ワーカーズ392−393合併号    2009/5/1     案内へ戻る

日本型雇用への復帰か、それとも連帯型雇用への転換か――雇用構造をつくりかえよう!――

 “格差社会”の拡がりで財界や小泉首相などが主導した利潤至上主義に基づく市場万能型社会の破綻が露わになった。その破綻は米国のサブプライム危機に端を発した昨年以降の世界的な金融恐慌と深刻な不況で決定的となった。
 100年に一度といわれる世界的な不況の深刻化で市場万能論は吹っ飛び、いまでは政府の財政支出を柱とする総需要拡大策が世界を覆っている。まさにケインズ政策への回帰のごとくだ。
 世界的な不況の深刻化のしわ寄せを真っ先に押しつけられた労働者の間で雇用破壊が拡がり、いわゆる“日本的雇用”の見直し気運も高まっている。たしかに現在進行中の雇用破壊に象徴される労働者の雇用や生活が木の葉のように軽く扱われる雇用構造は変革しなければならない。
 しかし単なる日本的雇用への回帰の願望は、それ自身に特有の労働者にとっての閉塞状況が視野から抜け落ちているし、現実的にも元の鞘に収まる基盤はすでに崩れている。
 では、使い捨て労働者を大量に生み出した現在の正規・非正規に分断された“複線型雇用”でもなく、企業に従属的なかつての日本型雇用でもない、労働者の生活と連帯の土台となるような新しい雇用システムをどう展望するのか。
 めざすべきは“同一労働=同一賃金”原則、いわゆる“均等待遇”原則の確立だろう。同時に世帯単位からシングル単位への労働・福祉システムへの再編もめざす必要がある。これらは連帯型の雇用構造につながるものだからだ。
 こうした雇用の再編は手をこまねいていては実現不可能だ。あの石油ショックに際しては、経営側は賃金ガイドラインを武器に賃金を押さえ込んで復活の基盤をつくった。平成不況に際しては非正規化を強引に進め、コストダウンによって対外競争力を高めた。そうした経営側主導の雇用再編を許してはならない。私たち労働者が主導した腰を据えた闘いによってこそ、連帯型の新しい雇用システムをつくりだせる。
 100年に一度といわれる大不況は、労働者陣営としても正念場である。(2面に関連記事)(廣)

めざすべきは均等待遇型雇用システム――日本型雇用への郷愁を断ち切って――

■拡がる雇用破壊

 今回の世界的な不況の拡がりで真っ先にしわ寄せを受けたのが派遣労働者だった。いわゆる“派遣切り”“雇い止め”である。
 企業は平時では低コスト労働者として、いざというときには正社員の雇用の安全弁として派遣や請負、あるいは契約社員や期間社員といった多様な非正規労働者を増やしてきた。使い捨て労働者の大量生産である。
 昨年12月のソニーの大量の人減らしの発表を期に、瞬く間に雇用の切り捨てが大手製造業を中心に拡がった。そのあおりを最も早く受けたのが製造業で増えていた派遣労働者の中途解雇、いわゆる派遣切りや雇い止めだった。企業は当然のごとく、不況に直面してそうした非正規労働者を切り捨て始めた。
 不況の拡がりとともに派遣切りや雇い止めは止まるところを知らず、一定規模以上の派遣切りを集計した政府の統計でも年度末までに12万人、派遣会社を対象とした民間の推計では年度末までに40万人の派遣労働者が職を失うという事態になった。
 こうした派遣切りの衝撃は、年末始に取り組まれた“年越し派遣村”の一部始終がマスコミ報道にものって瞬く間に社会問題となり、日本の政労使のそれぞれに深刻なインパクトを与えることになった。
 雇用破壊は派遣労働者にとどまらない。
 年がかわると今度は就職内定者の首を切る“内定取り消し”が相次いだ。正社員の人員削減で希望退職者の募集も拡がり、また新年度の採用人数も大幅に削減された。
 こうした雇用破壊の拡がりと平行するように、生活保護世帯が増え、年明けに急増した地域も多い。派遣切りなどで一端職を失えば、住むところも追い出され、再就職もままならずに最後のセーフティ・ネットといわれる生活保護に直結せざるを得ないという、雇用のセーフティネットの欠落が大きく浮かび上がってきた。
 不況の深刻化による倒産が増えて雇用が失われることはいうまでもなく、企業の生き残りのためにそこで働く派遣など非正規や正社員の削減が強行されることで雇用破壊は進む。いつの時代でもしわ寄せは真っ先に労働者がかぶることになる。
 こうした雇用破壊を目の当たりにして、政府を始め経営者や労組は不況対策の一環として雇用の維持や再就職支援策を打ち出している。またそうした対処療法とは別のところで“日本型雇用”への回帰現象も語られるようになっている。「昔は良かった」式の回顧談はともかく、雇用の安定を目的とした日本型雇用への回帰願望は、中長期的な、あるいは次世代を見越した将来展望とはなり得ない。時代的な背景やそれ自体が持つ閉塞的性格を過小評価したものが多いからだ。

