ワーカーズ380号 2008/11/1      案内へ戻る

政治も経済も、そして社会も、明日が知れない
確かなものはどこにあるのか!

 株価が下落し、円高が進む。株など持たないし海外旅行もしない者には何の関係もないが、何か得体の知れない不安が膨らむ。政治の場では麻生が解散≠ニいう刃を懐に、政権を弄んでいる。居直り、居座る麻生政権に、手が届かない歯がゆい思いが募る。こんなとき、寄る辺なき民はどうすればいいのか。
 実態経済とかけ離れたカジノ資本主義≠ニも称される投機の果てのこの破綻の、その荒波から誰も逃れることはできないだろう。利得を得てきた連中が身ぐるみ剥がされるのは自業自得というものだし、利得を手に逃げ切ろうとする者は告発し、獄に送らねばなるまい。しかし、実際に最も大きな犠牲を被るのは庶民だろう。
 労働者を利潤の生む機械として取り扱う生産のあり方は日々負け組≠生み出し、既成の政治は弱者を切り捨て底辺層を拡大してきた。この間、勝ち組≠ヘその勝利を確かなものとしてきたが、世界的な経済破綻によって彼らも没落の淵に立たされることとなった。もはや、確かなものは何もないのか。
 毎年3万人もの自死が続き、あるいは破綻が無差別殺人へと到る。何としてもこの流れを変えなければならない。あからさまとなった経済と政治の破綻は、流れを変える絶好の機会にならないだろうか。警戒すべきは、改革の姿をした反動の登場である。その兆しはすでに、弁護士資格を持つタレント知事の姿を取って現れている。強い政治に身を任せてはいけない。
 政治や経済がどうであれ、生産なくして消費はないし、誰も生きていくことはできない。生産なき利得、労働なき報酬を疑い、これを排斥しよう。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障を、政治の最優先課題としなけばならない。民主党が自公政権に取って代わるというなら、その実行を約束させよう。我々自身がこの政治と経済の枠組み転換の主体であり、誰かに依存するものではない。
 既成の枠を破るのは危険な行為でもあるが、現実の破綻が迫っている。どのみち、現状維持が困難になるなら、命がけの跳躍≠ニまでは行かなくても、明日を賭けた一歩≠ュらいは進めることができるのではないか。           (折口晴夫)
  

消費税ではなく企業負担を!―社会保障国民会議分科会の将来推計を機に医療・介護と負担を考える―

 異常を訴えた出産間際の妊婦が何カ所もの救急病院に受け入れを拒否され、最後に受け入れた病院で出産後に死亡するという痛ましい事件がまた発生した。
 なぜ同じような事件が頻発するのか。それは医師不足をはじめとして日本の医療体制の崩壊が一段と深刻化して結果でもあり、またそうした医療の現状に対する警鐘でもある。
 そんな崩壊の危機に直面している医療・介護改革について、また一つの改革案が出た。社会保障国民会議の分科会が10月23日に公表した政府の「医療・介護費用のシュミレーション」だ。
 この「シミュレーション」は、とにかく医療・介護費の削減を意図したこれまでの試算と違って、医療・介護の「あるべき姿」も示し、そのために必要な負担の試算をしたという点で目新しさを打ち出している。
 とはいえ、医療や介護の本質的なとらえ方はもちろん、「政府の試算」の通例として結局は増税に結びつけようとする思惑など、私たちの目指す抜本的な改革にはほど遠い。

