ワーカーズ400号 2009.9.1. 案内へ戻る

民主党政権のチェックと監視の強化を−−保守二党制を打ち破る独自の闘いを起こそう!

民主党の圧倒的な勝利、自民党と公明党の惨敗となった衆議院選挙の結栗、民主党政権の成立が確実となった。
 小泉純一郎の新自由主義的な市場競争主義、安倍晋三が掲げた復古主義と愛国主義、福田康夫による小泉構造改革の軌道修正、麻生太郎による公然たるバラマキ政治への転換と、自民党は保守政党として可能な様々な選択肢を試したが、国民の支持を繋ぎとめることはできなかった。代わって国民の期待を集めたのは、市場競争義で
もバラマキ政治でも、自民党とさほど違わぬ変遷をたどってきた民主党であった。自民党と民主党の目につく相違点と言えば、「脱官僚」の強調の度合いくらいしかなかった。
 民主党が国民の期待を集めた埋由は、多くの論者が指摘しているように、民主党への支持の大きさと言うよりも、自民党への忌避感の強さにある。
民主党の政策よりも、とにかく自民党に退場してほしいとの国民感情が膨れ上がっていった。なぜ自民党はダメで、どうして民主党が良いのかを、積極的に語ることが出来る有権者は、必ずしも多くはなかった。
 自民党はダメ、自民党はイヤダ、だから最大野党の民主党だ、と思考する人が増えたとすれば、それは民意の成熟を意味するだろうか。逆にむしろ、政治を自分の頭で丁寧に観察し、評価し、自らの考えで自らの行動を決定するという姿勢からは、遠ざかりつつあるとも言える。政党を自分自身で吟味し、関わりを持ち、育てていくという理想的なあり方か
らは、さらに隔たりが大きくなっている。
 今度の選挙は、政党使い捨て時代の始まりを示しているかもしれない。次の選挙では、まるで古くなった電気製品を取り替えるように、民主党はダメだった、今度は自民党だ、という投票行動に走る可能性もある。それがブルジョア二大政党制の正体だとすれば、それは政治と市民の距離が締まることではなく、逆に遠ざかっていくことを意味している。
 野党の民主党に勝利をもたらした民意の質を冷静に見つめつつ、今はむしろ民主党にに雪崩を打った有権者に向かって警鐘を鳴らす活動が必要であり、民主党政権の監視が重要だ。自分たちが置かれている実際の境遇、自分たちの本当の要求を探り当て、自覚し、自民にも民主にも回収されない政治的意思表示を行える主体として、今回の選挙の経験も生かしながら、労働者・民
衆は成長を遂げていくことが出来るはずだ。我々が力を注がなければならないのは、その成長を支援する活動をさらに強化することだ。   (阿部治正)


――政権交代――総反乱をさらに進めよう!――“一票一揆”から協同・協力社会づくりへ――

 オセロゲームではない。が、それぞれの選挙区で自民党や公明党の候補が敗れ、民主党の候補が続々と当選を果たしていく。まるで政界オセロゲームを見ているような光景だった。
 自民党政権が倒された。それも地滑り的な大敗だった。世界的な大不況と深刻化する格差社会。そうした地殻変動が地表の政治地図を塗り替えるまでにせっぱ詰まったものになっていたことの反映だった。
 選挙による政権交代は、自民党が結成された55年以降初めてのものだ。政治は大きく動いている。
 私たちとしても、選挙による有権者の反乱を、協同型社会づくりに向けた独自の政治勢力づくりのスタートラインとしたい。

■集団経験

 それにしても痛快な選挙結果だった。自民党では首相経験者や閣僚経験者、それに派閥ボスなどが軒並み落選するか、苦戦した。公明党も現職の党代表や閣僚、幹事長を含めて小選挙区で全滅した。
 今回の総選挙で自民党は前回の296から119議席へ、民主党が116から308議席へと、見事にひっくり返った。得票率の増減より極端な形で議席が決まる小選挙区比例代表並立制度という選挙区制度の結果だ。「ともかく政治を変えてもらいたい」とか「自民党には反省してもらいたい」という思いで有権者が自民党に対して鉄槌を下したたということだろう。05年総選挙で野党が味わった敗北は、そっくり自民党に帰ってきたわけだ。
 政権交代とは、政治の転換は別としてもとりあえず担い手の転換でもある。1955年の保守合同いらい、常に第一党の議席を獲得し、93年の細川連立政権を除いて常に政権の座にあった自民党。財界や官僚と組んで政官業の強力な利害共同体を作り上げてきた自民党。万年与党、永久政権のなかで少数政党や少数意見を歯牙にもかけないで独善的な政治を繰り返してきた自民党。自民党から立候補しさえすれば、当然のように議員の椅子を手にしてきた議員たち。“何をなし得るのか”よりも“何になりうるのか”ばかりに目を向けてきた議員たち。そうした人たちが選挙でその地位から滑り落ちるのは痛快という以外にない。
 ともかく、05年の郵政総選挙では政治クーデターとでも言いうるような自民党圧勝の反動としてという限定付きとはいえ、有権者は選挙で政権を倒す、政権を変えるという戦後日本の議会政治史上、初めてといってもいいような行動力を示したわけだ。こうした集団的な経験は、百のマニフェストより強烈な印象を人々に残すだろう。

■受け皿

 今回の選挙結果はすでに05年の総選挙の結果自体に遠因が埋め込まれていたといえる。その場面では、郵政民営化をめぐる与野党を貫いた権力と利権をめぐる抗争が繰り広げられた。結果的に刺客選挙など劇場型政治劇も奏功して自民党は296議席を獲得する圧勝となった。
 自民党に勝たせすぎたという思いは、当の自民党はもちろん、選挙直後にはすでに有権者の危惧する声となってあらわれていた。それが具体的に形となって現れたのが07年の参院選だった。すでに05年の総選挙で郵政問題は大枠で片が付き、政治の最前線には社会のあちこちで拡がりつつあった格差社会の進行と社会保障などのセーフティネットのほころびが深刻化していた。05年総選挙で自民党に投票した人たちは、小泉政権が社会の隅々まで浸食していた既得権のしがらみをぶちこわしてくれるという“期待”を抱いて投票したわけだが、それ以降の展開はそうした希望が大きな“幻想”であったことに気づかされた。宙に浮かんだ年金、政治資金のでたらめさや“もうろう会見”、それに“失言”など閣僚の相次ぐ不祥事、一年ごとに政権を放り出す党内政権たらい回し、それに麻生首相による漢字の読み間違いやブレまくる発言等々、見るに堪えないお粗末な政治劇も見せられ続けた。今回の結果は、期待を裏切られたという思いを爆発させた自民党に対する怒りの声の発現だった。
 決定的だったのは、昨年9月のリーマンショック以降の世界的な大不況の拡がりだろう。米国初の不況だったが、打撃は日本の方がはるかに深刻だった。それは橋本内閣や小泉内閣が推し進めてきた輸出主導型の成長路線が、実は多国籍企業を中心とする勝ち組企業だけの繁栄でしかなかったこと、国内では“新たな階級社会”ともいうべき深刻な格差社会化が拡がっていたこと、そうした成長モデルも世界経済のうねりのなかでいとも簡単に崩壊してしまったこと、そこからの出口が全く見えないこと。こうしたことが政権与党である自民党離れに決定づけた。
 劇的な民主党の勝利だったが、今回の選挙では一貫して現れていた特徴がある。それは民主党に投票したいと応えた有権者でも、民主党の政策への評価については概して低かった。どの調査でもそうだった。
 このことから推察できるのは、民主党の圧勝がけっして民主党に対する積極的な支持の結果ではない、ということだ。このことは野党だった民主党の政策実現能力が未知であることを割り引いても際だった特徴になっている。
 いえることは、今回の民主党の圧勝が自民党に対する有権者の忌避の結果であること、有権者は自民党を政権の座から引きづりおろすために、その受け皿として民主党に投票したということだろう。このことは事前の世論調査や投票所の出口調査での有権者の声としても多く聞かれたものだった。

