ワーカーズ404号 2009/11/1
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地道な活動を推し進めよう!――劇場政治は一時の熱狂――
臨時国会が始まった。衆目が民主党のマニフェストの帰趨に注目が集まるなかで、鳩山政権が乗り越えなければならないハードルは続く。
9月の政権の発足後、各大臣による民主党マニフェストの実現に向けた派手なパフォーマンスに注目が集まった。政治の刷新という面では“政治主導”というかけ声のもと、各省庁の大臣をはじめとした政務三役による意志決定や官僚によるレクチャーの禁止、それに09年度補正予算の無駄の見直し。個々の政策課題ではインド洋での給油活動の終了や八ッ場ダム建設の中止、それに郵政民営化の見直し等々だ。
確かに永年にわたる自民党政治から民主党を中心とする政府への政権交代で、閉塞状況だった政治の舞台は颯爽とした幕開けにはなった。毎日のようにテレビなどマスコミに登場し、マニフェストの実現を競うように打ち上げる民主党の花形政治家。あの小泉政権の郵政選挙で経験した刺客選挙など劇場政治の第二幕を見せられているかのようだ。
劇場政治は功罪併せ持つ。一面ではかつての密室政治を庶民の茶の間にあからさまに見せつける。が、反面では社会を変えるための草の根の地道で長期にわたる取り組みの意義を後景化させる。マスコミに踊らされたあの小泉劇場を繰り返してはならない。
冷静に振り返れば、民主党のマニフェストは新しい社会の実現という理念に基づいているわけではない。“国民の生活が第一”という小沢路線は、“政策より政局”という選挙戦術から発している。有権者受けを第一に考えられた政策に一貫性はない。
政権交代が実現したいま、確かに民主党は単なる選挙戦術の域を超えて“人に優しい”政治へのめり込んでいるかに見える。派遣労働や子育て・教育支援、それに農家支援等々だ。
しかし劇場政治は変身も早い。普天間基地の海外・県外移転もそうだ。強力な逆風や圧力にぶちあたればあっけなく変身する。“人に優しい”政治も、経済状況や反対圧力でいつ軌道修正されるか定かではない。すでにいくつかの戦線ではほころびがかいま見える。
確かに舞台で活躍する役者は変わった。が、役者と観客という位置関係が変わらなければ、結局は役者のできばえで一喜一憂するだけに終わる。
政治を変えるのは結局は一人一人の意欲と行動だけだ。民主党に約束違反をさせないためにも、私たち働くものの未来を主体的に切り開くためにも、劇場政治とは別なところで地道な闘いを拡げていきたい。(廣)
公共事業の発注や業界団体への補助金支出から当該対象者への直接的給付へ
―自民党と民主党のバラマキの違い
トリクルダウン論の破産
今の中国や韓国と比較すれば明らかな事だが、経済が高度経済成長する時には、否応なしに生活の格差が出てくる。けれどもアメリカからは、日本は、高度成長をしながらも、同時に比較的平等な社会をつくり上げてきたと評価をされてきた。それは、農家等の「敗者」にディストリビューティブ(再分配)を今まで自民党がやっていたからだ。
田中元首相に象徴されたこのやり方を、アメリカの日本研究者たちは、コンペンセーションポリティクス(補償による政治)と呼んでいる。だからこれまでは国政選挙では、税金を再配分できる権力を持つ自民党が勝ってきた。自民党は、もともと農家への補填を重視した農村型政党だったのである。
自民党のバラマキというのは、政と官と業界、つまり建設業界・農協・医師会などの利益団体に公共事業を発注したり政策的な補助金等の支出する事で、これまでやってきた。こうして地方への税金の再分配として、バラマキしてきたのである。
これを「しずくが下にしたたり落ちる」という意味で、トリクルダウンと言い慣わしている。すなわちこれまでのやり方は、公共工事の発注などで、まずゼネコンや関連企業にに税金を回して、雇用される労働者を通じて、そのおこぼれを一般大衆にまで行き渡らせてきた。しかし「構造改革」による労働者雇用の変化とこの大不況で、従来は自民党政治を下支えしてきたこのトリクルダウンが、現実にうまく回っていかなくなったのである。
今回も麻生政権は、確かに公共事業バラマキをしたけれども、それ以前に、小泉竹中の「構造改革」によって地元の経済界が疲弊し、とても自民党を支えられなかった。こうして自民党の従来の支持組織、建設業・医師会・農協等が駄目になっていったのである。
民主党のバラマキ
民主党は、今までのように下にまで金が回らなくなって多くの人々の生活が疲弊しているので、ゼネコン等を間に入れずに、直接個々人に税金を渡し「内需拡大」を追求する事を戦略にした。この「国民の生活が第一」のキャッチフレーズが労働者等をつかんだ。
まず、子ども手当を年間331万2千円支給する。その流れで高校授業料の無料化がある。その次に最低保障年金を7万円とした。3番目が、農業をやっている人で、農業所得が年間本当に、50万円以上ある人は、だれでも45万円を渡す。今までのように農協を通すと、手数料等で途中で天引きされ中抜きされるから、それを阻止した。これが戸別の所得補償制度だ。4番目が高速道路を無料化した。地方の高速道路は、お金がかかるから誰も使わないで放置している。5番目が、月に10万円の手当つきの職業訓練である。職のない人たちにお金を出しながら職業訓練を与えた。それこそ、バラマキだが全部で15兆何千億円である。
それが、1世帯当たり年間で30万円・40万円になり、その分を少しでも消費に回そうと考えた。すなわち国内需要をそうやって喚起してもっと消費を、つまり「内需型」で日本の景気を民主党はよくしようとしている。この根本的な政治的な転換を、田中に学んだ小沢が主導しているのである。
