ワーカーズ391号 2009.4.15.
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定額給付金を社会連帯に! 今、最も必要としている人に! 定額給付金を有効に使いませんか!
いよいよ総額2兆円の定額給付金の支給が始まった。この給付金は、政府・自民党が公明党の求めに応じて考え出されたもので、その実態は選挙対策費であり、国民の税金で票を買うものであると、私たちは批判してきた。
こうした中、今全国各地で定額給付金の拠出運動が開始されている。
静岡では弁護士・学者・労働組合が協力し「雇用・生活を支え助けあう会」を結成し、「定額給付金を有効に使いませんか!今、最も必要としている人に」と呼びかけている。
三多摩市民基金の「定額給付金を社会連帯に!」という、呼びかけを紹介しょう。
◆「三多摩市民基金」の呼びかけ
定額給付金は、解雇され仕事や住居を失った人、ネットカフェ難民、路上生活者、DV被害者などで住民票のない人には支給されません。DV被害者の女性や子どもの分は、DV加害者が受けとってしまうということも起きてしまいます。
私たちは定額給付金に反対してきました。本当に支援が必要な人たちをサポートする制度設計にこそ、税金は使われるべきだと訴えつづけてきました。国立市や調布市の議会では「定額給付金の撤回を求める意見書」が採択されています。
私たちは、この給付金を何とか有効に使う方法はないかと考えました。そして、本当に必要な人々にこのお金が届くことを願い、「社会連帯基金」をスタートさせることにしました。
給付されたお金を、心ある市民の皆さんから基金としてご寄付いただき、その寄付金を、三多摩をはじめとして、さまざまな課題で活動している市民団体に、一括して寄付しようというものです。事務経費は呼びかけ人などからの拠出金を充当し、いただいたお金は全額を寄付します。
国民の7割が反対しているこの無責任な制度を私たちの創意と工夫によって市民連帯の運動に創り替えていきます。
さらに政府・与党は過去最大の15兆円09年度補正予算を決定。新経済対策と言うが、総選挙を意識したバラマキである。今回の補正予算によって、09年度の新規国債発行が10兆円上乗せされて初めて40兆円を突破する。
大借金の上に借金を積み重ねるもので、すべてのツケを将来の若い世代に押しつける悪政である。この悪政に終止符を!(若島 三郎)
日本型雇用から脱却しよう!――キーポイントは“均等待遇”――
派遣切り、雇い止め、人減らし解雇、内定取り消し等々。不況の底が見えないまま雇用破壊が拡がっている。今年に入って再び持ち上がったワークシェアリングも、日本型雇用システムが障害となって拡がる気配も見えない。企業依存で閉塞的な日本型雇用システムを連帯型雇用システムに切り替える突破口にもなりうるワークシェア。その拡大は日本型雇用システムからの脱却の闘いと表裏の関係にある。
■“雇用調整”の代名詞
今年の春闘で再び浮上したワークシェア。経団連と連合でその推進を確認しても、個別企業の労使段階では全くと言っていいほど拡がっていない。
今年1月5日に高木連合会長、1月8日に経団連の御手洗会長がワークシェアに相次いで言及。が、すぐ下火になった。個別企業や労使で消極的な声があるからだ。しかし08年度末には12万人の派遣労働者が失業する見通しなど、雇用破壊が急激に拡がるなか、3月23日に至って「日本型ワークシェア」の促進で政府・経団連・連合による政労使合意がかわされた。
「日本型ワークシェア」とはどういうものか。それは経営側が残業の削減などで労働時間を短縮し雇用維持に努力すること、労働側がコスト削減など経営基盤の維持・強化に協力し、政府が雇用調整助成金の支給拡充などに努力すること、などが柱になっている。とは言っても、中身はすでに拡がっている残業規制や一時帰休など、すでに個々の企業が採用している不況対策を追認したもので、それに政府の支援策を抱き合わせたものでしかない。結局はかつて経団連が「緊急避難型」と類型化し、連合が単なる雇用調整だと批判してきたものと同じ、要は正社員のあいだでの時短と賃下げによる「雇用調整」に過ぎない。
