ワーカーズ374−375合併号  2008.8.1.         案内へ戻る
イラク・アフガンからすべての外国軍の撤退を!
自衛隊派兵恒久法を作らせてはいけない


 海上自衛隊によるインド洋での給油活動、航空自衛隊によるイラクでの空輸活動、それぞれ特別措置法によってそれらしい名目が掲げられているが、その実態はアフガニスタン・イラクに対する米軍による軍事侵攻・占領の兵站活動である。いま、福田政権はここからさらに一歩前進しようとしている。
 安倍前首相は9条改憲を掲げたが、一敗地に塗れて退陣した。福田首相に期待されているのは、特措法から恒久法への飛躍、何時でも何処へでも自衛隊を派遣≠ナきる法の整備である。読売新聞流に言えば、「もう特措法を卒業する時だ」ということになる。「平時の今こそ、自衛隊の国際平和協力活動の議論を冷静に深め、法整備を進めるべきだ」(5月25日「読売新聞」社説)と力説している。
 こうした期待≠ノもかかわらず、アフガン本土への自衛隊派兵断念となった。国際治安支援部隊(ISAF)の後方支援だったが、公明党の反対姿勢のうえに現地の治安情勢の悪化が重なり、法整備も困難という結論になったようだ。7月7日のカブールでの自爆攻撃で41名もの犠牲者を数え、アフガン駐留米軍司令官すら非戦闘地域は保証できないと述べている。
 ペシャワール会は医療支援から給水の確保、井戸を掘り用水路を建設しアフガン支援を行っており、次のように訴えて自衛隊派兵に反対している。「私たちが苦闘を強いられている中、背後から銃を撃つような政策が政府によって打ち出された。アメリカの要請による陸上自衛隊のアフガン派遣案である」「・・・後方支援は、これまで現地で培われてきた日本への信頼を根底から瓦解させ、活動する日本人の生命を脅かす歴史的愚行であることを、強く訴えたい」(6月25日「ペシャワール会報」)
 読売は平時≠ニ言うが、自衛隊が戦闘地域に派兵されている現時点において、日本はすでに戦時≠ノ突入しているのではないか。4月17日の名古屋高裁自衛隊イラク派兵違憲判決はこうした事態に対する司法からの警告である。公明党が自衛隊の海外派兵に慎重になっているのも、この違憲判決や世論の動向が影響しているのではないか。
 ここに大きな攻防、武力による平和≠ゥそれとも非武装の闘いか、前進があり後退がある。しかしどんな時も、武力よって平和はもたらされないことを訴え続けなければならない。           (折口晴夫)
 

“日本的雇用”への回帰?――めざすべきは等待遇―― ――『労働経済白書』を読む――

 最近相次いだ凶悪事件や非正規労働者の反乱などによって、派遣労働や請負労働の悲惨な実態が公然化し、その見直しの機運が拡がっている。日雇い派遣の原則禁止の動きなどだ。小泉政権時代に頂点に達した利潤原理に基づく労働分野の規制緩和が強行された一時代が行き着くところまで行き、舞台は反転したかに見える。
 こうした時代の転換点の背景の一端が政府の調査でも明らかになった。7月22日に厚生労働省が発表した平成20年度版の労働経済の分析(労働経済白書)もその一つだ。そこでは働く人の満足度がこの20年ぐらいの間で大きく下がってきている実態が裏付けられた。
 こうした転換点にあって、かつての日本的経営、なかでも終身雇用や年功処遇への回帰願望も語られている。しかしそれで働く人たちの閉塞状況を突破できるのだろうか。

■大きく後退した働き手の満足感

 この7月22日に厚生労働省が発表した「労働白書は」、働く多くの人にとっては身をもって体験してきた事にすぎない。が、今回の調査でそれが数字として目に見える形で再認識させられる。
 厚生労働省が発表した資料は、「雇用の安定」「仕事のやりがい」「休暇の取りやすさ」「収入の増加」という4項目で労働者の満足度を1978年から2005年まで集計している。
 それによると、「収入の増加」の満足度は、1978年の24%から05年の6・2%までほぼ一直線で低下している。そのほかの3項目でも、多少の波はあっても低下傾向は変わらず、それぞれ30%前後から15%前後に低下してきていることが明らかになった。
 実際に受け取る給与についても、他の統計と同じで07年度は00年に比べて横ばいか、あるいは1〜2%低下してさえいる。なかでも従業員規模が5〜29人規模では一割も落ち込んでいる。
 これだけでも働く人の満足度は低下して当然だが、現実はこれに非正規化が加わる。非正規化は90年代半ばから急増し、今では3人に一人以上が何らかの形の非正規雇用だ。失業率が若干低下しているとはいえ、非正規雇用を強いられている人も多く、公然的失業が潜在的失業に姿を変えているだけであって、何の救いにもならない。