今回の個々の農家に対する「戸別所得補償制度」は決定的だった。官僚化していた農協幹部と個別農家のこれまでの関係は、一変した。これで自民党の選挙基盤が一挙に崩されたのである。まさに小沢戦略の大勝利である。すべては選挙勝利に向けての対策だった。
他方、労働者等からすれば雇用が不安定になっている状況がありながら、自民党は、全くこの事に冷淡で、どれだけ批判されても真剣に対応する素振りが全くなかった。この事が、労働者を中心とする層を決定的に怒らせる。これで「民衆の怒り」が爆発した。
今回の自民党の選挙公約を見ると、確かに10年後の成長戦略は書いてあるが、民主党と違って、直接に「お金を配る」とはいわなかったのだ。
これだけの世界的な不況の時に、家計を支えるといわなかった、またいえなかった事が、自民党に対する疲弊した地方の反発を決定的にしたのである。
「みんなの党」の躍進と国民新党・「新党日本」の埋没
二大政党の対決で埋没しながらも、首都圏の保守層の中核部分は、「上げ潮」派のお株を奪い官僚国家の打破を主張していた「みんなの党」に投票した。逆に国民新党の方が、民主党の「直接給付」の小沢戦略に食われて、農村部等の利益代表としてアピールできず、また都市型の政党の「新党日本」もあまり票がとれず、ともに埋没してしまった。
結局「みんなの党」は5人当選したが、北関東(きたかんとう、東京を含む地域)の比例代表の得票では、トップが民主党の317万、自民党が190万、公明党が85万で、「みんなの党」は4番目で約60万票とっており、共産党は約47万票だった。
昨年の参院選のときは、自民党政権はまだ小泉・竹中路線を継承しているイメージがあって、「国民新党」がある意味で追い風があった。しかし今回の総選挙では逆に、小泉・竹中路線と本心では「竹中の郵政民営化には反対」の麻生総理大臣が、「上げ潮」派を押さえて選挙戦を率いたので、この点では国民新党との差は郵政以外になく、厳しかった。
小泉後の福田・麻生政権は、国民新党的な政策を打ち出し、なし崩しに路線転換してきた。さらに民主党は、それに先回りで対応して、弱者への大幅な手当の拡充という政策に打って出た。その点で、都市型の住民は、民主党のバラマキに必ずしも賛同できなくて、小泉構造改革路線を今後も推進する「みんなの党」に約60万票入れた。その意味で衰退する自民党の後継政党として、今後とも注目していかなければならない政党なのである。
資本主義的生産の本質とは何か
ここで私たちが強調したいのは、資本主義的生産の本質とは何かである。自民党の「成長戦略」は確かに歪んではいる。労働者等には実にたいへん過酷な仕打ちである。
政権交代により今回初めて公表された経済協力開発機構(OECD)の最新統計によると、200年の日本の「相対的貧困率」は、メキシコ18・4%、トルコ17・5%、アメリカ17・1%、日本14・9%と世界第4位の位置にある。自民党によって喧伝されてきた世界第二の経済大国日本のこの実態に驚かされた人々は、大変数多いであろう。
一億総「中流国家」といわれてきた日本の実態は、小泉・竹中の「構造改革」路線の数年の内に、つまり「小泉劇場」政治によって、かくも見るも無惨で惨憺たるものになってしまった。その事実を知らなかったのは日本人だったのである。
マルクスは、「労働者大衆の消費制限で根本的に規定されながらも発展する資本主義的生産」と規定してはいたが、現代の日本は、労働力の再生産に重大な障害が発生した事により、これまで順調な資本の再生産と回転に支障が生じるほどの実態となっている。
こうした現局面にあっては、民主党のバラマキは確かに有効だろう。しかしこの有効性が、税金の再分配機構として固定化され、社会的には労働賃金の低水準を補完するものに転化するならば、この緊急避難的政策も早晩行き詰まるのは明らかである。
資本主義的生産の特徴は、生産のための生産である。それこそが資本主義的生産の本質であり、これこそが生産拡大の道であり、未来の社会を切り開くものなのである。
真価が問われる2010年度予算案の決定
鳩山新政権の2010年度予算の概算要求が示された。2009年度当初予算が88.5兆円の規模であったのに対して、鳩山新政権の2010年度概算要求額は95兆円を突破した。その中に、民主党が総選挙に際してマニフェストに掲げ、2010年度に実行しようとしている政策として、子ども手当、高校授業料無償化、高速料金無料化、農家個別所得補償が提示されている。これらの施策を盛り込んだ概算要求の規模が95兆円を突破した事を、マスコミは色をなして批判しているが、全く意図的な目くらましである。
麻生政権は、14兆円もの巨大な規模の補正予算を、数を頼りに衆議院で強行採決し、2009年度の一般会計予算は103兆円規模に膨張している。この補正後予算の規模と比較すれば、2010年度概算要求額の95兆円は、大幅に縮小したものである。
財政赤字の拡大を問題にするなら、鳩山新政権でなく、14兆円規模の2009年度補正予算を編成した麻生政権こそが批判の対象である。マスコミは、まったく無駄な麻生政権のバラマキを批判してはこなかった。なぜ民主党のバラマキのみが批判されるのか。
また、2009年度予算で麻生政権が国税収入を46兆円と見積もったが、この見通しが今になって40兆円水準に下方修正されそうだ。
国債発行については、小泉首相が30兆円の国債発行枠の公約を守るために、本来33兆円規模に拡大した国債発行を、粉飾処理によって見かけ上、2001年度は30兆円に圧縮した。鳩山政権も財源不足を埋蔵金の1兆円で賄い、見かけ上の財政赤字を増加させない手法を取るかも知れない。
いずれにせよ、税収見積もりを誤ったのは前政権であり、この責任は鳩山政権にない。
しかし、50余年継続した自民党政権が崩壊し、まったく存立基盤を異にする新政権が樹立されたのであるから、経済政策等は大転換するのが当然である。57年も検察されてこなかったダム建設の中止や羽田ハブ空港化の論議等始めるのは当然の事であり、これが政権交代である。ここにはゼネコンの利害が大きく関わってきた事が決定的だった。
