ワーカーズ407号 2009/12/15   案内へ戻る

普天間基地移転の日米交渉「中断」の真実

 普天間基地移転の日米交渉が「中断」された事に対して、日本のマスコミは「米国は怒っている」「米国を怒らすな」との大宣伝を繰り広げ、民主党の対応を批判している。
 十二月四日の、日頃温厚なルース駐日大使が「顔を真っ赤にして大声を張り上げ、年内決着を先送りにする方針を伝えた日本側に怒りをあらわにした」(産経新聞)との報道は、八日の岡田外相の記者会見ではっきりと否定された。まさに捏造ありの狂態である。
 この間、ローレンス前米国防副長官・アーミテージ元米国務副長官・グリーン元米国家安全保障会議アジア上級部長らが公然と圧力を掛けてきた。しかしオバマ政権ではほとんど影響力のない連中だ。だからこそ日本での舞台回しと声の大きさだけが武器なのだ。
 この十二月八日、「日本が沖縄基地についての協議を中断する」とのワシントンポストの記事が載った。そこでは、鳩山総理は空軍基地は沖縄県外、できれば国外に移転するよう要求した事、オバマが二00六年の合意の履行を求めたのに対して、ワーキンググループが合意の再交渉をする権限がないのなら協議する意味はないといった事が明らかにされた。そして日本の中断に対して米国はノーといった事が記事の眼目である。本当に当惑しているのは、実は米国である。そして先の合意の核心とは、辺野古に基地を造る事ではなく、グアム移転の費用負担である。だからこの点ではまだまだ交渉できるのだ。
 確かに鳩山総理以下、いう事がころころ変わる印象がある。しかしこれは民主党流の交渉の手口であり、既定の方針をはっきりとさせない陽動作戦をしていると私は考える。
 連合政権を守るために米国にノーといった事は実に重たい。注目すべきは対中関係だ。
 田中角栄の愛弟子として親中家でならす小沢幹事長は、六百人を引き連れて訪中している。この行動は、中国側に彼自身に対する求心力を見せつける一方で、普天間基地の移設問題を巡って米国との交渉に苦慮している鳩山総理や岡田外相らを直接に支援するものとなっている。来る沖縄県での選挙情勢とともに交渉の再開時にはチャンスがくるのでは。
 軍事的プレゼンスは第七艦隊で充分だとの小沢の行動は、今回の政権交代の持つ意味を選挙民に知らしめるものとなるだろう。   (直木)


鳩山内閣のドタバタ劇――迷走の震源は羅列公約と現実のギャップ――

 鳩山政権の迷走が止まらない。
 新年度予算案の策定という正念場を前にして、鳩山内閣の足下がおぼつかない。その迷走は、09年度第二次補正予算づくりと新年度予算案づくり、また普天間基地の移設をめぐる日米関係という、いわば経済と外交という政権の存亡に関わる分野で際だっている。
 もとをただせば、民主党マニフェストの羅列的な公約と現実の狭間で呻吟せざるを得ない鳩山内閣の宿命のようなものでもある。私たちとしては、鳩山政権の次を見据えた中長期の見通しを固めながら、鳩山内閣の場当たり的迷走を厳しく追求していきたい。(12月11日)

 ■どこに行った無駄を省く=。

 鳩山首相がいう国債発行の44兆円枠≠ェ揺らいでいる。
 来年度予算編成の基本方針づくりにあたって、平野官房長官は11日、一端は国債発行額の44兆円枠が外されたことを明らかにした。その発言が冷め切らないなか、今度は鳩山首相が44兆円枠を明記するように指示した、と報道された。鳩山首相としては、まだ44兆円枠を簡単にあきらめるつもりはないということのようだが、その具体策らしきものは何も語っていない。一体、政府の方針は、またその意志決定はどうなっているのだろうか、と思わずにはいられない。。
 この44兆円というのは、麻生内閣での09年度当初予算(33兆円)と補正予算(11兆円)で見込まれた発行額だった。鳩山首相は11月の国会でも、また記者会見でも、新年度における発行額を前政権による44兆円という発行額以内に抑えることに最大の努力を傾けると公言していた。
 もともとこの44兆円という枠そのものが、09年度当初予算に補正予算を加えたものだったので、当初から大暖な≠ニか下駄履き≠セと批判されてきたものだった。ところが不況による税収の落ち込みなどで、その思惑もあっけなく棚上げされようとしている。09年度の税収見込みが、当初の46兆円から37兆円と、10兆円近い減収になると見込まれているからだ。しかも10年度も大幅な回復は望めず、せいぜい同水準程度と見込まれている。さらに鳴り物入りでおこなわれた事業仕分け≠ナ節約できるとされたのが埋蔵金を除けば7400億円にとどまり、目の前の予算編成でどれだけ積み上げられるか見通しも立っていない。
 とすると、95(97)兆円にも膨れあがった10年度の概算要求では、58(60)兆円もの歳入不足が見込まれ、仮に埋蔵金≠ネど税外収入10兆円をかき集めても48(50)兆円もの国債発行を余儀なくされる。マニフェストに実現のためには、もはや44兆円の枠には収まりきらない、と判断せざるを得なかったわけだ。
 その44兆円枠≠明記しない、あるいは事実上その枠を棚上げにするという内閣の姿勢は、民主党のマニフェスト実現の上では決定的な意味を持つ。