■背景には長労働・過密労働と不安定・低処遇雇用

 この間、90年代後半から2000年代後半に至るまで、正規労働者の削減とその非正規への置き換えが急速に進められた。今では正規労働者二人に対して非正規労働者が一人以上になっている。しかもこのシフトは大企業ほど急激に起こっている。今回の白書でも、非正規社員の割合が1〜29人規模の企業では1987年の26・8%から39・2%の増加に対して、500人以上の大企業では10・2%から30・1%に激増しているなど、企業規模が大きくなるほど急増している実態が報告されている。
 こうした事態は、30代、40代になっても非正規労働から抜け出せない不安定、低処遇労働者を激増させ、働く貧困層としての“ワーキングプア”を大量に生み出す事態になっている。
 こうした“ワーキングプア”の大量生産は、他方における正規労働者の長時間無制限労働と表裏一体のものとして、非正規、正規問わず、労働条件の劣悪化をもたらしている。
 統計に表れただけでも所定外労働時間は07年で6年連続で増えている。“名ばかり管理職”の例を持ち出すまでもなく、正社員の労働時間の増加が非正規の低賃金と背中合わせに併存し、それが働く人の満足度を大きく引き下げている。
 ここのきて労働分野での規制緩和の見直しの動きが出てきた背景は、何も非正規労働者の悲惨な実態が明らかになってきたことだけではない。それ以上に人件費の引き下げに偏ってきた経営の行き詰まりが明らかになってきたからだ。

■破綻した日本的“新自由主義”

 行き詰まりの最たるものは、1989年のバブルの崩壊以降の「失われた10年」を経て、世界に占める日本経済の比重が相対的に縮小してきている現実だ。
 国際通貨基金の統計によれば、たとえば為替レート上での日本の国内総生産(GDP)は、1980年には世界全体の9%、90年には13%だったのが、07年には8%にまで低下している。対米比較でも、90年の52%から07年には31%にまで下がっている。
 実質的な生活レベルを表す購買力平価ベースでみても、80年には世界全体の8%、90年には9%を占めていたものが、07年には6%にまで下がっている。
 こうした世界経済に占める日本の国力が後退するにいたった背景には、日本企業の競争力の後退がある。その日本経済の生産性、対外競争力をみると、一時の勢いはまったく失われていることが明らかだ。
 たとえば社会生産性本部の調査によれば、日本の対外競争力は経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国中第19位で、主要先進国では11年連続で最下位だ。他の調査でもほぼ同じ結果が出ている。90年代初めには世界でトップだったのにだ。
 この要因として第一にあげられるのは、日本の企業がグローバル競争の中で人件費削減を最優先の生き残り戦略として推進してきたことだ。
 90年代後半には過剰設備、過剰負債、過剰労働力という、いわゆる“三つの過剰”などという言葉が流行語にもなり、その清算が急激に進められたのは記憶に新しい。一時の企業利益を優先するために当然の結果として生産性を高める設備投資などは怠ってきた。たとえば生産性を高める技術革新への投資量を95〜04年で比べると、米英は4倍前後、独仏は2・8倍に増えたが、日本は1・9倍にすぎない。
 さらにこの調査では労働者の処遇の差が生産性の向上の違いに結びつくことも浮き彫りにされている。日本の場合、正社員とパートの処遇格差が大きいので、当然のこととして非正社員の労働生産性は上がるはずもない。その結果が非正社員率第3位の日本の労働生産性が19位だ。が、正社員とパートの処遇格差が小さいオランダではパート比率がOECD中で一番高いにもかかわらず、一時間あたりの労働生産性は30カ国中の4番目だった。この事実は、正社員か非正規化という違い以上に、労働者の処遇の格差が労働生産性も違いに直結している現実を浮き彫りにするものになっている。
 日本の企業・政府は、結局のところ、コスト削減中心の輸出だのみの成長モデルを追いかけるしかできなかった。この間、たまたま中国などの輸出特需でかろうじてわずかばかりのプラス成長を維持できたにすぎない。グローバル競争で生き残るためだといいながら押しつけてきた労働コスト削減の当然の結果として国内需要は低迷したまま、好景気は多くの国民の頭上をただ通り過ぎるだけだった。企業がため込んだ利益は、国内産業に投資先を見いだせずに米国の債権などに向かい、サブプライム債権などを抱え込んで結局は雲散する羽目になる。
 こうした労働コスト削減を中心とした日本的な新自由主義改革は、経営サイドに立って振り返っても今では大失敗だったことが日々明らかになっている。