こうした「日本型ワークシェア」は名前こそワークシェアを語ってはいるが、実際上は正規と非正規、あるいは就業者と失業者に分断された日本の雇用状況からの脱却にはほど遠く、むしろそれを延命させるような代物でしかない。
■カベは日本型雇用
日本ではなぜワークシェアが拡がらないのだろうか。それは正社員と非正規社員の雇用保障と処遇が大きく分断されているからだ。日本型雇用システム自体に伏在する問題を引きずっているからだともいえる。
かつて終身雇用・年功賃金・企業内組合の三点セットを称して日本型労使システムだと称されてきた。それが企業一家といわれるような集団意識と雇用の相対的安定化をもたらし、あわせて労使運命共同体意識という企業への従属意識を生んできた。もちろんそうした日本型労使関係は、高度経済成長に象徴される右肩上がりの成長路線が背景にあった。
こうした日本型労使システムあるいは日本型雇用慣行は、バブルの崩壊によって大きな変貌を遂げることになる。
当初、日経連や経団連など経営者側がめざしていたのは、企業のコストアップ要因となっていた年功賃金の上昇を抑え、40歳後半から50歳代の賃金を引き下げることだった。手法は能力主義賃金や成果主義賃金の導入だった。そうした手法で確かに賃金カーブは高齢者の段階で右肩下がりになり、高齢労働者の賃金は下がった。
しかし福祉政策が貧困な日本では、労働者の生計費の大半を賃金によってまかなうことを余儀なくされているので、ライフサイクルで必要な費用は結局は賃金でまかなういがいにない。結局、高齢労働者の賃下げも経営者側が思った以上には進まなかった。
そこで導入されたのがいわゆる「新時代の日本的経営」で打ち出した複線型雇用形態だ。専門職や雇用柔軟型の活用と入っているが、要は正社員を非正規社員で置き換える雇用の再編である。
その延長線上に今日の非正規社員の爆発的な激増や派遣切りなど、労働者を人と見ないで単なるコストとしてモノ扱いする雇用構造がつくられたのである。
こうした雇用状況の推移を振り帰ってみれば、最近の派遣切りなどの雇用破壊は、日本的労使関係を経営者側が企業利益を基準として再編する過程でもたらされたものであることが分かる。そうした経営者側主導の雇用構造の再編を押し返していかない限り、派遣切りなどの雇用破壊や労働の分かち合いを本旨とするワークシェアも単なる雇用調整や賃下げの別称にならざるを得ないのだ。
■一時の“傷にばんそう膏”
昨年末以降の派遣切りなどの雇用破壊に対して、政府は緊急雇用対策と称して就業支援のプログラムを矢継ぎ早に打ち出している。
就業支援は主に企業に対する補助金で、解雇せずに残業時間を減らしたり、一時帰休などで雇用を継続した企業などに労働者一人あたり数十万円の助成金を支給するというものだ。その他、失業者への住宅支援金、再就職支援金の支給・貸付制度の導入、あるいはハローワークの拡充なども打ち出している。
これらの政府の雇用対策や就業支援策などは、これまで欠落していた雇用保険と生活保護の隙間を埋めるセーフティ・ネットとしてむしろ遅きに失した、というべきものだ。それらは今後も拡充していかなければならない。が、現在進行中の雇用破壊からの脱却という課題から見れば単なる対処療法の域を出ず、いわば傷口にばんそうこうを貼るたぐいのものでしかない。
なぜ雇用破壊・生活破壊は止められないのか。それは日本の雇用・生活確保をめぐる攻防戦が、労働者の闘いによって切り開いたものではなく、政府・企業による雇用政策の一環に押し込められてきたからだ。
そうした雇用政策も労働者の闘いで勝ち取ったものであれば実効性も確保できる。しかし、今回の雇用対策や政労使合意も、年末以降の派遣切りなどに脚光を集めた社会問題への対処としての意味合いが強い。労働者の闘いとしては、一部の派遣切りにあった派遣労働者や非正規労働者だけのものでしかない。多くの正規労働者は静観を決め込むか、本音では非正規労働者の存在を自らの安全弁として位置づけ、距離を置いている状況にある。
正規・非正規を問わない連帯した闘い抜きの雇用対策やワークシェアでは、労働者の連帯の基盤となる“労働の分かち合”いを実現するにはほど遠い。