■会社人間を生み出す日本型雇用

 未曾有の不況下で深刻化している雇用破壊を前にして、かつての日本型雇用への郷愁のようなものが語られている。
 それらはかつての企業は労働者を大事にし、いったん不況に陥っても配当や内部留保を取り崩しながら耐えて雇用に手を付けることは最後の手段だった、あるいは安定した雇用という基盤の上で、企業への帰属意識が強く労働意欲も高かった、あるいは職場全体やチームの仲間意識が働き、技術や知識の継承なども含めて、企業全体では生産性も高かった、などというものだ。
 そこでいう“日本的雇用”というのは終身雇用、年功序列賃金を柱とする雇用慣行のことで、それに企業内組合を含めて“日本的労使関係”と称されてもきた。日本的雇用ではそうした利点も確かにあった。しかしそれはあくまで物事の一面に過ぎず、陰の部分もつきまとってきた。
 日本型雇用の陰の部分とはどういうものだったのか。
 それは戦後復興期以降の若年労働者不足という状況下で、中卒や高卒の若い労働者を年功を重ねればやがては一人前の賃金を得ることが見込まれるという希望を振りまきながら、実際には独身寮や社宅などでやっと一人生活できるだけの低賃金で雇える、低コストの雇用システムだった。年功を重ねるに従って生涯生活費に対応して賃金は引き上げられるが、やがては子供の養育期が終わる50代以降は再び賃金は引き下げられるようになる。その間、労働者は企業に忠誠心を強いられ、馬車馬のように働かくことを強いられてきた。その名残がいわゆる“企業戦士”であり、それは今でも“名ばかり管理職”やべらぼうな残業漬けを余儀なくされる労働者が多いことに引き継がれている。結果的に日本型雇用は、どの年代層でも賃金を最低生活費レベルに押さえられる企業にとって都合の良いシステムとして当時の日経連が主導して導入されたシステムだった。
 こうした労働者の生涯設計に直結する雇用と処遇は、当然のこととして個々の企業への労働者の忠誠心や帰属意識は強くなる。個々の労働者の生活は、その労働者が働く企業の業績と直結するからだ。仮にその企業が倒産すれば、他の企業に再就職するとしても賃金は一気に下がることになる。あるいは倒産しないまでも、その企業からの人事評価のさじ加減で処遇が左右されることになり、会社を変わるリスクを考えれば労働者は企業には逆らえない、という従属的な関係が形成されざるを得ない。
 当然そこの労働組合も個別企業を基盤とした従業員組合にならざるを得ない。結果的に労使システムとしては“企業あっての労働者”という労使運命共同体意識が浸透し、企業一家的な企業に従属した労働者と労働組合が再生産されざるを得ないことになる。ストなし春闘や平成不況下での企業のリストラ攻勢、あるいは最近の雇用破壊での企業内労組の無気力・無力さは、そうした労使関係を反映したものだった。
 本来はそうした雇用構造から脱却して企業横断的な労使関係に再編していくことが永年の日本の労働運動にとって大きな課題だった。そうしなければ労働運動としての使命が果たせないことは誰の目から見ても明らかだったからだ。しかし、幾度となく浮上したそうした課題への取り組みは、その都度挫折してきた。
 しかし、そうした日本型雇用は経営側の再編攻撃によって劇的に変わることになる。

■日本型雇用を再編した「新時代の経営」

 日本で“日本型雇用”が慣行として定着したのには理由がある。それは当時の状況とマッチしていた面があったからだ。
 戦後復興期から高度成長期を思い起こしてみよう。そこではピラミッド型の人口構造、広範な零細自営農を背景とする大都市でのコンビナート中心の新興工業国、追いつけ追い越せ型の低賃金を武器にした輸出主導の高度経済成長、若年労働者不足、貧困な国家による福祉制度等々が見いだされるはずだ。
 しかしそうした段階は冷戦終結後の経済のグローバル化やバブル経済の破綻で一変した。財界団体は対外競争力の強化を意図して高コスト構造からの脱却を掲げて大胆な戦後型経済・雇用構造の再編に乗り出した。それが新自由主義的な市場原理に依拠した構造改革で、その雇用版が1995年の「新時代の『日本的経営』」だった。
 当時の日経連が主導した雇用の再編は正社員中心型の雇用構造から複線型の雇用構造への転換をめざしたもので、要は正社員の非正社員による置き換えだった。その結果は、いまでは総労働者数の3分の一を超える各種の非正規労働者の爆発的増加だったことは、あらためて指摘するまでもない。そしてその非正規化が、深刻な雇用破壊の土壌となってきたのである。
 こうした雇用構造の再編によって劇的に賃金コスト削減を実現し、その他の企業活動に対する各種の規制緩和策と相まって『失われた10年』を経て再び輸出主導の復活をもたらした。それが現在の大不況の発端となった米国以上に深刻な不況をもたらしている輸出主導型経済につながってきたのである。
 こうした経緯を考えれば、日本の雇用システムの変容は、労働者の闘いの成果とはとてもいえない。逆に利潤の拡大を追い求める企業側の強引な再編策として推し進められてきたのが実情だった。こうした経緯を見れば、かつての日本型雇用の良い側面に対する郷愁のような願望だけでは、安定した雇用や労働者の連帯の土壌となるような雇用構造への再編はあり得ない。

■均等待遇とシングル単位

 単なる日本的雇用への回帰の願望では、それ自身に特有の労働者にとっての閉塞状況から脱却することはできないし、それ以前の問題として現実的にも元の鞘に収まる基盤はすでに崩れている。 いうのは、当時は日本型雇用構造が成り立つ客観的な背景があった。が、それは今では様変わりしているからだ。
 たとえば、追いつき追い越せ型キャッチアップ経済は遠い過去の話だ。むしろ中国やインドなどを始め、新興工業国に追い上げられているのが実情だ。かつてのような高度成長が期待できる環境にはない。
 それに現在の日本はすでに大量の非正規労働者が存在する。人件費のこれ以上の削減は、国内需要の崩壊をもたらすとはいえ、非正規雇用のうまみを体験した経営は、生き残りのためには非正規社員を正規社員で置き換えることは、強制されない限りは限りはあり得ない。
 さらに労働者の年齢構成からも回帰は困難だ。少子高齢化社会が進んでかつてのピラミッド型の人口構成は崩壊し、いまでは逆ピラミッド型、あるいはビヤ樽型になっている。年功賃金による若年層の低賃金化で得られるメリットよりも中高年労働者の高賃金に企業は耐えられない。
 さらに経済のグローバル化に伴い、国境を越えた労働者の流動化も進んでいる。いずれは労働者不足などで外国人労働者の活用も避けられなくなる。それらも含めた日本型雇用への回帰はもはや不可能だろう。
 これらの事情を考えれば、現在の複線型の雇用構造をかつてのような終身雇用と年功序列の日本型雇用に戻すことは不可能に近いだろう。
 となればめざすべきは同一労働=同一賃金原則――いわゆる均等待遇原則の確立だろう。西欧型の雇用構造ともいえる。それを実現するためには公正な職務評価、労働者の内なる差別主義などをも打破していかなければならない。かつて失敗してきただけに、ハードルは高い。さらには現状に合わせた世帯単位からシングル単位への労働・福祉システムへの再編も不可避だろう。
 労働者の時代を切り開く力が試されている。(廣)案内へ戻る


海賊対処法案を許すな!

