ワーカーズ 2008.12.1
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自壊する自公政権−− 新自由主義は破産し、バラマキも不人気
麻生自民党政権が迷走を重ねている。定額給付金、道路特定財源一般財源化、二次補正予算案の提出などをめぐって右往左往が続き、度重なる「失言」に加え、漢字能力までが「政治問題」化される事態となり、麻生首相の求心力は急速に失われつつある。
しかし、麻生首相が見せた重要法案をめぐる迷走ぶり等は、決して麻生太郎個人の資質の問題ではない。それは自民党という政党の政策、戦略そのものの行き詰まりを暴露しているのであり、この党の政治的立脚点の限界を示しているのだ。
自民党は、小泉政権以来、グローバリゼイションの中で日本が生き残るには規制緩和、小さな政府、軍事的国際貢献=自衛隊の海外派兵の拡大が不可欠だと叫んで、新自由主義の政治を強引に押し進めてきた。しかしこの政治は、その後本家アメリカにおけるマネーゲーム、カジノ経済の破綻、アフガン・イラク戦争の失敗論の広がりとともに、大きく傷つき、権威を失った。日本国内でも貧困が拡大・深化する一方、大衆の生活苦などまるで関心無いかのように「美しい日本」などという保守イデオロギーに自己陶酔する自民党を見て、人々の期待や幻想は急速に冷めていった。こうした政治を続けていくことは、もはや不可能だ。
しかし、この新自由主義に代わる戦略・政治的立脚点を、自民党は持ち合わせているわけではない。そこで持ち出されてきたのが、どんな熟慮も経ず、定まった座標軸も、先への見通しもないままの、バラマキ政策だ。金融部門への公的資金の投入、国民全体への定額給付金、評判の悪かった公共事業への締め付けの緩和、それらの施策を手当てするためには赤字国債の発行も辞さずという政治。しかも、このバラマキ政策への政権内・周辺からの批判が、すでに破産ずみの新自由主義の立場からしか出てこないという八方ふさがりの状況。ここにこそ、さかのぼって言うならば安倍・福田政権の行き詰まりと政権投げ出し、そして麻生太郎という不相応な自尊心以外に際だった何ものも持たぬこの俗物に政権を委ね、混乱と迷走を繰り広げるに至った背景と根拠があるのだ。
自公政権の自壊のあとに出現するのは、自民党と民主党が相互に入り乱れる形での政界再編劇だろう。この「二大政党」の再編を通して、支配階級は労働者・国民への統治の立て直しを図ろうとするだろう。しかし、この統治再編の試みにも、確固たる戦略や見通しがあるわけではない。
新自由主義政治かバラマキ政策かの選択を超えて、労働を基礎とする新たな平等・連帯の社会をめざす労働者の闘いを強化しよう。(阿部治正)
反戦平和世論の確立が欠かせない――職権私物化、田母神論文のお粗末――
航空自衛隊の最高幹部、田母神航空幕僚長(当時)の論文が表沙汰になって一ヶ月、麻生首相が幕僚長の解任を即決したたこともあって、“大事件”にはいたらなかった。しかし解任は単なるトカゲのしっぽ切り、航空自衛隊トップの論文が招いた波紋は消えていない。
航空幕僚長の解任は論文が公表されたその日だったが、姑息なのは、その理由が単に“不適切”というものでしかなかったことだ。論文の主旨に現れている“思想”や“歴史観”は、内外で膨大な犠牲者を出したあの戦争とそれを主導した軍部の暴走を何ら反省することなく、みずからを正当化するだけのものでしかない。論旨自体は“他愛もない妄想”でしかない。が、波紋が消えていないというのは、そうした“思想”や“歴史観”が、一部の右翼言論界だけでなく、保守=タカ派政治家や自衛隊内部を貫いてうごめいているからだ。
今回の一件は、ぶれまくっている麻生首相には珍しく素早い“”決断麻だったが、単なる“不適切”ではその根っこ断ち切れない。
■癒着
すでに新聞紙上などでも検証されているように、“日本が侵略国家だというのはぬれぎぬ”という田母神論文の独断性は明らかだろう。日中戦争について、蒋介石に引きずり込まれた日本は“被害者だ”というのも、台湾の蒋介石も米国もルーズベルトも“コミンテルンに動かされていた”というのも一種の陰謀史観で、何の根拠もないものだ。