■やっぱり消費税とリンク

 各地で相次いだ上記のような事件だけでなく、急速に進む医師不足や病院・診療科の閉鎖など、いま医療・介護を取り巻く状況は危機的状況にある。
 最大の要因は、いうまでもなく急速に進む少子高齢化社会とそれに逆行する医療・介護の切り捨て政策だ。毎年2200億円の削減に象徴される、医療・介護を含む社会保障を単なる財政コストとしか考えない小泉首相時代の社会保障改革がもたらした無惨な現実が目の前にある。
 そうした時代状況、あるいは総選挙を目前にした局面で公表された今回の「シュミレーション」。そこに込められた思惑は後回しとして、「シュミレーション」を要約すればおおむね次のようなものだ。
 まず、このシミュレーションの特徴は、当事者によれば次のようなものだ。
 それは「今回のシミュレーションでは、『医療・介護サービスのあるべき姿』を実現するという観点から、医療・介護サービス提供体制について一定の改革を行うことを前提に、推計作業を実施する」、としている点だ。当然のこととして、改革内容のレベルも含めて様々な「仮定数値」を用いることになる。
 「シミュレーション実施に当たっての基本的考え方」として、まず医療・介護の「需要、サービス提供、単価の伸びなどについて、大胆な仮定をおいてシミュレーションを行う」としている。
 また、医療・介護の現状はといえば、サービスの需要と提供のミスマッチが多く、また予防医療などの要素も勘案したとされている。
 さらに、サービス提供体制としては、将来的(2025年)にも医療・介護ニーズを保障する、医療・介護の一体的改革を進める、サービスに対する患者の選択権と地域の中での生活の継続を補償する、というものだ。「改革」の方向性としては、急性期、慢性期などに応じた医療・療養体制の機能強化を図る、介護では単身世帯・夫婦のみの世帯など多様化するニーズに応えられるようなサービスの多様化や機能強化を実現する、などとされている。
 その医療・介護サービスの将来推計としては、現在のサービス提供体制を前提とする「現状投影シナリオ」と、サービス提供体制の選択と集中による改革を想定する「改革シナリオ」を併せて提示。またその改革シナリオを「穏やかな改革」「大胆な改革」「さらに進んだ改革」という三つの改革案それぞれの見通しを示し、あわせて医療・介護費用の総額の見通しも想定している。
 次に今回のシミュレーションの真意ともいえる負担についての考えかただ。
 たとえば医療費について、GDP比でみると、「現状投影シナリオ」では自己負担が、1・0%から1・4%、保険料が、3・7%から4・9%、公費が3・1%から4・5%にそれぞれ増える見込みをだしている。問題はそれらの追加的負担だが、なかでも問題なのが公費の増額分1・4%で、それを消費税で負担することで計算すると、現状維持シナリオで3%程度、三つの改革シナリオでは4%程度となる。
 要は、医療・介護改革で、改革を進めるためには消費税を3〜4%引き上げる必要がある、といいたいわけである。とはいえ、政府の作成する「将来推計」なるものは、たとえば成長率や物価上昇率など、前提となる数値の捜査で結論は幾通りものシミュレーションが可能だ。問題はどの結論に到達する推計を出すのかという、政治的な思惑に左右されるものが多い。
 今回の「シミュレーション」では、一部で医療・介護システムの欠陥を改善しようとする視点も含まれてはいる。が、やはりというか、負担を消費税の引き上げという形で庶民に転嫁するという姿勢もはっきり見て取れる。受益と負担という関係だけでは一面で当然のことと思いがちだが、果たしてそれでいいのだろうか。

■政局がらみ

 今回のシミュレーションをみると、医療の崩壊といわれる事態に対して、政府としても何らかの対策を打ち出さざるを得ないという姿勢は読み取れる。とはいえ、このシミュレーションも現実としては現状に対する純粋な改革シミュレーションになっているとはいえない。
 理由はいくつかある。
 一つは、いろいろシミュレーションしているとはいえ、結局は医療・介護費用の財源を消費税の引き上げに求めるという基本姿勢だ。二つめは、このシミュレーションを社会保障国民会議のお墨付きを得て、11月中にも正式決定しようと言うスケジュール設定の思惑である。前者は財界などのかねてからの要求でもあり、また後者はいうまでもなく解散・総選挙がらみのスケジュールにあわせた政治的思惑からだ。
 ようは、医療・介護システムの改革という、人々の基本的な課題である課題についてさえも、結局は政局に左右される、ということである。
 現に麻生首相は、経済財政諮問会議の民間議員に社会保障国民会議の吉川洋座長を起用したときに、「経済財政諮問会議と社会保障国民会議の両方のつなぎ役としてメンバーに選んだ」と発言したと伝えられている。今回の試算にも、総選挙を間近にして、ばらまき姿勢を強める麻生首相の思惑や、それでも消費税の引き上げの可能性を確保しておきたいという政府の姿勢が色濃くにじんでいる。
 麻生首相は、解散総選挙に打って出られない状況だが、それでも医療・介護問題は総選挙の大きな争点になる。有権者の関心も、年金に並んで医療・介護に向けられている。
 そうであるだけに、私たちも消費税引き上げにリンクした議論ではなく、以下で述べるような企業負担にリンクさせた議論を拡げていきたい。