私たちは、マスコミのくだらない非難に組するのではなく、もっと具体的で本質的な批判を鳩山政権に突きつけて労働者等の信頼を勝ち取っていかなければならない。(直木)
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均等待遇の基盤――「子ども手当」と賃金体系――
鳩山民主党政権発足後、初めての臨時国会が始まった。自民党長期政権が始まった55年以降、選挙による本格的な政権交代が実現したいま、鳩山政権は臨時国会、予算編成、通常国会と真価が問われる場面が続く。
これまで民主党マニフェストが掲げる政治主導などについて考えてきたが、今回は民主党マニフェストで掲げられた個別政策についてみていきたい。最初は子ども手当だ。結論から言えば、方向性としては正しいが動機は不純、といったところだろうか。問題はその位置づけにある。
私たちとしては、子ども手当の性格を考えながら、主体づくりも含めた戦略的視点からその実現をめざしたい。
■大盤振る舞い■
鳩山政権の売りはなんと言っても官僚政治の打破をテコとした永年の自民党政治の刷新にある。あわせて「国民生活が第一」というマニフェストの目玉政策としていくつかの個別テーマでの新機軸を打ち出している。たとえば高速道路の無料化(1・3兆円)や農家への個別所得補償(1兆円)などだ。
なかでも子ども手当の導入は、その金額や、所得税の扶養控除などではなく直接個人に支給するという手当という支給手法で、自民党政権になかった子育て支援策として大きな注目を集めてきた。
周知のように民主党の子ども手当とは、すべての子どもに中学卒業まで一人あたり月2万6千円、年間31万2千円を支給するというものだ。必要な費用は5・3兆円(初年度半額)だ。出生から中学卒業までの総額は一人あたり468万円、3人いれば1404万円になる。あわせて出産時に55万円支給、公立高校の授業料を無料化し、私立高校生には年12〜24万円を支給、それに奨学金制度の改善、生活保護の母子加算の復活、待機児童の解消などの実現で、を柔術させるとしている。
現行の児童手当は小学生までで月5千円(3才未満と3人目からは月1万円)だから、確かに大盤振る舞いではある。これらを含めて、民主党は子育て支援と教育の補償を進めるとして、先の総選挙ではマニフェストの目玉政策として大々的に打ち上げてきた。
確かに子どもを抱える家庭にとって子ども手当はいっぱいもらえるに越したことはない。たとえ子ども手当が貯金や消費に回されるとしても、子どもを育てる家庭にとって大きな支えになることは間違いないからだ。
いうまでもなく教育費も含めての子育て費用と住居費は、普通の家庭にとって光熱費や衣食など日常の生活費の他に負担が大きい二大支出になっている。その子育て費用を社会的に負担するという発想は、その性格付け如何によってはきわめて大きな意義がある。
■選挙対策■
大きな意義があるはずの子育て支援。しかし民主党案では、子ども手当導入の財源の一部にするため、既存の配偶者控除と扶養控除は廃止される。こうなると子どものいない専業主婦家庭や子どもを欲しくても生まれない家庭などは税負担が重くなって不公平感は大きくなる。
こうした不公平感が出てくるのは民主党の子ども手当がなによりも選挙対策として打ち出された、と言う事情からだ。これは高速道路の無料化にしても農家の個別所得補償にしてもそうだった。
民主党は子ども手当の導入などに際して、“コンクリートから人へ”というスローガンを持ち出して正当化している。その背後には、これまでの自民党の政策が、業界の関連団体・官僚の天下り団体を通じた間接支給の手法で族議員や自民党の支持基盤づくりをしてきたことを批判し、その解体をはかる思惑も貫かれている。“コンクリートから人へ”というスローガンは、そうした思惑を薄める意味合いもあるが、それは必ずしも一貫したものではない。たとえば高速道路の無料化だ。“コンクリートから人へ”、間接的にではなく直接に、と言うなら、道路公団などに補償するのではなく車の所有者に道路手当として直接支給すべきだろう。そもそも“コンクリートから人へ”というなら、高速道路の無料化などせずに、その分、地方やドライバーに直接お金を回すべきではないだろうか。
民主党の目玉政策がちぐはぐなのは“コンクリートから人へ”などという“理念”でマニフェストをつくっているのではないからだ。一貫しているとすれば、それは有権者が飛びつく選挙戦術として生まれたからだ。理念などは後付でしかない。だから個々の目玉政策でちぐはぐする。冒頭で“動機が不純”だと言ったのはそのことである。これはもちろん“政策より政局”だという小沢路線が土台になっている。
民主党の子ども手当が選挙戦術から出ていることもあって、支給対象が中学生以下の子どものいる全世帯に拡大された。その方が多くの有権者をカバーできる。逆に現実の子育て真っ最中の家庭がぶつかっている深刻な問題については少数派として脇に追いやられることになる。たとえば現在2万5千人いると言われる待機児童の解消のための認可保育園や学童保育施設の増設などは緊急の課題だ。子どもを安心して預けられる施設がないため働きたくても働けない家庭では手当に変えられない最大の子育て支援になる。しかし、民主党のマニフェストには「保育所の待機児童を解消する」とあるが、肝心の予算の配分が明記されていない。
子ども手当が選挙戦術として生まれた生い立ちは、麻生内閣の定額給付金と対抗する景気対策として位置づけていることからも分かる。9月24日の国連演説で鳩山首相は「年間5・5兆円の子ども手当は、教育への投資であると同時に、消費刺激策であり、少子化対策となります。」と述べている。根拠が後づけなので、いろいろな効果があるという発言になってしまう。
