は、この期に及んでもなお、「多様な働き方を制限してはならない」「派遣法が規制されると失業が増える」「派遣法はさらに緩和されるべきだ」等々と言う。彼らの夜派遣法の改悪のもくろみを許さず、登録型の禁止、派遣先企業の責任強化、期間上限を超えた場合の直接雇用義務、マージン率の公開など、派遣法の徹底的な規制強化を要求していこう。企業の搾取欲とそれを後押しする政府の反労働者政治を打ち破ろう!    (阿部)


地殻変動が進む春闘――春季賃金交渉から底辺からの対抗運動へ――

 大手組合への集中回答日が3月12日に迫り、08春闘も正念場にさしかかっている。春闘の崩壊がいわれ、国民的な関心を呼んでいた時代はとうに終わっている。が、ここ数年の非正規労働者による底辺からの反抗機運が広がるなか、春闘構造もじわりと地殻変動を始めている。
 本号が出るころには大手組合の春闘はおおむね決着しているが、中小や非正規の春闘はこれからが本番を迎える。(3月11日 記)

■経済環境に左右される脆弱な春闘

 それにしても08春闘はスタートしてから風向きが様変わりした。
 この数年の格差社会化への批判や内需不足による景気低迷への懸念の広がりのなか、当初の経営側のスタンスは賃上げを容認するものだった。年末の経団連「経営労働政策委員会」報告でも、生産性基準原理や支払い能力論の土俵の上であっても、賃上げを容認するニュアンスを打ち出し、委員長の記者会見は賃上げの可能性についてあえて言及するという異例のものになった。
 ところが春闘交渉が本格化する段階になると、一転して賃上げに“逆風”が吹き始めた。転機となったのはサブプライム問題の広がりを受けた米国経済の低迷、円高の進行や株安、それにガソリンや小麦粉などの原材料価格の値上がりだった。円高や輸入資源価格の高騰は、主に輸出産業や製造業にとっては打撃になる。
 こうした状況の中で新年度の景況感はどれも悲観的なものになっている。経営側としてはおいそれとは賃上げに応じにくい環境になってしまった、ということだろうか。
 そうはいっても企業はこの5年間をとっても史上最高の利益を更新し続け、企業の内部留保は00年に比べて4・3倍、株主配当は3・4倍にもなる。労働者の賃金が同じ時期に0・99倍とちっとも上がらないにもかかわらずだ。それが目先の景況感が不透明になったというだけで賃上げのガードが堅くなるとは、経営者側にとって労働者の賃金や生活をいかに軽く扱っているかを示して余りある。経営側は企業業績が低迷しているときは支払い能力がないとし、空前の利益を上げているときには、先行き不透明だとかという口実で賃上げ要求をはねつける。これまでもそうだったようにだ。
 情けないのは賃上げを経営者の心持ちや時の首相の援護射撃に依存する企業内組合のあり方だ。連合などは今春闘で格差の是正や内需拡大による景気の底上げを掲げた以上、自分たちの要求以上にパートや派遣・請負など非正規労働者の処遇改善に向けて全力を挙げて経営側を追い込んでいくべき場面のはずだった。それが昨年の同程度の500円玉一つか二つの賃上げであっけなく押し切られるようでは、非正規労働者の処遇の改善など勝ち取れるわけはない。
 経済環境の変化、いわゆる“風向き”次第で様変わりしてしまう春闘とは何なのか。賃上げやその他の課題を闘い取るという労働運動の基本が成立しないような構造はこれでは変わりようがない。

■地表に現れはじめた地殻変動

 大手組合にとって当初の皮算用からは大きな後退を余儀なくされた春闘。それでもそうした大手組合の閉塞状況とは別に、中小、非正規労働者の春闘では新しい闘いの局面を切り開きつつある。
 今春闘で注目されるのがパートなどの正社員化の動きだ。最近の非正規労働市場の逼迫化の影響もあって、非正規労働者の正社員化が進んでいる。
 たとえばりそな銀行では、パートは有期雇用のままで退職金もないが時給換算では正社員と同じ賃金を保証する人事制度を取り入れた。イオンやイトーヨーカ堂でも試験や技能に応じて昇進できる制度を創設したという。
 なかでも注目されるのが短時間正社員制度の導入の試みだ。
 短時間正社員制度を採用している企業は、公的な企業も含めて以前からあるにはあったが正社員の非正規化が進んでむしろ減る傾向にあった。それがこのところの格差社会化への批判の声もあって新たに短時間正社員制度を導入する企業も現れてきた。
 たとえば雑貨専門大手のロフトでは、パート、契約社員、正社員の区別をなくし、無期雇用を希望するパートや契約社員2350人を正社員にするという。その場合の総額人件費は一割増えるという。
 こうした非正規労働者の正規雇用化は、今年4月に施行される改正パート労働法の影響も大きい。そこでは正社員と同じような働き方をする非正規労働者に対しては、正社員と同じ処遇をする義務を定めているからだ。改正パート労働法には抜け落ちている部分はあるものの、その改定自体は近年の非正規労働者の闘いの成果が反映されているのは疑いない。
 ただこうした一歩前進は単純に喜んですむ話でもない。
 現実に短時間正社員制度の導入も含めて確かに大きな前進ではあっても、それだけでは労働者の処遇を劇的に改善することには必ずしもつながらない。上述のロフトの例でも、人件費は一割程度しか上がっていない。このことはほんの少しのコストで固定的な労働力を確保できるという、企業サイドの利害判断の結果でもあるからだ。それにたとえば賃金不払いといった個別の法律違反などの場合は、公然と告発するだけで具体的な成果に直結するケースも多い。ところが多数の労働者が絡む地道な処遇の改善を闘い取るための壁は厚い。個々バラバラな闘いだけでは限界もある。
 そうした課題と根っこのところで繋がっていることだが、こうした短時間正社員制度が注目される理由は二つある。
 一つは短時間正社員制度は非正規労働者の中のごく一部ではなく、多くの非正規労働者の正規化につながるからだ。これまでも非正規労働者を正社員化するケースはあった。が、多くのケースは短時間勤務からフルタイムに変えられたり広域配転や出向などを前提したものだった。その場合は正社員化といっても対象者はごく一部だけにとどまらざるをえなかった。
 ところが短時間正社員制度は、現に今やっている職務の延長線上で正社員になる道が開かれるわけだ。結果的に多くの非正規労働者にとって正社員化の門戸が広がることになる。
 二つめは、短時間正社員化が、いずれにしても短時間正社員と本来の正社員との賃金格差の解消という課題を浮上させずにおかないからだ。というのも、これまでの処遇格差の多くは、正規か非正規化の違いを根拠として押しつけてきたからだ。

