ワーカーズ401号  2009.9.15.       案内へ戻る

自らの闘いで明日を切り開いていこう―民主党の連立政権の誕生にあたって

 9月16日、特別国会で民主党中心の政権が生まれる。まずこの事の歴史的意義を深くかみしめる必要がある。有権者は自公連立政権を拒否したが、民主党に何の期待もしていないのではない。彼らを見限って民主党を選んだ事の意味を捉え返さなければならない。
 だから政権交代を私たちの自己解放をめざす闘いの開始だと捉える事が重要である。
 民主党は、“国民の生活が第一義”と訴え、そして官僚主導から政治主導への転換、さらに生活者への直接支援を掲げた。本当にできるのか。しかし彼らが、税財政の再配分や国家の統治システムの再編を、労働者たちに押し出した面を過小評価すべきでははない。
 確かにマニフェストでは、大盤振る舞いの財政支出を約束した。今や政権政党の民主党には現実が重くのしかかる。もはやきれい事ではすまない。ここに彼らの矛盾がある。
 政権の掌握が現実になり、日米関係に関って、基地の移転や地位協定改定問題・米軍再編・イラク・アフガンなど、早くも社民党との軋轢が見て取れる。自民党の長期政権は、米国の後ろ盾があってこそ成り立ってきた。したがってこの連合政権が、自立の道を歩み始めたと米国から判断されれば、米国との緊張関係は一気に高まる事は目に見えている。
 また官僚依存からの脱却のため、国家戦略局を設置して、政治主導を貫徹するとしている。しかしシステムを作ればただちに政治主導になるというほど簡単なものではない。
 さらに連立合意書でも、極めて切実な課題である日雇い派遣の禁止や製造業派遣の原則禁止や最低賃金の引き上げも盛り込まれた。この事自体は、当事者である派遣労働者や労働運動のめざす方向と重なっており、多くの労働者に期待されている事柄でもある。
 しかしこれらの課題は、そもそも政治で解決する問題ではない。それは、民主党への期待という他力本願ではなく、本来は労働組合の原則的な闘いで実現すべきものである。
 だがこれらの課題を本当に解決できるのは、圧倒的な労働者階級の本気の闘いだけだ。“政治依存”では痛み分けがあるだけである。民主党がだめなら自らやるしかないのだ。
 民主党を中心とする連合政権の誕生にあたって、今後の彼らの政治を厳しく監視するとともに民主党の政治に幻想を持つことなく、山積する課題については、彼らの政治に依存しない自らの闘いで明日を切り開いていこうと私たちは呼びかけるものである。
 自らの展望は自らの力で切り開こうではないか。 (直木 彬)


“政治主導”=“政治頼み”ではなにも変わらない――自力での闘いが労働者の明日を切り開く――

 9月16日には特別国会で民社国連立の鳩山政権が発足する。その民主党中心の政権が生まれることで何が変わるのだろうか。
 民主党は選挙では“国民の生活が第一”として、官僚主導から政治主導への転換、それに生活者への直接支援を大きな二本柱に掲げてきた。しかしそれらは税財政による再配分の手法や統治システムの再編という性格を超えるものではない。
 民主党中心の政権に代わっても、自民党と同じように特定の階級や階層の利害を代表する政党ではなく、あくまで国民すべての利害関係に配慮するという、いわゆる“国民政党”である限り、大企業や労働者・生活者のバランスを考えないわけにはいかない。
 マニフェストでは利害が輻輳する多方面に大盤振る舞いの財政支出を約束した。が、もはや有権者受けを前面に出した政権をめざす野党ではない。現実の政権政党になった民主党の行く末を厳しくチェックし、労働者の立場に立った独自の闘いを推し進めたい。(9月11日))