■土台は“均等待遇”
労働の分かち合いによって雇用や生活を確保する闘いは、日本的労使関係、日本的雇用システムを変革する労働者の闘い自身によって実現する以外にはない。そうしたものと結びついたワークシェアの導入こそ、私たちが追求すべきものである。参考になるのが、西欧での経験だ。
たとえばフランスでは、派遣労働者の待遇は前任者の待遇と同じにするという“均等待遇”が法律で決められ、賃金や労働時間はもちろん、交通費や給食補助費も正社員と同じだという。
オランダでも法律や労働協約で派遣社員と正社員の“均等待遇”が義務づけられ、パート正社員がフルタイム正社員と同居するなど、労働者は様々なライフスタイルで労働し生活することが可能になっている。
こうした均等待遇の法制化はEU指令など、欧州規模で進んできた経緯がある。
たとえば1975年に男女同一賃金原則指令が発せられたのを皮切りに、76年には雇用・昇進の男女均等指令、97年にはパート労働の均等待遇指令、99年には有期労働の均等待遇指令、そして昨年の08年には派遣労働の均等待遇指令が出されている。
もちろんこれらは自然に成立したものではない。社会党政権時代の80年代に労働者の闘いで均等待遇が導入されたフランスのケースを見るまでもなく、これらは労働者の果敢な闘いの結果勝ち取ったものだ。確かに西欧での均等待遇もバラ色ではない。不況の影響などで形骸化も見られる。が、それはまた労働者の闘いによって押し返していくこともできる。ともかく自分たちで闘い取ったという経緯が均等待遇の実効性の確保につながっているのである。
これら西欧の経験を見るまでもなく雇用・生活確保のキーポイントは、正社員と非正社員を問わない“同一労働=同一賃金”原則をはじめとするあらゆる雇用形態の労働者のあいだでの均等待遇の実現にあることがはっきりする。
日本でのワークシェアの議論は、均等待遇の問題がはじき飛ばされ、雇用確保と賃金引き下げをバーターにしたものがほとんどだった。均等待遇の実現を前提にしたワークシェアを実現することが出来れば、あらためて雇用や賃金の領域での闘いでも、全労働者が結集した闘いが可能になる。
これまでの経緯を振り返ってみれば、均等待遇の実現と雇用確保の闘いは日本型雇用構造を変革する闘いと表裏のものであり、文字通り労働者が全力で闘い取らなければ実現しない課題でもある。戦略的な闘いとして位置づけて闘いを拡げ、そうした課題をこじ開けていきたい。(廣)
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G20の合意は保護主義の台頭を封殺できるであろうか
G20の合意
昨年の11月に始めて開催された世界の8割以上のGDP(国内総生産)を占める20カ国・地域(G20)首脳会議(金融サミット)が、再び4月2日に開催された。今回は、今までのG7という枠を外して、BRICs等を含めた協議を進める事で、世界規模に巨大化した経済危機からの脱出と新しい経済秩序の構築に向けた大きな方向性を確認する事が目的であった。
会議は、大恐慌以来最悪の世界的な経済危機に対処するため、IMFや他の機関を通じて利用できる新たな資金源として総額1兆1千億ドル(これには特別引出権(SDR)2500億ドルが含まれる)を拠出する事を決めた。そして最貧国向け融資資金の調達や保有する金の売却を加速するよう求め、さらに世界の貿易を促進するため、2年間にわたり2500億ドル規模の貿易支援策を講じ、そして金融危機の再発を防ぐため金融市場の規制の強化とヘッジファンドの温床であるタックスヘイブン(租税回避地)のブラックリストの公表や大規模なヘッジファンドや格付け機関を初めて監視すると主張した事、そして彼らへの現実的な制裁を示唆する事で合意した。
このように各国での積極財政への転換の確認と貿易の大幅減少で打撃を受けている貿易大国である中国やブラジルなどその他の新興国・貧困国が支援される方向性が示されたのである。
