ワーカーズ370  2008.6.1.    案内へ戻る

許せない宇宙への軍拡!自・民談合による宇宙基本法の制定を糾弾する!

 5月21日、宇宙空間の“軍事目的”での利用拡大に道を開く「宇宙基本法」が制定された。
 すでに多目的な情報収集≠ニいう姑息な形で宇宙での軍事利用は始まってはいる。が、今回成立させた宇宙基本法は、平和利用≠掲げた宇宙空間での軍事利用の拡大の障害として立ちはだかってきた国会決議を取り払うもので、宇宙空間の軍事利用に一段と拍車をかけるものになる。飽くなき軍拡の野望に対して強い憤りと糾弾の声を上げざるを得ない。
 今回の宇宙基本法は、周知のように、自民・公明の与党と民主党の合意に基づいて与野党間で協議されてきたものだ。それが四川省での地震報道や老人医療問題などの陰に隠れるように衆院の内閣委員会ではたった2時間の審議で可決し、後はスケジュールどうりに21日に国会で成立させてしまった。宇宙での軍拡を呼び込む軍事上の大転換にもかかわらず、あまりに安易な制定という以外にない。際限のない軍拡をやめさせるために、あらゆる機会を捉えて反対の声を上げていきたい。
 今回の宇宙基本法の制定はいうまでもなく宇宙の軍事利用に大きく弾みをつけるものになる。すでに自民党が06年秋にまとめた「わが国の防衛宇宙ビジョン」でも早期警戒衛星や本来の偵察衛星を15年までに導入すると明記してきた。水面下では偵察衛星の“16基体制”の思惑も語られている。
 偵察衛星や早期警戒衛星は、単に防衛システムとしての性格だけを持つものではない。それは相手国ミサイルへの対抗措置、すなわち敵地攻撃能力、あるいは先制攻撃計画と連動するものだ。現に安倍政権のもとではこうした構想も声高に語られてきた。
 それに宇宙の軍事利用はロケット開発を進めている軍需産業の利害とも結びついている。現にH2A事業を委託された三菱重工業や「GX計画」で中型ロケットを開発しているIHI(旧石川島播磨重工)など、官民が絡んだロケットの開発・参入計画がしのぎを削っている。自民党の国防族をはじめとする軍拡推進派は、こうした軍需産業の利権がらみで宇宙軍拡を推進しようとしているのは明らかだ。
 いま身の回りを振り返れば、社会保障費の削減で日本の社会保障システムが破綻の瀬戸際に追い込まれている。増え続ける社会保障費を消費税引き上げでまかなうという議論が横行し、福田内閣も消費税引き上げを政治日程に乗せる姿勢を強めている。消費税の引き上げ=福祉目的税化の議論なども、裏を返せば軍事費などを聖域化したい、という思惑もある。
 飽くなき軍拡を追い求める国防族を中心とする軍事至上主義、それに民需不足から利権がらみの官需ロケット開発に傾斜する軍事産業。これらが一体で推進する宇宙空間の軍事利用の拡大を糾弾する以外にない(関連記事あり)。(廣)


許せない宇宙への軍拡! ――利権がらみの宇宙軍拡を糾弾する!――

 5月21日、宇宙空間の“軍事目的”での利用拡大に道を開く「宇宙基本法」が制定された。
 今回の宇宙基本法制定の直接的な契機は、自民党が06年秋にまとめた「わが国の防衛宇宙ビジョン」から始まり、自民党と公明党が昨年6月に議員立法で成立させる態度を固めたことで現実のものになる。が、実質的には98年に北朝鮮がテポドンミサイルを発射し、それを奇禍として自民党の防衛族などが自前の偵察衛星の打ち上げ・保有を強引に推し進めた時点からもくろまれてきたものだ。
 その時点では偵察衛星の打ち上げを急いだこともあって宇宙の軍事利用を制約してきた国会決議そのものは撤廃できなかった。そのときから自民党の国防族や宇宙開発事業を抱える軍需産業などは宇宙基本法の制定による国会決議の撤廃の機会を虎視眈々とねらってきた。

■“タガ”を外された宇宙の軍事利用

 国防族や軍需産業がその撤廃に腐心してきた国会決議というのは69年に採択されたもので、その2年前の67年に「宇宙条約」を批准したことを受けてのものだ。この「宇宙条約」には宇宙の平和利用原則も明記されているが、「宇宙の平和利用」イコール「攻撃的でない軍事利用は可能」だというのが欧米の解釈だった。それ自体欺瞞的なものだったが、憲法9条を持つ日本は、より厳格な解釈を掲げざるを得ず、「平和目的」イコール「非軍事」だと説明して宇宙条約の批准にこぎ着けた経緯がある。当時の日本にとって宇宙空間の軍事利用などはまったく現実離れしたもので、「平和目的」=「非軍事」という解釈でもまったく支障はなかった。ところが現実に日本でも自前の偵察衛星を打ち上げたい、しかもそれも技術的、財政的に不可能ではない、という場面にさしかかるとあっさりと解釈を変えてしまったわけである。国会決議とはそれだけ現実政治の中では軽いものでしかない。
 しかしその軽い国会決議であっても、宇宙空間の軍事利用の拡大にとって一定の制約になってきたのは事実である。現に03年に日本が偵察衛星を打ち上げたときには、その目的が自然災害や資源探査など多目的≠ニされ、名称も偵察衛星ではなく情報収集衛星とされた。しかも偵察衛星が搭載する光学カメラの性能なども「利用が一般化しているか、それと同等の機能」に限られたものという制約を余儀なくされた。それに偵察衛星の運用も防衛省(当時)に持たせないで内閣府が運用するものとされた。
 こうした条件付きの施策という制約は、一面ではなし崩し的な軍拡の常套手段でもあったが、反面で国防族や自衛隊にとっては政治によるタガ≠ニして機能してきたわけだ。そのタガが今回の宇宙基本法の成立によって取り払われてしまったことになる。

■加速する“軍事至上主義”

 今回の宇宙基本法の制定が宇宙空間における軍拡への大転換になるという第一の理由は、いうまでもなく宇宙基本法の制定によって軍事目的に純化したより高性能な偵察衛星の打ち上げ・保有に道を開いたからである。
 これまでは民間準拠ということで解像度も1メートルぐらい、これは米国の数センチ〜10センチに遠く及ばず、米国の商用衛星の40センチにも及ばない。これを少なくとも米国の商用衛星並みかあるいは米軍並みの解像度を持った衛星を保有したい、というのが国防族や軍需産業の思惑である。
 第二は、偵察衛星ばかりでなく、相手国のミサイル打ち上げの兆候をキャッチする早期警戒衛星の打ち上げ・保有の思惑である。北朝鮮のミサイル実験の兆候は、日本の偵察衛星では明確にはつかむことができず、具体的な情報は米国頼みだった。それを今度は自前で持ちたい、ということだ。
 早期警戒衛星によってミサイル発射の兆候を素早くつかむということは、ミサイル攻撃などへの即応力を高めることであり、本来ミサイル防衛(MD)などと連動するものだ。現に日本でもイージス艦搭載のSM3ミサイルやパトリオット3ミサイルの配備もすでに始められている。
 そればかりではない。単にミサイル攻撃への防御だけでなく、安部内閣では巡航ミサイルの保有などによる相手国への先制攻撃の可能性や敵地攻撃能力の保持など、彼らの本音が声高に語られてきた経緯もある。こと軍事に関しては、防衛と攻撃は連動しているのである。軍拡勢力による軍事力の拡大の思惑には全く際限というものがない。
 付け加えれば、こうした対象国に対する情報収集能力の向上のためには軍事・情報機器による情報収集だけでは限界があり、“スパイ”の配置など人間による情報収集、いわゆる諜報機関の拡充によって機器による情報の裏付けを確保する方策も検討されている。いわゆる“日本版CIA”構想だ。今は模索段階だが、いずれ動き出すだろう。
 単に偵察衛星や早期警戒衛星などで相手国の情報を素早くキャッチする、というふれこみを鵜呑みにすれば、ふつうの国民感覚からすれば容認する声もありそうだ。が、現実にはこうした宇宙空間での情報収集活動の高度化は、相手国を刺激して対抗手段を呼び込むことは不可避だ。現に米国のミサイル防衛システムなどに対してロシアなどの強い反発と対抗措置を呼び込んでおり、、新たな軍拡競争の再開の兆候が懸念されている。