■負担すべきは企業

 医療・介護システムの改革は待ったなしだ。医師不足の解消や看護師・介護士・ヘルパーの処遇改善、それに医療施設ネットワークの確立や医療費問題など、解決していかなくれはならない課題は山とある。
 その中でも大きな争点になっているのが、医療費の負担問題だ。
 少子高齢化社会の進展など、いずれ医療・介護費の負担増はさけられない。その増える費用を誰が負担するのか。それが問われている。
 今回のシミュレーションでは、増える医療・介護費を消費税引き上げでまかなうことを示唆している。朝日新聞なども、負担は消費税の税率引き上げとワンセットで考えている。経団連など財界もそうだ。
 しかし消費税は周知のように実質的な大衆増税だ。低所得者ほど負担が大きい。それに消費税という大衆増税に依存する解決策は、大企業の社会的責任を免除することにも繋がる。
 言うまでもなく、医療・介護費については、公費負担の部分と患者・利用者の本人負担、保険負担という三つの構成部分がある。保険法式か税方式かの議論はあるが、それはとりあえず脇に置き、ここでは保険負担、しかもその中身について問題提起をしたい。
 日本では医療も介護も保険部分は「労使折半」で負担している。この「労使折半」というのは、日本では固定観念になっているほど強固なものになっている。今回のこの「シミュレーション」でも一切ふれていない。
 こうした現状を変えて、目標としては使用者・企業の100%負担を、過渡的、現実的には3分の2への引き上げを目標として企業負担の拡大を追求したい。企業といえども、労働者が働くから営利活動が続けられる。労働者(家族も含めて)の健康には全責任を負っているはずだ。
 たとえば、GDPに占める企業の社会保険料負担(年金・医療・介護・雇用など)の割合を比べると、(ちょっと古い統計だが)日本(02年)は4・5%であるのに対して、ドイツ(00年)では7・3%、イタリア(03年)では8・9%、フランス(03年)では11・4%だ。
 こうした転換は不可能ではない。現に欧米では使用者・企業負担が労働者の負担より多いのはむしろ当たり前だ。難しいとすれば、それは企業が企業負担の拡大を拒否していること、それにそうした企業と闘うはずの労働組合が企業負担の拡大を実現する闘いをやってこなかったからだ。
 労働者やその家族の健康に対して、日本の企業責任は軽すぎる。私たちは、医療・会議費用の増加に対して、すぐ消費税分で何%というように、何でも消費税に換算、還元することにははっきり拒否したい。(廣)案内へ戻る


世界金融危機の原因は「政府の失敗」?
 市場崇拝者=竹中平蔵の強弁と詭弁

■「政府の失敗」?

 『日本経済新聞』が、10月10日から24日までの間、9回にわたって「金融危機と世界 行方を探る」という連載を「経済教室」欄で行った。大学教授、シンクタンクの研究者、企業経営の経験者などが、現下の世界金融危機に対するそれぞれの分析と処方箋を披露するという企画だ。以下に、各論者とその表題を紹介してみよう。
 林敏彦「新たな政策の枠組み急げ 『変化の実感』が不可欠」、翁百合「『危機の連鎖』変容に対処を 市場のリスク多元化」、御立尚資「投資銀行は『原点回帰』へ 実体経済支援が軸に」、竹中平蔵「信任の危機 克服正念場 許されぬ『政治の失敗』」、アニル・カシャプ/星岳雄「米公的資金 規模は不十分 資本注入、日本教訓に」、大村敬一「資本注入で問題解決せず 景気後退期は効果薄」、酒井良清「危機管理 新体制創出を 金融商品進化に対応」、堀田健介「新たな規律で『欲望』制御を 日本の商人道参考に」、岩井克人「自由放任は第二の終焉 『貨幣』の不安定性露呈」。
 表題だけでは中身はつかみづらいが、面白い分析、つまらない議論を取り混ぜて、十人十色の見解が披露されていた。その中でももっとも程度の低い議論、支離滅裂な文章を書いていたのは、元国会議員、元経済財政担当大臣の竹中平蔵だった。竹中平蔵は、その小論の中で、現在の世界金融危機における最大の問題点が、なんと「政府の失敗」にあると論じているのだ。

■責 任

 しかし現在の世界的な金融危機の大きな要因がアメリカ型の市場原理主義的な資本主義、市場競争最優先の経済システム、生産活動から遊離した金融活動の極度の肥大化、基軸通貨ドルの特権の上にあぐらをかいた寄生的・浪費的借金経済、経済の活況を演出するには投機とバブルに頼るしかないといういびつな経済構造にあったことは明らかだ。
 100年に一度の深刻な経済危機と言われる今回の世界金融危機を準備したのが「規制緩和」論や「小さな政府」論の横行、弱肉強食の市場競争の扇動にあったことは、資本家の立場に立つ論者でさえ、いまとなってはおおむね認めざるを得なくなっている。ブルジョアの論客たちでさえ、いまやしぶしぶではあるが「市場の失敗」を口にせざるを得ず、それへの「賢い規制」の必要を悔しそうに論じている。「資本主義の危険性」は、いまとなっては「議論」のレベルではなく「事実」の問題として人々に意識され始めているのだ。
 ところで、竹中平蔵と言えば、自他共に認める名うての市場競争礼賛者だ。「小さな政府」や「規制緩和」を叫ぶとともに、アメリカ型の資本主義を見習って日本もまた金融部門を大きく育て、これを主柱にしてグローバル資本主義の中で勝ち残っていくべきだと強調してきたはずのエコノミストだ。口を開けば、「民間でやれることは民間に」「政府より市場に任せた方がうまくいく」「日本も金融立国を目指せ」と説いてきた政治家でもあった。そうだとすれば、竹中平蔵は現下の世界金融危機に、言論の上でも、行動の点でも、責任の一半を負っているはずだ。