■試される民主党

 議席数に現れたほどには期待されていない民主党中心の連立政権。選挙後のどの世論調査でも「政権が変わって良かった」という回答に比べて「民主党の政策に期待する」という回答は低かった。あくまで自民党に対するレッドカードの受け皿として民主党が政権の座に押し上げられたことがここでも現れている。
 その民主党。政権の座が現実のものになって早くもぐらつきを見せている。基地の移転や地位協定改定問題、米軍再編、イラク、アフガン、など、いずれも日米関係に関わるテーマで民主党は腰が引き始めた。野党として対等な日米関係をめざすと主張するのは簡単だ。が、これまでの政官財学を貫く日米関係の歴史や力関係をふまえた上で、なおかつその転換を米国に受け入れさせるのは生やさしいものではない。
 これまでの自民党長期政権は、米国政権による支持という支えがあって成り立ってきた経緯もあるからだ。日本の政権が米国から離れて独自の道を歩み始めたと受け止められれば、米国から足を引っ張られる。このことはロッキード事件を引き金とした田中角栄の追い落とし劇、あるいは最近では日朝共同宣言を取り交わした小泉首相への意趣返しなどを見ても予想できることだ。民主党内の親米派へのテコ入れで党内抗争に火を付けることなどもあり得ることだ。それらを押しのけて米国からの自立を進めるには、大きな苦難と軋轢に耐えうるような決意と体制が不可欠だ。民主党が目論む“脱米入亜”は既定路線とはいえ、竜頭蛇尾に陥らない保障はない。
 内政を見ても、10年度で7・1兆円必要になる財政確保も未だ不透明だ。09年度の歳入不足が4〜5兆円にもなるとの試算もある。09年度の新規国債の発行額は過去最高の44兆円にもふくれあがっていることもあって国債の増発はしないという。年末を視野に入れた10年度予算編成では、増税もせず、借金も増やさず、細る収入で新たに7・1兆円を確保してマニフェストを実現していかなければならない。平行して年末に向けて危惧されている景気の中折れや新たな緊急雇用対策にも対処していかなければならない。
 船出する民主党中心の政権の前途は深い霧に覆われている。

■統治システム

 官僚依存からの脱却を掲げてきた民主党。その民主党は政治主導を貫徹するために国家戦力局を新設するなどで、内閣のもとにおける一元的な政策決定をめざすことを重ねて明らかにしている。振り返ってみれば、民主党マニフェストの冒頭に登場する「暮らしのための政治」のための「5原則」「5策」とは、すべて統治システムの再構築に関連したものだった。
 ここでの問題は二つある。一つは政策決定における内閣と党の対立の問題と、政治主導を体現するという国家戦略局の役割についてだ。
 民主党は内閣のもとでの政策決定の一元化をを実現するために内閣と党の役職は兼任するともいっている。93年の細川政権が、内閣と連立与党代表者会議の主導権争いで倒れたという経緯が民主党幹部の念頭にあるからだ。
 しかし選挙で選ばれるのは政党であり、個々の候補者だ。議院内閣制のもとでは首相はあくまで衆院の議決で決まる。内閣は国家機関であり、むしろ日常的に有権者と接しているのは党および党員だ。内閣の元への意志決定の一元化とは、それだけ有権者から自立した国家機関としての意志決定の性格が強く出る。とりわけ国家意志としての法律は、日本では自民党政権のもとでその大部分が官僚が立案した内閣提案の法律として成立してきた。議員立法も無いことはないがきわめて少ないのが現実だ。結局問われるのは、党とその代表としての内閣がいかに官僚主導の政治を打破できるかということになる。党か内閣かという図式は、政治主導か官僚主導か、というよりも、むしろ民主党でもこれから形成されるであろう“族議員”を含む党内の意志決定をどうつくりあげていくのか、という問題だろう。
 民主党は政治主導の推進機関として国家戦略局を設置し、党政調会長を兼任する担当相を中心とする政策づくりを行っていくとしている。官僚が法律を書き、族議員が「箇所付け」など具体的な配分に関わってきた自民党時代の本末転倒な意志決定システムを変えたいというのは分かる。むしろ当然のことだろう。しかしこれもシステムを作れば政治主導になるというほど簡単なものではない。民主党内部でもすでに一部の“族議員”の“活躍”の動きも伝わってくる。
 政治主導といっても、大事なのはどのような国家・社会づくりをめざすのか、という目的意識とそれを実現できるだけの決意と体制だろう。それなくしていくら新しいシステムを作ったところで推進力にはならない。
 現実には民主党のマニフェストでは政権交代至上主義の観点から、党内で異論や対立のあるテーマ、とりわけ安全保障や外交では抽象的な目標が掲げられていただけで、巨額の財政支出を伴う大盤振る舞いだけが前面に出ていた。こうした乖離を抱えていては、明確な目的意識があるとはとうてい思えない。一時は“選挙互助会”と揶揄されてきたことを思い起こさずにはいられない。基本政策で考え方の違う社民党や国民新党を抱えた連立政権ではなおさらだ。いずれ連立与党内部や民主党内部で抗争が生まれるだろう。巨大政党になればなるほど、有権者の利害対立が党内対立となって現れてくるのは、これまでの多くの経験が物語っているからだ。