■地殻変動を拡げていこう

 正社員化は確かに多くな前進ではあるが、考えてみればそれ自体は功罪半ばするものだ。それは確かに処遇の改善と結びついてはいるが、反面では企業への従属関係が強くなるということでもある。私たちの目標はどういう雇用形態であっても同じ労働者として均等待遇を実現することだ。それが労働者の団結の基盤ともなる。その均等待遇を実現する土俵にあがれた、というのが短時間正社員化の大きな成果だといえる。それは違うのは労働時間の長さだけであって、それ以外は時間あたりの単価を含めてすべての労働者の均等待遇を実現するうえで大きなステップになるものだ。
 実際には賃金のほかにもボーナスなどの一時金、退職金などの格差が厳然として存在しており、単なる正社員化は格差解消には直結するわけではない。が、それが直接的な課題として浮上するという意味ではその意義はきわめて大きいといえる。
 こうした短時間正社員制度を組み込んだ均等待遇のシステムはすでにオランダなどではかなり進んだケースとして実現している。それらも学んだ上で均等待遇の実現に向けて前進したい。
 上記で一部取り上げたように、春闘の舞台も様変わり傾向を強めている。近年の春闘といえば大手や中小のベースアップを中心とする賃上げ交渉が中心だった。しかし今では非正規労働者の闘いを背景とした新しいうねりがじわりと広がりを見せている。
 こうした闘いは、これまであくまで理念的な課題にとどまっていた均等待遇という課題が、現実の課題として浮上し、しかも実際に前進の歩みをたどり始めたこと物語っている。いわば地表の奥深くで進行していた労使関係の地核変動が地表にまで現れてきたことを意味する。
 地殻変動をさらに拡大していきたい。(廣)


コラムの窓 非正規労働者

 日本の労働者人口では、パートや派遣社員といった非正規労働者が全労働者の三分の一を占め、そのほとんどが、低賃金・長時間労働という過酷な状態であり、雇用契約は、継続されるものの原則的には月単位などの短期雇用がほとんど、一年経てばいったん解雇されて再雇用といった不安定な雇用環境にさらされている。
 不安定な雇用環境で、職探しをするわけだが、ハローワークなどで就職紹介を受け、その求人票と実際の雇用条件が違うことが多々ある。
 仕事は正社員とほとんど変わらない内容だが、賃金は正社員より低いし、最低賃金が地方ごと違うこともあって、一時間あたりの賃金にばらつきがあり、経験や資格の有る無しで開きもあったりする。
 労働時間も、一日八時間労働で普通午前8時から午後17時(昼休み含む)や午前8時30分から午後17時30分までが普通だが、パートだと企業が必要とする時間のみ一時間単位で働かされることになり、交替制の職場では、一日二四時間のうちのどこにでも配置されてもかまわない覚悟がいる。昼休みも四五分とれるところはまれで、昼食をとればすぐに他の人と交代、休憩など名目的なものがあるだけで実際には取れない。残業時間も一日何時間以内と決められていることが多く、残業命令はほとんどないから、短い時間はサービス残業になり、仕事を家に持ち帰ることもある。一日の労働時間をまめにとり、自主申告をしっかりやらないとまともな残業代はもらえないのだ。もちろん休暇は正社員以上に取れないし、ボーナスも当てにできない。雇用保険や健康保険なども勤務時間でないところもあったり、あっても強く申告しないと作ってもらへないなど、いい加減な会社もある。
とにかく非正規労働者は大変なのだ、今春闘ではその待遇改善が主要課題だが、その実情を真剣に理解し、その立場に立たない限り、本当の意味での前進はあり得ない。
 もちろん、非正規労働者の組織化は大変な困難が伴うものではあるが、労働組合や労働者政党との協力によって、産別的横断的組織化を計り、その力を蓄えていかなければならないだろう!(光)


Revolveする世界                北山 峻

 アメリカの衰退が一段と進んでいます。
 一方で、中国・インドを先頭に、アセアン・ロシア・ブラジル・中東・中南米などの新興諸国の台頭も進んでいます。
そして今世界は、欧米列強が世界を支配した200年間にわたる一時代に終止符を打ち、再びアジアを中心とした新時代へと大きく回転(Revolve)しています。
 歴史上、世界が物心ついた昔から、イギリスで産業革命が勃興した200年前までの2000年以上にわたって、中国・インドを中心としたアジアは、一貫して世界の生産力の7割ほども占める世界の中心であり続けてきました。
 産業革命によって巨大な生産力を手に入れた西欧世界は、かつては雲の上の存在であったインドや中国へ進出しそして侵略し、アメリカやアフリカを蹂躙し、およそ200年にわたって世界をほしいままに支配してきましたが、今やそのような時代は過去のものとなりつつあります。
 世界のわずかに10数%の飽食する「文明国」の対極で、貧困と飢餓と戦乱に苦しむ世界の85%の民衆の苦難はいまだ連綿として続いており、その解放の道のりには依然として多くの苦難が待ち受けていますが、しかし世界の民衆は、日々の労働と帝国主義と反動勢力に反対する持続的な闘争によって、解放に向けて大きく世界を一回転させようとしています。
 サブプライムロアーンが破綻し、ドル安と株安がどこまで進むのか不安が増幅する旧世界の一隅に立って、この世界の現況を大づかみにスケッチしてみよう。

(一)グリーンスパンの「謎」と狼狽

 「米連邦準備理事会(FRB)の議長を退任するまでの一年半ばかり、私はある謎と向き合う日々をすごすことになった。『いったい何が起きているんだ』。私はラインハートFRB金融政策局長に思わず不満をぶつけた。二〇〇四年六月末のことだ。
 四年ぶりに利上げをしたにもかかわらず、長期金利が上昇しないどころか、低下したからだ。利上げ局面に移ることで、長期金利も上昇し、住宅金利の上昇を通じて、過熱感の出ていた住宅ブームを緩和することにもつながる。そんなシナリオがわれわれの頭の中にはあった。だがそうはならなかった。最初は一時的な現象と考えて、様子を見守った。しかしその後、FRBが利上げを継続してからも、長期金利はほとんど上がらなかった。この不思議な現象を私は『謎』(CONUNDRUM)と呼んで、いろんな場で問題提起するようになった。私のオフィスには『謎』というラベルの付いたワインがたくさん送られてくるようになったが、疑問が消えることにはならなかった。
 