1 はじめに
 右翼の新しい星、田母神の新刊本が書店の棚を飾っている。そのなかの1冊「田母神塾」は統合幕僚学校での講義を再現したものだそうだが、その内容は次のようだ。
Q 国境侵犯にはどのように対処すべきですか?
A 領空侵犯機はただちに撃ち落とし、
  不審船は粉にして日本海に沈めてしまうべきだ。
Q 拉致問題はどう解決すべきですか?
A 私は自衛隊が取り返しに行くべきだと思います。
 全く笑ってしまうが、田母神は塾頭として鼻高々なのだろう。そして、笑ってばかりおれないのは、こうした荒唐無稽な主張が受け入れられる素地がこの国にはあるということだ。3月30日の千葉県知事選において、森田健作が100万票を超える県民の支持を得て勝利したのも、この国の今を象徴している。この結果、東京都の石原知事、神奈川県の松沼知事、埼玉県の上田知事、そして千葉県へと右翼連合が拡がった。これに大阪府の橋下知事を加えてもいいのだが、実に憂うべき現実である。

2 アフリカの角・ソマリア
 イタリアとイギリスの植民地。1960年に独立。ソマリア民主共和国、首都モガディシオ、ソマリア族、ソマリア語、イスラム教。以上、単一民族・単一言語・単一宗教だが、6つの氏族、16の準氏族に分かれ、権力争いが続く。1991年、アイディード将軍率いるUSC(統一ソマリア会議)が権力を握るが、内紛が発生。冷戦時に米ソから供与された武器が使用され、他氏族を巻き込み全土に内戦が拡大し、ソマリアは無政府状態に陥る。
 米国が主力となる国際平和維持軍が「希望回復作戦」を展開。1993年10月3日、米軍の兵員輸送ヘリ・ブラックホークが民兵によって撃墜され、クリントン大統領は米軍撤退を決定した。

「最終的には22カ国の兵士が、維持する平和など無かった土地で、国連平和維持軍に参加した。何人の兵士達が命を落としたことだろうか。・・・ソマリア人を助けにいって、ソマリア人に殺される理不尽さに腹が立つ。これをはるかに超えるソマリア人が、希望回復作戦以後、命を落としたことも間違いない。ソマリア人を助けにいって、ソマリア人を殺すはめになった理不尽も悲しい。ソマリア人の犠牲者については、確かな数字さえ存在しない。自業自得のものもいる。けれど、戦争はいつも罪のない多くの犠牲者も作り出す」(小山久美子「ソマリア・レポート」)

3 ソマリア沖海賊の正体
 獨協大学教授の竹田いさみ氏は、海賊の正体について次のように指摘している。「プロの犯罪集団であって、単なる元漁民などではない。海賊行為に走る前から、私設の自称コーストガードを創設。外国漁船に密魚の嫌疑をかけて高額な罰金を徴収し、さらに法外な入漁料を請求するなど、カネ目当ての脅迫行為を続けてきた連中だ。彼らがさらなる資金源として注目したのが、人質ビジネスとも言える身代金の獲得であった」(『世界』3月号・「ソマリア海賊の深層に迫る」)
 竹田氏はさらに、「実は、ソマリア海賊誕生の背景に、ハート・セキュリティの『意図せざる』関与が浮上しつつある。同社がソマリア人に、外国漁船を取り締まるためのノウハウを伝授し、結果的にプロの犯罪集団作りに加担してしまった疑いである」と指摘している。戦争の民営化≠象徴するハート・セキュリティが得意とする分野が海洋安全保障≠ナあり、同社設立直後の1999年にソマリア・プントランド地方の自治政府とコーストガード(沿岸警備隊)創設を契約した。この「プントランド自治政府のコーストガードが、ある段階で蜜魚摘発に飽き足らず、さらに収入を増やす目的で海賊に変身していった可能性は否定できない」「こうしたソマリアの現状を悪用して、国際シンジケートが結成され、アフガニスタン‐パキスタン‐ソマリアを結ぶ一大密輸ルートが出来上がったと考えられる」(同書)

4 いかなる対処が求められているのか
 こうした現状を踏まえ、竹田氏は武力行使で海賊をなくすことは出来ない、周辺諸国のコーストガード育成などの海賊対策を説き、この点で日本の海上保安庁が果たす役割は大きいと指摘している。「ソマリア海賊への緊急措置として国連は、海賊を制圧するために加盟国へ武力の行使を容認したが、これはあくまで応急措置や対処療法に過ぎない。いくら海軍の艦艇を派遣しても、ソマリア海賊は決して地球上から消えることはない。身代金目的の海賊行為はソマリア人にとって巨大なビジネスであり、数千人から数万人のソマリア人がこの巨大ビジネスに群がっているのだ。対処療法として海賊船を撃沈・破壊・拿捕しても、海賊たちは新たな海賊船を手に入れ、長期にわたって海賊行為を続けるに違いない」(同書)
 軍事評論家の前田哲男氏は、海上保安庁が成果を上げた取り組みとしてマラッカ・シンガポール海峡周辺の海賊対策があると指摘している。「海保が提唱した東アジア海上保安協力の枠組みは、2000年に発足した『海賊対策国際会議』と『北太平洋海上保安長官級会合』で開始され」、04年には16カ国が参加する「アジア海賊対策地域協力協定」が採択された。「海洋国や群島国の多い東アジアには、海軍と個別に海洋警察や、税関警察、沿岸警備隊など、軍隊でない政府の実力組織が存在する。それらを連携しネットワーク化することで、たとえ重装備した相手であっても『海軍には負けるが海賊には勝つ』程度の海上治安組織をつくりだすことは十分に可能である」(『世界』3月号・「海賊対策にはソフトパワーを」)

5.9条改憲への世論形成策す海自派兵
 3月31日の神戸新聞は護衛艦、警護を開始≠ニいう見出しで、「防衛省によると、発任務の警護対象は自動車運搬船3隻とタンカー2隻で、いずれも日本の事業者が運航する外国籍の船。同省は『安全上の配慮』などから船名を公表しない」と報じている。アデン湾での警護活動は往路、復路とも2日間程度かかるようだが、すでに2600隻が警護希望の登録を行なっている。これに関しては、国土交通省のホームページに「ソマリア沖・アデン湾において防衛省が行なう警護を受けるための申請を開始します」という通知が、3月19日付けで掲載されている。
 日本の海運会社が外国航路で運行している船舶は2000隻だが、日本国籍線はわずか100隻に過ぎないという。海上警備行動の対象が@日本籍船のほかに、A運行主体が日本に事業者、B外国船でも日本人が乗船している、となっているのは「便宜置籍船」も警護するためである。税金等を逃れるために船籍を外国に移しているような企業のために、なぜ莫大な税金を使って自衛隊を派遣≠オなければいけないのか、ソマリア沖への海自派兵は何重にも許しがたい暴挙である。