 ■崩れた防波堤■

 思い起こしてみれば、90年代の平成不況下、小渕政権は赤字国債による経済(景気)対策を連発し、財政の国債依存を飛躍的に高め、私は世界一の借金王≠ネどという笑えぬギャグでひんしゅくを買ったりもした。01年に登場した小泉政権は、消費税引き上げを凍結しつつ国債発行の30兆円枠≠設定し、あわせてプライマリーバランスという縛りを設定して、2012年度での収支均衡を掲げてきた。思惑は多々あったが、それでもなんとか財政規律を確保しようとしてきたわけだ。
 ところが鳩山内閣は、すでに各省縦割り方式のシーリングの中止を決めている。マニフェストでも、プライマリーバランスや国債政策については何も言及していない。何らかの歯止めを設定しての財政規律という問題意識はなかったわけだ。だからこそ予算の全面組み替えで無駄を省くことは、民主党にとって財政規律を確保する唯一の手段であって、民主党政権にとっての至上命題だったはずだ。
 だが政権発足後に浮き彫りになったのは、国の総予算の全面組み替えの手順前後と中途半端さ、それにマニフェストの実現や景気対策での借金頼みの姿勢だった。何ともお粗末な結果という意外にない。
 ここで民主党の財政政策に関わるマニフェストを思い起こしてみたい。そこでは大前提として民主党政権となった当初の4年間は消費税は引き上げないと増税を否定。マニフェスト実現のために必要となる16・8兆円(初年度7・1兆円)については、国の総予算207兆円を全面組み替えして9・1兆円の無駄を省く、埋蔵金の発掘や租税特別措置の見直しで7・7兆円の財源を捻出する、というものだった。いわば、新たな増税はしない、当然、新たな借金も増やさない、あくまで無駄を省いてマニフェストを実現する、というものだったはずだ。
 そうした約束もあって政権交代を実現したわけだから、民主党にとってマニフェストを実現することは至上命令だったわけだ。しかし、それが国債増発という抜け穴で何とか帳尻を合わせるというのでは、マニフェストの根幹が崩れ去った、と言われても仕方がない事態だ。

 ■県外、国外移設公約は何だったのか■

 鳩山政権の迷走は、経済対策や予算編成だけではない。それ以上に迷走しているのが沖縄の米国海兵隊普天間基地の辺野古への移設問題だ。民主党はマニフェストでも在日米軍基地の見直しを掲げてきたし、鳩山首相も先の総選挙では県外・国外移設を訴えてきた。が、舞台はマニフェストから現実政治に移った。そこでは防衛相や外務相などそれぞれの思惑での言動が交錯し、鳩山内閣の右往左往ぶりが目につく。
 とりわけ鳩山首相の迷走ぶりは際だっている。当初、1月下旬に予定されている名護市長選挙の結果を受けてとか、秋の沖縄県知事選後だとか、ともかく判断の先送りの姿勢を示していた。が、米国の圧力もあって年内決着を視野に環境づくりをし始めた。と思ったら、社民党などの強硬論もあって年内決着は無理だと再度慎重な判断に逆戻り。11月に来日したオバマ大統領との会談では「私を信頼して欲しい」とオバマ大統領に期待を持たせたと思ったら、「日米合意が前提だとオバマ大統領は思いたいのだろうが、日米合意が前提なら作業部会をつくる必要がない。答えが決まっているなかで、作業部会をつくる意味もない」と、再度見直し路線を打ち上げたりもしてきた。挙げ句の果てに、18日にコペンハーゲンで開催予定のCOP15首脳会合のさいにオバマ大統領と首脳会談をしたいとメッセージを送ったかと思えば、米側から拒否されて鳩山政権としての態度決定が先決だと言わされる羽目になった。結局は、米国には「日米合意を非常に重く受け止めている」と言い、沖縄には「沖縄の心を大切に」として双方に良い顔をして、引っ込みがつかなくなったかのようだ。
 この間、日米の作業部会は打ち切られ、また岡田外相による沖縄視察や北沢防衛相によるグァム視察など、辺野古移設を視野に入れた泥縄式のアリバイづくりや通過儀礼的なパフォーマンスもあった。だが、もはや鳩山政権での辺野古への移設承認は時間の問題となった。これまでの日米合意を押し通そうとする米側を押し返し、県外・国外移設を実現するだけのパワーと結束は、すでに鳩山内閣には無い。関係閣僚の立ち位置もバラバラだ。最後は私が決めます≠ニいうほどには、移設先を含めた米側との交渉で外務相や防衛相などを指揮している様子はさっぱり見えないからだ。
 結局、県外・国外への移設を最大限追求してみたがだめでした、となるのが関の山だろう。そうなれば問題は再び沖縄その他での基地建設反対の闘いの問題に舞い戻る。鳩山政権にとっても大きな打撃だ。また社民党などとの連立政権そのものの危機となり、政権は別の局面に遭遇することになる。
 再度強調したいのは、選挙による本格的な政権交代で誕生した政権だからこそ、普天間基地の県外・国外移設は可能なのだ、という現実感覚だ。ひとたび県内移設を認め、辺野古に新しい基地を作ってしまえば、新政権は沖縄にある基地の県外・海外移設を二度と押し出せなくなる。そのまたとないチャンスをつかみ取れないのであれば、県外・国外移設は、単なる票ほしさの人気取りと批判されても仕方がないだろう。