■“回帰”ではなく“均等待遇”へ

 非正規労働者の悲惨な労働実態と吹き出す反乱、度重なる非正規あるいは若者による凶悪犯罪、それに日本経済の地盤沈下等々、いまこうした現実を前にして、日本でも雇用形態の再検討、あるいは正規雇用、長期雇用などの日本的労働慣行への回帰の声が大きくなっている。
 利潤至上主義に基づく規制緩和の見直しは当然だ。時代の局面自体がそれを緊急の課題として浮上させてもいる。が、それではかつての日本的経営、あるいは日本的労使関係への回帰で労働者の地位や処遇が確保できるのだろうか。
 非正規雇用を正規雇用に、間接雇用を直接雇用に転換することは、個々の非正規労働者にとって、現実問題として雇用の安定化や処遇の改善に直接つながるもので、たしかに一歩前進だ。しかしその正規化が、旧来型の年功賃金やその変形としての年俸制や成果主義賃金などに組み込まれるだけでは、根本的な処遇の改善にはつながらない。単に昔に返るだけでは現在の苦境の解決策にはならない。
 それは今では安定雇用とも評価されるかつての終身雇用、年功賃金、企業内組合として特徴づけられる日本的労使関係が、実は、“企業戦士”という言葉に象徴されるような労働者の個別企業への強固な従属体制の土台でもあったという事実と切り離せない。そうした労働者の個別企業への従属体制が、安易なリストラや野放しの非正規化に対する防波堤の役割を少しも果たせなかった、という苦い経験がある。
 個々のケースでは非正規の正規化や直接雇用は確かに前進だ。が、それがかつての年功処遇体系への回帰であれば、それは個別企業に従属する事で処遇の改善を実現する道とならざるを得ない。
 かつての“企業戦士社会”とも決別するためには、雇用形態の問題にとどまることなく、雇用形態を超えた処遇の改善、すなわち同一労働=同一賃金など均等待遇の獲得こそが私たちの課題だろう。
 日本経済の成長力、日本企業の生産性の低迷などから日本の雇用のあり方の見直しの機運が出てくることは、むろん労働者の本意ではない。自分たちの処遇は自分たちで解決する。こうした当然のスタイルこそ確立したい。(廣)案内へ戻る


うごめく日本版軍産複合体  政官財の暗部を徹底究明せよ!

 東京地検特捜部が、「日米平和・文化交流協会」の理事を務める秋山直紀を逮捕した。昨年来の山田洋行、日本ミライズなどの軍需商社が絡んだ防衛利権をめぐる捜査の一環だ。秋山の容疑は、毒ガス処理事業に絡んだ軍需商社からのコンサルタント料の処理において、脱税が行われたというものだ。捜査は果たして軍需利権の闇にどこまで迫れるのか。労働者・市民の側からの、捜査当局のみならず軍需企業、防衛族議員、政治家、軍人、官僚への強力な圧力と監視を強めることが求められている。

■秋山直紀なる人物

 秋山直紀なる人物のプロフィルは、すでにマスメディアなどによって報じられている。
 父親は自衛官、20歳代の頃から『小説吉田学校』の著者として有名な戸川猪佐武の事務所に出入りし、戸川の死後は金丸信など自民党幹部に顔の利く舞台装置会社の副社長のお気に入りとなる。89年には外務省所管の「日米文化振興会」(後の「日米平和・文化交流協会」)の理事に就任し、防衛族議員の訪米ツアーなどを主催し始める。その後株式会社「国際外交研究所」なるものをつくり、軍事ビジネスに接近しようとするが失敗。94年に当時防衛庁長官だった玉沢徳三郎に取り入る事に成功したことを機に、軍需フィクサーとしての地歩を高めていく。「日米平和・文化交流協会」を発足させて専務理事となり、同時に「安全保障議員協議会」を組織してその事務局長となり、さらには「日米安全保障戦略会議」なる団体を組織する。
 秋山が組織した「日米安全保障戦略会議」は、毎年2回米国と日本で大規模なイベントを開き、最新兵器の展示やシンポジウムなどを行うようになる。そこには政府各省の首脳、防衛庁・防衛省の幹部や大臣、自民・公明・民主などにまたがる防衛族議員、重工や電気や商社を初めとする軍需企業各社、米国の元国務副長官を初めとする高級官僚や政治家などが出席し、最新鋭兵器を展示して眺め、商談をし、日米が連携した軍備拡張の必要を論じるなどのことが行われていた。
 秋山直紀は、まさに日米の軍事産業や政治家や官僚たちを結びつける扇のカナメ、日米の連合した軍産複合体形成の立役者として陰に陽に活動し、政治家や軍需資本から重宝されていたのだ。

