ワーカーズ406号 2009/12/1
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「事業仕分け」は「政治主導」の“見せ場”? 財務省の影ちらつき、防衛費など「聖域」には遠慮
民主党政権が、自らの最大の看板とする「政治主導」の証であるといわんばかりに、「事業仕分け」を押しし進めている。これまでに、独立行政法人の基金、科学技術関連事業、「思いやり予算」を含む防衛省予算などが俎上に載せられた。
「政治主導」に基づく「政策評価」の掛け声は、これまでにも聞かれなかったわけではない。北海道の「時のアセスメント」や三重県の「事務事業目的評価制度」など自治体における政策評価制度が、先触れとなった。国の各府省を対象とする制度としても、2001年に外部の専門家からなる政策評価・独立行政法人評価委員会が組織され、情報も公表されてきた。02年には「行政機関が行う政策の評価に関する法律」も施行されている。
それらと、いま民主党政権の下で行われている「政策評価」との違いは、「公開」の場において、担当職員との議論を通して、「不要」「民間」「国」「都道府県」「市町村」などに切り分けていくという手法にある。NPOの構想日本が、自治体事業を対象に行ってきたやり方を取り入れたわけだ。
この「事業仕分け」という手法は、多くの国民に歓迎され、喝采を浴びているかに見える。テレビカメラでお茶の間に報じられながら行われる仕分け作業は、密室性をまぬかれなかったこれまでのやり方を苦々しく感じていた国民にとって、大いに溜飲を下げる出来事なのだ。もちろん、税金の無駄遣いを戒めるという点で、いくらかの効果を挙げていることも事実だ。
しかし、その成果については、疑問あり、大いに不満ありといわざるを得ない。
第一に挙げなければならないのは、この事業仕分けもやはり「聖域」を置いている点だ。他でもない、防衛省関連の事業のことだ。「聖域化せず」などという報道も一部にあるが、この分野で実際に削減や見直しと判定されたのは、自衛官の増員要求(72億円)、装備品(271億円)や制服などの被服購入費(89億円)、銃器類・弾薬購入費(118億円)、米軍基地従業員給与などにとどまった。防衛予算で最も疑問が多く、ムダではないかとの指摘さえなされたきた、ミサイル迎撃システムPAC3などについては、そもそも「仕分けにはなじまない」「政治に判断してもらわないと分らない」などと言って、最初から取り上げるつもりさえないのだ。
第二に、メディアでも指摘されているように、財務省の思惑と無関係ではないという点だ。もちろん、税金のムダ使いの削減に役立つなら、その援軍をえり好みする必要はない、という言い分もある。そもそも構想日本の創設者は、元大蔵官僚なのだ。
しかし、この一件は、やはり民主党政権の「政治主導」の限界、その見掛け倒しを示している。と同時に、「政治主導」の危うさ、つまり民衆の生活とそこから生まれる民意に基礎を置くという立場に立ちきれず、むしろそれに対置された形での「政治家主導」=大臣・副大臣・政務官主導などの「政治エリート主導」の危険性を予感させるものとなっている。
庶民・勤労者から見れば、財界や資産家を潤わせるバラマキや優遇策、軍隊・警察・官僚組織とそれにたかって私利をむさぼる有象無象の寄生虫的存在こそ、暮らしと国家財政圧迫の元凶だ。しかし民主党の「政治主導」「事業仕分け」も、この本丸には本気で手をつける気配はない。
民主党政権による「事業仕分け」を監視し、民衆の暮らしの要求を突きつけ、資本家国家のムダを徹底的に追及、排除するために闘おう! (阿部治正)
巨額国債は矛盾のたまり場――国債増発は矛盾の付け替え?――
鳩山内閣の事業仕分けに注目が集まっている。公共事業などの予算の無駄を削ることを最大の売りにしてきた民主党。当然の作業でもある。
公開された事業仕分け作業は、自民党時代の密室政治の一部を茶の間に見せることで、庶民の政治への関心を高める効果はあった。が、反面では究極の劇場政治ともいえるものだ。
何より問題は戦略なき財政削減の具体化作業で、ちょっと手順が違うでしょう、とも言いたくなる。(11月27日)
■事業仕分け■