 明らかなのは、長期金利の低下が世界的現象であることだった。この間、世界の二〇カ国以上の国々で住宅ブームが起きている。いずれも長期金利の低下が背景にあった。私はかねて経済のグローバル化がインフレ圧力の抑制に貢献していると見ていた。特に閉鎖的な旧共産圏が世界経済に組み込まれ、低賃金の労働者が世界市場に参入するようになったことが大きいと考えていた。賃金の伸びが世界的に抑えられた結果、予想インフレ率が下がれば長期金利が低下するのは自然なことだ。だが、それに加えてもうひとつの要因が世界的な長期金利低下につながっていると見るようになった。それは、経済成長を加速させた途上国を中心に膨らむ余剰貯蓄である。このおカネが世界の金融市場にあふれ出し、金利を押し下げている可能性が大きい。
 
 世界的な力がインフレ期待を下げ、長期金利を低下させ、不動産や株の価格を押し上げているのなら、それに立ち向かうのは非常に難しい。世界的な流れと矛盾しないよう金融政策を調整すること。われわれはそれに徹することにした。中央銀行はやろうと思えばなんでも実現できるはずだという考え方が、特に政治の世界などで目立つ。しかし、そうした考えはこれまで以上に的外れになりつつある。中央銀行の力の大半は、圧倒的な世界経済の力によってそがれてしまうのが現実だからだ。
 私は〇六年一月に退任し、バーナンキ議長にバトンタッチした。」(日本経済新聞「私の履歴書」2008年1月28日)

 このアラン・グリーンスパン前FRB議長の直面した「謎」は、いくつもの深刻な問題を提起しているように思われます。
 第1は、世界最大の大国であるアメリカの中央銀行が、「9・11」が起こり、アメリカがアフガニスタンとイラクへの侵略戦争を開始した21世紀に突入した時期と期を一にして、「中央銀行による市中銀行への貸出金利の切り上げ」という「切り札」によっても、予想に反して長期金利の低下を食い止めることができないという、自国経済に対する制御不能の状態に陥ったということです。
 そしてグリーンスパンにとっては(ということはFRBにとっても)、そのようなことは予想もできない事態だったので、彼は、「いったい何が起こっているんだ」と部下に当たったり、「一時的な現象であろう」思ったりしたが実はそうではなかった。そこで彼はこの問題を理解不能の「謎」と呼んで、1年半にわたって悩み、考え続けたというのです。
 そしてグリーンスパンはこの問題を考え抜いた結果その原因として、(1)旧共産圏の崩壊によって大量の低賃金労働力が世界の労働市場に流入し、賃金が抑えられることによって予想インフレ率が低下することと、(2)経済成長を加速させた途上国を中心に膨らむ余剰貯蓄が世界の金融市場にあふれ出したこと、にたどり着いたのです。そしてこれらは、アメリカ経済が世界経済の大きな波に飲み込まれ、その大きなうねりの中で右に左に翻弄され始めたこと、今後アメリカは世界経済の潮流の中で、船が転覆するのを避けてその流れのままに漂流していくように運営していく以外にないと判断したのでした。

 第2は、その結果グリーンスパンは、昔のように世界を意のままにできるかのように考える(特に政治家に多い)アメリカ人たちをたしなめて、「今後アメリカは世界経済の大きな潮流に従って生きていく以外にないのだ」ということをしっかりと自覚することが必要であると、自らのFRB議長退任のいわば「遺言」として書き残したのです。
 ここには「アメリカが自分の意のままに世界を動かすことができた時代はもはや永遠に過ぎ去った」ということを認めたくないが(だからこそ1年半も悩んだのでしょう)しかし認めざるを得ない、グリーンスパンに代表されるアメリカ知識人たちの深い苦悶と理性的判断とため息が吐露されています。  
 このことは、客観的に言えば、アメリカが世界経済の中で決定的な力ではなくなったこと、世界経済全体の動きを左右する決定的な力、それは世界経済の中心と言い換えてもよいでしょうが、それは今では太平洋を越えて世界の工場となった中国やインドを中心としたBRICs(今ではインドネシアと南アフリカ共和国を加えてBRIICS)やアセアンや中東の産油諸国などの新興国に完全に移ったことを意味しているのです。

(二)グリーンスパンの「謎」の世界的意味

 では、このグリーンスパンを悩ませた「謎」の現実的な根拠はどこにあるのでしょうか? 
 グリーンスパンのいう「経済成長を加速させた途上国を中心に膨らむ余剰貯蓄」の問題を考えて見ましょう。
 
 (1)世界を流動する金融資産の量
 
 2006年末で、株式時価総額・債券発行額・預金を合計した世界全体の金融資産は152兆ドルもあって、当時(2006年末)の世界のGDP(国内総生産)の総額の3・2倍に達していました。ちなみに1990年にはこの比率は1・7倍だったので、単純に計算してもこの16年間に世界中で80兆ドル(およそ9000兆円)を超える金融資産が増加し、世界中に溢れたことになります。この実質GDPの裏付けもなく金融資産市場に滞留する80〜100兆ドルもの過剰な金融資産が、現在も出来るだけ高い高利益(高利)を求めて世界中の株式や債券や資源に投資され、世界中を流動しているのです。その結果が、高成長を続けている中国市場への投資はこの間途切れることなく拡大し続けたり、アメリカの不動産価格の高騰を前提としてのサブプライムローンへの投資バブルが起こったり、原油や鉄鉱石や小麦などへの投資が殺到し急激な高騰が起こったりしているわけです。
 しかし、この程度で驚いてはいけません。現在の世界においては、さらにこの過剰な金融資産に数倍する規模を持つ超巨大なもう1つの金融取引の世界が形成されこの過剰流動性に拍車をかけているのです。
 
