ワーカーズ386号 2009/2/1
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1300人を超える大虐殺を許すな!イスラエルはガザ封鎖を解け!
昨年末の27日に始まったイスラエル軍によるガザ空爆・地上侵攻による破壊と殺戮は、3週間で1300人を超える死者を出した。攻撃は停止されたが、この膨大な死者は帰ってこないし、負傷者は元の生活を取り戻すことは出来ない。イスラエルはハマスのロケット弾攻撃を阻止するため、〝正当な自衛行為〝だと言う。イスラエルはパレスチナの破壊によって成立した国家であり、その存続のためにパレスチナを抑圧し続けている醜悪な国家である。その行きつく先は〝パレスチナの絶滅〟なのか。
米国の後ろ盾を受けてこの60年間、イスラエルは国際社会の声を無視して無法の限りを尽くしてきた。「米国製武器としてイスラエル空軍はガザ空爆に投入されている主力のF16戦闘爆撃機257機やF15戦闘機(戦闘爆撃機)78機をはじめ、多数の輸送機、ヘリコプター、多目的機を保有。さらに陸軍は700台以上のM60戦車や6000台以上のM113装甲車を揃え、各種ミサイルや爆弾、火薬、燃料、軍艦も加えると米国製兵器はおびただしい種類・量に達する」(1月23日「週刊金曜日」)
イスラエルによる〝絶滅攻撃〟によって、パレスチナは巨大な分離壁に囲まれた〝屋根のない監獄〟になりつつあるし、占領地ではイスラエル軍戦闘兵士が日常的な破壊と殺戮を繰り広げている。しかも、こうした現実はあまり報道されないので、何かパレスチナ側の〝テロ〟に問題があるかのように捉えられがちである。パレスチナ問題の本質は〝暴力の連鎖〟などではなく、イスラエルのパレスチナ軍事占領、破壊と殺戮であり、それ以外ではない。
イスラエルは今も、ウソの報道によってこうした事実を隠そうとしている。新たに、残虐な兵器とされている白リン弾の使用も浮上している。米国民の世界の人々の〝希望〟を集めてオバマが米大統領に就任したが、こうした野蛮なイスラエル軍の大虐殺を止めるためのいかなる行動もとらなかった。巨大な軍需産業の利益には手をつけないということか。
この3年間、ガザはイスラエル軍によって封鎖され、150万人もの人々が苦しい生活を強いられてきた。私たちはガザからの声に耳を傾け、その真実を知らなければならない。そして、イスラエルの国家的テロに反対し、行動によってその意思を表明し、日本政府が平和憲法に恥じない行動をとるように求めなければならない。 (折口晴夫)
“交渉ごと”から“戦略課題”へ――ワークシェアリングを考える――
未曾有の不況に直面した世界と日本。その日本でも派遣切りが拡がり、年末始の日比谷に開設された派遣村に解雇された労働者が殺到した。雇用破壊は非正規にとどまらず、正社員の削減も含めて年度末から新年度にかけて深刻度はさらに深まっている。
こうした雇用情勢の中、春闘に向けて労働者派遣法の改正問題やワークシェアリング(以下、ワークシェア)なども浮上している。これまでも何回か話題に上ったワークシェアについて考えてみたい。
■拡がる雇用破壊
厚生労働省の集計では、12月のはじめには年度内で3万人の派遣労働者が職を失う発表された。それが一ヶ月も経たない年末の時点では、年度末までに85000万人にまでふくれあがった。ということは現時点ではそれ以上、10万人を超える非正規労働者の雇用が失われるかもしれないという、という深刻な事態だ。なかには解雇が住居を失うことに直結するケースもあり、年度末までに大量のホームレスが生まれる可能性も高まっている。
非正規労働者だけではない。不況が深刻化するにつれ、個々の企業でも正社員の削減計画があいついで発表されている。すでに大手電気会社のソニーが正社員8000人と非正規社員8000人、併せて16000人の人員削減を発表している。他にも金融機関や製造業などで早期退職者の募集など、正社員のリストラに乗り出している。こうした正社員のリストラを含む人員整理は、新年度以降、増える可能性が指摘されている。それだけ直面している世界不況の谷が深くて長いことが見込まれているからだ。
たとえば製造業の代表企業、自動車メーカーの業績見通しだ。
すでに多くの期間社員の削減を進めている自動車メーカーだが、新年度以降も業績回復の見通しは描けないでいる。たとえば07年度に2兆円以上もの営業利益をあげて業界のトップメーカーになったトヨタ。昨年末の22日の発表によれば、世界生産は年間887.3万台から792.0万台(修正前)に減産、業績見通しは、09年3月期で1500億円の営業赤字、10年3月期は1兆円の赤字、11年3月期は7000億円の赤字を見込んでいる。ホンダや日産も今年の3月期はなんとか黒字だが、10年3月期は両社とも3500億円の赤字の見込んでいる。
こうした業績の落ち込みは、むろん自動車メーカーだけに限らない。今新聞などを見ると、毎日のように減産や希望退職の募集など人員削減のニュースが目に飛び込んでくる有様だ。こうした動向は新年度以降、さらに深刻化するだろう。
■再び浮上したワークシェア
雇用危機が拡がるなか、労使双方からワークシェアの導入などの声も聞かれるようになった。
今年に入って1月8日の労使フォーラムで経団連の御手洗会長が「緊急的に時間外労働や所定労働時間を短くして、雇用を守ることを検討する企業が出てくるかもしれない」と発言し、ワークシェアに言及した。連合も高木会長もそれに先立つ5日の記者会見でワークシェアに言及している。
しかし経団連や連合によるワークシェア導入の声はすぐ下火になった。双方の思惑がすれ違い、直ちに導入できる状況にないからだ。それぞれ傘下に抱える企業や単組に消極的な声があるからだ。日本でも世紀の変わり目にはこうしたワークシェアが注目され、実際にいったんは労使で一定の合意がなされた場面もあった。
そのワークシェアはもともとは1980年代の不況下の欧州で失業対策として脚光を浴びたものだった。言葉の意味は、「仕事を分かち合って雇用を増やす方法」「雇用を増やすためにを制限する方法」だと解釈されている。かつての日経連はそうしたワークシェアの類型として「緊急避難型」「雇用創出型」「多様就業対応型」「中高年型」の「四形態」を分類している
ワークシェアといっても本家の西欧でも形態は様々だ。
