ワーカーズ398−399合併号  2009/8/1     案内へ戻る

終わらせよう自民党時代!――“民主党バブル”は通過点――

 総選挙の先送りで延命を図ってきた麻生政権。断末魔の様相での解散に追い込まれた。8月30日の総選挙に向けた政権をかけた攻防戦が始まった。
 総選挙を前にしたいま、自民党は一度は政権の座から降りるべきだ、一度は民主党にやらせてみたい、という声が巷に充満している。それだけ自民党の政治が有権者の期待からかけ離れてしまった結果だろう。その不満の受け皿として民主党への期待がかつてないほどに高まっている。いわば民主党バブル現象だ。
 とはいっても民主党への期待はそれほど前向きなものでも地に足がついたものでもない。それは各種世論調査でも民主党がだめだったらまた違う政党に乗り換える、という声が大きいことに示されている。
 こうした状況は、有権者が政権選択の可能性を手にしたともいえるが、反面ではさほど違いのない二大政党のうちどちらを選択するのか、という限定された政治構造がつくられてしまったといえなくもない。私たちとしては小泉政権以降の劇場型政治がさらに拡がることを許したことになる。
 が、私たちを取り巻く厳しい状況は自・民という限定された選択で乗り切っていけるほど生やさしいものではない。それは“失われた20年”という低迷経済からの脱却、経済の多極化と米中の“G2体制”、“一億層中流社会”の崩壊とますます深まる“階級社会”、それに将来への希望消失を背景とした少子化社会等々。戦後60数年の日本社会の進路をどう転換していくのかという、根源的な課題が突きつけられている。それに応えていくには、戦後日本がたどってきた歴史に対する冷静で深い反省、それにどういう社会づくりを見据えていくのかという将来展望、その実現のためにいま何から取り組んでいくのか、といった戦略的な視点が何より重要だ。目先の二者択一で打開できるほど簡単なものではない。
 今度の総選挙ではすでに民主党への政権交代が既成事実視されている。政治の流動化そのものは歓迎するところだが、私たちとすれば単純な二分法にもとづく目先の“二者択一政治”に止まっているわけにはいかない。労働者独自の未来像を明確にし、その共有の上に立った闘いを推し進めていく必要がある。そのためにも、選挙での投票行動だけではなく、働く人たちを踏み台にして肥大化しようとする弱肉強食の企業中心社会と対決できる、劇場政治型保守二大政党制から自立した“現場力”を基盤とした闘いこそ拡大していきたい。(廣)


切り込むべきは企業社会の本丸――独自勢力の形成をめざそう!

 今度の総選挙では自公政権が敗北して民主党中心の政権が生まれる可能性が高いと見込まれている。確かにその兆候は続いている。
 7月12日に行われた都議選では民主党が都議会第一党の地位を獲得、自民党は過半数に遠くおよばない38議席しか獲得できなかった。同時に行われた静岡知事選挙でも、分裂選挙にもかかわらず民主党推薦の候補が自民党参議院議員だった候補に競り勝った。
 その前にはさいたま市長選と千葉市長選で、公示前に急遽立候補が決まった民主党推薦候補が勝っている。都議選挙でも、民主党から若い候補が出さえすれば当選するという、追い風が吹いていることがはっきりした。
 こうした総選挙前におこなわれた地方選での自民党の連敗と民主党の連勝、あるいは民主党が小沢から鳩山に代わったあたりからの各種世論調査結果などを見れば、8月30日の総選挙ではかなりの確立で民主党中心の政権が生まれる可能性が高くなったといえるだろう。
 すでに自民党や民主党に止まらず、官僚や財界までもが民主党政権誕生を前提として動き始めた、との報道も流されている。。

■勘違いの麻生内閣

 政治の流れからすれば、05年の総選挙以降、自民党はいつ解散しても小泉郵政解散で取りすぎた衆院で3分の2を占める議席が減ることは確実だった。そうした中、選挙の顔として担ぎ上げられた麻生内閣は、本来は発足と同時に解散・総選挙する選挙管理内閣の意味合いがあった。
 ところが自民党が独自に実施してきた選挙予測での予想獲得議席は180前後。300どころか第一党の地位も危ういという惨憺たる結果だった。
 それもそうだろう。小泉政権以降の10年近い間に浮かび上がった弱肉強食の格差社会、ギャンブル経済化したマネー資本主義の全世界規模での破綻、100年に一度といわれた世界的な大不況等々。こうした状況では自民党の惨敗は誰しも予想できたことだ。
 政権の座から追い落とされるのではないかと危機感に駆られた麻生政権は、09年度補正予算まで4回にわたって財政の大盤振る舞いを重ねてきた。結果的に赤字国債の積み上げで国家財政の危機は崖っぷちまで追い込まれている。
 すったもんだのあげくの解散劇。すでに55年体制以降半世紀あまり、経済のグローバル化と多極化が進んでいる。新興国からの猛烈な追い上げにあっているいまの日本、経済の右肩上がりを背景とした政官業が癒着した利益配分型の自民党型政治システムは耐用年数が過ぎ去ったことの結果である。

