ワーカーズ381号 2008/11/15
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拡がる不況、迷走する麻生政権
――対抗戦略は連帯型社会をめざす労働者の闘い――
自民党で“選挙の顔”として担がれた麻生首相。が、当初の新内閣発足直後に解散・総選挙に打って出るという思惑は崩れさり、たった一ヶ月で早くも迷走を始めた。理由は世界的な金融危機、それと“自民党の過半数獲得が厳しい”と出た自民党が実施した世論調査の結果だった。
麻生政権の迷走劇を象徴するのが、選挙目当てで打ち出された定額減税から派生した定額給付金問題だ。迷走の発端は、臨時国会冒頭解散という選挙戦術がご破算になったからだった。大風呂敷だけ打ち上げて選挙になだれ込むという思惑はあっという間に吹っ飛んで、支給の細目を決めなくてはならなくなった。そこから与党・官僚・自治体を巻き込んでたちまちすったもんだが始まった。
それはそうだろう。高額所得者にも給付金を支給することになれば、選挙目当てのバラまき、あるいは選挙買収費だとの批判は免れない。まさに政権末期症状、自業自得とはこういうことをいう。
その麻生政権の迷走劇の背後で拡がる世界的な金融危機は収まる兆しが見えない。当然ながら実体経済への波及がはっきりしてきた。象徴的なのが自動車産業をめぐる市場と企業収益の縮小だ。日本のトヨタ自動車も、ドイツのダイムラーも例外ではない。
より深刻なのが米国のビッグ・スリーだ。その中軸として米国経済のみならず戦後世界経済の牽引車となってきた米国のゼネラル・モーターズは、いまでは米国政府への支援要請を公言するまでに政府頼み、国家頼みの深刻な危機に直面している。
こうした危機の拡がりを目の前にして、これまで市場万能の理論を振りまいてきた“学者”や“論者”に追従してきたマスコミなどは、いまになって政府や国家の役割を再評価する論調にのりかえ始めた。
しかし資本・企業による野放しの営利活動と政府・国家による介入という二つの経済モデルは相反するものではない。あの29年の大恐慌時のケインズ的な需要喚起政策と80年代以降の供給サイド重視の新自由主義的経済学は、同じ“資本の論理”の土俵の上での違いにすぎない。仮に今回の危機や調整局面が過ぎ去れば、再度資本・企業の効率最優先の経済モデル指向が復活するだろう。
私たちは今回の危機の拡がりに際し、こうした資本制経済の二つのモデル間のジグザク路線という、狭く限られた選択枝そのものを脱却していく必要がある。いま求められているのは、企業利益万能型社会から生活・暮らしの改善を直接の目的とした経済システムへの原理的な転換にこそある。
現に、危機が深まるこの瞬間にも、日本でも米国でもドイツでも、企業が生き延びるために労働者の首が切られている。今後労働者のリストラはいっそう拡がるだろう。それを跳ね返せるのは、働く人々による連帯型社会への転換をめざす自立した闘いの前進にこそある。(廣)
迷走する静岡空港、三度目の開港延期
1.「暫定開港」に1億1千万円の追加予算
来年3月に開港する予定の静岡空港は三度目の開港延期となった。
理由は空港西側の未買収地(反対地権者の私有地)に航空法の高さを超える立ち木(3ヶ所に計153本)が残っている事が判明した。要するに、飛行機が離着陸する際、立ち木に引っかかる危険性がある。
当然だがこの立ち木が存在する以上開港できない。県当局は立ち木所有者と話し合いを重ねて理解をしていただき伐採するしか道はない。ところが、石川知事は金で解決する方法を選択した。
県当局責任者の石川知事は空港工事完成期日11月1日の3日前、10月29日の県議会全員協議会において、県議会議員に対して初めてこの立ち木問題の詳細を説明し、「2500メートル滑走路を300メートル短縮して、2200メートルにして暫定開港をめざす」「その滑走路の短縮運用に伴い、灯火の設置変更工事のために1億1千万円の追加工事予算を認めてほしい」「静岡空港の工事完成予定期日を11月1日から来年3月1日に変更する」「暫定開港日は7月になる可能性がある」と報告した。
誠意を持って立ち木所有者と話し合いを続け説得させる自信もなければ、意志もないと。結局一番安易な方法、県税1億1千万円を使って取りあえず暫定開港させればよいと判断したようだ。
2.なぜ、立ち木が残ったのか?