たとえば週休2日制から3日制へ、週36時間から週28.8時間に労働時間を短縮することで余剰人員の解雇を避けた「雇用維持型」のドイツのフォルクスワーゲンの実験だ。VXでは労働時間を20%短縮するかわり賃金を10%カットして、車の価格も5から0%引き下げた。また政労使合意によってフルタイムとパートがともに正社員として均等待遇される「オランダ方式」、それに法律を制定して「週35時間労働制」に移行したフランスなども有名だ。それらの国では、失業に対する闘いの高揚を背景として、政・労・使の三者による「社会的合意」としてのワークシェアが導入されていった。その特徴は、政・労・使の合意であること、しかも何らかの法制定も含め、個別企業を越えた社会的規模で導入されてきたことだ。これらは労働者の永年の闘いの蓄積や、社会的な合意形成が可能な労働システム、労資関係を背景として実現したわけだ。
日本ではどうだったか。
具体例を挙げると、01年10月に実施されたTOWA(京都市)では、金曜日を休業して週休三日、最終の金曜日は有給休暇でそれ以外の金曜日は基本給の20%カット、結局月に3%の賃金カットになった。02年4月から実施された三洋電機では、月間最大で38時間、年間460時間の時短で基本給は最大20%カットだという。機械金属労組で構成するJAMも同年の2月の中央委員会で、「雇用維持」を条件として1時間の時短に対して5%の賃金カットを認めるワークシェア案を採択している。
こうした当時の経緯を観ると、はっきりしてきたことがある。それは「日本的」なワークシェアの導入例としては、いわゆる「緊急避難型」のワークシェアに限定されている、という特徴だ。「緊急避難型」のワークシェアとは、生産の縮小などで余剰になった労働者を解雇する代わりに時短によって解雇を避けるものだ。この場合、多くは賃下げが組み込まれているのが実態だ。
こうした「緊急避難型」ワークシェアは、以前は連合もワークシェアとは認めず「雇用調整」でしかないと反発してきた。しかし人員削減の拡がりで追い込まれた連合は、反発の建前も投げ捨て、ワークシェア導入にあたって賃下げを容認する方針を打ち出すに至っている。はじめは反撥のポーズを取りながらも、いざ実施段階になると簡単に譲歩するというお定まりのパターンの繰り返しだった。現に、経営者側は一時帰休などよりワークシェアのほうが総額人件費を削減できると考え、ベースアップどころか「賃下げ」さえ迫られている防戦一方の連合は、春闘の目玉としてワークシェアに飛びついた、というわけだ。
こんないきさつを考えれば、連合や個別企業の労使協議などで失業者の削減に結びつくようなワークシェアの実現など期待すべくもない。
当時もそうだったが、今回も経営側が考えるワークシェアというのは、あくまで自分の企業の正社員の間での仕事の分かち合いでしかない。不況で人員削減をするのは、それだけ労働者の反発を招くし社会的な批判も浴びるし割増退職金の負担も大きい。また一時帰休でも賃金は9割がた保証しなければならないのが通例だとされている。だったらワークシェアという名分では譲歩しても一時帰休以上の賃下げが実現すれば、企業はより大きいコストダウンできる、というわけだ。
それに対して連合などは、企業側の思惑を押し切って労働者に有利なワークシェアの導入を実現するだけの力と気迫もない。連合トップは花火を打ち上げても、実権がある傘下の単組は企業危機にひたすら頭を縮めてやり過ごすしか考えていない。本音としては、むしろそのための調整弁として派遣労働者を位置づけてきたのが実態だからだ。
■“交渉ごと”ではなく“戦略”として
いうまでもなく、本来のワークシェアというのは雇用調整の方便ではなく、好景気でも不景気でも掲げるべき全労働者共通の積極的で戦略的な課題である。当然のことだが、「仕事の分かち合い」という考え方に内在するのは労働者の連帯原理、連帯意識であるはずだ。こうした連帯原理で考えれば、雇用破壊が進んでいるという目の前の状況を考えれば、いま必要なのは失業した非正規労働者と正規労働者の間での仕事の分かち合いである。
といっても、これはあえてワークシェアといわなくてもいいはずの労働運動での基本的な課題の一つにすぎない。単に長期間労働を余儀なくされる労働者が、本腰を入れて労働時間短縮の闘いを推し進め、それを実現しさえすればいい話である。労働時間の短縮を勝ち取れば、企業は長労働時間の是正で足らなくなった労働力を新たに採用しなければならなくなるからだ。本来はこれらを平準化するだけでそうした双方の労働者の大部分の労働環境は劇的に改善するはずである。それはなにもワークシェアなどと特別の方策などを持ち出さなくてもいいはずだ。
しかし、残念ながら日本の現状はそうなっていないところに大きな困難がある。
そうした原則論はさておくとしても、たとえワークシェアの導入をめざすにしても、少なくとも、二つのハードルは突破する必要がある。一つは企業内に限られたワークシェアではなく、社会的なワークシェアを実現することである。一つの企業内でのワークシェアは、単なる雇用調整の方便にされやすい。二つめは、長時間労働と非正規労働者の相殺としてのワークシェアだ。これは正規労働者と非正規労働者の共通した闘いが伴って初めて前進する課題でもあり、当然一つめの課題と裏腹の課題でもある。
こうしたものでないワークシェアは、結局は失業者や非正規労働者を調整弁とする正規労働者だけの雇用維持にならざるを得ないからだ。そうしたワークシェアは、どんな類型であっても、多くの労働者からの支持は得られないし、正規労働者のエゴと言わざるを得ないものだ。
繰り返すが、今必要なのは、正規労働者の長時間労働と非正規労働者の雇用破壊をシェアすることだ。ワークシェアとは単に労使の“交渉ごと”ではない。それは労働者の雇用に関する中長期的な“戦略”的な闘いの問題だ。それは単に春闘という時局的な闘いではなく、労使の交渉のテーブルにのせることが目的でもない。たとえ経団連や連合が及び腰であっても、現状の雇用危機が拡がる実情を見れば、ここで労働者の総意での雇用確保の闘いは不可欠だ。
いまに始まったことではないが、ワークシェアの導入も、連合・大手労組主導では闘いは進まない。非正規労働者自身の闘いを突破口に、長時間労働と劣悪な雇用に風穴を開けていきたい。(廣)
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〈寄稿〉世界大恐慌と 歴史の転換点 ②北山 峻
(2)製造業などの実体経済への拡大
金融恐慌の世界的拡大の中で、消費者である一般民衆にとっては高額な買い物である住宅の不況に続いて、世界最大・350兆円の市場規模を持つ情報技術(IT)産業に続く300兆円規模の市場を持つ(しかしガソリンや保険などの周辺産業を含めれば06年でおよそ500兆円になり世界のGDPの1割に達する)現代世界工業の主役である自動車の、販売台数の急激な減少が世界を直撃しています。