■背後にあるのは利権争奪戦

 周知のように偵察衛星の打ち上げにはこれまでH2Aロケットが使用されてきた。しかしH2Aロケットの打ち上げには一基あたり100億円以上の費用がかかる。しかも打ち上げはすでに昨年4月に三菱重工業に民間移管されてもいる。そこでH2Aの事業を引き継いだ三菱重工業は、H2Aをコストダウンした中型ロケットを開発し、09年をめどに商用衛星市場に参入する計画を立てている。その中型ロケットの打ち上げコストは約70億円で納期も3分の一短くなって1年となる。
 実はこの中型ロケットの開発にはもう一つのプロジェクトが進行中だ。03年に官民共同で着手された「GX計画」だ。GX中型ロケットは打ち上げ費用は約70億円。当初は05年に打ち上げをめざすとされていた。その「官」というのは文部科学省やJAXA(宇宙航空研究開発機構)、「民」はIHI(旧石川島播磨重工業)や米ロッキード・マーチンなどの9社連合で、その9社連合は「ギャラクシーエクスプレス」を設立して開発・製造が進められている。
 ところが一段目、二段目のエンジン開発に手間取って打ち上げは11年に延期された上、未だに開発の是非や開発主体を巡って官民の間で軋轢が絶えない。当初は「国家事業」として推進の旗振り役を担ってきた文部科学省は、ここにきてGX計画は「民間主体の商用ロケット開発」だとの姿勢に転換し、民間の開発姿勢にゆだねる態度を取っている。文科省の姿勢の転換の背景には、H2A事業を移管した三菱重工業の中型ロケット開発へのてこ入れの姿勢が見え隠れしている。あわてているのが「GX計画」を担っている民間側の企業だ。このまま開発費用だけふくらむ事態は、当の軍需産業にとっての悪夢でしかない。「GX計画」の主軸になっているIHIなどはすでに500億円近い開発投資をしているので後に引けない状況に追い込まれているのが実態だ。
 これら二つの中型ロケットの開発プロジェクトが競合しているわけだが、ロケット打ち上げビジネスで採算をとるには年間三基の打ち上げが必要(三菱重工業)といわれるが、H2Aは07年に二基、08年には一基の需要しかない。現状では世界でも年間二〇基ぐらいの需要しかないのが実態だ。そこに中型ロケット開発が二つも進んでいるとあっては狭い市場を巡って激烈な競争になるのは目に見えている。そこでそうした軍需産業にとって期待の対象となってくるのが「官需」である偵察衛星の打ち上げというわけだ。
 こうした二つのロケット打ち上げビジネスと絡んで水面下で目論まれているのが偵察衛星の16基体制だ。現在は工学カメラを搭載した衛星2基、レーダー衛星2基という4基の偵察衛星をとばしている。こうした4基体制では、地球上で撮影したい地点を一日4回しか撮影できない。16基体制が実現すれば90分間隔というほぼリアルタイムの情報が手にはいる。いわば偵察衛星の本来の運用に近づける意味でも16基体制にしたい、というのが国防族などの野望でもある。
 それに一六基体制ともなれば5年程度とされる衛星の寿命の関係で毎年3〜4基の衛星を打ち上げる必要がある。だから16基体制は安定的な打ち上げ需要を確保することを意味するわけで、軍需産業にとっては垂涎の的になっている。
 いま守屋前防衛次官、久間元防衛大臣、防衛フィクサーなどの贈収賄事件、あるいは米軍再編がらみの利権に目が向けられているが、この宇宙産業をめぐってもすでに国防族や文科省、防衛省を貫いて防衛利権の争奪戦が繰り広げられていることは想像に難くない。だから今回の宇宙基本法の制定は、とどまることを知らない軍拡の野望と防衛利権をめぐる攻防戦がないまぜになって実現されたと受け止めるべきだろう。

■許せない利権がらみの宇宙軍拡

 繰り返すが、宇宙空間の軍事利用に道を開く宇宙基本法の制定は、軍拡至上主義と軍需産業の利害の抱き合わせのなせる仕業だ。
 事の性格を考えれば、自民党政治をチェックする役割で信任されたはずの民主党による自民党との“共同謀議”は許すことはできない。こうした事態を目の当たりにしては、ガソリン税の特別税率の廃止や後期高齢者医療制度に反対している姿勢は、単に政局がらみのパフォーマンスにすぎないことになる。
 という以前に、民主党には自民党以上に軍事タカ派の議員がいっぱいいる。前代表の前原などは、代表時代に「中国は現実的脅威」だと自民党や政府の「潜在的脅威」という立場をも超えた発言をして物議を醸した。そうした軍事タカ派議員も含め、民主党そのものが宇宙空間の軍事利用の拡大と宇宙・航空産業の育成という選択肢は保持しておきたいという思惑もあるのだろう。今回の談合政治の顛末は、民主党も第二保守党であり、自民党と同じ軍拡・改憲勢力であるという本質が現れたとしかいいようもない。
 いま、格差社会の進行や少子高齢化の中にあって、医療、年金、介護、生活保護など、生活保障制度が崩壊の瀬戸際に立たされている。財政の上からもそうした社会保障への下支えが急務だと叫ばれているにもかかわらず、政府は毎年2000億円の社会保障費の削減の姿勢を崩していない。こうした事態に、福田内閣はいよいよ消費税の引き上げを政治日程にあげ始めた。そうした中で福祉目的税として消費税を引き上げるという世論誘導も加速されている。
 仮に少子高齢化や社会保障支出が増える傾向が避けられないのであれば、それは国家財政の支出を他の費用、たとえば軍事費などを削って社会保障により手厚く振り向ければいいだけの話である。それを社会保障と消費税の引き上げをリンクさせる議論を強要するのは、他の費用、たとえば軍事費などを聖域化するもの以外のなにものでもない。
 こうした意味でも今回の宇宙基本法の制定は軍事至上主義に大きく踏み込むものであるといわざるを得ない。軍拡勢力と軍需産業の野望は打ち砕いていくしかない。(廣)案内へ戻る


社会保障と消費税を考える−−社会保障国民会議の年金財政資産を素材に−−

■消費税をめぐるいくつかの立場

 政府の社会保障国民会議が、雇用・年金分科会で、基礎年金部分を全額税方式に移行した場合の財政試算を発表した。過去の保険料納付や国庫負担分をどう反映させるかに応じてA、B、C@・CAの4つのケースに分け、最も消費税額が低くてすむAで09年と25年に5%、50年に7%のアップ、最も高くなるCAで09年に12%、25年に10・5%、50年に9・5%アップになると試算している。
 この試算に対して、税方式への移行を唱えている財界などが、反発をしている。現行の保険方式を維持したい厚労省官僚を利する試算になっているというのだ。厚労省だけでなく、財務省にも、虎の子の消費税は年金以外にも使いたいとの思惑、また当面の重要課題である年金への国庫負担を3分の1から2分の1に増やすための消費税増税を実現するためには、本格的な消費税論議は先延ばししたいとの思惑があると報じられている。
 背景には、企業の保険料負担を減らして勤労者への消費税に転嫁したいという財界の思惑、同じく勤労者への負担の転嫁を狙いつつもそれを「自助努力」「給付には負担がともなう」という意識涵養と一体で進めたいとの厚労省の立場の対立がある。
 財界が年金をはじめとする社会保障の財源として消費税を推奨しているのは、第一には社会保険に対する企業負担を減らすこと、そして同じ税でも大衆課税的性格・逆進的性格の強い税でそれを補うことを狙ってのことだ。そして厚労省はと言えば、介護保険制度、障害者自立基本法などを通して押し進めてきた「自助としての社会保障」の流れを変えたくはないのだ。

