ワーカーズ373  2008.7.15.   案内へ戻る
洞爺湖サミットの惨めな顛末

 七月九日、日本が議長国となり洞爺湖において、三日間開催されたサミットが閉幕した。開催前の過剰な期待に反して成果は実に空虚なものであった。
 初日の七月七日、アフリカ7カ国を交え行われた拡大首脳会合で、G8側はアフリカの飢餓や暴動の発生など社会不安にまで発展した食料価格高騰問題を改善するための資金・技術面等の支援を継続する方針を確認しただけだ。
 また原油価格高騰については、アフリカ側から石油輸出国機構など生産国との交渉におけるG8のリーダーシップに期待感が表明され、原油取引で過大な利益を受けている件について、アフリカ首脳から「そうした状況を是正する課税制度を考えてもいいのではないか」と投機資金への規制を強く求められた。しかし、ブッシュやG8はこれには手をつけなかった。当然の成り行きだ。
 サミット史上始めて地球温暖化問題が議題となり、解決のためG8と新興八カ国が一堂に会して議論した。しかし、G8の責任を追及した新興国とは合意できなかった。それゆえ、地球温暖化阻止のための温室効果ガス排出量の長期目標となる数値目標の設定は見送られた。しかし、懐疑派の私たちには何の失望感もない。G8と経済発展をめざす中国等の新興国との間に深刻な利害対立があったためだが、われらが福田総理のリーダーシップとはこの程度なのだ。
 折も折、七月四日、米証券三位メリルリンチが第2・四半期に 六十億ドルの評価損を計上の予想を受け、格付け会社ムーディーズ ・インベスターズ・サービスが、メリル 債の格付けを引き下げるとの懸念があると報道された。さらに七月七日、米連邦住宅貸付抵当公社と米連邦住宅抵当金庫の株価が、追加増資が必要になるとの懸念を背景に、ともに十八%超下落し、各々十七・九%安、十六・二%安と一九九二年以来の安値に急落した。
 サブプライム問題はアメリカ経済を直撃している。本当のところ、アメリカは気もそぞろとで、会議にうつつを抜かしているゆとりなど全くない。これが今回の洞爺湖サミットが、かくも内容のないものになった最大の理由である。
 世界資本主義体制の大激動は、ドル暴落をもって、今まさに始まろうとしている。当然日本やEUも激動に晒されるのだ。断固闘い抜いて私たちの未来を切り開いていこうではないか。   (直記彬)


地球温暖化、物価高騰、貧困拡大をそっちのけで自衛隊が大デモンストレーション
労働者・民衆の国際的な共同行動をさらに強めよう!


■物価高、社会保障切り捨て、安上がり使い捨て労働の蔓延

 燃料・食料品などの値上げが暮らしを直撃している。後期高齢者医療制度は、年金天引だけでなく、お年寄り、そしてゆくゆくは「団塊の世代」の医療を切り捨てようとしている。若者たちは、安上がり・使い捨ての派遣労働に追いやられ、未来を描けなくされてしまっている。地球環境は悪化の一途を辿り、大規模化した自然災害の頻発が人々の安全を脅かしている。
 その一方、無駄な巨大公共事業、軍備の拡大には何十兆円もの大盤振る舞いが続けられてきた。自・公・民などが成立させた宇宙基本法は、莫大な血税を宇宙戦争ごっこに投げ込もうとしている。
 今回のサミットは、地球温暖化や物価高騰や不況の深化や貧困の拡大が世界的な大問題になる中で開かれたが、さしたる成果をあげることができなかった。G8の諸大国がどっぷりと漬かっている自国経済中心のエゴイズム、巨大金融資本やヘッジファンドによるマネーゲームを放置したままなのだから当然だ。
 G8諸国が問題に本気で取り組む気があるのなら、インドや中国などを会議に誘うという小手先細工ではなく、中小国も極小国も地球を構成する一員として会議に参加させるべきだった。そうすれば、問題の解決策を打ち出すことまでは出来なくても、問題のありかをもう少し正直に示すことが出来ただろう。
 サミットに問題提起をしようとして、あるいは抗議の意思をぶつけようとして集まった国内外の労働者や市民の行動は、容赦なく抑圧された。G8諸国の支配層が最も恐れているものが、生活や労働の場から噴出した労働者・民衆の声であったことを、このことは示している。

■サミットを利用して自衛隊のデモンストレーションに巨費投入

日本政府は、このサミットの警備に350億円を超える巨費を投じ、自衛隊まで出動させた。空にはF15支援戦闘機、AWACS(空中警戒管制機)、E2C(早期警戒機)。海にはイージス艦2隻・護衛鑑10隻。陸からはPAC2(パトリオットミサイル2)。各地の自衛隊基地からも多くの部隊が参加した。かくして自衛隊の警備は、戦争さながらの様相を呈することとなった。『読売新聞』はサミット警備への自衛隊の参加を次のように報じている。
 「防衛省・自衛隊は、7日から始まる北海道洞爺湖サミットの首脳会談の時間帯に合わせ、F15戦闘機が会場上空を旋回しながら警戒にあたる『コンバット・エア・パトロール(CAP)』を実施することを決めた。
 不審な航空機に上空の飛行制限区域を突破された場合、三沢、千歳両基地からの緊急発進(スクランブル)では対応できない恐れがあるからだ。演習以外でCAPが行われるのは極めて異例で、空中警戒管制機(AWACS)や、イージス艦の高性能レーダーと合わせ、二重、三重の体制で『空』の警戒にあたる。
 サミット会場の『ザ・ウィンザーホテル洞爺』は標高625メートルのポロモイ山頂にあり、市街地から離れているという警備上の利点の一方、上空から目立ち航空機などから狙われやすいという難点がある。このため政府は開催期間中、上空の半径約46キロを航空法に基づく飛行制限区域に設定。今回のような広域の制限は国内初だ。
 自衛隊でも、テロリストに航空機を乗っ取られたことを想定し、この円内に不審な航空機や飛来物を入れないことを最優先に警戒態勢を策定。まず北海道全域から東北にかけての上空を広範囲に監視するため、航空自衛隊浜松基地などに配備されているAWACSとE2C早期警戒機を投入する。
 その内側の警戒にあたるのが、極めて高い航空監視能力を誇る海上自衛隊のイージス艦2隻と護衛艦約10隻。特に2隻のイージス艦のうち『こんごう』は昨年12月、米ハワイ沖で弾道ミサイルの迎撃訓練に成功しており、長距離弾道ミサイルの飛来に備える。
 さらに空自三沢、千歳の両基地ではスクランブル体制を拡充し、会場まで約60キロ地点の空自八雲分屯基地には、短距離弾道ミサイルに対応するパトリオット・ミサイル2(PAC2)を配備することにした。
 そして会場上空の最後の守りとなるのがCAP。F15戦闘機、F2支援戦闘機が2機ずつ上空を旋回しながら警戒にあたる。
 石破防衛相が『考えられるすべての方策を講じている』と語る今回のオペレーション。さながら『史上最大の作戦』で、司令塔となる防衛省(東京都新宿区)地下のオペレーションルームでも、通常より5割増の40〜50人の隊員が、各駐屯地や部隊などと連絡を取り合うことになっている。」(7月5日14時32分 読売新聞)
 現・元職の防衛大臣や防衛次官が関わった防衛疑獄、イージス艦による漁船沈没事件があったのはついこの間の話しだ。その「反省」の弁もどこへやら、彼らはいまが失地回復のチャンスとばかりに、サミットを利用して軍事的一大デモンストレーションを繰り広げたのだ。国民を自衛隊=軍隊のものものしい姿や、駅や公園や道路などあらゆる場所での公然たる人権侵害や、自衛隊のための巨費の投入に対し「寛容」にならせるための好都合なイベントとして、サミットを活用したのだ。