 ■欠けているのは設計図■

 鳩山政権が迷走するには、もちろん訳がある。それは民主党のマニフェスト自体の政治的・羅列的な性格に根ざしている。それは政権交代を自己目的化した政策より政局≠ニいう立場から、国民の生活が第一∞官僚主導から政治主導へ≠ニいう、政権を獲得するために耳あたりの良い、有権者受けする政策を並べただけ、という性格が強いものだったからだ。
 マニフェストでもそうだったが、政権発足後3ヶ月経っても、経済や財政、あるいは国際関係にしても、とにかく中長期的なめざすべき姿が少しもはっきりしてこない。
 たとえば事業仕分け=Bこれは政策判断ではないという。ならば国家戦略会議で少なくとも10年20年先のあるべき姿を示し、その上で4年間かけてそれを実現する政策の優先順位や手順をはっきり打ち出すこと、このことが大前提であったはずだ。事業仕分け≠ヘその一つの手段、一つのプロセスだったはずだ。いま私たちが直面している課題、たとえば輸出主導の経済構造から内需中心の構造にいかに転換するのか、その間進行した格差拡大や雇用の劣悪化をいかに是正していくのか、少子高齢化で膨らんでいく福祉事業をどう構築していくのか、これらはいずれも待ったなしの課題である。
 対米関係の見直しについても同じだ。鳩山首相は脱米入亜≠掲げ、民主党もマニフェストで東アジア共同体構想を掲げている。しかしそのマニフェストでは脱米入亜≠ノ対する米国の警戒感に直面して「緊密で対等な日米同盟関係をつくる」と、「緊密」という言葉を付け加えたりもした。
 これまでの対米一辺倒の関係からアジアにシフトしつつ対等な日米関係につくり替えていくというなら、戦後65年間の対米依存からの脱却をめざすわけで、当然それに付随するリスクや不利益も想定しておかなければならない。それだけの決意を見通しがあれば望ましい道でもあるだろう。しかし、それがどういう姿になるのか、たとえば日米関係をどう描くのかさえも、いまだに何も明らかになっていない。
 ここでも鳩山民主党(連合)政権が生まれた背景を考えてみたい。円高を容認した85年のプラザ合意から89年のバブル崩壊、その後の90年代のいわゆる平成不況以降の日本がたどった道筋についてだ。橋本政権から始まったいわゆる構造改革で、日本は輸出主導の成長モデルを追い求めた。その中で多国籍展開する輸出産業にテコ入れして農業や医療・介護など、いわゆる高コスト産業を切り捨ててきたた。この過程は同時に不安定・低処遇の非正規労働者を爆発的に生み出す過程でもあった。これらの結果は弱肉強食の格差社会であり、将来不安の蔓延だった。
 世界を見渡しても、91年の冷戦構造の崩壊以後、唯一の超大国となった米国はといえば、アフガンとイラクでの戦争もあっていまでは大国のなかの兄貴分でしかなく、その権威は地に落ちてしまった。勝利したはずの資本主義社会は、サブプライム危機に端を発した金融恐慌で100年に一度といわれる危機に遭遇し、立て直しに四苦八苦している。
 これらはいわゆる資本主義の失敗、国家の失敗として、経済や暮らしの根源的な見直しを迫るものだったはずだ。私たちの身の回りの働きぶりや暮らしぶりも当然見直しが迫られている。それらを感じ取った有権者は、生活と政治の刷新を求めて政権交代をもたらした。それが個々人を取り巻く時代状況の閉塞感を打ち破り、それまでの自民党政権による生活を刷新してくれるのではないか、と考えたからだ。
 私たちが突き当たっているそうした大きな課題を前にして、それらを乗り越える新しい社会像を提示できないのであれば、個々の場面でどんなに新手法を導入しても、結果的には対症療法の域を突破することはできない。それは同時に、資本主義の失敗という現実から目をそらし、国家や財政による支援に目を向けさせるだけの、かつてたどってきた道に舞い戻るだけに終わることを意味している。
 鳩山政権の迷走ぶりを目の前にすると、そうした不安、不信が現実のものになる兆候を見ているかのようだ。
(廣)案内へ戻る


コラムの窓 労働者派遣法の改正だけでいいのか!