■均等待遇の基盤整備■
民主党の子ども手当についていろいろ批判がましいことを言ってきたが、冒頭に言ったように、それでも方向性は一歩前進だと評価できる。当然、条件付きというか位置づけ次第というところだ。
私としては子ども手当(児童手当)の拡大と増額を、同一労働・同一賃金,いわゆる均等待遇実現の基盤整備と位置づけたい。突飛な提案に写るかもしれないので、説明が必要かもしれない。
すでに触れたが、普通の働く家庭の大きな出費は、衣食など日常の生活費を除けば子どもの養育・教育費と住居費だ。日本では戦後復興期や高度経済成長期から現在に至るまで、大部分はその費用を年功賃金という個々人の賃金から賄っていた。いまでは3人に一人が非正規労働者で、年功賃金が適用されていない。が、正社員の多くは実質的には未だ年功賃金のもとで生活している。
その年功賃金は、団塊の世代が高賃金の中高年齢にさしかかった90年代には、総額人件費の削減という経営側の攻撃に晒されて、年功カーブの引き下げが強行された。が、能力主義賃金とか成果主義賃金の導入だと言われながらも、中高年労働者の大幅な賃金引き下げにはつながらなかった。なぜなら子どもの養育費にしても住居費にしても、日本では微々なものでしかない公的支援では賄いきれない。結局はライフサイクルに沿って上昇カーブを描く個々人の年功賃金のなかから賄わなければならなかったからだ。成果主義賃金だといわれながらも実質的な年功賃金が崩れなかったのは、そういう事情が大きかった。だから経営者側は非正規労働者への転換を推し進めてきたわけだ。
その養育費と住居費を賃金の外側に移す。それが出来れば若い人も独り者も世帯持ちも同じ賃金で生活できるようになる。いわゆる同一労働・同一賃金だ。そうした賃金制度は労働者仲間がよりよい処遇を求めて競争し合うことから解放される。また年功賃金で転職で大きな不利を余儀なくされるが故に個々の企業にしがみつかざるを得ない“会社人間”からも解放される。何より労働者は共通の要求のもとに団結できる。そうした力を背景に様々な要求の実現を勝ち取ることも可能になる。養育費と住居費を賃金の外に移してそれを社会化すること、そのことが均等待遇の基盤、インフラになるわけだ。これなくして均等待遇の実現は不可能といっても良い。以下、住居費は脇に置いて、養育費について考えてみたい。
■負担は企業で■
子ども手当を労働者の均等待遇の基盤に位置づける。そのことだけを考えれば、民主党の子ども手当もそれに近づく一歩として評価できるだろう。そこで問題になるのは、それを誰が負担するのか、またそれを誰が管理・支給するのか、だ。
子ども手当の負担は原則として企業が負担すべきである。といっても自営業者の子どももいるので、政府の負担(税金)も必要だろう。
いま個々の企業は子ども手当に該当する扶養手当などは徐々に縮小する傾向にある。理由は、扶養家族がいてもいなくても労働者の生産性、会社への貢献は変わりがない、同じ賃金なら扶養家族のいない労働者を雇う、というものだ。扶養家族のいない労働者が多い企業との競争に不利だ、ともいう。
しかし企業は労働者があって初めて経営が成り立つ。それは現役の労働者だけでなくその再生産も欠かせない。未来の労働者、すなわち子どもを生み、育てることにも責任がある。企業の社会的責任だ。
自分の会社の労働者に子ども手当を支給するのは不利だが、次世代の労働者の供給も不可欠だ、というなら、自分の会社の労働者に扶養手当を支給するのではなく、社会的な必要経費としてすべての企業に雇用している労働者の人数分の扶養手当を拠出させるべきである。
いま雇用労働者が6000万人とすると、労働者一人に付き毎月1万円の扶養手当を拠出させるとすると、月に6000億円、年間7・2兆円だ。1700万人の子ども一人あたり月に約3万5千円、年間約42万円となる。
企業拠出を月1・5万円に引き上げれば、子ども一人に付き5万円以上になる。最低でもでもこれぐらいは必要だろう。
現状でも企業は子育て支援に扶養手当を負担している。企業は法人税が高いと騒いでいるが、じつは企業の社会保障負担率は西欧に比べてかなり低い。それを引き上げるのは企業の社会的責任でもある。鳩山政権は、子ども手当の財源を企業にも負担してもらうことも検討しているという。大賛成だ。むしろ当初は政府と折半でも良い。が、いずれすべて原則企業負担とすべきだろう。
次は運営機関の問題だ。簡単に言うと、厚労省や民主党が検討するとしている「子ども家庭省」など国の機関ではなく、「子ども養育基金」などとして政府から独立した機関とすべきだろう。そしてその運営は政府と経営者代表、それに労働者代表を加える必要がある。政府は軌道に乗った段階で手を引くべきだ。官ではなく民、可能な限り労使の自立した機関とすべきだからだ。
■政策と主体■
かつて公明党が児童手当の拡充を掲げて自民党にのませたという経緯がある。私としてはその場面では児童手当の拡充は評価すると言ってきた。ただし公明党の主張も自党の支持者に子育て世代が多いという理由での選挙対策という動機が見え隠れし、それについては批判してきた。民主党の子ども手当についても同じことがいえる。何よりもどういう社会をめざすのか、そのためにどのように制度を変えていくのか、その段取りはどうするのか、という未来像の展望やそれを実現する戦略と結びついていない、というところに最大の欠陥がある。
民主党のマニフェストは個別の政策が選挙の目玉として羅列している性格が強いもので、子ども手当もそうだ。現在の少子化問題は、結局は不安定雇用、長い労働時間、手薄な子育て支援策等によるところが大きい。要は不安なくして働いていける社会づくりがキーポイントなのだ。そうした社会は結局は労働者の団結した闘いなくして創れない。政策プランとそれを実現する主体づくりは表裏一体のものとして構想していく必要がある。単なる大盤振る舞いではなく、その政策を実現できる労働者の闘いを拡大していけるような基盤づくりとして位置づけた子ども手当の実現をめざしたい。(廣)