 (2)IT革命とデリバティブ、そして悲劇の「ホリエモン」
 
 その「超巨大なもう1つの金融取引の世界」については、少しあとにして、ではこのような過剰流動性によって世界経済に悲喜劇を起こしているこの大量の金融資産は、一体どこからやってきたのでしょう。天から降って来たのでしょうか、それとも地から湧いて来たのでしょうか?やはりそうではありません。それはほかでもなく、1990年代からの10数年間に、主としてアメリカの金融資本によって作る出されたIT革命と、それによって作り出された情報産業という新しい産業の爆発的といってもいいほどの急成長と、さらにこれを利用して作り出された(実体経済とはかけ離れた)様々な金融派生商品(デリバティブ)の開発と世界経済への投入による金融資産価格の高騰によってもたらされたものなのです。
 この情報産業や金融派生商品というものについては、我々はこの間、ホリエモンと呼ばれた青年が起こした「ライブドア」騒動や日本のバブルやアメリカのサブプライムローンの崩壊を通じて、その実態の一部を垣間見ることができたわけです。この「ライブドア」が起こした社会的騒動とはどういうものだったかというと、堀江某という漫画のドラエモンに似た青年は、「商品を売りたい」という社会的欲望をかき集めて、インターネットという仮想空間の世界の中で「ライブドア」という市場を運営し、広告料や手数料という名の「ショバ代」をかき集めるといういわば現代版ヤクザとも言うべき商売を始めたのです。するとそれが折からのインターネットの急速な発展によって大当たりし、そこで得た資金を元手に彼は次々と企業買収を繰り返し、会社を急速に大きくしたわけです。そこで味を占めた彼は、「世界一の会社になりたい」という資本が本質的に持っている夢を広言し始めて、野球球団の買収や地方競馬の運営に名乗りを上げたり、テレビに出てはしゃいだり、総選挙において郵政民営化に反対する大物政治家へ小泉が放った「刺客」として立候補したり、さらには巨大マスコミの1つである「フジテレビ」に買収を仕掛けたりと次々にマスメディアを騒がせることで自分と自分の会社を無料で宣伝させて知名度を上げ、会社の株価を吊り上げ、その株式をさらに分割して高騰させるなどという脱法行為すれすれの様々な手法を用いて投資を呼び込み、あっという間に時価総額数千億円という大会社を作り出したわけです。しかし同業の三木谷が「身の程をわきまえて」金融資本に平身低頭していたのとは逆に、ホリエモンは一人で舞い上がって無礼な所業を働いていたので、「物言う株主」などとして金融資本に口出しをして目障りになっていた投資ファンドの村上ともども、そんなことは金融資本家なら誰でも「本業」としてやっていることに過ぎない「インサイダー取引」という罪名で、金融資本家たちは彼らを一片のゴミのようにクズ籠に投げ込んでしまったのです。それにしても金融資本家たちの中で、本心から「インサイダー取引は犯罪だ」と考えている人は一人としていないでしょう。彼らの仕事そのものが、収集した情報に基づいて必ず利益が上がる政策を作成し実行することであって、そのためには企業秘密をはじめとした「インサイダー情報」の収集は欠かすことが出来ない最も重要な仕事でさえあるからです。だからこの金融業界で一定の成績を残している資本家の誰一人として「インサイダー取引」の網をかぶせられてこれから逃れることは出来ないのですから、ドラエモンと村上某が特別な悪人というのでは全然なく、逆に小悪党が調子に乗りすぎたために爪弾きされたということなのでしょう。
 政治の世界でもかつて「アメリカを袖にして中国に入れ込んだ」田中角栄が、アメリカからの天の声で投獄され、北方領土をめぐってロシアとの独自ルートの構築に動いた鈴木宗雄や佐藤優がやはり天の声で投獄されたように、アメリカや日本の支配階級の独裁はやはり貫徹しているということなのです。
 何百、何千兆円という天文学的なカネがうごめく世界の中で、たかだか数千億円の金を手にして舞い上がってしまったホリエモンは、貧乏人が小銭を持ったときの姿を象徴する哀れなピエロに過ぎませんが、しかし、野球の東北楽天イーグルスやサッカーのビィッセル神戸を所有し楽天市場を運営している三木谷も、福岡ソフトバンクを所有しソフトバンクやボーダフォンを運営している孫正義も、国営企業であった電電公社の後継企業で、携帯電話「ドコモ」の販売で巨利を上げているNTTや「AU」の第二電電なども、さらに世界的には世界最大の「検索サイト」企業であるグーグルや最近マイクロソフトからの4兆7500億ドル(500兆円超)での買収提案を拒否したヤフーなども同じことをやっているわけです。これに「ウインドウズ」の開発によって世界的大企業になったマイクロソフトのビル・ゲイツや、金融の世界で急成長する投資ファンドやヘッジファンドを加えてもよいでしょうが、これらはあきらかに「モノ」の生産という実体経済とは異質の新産業の成立です。この1990年代以降爆発的に拡大した情報産業という名の新産業の規模は、様々なソフトの開発などの周辺の産業を含めると今では世界的な大産業である自動車産業をも凌駕する規模に急成長してきたのです。
 そして90年代以降強力に推し進められたこれらの「IT革命・情報革命」による情報産業の急成長や「金融革命」による金融派生商品取引の急拡大などは、双子の赤字の拡大などによって危機に陥ったアメリカを中心とした国際金融資本がそれからの脱出を狙って行った「金融ビッグバン」や「グローバリズム」政策と一体のものとして推進されたものです。
 1980年にアメリカの「未来学者」アルビン・トフラーは、狩猟・漁労・採集経済から農業中心の社会へ進んだ第一の波、産業革命から現代に至る工業中心社会へ進んだ第二の波に続いて、第2次大戦後始まった知識集約型社会への進化を第三の波とする説を彼の著書「第三の波」で発表しベストセラーになりましたが、この「IT革命・情報革命」は確かに世界大きな変化をもたらすものですが、人類社会を根底から変革するほどの第三の波というほど大げさなものではなく、せいぜいが、工業中心社会における技術革新の一段階という程度のものでしょう。
 蛇足で言えば、このトフラーの説に歩調を合わせるかのように、日本や世界の「マルクス学者」の間でも、この近年の世界の変化について、「世界資本主義は帝国主義とは違った構造を持つ資本主義である」(降旗節雄)とか、「現代資本主義は帝国主義から再び自由主義的資本主義への逆流が生じている」(伊藤誠)とか、「現代は情報資本主義の時代である」(山川暁夫)とか、「帝国主義は終わった。現代は帝国主義とは対照的な脱中心的で脱領土的な支配装置・主権的権力としての『帝国』が支配する時代である」(アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート)など、各種の新説が氾濫していますが、しかし私は依然として現代は帝国主義の時代であり、ソ連帝国主義が崩壊し、アメリカ帝国主義が衰退する中で、独仏を中心にEUが連合して新勢力として復活し、中国やインドが台頭する、世界帝国主義の新たな多極化の時代であると考えています。
 また、レーニンのように、帝国主義の時代を二十世紀以降と考えるのは誤りであって、ヨーロッパの強盗どもが、アメリカやアジアやアフリカを蹂躙した16世紀以降の歴史は、帝国主義強盗の歴史と呼ぶべきであるとも考えていますが、それについてはまた稿を改めて述べたいと思います。
 