■軍拡の推進力

 秋山直紀が作り上げてきた日本版軍産複合体(の萌芽)が、どんなに危険なものかは、彼らのこれまでの活動実績からもすでに明らかだ。
 例えば、「日米安全保障戦略会議」が03年に開いたシンポジウムのテーマは、弾道ミサイル防衛構想(BMD)だった。敵国が発射した弾道ミサイルを途中で撃ち落とすミサイル防衛システムを、日本に導入させるよう促すことが目的のシンポだった。このシンポでは同時に日本の国是の一つである「武器輸出三原則」の見直しも重要な課題とされた。
 その結果はどうだったか。同じ03年の12月に、小泉内閣は安全保障会議および臨時閣議において「日本版弾道ミサイル防衛(BMD)」システムの導入を決定した。ミサイル防衛システム関連の装備は翌04年から本格化され、海上自衛隊におけるイージス艦の数の増大とイージス艦への弾道弾迎撃ミサイルSM3の搭載、陸上自衛隊におけるパトリオットミサイルPAC3の配備が着々と進んでいる。
 同時にこのミサイル防衛システムの拡充・高度化においては、より緊密な日米の軍事技術協力が欠かせない。当面は2011年を完了年度とする第1段階の整備が進んでいるが、それが終われば2015年を起点とする第2段階の開発が始まる。その開発計画の中では、ミサイルとレーダーの性能向上、レーザー兵器の更なる高度化などが計画されている。このことは当然、日本から米国への、そして米国から日本への軍事技術や軍需品の相互提供を避けられなくする。「日米安全保障戦略会議」のシンポのテーマに「武器輸出三原則の見直し」が掲げられたのは、そのことを見越してのものだ。そしてすでに彼らの思惑通り、04年には官房長官談話の形で、ミサイル防衛構想の中での軍事技術や軍需品のやりとりは「武器輸出三原則」に抵触しないとの立場が表明され、日米間でも合意がなされた。
 秋山と軍需企業と政府幹部や防衛族議員らは、「日米安全保障戦略会議」の場で軍事機密の漏洩を防ぐ手だての必要性についても声高に唱え、実際に07年5月に日米間で「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」なるものまで結ぶに至った。軍事技術の守秘義務を公務員ばかりでなく民間企業の従業員などにも課し、違反者には厳しい罰則を設けるものだ。07年11月の「日米安全保障戦略会議」の場では、日米双方から、守秘義務や処罰規定のいっそうの厳格化、身辺調査を行うための専門機関の設置、そのための予算措置の必要までが論じられた。

■軍拡は経済、政治、社会の姿を大きく変えてしまう

 秋山らが、「日米平和・文化交流協会」や「安全保障議員協議会」や「日米安全保障戦略会議」等の組織を通して押し進めてきたのは、紛れもなく日本版軍産複合体の形成である。そして日本における軍産複合体は、より巨大で本格的な米国のそれと密接に結びつきつつ発展している。
 軍産複合体の危険性、その恐ろしさは、それが経済構造や政治の仕組みや社会のあり方の大元を大きく変えてしまうところにある。軍需企業も資本主義的企業の一種であり、その意味では利潤を最大の動機として活動している他の産業の企業が持つおぞましさを共有している。しかし軍需企業の危険性はそこにとどまらない。軍需企業の特質は、それが破壊と殺戮のための兵器や諸サービスを商品としている点にあり、彼らはその商品の販路を確保するためなら、諸国の国家機構に食い込み、それを浸食し、自らの自由に操ろうとする。人々の政治的志向だけでなく、文化や社会の風潮にさえ濃厚な影響を及ぼす。
 兵器市場の拡大が必要となったり、軍事技術の高度化が必要となれば、諸国の政府に陰に陽に働きかけて戦争を起こさせ、兵器の消費・消耗に拍車をかけ、また新たな軍事技術を実地にテストするなどさえ行う。現代の戦争の多くが、こうした動機の下で引き起こされたこと、軍産複合体に発する戦争という側面を持っていることは明らかな事実だ。

■芽のうちに摘み取ろう!
 
 軍需産業と資本主義が結びついたとき、戦争は必然化され、構造化される。軍需以外の産業も、多かれ少なかれ、軍事や戦争と結びつき始める。そのことの恐ろしさは、米国の第34代大統領を努めたアイゼンハワー、この元高級軍人として、また米国の資本家の政治的代表者として軍産複合体の創出に自ら手を染めた人物でさえが、次のような言葉を残さざるを得なかったことが如実に物語っている。有名な言葉ではあるが、我々も再度脳裏に刻んでおこう。
 「我々は、アメリカ合衆国の巨大な軍事機構と軍需産業の合体を、アメリカ合衆国史上初めて試みることになった。軍産複合体を公認した結果、その影響は経済、政治、精神に至るあらゆる分野はもちろん、市政、州議会、官公庁にまで及ぶだろう。しかし、軍産複合体に内在している野心的な巨大成長の可能性に対して、国民は十分な注意と監視をしなければならない。なぜならば、軍部と軍需産業の一体化は、必ず恐ろしい結果を産む危険性をはらんでいるからだ。この巨大な複合組織に、アメリカの自由の基礎を危うくさせてはならない」
 日本版軍産複合体の台頭を許してはならない。労働者・市民の闘いで包囲し、解体に追い込もう!
          (阿部治正)