世界の自動車の新車販売台数は07年で約6500万台、そのうちの55%に当たる3630万台が米・欧・日の市場で販売されていましたが、09年度にはそのうちの25%、9百万台前後減ると見積もられています。(それぞれの予測は、アメリカ:07年1600万台↓08年1350万台↓09年1090万台、欧州:07年1479万台↓08年1360万台↓09年1200万台、日本:07年512万台↓08年486万台↓09年450万台です。)(日経新聞12月19日)
このような自動車不況の中で、欧州ファイアットのマルキオーネ最高経営責任者が、「今後2年間で生き残る主要メーカーは世界で6社」と発言したそうですが、たしかに今後世界的規模で自動車資本間の激烈な潰し合いが始まるでしょう。
なんとしても急激な没落を回避し、国家の総力を上げて自動車産業を立て直したいアメリカが5兆円の国家資金をビッグ3に投入すると言われているのに対抗して、フランス大統領のサルコジは、16日の欧州議会で「このままではEUは産業の荒廃地になる。世界でEUだけが製造業を支援しないわけにはいかない。」と演説し、自動車産業などに対する支援策を拡充する方針を示したと報道されていますが(日経;19日)、これと期を一にしてフランスのルノー社の子会社である日産自動車のカルロス・ゴーン社長は15日、日本の主要メディアを集めた懇親会で、動きの遅い日本政府が日本の製造業のために早急に対策を立てるべき(=つまり自動車産業に金を出せ)という大演説をしたようです。(日経;16日)
ついでに言えば、サルコジの大演説は重要な点で舌足らずであると私は思います。それは何かというと、正確には「このままではEUは産業の荒廃地になる」ではなく、「このままではEUはアメリカに続いて産業の荒廃地になる」というべきだったのです。かつて、アメリカに史上空前の隆盛をもたらした鉄鋼・石油・自動車・造船・航空機・化学などの重要基幹産業の中で、今でもかろうじて栄光の陰をとどめているのはわずかに石油と、軍事力と緊密に結びついている航空宇宙産業だけで、かつての鉄鋼王カーネギーの支配した鉄鋼の街ピッツバーグはもうすでに鉄さびに覆われた寂れた街となり、かつては大衆車のT型フォードによって世界の自動車産業を牽引した自動車の街デトロイトも、今ではリストラの嵐が吹き荒れて北風が身に染む過去の街となりつつあります。造船などに至っては今では世界造船量の9割が中・韓・日の東アジア3国に集中し、アメリカ全土から影も形もなくなってしまっています。食品・薬品・化粧品・繊維などを支配した化学産業もその中心は今ではすっかりアジアに移ってしまいました。
唯一今もアメリカが世界最強である「平和的な」産業は石油だけですが、この分野でも、サウジアラビアを抜いて世界一の原産国になったばかりか、近年世界一の埋蔵量を持つ天然ガスの生産の増大とドイツやポーランドナドなどのEUへの供給によってEU諸国との連携を強化しているロシアや、国内の石油資本を統合し、英米のメジャーに対抗し得る三大巨大石油資本を育成して、カスピ海の大油田カシャガンに至る3000kmにおよぶパイプラインを建設し、反米のチャベス政権やルラ政権との連帯を強めてベネズエラやブラジルの大油田からも石油を輸入し、さらにアフリカ諸国など世界の40カ国以上の国で石油採掘事業を行っている中国によって、アメリカの優位はいまや風前の灯となっています。
つまり世界の工業の中心地は今でははっきりと中国・インド・アセアン・日本・韓国を中心としたアジアに移行し、アメリカはもうすでに「産業の荒廃地」となっているのです。
レーニンが「帝国主義論」の中で、世界の鉄道敷設の進行状況を世界経済分析の重要な指標にしているのに倣って、経済学者の降旗節雄氏は、かつて、現代世界の経済分析の指標としてはレーニンの時代の鉄道に代えて自動車にすべきと述べていましたが(「現代資本主義論」社会評論社刊 p109 )、確かにガソリンをぶち撒いて走る悪名高いアメ車とコーラとハンバーガーそしてハリウッド映画は、20世紀のアメリカによる世界進出・世界支配の象徴でした。そしてこの間どんなことがあっても石油と自動車だけは世界一を維持したいとして、アメリカ経済界を挙げて努力してきたにもかかわらず、これがいまやビッグ3の経営破綻によって劇的に終焉しようとしているのです。アメリカ時代の終焉を象徴する出来事でしょう。
だがその反面、日米欧の自動車が世界の新車販売の55%ということは、残りの45%は、韓国や中国やインドなどの新興国の自動車産業が占めていることを示しており、世界的には、韓国の現代自動車や中国の上海通用汽車、東風汽車、一汽大衆汽車や、さらに2500ドル(25万円)の乗用車の発売で話題になったインドのタタ自動車などの新興国の自動車会社が欧米資本に対抗して急速に市場規模を拡大し追い上げてきていることを示しています。
今後10〜20年の間に、安価な大衆車は新興国の自動車に次第に圧倒されるばかりか、高級車でも、今後は世界でいち早く開発と大量生産に成功してトヨタを世界一に押し上げたハイブリッドの電気自動車に続いて水素電池車が主流となると予測されていますから、これらの対応に遅れるならば、GMやフォードばかりでなくトヨタやホンダなどの日本企業やベンツやルノーなどの欧州企業を含めて、今世界で過半を支配しているいわゆる「先進国」の自動車資本は、新興国の自動車資本との競争に敗れて次第に駆逐され、支配的な地位を失っていくでしょう。
今年度下期だけで1900億円の赤字を出し、自動車レースの最高峰フォーミュラ・ワン(F1)からの撤退と新しい車(水素電池車)の開発に全力を集中すると発表したホンダや、世界3位の半導体メーカーでありながら、半導体不況で今年度半導体だけで1000億円の赤字を出し、今年度の全業績でも赤字に転落する東芝は、一方で北九州工場や大分工場、四日市工場などの半導体工場を休止しながら、他方で将来的な電気自動車の増加をにらんで300億円を投じて柏崎にリチウムイオン電池の新工場を建設すると発表していますが、これらは共に近い将来を見据えた激しい生き残り策なのです。ちなみにリチウムイオン電池の世界最大手は松下と合併する三洋電機、第2位はソニーでそれぞれすでに増産体制に入っていますから、この分野での競争もさらに激化すると報道されています。 さらにいえば、中国では大手電池メーカー傘下の自動車会社である比亜迪汽車(BYD)が、世界で初めて家庭用電源で充電できるプラグインハイブリッド車を発売しているのです。そして、太陽光発電での電気自動車の開発に賭けてきたアメリカの著名な投資家のウォーレン・バフェットがこれに目をつけて、すでにBYDに投資しているというのです。さすが目が早いというべきでしょう。 いずれにしても現在世界で12社といわれる先進国の大手自動車メーカー間の生死をかけた生存競争の激化と、しかしそれでも全体としての没落が段階を画して進んでいく時代が到来したといえるでしょう。