■どこにもない“国民主権”

 民主党の官僚主導から政治主導への転換ということ自体は一面で当然のことだが、反面ではその民主党が言っていないことがある。それは民主主義の問題だ。国民主権を主張するのであれば、すべての議員と高級官僚に対する罷免権(リコール権)を有権者に与えるべきなのだ。
 民主党は国民主権の実現と政治主導というのを同じものであるかのように主張している。政治主導にしても意志決定の一元化にしても、マニフェストでも明らかなように民主党としては国家の統治システムの問題なのだ。問題はその統治システムが本当に国民主権、人民主権が貫徹されたものかどうか、それこそが問題である。
 民主党やメディアは自民党長期政権時代の選挙がいわば長期政権への白紙委任の性格を持っていたことに言及している。選挙は小選挙区でも比例区でも一定の地域で選出される。しかしひとたび選出された国会議員は“全体の奉仕者”の地位が与えられ、自分に(党に)投票してくれた有権者の拘束から解放されてしまう。
 民主党はマニフェストは有権者との間の“契約”だ、それが実現しなかったら次の選挙で政権の座から降ろされる、としてあたかも有権者の意向に直接縛られているかのようなことを主張している。しかし現行憲法(第15条)ではすべての公務員に対する罷免権が銘記されているのに、そのための手続き法が制定されていない。いわば憲法が予定している国民主権システムがが空文化しているわけだ。
 だが国会議員と有権者すなわち国民の関係を変えようとの提案は、少なくとも民主党のマニフェストにはない。有名知事の意向を受けて地方政府の権利を盛り込んだ“地域主権”もマニフェストに書き込んだが、もともと民主党にはそういう発想がかけているからだろう。選挙で信を問うとしても4年に一回である。その間はたとえ民主党がどんな醜態をさらけ出しても有権者は民主党政権をやめさせることはできない。自民党はその4年の間、有権者に信を問うことなく小泉から福田、安倍、麻生と3回も首相を取っ替えてきた。
 民主党にしても国民主権が貫かれた政治と白紙委任された政治家主導の間のギャップを埋める方策は示していない。民主党にとって重要なのは、民主主義の実現ではなくて、あくまで統治システムの再編でしかないからだ。いはば多数政党への統治権力の一元化、人事権を持つ首相(党代表)への権力の一元化を目指しているに過ぎない。かつて中曽根元首相が言った“大統領的な首相”、いわば“強いリーダーによる政治”と基本的に重なるものだろう。
 繰り返しになるが、国民主権を実現するなら国会議員や高級官僚のリコール制度の導入こそ不可欠だ。“白紙委任”から“拘束委任”への転換ともいえる。それなくして自民党時代の“劇場政治”だとか“お任せ政治”は変わらないだろう。有権者もまた主権者として政治劇の観客席に安住していることは許されないのはもちろんだ。

