ワーカーズ397号 2009.7.15.
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いよいよ解散・総選挙 自公政権に終止符を!
民主党が圧勝した東京都議選から一夜。
ついに麻生首相は解散・総選挙を決定した。
8月18日(火)公示で、30日(日)投票となる。
当初、麻生首相本人は7月27日(月)公示、8月8日(土)投票などを考えていたようだが、都議選に大敗した与党内は解散先送り論が大勢、「麻生降ろし」も加速し、都議選に総力を注いだ公明党もお盆前の総選挙に大反対。結局、麻生首相は解散の時期を失して、形ばかりの解散権の行使に終わったと言える。
10ヶ月前に、安倍首相、福田首相の相次ぐ政権放棄を受けて登場した麻生政権は、言うまでもなく自公内部としては解散・総選挙を闘う政権として登場させた。
首相の座を固守することだけを考える麻生首相には、逃げずに堂々と国民に信を問う勇気と決断力はなかった。また、自民党内も「総選挙の顔」として麻生首相を選出しながら、ズルズルと総選挙を先延ばして、総裁選の前倒し論やタレント出身の東国原宮崎県知事らの擁立論に奔走する姿は、まさに「御都合主義」。最後のみっともないあがきである。
5日の「静岡県知事選」、12日の「都議選」の結果で注目すべきことは、共通して投票率が前回を大幅に上回ったこと。
特に静岡知事選での投票率は、前回を16.56ポイントも上回り、61.05%になった。保守王国静岡では斉藤県政、そして石川県政(4期16年)のゼネコン県政が長期間続くなか、無関心層の増大で投票率は下落の一途をたどっていた。
都議選においても、前回を10ポイント上回り、投票率は54.49%となっている。長年、政治離れによる投票率の低下傾向が続き、そのことが固い組織票をもつ自公政権に有利に作用してきたとも言える。
やはり、日常の生活破壊が進む中、この政治の閉塞状況を変えたい、「変革」を求める有権者の思いが広がっている。
今度の総選挙の課題は、やはり「政権交代」であろう。
徹底的に自公政権の候補者を落選させること。同時に、民主党を乗り越えていく新しい潮流を築いていくことも課題となろう。(若島 三郎)
何度目の切り捨て?チッソ救済法案≠フ成立に抗議する!
7月8日、与党と民主党の修正合意により、参議院で水俣病特別措置法が可決され成立した。当初の自・公与党案は、@加害企業チッソの分社化による救済、A公害指定地域解除による水俣病患者救済の最終的打ち切り、B水俣病の認定申請や裁判で争っている患者は救済対象外とする、なりふりかまわず水俣病問題≠フ幕引きを強行する法案となっていた。
その意図は法案前文にも示されている。
「公式確認から50年以上が経過した水俣病は、わが国における公害問題の原点であり、地域住民に甚大な健康被害をもたらしたばかりでなく、地域社会にも広範かつ重大で深刻な影響を及ぼした。
これまで水俣病問題については、平成7年の政治解決等により紛争の解決が図られてきたところであるが、平成16年のいわゆる関西訴訟最高裁判決を機に、新たな水俣病問題をめぐって多くの方々が救済を求めており、その解決には、長期間を要することが見込まれている。
こうした事態をこのまま看過することはできず、公害健康被害の補償等に関する法律に基づく判断条件を満たさないものの救済を必要とする方々を水俣病被害者として受け止め、その救済を図ることとする。これにより、地域の方々が水俣病の苦難の歴史から解放されるよう、地域における紛争を真に終結させ、水俣病問題の最終解決を図り、環境を守り、安心して暮らしていける社会を実現すべく、この法律を制定する」
どう読んでも、これは被害者の救済が目的ではなく、地域の方々の水俣病問題≠ゥらの解放、それが@とA、とりわけチッソの救済、ということなのだ。分社化の前例は国鉄からJRへの移行ということになろうか、その過程での累積赤字の処理、多数の労働者の首切りを強行しつつその責任はJRには及ばないなど、その枠組みは同じである。水俣病患者への補償から解放された分社化チッソは、企業としての利益追求に専念できるというわけだ。
1995年の自民・社会・さきがけ連立の村山政権による政治解決、これは未認定患者の一定の救済とひきかえに水俣病問題≠フ幕引きを行なうものであったが、関西訴訟が残ってしまった。そして2004年10月、最高裁が国と熊本県の責任を認定し、新たな水俣病問題≠フ幕を開いた。村山政権による被害者切り捨ては、関西訴訟の頑張りによって阻止されたのである。