行政刷新会議の事業仕分け<潤[キンググループの活躍が、テレビなどで連日報道されている。公開されている事業仕分けで、これまで続けられてきた事業があっさり廃止∞削減∞見直し≠ネどと仕分けられるのは、確かにおもしろい=B
そのおおざっぱな仕分け≠ノ、あまりに乱暴だ≠ニの声もある。確かにその通りだ。しかし、特定の利害関係者と官僚や族議員が結びついて漫然と続いてきた既得権益に、メスが入れられたのも厳然たる事実だ。しがらみのなさを売りにしてきた鳩山民主党政権。これまで永年の自民党政権のもとで漫然と、あるいは長い年月をかけて網の目のように形成された利害構造に切り込むことは当然の政治的使命でもある。本当に財政の無駄を省くというなら、財政に寄りかかって形成された特定の利害関係者にとって血の出ることも避けられない。それが限られた資源の再配分の意味でもある。
他方で鳩山政権は租税特別措置の見直しにも切り込む。これは国税分で約300項目、地方税分が約200項目、減収額はそれぞれ5兆1千億円、7900億円もある。その最大のものはナフサ減税で減収額は3兆6千億円にもなる。そのうち、2・7兆円を復活させるというものだ。
これらの税制と財政支出の両方を同時に見直すことで、民主党が掲げた初年度7・1兆円、4年後の16・8兆円(租税特別措置や埋蔵金の活用も含む)の財源を工面する、と言うのが民主党のマニフェストだった。
この間、公共事業の見直しでの各省大臣の個人プレーの先行や、仕分け人の人選をめぐるドタバタなども多かった。しかし大きな変革というのは、後世の人が考えるよりもドタバタ劇も案外多いものだ。歴史家などがそれらの歴史的出来事をエッセンスとしてまとめると、なにか理路整然と改革が行われたように感じてしまう。が、歴の転換というのは、案外そうしたものである。
■戦略なき無駄省き■
そうしたドタバタ劇はまだ許せる。また鳩山内閣による国民の生活が第一≠ニいうマニフェストの看板、そのもとでのコンクリートから人へ∞団体から個人へ≠ニいう生活支援の手法についても、その看板自体は一面の理がある。しかしそれを実現する段取り、要は戦略的な構えがなっていない。羅列的なマニフェストの限界がそのまま現れているとしか受け止めることは出来ない。
その理由が政策より政局∞何はともあれ政権交代だ≠ニいう、政権交代至上主義の必然的な結果であることは、これまでも指摘してきた。段取りや戦略の有無は、民主党のマニフェストが本当に実現できるのかに直結するものだからだ。
段取りや戦略がないというのは、10年度のやり直し概算要求が95兆円(実質97兆円超)もの巨額にふくれあがってしまったことに端的に表れている。麻生自民党政権の09年度当初予算88・5兆円からみれば、なんと7兆円(9兆円)もふくれあがったことになる。麻生政権の当初予算に、マニフェストで掲げた政策に実現に必要な7・1兆円を、そのまま上乗せしたかのような数字なのだ。そんなものだったら誰でもできる。しかも、各省からあがってきた概算要求は、民主党の大臣始め、政務三役によって承認されたものだった。これでは政権交代の意味はない。
麻生政権による総額15・4兆円の09年度補正後の財政規模が102兆円規模になっていたのだから、その水準までは問題ない、ということなのだろうか。そうではないだろう。来年の経済状態がどうなっているか、まだ確定していない現在、10年度の当初予算は09年度の当初予算を基本とすべきなのだ。仮に10年度の経済状況を見て、必要なら補正予算を組む、というのが基本的なスタンスのはずだ。現に、鳩山首相は当初、「子ども手当」など7・1兆円の新規事業を含めて09年度の当初予算以下に押さえるように指示していたにもかかわらずだ。
それがあっさり無視されたのは、10年度の概算要求が、これまでの自民党政権と同じように、各省による縦割り構造のまま積み上げられたからだ。
本来であれば、民主党政権、あるいはマニフェストが目指すべき社会像を明確にし、その実現に向けて優先順位が低い事業はばっさりカットする、という手順になったはずだ。仮に荒削りであってもである。
たとえば暮らしのための政治を≠ニいうマニフェストの宣言を最優先するのであれば、限られた財源のなかでは、他の分野の財政支出は大胆にカットする以外にない。あるいは歳出の無駄を省いて財源を捻出するというなら、初年度7・1兆円、4年後の16・8兆円の無駄を省くのが最優先になされるべきだった。それが税財政による限られた資源配分を抜本的に見直す意味でもある。