■代わるのは役者だけ

 マスコミによっては、今度の総選挙は歴史上初めて選挙によって政権を選択できる初めての総選挙になる、いわば政権選択選挙だ、としている。
 確かに93年の細川政権の発足は、総選挙後に自民党金丸派の分裂とその後の政界再編によって生まれたものだった。そのときの政治改革=選挙区改革で生まれた小選挙区比例代表制の下、紆余曲折はありながらも自民党と民主党という二大政党が対峙する政治構造がつくられたのは現実だ。07年の参院選挙で全国の有権者が自分たち自身の投票行動によって政権を交代させ得ることを実証したわけだ。仮に政権交代が実現すれば、有権者の行為でこれほど大きな政治舞台の転換が実現するのは五五年体制以降の半世紀で初めてのことだ。
 が、日本での自民党と民主党による二大政党制というのは、裏を返せば市場経済と現実政治の土台の上に選択可能な二つの政党が競い合う、という、いわば保守二党制そのものである。両党にイデオロギー上の深刻な違いや支持基盤の大きな違いがあるわけでもない。
 現に民主党の議員構成を見れば、その多くが自民党からの離党組であったり、自民党の選挙区から出られなかった候補が民主党から出て当選してきた、というケースが多い。それらを象徴する構図がある。代表の座を降りた小沢一郎はいうまでもなく、代わって代表になった鳩山由紀夫、それに鳩山と代表選挙で争った岡田克也はかつて自民党経世会に所属していた経歴を持っている。民主党三役5人のなかでトップの三人が経世会のメンバーだということになる。何のことはない、いまの二大政党制とは自民党がウィングを拡げて国会をほぼ独占している、ということでもあるわけだ。
 現に自民党と民主党が大企業中心の市場経済、日米安保体制を基軸とする対外関係などの基本政策で鋭く対立しているわけではない。民主党は官僚組織との関係やアジア政策など多少の軌道修正の旗は掲げているものの、かつての五五年体制下における体制対決型――たとえ表向きだけだったとしても――の構造ではない。小沢前代表が進めた“ともかく政権交代ありき”というスタンスからの疑似対決型の構図が作られてきたに過ぎない。そこではかつては疑似政権交代の色合いを帯びていた自民党内の派閥による“政権たらい回し”が、今度は党の枠をはみ出て、自民党から民主党に政権が代わるという姿をとっているに過ぎない。いわば政権交代といっても代わるのは政権を担う役者だけ演目ははさほど変わりそうもない。代わる役者にとっては大変な事態ではあっても、観客にいる有権者は結局は多少の軌道修正や目先の変化に終わるような舞台を見せられることになるだろう。多少の軌道修正や揺り戻しはあったとしてもその政権交代が経済システムや官僚制度、それに私たちの生活構造を大きく変えるわけではない。
 それでも選挙で政権を変えられるという現実自体はまだ良い。有権者にとって一時は主権者の地位を味わうこともできるし、その政権が気に入らなければまた選挙で取り替えればいいからだ。

■ファシズムか、それとも大政翼賛会か

 しかし問題はそうした政権交代が何回続いても有権者の生活が改善されなかったときだ。そのときは議会不信が高まり、より強力な指導者の登場を待ち望む雰囲気が醸し出されるかもしれない。そのケースでは小泉的なポピュリズムかそれとも石原的な独裁者が登場してくることになる。あるいはかつて福田首相と小沢民主党代表との間で結ばれかけた、いわゆる大連立構想が再浮上してくるかもしれない。劇場型政治の土台の上ではそうならざるを得ない。
 いくつものシナリオにいまから思いを馳せていても仕方がないが、あり得べきケースとして消費税引き上げを目的とした大連立構想が浮上してくる可能性もある。
 いまの麻生政権が繰り広げたばらまき政策、それに民主党が約束している高速道路無料化などのばらまき政策で、それでなくとも借金漬けの財政構造がさらに悪化する可能性は高い。いま両党ともこの3〜4年の消費税引き上げはしないというのが公約になっている。裏を返せば3〜4年すれば消費税を引き上げるということだ。それも両党の政策や財界の思惑などを考えれば二桁の税率でだ。
 消費税引き上げは庶民の懐を直撃する。未曾有の不況下、それでなくとも苦しい庶民=有権者にとって消費税引き上げは大打撃だ。財政破綻と有権者の打撃。これらを打開すると称して自民・民主両党、あるいはそれぞれの派閥が入り乱れての政界再編、あるいは大連立騒動が繰り広げられる場面がこないとも限らない。そこで生まれる圧倒的多数の与党に対して有権者はどういう位置に置かれるのか。大政翼賛会的な流れに巻き込まれるか、あるいは極小数派としてアテのない抵抗を試みるしか選択肢が無くなってしまうだろう。
 こうした事態は単線的には進まないだろうが、そうした政治力学も考慮しながら選択権を行使していきたい。そのためにも自民・民主のどちらにやらせるか、といった目先の政権選択に過大な期待は禁物だ。いまテレビ政治や世論調査政治が幅をきかせている中、安易な二分法や二者択一型政治を打破していく必要がある。
 最近の地方選挙では自民党など既成政治に対するノーの声は、野党第一党の民主党にその多くが流れた。一人を選ぶ首長選挙ではある程度はそうならざるを得ない。が、都議会議員選挙でも民主党の一人勝ちとなって、少数政党の共産党は議席を大幅に減らし、社民党は議席を得ることは出来ず、生活クラブも議席を減らした。少数勢力がますます政治の場から排除されていくのはそれだけ選択肢が狭められるということで、少数勢力にとっては二大政党制とは選択肢が狭められる厳しい現実を見ないわけにはいかない。

■独自の政治潮流の形成を!