■誰のための消費税か

 財界の組織的代表である日本経団連は、一貫して企業の社会保険料負担の軽減と法人税の減税、消費税の増税を主張してきている。彼らは2007年の提言では2015年までに消費税を10%まで上げよと言っており、5月14日に発表された新たな提言では消費税は「10%ではすまない」「抜本的な検討作業を始める」とまで言いはじめている。
 こうした財界の要求は、極めてエゴイスティックなものという他ない。彼らは、消費税は消費額の多い者(所得も高いと想定される)は多く、消費額の少ない者(所得は低いと想定される)は少なく負担する税だから公平だなどという。しかしそれは事の一面に過ぎず、むしろ消費税の最大の特徴がその逆進性、つまり所得の多い者ほど所得に対する税負担の割合が小さくなり、逆に所得の少ない者ほど税負担割合が大きくなる点にあることは明らかだ。それどころか消費税は、所得のまったくない者にさえ、金満の高額所得者と同じように課税されるのだ。消費税が持つ労働者・庶民からの収奪という性格は、今回の社会保障国民会議の試算の中でも暴露されている。
 消費税の導入とその税率のアップは、「社会保障のため」「福祉のため」といって合理化されてきた。しかし消費税が導入されて以降、社会保障や福祉は改善され、充実されてきたのか。否、逆に社会保障切り捨て策はますます強化され、02年以降は毎年2200億円の予算減額が続いている。それと対照的に厚遇されてきたのが企業であり、消費税の導入以降企業への法人課税がどんどん引き下げられてきた。89年に42%であった法人税が90年に37・5%となり、99年には30%にまで引き下げられた。消費税が導入されて以降の消費税収は約188兆円に上っているが、その間に行われた法人税の減少がちょうどそれに見合う約160兆円となっていることは、決して偶然ではないのだ。

■消費税増税を封じ込める闘いと社会変革を目指す活動

 年金財源をめぐって消費税論議が高まっている背景には、国民年金の未納問題、年金財政の危機があることは確かだ。保険料負担に頼るこれまでのやり方では年金財政はもたない、いっそ国の税金で、そしてその税金は消費税で、というわけだ。
 しかし年金の未納・年金財政危機の問題は、パート・アルバイト・派遣・臨時雇用の状態で働く労働者が増えたこと、彼らがその日の宿や食事にも事欠く貧困状態に追いやられていること、そして企業が社会保険料の負担を嫌ってそうした不安定で低賃金の労働力を積極的に生みだし、利用してきたことと決して無関係ではない。企業や国が、年金財政を何とか立て直したいと思うのであれば、現在失業や半失業状態のおかれている多くの労働者、ワーキング・プアと呼ばれている劣悪な労働条件で働くことを余儀なくされている労働者たちにきちんとした処遇を保障することこそ先決だ。
 年金危機の背後に企業の保険料負担軽減の要求が存在することを知れば、年金の立て直しの方策も自ずと見えてくる。年金立て直しのために何よりも求められているのは、企業の負担を強化することだ。社会保険料であれ、税であれ、もともとが生活するのにぎりぎりかつかつの賃金しか受け取っていない労働者に負担を押しっけるのは不合理だ。労働者の労働の果実のほとんどを手にしている企業こそが、社会保険料や税を負担するべきであり、また負担能力から言ってもそれが理にかなっている。どうしても労働者に保険料や税を負担させたいと言うのなら、その分を賃金に上乗せしてもらわなければならない。
 企業や政府は「自助努力」「給付には負担がともなう」などと言うが、税も保険料もその源泉は労働者が生み出した富であることを忘れてもらっては困る。労働者はもともと、自らの労働を通して自らを養ってきたばかりか、企業経営者の高額な所得、官僚や政治家などの寄生階級の不労所得も負担してきた。
 労働者が要求するのは、自分で自分をもっとまともに養える所得を企業に保障させること、そしてすでに現役をリタイアした労働者や現状の差別的な制度では労働の場に参加したくても出来ない人々が人間的な生活をおくれるような富の分配を行わせること、さらには人々の豊か瀬幸せな暮らしには何の役にも立っていない無駄と浪費(必要性のない公共事業、軍事費等々と、それらに群がる寄生的階級・階層)を徹底的に整理していくことだ。
 消費税増税のねらいを封じ込める闘いとともに、そうした諸要求や展望を明確にした労働者の社会変革の活動を強化していこう。(阿部治正)


 Revolveする世界 (5)  北山 峻    (前号からの続き)

 (2)西暦0年から現代までの生産力の地域別変化

(e)西暦1820年

18世紀後半からインドの綿布や香料・中国の陶磁器や絹などの輸入の重圧から逃れるために、イギリスはついに蒸気機関を動力にし、織機を機械にすることに成功しここに産業革命が勃発したのです。この産業革命は瞬く間にヨーロッパ諸国やアメリカへと普及し、ここについに弱小諸国の集合であったヨーロッパは、中国やインドを凌駕する魔法の杖を手に入れたのです。ここで弱小国が大国に打ち勝つ世界的規模での歴史の大逆転が始まりました。イギリスで起こった産業革命がヨーロッパ諸国に拡大しつつあった1820年は、丁度その大逆転の転換点に当たる年でした。また、この後の1837年から1901年まで続いたビクトリア女王時代が、「世界の工場」と呼ばれたイギリスの全盛時代でした。
 西暦1820年の世界のGNP総計は6944、うちアジア4112(59・2%)(そのうち中国2286、インド1114、日本207)、西欧1637(23・6%)(そのうちイギリス362、フランス384、ドイツ263、イタリア225,130)、旧ソ連・東欧609(8・8%)アメリカ125(1・8%)でした。
 もうこの頃は、インドはイギリスによって散々に食い物にされて急激に転落し始めていました。それに比してイギリスやフランス、オランダなどの国々はダニのようにアメリカ新大陸、アフリカ、アジア、オセアニアなどの世界各地に食い込み、いまではすっかり没落したスペインやポルトガルに代わって世界各地で残酷な収奪を繰り広げ急速に力をつけていったのです。ヨーロッパ以外では世界でただ1カ国、日本だけが明治維新以後の必死の西欧化・工業化によって西欧の魔手から逃れますが、日本以外の世界の国々は西欧帝国主義の餌食

(f)西暦1870年

 1840年、アヘン戦争によって中国侵略を開始したイギリスに続いて、産業革命によって巨大な生産力を手に入れたフランス、ドイツ、アメリカ、ロシアなどの諸国も続々として世界最大の大国であった中国からの略奪へとなだれ込んでいきました。次々にアジア全体が食い物にされ、ヨーロッパの強盗諸国はこの後、アフリカへ殺到し世界中の領土を分割しました。西アジアの大国であったオスマントルコもイギリスやロシアによって食いちぎられていきました。
 強盗内部での矛盾も激化し、普仏戦争に勝利したプロシャがドイツ統一を成し遂げ、敗戦したフランスでその後パリ・コミューンが勃発しましたが、その1870年の世界を見てみると、
 1870年の世界のGNP総計11014、うちアジア4222(38・3%)(そのうち中国1898、インド1349、日本254)、西欧3702(33・6%)(そのうちイギリス1002、フランス721、ドイツ714、イタリア418、スペイン223)、旧ソ連・東欧1291(11・7%)アメリカ983(8・9%)。
 産業革命による大量生産と金属・機械工業の勃興による工業機械の急速な進歩や鉄道・大型汽船・大型軍艦による大量輸送の実現と、連発式の銃砲や大砲などの重火器の大量生産は生産様式ばかりでなく戦争様式までをも劇的に変革し、西欧諸国の勃興とそれに反比例してのアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の没落はかつてない速度で進行しました。

(g)西暦1913年

 それから43年、第一次帝国主義世界大戦前夜の世界では、アジアはもう見る影もなく没落しました。逆に、この間に新興のアメリカは生産力を5倍にして世界第一の経済大国になり、後進のドイツもイギリスに対抗しうる生産力を持つに至りました。ロシアもフランスの援助によってシベリア鉄道を完成し、急速に生産力を増強しました。こうして植民地大国のイギリスと新興のドイツの対立を軸に第一次世界大戦が勃発します。
 1913年の世界のGNP総計27048、うちアジア6642(24・6%)(そのうち中国2413、インド2042、日本717)、西欧9064(33・5%)(そのうちイギリス2246、フランス1445、ドイツ2373、イタリア1650、スペイン457)、旧ソ連・東欧3539(13・1%)、アメリカ5174(19,1%)でした。
 第一次世界大戦の結果、360万人の軍人が死傷し、210万人が捕虜になるという惨憺たる状態に陥った絶対主義的帝国主義国ロシアで農民を主力とした革命が起こりツアー政府が打倒されたのをはじめ、ドイツでも帝政が打倒されて皇帝ウィルヘルム2世が廃位し、ロシアと同様の絶対主義的帝国主義国であったオーストリア=ハンガリー帝国やオスマントルコ帝国でも絶対主義的帝国が崩壊しました。
 また最大の武器輸出国として空前の好景気の恩恵を受け、債務国から債権国に転じたアメリカが世界最大の帝国主義国として台頭し、火事場泥棒的にアジアにおけるドイツの権益を簒奪し、好景気に沸いた日本がイギリスから完全に自立した帝国主義国となりました。

