ワーカーズ387号 2009/2/15
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台頭する保護主義――国家・企業エゴがとおれば理性は引っ込む――
金融危機から始まった世界同時不況は収まる兆しも見えない。
投機バブルがはじけたと思ったら、またぞろ各国は天文学的な金をばらまいて景気(バブル)を復活させようとしている。年の変わり目を挟んで先進国や新興国も含めて、各国政府は矢継ぎ早の景気浮揚対策を連発している。
そうしたなか、多方面から懸念されてきた保護主義の芽もちらほら顔をのぞかせ始めた。なかでも露骨なのが、米国の“バイ・アメリカン条項”だ。「バイ・アメリカン法」とは、米国政府の発注する公共事業などに米国製品を買わせる法だ。もとになった法律は不況まっただ中の1933年に制定されている。
1月28日に下院で採決された景気対策法案に盛り込まれた今回のバイ・アメリカン条項は、米国政府が発注する道路や橋などの建設に米国製の鉄鋼を優先的に購入するというものだった。それが上院に提出された段階では鉄鋼だけではなく、工業製品全般に拡大された。仮にこの条項がそのまま議会を通過すれば、米国の公共事業から外国産の製品を閉め出すことになる。明らかな保護主義政策だ。
このバイ・アメリカン条項が米国の労組や民主党の要求として議会に提案されたとき、諸外国は保護主義につながるとして猛反発した。当然だろう。それは昨年11月14日の緊急金融サミットで「今後1年間は新たな貿易障壁を設けない」と確約したばかりなのに、舌の根も乾かないうちにひっくり返されたからだ。仮にこの条項がそのまま成立すれば(多少修正されたようだが)、当然諸外国も同様の政策を導入する呼び水ともなる。いわば保護主義の連鎖だ。
もとになった法律の制定が1933年であることでも明らかなように、保護主義は1929年から始まった世界大恐慌でも経済のブロック化を招き、やがては戦争に突き進んだという経緯は忘れることは出来ない。少しでも理性的に考えれば、そうした轍は踏まないはずだ。
が、国家・資本の論理は理性的なものではない。“非常事態”を口実とした利害の交差と集積に翻弄される。現にいま世界中で打ち出されている景気対策なるものも、多くは自国企業の保護政策の側面がある。米国のビッグ・スリーへの緊急融資、英国の自動車産業への債務保証、インドの鉄鋼製品、ロシアの自動車への関税引き上げ、日本の企業CP(コマーシャルペーパー)の直接買い取り等々だ。
まさに“エゴが通れば理性は吹っ飛ぶ”。私たちとしては、資本の論理、資本制社会に取って代わる新しい社会への変革の闘いを押し拡げたい。(廣)
寄稿 ■世界大恐慌と歴史の転換点 B 北山 峻
(4)グルジア戦争と覇権国家アメリカの終焉
では、産軍複合体国家として軍事産業だけを突出して拡大して来たアメリカが、今後もこの特異な戦争国家として生きていけるのでしょうか。
これを占う上での重大事件がこの夏のグルジア戦争でした。
もう6年以上にわたって常時15万人もの軍隊を投入し、勝利宣言までしたイラク侵略戦争では依然として点と線しか支配できず、最後に訪れたブッシュが記者会見の席上で靴を投げつけられ、さらに多国籍軍を動員しているアフガンやパキスタンでも、戦況は一向に好転しないばかりか逆にタリバンの勢力は盛り返してきているとさえ報道されてきています。
それに加えて北京オリンピックの開会式にぶつけて、ハーバード大学出身でほとんどアメリカ人のような大統領サーカシヴェリと、軍事顧問団として送り込んだ1200人ものアメリカの軍人を使って仕掛けたグルジアでのロシアに対する挑発的な戦争も、ロシアによって木っ端微塵に粉砕され、軍事顧問団も早々に帰国に追い込まれる体たらくだったのです。
産経新聞や「正論」と結託する日本帝国主義自立論の理論家である京大教授の中西輝政は、最近出版した著書「覇権の終焉」(PHP研究所刊)の中で、覇権国家アメリカの終焉と多極世界の到来の中でいかに日本が自立していくかを論じていますが、そのなかで、このグルジア戦争を、サブプライム危機よりももっと深刻な事件であると述べています。
中西が言うには、「(このグルジア戦争は)21世紀の真の幕開けを告げる大きな戦争」であり、(アメリカに対し)「『ここが君の限界だ。これ以上君の世界は拡大できないぞ』と正面から線を引いて見せた点で、冷戦後のアメリカのグローバリズムの終焉を画するものとなった。」「小さなならず者のチンピラではなく、大国が正面きってアメリカに対抗してきたとき、(アメリカの)一極体制は裸の王様だったことを示した点で、とりわけ重大な意味があったのである。」(p34~41)と述べています。
要するに中西は、イラクやアフガンでさえ勝利できないアメリカは、もはや世界に号令する覇権国家などではありえず、ロシアや中国などのアメリカに対抗する核大国がこれを一喝したときは「アメリカの威光」など、世界ではもはやまったく通用しないのだということを縷々述べているのです。そしてそのことがこの本の「覇権の終焉」という題にもなっているわけです。
中西は政治学者ですからアメリカの経済的な覇権の終焉についての分析はありませんが、この間、ギボンの名著「ローマ帝国衰亡史」を下敷きにした「大英帝国衰亡史」によって大英帝国の没落を考察した理論的訓練を経て、現代世界の分析に向かい、覇権国アメリカの没落と多極世界の形成はすでに世界の現実になっているのだから、いつまでもアメリカに従属していては日本も没落するのだ、さあ早く目を醒ませ!と日本の支配階級(独占資本家階級)に向かって絶叫しているのです。
結論を言えば、世界帝国としてのアメリカの覇権は今では完全に破綻しており、中国やロシアばかりでなく欧州やインドや南米諸国などでもその指揮棒に従う国は劇的に減少しています。イラクでもアフガンでもこの数年のうちにアメリカは惨めな敗残の姿をさらして全面撤退せざるを得ないでしょう。
アメリカの世界戦略は惨めな挫折の中で重大な転換を迫られるでしょう。
はたして今後の世界はどうなって行くのか、それがわれわれの眼前に提出された問題ですが、その分析に先立って最近の日本の政界の動きについてみておきましょう。
(5)日本帝国主義の自立に拍車がかかるか?