 すでに多くの有権者に見抜かれているように、エコ・カー支援やエコ・ポイント、あるいは高速道路料金の引き下げや無料化にしても、繰り広げられているのは不況で苦況にあえいでいる企業や自民党の支持基盤である農協などへの大判振る舞いでしかない。技術革新や人材育成への投資でもなく、ただ需給ギャップの穴埋めで、格差社会の元凶である労働者をモノ扱いする企業の雇用構造への規制も無い。むしろ将来の需要を先食いする、あのケインズも笑うしかない一時的なばらまきでしかない。
 こうしたなか、いまでは小泉政権が推し進めた新自由主義的な市場万能社会の声はかき消されている。それほど格差社会の深まりなど日本社会の断層が深まった結果でもあるが、それ以上に現在の不況対策がまさに緊急対策としての対処療法としてしか位置づけられていないことは象徴的だ。どういう方向でこの危機から脱出するかの方向論議さえ雲散霧消している。
 労働者社会を覆っているいまの閉塞状況の根源は、単純化すれば雇用問題にある。この10数年の間で企業が推し進めた雇用の複線化、要は雇用の非正規社員化は、モノ扱いされる派遣労働者などの非正規労働者、それに長時間労働、サービス労働を強いられる正規労働者に労働者社会を分断した。派遣労働者などは正規労働者の雇用の調整弁として扱われ、ひとたび雇用から排除されれば公的セーフティ・ネットにも頼れず、住む場所はおろか生きていくすべまで奪われているという状況下に追いやられている。
 こうした格差社会の元凶は、たとえば雇用の複線化を労働者に押しつけた経団連などの企業の雇用政策、派遣労働の無節操な拡大でそれを後押しした自民党政治にある。当然のごとく問題の核心は、そうした企業のやりたい放題の体制をどう変えていくかにある。現在の民主党ではそうした企業体制の根源に切り込む姿勢は皆無に近い。税制や財政の使途など、ほとんどは企業体制の外側での事後対処策でしかない。
 こうした雇用の二重構造を打破するための労働者の団結構造も解体状況で、労働者が格差社会からの脱却の当事者として登場するにはほど遠い状況にある。そのために不可欠の均等待遇とそれを可能にする雇用・社会保障システムのトータルな代案も、未だ労働者の陣営の内部ですら形成されていない。そうした課題の実現とそれを推し進めるためにも、二者択一政治に引き回されることなく二大政党や企業から自立した労働者独自の政治潮流の形成をいまから推し進めていきたい。(廣)案内へ戻る


反戦通信24・・・戦争を語り継ぐ(上)

 今年も64年目の8月15日が近づいてきた。
 7月25日、東京の阿佐ヶ谷で元軍人4団体(「撫順の奇蹟を受け継ぐ会<中国帰還者連絡会>」「日中友好元軍人の会」「不戦兵士・市民の会」「関東日中平和友好会」)が主催する「7.7蘆溝橋事件記念集会・・・戦場の記憶をどう語り継ぐか」が開かれた。
 3人の元兵士が生々しい戦場体験を語った。印象に残ったのが、「あの侵略戦争及び太平洋戦争に動員された旧日本軍兵士・軍属は789万人。そのうち戦没者310万人、帰国できたのは353万人である。その後の記録は何処にも存在しない。当時の少年兵も80歳を超えて、今や健在者は40万人前後と推定される。語り継ぐ時は、あと僅かである」との言葉であった。
 しかし、当日の集会の第2部は「加害の記憶をどう受け継ぐか」というテーマで、4人の若者が語った。戦争の「被害者」「加害者」の話を聞く中で、自分たち若者に何が出来るのかを模索しながら、新たな「会」を立ち上げて戦争問題についての活動をしているとの報告がありたのもしく感じた。
 戦犯として中国の撫順戦犯管理所に収容され、1956年に帰国して「中国帰還者連絡会」(中帰連)を立ち上げ、加害証言を通じて反戦平和を訴えてきた中帰連のメーバーたちは高齢者になり2002年に会を解散した。その事業を受け継いだのが若者たちで、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」を結成。現在、全国に10支部を立ち上げ活動をしている。
 戦争を知らない、歴史を学ぶことができない若い世代が増える中、戦争の愚かさや悲惨さを語り継ぐ取り組みはますます重要になっていくだろう。