田母神論文の詳細をここで検証する必要はないだろう。新聞などで検証されたものだけでも十分その独断性は暴露されている。
そもそも田母神論文の中身といっても、そこには思想や歴史観などいえる代物はとても見いだせない。長年の自衛隊内で感じてきた不満や自虐史観批判など右翼的論調に接して思い込みがこり固まっただけではないのか。
実際、今回の田母神論文が表沙汰になった経緯を見れば、そこにあるのは幹部自衛官と右翼言論界やうさんくさい右翼人士との癒着、それに地位を私物化した職権乱用を重ねて恥じない乱れきった自衛隊上層部の生態だ。
今回の懸賞論文の舞台になったホテルチェーン「アパグループ」の元谷代表と田母神元空幕長は、少なくとも10年のつきあいがある。元空幕長は、元谷代表の会社が発行する月刊誌に4回も寄稿していたこともあり、また元谷代表のパーティーでは乾杯の音頭までとっていたという。2人の関係は、いわば“ツーカー”の関係だった。そうした癒着関係のうえに、元谷代表は航空自衛隊の後援組織として「小松基地金沢友の会」を自ら会長となって立ち上げた。その元谷代表を「自衛隊の広報活動にプラスになる」として“日頃の訓練の視察”を名目に、ふつうの人は乗れないF−15最新鋭戦闘機にも乗せてもいた。許可したのは田母神空幕長である。
今回の懸賞論文で大賞を受賞したといっても真相はといえば、審査委員さえも受賞者が決定したことは事後報告、決定権があるのは主催者の元谷代表、という構図だ。しかも論文の内容はといえば、以前に例の月刊誌にも同趣旨の「対談」が掲載されていたという。その対談の登場者はもちろん元谷代表と田母神前空幕長だ。
何のことはない。マッチポンプの出来レースだという以外にない。いわば空自最高幹部と目立ちたがり屋の右翼人士とのズブズブの癒着関係を背景とした、カネ(懸賞金など)と独断的な偏見で繋がった自作自演の受賞劇であり特別搭乗だったわけだ。
普段は世間の批判にさらされないお山の大将の幹部自衛官と右翼人士との癒着。しかも表向きは政府やマスコミによって否定された形になっている田母神論文。今回の件は、見方によってはくだらない自衛隊がらみのゴシップ事件だ。
ただそれだけですめば、まだ自衛隊上層部も“脇が甘い”とか“遅れている”といった批判を受けるだけですんでいたかもしれない。実情はといえば、幹部自衛官の“適性”ににとどまらない性格をも内包している。問題の根は深い。
自衛隊内部では制服組幹部などのあいだで「田母神空将の論文のどこが悪いんでしょうか」とか「よく発言してくれた」などという支持する声が結構あるという。それに関係者の間で交わされるメールでは、田母神発言を否定する論調に対して「思想統制につながる」という内容のものも多いそうだ。そうした声は、戦前を知る自衛隊関係者にはそれほどないが、現役の幹部自衛官に多いらしい。
■まともな歴史認識ができない軍隊(自衛隊)
田母神発言が独断的なものであることは触れた。が、なぜそうした独断的な見解が自衛官の最高幹部の地位にまでも上り詰めた人にも浸透しているのだろうか。
戦後の自衛隊は組織の成り立ちからいえば、戦前の旧帝国軍隊を引き継いだものではない。しかし、1950年の朝鮮戦争を契機に発足した自衛隊(警察予備隊)には、旧軍関係者が多数入っている。また、旧軍を経験していない層も、旧軍の反省・総括の上で入っているわけではない。
自衛隊としては旧軍の行ったことを総括したわけでもないし、それが出来るような存在ではない。それができるのは政府であり主権者であるはずの国民だ。が、肝心の政府と国民のあいだで総括が十分に出来ているわけでも共通認識が形成されているわけでもない。それはあの戦犯にもなった岸信介が首相になったことに象徴されている。全体としてみれば、日本は自らの責任としてあの戦争を反省しきちんと総括できていないというのが実態ではないだろうか。
というより、国民の多くは心情的には二度と戦争をしない国にしたいという思いで強固な意思が形成されていたが、米国の対日政策の変質などにも影響されて戦後の国民世論自体が分裂させられてきた、というのが真相だ。それが再軍備と軍事大国化を指向する勢力とそれに反対する戦後の反戦平和の闘いの拡がりとの攻防戦にも現れてきた。