この判決に力を得た被害者が、救済を求め続々と立ち上がった。水俣病は当初、伝染病と間違われたことなどもあり、地域において差別・偏見の目で見られ、水俣病患者として名乗りをあげることが困難だった。だから、認定申請をしない、できない被害者がどれほど多くいるかわからないのである。被害の全容を明らかにするためには「不知火海全域調査」を行なうほかないのだが、それを行なえば恐るべき被害の実態が明らかになる。
最高裁判決を待つまでもなく、国や熊本県は当然そうした調査を行なう義務があるのだが、公害健康被害の補償等に関する法律に基づく判断条件≠ニいう針の穴のような認定基準を満たした水俣病患者≠セけを正規の救済対象としてきた。国は今もって、「医学的、社会的根拠があり、見直すつもりはない」(斉藤鉄男環境相)として、この認定基準にしがみついている。それは、水俣病患者をランク付けし、一時金等の補償を値切るためであり、被害者切り捨てのための防波堤なのである。
民主党との修正合意によってAは撤回され、@も「救済が終了し、市況が好転するまで子会社株売却は凍結する」ことになったが、チッソ救済と幕引きという構図は崩れていない。また、前文に「平成16年のいわゆる関西訴訟最高裁判所判決において国及び熊本県が長期間にわたって適切な対応をなすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかったことについて責任を認められたところであり、政府としてその責任を認め、おわびをしなければならない」という文章が加わった。修正によって、やっと責任とお詫び≠ェ付け加わるところに、この国の政治の確信的犯罪性がある。
しかし、今回の被害者切り捨て法によっても水俣病問題≠フ幕引きはできないし、チッソが加害者の看板を下ろすこともできないだろう。水俣病とは、チッソが垂れ流したメチル水銀が魚介類に蓄積され、それを常食した不知火海沿岸の住民がメチル水銀中毒となったものであり、その症状の現われは様々である。すべての被害者の救済なくして、水俣病問題≠フ解決はない。 (折口晴夫)
加害企業を免罪する「チッソ兜ェ社化」に再び反対する緊急声明
今国会に水俣病に関する特別措置法案が、与党および民主党からそれぞれ提出され審議されてきました。
私たちは、本年3月、与党案に盛り込まれた公害指定地域解除と加害企業チッソの分社化に反対する声明を共同で発し、熊本県知事、環境大臣、チッソ鰍ノ対し直接要請をしてきました。長年、水俣病に苦しんできた被害者として、水俣病問題の解決に逆行し、水俣病の加害者であるチッソ梶A国、熊本県の責任を免罪することを目的とする法案について、座して看過することはできないとの思いからでした。
ところが、この間の報道によれば、与党と民主党との協議が、実務者から国対委員長および政調会長レベルに「格上」されたことにより、与党案をベースにした修正で基本的に合意したとされています。公害指定地域解除が削除されたり、救済の範囲を広げる方向での協議が続いていると報道されていますが、チッソ兜ェ社化は維持されており、法案の本質は、この3月と何ら変わりはありません。
私たちは、加害企業チッソ鰍ェ歓迎し、被害者はさらなる苦渋を迫られる、チッソ兜ェ社化を絶対に許さないことを再度、表明するものです。
少なくとも格上げされた与党と民主党の協議メンバーは、いちばんの当事者である水俣病患者の意見、実情を直接聞くべきです。患者の意見を聞くことなく、「国会対策上」の妥協をするならば、水俣病の苦難の歴史にかつてない最大の汚点を残すことになります。また、国会は法案審議にあたり被害者団体に賛否両論ある中、患者団体代表の意見を聞く正式な場を設けるべきです。
解散、総選挙を控えた、国会会期末のあわただしい中で、当事者の意見すら聴かず、拙速な判断をすべきではありません。あらためて、最大限の議論をつくすよう、与党および全野党に要求するとともに、国民のみなさんのご理解を心からお願いするものです。
2009年7月2日
水俣病互助会 会長 諌山 茂
チッソ水俣病患者連盟 委員長 松崎忠男
水俣病被害者の会 会長 森 葭雄
水俣病不知火患者会 会長 大石利生
水俣病被害者互助会 会長 佐藤英樹
水俣病患者連合 会長 佐々木清登
水俣病被害者の会全国連絡会 幹事長 橋口三郎
水俣病患者の会 会長 濱元二徳
新潟水俣病被害者の会 副会長 小武節子
新潟水俣病阿賀野患者会 会長 山ア昭正
水俣病・東海の会 会長 國崎イネ
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コラムの窓 連帯型雇用の「基盤」は?