(h)西暦1937年

  第2次世界大戦のころはどうだったのかを見てみます。今から考えてみても第二次世界大戦に突入した当時の日本の天皇制軍国主義の残酷な侵略主義と、その結果として広大な中国で泥沼に引き込まれ、次々に戦線を拡大し遂にはアメリカやイギリスとの全面戦争によって国土を焦土と化した、その国家としての反人民性と残虐性は極限状態にまで達していたのです。一方で、アメリカやイギリスの狡知とその残虐性もしっかり見ておく必要があります。
 今、1937年当時の七大帝国主義国(米・英・独・仏・伊・日・ソ)の国民所得(GNPと同じ)を見てみると(単位10億1937年ドル):アメリカ68、イギリス22、ドイツ17、フランス10、イタリア6、日本4、ソ連19であり、日本はアメリカのわずかに17分の1でしかなく、同じく1937年の相対的に見た潜在的戦力(つまり総力戦になった時の総合戦力)で見ると、世界全体を100として、アメリカ41・7、イギリス10・2、ドイツ14・4、フランス4・2、イタリア2・5、日本3・5、ソ連14・0で、これも日本はアメリカの12分の1でしかなかったわけです。(ポール・ケネディ著「大国の興亡」下巻、草思社刊、p95)
 米英との戦争で言えば、日本は「窮鼠猫を噛む」状態だったわけですが、しかし結果としてみればやはり鼠はねずみでしかなかったのです。

(i)西暦1950年

 第2次世界大戦によってヨーロッパ全域と日本・中国は主戦場となり壊滅的な打撃を受けました。一人アメリカだけが戦場になる事もなく更に生産力を倍増して戦争から抜け出しました。その結果アメリカは一国だけで西欧諸国の合計をも上回り、中国の6倍、アジア諸国全体のおよそ1・5倍という圧倒的な生産力を持つに至りました。ただしスターリンのソ連は、戦争によって東欧諸国を自己の従属下に組み込み、バルト三国ばかりかポーランドやルーマニアや日本から領土を略奪し、「満州」などからの収奪によって生産力を増強しました。1950年には、4億5733万人の人口しかない西欧+アメリカが世界のGNP総計のうち53・6%を占めているのに対し、13億8186万人の人口をかかえていたアジア56カ国のGNPが、わずかに18・5%にまで落ち込んでいますが、これはアジアにとっては歴史上最悪・最低の状態でした。
1950年の世界のGNP総計53361、うちアジア9857(18・5%)(そのうち中国2400、インド2222、日本1610)、西欧14016(26・3%)(そのうちイギリス3479、フランス2205、ドイツ2654、イタリア1650,スペイン668)、ソ連(5102)・東欧(1850)合計6952(13・0%)、アメリカ14560(27・3%)。
 アジア諸国は中国革命やインドの独立をはじめとして帝国主義の支配を脱して自立の道を歩き始めました。
 アラブ諸国や、帝国主義によって「暗黒大陸」と称されるほどの徹底した支配の下にあったアフリカ諸国も次々に独立を始めました。イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・日本などの古い帝国主義の衰退が始まりましたが、それに代わって超大国アメリカと社会帝国主義国ソ連とのいわゆる「冷戦」が始まりました。

(j)西暦1973年

 第二次大戦で国土が荒廃した英、独、仏、伊、日などの帝国主義諸国が、戦後復興と「黄金の60年代」と称される経済の高度成長を通じて復活し、逆にアメリカがベトナム侵略戦争での敗戦、反米・反イスラエルの闘争として闘われたオイルショック、ド・ゴールによるドルと金との交換要求によって発現したドル危機、そしてブレトンウッズ体制の崩壊などによってはっきりと衰退を始めた1973年を見てみると、
 1973年の世界のGNP総計160592、うちアジア38764(24・1%)(そのうち中国7400、インド4948、日本12429)、西欧41338(25・7%)(そのうちイギリス6759、フランス6840、ドイツ9448、イタリア5827、スペイン3042)、ソ連(15131)東欧(5508)合計20639(12・9%)、アメリカ35366(22・0%)でした。
 革命後の中国では毛沢東の推し進めた「大躍進」運動や「プロレタリア文化大革命」によって2〜3千万人が犠牲になると言う大惨事を被りながらも民衆は次第に生産力を高めていました。アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の前進と西欧や日本の高成長によってアメリカの相対的地位は次第に低下し始めました。
 ソ連・東欧諸国の経済的停滞が顕著となり、ソ連の支配に反対する運動が東欧諸国やバルト三国で活発に繰り広げられ始めました。

(k)西暦1990年

 1989年から91年にかけて、ベルリンの壁が崩壊し、天安門事件が起こり、ソ連とその従属圏が崩壊し、ソ連やフランスと結んでいたイラクに対してアメリカが湾岸戦争を起こした1990年を見てみると(10億1990年国際ドル)、アメリカ5803、イギリス945、ドイツ1264、フランス1026、イタリア926、日本2321、ソ連1988(ロシア1151)、中国2109、インド1098、ブラジル744でした。
この時点で中国は世界3位、インドは6位でした。

(l)西暦1998年

 ソ連の崩壊によって、唯一の超大国になったアメリカは、ミサイルやロケット・GPSなどの、軍需産業から発達した先端技術の転用によるITバブルや、金融ビッグ・バンによる世界の金融資本の再編を通じての収奪によってよってぼろもうけをし、「あだばな」を咲かせた時期。しかし、ドイツが統一し、仏独同盟の下でEUが形成され、ドルに対抗する国際通貨としてユーロが形成され、中国やインドが急成長を開始し、アジアや南米でアメリカの収奪に対抗してアセアン+3(中・日・韓)やメルコスルが形成され始めた時期でもあった1998年を見てみると、
 1998年の世界のGNP合計337256、うちアジア125346(37・2%)(そのうち中国38724、インド17027、日本25816)、西欧69606(20・6%(そのうちイギリス11086、フランス11501、ドイツ14601、イタリア10228、スペイン5601)、旧ソ連・東欧17933(5・3%)、アメリカ73950(21・9%)でした。

