ワーカーズ395号 2009/6/15
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盟友・鳩山大臣の首切りと麻生内閣の黄昏
九月十二日午後二時、とうとう「西川更迭問題」で、渦中の鳩山大臣は麻生総理に「辞表」を提出した。実質的には解任である。麻生自身は当初、西川社長を交代させる意向だったが、結局は自民党の「郵政民営化」を旗印としてきた大勢に押し切られたと言える。
総裁選挙時に自らの選挙本部長であった盟友・鳩山大臣の今回の首切りは、ただでさえ統率力を疑われてきた麻生総理の評価の一段の低下を招来するものになるであろう。
時に、今週からの国会には、重要法案が目白押しである。十六日には年金法案、十九日には海賊法案、二十六日には補正予算の関連法案の衆議院再可決が予定されている。
鳩山大臣の「かんぽの宿」売却問題を中心とする日本郵政の経営への批判は、わかりやすいが故に世論の支持を受けていた。だから当然の事ながら労働者民衆の反撃は必至だ。
さらに麻生内閣の閣僚辞任や更迭は、日教組批判の中山成彬前国交相、酩酊の中川昭一前財務相に次いで三人目である。まだ一年もたたないのにこの体たらくなのである。
そもそも「郵政民営化」とは、耳障りの良い言葉とは裏腹にその本質は、労働者民衆の共同所有物を資本家階級の私物とする事である。当然ながら利権あさりとなる。私たちから見れば、「鳩山と西川」の対立も、一方が善で他方が悪ではなく、同じレベルなのだ。
衆議院総選挙がひたひたと迫り来るこの時期にあって、自民党は未だマニュフェストを出せずにいる。当初の目玉の世襲制限・企業団体献金の見直し・減反見直し・厚労省分割等の省庁再編・幼稚園保育園の一元化等も、すべてが白紙となった。まさに政権末期症状だ。これに鳩山大臣の首切りが加わる。危機
は深刻だ、まさにダブルパンチではないか。
今こそ「水に落ちた犬」は打つべきである。まして「人を咬む犬」には追い打ちをかけなければならない。これが私たちの来るべき衆議院総選挙で成すべき事である。
私たちは、決して民主党の尻馬に乗ることは出来ないし、そのつもりもない。ともに労働者民衆の反撃を開始するための第三極作りをめざして闘っていこう。 (直木彬)
目線は“戦争ができる国”――繰り返される“敵基地攻撃能力”論――
またぞろ“敵基地攻撃能力”の保有論が声高に語られている。
北朝鮮によるミサイル発射や核実験で漠とした不安や危機感をあおり、日本の軍備増強につなげるいつものパターンがまた繰り返されている。
軍事大国化を進めたい勢力は、北朝鮮の瀬戸際政策に乗じて機会あるごとに軍事整合正論に基づく強攻策をあおってきた。彼らの視野にあるのは専守防衛と日米安保による安全保障=軍事戦略から自前の軍事力を増強し、独自に戦争ができる軍事戦略への転換だ。
不安感や危機感に直接対処するという対応は、危機のエスカレートと軍拡競争に直結する。
国家間の対立や衝突の危機に危機に対しては、国境を越えた労働者市民による監視と闘いを対置する以外にない。
■パフォーマンス?