■選挙戦術

 今回の選挙戦で際だったのは、ばらまき公約のオンパレ−ドだったことだ。それは小沢党首時代からの“国民の生活が第一”というマニフェストの表紙にも掲げられた民主党の選挙スローガンに象徴されていた。マニフェストでは月26000円の子供手当や高速道路の原則無料化をはじめとして、10年度で7・1兆円、25年度で16・8兆円もの財政支出が掲げられていた。財源は“埋蔵金”4・3兆円の活用や特別会計を含む税金の無駄遣いをあらためて9・1兆円をひねり出すなどで、この4年間は消費税の引き上げは凍結する、というものだった。
 確かに税金の無駄遣いは山ほどあるだろう。が、そうした机上の計算がどれほど確実なものかはやってみなければ分からない。がこれらの財政支出がばらまきだというのは、それらが中長期的な日本の社会づくりの青写真と結びついていないからだ。
 たとえば高速道路の原則無料化。ドイツのアウトバーンが全線無料だった時代もあり、それ自体で考えれば車社会でのあり得べきことで、恩恵を受ける人も多い。しかし、排ガス削減や低エネルギー社会化、あるいは都市での渋滞解消、それに大量生産・大量消費社会の転換など、いまでは車中心社会の解消を考えなければならない時代だ。年間1・3兆円の税金をつぎ込むというなら、その分を電車やバス、路面電車やモノレール、それに乗り合いタクシーや自転車専用路線の整備など、公共交通の拡充や値下げに回せばエコ社会化はかなり進むだろう。
 これらのばらまき政策は、“国民の生活が第一”という誰も否定できない謳い文句の背後での小沢前代表が主導した政権取り戦略が色濃く反映されたものだった。政権にしがみつこうとする自公の与党も、これに引きずられて不況対策の名のもとでのばらまきの競い合いとなったのは見ての通りだった。
 今回の民主党の圧勝という選挙結果を考えるとき、すでに触れたように01年の小泉政権の誕生と05年の郵政選挙を含むこの10年の政治構造の転変を考えないわけにはいかない。もっと遡れば、89年のドイツ統一や91年のソ連の崩壊以後のグローバル化の拡がりや新興国の興隆、その中での日本の位置や進路のあり方を考えないわけにはいかない。
 55年以降、自民党が長期政権を続けてこられたのは、いうまでもなく高度経済成長期を頂点とする経済の拡大があったからだ。その再配分を担うなかで政官業の利権構造もつくってきた。そうした右肩上がりの追いつけ追い越せ型の経済の拡大は、経済のグローバル化と新興国の追い上げで様変わりしている。日本は実質上はとっくに、今年は名目上も中国に追い越され、世界第2位の経済大国から第3位に落ちる。少子高齢化が進み、日本は人口減少時代に入っている。もはやかつてのような経済成長は望むべくもない時代に入ったわけだ。
 こうした状況に危機感を抱いたのが企業・財界で、彼らは企業や産業の競争力を高めることでグローバル競争のなかで生き残る道を目論んだ。そのスローガンは競争を勝ち抜くための産業の高コスト構造の打破だった。非正規労働者を大量に生み出すことで労働コストの大幅な削減を目的にしたいわゆる雇用の流動化をはじめとして、企業にとって間接コストとなる低生産性産業(その中心が中小企業や農業だ)の淘汰や社会保障負担の削減も組み込んでいた。、それを代弁したのが政・官・財・学を貫く競争至上主義の市場原理主義者たちだった。政治の舞台では橋本構造改革、小泉改革などとして政策化されていった。いわく、大企業が潤えば労働者も潤う、と。
 一端はこうした市場原理によって既得権に固執する談合構造の打破に期待した有権者は、それが全くのごまかしであり幻想だったことはすでにふれたとおりだ。

■“再配分”?

 それではどういう将来像こそが求められているのか、そこに進むための手順は何か。本来はこのような争点が設定されなければならないはずだった。
 たとえば成長が望めないとすれば身の丈にあった経済をどう確保していくのか、市場万能の競争社会、その結果としての深刻な格差社会の拡がりを前にして、人的・物的社会資源をどのように振り向けていくのか、ひいては弱肉強食の競争社会から、どのような協力・協同型の社会構造に転換していくのか、が問われなければならなかったはずだ。それは対外関係でも同じだ。国益を振りかざした国家間の対立をいたずらに煽るやり方から、グローバル時代のなかで共通利益を追求できるような関係を諸外国の人々といかにつくりあげていくか、等だ。
 これらの最も大事な私たちの将来像に迫るような提案は、“生活が第一”という民主党にも“不況は全治3年”という自民党にも見られなかった。とりあえずの対処療法だけが前面に押し出された。有権者の側としても明確な将来展望を持っていたわけではないだろう。とりあえず目の前の閉塞感を取り除いてもらいたい、という願望にも似た気持ちが大きかったのではないだろうか。だから有権者はばらまき合戦には冷淡だった。
 今回の選挙で争点になったのは、そうした対処療法とは別に、民主党は官僚主導政治から政治家主導の政治への転換を掲げた。意気込みは買うにしても、実際に転換できるかは未知数だ。あの細川政権の国民福祉税構の頓挫にまつわるいきさつを見ても、消費税引き上げを目論む大蔵官僚の手のひらで踊らされていたという冷厳な現実が思い起こされる。
 対処療法にしても政治システムにしても、考えてみれば社会が生み出す富の“再配分”、いわば二次配分の話だ。どこから税金を集め、どこに振り向けていくかという話であり、それをどういうシステムでおこなっていくのか、という話だ。それ自体きわめて大きな問題なのだが、そこでは一次分配、すなわち企業や個々人で生み出した富をどういう原理で配分していくのか、という社会システムの基本に関わる土俵上での配分の問題ではない。
 バブル崩壊後のいくつかの好景気にもかかわらず、企業の懐は潤ってもそこで働く労働者などの賃金は少しも増えず、この10年近くでは逆に大きく目減りしている。何よりも使い捨ての非正規社員が全雇用者の3分の一を超えるまでに雇用の劣悪化が進んでしまっている。正社員でもサービス残業や長時間労働では日本は世界でも突出して多い。働き方、働かせ方、それに労働の対価の取得方法の改善は、2次分配の問題というよりも、企業と労働者の関係に関わる一次配分の問題なのだ。一言でいえば、利潤至上主義の営利企業から共同出資・共同経営・共同取得原理で成り立つ協同組合型社会への転換こそ必要だ、ということだ。
 政治の刷新は必要で、重要だ。しかし新しい社会のあり方を模索して行くには、一次配分に関わる社会変革の展望は欠かせない。