中西が述べていることで言えば、多極世界の到来という指摘はまったく正しいでしょう。
そしてすでに日本の支配階級やその政治的代理人である自民党や民主党の半分の中では、アメリカの衰退と多極的世界の到来という世界情勢の変化に対応して、核武装を含む日本帝国主義の自立の構想が声高に語られ始めてさえいるのです。そしてその理論的信奉者が軍隊(自衛隊)の中にさえ相当数いるということが、あの田母神航空幕僚長の論文によって明らかになったのです。
第2次世界大戦後の世界において、敗戦国であったアジアの日本とヨーロッパのドイツは、戦後世界の覇者となったアメリカの世界支配政策上の重要な支柱となり、世界の東西で、一貫してアメリカの従順な手足となって働いてきました。
しかし、1970年代初頭から明らかとなった覇権国家アメリカの衰退の中で、90年代にはまずドイツが、戦後一貫してアメリカから距離を置いてきたフランスとの軍事同盟を基礎に(1988年1月:仏独軍事協力協定調印)アメリカから自立し、この仏独枢軸の下でアメリカに対抗する連合帝国主義としてのEUを立ち上げてきています。この結果アメリカは欧州における重要な支柱を失い、その後はもっぱら老大国で、もはやすっかり落ちぶれたのに、依然としてかつてはアメリカの宗主国であったという「威光」ばかり振り回す付き合いづらいイギリスを欧州におけるパートナーとしてきたのでした。
そして今、アメリカの歴史を画する大崩落の中で、ドイツに続いて東洋の日本でも、日本の独占資本家階級が、公然とアメリカからの自立の論議を始めているのです。
最近の日本の中では、9・11以降のアメリカの最後の?大立ち回りの後にくっついて、アメリカ一辺倒を実行した小泉・竹中路線(その後継者は中川信秀や小池百合子です)の人気は激しく凋落し、それに代わって、小泉の郵政民営化に反対して(つまりアメリカに反対して)自民党を除名された日本民族自立派の頭目で、「日の丸」「君が代」推進の中心となった故黛敏郎が創設した民族主義団体「日本会議」の「国会議員懇談会」の会長の平沼赳夫や、その副会長で、かつてロシアとの急接近を画策してCIA(アメリカの秘密の情報謀略機関)によって暗殺されたといわれている旧青嵐会の代表中川一郎の息子の中川昭一や、同じく副会長で日本遺族会会長の古賀誠、代表委員の旧青嵐会幹事長で東京都知事の石原慎太郎、靖国神社に参拝する会会長の島村宜伸、さらに安部晋三、福田康夫、麻生太郎、額賀福志郎、石破茂などをはじめとした大量の自民党政治家、更に藤井裕久、前原誠司、松原仁などの民主党の30人を合わせて242人もの国会議員が「日本会議」会員ですが、これらの勢力が次々と政治の表舞台に登場してきています。
北朝鮮の核実験に際して、中川と麻生はすぐさま「日本も核武装についての議論も始めるべきだ」と発言してアメリカを大慌てさせ、国務長官のライスがすぐさま東京に来て「アメリカは核の傘で必ず日本を守る」と言ったのは記憶に新しいことですが、それ以外でも彼らは、東京裁判で「これは単なる勝者による敗者に対する復讐裁判である」として、唯一人日本を擁護したインド人裁判官ポールの顕彰碑を建てたり、「日の丸」「君が代」を学校で歌わせたり、「自主憲法」制定運動をすすめたり、「新しい教科書を作る会」や、「北朝鮮拉致家族を救う会」「ブルーリボン運動」など様々な運動を展開しているのです。さらに神道政治連盟国会議員会議会長で自らも神主であり、富山の大運送会社である「トナミ運輸」のオーナーで、やくざを使って反対派を脅していたことでも有名な国民新党代表の綿貫民輔や、松下幸之助が起こした日帝自立の政治家養成塾「松下政経塾」の出身者などいわゆる民族自立派、「日本文化(日本神道)振興派」が自民党や民主党・国民新党などの中では多数派を占めています。
わかりづらいのは小沢一郎で、この間アメリカ一辺倒の小泉政治との対決の中で、一貫して「国連中心主義」を唱え、一方ではアメリカへの従属からの離脱=日本帝国主義自立を強くにじませながらも、他方では「国連の要請であれば自衛隊による海外での軍事作戦(つまり戦争)も辞せず」として、もしアメリカが中・ロやEUを説得して国連決議をすることができるならば(もうアメリカにはそんなことをする力はないと、小沢は読んでいるのでしょうが)日本は海外での戦争にも積極的に参加しますと言い続けています。
小沢はアメリカがらみの問題に関してはきわめて慎重で、アメリカの駐日大使の会見申し込みに対しても報道陣を同席させて公開し、そのことによってアメリカが無法な要求ができないようにけん制していますが、これには深いわけがあるでしょう。
これは、松川事件や下山事件などの戦後日本においてアメリカ(CIA)によって起こされた多くの謀略事件ばかりでなく、政治的には父親とも思う田中角栄が、中国に入れ込んでアメリカ発の「ロッキード疑獄」によって捕囚の身とされ、またロシアに入れ込んだ「民族派」の中川一郎が暗殺され(表向きは自殺)、その秘書で同じくソ連の利権に突進した鈴木宗男がアメリカとその意を受けた日本外務省により謀略的に投獄されたことなどから見て、如何に没落したとはいえ、チリのアジェンデ政権を葬り、インドネシアのスハルトクーデターによって30万人もの共産主義者を虐殺してスカルノ政権を葬り、イラン革命を倒そうとして謀略をめぐらし逆に革命政権によって大使館全体を捕虜にされたり、ソ連のアフガン侵略を失敗させるために大量の武器弾薬を供給してオサマ・ビンラディンなどの「ムジャヒディン」を養成したり、パナマでは「麻薬密売」に関係しているとして勝手に軍隊を派遣して大統領を逮捕したりなどなど、今でも世界中で暗躍する世界最大の謀略組織CIAを持つアメリカを甘く見てはいけないと,角栄に幾度も聞かされていたからなのでしょう。
小沢はこうしてアメリカの不法不当な要求を封じるとともに慎重に自らの身を守りながら、国連中心主義を掲げることによって実質的に日本の自立への道を保持しようとしているのです。
このアメリカに対する極度の警戒が、頑固な自立論者小沢を分かりづらくしているのです。
しかしこのことを充分に理解している中国指導部は、昨年春の日本の財界人多数を含む400人もの小沢率いる大訪中団に対して、異例にも国家主席の胡錦濤がじきじきに会見して、全員と握手するという歓迎振りであったようです。これをみても中国は小沢を角栄の再来と見てこれを取り込もうとしているのは間違いありませんが、しかしこのことがアメリカとの関係で小沢を一層慎重にさせていることは疑いないでしょう。