この6月9日、自民党の防衛政策検討小委員会は、年末に予定されている防衛計画大綱への提言をまとめた。そこでは日本への攻撃が差し迫っている場合に相手国(北朝鮮など)のミサイル基地などを日本から攻撃する「敵基地攻撃能力」の保有を検討するように求めている。
自民党国防族などによるこうした“敵基地攻撃能力”を保有すべきだという議論は、なにもいまに始まったことではない。あの98年のテポドン発射、03年のミサイル攻撃の脅しなどに際して、自民党内外の強硬派によって繰り返し打ち上げられてきたものだった。
いま叫ばれている敵基地攻撃能力の保持の声は、言うまでもなく今年4月5日の北朝鮮によるミサイル発射の強行に対する日本側の強硬派の声として拡がっているものだ。曰く、敵が日本を攻撃しようとしているときに、日本はただ攻撃を待っているだけで良いのか、“座して死を待つのか”などというものだ。
たとえば4月7日の自民党役員連絡会で坂本剛二組織本部長は「日本も核を持つという脅しぐらいかけないといけない」と発言している。また4月9日には自民党議員7人による「北朝鮮に対する抑止力強化を検討する会」の会合で山本一太参議院議員は「日本独自で北朝鮮の基地を攻撃できる能力について議論したい」と挨拶している。それに安倍元首相も「北朝鮮のミサイル基地を攻撃する能力を具体的に検討するのは当たり前だと思う」と講演などで発言している。
5月25日の北朝鮮による核実験に際しても同じような声が上がっている。たとえば先の山本議員は5月26日に「敵基地攻撃能力やミサイル防衛のさらなる開発配備を織り込むべきだし、情報収集能力を持つために早期警戒衛星を持つという議論も出るだろう」と話している。
こうした声は自民党の強硬派だけではなく、民主党の前原誠司元代表や浅尾慶一郎参議院議員なども公言している。いわば右翼論壇や一部のメディア、自民党国防族、自衛隊OB、それに民主党の一部など政財界含めて、この機会を逃さずとばかり敵基地攻撃能力保有のアドバルーンを打ち上げている。こうした反応は、北朝鮮による挑発行為に際しての定番のパターンになっている。
■“専守防衛”の突破
03年にミサイルを巡って北朝鮮との間に緊張が高まったときには、当時の石破防衛庁長官が自衛隊による敵基地攻撃能力の保有に関して「検討に値する」と発言して物議を醸したが、当時の小泉首相がそれを否定する発言をして一端は沈静化させた。今回も麻生首相は一応慎重な姿勢を示している。
ときの内閣が自衛隊による敵基地攻撃に慎重な姿勢を示しているのはそれなりの理由がある。というのは、日本の軍事政策として専守防衛を標榜し、自衛隊は相手国からの攻撃には防御に専念し、相手国への攻撃は日米安保で米軍にゆだねているからだ。(56年の鳩山首相による政府見解)
具体的には相手国からの攻撃がおこなわれた場合には相手国の基地をたたくことは自衛に範囲内だ、しかし、平時から相手国への攻撃的な兵器を保有するのは自衛の範囲を超えている、というのが政府の公式的な見解となってきた。
しかしこうした憲法解釈、あるいは防衛戦略はじわりと変更されてきている。たとえば敵国基地への攻撃が可能となる事態として、以前は相手国からの攻撃が行われたことを上げていた。が、現実の攻撃が行われていない時点であっても武力行使に着手していれば攻撃することは法理的には可能、とされた経緯があるからだ。(99年3月の野呂田防衛庁長官答弁)
こうした経緯を考えれば、敵基地攻撃能力を保有すべきだ、と叫んでいる強硬派が何を意図しているかは明らかだ。政府の憲法解釈で日本が現実に攻撃されないと相手国を攻撃できないこと、要は先制攻撃が出来ないという、いわゆる“専守防衛”という政府の憲法解釈を転換することである。
こうした転換の背景にあるのは、自国の防衛以外でも武力行使に道を開くいわゆる集団的自衛権の行使、あるいは平時から攻撃的な兵器を保有する道をひらき、やがては日本が自前で戦争ができる国にしたい、という強硬派の野望以外のなにものでもない。
■“軍事整合正”論
しかし先制攻撃といっても、それを実際に効果的に行使するのは簡単ではない。
たとえば北朝鮮によるミサイルの発射の兆候を自前で察知し、さらにそれを自前の兵器で攻撃するには膨大な攻撃兵器と軍事予算の裏付けが必要となる。現に、4月のミサイル発射でも、あるいは5月の核実験でも、正確な情報は米国からもたらされたものだ。
日本はミサイルの発射をキャッチできる早期警戒衛星もないし、テポドン発射を期に導入した偵察衛星でも正確な情報は得られなかった。敵基地を攻撃するにはそれらを保有するほか、敵基地を攻撃できる弾道ミサイルやトマホーク、あるいは長距離爆撃機や空母なども必要となる。しかも日本全域を射程圏内にしているノドンミサイルが200基以上保有し、しかもそれらは山岳地帯のトンネル内に配備され、その多くは移動式だと言われている。それらすべてを発射する猶予を与えないような短時間で殲滅するためには、膨大な情報収集と膨大な規模の攻撃兵器が必要になる。そうした軍備を配備する過程では、相手国もさらなる軍拡に走ることも計算に入れておかなければならない。