ところが概算要求の各省積み上げ方式で、95兆円にも膨らんでしまったわけだ。だから事業仕分けによって削減する、ということだろうが、それでは各方面の利害関係者などからの批判を押し切っての削減など不可能だろう。ワーキンググループによる削減も、今後、首相が議長である行政刷新会議で政治判断≠ナ復活≠キるのも出てくるだろう。
■結局は国債依存■
こうした場をくぐり抜けて初年度で7・1兆円というマニフェストの約束を組み込んだ09年度当初予算並みの予算案をつくれればまだいい。その場合でも、来年度の税収は大幅に落ち込む見込みだ。今年度の当初予算で46兆円を見込んでいた税収は、景気の落ち込みなどで35兆円近くまで落ち込むと予想され、また来年度の税収も急回復は望み薄でせいぜい40兆円だと言われている。そうだとすれば税収40兆円に税外収入の9兆円を加えても49兆円しか確保できない。
鳩山首相は10年度の国債発行額を44兆円以下に抑えたいとしている。が、それ自体、大甘なハードルでしかない。何しろ麻生内閣の44兆円という数字自体が史上最高額でとてつもない発行額だからだ。仮にこの大甘な計算でも、95(97)兆円の概算要求を2(4)兆円削減しなければならない。
家計でもそうだが、本来は収入に見合った支出を考えなくてはならないところだ。そう考えれば、税収の落ち込みは一時的なものだとして国債国債発行は前年度並みとしても、少なくとも10年度予算は82兆円ぐらいに抑えなければならない。そうなれば概算要求から13(15)兆円もの圧縮だ。そんなことは鳩山内閣には出来ないし、鳩山内閣としても想定されてもいない。結局はその差額は国債の増発で賄うことになる。あの小泉内閣で国債発行の30兆円枠≠フ議論はどこへ行ってしまったのだろうか。
これは一体どういうことなのだろうか。
小泉政権など自民党歴代内閣は、巨額に膨れあがった国の借金を減らそうとして、プライマリー・バランス(基礎的財政収支の均衡)なる基準を設定してきた。各年度の歳出をその年の税収で賄うことで収支のバランスをはかる、というものだ。その基準で見れば、小泉内閣が編成した02年度予算では64・1%だったものが、麻生政権の09年度当初予算が72・4%だ。そして鳩山内閣の概算要求では、仮に国債発行を44兆円で計算しても110%にもなってしまう。税収額より借金の方が多くなってしまうわけだ。
いくら深刻な不況とはいえ、こうした借金頼りの財政が続くわけはないし、国債価格が下がって長期金利が上昇し、償還費の増大や円高などの副作用も避けられない。
こうした借金頼りの財政構造は、日本の政治・経済構造の基本的な矛盾のなせるところである。
それは、本来であれば1400兆円の個人金融資産などは、投資資金となって経済力を高めるはずのものだ。ところがそれを投資しても国内の需要が伴わない。少子化や相対的に低く抑えられている個人の消費力が伴わないので、結局は国が借金として吸い上げて、それを過大な財政支出に回していると言うことなのだ。政治的にも、収入に見合った歳出では支持基盤や有権者に大盤振る舞いは不可能で、有権者を政権につなぎ止めておくことは出来ない。
こうした経済構造をそのままにしては国の借金構造を変わらないし、輸出頼みの経済構造も変わらない。単純化していえば、国内の個人需要を高めること、端的にいえば労働者の賃金を引き上げることこそ必要なのだ。賃金を引き上げることは、企業の国際競争力にマイナスになるという批判も経済界などでは根強い。確かに輸出は打撃を受けるだろう。しかし、国内の需要は大きくなり、そうした国内需要向けの生産は増える。
こうした構造転換を避け、不況を口実に国の借金を膨らませてきたからこそ、輸出主導の経済構造はいつになっても変わらず、また国の借金依存構造もいつになっても克服出来ないのだ。
民主党は政策より政局∞国民の生活が第一≠ニいうマニフェストで大盤振る舞いを約束した。それらもあって誕生した鳩山政権は、その約束を結局は国債を増発することで果たそうとしている。それが明治維新にも匹敵する政治主導≠ノよる日本の変革なのだろうか?その結果は、12月の政府予算案ではっきりする。(廣)