原子力空母母港化反対闘争の報告

 七月十三日、横須賀現地のベルニー公園で、共産党の全国動員による原子力空母母港化反対集会が開催されました。主催者挨拶は志位和夫委員長が行い、現地の報告は、この間闘争を担ってきた呉東正彦弁護士が行いました。
 参加人員は主催者発表では三万人です。近年にない大結集でありました。
 続く七月十九日には、神奈川平和センター・三浦半島地区労を中心とし、同じく全国動員を掛けた集会が同公園にて開催されました。当日の会場最寄り駅となった京急汐入駅では、集会開始時刻になると朝夕のラッシュ時を上回る人出でありました。これらの人々がほとんど会場に向かったことに私は驚かされました。このため、当初一万人集会をめざすと言われていましたが、主催者発表では一万五千人の結集となりました。
 これだけの人が集まるといつものベルニー公園の会場だけでは収まりきらず、隣接するバラ園には地元神奈川の労組の組合員があふれたのです。さすがに会場から五十メートルも離れ、その間に木々が生い茂っていたので、集会の挨拶や報告は全く聞こえませんでした。そこでハンドマイクを使い独自集会を敢行すると腕章をした公園管理課の職員が飛んできて、「ここは会場ではなく待機所なのでハンドマイクの使用は出来ない」と制止されました。
 しかたなく肉声にて集会をしたのですが、盛り上がりには欠けました。集会の開始時刻は午後二時、デモ行進の出発時刻は三時を予定していました。私が所属する三教組は最殿部隊だったので、出発したのは午後四時半になり、解散したのは午後六時近くでした。それにしても待たされたものです。
 この闘いと大きく関わるものに池子米軍家族住宅に隣接する横浜市金沢区六浦地区への米軍家族住宅建設計画があります。この建設計画は地元六浦地区の住民の意見を何ら聞くことなく、南関東防衛局の一方的な説明を鵜呑みにした中田横浜市長がすでに不当にも承認しています。
 七月十六日、「池子のみどり・平和・自治を守る会」と「池子のみどり・平和・自治を守る金沢連絡会」は、南関東防衛局に、一池子の森の価値を地球温暖化防止の関係からどのように評価しているのか 二改変工事に伴って伐採される樹木の本数その種類を明らかにし、これによって損なわれる二酸化炭素の吸収量の数量的検討を明らかにせよ 三アセスの実施にあたっては、その対象を横浜市部分だけでなく逗子市部分を含めた「池子の森」とすべきである 四米住宅建設計画の進捗状況を明らかにされたい との四項目の申し入れを行いました。南関東防衛局はこれらに対して調査等はするとしたものの三点目や四点目については、米軍との調整中であるとして明言を避けたました。
 米空母の火災事故による日程変更と米軍犯罪の頻発が、着実に地元の反発を引き出しつつある現在、刺激させたくないとのことからか彼らは逃げをうっているのです。もっともっと追い詰めていこうではありませんか。  (笹倉)案内へ戻る


紹介・・・澤地久枝著「密約 外務省機密漏洩事件」(中央公論社)

 1978年に発行された本書は、72年の事件の発端から最高裁までの西山太吉元毎日新聞記者の有罪確定までを追っている。
 時に悩み苦しみながらも、事件の内面にこれほどまで丁寧に迫っているのは、著者が女性であり、また何のうしろだてもないフリーになったばかりの弱い立場の人間だったことと無関係ではないと思う。男女スキャンダル報道に惑わされない、しかも逮捕された2人への思いやりのある姿勢は一貫していて見事と言う他はない。
 当時政府は「外務省機密漏洩事件」を巧みに男女スキャンダル・下半身問題にすりかえ、西山記者と外務省女性事務官を激しい非難の嵐にさらし、問題の本質を一切国民の目に触れさせなかった。国会でも法廷でも「密約はない」とウソの証言を繰り返したにもかかわらず、そのことに対する責任も一切問われていない。
 『沖縄返還に際して、土地の原状回復補助費は日本が負担しアメリカが支払ったように見せかけた』 00年の米公文書報道でこれが明るみに出た後も、日本政府は今に至るまで密約はなかったとウソをつき通している。2005年吉野文六・元外務省アメリカ局長が「400万ドルは日本が払った」と認めた後でも・・・。
 そのかたくなな姿勢からは、日米政府の沖縄をめぐる闇が現在もまだ深いことを物語っているのではないか。
 最近の米軍の沖縄からグアム島への移転費用負担、際限なく支出される「思いやり予算」等、”密約”は今も山積しているのではないのか?国家の犯した罪を、国家がごまかしかくし通すことを決して許してはならない。
 今日、目に余るもののひとつは、政治家あるいは権力者が平気でクロをシロと言い、一切責任をとらないこと。もうひとつは、事あるごとに一気に暴走するマスコミ。
 そして、3つ目は、本書のあとがきで著者が触れているようにますます司法が『国家権力の意志の代弁者』となりさがってきていると言うこと。(2007年、西山記者の名誉毀損賠償請求訴訟も地裁・高裁でともに棄却されている)
 30年前の著書であるが、今もう一度目を通す価値がある。(澄)