■詭 弁

 ところが竹中平蔵は、この期に及んでもなお「市場の失敗」とおのれ自身の失敗を認めようとはしない。『日経』紙では確かに「市場の失敗」という言葉も用いてはいる。「『市場の失敗』い『政府の失敗』が重なったことこそが、今回の危機の本質だ」などとも言っている。がしかし、彼がもっとも力点を置き、強調しているのは、何よりも「政府の失敗」だ。
 たとえば竹中は、小論の冒頭の部分で世界経済のリスクについての「世界のリーダーのアンケート調査」なるものを紹介して次のように言う。
 「『サブプライム問題による金融危機が第一位では』という大方の予想に反し、この問題に対して政治が対応を誤ることこそが、最大の懸念とされた」
 読者の意識を、サブプライム問題・世界金融危機を発生させた野放図な市場競争主義、マネーゲームの横行にではなく、政治の失敗なるものに強引に誘導しようというのだ。
 次に竹中は、「政治の失敗」を証明しようとして、次のように書く。
 「金融安定化法案が、米下院で否決された。今後政府の役割が一段と重要になることが予想される中で、政治は拒否反応を示した」
 しかし、誰もが知っているように、米下院で法案を否決したのは他でもない共和党の新自由主義者・市場主義たちだ。彼らは、競争と淘汰を旨とする市場に政府が介入すること、しかも巨額の国家資金を投入するなどと言うことは許されないとして、法案を否決したのだ。市場競争優先主義の失敗を物語るものではあれ、政治の失敗を強調すべき場面ではない。

■支離滅裂

 続けて竹中は、現在の金融危機の深刻さに言及し、それを理由にして政治や政府の役割の重要性を強調し始める。
 「だからこそ政府の対応が極めて重要だった」、「最後の信用のよりどころとして政府・中央銀行がなりふり構わす事態収拾に動くしかない」、「米国の財政赤字・経常赤字は悪化の一途をたどり、やがて本格的にドルが下落するのではないか」、「非常事態を意識し、最悪のシナリオをも想定した対応が絶対に欠かせない。だが、これに対する政治の体制は出来ていない」……等々。
 しかし何度も言うが、竹中は「政府の役割」ではなく「市場の声」「市場に任せる」ことこそを信条とし、その立場からエコノミストとして、そして政治家として発言し、行動してきたはずだ。竹中にあっては、世界の主体はあくまでも市場であり、政治・政府は小さければ小さいほどよい従者であったはずだった。彼が政治家・大臣として政治にエネルギーを注いだ時も、市場優先の立場から「小さな政府」を目指すためでったはずだ。彼が不良債権処理・金融機にへの対処に奔走した時も、政治に守られたダメな護送船団的金融機関を「市場の審判」に従わせるためであったはずだ。かつてのおのれの市場礼賛者としての「信念」はいったいどこへ行ってしまったのか。
 それだけではない。竹中は、サブプライム問題についても、金融危機についても、つい最近まで大したことではない=Aアメリカの金融機関の危機は部分的な現象だ=Aと説いてきたのではなかったか。これまでの自らの火消し屋%Iな主張を何ら取り消すことなく、今頃になって危機の深刻さを叫び、「政府の役割」を声高に唱道するのはいったいどういうことなのか。

■総 括

 しかし、一見すると矛盾しているかに思える竹中の主張は、実は一貫しているのかもしれない。
 たとえば、竹中がサブプライム危機や金融危機は大した問題にはならないと主張していたのは、実は「市場が失敗するはずがない」という意識のなせる技であり、市場の声を支持してきた彼の信念がそう言わせたと理解することも出来る。
 また彼の、「市場の失敗」ではなく「政府の失敗」に金融危機の責任を転嫁するやり方にも、なんとしても市場を悪者にしたくないという彼の市場主義者の本性が現れていると見ることもできる。
 誰もが知る現実の世界はと言えば、未曾有の世界金融危機の波が押し寄せてきていることは否定しようもない。この現実と折り合いをつけるために、竹中は、いったん危機の極度の深刻さは認めた上で、それを「政府の失敗」の責に転嫁しなければならなかったのかもしれない。
 竹中のこうした詭弁と強弁が、市場主義が通用しなくなった世界にあって自己弁護、自己保身を図るための窮余の策なのか、それともあくまでも市場の礼賛者として市場原理主義の護教に務めようとするが故なのか、その判断は読者にお任せしよう。
 確かなことは、竹中の強弁と詭弁が、市場原理主義、新自由主義の理論的・道徳的破産を何よりもよく物語ってくれているということだ。         (阿部治正)


コラムの窓  労働者もバーコードで管理される時代?