ところで、自衛隊法にはどのような任務規定があるのか。
第3条(自衛隊の任務)
 自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であって、別の法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行なうことを任務とする。
@わが国周辺の地域におけるわが国の安全及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行なうわが国の平和及び安全の確保に資する活動
A国際連合を中心とした国際平和のための取り組みへの寄与その他の国際協力の推進を通じてわが国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
3 陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。
第77条の4(国民保護等派遣)
第78条(命令による治安出動)
第82条 防衛大臣は、海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に海上における必要な行動を取ることを命ずることが出来る。
第82条の2(弾道ミサイルに対する破壊措置)
第83条(災害派遣) 2(地震防災派遣) 3(原子力災害派遣)
第84条(領空侵犯に対する措置) 2(機雷等の除去) 3(在外邦人等の輸送)
このうち、3条の2・77条の4・82条の2・83条の2・83条の3・84条の2・84条の3はこの10年の間に追加されたものである。

 以上、多岐にわたるが、問題は武器使用である。諸外国の軍隊における当然の武力行使が自衛隊にあっては憲法9条で封じられている。現状では、ソマリア沖での海上警備行動も事実上武器使用は出来ない。麻生政権は海賊対処法案≠フ早期成立を目指しているが、それが成立しても「海賊目的で船舶に著しく接近する船舶を停止させるため、ほかに手段がないと信じるに足る相当理由があるときには、合理的に必要と判断される限度で武器使用を可能とする」という回りくどいものだ。しかし、これが現地での積極的な武器使用≠ノ道を開く危険性を否定できないし、自衛隊の武器使用に弾みをつけることになるだろう。
 水島朝穂氏も次のように指摘している。「ソマリア海賊の問題は、実は、『グローバル格差社会』の集中的表現ともいえる。海賊たちは、日本を含む先進国がそれまで乱獲してきた漁業資源の代金回収と、廃棄物投機の迷惑料を暴力的な方法でやっているともいえる。海賊行為は犯罪である。ソマリアの海賊は取り締まられねばならない。しかし、それは各国が海軍艦艇を派遣してすむ問題ではない。この問題の解決のために、日本ができることはほかにある。すでに、ブラックウォーターなどの米国の民間軍事会社(PMC)がタンカーや輸送船などの警備を請け負いはじめた。海賊との見えざる『連携』で手を組めば、この海域で新しい『市場』が生まれる。この地域の構造的問題の広がりと奥行きはかなりのものである。というわけで、まずは『海賊対策に自衛艦派遣を』『そのための特措法の制定を』という議論に乗らないこと。まずはここから、まともな思考は始まる」(早稲田大学・水島朝穂のホームページ・直言「ソマリアの海賊と自衛隊」08・12・8)

6.海賊対処法案を許すな!
 2月のヒラリー・クリントン米国務長官来日に際して、マスコミは拉致問題¢ホ処の言質を取ることが最大の課題であるかに報じていたが、クリントンの課題は「在沖縄米軍移転協定」への署名、日本から米海兵隊のグアム移転費として5400億円の負担を確認することであった。マスコミの扇情的な報道によって、北朝鮮敵視ここに極まれりだが、これが誰の利益に帰したかは明らかである。
 地理的に1万キロも離れたアフリカ・ソマリア沖への海自派兵はもちろん違憲であるが、自衛隊法にすら違反するものである。このままいけば、これまで憲法9条に守られていた自衛隊員もいずれ戦死≠烽りとなるだろうが、それが支配的勢力の望みなのだろうか。
 なりふりかまわず強行された海上警備行動の実態は、当初の予想に反して「警護した日本関係船舶は1回平均3隻と少なく、直近で警護したのはわずか1隻であることがわかった」(4月19日「東京新聞)。また、法違反となる外国船からの救助要請に応える例が増えている。「今後警護対象となるべき日本関係船舶が増えず、外国船の救助が増えるとすれば、『当面の応急措置』(浜田靖一防衛相)とした説明に合わない事態になる可能性がある」(同紙)
 いま、この国は止めようもなく戦争への道を突き進んでいる。海賊対処法から派兵恒久法へ、その先に憲法9条改悪がある。忌まわしい過去の再来を防ぐために、憲法9条を守りきらなければならない。 (折口晴夫)


日本共産党の二枚舌とその客観的な役割

改定「産業再生法」における「公的資金」支出への主張

 四月二十二日、政府は、「金融・経済危機への対応」を口実に、今回大企業への「公的資金」注入に道を開く改定「産業活力再生」特別措置法を参議院本会議において可決成立させる。この新法の採決に対して、自民・公明・民主等の各党は賛成し、日本共産党・社民党は反対した。では共産党はどのような立場からなぜ反対したのか。
 一九九九年に成立した旧法においては、当該企業がリストラ計画を作成して国に申請し、審査の結果基準を満たしていると国に承認されれば、会社設立や増資の際に課せられる登録免許税などの減税や金融支援がうけられるとしていた。
 今回の新法における改定点は、こうした旧法のリストラ支援策に加え、さらに一般事業会社に対して「公的資金」の注入ができるようになった事である。
 共産党は、国会での論戦では、「公的資金」注入の仕組みの対象となる企業の要件は、従業員五千人以上の大企業である事、また「公的支援」を受ける大企業の経営責任を問う規定がない事を、つまり要件限定と経営責任への不問が新法の問題点だと指摘してきた。
 その上で、今求められているのは現体制の変革でなく「大企業に対し、蓄積した莫大な内部留保を活用することで、雇用と下請け中小企業を守るように厳しく求める」事だとする。共産党によると、旧法によりこれまでに認められた企業の人員削減計画は約十万人で、経済産業省分だけでも、登録免許税の減税額が千五百十億円にのぼる。
 私たちがここで確認できる事は、経営責任の免責に等しい「公的資金」注入そのものに対する共産党の信じがたいほどの無自覚で無批判的な態度である。