議長国である英国のブラウン首相は「今日は世界的なリセッション(景気後退)に立ち向かうため、世界が一致団結した日だ。言葉ではなく、世界経済の回復と改革に向け、明確なタイムテーブルを設定した」として、各国は2010年末までに総額5兆ドルに上る財政刺激策を実施する事で合意したとも述べた。今回の措置に関わって、G20の声明では、世界の生産が来年末までに4%押し上げられるだろうとの希望的観測を示した。
オーストラリアのラッド首相は、「この日の合意は、世界の市場を崩壊させた金融市場の『カウボーイ』摘発を始めるもので、あらゆる面に影響を与える」と述べ、時の人・ オバマ大統領も、「われわれは、成長回復と危機の再発防止に向け、前例のない一連の措置を講じることで合意した」と語った。また「現在の危機を深刻化させる可能性のある保護主義を否定した」として、この会合を世界経済の「転換点」と位置付けた。河村官房長官も、「期待以上の成果をあげ、歴史的意味があった」と絶賛した。まさに自らの足下を直視せず儚い希望を述べたに過ぎない空文句の洪水ではある。要するに、彼らは世界経済の深刻な現実をほんの一時にせよ忘れていたいのである。
しかし、ご祝儀相場として世界の株式市場は、欧州株式市場では4・9%、米国市場ではダウ工業株30種が2・8%、ナスダック総合指数は3・3%、S&P総合500種は2・9%も上昇した。
保護主義の台頭
今こそ現実をしっかりと直視せよ。この会議後の美辞麗句とは裏腹に、全世界の生産の需要が大きく減退するにつれ、世界の貿易量が減少して、各国では現実に保護主義が台頭している。
世界的な経済危機に関しては、30年代の世界恐慌との比較が必要だ。世界貿易を巡る視点はその核心である。30年代前半に貿易は恐ろしいほど減少した。世界的な需要が急減し物価が急落して、そして各国政府が関税引き上げの応酬という破壊的な保護主義の報復合戦に乗り出したからだ。「これで第二次世界大戦は不可避になった」と断言した高橋亀吉氏は、戦後戦犯として追放されたのである。
貿易は今再び、近年例を見ない収縮ぶりを示している。世界貿易機構(WTO)は、この3月末、世界の財の貿易量が今年9%縮小すると予測している。これは1982年以来の貿易フローの減少となる。
1990年から2006年にかけて、貿易量は年率6%超の割合で増加し、その間約3%だった世界のGDP(国内総生産)成長率を大きく上回った。しかし、今、世界経済恐慌により、生産量は減少し、それを上回るペースで貿易が縮小している。この混乱は、富裕国と貧困国とが同じように売り買いする、あらゆる財の取引を大きく揺るがした。生産をリードしてきたアメリカやヨーロッパや日本の自動車生産の落ち込みに注目せよ。
昨年11月に開催されたG20サミットで、先進国と新興国の首脳は保護主義を回避すると宣言した。しかし、この誓いは実際には守られてはいない。世界銀行によると、昨年11月以降、G20のメンバーのうち17カ国が合計47の貿易制限の措置を取ってきたのである。
現代の保護主義は30年代の保護主義よりも見えにくい。世界大恐慌の時代は、関税を高くする事が主要な武器だった。この目に見える措置が貿易相手国の幅広い報復措置を引き寄せた。このブロック経済圏の形成により第二次世界大戦が起きたのである。
しかし、今回引き上げられた関税は少ないが、許可要件の厳格化や輸入禁止措置、反ダンピング対策(輸出業者が原価割れでダンピングしたと考えられる商品に追加的に課税する措置)が取られている。このように先進諸国は、景気刺激策の中に自国を優先する差別的な調達条件を盛り込んでおり、経営に苦しむ国内産業に補助金を支給している。これが現代の保護主義のやり方である。見えないところで悪知恵を尽くす。これが彼らの国際協調の真実である。
G20声明では、世界の生産が来年末までに4%押し上げられるだろうとしたが、直前の3月末の世界貿易機構(WTO)は、世界の財の貿易量が今年9%縮小すると予測している。さて果てどちらの判断が正しいのであろうか。
09/04/12 清野 真一この答えは年末まで待つ必要があるであろうか。私は答えはすぐに明らかになると確信している。労働者民衆の大衆行動を発展させて行こうではないか。 (直記 彬)
コラムの窓・北叩き、そんなに楽しいか!