■肝心なのは労使関係の現場

 各党のマニフェストでも取り上げられた雇用問題では、民社国の連立合意書でも日雇い派遣の禁止や製造業派遣の原則禁止も盛り込まれた。それらは当事者の派遣労働者や多くの労働運動当事者のめざす方向と重なる緊急な課題だ。
 しかし政治主導といっても内閣や国会ができるのは税財政と法律制定でしかない。それらは税金と予算による再配分と法規制による誘導の役割を超えられない。
 たとえば民主党は生活保護水準より低くなっている最低賃金について、全国平均で時間あたり1000円への引き上げを掲げている。与党になる社民党は最低1000円だ。
 この9月1日までに決まった全国の最低賃金は、最高の東京都の791円から最低の佐賀県などの629円まで、全国加重平均で713円だ。労使代表による徹夜交渉の末に引き上げられるのは、02〜04年で0円か1円、今年は1〜5円程度が多かったという。その上地方では最低賃金の10円の引き上げでもやっていけなくなる零細企業が多く、引き上げはかえって雇用の場を奪うことになる、という経済界などの反対も多い。
 こうした利害が絡む最賃の引き上げには政治による規制は亀の歩みにも似た限定的なものにならざるを得ない。5年とか10年のスパーンで、しかも零細企業などへの補助金支給なども絡んでくる。
 たしかに最賃の引き上げは可能であり、また実現しなければならない緊急の課題だ。が、それらは政治の課題というよりも本来は労働者や労働組合の闘いで実現すべき課題だ。それには大企業による下請け、孫請け企業への発注単価の切り下げ、正社員と期間・派遣・請負など非正規社員との処遇格差、それに企業内組合という組織のあり方などの根本的な是正・転換と合わさってはじめて可能になる。仮に法律で規制しようとしても、現実の闘いのないところでは、そもそも有効な法律は出来ないだろうし、また出来たとしても形骸化されるだけだからだ。長時間労働やサービス残業など、労基法が空洞化していることと根っこは同じだ。
 最低賃金の他にも非正規から正規への転換なども大きな課題だが、むしろ“均等待遇”を闘い取ることをめざすべきだろう。それは終身雇用、年功賃金などのいわゆる“日本的労使関係”そのものが長時間労働を強いるなど格差拡大をもたらし、労働者の闘う力を奪ってきた経緯があるからだ。
 こうした課題の性格上、これらは第一義的には労働者、労働組合の闘いの課題と受け止めるべきだろう。政治による規制は労働者の日常的な闘いの土台があって初めて実効性が確保される。
 雇用にしても賃金にしても、ここまで不安定低処遇を余儀なくされてきたのも、日本での労働者の闘いが後退させられていたからである。“政治主導”ならぬ“政治依存”は幻想に過ぎない。生活が成り立ち、また働きやすい環境をつくっていくのは、いつの時代でも労働者自身による自立した闘いによってのみであるという現実を銘記したい。
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色鉛筆  「子ども手当」は少子化対策にならない