後になって振り返ってみたとき、最近GMが創立百周年を迎えたそうですが、新たな百年はまったく新しいアジアの世紀になるでしょう。今回のビッグ3の破産劇はその象徴的なプロローグ(幕開け)であったと、世界は後になって振り返ることでしょう。
その劇はもうすでに幕を開けているのです。
パソコンやデジタルテレビや携帯電話などの電気機器、二酸化炭素追放キャンペーンの中でクリーンなエネルギーとの大宣伝と共に世界中に拡散する原子力産業(人類にとってはきわめて危険だが、しかし巨大企業にとっては膨大な利益の源泉)、ロボット産業、航空宇宙産業、生物・医療・化学産業などと並んで自動車産業は、二十一世紀の世界においても依然として重要な花形産業であり続けることでしょう。
だから、この自動車産業において落伍することは、とりもなおさず先進的な科学技術において完全に二流国に転落することを意味していますから、アメリカにとってもフランスにとっても自動車産業を救済することは、国の将来を左右する問題でもあるのです。今後の日本や中国やロシアやインドなどの政府の対応を、この点からしっかり見ておく必要があるでしょう。
また、今ブッシュが行い、ついでサルコジが行おうとしている自国企業に対する大量の税金投入による支援という露骨な保護主義の動きは、一方では人民からの大収奪とコインの裏表の関係にありますから、これを許すならば、アメリカやフランスの人民は、バブル崩壊後の「失われた10年」、小泉=竹中の「規制緩和と新自由主義」の結果として、日本人民が今タラフク味わっている大収奪と格差社会の拡大という苦汁を飲まされることでしょう。
これに対して、時には牛のように従順であったり、時には「純ちゃーん」などと間違えて大声援を送ったりした我が日本人民とは違って、民主主義の本家と自他共に認めるフランスやアメリカの人民は果たしてどのような闘いを見せてくれるか、勧進帳を見るときのように興味津々でもあります。
(3)世界恐慌の深淵の底はどこか
「レボルブする世界」でも述べましたが、国際決済銀行(BIS)によれば、2006年末での世界のOTC(over the counter=公設の取引所を通さず自由に相対で取引される)取引の残高は415・0兆ドル(当時の為替レート1ドル=105円で計算すると4京3575兆円)もあり、取引所を通す取引残高を加えると実に6京円という、実体経済の12倍を超える天文学的な数字になっていました。 これはどういうことかというと、当時の約50兆ドルの実体経済を基礎にして、例えばサブプライムローンのように、その中で発生した債権を小さく分割し、それを数種類組み合わせて証券化し(なぜ組み合わせるかというと、そのうちのどれかが不良債権となっても他が健全であれば損害は少ないから)、それをS&P(スタンダードアンドプアーズ)やJCR(日本格付け研究所)などの各国の「格付け機関」が「賄賂」によって優良証券とのお墨付きをつけて高利回りで市場で売り出したり(債権の証券化)、様々な先物取引やオプション取引、2007年末で60兆ドル(約6000兆円)の想定元本を持つと言われる悪名高いCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などのスワップ取引などの沢山のデリバティブ(金融派生商品)を開発したりすることによって、それらの債権に次々とレバリッジ(leverage=てこの作用)を効かせて最終的に12倍に膨張させたのです。 一般に、物やサービスなどの総体である実体経済とそれを媒介する手段である貨幣は、厳格には1対1に対応するものですから、社会の中で貨幣が濫発されて貨幣流通量が増えればインフレになってその分貨幣価値が減少し均衡を回復していくわけです。しかし実際の社会では、貨幣は蓄蔵されたり、取引の中で一時的に滞留したりしますから、実体経済の価値よりも多いのが普通ですが、しかし従来はどの社会の中でも実体経済の2倍を超えることはないとしたものです。もし貨幣量がそれ以上に増大したならば急速にインフレになり貨幣価値が減少して均衡が回復されるからです。 このようなアメリカ発のデリバティブが開発される以前の1990年で見てみると、この年の株式時価総額・債券発行額・預金を合計した世界全体の金融資産の総額は、世界の国内総生産(GDP=実体経済)の1・7倍でしたが、2006年末には金融資産の総額は152兆ドル(1京5960兆円)もあって、GDPの3・2倍になっていました。この間増えた貨幣量の80兆ドル(およそ9000兆円)は、基軸通貨がドルである特権を最大限に利用してアメリカがドル紙幣を大濫造して、世界中からモノを買いまくってジャンジャン消費していたことを示しています。
これだけでも、国際基軸通貨であるアメリカのドルは、少なくとも40%は、その価値を切り下げなければならないわけですが、しかし腐敗した「禿たか資本」であるアメリカの金融資本や、これに対抗するヨーロッパや日本などの金融資本は、金の裏付けのない管理通貨制度であることを悪用し(つまりドル紙幣は金の裏付けのないただの紙切れで、それをアメリカの軍事力と経済力で保証して世界中で通用させているだけなので、金の裏付けなしに好きなだけ増刷できるということ)、逆に最大限にレバリッジを利かせて、仮想世界の金融流通量を世界の実体経済の12倍までも膨張させていたのです。
これが破産したとき(=今それが現実化しているわけですが)どのような結果になるか、第1には、ドルが少なくとも40〜50%切り下げて実体経済との均衡を回復するか、または第2には、この間金融資本によって乱発された金融派生商品そのものの少なくとも80%を不良債権として廃棄することによって実体経済と金融資産との関係を元の形に戻さなければならないわけです。 このことが現実の世界恐慌の中で進行している究極の内実であり、そこが世界恐慌の「深淵の底」でしょう。