恐るべき大騒ぎの末、めでたく飛翔体≠ェ日本上空を飛び越えました。もちろん、何の危険性もなかったし、被害もありませんでした。それでも、制裁だと日本政府は叫んでいますが、同じことをしても朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)だから怪しからんというのはどんなもんでしょうか。ほとんどいじめの世界です。
人工衛星を打ち上げている国は日本を含めて多数あるし、ミサイルを開発している国も多数あります。日本は核の平和利用、原発の推進・高速増殖炉開発を国策としていますが、大物政治家の核武装発言があるなかで、軍事転用が目的でないと証明できるだろうか。北朝鮮が人工衛星≠セと言うならほっておけばいいし、ミサイル開発を思いとどまらせたいならまずいじめ≠やめるべきでしょう。
1段目は日本海に、2段目と3段目は太平洋に落ちたのに、「人工衛星」は飛んでいるとウソをついており、非民主的な独裁政権という評価は正当です。しかし、日本の現状をみるとき、北朝鮮を笑ってばかりおれません。例えば沖縄密約がありますが、これはアメリカで公開された情報によってすっかり明らかになっているのに、日本政府は未だに密約はない≠ニウソをつき続けています。
これなどは、日本外交が国民に真実を知らせないでウソをつくことによって成り立っており、密約の存在を認めてしまうとそうした外交、要するに米国との軍事・経済一体化が危うくなるからです。アフガニスタンやイラクを巡る自衛隊派兵も、情報を閉ざすことによって事実を隠し、憲法を踏みにじっています。これを「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と公言した小泉の態度は、金正日独裁とさして違わないのではないでしょうか。
見え透いたウソをつき、情報を隠して国民を欺く、この金正日の政治は日本の政治でもあります。苦しいときの北叩きは国策みたいなものですが、今では日本社会の宿痾となってしまった感があります。北敵視の愚かさを自覚することなくして、日本社会のこの病が癒えることはありません。北朝鮮国民が抱いているであろう日本に対する歴史的な恨み、現実的な恐れに思いをいたすだけで、この不幸な関係は半分くらい解決するのではないでしょうか。
それにしても、打ち上げ前日の誤報騒動はあまりにひどいものでした。私は夜勤の始業前で職場の休憩室でテレビを見ていたのですが、「ミサイル発射」が報じられ、慌てふためいた末に「誤報でした」と訂正されたのです。これは全世界に報じられたというから、大恥掻きです。中川某の醜態のあとですから、恥の上塗りですが、もうどうにでもなれというところです。 (晴)
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フランスにおける第四インターナショナルの崩壊
今年の一月二十九日、フランスの労働者民衆は、フランス全土でゼネストを決行しました。その参加者は五百万人とのいわれる空前絶後の人数です。この決起に特徴的なのは、地方の人口五万人クラスの小都市にまで参加者がいることです。例えばロワール・アトランティック県の人口七万のサンラザール市では、一万五千人のデモが市内を席巻しました。もちろん首都パリや大都市のマルセイユでは、三十万人が参加したのです。
そしてこれらのデモに敵対したのは、政府だけではなく、社会党やCFDTや共産党やCGTの既成の労働運動指導部でありました。昨年来、労働者民衆は彼らの制止を振り切り決起していました。このゼネストの直後、政治的激動が始まったのです。
その激動とは、フランスの「新左翼」の最大党派の第四インターナショナル統一書記局派(LCR)に関わっています。二月五日、LCRが解散して、二月六日「反資本主義新党」(NPA)が結成されたのです。創立大会では、今年六月に予定されているヨーロッパ議会選挙に統一戦線=「左翼戦線」を結成して、統一候補を立てる事を決議しました。