こうした事情を考えれば、仮に専守防衛という軍事政策を転換しても、実効ある攻撃兵器を保有するには膨大な軍需費用を賄わなければならないことになる。
それに平時から攻撃的な兵器を保有することは、中国や韓国も含めて、アジア諸国の容認は得られそうもない。それ以前に日本国内の反戦平和の声の高まりで、それらは大きなハードルに遭遇することは目に見えている。
仮想敵国による軍事的脅威に対して直接的に軍事的対抗手段で対応することを“軍事整合性”論という。こうした考え方は、一見すると合理的なようで実は文字どうりの“矛盾”そのものだ。いうまでもなく矛(ほこ)と盾(たて)の関係だ。大きな目で見ればそのジレンマは自明だが、単眼では見えなくなるときもある。敵基地攻撃論もまさにこれに当てはまる。
それに外からの脅威を大げさに取り上げて庶民の漠然とした不安感やナショナリズムをあおり立てることは、政権に対する批判の目をそらすことにもなり、ときの支配層には好都合なことである。
逆に、今回の騒動はそうした戦略や遠謀とは遠い思惑で動いている面もあるだろう。なにせ総選挙が近づいてきているのだ。派手な議論をぶち上げて注目を集めたいという議員心理に影響を与えている面もあるだろう。
しかしそうした目立ちたがり屋の派手なパフォーマンスには止まらない面もあるのも確かな現実だ。
■“戦争国家”
今回の敵基地攻撃論についても、麻生内閣は慎重な姿勢を取っている。その意味では先の小泉政権と同じだ。それは、仮に麻生内閣として敵基地攻撃能力の保有を宣言したとすれば、その実現に向けて動き出さなければならないし、そうなれば北朝鮮との緊張をさらに高めることになる。そればかりではなく、中国や韓国、それにアジア諸国の反発や対抗策を呼び込み、国内においても軍事費の増額や戦争の危機に対する批判がわき起こるのは目に見えているからだ。だから麻生内閣としても、より現実的な範囲での政策選択しかできないことになる。
しかし忘れてはならないのは、こうした危機をあおりながら現実に軍事力の整備が進められてきたことも事実だ。
たとえばテポドン発射騒ぎで決まった偵察衛星の保有に始まって、H2Aを補完する中型のGXロケットの開発、それに“空母がくし”としか言いようがない全通甲板(艦首から艦尾まで一体の飛行甲板)式の軽空母の建設、そして宇宙の軍事利用に道を開いた宇宙基本法の制定、等々だ。
今回の敵基地攻撃能力論も、結局は自前の軍事戦略への転換と軍事力の拡大に道を開くことになるだろう。
“戦争ができる普通の国家”への軌道修正はなんとしても阻止しなければならない。(廣)
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紹介 小さな旅・丹波マンガン記念館を訪ねる
5月末の曇天の日曜日、丹波マンガン記念館が閉館するというので、妻とふたりでポンコツ車で出かけました。西宮市から171号線で京都へ、この国道は西宮市で2号線と合流しているのですが、私にとっては「西国街道」という名称のほうがしっくりきます。途中で名神高速に入り、京都市内から162号線で山越え道を北上すること1時間、自宅からだとすでに3時間くらい過ぎていました。
所在地は京都市右京区京北なのに、市内から山越え1時間とはどういうことかと思うのですが、入場の際もらったリーフレットには京都府北桑田郡京北町とあり、納得しました。「閉館・出版・鎮魂パーティ」は10時半開始ということで何とか間に合いましたが、丹波マンガン記念館とはどんなものかについて紹介しておきます。丹波山地のマンガン鉱床を掘り出すマンガン鉱のひとつを記念館としたものです。マンガンで思いつくのはマンガン乾電池ですが、多くは合金に利用されるということです。
記念館は1989年、在日朝鮮人2世の李貞鎬(リ・ジョンホ)によって「強制連行の歴史、マンガン採掘の歴史、じん肺の歴史、戦後処理の問題、朝鮮人差別などを後世に伝えよう設立されたもの」です。李氏が私財を投げ打って設立し、父から子へ20年にわたって維持されてきたのです。いま、それも限界となり、閉館となったものです。
この日本に戦争被害の記念館は数多ありますが、加害の記録を残す記念館は聞いたことがありません。もしかしたらあるのかもしれませんが、私はその名を上げることが出来ません。パーティーの開会にあたって、李龍植(リ・ヨンシク)館長は次のように述べています。