だからわずかこの一年間(昨年末対11月末)に世界の株式市場では、ロシアが70%、上海が65%、インドが55%、香港、シンガポール、イタリアが約50%、日本、韓国、ブラジル、ドイツ、フランスが約45%、イギリス、アメリカが約40%、株価を下落させ、世界の株式時価総額は1年で30兆ドル(2700兆円)が消失しました。この結果、この間まるで「牛に対抗しようとして自己を膨らましてついにはパンクする」おとぎ話の中の蛙のように、仮想金融の世界のデリバティブを利用して自分を目いっぱい膨らまし、新興国の資源を中心とした世界中の株式に大量に投資しそれらの株価を吊り上げてぼろ儲けをしていた日米欧の巨大な投機資本が、バブルの崩壊によって逆に投売りを食い、世界中の株価が一斉に下落したためにどこへも逃げ場がなくなりこの数ヶ月の間に「逆レバレッッジ」を食らった形で大変な大損をしたのです。それで様々なヘッジファンドばかりでなく世界有数の投資銀行や証券会社がわずかの間に相次いで破産状態に追い込まれたのです。 大体が、1996年のGNP(国民総生産)が、7兆4335億ドルであったアメリカが、9年後の2005年度には12兆9129億ドルになった(データブック・オブ・ザ・ワールド1999・2008)ように、わずか9年間で2005年の日本のGNP(4兆9765億ドル)や、フランス(2兆1692億ドル)+ドイツ(2兆8756億ドル)をはるかに凌ぐ、5兆4794億ドルも実体経済(生産)の規模を増大させたというおとぎ話を信用する人は誰もいないでしょう。
実際にはこの間アメリカは、食品や繊維などの軽工業ばかりでなく鉄鋼や自動車から化学繊維・化学肥料などの重化学工業においても実体経済の分野では競争力を急速に衰退させ、生産財から庶民の生活物資にいたるまでのあらゆる物資を海外からの輸入に大きく依存しながら、他方では、まるでマジック(手品)のように「最新」の金融工学(デリバティブ)によって蛙のように自らを膨らましていたのです。 この虚飾に満ちた姿こそがこの間のアメリカの「繁栄」の真の姿だったのです。
だから、「IT革命」や「デリバティブ」などの、その虚栄に満ちた幻想の10年が崩壊した今となっては、アメリカはバブルによって少なくともこの10余年間に膨らました5兆ドル(500兆円)のGNPを失い、40%前後の経済規模の収縮と産業構造の縮小再編を余儀なくされ、身の丈にあった資本主義国へと変わっていかざるを得ないでしょう。
しかし、いったん身についた悪癖を克服することはなかなかできないことで、それぞれ年間50兆円にも及ぶ巨額の貿易赤字と財政赤字といういわゆる双子の赤字も、一朝一夕で解決できるような代物ではありませんし、軍需産業ばかり肥大化して牙や爪ばかり異常に発達した特異な怪物のようになったアメリカの経済構造を、短時日のうちに大改革して、民需中心の健全な産業構造に変えることはきわめて困難な事業ですから、それに取り組もうとしても逆にその怪物の逆襲によって、オバマなどは短時日のうちに吹き飛ばされてしまう可能性のほうが大きいでしょう。
アメリカの経済危機は、今後アメリカの社会的危機を亢進し、労働運動や反貧困の民衆運動の高揚をもたらすでしょう。総人口のうちの14%を占める黒人の25%が、13%をしめるヒスパニックの21%が失業している現状から見れば、これらの層が、人口の過半を占める白人の貧困層(失業率8%と報道されている)とどのように共闘体制を築けるかが、今後のアメリカの改革の方向を左右するものとなるでしょう。
注目し、支援していきたいものです。 (次号に続く)
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スリランカ通信 戦争ビジネスと言論抑圧
先日、1月11日私の妻が涙でくしゃくしゃになった顔をして私のところへ来た。親戚の者が死んだという。
よく聞くと、死んだのは長兄の25歳の末息子だという。病気か事故かをたずねると、アリマンカダで戦死したとのこと。そういえば長兄は息子の仕送りで最近家を建てたといっていたのを思い出した。
アリマンカダはスリランカ北部ジャフナに位置し、LTTE(タミール・タイガー)と政府軍の戦闘地域だ。1500名の政府軍兵士が死亡したという。これだけの大きな被害だから、さぞ新聞に大きく報道されてるだろうと、翌日の新聞を見たが、一面はおろかどこにも載っていない。テレビを見た人はナレーションなしのテレビ画面の下の方に小さな字幕スーパーが流れただけだという。
いつものことだが、「勝った、勝った」報道は派手に扱われるが、政府側の被害は報じられない。日本の「大東亜戦争」(カッコつき)時の大本営発表と同じだ。真実に近づこうとする者は命がけだ。今回は「サンデー・リーダー」紙の編集主幹が射殺され、テレビ局が打ち壊され、ポスターを貼ろうとした反対党員が警察に拘束された。
国民の間に厭戦気分が蔓延するのを軍や政府ボスは極度に警戒している。LTTEと休戦協定をすべきだとする人や、彼らの自治を認めるべきだとする人は今や非国民扱いだ。 新親者は死体がもどってくると、現実の厳しさを実感するが、多少の見舞金とつかの間のヒーロー扱いで沈黙してしまう。
選挙では再び政治を食い物にする者達が選ばれる。戦争ビジネスは若者達の生命とひきかえに継続しつづける。
しかし、今のように物価高が進行し、貧困層が増大し、若者の就職先が閉ざされ、言論が封殺されると、かって1980年代後半にJVPが反乱を起こしたような事態が再発する可能性がある。(K・M)
反戦通信-23 「沖縄・不発弾の恐怖」
1月14日、沖縄県糸満市小波蔵で沖縄戦中の米軍の不発弾が爆発し、けが人が出たとの報道があった。
戦後63年余、本土の私たちはもう戦争の遺物とは無縁の生活を送っている。ところが沖縄ではいまだに、沖縄戦の遺物=不発弾の恐怖に日常生活が脅かされている。
爆発は午前8時40分頃で、水道管工事のために建設作業員のAさん(25歳)が重機で堀削していたところ、不発弾に接触して爆発してしまった。幸いAさんは命をとりとめたが、爆風で顔や胸などに重傷を負った。
今回爆発した不発弾は、直径約35センチ、長さ120センチの250キロ爆弾(沖縄戦で米軍が最も使用した爆弾)だ。爆発現場から約700メートル離れた畑まで爆風で飛んだとみられる石がビニールハウスのパイプにぶつかり、パイプが折れ曲がる被害が出た。
事故現場から約50メートルのところにある「特別養護老人ホーム」では、窓ガラス約100枚が割れ、居室や玄関のドアなどが風圧でゆがんでしまい開かなくなるなどの被害も出た。事故発生時間には入所者約150人の大半が食堂で朝食中のため居室にいなかったという幸運も重なり、軽傷者1名と奇跡的に人的被害は少なかった。
米軍は沖縄戦において、約20万トンの爆弾を落としたり打ち込んだと言われている。軍事常識として不発弾の確立は5%だと言う。そうすると沖縄には約1万トンの不発弾が存在することになる。これまでに約7000トンの不発弾が処理されたと言うから、今なお約2500~3000トンの不発弾が地中などにあると推定される。不発弾処理に当たる陸上自衛隊は、毎年年間約30トンの不発弾を処理しているようで、すべてを処理終わるには「まだ80年~100年かかる」ことになる。