 昨年の暮れから今年の初めにかけて、年越し派遣村(複数のNPO及び労働組合によって組織された実行委員会が日比谷公園等に開設した一種の避難所である。)が開設されるなど、不況下で職を失った労働者(08年に生じた世界金融危機による不況に乗じる形で、派遣側がかなり強引に派遣労働者の契約解除、契約更新停止(派遣切り)など)派遣労働の実態が明らかにされた。
 労働者派遣法に基づき、08年度に事業報告書が提出された派遣会社6万6424事業所の状況をみると、08年度の派遣労働者数は延べ398万9006人(07年度は延べ381万2353人で、)前年度より18・7%増だったし、08年度の派遣労働者のうち、仕事がある時だけ雇用契約を結ぶ「登録型派遣」は281万1987人で前年度比0・6%増だった。
 製造業務に派遣された人は08年6月1日現在、約56万人。前年度比19・6%増と大幅に増加し、過去最高となり、同年10月から今年12月までに失職したか、職を失う予定の派遣労働者数は、10月21日時点で14万人超に上っていることが別の調査でわかっている。派遣労働者の大量解雇という実態は今年に入っても変わってはいない。
 完全失業者数がことし10月まで12カ月連続して前年同月に比べて増加することが分かったが、総務省によると、数値が確定している9月時点で363万人。東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が出現した昨年暮れよりも90万人以上増加しているのだ。
 雇用情勢の改善や貧困対策が緊急の政策課題となっており、政府が十月にまとめた緊急雇用対策では、ワンストップ・サービスに加え、大卒・高卒者の就職支援を行う専門員のハローワーク配置や介護施設で給与をもらいながらホームヘルパー二級などの講座を無料で受け、資格取得できる制度など実施しつつ、派遣労働者の安定した雇用を増やすことを狙い、民主党が衆院選の政権公約(マニフェスト)で掲げた製造業派遣の原則禁止を盛り込んだ労働者派遣法改正案を来年の通常国会に提出する準備を進め、厚労相の諮問機関である労働政策審議会の職業安定分科会が議論している。
 しかし、鳩山政権が打ち出す製造業派遣と登録型派遣の原則禁止について、朝日新聞が全国主要100社を対象にアンケートを実施したところ、禁止された場合の対応(複数回答)で「正社員を雇う」と答えた企業は14社にとどまり、契約社員や請負など非正社員の活用で対応するケースが大半を占めており、法改正による規制強化による安定雇用は進みそうにない。
 不況下で資本が労働者を切り捨て、労働条件の切り下げを行うのは、資本が労働者を搾取や収奪をして利益を上げているからであり、低賃金や長時間労働・少ない労働力で多くの利益を得ようとする資本の本質から行われてきたことである。
 アルバイトや臨時・非常勤労働、派遣労働もこうした資本の利潤追求という本質から資本の都合の良いやり方で利用されてきたのであり、その利用を一部規制する派遣法の改正は意味があるが、資本と賃労働という関係を根本的に変えていかない限り安定雇用も未来もないことを多くの労働者に語るべきである。(光)


読書室 『司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか』  牧俊太郎氏著 
近代文藝社刊 千百五十五円

 「遺言」はいかにして踏みにじられたのか――司馬遼太郎の苦悩とは何か

 だいぶ前から「国民作家」の評価が定着した感の司馬氏ではある。『功名が辻』・『新撰組血風録』・『国盗り物語』等映像化された作品は、映画では八作、テレビでは十三作もある。代表作の『龍馬がゆく』は、何と四回もテレビドラマにされている。『龍馬がゆく』に影響された有名人には、ソフトバンクの孫正義氏や司馬史観によって今までの自分の歴史観を百八十度変えてしまった「自由主義史観」研究会の藤岡信勝氏らがいる。
 しかし彼の出世作である『坂の上の雲』は、産経新聞連載終了から三十数年間、一度も映画にもテレビドラマにもなっていない。なぜか。余り知られていない事だが、他ならぬ司馬氏自身が映像化を頑強に拒んでいたからである。
 ところがこの「禁」が突然破られた。一体何があったというのだろうか。放映が決定されるやテレビや広告で大々的に宣伝が開始されたのである。
 十一月三十日から放映されたテレビドラマ『坂の上の雲』は、二0一一年までの三年間に、実に十三回放映するとの事である。一回の制作費は通常の六千万円を超え、一億円だと伝える報道もある。確かに全くもって破格の扱いではある。
 なぜなのであろうか。では念願である映像化を果たして、得意満面のNHKの『坂の上の雲』サイトから引用する。

「坂の上の雲」は、司馬遼太郎が十年の歳月をかけ、明治という時代に立ち向かった同じ四国・松山出身の秋山真之・好古兄弟と正岡子規たちの青春群像を渾身の力で書き上げた壮大な物語です。発行部数は一八00万部を超え、多くの日本人の心を動かした司馬遼太郎の代表作でもあります。
 国民的文学ともいえるこの作品の映像化がNHKに許されたのを機に、近代国家の第一歩を記した明治という時代のエネルギーと苦悩をこれまでにないスケールのドラマとして描き、現代の日本人に勇気と示唆を与える作品になることを願っています。

 では、なぜNHKは、今回こんなに豪華で長丁場の放映に踏み切ったのであろうか。先のサイトから引用する。

 21世紀を迎えた今、世界はグローバル化の波に洗われながら国家や民族のあり方をめぐって混迷を深めています。その中で日本は、社会構造の変化や価値観の分裂に直面し進むべき道が見えない状況が続いているのではないでしょうか。
「坂の上の雲」は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った「少年の国・明治」の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。
 この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いありません。