■改憲と軍拡に反対し、労働と生活を守る闘いを強めよう!

 政府・与党は自衛隊の海外派兵は世界平和への貢献のため、ミサイル防衛など軍備の拡大は日本の安全のためだと言う。しかしアフガンやイラクでの戦争を見れば、軍事や戦争は平和に貢献するどころか逆に紛争を拡大し激化させただけだということは明かだ。
 朝鮮半島で見られる最近の緊張緩和も、一時は核兵器による先制攻撃も辞さずと息巻いていたアメリカが、アフガンとイラクでの失敗に足を引っ張られたという消極的な事情からとは言え、軍事力を振りかざすことが出来なくなったからこそもたらされたものだ。朝鮮半島での紛争や戦争の発生の可能性が弱まることは、東アジアの労働者・民衆にとって、もちろん朝鮮半島に暮らす民衆にとっても、資本とその国家と闘う上で、あるいは官僚独裁国家と闘う上で、有利な環境、よい条件が確保されることを意味する。
 日本の国民の多くが、軍事や戦争では世界が抱える問題は解決しない、憲法九条を改悪することには反対だと考えていること、そうした考えを持つ国民が増えてきていることが明らかとなっている。改憲の旗を振ってきた『読売新聞』の世論調査さえが、そのことを示している。
 与党や野党の一部の政治家はこうした国民の「良識」に公然と背を向け、自衛隊の海外派兵の拡大、ミサイル防衛システムや宇宙の軍事利用の拡大など軍拡を押しし進めようとしている。また九条の会などに対抗すると称して自民・公明・民主党などが中心になって「新憲法制定議員同盟」なるものを結成した。彼らの狙いを許してしまうなら、私たち労働者・民衆が資本やその国家と闘う上で大切な手段としてきた様々な権利が脅かされ、またそうでなくても困難が増している労働や生活がさらに大きく悪化させられることは確実だ。
 私たちの労働や社会保障や暮らしのあり方は、国際経済、国際政治、軍事や戦争の問題と切り離しがたく結びついている。職場を変え、地域を変え、国政を変え、公正で平和な国際関係をつくるために、世界の労働者・民衆と共同を追求しながら、闘いを作りだしていこう。   (阿部治正)案内へ戻る


(日雇い派遣)原則禁止は突破口――労働者自身による規制強化を――

 日雇い派遣を原則禁止にする法案が秋の臨時国会の提出される。
 派遣労働、中でも派遣会社に登録して仕事のあるときだけ働く登録型の派遣労働の悲惨な実態が、この数年あいついで明らかになったことが政治を動かして法案づくりへと向かわせた。今回の原則禁止法案は、当初は野党の声が先行していたが、ここにいたって与党でさえも見直し法案を提出せざるを得なくなったわけだ。
 原則禁止法案づくりとその成立は確かに大きな前進だ。が、メディア、裁判、政治レベルで進む原則禁止の実効性は危うい。それを実効あらしめ労働現場に定着させるのは、いうまでもなく派遣労働者をはじめとする労働者自身の闘いそのものだろう。

■過酷で悲惨な日雇い派遣

 日雇い派遣労働の規制の動きが出てきたのは、いうまでもなくそうした働き方の過酷な実態が次々に明らかになってきたからだ。たとえば大手派遣会社による禁止業務への違法派遣や二重派遣、それに労災にも入れない、あるいは紹介手数料(マージン)が開示されていないうえ、中間搾取としかいいようがないマージンをとっていること、さらには「安全協力費」や「情報料」などを名目とする日ごとのピンハネ行為、等々だ。
 そうした明らかな違法行為とは別に、日雇い派遣の過酷で救いのない労働実態も相次いで明らかになった。なかでもその日の求人紹介を携帯電話で受け、派遣会社のいうままに見ず知らずの職場に行ってその日だけの仕事に就く、いわゆるオンコールワーカー、細切れ雇用のためにアパートにさえ入れずネット・カフェなどに寝泊まりしながら、ケイタイを唯一の情報手段としてその日暮らしを強いられている、いわゆるネット・カフェ難民の存在、等々だ。
 これらはもともと労働者派遣法の「想定していない」(厚労省)働かせ方であって、雇う企業が派遣法を悪用、あるいは悪のりして拡がったものだった。いったん好き勝手な働かせ方を手に入れてしまった企業は味を占めて、本来は正社員、あるいは常用雇用でなくてはならない労働力まで派遣労働に置き換えてきた。
 こうした派遣労働、なかでも過酷で悲惨な日雇い派遣の実態が明らかになったのは、当事者による相次ぐ告発、提訴、それに組織化への動きの拡大が発端だった。日雇い派遣労働者などによる、極限状態からの告発や提訴などの行動の広がりによって、はじめて派遣労働の苛烈な実態や日雇い派遣の規制の動きも浮上したことは銘記しておくべきだろう。
 その上、近年あいついで起こった無差別殺人なども、その容疑者の多くが派遣社員だったり、失業中の若者だったことも、間接的に派遣労働の過酷な実態を浮き彫りにした。
 6月8日に起きた秋葉原での無差別大量殺傷事件では、ネットの世界で容疑者を英雄視する書き込みも少なくなかった、といわれる。内向き、外向きの破滅願望が、格差社会の中で蔓延している実態を、はかなくも露呈する事態となった。
 こうした事態は政治・官僚・メディアなどの支配層の中にも相当の危機感を呼んだと思われる。いわば既成秩序の内部で、制御不可能なマグマが急速に拡がっている、という事に対してだ。