 (3)金融資本の悪行とその手先としてのブッシュや小泉
 
 このアメリカの政策に沿って、この間の日本では、例えば不動産価格の継続的な高騰という「神話」を作り出して、そこに庶民の「たんす預金」に至るまでのあらゆる資金を殺到させてバブルを作り出し、その後それを一挙に崩壊させて社会からの大収奪を実行する、さらにその上に「銀行が倒産すると社会的不安が起こる」と大宣伝して預金金利を0近くまでも下げ、当然庶民に配分されるべき利息を年間2〜30兆円も収奪した上さらに銀行には国民の税金の中から数十兆円もの資金を無利子で投入したうえ回収不能にして終わりにするなどという、全く荒っぽくあくどい手口の収奪が国家ぐるみで行われました。さらにブッシュのポチと揶揄された小泉によって、アメリカが1994年以来毎年出している「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」の要求に沿って郵政の民営化が強行され、日本の庶民がこつこつと積み立てた350兆円と言う膨大な郵便貯金や簡易保険の掛け金がアメリカ財務省証券を買ってアメリカを救済する資金にされてしまいました。(関岡英之著「拒否できない日本−アメリカの日本改造が進んでいる」文春新書、森田実著「小泉政治全面批判」日本評論社刊)
 さらに彼らは、自国の金融資本家たちの利益のために、様々な口実をでっち上げて侵略戦争を開始し、アフガンやイラクの数十万人の命やアメリカの数千人の若者の命を奪うことと引き換えに軍需産業に年間50兆円を超える税金を湯水のごとく注ぎ込んでむさぼることさえ平然として行っているのですから、人でなしである彼らの罪悪は計り知れないものでしょう。
 だから、米日の金融資本の手先としてブッシュや小泉が推し進めている政策に比べれば、このアメリカの政策にそってホリエモンが行った一連の錬金術や、不動産の担保権を証券化しミンチのような細切れにし、それを様々な証券のミンチと混ぜ合わせていわばハンバーグのように1つにして販売するというサブプライムローンをめぐる金融商品などのこの程度の小細工は悪さの程度としても全くの序の口でしょう。
 だがこのような様々な小細工の積み重ねを通じて、現代の支配者である巨大な独占資本と銀行資本の複合融合体としての金融資本グループどもは、世界的な規模で民衆の労働の成果を盗み取り続けているのです。(366号へ続く)
 

反戦通信−19・・・「米兵性犯罪が24%増」

 沖縄で米兵による女子中学生暴行事件が起こり、沖縄県民の怒りが爆発し抗議活動が続いた。驚いた米軍首脳は、夜間外出禁止令や基地外禁酒令などを出したり、綱紀粛正に乗りだした。
 ところが、酩酊して民家に勝手に不法侵入したり、禁止令のさなか米軍基地の金網を乗り越えて建造物侵入事件を起こしたりと、米兵による事件が相次いで発生、米軍首脳の統率力がまったく低下していることを証明してしまった。
 そんなことも影響してか、昨年末米軍岩国基地の海兵隊員4名が日本人女性を集団暴行した事件について、米海兵隊司令部は20歳〜39歳の4人を軍法会議にかけることを決定した。広島地検は4人を不起訴にしている。日本の捜査当局が不起訴にした米兵を、米軍が軍法会議にかけるとは異例なことだという。
 こんな折、米国防総省の報告書により全世界の米軍人による性犯罪が、2006年に前年比で24%も増加していることがわかった。報告書によると、06年の強姦罪(未遂も含む)は2947件で05年(2374件)に比べて573件も増加している。また、訴えた後に被害者が申し立てを取り下げる事例(今回の沖縄の女子中学生暴行事件も被害者は訴えたが、その後マスコミなどによる騒ぎがあり、結局申し立てを取り下げた)も増えており、06年は取り下げ件数は670件と前年(327件)に比べて倍増している。
 被害者が申し立てをしたケース(申立件数)で見ると、04年は1700件、05年は2047件、06年は2277件と右肩上がりに急増している。
 さらに図を見ると、06年の申立件数の内訳は、加害者と被害者が米軍人の事件が1167件(51%)、加害者が米軍人で被害者が民間人が658件(29%)、加害者が民間人で米軍人が被害者は82件(3.6%)、被害者が米軍人で加害者が特定できない事件が370件(16%)となっている。
 申立事件の発生場所を見ると、軍事施設内が1208件(53%)、施設外が953件(42%)、未特定が116件(5%)である。
 なぜ、このような報告書がまとめられたのかといえば、実は米国内でアフガン戦争後に米兵に性的暴行を受けたという女性らの告発が相次ぎ、問題が表面化し、米連邦議会が国防総省に実態調査を勧告したからである。
 この米兵の性犯罪件数について、米国内で性犯罪被害者へのケアサービスを提供するNPO団体は、米国防総省の報告件数よりも多くの報告が被害者から寄せられていると述べている。また、米退役軍人省の03年調査によると、性犯罪被害を受けた退役女性兵のうち、実際に軍当局に報告したと回答したのは約28%だったとの結果も出ている。
 最近、日本の自衛隊内部でも女性自衛官が上官男性から暴行を受けたと裁判闘争に立ち上がったケースも出ている。
 今回の国防総省の報告件数はまさに氷山の一角であろう。アフガンやイラク戦争などにかり出されている米軍兵士の規律は当然崩壊しているだろう。殺人部隊という軍組織に潜む暴力性はどの国の軍隊でも同じである。
 旧日本軍を初めとして、軍隊のおもむくところ強姦あり。人類が愚かな戦争をはじめて以来、これが歴史の事実である。(E・T)