 政権を交代した民主党は、選挙前「次代の社会を担う子ども一人ひとりの育ちを応援する」目的で、0歳から中学卒業までの子ども1人当たり月2万6千円(年31万2千円)を支給する「子ども手当」の公約を掲げた。しかし、こうしたばらまき政策では何も解決できないことは、自民党が行ってきた地域振興券・定額給付金等を見ればわかる。子どもの育ちを応援するならば現金給付の手当ではなく、不況の影響で家計が苦しい家庭にとって、98%の子ども達が高校進学している高校の義務教育化、小・中学校の給食費や教科書代等の無料化、保育所に入れない待機児童の為に保育所整備などの政策を行ってもらいたいと切実に願っている。
 保育の仕事に関わっている私は、『認可保育所を希望しながら入れない待機児童が、4月1日現在で2万5384人になった。前年(1万9550人)と比べて約3割増えており、調査開始以来最大の増加率となった』(9/8朝日新聞)という記事を読みながら、待機児童となっている親子達はどうしているのだろうと心配になる。私の職場の保育園も入りたい希望者が多く(特に0〜2歳児)私は毎月0歳児の新入児を受け入れているが、保育士が足りなく断っているのが現実だ。
 そして、この「子ども手当」は少子化対策にならないことがわかるアンケート結果があった。『「子ども手当によって子どもをもう一人産みたいと思うか」という質問に、45%の保護者が「いいえ」と回答。「どちらともいえない」も43%で、「はい」は12%にとどまった。産みたいと思わない理由としては「保育園、学童などの預け先が不足しているため」が25%と最も多く、次いで「年齢的に出産にリスクがある」(21%)、「周囲の協力が少なく、時間が足りない」(16%)などだった。自由回答では「社会制度や企業の子育て支援が充実していない」「子どもは一生お金がかかり、幼少期のみの支援では意味がない」などがあげられた。また、子ども手当をもらった場合の使い道について尋ねたところ、「家計全般のために使う」(37%)、「将来の教育費のために子ども名義などにして貯蓄する」(35%)がほぼ2分。その他は「私立中学に入れるための塾代や入学金、授業料」(12%)、「保育料」(6%)、「習い事代」(4%)などだった。』(9/9朝日新聞)
「子ども手当」をもらっても、もう一人産みたいと思う親は約1割しかいなく、産みたいと思わない理由に保育園不足や、社会制度の不整備もあげられているということは、保育園を増やして安心して産み育てられる社会を実現していけば、少子化に歯止めを打つことができるのではないだろうか。安心して産み育てられるように、雇用の安定、働き方の改革、保育制度の充実、公教育の無料化などを実現してもらいたいものだ。これから民主党が「少子化」にどのような政治を行うかしっかり見ていかなくてはならない。(美)


読者からの手紙

「小さな旅・丹波マンガン記念館を訪ねる」を読んで

 ワーカーズ・NO395号(6月15日)に丹波マンガン記念館が閉館になるという記事が出ていた。
 私も閉館のことを聞き、とてもショックであった。
 私がこの「丹波マンガン記念館」を知ったのは、今から8年前の2001年で、知人の平和運動関係者から「この記念館が財政難で『閉鎖』の危機に陥っている、主旨を理解して是非カンパをお願いしたい」と頼まれ、カンパした事を覚えている。
 その後、2度ほど京都旅行の折、見学しようと計画したが、冬期は閉鎖しているなどもあり、結局訪問することは出来なかった。
 この8月、松本で開催された「第13回戦争遺跡保存全国シンポジウム」に参加した。
 その分科会で「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」のメンバーが「丹波マンガン記念館の20年から何を学ぶか」というタイトルで、89年5月17日の開館から09年5月31日の閉館までの歴史と経過を報告された。
 「李(リ)さん親子で、このような記念館を個人で経営することには限界があり、2001年に閉鎖の危機に陥った、この時は『人権資料・展示全国ネットワーク』などの支援で募金が集められ、翌年にはNPO法人として運営していくことになった。しかし、最大時年間2万人あった見学者は、最近では5千人程度にまで減少し、毎年数百万円の赤字が出ていた。この記念館は全国唯一とも言える朝鮮人強制連行の博物館であった。これまで20万人の人たちが訪れ、歴史・平和・人権を学ぶ大切な場となってきた。それだけに記念館の閉館を惜しむ声も強く、市民の間では再建をめざす運動も模索された。3月28日には、『丹波マンガン記念館を再建する会』が立ち上げられ、計画としては、社団法人を創設して、2010年に記念館を再開する予定であったが、資金調達などの問題がネックとなり、実現は不可能となった」との事である。
 なお、松本で開催された「戦争遺跡保存運動」とは、全国各地に残る戦争遺跡を保存し活用していく平和運動であり、毎年全国大会を開いている。
 「戦後64年が過ぎ、二度と戦争を起こさない、本当の意味での平和のために正しく戦争の実像を伝えることはますます難しくなっている。戦争遺跡の調査研究活動を通じて、保存・文化財指定・活用を考える。そのために、全国各地の保存運動の教訓・問題点に学び、そけぞれの地元の戦争遺跡から二度と戦争を起こさない、平和のための活動を盛り上げていきたい」と大会の意義を述べている。
 全国に存在する平和博物館の代表的なものが、皆さんもご存知の「ひめゆり平和祈念資料館」「原爆の図丸木美術館」「無言館」等がある。これらの平和博物館はほとんど民間経営(国からの支援はほとんど無い)。従って、「丹波マンガン記念館」のように、どこも財政難で入場料や支援者カンパでようやく維持されているのが現実だ。
 ところが、戦争を賛美する「戦争博物館」の方は、ほとんどが国立・公立経営(国から建設費・維持費が出ている)。航空自衛隊浜松広報館「エアー・パーク」や呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」がそうである。
 「丹波マンガン記念館を再建する会」も、なんとか活動を継続して、新たな方向性を追求したいと述べている。皆さんも是非出来る範囲で協力してほしい!(W)案内へ戻る