■派遣先企業の姿勢こそ問題

 今回の日雇い派遣の原則禁止などの規制の動きの直接の発端は、上記のような状況を受けて野党各党がこの4月に原則禁止の方針を打ち出したからだった。5月には業界団体による自主規制を決め、また福田首相も派遣労働者の保護を口にせざるを得ない状況になった。
 こうした動きに公明党も加わり、当初は否定的な声も多かった自民党内部からも規制の必要性の声が高まり、自民党内でも日雇い派遣の規制案を検討するプロジェクトチームができたことで法案の提出と成立が現実味を増すことになった。法案はこの秋の臨時国会に提出される予定だ。
 企業側はといえば、経団連は中小企業などの厳しさを引き合いに出しながら慎重姿勢という反対の態度に変わりはない。むしろ派遣期間の延長など、さらに規制緩和を進めようさえしている。法案提出はほぼ決まりとはいえ、臨時国会をめぐる攻防戦では手を抜けない状況が続く。
 禁止業務への派遣や、二重派遣、それに給料ピンハネや細切れ派遣等々、派遣会社が追求されるのは当然だ。が、より悪辣なのが派遣労働の受け入れ企業だ。
 通常は派遣元企業より発注する派遣先企業の方が力関係でも優位に立っている。その優位さの上に立って文字どうり使い捨ての働き方を強要してきたのが、派遣先企業だ。今の派遣労働の過酷で劣悪な実態を改善するためのは、派遣先企業の姿勢の転換が不可欠だ。そのためには、単に日雇い派遣を禁止するだけでは決定的に不十分だ。
 日雇い派遣労働の過酷な実態は、単にそれだけ突出して、あるいは独立して存在しているのではない。その構造は、子会社・孫会社・下請け会社、あるいは正社員、機関社員、請負社員、アルバイト等々、重層的に構築される雇用構造に不可分に組み込まれているのが実態だ。
 そうである限り、派遣労働の処遇だけ改善されるということはあり得ないし、仮にそれが進んだとしても微々たるものにとどまらざるを得ない。

■乖離している「現場と法律」

 今回、仮に禁止法案が成立しても、日雇い派遣労働者の処遇が劇的に改善されるかといえば、そうともいえない現実がある。
 理由は二つある。
 一つは今回の法規制強化の動きが、支配層の危機感をバネに動き出した、という事による。
 いうまでもなく、日雇い派遣労働者自身が怒りの声を上げ始めた事、その最前線では公然・非公然の告発、提訴、組織化の取り組みが拡がった事は大きな突破口になった。派遣労働を取り巻く世論の批判の高まりも、解散・総選挙を控えた政治を動かす要因にもなった。
 が、それ以上に派遣労働の過酷で悲惨な実態とそうした土壌の内部でふくらむ制御不可能なマグマの暴発に対する危機感が、マスコミ、それに裁判、政治レベルでの規制の動きへと転換せざるを得なくさせた、という性格が強い。いわば中央突破型の規制強化だ。派遣労働を含む非正規労働者の拡大に、地域や労働現場レベルでの攻防戦で攻勢の成果とは言い難いのが実情ではないだろうか。
 二つめは日雇い派遣という雇用形態が他の雇用形態と別立てで存在してきたわけではなく、期間社員、契約社員、請負、パート・ アルバイト等々、様々な形態の非正規労働に組み込まれる形での雇用構造がつくられてきたという事情だ。こうした構造の中で日雇い派遣だけを規制してみても、多くは抜け穴や代替雇用に流れていく可能性が高い。短期派遣での引き回しや個人請負といった形での過酷な労働実態はなくならないだろう。その意味では与党はもちろん、野党の規制案でもまだまだ不十分だ。ドイツで導入されているような、働く貧困層への手広い就労支援制度の導入なども大きな課題だろう。
 雇用をはじめとした労働者の処遇改善を求める闘いは、法的規制や公的支援制度だけではなく、本来は正規・非正規総体による産業ごとの組合規制、それと県レベル、あるいは広域市町村レベルでの不当な処遇を許さない労働者自身の闘いを基礎として始めて実効性を確保できる。かつての県評、地区総評時代の後半は、そうした県評、地区労も社会党の選挙基盤に変質していたが、いまはそれさえ機能していない時代だ。そうした中長期の戦略展望も欠かせない。

■突破口を拡げよう

 こうした事情を考えても、今回の日雇い派遣労働の法的規制強化は、これまでの労働分野における規制緩和の流れを押しとどめる突破口になるし、そうした課題は私たちにとって待ったなしの課題だ。こうしている間にも、非正規労働者が全雇用者に占める割合が35・7%にもなってしまった。正社員二人に対して非正規の社員が一人という壁さえも越えてしまったのだ。
 この非正規労働者は、潜在的失業者として企業にとって雇用の調整弁であり、併せて当事者はもちろんの事、労働者総体の処遇を引き下げる重しの役割を果たしている。一時的に日雇い派遣が縮小しても、企業は可能なところではどこでも非正規労働者を増やしていくだろう。いったん使い捨て労働力の味を占めた企業は、それを自分から手放す事などあり得ないからだ。
 中長期的な労働者自身による規制力の強化を視野に入れつつ、今回の日雇い派遣労働の原則禁止という法的規制の強化を突破口とし、すべての非正規労働者の処遇改善、ひいていは働くすべての人たちの均等待遇を勝ち取る闘いをさらに前進させていきたい。(廣)