日本の軍事大国化としての復興と台頭は、内外双方で大きなハードルに直面する運命にあった。それは日本の軍事大国化を抑えておきたい米国、それに現に日本の侵略の犠牲を押しつけられた中国をはじめとしたアジア諸国、それに反戦平和を指向する国内世論だ。
今回の田母神論文をめぐる波紋は、すばやく空幕長を解任したこともあってそれら三者による反発はそれほど拡がらなかった。しかし旧軍も含めて自衛隊の活動を全面的に正当化する田母神論文の基本的な論旨は、当然の結果として反米的なものにならざるを得ない。当然、米国内部でも不快感が拡がったことは想像に難くない。それは安倍前首相による従軍慰安婦など、戦前を正当化する発言の場面でもはっきり現れた。
こうした状況のなかで、政府としても、日米同盟の重視、日中関係の正常化、国内での政権維持という観点からも、麻生内閣として田母神発言を支持できるはずもなかった。これが麻生首相の素早い決断の背景である。
とは言っても、麻生首相が田母神前空幕長の解任を決断した根拠は「不適切」というきわめて曖昧なものであり、中途半端なものでしかなかった。ちょっと前を思い起こせば、外相だった頃の麻生首相は「自由と繁栄の孤」という、中国封じ込め政策の論陣を張っていたわけで、これなども実質的には米国のネオコンに通じる保守的右翼、タカ派的思想からでたものだった。
■確固とした世論形成がカギ
今回の田母神論文の背景には、自衛隊とそこに食い込む右翼言論界の横断的な連携行為が浮き彫りになっている。
国会で追及されて実施した防衛省による調査では、田母神前空幕長が統合幕僚学校の学校長時代にカリキュラムが変更され、新たに「歴史観・国家観」の講義がつくられた。そこの講師として招かれていたのが、自虐史観批判の“マドンナ”桜井よしこや、「新しい歴史教科書をつくる会」副会長を務めたこともある福地惇らだったことが明らかになった。全く“さもありなん”というべきか。
こうした事態は、自衛隊の幹部クラスに右翼思想が食い込んでいる具体的な証拠にもなる。あるいは逆に自衛隊や政界、官僚、財界を貫く右翼潮流が右翼ジャーナリストらを動員してそうした潮流の拡大を図ってきた、その結果ともいえる
。そうした潮流は民主党の中にもあり、だからこそ問題の根っこは深刻なわけだ。現に民主党の鳩山幹事長らが元谷代表の会合に参加していたことも暴露されている。
かつては反戦自衛官の運動もあった。しかしそれは限られた範囲のものでしかなかったし、現在の自衛官にそうした行動を求めても困難な状況にある。逆に、自衛隊にクーデターを呼びかける三島事件などもあった。
軍隊というのは、時には世論から遊離し、独自の行動、たとえばクーデターなども起こすが、多くは常に世論のただ中にあってそれに影響される存在でもある。
結局は、私たちの行動も含めて、草の根からの反戦平和の世論を確固たるものにする以外にない。(廣)
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読書室 『紙碑 中村丈夫 共産党から新左翼への70年』 彩流社 定価2400円+税
革命を駆けた希有の人を見よ!
原爆を含む先の大戦の惨禍をくぐり抜け、人生に二度、革命運動の波頭に立った人はあまりいない。
一回はかっての共産党の職業革命家として、もう一回は新左翼運動の知られざる牽引者として闘い抜いた人こそ、昨年亡くなった中村丈夫その人である。――帯から全文引用
二00七年四月三日、中村さんは八十七歳の生涯を閉じた。翌日の通夜は春嵐が押し寄せ霰も降る荒天であった。その年の七月二十九日、四谷のプラザエフで行われた偲ぶ会に私は参加した。参加者の中には、共産主義者同盟首都圏委員会のメンバーの顔もあり、中村さんの影響力を見た思いがした。
この日は、晴天であったにもかかわらず、会合の半ば頃になると落雷の音が響く事態となる。まさに一代の風雲児にふさわしい舞台装置とはなった。
私が参加したのは、前々から中村さんの著作に関心があり、収集を心がけていたことが大きい。何時の頃からか忘れてしまったが、中村さんを小山弘健氏の軍事論の後継者と私が独り決めしていたからである。