この「左翼戦線」は、二月一日に結成された社会党の脱党者からなる「左翼党」が提唱してきたもので、今回のLCRの解党は、自らの社・共への加入戦術の誤りをこれ以上放置できないがゆえの決断でした。党首のメランションは、「共和主義的な綱領左翼改良主義の党であり、“共産党と極左勢力との橋渡しをめざするつぼの党”である」としています。彼らはドイツでの左翼党がした事をしたいと明言したのです。まさに泥船なのです。
こうして階級闘争の激化の中で中間的党派はふるいにかけられて脱落していきます。まさにいずこも同じ秋の夕暮れとはなったのです。フランスの第四インターナショナル統一書記局派が抜けた事で、第四インターナショナルはその実質的本体を失いました。第四インターに加入していなかったトロッキー派の「労働者の闘い」派も今回の「反資本主義新党」の結成から大きな影響を受けたのです。彼らもまた選挙闘争を重視しています。
全世界的な激動の中、日本でもフランスでも、単なる数あわせの選挙戦術ではなく、全社会を作り替えるアソシエーション革命派の断固たる登場が求められています。(笹倉)
節約≠フおとし穴について −干し物から得た実践知−
少しでも余裕のある生活をしたいと思って、消費を節約してお金を貯めようとし、結局はお金に支配されることになる。逼迫してくると、なおなおケチケチと節約しようとする。それはちょうど塀の中のこりない面々≠フ同窓会で、元ヤクザのおっさんが述懐したように庶民は絞っても絞っても乳を出す乳牛みたいなもんだ。その乳をかっさらって、お上と自分たちが分け合って飲むことになる≠ニ。
現在では状況は多少変わってきているであろうが、全くこんちくしょうだ。さてどうするか。洗濯物を乾かすことを例にとってみる。体力のあった頃には、太陽に干しに物干場に上がって干したものだったが、年とともに体力が衰えると、ついランドリーへ行ってコインを入れて乾かし、楽なものだから、つい易きにつき良い天気の日でもランドリーのお世話になろうとする。
八十を半ば超えたばあさんでも屋上に干しに上がるという。私も物干に上がってみようと、脳細胞が動き出して決定し、肉体を引っ張って行くことになる。太陽熱で乾かすと日光消毒にもなり、結果としてコインを使わずに済む。太陽のエネルギー(自然エネルギー)を利用し、小さなエコとなろう。
脳ミソが肉体を引っ張っていくのは、分裂している精神と肉体のバランスをとる一つの手立てであろうが、長続きする形を発見していくのでなければ、無理をして線香花火に終るだろう。これがいわゆる自然体というのではなかろうか。先に脳細胞が動くか、肉体が動くかのちがいはあろうが。
4月1日、NO.390号ワーカーズ紙のコラムの窓#]ストレスをどのようにして克服したか、の記事がある。ストレスというのは、人は外側の世界では何らかの役割を演じなければならず、何かはっきりとつかめない自己との分裂状態を生きねばならないところに生ずるものであろう。
私の場合、やりたいこと、夢見ることがいっぱいあっても体がついていかない。分列状態を生きる苦痛というより、焦燥感がつのる故の不健全さとでも言おうか。そこで易きにつきたがる傾きを建て直し、維持できる形をみつけて、己を超えていくことを試みようとする自分に気を良くし・・・。さらに慣れによる壁が生じれば、また同じような運動を繰り返していく。このようないま≠ニいう毎日の連続。
死してのち止む≠フコンラッドのようでありたいと思う。その中に楽しみもあろうし、少しも苦にならないだろう。人生、楽もありゃ苦もある、ということで自らを信ずることもできよう。これが手塚治虫氏のブッタ≠フ結論、「己の中に神を見出す」ということかも知れない。私のノートの表紙は「わが捜神記」と記してある。
09.4.2 宮森常子
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映画「山椒大夫」