Revolveする世界(完) 北山 峻

(七)Revolveする世界
  革命(Revolution)とは文字通り、政治・社会体制がぐるりと回転する(Revolve)ことでしょう。その意味では現代は、過去200年にわたる欧米中心の世界体制が、この間欧米の植民地や半植民地であった中国や  インドを中心としたアジアを中心とする世界体制に、ぐるりと回転しつつある大革命の時代でありましょう。      
 しかし、現在の中国には依然として数百の(一説には800)の強制収容所と労働改造キャンプがあり、200〜300万人の反国家的犯罪者(反体制政治犯、チベット族やウイグル族の民族独立運動の指導者、「法輪功」などの「邪教」指導者など)が、かつて日本共産党の輝ける指導者であった伊藤律氏が宮本指導部の要請で無実の罪で28年間も中国の監獄に入れられていたように、裁判もなしで獄につながれていると言われていますし、また、ロシアでも、新しい独裁者プーチンによるチェチェン民族の独立運動への残酷な弾圧・ジュノサイドというべき虐殺や、これを告発した女性ジャ−ナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ氏の暗殺、更にこれをプーチンの仕業と告発した旧KGB職員リトビネンコ氏に対するポロニュウムによる暗殺など反体制運動家やジャーナリストに対する国家テロによる暗殺や言論弾圧は、まことに目に余るものがあります。
 だから、欧米世界からアジアへという世界の中心の移動が、200年にわたって辛酸を嘗め尽くしてきたアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国人民の解放にむけての世界史の大きな前進ではあっても、その世界の中でも、非抑圧民族の自立・独立や、女性の解放、労働者・農民の解放などいまだ解決せねばならない課題が山積しているのもまた事実であります。
 だから今我々は、この新しい情勢の展開の中にあって、この200年の間、至高のものとして世界に君臨していた西欧の価値観を皇帝の座から引きずりおろし、数千年に及ぶアジア、アフリカ、アメリカ、オセアニアなどの世界の豊かな文化・文明の大河の中に投げ込み、厳しく再検討し淘汰するという文明の大転換と同時に、すべての被抑圧民族の自立と自決、女性の解放、労働者や農民・漁民・牧畜民などの人間社会を根底で支えている民衆の解放とその生活の向上、そして人類と自然との循環の回復という課題を同時に解決していくという難問に直面しているのでしょう。
 仏教文化も、儒教文化も、イスラム教文化もキリスト教文化も、世界のありとあらゆる文化が、ソクラテス・アリストテレス・老子・荘子からルソー・カント・ヘーゲル・マルクスに至るあらゆる思想が、世界の民衆の解放と生活の向上、人間と自然との循環構造の再建という最もラジカルで根源的な点から、すべて民衆の前で民衆自身によって再検討され、取捨選択され新しい世界の建設のために活用される新しい時代が今始まりつつあるし、また始めなければならないのでしょう。そのようにして世界の民衆は一歩一歩自らを解放していくのでしょうし、そのようにして初めて我々は、万人が平等で協働する、人間と自然と一体となった循環型社会、おそらくそのような協同社会に更に一歩近づいていくことが出来るのでしょう。(完)案内へ戻る


大分県の教職員採用汚職を考える

 ワイド・ショーに格好の話題を提供し、日々事件の関係者の拡大化・深刻化が報ぜられている大分県の教職員採用汚職について、一言いっておきます。
 私も神奈川の教育界で三十年働いておりますが、神奈川県ですら縁故採用は日常茶飯事です。また付届けの量まで言う担当者の声が漏れ聞こえ、あまりのことに呆れて話題になります。それにつけても、なぜおじいさん・おばあさんが教員だったら、その子だけでなく孫まで教員との例を数多く見るのでしょうか。こうした例は皆さんの身の回りにもありませんか。
 横浜市や神奈川県では全国から教員を採用しています。神奈川の教員は東北や九州の出身者が多いのは、神奈川県内採用者だけでは人手が足りない事情があるからです。首都圏や大阪圏も同様でしょう。だから、首都圏や大阪圏で就職していてもふるさとへ帰りたい教員は多いのです。教育荒廃が進む中で、最近神奈川県での教員志望者は減少し、今や競争倍率は四倍を切るまでになっております。県教委もこれ以上倍率が下がれば、教員の質が確保できないとまでいう事態が出来しております。しかし、過疎化で採用人数が限られる東北・四国・九州など採用試験倍率が10数倍のところでは、縁故採用がこのような金品がらみになるのは当然でしょう。これが日本の教育界の本当に秘密の真実なのです。つまり今に始まったことでは決してないのです。
 私は大分県での事件なので、元自治労委員長であり元総理であった村山富市氏を筆頭とする社民党支持の組合批判が底意にあるのではないかと想像していましたが、案の定、産経新聞がこの観点からこの問題を取り上げていました。
 七月十日の産経新聞を引用します。
 「教員採用汚職が発覚した大分県の教育界は、古くから教育委員会と教職員組合が教職員人事などについて事前協議を行うなど、閉鎖的でなれ合う癒着体質が批判されてきた。事件では悪質な点数改竄や県議口利き疑惑も浮上、学校では逮捕された小学校校長らの不在が相次ぐ異常事態に保護者らの不信が募っている」
 「事件では、採用担当だった県教委義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で再逮捕=が平成18、19年の小学校採用試験で不正に合格させた約30人の中に、複数の県議が口利きしたケースが含まれていることが、関係者の話で判明。さらに18年と19年の中学校採用試験でも、上層部の指示で一部の受験者に加点していたことも分かった」 「19年の小学校採用試験では、県教委上層部の口利きがあった受験者15人前後の点数を最大百数十点水増しし合格させる一方、一般の受験者を減点、本来合格だった約10人を不合格にしていた」
 「学期末と夏休みを目前にした多忙な時期だが、大分県佐伯市では逮捕された校長、教頭の後任が決まらず、昇進人事で商品券贈与を県警に『告白』した校長らも学校を休み、5つの小学校で校長や教頭不在だ」
 「大分県の教育委員会は、教職員組合との癒着体質が強く批判を受けてきた。教委幹部にも教組出身者が少なくない。
 日教組傘下の大分県教職員組合の加入率(昨年10月、義務教育)は約65%で、全国有数の『日教組王国』と知られる」 このように、県教委は昭和45年ごろから県教組と教職員人事をはじめ、各種通知の内容、卒業式の日程、研究指定校の選定などについて事前協議を続けてきた。しかし、平成14年1月には、「今後は県教委の責任で『主体的』に事務事業を執行する」と県教組に“関係清算”を通知、「今は事前協議はしていない」(総務課)とする。
 だが、地元議員によると、「数年前、組合が教員の異動先を事前に把握していたこともあった」といい、「教委の上層部は組合出身者が目立つ。実質的には変わっていないのではないか」との声もあると産経新聞は結んでいます。
 しかし、この事件は最初に言ったように、こんな単純なことではありません。この事件が発覚したのは、金券ショップに大量の商品券が持ち込まれたことを不審に思った店員が警察官に通報したことから発覚したと聞きました。
 まさに日本の権力者が、今や信じられないほど著しく劣化した人格の持ち主になっていることに問題があります。そういえば庶民なら、破廉恥なことをしたら二度と公に顔をさらせないと恥を知っているのですが、政権を自分から勝手に投げ出したのにもかかわらず小沢のせいにした安倍元総理の破廉恥を何と形容するのでしょうか。また小泉構造改革で格差社会を出現させておきながら、いまだに自己責任論をぶって、一切恥じない竹中平蔵のテレビ出演に対して、私たちは何と言うべきなのでしょうか。呼ぶ方にも節度がないのですが、こんなにも恥知らずの彼らにテレビに出る資格などないのです。  (笹倉)