(m)西暦2005年

 2001年の9・11を起点として、中東での支配権の確立による世界的規模での石油の一元的支配とドル防衛をもくろんで、アメリカはアフガニスタン侵略、キルギスやカザフスタン、トルキスタンなどの中央アジアへの進出、サウジアラビアやクエート・カタールやUAEなどへの軍事的進出、イラク侵略を行い、イランを挟み撃ちにしてイランへの侵略を実行しようとしています。
 中国とともに現在の世界経済のもう1つのエンジンとなっている人口11・7億の大国インドの核兵器に対しては、アメリカは核開発の協力協定を結んでこれを公然と支援し、米・英・仏・ロ・中の5大国+2(イスラエル・インド)による新しい核独占の形を事実上作り出そうとしているようにみえます。そして、このインドとパンジャブ地方などの領土の領有をめぐって対立し、インドに対抗して核兵器を開発したイスラム教国であるパキスタンに対しては、アメリカに逆らって核実験を強行したイスラム色の強いシャリフに対し、陸軍参謀総長であるムシャラフのクーデターによってこれを排除し、アフガン侵略の時点でムシャラフを恫喝して核兵器もアメリカの管理下におきましたが、しかしアメリカと軍事政権に対する民衆の反発は根強く政治的には不安定な状態が続いています。そこでアメリカはより安定した親米政権を樹立しようとしてアメリカに従順な元首相のブットを帰国させてムシャラフとの「穏健派連合」政権を作ろうとしましたが、ブットが暗殺され、そのもくろみは頓挫し、逆に最近行われた総選挙によってブット派と共にシャリフ派が大きく議席を伸ばし、シャリフの復活が実現しそうな情勢となっています。
 アメリカは、かつて超大国であったイギリス・オランダ(ロイヤル・ダッチ・シェル)と共に、第二次大戦直後に、中東とアラブ世界を支配するためにイスラエルを「建国」しこれを支え続けています。しかしアラブ諸国の反米・反イスラエル運動は少しも弱まらずに闘われており、これに同調したイラクを侵略しさらにイランを潰して寿命を延ばそうとあがきまわっている。アメリカは、当面イランへの包囲・孤立化を狙っていますが、しかし逆にイランとの連携を強めている中国やロシアと対立し、石油をめぐってのEU(特にフランス)との間での対立もあり、イラクやアフガン、パレスチナやアラブ人民との闘争でも泥沼状態に陥っている現状の中ではそれも思うに任せない状況となっています。
世界銀行が2007年に発表した「World Developmennt Indicator」によると、2005年の世界の購買力平価で換算した国民総所得(GNI)総額は60兆6696億ドルであるが、そのうち中国、日本、インド、韓国、アセアン、イラクなどのアジアの総額は、ほぼその半分の28兆ドルを占め、今では完全に世界の中心になりました。アメリカ、カナダ、メキシコなどの北アメリカが15兆ドル弱、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア 2005年の主要国の購買力平価GNI(国民総所得)は次の通りです。(10億2005年国際ドル)
 アメリカ12434、イギリス2273、ドイツ2876、フランス2170、イタリア1773、日本4013、ロシア638、中国8610、(香港を含めると8851)、インド3787、韓国1055。(「中国情報ハンドブック」2007年度版、p203、「データブック・オブ・ザ・ワールド」2008年版から作成)
 この時点においてアジアはすでに世界最大の工業地帯となって完全に復活したといってよいでしょう。そして今後10年、20年の間にアジアは世界におけるその比重をますます高めていくにちがいありません。
 このような、世界経済における大まかな実力、(とはいっても、たとえばアメリカの生産力の極めて大きな部分が、人類にとっては有害無益な軍需産業であり、基軸通貨ドルを最大限に利用しての金融資本・禿たか資本による詐欺的で寄生的な収奪であることなどを考えれば、他の有用で健康的な生産力とは単純に比べることさえできないのですが)を考えるとき、今ではアメリカの経済的実力は今ではたかだか世界の5分の1に過ぎず、さらに「物(社会的有用性のある社会的富・財貨)を作る」という人類に有用な実体経済の部門では国際競争に敗北して国内の産業はシロアリに食い荒らされた家のように空洞化し、他国の実体経済に寄生し収奪するというその寄生性と腐朽は急速に進んでいくばかりですから、アメリカの衰退とアジアの躍進は、世界の誰にとっても少しも悩むことなく理解できるほどにますます明確になっていくでしょう。

(3)世界の中心と周辺

 フランクにしてもマディソンにしても、最近の欧米の研究者の相当に精密な研究の教えるところでは、キリスト紀元でのこの2000年の人類の歴史において、少なくとも1820年までは、世界の中心はインドと中国、一時期はイスラム帝国などのアジアにあり、今でこそでかい顔をしている西欧やロシアは、長期にわたって世界の周辺地域に過ぎなかったということです。
  だが、18世紀後半から19世紀前半にかけて西欧諸国で始まった産業革命と機械制大工業の発達は、人類に今までとは比べものにならないほど巨大な生産力をもたらし、弱小国でしかなかった西欧諸国を一挙に、中国・インド・イスラム帝国などの世界的大国に対抗しうる世界的な強国へと押し上げました。
 その後、イギリス・フランス・ドイツ・オランダ・イタリア・オーストリア・スペインなどの西欧列強はこぞって世界に進出し、切り取り強盗として旧世界を蹂躙し、略奪の限りを尽くしたのでした。その歴史が、「新大陸」アメリカに住む一億人のうち九〇〇〇万人をわずか百年ほどの間に虐殺した蛮行であり、五百万人から1000万人もの人々を連行したといわれる奴隷売買であり、世界の隅々に至るまでの無慈悲で残酷な領土分割=侵略支配であり、20世紀に二度にわたって戦われ一億数千万人を殺した世界大戦でした。
 このような世界の九十%以上の民衆からの略奪の上にこそ、いわゆるイギリスの「レディース・アンド・ジェントルマン」の文化や、「民主主義」や「基本的人権の尊重」や「代議制」など西欧の近代ブルジョア制度が花開いたのでした。
 
(4)ひさしを借りて母屋を乗っ取る=産業革命での西欧の勃興

「西洋はいかにして勃興したのか?」という問いに対してフランクは、「文字通り一言で答えれば、ヨーロッパ人はそれを買ったのである。ヨーロッパは、まずアジアという列車の席の一つを買い、後には列車全体を買い占めた。」と答え、さらに「では、どのようにして?貧しい=これも文字通り=ヨーロッパ人は、そのアジア経済という列車の三等席の価格でさえ、それを買うことができたのだろうか?」との質問に対して、あらまし次のように答えています。
 ヨーロッパ人はアメリカ大陸から強奪した金、銀、それもアメリカ大陸の原住民族を奴隷的に使役して採掘した大量の金・銀と、ブラジル・カリブ・北米南部の(砂糖や綿花の)プランテーションからの収奪、さらに奴隷交易、つまり新大陸やアフリカからの徹底した搾取と収奪、これによって得た財貨によって、貧しいヨーロッパはやっと豊かなアジアという列車の三等席を買い、次第にアジアに取って代わったのである、と。(「リ
オリエント」p466〜7)
 フランクは、これらの著述の後で、ヨーロッパの近代にとってアメリカ新大陸の「発見」がどれほど重大な意味を持っているかについて、アダム・スミスを引用して「だめ押し」をしていますが、ケインズ経済学の祖であるケインズも、海賊のドレークの船隊に出資したイギリス女王エリザベスが手にしたその莫大な配当金が、イギリスのインド侵略の先兵になった東インド会社設立の資金になったと述べているそうです。(増田義郎著「略奪の海カリブ」岩波新書)    (次号に続く)


「G8」だけで決めないで
神戸発「市民が提案するもうひとつの環境サミット」報告


 5月24日から26日まで、神戸においてG8環境サミットが開催された。これに平行して市民による対抗サミットが、「みんなの地球、みんなで決めよう!」というスローガンを掲げて行われた。24日午後から始まったこの取り組みは、260名余の参加者を結集して5分科会と夕方のパレード(デモ)が、25日は全体会が朝からが夕方まで行われた。
 私が参加した第1分科会「地球温暖化・エネルギー・原子力」では『温暖化にも原発にも反対』が強調され、温暖化対策としての原発推進キャンペーン、原発輸出の推進と対決することの重要性が確認された。他の分科会の様子は分からないが、第5分科会「教育・法律・政治・運動論」において行われたパレードかデモかという論争は面白かったようだ。
 まず、プログラムにあるパレードの名称が軟弱、デモとすべきだと古い活動家が発言し、これに若い人たちが反発したという。よくあることだが、私も含めて古い世代はどうしたら若い参加者が得られるのか分からないが、若い人達におもねるのもどうかという躊躇がある。結局、慣れたスタイルで無難に済ませてしまうのだが、きっと、もっと楽しくやる余裕が必要なのだろう。
 さて、第1分科会で異色だったのは、潮流・海流発電装置の明石海峡淡路島岩屋沖での実験の紹介だった。風力発電は強い風が必要なので日本では北海道くらいしか適地がないが、干満による潮流、黒潮海流等は地球が自転している限り止ることはない、送電は海底ケーブルとか水素に変換するとか可能である、というもの。
 原発関連では、おなじみの「もんじゅ」を廃炉に、六ヶ所再処理工場を止めようということが確認された。とりわけ、試験運転中の再処理工場では、高レベル放射性廃液を硝子固化体に固める工程がうまくいかなくて立ち往生している。無論、この状態では本格稼動はムリだが、「もんじゅ」と再処理工場は一体のものとして稼動させることが国策であり、そう簡単に消え去るものではない。
 2日目の25日、デモのときも降り続け、明け方まで強く降っていた雨も止み、休憩を挟んで6時間もの長丁場の講演とシンポジウムが行われた。気候変動の実態、温暖化対策の現状と展望、そして「G8サミットでは地球環境を救えない」ことなどが報告された。日本消費者連盟の山浦康明氏のこの報告はなかなか面白くて、成長がはやく大きくなる遺伝子組み換えのサケはまだしも、ほうれん草味の豚(?)となるとまるでお笑いだ。
 気候変動対策では、@新たなビジネスチャンスとして検討される対策を批判していく、A経済システムの転換を含む提案だけが検討に値する、という主張は十分に納得できるものだった。このビジネスチャンス≠ニいう点については、温室効果ガス排出量取引が投機の対象になるだけなのか、それとも排出量削減に貢献できるのか、意見が分かれている。
 考えるに、現状では何らかの利益誘導、つまりビジネスチャンス≠与える必要があるし、ここまで積み上げてきた結果である取引≠潰すのではなく生かしていかなければならない、ということか。確かにそういう柔軟性も必要だろう。
 しかし、より本質的なのは、先のAの指摘であり、例えばトヨタが世界一の自動車メーカーになって過剰に車を生産し続けることそのものが問題なのである。すでに言い古されたことだが、大量生産・大量消費・大量廃棄を改めること、まさに経済システムの転換≠ネくして、気温上昇を2度未満に抑えるどころか、4度までに止めることも出来ないだろう。
 新聞報道を見ると、廃棄物対策・3R、リデュース(排出抑制)、リユース(再利用)、リサイクル(再生利用)の行動計画が策定されるようだが、日本企業は有害廃棄物を有価物≠セとしてアジア諸国に公害輸出をしている。昨年12月のCAP13バリ会議では福田首相が不名誉な化石賞(会議で積極的でなかった賞)を、米大統領、カナダ首相とともに受けている。地球温暖化の加害者側にある日本の、その恩恵に浴している我々はその自覚を欠いてはならない。
「地球温暖化は、明らかに先進国が起こした環境問題である。なかでも日本などのG8諸国は、最も多く温室効果ガスを排出してきた国である。日本の1人当たり排出量は、後発開発諸国などの100倍を越える。そして、その影響をもっとも強く受けるのは、脆弱な途上国である。日本を含む超大国の社会システムが、途上国で子どもたちの命を奪っていることを忘れてはならない」(地球環境と大気汚染を考える全国市民会議・早川光俊弁護士)                 (折口晴夫)案内へ戻る