「政党助成資金」・「グアム移転協定」に関する「税金」支出への主張

 日本共産党は、「公的資金」注入に無批判な一方で、他方の「政党助成金」や「グアム移転協定」に関しては「税金」が支出されていると、声を大にして政府を非難している。
 今年も、自民党他の七つの政党に対して三百十九億四千二百万円近くにのぼる「政党助成金」が支出される。政党助成金は、国民一人当たり二百五十円で計算され、年間の交付額は三百億円を超し、この十五年間では約四千七百億円になった。問題は、各政党への交付は、国会議員の数と国政選挙での得票数に応じてなされるが、国会議員が五人未満の政党や国政選挙の得票率が二%に未満の政党には交付がない不平等を当然視している点だ。
 またグアムに移転する米海兵隊の基地建設のために日本が二十八億ドル(現在の為替相場では約二千八百億円)の税金の投入にも反対してきた。税金で建設するのは「移転」する海兵隊の施設だけではなく、海軍や空軍を含めたグアムの米軍施設の増強も含む。日本が財政負担するのは二十八億ドルだが、それ以外にも「融資」や「出資」する約三十三億ドルも焦げ付けば、さらに税金で穴埋めし、今回「移転」するのは海兵隊の司令部機能だけなので、沖縄に残る実戦部隊がグアムで訓練すれば、その費用負担も日本となる。
 これらの「税金」投入に対する日本共産党の抗議には、私たちにも何の異論もない。
 しかし、先に問題とした「公的資金」とは一体何か。その実態は「税金」でしかない。「公的資金」を英訳すれば、タックスマネーとしか翻訳は出来ないのである。
 今回、アメリカの金融機関へのタックスマネーの資本注入に対するアメリカン・デモクラシーを支えるタックスペイヤーの怒りの行動と執念に私たちは驚かされた。
 「税金」を「公的資金」と言換えて恥じない国家官僚と共産党は同じ心性なのである。

不破前委員長の国会質問

 ここで一枚の「古証文」を見せ、最近の日本共産党の変質を暴いておく。
 それは、二000年七月三十一日、不破前委員長の衆院本会議での代表質問である。

 私がまず首相に聞きたいのは、この事態に対する根本的な考え方であります。民間企業である一百貨店が、自分自身の放漫な経営によって失敗し破綻したというのに、その穴埋めに国民の税金を注ぎ込むという大義名分は一体どこにあるのかという問題であります。
 (略)
 私たち日本共産党は、諸外国の事例や、戦前の日本の金融恐慌の事例も示しながら、銀行の不始末は銀行業界全体の負担で解決するというルールを守るべきことを最後まで主張しました。しかし、自民党も他の野党も、国民の税金を投入する仕組みをつくることを主張し、結局その線で、金融再生法その他の立法がおこなわれ、破綻銀行を「一時国有化」して国が丸抱えにする仕掛けや、銀行支援のための六十兆円――これはのちに七十兆円に拡大しましたが、こういう枠組みがつくられました。
 この時、大義名分とされたのは「預金者保護」であり「金融システムの安定」でした。しかし、銀行の不始末の穴埋めに国民の税金を使うという仕組みがいったんつくられたら、それは「預金者保護」などの言い分をこえてどこまでも広がり、ついにはそごうのような破綻した銀行から金を借りている民間企業の不始末にも、税金を平気でつぎこむようになってきたのであります。今、そこに歯止めをかけることを真剣に考えるべきではありませんか。

 この質問は確かに問題の核心を突いたものではあるが、同時に彼は政府に逃げ道をも示していたのである。

 「最後は国民の税金で」という危険な風潮の根をたつためには、いまこそ問題の原点に立ち返り、公的資金の投入の仕掛けを凍結し、結果として新たな税金の投入となるようなことはいっさい行わないこと、すでに投入した公的資金についても、最終的には銀行業界全体が負担すること、すなわち、銀行の不始末は銀行業界の負担で解決するという本来のルールに立ちもどる方向で、金融秩序の立て直しをはかるべき時だと考えます。
 政府にこのことの検討を求めるとともに、この機会に、銀行業界にたいしても、経済社会の道義的な崩壊を食い止めるための真剣な検討を求めたいのであります。

 確認できたように、彼は最初は政府を鋭く追い詰めながらも、最後のところで結局は、「税金」を「公的資金」と言い換える事により、両者の区別を曖昧にして「公的資金」投入なら許されると知恵を授ける事で、政府に助け船を与えてしまった。これが体制の危機の時代における日本共産党の果たす客観的な役割である。彼は、この時代に己の果たすべき役割を認識していたのである。
 不破前委員長時代の末期から、共産党はスローガンを「ルールある資本主義」から「ルールある経済社会」へと転換する。共産党は現体制を支える道を大胆に選択した。したがって、不破前委員長時代より一層金融恐慌が深まった志位委員長時代には、政府を追い詰める情熱と歯止めをかける事すら衰退させてしまい、かくて「税金」に関する共産党の二枚舌は必然化されたのである。

私たちの目ざすものは何か

 私たちの目めざすものは何か。それは、共産党が主張するような「経済社会の道義的な崩壊をくいとめるための真剣な検討」を求めるものでは全くない。何の役にも立たない道徳的な説教など一切無用である。
 そもそも「税金」とは、現実にある所得格差の是正のための「所得再配分」を念頭に運用すべきもので、そもそもが労働者民衆を中心として考えるべきものである。彼らの生活の向上、社会保障・福祉・医療のためにこそ、重点的に支出しなければならない。
 竹中平蔵氏らは、規制撤廃の名の下に、「市場原理」の貫徹を大義名分として、何の深い配慮も反省もなく労働法制のセーフティネットを外す事により、「市場万能主義」を跳梁跋扈させ、資本主義の土台を支える労働力の再生産機構を修復困難なまでに見事にボロボロしてしまった。資本主義は労働者が支えてきたのである。
 資本家たちにここまで虐げられた若者の現体制への反撃は必至である。私たちは、彼らと共に今や気息奄々たる資本主義体制に対して、現実に資本主義時代においても労働現場を立派に統括している自由で自律した労働者たちが主体となって連合する協同生産社会を打ち立てる事である。
 今こそ、核心は明確に労働者が社会の主人公として登場する事にある。自分たち自身の力で、この時代とは異なる一時代を画していこうではないか。
 まさにこの現体制の危機を時代変革の契機としていかなければならない。すでに資本主義の時代は現実に終わりかけているのであり、その認識は若者を中心に労働者民衆の間にも広汎にしかも日々着実に深く深く浸透しているのである。
 ワーカーズと共に闘っていこうではないか。   (直木彬)案内へ戻る


コラムの窓  存在が問われる労働組合−−全ての労働者が共有できる要求を掲げて闘おう!