米・中・日の関係は今後ますます複雑になっていくに違いありません。
(6)回りくどい多母神論文の自立の論理
これと同様なもってまわった自立論は、最近国会で尋問された日本の軍隊の中枢にいた前航空幕僚長田母神俊雄の論文にも婉曲に、しかしはっきり示されています。
問題になった田母神論文は、「アメリカ合衆国の軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とはいわない。」と言うきわめて「きわどい」書き出しで始まっています。
これが何故「きわどい」のかと言えば、田母神は、それに続いて、「事前に条約さえ結んでいれば侵略でないのなら、かつての日本も、朝鮮に対しても満州に対しても事前に条約を結んでいたのだから、それは侵略ではないだろう」と強弁するのです。さらに田母神は、日中戦争にしても太平洋戦争にしても、決して日本が仕掛けたものではなく、盧溝橋事件は中国共産党の劉少奇が仕組み、張作霖列車爆破事件もコミンテルンが仕組み、さらに蒋介石(息子の蒋経国はソ連に留学しロシア女性と結婚している)もルーズベルトも政権内に大量に入り込んだ(財務次官ハリー・ホワイトを中心にアメリカ政府の中に300人もいたというのです!)コミンテルンのスパイによってたぶらかされて日本との全面戦争に突入したのだ、というのです。
さらに田母神は、大意では、「大東亜戦争はヨーロッパのアジア侵略からアジアを解放する聖戦だった。だから、タイやビルマ、インド、シンガポールなどでは大東亜戦争を戦った日本の評価は高い。わが国が侵略国家だったなどと言うのは濡れ衣である」と言い切り「日本は、旧い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。」と言い、つまり“日本人よ胸を張れ!”と叫んでいるのです。
さらに田母神は「東京裁判はあの戦争の責任をすべて日本に押し付けようとするものである」(=これは論理的にいえば、つまり、東京裁判は認められない。戦争の責任をとって裁かれるべきなのは、主としてコミンテルン・中国共産党、さらにアジアを侵略していた欧米諸国であり、直接にはコミンテルンに踊らされていた蒋介石やルーズベルトなのだ、と言っているに等しいのです)と断罪し、「東京裁判」の不法を論じています。しかしこの間、前野徹・清水薫八郎・西尾幹二・渡部昇一、藤岡信勝などの日本の保守論客の中で、声高に叫ばれている「東京裁判に対する断罪」とは、論理的にいえばこの東京裁判の上に締結された「サンフランシスコ講和条約」と「日米安保条約」、つまり日米安保体制そのものをその根底から掘り崩すものとならざるを得ませんから、だとすればこの多母神論文を「東京裁判の断罪」という最後の論点から始めてぐるりと最初に戻れば、東京裁判を否定することによって米軍の日本駐留の前提になっている「サンフランシスコ条約」や「日米安全保障条約」の前提そのものの「正当性」が崩れるのですから、「アメリカは日本を侵略しているのだ」と読める仕掛けになっているのです。つまりこれはアメリカの従属国にされている日本が自立するために、日本の伝統的な保守勢力が、歴史の中に仕掛けた「時限爆弾」なのでしょう。一連の彼らの著作を読んで今では私はそのことを確信しています。
また多母神は、「東京裁判」に縛られ続けている現在の自衛隊はアメリカの制約の下で、「雁字搦めで身動きできないようになっている」とし、「日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい」と述べています。
これも極めてへりくだった言い方ながら、日本が、親(アメリカ)から離れて、早く一人前の自立した個人として自由に行動したいと正直に述べているのです。
これはやはりはっきりした日本自立論の小論文といえるでしょう。ただ内容が稚拙でだらだらと回りくどいだけです。
これらの論者の著作の中で私が読んだ中で最も体系的なのは、「石原慎太郎、竹村健一、中西輝政・3氏が激賞」という帯のついた東急エージェンシー社長の前野徹の著書「歴史の真実」「新歴史の真実」経済界刊)です。
前野はこの中で「東京裁判」について詳説しています。
この東京裁判の11人の中で、インドのカルカッタ大学の総長であったパール判事一人が「この裁判は勝者による敗者に対する復讐裁判に過ぎない」として1200ページを超える膨大な意見書を提出し日本人被告を全員無罪としたことに対し、瀬島龍三(関東軍参謀・伊藤忠)、岸信介、藤山愛一郎、一万田登(日銀総裁)中曽根康弘、永野重雄(新日鉄・日商会頭)、稲垣和夫(京セラ)、五島昇(東急)、山岡荘八(「日本会議」の基を作った小説家=民主党副代表山岡賢次の義父)などの政財文化界の重鎮たちが、戦後一貫して幾度も日本に招待したり、その死後は京都の護国神社の境内にその顕彰碑を建立しているのです。だからこの東京裁判の断罪から出発して日本の自立へといたる論理の流れは、昨日今日に唱えられ始めたような生易しいものではなくて戦後一貫したものでありそれは「占領憲法」を廃止して「自主憲法」を制定するという憲法改正運動などとも一体になった総合的な「思想」なのです。
だから我々は、これらの主張が戦後一貫して暖められてきた保守勢力総体の積年の怨念に満ちた主張のわずかな氷山の一角であることを認識しておくことが必要でしょう。
これらの「日本会議」の政治家たちの主張や、小沢民主党の国連中心主義の主張の陰に隠れながら、また一方では公然たる「反米保守」を唱えて2002年に西尾や渡部等と喧嘩別れした西部邁や小林よしのり、さらに同じ主張の森田実や副島隆彦などの在野の反米保守の論客などの主張をも利用しながら、日本のアメリカからの自立の動きは、もうすでに大きな流れを形作っています。しかし、アメリカの核の傘からの日本の自立は、覇権国家アメリカから右手を切り落とすに等しく、衰退するアメリカにとっては最後の止めとなるでしょうからアメリカも必死になってこれを阻止しようとするに違いありません。
かつて、アメリカの「核の傘」の下にとどまるようにと必死になって説得した若いアメリカ大統領ケネディに対し、「『核の傘』というが、では、フランスが核攻撃を受けたときに、アメリカは自国が核攻撃されるのを覚悟して本当にソ連を核攻撃できるのか」と膝詰め談判をし、ケネディを絶句させ、すぐさま核開発を実行したド・ゴールのような政治家が、果たして今の日本の保守政治家の中にいるのでしょうか?一体誰が猫の首に鈴をつけるのか?へっぴり腰の多母神のような輩(やから)や石原のような「お祭り男」や安部や麻生のような「ボンボン」しか見当たらない現状では、独占資本も頭が痛いでしょう。