「なんでも紹介」・・・高山市近代文学館

★はじめに
 日本全国の県や市などに、多くの図書館や美術館や博物館や文学館などが存在する。
 バブルの右肩上がり時代、各地の地方自治体は競って豪華な「箱もの」を作り、今そのツケ=財政負担で苦労している自治体も多くある。
 しかし同時に、地方に行くとキラリと光る「図書館」や「文学館」や「美術館」も多くある。今回私が紹介するのは、飛騨高山の文学館である。

★高山市図書館「かんしょう館」の訪問
 昨年の冬の時期、雪の白川郷への旅の後、高山の近代文学館を訪れた。
 この近代文学館は、高山市の「かんしょう館」という図書館の中に設けられている。明治時代の小学校を改築して作った図書館なので、とても落ち着いた雰囲気の図書館である。驚いたことに、開館は基本的に年中無休(年末年始だけ休み)で、開館時間も9:30〜21:30になっている。働く人達への配慮を感じさせる。訪れた時も、幼児から年寄り、若者や車イスの人たちなど、様々な人たちが利用していてとても活気があった。
 この近代文学館を訪問した動機は、幕末の動乱期の歴史小説「山の民」を生涯をかけて書き上げた飛騨出身の江馬修氏の作品を調べたいと思ったからである。
 文学館の入口に、次のような詩が掲げられている。
 「飛騨は山国である。
  その高山へ到るには、どの道をとっても必ず幾つかの峠を越えなければ能わない。
  峠に向かおうとする者は、背なの荷を確かめ、自らの体力に合った荷数にととのえた。  その時、飛騨びとは、軽くする荷が大切なものかどうかを確かめる。
  高山までは、峠を越えるたびに、何度となくこの作業をくり返す。そうして高山に着  いた背なの荷は、いくたびも選び磨かれた殊玉のように輝く。
  飛騨びとは、やっと手にしたこの宝を大事のものとして掌中に暖めた。
  文芸とても例外ではない。
  遠く都の流れに遅れて着いたものに、感性の目をかがやかせ英知の筆を託した。
  この館は、長き旅の果てに、幾峠を越えて漸く辿り着いた飛騨びとの叫び声や歓喜を  文字に委ねた先人達の魂のふるさと。」
 山深い飛騨の思いが良く出ている詩である。また、人としての生き方に含蓄のある言葉でもある。
そして、この先人達として、瀧井孝作氏、江馬修氏、早船ちよ氏、福田夕咲氏の4人の文学者の功績をたたえ、彼らの文学作品を展示している。

★早船ちよさんの「わたしの母校」
 この文学館でさっそく江馬修氏の作品を読もうとしたところ、すぐ横にあるなつかしい映画ポスター「キューポラのある街」が目に入った。
 私も若い頃、あのアイドル女優の吉永小百合さんの魅力に引かれ、町工場で働く若者の姿を描いた映画「キューポラのある街」を見て感動した記憶がある。
 その原作者が早船ちよさんという女性であることは知っていたが、その早船さんがここ飛騨の出身者であることは知らなかった。
 少し驚き、早船ちよさんの生い立ちや作品の紹介を読み始めた。入学した高山女子尋常高等小学校の14歳の時、懸賞に応募した「十年後の飛騨」という作品で入賞している。
 そして19歳で上京し、働きながら童話や小説「峠」などの作品を書き、街工場で働く若者の姿を描いた「キューポラのある街」が映画化され、早船さんは一躍有名になった。
 1961年に彼女が帰郷した折、懐かしい母校・高山女子尋常小学校を訪ね、その時を思いを1963年に「わたしの母校」で書いている。
 「母校は、高山女子校である。正確にいえば、『岐阜県高山女子尋常小学校』で、女の子ばかりの小学校だ。わたしは、ここで、8年間学んだ。・・・尋常1年生から6年生までの6年間、藤井嘉蔵先生の受け持ちで、持ち上がりだつた。藤井先生は、『ひとを、だいじにする』、『じぶんを、だいじにする』、『ひとと、じぶんの場をだいじにする』、『個性尊重、才能をのばす』自由主義教育を指向されていた。幼ない尋常1年生に対しても、その人格を尊重して、対等な言葉づかいで、ものをいわれた。『勉強は、あんただちが自発的に、やりかたを見つけて進めていくものじゃ。先生は、その助言者であり、補導者にすぎんのです』・・・藤井先生は、『試験』という言葉もきらって、『だいたい、試験なんかで人間の能力や思考を測るなんて、できんものじゃ。まして、点数をつけるのは、うそつきの行為です。』と強調する。そして、『あんただちも、また、試験がないと勉強せんような子じゃなかろうな』と、問う。・・・わたしたち紫組60人は、強制されることを知らず、叱られず、人格や個性を尊重され、主体性を主張するとほめられ、のうのうと、育っていった。」
 勉強不足で恥ずかしいが、大正期デモクラシーの時代、日本にこんなにすばらしい教育実践していた教育者集団がいたことを初めて知り驚いた。現在の教育より、この大正期に実践された教育の方が数段進歩的・先進的な「自由主義教育」だった。その事を知り衝撃を受けた。
 早船さんは大正期の「自由主義教育」のもとで、子ども時代を送り、のびのびと勉強をし、人間としての人格形成と主体性を延ばすことができた。当然早船さんも生き生きとした学校生活を送ることができたと言っている。その学校生活の中で学んだことが早船さんの生き方の基礎となった。つまり将来の幸福な生活を送る基礎・基本をこの学校生活で確立したと言える。
 ところが、今の子どもたちが受けている教育は一人一人の人格や主体性が重んじられるような教育ではなく、「教えられた知識」をより早くより多く丸暗記する「詰め込み受験教育」である。こうした「受験教育」のもとで子どもたちは、子どもどうしで競争させられ、当然学校での生活は面白みのない無味乾燥なもので、苦痛すら伴うものになっている。
 結局その日は、最後まで早船さんの作品に夢中になり、当初の目的であった江馬修氏は眼中から消えてしまった。(E・T)