「日本には100万人以上の強制連行がありましたがそれを残す国営の博物館はありません。加害の歴史を残すことは近隣諸国の安心につながり、日本が真に先の戦争の反省をしていると受け取られアジアとの和解につながる事で日本の国益だと確信しています。開館から現在まで行政からの運営補助金は1円もなく設立から現在まで多額の損失を個人で行なってきましたがそれも限界で閉館を決断しました」
この日、李館長の著書「丹波マンガン記念館の7300日‐20万来館者とともに」が発刊されました。その紹介はいずれ行ないますが、「はじめに」から少し引用しておきます。
「この京北町に私のアボジ(父)李貞鎬は、1934年、朝鮮半島から移り住みました。アボジが2歳のときです。以来、アボジは1995年に亡くなるまでトラック運転手の助手を手始めに様々な仕事に従事しました。なかでもアボジがその情熱をつぎ込んだのが、マンガン鉱山での仕事でした。狭い鉱山の坑道で中腰になり、布袋の背負い子に200キロものマンガン鉱石を背負う労働は、想像を絶する過酷なものでした。200キロというと嘘のように思われるかもしれませんが、『かます』という袋は75キロもの土砂が入り、それを一度に三袋は担ぐのです。
アボジや同胞の運んだマンガンが、人間にとって必需品の乾電池やビール瓶に使われ、国家の基となる鋼鉄を生んでいったのです。こうした命と引き替えに日本人の生活を潤した朝鮮人の労働に対して、日本国と日本人の『返礼』は追い討ちをかけるような残忍な差別でした。
アボジは、労働にも差別にも負けませんでした。そのアボジが、突然、マンガン鉱山の博物館をつくりたいと言い出したのです。じん肺で苦しむその息の下で、『マンガン博物館は、わしの墓や』『朝鮮人の歴史を遺すんや』と言い切りました」
鎮魂は、韓国舞踊や朝鮮高校の女学生の合唱、さらに新井英一のコンサートがありました。会場が野外で、しかも前日の雨で土がぬかるみ、少し寒いなかでしたが、おすしやパン、コーヒーなどもあってにぎやかなパーティーでした。新井英一「清河(チョンハー)への道〜48番」というCDを私も持っていますが、これは新井英一が父のふるさと清河を訪れ、自らの半生を振り返る、48番まである40分をこえる叙事詩です。
この日はこの曲も少し聞けて、マンガン記念館の見学と新井英一の歌を聞くというふたつが一挙に実現し、大満足でした。また、1950年生まれという紹介があり、私と同年ながら波乱に満ちた道を歩んできたんだと感心仕切りです。「アリアリラン スリスリラア アラリヨ アリラン峠を俺は行く」と歌う彼が、在日として生まれたがために越えなければならなかった峠≠思わずにおられません。
パーティを締めくくる挨拶あたりになると、李館長は声を詰まらせ、20年・7300日の思いを噛みしめているふうでした。私たちはその後、坑内を見学したのですが、通れるようになっている坑道から枝分かれしている先端部などは、ヒトがひとり通り抜けるのがやっとというようなものもあり、みるだけで怖くなるような労働環境が想像できます。わずかな灯りだけだけを頼りに、暗闇に入り込む恐怖はどのように克服されたのだろうか。
最後に「在日の恋人」についても少し紹介します。記念館敷地内の坑道跡に「在日の恋人」という美術展示があり、ペンライトを持って暗闇のなかを観覧するというものです。ペンライトだけではほの明るいだけで、展示すらよく観えないし、怖くて中に入れないという参加者もありました。これは「京都ビエンナーレ2003」に高嶺格が出品した作品で、その経緯は「在日の恋人」(河出書房新社)で詳しく述べています。ちなみに、本の帯には気鋭の現代美術作家と紹介されています。
作品を観るのに大きな懐中電灯ではなく、あえてペンライトにしているのは製作者のこだわりによるようですが、本のなかに次のような記述があります。
「みんなが揃って言うのが、洞窟の怖さだ。いや、洞窟を怖いと感じた人ほど、この作品を高く評価していくように思える。
僕も最初に洞窟に入ったときは相当に怖かった。それで、その最初の感覚を忘れぬよう、注意して作品をつくったつもりだった。だからこれは、洞窟の魔力、暗闇の恐怖をベースに成立しているのであって、真っ暗な洞窟に入ることが日常的である李さん一家に、この魔力が通用するはずがない。
李さんは当初、蛍光塗料とブラックライトを用いて派手に洞窟をデコレーションすることを提案したが、これも暗闇が日常であるゆえの発想だろう」
午後3時頃には記念館から帰途につき、峠を越えて次第に見慣れた都市の景観が車窓に拡がってきました。そして、あの空間がどのように閉鎖≠ウれるのか、その時あの空間では時間も止まってしまうのだろうか、そうした思いが私の心にわいてきたのでした。 (折口晴夫)
コラムの窓 ・恐るべき冤罪の構図