「ワーカーズ5月1日号」の1面記事「日本型雇用への復帰か、それとも連帯型雇用への転換か」の中で、雇用破壊の現実をふまえ「日本型雇用の見直し」気運が高まっていることが批判的に検討され、「連帯型雇用」をめざすべき、との主張がなされた。同じく2面記事「めざすべきは均等待遇型雇用システム」の中でも、同様の趣旨が述べられていた。
私もその趣旨に賛成である。記事の執筆者「廣」氏も述べている「日本的雇用への回帰の願望は、それ自身に特有の労働者にとっての閉塞状況が視野から抜け落ちているし、現実的にも元の鞘に収まる基盤は崩れている。」との指摘は、私も同感である。
そうなのだが、ここから私の疑問は始まった。日本型雇用が「現実的にも元の鞘に収まる基盤はすでに崩れている」とするなら、それでは「連帯型雇用」「均等待遇型雇用」の「現実的基盤」は、どのように見出したらよいのだろう?
「私たち労働者が主導した腰を据えた闘いによってこそ」という「主体的」要因が重要なのはその通りとしても、その「現実的基盤」をみておかないと、空回りになってしまう。だが、今、目の前に広がっている「現実的基盤」は、それこそ日経連「新時代の日本的経営」すなわち、低賃金・無権利状態の非正規労働者を導入し、格差社会を成立させている「現実的基盤」にほかならない。
旧来の「日本型雇用」(年功序列、終身雇用、企業内組合)の「現実的基盤」(高度成長、大量生産・大量消費社会)が崩れ、新たな「現実的基盤」(グローバリゼイション、人口の高齢化)に対応して「新時代の日本的経営」(雇用の類型化、非正規雇用の増大、格差是認)がまかり通っているのが現実なら、この「新時代の日本的経営」から抜け出し「連帯型雇用」をめざすための、「現実的基盤」を探って行く必要があるのではないか?
そんなことを、ここのところ、ずっと考え続けている。そして、その切り口はいろいろあると思うようになった。
その一つは、「廣」氏も指摘する「西欧型雇用構造」である。均等待遇原則は言うまでもなく、オランダのワークシェアリングの導入に当たって、政府・経営者団体・労働組合が協議して確立したシステムである。ただ、日本の場合、「政労使交渉」のタイミングをすでに逸してしまった観が否めない。
早くから、専業主婦を活用した、家計補助的で免税範囲に抑える、単価の低いパート雇用が定着してしまい、さらに労働者派遣法による非正規雇用の拡大が先行してしまったため、その「うまみ」を手放したくない事業主が、後追いの「政労使」交渉を絵に描いた餅にしてしまっている。
とするなら、均等待遇原則を定着させた西欧社会の在り方について、労働組合のあり方、EU成立のもたらした政治的・経済的影響など、もう少し突っ込んで見てみる必要があるのではないか?