色鉛筆・・・「イージス艦あたごの事故に思う」

 イージス艦あたごと漁船の「衝突事故」・・・果たしてこれが本当に正しい表現なのだろうかと疑問に思う。例えば10トンもある大型車が、三輪車の子供を轢いた場合、それを「衝突事故」と表現するだろうか?「そこが三輪車の子供が走るところとは知らなかった」と言って、スピードを緩めること無く突っ走って轢き殺した場合、大型車の運転手は無罪放免されるのだろうか?
 人と人との場合には、こうした事柄が一目瞭然なのに、相手が国や防衛省・自衛隊などといった場合にはなぜこんなにも曖昧な表現になってしまうのだろう?何の罪も無い人を殺してしまったことに変わりはないはずで、そこははっきりと表現すべきだ。
 「大型船は速やかな停止や方向転換が難しいが、小型船の方は小回りがきくのだから、現在の海上衝突予防法は見なおすべきではないか」と発言する人がいる。そんな風に強い者優先へのルール変更は、間違っている。真になすべき事は、事実の究明とそれを公開することであり、そのことが本当の意味での謝罪にもつながるはずだ。イージス艦は「機密」だらけだからと、うやむやにして逃げることは許してはならない。
 3月2日に吉清さん宅に謝罪に訪れた福田総理に、親族からの思いをまとめた手紙が手渡されたと報じられた。それを言葉どうりに受けて、石破防衛大臣の続投にお墨付きをもらったと解釈して良いのだろうか。いずれ時が過ぎ去ってみれば、加害の側の国や防衛省・自衛隊にのみ利益が残ったというのであれば、漁船のお二人は浮かばれない。
 えひめ丸やなだしおの事故、そして今回のあたごと悲劇が繰り返されるのは何故か。勝浦漁港での祈りの声、海にむかって泣き叫ぶ親族の声が、いつまでも耳に残っている。 

 沖縄で、米兵による暴行事件が起こるたびに、「そんな時間に出歩く女性が悪い」「ついてゆくほうが悪い」と被害者の側を責める声が平然と出されるようになってきた、そういう風潮が恐ろしい。今回も、漁船の側を非難する声もあった。でも「軍隊は人を守らない」殺しても、殺人の罪に問われない組織なのだから。(澄)


住基ネット合憲判決出る! 最高裁(さいていさい)の不当判決糾弾!

 さる3月6日、最高裁で4つの住基ネット訴訟の判決がありいずれも住民側敗訴だった。この中で大阪訴訟は、2審で住民側が勝訴しているのをひっくり返したものである。
 判決要旨によると、@「システム上の欠陥で外部から 外部から不当にアクセスされるなどして本人確認情報が容易に漏えいする具体的な危険はない」、A「情報の目的外利用や秘密の漏えいは懲戒処分や刑罰で禁止されている」、B「住民基本台帳は情報の適切な取り扱いを担保するための制度的措置を講じている」、として「住民の情報が行政目的の範囲を逸脱して第3者に漏れる危険は生じておらず、プライバシー権は侵害しない」とする判断を下した。
 しかし、この間住基ネットのセキュリティ情報が流出した北海道の斜里町のケースや、住民票コードそのものが流出した愛媛県の愛南町のケースに見られるように、住基ネットには情報流出の欠陥があることは明らかである。一度流出した個人情報は、二度と取り戻すことはできないのである。それなのに、国や最高裁はプライバシー権の侵害はないと言う。ふざけた話である。
 また、行政機関が集めた個人情報は、データマッチングされ歯止めがきかなくなり、国による市民を監視する状況が強化されている。

住基カードの利用は総人口のたった1.5%!
 住基ネットは、費用対効果という面から見ても割が合わない。導入コストが約390億円、年間のランニングコストが約140〜190億円かかっている。これに対し、国民が得られる利益としては、住んでいる区市町村以外でも住民票が取れること(広域交付)や、パスポート申請の際に住民票の写しが不要になったことなどしかない。住基ネットを利用するのに必要な住基カードの発行枚数は、総務省は2003年度だけで300万枚を見込んでいたが、昨年末までで約187万枚。普及率はわずか1・5%しかない。税金の無駄遣いである。

住基ネット不参加の自治体は今後も不参加を!
 現在住基ネットに不参加の自治体は、福島県の矢祭町、東京都の杉並区・国立市がある。また、住民側勝訴の大阪高裁判決を受け入れ、個人離脱を認める方針を出した大阪府の箕面市の例がある。最高裁判決を受けて国からの圧力が予想されるが、住基ネット不参加の自治体は今後も不参加を貫いてほしい。
 4つの訴訟で最高裁判決が出されたが、全国では他にも数多く住基ネット訴訟をしているところがる。ここで紹介するのは、私も原告の1人である関西住基ネット訴訟である。この裁判の判決は、5月8日午後2時大阪高裁大法廷で行われる。皆さんのご支援を。 (こ)


TV作品 「3月10日 東京大空襲 語られなかった33枚の真実」を観て
―戦争の残虐さと愚かさを伝える


■カメラマン石川光陽と東京大空襲

 1945年3月10日の未明、東京の下町は突如襲来した300余機のB29に眠りを覚まされ、頭上から降り注いだ約3000発の焼夷弾によって焼き尽くされた。2時間半にわたる空爆が終わった朝、下町は焼け野原となり、黒こげの焼死体が累々と横たわり、川には溺死体が重なっていた。死者の数およそ10万人、被災者100万人という、未曾有のジェノサイドであった。
 番組は、この大空襲を写真に撮った警視庁のカメラマン石川光陽を主人公とし、当時の東京下町の姿、空襲で燃え上がる街の情景、おびただしい焼死体や溺死体をカメラにおさめなければならない主人公の苦悩、人々の命がかくも軽く扱われる事への怒り、そして戦後にGHQから写真の提出命令を受けるがこれに抗してネガを守り通す姿などを描いている。

■累々たる黒こげ死体と溺死体

 光陽の撮った写真は33枚残されているが、様々なパンフレットや本に掲載されており、見たことのある人も多いだろう。
 少し離れて転がっている母親とその乳飲み子と思われる二つの黒こげ死体の、母親の背中の部分だけが白く焼け残っている写真。おんぶ紐が焼けきれる直前まで子どもは母親の背中におわれていたのだろう。交差点にうずたかく折り重なっている、半ば白骨化した焼死体。火消し作業の甲斐もなく猛火に焼かれた警防団の人々のようだ。そして、隅田川の川岸に打ち寄せられた無数の溺死体……等々。
 「こんな惨めな姿を撮らないでくれ」と死者が言っているようにも見え、カメラを向ける光陽の手は震える。手を合わせて謝りながら、それでもこの情景を歴史の証言として残せるのは自分だけだと言い聞かせ、撮り続ける。火傷を負い、疲労困憊して帰った警視庁の廊下で聞いた大本営の放送の「…その他、鎮火」の言葉に、「その他とは何か!」憤りの声を上げ、再び火と煙にくすぶる街に出て行く。自分が見たおびただしい数の無惨な死体、そのそれぞれに日々のつましい暮らしがあったことを知る光陽は、彼らの人生が「その他」扱いされたことが許せなかったのだ。街の中では、軍の憲兵から「非国民!」ののしられ暴行を受けるが、「私以外に誰が撮るか!」と抗って、撮り続ける。
 そのようにして撮られた33枚の写真だ。