今回の立ち木問題は、反対地権者の土地を土地収用法に基づき「強制収用」した事に関連して起こったことである。反対地権者の土地を「強制収用」するため、県は大掛かりの現地測量をおこなった。しかし、その時測量ミス(航空測量における誤差、図面作成業者に誤ったデータが渡された、業者と県職員での修正作業でのミスなど)をおかして、制限区域を越える立ち木を残してしまった。
県当局はその航空測量ミスについては、昨年9月から10月かけて反対地権者が土地収用地内の立ち木を自主伐採した後で、そのことに気がついてわかっていたはずである。しかし、その測量ミスを認めたくないので、立ち木の残る周辺を「地滑り対策」として工事を進めようとした。県当局は「地権者の協力が得られなかった」とか「訴訟に影響を与える心配があつた」等、色々と言い訳を述べているが、結局は自分達の測量ミスを認めるのがイヤでごまかそうとした。
3.静岡空港の歴史
@最初のボタンの掛け違い・・・1987年12月
そもそもこの静岡空港の計画は21年前にさかのぼる。空港を榛原町に開港する計画 は当初より地元無視で、県が勝手に計画を発表したので地元で大反対運動が起こった。
A知事の確約書・・・1996年7月
県による買収によって用地取得が進んだが、100%の用地取得はできなかった。し かし、開港をめざす石川知事は、当時の運輸省に「確約書」(反対地権者の用地取得に ついては誠心誠意をもって交渉していく)を提出して、ようやく開港許可を受けた。と ころが、それは「口先」だけで反対地権者に対する誠意ある交渉と呼べるものはなく、 両者の関係はこじれるばかり。
B空港建設を問う「住民投票」運動・・・2001年6月
住民団体が「住民投票」のため27万人の署名を集めて、県議会に「住民投票条例」 制定の直接請求を行う。石川知事も、県知事選の前には「住民投票の結果」に従うと言 っていたが、知事に再選したとたんに無視する。結局、県議会が「住民投票条例案」を否決する。
C県が空港用地「強制収用」のための事業認定申請をする・・・2004年11月
結局石川知事は反対地権者との話し合いを放棄して、土地収用法による「強制収用」 の方法を取った。今回と同じ解決方法、
地権者と誠意を持った話し合いを続けていくこ とではなく、力による解決、金による解決方法である。
D国土交通省が土地収用法による「強制収用」を認める事業認定告示・・05年7月
国土交通省は、成田空港闘争の教訓(強制収用はやらない)を放棄する。
E県収用委員会が未買収地の強制収用を認める採決・・・2006年10月〜11月
当然、「強制収用」という権力で強引に用地取得を進めようとする県当局に反発する 地権者とその支援者たちは激しい抵抗運動を展開した。
F西側制限区域の地権者が未買収地に立ち木がある事を指摘・・・2007年10月
G石川知事、開港予定延期と「暫定開港」を発表する・・・2008年10月
4.莫大な建設費と開港後のさらなる大赤字
このような重大な「県の責任問題」が明らかにされず、さらに県民に「1億1千万円」も負担させる補正予算案が与党多数が占める県議会で可決された。
立ち木を所有する地権者も「十分に問題点が議論され明らかになったとは言いがたい」と述べるように、県議会も県当局をチェックする機能をまったく果たしていない。「与党の石川知事批判はポーズだけだ」との県民の声は的を得ている。
この静岡空港の総事業費は1900億円。本体工事部の費用は500億円(その半分250億円は国が負担)である。この事業費をまかなうために、空港関連県債855億円を発行してきた。県財政で特に深刻なのは、この10年間に県の基金(貯金)を毎年取り崩してきたため、2年後に基金がすべてなくなってしまう可能性がある。
さらに県民にとって心配な事は、開港後本当に黒字空港になるのか?という問題である。県は当初新幹線新駅設置などをぶち上げ、需要予測178万人と大見得を切った。しかし、新幹線新駅の話はまったくJRに拒否されるなど、178万人の需要予測は徐々に下方修正されて106万人となつた。