もうひとつは、「環境」対応型の新しい事業である。「グリーン・ニューディール」が叫ばれ、太陽・風力発電等の自然エネルギーや、農業や林業が見直され、さらに製造業のあり方にも、質的な変化をせまっている。この新しい雇用分野が生まれる今の時期は、新しい雇用関係を導入するチャンスであるともいえる。
さらにひとつ、高齢化や障害者福祉の見直しによって、介護事業が増えているが、こうした分野の仕事のあり方は、弱肉強食の競争原理には合わない。仕事の目的が、そもそも介護を必要とする弱い立場の人をサポートすることであるし、平日・夜間・土日を問わず、多数の介護労働者が、お互いの都合を融通しあう協力関係がなければ、スケジュールが成り立たない。また認知症や合併症を抱えているなどの困難なケースについては、その分野にひいでている他の事業所を紹介するなどの、事業所同士のパートナーシップも求められる。「連帯」をベースにしなければ成長できないのが、介護事業の特徴である。
というようなことを、まだまとまりがつかないが、いろいろ考えている。連帯型雇用の現実的基盤をどこに見出すか?とりあえず、「コラム」の場を借りて、問題提起した次第である。(誠)
本の紹介―
豊かさは競争社会からは生まれない『フィンランド 豊かさのメソッド』
集英社新書 700円 2008年7月22日発行 著者 堀内都喜子
未曾有の不況下、政府はしきりに景気の下げ止まりを発しようとしている。が、機械受注の落ち込みや失業率の上昇など、景気の底打ちなどとはどこの話だと感じられるなかで、景気は二番底に向かっているかの様相だ。
ばらまき的な財政のテコ入れなどで在庫調整が進んだ一部の製造業はともかく、賃下げや大幅なボーナスカットの拡がりなどで先行きの不透明感はいっそう強まっている。深刻な雇用は、派遣切りなど非正規労働者の首切りから正社員のリストラに拡がっている。有効求人倍率などはかつて無いほど低下し、地方では新規の働き口はほどんと無い状況だ。派遣労働者など、いったん劣悪な雇用状況に置かれた労働者は、次の働き口を見つけるのは至難の業だ。正規労働者であっても、人減らしが進んだ職場では、残れた労働者も長時間労働者サービス残業など、首切り、失業の恐怖で、労働現場の無法状態はかつて無いほど深刻化している。
つい先日も、大阪のパチンコ店の放火犯が、希望のない生活にやけになって「誰でも良いから殺してみたかった」と供述しているなど、絶望感と自暴自棄による凶悪犯罪が繰り返し起こっている。そうした暴発には至らなくても、蔓延する絶望感やギスギスした社会生活など、新自由主義的な市場万能型の弱肉強食の社会システムは、いま様々な領域で破綻が露わになっている。働きにくさ、生活のしづらさが多くの人に拡がっている状況をまえにして、“果たしてこれで良いのか”という素朴な、そして深刻な疑問にとらわれざるを得ない。
そうしたなか、ちょっと目先を変えて日本とは大分違った海外の実例を知ることで、日本の今後のあり方を考えるヒントを得ることができる場合もある。今回紹介する本書も、北欧に属するフィンランドの労働・福祉システムや教育システム等について多くの実例を交えながら紹介してくれる。袋小路にも似た八方ふさがりのなかで一筋の光を見るような、一服の清涼剤にも似たヒントを与えてくれる本だろう。
フィンランドといっても、私も含めて日本では普段ほどんと関心を持たれることもなく、またその実情についてもほとんど知られていない。フィンランドといえば、音楽好きにはあの『フィンランディア』のジャン・シベリウス、スポーツではF1ドライバーのミカ・ハッキネンやスキージャンプのマッティ・ニッカネン、歴史的にはロシア革命やコミンテルンに関わったオットー・クーシネン、それに最近では携帯電話のノキアを思い浮かべる程度だろう。