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玄海原発と上関原発
九州電力玄海原発3号炉のプルサーマル実施、中国電力上関原発建設が風雲急を告げている。日本国内における初のプルサーマルと原発の新規立地、どちらも閉塞した原発推進に突破口を開こうとするものだ。本紙前号「コラムの窓」でも触れているが、大きな動きがあったので続報を行いたい。
10月19日の佐賀新聞がMOX燃料装てん完了≠報じている。
「九州電力は18日、東松浦郡玄海町の玄海原子力発電所3号機(加圧水型軽水炉、出力118万キロワット)のプルサーマルで使用するプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料装てん作業が終わったと発表した」「今後は原子力安全・保安院が使用前検査を行い、19日に燃料の配置が正しいかを確認する。その後、制御棒の利き具合などを点検した後、11月上旬から発電を再開。段階的に出力を上げ、12月上旬にも通常運転に復帰し、国内初のプルサーマルが始まる」
プルサーマルは燃料費が高くて経済性がないうえに、核暴走事故等の危険性が普通の原子炉に比べて高い。経済性がなく危険なプルサーマル計画が止まらないのは何故か、一般会計やエネルギー対策特別会計からの潤沢な資金がそれを支えているからである。佐賀県や地元自治体がその危険性を顧みずに受け入れるのも、電源立地対策という買収費≠ェ転がり込むからである。
遡って10月8日の中国新聞は、中電、海面埋め立て着手≠報じている。
「山口県上関町への原発建設計画で中国電力は7日、反対派の阻止行動で延期を繰り返していた海面埋め立て工事に着手した。工事区域を示すブイ2基を建設予定地沖に設置。反対派がブイの積み出しを阻んでいた山口県平生町の田名埠頭とは別の場所から運び、予定より27日遅れとなった」
ことの経緯を、祝島 原発を拒否する人々≠ニいう特集を組んだ「DAYS JAPAN」11月号は次のように伝えている。
「阻止行動が始まってひと月近くがたち、季節はすっかり秋へと変わった。台風18号が山口県に近づいていた。風が強まり波が高くなる中、祝島漁船は島へ帰り、シーカヤックの陸に上がった。その日中国電力は、別の場所から別のブイ2基を予定地の海に運び、設置した。祝島の人たちの目をあざむきながらの埋め立て工事の着工だった」
山口県による「埋め立て許可」期限が切れる10月21日が迫るなか、中電によるなりふりかまわぬ着工≠フ既成事実作づくだった。上関原発は出力137万3000キロワットの改良型沸騰水型炉2基を、33ヘクタール(14ヘクタールは海面埋め立てて確保)の敷地建設する計画。その沖4キロに祝島があり、他の漁協が中電と125億円の漁業補償契約を結ぶなか、祝島漁協は保証金を一切受け取ることなく原発建設反対の先頭に立っている。
政権が代わっても、こうした国策としての原発推進・核燃料サイクル推進は止まらないのか。いや、その実態は破綻を取り繕い、危険な綱渡りを行なうものである。大事故で止まるのか、われわれの運動によって止めることができるのか≠サれこそ運命の分かれ道である。明らかなことは、止めなければ未来はないということである。
特集を組み渾身の報告を行なっている「DAYS」を、ぜひ読んでいただきたい。ついでに、1枚の写真が国家を動かすこともある≠ニ宣言するこのフォトジャーナリズム月刊誌を存続させるために、今なら1000円割引の定期購読行なってください。(晴)
色鉛筆 新型インフルエンザ騒動
新型インフルエンザの感染が拡大している。『7月上旬以降の累積患者数は約317万人と推計されている。約5千カ所の定点医療機関からの報告では、18日までの1週間に1医療機関が診察したインフル患者は、全国平均で17・65人=表参照』(09/10/24朝日新聞)実はこの報告の中に私が働いている保育園の子ども達も入っていて、10月中旬、私の職場でも新型インフルエンザ騒動が起こった。
他の保育園でも9月頃から新型インフルエンザが流行し、保護者に登園の自粛をお願いするところもあって「大変だね」と他人事だった。ところが突然、幼児クラスの子ども達が次々に感染していく現実に直面して、私達保育士も感染力の強さに驚き、自分も感染するのではないかと不安になり今まで以上に手洗い・うがいをして、保育士全員がマスクをするような異常な雰囲気になっていってしまった。その中で、私は2〜3日前から風邪気味で咳・鼻水がひどい時だった。すると同僚達から「咳出るね」「声おかしいね」「インフルエンザ大丈夫?」と、私をまるでばい菌でも見るような雰囲気を感じて落ち込んでしまい、仕事先から家に帰るまで「インフルエンザにかかっているかもしれない、自分のクラスの子どもにうつっていたらどうしよう」と考えこんで病人になってしまった。ところが家に帰り娘にいきさつを話すと「今までインフルエンザにかかったことがないでしょう。母がうつるわけがないよワッハハハ」と笑われてしまい、「そうだ、丈夫なだけが取り得な私だよ」と気がついて我に返ることができた。「病は気から」ということわざがこの時ほど強く感じたことはなかった。
今こうしたインフル騒動はどこの職場でも起こっているのではないだろうか。私の友人もつれ合いの職場で新型インフルエンザが流行しているので、上司に報告するといろいろ聞かれ「あなたは大丈夫?」という目で見られてしまい嫌な気持ちだったことを話してくれた。私は今回の経験で、いつ自分もうつるかもしれない恐怖心から危険な人を排除しようとして差別的な目で見てしまうのではないだろうかと考え、様々な差別問題と共通しているように思えた。問題が起きた異常な雰囲気の中で平常心ではいられない怖さを感じた。保育園ではこれ以上感染を拡大しない為に、保護者に5日間の登園自粛のお願いをして、約70%の子ども達が欠席し今のところ感染は広がっていない。