 職場のスタッフが、ひとりひとり胸ポケットのあたりに「指名札」(ネームプレート)を着けるようになって久しい。
 かつて、郵政の職場等では、「労働者の管理強化反対」との趣旨で「指名札拒否闘争」が展開されたこともあると聞く。ただ、私のような病院職場では、医師も看護師も技術者も、受け持ち患者さんに名前を覚えてもらわないことには仕事にならないので、昔からネームプレートの着用は当り前だった。最近は、セキュリティ対策で、見舞いの家族や出入りの業者にも、紐付きのネームプレートを首から下げてもらうようになっている。
 そういうわけで、ネームプレートの着用そのものは昔から当然のことだったが、つい最近、その名札にバーコードがついてくるようになったのには、さすがに抵抗を感じている。しかも、作業のたびに、コンピューターに附属しているバーコードリーダーを自分の名札に当てないと、次の画面操作ができないというのだから。
 かつては指示書や報告書に、自分が行なったことを証明するのは「印鑑」か「サイン」だった。ところが、今やそれは、各スタッフにあてがわれた「個人別バーコード」だというわけだ。
 医療ミスが起きた時、誤った指示を出した医師は誰か?、その指示を受け取った看護師や技師は誰か?、検査結果を報告した技師は誰か?すべて、電子カルテ(診療録)上に証拠が残るというわけだ。スタッフの一挙手一投足が、リアルタイムでコンピューターに記録され、完全に管理される時代になったのだ。
 自分の足跡が残されるのは、私という生身の人間ではなく、そのダミーであるバーコードなのだ。もっと進めば、出勤や退勤のたびに、ドアの前で自分のバーコードをリーダーに読み取らせ、仕事中にいくトイレでもバーコードを読ませないと中に入れない、電話を掛けるにもバーコードを読ませてからでないと電話番号も押せない、そんな時代はすぐそこにせまっている。いや、一部の業種では、すでにそうなっているらしい。
 近くに雷でも落ちて、そのショックでホストコンピューターから「私」のバーコード(それに対応するIDナンバー)が消失してしまったらどうなるのだろう?出勤時、バーコードの無い「私」をめぐって、誰が「私」を証明するのか?上司の立ち会いのもと、テレビ回線の前に座って、法務局あたりのデータベースに収録されている、過去の私の顔写真と照合して、確認でもするのか?
 正直いって、いやな時代になったものだ、と思ってしまう。大事なのは「私」ではなく、私の「バーコード」なのだから。
 かつて、北欧の駅の待合室では、客のカバンが忘れて置いてあっても、誰もそれを扱わなかったそうだ。半日たって、忘れていた客が取りに来ると、そのままの状態で置いてある。それが当り前だったそうだ。地域の人々のモラルが高かったのだろう。やれ「ネットワーク化」、やれ「セキュリティー対策」、しかし、社会は本当に進歩しているのか?(誠)案内へ戻る


「水俣病は終わっていない」・・・環境問題の原点から学ぶ

★はじめに
公害の原点といわれる水俣病が南九州の片隅で発生したのは、経済白書が「もはや戦後ではない」とうたった1956年のことである。
 1949年生まれ「団塊の世代」の私にとって、この「水俣病」はずっと心に引っかかっていた問題だった。
 なぜなら私も海の近くで育ち、子ども時代海の幸(魚、貝、蟹など)を食べて育った世代である。同じ時代に同じ日本近海の魚を食べていた。ただ、私の所にはメチル水銀を垂れ流す工場が幸いにもなかった。
 40年という長い間、「水俣病」の闘いを具体的に何一つ支援してこなかった自責の念もあり、また本や写真などを見たことで水俣病を知っているとの錯覚に陥っていたともあったが、今回ようやく現地を訪問することができ多くの事を学ぶことができた。