彼らにとってはそこが最大の問題なのでしょう。
アメリカの側から言えば、世界恐慌状態の深化の中で、今後は、当然にも、アメリカが第2次世界大戦後60年にわたって続けてきた、世界中に軍隊を派遣して人民運動を破壊し続け、各国政府を脅して従属的な支配を受け入れさせるというような現代版の「ローマ帝国を演じ続けること」は非常に困難となるでしょう。
その中で、オバマにとって、自立を志向する「日本問題」は、今後10年も経たぬうちに、経済規模ばかりでなく政治・軍事的にもアメリカを凌ぐ世界最大の国家となると予測される「中国問題」と並ぶ最重要問題となることでしょう。しかしそれはまた日本の支配層にとっても最重要の問題でもあるのです。(次号に続く)
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読書室
『石油の支配者』(浜田和幸氏著・文春新書662)・『暴走する国家恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制の罠』(副島隆彦氏X佐藤優氏・日本文芸社)
原油高の背景と中国の動向またグルジアを巡るロシアとアメリカとヨーロッパの現状を活写する二著作を紹介する
昨年の7月11日、米国産標準油種(WTI)は、ニューヨーク・マーカンタイル取引所において、1バレル=147・27ドルの史上最高値をつけた。
一昨年末と比較して2倍以上も高騰した原油価格に多くの人々は驚いたのであった。ゴルドマン・サックスの1バレル=200ドル説もまことしやかに流されており、原油市場は大混乱していた。かくいう私自身、大統領選挙のある年は原油価格は上がるものだと考えていたもののこの急激で破格な高騰には驚き慌てた。ここにおいて、私は自分の分析力の限界を感じたものであった。
今紹介する『石油の支配者』は、『ヘッジファンド』で一躍経済評論家として注目を浴びる事になった浜田氏が昨年10月に刊行した著作である。この本は、石油価格に関する専門書の難しい議論と一線を画した今後の石油問題の「教科書」ともなる大変優れた著作だ。これはお世辞抜きの評価である。
彼は原油高の背景を投機筋のためだとの一般論に止まらない議論を展開している。彼の論証力はすごい。読者は、彼の第一章での論証について、まさに目から鱗が落ちる思いをするに違いない。この点が本書の第一の功績である。
この本の章立て等を紹介する。第一章原油価格高騰の真相 1原油価格の高騰 犯人は誰だ 2二重価格制を秘めた国際石油市場 3「国富」ファンドの台頭と落とし穴 第二章石油の世界地図の読み方 第三章原油高と金融危機を結ぶ見えざる糸 第四章石油はいつまでもつのか 1「ピークオイル説」を検証する 2ロシアが唱える原油無機説 第五章原油埋蔵データはインチキだ 第六章原油を巡る「熱戦」のはじまり 1「資源大国」ロシアの復活 2中国の新たな動き「石油覇権主義」 3米中が激突するアフリカの油田 第七章「京都議定書」資源なき日本の失敗 第八章いかに第四次オイルショックに対応すべきか 以上である。
しかし、本書の最大の功績は、私が考えるに、石油無機説を大々的に公然化した事にある。私たちの世代のほとんどが、石油は生物の死骸だとの教育を受けてきたはずである。この説は、すでに30年ほど前に長谷川慶太郎氏によって明らかにされていたのであるが、本書においてはさらに詳しい学説の紹介がなされている。ギニア沖と対岸のブラジル沖の油田発見はその実例である。
一九五六年にポルヒィエフ博士は「原油は地球のマグマに近い超深度地帯で自然発生的に形成された資源である。これを有機物ととらえる発想は資源有限説を理由に原油の価格を高くしようとする西側石油資本の陰謀としか思えない」とまで述べている。この学説から、現実にロシアでは枯渇した油田の再生と油田の新発見が続いており、アメリカの脅威となっている。
第二の功績は、原油の埋蔵量のデータはインチキだと暴露したことにある。この事自体もすでに20年ほど前に石油コンサルタントの藤原肇氏によっていわれていたが、新書版で明確にこれほど暴露されたち意義はとても大きい。
また第六章から第八章の議論は、石油を巡るロシアや中国等の世界情勢論である。ここにはアフリカなどについて新たな知見が披瀝されており、私などは非常に啓発された。今後の中国の動向を考えていく上で必読の個所である。
この点については、関連本として、『暴走する国家』を推薦しておきたい。この本には、昨年9月のリーマンショックの原因が、グルジアへのロシア侵攻と軌を一にしたロシアのアメリカ国債や住宅債券の投げ売りにあると暴露されている。さらに今年の2月のロイター通信では、昨年の11月末までにロシアはアメリカの国債等をすげて売り払ったとのニュースを発表した。最近のロシアのルーブルの急激な低下の背景には、これに対抗したアメリカとロシアの為替を巡る熱戦がある。ロシアのヨーロッパへの天然ガスを供給停止した背景にもアメリカの陰がある。先の『石油の支配者』を読み進めていく上でも、これらのロシア情勢の指摘は重要である。対談本ながら充実している本である。
この本のもう一つの側面は、第2章の「秘密結社の実像――西洋を動かす民族思想と宗教」である。副島氏によれば、「陰謀の分析なしに国際情勢は読めない」のである。彼はこの個所において、コンスピラシー・セオリーを陰謀論などとの卑しい言葉で訳すのではなく、刑法学の正しい知識にしたがって「共謀理論(共謀共同正犯理論)」と以後呼ぼうと提言している。私たちは、陰謀論者・太田龍氏らのおどろおどろしい陰謀論とは決別しなければならない。
それにしてもこの第2章の議論は、ヨーロッパの思想史に関心がある私は、佐藤氏の意見を含めて、大いに刺激を受けた。読んで決して損はしない本である。したがって、是非読者にも一読を呼びかけたい。 (直記彬)
読書室・・・「反貧困ーー『すべり台社会』からの脱出」<岩波新書> 著者「湯浅 誠」
もう多くの人たちがこの本を読んで、湯浅氏の訴えとその行動力に感心したことと思う。今ごろ「なんでも紹介」コーナーでこの本を紹介するのは、少し遅すぎた思いがあり反省するところである。
08年4月に発行してから10万部以上のベストセラーとなり、「第8回大佛次郎論壇賞」と「第14回平和・協力ジャーナリスト基金賞」をダブル受賞した。