 連合が8年ぶりにベースアップ(ベア)要求を掲げてスタートした2009年春闘は、非正規労働者の大量首切りとベアゼロ回答という結果であった。
 連合が掲げた賃上げ要求はかけ声倒れに終わったのは、ベースアップ要求が未組織労働者や非正規労働者を含む多くの労働者の労働条件改善の為ではなく、連合労組の労使協調路線から出された政府や資本の許容範囲のごく一部の労働者のものであったからである。
 連合が賃上げ要求を久々に掲げたのは、資本が史上最高の内部留保をため込み、数年にわたるベア凍結と賃下げに不安を持つ労働者の要求があったこと、日頃「景気回復には賃上げが必要」と行ってきた連合としては、政府の後押しも考慮に入れていたからである。
 昨年の8月、景気の後退局面入りを認めた福田政権が財政再建目標に縛られて歳出拡大に手の打ちようがなくなり、資源・食料高で低下した家計の購買力を補うため、直々に企業の賃上げを要請し、(麻生政権での追加経済対策にも「経済界に対する賃上げ要請」は明記された。)御手洗経団連会長も「要請を重く受け止める。経済界もできるだけのことはしたい」と応じるなど、国が民間に財政出動の肩代わりを求めた、言わば「国策春闘」の様相を見せていたが、これに乗っかって、賃上げの実現を図ろうとしていたのだが、リーマン・ショックを受けた財界は態度を豹変させ、賃上げゼロはもちろんのこと非正規労働者の大量首切りを行うなど雇用の保障もしない態度に出たのだ。この豹変に労使協調の連合はなすすべもなく、『賃上げも雇用も』という掛け声を早々に捨て、雇用維持に方針転換したが、結果的には、未組織・未加入の非正規労働者の大量首切りまでも許してしまったのである。
 今や生産現場に深く浸透しつつあるパートや臨時の非正規労働者であるが、連合の運動では非正規労働者の労働条件や生活を守ることはできないが、非正規労働者の労働条件の不安定さは正規労働者の労働条件をも左右しかねないことを知るべきである。
 厚生労働省は08年度内に職を失う非正規労働者が8万5000人に上ると発表しているが、「数字はまさに氷山の一角。実態と1ケタ違っている」と言うように失業者は増え続けている。そのほとんどが未組織労働者である。
 組織率が20パーセントを切っている今の労働組合では資本には対抗できない。多くの労働者を組織化するためには、正規も非正規労働者も認める統一要求を作り、活動することである。
 ワークシェアリングの問題にしても雇用調整的なものではなく、未来の生活や労働のあり方【最低基準として、同一労働・同一賃金制の導入など】として捉え全ての労働者が共有できるものとして制度化していかなければならない。   (光)


色鉛筆 「嘘も方便」静岡空港のはなし・・・

 4期16年となる静岡県石川知事は、5期目の挑戦に意欲満々だったが、3月25日になって突然辞意を表明した。その記者会見で、記者からの質問に「君子は豹変するんです」「嘘も方便」と言い放った。広辞苑によれば”君子”とは「1.高い身分の人。2.人格が立派な人。徳が高くて品位の備わった人。品位が高い人。人格者。」とある。自らを君子と平然と言う厚顔な人物には、とても君子たる資格はないと私は思うのだが、それ以上に自らの”豹変”を「嘘も方便」と言い繕うところに、無責任で嘘つきな、君子とはほど遠い人格が露骨に現れている。彼の言葉は「すべて信用できない」ということに他ならない。
その県がくり返すドタバタぶりは、吉本興業でさえ霞んでしまいそう程のおかしさゆえ全国的に有名になってしまった静岡空港。延期に延期を重ねてやっとの「2009年3月開港」も、どたん場で西側制限表面上の立ち木問題が浮上し(浮上もなにも1年半も前から所有者が指摘してきたにもかかわらず、県がなんとかごまかそう、なんとかなるずらと先延ばししてきた結果のこと)、なんと1億円以上の血税を注ぎ込んで滑走路を2500メートルから2200メートルに短縮しての、6月4日の暫定開港となった。
バブル経済全盛期の1986年設立の「静岡県民間空港開設研究会」にはゼネコン数社が名を連ね、工事落札率は96%という談合そのものの数字、おまけに工事受注した西松建設による知事後援会パーティ券の購入とくれば、これはもう悪臭ふんぷんの財・政・官の癒着が見えてくる。県民の意見などすべて無視して強行してきた結果、数限りない訴訟を今もいくつも抱えている。県庁前で、知事に抗議の焼身自殺をした人の死を私は忘れない。
『空港に反対する榛原オオタカの森トラストの会』が発行する通信4月13日号に、おや?と思う記事があったのでご紹介する。地元地権者のひとりMさんが、22年の戦いの中から感じ取った疑問とは・・・
強制収用までして空港を必要としたのはなぜか?それは静岡県当局ではなく”外部からの大きな力”が働いているのではないか?@ひとつは「国(国土交通省<当時は運輸省>と防衛庁<防衛省>」Aもうひとつは「アメリカ(アメリカ海軍)等」
以前、静岡空港はアメリカ海軍の艦載機の訓練候補地になっていると毎日新聞が報じたが、これについて県は一切コメントはしていない(つまり否定もしていない)」
@空港計画当初の、運輸省と防衛庁と静岡県との空域調整(航空自衛隊静浜基地と浜松基地に隣接する非常に狭い空域であるにもかかわらず)があまりにも早くできたこと。また県はさらに当初は200ヘクタールの買収計画だったものを、平成4年突然500ヘクタールと発表。”緩衝地帯に必要”との説明だが「必要とあらばすぐにでも拡張できるように」買収したのではないか。
国は基地との共用を考えているのではないだろうか・・・とMさんは指摘する。
目を閉じると、息をのむほど美しい広い緑の茶畑や周囲の深い森や林。木漏れ日や鳥たちのさえずり、きよらかな風や空気、谷川のせせらぎや野の花の群生、高い枝のオオタカの巣などつぎつぎと浮かんでくる。
それらの自然とともに、地元の人たちの信頼関係やきずなをズタズタに引き裂いて、二度とかえらないこれらのものにとってかわわって、醜悪な空港が開港しようとしている。赤字垂れ流しになることは、火を見るより明らかだ。その時に、日米軍事用になど背筋がゾッとする話だが、取り越し苦労と一笑に付すにはあまりにつじつまの合いすぎる話ではないだろうか?(澄)案内へ戻る