コラムの窓   メタボ健診「よけいなお世話」という前に

 この4月から「メタボ健診」が制度化された。
 「メタボ」、正確には「メタボリック・シンドローム」と呼ばれる。その診断基準は、まず「内臓脂肪型肥満」であることが前提で、「血中脂質」「血圧」「血糖」の3項目のうち2項目以上が基準値を越えていることである。
 具体的には、内臓脂肪型肥満の基準として、ウェストが男性なら85センチ以上、女性なら90センチ以上とされる。
 その上で、(1)血中脂質が高い(中性脂肪が150ミリグラム以上、善玉のHDLコレステロールが40ミリグラム以下)、(2)血圧が高い(収縮期で130以上、拡張期で85以上)、(3)血糖値(空腹時)が110ミリグラム以上、のうち2項目以上がひっかかると、メタボリック・シンドロームであると診断される。
 2005年4月に、「心筋梗塞」や「脳梗塞」などの動脈硬化性疾患を高める複合型のリスク群を「メタボリック・シンドローム」という概念で統一し、上記の診断基準が学会によってまとめられた。
 「メタボ」は過食や運動不足によって、内臓に脂肪が蓄積し、高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病を発症するもので、そのままにしておくと、やがて心筋梗塞や脳梗塞といった命に関わる病気に発展しかねない。このため「メタボ」と診断されると、「食事療法」や「運動療法」の指導を受けるべきとされているわけだ。
 これに対して、サラリーマンの間から「余計なお世話だ」という反発の声が上がっている。要するに「肥満」というレッテルを貼られ、役人から「食事」だの「運動」だの、いりいろ「指導」を受けろ、というのが今回の「メタボ健診」の趣旨なのだ。「そんなこと、わざわざ、お役人から言われなくてもけっこう」というわけだ。
 問題は、二つある。一つは、この制度のそもそもの政治的動機が、医療費抑制、特に膨張する一方の老人医療費を、どう抑えるか、その対策にひとつとして、出てきていることだ。「生活習慣病の予防」と言えば聞こえはいいが、その位置付けは、高齢者の年金から保険料を天引きする「後期高齢者医療保険」と裏腹の関係にある。だから、押し付けがましく感じるのだ。
 もう一つの問題は、メタボを「個人の責任」に帰していることだ。「過食」と「運動不足」をもたらしているのは、長時間残業とストレス漬けの現在の企業の労働環境にあることが、スッポリと抜け落ちている。サラリーマンの反発の根底は、この労働環境に一切手をつけず、個人の自覚が無いかのように「メタボ」のレッテルを貼るやり方への怒りではないか?会社と家族のために身を粉にして働いてきたのに、挙げ句の果てに「メタボ」の烙印では、たまったものではない。
 メタボを生み出している社会的原因があることは、疫学的調査をちょっとおこなえば、すぐに明らかになることだ。厚生労働省に毎日蓄積されるデータをもとに解析を行なえば、簡単なことではないか?
 社会的原因には社会的に対処するのが鉄則である。メタボ健診の結果を、個々の労働者に返すだけでなく、企業全体の診断結果をまとめ、なぜこの企業はメタボが多いのか、その原因を追求することこそが必要なのだ。その最大の軸は労働時間の短縮である。いくら食事指導をされても、ストレス漬けで過食に走る環境が改まらなければ、焼け石に水である。いくら「運動」を指導されても、長時間残業の後では、ジョギングに行く元気など出てこようはずがない。
 そこで、「メタボ健診、よけいなお世話」と言う前に、健診結果を労働環境を改めさせる反撃の武器にしてはどうか?労働安全衛生法では、健康診断の結果に基づいて、産業医が職場環境や本人の勤務状況を改善するよう勧告した場合、事業主はこれを尊重しなければならないとある。これは、まず個々の労働者の反撃である。
 次に労働組合を動かそう。「労働安全衛生委員会」では、職場の健康診断の結果を労使で審議し、対策を講じることが役割のひとつとされている。また「労働時間適正化委員会」というのも法律で定められている。労働安全衛生委員会での審議結果をもとに、労働時間をどうするか、労使協議のテーブルに載せる道もあるのだ。この二つの委員会は、労働組合がない職場でも、「職場の過半数を代表する者」で代替して開くこともできる。
 企業内だけでなく、これらを監督すべき立場の労働基準監督署に対し、管轄内の企業を積極的に指導するよう、地域の市民団体を組織して、要請することも一考ではないか?「労働行政オンブズマン」である。(誠)案内へ戻る


色鉛筆   自主映画会「アボン 小さい家」を観て

 私の住んでいる地域に、青年団のO.B.達が集まって「煙仲間」という同人誌を発行している。「青年団、社会人、学生にこだわることなく、一人の人間として成長していくうえで、たくさんの人たちの意見交換の場としての『煙仲間』でありたい」という想いで、今年で27年を迎えようとしている。私は数年前から読み始めたが、彼らのエネルギーとパワーには驚くと共に、彼らが大切にしている人とのつながりを求めて、彼らは地道に活動を続けてきた。そして、今では全国各地だけでなく海外からも寄稿文が寄せられ、色多彩にあふれている文面で毎月号楽しみにしている。今回の映画も、昨年の26周年の集いでお呼びしたゲストの方から、この映画を紹介されたという。この様に彼らはどんどん人とつながっていく、つなげているのだろうか。私達も見習わなければならないと思う。「もっと知りたい日本とフィリピン・環境問題ってなんだ・本当の豊かさとは?」という呼びかけで、地元の自治会やPTAも巻き込んで地元の公民館で自主映画会を行った。
 『物語は、2000年のフィリピンが舞台。豊かな生活を求めてルソン島北部のコルディリェラ地方の村から、バギオの町へ出てきた日系フィリピン人3世のラモットは、3人の子どもを抱え乗り合いバスの運転手をしている。生活費を稼ぐために妻イザベルは海外へ出稼ぎへ行くことになり、子どもたちは日系2世の祖母のいる山奥の村に預けられる。電気も通っていない村に子どもたちは最初戸惑うが自然に祈り、自然と共に生きる生活に次第に慣れていく。しかし、妻は偽造パスポートの容疑で警察に捕まってしまい、多額の借金を抱えたラモットは、一攫千金の算投をするがうまくいかず、子どもたちと共に不法居住者地区の家も追われ、路頭に迷った父子は仕方なく祖父母が待つ故郷の村へ戻る。子どもたちと共にそこで再発見したのは豊かな自然と伝統的な精霊信仰、そして自然の恵みを享受して楽しそうに暮らす山岳民族の人々、ラモットはそこで家族が生きていく本当の場所を確保する。』(パンフより抜粋)
 映画を観ながら自然の中で暮らすというのではなく、自然と一緒に、自然に感謝しながら自然と共に生きているイゴロット山岳民族の人々。子ども、若者、老人達のゆったりとした表情がなんともいえなくいいのだ。ありのままで生きている彼らがとても羨ましくなった。毎日お金を得るために、あくせくとバタバタ時間に追われてゆとりのない自分達の生活とあまりにも違い、私も暮らしてみたいという気持ちに駆り立てられるほどだった。『太陽の光、空気、水そして動植物があれば、人は生きていける。たとえお金がなくても食べ物があり、いつも仲間がいて笑いが溢れる生活なら充分幸せになれる』(チラシより掲載)この文面には、映画を見終わってから納得してしまった。この映画には、様々な社会的テーマが描かれていて観る人によってとらえ方も違うだろうし、違うから映画はおもしろいのだろう。
 映画の始めと終わりに監督である今泉光司さんのお話も伺うことが出来た。特に印象に残っていることを紹介したい。「アボンとは、小さい家という意味」「この映画を観たイゴロットの人達が、自分達の生活そのものが映画になったことをとても喜んでいる」「この映画を持ってイゴロットの山岳民族の人達の所へ行って見せようと思っている。きっと彼らはお金ではなく米や芋をくれるだろう」「映画とは、その人の人生と照らし合わせてみるもの」等々。
 今泉光司さんが、自分の生き方を求めてフィリピンの山岳地帯に移住して、丸7年の歳月をかけて日比協同制作劇映画を完成させた。皆さんの地域でも映画会を開きませんか?(美)