6月4日、足利事件の菅谷利一さんが1991年12月の逮捕から17年半ぶりに釈放されました。その経緯は詳しく報道されましたので繰り返しませんが、新聞報道のいい加減さに改めて怒りがこみ上げてきます。各紙は歩調を合わせたかのように、検察・裁判所批判を行なっていますが、新聞報道はどうだったのか、翌朝の社説を見る限り(全国紙では)言及がありませんでした。
その後、そうした点も含めた追跡報道があったのかもしれませんが、翌日の社説で足利事件を取り上げながら、自社報道について触れないこと自体が問題です。それとも、省みて検証すべき報道はなかったということなのでしょうか。しかし、現在の報道実態、殺人事件などで容疑者が逮捕されたら犯人視し、ある事ない事を実名で暴きまわっている事実から、当時の報道に問題がなかったとは思えません。
当時にあって最新の科学捜査、DNA鑑定によって犯人とされ、さらに自白も獲られた≠フだから、どのような新聞報道が行なわれていたか容易に想像できます。DNA鑑定について、現在では精度が高まり完全に個人を特定できると報じられていますが、一致しなければ犯人ではないということを証明できるけれども、有罪の絶対的な決め手にすべきではないという識者の意見もあります。
同じようにDNA鑑定の精度が争点となり、弁護側が「鑑定の精度や実施方法に問題がある」と主張していたのに死刑が確定し、昨年10月に執行されてしまった事件もあります。もう犯人ではなかった可能性すら、検証することも出来なくなってしまっているのです。これまで、マスコミ加担のなかでどれだけの冤罪が生み出され、死刑が執行されてしまったのかと考えると、戦慄を覚えます。
しかも、この構図は現在進行形です。動機も自白もないのに死刑が確定、物的証拠は使用されたヒ素の科学鑑定≠フみと言えば、マスコミが犯人視報道に熱中し、裁判が始まる前に死刑を確定≠オてしまった和歌山カレー事件だと、多くの方が思い当たるでしょう。この事件では本人だけではなく、大阪高裁で「ヒ素は保険金目的で自分で飲んだ」と証言した夫も冤罪を訴えています。ちなみに、その証言は「妻をかばう口裏合わせ」とされ、2審判決では退けられています。
ここで気がかりなのは、始まってしまった裁判員制度です。裁判官まで加わった冤罪の構図は、裁判員を冤罪に加担させずにはおかないでしょう。死刑までもが多数決で決せられるなかで、有罪であるという確信がもてなくても、死刑執行に責任を持たされ、そうした事態を口外すれば罪になるのです。私は国家的による合法的殺人に反対しているので裁判員にはなりませんが、死刑を肯定している人もこの精神的苦痛には耐えられないでしょう。
現在の刑事司法にはあまりに多くの欠陥があり、その冤罪の構図が解消されない限り、私は裁判員制度そのものにも賛成できません。それは例えば、警察には足利事件での自白強要についての反省すらないのです。取り調べ過程の完全可視化について、真相解明、つまりは自白≠取りにくくなると反対しているのです。つまりは、慣れ親しんだ自白の強要という捜査手法を手放したくないのです。
今も日々、冤罪は生み出され続けています。何かの弾みで容疑者として逮捕され、実名で犯人視報道され、これまで築き上げてきたすべてを否定される恐るべき事態が明日、あなたに、わたしに訪れないと、誰が言えるでしょうか。 (晴)
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われらネコのスポンサー
わが家にはノラネコ出身のネコの食客が6匹いる。完全に家ネコになってしまったのが4匹、ボーダーラインにいて、出たり入ったりする半ノラが2匹いる。それぞれ違った個性をもって6匹がとにかくいる。
中国の春秋戦国時代であろうか、屈原さんのお話が残されている。専制君主のおトノさまに苦言をていした屈原さん。追放されて川辺をさまよっていると、それを見た漁夫が汚い水の流れでは足を洗い、きれいな水になれば冠のヒモを洗えばいい≠ニ、まさに容量の処世術を説き、悩む屈原さんを笑った。屈原さんは絶望してべギラの水に身を投げたという。鎮魂のために5月の端午の節句にはチマキを食って屈原さんをしのぶという。
しかし、濁流の中ではその中では泳ぐ術をみがくだけでよいのか。いま≠いかに$カきるかについては触れようとせず、世が変れば、変身して清く美しく生きればよしとする変わり身の速さだけがある。いま≠いかに$カきるか、それが問題だ。
わが街、大阪南部の大阪ワーストワンのこの街では濁流ウズまく川そのもの。そこで生きる人、男女のすさまじさ、エゴそのものむき出しの生きざま、ベキラの川辺で笑った漁夫の生き方説教ではどうも何も出てこない。ゴネ得をこととする濁流水泳術がうまくなるだけで、文化のブも人間の誇りもあったもんじゃない。安吾さん堕落論の方がまだお品がある。