■重慶空爆に拍手を送った日本人も問われている

 もちろん、あの戦争において、日本人は単に被害者としてだけあったのではない。東京大空襲に先立つ1938年、中国の重慶に対して日本は空爆を開始した。空爆は次第に無差別絨毯爆撃となり、43年に終結するまで218回に及んだ。被害者は、空爆の直接被害だけで1万2千人に達し、揚子江には毎日のように死体が流れていたという。
 そのころ日本の映画館では、「本日は絶好の空爆日より!」のアナウンサーの弾む声とともに重慶空爆の様子がニュース映画として流され、観客はそれに拍手と歓声で応えていた。
 東京大空襲の遠因をなした光景が、まぎれもなくここにあったのだ。

■元米兵たちの動揺が語るもの

 ドキュメンタリー部分では米国現地取材も生かされ、大空襲計画の立案とそのための最も効果的な兵器としてM47焼夷弾が開発されていく過程、大空襲を行ったB29の元搭乗員たちの現在の姿などが取り上げられている。
 空襲計画の立案にあたっては、米国内において部屋の内部までがそっくり再現された日本家屋の棟が建てられ、この家屋を最も効果的に破壊する兵器として、ジェリー状のガソリンを充填して束ねたM47が開発されたこと。またこの空爆を指揮したカーチス・ルメイは後に米空軍参謀総長にまで上り詰め、戦後は日本政府から航空自衛隊の育成に貢献したとして国家元首などに与えられる勲章以外では最高とされる勲一等旭日章を受けたことなども紹介されている。
 米国側の映像として私がもっとも心を動かされたのは、元搭乗員の老人たちが、光陽の撮った33枚の写真を見せられた時の表情だ。彼らは毎年「同窓会」を開いてにぎやかなパーティに興じており、東京大空襲の戦役に参加したことを誇りにも感じている。しかし光陽の写真を手に取ったとき、彼らの顔からは笑顔は完全に消え、手は心なしか震え、口から出る言葉はとぎれとぎれで、つらそうだ。
 機長は「こんな写真は見たことがない…」、最初の焼夷弾を投下した爆撃手は「人が死んでいることは分かっていたが…、任務だから仕方なかったんだ」、そして他の爆撃手も「たまらないよ」「ここに写っている人たちは何も語れない…」とつぶやくのが精一杯だ。
 少し前まで、自分たちが行ったことに対して何の疑問も感じず、むしろそれを誇りに思っていたかに見える人々が、戦争の真実の一端を見せられたとたん、言葉を失い、沈痛な面持ちを浮かべざるを得ない。ここには、戦争を生みだし、拍車をかける背景とともに、それに歯止めをかけるためのヒントが示されていないだろうか。
 もちろん、戦争を生み出すメカニズムは、軍産複合体の問題を持ち出すまでもなく、社会経済体制のあり方に根っこをおいている。そこを変えない限り、戦争がなくなることはない。
 政・官・財に巣くう戦争勢力を監視し、追いつめる活動を強めよう!   (治)


オンブズな日々・その31 常軌を逸した自治体の企業誘致!

 2月15日、「松下、姫路進出を決定」という大きな見出しが地元紙を飾りました。松下電器産業はすでに尼崎市内にプラズマテレビ用パネルを生産する2工場を稼動(すでに3番目の工場建設も決定)させており、今回液晶テレビ用パネルの工場を姫路に建設するということで、「関西経済活性化を引っ張る先端デジタル家電の集積地の中、兵庫は中核的な位置を占めることになる」(2月15日「神戸新聞」)そうです。
 その背景にあるのは、自治体が法外な補助金を注ぎ込んでの熾烈な企業誘致合戦です。1月下旬に兵庫県が公表した『本県の企業立地効果について』によると、2006年の県内企業立地は「件数だけではなく、雇用予定者数(4651人)と設備投資総額約2740億円」も全国一位になっています。
 その実態は、例えば松下電器産業のプラズマパネル工場誘致では、「兵庫県は3工場合わせ約170億円の補助金に加え、予定地の土地利用を変更して誘致を実現。井戸敏三知事は『県の負担は少なくないが、雇用拡大や税収増につながる。補助に見合う波及効果は十分ある』と歓迎した」(2007年12月27日「神戸新聞」)というものです。
 一方、シャープの液晶テレビ用パネルの新工場では、姫路市が有力候補に浮上していたが、補助金を大幅に引き上げた大阪府に巻き返され、堺市での建設が決定しています。その姫路の候補地だった出光興産製油所跡地に松下が進出するのですが、県はシャープ誘致の敗北後、松下にアタックしていたのが実を結んだというわけです。
 大企業の笑いが止まらないこの誘致合戦、財政再建を口実に切り捨てられつつある県民にいかなる御利益≠るのでしょうか。井戸知事や県当局は自画自賛していますが、松下は尼崎で何人の正職員を雇用したのか? 大企業に170億円もの税金を呉れてやるくらいなら、その予算を直接に雇用創出や福祉に活用したら、どれだけの県民が助かるかわかりません。
 姫路の工場誘致においても県は90億円の補助をする方針で、姫路市も税の免除・減免によって6年間で約100億円の助成を行うとしています。さらに、姫路市民の雇用に対してもひとりにつき30万円の雇用奨励金を助成(3年を6年に延長)するそうです。ここで補助に見合う波及効果≠ニはどんなものだろうか。
 松下は総投資額3000億円、雇用創出1000人としていますが、それは、儲けんがためであって、地域に恩恵を与えるためではありません。資本としてがっぽり利益を懐に入れたあとの、せいぜいその残りかす程度の恩恵に過ぎないのではないでしょうか。
 尼崎の例では「経済規模を示す06年度の域内総生産が前年度より2150億円増え、13・5%の2桁成長。周辺には中小製造業の進出が相次ぐなど、『松下効果は計りしれない』(県)」(2月15日「神戸新聞」)という数字が示されています。そもそも、こうした数字が労働者にとってどれほどの意味があるのでしょうか。むしろ、示された成果≠ェ低賃金労働の拡大という結果を招いているのではという危惧が先立つし、税金を投入して誘致した企業も非正規労働者を生み出しているのなら、まるで自治体発の雇用破壊ではないでしょうか。   (晴)