またグラムシの研究に当たっては、中村さんの名前を、よく見たからでもある。最後に、『コンドラチェフ景気波動論』がある。こうして全体を見ると、私が理論的に関心があるこれら三大分野で、中村さんの名前は、今後とも逸する事は出来ないことが良く理解できた。
今回、偲ぶ会での各人の発言を中心として、様々な工夫をした上でコンパクトにまとめられた本書は、後進の私たちにとって、研究のための手引き書の性格を持つもので、非常に参考になる好著としてぜひお勧めしたい一書である。
続いて、本書の構成を紹介する。
第一章は、「八七年の生涯の軌跡に想う」と題されて、四節構成で、実弟から生い立ちが、戦後の共産党専従活動、社革から社労同の新左翼草創時代、そして青共委の時代が語られている。始めて聞く話も多い。
第二章は、「中村丈夫さんを偲ぶ」と題されており、二節構成で、第一節は、「中村さんの理論的貢献」、第二節は、「中村さんへの追想」が各自各様に語られている。第一節での各執筆者と題目を紹介しておく。
「中村さんと私とグラムシ研究」(上村忠男)、「中村丈夫軍事学研究の意義」(山崎カヲル)、「中村丈夫さん追憶―グラムシと軍事研究への回廊―」(鈴木正)、「兵士人権、革命的抵抗権の理論化―兵士人権研究会における中村丈夫氏の理論的『格闘』―」(古川純) 以上の各氏の寄稿がある。
運動上での思い出も貴重ではあるが、ここは何といっても理論的な功績をじっくりと読み取りたいところである。
第三章は、「理論的業績のあらまし」と題されており、三節構成で、「才人」・「論理明快の人」であった中村丈夫氏の「経済学―政治学―軍事学」に厳しく自己限定したほぼ全容を明らかにしている。ここでは、作業グループによる「経済学的領域のあらまし」と「共産主義運動理論のあらまし」とに分類され、紙面の関係で紹介出来ないが、十二の小項目に整理されている。
第四章は資料編である。三節構成で、活動年譜・広義構造改革派の組織系統・中村丈夫氏書誌が掲載されている。
さて、この本の紹介はこれで終わるとして、今私たちの目の前には、中村丈夫氏の残された二冊の書籍がある。一つは、『〈研究資料〉中村丈夫氏グラムシ論集―歴史主義と政治の主体―』(フェニックス社刊行)、もう一つは、『クラウゼヴィッツの洞察―中村丈夫氏軍事論集―』(彩流社刊行)である。
今後私たちに残された課題は、ここで紹介されて追悼集を手引き書として、中村丈夫さんの先の二冊にとどまらないが、先人の理論的苦闘を我が身に再現・克服をめざす事であろう。これこそ同時代をともに闘った後進の先進の人を正当に遇する事であり真に追悼する道である。(直記)
※お知らせ
この本については、清野真一氏の紹介で連絡先 166-0011 杉並区梅里2-13-10( TEL/FAX 03-3312-4803)前田 浩志 様迄に申し込むと1500円の特別価格入手できます。
被爆とは・・・「朽ちていった命ーー被爆治療83日間の記録」 NHK「東海村臨界事故」取材班460円
静岡の浜岡原発に反対している「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」は、東海地震が起こる前に浜岡原発を止めたい、という思いで「とめます訴訟の会」を結成して運転差し止め訴訟を起こした。
だが昨年10月26日、静岡地裁でひどい不当判決が出され敗訴した。
さっそく「とめます訴訟の会」は控訴して、東京高裁で控訴審がはじまっている。9月19日に第1回口頭弁論が、11月28日には第2回口頭弁論が開かれた。
静岡県では東海地震を想定した地震訓練が毎年大規模に取り組まれ、各地域で真剣な訓練と対策がなされている。しかし、静岡県民として最大の不安は、予想される東海地震の真ん中に存在する浜岡原発の耐震性である。もし、予想される東海地震に耐えられないで浜岡原発が崩壊したらどうなるか?誰でもゾッとする。
今回紹介する本は、1999年9月30日茨城県東海村のJCOで起こった「臨界事故」の記録だ。皆さんも、この事故を憶えていますか?