1.現地を訪問する
 初めて水俣を訪問しまず気がついたことは、「水俣湾」と「不知火海」の地形である。海と言うより、湖に近い感じで、向かい側の天草半島に囲まれた静かで大変穏やかな海である。
 まさに「魚の宝庫」。漁師さんが小舟で沖に船を出せば、船底にコツンコツンと魚が当たる音が聞こえたほどであったという。
 ところが、この地形がチッソが大量のメチル水銀を垂れ流し、それが流れないで湾に沈殿してしまう原因になってしまった。
 最初にチッソ本社を訪問してびっくりしたことは、会社はまったくこの水俣病のことに触れないのである。また、現在でも広大な敷地に大工場を持ち操業を続けていることに驚いた。
 次にチッソがメチル水銀を垂れ流した「百間排水口」を見学し、その後「水俣病資料館」や多くの患者支援組織をまわり、関係者に直接会いお話しを聞き、「水俣病」の全貌をようやく知ることができた。
 この「水俣病」に対する根本的な解決と救済が、今なおまったくなされていない事に気がついた。今、地球の環境問題が叫ばれている。これはこれで良い事だと思う。「水俣病」は確かに一地方で起こった公害であったが、しかし水俣で起こった様々な諸問題はこの現代日本が抱えている問題でもある。私たちはこの水俣で起こった「公害」問題と「社会」問題についてしっかり学ばなければならない。ここには山ほど学ぶことがあると。まさに「水俣病」は終わっていないし、終わらせてはならない。
 当時として考えられない「公害」が起こった。しかし、最大の問題はこの起こってしまった事に対して、当時の企業や国・県の行政はどう対応したのか、その姿勢が問われると思う。ところが、早急な対策を取らずに明確な原因責任も明らかにしないままに、ずるずると被害を拡大するだけであった。
 事実からその対応の失敗を認め、そして明確な責任を取り、それによって次の失敗を防ぐ基本・基盤を構築すること、これが一番大切なことである。ところが日本の政治家も行政官僚もこれが出来ない。戦後、同じような事件・薬害問題についてもまったく同じ失敗を繰り返している。これが今の日本をダメにした根本原因だと言える。
 とても印象に残ったことは、患者支援組織「エコパーク・ナーサリー」「水俣病センター相思社」及び「水俣病歴史考証館」「ガイアみなまた」「ほたるの家」、「ほっとはうす・みんなの家」などの関係者の取り組みである。
 長い支援活動の中で紆余曲折があったと思われるが、現在も様々な支援者が運動を継続していることに感銘を覚えた。

2.水俣病が終わっていない現実
 @水俣湾埋立地・・・151万立方m2の水銀ヘドロ処理のため、工事期間14年・工事費約485億円を注ぎ込み埋め立てた。
  ヘドロ処理事業費485億円のうち、チッソ負担金270億円は県・国に立て替えてもらった。また、1978年から1984年までの患者救済のため県債300億円を  発行。このように本来はチッソが負担すべきお金をチッソ自身が出していれば、チッ  ソが事実上倒産してもおかしくない。
  この埋め立て工事から早20年。海岸線に鉄板を打ち込み、その中に水銀ヘドロと汚染魚(ドラム缶3,000本)を入れ、シートでおおって土を盛り上げただけである。  将来にわたって、この埋立地が本当に安全だと言えるのか?
 A広範囲な汚染と遅々として進まない救済
  ・この水銀汚染によって、不知火海の沿岸に生活していた20万人に影響を与えたと言われている。
  ・現在認定された患者数は2,270人であるが、ところが、認定申請者は約23,000人もいる。(事件から30年も経っているのに)
  ・熊本県の「認定審査会」は2年7ヶ月も休止状態、未処分者は6,000人もいる。
  ・環境省は新たな認定申請の急増をおさえるため。05年10月、認定申請や訴訟の取り下げを条件に、保健手帳交付(自己負担の医療費の支給)を行う。
 B新たな訴訟
  ・水俣病不知火患者会が原告約1,500人のマンモス訴訟。
  ・水俣病被害者互助会(胎児性水俣病患者など)が07年10月に提訴する。
  ・訴訟内容・・・1995年の政治解決「最終的かつ全面解決」は被害者救済策として不十分であり抜本的見直しを求めている。
 C胎児性水俣患者の今日・・・原田医師が確認した胎児性患者は66人。そのうち13人は亡くなっている。当時の死産や流産まで入れればもっと多いはずである。しかし、  行政の調査はなかった。一人も普通学校に行けなかった。多くの子どもは「明光園」  で生活し、当時の胎児性患者の子どもたちは、現在もう50歳以上になっている。
 D患者支援組織
全国から多くの若者が、この水俣病患者の支援運動に参加した。現在も次のような支援組織が継続している。
  ★「水俣病センター相思社」及び「水俣病歴史考証館」・・・1974年に患者支援を目的に設立された。
  ★「ガイアみなまた」・・・患者の支援運動と生活の自立をめざしたグループ。
  ★「ほっとはうす・みんなの家」・・・胎児性水俣病患者としょうがい児の人たちのための通園・宿泊施設。喫茶コーヒーなども取り組む。
  ★「ほたるの家」・・・被害者互助会の患者のための共同作業所。
 E水銀中毒の輸出と南北問題・・・水銀中毒事件は先進工業国から、発展途上国に移っており、世界各地から被害の報告が上がっている。カナダ・インディアン水俣病、中  国松花江水銀汚染、ヴェネズエラ・ブラジル・ニカラグアの水銀汚染、タイ・インド  ネシアの水銀汚染、等など。

3.「水俣・千葉展」の開催
 「知ることから始めよう」とのタイトルで「水俣・千葉展」が開催される。
 水俣病を終わらせてはならない、との思いから結成された「認定NPO法人・水俣フォーラム」は、1996年品川での「水俣・東京展」から全国各地で水俣展を開催してきた。
今回の千葉展は数えて20回目の水俣展になる。
 千葉県では初めての水俣展であり、千葉県の五井には水俣病の原因企業であるチッソの製造所があり、また新潟水俣病の原因企業である昭和電工の製造所もあり、水俣病事件とは因縁浅からぬ地である。
 是非、この機会に水俣と出会っていただき、患者さんの言葉に耳を傾けてほしい。
(富田 英司)