 戦争を語り継ぐという意味で、3つの「映画」を紹介したい。
 一番目が、「嗚呼 満蒙開拓団」(羽田澄子監督・岩波ホールで上映中)である。
 私も日本に帰国した「中国残留孤児」の支援活動をしてきた者として、羽田澄子監督が満州移民をテーマにした映画を作ったと聞き、さっそく岩波ホールで鑑賞した。多くの映画評論家に取り上げられていることもあり、ウィークディーながらほぼ満員で、やはり高齢者が圧倒的に多かった。
 朝鮮・中国に侵略し「満州事変」を起こし、中国の大地を確保し傀儡国家「満州国」を建国した日本軍国主義国家は、「国策移民」(満州移民)として27万人の日本人移民を満州に送り込んだ。
 しかし、1945年8月9日のソ連軍の参戦により、満州開拓団は地獄の逃避行を強いられた。その有り様は、まさに沖縄戦と同じ実相を辿った。頼りにしていた関東軍の主力部隊は南方戦線に送られたり、本土決戦に備えて帰国し空っぽになっており、現地軍隊は45年春に現地応召された開拓団員の男性(約4万7千人)が担っていた。
 老人と女性と子どもばかりになった開拓団は、関東軍にも見放され、ソ連軍の攻撃と現地人の報復のなか多数の犠牲者と「残留孤児」「残留婦人」を発生させた。開拓団員の犠牲者は約7万2千人、未帰国者は約1万1千人(うち6500人は死亡と推定)。犠牲者は移民の3人に1人の割合である。死者の多くの遺骨は未だ満州に埋もれたままである。
日本国家を信じ軍部を信じ満州に渡っていった農民たちは、国策として利用されて、そして最後は国家によって「大量棄民」され、死んでいくか、中国「残留孤児」「残留婦人」となって生きていくかしかなかった。
 だからこそ、中国で辛苦をなめた「残留孤児」や「残留婦人」の人たちは、日本に帰国してから、そのことを日本国家に突きつけたのである。日本国家を相手にして「国家賠償訴訟」の裁判闘争に立ち上がり、その要求の基本は「孤児発生の責任はどこにあるのか・・・その反省と謝罪・・・償い」であった。
 しかしながら日本国家は、その「責任と謝罪」を拒否し、結局「新支援策」なる微々たる生活支援金支給という解決策を示し和解し、訴訟を終結させてしまった。
 中国「残留孤児」「残留婦人」について未だ問題の根本的な解決にはいたっていない。そんな思いを持ちながらこの映画を見た。
当然の疑問として、なぜこんなにも悲惨で地獄のような逃避行になってしまったのか?当時の軍部・行政の指導者はなにをしていたのか?
 その答えは、羽田さんと一緒に現地ツァーに参加した人たち(開拓団の子どもたちで無事に日本に帰れた人)の証言にあった。
 山梨県の広富山開拓団の石原さんは、「満州に渡ったのは昭和20年5月26日だった」「官僚に訊いてもらいたい。日本が戦争に負けていることがわからなかったのか。なんで私たちを送り出したのか」「お前たちはもう行くな、危ないからと言えば、誰も行きませんよ」と、怒って述べている。
 樗沢さんは、「10歳で満州に渡った、父親が軍人で、部隊はソ連の国境から30キロしか離れていなかった。あんな国境の近くにいながら、我々軍人家族だけを最優先で後方へ逃がしてくれた。」「軍のトラックの窓に手をかけて『乗せてってくれ』と、それを振り払って行っちゃう。相手は女性と子どもで、どうしょうもない。逃亡の手段を持たないのをわかっていながら、置いていくんですからね」と、当時の実相を述べている。
 チチハルで満鉄の検車区で働いていた金丸さんは、「チチハルの駅頭には、避難してきた女性と子どもでいっぱいでした。そこで、避難列車を待っていた。私はてっきりその人たちを乗せるために列車を編成したと思っていた。ところが、そこに乗ってきたのは関東軍の将校とその家族、兵隊が銃剣をつけて、それに守られて乗るわけです。それが、荷物がすごいんですね。革のトランクを2つ持ったり、布団袋を積み込んだり。・・・後から考えてみたら、軍の人たちが先に行って、その後に満鉄の人たち、それから満州国政府の人たちが乗って、避難民は結局一部しか乗れなかったと思うんです」と述べる。
 これらの証言は、まさに国家による「大量棄民」の事実が示されている。
 満州の戦局の状況をまったく開拓団に知らせず、いざ開戦となったら軍や政府関係者だけがどんどん先に逃げ出して、開拓団を捨て去っていった事実。その責任を明らかにする必要はあるだろう。そうした責任を明らかにしない限り同じ事は繰り返される。
 ソ連との国境付近に取り残された老人・婦女子の避難民は、それでも関東軍の駐屯地の「方正」(ほうまさ)を目指して、100キロも200キロも歩く逃避行を経て、ようやく方正にたどりついたが、もう関東軍は撤退した後だった。
 方正にたどり着いた避難民は、零下40度という酷寒にさらされ、飢えと栄養失調、さらに発疹チフスに襲われて、夥しい数の人たちがここ方正で亡くなっている。翌年の1946年春、それらの死体が溶け出し、方正の県政府がそれらの約4500体に石油をかけて三日三晩かかって焼いたという。
 その後、この日本人遺骨の山を発見したのが「残留婦人」として方正ちかくに住んでいた松田ちゑさんである。骨を拾い墓を建てたい願いを、方正県の政府や中央政府に申し出て、最終的には周恩来首相に認められ、ここ方正に「方正地区日本人公墓」が建てられた。
 08年1月、北京の日本大使館大使は公墓に参拝し、県政府に謝辞を述べた。だが、日本からは政府関係者の公式訪問と謝辞はないと言う。(富田英司)案内へ戻る


コラムの窓・脳死は人の死か?