死ぬべきか、生きるべきかを断ずる前に死ぬのはいつでも死ねる、それまで「生きる意味」を己れの身に則して問い、生きる術を探っていこう≠ニいうオチというか、答えしか今のところ出てこない。
以上のマクラかオチかわからんことを胸に抱きつつ、わが食客6匹のネコの生きざまを描いてみたいと思う。
私は己の姿を透映しているかの如き2匹の半ノラに、とりわけ注目して面倒をみている。このノラとクロという2匹のネコから描いてみよう。まず周辺の環境描写から。ワンルームマンションばかりが増えつづけ、ささくれ立った廃墟にも似たこの街から何が生まれているのか。その先に見えるもの(見たいもの)はなに? 光か更なる闇か、どこに焦点をおき、ここがふんばりどころというものは何か。
私は76歳、立派な老人である。TVの何放送だったか忘れたが長野県のバアサマたちが集まっておやき≠作って売り、年間9億円の利益をあげたという。このような生産的なことは、都市の老人には不可能のようで、消費ばかりの生活(時間)のように思われる。老人の現実の生活状況をとらえることから始めねばなるまい。
老人の行動半径は狭い。だから従来からの行政区画とは違った地域行動文化圏による地図が描けるのではないでだろうか。そもそも老人の生活とは、社会の有効性という点から見れば食っちゃ寝食っちゃ寝のネコの生活と共通点がある。
ジョルジェ・バタイユの著作に呪われた部分、有効性の限界≠ニいうのがある。一言で言って老人もネコも役立たず≠ナある。役に立たない代わりに時間はたっぷりあるという貴族様だ。だが、いたずらに時間を得ているという悲しき現実。時間を持つ者も、持たない者も思考停止感覚の爆発のみがある。廃墟を呈するもとはこれだ。
廃墟に明かりをともすには? 体の動く限り、口だけでも動く限り、外界(人・もの・生あるものすべて)にふれ表現していきたい。表現の手段は何であってもいいではないか。具体的であること、調査の必要。笑いをさそう表現が、動かない灰色の脳細胞を動かせる。それが廃墟に明かりを灯すことができるかも?
2匹の半ノラネコとともに生きる中で、笑いを生み出すことを目標にしたい。すでに、イタリアの児童文学作家でローダリというジャーナリストが猫とともに去りぬ≠ニいうのを書いていることを書き添えておく。
さて本文に入る。私のお気に入りの2匹のノラネコについて。ノラが年長さんのオス、クロがその下の(年齢的に)オス。白タビをはいたようなクロのノラネコで、コネコ(ノラと名付けた)がさまよっていた。拾い上げて居候の私がひそかに2Fの私の部屋で育てていて、ついに公認になったのがノラ。ノラは出歩くことが多く、食事の時か夜ぐらいしか帰ってこない。食べるのも気難しく他のネコといっしょに食べるのがイヤなようだ。一帯、何で栄養をとっているのかわからないが結構がっちりした体格。最近は熟年になったのか夜はたいてい、私のベットの上で、のびている。
クロは、生後2ヶ月位のとき裏口にやってきて、エサをもらうと、トットッと自分のねぐらへ帰って行った。冬になって家のどこかにもぐりこみ、食事の時にソッと現れる。他のネコにイジメられても逃げ足が早く、それでいて他のネコを決してイジメない、ひそかに生きているネコ。他をはばかって己れひとりそっと生きているようなネコで、決して争わない。
目のクリクリしていて最近は、どこかお品のよなものが出てきた。もっと強いネコであってほしいと思うが、どうしたらいいかわからないので、姿を現わせば腹いっぱい食わせてやることにしている。体の黒い毛もツヤツヤしている。人にもネコにもなつかない逃げの一手のクロ。どう扱えばいいのかわからないが、私の一番のお気に入りのネコである。2〜3日姿をみせないことがあっても、餌にありつけるのはわが家だということは知っていて、必ず帰ってくる。
家を額縁とすれば、額縁から半身乗りだしているネコであるが、足はしっかりと額縁を握っているというわけ。他の家ネコになった4匹のネコもそれぞれクセのあるネコだが、6匹全部、親の顔を知らないネコたちである。
私どもがスポンサーになっている。このスポンサー、死と向き合いつつ、ネコとともに生ている。
09.5.27 宮森常子
集会案内(NO−1)
今、日本・世界が大きく変化している。私たちは情勢をしっかり把握し分析し、将来展望を切り開いていく活動が求められている。
この「集会案内」では、そうした視点から皆さんに勧めたい集会を紹介しつつ、同時に今登場しつつある有望な若い思想家・活動家なども紹介していきたい。