■保守二党制

 民主党の地滑り的な勝利は、自民党長期政権をひっくり返したという意味では歴史的なターニングポイントとなりうる。政権交代によって政府を担う顔ぶれが一新することは新しい政治の幕開けにもつながる。
 しかし民主党政権の発足といってもも、一皮めくってみれば、かつての保革対立の政治構造から与野党に拡がった保守・体制派どうしの対立対立構造への転換でしかない。有権者も民主党政権によって社会が劇的に変わるとは考えていない。
 今後の見通しも未だ霧の中だ。今度の選挙では民主・社民・国民新による連立政権になるが、来年の参院選で民主党が単独過半数を獲得して民主党単独政権になる可能性もある。あるいは“故人献金”問題などで、鳩山首相が辞任に追い込まれないとも限らない。また主導権争いなどによる民主党の内部抗争で、かつて細川政権(羽田政権)から村山自社連立政権に代わったように、与野党入り乱れた政界再編がおこなわれる可能性もある。また民主党政権のマニフェストが公約どおり実減ぜず、民主党離れが拡がるかもしれない。次回総選挙ではまた与野党が入れ替わる事態もないとは限らない。自分たちの投票によって政権交代を実現した有権者は、これからは仮借ない投票行動によって政権政党を選択するようになる。
 今後の推測ばかりしていてもしょうがないが、とりあえず目の前に現れつつあるのは、いわゆる二大政党制、要は保守二党による体制内二大政党制だ。少数勢力は議会政治からはじき出される。そうした政治システムは、資本主義体制そのものに関わる不満や不信を、政権政党を変えることで有権者を二次配分の土俵、すなわち体制そのものの土俵につなぎ止める役割を果たす。怒りや矛先が、あくまで再配分の土俵にとどめて、一次分配を左右する体制批判に向かわせない、というものだ。
 これまでは野党として有権者の歓心を買うために世論受けする公約を並べてきた民主党。しかし現実政治はマニフェストに沿って推移するわけではない。内部には自民党以上のタカ派や右翼も多く抱え込んでいる。政権政党になったからには、目の前の事態に対処していかなければならない。どういう政治が行われるのか、現実政治の動向への対応についても厳しい目を向けていく必要がある。
 それにしても、今度の総選挙でも左派といわれる政治勢力が舞台から消えて久しい。自業自得ということか、それだけ左派への支持や影響力が落ち込んでいることの結果だ。反省と奮起の意味も込めて、私たちは民主党中心の連立政権と対決し、一次配分の土俵上での対決軸の提案も含めて独自の道筋とそれを担う政治勢力づくりを追求していきたい。(廣)


「世代交代」という、もう一つの嵐!

 今回の総選挙は民主党が圧勝して、政権交代が実現した。
 自民党の派閥領袖や現役大臣や閣僚経験者などの大物議員が、また公明党も代表や幹事長などが、民主党の20代や30代の若手候補者に次々と負けて落選していく姿を見て、まさに「大変動」が起こったことを実感した。
 私の住む静岡県は、自民党の長期支配が続く超有名な「保守王国」である。この保守王国・静岡県でも、「政権交代」という大嵐が吹いて、自民党は8つある小選挙区で一つも勝てないという惨敗を喫した。
 このような結果は当然である。小泉改革のペンキがはげ国民生活を破壊する無責任「自公政権」に愛想がつき、民主党に期待してみるかという「政権交代」の意志が貫かれた。
 小選挙区の投票率が過去最高の69.28%というのがそれを物語っている。これまでの自民党・公明党の選挙勝利とは、若い人の政治離れや棄権の多い低い投票率の中、強力な投票組織力が機能を果たしてきた結果であった。
 ところが、今回は投票で「政権交代」させるという大嵐の前に、「自公」の投票組織力はもはや弱小で対抗出来なかった。私はもう一つ、「政権交代」と同時に「世代交代」という意思も強く打ち出されたと考える。
 その一例として、静岡県の候補者年齢を取り上げて分析してみたい。
 自民党候補者全員の平均年齢は61.5歳。70代が2人、60代が2人、50代が4人である。一番の高齢者が74歳、一番若い人が50歳である。
 一方、民主党候補者全員の平均年齢は41.6歳。60代が1人、50代はなし、40代が2人、30代が5人もいる。一番の高齢者が64歳、一番若い人が33歳である。
 74歳の柳沢伯夫氏(自民党候補者の最高年齢者)と33歳の小山展弘氏(民主党候補者で一番若い)の静岡3区対決は、この「世代交代」の象徴的な選挙区であった。
 自民党の柳沢氏は当選8回を数える閣僚経験者であり、その強力な保守地盤を誇ってきた。一方の民主党の小山氏は確かに地元出身者であるが、まったく政治活動の実績はなく、民主党の公募で認められた「落下傘候補者」に近い存在であった。静岡3区に立候補表明した小山氏の当選を予測できた人はほとんどいなかった。
 ところが「政権交代」というの嵐の中で、徐々にその若さと前向きな改革姿勢が有権者の心をつかんでいった。全国的にも、民主党候補者の若さ、変革に期待する有権者の声「旧態依然とした自民党ではもうダメだ、若い力に期待しよう」が広がったと言える。
 最後に、1996年に導入された「小選挙区比例代表並立制」について、少しふれたい。 この選挙制度の欠陥・問題点は、多くの人達からの指摘されてきた。
 @「1票でも多い方が勝つ小選挙区は、票差のわりに議席数が大きく変動する」。
 事実、05年の小泉郵政選挙では自民党が圧勝し、多くの「小泉チルドレン」が誕生した。今度の選挙では「小沢チルドレン」が誕生し、懸念されている。比例「棚ぼた」当選者を多く生む制度なので、実績・経験のない政治家を多く誕生させてしまう。国会議員は当然大きな権力を持つことになる、誰でもいいから名簿に載せる今の制度は危険な要素も含んでいる。
 A「比例区で議席を得るはずの政党が、候補者不足などが原因で、その議席を他党に明け渡す」。
 今度の選挙でも、こんな他党への「議席譲渡」が近畿ブロックで2議席、東海ブロックで1議席起きた。当然、有権者の意思をゆがめることになる。
 B「小選挙区で落選しても復活当選する重複立候補の仕組みは問題がある」
 この復活当選という制度はどう考えてもおかしいし、多くの国民も納得していない。
 以上のように、この小選挙区制度は大いに問題があり再検討すべきである。(富田英司)案内へ戻る