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コラムの窓 「お荷物な空港!」
前原誠司国土交通相による「羽田空港の国際ハブ化」発言と日本航空の経営破綻、このダブルパンチによって全国の空港関係者は危機感を深めているのではないでしょうか。多くの反対の声を無視して開港した静岡空港などはどうなるんだろう、「もう廃港か」などと言ったら言いすぎでしょうか。
日航が撤退を決めた神戸空港もまた、同じような運命にあるのです。地元紙「神戸新聞」(11月15日)なども、乱気流の関西3空港∞羽田ハブ化・日航経営難 揺れる航空行政≠ニして、橋下大阪府知事の伊丹(大阪空港)廃止の主張に対する井戸兵庫県知事の関空の廃止論の応酬、関西経済同友会山中代表幹事の「伊丹の機能を縮小しながら、神戸を廃止するのがベターなシナリオだ」など、その混迷ぶりを伝えています。
いずれにしても間違いないことは3空港が並び立たないこと、静岡と同じく反対の声を無視して開港してしまった神戸空港の約束された破綻がもう表面化してしまっているのです。1兆円の有利子負債を抱える関空、空港島造成費用の市債返済を最高20年先送りした神戸市、どちらも債務の泥沼に足を取られ自力での脱出は望めないようです。とりわけ、「利用客の4割を占める日航が撤退すれば利用客の激減は必至で、市や地元財界の受け止めは深刻だ」(同紙)
神戸市は神戸空港建設にあたって、造成した空港島の用地売却益で借金を返済するので市税を投入することはない、と市民に説明してきました。しかし、割高な土地はほとんど売れず、5割引での投売りになっているということです。319万人とした当初の需要予測は実現できるはずもなく、2008年度の利用客は約258万人。それが更に激減とあっては、1982億円もの造成費用も返せるはずがありません。
搭乗率は高いのに何故撤退かと日航を恨む声もあるようですが、新幹線との競合で運賃ダンピングを行なっているので、搭乗率が高くても利益にならないようです。かわりに、スカイマークが拠点空港として利用するとしても、綱渡りのような運行を行なって会社では頼りになりません。本物の頼りの綱、神戸市株式会社を象徴する「新都市整備事業会計」も、08年度末の現金預金1927億円に対して起債総額が3692億円もあり、ここ3年間の借金返済で資金が枯渇し、このまま土地が売れなければ破綻だということです。
まさに3空港共倒れ≠ニもいうべき事態のなかで、11月16日の事業仕分けによって関空会社への補給金160億円凍結の判定が行なわれました。前原国交相も17日、経営改善の抜本策ができるまで補給金は凍結という「指摘は極めて正しい。補給金を入れていくのは問題の先送り。延命措置にほかならない」(18日「神戸新聞」)と述べています。
かつて、一県一空港≠ネどというおぞましいスローガンがありましたが、知事の功名心や土建資本と地方議会議員の共通利害がお荷物な空港を出現させ、その結果がこうした事態を招いているのです。同じような構図は、同じく事業仕分けで予算削減という結論になった「港湾整備事業・直轄事業」や「水産基盤整備事業」にも見られます。それぞれ、1262億円と1015億円の予算の10%削減ということですが、必要もない港湾整備や漁港整備に多額の国費投入、10%削減ではまだ生ぬるいのではないでしょうか。それにしても、結末が見えている無駄な空港や港湾、その他数多のコンクリート構造物を出現させた責任を、誰が取るのでしょう。 (晴)
2009.12.1.読者からの手紙
普天間問題についての国際世論は米国の対応を「ばかげている」と批判
日本のマスコミは、普天間基地問題などについて、日米同盟関係に軋みが生じると観点から鳩山政権に対する批判を強めてきました。その手口は鳩山総理と岡田外相との発言の違いをあげつらい声高に際だった違いだと騒ぎ立てるものです。しかしここで核心である日米同盟の悪化については、すべて日本のマスコミの観測記事にしか過ぎません。
現に10月訪日したゲーツ米国防長官が、同問題を11月の日米首脳会談までに決着するよう「恫喝」しましたが、注目すべきはブッシュに代わって今期誕生したオバマ政権は、ブッシュ前政権がチェコやポーランド両政府と約束してきた東欧でのミサイル防衛(MD)配備計画を撤回したことでしょう。