 この文言から私たちが確認できるように、NHKは「失われた20年」ですっかり意気消沈した「国民」に対して、「国民ひとりひとりが少年のような希望をもって」明治の時代精神に生きよと、今後の日本の国威の発揚を、かくも大胆に訴えているのである。
 しかしこの作品以外の映像化が数多くなされた最中の一九八六年にあって、当の司馬氏は「この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳すると、ミニタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますから」(『「昭和」という国家』三四頁)と苦悩に満ちた発言をしていた。司馬氏は、この作品で自分の事を昭和期の浅薄な軍国主義者と同様だと誤解されたくはなかったが、日露戦争を「防衛戦争」と規定した以上、そうなる他はない。坂の上の白い雲は、司馬氏がなぜそうなったか理解できないうちに黒雲へと転化したのである。
 今回NHKは、先の司馬氏の「恐れ」に対して、誰が見てもそんな誤解はできないようにしっかりと映像化したと大見得を切れるものなのかどうか。私はまだこのドラマを二回しか視聴していないが、現時点では司馬氏の「恐れ」を払拭できるほどの確信を持てるには至っていない。はっきりというなら、むしろ私自身もまた、高度成長時代における時流の風に乗り翻弄されてしまった司馬氏の「恐れ」を自らのものとしている。私自身、今また軍国主義万歳などの安っぽくお手軽な電気紙芝居など見たくもないのである。
 このNHKの立場に対して、今回紹介する本書は、司馬氏がなぜ映像化を拒否していたか、またNHKがなぜ映像化に踏み切ったかについて、逐一克明に追及している。
 本書の構成は、序章 司馬氏はなぜ、映像化を拒みつづけたのか 第一章 なぜ、やむをえない「防衛戦争」なのか 第二章 なぜ、反戦・非戦を描かなかったのか 第三章 『坂の上の雲』の時代と歴史の見方、描き方 第四章 晩年の司馬氏の言説と『坂の上の雲』の歴史認識との乖離 終章 NHKはなぜあえてドラマ化にふみきったか おわりに である。
 この構成から判断できるように、著者は第一章と二章で司馬氏が「ミニタリズム鼓吹」との誤解を生むと恐れた根が何処にあるかを作品の中から探り出し、第三章で作品の中で語られている歴史認識や戦争観をまとめて整理し、第四章では『坂の上の雲』以外の著作を検討する中で司馬氏の晩年の言説を紹介して、この作品との認識の乖離を検証して見せた。そして終章では、NHK上層部と政治家との癒着を具体的に明らかにしたのである。
 司馬史観の事実関係の正誤に関する煩瑣な考証そのものではなく、今回なぜ映像化されたかについての種明かしは、実に貴重である。
 したがってこの「謎解き本」のこれ以上の種明かしは野暮というものであろう。この点において、私は読者の知的好奇心に大いに期待したいところではある。
 司馬氏の歴史観は従来からも司馬史観と言い習わされており、今回もこの放映に当たっては歴史家の中村政則氏の『『坂の上の雲』と司馬史観』が出版されている。この作品での「史実」と現実の史実の違いについては、歴史家が描いたこの本を読む事を勧めたい。
 私見では、今回読み取るべきは、司馬史観が正しいかどうかではなく、この作品に対する司馬氏自身の評価であり、結果として企業戦士を鼓舞することになってしまった司馬氏の苦悩ではないか。まさにこれらの核心的な諸点を本書では解明している。
 類書にない指摘に満ちているのは第四章である。この作品はまさに「明治百年」キャンぺーンと重なっており、一九六八年の「記念式典」を開催した年に産経新聞での連載が始まった。元産経新聞記者で「日露戦争を接点として当時の日本人というものの能力を考えてみたいというのがこの作品の主題だが、こういう主題ではやはり小説になりにくく、なりにくいまで小説が進行している」(文庫版第八分冊あとがき)と書かざるをえなかった司馬氏の逡巡の原点がここにある。
 実際、前半での秋山兄弟と正岡子規と青春期の出会いと物語とは別に子規が死んでからは日露戦争そのものが主題になっている。そして侵略戦争の側面を持つ日露戦争を一面的に描いた事により生じた逡巡に、晩年の司馬氏の苦渋に充ち満ちた言動の原点がある。その意味において、この章での解明はまさに一読の価値があるものになっている。
 今回の映像化については終章に詳しい。NHKは従軍慰安婦番組の介入事件以来、政治勢力に屈服したのである。NHKが政治に屈服した経緯については植草一秀氏の『知られざる真実―勾留地にて―』を勧めたい。この点についても、煩瑣な記述は省略しておく。
 確かに青春とは、個人にとっても、また国家にとっても貴重な時であろう。しかし時代精神とはその時代を代表していたからこそ時代精神なのであり、時代を支えた条件が変わった中では、かっての時代精神は時代錯誤の最悪の反動思想に転化するものなのである。
 現代に生きる私たちは、過去の遺物である明治の時代精神に生きるのではなく、私たち自身が現在生きる時代精神を体現して生きなければならない。 (2009.12.12.猪瀬)案内へ戻る


 共同購入とフェアトレード

 ワーカーズの会員で、順番に担当する「何でも紹介」は、日頃の会員の問題意識で自由に書いてみようという試みで始まりました。私は、日常的なことは「色鉛筆」でも紹介していますが、今回、消費者の立場から、商品を購入する時に何を基準にして選ぶのか、又はどんな立場を押し出し臨むのか、などの点から紹介してみたいと思います。