開港を来年に控え、今現在開港予定路線が決まっているのは、福岡便3便、札幌便2便、沖縄便1便(JALが4便でANAが2便)だけである。合計しても需要は40〜50万人程度である。
石川知事もこの需要不足を十分認識しているので、韓国や中国や台湾などに出掛けていき、外国路線の開拓に必死である。また、高校生の修学旅行で静岡空港を利用するように学校に働きかけたり、各自治体に利用促進プロジェクトの作成を押しつけている。
最近石川知事は早くも責任逃れなのか「開港後、5年間は赤字になる」と発表している。
今考えられる空港の収入は飛行機の着陸料である。今決まっている国内便1日6便の収入は2億円程度、これに若干の国際便が飛んできても1億円程度、合計3億円程度しか期待できない。
それに対して支出はどうかと言えば、空港管理費が毎年8億円、今年度の県空港部の職員給与が8億円もかかっている。さらに最大の問題は、空港建設のための空港関連県債(855億円)の元本・利子返済が毎年20億円もあると言われている。
この静岡空港がある限り、この際限のない大赤字が続き、県民に大負担を強いることになる。
ムダな公共事業である静岡空港の建設に反対してきた「空港はいらない静岡県民の会」は、空港の「事業認定取消訴訟」と「土地収用採決取消訴訟」の2つの裁判を闘っており、さらにこの大赤字を止めるために「住民監査請求」運動を開始している。(富田 英司)
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コラムの窓・戦争はいつまで続くのか!
実に長々しい米大統領選挙が終了し、民主党オバマ政権が誕生することになりました。それでイラクやアフガニスタンに劇的な変化が起こるのか、あまり期待はできないように思います。米国が戦争をやめないのは、戦争経済を支えるために戦争政策があり、世界の覇権を維持することによって米国消費も支えられているのですから。
その米国を支えているのが日本であり、実は軍事的な貢献も大きいのです。イラクやアフガン侵略、軍事占領の後方基地として、さらに兵站を担う部隊として自衛隊は参戦≠オています。横須賀、岩国、佐世保、沖縄の駐留米軍はイラクやアフガンで破壊と殺伐を行っています。むしろ、在日米軍基地があったればこそ、米軍は軍事侵攻ができるのです。
例えばこんなふうにです。「この『第31海兵遠征部隊』は、沖縄の『第3海兵遠征軍』傘下の主力部隊で、6時間以内に対外作戦の準備が整うが、エセックスを中心とした同即応隊によって戦場まで運ばれる。つまり海兵隊で唯一の海外常駐部隊として知られている『第3海兵遠征軍』は岩国‐佐世保‐沖縄という基地のラインでつながっている」「ファルージャ虐殺があった2004年、佐世保を出港したエセックスは8月にハーパーズ・フェリー、ジュノーと共にホワイトビーチに寄港。普天間基地のCH53Dヘリコプター6機を搭載し、海兵隊員約2000人を乗船させた」(「週刊金曜日」11月7日号) この部隊が「11月のファルージャへの総攻撃で千数百人とされる市民を殺害し、町を廃墟にした」(同誌)のです。つまり、私たちは気がつかない振りをしていても、その手はすでに血塗られてしまっているのです。身近なところでは、川崎造船神戸工場で10月15日、海上自衛隊向け潜水艦「うんりゅう」の進水式が行われています。
こちらも同類項だと思いますが、三菱重工業神戸造船所二見工場では原子炉容器を製造しています。今後海外向けの原発需要増加が見込まれるとして、増産投資を行っています。潜水艦や原発は平和な明日に向かうものではありません。川崎造船や三菱重工は利益が得られるならなんでも生産するのであり、それで未来が閉ざされても「わが亡き後に・・・」というわけです。
10月26日、イラク駐留&ト軍がシリア東部アブカマルを越境攻撃し、8人の市民を殺害しました。朝日新聞の報道によると、「そこはのどかな農耕地帯だった。死傷者には女性や子供も含まれ、住民は『ブッシュ(米大統領)こそテロリストだ』と怒りをあらわにしている」(10月31日)。そうです、ブッシュこそテロリストであり、在日米軍基地はその出撃拠点であり、テロ特措法やイラク特措法で派兵されている自衛隊は戦闘は行わないけれど、立派に米占領軍の一翼を担っているのです。