いい記事見つけました

末娘がいよいよ高校3年生になりました。めったとしない部屋の掃除で、中学校の時の教科書・ノートなどをゴミに出していました。もったいないがりの私は例によって、使えるものはないかと点検をしました。すると、道徳の資料のなかから、貴重な記事を発見したのです。
 1つは、「田中正造の行き方」と題したもので、田中正造が「えた」を愛した、という文です。昨年10月頃、ワーカーズの集まりで東京に行ったときに、田中正造展に行ってきたのですが、「えた」との関係については触れられていませんでした。確かに、栃木県南端の谷中村での、村民との写真は何枚かありましたが、それらは強制退去を強いられる村民とともに闘う田中正造の姿でした。その文を少し紹介してみます。
「田中正造はえたを愛した。6年に出獄して郷里に帰り農業に従事する。夏には麦打ちの使用人としてえたを使う。時は炎天暑さの厳しい折、麦打ちの苦労ははなはだしいものである。使用人に与えるために清水を桶に盛ってきて、お椀をを一つその中に入れておき、使用人にかわりばんこにその水を飲ませる。えたも飲み正造も飲んだ。正造はこのえたと一椀を交互に飲む。周囲の物は皆、これを卑しいことだとという。当時の村中の人々はえたを卑しく思い、床の上にあがらせず、また風呂にも入れない。正造はそこでえたを風呂に入れ、上座に上がらせる・・・」
 当時の身分差別を偏見とし、自らも「えた」のような扱いをされたにも関わらず、自分の信念を貫き通した田中正造の生き方に、今一度、その偉大さに気づかされた思いです。
 もう1つは、2003年5月から、都内を中心に被差別部落出身者やその自宅周辺に、悪質な差別ハガキ・手紙・物品が送りつけられた事件です。その総数は、400件以上、被害者は数十人になっているそうです。事件を起こしたのは、都内に住む34歳の青年でした。彼がなぜ、そのような行為に至ったのか、公判でこのように述べています。
「自分は被害者とも、また部落解放同盟とも何の関係もない。また何の恨みもない。ただ、そもそも部落差別というものは江戸幕府という体制が、『差別をしてもよい存在』として作ってくれたものである。自分は体制側の人間だと思っているし、体制に反抗する者は嫌いだ。だから、反体制的な部落は差別してやろうという考えもあった。少なくとも自分のストレス解消の対象に選んでも悪くないと思った」
 「自分は被差別部落に対する漠然とした差別心があった。だから自分の身の回りに部落民がいるのはいやだった。もし隠れて住んでいる部落民がいたら、そのことを教えて欲しいと真剣に願っていた。被害者宅周辺の住民も当然同じ気持ちだと思ったので、あくまで親切心でみんなに教えてあげた」
 青年は大学卒業後もなかなか就職できず、ストレスを抱えていたようです。就職難の今、あらゆる差別が正当化され、格差社会が当然のこととして受け入れられようとしています。対照的な2つの記事ですが、今一度、皆さんも目を通してみて下さい。(折口恵子)


読書室 『日米同盟の正体 迷走する安全保障』孫崎享氏著 講談社現代新書

 3月末退職の現防衛大学教授で元イラン大使の書いた日米同盟の真実

 この本を書いた孫崎氏は、キャリア外交官として、任期を全うした元外交官であり、外務省の国際情報局長という幹部職を歴任して、イラン大使を最後に退官した後は、防衛大学校へ天下って今日に至った人物で、「外務省のドン」と噂された鈴木宗男氏との確執もあり、自分の出世のためにイランに執着していたと彼からは酷評された人物でもある。今回彼がどうしてこの本を書いたかまでの心事は、私には読み取れなかったもののアメリカべったりの外務省への提言あるいは「遺言」としての意味を持つ事は明らかである。
 この本は発売とほぼ同時にインターネット上で高い評価を受けている。元特命レバノン大使だった天木直人氏やエコノミストの水野和夫氏等がすでに書評を公開している。
 元同僚の天木氏は、「彼の経歴を考えるとまさしく権力側に身を置いて、権力側について飯を食ってきた要人である。日本政府の安全保障政策を担ってきた一人である。その彼が、日本の国是である日米安保体制の正体を明らかにし、もはや日米同盟は空洞化していると公に宣言した」「これを驚愕と言わずして何と言うのか」とその核心を述べた。
 その通りである。この本の核心は、日本を防衛するとの目的を持つとされていた日米同盟(日米安保体制)が、ほとんどの労働者民衆が気づかないうちに、完全にアメリカの戦略の手の内に組み込まれて、自衛隊がアメリカの対世界戦略の遂行上の不可欠な道具に変えられている事を明らかにした点にある。
 それは、2005年10月29日の「日米同盟:未来のための変革と再編」という一片の行政合意から始まったのである。この時はほとんど注目されはしなかった。
本書の構成は、以下の通りである。

はじめに
第一章 戦略思考に弱い日本
第二章 21世紀の真珠湾攻撃
第三章 米国の新戦略と変わる日米関係
第四章 日本外交の変質
第五章 イラク戦争はなぜ継続されたか
第六章 米国の新たな戦い
第七章 21世紀の核戦略
第八章 日本の進むべき道

 「はじめに」においてでは、日米安保条約はすでに実質的に終わっているとの孫崎氏の基本的問題意識が端的に綴られており、この部分だけでも読む事を私は勧めたい。
 第一章以下は、この部分の問題意識を深く掘り下げた各論になっている。
 今まさに、国会では、「海賊対処」派兵法案が衆議院で強行可決された状況である。
 今後、アメリカにとって最大の脅威は、中東の「テロ」であり、これからの日米同盟の核心とは、アメリカの対「テロ」戦争に日本がどういった対応をすべきなのかを真剣に考える時である。私たちは、アメリカがかってに始めた対「テロ」戦争に反対する。
 今こそ、労働者民衆の側から、日米同盟についての論議を大胆に提起する絶好の機会になった。本書はそのための絶好の武器となる。是非一読を勧めたい。  (猪瀬和馬)案内へ戻る


市場原理を超えるものは?