 私とテレビ

 歩くのがむつかしくなり巷をぶらつくことも少なく、すずの庵≠アと私の8帖の部屋にこもることが多くなった昨今、巷をぶらつく代わりにテレビに親しむようになった。
 最初は新聞の番組表に印をつけて計画的? に見ていたが、最近は行き当たりばったり、チャンネルをぐるぐるまわし、偶然に出会った番組を見るようになった。私の旅の仕方の移り行きとよく似ている。一言で言えば、偶然の出会いを楽しむようになった。
 これまでの思い込みとぶつかることもあり、そこに違った世界が拓けることもある。これまで作り上げたと思い込んでいた私の世界に、偶然を包摂するのではなく、ショッキングでもあった。偶然の世界がこれまで構築してきた世界を引きずって行く、というのが現在の私のTVの見方ある。
 まあ言ってみれば、歩けなくなったことによる所与の現実の条件を受け入れた上で、そこでいかに生きていくか、という一つのありようと言えよう。叙情的にスリ鉢地獄に堕ちていく道ゆきに、歯止めとなる生きかたであろうと思っている。09・9・4 宮森常子


 幼い頃紙芝居で見た社会派のお化け

 四ツ谷怪談は、もういうまでもなく、ジャマッケだからと毒殺したイエモンを怨んで出てくる私怨のお化け、おイワさん。幼い頃、紙芝居で見たお化けは名前は忘れたが、ジャマッケだからと、継母に毒殺された少年のお化け。顔かたちはお岩さんと同じように顔面くずれ、紙上にあらわれる顔は、簡略におでこのあたりに、赤いコブのようなものをつけてあるだけ。
 どんな時に出てくるか。弱者で逆境にあり、ガマンできずにあげる叫び声を聞きつけて、この少年のお化けが宙をとんでくる。弱きを助け強きをくじく正義派タイプのお化け。
 私が生まれたのは昭和8年。5才から6才頃の紙芝居を見て遊んだであろう。だから昭和13年か14年頃であろうから、時代は2・26事件のあと軍部の介入支配が強くなっていった頃であろう。
 富国強兵へと突き進んでいった頃に、毒殺された少年。まともに育てられず、ひねりつぶされた少年は、時代を象徴するかのようだ。幼い私にはなぜ少年が殺されたのか、には注意はむかわなかった。カワイソウな子を助けに来るお化け(お化けについても知らなかったであろう)、カワイソウな子が助けられとホッとして、帰ったのを覚えているだけである。死≠ニいうことが理解できない年令であったろう。
 中国戦線は拡大、国家総動員令が出され、軍国調一色に染め上げられようになって、いつしか社会派のお化けをやる紙芝居のおっちゃんは姿を消してしまった。小学校2年生位であったと思う。  09・9・7 よる 宮森常子