この「臨界事故」でウラン燃料の加工作業をしていた大内久氏と篠原理人氏の二人は大量の中性子線をあびて死亡した。二人とも現代医学の最先端の知識と技術を総動員した治療を受けたが、大内氏は被爆83日目に、篠原氏は211日目に最期を迎えた。
この本は、岩本裕記者を中心とするNHK取材班が、大内氏に焦点をあててその治療と闘病の経過を追ったドキュメントである。
私もこれまで、広島・長崎の原子爆弾の恐ろしさや被爆者の苦悩を、原爆記念館で見たり聞いたりしてきた。しかし、高線量の中性子被爆をした人間の身体がどうなっていくのか?放射線被曝の恐ろしさ、そのリアルさをこの本を通じて初めて知った。
放射線被曝の瞬間に、細胞を秩序立てて再生していく「生命の設計図」である染色体が、メチャメチャに破壊される。それ以後、最先端の治療を総動員しても、あらゆる臓器、組織、機能が総崩れになっていく。医師はそれをまったく食い止めることができない。
大内氏の83日間の治療生活は、地獄の拷問に等しい壮絶な日々であった。広島・長崎の原子爆弾の被爆者もチェルノブイリ原発事故の被爆者も、この地獄の拷問に等しい過酷な経過をへて死亡した。
現在日本では52基の原発が稼働しているが、いったん事故が起これば大内氏のような被爆者が大量に発生する。その被爆の悲惨さとその被害規模の大きさについては、チェルノブイリ原発事故が証明している。
「とても悲観的な考えなのかも知れませんが、原子力というものに、どうしても拘わらなければならない環境にある以上、また同じような事故は起きるのではないでしょうか。所詮、人間のする事だから・・・という不信感は消えません」
これは、大内さんを貢献的に看病し続けた奥さんが書いた手紙の一節である。
人間は原発と共存していくことができるのか?あらためて考えさせられる一冊の本である。(富田 英司)
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コラムの窓 「Change」
米国の次期大統領に選ばれたのは、「Change」(変革)と「Yes, we can.」(私たちはできる)を掲げたバラク・フセイン・オバマ・ジュニア(Barack Hussein Obama, Jr.)氏であった。
選挙や政権交代時期には誰もが「変革」や「改革」「新しい」とかの文句をかかげ訴えるものだが、−−我々もよく使うが−−その言葉が選挙民に指示されるかどうかは、その中身もそうだが、その時々の政治や経済の状況によるところが多い。
今日、米国はもちろんのこと、金融不安と過剰生産は世界的な規模で起こっており、大恐慌時代に入りつつある。
そうした中で、「レーガノミクス」新自由主義政策の中で拡大した「格差」や弱者切り捨ての政策から国民や人種の「融和」を掲げ、高所得層には増税、中低所得層には減税を行い、税制の累進性を高めるよう提案し、金融危機に対しては公的資金投入と監視体制の強化。老朽化した施設の社会インフラ整備と「クリーン・エネルギーへの投資と中東原油依存からの脱却」等を掲げたオバマ氏に米国の次期大統領を託した米国市民の期待は大きいものだったろう。
しかし、米国自身にそれをなしえる力があるかどうかは疑問が残るところである。
今日の大恐慌は資本主義経済につきものの過剰生産危機が根底にあるが、ここ数十年間の米国依存の経済のより戻しとも言うべきもので、日本や欧州、中東や中国などの新興国の生産物を米国がドルの垂れ流しによって消費してきたその反動だからである。
米国は大借金消費大国で、財政赤字、経常赤字の「双子の赤字」はブッシュがアフガン侵攻やイラク戦争をやったおかげで、膨大な戦費が上乗せされ、さらに増加している。新しい生産技術も新興国に後れをとっている中で「新ニューディール政策」とも言える政策を進める為には更なる大幅な赤字財政と国民負担を強いろ事になり、オバマの「チェンジ」は前途多難とも言えるのである。
大恐慌からの脱却の為に国際的な「協調と協力」による救済策が今後行われるだろうが、何十年間にわたってつもりに積もった諸矛盾の解決の為には「焼け石に水」ともなりかねないだろうし、ましてや第二次世界大戦のような大きな戦争を起こしすべてを灰にするわけにもいかないだろう。
資本主義経済の生産と消費の矛盾の解決は、「ケインズ主義」国家による有効需要の創設政策では問題の先送りでしかなく、真の解決にはならない。資本主義社会から新しい社会への創造とチェンジでしかなしえない。(光)
オール電化住宅が人気上昇中?