横浜市長選挙で当選したのは、中田亜流の林氏というお粗末

 八月三十日、衆議院議員選挙と同時に行われた横浜市長選挙で当選したのは、無所属で民主党が推薦し、国民新党、ネットワーク横浜が支持する元ダイエー会長の林文子氏だった。しかし何とお粗末な結果ではないか。
 彼女は、中田前市長と一緒に選挙区の北部を、彼のレクチャーを受けつつ回った事からも知られるほどの事実上の後継者である。横浜市民は、突然の辞職に伴う市長選挙だったにもかかわらず、中田亜流の林氏が当選した事にまった
くもってがっかりしている。
 今回林氏と選挙戦を戦ったのは、無所属で自民党・公明党が実質支援する外資系証券会社元役員の中西健治氏と共産党公認で党県委員会役員の岡田政彦氏の二人であった。注目された中田市政の内実は、市立保育園や学校給食、市バスの民営化等で約7千人の人員削減した事による「コスト削減」第一の「小泉
改革」流の悪政に尽きる。この中田前市長の市政の評価についての評価を聞かれて、曖昧にお茶を濁したのは彼女だけだ。
 確かに人口367万の全国最大の政令指定都市で女性市長が誕生するのは、今回が初めてである。投票率は68・76%で、同日投開票の衆院選の影響から前回の35・30%から大幅に上昇した。最終確定票は、910,297 林文子、874,626 中西健治、200,283 岡田政彦 である。
 そもそも中田氏は、なぜ2期目の任期を8ヶ月ほど残して突然辞職したのか。当人は、新市長は予算編成時から自分の仕事ができる事、市長選挙を衆議院総選挙と同時に行う事で10億円節約できるからと説明した。もちろんこん
な説明で納得する者は誰もいない。
 辞職した背景を説明する。一つ目には彼自身の提案のより鳴り物入りで開催された横浜開港150周年イベントの大失敗にある。このイベントの参加人員の当初目標は450万人であった。しかし8月末までの参加者は何と約72万
人、その内の約15万人は、教育委員会が入場料を負担した公立学校の児童生徒たちであった。
 予算は約120億円で、赤字は50億円かそれ以上とも推定される。そのため9月市議会での市長追及は必至であった。八月十四日の退任セレモニーでこの件が質問されたが、仕事を請け負った博報堂がしっかりしないからと応え
た。「うまくいったら自分の手柄、失敗したら人の責任」が信条の中田氏は「人に厳しく自分に甘い」のだ。開港祭は9月末までの予定だが、これに参加の多数のボランティアの善意を踏みにじり、さっさと自分だけは退任する無責任な態度はなんと形容できようか。彼は要するに破廉恥漢なのである。
 あまり新聞種にはなっていない二つ目には、中田前市長は、数々の市政での便宜供与についての疑惑と婚約不履行の民事裁判で訴えられている事等が指摘できる。この間、市議会においては、会派「無所属クラブ」がこれらの問題を
鋭く追及してきた。彼らの市議会での追及は、女性の公用車によるデートと飲酒運転との証言に関わって公用車使用簿の提出を要求したのだが、当局は保管期間内にあったのにもかかわらず、この書類は誤って投棄されたので提出でき
ないとの回答で頓挫した。全く信じられない回答ではないか。
 彼らの市長批判は、女性問題について「事実でないなら逆告訴しろ」、後援会会長への便宜供与等、「破廉恥・合コン男」に尽きる。会派の人たちにここまではっきりといわれて、ごまかすだけでまともに反論できない中田前市長は、一体何を恐れているのか。
 8月26日、その会派の代表者格の太田正孝議員は、自らのブログでこう書いている。彼の市議会での市長追及は、彼のサイトの動画で確認できる。一見の価値あり。

「今日まで、市会議員も含めて、高級公務員も、ほとんどすべてが中田に迎合して、市政を過ち、放任し、追随して、結果的に、市民を裏切ってきたのです。
 すでに二期目を迎えた時分から、中田の悪行が露呈して、無所属クラブを中心に、退陣を迫ってきましたが、その結果を見るのに、3年の歳月を必要としたのは残念です。その間に、市有財産は『私』され、市の事業のあらゆる所に
利権屋が跋扈し、社会を毒してきたのです。
 新市長になったなら、その清算をしなければなりません。悪事を明らかにして、それら悪事を働いたものに対して、刑事告発を含めた天罰を加える必要があります。聖域は設けてはなりません。
 市長だろうが副市長だろうが、局長や議員でも、悪事に加担した者には鉄槌を加えて、二度と、立ち直らないようにいたしましょう。
 30日の投票結果が、傀儡を生まないことを祈っております」

 今回の市長選挙の結果は、太田氏の祈りを裏切るものだった。その直前の置き土産には、前年度不採択のため、4年前に唯一賛成した委員を教育長に抜擢して、その他の委員は全員入れ替えるなどの教育委員会の人事に対する介入を
中田氏は行なう。そして8月に「新しい歴史教科書をつくる会」の扶桑社版の横浜市8区での使用採択を強行したのだ。それも審議を尽くさず無記名投票によって、各自その後の責任の追及から逃れるとの保身を計った上での破廉恥な
やり方なのである。まさに中田が選んだ人物だけの事はある。
 それにしても、今回の市長選では、なぜ林氏が民主党推薦されたのか。その内実が問われるところである。決定した諸君は、中田スキャンダルをどう考えているのだろうか。この人を見る目がないのは、中田前市長の見え見えのこの
間の作為を見抜けないまま今後に期待する旨の発言をした岡田幹事長にも共通している。
 衆議院議員時に無所属議員で民主党の会派に参加していながら首班指名選挙では小泉総理に投票した破廉恥行動、またそもそも民主党小池百合子の秘書として政界入りした前歴を持つ中田氏に一体何を期待するというのであろうか。
植草氏の痴漢事件の2回目の逮捕は、中田氏の要請した講演会の終了に接待を受けてから京急にて帰宅時に起こった。
 また私たちには知るよしもない事だが、植草氏の事件を冤罪事件とする支援者たちは、中田氏とこの事実の関わりの裏には、何かがあるのではないかと今でも指摘している。
 私たちは、衆議院議員総選挙で圧勝した民主党に対しても、この横浜市長選挙の経緯を知る者として、今後も厳しい視線を浴びせるものである。 (稲渕)


読書室 オバマとは何者か?