人生の総仕上げを共に  終末期医療を考える

 人は生まれたら、やがて人生を終える死を誰もが迎えなければなりません。最近、たまたま見たテレビの番組で、「笑顔で死を迎える医療のあり方」にこだわる医療現場のルポがありました。、本人はもちろん家族も悔いのない最後を迎え、納得した素顔を見た時、患者と医療スタッフの信頼関係の大切さを感じました。ルポの紹介と関連した新聞記事を参考にしながら、終末期医療がどうあるべきか、問いかけたいと思います。

○なぜ? 笑顔なのか
 死を迎えるイメージとして、笑顔は対立することではないのかしら? と普通は思ってしまいます。確かに、意識があり自分で判断できる状態ならば、病院のベットの上で、死を待つだけの生活は精神的にも苦痛を伴うでしょう。しかし、死期が近づいて来たとき、医師は患者に最後に何かして欲しいこと、したいことはないかと、聞いてそれを実行することを約束すれば、どうでしょうか。
実行するには、家族の理解・医療スタッフの公私を越えた協力が必要です。
 ルポでは、ベットに横たわる70歳代男性のガン患者が映し出され、医師は男性の手を握りながら「もうすぐ、お迎えがくるよ。
よく頑張ったね。何かして欲しいことはないですか?」とやさしい口調で聞いています。男性は日頃から、きれい好きで床屋を欠かさなかったようで、床屋できれいさっぱりしたいが希望でした。50年近く板前を続けお店を営んできた男性は、町に帰ると近所の人が声をかけてくれ、床屋で用を終えると見違えるほど元気になり、付き添えにきた女性スタッフもびっくりしていました。持ち合わせた医療計測器も病院では測れなかったほど良い数値が出て、またもやびっくりでした。
 このように、死期が迫っていることを告知し患者の希望を叶えることは、病院にとっては手間のかかる利益のない「医療」なのです。けれど、患者に希望を聞くことは医療を提供する側にとっても、心理的に満たされることでもあるのです。介護や医療に携わる人からよく耳にするのは、もっと人手があれば人間らしく対応ができるのにと、時間に追われる日々を悔やんでいます。労働現場での仕事に対する誇り・やりがいなどが認められることは、職場の雰囲気や人間関係にも良い結果を生み出すはずです。

○患者の「物語」で生を共有
 富山県で小さな診療所を開いている佐藤伸彦医師は、「終末期医療は医学だけで太刀打ちできない」と気付き、物語(ナラティブ)の理念にたどり着いたと言います。医師や看護師、介護士、家族が、高齢者の患者を「物語的に理解する」ことで、患者の生を共有しようとする試みだそうです。約5年前から同診療所では、高齢者が入院する際、昔の写真を集めるよう家族に頼み、アルバムを作ってもらい病院スタッフも見せてもらいます。
 例えば、認知症で寝たきりだった田中さんのアルバムは「心象の絆」と名付けられ、女学校教師時代の若々しい姿が写し出されてます。それを見た病院スタッフと家族は、「空気が劇的に変わった」といいます。「人には豊かな物語がある。周囲の人たちがそれに気付き、信頼関係が深まった瞬間でした」と佐藤医師は振り返る。「家族がアルバムを作る過程で物語が紡がれていく。写真を見ながらスタッフと語り、患者の生活が共有されていく。病院と患者、家族と患者の関係が再構築につながります」と、実践を重ねてきた佐藤医師の言葉には自信が感じられます。
 佐藤医師は病院が担う「みとり」を、「物語」を介して近づいて行きたいと、かつての「みとり」の伝統を大切にしています。その後、田中さんは93歳で亡くなりますが、長く介護をしていた次女は、「母は人生の最後の総仕上げをしてもらった」と「みとり」への感謝を忘れていませんでした。

○「処理」ではなく、「みとり」を
 日本の死とみとりはどのように変わってきたのでしょうか。葬送の歴史に詳しい新谷尚紀・国立歴史民族博物館教授(民俗学)の説明を見てみましょう。
「村落共同体では、老いや死の迎え方は伝統的なマニュアルがあった。明治期の近代法制で死亡診断が医師に限定されたが、伝統はすぐにはなくならなかった。
 しかし、高度成長による核家族化で、高齢者は尊重されず、居場所を失った。国民皆保険による医療の産業化で、高齢者は病院漬けにもなる。1960年代と90年代を比較した調査では、在宅死はほとんどなくなり、葬送儀礼も葬祭業者が代行していく。
 死への意識は著しく変容した、みとりを含む葬送は、死のけがれを避け、死者が死霊で魔物にならないようにするためのもの。だが、現代の人々は死から目をそらし、老いて『死の準備』をする心を休息に失ってきている。
 今後は、医療・介護・葬祭を一括『処理』する産業が広がると予測している。しかし、死のかたちは多様であいまいなものだ。医療が人の生き方にかかわり、人生の総仕上げを手助けする佐藤医師の取り組みは、『処理』ではない。人間的な良いみとりのモデルを示していると思う」 人生の最終章をよりよく生きてもらうために、医療は何ができるのか。問い続ける佐藤医師は、来年、となみ野農業協同組合(栃波市)が建設する高齢者向け住宅に、ナラティブを理念とする診療所を開く予定です。さらに、仲間たちと新しい老人ホームの設立を構想しているそうです。高齢者を社会のお荷物と言わんばかりの政策を出す政治家らに、佐藤医師らの存在を伝え、発想の転換を迫りたい思いです。私の父は、糖尿病を長く患い、冬に肺病を併発し亡くなりました。もう10年前ぐらいですが、私は「みとり」に間に合わず、悔しい思いをしました。何か言い残したいことはなかったのか? しばらくは気にしていましたが、時間が忘れさせてくれました。今、夫の母は、認知症があり特養で療養中です。年に数えるほどの面会では、確かに会話も途絶え対応に戸惑うことも多々あります。アルバム作りや過去を振り返ることは、私たちのためにも必要な作業でもあると思います。紹介した2例は、人の生き方を尊重し医療を充実したものに変えていく新しい取り組みです。共感する部分が多く、是非、読者の皆さんにも伝えたいと紹介しました。 折口恵子
(参考文献  神戸新聞08・7・4  病院が担う「みとり」・富山の医師の取り組み)案内へ戻る