政権が代われば政策が代わり、前政権での約束が反故になることなど議会制民主政体の国では誰にでも想像がつくしかるべき展開なのです。選挙権を持つ有権者から選ばれた代表が一国の政治を動かしていくことを私たちは忘れるべきではありません。その意味では議会制民主政体のなんたるかを全く理解していない日本のマスコミの見識が疑われて当然です。彼らは、選挙で示された民意を無視して、一体誰の意見を代弁しているのでしょうか。
こんな喧噪の中の11月12日、ブッシュへの追随が世界の物笑いの種になり、「ブッシュのプードル」と渾名された総理をいただく英国はロスチャイルド系の「フィナンシャル・タイムズ」は、沖縄県の米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題が日米間で焦点化されつつある現状について、「沖縄をめぐる過剰反応」と題した「社説」において、普天間基地に代わる新基地建設を押し付ける米側の姿勢を論評しました。
同紙は、新たな日本の政権が徹底的に政策を見直すことを「ごく自然なことだ」と指摘した上で、前政権が結んだ合意は、侵すことができないという主張についても、オバマ政権自身がブッシュ政権時代の東欧のミサイル防衛基地配備計画を見直したことを例にあげて、「説得力がない」と米側の反応は行き過ぎで、「ばかげている」と明確に批判してみせ、その上で、日本に圧力を続けることは、逆に「ワシントンが回避しようとしている事態を作り出す危険がある」とさえ警告したのです。
同紙によれば、民主党に時間を与えれば普天間問題での実際的な妥協点を見出せるのだから、オバマ大統領は「時間を与えるべきだ」と強調したのです。また政府よりとして知られている米国のワシントンポスト紙も、オバマ大統領訪日に関し「日本に説教するやり方は終わりにしなければならない」と指摘して、すでに訪問したゲーツ国防長官の態度や発言が「多くの日本国民に衝撃を与えた」と分析した上で、一度の会見や圧力で、問題が解決するような時代ではないと論評していました。
まさにこれが私たちが傾聴すべき国政世論というものでしょう。日本のマスコミは自らの不見識を恥じるべきなのです。
しかし衆議院では防衛族の石破議員が、参議院では、自民党の川口議員(元外相)が、自公政権下で対米関係の基本作法を身につけた立場から、それぞれの意見を得意然として解説した上で、鳩山政権の「ものの言い方に不安を感じる」などと批評し、県外への民意を一切無視して、「辺野古沖への新基地建設が唯一の選択だ」と鳩山総理に説教する醜態を恥も外聞もなく演じ続けています。彼らは一体どこの国の議員なのでしょうか。
選挙で示された自公民の歴史的敗北の民意を理解できない議員たちが、日本を代表して一国の防衛と外交を担っていたというのですから驚かされるではありませんか。
政権交代の本質を全く理解できない日本のマスコミの報道には、鋭い問題意識を持って接していかなければならないと考えている今日この頃です。 (稲渕)
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ビート・たけし氏の笑いの立脚点
昨今、求められている笑い=Bビート・たけし氏のめざす笑いは一風変わっている。例えば、名も金もない多くの私どもの1人が、バナナの皮を踏んで転んでもちっともおかしくないが、数少ないえらい人々の1人がバナナの皮で転んだらおかしい。転ぶ役をするために、自分はもっともっと偉くなりたいと言う。
思えば、古来からやんごとなき人が、われわれと全く同じことをやる。それに尾ひれをつけておかしさを倍にもして笑ったこともあった。われわれの生活に深く足を突っ込んで立つ世界のビート・たけし氏が、どんな笑いを作出してくれるか、今から楽しみにしている。 09・11・13 宮森常子
〔附記〕
ビート・たけし氏の想う笑いは平安の昔にもあったようだ。例えば、「平中物語」の平中の恋。宮廷の女性に恋してふられた平中は悔しくて、何とか鼻をあかしてやりたいから、その女官のウンコを見てやろうと企てた。苦労して手に入れた引き出し式のウンコ入れを開けてみると、何とお香が入っていてギャフン、という話など。もっともこのお話は女官の株をさらに上げた結末であったが・・・。
正社員と非正規との賃金格差の是正を!