タープレイの『オバマ 危険な正体』(成甲書房)と中田安彦氏の『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』(PHP研究所)は必読の2書である

 タープレイの著書は、アメリカでは昨年の6月、翻訳は11月の刊行である。原書の副題は「ポストモダン・クーデター」であるが、日本語訳では「危険な正体」である。アマゾンでの一口紹介には「彗星のごとく現れ、アメリカ
新大統領に予定どおり当選したバラク・オバマは、ウォール街金融勢力と、狂気のロシア嫌い外交家ブレジンスキーによって育成された『洗脳大統領』である。―日米のマスコミが身をすくませて報じないこの事実を、ベテラン調査記者が克明に報告」とある。
 最近でも、カーターやクリントンなどのように中央政界ではほとんど無名だった人物が突然現れて大統領になるのを見て,「アメリカでは、しがらみや年功に支配されない人物でも大統領になれる国」なのだと考えている読者がいる
とすれば、大統領の誕生とその舞台裏を知る意味でもぜひとも一読をすすめたい。
 ヒスパニックといわれる著者・タープレイは、カーターやクリントンはロックフェラーら金融寡頭勢力を中心とした連中が、舞台を提供して彼らを「俳優」として使った事が真実だと断言する。実際にオバマの場合でも、就任式で
彼の背後にロックフェラーがいたのである。
 この明確な視点からタープレイは、オバマ大統領の誕生の経緯を分析して、その背後にロックフェラーら金融寡頭勢力とそのイデオロギー体現者としてはネオコンに代わって再登場した戦略家・ブレジンスキーがいると暴いた。
 このオバマ政権の黒幕であるブレジンスキーこそは「反ソ連」の謀略家であり核戦争も辞さない危険な人物である。

記者/旧ソ連が,事前にアメリカによるアフガニスタン内部における秘密工作があり,旧ソ連はその挑発に応じただけだと侵攻を正当化したとき,誰も信じなかった.しかしながら,彼らの言い分には根拠があったわけだ.この点について,後悔はないか?
ブレジンスキー/何に対する後悔?あの秘密作戦はすばらしいアイデアだった.旧ソ連をアフガニスタンという罠にまんまとはめることができたのだ.何を後悔しろというのか?旧ソ連が正式に国境を越えたとき,私はカーター大統領に書信を送った.「我々はこれで,ソ連にベトナム戦争の苦しみを味あわせてやることができます」とね.(中略)結果的にソ連邦の崩壊を招いたのだ.(197頁)

 これがブレジンスキーのブレジンスキーたるゆえんである。タープレイは、この「ブレジンスキー勢力」が今回はアメリカにファシズムを再現するつもりだと指摘する。これが原書の副題が「ポストモダン・クーデター」となっている理由でもある。
 この本では、オバマの私的な経歴だけでなく、ファシズムとは何か、それは今日どのようにして引き起こされるのかという議論がこの本の大部分を占めている。59ページには「銀行家による大衆運動としてのファシズム」との挑発的な小見出しもある。
 私は要するに統制経済を実施する事だと考える。その意味では今後とも議論できる本である。ぜひ一読を勧めたい。
 もう1冊は、私も何回か合ったことがある中田安彦氏の『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』である。この著者は、副島隆彦氏の一番弟子で、すでに共著は何冊かあるが、単著には『世界を動かす人脈』(講談社現代新書)がある。
 今回の新刊は、『人脈』で使った「ネットワークと人脈」の方法を、さらに発展させて、オバマに適応して見せたものである。先のタープレイの本がオバマの経歴の縦糸を示すというなら、本書はその横糸、つまり彼の政治力の背景やその源泉一口にいうなら総合力を示すものである。
 それではその構成を紹介する。
 
 まえがき―国際的危機で実力を試されるオバマ大統領
 第1章オバマ大統領を育てた〈パワーエリート〉 なぜ上院議員1期目のオバマが大統領になれたのか
 第2章「プロジェクト・オバマ」 シカゴ・パイドパーク財界人コネクション
 第3章「政権移行チーム」解読から新政権が見える 企業社会の金が政権を動かす
 第4章オバマ政権の主要閣僚一覧と簡単な経歴
 第5章〈パワーエリート〉だけが知っている金融危機のカラクリ 戦前の大恐慌と変わらぬ世界
 第6章プログレッシブ〈進歩主義者〉たちが決めるオバマ政権の経済・環境政策
 第7章オバマ新外交政策の優先順位を読み解く 前政権から変わらぬ「リアリスト」対「ネオコン」の路線闘争
 第8章民主党オバマ政権が誕生した背景 落日の覇権国アメリカで起きている政治思想の大変動
 第9章「スーパー・クラス」に立ちはだかる「世界大恐慌」
 第10章“無極化”へと向かう世界 形だけのロンドン金融サミットを終えて
 あとがき

 膨大な人名が出てくるので、索引が欲しいところではある。それが本書の欠点なのだが、今後とも事あるごとにこれらの人名は使えるであろう。本書の白眉は、何といっても第8章の政治思想のところと今回の金融危機の背景と分析
にある。これらの点は、さすが副島氏の弟子だ。今後の世界を考える上で必要不可欠な基礎かつ最先端知識である。
 付け加えるまでもなく、タープレイの本を注意深く読むために私たち日本人が依拠すべき優れた参考書でもある。だから私は両者を同時に読むべきだと提案したい。
 さてオバマ大統領には幻想が付きまとっている。それは、去る4月5日、オバマ米大統領はチェコの首都プラハで包括的な核政策についてのスピーチを行った。これが「プラハ宣言」である。誤解は、その中で「核廃絶を目指す」と明言し、「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります」(在日米大使館による仮訳)と述べた事に始まる。
 このたった一言で、わが国の反核勢力は、日本共産党を最先頭にして舞い上がってしまった。志位委員長は、彼に手紙を送って賞賛して、さらにまた返事を受け取ったと大喜びである。小沢や鳩山をくさす彼らがなぜここまで舞い上
がれるのか私には不思議である。
 しかし演説では「a moral responsibility to act」といったにすぎない。「行動する道義的責任」には、謝罪や後悔の意味は全く含まれていないのだ 実際、アメリカでは、この演説のこの部分は単なるリップサービスとして問
題すらされていない。日本人の多くが誤解しているような謝罪の意味で発言していたとしたら、当然にも大騒ぎになるであろう。未だ広島や長崎に原爆を落とした事に謝罪がない事、オバマがこれらの式典に参加していないのが何より
の証拠である。
 この演説の目的は、何よりもイランやテロ勢力に核を持たせない世界体制作りにある。オバマは、自分の任期4年間を使って「世界中のすべての兵器転用可能な核物質 all vulnerablenuclearmaterial around the world」を確かな管理下に置くのだと世界に宣言したのだ。そして肝心の「廃絶」については、「他の国々に核がある限り我が方の安全と同盟諸国の防衛のために核を持ち続ける」と宣言して、この点誤解なきようにと念を押したにすぎない。どうしてこんな明確な主張が読み取れないのであろうか。
 どうして「廃絶」などと理解できるのであろうか。そんな誤解は、廃棄の期限を明言していない事からも明確である。日本共産党の英語力はお話にならないほど低いのである。
 さらにまた演説の舞台がチェコだった事も忘れてはならない舞台回しなのである。スピーチの前半では、チェコ国民が抵抗運動で共産党独裁に勝った事を振り返り、「moral leadership is more powerful than any weapon」との賛辞を送った。「道義的な指導力は如何なる武器より強力だ」とした事からも分かるように、生き馬の目を抜く現実の政治世界にあっては、モラルを日本的に倫理・道徳と理解してはいけない。私たちはまず英英辞典を見るべきなのだ。
モラルとは正しい行動か間違った行動かの原則に関わる。
 それもこれも日本人が、「黒人」オバマの実像を知らない事に尽きる。
 ではオバマとは何者か。私は、ここで紹介した2冊は最低でも読んでからオバマを論じよと訴えたい。(直木 彬)