.読者からの手紙

住民投票条例の策定を求めて、第2回目の請求署名運動始まる

 三月六日、横須賀米軍基地への 原子力空母の配備に対して、原子力空母配備の是非と同空母の安全性を問う住民投票条例の制定を直接請求する第2回目の署名運動が始まりました。
 この間、原子力空母の母港化に反対してきた横須賀住民たちは、六日午前中に市役所で署名簿に入れる請求代表者証明書を受け取り、署名簿を七千部作成して、同日の午後四時から、横須賀中央駅前で署名運動を開始いたしました。
 地方自治法にもとづく同署名運動の期間は、四月五日までの一カ月です。直接請求には、横須賀市内の有権者の五十分の一(約七千二百人)の署名が必要ですが、地元住民でつくる「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」は、2回目の取り組みであるので署名六万人以上をめざしております。
 このように、今回の署名運動は二回目なのです。前回は二〇〇六年十一月に実施して、予想を超えた四万一千人を超える市民が署名しました。残念ながら署名で要求された住民投票条例案は、横須賀市議会で否決されました。しかし、この書名に対して旗幟鮮明にしなかった議員達への批判は彼らに深刻な影響を与えたとともに戦前・戦後と一貫して「軍都」横須賀として栄えてきた横須賀市で、直接請求に必要な数の実に約六倍の署名が集まったことは、当然のことながら横須賀市議会に大きな衝撃を与えたのです。この事が第2回目の取り組みの契機とはなりました。
 アメリカは、今年八月にも、横須賀米軍基地に原子力空母ジョージ・ワシントンを配備する計画を明らかにしております。しかし、いつものことながら、配備を半年を切ったというのに、米軍や国・横須賀市が、いまだに原子力空母の情報をほとんど明らかにしないことに市民の間で不安や不満が広がっているのです。
 今回署名を集める受任者は、三千人(前回約二千二百人)を超えて、前回と比較しても一層力強い取り組みとなっております。
 横須賀市に居住する友人や知人がありましたら、是非協力を呼びかけてください。よろしくお願いいたします。 (笹倉)


ヒナ祭りにちなんで

3月3日のヒナ祭りの日がやってくると、思い出すことがある。戦時中、防空壕というのを掘って、そこに避難した。母はその壕に何を入れたであろうか。最も必要なもの。それはヌカミソの樽とおヒナ様であった。ヌカミソは保存食としてであろう。おヒナ様は?
 戦争がすんで、食うモノもないが、日常がもどってきた。女学校の1年であった。その翌年、学徒動員からもどり、私の上級生でもあった姉上たちのクラスで、ヒナ祭り(多分、S・20年8月・戦争がやんだ年・の翌年の3月3日であったろう)をやろうという話がもち上った。壕で生き残ったおヒナさまは、内裏さんもお姫さんも髪が抜けて、どちらもツルッハゲ。母はツルッハゲのおヒナさま一式を揃えて姉にもたせてやった。ツルッハゲのおヒナさまを飾って女学生たちが祝ったそうだ。毎年3月3日がくると何度でもこのお話を思い出す。
 沖縄では白骨になった女子学生をいたむ塔が建ったのも、S・56年というずうーと後のことだったのだが・・・ 祭りとは? についての研究も多々あろう。2、3年前のことだったと思うが、瀬戸内海の島の一つ女木島(鬼が島の異名で有名)に渡った時のこと。鍵もかけずに眠る海の村? であった。それ位だからおまわりさんも事件なしでヒマなのか、島の文化会館で、見かけた立派な手製の鬼のお面は○○駐在所の作であった。
 この島の若者は殆ど出稼ぎに島を離れており、島と彼らをつなぐものは島の祭り●男の鬼の祭り●であり、祭りに戻れぬ者は何がしかの寄附をして島とのつながりを保つ証とするそうだ。ついでだが、島の自治を司るには長老たちで、おまわりとてその下に位置するという、のどやかな島の構造。イースター島のモアイ像あり、鬼の洞窟ありで、観光は島の経済をうるおす手立てらしい。
 瀬戸内海に沈んだ平家の一門にまつわる話や、残された霊地も興味深いがここでは止めておく。慣習というのは日常の生活で生きやすい形を発見し、作られてきた形であろうし、小さな共同体(家)の集まった共同体・集団の求心的な性格を帯びた行事が、その象徴的な表現となろう。祭りとは小共同体のものであれ、大共同体のものであれ、そうした性格をもつものであろう。豆まきしかり、ヒナ祭りしかり。今年は、買い求めた元禄ビナ(やきものの内裏さんとお姫さん)を飾った。おヒナさまにまつわる、今はない母の思い出とともに、頂き物の焼酎なめて祝った。
詩作ひとつ
抱えているのは 闇か、はたまたコチンとした芯か
 黒いつぶつぶのひとつひとつ はじけはじめた二つ三つ…新たな黒いつぶつぶ…つぶつぶ。つぶつぶ。
 ●黒ブドtの詩● 宮森作  08・3・3 よる(宮森常子)

編集あれこれ
 編集あれこれとは、前号の紹介コーナーのことです。
さて前号ですが、1〜2面はイージス艦「あたご」による漁船への衝突事故のことを取り上げています。1面記事にある、マニュアル化した管理体制では事故は防げない旨の記述は、まさにそのとおりだと思いました。
 3〜5面は、労働問題について取り上げています。労働契約法は、労働者にとっていいことはほとんどないと思いますが、法律は闘う人には武器になる旨の記述、もっともだと思いました。そのいい例が、5面のマクドナルド残業訴訟です。これは、企業によるサービス残業に対する強い警告です。
 6〜8面は、色鉛筆、読者からの手紙、コラムの窓等です。8面の死刑制度についてですが、来年度から裁判員制度が始まります。そうなると、今の状況では死刑判決が大幅に増加するような気がします。嫌な世の中ですね。
 (河野)