安全な食べ物=生産者の顔が見える関係
 私は、西宮市、芦屋市を中心とした地域で、週1〜2回の配送がある共同購入の団体「あしの会」に所属しています。私が新米「主婦」の頃から関わっていますので、もうかれこれ30年ぐらいの付き合いになります。当初は、名称も違い「四つ葉牛乳を飲む会」と言い、北海道の雄大な自然で育った乳牛から搾った牛乳が商品としてのメーンでした。他にも野菜の生産者からの無農薬野菜など限られた商品でした。
 食の安全に関心を持つ女性たちの活動で成り立つ半ば運動的な会の運営は、共同購入を希望するならグループ作りからはじめ、ステイションの管理・会計の担当など役割分担が伴っていました。しかし、仕事を持つとなると共同購入は不都合が生じてきます。時代の流れでパートに出る女性が増えて、だんだん共同購入グループが維持出来なくなり、会員数も減少せざるをえない情況が続いていました。その頃、「自然食品」のお店がオープンするようになり、店頭でも購入できるスタイルが現れ始めました。
 今では、私も仕事の帰りも遅くなり、共同購入のグループから抜け個別配達にしてもらっています。商品の注文も自分だけなので気楽ですが、会員との関わりが無いのもちょっと寂しい気分です。商品のレパートリーは増え、魚・肉・果物・産別の旬の野菜・加工品・菓子類・洗剤など不便を感じません。
 そして、毎月の注文用紙には季節を配慮した商品にスポットをあて、とても参考になるコメントも紹介されています。例えば、
「(はちみつのちから) 天然はちみつは、ビタミンB1、B2、葉酸などのビタミン類、カルシユウム、鉄をはじめ27種類のミネラル、22種類のアミノ酸、80種類の酵素、ポリフェノールや若返り効果があるといわれているバロチンなど、150を超える成分が含まれた栄養豊かな食品です。・・・ビタミンの研究が進むにつれて、人工的に作ったビタミン剤は、大量に用いても、天然のビタミンよりも効き目がないことが判明しました。」
つまり、蜂蜜に含まれるビタミンは92%が「活性型」で、人工的に作ったビタミンは、「不活性型」という理由からです。
 もう1つの注目は殺菌力です。「成分として含まれるグルコン酸には殺菌消毒作用があります。グルコン酸は、医療現場で傷口の消毒、医療用具の消毒にも使われている物質です。咳が出たり、風邪かなというときや、口内炎ができたときには、蜂蜜水でうがいしてみてください」
 ところで、私は、先日の扁桃腺による熱の時、さっそく蜂蜜で咽を潤しました。

フェアトレード=対等な関係作り
 「手わたしバナナくらぶ」は、以前にもワーカーズ誌上で紹介したと思いますが、簡単にふれておきます。東京に本社を置く、特定非営利活動法人APURA=あぷらは、フィリピン・ネグロスでのバナナ・黒砂糖をはじめ、インドネシアでのエビの養殖(黒変防止剤、保水剤など一切使用しない)など、現地での技術指導などをへて住民の自立した生活を支えています。私たち会員には、定期的に注文した商品が届きますが、3kgのバナナ(20〜25本)が2550円とスーパーなどに並んでる価格と比較すると5倍ぐらい高くなります。
 価格だけで判断すると、何か損をした気持ちになるかもしれませんが、送られてくるニュースには、現地で働く労働者達の紹介があり生活が良くなり子どもが学校に通えるようになった、など嬉しい報告があります。また、現地の労働者が日本に研修にきて、バナナが各家庭に発送される作業を見学するなど交流も盛んです。世界を視野に入れれば、「安ければいい」、この発想の転換が必要となってきていると思います。
 特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会は、南アジアの人々が直面する課題を共有化するために、作られた団体です。具体的には、ストリートチルドレン支援、働く子ども支援、農村で暮らす女性支援など、子ども・女性に向けた支援活動が行なわれています。その活動資金は、お買い物を通じて南アジア生産者の暮らしを支えようと呼びかけ、シャプラニールがお店・楽天市場・委託販売などの仲立ちをしています。
 ネパール生産者団体ACPはフェルトを使った製品を、バングラディシュのパートナー団体Aarongは、伝統的な刺繍でベットカバーを作り安定した収入を得られるようになっています。現在Aarongの13ヶ所の生産センターでは4万人もの生産者が働いているそうです。
 
 わが家の三女は、大学の卒論にフェアトレードをテーマに書く予定にしているそうです。今年の夏休みにはタイの難民キャンプに2週間ほど滞在し、そこはビルマから逃れてきた女性たちが生産者になり、衣類・小物などを作り販売していたそうです。娘は、生活支援になるからとたくさん買ってきました。私にはコンパクトにたためるお買い物袋でした。まだ、就職先が決まっていませんが、自分の目的とするところはぼんやり見えているのかもしれません。親としては、心配ですが見守るしかありません。
 政府が、アフガンに4500億ドルの生活復興支援金のようなものを予定していますが、はたして効果はあるのでしょうか。宝塚市でアフガン支援をもう20年ぐらい地道に活動されている西垣さんは、現地の女性の生活支援のためミシンを提供されました。西垣さんのモットーは、単にお金を送るのではなく、必ず現地に行って何を必要とされているのか自分で確かめ、現地が潤うように調達は現地で行なう、という熱意のこもった言葉にあります。私たちが学ぶところは、西垣さんの姿勢そのものにあるのではないでしょうか。    折口恵子 案内へ戻る