そして、19日から新型インフルエンザワクチンの接種が始まったが、私はワクチンが本当に安全なのか疑問を感じている。というのも18年ほど前、私は仲間達と一緒に「季節性のインフルエンザワクチンの集団義務接種を中止するよう」市に訴える運動を起こし、予防接種について学ぼうといろいろな集会や学習会に参加した。その中で安全性、必要性、有効性がはっきりわからない予防接種をするより、自然感染をして免疫をつけたほうがいいことを学び、「朝、元気だった子どもが予防接種をして脳性マヒになってしまった。私達親が注意していればこんなことにならなかった」と涙ながらに訴える被害者の方々に出会った。
また当時、国立公衆衛生院感染症室長だった母利啓子氏が、1970年代にワクチン接種地域と非接種地域の感染状況を比較した「前橋レポート」の調査にかかわり、ワクチンの無効性と副作用の危険性を明らかにした報告を聞いた時はとても感銘したことを覚えている。その母利啓子氏が先月、新型インフルエンザ市民対策会議を立ち上げ、接種に慎重を期すよう、厚生労働省に求めた事が書かれた記事を見つけ(09/10/10朝日新聞)懐かしさと共に主張する内容には説得力があって納得してしまった。「健康な人ならば、新型インフルエンザにかかっても死ぬことはまずない。かえって強力な免疫ができる。効果が証明されていないにもかかわらず、重い副反応が出やすい妊婦や幼児にまでワクチンを勧める厚労省の方針に危機感を覚える。7千万人への接種は、大規模な人体実験に等しい。被害者の悲劇を繰り返さない為にも、不要なワクチン接種といたずらな勧奨をしないことと、接種後の副反応調査、幅広い被害補償を、国に求めたい(抜粋)」と書かれていた。さらに、「世界のタミフルの70%は日本人が買わされてきた。インフルエンザはドル箱。海外大手が日本の市場を狙っている。この騒動に乗せられないよう、国民全体が考え直してほしい」(週間金曜日09/10/16)と訴えている。まったくそのとおりで今までも予防接種を推進しているのは製薬会社が儲ける為で、医師と製薬会社が癒着して『病気になると大変なことになる』という宣伝をしてきたのだ。こうした真実を周りの人たちに訴えていきたいと思う。
新型インフルエンザの感染はまだ続くだろうが、流行しても怖がらないで周りの人たちに優しさを忘れないようにして、もし発病しても病気とじっくり付き合って充分な休養を取ることにしよう。 池田恵美子
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反戦通信26 「沖縄県民の願いは県外移設である」
沖縄の米軍普天間飛行場移設問題で鳩山民主党政権はぶれている。首相や閣僚の発言が二転三転し、結論の先送り発言ばかりが目立つ。
鳩山首相の最悪の発言は、「結論を、来年1月に予定されている名護市長選と11月に予定されている県知事選の中間である来夏くらいに出したい」との内容。
この極楽とんぼな発言に、辺野古新基地建設の推進派と反対派の両方から大バッシングを食らった。
鳩山新政権のぶれを見越して、米国防総省は地元の仲井真県知事や島袋名護市長が要求していた「50メートル沖合修正の容認」を示唆をした。ぶれる民主党政権に揺さぶりをかけたと言える。
反対派からすれば、普天間飛行場の県外、国外移設は民主党がマニフェスト(公約)で掲げた方針であり、その方針を信じて衆議院選挙において民主党を支持したのである。
それを、「名護市長選の結果を見てから、結論を出したい」との発言は、「政府として責任ある結論を出さないで、また地元の市長選に押し付けるのか。もう一度名護市民に踏み絵をさせるのか」との不満を噴出させた。
11月8日(日)の県民大会実行委員会の共同代表を引き受けた翁長那覇市長は、その事を次のように述べている。
「わたしたちには普天間の危険削除が一番にあって、辺野古に至る経緯で苦渋の選択をしてきた。県連や知事、名護市長にとって、鳩山政権が何の方針も示さない中で大会に参加するのは、県民に対する無責任さであると思う。ただ、これ以上僕らに苦渋の決断をさせないでくれということがある。基地負担の軽減は政府が責任を持って判断すべきである。何より市民や県民同士をいがみ合わせた結論の中で判断するというのは、沖縄問題を知らなすぎる。県外移設で県民の心を一つにしていきたい」と。これが沖縄の声である。
これまで、新基地建設を押し付けられた辺野古及び名護市民は基地建設賛成・反対の「市民投票」や賛成派・反対派候補の泥沼の闘いになった「市長選」において、地域や親戚・家族同士が対立・分裂するような運動を何度も押し付けられてきた
この地元沖縄の苦悩を、民主党政権は何も分かっていないし、多くの本土の人たちも分かっていない。
10月23日には、岡田首相は「県外移転は考えられない状況だ。これまでの県外、国外移転の方針を撤回し、県外移設を検討する。具体的には、嘉手納統合案を検討する」と述べた。
この外相発言に対して、沖縄県民からは「裏切られた」「嘉手納統合案は基地のたらい回しだ」「県民の望みをねじ曲げている」「民主党がこれだけぶれたら、民主党への期待は吹っ飛ぶ」等々、怒りの声や批判・動揺が満ちあふれている。
こうした状況下、沖縄は11月8日(日)、宜野湾において『辺野古への新基地建設と県内移設に反対する11.8県民集会』を開催する。
沖縄へ米軍基地の75%を押し付けている本土の私たちこそが、この沖縄の立場・苦悩を理解し、沖縄を支援する闘い・行動を起こすべきである。(富田英司)
自由に表現するジャーナリストの権利(下) 09年9月のアイランド紙より
※「ブレイスガードル事件」の続き