 農産物に限られるようだが、地方から都市への直送、地産地消、いずれも顔の見える物流、‐市場原理主義を内部から超えていく芽のように思われる。願わくは農村の過疎化を若者の還流(せがれ軍団の延性のように)によって克服、食糧の自給率が高まればよいが。
 他方、日用雑貨の一つ、靴を例にとってみよう。私の家の近くに御蔵跡町といって、昔から履物問屋の並ぶ通りがあり、最近では小売りも手がけているようだ。中国製の靴が安くて、私はよく買って重宝しているが、なんでも国内で生産するよりは工賃の安い中国で工場を持ち、生産して輸出するらしい。日本の商店が輸入して安い値の靴を売っているという現象。
 こうした現象を経済学上の理論として未来にどのような展望をもちうるか、等々・・・解明して欲しいと思う。日用品、食糧を問わず、医療などの面でも安くてよい物を提供しうるには、どのような道筋がありうるかの理論的な展望を示して欲しい。
 民間での物の交流として、私の近くに1日2000円で今年の11月末からフリーマーケットが開かれる。私どもの衣類やご近所のご婦人たちの不要な衣類などを集めて、私が露天商に出る予定。つくづく大阪人だなあと思う。
 戦後以来の大阪人のなりふりかまわぬバイタリティーが、私は大好きである。余りお上品でなく、荒々しい雰囲気を持ってはいるが。そこで何に出会えるやら、今からいささか楽しみである。   09.4.18 宮森常子


地球上の二つの課題について

 現在、世界規模で取り組まねばならない、取り組まれている問題は、食糧の問題と自然エネルギーの開発利用といえよう。
 私は、4がつ25日(土)夜11時のBS1・TVニュースの中で、イモが世界を救う、緑の革命≠ニいう報道に最近になく、うれしく、ワクワクした。
 イモについては、沖縄への旅の中で読谷村の宿で見せてもらった天然のヤマイモ、それは沖縄の反戦ばあちゃん≠ニいう記録の中で沖縄の村人たちが昔から主食としてきたものであったろうと思われる。
 私どもが知っているイモは、真冬に街頭でお目にかかる熱くて甘い(結構お値段が高い)焼きイモ。主食とするには甘くないイモの方が好まれるという。読谷村のお宿で見たヤマイモは甘いだろうか。主食とされてきたものが、どうか。ヤマイモについての想像がふくらむ。
 BS1の伝えるイモのニュースはアフリカをはじめ発展途上国の気候変動による、さらなる食糧危機解決に向かっての取り組み中であることを報じたものであった。
 第1の緑の革命はアメリカの農業博士によって、アジアの地を緑の革命(米・麦などの)に変えることで成し遂げられた。
 第2の緑の革命はサツマイモの研究元である日本と世界のリレーで、アフリカで現在進行中である。希望が持てるではないか。私はTVを見ながらサスペンスを見るよりワクワクした。
 今年の末に沖縄を旅する予定だが、読谷村の宿で見せてもらったヤマイモについても、もっと知りたいことのひとつである。  09.4.26


ソマリア沖の海賊について

 「海賊対処」派兵法案が衆議院で、強行可決されました。またまた自衛隊が今度はインド洋ではなく、遠くアフリカのソマリア沖にまで派兵されるまでになってきています。
 しかし、本来焦点になるはずのソマリア沖の海賊とは、どのようなものであるかについての議論は、マスコミではほとんどなされていないのが現実です。私たちは、海賊は断固討伐せよの素朴さでよいのでしょうか。
 わずかに赤旗紙上で、自由法曹団の田中弁護士がこんな発言をしています。

 海賊行為それ自身は確かに犯罪です。したがってそれに対応するのが警察だというのは間違っていません。しかし今回の海賊は、ソマリアの政治、経済が崩壊していく過程で生まれたものです。国際社会がつくり出した政治的・経済的背景と切り離して、海賊行為を犯罪として単純化して、その部分にだけ対応すればいいと考えること自体が、問題の単純化です。国際社会が生み出した海賊は、内戦や貧困など根本を解決しなければなくならないと考えるべきなのです。

 物事は個々に独立したものとして考えるのではなく、すべてが関連し合う弁証法性で物事を考えなくてはならないとの指摘は貴重です。しかし私たちにはもっと具体的な説明が不可欠ではないでしょうか。
 この点、労働運動の最先端で闘っている動労千葉の田中委員長はこの海賊について以下のように極めて具体的に発言しています。この説明だと私たちは実によく分かるのです。引用してみましょう。

 アメリカの企業が、ソマリアの軍事独裁政権と手を結んで、あそこに核廃棄物や猛毒の化学物質を含んだ廃棄物を投棄する権利を買ったのが発端です。大量の廃棄物が投下され、周辺に住んでいた数万人が病気になった。漁師は魚を捕ることもできず、生きていけない。それで、国連などにも訴え続けていました。だけど国連も動かない。そういう状況の中で、漁民たちが自ら武器をとって立ち上がったのが、「海賊」です。廃棄物を投下した企業は人の命と引き替えに莫大な利益を上げている。ソマリア沖への自衛隊派兵とは、それを助けに行くということです。日本の企業も同じ事をやるということです。武器使用の条件を緩和して、「戦争のできる国家」に向け、また一歩駒を進めるということです。そういうことをマスコミは一切書かない。

 前の田中氏の抽象的な発言と比べてて、動労千葉の田中委員長の発言は何と具体的で的確なのでしょうか。動労千葉の強さとはこうした状況認識に支えられた強さなのです。
 私は、自衛隊の海外派兵を恒常化することに繋がる「海賊対処」法案を粉砕していくために各自の組織の総力を挙げて闘うことが現下の急務だと確信しております。 (笹倉)案内へ戻る


編集あれこれ
 前号の一面記事では、支給が開始された定額給付金の拠出運動が各地で展開されていることを紹介しました。いつもの政治評論とは異なるものとはなりましたが、読者の皆様の感想はいかがでしたでしょうか。ご意見をいただければ今後の参考に致します。
 二面では、派遣切り等が続く中、これを機会に「日本型雇用から脱却しよう」の記事を掲載いたしました。この視点については、今後とも倦まずたゆまずワーカーズの基本的考え方として、労働者等に定着・浸透を目指して取り組み必要を感じています。
 三面では、G20が開催されましたが、国際協調をお互いにほめあげる中にあって、着実に台頭している保護主義の現状を暴露しておきました。他紙にはない視点です。
 四・五・六面の記事も、好評な「コラムの窓」「色鉛筆」等を中心にして、時々の話題について、ワーカーズならでの多彩でユニークな語り口を披露できたのではないかと密かに自負しております。 (直)