投票条例制定の運動顛末記

 横須賀市での同住民投票条例制定を求める運動は今回で二回目。条例制定を求める署名は、三月六日から四月五日の一カ月間で、五万二千四百三十八人分(確定有効署名数四万八千六百六十一人分)に達して、前回の署名数(二〇〇六年)よりも一万余も増えた。この数字は全有権者の七人に一人にあたる。
 条例案の市議会審議は、五月十三日から始まり、市民から条例制定本請求を受けた蒲谷市長は、条例案を提案する際、前回同様「(原子力空母問題は)国の専権事項だから住民投票はなじまない」との意見書を付けるとされる。
 五月十一日、こうした市民の意向を無視した議会運営に抗議するとともに多数の横須賀市民に訴えるため、横須賀市の「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」は、同住民投票条例案の市議会可決を求め、市内「ヴェルニー公園」で集会を開いた。集会後、六十三の参加団体と市民と首都圏住民の参加者二千二百人は、「住民投票を実現しよう!」とデモ行進をした。
 五月十三日、横須賀市議会臨時会で、原子力空母配備の是非と安全性を問う住民投票条例案が提案された。
 予想通り、蒲谷市長は住民投票条例案の提出の際、条例制定反対の意見書を提出した。白々しくも「原子力空母配備の問題は国が判断すべきもの」「外交関係の処理にかかわる国の決定に地方公共団体が関与し、制限するようなことは地方公共団体の権能の行使として認められない」などと言う。何のため誰のための市長なのか。この事に無自覚で無能な市長などいらない。
 五月十五日の市議会本会議では、原子力空母の横須賀配備及び安全性を問う住民投票条例の制定を求め、「住民投票を成功させる会」共同代表の新倉裕史、三影憲一、小林麻利子、呉東正彦、今野宏の五氏が意見陳述した。
 数十年の反対運動を担ってきた新倉氏は、市が米軍から原子力艦船の被ばく事故が数件起きていると知らされながら詳細な情報提供をせず、安全性についての市民の質問や公開討論に答えなかったことを批判する。「外交関係の処理など国の決定に地方自治体が関与し制限するようなことは認められない」との理由で蒲谷市長が住民投票を否定していることに対して、住民投票は「主権者として意見を言う場を法的に確保する」ことを求めることだと反論した。最後に言うべきことを言わなければ「米海軍に『どうぞお好きなようにしてください』となる」、また条例制定を求める住民署名者が前回より一万人増えたことにふれ、「市民参加と自治意識の高まりを市議会は歓迎すべきだ」とまとめた。
 全駐留軍労働組合神奈川地区本部委員長の三影氏は、基地で働く市民七千人の被ばくの危険を指摘する。原子力空母は一切の情報を公開しない軍事機密であり、その存在自体が危険だとした。また元横浜国立大講師の今野氏は、国の原子力基本法による「民主・自主・公開」の「原子力平和利用の三原則」による規制を一切受けない原子力空母配備を的確に批判する。
 五月十六日、横須賀市議会は、原子力空母の横須賀配備と安全性を問う住民投票条例案の採決を行い、三教組組織出身の原田議員などの賛成八、自民、公明、民主系など反対三十三、退場一で否決した。何とも呆れるではないか。
 この採決に先立ち、反対の自民党の竹折市議は「日米安保体制と、(通常空母がなくなったなかでの)原子力空母の必要性」を強調して、住民投票の実施は「地方公共団体の範疇を越え」「将来に大きな混乱」を起こすとし、また公明党の板橋市議は「賛否を問えば地方自治体が外交処理に関与し、制限する可能性がある」との時代錯誤の驚くべき発言を行った。地方議会ではすでに自民党と民主党との「大連合」が成立しているのだ。
 条例案の否決後、国に原子力空母の安全性の確保と防災体制の強化などを求める意見書を全会一致で可決して、いつも通り市民向けの体裁を取り繕った。
 これですべてがおわったかであった。しかし、運動継続のための火種は思わぬところで残されたのである。
 五月二十二日、八月十三日に配備される予定の原子力空母ジョージ・ワシントンは、太平洋上において、船尾部分にある「補助ボイラー室」付近から出火して、船腹の一部に「異常な熱」を引き起こしたと報道が飛び込んできた。
 この火災により、現実に乗組員二十四人が治療を受けている。しかし、原子炉の安全性については何の問題もないとはいつもながらの報道ではある。
 求められているのは、「論より証拠」である。昔から「隠すほど顕るるはなし」と言い慣わす。何を隠すことがあろうか。日本政府は、米軍に対してこの事故の原因と全貌の報告を求めるとともに横須賀市民等に対しても、その詳細を公開すべきではないか。私はそう考えるものである。(笹倉)


巷の人々の中にあるものと己れと

石橋たたいて渡る≠ニいうことばがある。これには生活の中で散々苦労した人々の生き方のようである。世間のならわし、公的に認められたもの、規則や法規にぶつからないよう沿って生きていくこと。こうした生きようを冒頭のことわざが表しているのであろう。
 それは、韓国に旅した折、ガイドさんが説明し、記憶に残った話、韓国の人々は火を恐れ、火を消す役はユウレイだ≠ニいう。石橋たたいて渡る$カきざまと共通していないか。こうした火の消えたような状況から、かつての中国では燎原の火≠ニいうコトバを生んだ。現在の発展途上の国というイメージとは、ちがっているが。中東のゾロアスターとはどういうものだろう、という連想的な疑問も湧く。
 私は小学校の頃から学童疎開という家・家族から離れた生活を余儀なくされたせいか、都市と村との間を行き来する旅に魅せられた人間が、出来上がってしまったようだ。石牟礼さんの海竜の宮≠フ中で、村人が口にしたあんたも旅から来たのかネ≠ニいう生活者(土に根を下ろした人々)から半ば、とがめるような超えがたいミゾというか拒絶のひびきが身にこたえる。
 しかし同化の努力を惜しまずに溶けこみたい世界は、自らが追求し、創出しない限りありえないのではないか。それも不可能な場合、自ら座する場で、受けて立ちつつ自らの中で、構築せざるをえないのではないか。表現とは、その過程をしるす記念碑のようなものではなかろうか。
 最近、情報の開示が進むに従って、層や世界のちがいの巾がせばまってきたようで、座して異なる世界を知りふれることができるようになったと、感じられる。そこで個々の自我がめざすものの、また交わるきしみが、(ミクロであれマクロであれ)問題を提起する。身体的な制約が動かせぬわが身の事実となってから、なんでもみてやろう∞みんなチョボチョボ≠ニは、うまく言ったものだと実感している、この頃である。開かれた自我とその先にあるもの・・・。 2008・5・18  宮森常子案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号において、といっても連休を挟んでいるので1ヶ月も前になるのですが、カーター元米大統領が中東訪問し、イスラム急進主義組織ハマスの幹部と会談したことが報じられました。パレスチナの今後にとって重要なこうした動きも、既成のマスコミにおいてはあまり報じられていないように思います。今後もこうした課題を深く掘り下げ、論じられることを期待します。
 光市母子殺害事件被告の主任弁護人、安田好弘弁護士の話題をひとつ。安田弁護士が4月23日、東京高裁で受けた逆転有罪判決について、本紙前号では「仕組まれたものである」と指摘されていますが、その詳細が「週刊金曜日」(5月16日)で報じられました。題して「安田弁護士に罰金の有罪判決 検察のメンツを立てた東京高裁」、簡単に紹介します。
 警視庁捜査二課と東京地検が描いたのは、安田氏が「顧問弁護士を務めていた不動産会社『スンーズエンタープライズ(当時)』。バブル崩壊で経営が行き詰った同社は、所有ビルの賃貸料差し押さえを逃れるため、ビルを転売したように装って約2億円の賃貸料を隠した。それを主導したのが安田氏だった、というものだ」。しかし、この2億円はスンーズ社の従業員が横領していたことが発覚したのです。
 警察・検察はこの事実を知りながら、安田氏を陥れて弁護士資格を剥奪しようとしていたのです。東京地裁・川口政明裁判長は「安田氏に無罪判決を言い渡した上で、検察側捜査については『アンフェア』『犯罪の証明はない』とまで断罪した」。にもかかわらず、新たな犯罪を証明する証拠もないなかで、東京高裁・池田耕平裁判長は安田氏に罰金50万円の逆転有罪判決を下したのです。
 検察側は懲役2年を求刑していたのですが、なぜ罰金刑なのか。
「警察・検察の主張にはどうみても犯罪の立証がなかった。だが無罪を言い渡してしまえば検察・警察のメンツは丸つぶれとなる。一方、禁固以上の刑を受ければ、安田氏は弁護士資格を剥奪されるが、罰金刑なら弁護士資格を失うことはない。そこで50万円という罰金刑を言い渡した ‐ つまり、検察・警察のメンツを最大限に立てた妥協#サ決というわけだ」
 光市母子殺害事件の死刑判決といい、この事件の逆転有罪判決といい、自己保身しか考えていない裁判官たちは、酔っ払いがハンドルを握っているようで、とても怖い状態だというほかありません。    (晴)