5月5日ゴール・フェイス・グリーンでのLSSPの大集会、それはSWRDバンダラナイケ、D・Mラジャパクシャなどを筆頭に多くの党のリーダー達の演説を受けた。夕暮れの直後、ブレイスガードルが劇的、センセーショナルに登場した。そして50000の群衆は熱狂的に歓迎し、シンハラ語のインターナショナルを歌って幕を閉じた。
警察は当然ブレイスガードルを、まだ有効な追放命令を効果あらしめるため彼を拘留した。LSSPはただちに裁判所出頭命令を要求して、事件は裁判長サー・シドニー・アブラハム、裁判官マーティンズとソァーツのいる最高裁判所に送られた。これらの裁判官はそれぞれ3つの判決で一致して追放命令は違法であり、ブレイスガードルは釈放されなければならないことを決した。
彼らは議会の命令下にある知事の権力は、緊急事態にそうよう第一次大戦下で判定されたものである。ブレイスガードルの追放命令が出された時には、この緊急性は存在しなかった。それがまだ取り消されていないというのは、その権力を知事が行使するための弁解理由とはならない。
ソァーツ裁判官はその判決の中で「明らかに、議会のこの命令はそれらが取り消されていないという意味で有効であるが、それらの有効性が機能する状況が存在しない中では、適用されえないし、効力を持たない。これらの状況は二重のもの、すなわち植民地の保安と緊急時である。今のこのケースでは知事は追放命令を出すことが公共の利益にとって必要であるという認識によって命令を出した。」
裁判官は続けて「謹んで述べさせてもらえば、それは不十分である。なぜなら、もし公共の利益と植民地の保安という文言をまさに同じものとして考えるならば、このうちの必要条件の一つしか満たされていないからである。私の同席裁判官マーティンズが指摘したように、請願者の申し立て、すなわち 議会の命令に意図されたような緊急性は起きていない。というのは整合性がある。したがって、これらの権力の法的執行の第2の条件は全く不在である。」
「法律の規定は優先されなければならない。」
テロリズム防止法は1979年JRジャワルデナ政府によって、表向き差し迫るテロリズムの恐れに対処するものとして制定された。我々はそれが誤用されたことを知っている。 北部、東部で多くのタミールの青年が超法規的に殺されただけでなく、南部で合法的反対者を抑圧するために使われた。それは事実、テロリズムの恐れを増大させる役割を果たしただけだった。ブレイスガードルのケースで引用した議会命令のように、それは30年間取り消されぬままにあり、歴代政府はその条項を誤用した。
アムネスティ・インターナショナルの声明によれば「テイツサナヤガムと彼の同僚被告はPTA(テロ防止法)とER(緊急事態法)違反のかどで2008年8月起訴された。
PTAは事実上2002年2月政府軍とタミールの休戦協定後停止されていた。テイツサナヤガムが2006年に書いた記事と彼の活動を起訴する中で、PTAが遡及して適用された。」
最近のデニヤヤ警察による3人の「ランカ」のジャーナリスト、シャリカ・ウィマラセーナ、ダネヤツタスインハ、そしてラヴインダ・プシュパクマラの逮捕は党派的政治目的のために、警察が誤用したもう一つの例である。
この3人のジャーナリストは私有地に入ったという罪であったかもしれない。しかし彼らは、調査報道任務に就いており、彼らがテロリストやいかなる暴力活動にも関わっていないことは疑問の余地がない。
なんらかの不正を暴く事は、調査報道家が公共の利益をめざしたものである。これらの暴露は全く合法的なものであり公明正大なものである。これを読む大衆は正邪を見分けるのに十分な知性を持っている。今我々が広範囲のニュースや見解を提供出来る沢山の週刊紙、ウエブサイトをもっていることは良いことである。しかし国有、私有の主だったメディアが事実上神聖な、如何なる圧力にも屈しないニュースやコメントを大衆に提供することが望まれている。 (スリランカ在住 K・M訳)
コラムの窓 鳩山政権に突きつけるもの
失業者数360万人、失業率5.5%(09/8月)。不況の悪化は依然と続く中で鳩山政権は「友愛」を掲げ、民主党の政権政策マニフェストにも掲げている「国民の生活が第一」「コンクリートではなく、人間を大事にする政治」を行うことを主張している。
雇用や経済に対する民主党のマニフェストでは
○中小企業向けの減税を実施する
○中小企業憲章の制定など、中小企業を総合的に支援する
○月額10万円の手当つき職業訓練制度により、求職者を支援する
○雇用保険を全ての労働者に適用する
○製造現場への派遣を原則禁止するなど、派遣労働者の雇用の安定を図る
○最低賃金を引き上げる
○ワークライフバランスと均等待遇を実現する
○地球温暖化対策を強力に推進する
○全量買い取り方式の固定価格買取制度を導入する
○環境に優しく、質の高い住宅の普及を促進する
○環境分野などの技術革新で世界をリードする
○エネルギーの安定供給体制を確立する。 等であり、自民党政権下の建設や重化学工業を中心とした大企業優先の政策から中小企業や失業者・派遣労働者への支援、地球温暖化対策を推進し、新産業育成政策に政策転換を図っていく方向である。
自民党の歴史的敗北と鳩山政権が誕生した背景には、利潤追求の為に労働者大衆を犠牲にし生産を拡大する独占資本とその大企業を優先した政策が国家財政を疲弊させ、世界的な規模での金融恐慌や過剰生産恐慌が起こり、貧富の格差拡大と人民大衆の生活環境の悪化から自民党政権下の大企業優先や官僚政治に反発した民意が「自民党よりマシな」民主党を選んだからである。
自民から民主中心の鳩山政権に政権は変わったが大企業を中心とした経済構造は変わってはいない。すなわち利潤追求の為には労働者大衆を犠牲にする資本主義的経済構造は変わってはいない。民主党にはかって自民党にいた人も多く、決してこの構造を変革しようと思っている人はいない。しかもマニフェストに唱われている公約は、ばらまき先が違うだけでばらまきという点では自民党と同じであり、手当や訓練は一時的なもので派遣法改正や均等待遇・最低賃金などは企業側からの反発もあり、新産業育成政策は具体性がなく短期的には実現が難しい課題ばかりである。