時代はオール電化住宅だという。清潔で室内の空気も汚れない。CO2を出さないから、地球温暖化対策にもかなっている。マンションなども、オール電化を売り物にするようになっている。
ところで、オール電化とは何か。すべてのエネルギーを電気でまかなうもので、電化製品だけではなく、ガスコンロの代わりに「IHクッキングヒーター」を、給湯も「エコキューと」などを使用する。ガスの供給ははじめからない。従って、ガスの不始末による火災や事故の心配がなく、高齢世帯には安心なのでおすすめだという。
まずここで大きな問題がある。エネルギー源が一系統だと、それが絶たれたら万事休すで、お湯さえ沸かせない。簡易コンロがあれば何とかなるといっても、食事を作ることはできない。つまり、電気とガスの設備があってもっぱら電気を使うということならまだしも、ガスの配管がないというのは余りにも心もとない。
電気料金の安い夜間にお湯を蓄えるので光熱費が安くなるという点はどうか。ガス代がなくなるので、これは事実のようだが、夜間の安い電気の供給が原子力発電によるものという事実をどう考えるかということになりそうだ。関西電力はオール電化に熱心だが、発電に占める原発の比率が高いことと関係がありそうだ。
次に、最も問題になるのが電磁波の影響である。新聞の全面広告でさえ、次のような利用者の声を紹介している。
「最大のメリットは掃除がラクなこと。さっと拭けばぴかぴかです。それに、お湯がすぐに沸くのにも驚いています。光熱費は以前より安くなりました。ちょっと気になる点は電磁波。この点を改良していただきたいです」
特に致命的なのは、妊婦が使用したときに、電磁波が胎児を直撃すること。電磁波は距離を取れば影響は少なくなるが、それでは料理ができない。
というようなことで、私はオール電化住宅というのは欠陥商品ではないかと考えている。温暖化防止が言われ、使用時にCO2を排出しないオール電化、発電時にCO2を排出しない原発がもてはやされているが、これは幻想である。核分裂のエネルギーによって発生する熱量のほんの一部を電気エネルギーに変換し、それでお湯を沸かすことや、その過程で放射能汚染をもたらし、危険な電磁波を発生させているのだから。
公平を期すために、「エコキュート」についても触れると、これはヒートポンプの技術を利用し、空気の熱でお湯を沸かす電気給湯器で、関西電力の登録商標(正式名称は「自然冷媒ヒートポンプ給湯器」)である。と、説明書きを引用しても私も技術的なことはよく分からないが、使用する電力の3倍以上の熱エネルギーのお湯を沸かせるということだ。さらに付け加えれば、オール電化はガスのように熱をまきちらさないので、その限りで省エネになるし、夏場などは不快な思いをしないですむ。
こうした利点を加えても、やはりオール電化は問題であるという結論は変わらない。技術は日進月歩だから、この結論を覆すような技術開発がもたらされることもあるかもしれないが、少なくとも熱エネルギーの利用に電気を使用することの非効率は変わらないだろう。 (晴)
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パトリオットミサイルを撤去せよ!
11.24 PAC−3強行配備1年市民統−抗議行動アピ−ル
本日私たちは、航空自衛隊習志野基地へのPACー3システム強行配備1年目を迎え、習志野基地をはじめ現在配備されている5基地からのPAC−3の撤去、運用訓練の中止、今後の配備の取りやめ、そして「ミサイル防衛」からの完全撤退を政府・防衛省に求めて行くことを再度確認しました。
昨年11月29日米明に私たちの反対を押し切ってシステムの一部の搬入が強行されて以来、政府・防衛省は「ミサイル防衛j を強引に押し進めてきました。PAC3を武山、霞ケ浦そして浜松に配備、さらに各務原基地への前倒し配備を決めています。
SM−3は「こんごう」によるハワイ沖での実射訓練に続き、[ちょうかい」による同じくハワイ沖での実射訓練を行いました。そして、運用面においても、1月に新宿御苑での実地調査を行い、7月11日の日米合同のミサイル防衛演習、7月28日の防衛省敷地内での移動展開訓練、9月18日の米ニューメキシコ州でのPAC−3実射訓練に続き、この11月初めには朝霞基地での実弾を装填した展開訓練を行いました。すべて地元自治体への連絡はありません。
こうした政府・防衛省の姿勢に対し、私たちは一貫して「憲法違反」「税金の無駄遣い」と批判してきました。この間のさまざまな事態は私たちの批判がまさしく的を得たものであることを示しています。