私は、現在郵便事業会社で働いています。今は年末繁忙前ですが、慢性的な人手不足のため仕事はきついです。今年の年賀葉書の各人に対する売り上げ目標は1人6000枚です。到底達成できるはずがありません。それでも、課長は毎日のミーティングで年賀葉書を売り上げを伸ばせと激を飛ばしています。年賀を出す人は毎年減っているのです。結局、不必要な分まで年賀を買ってチケットショップに売っているケースもあります。
郵便職場では、多くの非正規労働者が働いています。年収200万円にも満たない人たちが多く働いています。正社員と非正規の人たちの賃金格差は是正しなければなりません。その結果として、私たち正社員の賃金が下がるかもしれませんがそれでも今の賃金格差は是正しないと、本当の意味での正社員と非正規の人たちとの連帯は生まれないと思います。(
K)
色鉛筆 ドキュメンタリー映画「ご縁玉」
終始重厚なチェロの音色が響いていて、それがとても心地よい。
人生最期の旅先にパリを選んだ山田泉さん(元養護教諭)は、そこでベトナム孤児としてフランスで育ったチェリスト、エリック・マリア・クテュリエに出会う。別れ際「ご縁がありますように」と山田さんから手渡された五円玉を持って、三ヶ月後エリックは本当に山田さんの住む大分に、大きなチェロを携えてやってくる。
山田さんの癌の痛みが少しでも和らぐようにと、毎日チェロでセラピーを行い、そして山田さんに連なる家族や友人、ホスピスの人々、また児童養護施設の子ども達を訪ね、チェロを演奏し交流を深めてゆく姿が描かれている。車いすやベッドで、酸素チューブをつけたホスピスの患者さんたちが、演奏後「生きよう」「がんばろう」と言いながら涙を流し続けている姿が強く印象に残る。大晦日には、親に会えず児童養護施設で年を越す子ども達のために、再びそこを訪れ思いっきり大騒ぎをする。子ども達ひとりひとりにチェロを「演奏」させ、びっくりする様な音色に大笑いをし、エリックの長い髪を、子どもがバリカンで刈り上げて坊主頭に仕上げてはしゃいでいる。1972年にベトナムで生まれ、孤児だった彼の過去と、この子供達とが重なり合う。ご縁だ。映画の完成のすぐ後、山田泉さんは逝った。
映画は、末期がんの山田泉さんとのやがて訪れるを別れを、誰もが心の中に抱えながらも、不思議な明るさと温かさとユーモアさえも伝わってくる。「山ちゃん」と呼ばれ親しまれた彼女の人柄そのものが現れているからなのだろう。
08年11月に49歳で乳がんのため亡くなった山田泉さんは、大分県の小中学校の養護教諭として、性教育、人権、平和、障害者の支援に長い間取り組んだ。病後復帰した02年、生徒達の口から軽々しく出る「死ね」「殺せ」の言葉におののいた山田さんは、ある女子生徒に「ここにはおれん」と泣いたと言う。その女子生徒に「自分の命も人の命も大事と感じられる授業をしにきちょくれ」と励まされ、自らの体験を語る「命の授業」を始めそれを最期まで続けたという。それは今の時代には大切な意味を持つ、無くてはならない授業だったのだと思う。(澄)
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編集あれこれ
前号の第1面の県民大会の記事はタイムリーでかつ参加者が書いた臨場感がありいいものでした。今後ともワーカーズは辺野古への新基地建設や県内移設に反対して参ります。
2面3面にはそれに関わる民主党の「決意と戦略」のなさを批判した記事です。民主党の対応には不信すら覚えます。また県民集会の決議文の掲載も貴重なものでしょう。
その他、コラムの窓や「色鉛筆」には、ちょっと気づかされるよい話題提供がありました。これらは他の政治機関誌には珍しいワーカーズの特徴の1つです。今後とも担当者の健筆を期待します。
さらに何といっても紙面充実のため、読者の声を掲載することに力を入れていきたいので、読者の協力をよろしくお願いいたします。
今後民主党の予算編成はどのようなものになるのでしょうか。やはり「事業仕分け」はかけ声で終わってしまった感があるのですが。 (直木 )
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