教育界の情実人事について

 教育界の情実人事・賄賂人事は地方では例外なく確立され戦後一貫して打ち固められてきた鉄板のような体制でして、各県に一校だけある国立大学の教育学部を出さえすれば、どれほど成績が悪くとも、教授や先輩の口利きでほとんど間違いなく公立校の先生になれるというのは数十年前からの常識です。さすがに東京とか大阪などの大都府県では、教員の採用数がその都府県の国立大学の教員養成学部の卒業生でははるかに不足するので、さまざまな大学の出身者がたくさん入り込み、なかなか単独の学閥による支配が難しいようですが。しかし、これは日本社会全体で普遍的に見られる官僚制(会社なども私的官僚制です)特有の構造であって、いわば、社会の縮図といってもいいでしょう。日本社会では、お中元だ、お歳暮だ、昇進祝いだ、冠婚葬祭だ、なんだかんだと、そのような人脈と金脈がいわば大動脈から毛細血管・大静脈にいたる血液循環のように、上から下まで、無数に張り巡らされているわけで、それが「情けは人の為ならず」、つまり、「人に情けをかけておけば巡り巡って最終的には自分に帰ってくる」という言葉に象徴されているのでしょう。しかし今回の大分の事件の摘発は、総選挙での接戦をにらんで、大分の革新を叩いておくという目論見とともに、大阪府知事の橋下を手先をしての「公務員たたき」をさらに進めながら、人民全体に一層の窮乏生活を強いる大キャンペーンの第2弾であると思います。もう少しこの点を書いたら一層よかった用の思いました。またお願いします。(K)


スリランカ便り

 スリランカでは、テレビ・新聞等のマスメディア関係者に対する脅迫、誘拐、暴行、殺人事件が相継いでいる。
 スリランカ出版協会と新聞発行者協会はたまりかねて、最近二人のメディア関係者に瀕死の重傷をおわせた犯人発見の手がかりを提供した者に5百万ルピー(日本円はほぼ同じ、しかし価値は数千万円にあたる)の賞金を出すと発表した。
 このことはメディア関係者が暗に警察や政府の調査機関に深い不信の念があることを示している。事実頻発するこうしたケースで、わずかな例外をのぞいては、すべて闇の中にほうむりさられているからだ。
 軍の特殊部隊(STF)が犯人であることは知識階級の人々は薄々感じている。小説という形で良心的ジャーナリストがSTFに殺害されるストーリーを描いたものもある。
 一昨年は17人のNGOグループの若者達がトリンコマリーのムッターで殺され、ジャフナでは10人のジャーナリスト、やはりトリンコマリーでは5人の学生が殺されている。
 これらは政府や政府に保護された武装グループの犯行であることは、犠牲者関係者や援助グループの発言、証言に対する、御用学者からの中傷、誹謗にもかかわらず公然の事実となっている。
 反対政党やマスコミも一般市民に対する権力からのテロに対してはおよび腰だ。次はおまえだ、とやられるからだ。
 深夜白いバンでやって来て、扉をノックする。開けなければ銃でこわして入ってくる。家の中の目あての者を探し出して、バンに押し込み海や沼へ連行し、殺害したあと放置する。
 最近、マービン・シルバというヤクザ大臣が自分の国会での発言を放映しなかったと言って、ルパナヒリ・テレビ局へ乗り込み、暴力団と一緒に責任者に乱暴ろうぜきを働き、逆に怒ったテレビ局のスタッフに取り囲まれてつるし上げられた事件がある。
 これはこの国の社会状況を良く示している。事件の調査委員会は傀儡委員会だから何もしない。それどころか、つるし上げたテレビ局員達を裁判にかけようという動きさえある。
 スリランカの美しい自然も腐敗した人間達を浄化するには十分ではないようだ。 
 (スリランカ・Mより)案内へ戻る


資格試験準備の中からーメタボ退治

 家人の経営する零細な商店の現場。資格をもっている者は、家人だけ。パートで手伝ってくれた主婦(もう年より)と、規則が厳しくなったため、トイレに行く時間も食事をする時間も取れず、病を得ながらも店頭に立っている家人。その姿を見ると、不得手な資格試験に合格をめざして取り組む気になった、というのが現在に至った正直なところ。
 講演会に出てみると薬事法規のレジュメの冒頭に、憲法13条の個人の尊重≠フ引用文、次に25条の生存権≠ノ、まず「すべての国民は健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」そして「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。
 私はこのレジュメの冒頭に掲げられた憲法の条文をこれほど身近に感じられたことは、これまでになかった。トイレ、食事の時間がとれず、しかも高齢で病身ながら働き続けている家人の姿を見るにつけ、憲法2条の生存権お条文が、こんなに輝いて見えたことはこれまでになかった。憲法とは、こんなにいい、すばらしい国是であったのか、と。まさに家人は生存権を保証されていない状況の下で、働き続けている。
 私は、はじめて資格試験にまともに向き合う覚悟を決め、毎日を送っている。ここで逃げて専ら世の中のせいにすれば、秋葉原事件となるのでは? 今、何を為すことができるか≠、自問しての受験準備である。私は、今、岐路に立っていることをひしひしと感じている。
 先日は、京都で講義を聞いた韓国映画ペパーミント・キャンディ≠フテーマも悪霊=iドストフスキィー)の方向へばく進するか、そうでない道を採るかの岐路に立っての選択であった。たとえ私は、試験に失敗したとしても生きる≠アと、協力関係を作るためのカジを切ったことに意味があったと思いたいし、今後もこの延長線上で生き抜いていきことだろう。たとえ死の床≠ノあっても、問題はその過程で生じることだろう。
 それにしてもまず健康=Bワーカーズ373、7月15日号のコラムの窓≠フ上手なメタボ検診≠ヘとても参考になるし、その姿勢に私は賛同する。かく申す私はWメタボ。胴回り1メートル以上という絶望的な体、おまけに足にたたっているから大変。私自身の、年よりの心身ともに健康である街をみつけたいと思っている。目標を立て、無理をせず頑張ること、今のところそれ位しか見出せないが。コラムの窓≠フヘソ出しのボテ腹≠フ写真もユーモラスでいい。笑って乗り越えることが出来るといいな。規則など逆手にとった笑いとは? 08・7・17 朝  宮森常子