戦争はいつまで続くのか、いつになったら終わるのか。それは他への願望ではなく、私たちの手で終わらせなければならないのだと思います。先の越境攻撃で夫を殺害され、自らも銃撃を受け負傷したスワーダさんの「子供をどう育てていけばいいのか分からない。作戦を実行した米国関係者全員に天罰を下してほしい」(同紙)と言う言葉に、私たちは応えることを迫られているのです。 (晴)
読書室
『アフリカ・レポート』――壊れる国、生きる人々――
岩波新書 著者 松本仁一 定価 700円
米国発のサブプライム危機が世界に波及し、株の下落が地球を日替わりで襲っている。いまでも株の乱高下は続いており、当然のこととして危機は実体経済にまで波及し始めている。
これだけ深刻な金融危機があっという間に世界に拡がったのも、元をただせば経済的な結びつきが国境を越えて拡がり、それだけ世界が繋がってきたことにある。いわばグローバル化がその背景になっているといえる。
今回紹介する本は、そのグローバル化の焦点となっているアフリカに目を向けたものだ。
■グローバル化
グローバル化は最近だけのものではないが、90年前後の米ソ冷戦構造が崩壊して以降の米国一極世界が頂点に達した時代に急激に広がった傾向でもある。いまではモノ・カネ・ヒトが国境を越えて世界を飛び交っている。
そのグローバル化、大陸規模で俯瞰すれば、90年代以降、旧ソ連圏の国々や中国が世界的な市場経済の枠組みに組み込まれたことが大きな転機となった。平行してブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国を意味する「BRICs」など新興国の台頭がはっきりした時代でもあった。またアジアの一部や中東でも輸出工場基地やオイルマネーなどを通じてグローバル経済に組み込まれていった。石油や鉄鉱石などの資源高もあってロシア、ブラジル、中東などにも世界の資金が貫流し、マネー資本主義の世界はより密接に繋がってきている。このところの金融危機で新興国の打撃も生やさしいものではないが、それでもいわば米国基準の市場原理主義の世界的展開ともいえるグローバル化が、同時にドル支配の相対化をもたらし、世界の多極化も進展した、ともいえる状況が生まれている。単純化して言えば、世界は大陸規模で見るかぎり、市場経済として単一の経済圏を形成してきており、唯一残ったのがアフリカだ。
そのアフリカも少しずつ変わりつつある。かつての西欧帝国主義の植民地としてモノカルチャー経済を押しつけられ、経済的な離陸を阻まれてきたアフリカ諸国。が、最近はきわめていびつな形ではあれ、世界経済により密接に組み込まれてきた。
本書はそうした段階にあるアフリカの現状を、特にそのいびつさ、悲惨さに焦点を当てたリポートになっている。
■本書の構成
本書の著者は1968年から07年まで朝日新聞に勤務、中東アフリカ総局長などを歴任。これまでも『アパルトヘイトの白人たち』『ユダヤ人とパレスチナ人』『カラシニコフ』などの著書がある。多くは朝日新聞への連載記事から生まれた本で、すでに新聞紙上で目にした人も多いと思う。
本書の性格は当然ながら特派員時代の現地ルポルタージュを元にしたものになっている。アフリカレポート言っても本書で紹介する対象国はアフリカ諸国を網羅したものではない。が、著者が言っているように本書で散りあげている10カ国程度でも、ほぼアフリカが直面している現状の縮図になっている。
ここで本書の構成を紹介すると、次のようなものだ。
序章 アフリカの今――ルムンバの夢はどこに行ったか
第1章 国を壊したのは誰か――ジンバブエで
第2章 危機に瀕する「安全」と「安心」――南アフリカ共和国で
第3章 アフリカの中国人――南アで、アンゴラで、スーダンで
第4章 国から逃げ出す人々――パリで、歌舞伎町で
第5章 「人々の自立」をめざして――農村で、都市スラムで
第6章 政府ではなく、人々に目を向ける――ケニアで、ウガンダで、セネガルで
なお、今回は本の表紙ではなく、アフリカの地図を掲載しておく。私も含めてアフリカになじみのない人にとっては、地図をじっと見るだけでもアフリカという地域に目を向けるよい機会になると思う。