この本や湯浅氏の事を知らない人でも、昨年12月31日に日比谷公園の「年越し派遣村」を開設して、500人以上の失業者を救済する活動を展開したボランティア実行委員会の事は知っているだろう。その村長が湯浅氏であった。
近年、「ワーキング・プア」とか「フリーター」「ネットカフェ難民」という言葉が語られ、日本社会の「所得格差」が指摘され問題になっている。
では「ワーキング・プア」とは、どんな状態・どんな人の事をさすのか?湯浅氏は次のように指摘している。
「働いているか、働ける状態にあるにもかかわらず、憲法25条で保障されている最低生活費(生活保護基準)以下の収入しか得られない人たちのことを指す。最低生活費は、たとえば東京に住む20代・30代の単身世帯であれば、月額13万7400円(生活扶助8万3700円+住宅扶助上限5万3700円)。夫33歳、妻29歳、子4歳の一般標準世帯なら、22万9980円(生活扶助16万180円+住宅扶助上限6万9800円)である。さまざまな税額控除も勘案すれば、大都市圏で年収300万円を切る一般標準世帯であれば、ワーキング・プアの状態にあると言っていい。・・・日本社会には今、このような状態で暮らす人々が増えている、と想像される。『想像される』としか言えないのは、政府が調査しないからだ。貧困の広がりを直視せず、ただ『日本の貧困はまだたいしたことはない』と薄弱な根拠に基づいて繰り返すだけなのが、2008年現在における日本政府の姿である」と述べている。
1990年代の長期不況のもと、当時の経団連は「新時代の『日本的経営』」を1995年に打ち出し、労働者を3分類し、派遣や請負による非正規労働者を増加させる方針をとった。非正規労働者はこの10年間で574万人増え、今や全労働者の三分の一=1736万人となっている。若年層(15〜24歳)では45.9%、女性ではなんと53.4%に至っている。
湯浅氏が指摘するように、このような労働政策のもとで、多くの生活破綻者やホームレスやネットカフェ難民などが増加してきたのである。政府はその実態調査を避け、その実態を知ろうとせずに、生活困窮者を放置してきた。
湯浅氏がこのような問題に関わるきっかけは、1995年から野宿者(ホームレス)の支援活動に携わって、2001年からは野宿者だけでなく貧困状態に追い込まれた人たちの生活相談を受けるようになったからだ。
この10年以上に渡る活動(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい)を通じて湯浅氏は、「ちょっと前までは、相談に来る人は、失業者が大半だった。しかし近年では、今現在就労しているにもかかわらず生活していけない、という人たちの相談が増えてきた。中高年単身男性や母子世帯が大半だったが、若年単身世帯・高齢世帯・一般世帯と多様化してきた。もはや『働いているのに食べていけない』という相談は珍しくない。・・・『働いている人は労働相談、働けない人が生活相談』という区別は成り立たなくなっている。」と述べている。
「聖域なき構造改革」という小泉路線のもとで、日本社会の貧困問題が深刻化してきた実態が理解できる。
こうした状況の中で、私たちはどう展望を切り開いて行くべきか?その展望について湯浅氏は次のように述べている。
「今日本社会がどんどん地盤沈下しており、一度転んだらどん底まですべり落ちていってしまう『すべり台社会』の中で、『このままいったら日本はどうなってしまうのか』という不安が社会全体に充満している、と感じる」と述べて、「それに対して声を上げる人たちも増えてきた。労働分野、社会保険分野、公的扶助の分野で、さまざまな人たちが貧困に抗する『反貧困』の活動を展開し始めている。それらが相互に連携し、ネットワークを構築することだ。」
最後に、彼のこの言葉を紹介する。「私たちの社会がまだ『捨てたものではない』ことを示すべきだ。」
まだ読んでない方々には是非読んで欲しい。(富田英司)
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(紹介)
土井敏邦「沈黙を破る‐元イスラエル軍将兵が語る占領=]」(岩波書店)
昨年5月刊行された本書は、現在繰り広げられているガザでの無差別殺戮の当事者ではないが、イスラエル軍内部からもたらされたパレスチナ占領の真実を外部世界に知らせるものである。その内容は次のようである。
「パレスチナ自治区内の占領地で日常的に繰り返される暴力や殺戮。イスラエルでは多くの兵士が占領地での任務に就くが、今までその実態が語られることはなかった。自らの加害体験を社会に伝えるために結成された青年退役兵たちのグループ『沈黙を破る』へのインタビューを通して、『占領』の本質を浮き彫りにする」
著者は序章において、なぜイスラエル軍将兵の証言を日本に伝えるのか述べている。まず、イスラエルのまだあどけなささえ残る若者が「占領地でパレスチナ人住民の前に立つとき、冷酷な占領軍≠フ姿に一変する」ことに衝撃を受けたことをあげている。そして、イスラエル・パレスチナ問題を占領される側からの証言だけではなく、もう一方の当事者である占領者≠スちの証言が加わることによって、「立体的、重層的にその実態を捉えることができ、同時にこの問題が単に占領されるパレスチナ人の問題としてだけではなく、占領し支配するイスラエル人自身と、その社会にも深刻な問題を生み出している事実も浮き彫りになってくる」と語っている。
さらにこのことが、「かつて侵略者で占領者であった日本の過去と現在の自画像≠映し出す鏡≠ニなりうる」とし、「私たち日本人が行ってきた加害≠フ過去と、それを清算せぬまま引きずっている現在の日本人の自画像を見つめなおす貴重な素材となるはずだ」と指摘している。これは第3章「旧日本軍将兵とイスラエル軍将兵‐精神科医・野田正彰氏の分析から‐」で展開されており、非常に興味深い分析である。ぜひ、本書を手に取り、その内容を検討していただきたい。
戦闘兵士による残虐行為とはどんなものか、2004年4月のヨルダン川西岸のジェニン難民キャンプ侵攻直後の取材で著者が得た住民の証言を示している。
「一度、兵士が住民にスピーカーで『裸で外に出て降伏しろ』と叫びました。その時隣人のアル・サッバーブが家の外に出て行きました。すると兵士が道で彼を撃ち殺しました。彼は裸でした。その後、戦車がその遺体をひき潰し、道のようにしました。住民がその遺体を回収しようとやってきたとき、残っていたのは小さな肉片だけでした。遺体は粉々になり、もし人々が殺されるところを見ていなかったら、それが誰の遺体かわからなかったでしょう」