私たちのワーカーズは、「集会案内」についてはあまり積極的に載せてこなかったと思う。しかし、「週刊水曜日」や他の機関紙などは積極的に「集会案内」欄を載せている。案内に載る集会の開催場所は、圧倒的に東京が多い。やはり日本の文化・活動が東京中心主義になっている結果であろう。今回の集会も東京開催だ、特に地方の人にとっては参加は大変だが、是非とも参加して視野をひろめてほしい。(富田英司)
@「憲法9条と国際貢献」──紛争地で何をするか
憲法は、各地の悲惨な紛争をただ傍観せよとしているわけではない。非暴力に徹しつ つ、武力によらない紛争解決への真摯な努力を求めている。
東チモール、アフガニスタン等の紛争現場で武装解除に携わるとともに、政府に対し ても積極的な発言をしている伊勢崎賢治さんの講演、スリランカ、フィリピンにおいて 市民の非暴力介入による紛争解決を実践している非暴力平和隊の君島東彦さんとの対談 をとおし、日本として、日本市民としてすべきこと、できることを考える。
日時:6月21日(日)18:15〜20:45
会場:文京シビックセンター 3階会議室A・B
営団地下鉄丸の内線・南北線 後楽園駅 徒歩1分
都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1分
講師:伊勢崎賢治(東京外国語大学大学院教授)
著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)『自衛隊の国際貢
献は憲法九条で』(かもがわ出版)などがある
対談:君島 東彦(NPJ共同代表、立命館大学教授)
著作として、『非武装のPKO-NGO非暴力平和隊の理念と活動』(明石書店、
編著)、『平和学を学ぶ人のために』(世界思想社、編著)など。
参加費:800円
主催:非暴力平和隊・日本(NPJ)
A「派遣村」全国シンポジウム・・・「派遣村から見えてきたもの」
−今こそ労働者派遣法の抜本改正とセーフティネットの構築を−
東京・日比谷公園で行われた「年越し派遣村」が示したのは“生存すら危うくなった 労働者”の姿でした。
その後、全国津々浦々で同様の取組みが行われ、“生存すら危うくなった労働者”は、 もはやあらゆる地域・学校・職場に、私たちのすぐ隣にいることを明らかにした。
各地の派遣村的な取り組みの中から、この社会を立て直すためのどのような課題が見 えてきたのか、全国各地の取り組みの報告を受けて考えてみよう。
【日 時】 2009年6月28日(日)13:30〜17:00
【主 催】 派遣村全国シンポジウム実行委員会
【会 場】 浅草「すみだリバーサイドホール」
交通 = 営団地下鉄銀座線・浅草駅、都営地下鉄浅草線・
本所吾妻橋駅、東武伊勢崎線・浅草駅より、徒歩5分程度
【内 容】
★主催者挨拶・・・小久保哲郎(大阪・弁護士)
★派遣村からの提言「派遣村的活動の到達点と改革試案」
湯浅 誠(東京派遣村・村長)
★各政党、諸団体からの挨拶
★シンポジウム
・コーディネーター 新里宏二(宮城・弁護士)
・パネラー 藤田孝典(埼玉・NPO法人ほっとポット)
関根秀一郎(東京派遣村・派遣ユニオン)
森 弘典(愛知・弁護士)
★各地の取り組み、元村民からの報告
★閉会挨拶・・・笹田参三(岐阜・弁護士)
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色鉛筆― 罰則は時間給の切り下げ
西宮市ではインフルエンザ騒ぎも治まり、通常の生活に戻ってきています。しかし、冬を迎えたオーストラリアでは大流行し、WHOは警戒をフェーズ6に引き上げ世界大流行を宣言しました。人間の環境破壊が原因で発生したと予測される新型インフルエンザ、人間主導の考え方への警告として真摯に受け止めなければならないでしょう。
さて、これまでも職場での様子は色鉛筆を通じて報告してきましたが、今回も飽きずにお付き合いください。郵政事業会社の夏の物品販売は、唯一「かもメール」で、6月1日販売日に向けて、チラシの事前配布はもちろん、予約販売の取り付けと毎年同じことのくり返しています。配達の仕事だけでも、郵便の種類も増え煩雑となり以前より時間がかかるのに、そのうえ、戸別訪問での営業をする余裕など全くありません。そんな私たちに対して会社側はノルマを突きつけ罰則を強行してきました。
目標達成と声を張り上げても、一方的に設定されたしかも現実に可能な枚数でないので、現場では最初から諦めムードです。正社員・パートとはランクをつけてノルマは設定しますが、単純な数合わせだけの目標設定では、指導者の能力が問われるというものです。毎朝のミーティングでノルマ達成を急かされ、支店長は(ノルマ達成できてない者にたいして)「お前ら、遊びに来とんか!」と、罵声を浴びせているのが現状です。