 職場紹介 宝の山“ゴミ”にうずくまって−−清掃収集作業

 今年の4月より、静岡市S区の清掃収集センターで非常勤職員として一年間働くことになった。
 勤務時間は月曜日から金曜日までの週休二日制で、午前8時から午後3時(正規職員は午前8時から午後4時45分までで、時間オバーの場合超過勤務となる)まで、給与は残業代を含んで月12万円程度である。
 仕事は家庭から出る家庭ゴミの収集作業が主な仕事である。家庭から出る生ゴミ等の可燃ゴミと使えなくなった電化製品・家具類・自転車などの大型ゴミ(不燃ゴミ)等、ありとあらゆる物をパッカー車に積み込む作業で、結構肉体を酷使する作業である。
静岡市の不燃ゴミ=大型ゴミの収集は事前申し込み制で、市内を3区区域に分け、各区域を学区ごとに2トン積みや4トン積みのゴミ収集用パッカー車で、午前は家具などの可燃性の物と午後は金属などの不燃性の物を収集し、一ヶ月で一区域全域を回る収集方法(利用者からすれば月一回)をとっている。 
 生ゴミなどの可燃ゴミ収集は、市内地域のほとんどが民間業者に請け負い化されており、市直轄の受け持ち地域はごく限られた地域で、静岡市S区では限られた地域を11地域に分けて、一地域を一週間で2度の収集作業(利用者からすると週二回)を行っている。可燃ゴミは2トンから4トンのゴミ収集用パッカー車でゴミ集積場を回り、一台あたり一回に1トンから2トン半ぐらいのゴミを収集し、ゴミ処理工場に排出する作業を一日4回から5回行う(一日一台あたり7〜10トン位になる)のである。
 作業員は、ゴミを入れてある袋が破損・破裂したりしてゴミを被って衣服が汚れたり、家具や電化製品をパッカー車に積み込むときに破片が飛んできて怪我をする者、重量物を扱うので手や腕の痛みや腰痛等の症状を訴える者等、常に、汚れと怪我や病気を気にした作業を強いられている。
 大量に破棄されている“ゴミ”について“エコ”が叫ばれ再利用や再生が行われようとしているが、行政や地域の違い・請負化によって、分別収集の方法や処理方法が違ったり、個人任せで、問題点も多くあり、“エコ”が行われているのはほんの一部分に過ぎない。大半は捨てられ破棄され、燃やされているのが現状である。
 “ゴミ”は宝の山である、再利用や再生の為の資源が多く含まれていることを考えれば、ゴミの再生化を含むゴミの処理は、公営から民間委託が進む中(静岡市では処理工場の統廃合が行われ、来年3月をもってS区にある処理工場も廃棄される予定である)では、一企業や地方行政単位では中々できないことである。本格的に、国家的レベルで再利用・再処理の為のシステムを作りあげ、その中で、ゴミ収集に関わる労働者の労働条件改善をはかっていかなければならないだろう。(清掃作業員 m }案内へ戻る


オンブズな日々・その32 地方から攻める!

総選挙さなかの8月29・30日、夏休み中の岡山大学において第16回全国市民オンブズマン岡山大会が開催されました。全国から300名余と少なめでしたが、近場ということで西宮から3名が車で参加したところです。
 国政における政権交代という情勢のなかで、危機に瀕する自治体財政はどうなるのか、地方分権はどのように進むのか、必ずしもばら色とはいえません。オンブズマンの闘いによって官僚が握る予算や情報の壁を打ち破り、自治体改革から国政改革へと迫る、大きな課題が姿を現しています。
 監査請求から住民訴訟へ、自治体における税金の使途に対してはオンブズマンの闘いが大きな成果を勝ち取ってきています。一方、国政においてはそうした闘いの武器がないなかで、国家官僚のやりたい放題、国家財政の私物化≠続けてきました。しかし、やり方を工夫することによって、例えば国の直轄事業の地方負担分についてその適否を争うなかで、国政に迫ることも可能なことが明らかになっています。
 いま、総選挙の開票速報が続いていますが、まるでオセロゲームのように自民と民主が入れ替わっています。兵庫県では前回全滅だった選挙区において、12区中10名の候補者を立てた民主党が全勝し、尼崎においても推薦した日本新党の田中康夫候補が公明党現職の冬柴鉄三候補を破って当選しています。自民党が取ったのは、国民新党の候補を民主党が推薦した選挙区のみです。
 民主党の圧勝によって政権交代となりましたが、これはゴールではなく、ここから始まるのです。小泉以来の自公政治で痛められた人々の生活、ずたずたにされた平和憲法をどう修復するのか、これからは民主党政治を監視しなければなりません。全国のオンブズマンに課せられた課題は、ますます重いと自覚を新たにしています。   (晴)

大会宣言「市民のための地方分権を」

 「おえりゃあせんのう、地方財政!」というメインテーマのもと、私たちは2009年8月29日、30日の両日、ここ岡山で第16回全国市民オンブズマン岡山大会を開催しました。
 地方自治体の財政は危機的状態にあるといわれて久しく、財政健全化に向けて計画を作成・改定した自治体も少なくありません。地方分権推進のかけ声の一方で、どの自治体も財政再建団体にならないために四苦八苦しています。こうした状況において、今回の全国大会は地方財政の構造的な問題点につき道路特定財源を中心に検討しました。また、地方財政のお目付役≠ナある監査委員はなぜ十分機能しないのかを事務局体制も含め調査しました。さらに、こうした地方自治体の状況を市民がチェックするために必要不可欠な、情報公開制度の充実度を今大会では始めて全国の市を対象として調査しました。

その結果、
1 地方財政については、道路特定財源が一般財源化された本年度予算を見ても、相変わらず道路の新設のために巨額の税金が使われ続けている現状や、地方債の返還や道路の補修費のために新規に道路を建設する余力がないと思われるにもかかわらず、地方債と国からの補助金・交付金をアテに相変わらず道路建設に邁進する自治体の姿、そればかりか道路予算についての情報すら公開してこなかった一部自治体の姿勢が明らかになりました。
2 監査制度については、事務局体制も含め、職務の独立性・専門性を活かす仕組みとはなっておらず、議員監査委員は単なる名誉職、識見監査委員は天下り先というのが多くの自治体の姿でした。ゆえに、監査制度が実効性に乏しく、市民の期待にこたえるものになっていない状況が明らかになりました。
3 自治体の情報公開については、これまでランキング対象になっていなかった市を中心として、依然として不十分なままであることが明らかになりました。