「私たちは部屋の中にいて、煙が見えました。兵士たちがドアを開けろと叫んでいました。姉のアファフはドアを開けようとしました。その時爆弾が爆発しました。家の中にいた私たち全員が泣き叫び、救急車をと叫びました。兵士たちはそれを見て笑っていました。姉を見ると、顔の右半分と肩は左側が破壊されていました。腕にも傷がありました。姉は即死でした」
同年6月、元イスラエル軍将兵の青年グループがヨルダン川西岸のヘブロンでの兵役の体験を自ら撮影した写真展「沈黙を破る‐戦闘兵士(コンバット・ソルジャー)がヘブロンを語る」を、イスラエル最大の都市テルアビブで開催した。グループのパンフレットには「私たちは、自分たちがやったこと、目撃してきたことを忘れるべきではありません。私たちは沈黙を破らなければならないのです!」とある。
次に、第1章「占領地の日常‐『沈黙を破る』証言集より」からの引用を紹介しよう。
「『レインボー作戦』(注)で最も印象に残っているのは、武力の行使を抑止するものが全くないと言う感覚でした。無差別の力の行使=Aそれより穏やかな表現はありません」。ストロー・ウイドウ(イスラエル兵がパレスチナ人の民家の一部、又は全部を占拠し、攻撃または監視の拠点にすること)では、ドアから入るのではなく、D9という軍事用大型ブルドーザーで壁に穴を空ける。それはドアに仕掛け爆弾があった例があるからで、「壁に穴を空ける。それを我われは『ドアをノックする』と呼びます」「破壊する建物をどのように決めるのかと私に質問するものは誰もいません。・・・中隊長が『この家は嫌いか』と私に訊く。『そうですね』と答えると、彼は『じゃあ、残して置くな。君のために、破壊するぞ。この温室は? わかった、壊してしまおう』といった具合です」
「『銃撃を交わす』というのは、ほんとうは撃ち合うことではないのです。相手側からの引き金となる1発の銃撃と、我われ側からのあらゆる方向への乱射ということです。ほとんどの場合、その発砲源が確認されることはありません」「銃撃するのは、『確認』や『プレッシャー』からでもなく、『恐怖心』または『臆病さ』からでもないのです。ただ、ライフルにXマーク〔標的を殺したことを示すためにライフル銃に付けられた印〕を付けたいからです。基地に戻って、『おい俺はXを付けたぜ、これを殺し、あれを殺した』『おい、男になったぜ、人間を殺したんだ』と言いたいのです。だから指がすぐ引き金にかかるのです」
「追撃砲が撃たれた直後でしたから。命令は、『街の通りで見かける者は全員射殺せよ』というものでした。夜の早い時間でした」。これはガザのデアルバラ地区において、追撃砲を打ち込まれた反撃としての侵攻時のことである。何か現在のガザ侵攻と重なるようだが、これが真実なのだ。
第2章は、「なぜ『沈黙を破るのか』‐メンバーの元将兵と家族らへのインタビュー」で構成されている。
「軍に入隊するときには、私たちはちゃんと善悪の違い≠ヘわかっていました。ちゃんと自分の倫理や道徳心は持っていましたから。でも入隊した初日からちょっとの間に、軍隊のなかで、私が今まで信じてきたものすべてが、ミキサーにかけられぐちゃぐちゃにされ、押し潰されていました。住民が暮す地区に手榴弾を発砲するなんて非道なことで、狂気じみていると最初はわかっていたのに、その日の午後7時には私はもうマシンガンで砲撃しているのです。その後2年半の占領地での任務で、今の自分、『ユダ』が出来上がったのです。あそこでは善と悪の違いなんて見分けることはでませんでした」
引用ばかりになってしまったが、証言・インタビューによって構成されているのでお許し願いたい。最後にさらに長い引用を行うが、彼らの証言に右派から「お前たちの言っていることは大嘘だ」という非難が投げつけられている。イスラエル社会において、「沈黙を破る」取り組みがどのように迎えられているか、あるいは迎えられていないか理解して頂けるだろう。
「撮影隊が、一人の軍曹がパレスチナ人を殴るシーンを撮りました。すると、その軍曹は即座に裁判にかけられ、虐待の罪に問われました。その直後、あらゆるメディアやイスラエルを代表する人びとは、『これは極端な例外であり、このような事件は法のもとに裁かれるべきだ』と主張しました。するとその軍曹の属している小隊の同僚64人が、軍の参謀総長あての申し立て書を送り、『こんなことは例外でもなんでもなく、日常行われている現実で、フワラの検問所を管理する方法はこれしかないのです』と抗議したのです。フワラの検問所では毎日6000人のパレスチナ人が歩いて通りますが、たった6人のイスラエル兵が8時間交代でそこを立って管理していました。兵士たちが言うには、そんな状況でフワラの検問所をコントロールできる唯一の方法は、パレスチナ人を50人につき1人を殴り、また炎天下で2、3時間待たせてカラカラに干からびさせる、そうすることで『ここでの支配者はイスラエル軍なのだ』と見せつけることなのだ、と訴えたのです。しかし、誰もそんな申し立て書の内容に真剣に耳を傾けようとはしませんでした。イスラエル社会にとって一番いいやり方は、そういった話は例外に過ぎないのだと信じ込むことなのです。『こんなことは極端な例だ、現実とは違う。我われの息子たちがこんなことをするはずがない』というふうに。だからこそ私たちは『沈黙を破る』という言葉で、『それは例外なんかではない。それは私も、あなたの息子も、そして私たちの世代の若者みんながやっていることで、多かれ少なかれ、すべての戦闘兵士たちが虐待や略奪、財産破壊などにかかわっている』と表現しているのです」 (晴)
注・2004年5月・ラファ国境地帯での「レインボー(虹)作戦」)
5月12日、「家屋を破壊するために大量の爆発物を運搬していたイスラエル軍のAPC(装甲人員輸送車)が国境沿いの道路でパレスチナ武装グループのロケット弾攻撃を受けた。APCは大爆発を起こし、乗っていた6人の兵士全員が死亡した(イスラエル側には11人という情報もある)。イスラエル軍は直ちに周囲の難民キャンプに侵攻し、・・・」。24日まで行われた攻撃によって、死者58人(子ども12人)、負傷者およそ200人(ほぼ半数が子ども)、全壊と部分破壊を含め531軒の民家が破壊され、561家族3352人が家をなくした。
なお、現在全国で上映会が行われている映画「レインボー」は、この「レインボー作戦」を取り上げたものである。
コラムの窓 人身事故
昨年末から一月、二月と、東京へ行く用事が、たまたま三回も重なった。