私たち、団地配達の作業所では、支店から離れているため幸いにして、この支店長の罵声を聞かずに済んでいます。人権侵害も甚だしい支店長の態度に、もう働いている誰もが会社の先行きの不安を感じています。労働組合が本来の役割を失ってしまえば、経営者のやりたい放題を許してしまうことになるのか。仕事に疲れ、もう怒りさえ失くしてしまった労働者たちは、それでも生きていくために働かざるをえないのが現状です。
罰則はノルマ達成の他に、誤配の回数もカウントされ対象になります。私も、年賀の時の誤配が何回かあり、前回の査定で時間給60円も下げられてしまいました。だから、職場では誤配の申告があれば、その日に誰が配達したかを捜さなければならず、雰囲気がピリピリしたいやな感じになります。経費節約を謳う会社側の意図するものは、結局は配達者の自己責任を問う形にし、人件費を切りちじめることにあるのです。くらーい話になりましたが、私はノルマを気にせず、マイペースでやって行こうと思っています。(恵)
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編集あれこれ
本紙前号は「5月15日・393号」となっていましたが、6月1日・394号」の誤りでした。訂正し、お詫びします。
さて、本題のその内容についてですが、麻生政権によるバラマキ&竦ウ予算について本紙前号で詳細な批判が展開されました。省エネ家電やハイ・ブリット車購入の優遇についても、過剰供給に需要をあわせようという矛盾の先送りに過ぎないと指摘しています。それがあたかもエコ≠ナあるかに偽装されていることについて、私も批判せずにはおれません。
他でもないエコポイント制度≠フ実施です。新聞などで見ると、省エネ家電のエコポイントが大容量、大型ほどポイントが高いのです。省エネ家電といえども、大きくなれば消費電力も高くなるだろうし、何より大型家電の購入を煽る政策をエコ≠ニはどういうことかと思います。エコというのは、何よりまず節約から始まるものです。浪費、それがたとえ省エネ家電への移行であっても、節約に沿わないならエコとは言えません。
私事ですが、私が乗っている車はかれこれ20年近くのポンコツで、10%余分に税金が上乗せされています。たぶん排気ガスが多いからだろうと思いますが、はやく新車に買い換えろということでしょうか。しかし、普通ならもう3台くらい乗り換えているところを、そういう無駄をしないことに政策的ペナルティを課すのはどうなのだろうと思います。
新聞の社説でも次のように指摘しています。「買い替えが進めば大量の家電ゴミが生まれ、新たな問題も浮上する。エコをうたう、この制度が本当に地球温暖化防止につながるのか。逆に、環境にさらに負荷をかけることにならないのか、慎重に見極める必要もあるだろう」(5月10日「神戸新聞」)
もうひとつ、プルサーマルについての続報です。電気事業連合会がプルサーマル計画について、原発を持つ各社に計画の見直しを検討するよう要請したということです。2010年度までに全国で16〜18基実施するプルサーマル計画の目標が達成できない、見直しせざるを得ない(本心はやりたくないのかも?)というものです。国策に黄色い信号が灯ったのです。
プルサーマルが進まないとなると、プルトニウムの保有量が増え、国際的な批判にさらされる可能性があります。さらに、六ヶ所村の再処理工場本格稼動もその前提が完全に崩れ去ります。国策追随によって利益を追い求めてきた電力業界も追い詰められているのかもしれません。
こうした動きと関係あるのかどうかわかりませんが、経済産業省がプルサーマル同意県道対象に交付されてきた60億円の交付金を3月末で打ち切っていたのです。これはプルサーマル開始までの間に10億円、さらに開始の翌年度から2〜5年間で50億円が支払われるもので、すでに交付が決定している7道県以外は今後新たに同意があっても交付されないことになったのです。
なお、MOX燃料加工施設や使用済み核燃料の中間貯蔵施設などの誘致に伴う交付金は従来通り(「神戸新聞」6月7日報道)ということです。これらは札びらで財政危機にある自治体を釣り上げる最低の手法ですが、今回、その一角が崩れたのです。理由は何であれ(楽観は出来ませんが)歓迎すべきことです。
ついでに触れると、同紙の子ども向け紙面でプルサーマル発電について解説し、「国や電力会社は、資源の有効活用だとして、こうした方法を『核燃料サイクル』と呼んで推進しています」と説明しています。ここにはウソがあります。本来の核燃料サイクル≠ノ不可欠な高速増殖炉が幻に終わったために、高速増殖炉の燃料であるプルトニウムをむりやり消費するためのプルサーマル計画をそう呼ぶようにしてしまっているのです。子どもにウソを教えてはいけません。 (晴)
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