そのフィンランドが一躍世界を注目させる場面があった。それは世界経済フォーラムによる国際競争力ランキングで2001年から4年連続して世界第一位になったからだ。2001年といえばあの米国の同時テロの年、日本では小泉政権が発足して日本での新自由主義的な政策が世を覆いつつあったときだ。1990年代以降の“失われた10年”を経てもなお低迷し続ける日本経済を、“構造改革”路線を掲げながら市場万能型のシステムに大きく軌道修正している最中だった。その“構造改革”路線の核心はといえば、高コスト体質を脱却して世界での競争力を高めることで再び成長路線を追い求めるものだった。そのために小泉政権は“構造改革なくして景気回復なし”として国民に“痛み”を受容するよう訴えていた。それもこれも日本の競争力を高めることで利潤拡大に走る“企業の論理”を前面に出したものだった。
ところがもたらされたものは競争至上主義のもとでの格差社会の進行であり、派遣切りなど、労働環境のつるべ落としのような劣悪化だった。なんと競争力の強化を目指したはずの構造改革路線の結果、たとえば03年は9位、04年は10位と、10位前後を低迷するていたらくだ。いまでは競争力を高めるはずの市場万能主義、格差社会が、逆に世界での競争力を少しも高めなかったことが数字の上でも暴露されてしまったというわけだ。
国際競争力が世界1位とはいっても、日本の私たちが想像しがちなようにフィンランド国民はけっしてがむしゃらに働いているわけではない。完全週休二日制、残業代がほどんとないから残業はしない、休日出勤には必ず代休を取る、夏休みは4週間以上取るのが当たり前。その辺は馬車馬のように働かせられている日本の私たちからは想像するのが難しいぐらいだ。こうした働きぶりをはじめとして、とにかくフィンランドでは自然環境も含めてすべてがのんびりしているように見える、というのが著者の印象だという。競争こそ活力の源泉だという日本では、賃金などの格差がないと働く動機付けにならない、平等社会は競争力を削ぐ、等と喧伝されてきた。が、フインランドでは教育や生活での格差を極力つくらないようにしてきたといわれると、思わず“本当かな”と疑いたくなる。その疑念への回答として、著者はITなどの情報技術や人材への投資にあると見立てる。
こうした技術開発や人材への投資と関連するが、フィンランドが注目されたのは経済的な国際競争力だけではない。教育レベルの高さでもフィンランドは世界的な注目を集めている。2004年に発表された経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)でフインランドが世界41カ国・地域中、総合トップを獲得したからだ。07年にも再度世界トップの座を勝ち得ている。ちなみに日本はここでも00年のトップクラスから06年には10位前後と順位を落としている。
日本ではいま教育水準の落ち込みを“ゆとり教育”のせいにして、授業時間を増やしている。が、総合トップのフィンランドでは1年間の授業時間が小学校低学年で500時間台、高学年でも600時間台で、日本の700時間台と比べてもかなり少ないのが実情だという。相違は授業時間というよりむしろ授業内容にある。日本のいわゆる“詰め込み教育”ではなく、生徒に問題意識や解決方法を考えさせるような授業の重視だ。他にも質の高い教師、平等な義務教育、それに経済格差が少ないなどの背景があるという。国際ランキングが公表されて以降日本からの視察団も多数派遣されたというが、その成果は一体どこにいってしまったのだろうか。ともあれ、フィンランドの教育思想とシステムは、日本とは大分違ったものだとはいえるだろう。
本書ではいわゆる高福祉・高負担型の社会システムについても紹介もしている。これもオランダなどの中欧型とは違い、22%という高率の消費税(食料品は17%)や20%、30%という所得税に象徴される“大きな政府”による福祉システム、いわゆるスウェーデンなどと同じような北欧型の福祉国家の実情だ。
本書の著者は、いわゆる大学教授のような専門家ではない。本書もたまたまフィンランドに興味を持って留学し、日本の地方新聞に連載された紹介記事を元にして生まれた著書だ。だからというわけでもないが、きわめて平素に書かれた本書は豊富なエピソードも含めてとても読みやすい。反面では90年代のリストラを不況の克服策として評価したり労働者の闘いにほとんど言及しないなど、フィンランド的システムの問題点に深く切り込むという視点はそれほどあるとはいえない。が、格差社会と閉塞感でギスギスし過ぎる日本型競争社会を根本から見直す反射鏡として、本書から多くの示唆を得ることができるだろう。(廣)