まず、米国の主導する「ミサイル防衛」は、世界の安全保障を「軍事優先」にゆがめるものです。米大統領選直後、ロシア連邦のメドヴェージェフ大統蝕が発表したカリ一二ングラードへの新型ミサイル配備は4すでに表明されているベラルーシへの同型ミサイル配備と相まって、NATO対ロシアの軍事的緊張を一気に高めるものです。同様の事態が中国との関係においても進行中です。わが国がこうした米主導の「ミサイル防衛」に、世界で唯一積極的に参加していることは、日本国憲法前文に謳われるl平和的共存権の実現への寄与」に完全に抵触するものです。
そして、今月20日に行われた「ちょうかい」によるSM−3迎撃実験の失敗は、「ミサイル防衛」が技術的に不完全なものであることを露呈させました。これまでの3回の実射訓練に15 0億円近くもの税金を費やし、ミサイル防衛全休で6兆円もの税金を費やすことは、防衛利権の問題が明らかになり、その一方で福祉や医療への歳出を連続して削減している現在、許されざることです。
主権者であり、4月17日の名古屋高裁での「空白イラク派遣違憲判決」で具体的権利として認められた「平和的生存権,」を持つ私たち平和を愛する市民は、わが国と世界の平和を脅かす「ミサイル防衛」への参加、そして、防衛利権にまみれた軍事費に多額の税金を費やすことを認めることができません。現在の「はじめに配備ありき」のミサイル防衛政策を早急に改め、国会での十分な討議、主権者の世論への付託を行うべきです。
・習志野基地のPAC−3システムの運用訓練を行わず、すみやかに撤去すること
・すべての基地のPAC−3を撤去し、新規配備を中止すること
・SM−3搭載イージス艦の運用を停止し、新規改造を中止すること。「ミサイル防衛」から完全に撤退すること
以上を強く求めます。2008年11月24日「PAC−3強行配備1年 市民統一抗議行動」参加者一同
色鉛筆「石鹸様さま・・・」
「石鹸さんはいい匂い、お菓子の匂い、お花の匂い、母さんの母さんの匂い」と童謡に歌われている様に、石鹸にはふわりとした暖かなイメージがある。そんなイメージをひっくり返す様な、同僚の体験した話。
フルタイムの非正規雇用で働く同僚(40代の女性)は、毎年雇用主側の命令で2週間仕事を”休ませられる”。この間は無給となるため、月収が16万円から半減することになる。子どもが3人とも大学生で、遠くへ出ていて仕送り中の彼女には、とても手痛い減収だ。
そこで一大決心をして、1週間だけのアルバイトに行くことを決めた。大手化粧品メーカーの下請け会社で、”化粧品の検査”というのが仕事の内容。応募してみると、「手先は器用ですか?身体は大丈夫ですか?」といった簡単な面接で、すぐに採用となった。体重40キログラムそこそこの華奢な身体の人だ。
勤務時間は、朝9時〜夕方5時半まで。昼12時から13時までの昼食休憩以外は、10時30分と15時30分に各10分間づつの休憩のみ。トイレもこれ以外の時間には行けないし、工場から外へ出ることも出来ない。
仕事は、いくつかのグループがそれぞれのラインにつき、一定の温度のお湯をタライに入れ、そこに製品の石鹸を漬けた後、タオル(やや乾いたものと湿ったものと二種類)でひたすら石鹸の表面をみがく。モタモタしていれば「遅い!」と叱られ、下手にみがくと、後で石鹸の表面にきれいに文字を入れることが出来ず、廃棄となる。
廃棄となった石鹸も、まとめて大袋に入れて一定の場所に運ばなければならないが、これが半端な重さではない。その間にも、タライのお湯を定期的に取り換えたり、タオルも交換して洗濯したりと一日中立ちっ放しで、神経も身体もギリギリまですり減らす毎日。 私の同僚は、月曜日から金曜日までの5日間だけでアルバイトを終えたが、翌日から2日間もぐったりと動けなかったという。一緒に採用された20代の女性は「もう少しがんばってみます」と言って残って働いているという。
唯一の救いは、ベテランの先輩女性たちのやさしさとたくましさ。何かと声を掛け励ましてくれて、本当に勇気づけられたという。夢や希望にあふれる若者を、そして全ての働く人を、石鹸以下に扱ってはいけないと強く思う。(澄)
私のお薦め反戦歌
ええ反戦歌に出会う