そこで毎回遭遇したのが「人身事故」による列車の運行見合わせや、大幅な遅れであった。地下鉄、JR環状線、東海道本線、都市近郊の私鉄。路線を問わず、昼夜を問わずである。東京に住む弟にその話をすると、「ああ、あの路線は多いよ」、「その路線は珍しいね」という具合で、もう日常風景のような口調であった。
人身事故の増加の背景には、やはり、昨年来の経済危機があるのは確かだろう。日本人の年間の自殺者数は、八十年代までは約二万人前後で推移していた。それが約三万人に急増したのは、九十年代のバブルの崩壊と金融危機の頃からだ。そして今回の危機である。
徳島で音楽活動をしていた女性のロックグループ「チャットモンチー」が、メジャーデビューのため東京に出てきた時のこと。メンバーの一人が地下鉄のホームで列車を待っている時、人身事故で列車が止まるというアナウンスがあった。周囲を見回すと、他の乗客達は、驚いた風も無く、黙ったまま、じっと列車の運行再開を待っていた。その情景に言いようも無い違和感を感じた。その時書いたというのが「世界が終わる夜に」という曲だ。
その歌詞を拾い読みすると、こんな風だ。「たとえば孤独な夜が過ぎ、わりと良い朝が来る」「しまった!もう世界は終わっていた」「わたしが神様だったら、こんな世界は作らなかった、愛という名のお守りは、結局からっぽだったんだ」「今もどこかでいろんな理由で、壊れはじめてる、Hey、Hey、Hey」「わたしが悪魔だったら、こんな世界は作らなかった、命の砂時計は、結局からっぽだったんだ」
若いロックバンドの敏感な感性に、人々を死に急がせる社会状況が陰を落とし、今の社会に対する深い失望感を表現した曲が生まれているのを、どう捉えたらいいのだろうか?僕もまた、駅のホームで立ち尽くしながら、頭の中でその歌詞を復唱した。「こんな世界は作りたくなかった」「命の砂時計は結局からっぽだっのか」と。
ただ、解雇や倒産という危機に直面することが、即、自殺に直結するわけではない。実際に自殺に到るには、何箇月も続くストレスと、それによる「うつ病」が重なるというプロセスがある。「うつ状態」が続くと、何度と無く「自殺願望」が頭をよぎるようになる。それでも、始めのうちは願望や妄想に終り、それを行動に移す前に「死んじゃダメ!」という「命の声」が背中を押し、生の世界に引き戻してくれる。だが、やがて、そのエネルギーもロウソクの火が細るように弱くなったとき、ふとしたはずみでフラフラと、生死の境界線を越えてしまい、悲劇が起きるのである。
そうした時必要なのは、疲れて落ち込んだ心を理解してくれる仲間であろう。家族や同僚がその役割を果たしてくれれば幸いだが、うつ状態がどういうものか理解できていないと、その人間関係はかえって重荷になってしまう。むしろ、そうした家族や同僚への責任を果たせない自分を責め続け、状況を悪化させてしまうことさえある。
今、全国各地に、自殺を防ぐネットワークが生まれ、いろいろな取り組みを始めてている。そのメンバーの多くは、実際に肉親を失ったり、自らも自殺未遂の体験をもっている人達だという。体験した者しかわからない苦しさを知っているからこそ、後から来る人達に同じ苦しみを味あわせたくない、という切実な願いが、彼ら、彼女らを活動にかりたてているのだろう。
一方では、過労死裁判に象徴されるように、働く者を自殺に追いやるような職場環境を作った企業を告発する闘いも、全国に広がっている。企業への「闘い」と、自殺に到らないための「フォロー」、この両面の運動が共鳴しあうことが必要なのではないだろうか?
さしあたって、駅のホームにも、飛び込み防止の安全柵を設置したり、各所に「過労死一一〇番」や「自殺防止ネットワーク」などの電話番号を書いた看板を設置したり、アナウンスで「経済危機による自殺をしなくてすむよう、みんなで助け合いましょう」と呼びかけるなど、やるべきことはあるのではないだろうか?(誠)
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大本営発表?
本紙前号に、スリランカ在住のK・Mさんからの「スリランカからの通信」が掲載されています。その内容は、LTTEとの戦闘で1500名の政府軍兵士が死亡したのに、まともな報道がなされていないということでした。
スリランカはまだそんな大変な状況なんだと思っていたら、神戸新聞(1月26日・ニューデリー25日時事)の「スリランカ政府軍 反政府軍拠点を制圧」という小さな見出しが目に留まりました。スリランカ陸軍トップの司令官がテレビで、反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の最後の拠点である北東部の町ムライティブを制圧した、という発表を行ったということです。これによって、1983年に本格化した内戦が終結する可能性が一層強まったと報じています。
「LTTEの支配地域は今年に入って加速度的に狭まっており、同司令官は今月17日、同勢力が4月までに壊滅する可能性があるとの見解を示した。密林の地下壕に潜伏しているとされたLTTE最高指導者のプラバカラン議長が、すでに海路で逃亡したとの見方も出ている」(同紙報道)
さて、この報道はどこまでが真実なのだろうか。K・Mさんは「『勝った、勝った』報道は派手に扱われるが、政府軍の被害は報じられない。日本の「大東亜戦争」(カッコつき)時の大本営発表と同じだ」(本紙前号)としており、これがスリランカ陸軍版大本営発表≠ネら、真実はどこにあるのだろうか。なにしろ、真実に近づこうとする者は殺されるというから、すべては闇のなか≠ネのだろうか。通信続報があるのか、気にかかるところです。 (晴)
沖縄・読谷村のさばにくらぶ≠フ紹介
09・1月26日〜29日の読谷村にこだわった旅、これまでの行き当たりばったりの旅はもうできなくなったことにある淋しさを感じてはいたが。
読谷村につくられたさばにくらぶ≠見学して、前記のような感傷は吹っ飛んでしまった。さばに≠ニいうのは同じく読谷村にある民族資料館に展示されてある小舟、これで、交易によって(台湾など近隣の国との)日常生活に必要な物資を運んだとか。このさばに≠ノなぞらえた障碍者の(子どもたちの)育つための小さな施設、さまざまな能力、ちがいをもった大人も子どもも、みんなでこいで進んでいくさばに=Aそれがさばにくらぶ≠ナあった。以下、紹介に入る。
だらだら坂を降りていくと、野良作業をしている青年に会った。見学させて欲しいというと、快く迎えてくれた。畑の横に山羊の小屋があって二頭のやぎがいた。何でも、残波岬(読谷村の)で山羊とニワトリ、ウサギが同居して動物とのふれあいの役目をはたしている一画があって、そこからもらいうけられたとか。一頭はおばあさんの名前がつけられているが、もう一頭は名前はない。