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色鉛筆 出世率1・37に向上 少子化は止まらない
08年の1人の女性が生涯に産む子どもの平均数を表す合計特殊出生率が1・37になった。05年が過去最低の1・26で、06年1・32、07年1・34、08年1・37と3年続けて上がっている。(表参照)
しかし、人口の維持できる水準の出生率は2・07程度必要ということで人口減が続く現状では、女性の数そのものが減っているから出生率が多少増えても楽観できないという。また、ここ数年出生率が上がっているのは、団塊ジュニア(71〜74年生まれ)を含む30代での結婚、出産が増えているからであって、団塊ジュニアが40代を迎える数年後には出生率は下がっていくだろう。
私は、この色鉛筆に毎年出生率のことを書いているが、毎年、毎年、政府の少子化対策はその場あたり的なことばかりで、根本的な解決になっていないことを訴えてきた。今年度も保育所整備などのための『安心こども基金』(総額1千億円)をつくったり、妊婦健診費用の公費負担を増やしたりしたがこれらは来年度末で終わり、「子育ての応援特別手当」も今年度だけの事業だというように、また今年度も繰り返している。本当に少子化対策に取り組むならば「財政保障」を十分に行うべきだ。ところが、政府は「一定規模の財政投入が必要」と言っているが、国内総生産(GDP)に対して日本の子育て支援などの家族関係支出はわずか0・8%。出生率を大きく回復したフランスやスウェーデンの3%と比べてあまりにも少ないことがわかる。政府が本気で取り組まなければ少子化は止まらない。
さらに、世界的経済不況の中で共働き世帯が増え、認可保育園に入れない「待機児童」が都市部を中心に増えている。保育園整備が追いつかず待機児童解消のためにプレハブを増設したり、ボイラー室、物置、廊下などを改修したりして保育室を広げている所もあるという。政府が「新待機児童ゼロ作戦」を実施しているにもかかわらずだ。あまりにもお粗末な政策だということがはっきりわかる。安心して結婚、出産、子育てができる社会になれば少子化は止まるだろう。(美)
読者からの手紙
日本共産党の三大「異変」
七月二日、共産党の志位和夫委員長は、アメリカから同党の委員長として歴史上初めて招待されて、東京都内のホテルで開かれた在日米大使館主催の米国独立記念日レセプションに出席しました。
これには、オバマ大統領が「核のない世界」実現を訴えた四月のプラハ演説に対して、志位委員長が都内の米大使館を初訪問し、オバマ演説を評価する書簡を託しており、この五月にオバマ大統領から返書が届けられたことが背景にあります。それにしてもこの急展開には私は驚いています。
彼は、ズムワルト駐日米臨時代理大使に対して「(七月四日の)独立記念日は世界で初めて民主共和国制の国が作られた日で、全人類にとっても重要な日だ」と共産党としての初めての祝意をその場で表明し、ズムワルト氏は「米国と共産党は、協力できる点では協力していきたい」と応じたのでした。
志位委員長は、この会合の後、記者団に「オバマ氏は世界の変化に則して核廃絶など一連の政策見直しを進めており、いい部分は認めて対応したい」と強調するとともに、自身の訪米についても「日本にとって重要な隣国だ。一番いい機会をとらえてぜひ実現したい」と意欲を示したと報道されています。
また六月二十七日には、「しんぶん赤旗」紙上に京都府議時代からの強敵であった野中広務元自民党幹事長を登場させたり、七月七日発売の週刊誌『サンデー毎日』上で日本共産党の不破哲三前議長と中曽根康弘元首相を対談させました。突然の実現に党員もさぞかしびっくりしている事でしょう。
オバマ大統領の演説を「核廃絶」のただ一点から評価するとの共産党の態度は正しいのでしょうか。私などは口先だけのリップサービスだと軽蔑しています。さらに仇敵の野中氏や中曽根氏との階級的な立場は一体どこに行ってしまったのかを疑わせるやりとりなど、まさに共産党の三大「異変」ともでも呼ぶべき画期的な兆候ではないでしょうか。