オンブズな日々・その33 許されない債権放棄

 政権交代で攻守ところを代えましたが、地方議会は国政とは違って、オール与党%I体制が壊れることはなさそうです。先ごろ行なわれた神戸市長選では、民主党小沢幹事長が現職の矢田立郎市長に単独推薦で闘うことを要求し、矢田氏はそれを受け入れて再選されましたが、新人候補に肉薄され薄氷の勝利でした。その後、自・公が野党になったということでもないようです。
 節操もなく市長職にしがみついたその矢田氏が窮地に陥っています。11月27日、大阪高裁(大谷正治裁判長)は公金返還訴訟控訴審判決で、神戸市議会が市長のために行なった債権放棄は無効だと断じたのです。28日の地元紙は1面で「神戸市長への債権放棄無効」「『議決権乱用』と非難」(神戸新聞)とこれを報じました。
「判決理由で大谷裁判長は、外郭団体への補助金支出について昨年4月の1審神戸地裁判決を支持し、違法と認定した。その上で、控訴審の争点となっていた市側の債権放棄を『住民訴訟の制度を根底から否定するもので、有効とはいえない』と判断。『(条例改正案を可決した)議会は市長の違法行為を放置し、是正の機会を放棄したのに等しい。議決権の乱用に当たる』と非難した」
 住民訴訟で勝訴を得ても、議会がその債権を放棄することによってこれを無効にする、首長と議会がなれあうオール与党≠ヘ何でもありで恥知らず、もちろん民主党もそのお仲間です。こちらは「毎日新聞」ですが、次のような事例が紹介されています。
「山梨県玉穂町(現・中央市)発注の工事を巡り、元町長が予定価格を漏らし町に損害を与えたとして、町を相手に元町長への賠償請求を求めた訴訟では、1審で住民側が勝訴した。しかし、町議会が賠償請求権放棄を議決。東京高裁は議決を有効と認め、住民側逆転敗訴とし、07年に最高裁で確定した」
 見ての通り、議会は司法権を侵害し、最高裁は何とその行為に正当性を与えてしまっているのです。今回の大阪高裁判決はこの流れに抗し、司法の良識を示したのです。「全国オンブズマン連絡会議幹事の高橋利明弁護士は『議会は自治体の執行部を監視する立場なのに、逆に不正を免除するようなことをしてきた。市民から委ねられた役割を放棄したに等しく、議決権乱用以外の何物でもない。住民訴訟の原告にとって歯ぎしりするような行為だったので、今回の判決は大歓迎だ』と話した」(毎日新聞)
 さて、この裁判を取り組んでいるのは市民団体「ミナト神戸を守る会」で、神戸市と兵庫県を相手取った19件の住民訴訟において、27日の判決を含め何と9勝5敗の結果を残しています。本人訴訟も多くあるなかでこの勝率は驚異です。代表の東條健司氏は「何でもない私のような人間でも、法律を駆使すれば行政と渡り合える。住民の武器≠ヘこれしかない」(29日「神戸新聞」)と語っています。私も本人訴訟を取り組んでいますが、大きな目標です。
 今回、大阪高裁判決が矢田市長と各外郭団体に返還を求めた金額は、何と約55億円です。この判決が最高裁でも維持されたら、矢田氏はどうするのでしょう。これが派遣職員の人件費ということで、市長にはいくらかかわいそう≠ネ面もありますが、議会に債権放棄させて逃げようとしたのだから、その報いというほかありません。
   (晴)


読者からの手紙
国会議員たちに社会常識を叩き込め

 9月16日、8月30日の総選挙で当選した衆院議員の8月分の歳費が480人の全議員に支給されました。
 同月の在任期間は投開票のあった30日と31日のわずか2日間ですが、歳費と文書通信費の計230万1千円が支払われたのです。日給換算では、一人あたり約115万円、全議員で約11億円という支出になります。
 衆院事務局によると支給されるのは、8月と9月分の歳費と文書通信費の一部であり、議員の任期は投開票日にスタートするため、8月30日から歳費支給の対象となります。
 歳費の額は「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律」で1人あたり月130万1千円と規定されおり、8月の在任期間はわずか2日ですが、同法には「日割り計算」などの制度はなく、満額が支給されることになったのです。この問題を規定がないといって済ませてきた事こそ、全く行政の怠慢としかいいようがない事態ではないでしょうか。
 また、「事実上の歳費」とも呼ばれる月100万円の文書通信費(正式名称・文書通信交通滞在費)は、電話代や交通費など国会議員の政治活動を支える目的で支給されていますが、使途報告義務がない不透明な金です。これについても全額支給されました。
 こうした事実を知れば知るほど、事業仕分けだなどと大騒ぎをしている当の民主党議員や口を開けば政党助成金の支出は憲法違反だなどとのたまわって正義漢をよそおっている共産党議員のでたらめさに私は腹が立ってきます。なぜ彼ら黙っているのでしょうか。
 私は、この問題が余りにも不問に付されていることに大いに憤っています。こうした場合すべての労働者の賃金は日割り計算なのです。だから私は、すべての国会議員たちに社会常識を叩き込めと訴えたいと考ていえます。      (笹倉)