Sさん、これからどうなるんでしょうね

 前略、暑中見舞いの返信をと思いつつ、もう秋風が立ち、半袖での配達も寒くなってきました。最近、三田市末で牛が傷つけられるという報道がありましたが、これは私が郵便を配っている地域の出来事です。アキレス腱を切られた牛が死んだと報道されており、何を目的にしたものかわかりませんが、犯人の心の中には寒風が吹き荒んでいるのかもしれません。
 ところで、民主党政権の誕生で、民営郵政の今後はどうなるのか。もちろん、西川体制の崩壊を悲しむ理由はないし、民営化の見直しで今より悪くなることはないだろうから、何も悲しむ必要はないのですが。しかしもう一方で、郵便事業が営利を目的としない公的事業として復活するという、甘い期待は矢張り持ってはいけないのでしょうね。
 西川善文社長辞任だけではなく、JPエクスプレスの10月1日完全統合も先送りとなりました。準備不足で総務省からゴーサインが出なかったということですが、三田では9月1日から自配の小包が分離し、郵便局の敷地内でJPの支店が立ち上がりました。その結果、郵便局長と事業会社支店長にJPエクスプレスの支店長が加わり、なんだかなあという思いです。
 Sさんのところでは、小包はもともと請負とかだと思いますが、私たちの仕事から小包がなくなり、混合の仕事は幾分楽になりました。しかし利用者にとっては、これまで郵便・書留と小包が一緒に配達されていたものが、別々の配達となり戸惑いや不都合が起きているようです。民営化されたとはいえ、利用者にとっても郵便や小包は純然たる民間商品とは異なる受け止めがあるのだと思います。
 それにしても、郵便事業の未来は暗いというほかありません。ついこのあいだまで、かもメールの販売でうるさかったのが、もう年賀の予約でうるさくなっています。朝夕は涼しくなったはいえ、昼間の日差しがあるときはまだ暑いのに、その常識のなさにあきれます。Sさんの職場でもそうだと思いますが、予約販売の目標達成のために自分で買う分だけでも予約を書けといわれているのではないでしょうか。
 朝から労働意欲をそぐ営業の尻叩きで全くイヤになりますが、職場を腐らせているのはこれだけではありません。もっと深刻なのが、非正規の労働者の時間給がいとも簡単に切り下げられ、若い人はもう辞めようかと言っていることです。郵便配達ではすでに主戦力なっている非正規労働者を粗末に扱い、目先の時間給を切り縮めるなら、遠からず事業そのものが維持できなるでしょう。
 私は定年まであと1年半、郵便労働者として最後まで頑張りたいのですが、さてどうなることか、自分でもわかりません。営業しか口にしない愚劣な管理者がのさばり、人が足りなくなることがわかっているのに期間切れで雇い止め馘首を平気で行い、欠区をコストカット≠セと5人に6人分の配達を押し付ける。気持ちよく郵便配達ができるなら、どんなにいいだろうかと思います。
 Sさん、愚痴ばかりですみません。もうながく会っていませんが、全逓の組合事務所で顔を合わせていた頃を懐かしく思い出します。お互い年を重ねてしまいましたが、いつか元気な顔を合わせられたらいいですね。   (晴)
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編集あれこれ

 前号は、8月30日の衆議院選挙を受けてのものでした。結果は、民主党の独り勝ちでした。これは、自民党公明党政権を倒そうと思えばほとんどの小選挙区では、民主党に入れるしか選択肢はありませんでた。その結果が民主党の308議席につながりました。
 前号の1〜4面は、民主党政権に対する監視が重要であるという主張で、同感です。民主党は、官僚の天下り廃止や、税金の無駄遣いをやめるとか、後期高齢者制度の廃止するとか、日本郵政の西川社長の首を切るとかいいことも言っていますが、はたしてそれがどこまでできるのか監視していきたいと思います。
 民主党は、しょせんは私たち働く者の味方ではありません。私たち働く者の政治勢力が必要です。
 その他紙面は、職場紹介や、コラムの窓、色鉛筆など多岐にわたっています。紙面をさらにいいものにするためには、やはり読者の方の投稿がもっと増えるといいと思います。      (河野)