コラムの窓・橋下と井戸

 全国知事会なるものがあるということが、報じられるようになったのはいつからだったか。国に物申す知事会は歓迎したいのですが、結局は国策追随では期待はずれです。その知事会が7月17・18日、横浜市で開催されましたが、地方消費税の引き上げ≠ニ明記するかで論議となったようです。結論は地方消費税の充実≠ニいう当たり障りのない言葉になり、知事会の当たり障りのなさをあらわにしています。
 これを評して、新藤宗幸千葉大教授は次のように述べています。「消費税のような個別の議論で住民の反発を懸念するなど、細かい表現にとらわれる姿が今の知事会を象徴している」「分権型社会の税制や財政はこうあるべきだと示さないから、議論の本質を見失ってしまった」(7月20日「神戸新聞」)
 ついでに「河北新報」も引用しておきます。達増らがワーキングプアと呼ばれる若者たちをどうみているのか、よく分かる発言です。
「地方消費税については、地方の財源不足が2011年度に計約8兆円に上り事実上破たんに追い込まれるとして、国の抜本的税制改革を検討する中で拡充の必要性を訴えている。『引き上げ』と明記する案も出たが、『「蟹工船」を読んでいる若者らを敵に回すことになる』(達増拓也岩手県知事)といった国民感情への配慮を求める意見が相次ぎ、『充実』に落ち着いた」
 しかし、知事という地位は何か独特のものがあるのか、一国一城の主のごとく振る舞う知事が多く、マスコミもそれに悪乗りしているところがあるようです。その筆頭は石原東京都知事ですが、少し前は東国頭宮崎県知事で、今は橋下徹大阪府知事です。表題の井戸というのは井戸敏三兵庫県知事ですが、その名を知らない県民も多いのではないかと思います。
 方やタレント上がりで若さで既成の枠を破壊することを期待され、方や自治省上がりでその手堅さが評価されている、二人は全く正反対の知事です。しかし、私にはどこか似通ったところがあるように見えるのです。二人の目前の課題は財政再建であり、どこを切るか、どこに新たな負担を求めるかですが、どちらもムダなダム建設は止めないようです。
 橋下の賃下げに対して敢然とストライキで反撃した大阪教育合同労組の山下恒生委員長は、府債を引き受けているりそな銀行などのシンジケート団はうまみのある高利子を得ている、その利子を止めれば橋本が大阪維新プログラム=i何というおぞましい命名)で捻出しようとしている1100億円は充分に賄える、と指摘しています。
「民間に見習えという橋下知事は、破産時の手法こそ身につけるべきなのである。組合の手法は・・・、借金返済のためにある公債費こそ0にせよというものである」(7月15日「労働情報」)
 井戸が取り組んでいるのは新行革プラン≠ナ、その二次素案は行財政構造改革会議で外郭団体などの対する切込が弱いと批判されています。この批判に対する井戸の答えは仰天ものです。
「『天下り』との批判もあるOB職員の外郭団体への再就職について『外郭団体は県の事業の実践部隊としてつくられている。「天下り」は当たり前』との認識を示した。また、競争性のない随意契約による外郭団体への事業委託についても『適切』との考えを強調した」(7月12日「神戸新聞」)
 結局、二人は最も切り込まなければならないところには手をつけず、切りやすいところから切るという手法です。内部にあっては下位の職員が泣かされ、外部にあっては庶民が泣かされるのです。それで、権力に対して泣き寝入りではなく反撃をという結論になるのですが、当たり障りのない結論になってしまいました。          (晴)