コラムの窓 上手な「メタボ検診」のすすめ

 つい先月の「コラムの窓」で「メタボ検診、余計なお世話と言う前に」という題で書いたのは、記憶に新しい。
 早速、僕自身、その「メタボ検診」を受けてきたので、今回はその「体験談」を兼ねて、上手な検診の受け方、その活用の仕方について、思ったことを書いてみたい。
 まず、通常の職場定期健康診断で、仕事の合間に、職場の診察室に並んで、あたふたと受けるよりは、どうせなら「日帰り人間ドック」を申し込んで、ゆっくり受けるのをお勧めする。僕は、夏から秋に予定されている職場の定期検診を待たず、健保組合の「日帰り人間ドック」を申し込んだ。これだと、検診職免と年休を利用して、仕事を休み、ゆっくり受けることができる。
 いよいよ当日、前の晩から絶食し、健保組合の指定する「検診センター」に出かけた。専用の下着とバスローブに着替えて、順番を待つ。
 まず「胴回り」。息を吐き出し下腹部を膨らませた状態で、お臍の高さで測るので、いわゆる「ズボンのウェスト」より約10センチほど多くなるそうで、基準の「85センチ」は軽く突破。
 次に採血。後日、封筒で送られてきたデータを見ると、コレステロールの値がかなり高い。また血圧もギリギリ基準を上回っている。血糖は正常範囲内。で、3項目中の2項目が異常なので、メタボリックシンドローム「総合判定」は「該当!」(やっぱり)。
 続けて「特定保健指導を受けてください」と書いてあった。それも「積極的支援」だそうだ。特定保健指導は「検診機関」か内科の「かかりつけ医」で受ける。その他、コメントとして「高脂質血症、高尿酸血症の治療が必要」と書いてあった。
 これまで、僕は特に「かかりつけ医」というのを持っていなかったが、この際、「メタボ該当」を機に、その「係りつけ医」を作ってみることにした。
 そこで、職場の同僚や上司に「メタボ検診の結果で、特定保健指導を受けますから」と休みを取って、知りあいの医師が開業している医院を訪れた。
 普通の定期健康診断でも、血液検査の結果によっては「内科を受診するよう」コメントが書かれている人が多いが、どれだけの人が受診しているだろうか?その点「メタボ検診」は世間で注目されているせいか、「メタボの受診ですから」と、大手を振って休みを取り易い雰囲気がある。
 さて、医院を訪ね、診察の順番を待つ。名前を呼ばれて、診察室に入り、医師に検診結果を見せた。いよいよ、その「特定保健指導」とやらの始りである。医師がメタボリックシンドロームと生活習慣病での死亡率等について、一通りの説明を行なう。それから、検診結果をもとに、ちょっとした計算式を使い、栄養と運動の両面について、プログラムを立てるのだ。
 僕の場合、1ヵ月毎に胴回りを1センチづつ少なくして、19ヵ月で正常にもっていく「ゆっくりコース」を選択した。1日に約240キロカロリー減らすのを目安に、食事(飲酒)と運動を改善する。食事・飲酒では「焼酎ロック2杯だったのを、焼酎水割り1杯と烏龍茶1杯にする」、運動では「毎日の通勤で30分多く歩く、そのため通勤電車の駅を一駅先で乗り、降りる時は一駅手前で降り、歩行距離をかせぐ」という風に、具体的に立てた。
 これを19ヵ月、つまり1年半余り続けるわけだが、専用のシートに毎日それを記録し、半月か1ヵ月毎に、そのデータを医師に提出し、継続的に指導を受けるのである。
 毎日記入し、毎月医院に行くのも面倒だが、考え様によっては、職場で「また今月の特定保健指導がありますので」と、毎月1日(または午後半日)、年次有給休暇を取り易くなったとも言える。
 職場や関係業界の飲み会でも、「実はメタボでドクターストップなもんで」と二次会をさりげなく断わっても、気まずくならずに済みそうだ。
 要するに、職場で大いに「メタボ宣言」(カミングアウト)をして、それを理由に、検診や特定保健指導の受診に合わせて、年休を取るようにすれば、精神的にもストレスの解消になる。自分のウェストや血液検査のデータは、恥ずかしがらず、職場で言いふらして、酒はこんな風に控えて、歩く時間をこう増やして、と自分自身を、職場の明るい話題にしてしまえばいい。
 さらに、前号でも書いたが、職場の安全衛生委員会や労働時間適正化委員会、その他業務の改善に係る各種の会議にかこつけて、「メタボの原因をなくすべし」と言い続け、人員の補充、労働時間の短縮、設備の改善などを、しつこく要求するネタに使いたい。
 それにしても、もともと「医療費削減」のために考案された「メタボ検診」、当面はやれ検診、やれ保健指導、ついでに血圧や脂質や尿酸の治療、と「医療費を増大」させることになりそうなのは皮肉である。(誠)


反戦通信(NO・23)「サミット閉幕・・・606億円のムダ使い」

 大騒ぎの「G8北海道・洞爺湖サミット」祭りが終わった。
 この祭りの費用は606億円だと言う。当然、私たちが納めた税金が使われた。
 議長の福田首相は終了後の記者会見で「成功を支えたすべての関係者に感謝する」と胸を張った。各国首脳も「大きな成功を収めた」とか「結果に満足しており、高く評価している」と称賛している。
 日本のマスコミではあまり取り上げられなかったが、イギリスのマスコミが「このG8サミットの費用は606億円もかかった。もし、この費用がエイズ対策として活用されていれば、約400万人以上のエイズ患者が救われた」と報じた。
 たかだか3日間の会議なのに、その贅沢な食事や宿泊施設など、さらにそのお供の人数の多いこと。また、首脳会議なのになぜ奥様までのこのことついてくるのか?その奥様族のこれまた贅沢な接待内容で、莫大な費用がかかっている。
 でも、ムダ使いと言えば、やはり警察権力の異常とも過剰とも言える警備と監視体制。過激と言うほどのデモでもないのに、なんと14人もの逮捕者を出している。
 浜松基地に配備されているAWACS(空中警戒管制機)もサミット警備で北海道に派遣された。
 この派遣に抗議した「人権平和・浜松」の会は次のように述べている。
 「2008年7月7日朝3時30分頃、浜松基地からAWACSが轟音とともに飛び立ち、夜12時30分ころ帰還した。このようなG8サミットへのAWACSの投入によるAWACSの飛行が繰り返されている。わたしたちはこの投入に強く抗議する。
 G8サミットに参加する国々は、アメリカを中心に資本のグローバリゼーションをすすめ、新自由主義による地球規模での市場化をすすめてきた。その結果、グローバル戦争と投機マネーによる原油と食糧の価格破壊をもたらし、世界の人々の生活危機を生んだ。資本の利益のための規制緩和によって、民衆の生活権・生存権が破壊されてきたのである。
 『頂上グループの8(G8サミット)』などという表現自体が尊大であり、新たな帝国意識を示すものに他ならない。そのような動向に対して『もうひとつの世界は可能』と民衆の社会運動が高まるのは当然のことであるが、そのような新たな社会形成の動きを『テロリズム』と一括するような動きが進行している。浜松の警察署の掲示板には反グローバリズムの動きを警戒する記事が添付されている。グローバリズムによる地域経済や食糧主権の破壊は深刻であるが、そのような動きへの対抗が警備対象とされているのである。だが、チェックすべきはグローバリズム自体というべきだろう。
 今回の洞爺湖でのG8会議にはAWACSをはじめ自衛隊が投入された。とくに中央即応集団やイージス艦が配置された。このような動きはグローバル戦争下での国内での治安出兵の様相を呈している。防衛省は何の法的根拠も示さず、軍事組織による会議の警備をおこなったが、このような反テロ戒厳令行為はそれ自体、市民の人権を侵害するものとして厳しく問われるべきものである。
 札幌でのG8抗議デモではジャーナリストが逮捕され、その権力側の違法な逮捕の様子が放映されると警察は釈放せざるをえなかった。サウンドデモの運転席の窓を破壊して運転手を逮捕する行為はイラク市民を射殺する米軍の行動と同様の発想によるものといわざるをえない。
 わたしたちは自衛隊の投入とG8抗議行動への不当な弾圧に強く抗議するものである。日本政府は地域での経済主権や食糧主権の確立と民衆の生存権・生活権確立の視点に立つべきであり、イラク・アフガン派兵を中止し、投機マネーによる原油と食糧価格のつり上げを止めるべきである。また、逮捕者を即、釈放し、その尊厳と名誉を回復すべきである。」 来日したフランス人女性活動家のスーザン・ジョージさんは、世界人口の10数%しか占めないG8諸国の首脳に対して、「世界を支配する役割は与えてない」とのG8不要論を展開した。まさにそのとおり。ムダ使いサミットを終わらせよう!(若島三郎)案内へ戻る