【水俣・千葉展】の案内
 ★日時・・・12月10日(水)〜28日(日)午前10時〜午後8時
 ★場所・・・千葉県労働者福祉センター(JR千葉みなと駅より徒歩10分)
 ★内容 ※展示・・・水俣病事件の事実は現代日本に何を物語るのか。 
      @「メイン展示」・・悲しみの底に何が見えるのか
      A「患者遺影」・・死者たちが来場者を見つめる
      B「実物展示」・・残された物こそ雄弁に語る
      C「美術展示」・・事実は表現されて真実となる
      D「水俣病ブックフェア」・・さらに深く知るために
      E「語り部コーナー」・・当事者の生の声を聞く
      F「写真展示」・・レンズが失われた声を聞いた
     ※ホールプログラム・・・「水俣病」の経験から何を学ぶか。
      @12月13日(土)午後2時〜4時
        「私と水俣病」・・・患者さんのお話から
      A12月16日(火)午後6時30分〜8時30分
        「森達也さんと映画『水俣病・その20年』を見る」
      B12月20日(土)午後2時〜4時
        「水俣から考える・『生きる意味』」
      C12月23日(火・祝)午後2時〜4時15分
        「水俣一揆・一生を問う人々」(土本典昭監督作品)
      D12月27日(土)午後2時〜4時40分
        「映画『不知火海』を見る」(土本典昭監督作品)
 ★チケット ・大人(当日券=1200円) (前売券=1000円)
       ・高校生以下(当日券=800円) (前売券=600円)
 ★問い合わせ先 「水俣フォーラム」 TEL03−3208−3051
         「水俣フォーラム千葉」TEL043−249−9566


「けっして、あきらめないこと」 名古屋高裁イラク派兵指止訴訟判決学習会

10月26日、西宮市との共催で名古屋から弁護団の荒尾直志さんを迎え、報告学習会を持ちました。もの静かな荒尾弁護士の話し方に、これまでの取り組みの成果が自信となって伝わってくるようでした。全力を出し切り本気で裁判に臨んだとされるように、地元名古屋を中心に100人を越える弁護団の結成(常に実働20人を超える)、毎回練り上げられた大量の準備書面の提出など裁判所には手に余るものだったことでしょう。
 弁護団だけでなく、全国3000人を超える原告たちの存在は、さらに裁判官にとっても重圧となったはずです。100人を超える傍聴者に支えられ、原告代表の意見陳述は自分にとってイラク派兵をどう捉えるか、裁判に関わる原点を皆で共有する大切な作業となったと思います。そのことは、訴訟の会のスタッフ会議は4年間2週に1度ずっと続けられ、すでに100回突破したことで明らかです。その上、街頭宣伝、裁判所行動も継続されたというから、すごいなあと思いました。
 私が1番感心したのは、常に事実に立脚をモットーに、弁護団もヨルダンに行き現地で聞き取り調査を行なったことです。この現地での調査でイラク市民の被害の実態、航空自衛隊の空輸活動が、実際は武装したアメリカ軍の兵士だったことが判明。事実を突きつけられた政府は何も反論できないのは当然です。自分たちで調査もしないから、何も知らないのです。
 判決の何が「歴史的」「画期的」なのか? @日本が戦争をしているという実態を暴いたこと、これは憲法9条1項違反になる 。A仮にイラク特措法が合憲であるとしても、航空自衛隊の活動は違憲(地理的・具体的)。B平和的生存権の具体的権利性を認めたことの意義。これまでの判決には平和的生存権は憲法で保障されていても、具体的には検証されなかった。
 判決文のパンフレットには詳しく調査の事実が報告されています。荒尾弁護士は、「一家に2冊判決文を買っていただきたい、1冊は家宝にもう1冊は知人に広めるために」と、この判決を生かすための行動を呼びかけられています。まだ読まれてない方はぜひ、購入してください。そして、判決学習会を持ちましょう。連絡先は左記まで。「現代を問う会」折口恵子

連絡先 自衛隊イラク派兵差止訴訟の会
TEL052−781−0165 FAX052−781−4334 案内へ戻る


 総理麻生氏にもの申す

 後期高齢者の保険料は10月から、年金から天引き。私は保険料滞納を理由に保険証を取り上げられることになったら、自殺に追い込まれかねないから、年金から天引きの手続きをとった。なのに麻生氏、強制的にはやりたくない(後期高齢者保険料徴収について)≠ニ言っていた。それ故か。形だけ自主的に天引きの手続きを取れとは。
 10月15日の年金支給日の前の日に、介護保険料と後期高齢者保険料を差し引いた通知書がまい込んだ。これで麻生氏は自主性を尊重したとツジツマ合わせをするつもりか。2ヶ月間で10万5千円なにがしかで、どうやって生きられるか。
 病気持ちの私は保険証は必要だから、なにはさておき自主的に天引き≠フ手続きを取らざるを得なかった。麻生氏のやり方は卑怯だし、危ない。年よりの保険料をどうするつもりか? どうガマンせよというのだろう。
08.10.23 宮森常子