色鉛筆ー猛暑と格闘の日々

梅雨明け宣言がされ、体がまだ暑さに慣れないまま、その後連続の熱帯夜を迎え、少々バテ気味のこの頃です。皆さんは、いかがお過ごしですか? 私の職場は、郵便局から郵政事業会社に名前を変え、ユニフォームも紺色の上下になり、しかも生地がポリエステルで暑さも倍増、その様相はもう街角で見かけられたことと思います。この暑さを乗り越えるために大げさですが、毎日、格闘の日々です。
 ところで、私の職場は既婚者の女性たちで構成され、当然そこには配偶者控除に伴う所得制限(年収130万円以下)があります。毎年、この問題で頭を悩ますのですが、今年はもう8月の勤務票を作る段階で、起こっています。8月で20年以上勤続の同僚が退職、人員不足は更に深刻になり、限られた条件でのやりくりは個人攻撃になりかねません。
 どうやら、人員不足は私たちの職場だけでなく、郵政事業会社共通の課題でもあるようです。現に、同じ支店の男性契約社員(以前のユウメイト)は、残業のやり過ぎという理由で、上司からこのままだと首切りもありえると脅されています。その不満は、仕事をさぼっている? 同僚に集中しているようです。なぜ、残業が必要なのでしょうか?それは、人手不足だからです。責任の所在がどこにあるのか、一目瞭然です。労働条件をもっと良くすれば、自然と就労希望者は集まり、定着した労働となるはずなのです。人件費を削り、何とか黒字を捻出している郵政事業会社に展望も何もない、この先どうなるのか不安なことばかりです。
 職場のことを考えると憂鬱ですが、私たちは労働者でもあり家族の一員としての役割もあり、大きく見れば社会の一員でもあります。その大きな視点を持つことで、教わることもあるし、自分が救われることもあります。水俣病患者を追い続け、ドキュメンタリー映画監督の土本典昭さんが、6月24日に肺がんで死去、79歳でした。水俣病が過去の公害病としてあるのではなく、今も後遺症を抱え生活を余儀なくされていることは、現地見学をしたワーカーズのメンバーから教えてもらいました。その機会がなかったら、新聞のこの記事も見過ごしていたかもしれません。
  「水俣病の患者さんたちの被害と症状、公害反対の闘争を描いた作品であるが、たんにそれがどんなに悲惨なものであるかを描いただけでなく、患者さんたちとその家族が苦しい日々を通じて達した崇高なまでの家族愛=人間愛の境地を映像にくっきりとうつし出したところに真価があった」
 撮る者と撮られる者との間の信頼関係がどれほどのものか、その重要性をこの記事はアピールしていました。帰国命令を受けたマレーシア人の留学生を日本の大学から除籍された後、日本にとどまるために復学を要望していること知った監督は、自主制作のドキュメンタリーを作りました。その結果、支持運動が巻き起こり、目的は達せられたそうです。
 日々の出来事に目は奪われがちですが、自分の知らない未知の分野での生き方に学ぶことで、元気や勇気をもらえるかもしれません。暑い夏、夏バテに負けず、乗り切りましょう。(恵)案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号は、宴のあとのサミット評価と大分県の教職員採用汚職が大きく取り上げられました。後者については、権力のあるところに腐敗はつきものだという事実を再確認させるものです。階級などという言葉を取り出すまでもなく、階層の違いが将来を決める、そんな社会にこの国もなっているということでしょうか。
 生まれによって、親の経済力や社会的地位によって子の将来は決まる、実につまらない社会です。その最も象徴的な姿を晒しているのが、小泉、安倍、福田と続いた議会政治の世襲化です。それが可能なのは極度に非民主的な選挙制度によるものですが、その責任の一端は有権者、つまりは労働者にもあるのだろう。
 その福田2世の政治は、サミットを経ても浮上する気配はありません。サミット後に共同通信社が行った全国電話世論調査によると、内閣支持率は26・8%で、前回6月調査の25・0%から微増にとどまったということです。サミットをうまくまとめて支持拡大、政権浮揚につなげたかった福田首相にとって、この結果は不本意でしょうが、自らの非力を恨むしかないでしょう。
 むしろ、サミット後で憂慮すべきは、南アフリカに原子炉12基を建設するという日本政府の計画です。サミットの首脳宣言においても、温暖化対策として原発の促進を確認しており、原発推進を国策としている日本政府にとってはこれは大きな成果です。福田政権の行く末がどうなろうと、原発輸出に大きな道が開けるなら、これに勝る果実はないでしょう。
 原子炉は1基で3千億‐4千億円にもなるので、総額で数兆円の仕事が原発産業にもたらされることになります。しかし、こんなものを認めることは出来ません。核汚染の危険はすでに世界を覆っており、企業利益のためにこれ以上その危険を拡大させてはならないでしょう。
 G8にしろ教育界の汚染にしろ、自衛隊がのさばりだしたことや米原子力空母の横須賀母港化も同じ方向への動きであり、私たちがめざす方向とは逆です。こうした否定すべき、批判すべき内容ばかりではなく、めざすべき方向性、例えば「笑顔で死を迎える医療のあり方」の紹介などで、もっと紙面を飾りたいものです。        (晴)