今回の事故による物損被害額は、概算で8151万円で、さらに今後増える見通しだと言う。また、事故の被害者に対する「被害補償制度」がなく、過去の不発弾事故では国が国家賠償に難色をを示した経緯があるため、補償問題の解決には時間がかかりそうだ。
糸満市はこれまで、市発注の道路整備事業では不発弾の有無を確認する磁気探査をほとんど実施してこなかったと言う。理由としてはこれまで工事中の不発弾発見事例がないことを挙げているが、今回の事故を受けて「今後は磁気探査を実施していく」と述べている。
しかし、「過去には磁気探査後にさらに深い地層から不発弾が出てきたケースもあり、磁気探査の精度も影響する」との指摘もある。
すべての不発弾処理費用は全額国庫負担にすべきなのに、公共工事の不発弾処理だけは来年度からようやく全額が国庫負担になった。しかし、民間工事は対象外である。不発弾の約4割は民間工事で見つかるという。一方の探査調査費の国の補助率は、農林省の場合は90%、国交省は沖縄振興法で公園工事50%、区画整理60%、下水道工事60%となっている。
今回の事故を受けて南部市町村会は、国に対して「不発弾処理費用の全額国負担、磁気探査の完全実施、被害者への補償制度の確立」などを政府に求めている。
関係者は「糸満市の事故は、激戦地だった南部ではどこでも起こりうる問題」と、「不発弾は国が起こした戦争による”負の遺産”。事故を教訓にして、国に強く訴えないといけない」と危機感を募らせている。
沖縄戦の遺物である不発弾処理は当然国に大きな責任がある。ところが、1972年の復帰以降、処理費用の半額を市町村に負担させてきた。国は責任放棄してきたと言われても仕方がない。
不発弾処理にこれからまだ80年以上もかかる。国が不発弾処理に本腰を入れて取り組むこと、また不発弾の発見・処理の費用はすべて国負担とすべきである。(富田英司)
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〝太る〟ということ、について
ベトナム戦争のとき、アメリカ国内の若者たちの反戦デモの中に、黒人の学生だったと思うが〝私は5kg太りました〟というプラカードをかかげ、自分の体を棒に縛り付けてデモの隊列に加わっていたのをけげんに思ったことがあった。キリスト教の原罪の一つに食欲というのがあり、仏教の修行にも食欲に打ち克つというのがある。
キリスト教にしても仏教にしても欲望の否定に立つ。老いた女性(主に)に太ったご婦人が多いようだが、それは老いて欲望が食べることに限られてくるからではなかろうか。体調をこわすからメタボ退治が宣伝される。そして、〝食うな〟というぜいたくな、そしてストイックな療法。
結論から言うと、私は欲望の肯定に立つ。さまざまの欲望(衣、食、住の他に好奇心と言い換えてもいいだろう)をもち実現していきたい。憲法24条の生存権とは、〝世の中は食うてたれて寝て起きて、さてその次は死ぬばかりよ(一休さんの狂歌)〟プラス〝生活を楽しむこと〟の心性から生ずる様々な対象への意味‐文化を持つこと、と私は理解している。
逝って6年になる友が、生前エピキュリアンであったことをやっと理解することができるようになった。何かをやろうとする時私は過程を楽しみたい。耐えてばかりの努力は持続しがたいだろう。欲望否定の対極的な位置に立った人に親鸞や一休さんがいた。私は欲望の中にさまざまの種類の欲望(好奇心といってもいいだろう)を含める。
私ども戦中、戦後を生きた世代は〝食う〟ことばかりで、およそ自分の好きなことは何かも考えられなかったから、いまだに好きなことを探しあぐねているような気がする。ただ一つ言える事は、何事でも思惟することを抜きにしては、どうもおさまりが悪く、その上で実践に移ろうとするのが私の生きるスタイルである。
実践は具体的なものであり、目前の問題、〝定額給付〟の問題に対する私の姿勢は、大阪市民として大阪府知事の打ち出した方針に賛成する。年金生活者ながら一応衣食住は今のところ可能だから、〝給付金〟は、喜んで受け取って、そっくりそのまま大阪府に差し出す所存。それも今の私には出来ることであるから。
ついでにメタボ退治にもなろうから。太りすぎて体調こわしているから、私自身の食事療法などのプランを作った。節約にもなりそう。現在の状況の中で、こんなことでいいのかな? 09・1・10 宮森常子
紹介 首都破綻 著者 後藤雄一 発行所 株式会社日本評論社
税金のムダ使いを厳しくチェックしている、東京都議会議員の後藤雄一さんの著書「首都破綻」を紹介します。
その前に後藤雄一さんの経歴を紹介します。1949年東京の世田谷に生まれ、成蹊大学経済学部卒業、凸版印刷株式会社に就職、脱サラしてパン屋を始めます。83年役人や議員のムダ使いをチェックしていき、85年「世田谷行革110番」を結成します。96年東京都庁の不正摘発に着手、都幹部職員から8億1000万円の食糧費を返還させました。2001年東京都議会議員に初当選、現在2期目です。
後藤さんは、ウッドペッカーという名前のパン屋をやりながら、東京都議会議員として、税金のムダ使いを許さない活動をしています。その手段としては、情報公開請求や住民監査請求、裁判、議会での質問などです。
石原都政のズサンな計画で破綻寸前の新東京銀行!
この本は、石原都政が作った新銀行東京のズサンさについて述べています。2005年4月に新銀行東京ができましたが、初年度から209億円の損失を出していますし、2008年6月で、累積赤字が1016億円にもなっています。2008年3月、新銀行東京は累積赤字の原因を分析した「内部調査報告書」を石原都知事に渡したのですが、石原知事は読み終えたので返却した、つまり現在この文書は都に存在しないと言っています。本当でしょうか?責任追及を逃れるために屁理屈を言っているだけのように思います。
オリンピック招致経費何と150億円!
2016年に東京でオリンピックを、と石原都政ははしゃいでいます。しかし、招致費用だけで税金から100億円、民間から50億円ものお金をつぎ込んでいます。一方、東京都児童博物館や多くの小中学校が倒壊の危険性があるにもかかわらず耐震補強をしていません。1日でも早く、補強工事を行うべきです。 都民の税金は、こういうところに使われるべきです。
都立病院の職員の飲酒事件を調べに病院に入ったら告訴された
後藤さんは、都立府中病院の職員の飲酒について調べるために病院に入ったら、なんとそこから2年8か月も経ってから病院長から「建造物侵入罪」で刑事告訴されました。後藤さんは、都議として都立の病院に調査に出向いたのであって、病院側の許可を得て建物内に入っています。これは結局、「嫌疑不十分」で不起訴処分となりました。
議員の政務調査費なんと 月60万円!