我々がなすべきことは民主党の「人間を大事にする政治」以上に大企業優先の政策から労働者大衆優先の政策・要求を大胆に提起して活動をしていくことである。(光)
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参議院補欠選挙に思う
十月二十五日に投票日だった参議院補欠選挙があった神奈川県と静岡県でともに民主党が勝利しました。これで参議院でも民主党は単独過半数でも、1議席に決まりました。
これらの選挙で特徴的なことは、投票率が神奈川県では28・67%、静岡県では35・64%、と8月末の衆議院総選挙の投票率を約30%近く落としたのにもかかわらず、なんと民主党が勝利したことです。
従来は投票率が低ければ、自民党の勝利が間違いないことでした。森元総理が「有権者には寝ていてもらいたい」といったことは余りにも有名なことでありました。
この結果で自公民関係者には衝撃が走っているとの情報があります。まさにこの事は真実でしょう。今まさに想像もつかない現実がまさに展開されているのです。
それは、8月末の自公民の大敗北に各支持者が立ち直れないばかりでなく、投票にも行けない状態にあることが暴露されてしまいました。
利権政党の自民党の立ち直りは、大変な困難が伴うとの私の指摘は、これらの二つの選挙によって証明されたと言えます。
そういえば、都連で都議選の敗北の責任を取って、会長である石原伸晃氏は、辞任したのですが、ただちに会長に再委任されました。これに対して、マダム・スシ事小池百合子氏が「若い人にやらせたら」と異議を唱えたことに石原氏は、激怒して机を叩いたと関係者に暴露されていたのです。当事者同士は余りのばつの悪さにしらを切っていますが。
まさに東京オリンピック招致に150億円使っても、「都財政から見れば痛くもかゆくもない」と放言した石原都知事の息子だけのことはあります。要するに彼らは二人とも恥を知らないのです。
しかし自公民の地盤は確実に崩れてきています。さらに「水に落ちた犬」である彼ら二人をしっかりと石で打とうではありませんか。 (稲渕)
CMの力
環境問題は立っている土台、地球がおかしくなるんだから誰しも関心はあり、想像すれば恐ろしくもあっても、どうしていいかわからない。漠然とした知識や対策は、てっとり早くTVのCMから仕入れる。勉強会や集会などに出たこともない私どもであってみれば、それ以上のことは知るべくもない。
CMは企業のための広告であって、自社に不利な広告はやらないだろう。視聴者は不利な広告も見て、公正な判断をしたいもの。原発のCMでも、企業からの視線だけの広告を見せられると原発が目前に見えない一般の電力消費者は、CO2を出さないという原発のうたい文句にそりゃええじゃないか≠ニいう反応。果たしてそうかと疑ってみる材料もない。
個々人の日常生活のなかでは、己れにふりかかる問題と感じられない問題については注意がむかない。ここに日常性の中で原発などの問題に注目し、考えてみることの難しさはあるが・・・。
災害なり何なり自分の身にふりかからない限り、私ども住民は動き出しにくいのだろうか。知ればどんなに深刻な事柄であっても、そこまで考えられない、誰しも自分たちの生活を考えるだけで、精一杯というのが実状のようだ。
例えば原発について、余りの不感症に、議事堂の前に原発作ったらどうや? という笑うに笑えない話が、かつてあった。それはともかく一般の広範な人々は、原発についても、あいまいな知識しかもちあわせていないようだ。関心のあるものは入試とか目前にあるもの。だから何を取り上げるかが問題となろう(「リーダーは半歩前を進め」という姜尚中氏の著作は大変興味深かった)。
願わくは原発でも現状を映像化してもらえば、なんぼ我々が鈍感でも考えるよすがとなる。知ることから始まる。六ヵ所村ラプソディー≠ヘ恰好の映画。
北欧のある国のある住民が私は電力の消費者から生産者になった≠ニ胸をはる。ここまで意識が変わるのに10数年を要したという(伊丹空港の待合室で見たTV報道から)。息の長い仕事である。 09・10・25 宮森常子
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編集あれこれ
前号の1面は、『エセ「構造改革」ではなく真の「社会変革」こそ必要だ』と題して、完全失業率が5.7%、今年上半期の自殺者数は1万7076人など現在の困難な状況について述べています。こうした状況に鳩山内閣はどう取り組んでいくのでしょうか?私たち労働者・市民の側も民主党政権に圧力をかけて、少しでも今の状況を改善していきたいです。
2〜4面は、「今めざすべきは当事者主導」と題して民主党政権の政治主導は、行政権の肥大化になると批判しています。当事者主権が重要との主張には、確かにそうだと思います。たとえば私の職場を見てみると、休憩や休息時間や労働時間などはちゃんと決められていますが、実際はそれを超えてタダ働きさせられている状況が多々あります。もちろん使用者側はタダ働きをしろとは言いません。しかし、せざるを得ない状況があります。人出が足りないのです。一番は、人手不足でこうした状況を改善しない使用者側が悪いのです。しかし、そのことに有効に反撃できない労働者側にも問題があります。「権利の上に眠る者は保護しない」という法格言がありますが、この言葉を肝に銘じ何とか今の困難な状況を変えるために尽力していきます。
その他の記事では「コラムの窓」では反核と脱原発が切り離すことができないことを述べていました。
読者のみなさん、多くの投稿や意見をよろしくお願いします。 (河野)