 くしくも、中央から地方への財源移譲等、地方分権の推進が争点とされた第45回衆議院議員選挙は、今日、投票日をむかえています。選挙結果にかかわず重要なことは、地方分権はなにより私たち市民のためのものでなければならない、ということです。
 そして、先の結果から、私たちは地方分権を真に市民のためのものとするには、@徹底した情報公開 A自治体による予算のわかりやすい説明 B予算の公共事業から市民生活へのシフト C議会の予算審議能力の向上 D監査機能の充実 が必要と考えます。

 私たちは自治体がかかえるこれらの問題点を一つ一つ指摘し、時には住民監査請求・住民訴訟を提起するなどの自治体の監視活動を通じて、市民のための地方分権を実現させることを目的として、以下の三点を宣言します。
第一 道路の新規建設を見直し、道路予算を聖域化することなく、市民の福祉向上のために予算を支出させるよう、継続的に調査し、監視すること。
第二 監査制度を実効性あるものとするため、議員監査委員・天下り監査委員を廃止し、法改正を含め監査委員の独立性・専門性を発揮できる体制を確立させること。
第三 一層の情報公開を進めさせ、予算の使途・中身をわかりやすく市民に説明するよう、働きかけること。

2009年8月30日 第16回全国市民オンブズマン岡山大会参加者一同


コラムの窓  地震体験

8月11日午前5時7分頃、睡眠中にゴーとする音と体の揺れで目が覚め、ガタガタと家のきしみと揺れに、今まで感じたことのない強い地震を体感をした。
 静岡・駿河湾を震源とする地震で、静岡県内各地で震度6弱を観測した地震である。今は、終息に向かいつつあるが、2週間たった今も震度2や3の余震は続いている。
 幸い、我が家では多少机の上のものや書棚のものが落ちた程度で、家族には被害はなかったが、近隣では屋根瓦がはがれ跳んだ家が見られるなどの被害があった。
 この地震による被害・影響は、静岡県内の死者1人・負傷者は126人(14日現在)、愛知、東京、神奈川の1都2県で計7人の負傷者。静岡県内では建物の損壊があり、牧之原市で987棟、菊川市で618棟など計3340棟に上った。東名高速道路の盛り土が崩れ、一部高速道路が使えなくなり、交通網に影響が出たし、中部電力の浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)も、5号機は、今回の地震の際、震度計の一部で、東海地震で想定される規模を上回る揺れが観測されるなど、自動停止し、今は定期点検中で、地震の被害が軽微だった4号機から早ければ9月上旬から順次再開すると発表したが、発電タービンの一部で異常警報も作動しており、再稼働のめどは立っていない。
 こうした被害があったものの揺れの割に阪神淡路や新潟・宮城・能登などの地震に比べ被害が小さく済んだのは、「東海地震が想定される同県内では、30年以上前から自治体がさまざまな施策を進めていることに加え、住民の防災意識が高いことも功を奏した。」■■■耐震基準も他県より高く設定されており、住宅についても静岡県は「TOKAI−0(トウカイ・ゼロ)」と銘打った耐震化キャンペーンを実施し、古い木造住宅は無料で耐震診断を受けられ、耐震工事をする場合は最高80万円が助成されるという制度もあり、5万5444棟が無料耐震診断を受け、9340棟が耐震工事を行ってきた(いずれも20年度末現在)。県危機管理局は「20年度末の県内の住宅耐震化率は約80%に達する」と推計している。家具の固定についても、平成19年に静岡県が実施した県民意識調査によると、「家具を固定している」人は62・7%だった。一方、同年の内閣府の全国調査では「家具を固定している」と答えたのは24・3%に過ぎず、静岡県の数字は際立って高い。また、住民の防災意識の高さは、19年度98%、20年度96%という自主防災組織の組織率に表れている。世帯ベースの加入率は、19年度は全国トップ、20年度は同じく東海地震への備えを進める愛知県に次いで2位だった。等々■■■と言われ、この地震が「言葉は悪いかもしれないが、東海地震の予行演習のような形になった(川勝静岡県知事)」と行政の「円滑な初動態勢」や「横断的な組織」を高く評価するのだが、家や道路・橋といった建造物被害が少なかったのは地震の規模の大きさとその揺れの長さに比例するので、今回の地震が阪神淡路のように揺れが30秒以上続くのではなく十数秒間であったこと、揺れがあっという間に収まったのであり、それが幸いし、崩壊した道路も家もあまりなく「家族への被害がなかったので職員は支障なく出動できた。」から「初動体勢」が円滑に行われたと言うことだろう。
 今回の地震と「東海地震」との関係はほとんどないと言われており、東海地震の規模を示すマグニチュード(M)は、この地震の100倍以上「東海地震は震度6強以上。今回の揺れとは比較にならない」と言われている。想像もつかない規模ではあるが、「東海地震」の周期的発生についてはほぼ確認されており、来るべき「東海地震」が人災とならないよう、惜しみない耐震対策をできる限り実施しなければならない。願わくば絶対起こると言われている「東海地震」があっ!という間に過ぎ去って、被害が軽少に終わることを願うだけです。(光)

日本における耐震基準の変遷 [編集]
1920年(大正9年)12月1日 市街地建築物法(大正8年法律第37号)施行
第12条において、「主務大臣ハ建築物ノ構造、設備又ハ敷地ニ関シ衛生上、保安上又ハ防空上必要ナル規定ヲ設クルコトヲ得」と規定される。
市街地建築物法施行規則(大正9年内務省令第37号)において、構造設計法として許容応力度設計法が採用され、自重と積載荷重による鉛直力にたいする構造強度を要求。
ただし、この時点で地震力に関する規定は設けられていない。
1923年(大正12年)9月1日 関東大震災
1924年(大正13年) 市街地建築物法施行規則改正 許容応力度設計において、材料の安全率を3倍とし、地震力は水平震度0.1を要求。
1950年(昭和25年)11月23日 市街地建築物法廃止、建築基準法施行(旧耐震)具体的な耐震基準は建築基準法施行令(昭和25年政令338号)に規定された。
許容応力度設計における地震力を水平震度0.2に引き上げた。
1971年(昭和46年)6月17日 建築基準法施行令改正
1968年十勝沖地震の被害を踏まえ、RC造の帯筋の基準を強化した。
1981年(昭和56年)6月1日 建築基準法施行令改正(新耐震)一次設計、二次設計の概念が導入された。
2000年(平成12年)6月1日 建築基準法及び同施行令改正 性能規定の概念が導入され、構造計算法として従来の許容応力度等計算に加え、限界耐力計算法が認められる。 案内へ戻る