東京都議会議員は、報酬の他に政務調査費として月に60万円も支給されます。この政務調査費は、議員としての調査研究に使うべきものです。しかし、これが飲食や観光などで使われているケースが多いです。このような中都議会はやっと、今年の4月1日から1円でも領収書の公開を義務付けることになりました。一歩前進です。
今年の7月は、都議会議員選挙です。税金のムダ使いを許さない後藤雄一さんの再選を期待しています。(河野)
「長編ドキュメンタリー映画 ひめゆり」 柴田昌平監督作品(2006年)
何と美しい人たちだろう。語られる血みどろの戦争体験とは裏腹に何ときれいな表情をしているのだろう―― それが私の第一印象だった。宝石や化粧によるものではない。内面からの崇高な輝きの様なものを感じた。
沖縄戦でのひめゆり部隊については、すでに何回か映画化され語り継がれてもきた。この映画は、1963年生まれの監督が改めて今に生きる元ひめゆり部隊の女性たちと、1994年から2006年までじっくり向き合い作り上げたドキュメンタリー映画だ。記録した証言は100時間以上。それを2時間10分にまとめている。 第一章『戦場動員と看護活動』 第二章『南部撤退から解放命令』 第三章『死の彷徨』と時間を追って、1945年6月23日沖縄戦の終わりの日、証言者の言葉を借りれば「生き残される」までを、22人の女性たちが静かに、あるいは苦しみながら語る。ドキュメンタリー映画に特有のナレーションは無い。それだけに女性たちの言葉がまっすぐで観る者に伝わってくる。10代の少女にとって、体験したことがあまりに酷くつらいため、今だに名乗り出られず胸の奥に抱え込んだまま亡くなってゆく人も少なくない。映画完成後の今も、監督らは新たな証言者を捜し聞き取りを続けているという。
当時の映像から、アメリカ軍の攻撃のすさまじさ、圧倒的な武器の量が伝わって来る。その前では沖縄の民間人は“丸裸”同然だ。1945年3月23日にアメリカ軍が沖縄本島への艦砲射撃、空爆を開始。この日、15歳から19歳までの女学生222人は「赤十字の旗のもと、安全な場所での救護活動」だと思い込んで、引率の18名の教師とともに動員された。待っていたのは戦場の最前線であり、壕掘り、負傷者の看護、伝令、飯あげ、ありとあらゆる雑用。蒸し暑い中、傷口にわく蛆虫との闘い、手足の切断手術、死体処理――。初めは「兵隊さん、こんなに遠くまで来て死んでしまってかわいそうに」と泣いて作業をしていた少女たちが、一週間後には涙も出なくなる。切断されたばかりの手足を持って捨てにいく姿に、上官の兵士は「すごい女だな」と言ったという。目の前で友達が酷い死に方をする。激しい砲撃に死はいつも隣り合わせで、普通の神経はとっくに失っていた。
そして6月18日夜、突然軍が『解散命令』を出す。「陸軍病院は解散することになった。君たちはこれまで軍に協力して一生懸命頑張ってくれたけど、これからは自由だ、どこに行ってもよろしい、この壕を出て行け」。この時周囲は全てアメリカ軍に包囲され、安全な逃げ場所など全く無かった。壕を追い出された後、123人が命を失う。
当時の日本の支配者や軍は、沖縄を本土防衛のための「捨て石」と位置付けていた。一方アメリカ軍は、戦後沖縄に基地を作ること目的に攻撃していた。その日米両軍の間にあって、奉仕や作業を強いられ、そして邪魔になったからと放り出された少女たち。日本軍による“見殺し”以外の何ものでもない。この『解散命令』は、いつ誰が出したのか?『集団自決』と同じ、軍の命令であることは明らかだ。きちんと調査をし、謝罪をすべきだ。
証言のひとつひとつがとても重い。「友達をおいてきた」「身を隠す場所もなかった」「もし手榴弾があったら自決していた」「裸足で逃げ回った」―― 想像もつかない修羅場を生き抜いてきた女性たち。本当は忘れたい、思い出したくない、触れたくないことだ。それを今、顔を上げ真正面から語ってくれた、語り続けてくれた。そのことが「美しさ」の所以かもしれない。
私がこの映画を観たのは、沖縄市『くすぬち平和文化館』(098-938-4192)。ここで毎月第二・第四土曜日に「ひめゆり」を上映し続けている。60代半ばの館長さん自身の体験も貴重なものだ。彼は幼い頃、泣き虫で、背中におぶわれ避難する時に「敵に見つかるから離れてくれ」と言われた。日本軍は自分たちを守ってくれる「友軍」と思い、村人たちは貧しくとも芋などの食料を分けてあげていた。ある日、なけなしの米を集めて、子どもたちにお粥を作った時、日本兵が来て「アメリカ軍が来るぞ!!」と脅し、住民が逃げている間に全て平らげてしまった。栄養失調で子どもを亡くした母は、「あの人らは人間じゃない」と言ったと。
米軍側から撮った映像には、アメリカ兵の善行のみが映っているが、また一方で収容者の列から若い女性を引っぱって行ったのもまたアメリカ兵。人間を人間でなくす戦争は止めるべきだ。
映画の冒頭、丸めがねをかけたままの小さな頭蓋骨が写し出される。殺された少女のものだ。沖縄の人が、今も沖縄の普天間小学校・中学校の窓から、基地の米軍パイロットの顔が見えるのだと言った。「沖縄戦は終わった」と言えるのだろうか?(澄)
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コラムの窓 許していいのか「百年に一度の大恐慌」
米国のサブプライムローン問題に端を発した金融経済危機は、瞬く間に世界中に広がり、今世界が直面している状況は、まさに「百年に一度の大恐慌」とあきらめにもにた言葉で言い表されている。
しかし、「百年に一度の大恐慌」と言うことで、不況や恐慌を起こす資本主義経済が永遠と続くものであって、その経過の中で一時的に大恐慌が起こる時期が、「百年に一度・・・」というのは資本主義経済を絶対のものとしていないか!