著者によれば、いまのアフリカ諸国を概観すると、おおむね以下の4通りのタイプの国家に分けられるという。
@政府が順調に国づくりを進めている国家
A政府に国づくりの意欲はあるが、運営手腕が未熟なため進度が遅い国家。
B政府幹部が利権を追い求め、国づくりが遅れている国家。
C指導者が利権にしか関心を持たず、国づくりなどはじめから考えていない国家・
著者の見立てでは、@に該当するのはボツワナぐらいだとのこと。Cに該当するのはジンバブエ、スーダン、ナイジェリア、赤道ギニアなどだという。ここでそのすべてを紹介することはできないが、ほんの一部だけ紹介したい。
■腐敗
著者が言う上記のCに該当する国家。時たま新聞紙上にも出てくるジンバブエの現状だ。ジンバブエは「アフリカでもっともめぐまれた独立」といわれ1980年に独立した。そこで新政府が誕生したとき、農業基盤は完全に近く、農産品は需要を満たしたうえ、輸出に回して外貨収入の3分の一を稼ぎ出していた。識字率も90%を超え、大規模工業都市もあり、その上鉱物資源も豊富で自動車道路も整備されていた。
それがいまでは農業生産は需要の半分もない。飢えも拡がっている。とにかくインフレ率が08年には16万%を超えた。07年2月に一個10円だった卵が、08年には16000円にまでに跳ね上がった。近隣国に脱出する人が続出し、いまでは人口の4分の一に達していると言われる。
その原因は白人支配から独立を勝ち取った「ジンバブエ・アフリカ民族同盟」の指導者だったムガベ首相(87年から大統領)の腐敗と失政だという。
1960年にベルギーから独立したコンゴ(旧ザイール)の独立闘争の指導者だったルムンバ政権をクーデターで倒したモブツ政権。それをを引き継いだいまの政権が、アフリカ最大の資源国でありながらその利権をめぐって内紛を続け、国民一人あたりの年間所得が120ドルにとどまっている。資源からもたらされる富が国民に届いていないのだ。
ジンバブエやコンゴだけではない。多くのアフリカ諸国で独立を指導した指導者が、独立を勝ち取った瞬間から腐敗が始まり、国民の生活をほったらかしにして利権を独り占めにしている。
国民の窮乏は、指導者や国・政府の責任だけではない。かつて帝国主義諸国の植民地とされ、資源は持ち出され、宗主国の市場の地位を押しつけられたのと同じような構造がもたらされているという。いわゆる新植民地という現実である。
■新植民地主義
たとえば西アフリカのセネガル。
ここではフランスが「コーペラン」という行政顧問を大量に送り込んで行政を取り仕切るようになった。そのセネガルで砂漠を農地に変え、食糧自給率を高めようとしたプロジェクトで、非公開情報を自国企業に横流しし、その可耕地はフランスの企業に買い占められてしまった。その結果、地域農民の食料自給は不可能になり、結局フランスの出稼ぎに行かざるを得なくなった。今、フランスでは大量のアフリカ人が流入しており、またサルコジ大統領は「地中海連合」づくりを進めているが、その土台にはこうした新植民地主義的な背景もあるわけだ。
あるいはアンゴラ。
豊富な石油資源を見込んで中国がODA(政府開発援助)で20億ドルを融資。アンゴラ政府は日量1万バーレルの石油で17年かけて返済する契約を取り交わした。中国側の融資の内容は「住宅建設、道路・鉄道の補修」だった。ところがその援助事業はすべて中国の国営企業が受注した。設備も資材も、労働者さえも中国からつれてきた。結局、20億円は中国に貫流し、アンゴラにカネは落ちなかった。かつての日本によるODA援助で多く見られた、いわゆる“ひも付き援助”である。
もちろん本書では西欧諸国や中国などに食い物にされている場面ばかりでなく、そうした厳しい境遇におかれながらも地道に自立への道を模索しつつ切り開いている人々の努力もレポートしている。たとえばジンバブエの地元農業NGO「地方農村発展協力機構」(ORAP)だ。ORAPはモノを配るとか公共事業をやるといった援助を否定し、自立農園づくりなどあくまで地元に人々の自立を支える、という視点で援助活動を行っている。