なんでも沖縄では、儀式のいけにえとして山羊が葬られるそうだが、人のばあさまの名がつけられたのは食われないように、とのさばにくらぶ≠フ方々の願いがこめられているのかも知れない。
施設の中に入るとパソコンで鮮やかな絵を描いている子、セロハンの袋に何かのシールをはりつけている子、それぞれ熱中している。私もシールはりの作業をさせてもらった。5枚ぐらいだったが結構神経を集中させないとできない。仕事とともに訓練になるだろう。私も一生懸命にはった。
生徒さんの一人が、私の頭をなでて、褒めてくれた。とてもうれしかった。この経験を帰阪してから生かしたいもの。いま、わがなにわ丸≠みんな多様ながら、みんなで漕ぎ出そうとしている。ありがとう、さばにくらぶ≠フ方たち。貧しくとも心豊かに生き抜けそう。これからだゾ。 09・2・5 大阪 宮森常子
色鉛筆 認定こども園
政府自民党は少子化対策のひとつとして、認可保育園に空きがなく入園できない「待機児童ゼロ作戦」を掲げ、保育園の企業参入の解禁、公立保育園の民営化等を進めている。そのひとつとして、06年10月より保育園と幼稚園を一体化した「認定こども園」制度をつくり導入した。保育園は、共働き家庭「保育に欠ける」0歳から就学前の子どもが対象で延長保育や給食があり、幼稚園は、法律上は「学校」で3歳以上が対象で、早朝や夜は開園していなく夏休みもあって弁当持参が基本になっている。政府は、保育園に入れない待機児童が増える一方で、少子化で定員割れしている幼稚園もあるので、一緒にすれば安上がりで待機児童を解消できると考えた。導入されて2年、認定こども園は保護者には好評で、幼稚園の親は長時間預かってもらえ、保育園の親は幼稚園と同じ教育が受けられる点を評価しているという。また、共働き家庭と専業主婦家庭が知り合うきっかけになっていたり、一人っ子の幼稚園児でも自分より年下の子とふれあえる等、地域で子育ての輪が広がっているようだ。
しかし、政府は認定こども園を全国で2000園目指しているものの、現在229園しかなく思うように広がっていない。どうして広がらないかという最大の理由は、保育園と幼稚園がそれぞれの既存の枠組みを残したまま「認定こども園」の看板を掲げているからだ。表のように、保育園と幼稚園の設置根拠は別々の法律で、所管も厚生労働省と文部科学省の二元行政で公費負担の仕組みや割合も異なっている。会計が別だから、光熱費や給食用の大根1本も案分して、保育園分、幼稚園分の書類を作らなければならなく、事業者にはかなりの負担がかかっているようだ。また、保育士と幼稚園教諭の給与体系も違い調整も簡単ではないという。私の住んでいる地域でも公立の保育園と幼稚園が一緒になって認定こども園になったが、それぞれが自分たちのやってきた保育や教育のプライドがあって、働く者同士がお互いに気まずい思いをしているということを知人から聞いた。やはり、お金をかけないでただ一緒にするだけでは上手くいくはずがない。
保育園と幼稚園は、子どもを育てる環境としては違わないのだから、幼保一元化にするべきだということは私が学生だった35年前からも言われ続けていた。働く女性が増え、子育てと仕事の両立支援のためにも幼保一元化にするべきで、女性が働いていてもいなくてもすべての子どもが社会の子どもとして、育てることができる公的保育制度を充実していけば少子化問題は解決されるのではないだろうか。ところが、政府は、制度一元化を見直そうという考えはさらさらなく、現在の公的保育制度(国や自治体の責任で必要な保育を実施するしくみ)を解体しようとする方向に動いているのだから驚いてしまう。
海外でも以前は日本と同様に保育園、幼稚園と分かれていたが、統合されてきた。3〜5歳児の教育・保育制度を所管する省庁はイギリスやスウェーデンは教育関係の省、デンマークやフィンランドは福祉関係の省が担当し、二本立ては韓国と日本、各州で制度が違うアメリカぐらいだという。そして、子育て世帯に対する公的支援も日本に比べて手厚く、働く女性が多いほど出生率が改善されているという。日本の子育て支援の財政支出規模(国内総生産比)は、経済協力開発機構の30カ国中26位という貧しさで情けなくなってしまう。
政府が、本気で少子化対策を行うならば、財政保障を十分に行うべきだが、政府は、認定こども園のようにお金をかけないで安上がりにやろうとする政策ばかりだ。子どもを安心して産んで、安心して子育てできる社会を誰もが望んでいると考える。(美)
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編集あれこれ
前号の紙面は、10面だったので分量としてはまずまずだったのではないでしょうか?
1面は、イスラエルによるパレスチナのガザ空爆を激しく非難しています。軍事力で圧倒的に優位なイスラエル、そのために多くのパレスチナ人が死んでいます。このようなイスラエルの蛮行に対し、米国大統領のオバマは何もしませんでした。これでは、前大統領のブッシュと50歩100歩です。何が「チェンジ」だと言いたいです。
2・3面は、ワークシェアリングについて述べています。この大失業時代にあって、ワークシェアリングは必要だと思いますが、経営側が考えているワークシェアリングは、自企業の正社員間での仕事の分かち合いでしかありません。これではダメです。企業内だけではなく、社会的なワークシェアリングが必要です。そして、正規労働者の長時間労働と非正規労働者の首切りを防ぐワークシェアリングが必要です。結局これらも、正規労働者と非正規労働者の連帯した闘いによって勝ち取られるものです。こうした闘いを、創り上げていきましょう。
4〜6面にかけての「世界大恐慌と歴史の転換点A」の記事については、こうした世界情勢を掘り下げて分析していることに、頭が下がる思いです。
その他、石原都政による、東京オリンピック招致活動や、新銀行東京のズサンな運営等税金の無駄使いを厳しく追及した本の紹介や、100年に1度の大恐慌からの脱却を、新しい高度な社会を作っていくことで克服するとしたコラムの窓、まさにその通りだと思います。
スリランカからの通信・反戦通信・ドキュメンタリー映画「ひめゆり」、は戦争の悲惨さを具体的に述べています。それから、読者からの投稿もありなかなか充実した紙面だったとおもいます。読者のみなさん、これからもワーカーズをよろしくお願いします。
(河野)