私の住んでいる街に昔ながらの町医者がいる。彼は、石炭火力発電所反対などの住民運動にも参加して、医者の立場から草の根運動を続け、石炭火力発電所は住民の力で阻止することができた。彼のモットーは「よく噛んで、腹八分目、いつもニコニコ、よく歩く」。患者としっかり向き合って、病は薬で治すことではないことを言い続けている。(薬でボロ儲けしている医者とは大違い)
そして、彼は毎月一回、土曜日の午後、病院の二階で無料の映画会を行っている。今年のテーマは「社会のあり方を考える映画会」。興味を持った私は「山椒大夫」を見に行った。タイトル名も作品の内容も何も知らずに見に行き、白黒のモノクロ画面に懐かしさを感じながら「安寿〜厨子王〜」という母(田中絹代)の声に涙を流して、最後は「あっぱれ厨子王!」と感動してしまった。この映画は、森鴎外による小説を1954年、大映で溝口健二監督によって映画化され、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲得するなど、海外でも高く評価されたという。
『時は、平安時代の末期、平正氏は朝廷の意に反して困窮する農民を救おうとして筑紫国へ左遷された。平正氏の妻・玉木と、その子厨子王と安寿の幼い兄妹は、正氏に会いに行く途中、越後国で人買いに騙され、母は佐渡に売られ、子供二人は丹後国の苛烈な荘園領主・山椒大夫に売られ奴隷としてこき使われるようになってしまった。十年の月日が流れ、佐渡から売られてきた娘が口すさんだ歌に、厨子王と安寿の名が呼ばれているのを耳にして兄妹は母の消息を知った。安寿は厨子王に逃亡を勧め、首尾よく兄を逃がした上で自分は池に身を投げてしまった。都へ出た厨子王は、関白・藤原師実の館へ直訴し、一度は捕らわれて投獄されたが取り調べの結果、彼が平正氏の嫡子である事が分かり、師実は厨子王を丹後国の国守に任じた。彼は着任すると直ちに人身売買を禁じ、右大臣の私領たる山椒大夫の財産を没収して奴隷たちを解放した。安寿が亡くなったことを知り悲しみ、師実に辞表を提出して佐渡へ渡り、「厨子王恋しや」の歌を頼りに、落ちぶれた母親と涙の対面をした』
私は、厨子王が国守になって奴隷達を解放すると、自分の地位や財産にしがみつかないで辞めてしまったことに驚き感動した。 というのは、奴隷達の姿が今、日本で企業に都合のいいようにこき使われて、いらなくなれば切り捨てられてしまう派遣労働者の姿に重なったからだ。大企業の資本家達や政治家達は、この映画を観て厨子王を見習ってもらいたい。現代の厨子王は出現するだろうか?五十五年前の映画と思えない作品で現代の社会にも通じる内容だった。DVD(角川映画)も出ているようなので機会があったら観て下さい。(美)
色鉛筆‐エコ・エコノミーの世界
毎年、4月はチェルノブイリ原発事故を忘れまいと、アピールする集いが持たれます。主催は、09ノーモアチェルノブイリ関西の集い実行委員会で、今年も、その集いに賛同団体として参加し、脱原発の思いを共有化してきました。TVなどで原発をクリーンエネルギーと盛んに宣伝する推進派に、だまされてはいけません。そのためにも、真実を見極め今何を選択しどう行動すべきか、地震を踏まえた対策をこそ考えねばならないのです。
いつも、創意工夫された集いに感心させられますが、今回もオリジナルのビデオ作品が初公開されました。若者たちの疑問を解き明かす作業のなかで、自ずと高速増殖炉「もんじゅ」の構造・問題点を指摘し伝えていく。そして各地の反対運動の紹介、広島での原爆症に投下直後から患者に携った医者の話。どれも、すでに知っていたことと思っていたのに、新鮮に聞こえるのは何故なのか、新作ビデオ「山のかなた」の宣伝効果は間違いない!と確信したのは私だけではないと思います。
講演は、明治大学名誉教授の藤井石根さんが「クリーンエネルギーと私たち」をテーマに行なわれ、「自然エネルギーの耕作量」など新しい言葉を耳にしました。自然が与えてくれたエネルギー源、太陽熱・太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスなどを発電・発熱し、年間の耕作量を計算すれば、1968年度の一次エネルギー消費量に相当するということでした。本気で取り組めば、石油やウランは必要なくなる、それには私たちの生活の見直しも必要ですが、政策的に取り組むことが急務です。