「呆れる教育界の不正」

 大分県で教員採用をめぐる汚職事件が発覚した。
学校の最高責任者である校長が、自分の息子や娘の教員採用試験において、県教委幹部に現金や金券を贈り合格するよう不正を働いていたとのこと。
教育界の指導的立場に立つ県教委幹部は、採用試験で受験生の名前を部下に示し、得点を水増ししろと指示していたと言う。受験者15人前後の点数を最大100点以上水増しし合格させていた。一方、一般の受験者に対しては減点して、本来合格だった約10人を不合格にしていた。また、不正に合格させた受験者の中には、県議が口利きしたケースもあったことも判明している。
 さらに、教頭らの管理職への登用試験においても、便宜を図ってもらうため幹部に金券を渡していたと言う。
 これが日頃偉そうに教育を語っている校長・教頭及び県教委幹部の真の姿である。この大分県教育界の腐敗・堕落ぶりには、あいた口がふさがらない。教員になるにも、管理職になるのも、金次第であることを証明した。子どもたちにこんな有害な教材を与えた罪は大きい。
現場に立つ教育労働者は多くの他人の子どもを預かり、いかに平等に扱い、同じチャンスをどう与えていくか、まさに神経をすり減らして子ども達に接している。
こうした教育現場を預かる校長や教頭が、自分の子どもの教員採用試験おいて不正を働いていたこと、子どもを平等に扱えずに自分の子どもさえ合格すればよいというエゴイズム。親としても、教育者としても失格である。
 ことの本質は、このような教員採用をめぐる不正が、大分だけの特殊な事情だと言えないことである。これまでにも、他県でもこうした不正採用事件が起こっている。
 教育界の教員採用試験や管理職の登用試験は極めて不透明で閉鎖的だとの批判は前から指摘されてきた。採用試験をめぐって校長やベテラン教員に口利きをしてもらったという不正疑惑は全国各地で聞く話である。
確かに、このような不正とは関係なく日々教育界において努力している管理職は多々いると思う。しかし、今回の大分県の不正採用事件は昨日今日の出来事ではない。長年行われていた慣習の結果である。
 事件の内容を知れば知るほど、まさに封建的な前近代的な教育界である。これが世界の経済大国とか先進国と言われてきた日本社会の本当の姿であり、レベルである。とても、若者に見本となる大人の社会ではない。
 教育界に限らず、今の日本の支配層の退廃と腐敗ぶりとその無責任体制は目を被うばかりである。この社会を少しでも良くするためにも、こうした事件に際しては徹底的にウミを出しきって、明確な責任を取らせるための追及が必要である。
 責任を取ることに甘い日本人気質を乗り越える必要性からも、中央官僚や地方役人や会社役員などの言動をチェックする「オンブズマン」的な活動が求められている。(W)


原子力空母の横須賀母港化阻止闘争の現状―火災事故発生ため4ヶ月以上延期か

 五月十六日、横須賀市議会は、原子力空母・「ジョージ・ワシントン」の横須賀配備の配備と安全性の是非を問う住民投票条例の策定を求めた要求署名を否決した。阻止闘争は頓挫したかに見えたが、その一週間後、「ジョージ・ワシントン」は、太平洋上で展開された軍事行動に参加しつつ横須賀に向け航行中、ケーブルを伝った船内火災事故を起こして、横須賀来航が延期された。
 六月二十四日、ほとんど新聞報道で内容が報道されなかったこの火災と原子力の危険について、「非核横須賀市民宣言運動」の代表であり、母港化阻止闘争の一翼を担う新倉裕史氏は、「たんぽぽ舎」で講演した。以下に引用する。