何を信じていいのかわからない、というより何も信じられない当世、結局それぞれが、根底のところで何がどう関係しあい全体をどうとらえていくのか、ということでしかないように思われる。ひとつのことをやりはじめるとすぐ、こういうことに行き着くようである。足元のどんな小さな事柄でも、そうであろう。ことの大小、軽重にかかわらず。ただ私は表現のありように少々うるさい。最近出会ったDVDイラク 戦場からの告発″の最後の串、イラクから日本へ″の中で流れるせりふ。弾を食うより米を食いたい…″という悲惨な状況を目にしたあと何とも軽やかながら重く、しかも何でもない日常を明るさをもって差し出す、ええ反戦歌を耳にする。私はこの歌を誰にでも聞いてもらいたくて、DVDを入手することにした。08 10 28
米を食う反戦歌
イラク 戦場からの告発″の最後の車の反戦歌。生きること、食うことがそのまま反戦歌になり、ズシンとした重さで迫ってくる。その軽やかさにもかかわらず。生きるためには何をやってもいいか、サギ師の横行にゴーゴリは、死せる魂″を書いた。沖縄では「魂(マブヤー)を落とした」と表現するそうだ。イラクの状況では肉体がこわされていく、一目3回にもわたる空爆で。われわれの頭上には弾は降ってこないが、日常生活はメチヤメチヤ、ささやかなが
ら私どもは反戦歌″にあるように米、炊いて食うて生きて、行こう。急がば回れ″というが、少々回りすぎているようでもあるのが、08・10・30
屋嘉節
屋憂即とは、米軍の収容所に収容された沖縄の方々が、生き抜くことのできたひとつに、転がっているカンズメの缶や釘、棒切れを拾ってサンシン(沖縄伝来の楽器、三線と書く) をつくり(カンカラさんしんと呼ばれている)これをかきならし、屋嘉節を歌って生き抜いたとか。チクシニアツヤ氏はこれぞ文化″讃えられていた。
屋嘉節
@なちかしや沖縄 戦場になやい
世間御万人の 袖ゆ濡ち
A勝ち戦さ願て 恩納山登て
御万人と共に 戦さ凌じ
B恩納山降りて 伊芸村ゆ過ぎて
今や屋藁村に ゆるで泣ちゆき
C哀り屋嘉村ぬ 暗ぬ世の鶏
親うらん我身ぬ 鳴かんうちゅみ
D無蔵や石川村 茅ぶちぬ長屋
我んや屋嘉村ぬ 砂地まくら
E心勇みゆる 四本入りたぱく
淋しさや月日 流ちいちゅさ
屋嘉節の訳1−.−語について@になちかしや沖縄″という歌詞のなちかしや″は悲しいかな″と訳されている。名訳だと思う。私ども本土の人間はなちかしや″をなつかしや″と受けとりがちで、それは過去のことを想起するのに使われるであろうし思えば‥、とも受け取りたくなる言柴である。
戦場になった沖縄のことを思えば、悲しい″思い出しかない、というのは私どもでも多くの言を待たずに想像できよう。戦争世代の私どもの通ってきた思いとは、比べられようのないひどい経験をされたことであろう。私どもですら、幼児期からよい思い出はなかったのだから、悲しいかな″という言葉に移されたのは本当に名訳だと感じる次第。
Aの心勇みゆる四本入りたぼく″…は本土でも幼い子どもがギブミーシガレット、ギブミーチョコレイト″といって群がった記憶があった。月日流ちいちゅき″は月日が流してくれる″と訳される。私どもとて思い出したくもない過去のさまざまは、時間が押し流してくれる、とあらがうすべもなく、あきらめとともに流れてゆく(今にも続いている)感覚を思い起こす。戦中・戦後、夢中で生き流されっ放し。総じて沖縄の民歌は身に沌みる。心に沌みる。この地平から起き上がりたい。 08・9・27 宮森常子
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編集あれこれ
「アイム・ソーリ」をいわずに政権を投げ出した安倍・福田の後を受けた麻生総理は、小沢の裏をかく当初予定の早期解散が出来なった。そのため、深まる一方の不況に何の対策も打てなくなり、「経済の麻生」の実体が、完全に暴露され、発足二ヶ月にして、早くも政権末期の様相を呈する支持率の低迷ぶりである。この間、漢字も読めない空気も読めない総理として、マンガ太郎は、格好の茶の間の話題となってしまった。これほど小馬鹿にされた総理も珍しい。
その意味において、第一面「広がる不況、迷走する麻生政権」は、非常にタイムリーであった。二三面の静岡空港の三度目の開港延期も、日本の今の行き詰まりを象徴するものだが、コラムの窓で触れてあるとはいえ、ここはオバマ政権誕生と日本との今後の関係についての記事が欲しいところではあった。
読書室は、アフリカの知事を掲載したことが特に良かった。私などは常日頃アフリカについては詳しい国境線はどんなものか意識していないからだ。
またまた六面立ての新聞になったことを率直に反省したい。 (直記)