 7月13日午後、参議院本会議において改正臓器移植法(A案)が可決され、成立しました。これによって、@「脳死は一般的に人の死」とされ、A臓器提供の年齢制限が撤廃され、B本人の拒否がない限り家族の同意で臓器提供が可能になりました。これまでの、@「臓器移植の場合だけ人の死」とされ、A提供できるのは15歳以上、B本人の書面による意思表示と家族の同意によって、ようやく臓器提供が可能だったのとは大違いです。
 この改正は、もっぱら臓器移植が必要になった子どもたちの親の願いを実現したものです。しかし、衆議院解散前のあわただしい政治情勢のなかで成立させるには、あまりに重大な内容です。莫大な費用を工面した上での、海外での移植に命をかけてきた関係者にとっては、「遅すぎた」のかもしれませんが、あまりに臓器移植推進≠ノ傾きすぎています。せめて参議院で提案された「対案」、現行法を基本にAについて子ども脳死臨調で検討するという案にとどめるべきではなかったでしょうか。
 この法案が審議される過程で、脳死≠ニされた子を大切に育てている家族があり、子どもは成長もしているという重い事実が報じられています。それが、法的にはそれは死んだ状態≠セとされたら、どうなるのでしょう。脳死は人の死≠ニすることの危うさは、計り知れません。ちなみに、脳死とは「脳幹を含めた脳全体のすべての機能が非可逆的に停止した状態」(広辞苑)だそうです。
 肉体的な人の死は、心臓が止まり呼吸もなくなり、やがて冷たく硬くなるので、これを否定すべくもありません。しかし、医学が進歩するなかで人工的に肉体の死を遅らせることが可能になり、その間に脳が死んだ状態になるということがあり、生きた肉体から臓器を取り出しこれを利用することか可能になったのです。
 こうした臓器移植だけではなく、遺伝子操作なども可能となり、不治の病とされていた難病なども治療が可能になることもあります。こうした治療の前で、生とは何か、死とは何か、考え込まざるを得ません。ここで最も重大なことは、死とは瞬間ではなく過程であるということではないでしょうか。たとえ脳の死が不可逆的地点に達しても、それを受け入れられない家族にとっては、心臓の鼓動が停止するまで死を認めないでしょう。
 脳機能の停止に向かって後戻りできない地点に達したら、私は個人的にはそれが人の死だと受け入れますが、あくまでそれは自己了解であり、他人に押し付けるようなものではありません。だから、脳死は人の死≠国家が定義することには反対です。問題は、その不可逆的地点≠フ確定にあります。脳の機能について解明し尽くされたのだろうかという疑問が、いまだ完全に払拭されていないのです。
 さて、この法改正に反対の意思を表明している意見のなかで、おそらく最も過激≠セと思われる主張が、「週刊金曜日」(6月26日号)に掲載されていました。作家の山口泉氏の「人間よ命を値踏みするな」という論考です。山口氏は、「『脳死』臓器移植に関し、それが医療冒険主義・資本主義に由来する暴挙であること、他者の合法的殺人の上に成り立つ医療は本来あり得ないこと」と絶対的に反対してきました。そのうえで、次のように述べています。
「なぜか一般的には理解され難い事柄らしいのですが、『脳死』判定と死刑制度とには本質的に共通した性格があります。それは国家(法)による合法的殺人という点であり、そして問題が決して生命を奪われる当事者のみならず、普遍的な『人権』への侵害だということです」「『脳死』臓器移植は決して個々人の死生観≠フ問題でなどありません。それは人命を値踏みし、優先順位をつけ、功利主義の具とする究極の差別と不平等の一つにほかならないのです」
 凄まじい主張ですが、死刑が国家による合法的殺人だというくだりは私の主張と同じあり、法が脳死は人の死≠ニすることがそれと同じという主張の鋭さに驚嘆します。確かに、脳死とされた子の健やかな成長を見守ってきた親にといって、それは死刑宣告≠ノほかならないのかも知れません。   (晴)