 「太平洋上でのジョージ・ワシントンの火災事故は、最近の軍内のレポートでは消火に十二時間かかったという。八十区画以上に火災が広がったのは、火が船内区画をつなぐケーブルを伝わったからでケーブルに不燃材を使ってなかったのである。全駐労(全駐留軍労働組合)からの報告によると修理に最大四カ月必要とされ、八月十九日(横須賀入港)は延期が決まったが、さらに延びる可能性もある。今回の火事がもし原子炉に近いところだったら大変だった。
 核空母の原子炉については、技術的なデータが非公開で全然分かってない。出力が三十万kwの原子炉を二つ備え、かつ燃料棒の濃度が非常に高い。高濃度の燃料棒を積んでいるのはあまり燃料交換をしなくてもいいようにするためだ。逆に言えば、燃料棒の交換をしないので毎日のように発生する死の灰は、二十から三十年分が蓄えられる。
 原子炉の出力がゼロからフルまでわずか一分という戦争のための道具である。こういうものでありながら安全性の確保に関する情報公開が一切されていない。万が一、最悪の事態が起きたとき、その結果は極めて深刻な事態となるといわれている。
 二十年前、カリフォルニア大学の科学者にシミュレーションしてもらったところ、深刻な事態による横須賀市の死者は一年間に七万八千人となった。これまでにそういう致命的な事故は起きていないと米軍は言う。私たちもそうそう起こるものではないと思っているが、むしろ日常的な事故の方が多いのでないかと思う」「放射能漏れも起こり、例えば横須賀の原潜停泊地からコバルト60と58が検出されている。どういう理由か分からないが原子炉から外に出てしまった。日本政府は極めて微量で問題ないと言うが、問題は漏れてはならないことが微量であっても実際に漏れたことだ。調査した日本政府の研究者も問題です、と言う。
 しかし船に乗ることができないので調査は実際にはできていない。住民投票に関する議会の意見陳述で、原潜の作業をしていた作業員1人が白血病で亡くなったことなど、被ばく事故が数件発生しているとの報告がある。そんな大事な報告を何で今まで隠していたのか、被爆の詳細を米軍によく聞いてくれと言うと、市民安全課の方が聞きますと言ったが、米軍からはそれ以上の情報提供はできないと拒まれたという。被爆事故が起きているということを米軍もすでに認めている」「その他に、空母では非常に引火性の強い艦載機用のジェット燃料がそこいら中に漏れており、爆弾もたくさんあり、そのうえ原子炉も積んでいる。こうした核空母にとって火災事故は相当深刻な事態になりかねない。洋上の火災事故だから米軍が黙っていれば絶対わからない。にもかかわらず公表し修理の後、横須賀に行きますというのは、火事を隠して万が一それがばれたら母港化計画そのものが失敗するくらいの深刻さだと判断し、火災の2日後に発表したと考えられる。
 8月19日の入港を延ばすというのは、米海軍にすれば非常に不名誉なことである。とりあえず横須賀に入って修理することもあり得るが、そうしないのは横須賀をはじめとする配備反対の声の強さが、米軍をしてきちんとした対応をとらなければならないという態度にさせている、というふうに私たちは思っている」
 横須賀市当局は、この火災については小火との認識の元、米軍には一切の抗議も立ち入り調査要求等もしていないのだ。これが常日頃、原子力艦船の安全性を強調してきた横須賀市当局の態度である。まさに許せないの一言である。
 この新倉氏の予想通り、七月上旬、在日米海軍司令部は、ジョージ・ワシントンの横須賀寄港を、九月まで延長するとの声明を発表した。
 今後、七月十三日には、共産党系の「原子力空母配備、米軍基地の再編・強化」に反対する集会が、横須賀市のヴェルニー公園において、神奈川県を主力する二万人の全国規模で取り組まれる。
 翌週の七月十九日には、神奈川の平和フォーラムが中心となり、三浦半島地区労などの地元組合や県内組合等の大結集を予定している。
 さらに七月二十六日には、「米空母の火災事故を巡って」のシンポジウムを開催することで、横須賀市民に空母母港化の危険性と問題点を啓発していく予定でいる。これらの闘いを拡大していこうではないか。
 私たちもこの横須賀の闘いに連帯していきたい。  (猪瀬一馬)


出生率1.34 上昇したが・・・

 07年の合計特殊出生率は、1.34で前年の1.32を0.02ポイント上回った(表1参照 2008/6/15朝日新聞)合計特殊出生率は、15〜49歳の女性の年齢別に、出生数(国内で生まれた日本人の子どもの数)を人口数で割りその値を合計したもの。07年は出生数の減少が小幅だったのに対して、15〜49歳の女性の減少が大きかったため、出生率が上昇したという。出生数は108万9745人で前年比を約3千人下回っており、こうしていくと2055年には、日本の人口は約9千万人まで減り、65歳以上の人が現在の2倍の40.5%を占めると推計され少子高齢社会になるといわれている。     
 この少子高齢社会になんとか歯止めをかけようと、政府は様々な“少子化対策”を行ってきた。(表2参照 2008/6/3朝日新聞)ところが表をみるとわかるように、94年の“エンゼルプラン”がうまく進まないと99年には“新エンゼルプラン”と掲げたり、01年の“待機児童ゼロ作戦”でも昨年にはまた“新”をつけている。このように政府の少子化対策は、同じ事を繰り返し行ってきただけということがわかり、効果も上がっていないということだ。
 福田内閣になって「子どもと家族を応援する日本」を重点策略をまとめ、保育所など子育て支援の拡充や長時間労働の改善などを柱に子育てしやすい環境作りを進めているときれいごとを掲げている。しかし、子育てをしながら働きたい女性がすべて働けるように育児休業中の給付金や保育サービスなどを充実させると現在の年間予算4兆3300億円に加え、新たに年間1.5〜2.4兆円が必要だと厚生労働省は試算しているというのだから驚いてしまう。まったく政府の少子化対策は、絵に描いた餅で『財源がない』のに目標だけ立てているだけだ。財源のめどが立たないような少子化対策を掲げること自体がおかしいのに、毎年毎年、同じ事を繰り返して実効性、実現性のないものに私達はだまされているのだ。
 出生率が2年連続上昇したが、今は人口が多い団塊ジュニア(71〜74年生まれ)が30代半ばになっていて、出生数を支えているが、数年後には出生数が落ち込み出生率は下がっていくのは目に見えている。このままでは少子高齢社会になっていくだろう。安心して子どもを産み、育てられるように社会全体が、子どもも女性も男性も老人も大事にされる社会を目指していきたい。(美)


編集あれこれ
 前号(7月1日号) の1面は、1945年6月23日、沖縄戦が終わったことについて書いています。沖縄は、「本土防衛」のための捨石とされたところです。現在も沖縄は、多くの米軍基地があり、決して平和なところではありません。私達のできることは、沖縄戦の歴史的事実をきちんと認識し、そして米軍基地の撤去等を取り組まなければなりません。
 2・3面はこの10年で自殺者が30万人にもなること、それの根本的解決は利潤万能社会の変革であることを明らかにしています。今の社会、失業やいじめ、借金苦、引きこもり等多くの問題をかかえています。こんな状況を何とかしたいと思います。
 4面は、刑務所の高齢化について書いています。刑務所が人生最後の場所になる人も多くなっており、高齢者の貧困が大きな問題になっています。後期高齢者医療制度の問題もあるし、今の社会特に高齢者に冷たいと感じます。
 5面は、大阪府の橋下知事について書いています。橋下知事は、財政再建のためにはなりふりかまわず、といったところでしょう。府の職員の給料も16%も減らそうとするなど、これはいくら何でもひどすぎます。まあ橋下知事は選挙で選ばれたのだから、大阪府民の選択がよくなかったということでしょう。
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