中国などによる石油・武器がらみの浸食などについては切り込み不足も感じるが、本書の視点は、後書きでもふれているように、政府に食い物にされているアフリカ国民に対する暖かい視線だ。現地住民に密着した長年の取材の成果だろう。アフリカに関心を向けるきっかけにはなる。
21世紀は中国、インドという新興国=人口大国の時代になるといわれている。と同時に、21世紀はかならず“アフリカの世紀”にもなる。今後もアフリカの動向を注視していきたい。(廣)
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色鉛筆−ああ、時間がほしい
仕事に振り回されている、そんな日々が続いています。朝9時前に家を出て、帰るのが夜7時は過ぎてしまい、辺りは真っ暗。以前は、年末・年始はこんな状態で、この時だけの辛抱と、何とか頑張ってきました。しかし、毎日8時間を越える労働を強いられ、ストレスも溜まりつつある私の体は、どこまで耐えられるのか、考える日々です。
これまで、1日4時間で週20時間の労働契約でした。今は、1日6時間で週30時間で、定時なら16時15分には職場から解放されるのです。けれど、郵便事業会社の様々な「改革」によって、現場は非常に忙しくなっているのが現状です。例えば、入居者の転出転入がインターネットから申し込むことが出来るようになりました。そこで、その書類が私たちの手元に届けば、本当に申し込んだのか、自宅を訪問し本人に確認する作業が必要になってきます。
配達先は公団なので留守が多く、徒労に終わることがほとんどです。このインターネットからの申し込みを始めてから、、全国の名簿が東京のある情報会社に集中しているということです。ここで、これまでの入居者ファイルを全てパソコンが打ち出した名簿に変更するという作業が伴います。この作業、8000世帯を裕に超えるジャンボタウンでは、相当な労力が必要です。
そして、この多忙な作業に拍車をかけるかのように、西宮市の国民健康保険切り替えの書留が約2000通も出ています。日曜日返上での配達で、同僚は血圧が上がり医者に行くと本日、早めに帰宅しました。1日8時間を越える労働時間は、家事・育児を伴う
主婦には負担が大きすぎます。私たちの職場は、4時間(13人)と6時間(4人)の勤務があり、双方が考慮し助け合うことでうまく行っていますが、130万の壁が障害となっているのは言うまでもありません。
17人の同僚が、全員平均化して働けば、どんなに働きやすくなることでしょう。配偶者控除が女性の自立を阻むのは、経営者側にとって都合のいいことです。こんなに有利な使い方をしていて、郵便事業会社は赤字だと叫び、労働時間を節約するため、ムダを無くせと、うるさく言います。残業も切り縮めろと命令するなら、仕事はいっぱい残してさっさと帰りましょう。この方法しか、定時に帰る手立ては無いのでしょうか。皆さんの職場はどうですか?(恵)
沖縄と近代
私が沖縄に旅しはじめたのは、2000年頃ではなかったか、と思う。なぜ沖縄か。関西沖縄文庫で沖縄についてのドキュメンタルな本や太田昌秀の著作を読んだことによると思う。さて沖縄はどういうところ、どういう人たちが住んでいるのか、ぢかに触れてみたかった。一言で言って百聞一見に如かず≠ニ言うところであろう。
米軍基地に関して本土は沖縄に負い目を持たざるを得ない。しかし、ツアーで沖縄を訪れた時、同行の人々の不感症的なふるまいに暗澹とせざるを得なかった。なぜこうなるのだろう。それは未だに答えは出ないが、旅について持つ旅人の抱く思いが異なるからであろうか。沖縄は。
最近のことだが、イラクの現状を写したDVDを購入、回覧しようとしたところ見る人がいないから≠ニ、戻されてきた。同じく旅は現実の日常からの別離であるのに、と世界のどこかのでの不幸の日常には、拒絶反応を示すのであろうか。人それぞれ≠ナ片付けがたいものを感ずるのだが。そしてそれで、自らの日常の苦痛にまともに向き合えるのであろうか、と心もとない思いしきり。それぞれ違った自由≠ェ大きな道への流れとならんことを(TVはアメリカ大統領選の結果を伝えていた)。