2009.8.1.読者からの手紙案内へ戻る

都議選の大敗北の総括せず総選挙方針のなし崩し的転換を計る共産党

7月16日、志位委員長は、「幹部会声明」と「一問一答」を発表して、都議会選挙時の自民党と民主党との「同質・同類」批判を止めて、民主党政権が出来ることを前提にした総選挙方針のなし崩し的転換を明らかにしました。
 この背景には、前回13議席を8議席に、議席喪失率は何と38・5%、得票率は15・57%から3・01%下落させた12・56%、得票数は約68万票から約70万7千票へと若干増やしただけという冷徹な事実があります。
 志位委員長は、この大敗北を誤魔化すために、得票数が約2万7千票増えたことを最大限に利用していますが、このことは投票率が上がったのだから当然のことなのです。今回増えた投票数は約127万票で、これに今回の共産党の得票率を掛けると約16万票になります。しかし実際に獲得した得票数は約2万7千票ですから、約13万2千票も取りこぼしているのです。だから真実を覆い隠す志位氏の詭弁術はたいしたものだと言えます。彼は得票率の低下については沈黙を頑なに守っているのですから。
 都会議の与党に下された審判としては、自民・公明では違いが出ましたが、有権者は、自民党の48議席を38議席に減らしました。議席喪失率は20・8%です。これは明白な自民党への徹底した審判といえます。しかし共産党の議席喪失率は先に見たように何と38・5%なのです。この結果は、共産党にも厳しい審判があったのだと認識する他はありません。元外交官の天木直人氏は共産党を政権交代阻止政党と端的に規定しましたが、有権者もその認識だったのに違いありません。まさに共産党は崖っぷちに立ったのです。
 かくして、共産党は野党でありながら、政権交代に背を向けてきた誤りを自己批判しないままで、今後出来るであろう民主党政権を容認するとのなし崩し的方針転換を計りました。
 ここでも決定的なことは、未だに都議選での大敗北と民主党の自民党と「同質・同類」批判の戦術の誤りに対して、誰にでもはっきりと読み取れるほどの自己批判がないことです。したがって、共産党には、今でも衆議院総選挙の課題が政権選択や政権交代であるとの明確な認識が全くありません。
 確かに共産党は、言葉を選び抜いて、政権交代とはいわずに「民主党中心の政権が成立する可能性が大きいことは事実」と規定したのです。前回は「たしかな野党」との自己規定は、今回「建設的野党」と言い換えました。しかし共産党が今躍進する状況ではないのは変わらないのみか、さらに一層悪くなっているのにもかかわらず、前回の自己規定のみ変えたのは、共産党は場当たり的な対応をしているからです。この点、私にはまたしても敗北の予感がします。
 今回の選挙で、共産党は、初めて全小選挙区からの立候補戦術を取り止めたのです。なぜなら党の財政が供託金の没収に絶えきれなくなったからです。決して選挙戦術を変えたというような高級な物ではありません。その証拠に冬柴氏の兵庫8区や太田氏の東京12区や小泉氏の神奈川11区といった全国で注目の選挙区等に、当選など想像することが出来ない泡沫候補を擁立して恥じないのです。この事は、まさに政権交代阻止政党の面目躍如といえます。それに今回の選挙戦術の目玉は、衆議院の総選挙には2票あり、小選挙区は好きな政党に、比例区には日本共産党と書いてくださいとの選挙運動を推し進めている事です。これが「比例区を軸に」闘う共産党の新戦術なのです。今回この比例区には、何と前回に比べても大幅増員の73名も擁立しています。
しかしこうした努力にもかかわらず、元愛知県委員の共産党ウォッチヤー宮地健一氏によると、衆院選ドント式当選決定システムでは、民主党政権の容認への転換の遅れにより、共産党の方針転換が有権者に徹底しないとしたら、共産党への投票は伸びず、東北・近畿ブロックで1議席減らすとの分析がなされています。有権者と党員へのはっきりした明確なメッセージが必要なのです。
 7月16日、志位委員長は、「都議選の結果は、自公政権へのきびしい拒否の審判を示すものとなりました。国民が自公政権そのものに退場を求め、日本がそれに代わる『新しい政治の中身を探求する時代』を本格的に迎えたことは、いよいよ明白になりました。そうした新しい政治局面で、総選挙にのぞむわが党の基本的立場を、8中総の決定を土台にしながら、情勢の進展にそくして発展させることが必要と考えて、この幹部会声明をつくりました」とのべ、声明にそって、なし崩し的な方針転換を説明しました。
 そして「民主党中心の政権が成立する可能性が大きいことは事実です。それでは民主党は、自公政治に代わるどのような新しい政治をつくるのか。民主党には日本経済と日本外交でどのような改革をおこなうかが見えないことに加え、消費税増税への志向、憲法9条の改定、衆院比例定数削減など危険な方針」を従来通りの批判を繰り返したのです。
 志位委員長は、この新しい立場について、「端的に言えば、民主党中心の政権が成立した場合には、国民の立場で、『良いものには協力する、悪いものには反対する』という“是々非々”の立場で、筋を貫いた行動をおこなうことです。つまり“行動する是々非々”という立場で対応するということです。民主党中心の政権が成立した場合に、野党がどうなるかは不確定ですが、建設的野党としての役割を果たしうる立場をもっているのは日本共産党です。この党が伸びるかどうかで、日本の政治が前に進むかどうかが決定的に左右されます」と主張しました。いってもいわなくても良い言い方では共産党の方針変更が、有権者には明確に意識されないし、また共産党自身の為にもなっていません。
 今回の選挙でも「かけはし」は、従来通り共産党と社民党への投票を呼びかけています。私は、今回の選挙でもしっかけと第三極を確保せよと自主投票を呼びかけていきたいと考えております。   (猪瀬)