資本主義経済には、好況-不況の景気循環の波があることは指摘されてきた。
ア)技術革新に基づく物価の長周期波動(ほぼ50年)(1) イギリスの産業革命(2) 鉄鋼業や鉄道の発展(3) 電力・化学・自動車の出現(4) 1990年代末のコンピューター、通信を中心とする情報技術 (IT) の進展による第4の波
イ)設備投資の調整に基づく中期の景気波動(平均周期9~10年)。「主循環」とも言われている。
ゥ)在庫変動に起因する短期の景気波動(平均周期40~50ヵ月)。「小循環」とも。「消費の冷え込み → 在庫増 → 生産調整や値引きなどの販売促進 → 在庫適正化」というサイクルを描く。 などが知られる。
そして不況には①景気後退(リセッション)(recession)……一つの景気循環内の緩やかな不振期。②不況(depression)……景気と景気の谷間。③恐慌(クライシスcrisisまたはパニックpanic)……不況の著しい状態で、信用の崩壊、つまり金融危機が加わるのが普通。などがある。
歴史的には、1825年 英国で世界史上初めて本格的恐慌が起こり、資本主義の発展に伴い、国際分業と貿易を通じた世界各国の結びつきが強まったため、資本主義諸国を世界的規模で連鎖的に襲う恐慌が出現するようになる。
1857年 欧米を包括する未曾有の規模で経済恐慌が発生し、これが最初の「世界恐慌」で、これ以降ほぼ8~12年の周期で起こり、独占資本主義段階に入ってからはその深刻さと持続期間も増大する。
1929~1933年 ヨーロッパに於ける過大投資と投機熱による生産過剰 、米国の高関税政策 → 貿易の流れを阻害、金の米国滞留などによってヨーロッパ諸国の貿易赤字の拡大を招き、史上最大規模の世界恐慌が米国に始まり全資本主義諸国に波及。これを特に「世界大恐慌」または単に「大恐慌」と呼んだ。
1938年 37年恐慌 充分に景気が拡大していない段階で、財政再建のために緊縮予算を組んだため、アメリカのGNP (国民総生産) は再び-10%以下に落ち込む。アメリカの景気が回復するのは、イギリスなどが実施したブロック経済が自由貿易体制を分断し、ドイツ、イタリア、日本などで台頭したファシズム・軍国主義が第2次世界大戦を開始して、アメリカで戦争特需が発生するのを待たなければならなかった。
1973~1975年 スタグフレーション。石油ショックによって数年にわたる長期の世界同時不況が引き起こされる。これは1930年代の世界大恐慌に次ぐ大不況とされる。等々があった。
資本主義経済は、利潤追求のため、大量の商品を生産する一方で、人件費を含むコストを低く押さえようとすることから、生産が増大しても、人々の所得が充分に上がっていかないので消費が振るわず、商品の過剰生産が起こり、価格暴落、破産、失業……などの景気循環の最悪の危機的局面が生ずる、それが恐慌である。--労働者の賃金を上げ購買力を高めれば不況を乗り越えられるとする「過少消費論」を説く者がいるが、労働者を搾取することから利潤を得る資本主義社会では常に労働者の賃金を最低限に抑えようとする本性が現れるので、資本主義社会では成り立たない「説」である。--
繰り返し起こる恐慌によって何百・何千万人の労働者が職を失い、困難な生活を強いられる資本主義社会が、人間社会にとって正当で永遠に続くものであるはずがない。
労働者を搾取し利益を生む社会、人類の発展に繰り返し障害をもたらす社会を廃絶し、恐慌が起こらない社会、新しい高度な発展的な社会を作り出そう。(光)
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編集あれこれ
新年号は、第一面を初めに現下の世界金融恐慌を様々な角度から深めた論文を掲載しました。二面三面では、政治的な面から「われらの“チェンジ”を実現しよう」と訴え、四面五面六面では、経済的な面から「世界大恐慌と歴史の転換点」の第一回分が連載されています。そして、第六面には、「危機の時代にどう立ち向かうのか」があり、第一面と照応して、私たちの立場が鮮明に撃ち出されました。まさに今年は労働者民衆の総反撃にしなければなりません。
世界金融恐慌は深刻化する一方です。アメリカよりイギリスが深刻だの情報が裏付けられました。一月二十六日の「マネージン」は、報道しています。
「英国は終わった――」。米国の著名な投資家ジム・ロジャーズ氏が発言したこのコメントに対し、英国のブラウン首相は23日のBBCラジオでのインタビューで「英国の出方によって利益を得たい一部の投機筋のコメントに基づいて、われわれが政策を立案すると考えるのであれば、それは大きな間違いだ」と必至になって反論した。
だが英国がかつてなくきびしい状況に直面しているのは事実だ。金融危機が始まるまで、英経済は15年以上の成長を続けてきたが、世界不況の影響が深刻で住宅価格の下落率は過去最大、クリスマス商戦も過去最低を記録し、バブルがついに崩壊。たちまち失業率が上昇するなど実体経済の悪化が指摘されている。
英国の金融システムはもはや破綻寸前だ。大手銀行の1つロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)は2008年通期決算が280億ポンド(約3・4兆円)の損失と過去最大の赤字に陥る見通しを発表、株価は一週間足らずで67%も急落した。英政府は19日に40兆円にものぼる巨額の追加金融支援策や中小企業対策などを相次いで発表したが、RBSの1行だけで英国の経済規模の2倍以上の2兆ポンドの債権を持っているとみられており、英政府がもし銀行に対し無制限の保証を続ければ、英国自体が財政破綻に陥る可能性さえ出てくる。こうした事実に加え、最近になってジム・ロジャーズ氏のような著名な投資家が、「英国は終わった。持っていた英通貨ポンドはすべて売ってしまった」と発言したことで、信用収縮による景気悪化の懸念は払しょくされるどころか、一段と拡大し、20日には対円で最安値更新し、対ドルでも約6年10カ月ぶりの安値を付けることになってしまった。
金融不安がこのまま進めば、英国は銀行破綻とポンド崩壊というダブルショックの可能性も出てくる。ジム・ロジャーズ氏の発言に苛立ちを示したブラウン首相の脳裏には、英国が92年にジム・ロジャーズ氏の元パートナーであるジョージ・ソロス氏によるポンドの売り浴びせによってイングランド銀行が敗北し、ポンド危機にまで追い込まれた過去の苦い記憶が蘇っていたのかもしれない。だが今の英国を取り巻く危機は当時以上に大きなものとなっている。英国の威信をかけてこの難局を乗り越えられるのか、世界の注目が集まっている。
このイギリス経済の深刻な状況は、田中宇氏の国際ニュース解説にも取り上げられています。ヨーロッパでは、アイスランドの国家崩壊に続くのは、一体どこの国かが噂されている時代の出来とはなっているのです。私たちには目が離せない時代とはなりました。
国内に目を向ければ、労働者民衆の闘いが始まり広がっています。そんな中、昨年経営陣の放漫経営により生じた60億円の債務とホテルの耐震工事に必要な20億円が準備できないとの理由から、本業のホテル部門では黒字であったにもかかわらず、一方的にホテルをリーマンブラザース日本に転売された労働者たちは、労働組合を結成して、意気軒昂に三ヶ月ほど自主営業をしていました。しかし、一月十五日東京地裁のホテル明け渡し命令が出された事で、事態は急展開していきました。そして、ついに一月二十五日、執行官による千名規模での強制執行がなされました。この間の映像は、すでに何本かユーチュウブにて公開されています。私たちは読者に是非とも視聴をと呼びかけます。
この間の労働者の闘いの象徴ともなった京品ホテルは、結局法の執行という形で強制執行されましたが、理不尽な資本の本性と階級抑圧を本質とする警察権力の実態が実に赤裸々に暴かれました。この映像を見て、多くの労働者民衆の覚醒は不可避となります。
まさに闘いはこれからです。この1年労働者民衆の総反撃の年とするため、ともに闘っていきましよう。(直記彬)