色鉛筆  夜間保育園A

 377号に続いて夜間保育園を取り上げたい。私が読んだ東京都24時間認可保育園の小冊子の中に『私はこの20年間、夜間保育の実践を通じて夜間保育園は“生活の場”であり、親も子どももともに育ちあう所であり、なんら長時間保育をやっていても問題はないと確認しています』と書かれている。この保育園は、無認可保育園からスタートして夜間保育を必要とする親子の為に、公的立場の保育園を創ることを目指して認可園となったようだ。私がこの保育園に驚くのは、子ども達は家庭にいるのと同じように食事をし、遊び、夜は9時に就寝という1日の生活リズムかを大事にしていることだ。私は夜間保育園というと親の仕事に合わせて生活リズムが昼夜逆転になっているのではないかと思っていたので、世の中どんどん変わっていることにも驚いた。
 そして、小冊子の中に1つの実例が書かれていてまたまた驚いてしまった。『夜の仕事の母親で母子家庭。生後43日より預かり始め、最初は生活リズムが狂いっぱなし。毎日夜の8時に登園し、ただ園で寝るだけ。これではダメだと、お母さんに子どものためだからと話し、園と連携しながら、子どもの生活リズムが昼夜逆転しないよう環境を整えることを提案する。親はきつかったら子どもを園に送り出した後、ゆっくりすればいいと説得する。お迎えは朝方の4時。眠っている子どもを起こして自宅に帰る。そのまま親も一緒に寝る。子どもは朝7時に起床し、食事をとり、午前10時までに園に入る。親は大変です。しかしこの繰り返しを2年間続け、子どもは元気にすくすくと成長し親も育ちました』すごい!!何というパワフルな保育園だろう。
 この実例に驚くのは、私が働いている保育園(地方都市だが)で私が受け持った子どもとあまりにも違うからだ。その母親は、母子家庭で3人の子どもを育てる為に、夜の仕事に就いて、朝方家に帰りそのまま寝てしまい、小学生の兄2人は自分達で起きて学校に行くが、4歳のR君は、母親が起きないと保育園に来られなく休むことが多かった。その為に私達は、毎日10時頃R君の家に電話をして母親を起こしたり、電話に出たR君が「ママが起きてくれないんだよ」と切ない声を聞いていた。一度は交番から連絡が入り、R君が保育園のカバンを背負って一人で歩いているのを保護されたこともあった。こうしたR君の母親に私達は、どうして夜の仕事に就くのだろう、子どもの為には昼の仕事に就けばいいのにと避難していた。その時は私達なりに支援できることをやっていたが本当の解決にはならなかった。
 私は、母子家庭で3人の子どもを育てるのには夜の仕事に就かざるを得ない社会に問題があるのだと思っていた。ところが、この小冊子を読んで社会を変えていくことも必要だが、今現実に夜の仕事に就いている人たちがいるならば夜間保育園は必要なのではないかと考えるようになった。何よりも子ども達が安心して生活できることを第1に考えたいと思う。
『どうか一つでも多くの保育園が勇気を持って「夜間保育」に踏み出していただきたいと思います。それが、ベビーホテル問題の解決にもつながり、ひいては少子化問題の解決にもつながるかもしれません』と。私は、夜間保育園に対してまだまだ知らないことがあるので学んでいこうと思っている。(美)案内へ戻る
 

編集あれこれ
 前号は6面しかなくて、さびしい紙面となりました。日頃、原稿をあまり書かない私は大いに反省しています。
 前号1〜2面は、世界金融危機について述べていました。ここでは、株価が8276円(10月10日)となっていますが、現在(10月27日)は株価は8000円を切ったとのことです。このような状態に対し麻生政権は、無策です。いずれにしろ、衆議院の解散総選挙では、自公政権を追い落とすことが必要です。
 3面の読者からの手紙では、環境問題での自然エネルギーの活用の重要性について述べていました。放射能漏れや廃棄物処理など多くの問題がある原子力発電から、自然エネルギー活用に転換を目指さないといけません。
 5面のノーベル賞受賞と頭脳流出では、受賞者の中心人物は、米国大学在籍の研究者であると述べています。閉鎖社会である日本は魅力がないとも述べています。このような日本の状況を転換していく必要があります。
 私たちの生活も様々な要因で厳しくなっていますが、こういう状況を少しでも好転させていきたいものです。(河野)