読者からの手紙 

 桜の花びら

 ちょくちょく出かけてだべったり、小物を買ってくるお店があって、今日は桜の花びらを焼きものにした(ハシオキにもなる)のを二つ買ってきた。花びらの連想、特に桜の花は汚濁の対極にあるものとしてある。戦時中か、戦後か不明だが湯川秀樹氏の詩で細かいひび、キズが入った壷に美しい花びらがふれると、その壷は砕けた≠ニいった詩である。湯川氏の苦渋をしのばせる詩であろう。
 現在でも春になれば、お花見としてサクラの花を見に行く。見てめでるだけなら大変結構、花も木も人も傷つかぬ。しかし花の下で青シートを敷いて飲めや歌えや踊れやということになると、青シートの下敷きになる桜の木の根は、息もできずに痛めつけられ、年々枯れていく傾向にあるとか。
 いい加減にしろ、遊び方を考えたら、木も人もともに生きられるのに。木にも人々もヒビが入るような遊びは文化≠荷えないのではないか。
 花風吹きはサクラの涙のようだ。  09・8・25 宮森常子


小さなモノを買い人にあげたいのは・・・−けったいな人びと−

 ポードレールが悪の華≠ニいう散文詩の中で、チョッとしたものをヒトにあげなさいというのがある。ボードレールの生きた時代は多分、資本主義の悪として貧しき人々を作り出し、失意? の人も多かった時代ではなかったか。
 そうした名も金もない人びとのチョッとしたものをさし出し、彼らへの気持ちを伝える手段としたかったのではないか、と想像する。名も金もない人びとへの詩人のいとおしく思う心の表現であろう。チョッとしたものをさし出しなさい≠ニ。
 私が帰阪したとき、すべてを失っていた。自分自身すら失っていたとき、彼の悪の華≠フ中のこの一篇の散文詩が私の心をとらえたものであった。以来、私は100円か200円の小さなオモチャ(実用的ではない)を買い、折にふれあげたがるようになった。
 無用の物からだんだん少しは実用性のもつもの、小さな消しゴムとかに変わっていきはしたが、今でもオモチャを買うのは大好きである。しかも小さな。
 昔から庶民の中にこういう奇癖をもった人がいたらしい。誰にも理解されないまま。お酒を飲むと何かたくさん買い、帰宅途中でご近所に配り歩いて帰ってくるご主人。後日、返してくる人がもらっていいかどうかわからんので≠ニいうことで、家の人に返しにきたという。
 けったいな人々≠ニいうのは、このご主人のような人を言うのかも知れない。並はずれた人、普通とチョッとちがったひと、あるいは詩を解する人をけったい≠ニいうらしい。こういう人種を私は好む。
 ボードレールがチョッとしたものをさしだすのは、私の好きな作家、椎名燐三氏の永遠の序章≠フ末尾のエピソード。病気で貧乏で絶望した婆さんの死にたくなったよ≠ニいうコトバに、黙って婆さんの首筋を撫でる。婆さんはヤアH≠ニいわんばかりに何をする≠ニ目をとんがらすお話にあるココロと同じであろうと思う。生≠フ世界に引き戻す手立てとして、小さな物の代わりとして、婆の首筋を撫でた・・・こと。
 詩人とはけったいな人なのであろう。日常の中のできごと。09・8・26 よる 宮森常子

「色鉛筆」・・・伊藤和也さんの事

アフガニスタンで5年間近く、農業支援に取り組んでいた伊藤君が殺害されて、8月26日で一年になる。
 『大地に緑を アフガニスタンへの思い 伊藤和也君を偲んで』という写真展に行った。民族衣装の現地での彼の姿は、アフガニスタン人にも見える。共に農作業に汗を流し、食事をし、言葉も上手だったという。生前、彼が撮っていた子ども達のほとんどが、見事な菜の花畑の中で、あるいは収穫された大きなサツマイモやぶどうを手に生き生きとした輝く笑顔で写っている。それはそのまま、カメラのこちら側の伊藤さんの笑顔でもあるだろう。
テレビ報道で、9・11に対するアメリカによる報復爆撃のもと、怯えて泣き叫ぶアフガニスタンの子ども達、飢えに苦しむ姿に突き動かされ伊藤さんは、2003年12月に「アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に戻すお手伝いがしたい」「子ども達が将来食べ物に困らないように力になれば」と、アフガニスタンに渡りおよそ5年近く、農業支援に従事する。想像をはるかに超える自然の厳しさ、戦争による破壊の中で、現地の人の中にとけこみ、どんなに失敗を重ねてもあきらめる事無く工夫と努力を積み重ね、着実に大きな収穫へとつないでいった。こうした伊藤さんの姿は、アフガニスタンの人立ちにとって、大きな励ましであったという。
伊藤さんが所属する「ペシャワール会」事務局長の福元氏によれば、逮捕された犯人は、劣悪な状況にあるパキスタン難民キャンプで育った青年だという。「戦争」によって自然が破壊され、ひとびとの生活も心も破壊されれば、憎悪や殺戮に結びつくことは容易になる。アメリカをはじめとする「先進諸国」は、「平和のために」戦争をしているというが、それはさらなる悲しみや憎しみ、争いを産んでいるだけだ。
「平和とは戦争以上の力であります。戦争以上の忍耐と努力が要ります。和也君は、それを愚直なまでに守りました。」ペシャワール会の中村哲医師の言葉だ。
9・11報復のための「戦争」を支持し、自衛隊を派遣し、今もインド洋上での給油を続けている日本。私たちは、飢えに苦しむ貧しい人たちの上に爆弾を落とす側にいる。伊藤さんは黙ってそのことを教えてくれている。

写真展の会場を出る時、全身を悲しみに包まれた女性が片隅に立っていた。伊藤君のお母さんだ。彼女は、点滴を受けねばならない程の体調の時でも、写真展に足を運び、そこで和也君とアフガンの子ども達に寄り添い語りかけるのだという。我が子や家族を喪う耐え難い悲しみは、今も戦火の下で繰り返されている。
伊藤君の残した写真は、ご家族の手によって「写真展」という形になり、今も全国を回っている。そして「伊藤和也アフガン菜の花基金」が設立され、農業支援、教育支援が行われている。控えめでやさしい笑顔の彼の意志は生き続けている。(澄)案内へ戻る

編集あれこれ
 
 衆議院総選挙で民主党が、自公政権を完全に圧倒しました。新時代です。
 前号の第1面の「終わらせよう自民党時代!“民主党バブル”は通過点」の記事と第2面第3面の「切り込むべきは企業社会の本丸 独自勢力の形成をめざそう」の記事は、この圧勝した民主党をどう考えるのかについても、先見力
を持つものと高く評価できます。読者の再読を期待しています。
 コラムの窓では、改定臓器移植法(A案)の可決に対して、「脳死は人の死か?」と問題提起しています。
 色鉛筆では、コスタリカを取り上げて、平和を考える記事を載せています。
 反戦通信も連載することができました。
 前号で特記すべきは、読者からの手紙が4本掲載された事です。今後とも紙面作りには、読者の応援も不可欠のものです。手紙をどんどん送ってください。この点、ぜひよろしくお願いいたします。    (直木)案内へ戻る