 地域の70才以上の一般の人の演ずる芝居を見て

 7月5日の日曜日、伊丹のアイ・ホールへ芝居を見に行った。地域の70才以上の人たちで演ずるという。演出は造形芸大の若手。何でも最初は戦争体験を持たない人々に、戦争をかいくぐった人々が語っていくことをテーマとしていたけれど、演ずる人たちの間から意見が出た。
 演出者の思いと日常の自分たちとの間に大きなミゾがあって、そういうテーマを与えられるとかえって構えてしまって、続けられなくなると。そこで現在の日常生活を語ることからはじめ、しゃべくりたい人、よっといで≠ニいうフンイキの集まりからはじめたそうだ。
 半年かけて、バラバラ、さまざまな思いをしゃべくり、共通のものとしてある高齢者の目の前にある死≠ノついて、いまどう生き、どう思っているかを語る。
 最後の象徴的なシーンは、一列に並んだソロソロ歩き。最後尾の者(亡者)が電球の明かりをかかげ歩くというもの。私は葬いの儀式を思い起こすのだが。ガンで逝った長姉の葬儀の折、あるバアさんが立てられた長いローソクに火を灯しながら、この明かりでドンドンいいところへ行きなはれよ≠ニいった場面を思い起こす。
 ところが舞台の亡者たち(失礼ゴメン)、入ろうとする新しい世界を前にして何をしゃべくろうかと全くパワフルな亡者たち、バックに流れる音楽がなんとウキウキするワルツ。全く勢いのよい幕切れであった。死≠ノよって新しく自らの場を得て、何を語ってくれるのだろうか。
 死もまた楽し=Bこの芝居の題目はドラマソロジー=Aあらたなひとつのドキュメンタリー演劇といえようか。  09・7・5 よる  宮森常子


 ワーカーズ7・15(397号)コラムの窓連帯型雇用の基礎は?≠読んで

 わが商店の場合、店主1人、専業主婦でパートの従業員1人、従業員でもない、なんでも屋の、家族労働力の1人の私の3人で営む零細商店である。
 西欧社会の雇用形態がどんなものかよく知らないが、一人一役、とにかく3人でやっと漕いでいる小舟といった感がある。それぞれの都合を協力しあい、埋めあって営む小さな商店。不満をいえばキリがないがとにかく漕いで浮かんでいる。
 互いのことを気遣いながら生きている高齢者3人の拠点。まあ協力関係を崩しては生きていけない小商売の店。どこまで続くか、いつ限界が来るかわからないが、とにかく生きている。個々人が確立し、多様ながらそれぞれ能力を発揮して、進むというまでには至らないが、まあ生きている。ピラミッド型はアジア型であろうが、やりやすい形でもあると思わざるをえないこともある。
 高齢で病もちながら舵とりをしている店主を、支えて生きようとしている三角形というところ。歴史上のコトバを用いれば、近代と前近代のごった煮といったところか。それで花田清輝氏がいった前近代を否定的媒介として近代を超克する≠ニいう図式もなるほどと思う。
 コラムの窓≠フ「誠」氏の提起した連帯型雇用の現実的基盤をどこに見出すか? について日頃の状況をチョット紹介してみた。
〔付記〕
 弊害もないわけではない。協力関係を成立させる基盤として個の確立が伴わないと、傷のなめあいに陥りかねない仲間意識(閉鎖的傾向を生む)を生じやすい。それ故に花田氏の図式も現実性を帯びてくるのであろう。ナニワ節だよ人生は・・・≠超えて・・の如くに。‐否定的媒介の中身?‐   09・7・26 宮森常子 案内へ戻る


政治の“中身”のチェンジを

総選挙が目前に迫っています。名古屋に始まり東京、仙台にいたる7つの自治体選挙のすべてで、「自民党政治ノー!」の民意が示されました。来る総選挙は、この民意をさらに深める選挙
にしていく必要があります。     
派遣切りも止まないなか、今度は正社員や本工へのリストラが始まっています。失業率は悪化を続け求職者の2人にひとつの職もない状況です。運よく首がつながった者は、減らされた人員でより以上
の仕事をこなさざるを得ず、過重労働に拍車がかかっています。雇用破壊にストップをかけ、働く人が報われる社会を目指すことこそ、来る衆院選の最重要の課題です。同時に、自民党政権の社会保障狙い撃ち政策によってポロポロにされたセーフティネットを立て直すことも切実な課題です。
老後のくらしを不安に陥れる低年金、高齢者への医療差別(後期高齢者医療制度)。老老介護や認認介護が広がり、劣悪で危険な施設へのすし詰め収容が黙認される介護の現状。1日2食で我慢、子どもたちに進学をあきらめることを強いる生活保護制度への締め付け。これらを許しておけば、社会全体が壊れてしまいます。
政権延命のためだけの大企業や公共事業むけのバラマキ、そのツケを庶民に押し付ける消費税増税の企てを打ち破りましょう。
民主主義への挑戦である金権政治を許さず、企業・団体献金を禁止、「世襲制」を断ち、政治を勤労者、生活者の手に取り戻す一歩としましょう。
北朝鮮の核兵器開発に反対するとともに、大国の核保有と他国に対する核先制攻撃の脅しを許さず、北東アジアの非核地帯化、そして地球上からの核廃絶をめざしましょう。軍事力が平和をもたらすという考えが間違いであることは、イラクやアフガンでの戦争の結果を見れば、一目瞭然です。
今度の選挙を単なる政権交替にとどめず、政治の中身″のチェンジの第一歩とすべく、可能な様々な闘いをくり広げましょう。(Y)