例えば、太陽光発電で余剰電力を電力会社が購入する時、日本では1キロワット時約23円ですが、ドイツ・スペインでは約70円、韓国では65円で、日本の低さに唖然とします。購入時の金額をもっと上げれば、自宅・企業など太陽光発電を試みる人は増えるでしょう。政府は10年後に今の10倍の太陽光発電量を目標に定めていますが、今のままでは達成は困難でしょう。つまり、海外向けの太陽電池の出荷量が、国内向けの3倍にも達している現状が、今の日本の姿勢(輸出で利益を得ること)を映し出しているといえます。
表題のエコ・エコノミーは講演で教わった言葉ですが説明は、
「もし、持続性のある社会の構築を望むならば、『経済も環境の一部』でしかないとの考えに改め、『環境の保全』や『資源の再生や再利用』などが全てに優先、かつ尊重される社会、すなわちエコ・エコノミー社会を形成しなければならない。その社会を支配する経済は、当然、エコ・エコノミーというべきものである」
大量生産で、一部の資本家だけが利益を手に入れる社会は終わりにしましょう。必要なものを必要なだけ生産し、人や物を大切にする社会に生まれ変れる、その選択はきっとできるはずです。 (恵)
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編集あれこれ
本紙前号2面から続くふたつの論文において、行き詰まり展望をなくした現体制に代わるオルタナティブ社会の可能性や、地域の共闘組織の復活の必要性が論じられています。私の経験からも、かつてのビッグネーム権利の全逓≠フ恐るべき転落の過程は、企業内組合の必然の姿とはいえ、民営化後の他労組による合法的時限ストに敵対する現在の姿にはものの哀れすら覚えます。
全逓がまだ闘う組合だったとき、第2組合・全郵政がその闘いに敵対し、スト破りを繰り返しました。この両労組の合併によって誕生したJP労組、路線的には全逓が全郵政に屈服したものであり、日本最大の単一労組だそうですが、職場においては壮大なゼロ≠ノすぎません。企業危機が同時に組合存続の危機となれば、闘争路線を店じまいして逃走≠キるのも仕方ないのか。
そんななか今春闘において、思いがけなくも時限ストに立ち会うことが出来、ずいぶんと昔を思い出しました。兵庫においては35年ぶりとなったストは、たった1時間の時限ストですが、合法的争議なので当局側は手出しも出来ません。敷地内からただ見ているだけで、それが実に愉快でした。
手元にある全逓兵庫50年記念誌「明日への架け橋」をみると、スト権奪還ストを闘った1975年春闘の96時間連鎖拠点ストライキにおいて、私が所属していた全逓西阪神支部もストに入っています。つまり、私もそのときに非合法の全1日ストに参加していたのです。あの当時は、拠点ストに入った局の門前にピケを張りに行ったりもしたもので、懐かしく思い出されます。
少し脱線して思い出に浸ってしまいましたが、問題は新たな社会、生産や消費、労働のあり方はどう変わらなければならないのか、変化の萌芽はどこにあるのかということだと思います。遠いかなたの理想や夢に過ぎないものとしてではなく、今日と地続きの明日へとつながる現実のなかで、それを見出さなければならないのだと思います。
ひどく難しくはあるけれど、さしあたってそれは企業内で完結することのない組合や、単一の利害や価値観に凝り固まった組織ではない人々の集まりであったりするのだろうか。8面で紹介されている映画「善き人のためのソナタ」の主人公、東ドイツ国家保安省局員(シュタージ)ヴィースラーも価値観が違う生き方に触れることによって、その目が「次第に軟らかい人間性を帯びてくることに驚かされる」と指摘しています。 (晴)