こんな共産党ですが、天下三分の計なき戦略のため、自公民と自らの対決を謳って、あいかわらず当選の見込みのない小選挙区からも立候補をさせているのです。第三極を守るためには闘いは限定的に行う必要があります。まさに革命の大義による目くらましをした上での党員に強いる消耗戦です。国から政党助成金を受け取っていないことを理由とするカンパの強要には、党員のみならず赤旗読者も辟易としています。その一方で不破氏らは、自らの著作群に対する多額の印税を、ほとんど党財政に寄付はしていない状態です。専従職員の低賃金が伝えられている中で、なぜこうした声が党内から巻き起こってこないのでしょうか。この事ほど共産党の体質を雄弁に語るものはありません。
オバマ大統領や野中・中曽根両氏に、全く説明のつかない恣意的で大胆な「妥協」が出来るのなら、なぜ「政権交代」を実現するための一点で、当選の可能性のない小選挙区から撤退するとの現実的判断が出来ないのでしょうか。
なるほどなるほど、この時期の委員長として名実共にふさわしいのは、まさに名は体を表す志位さん、あなたしかいないのですね。 (猪瀬)
映画チョコラ≠見て
チョコラ≠ニいうのは、ケニアのストリートチルドレンを撮った映画である
チョコラ≠ニいう題名をみて、最初は戦後すぐの私より少し幼い世代の子どもたちがギブミーチョコレイト、シガレット≠ニ進駐軍の兵士たちに群がったあのチョコレイト≠ゥな? と思った。
ケニアのアルミ缶を拾ったり、観光客にお金≠せがんで、その日のチョッとぜいたく? な食事にありつくというケニアのストリートチルドレン。日本の戦後よくみかけた浮浪児みたいな、子どもたちの日常を追った映画であった。
「チョコラ≠ニ変わりないよね」と、笑う春をひさぐ若い母親たち。家族も普通並なのにすぐ家出する少年。路上で稼ぎ、気ままに生き、シンナーを吸う。こんな日常の中で、こんなぐれた生活を送る中で、学校へ行きたい≠ニいう気難しい、数少ない子どもたちに希望をつなぐ作者。子どもたち皆がこうであってほしい。
私自身も若い頃、デモなどに参加しても、夜になれば帰宅し、翌日からはいつもの日常生活に戻る。そのことに罪の意識を持ったものだが、最近では、もどる日常生活そのものがあやうい。それとともに個々人のあいだの信頼関係もくずれていき荒れ模様。こうした現象が世界のそこここで始まっていることを知らねばなるまい。
人間にとって、生きている者にとって、何が善で、何が悪か、何が必要か。何が「自由」か。問いは山積みするが、外側の問題にしても内面の問題にしても、原点から問い直されようとしているようである。そこから生まれる何か。私は少ないお小遣いから、好きな世界中の映像を見て回りたい。09・7・3 宮森常子
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編集あれこれ
まず、東京都議会議員選挙は、民主党が勝利し都議会与党の自民党が惨敗しました。次の総選挙でも、自民公明を政権から引きずり降ろそうではありませんか。
さて、前号の1面は、セブン本部によるセブンイレブン加盟店への犠牲について述べています。店頭での廃棄商品の費用は加盟店持ちで、セブン本部は痛くもかゆくもないことが明らかになっています。まだ食べられる食品を廃棄するという、「コンビニ的消費を疑え!」と筆者は訴えています。
2・3面は、「民主党バブル人気に思う」という記事がありました。民主党には期待できないが、とりあえずは自民党の政権を交代させることが必要、結局今の困難な状況を変えるのは労働現場での力が必要だというのはその通りだと思います。
4〜6面は集会の報告の記事がありました。その中で、政府は集合住宅へのビラ配布での逮捕を画策というのが目に留まりました。すでに、今までにもビラ配布での逮捕はありましたが、これを拡大していくということでしょう。これでは、憲法で保障された表現の自由はないに等しいと思います。なんとか反撃を!
前号は読者の声が5本もありました。次号でも、読者の皆さんの投稿をよろしくお願いします。(河野)
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