色鉛筆−豊かさよりも平和を

 今年も8月15日の終戦記念日が近づいてきました。例年、戦争体験者の方からの話、悲惨な映像などこの時期に集中して報道されています。戦争を二度と繰り返すな! と教訓化することは大切なことです。しかし、日常的な暮らしのなかでどれほど浸透したものになっているか、疑問です。戦争反対よりもむしろ、積極的平和戦略を生活の中に取り入れた「コスタリカ」に学ぶべきことは? 是非、皆さんと共有化したいと思います。
 西宮の「現代を問う会」の7月例会では、「軍隊を捨てた国コスタリカ」について報告と討論を行いました。コスタリカが非武装であることは、永世中立国のスイスと並んで有名なことです。しかし、スイスは自らも武器を所有し、国内で生産した武器を他国に輸出するという、矛盾した行為をやっています。
 なぜ、コスタリカが非武装を選択したのか、出来たのか? これは、歴史的な経過の中で選択せざるをえない状況があったことは確かですが、今日まで60年間もアメリカの隣国でありながら維持できたこと自体が、努力の積み重ねだったといえるでしょう。その戦略的な実践には、日本では考えられないことが紹介されています。
 コスタリカは、面積は九州と四国を合わせたくらいの小さな国です。人口も450万人、国民一人当たりのGDP(国内総生産)はおよそ4000ドル、産業はコーヒーやバナナなど一次産業に依存しています。しかし、こんなに小国なのに隣国ニカラグアから約100万人の移民を受け入れているというから、その度量の大きさにびっくりです。
 コスタリカでは子どもたちの目が生き生きしている、このことは健全な教育が成されている明かしです。国家予算の4分の1が教育費、しかも識字率が95%。小学1年生の教科書に義務とともに権利という言葉が登場し、子どもたちは、「学ぶこと、愛されること」を自分の権利として主張し、民主主義の基盤が学校で形成できているのです。それは、子どもの権利条約が理解され、生かされているということになるでしょう。
 その一例としては、校長が校庭に駐車場を作るのに対し、遊び場が狭くなるから反対と、子どもたちが裁判に訴えるというものです。コスタリカでは、最高裁に家庭、民事、刑事の3法廷があり、1989年に4番目の憲法小法廷が加わりました。子どもたちは、その憲法小法廷に提訴したのです。
 子どもの教育の健全化を維持するために、女性の政府スタッフは海外からの観光客が宿泊するホテルを、敢えて豪華なものにしない(ほどほどがいい)と答えています。なぜなら、経済的な効果よりも、治安の悪化、つまり青少年に麻薬などがはびこるのを防ぐことが大切だからです。
 豊かさとは何か? あらためて考えさせられることです。日本においても平和に生きる権利は、誰もが主張でき、戦争を準備しようとする連中にストップを突きつけることが可能なはずです。この夏、元気の出るコスタリカの本を読んでみませんか。 (恵)

足立力也著 扶桑社新書 「丸腰国家コスタリカ〜軍隊を放棄したコスタリカ 60年の平和戦略〜」
足立力也著 岩波ジュニア新書 「平和ってなんだろう 『軍隊を捨てた国』コスタリカから考える」案内へ戻る
 

編集あれこれ

 7月12日の東京都議選を経て、いよいよ現実的になった「政権交代」について、本紙前号1面で述べています。それが民主党単独となるのか、あるいは連立となるのかその行方はわかりませんが、私たちがスローガンとして打ち出すのは「自公政権に終止符を!」だということです。それは、マスコミがはやし立てている「鳩山政権誕生」とは微妙に違います。
 民主党は政権を取る前から野党的反対路線から、早くも現実路線≠ヨと回帰しつつあるようです。ほかでもない、海自のインド洋からの撤収についてですが、6月にはあった撤収方針がもう消えてなくなっているのです。自公政権との対決の過程で、心にもなく反対していたあれこれを、そろそろ店じまいしようとしているのでしょうか。
 それでもなお、国民的支持をつなぎとめるために、民主党はいくらかの改革を実施するでしょう。例えばそれは、米核持ち込みの密約文書の公開です。それが、密約外交≠フ実態を明らかにし、これと決別するところまでいくかは疑問ですが、外務省官僚への頂門の一針となるのではと思うのですがどうでしょうか。
 前号2面のチッソ救済法#癆サの続報をひとつ。環境省官僚によるニセ患者#ュ言です。「朝日新聞」で報じられたものですが、原徳寿・環境省環境保険課長による次のような発言です。
「受信側の問題として昔から言われるのが、診察時に針で刺されてもわからないふりをする詐病。他の症状を、水俣病に結びつける傾向もある」「何らかの神経症状があれば医療費の自己負担が補助される新保険手帳も魅力的なはずで、近年急増した。カネというバイアスが入った中で調査しても、医学的に何が原因なのかわからない」「救済法で対象となる万単位の人も、水銀の影響かどうかわからない。だから損害賠償として補償はできない。95年の政治決着と同様、『水銀の影響だと思うのも無理からぬ』と、地域の問題としてまとめて救済しようと位置づけた」(7月17日「朝日新聞」)
 ずいぶんと上から目線の傲慢な発言です。心が下品なものは、他人も悪意ある行動を行なうと思っているのでしょうが、こんな連中が環境省の権力を振り回しているようでは被害者は救われません。民主党が政権を握ったら、こうした官僚の悪癖を洗い流してもらおうではありませんか。  (晴)案内へ戻る