前置きが長くなりました。明治政府が世界の列強の仲間入りしたくて廃藩置県のあと殖産興業政策をとり、一旦、沖縄は沖縄藩、そして沖縄県となった。その県知事たるや薩摩出身者で、政府の政策を強引に進め森林を伐り開墾し、その地を配下の者や中央政府官僚に払い下げ、沖縄は日本一の収益をあげるところ≠ニ豪語した。まさに沖縄は中央政府と薩摩の二重の収奪を受けた地であった。
県知事と、民衆の側に立って撃突したのが謝花昇氏であったという。謝花昇氏は本土へ留学、森林学と農業を学んだ自由民権運動の士であり、当時の自由民権運動の具体的な目標は民の声を政治に反映すべく国会を作ることであったし、謝花氏もこの運動に参加すべく動いたであろう。沖縄で知事の抑圧を受けたこと大であったし貧困の苦もなめた。山口に職を得て赴任の途中、神戸駅で倒れた。彼を奴隷解放の志士としたのも当然であろう。(私が大阪経済大学で受けた講義の中で、奴隷解放の士と呼ばれたのが知事のはずはないし、謝花昇氏であったろうと思うから)―長岡由秀著 新釈 生麦事件¢謔U章 沖縄県知事就任以後より― この書は、近所の医師である井上氏のご教示によるもの。
明治政府が上から押し進めた近代化が、沖縄ではどのようなものであったか、以上の事実からだけでも想像にかたくない。全く奴隷化そのものであった。このことは人類館≠ノまとめられている。(アットワークス出版人類館ー封印された扉=j
昨年末、沖縄を訪れた時、パレットくもじで、本土の役人が進めた近代化の展示があったが、その時は何の問題も持たずに、ボーっと見てきたのは、今にして思えばどんな近代化の試みをやったか、その周辺の状況の片鱗を伺えたはず、と残念である。
さて、来年早々の沖縄行きは、本当のところ最後の旅になるであろうが、なにに出会えることだろうか。何の先入観も持たずに向かおうと思っている。08,11,5、 宮森常子
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編集あれこれ
小泉退陣とともに竹中平蔵氏の名も過去のものとなったかですが、この両名は現状を招いた責任を取る立場にあります。その破綻を糊塗するために、@絶対に間違いを認めない、A過去はなかったことにする、このどちらか又は両方を駆使するのです。竹中氏はどうやら両方を駆使する、まさに詭弁家のようです。
その竹中氏の名を、思いがけないところで聞くことになりました。11月16日投票の西宮市長選に立候補している元慶応大学教授の跡田直澄氏が竹中氏のブレーンだというのです。告示前に西宮市を訪れた竹中氏は、「小泉政権の改革案を作ったのは跡田さん。日本のトップクラスの経済学者です」と支持を訴えたということです。
中核市に移行したとはいえ、日本のトップクラスの経済学者≠ノお出まし頂くには物足りないだろうし、丁重に辞退させて頂きたい人物ではあります。跡田氏のマニフェストがありますが、「改革か継承か、あなたはどちらを選びますか?」とか、「チェンジ!チェンジ!チェンジ!」とかあって、極めつけは「このまちを世界一の町にするためにやって来ました」とまで言ってます。そんなもの押し付けられたくないですね。
コラムの窓では労働者のバーコード管理に触れています。そのなかで「ドアの前で自分のバーコードをリーダーに読み取らせ・・・」る時代がすぐそこにとありましたが、郵便局(分割された会社の労働者が同居しています)ではICカードがないと職場には入れないし、職場内を移動することもできません。パソコンも現金管理機も職員コードや暗証番号を入れないと動きません。現金管理機が故障したら仕事は終わらないという、機械が主で労働者が従の職場になってしまっています。
月に2回しか発行されない新聞、それでも私たちは必死になって維持しているのですが、なかなか情勢に追い着いていないなと思います。この間にも、田母神俊雄航空幕僚長のとんでも論文事件が起こり、あっという間に定年退職≠オてしまいました。また、守屋武昌前防衛事務次官に実刑判決が下されました。暴走する自衛隊!台頭する新軍部!≠アの動きをどう見るのか、どうすれば押し止めることができるのか、紙面を通じて模索したいと思います。 (晴)
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