「兄は黒いハト」と言い続けてきた「白いハト」鳩山邦夫議員の不明と自民党の自滅

 自民党の鳩山邦夫議員は「正義を貫く白いハトだが、兄は黒いハトだ。政治資金では虚偽記載を山のように積み上げ、罪を犯した」と実兄の鳩山由紀夫民主党代表の批判を繰り返してきた事は、皆さん覚えていますね。今回の鳩山邦夫議員の不明は糾弾に値します。
 来年の通常国会で「鳩山献金」問題を徹底追及すると自民党は最近まで息巻いてきましたが、この鳩山邦夫議員にもゴッドマザーから鳩山由紀夫総理大臣と同額の九億円もの政治資金が流れていた事が発覚しました。これで打つ手がなくなった自民党の自滅は必至の状況です。
 彼は大慌てで贈与税の申告をするつもりのようですが、ここまで世間を愚弄し欺いてきた責任を彼はどのように取るのというのでしょうか。また自民党はどのようにこの問題を処理するのでしょうか。先の衆議院選挙期間中に、町村議員は鳩山由紀夫議員は政治資金規正法違反で逮捕される身だと選挙民に訴えていたのです。
 この指摘が正しいのなら当然ながら鳩山邦夫議員も逮捕されなければなりません。しかし鳩山氏自身にそんな考えは一切ないのです。だとすれば総理が逮捕されることなどありえません。こけおどしを繰り返してきた自民党は今や自滅過程に入りました。
 二階西松献金疑惑の再燃など、まさに貧すれば鈍すの生きた見本です。  (稲渕)案内へ戻る


色鉛筆 保育室の面積基準緩和に反対

 認可保育園を希望しながら入れない待機児童が前年と比べて約3割も増え、その中でも都市部に集中しているという問題が起きている。そこで長妻昭厚生労働相は、待機児童が多い東京など大都市の認可保育園の保育室の面積基準を例外的に緩和するという方針を打ち出した。
 国の最低基準は認可園で最低限守らなければならない園児1人当たりの保育士の数や保育室の面積などが定められているのだが、なんと1948年に出されたもので61年前とまったく変わっていないことに驚く。さらに表のように0、1歳児1人当たりの保育室は3・3平方b(約2畳)、2〜5歳児は1人当たり1・98平方b(1畳強)という狭さで他の先進国と比べると低水準であることがわかるが、この低水準をさらに下げようというのだから驚いてしまう。待機児童をなくすには基準を下げて保育園を新設しやすくしたり、保育園の定員を増やしたりするのが手っ取り早いという考えのようだ。
 しかし、今までも待機児童をなくす為にプレハブを建てたりボイラー室、物置、廊下、事務室、職員休憩室等をなくし保育室に転用したり、横浜市は、03年から3年間に、質はともかく国基準を満たした民営の認可保育園を100園増やしたりしているがそれでも待機児童を解消できないという。国の基準は最低限で、数多くの保育園では狭い保育室の中で子ども達は遊んで給食を食べて昼寝もしている。研修等に行くと『寝食は別々の部屋が望ましい』等と学者達が言うが、私はそれを聞くたびに現実は違うだろうと思い、最低基準を上げなければならないのに厚生労働相は、都市部に限って保育室の面積を自治体の判断で決められるようにするというのだ。一度基準を下げてしまうとそれが常識になってしまうおそれがあるから面積基準緩和はやるべきではない。
 新聞に白梅学園大の汐見稔幸学長の話が載っていた「乳児が密集すると別の子どもにかみついたり、不安定になったりすることがこれまでの研究でわかっている。落ち着いて遊びに熱中できる空間が、自尊感情や感性を育てる。基準緩和は安上がりの保育を助長するのではないか。他の先進国は赤ちゃん時代から、社会の責任で人を育てることを重視している。保育政策は親のための施策ではなく、国の将来をを担う人材育成策だ」(09/11/7朝日新聞)まったくそのとうりで面積基準緩和はお金をかけない場あたり政策で今までの自民党と変わらない。保育園で働く私達にとって、今よりも狭い保育室で子ども達を保育をすることになれば子どもの安全を守ることができなくなり事故が起きることが目に見えている。待機児童解消には基準緩和ではなく国が「財政保障」をして保育制度を充実させていくべきだ。 (美)案内へ戻る


編集あれこれ
 前号は、6ページでさびしい内容でした。私自身、原稿をあまり書かないので反省しています。
 1面は、民主党政権による「事業仕分け」について述べています。「事業仕分け」について、税金の使い道を明らかにする、税金の無駄遣いを戒めるという意味で一定の成果があったが、防衛予算ではほとんどが聖域化されて、「事業仕分け」から除外されました。結局、「事業仕分け」は民衆が監視をし、闘っていかなければたいした成果が上がらないと思いました。
 2・3面は、国債(国の借金)増発について述べています。国債頼みの経済は、今までの矛盾がたまったものである、こうした経済状況を変革するには労働者の賃金を引き上げる必要があると言っています。
 5面では、読者からの手紙として、普天間問題について述べています。普天間基地を同じ沖縄の辺野古に移転するという案は話にならないし、あるいは関西空港や神戸空港に移転するというのも問題外です。結局普天間基地は、撤去する以外道はないと思います。
 先日、ひめゆり学徒隊にいた新川初子さんの話を聞く機会がありました。沖縄戦において、多くの戦死者の遺体を埋めたことや負傷者の手当てのことや、最後には軍隊から「自由行動だ」(見捨てられた)と言われたことなど、戦争の悲惨さを再確認しました。戦争は絶対ダメだ、そうした意味でもまずは普天間基地撤去を実現しないといけません。
 読者のみなさん、来年もワーカーズをよろしくお願いします。  (河野)