ワーカーズ408号     2010/1/1     案内へ戻る
韓国併合百年・偽りの正史を破棄せよ!

 2009年10月26日、ソウルの安重根(アンジュングン)義士記念館前で記念式典が行なわれた。安によるハルビン駅での初代韓国統監伊藤博文銃殺から100年を記念したものだ。安は要人暗殺の犯罪者として絞首刑に処せられたが、韓国においては独立運動家の義挙ということになる。
 1905年の保護条約から1910年8月22日の「日韓併合」条約によって、大日本帝国は朝鮮の植民地化を成し遂げた。それから100年のときを経たが、この国はどのような歴史を刻んできたのか。明治維新によって近代的独立国家となった日本の進路はひとつではなかっただろうが、富国強兵・植民地争奪戦へと突き進んだ。ありえた別の選択について問うのはむなしいが、歴史の歪曲はあまりに愚かである。
 ときあたかも、NHKが満を持して「坂の上の雲」の放映を開始した。青雲の志を持って若々しい国家の可能性を追う、それが明治という国家のイメージとなる。そのコインの裏には、テロリストとして処刑された安重根という青春像があった。1910年の併合条約は有効であった、植民地化にはいい面もあった、強制連行はなかった、従軍慰安婦は売春婦だった、いつまでこうした事実の歪曲に逃げ込み続けるのか。
 鳩山政権が「東アジア共同体構想」を口にするなら、まずそこに横たわる負の遺産に目を向けなければならない。これを放置するなら、スタート地点にすら到達できないだろう。強制連行・強制労働、戦時性奴隷等の戦後補償について、「過去の歴史を直視する勇気を持っている」と言った鳩山首相は本当に決着をつける決意があるのか。
 いまようやく、ひとつの焦点となりつつあるのが戦後補償立法化の動きである。しかし他方で、いまだ植民地主義が克服されることなく生き続けている。とりわけ、朝鮮民主主義人民共和国に対する排外意識は強固であり、拡大さえしている。さらに、「在日外国人の特権を許さない会」なる排外団体が暴力的にうごめいている。経済的困窮のなかで明日に希望をもてない若い層が、こうした企みに絡め取られている。憂慮すべき事態である。
 2010年の念頭にあたって、我々は100年の迷妄を払う気概をもって、この国の偽りの正史を糾す決意を新たにしなければならない。   (折口晴夫)
   

協力・協同社会≠めざそう――労働者の闘いが未来を切り開く――

 昨年8月終わりの歴史的な政権交代から早くも4ヶ月が過ぎた。昨年夏以降の政治の舞台は、颯爽と登場した鳩山内閣と民主党のマニフェストの帰趨で揺れ動いた。この4ヶ月は、多くの人にとって期待と諦観、興奮と挫折が交差した4ヶ月ではなかっただろうか。
 その4ヶ月で早くも鳩山政権のほころびがあちこちで露わになった。確かに政権交代によるプレーヤーの交代で政治の風景も様変わりした感もある。が、政権交代を至上命令とした八方美人のばらまき政治は、あちこちでパッチワークもどきのその場しのぎに終始し、多くの課題は先送りされた。それもこれも政策より政局≠ナ、確かな未来像が欠如していたからという以外にない。
 有権者と新政権のハネムーン期間≠ヘ終わり、新年は鳩山政権にとっての正念場となる通常国会が始まる。そうした正念場での攻防戦を見据えつつ、私たちとしては、確かな未来像をつかみ取り、その実現に向けた戦略的な足場を確保していくことが求められているのではないだろうか。

 ■世論がつくった鳩山政権■

 4ヶ月前の風景を思い起こしてみよう。
 不況や格差社会の拡がりもあって切り捨てられたかのように疲弊する地方、他方では住むところさえ奪われる雇用破壊。そうした庶民の実生活とは別世界で繰り返される政権たらい回し。そうした身の回りの風景は、自民党をぶっ壊す≠ニして登場した小泉政権がすすめた構造改革路線がもたらしたものだったことは、多くの有権者の実感でもあった。
 その自民党政治とは何だったのか。一言でいえば、経済成長のパイを再配分する過程で形成された政官業の利権政治だった。その利益配分政治は、追いつき、追い越せ型≠フ成長モデルが行き詰まり、経済のグローバリゼーションと新たに登場した新興国の攻勢で余儀なくされた低成長で、継続不可能になった。
 低迷する経済を新たな産業再編で乗り切ろうという構造改革路線が進むなかで登場した小泉政権は、輸出産業など多国籍企業や業界第1位企業にテコ入れした政策を推し進めた。いわゆる弱肉強食の市場万能主義だった。
 市場の機能に任せればうまくいく、という新自由主義が行き着いた先は、サブプライム危機を招いたマネー資本主義の破綻だった。それはリーマンショックに至っていわゆる市場の失敗≠強烈に印象づけた。
 弱肉強食の市場原理は、他方では、輸出主導経済のための高コスト体質の打破、すなわち日本的労使関係の解体による雇用と賃金の切り捨て、中小企業と地方の切り捨て、その結果として生活破壊をもたらした。コストダウンや規制緩和などで輸出産業などがいくら儲かっても、中小零細企業は絞られ、地方にはカネが回らず、また労働者の雇用は劣悪化し賃金は下がり続けたからだ。
 地方や中小企業、それに労働者のあいだでの将来不安は拡がり、それらをつなぎ止めるため、政治は市場万能路線と再配分政治の間で揺れ動いた。有権者は、そうした政治の閉塞状況の突破を願って、自民党政治に対する政治的受け皿としての民主党を押し上げたわけだ。
 その民主党。高速道路の無料化やガソリンの暫定税率の廃止など、民主党が掲げたマニフェストの個々の政策に対する評価は、かならずしも高くはなかった。それでも昨年の総選挙で民主党に308という圧倒的な議席を与えたのは、民意とかけ離れた自民党政治に対するノーという有権者の意向だった。いわは自民党政治を刷新したいという民意が、民主党政権をもたらした原動力だったわけだ。

 ■設計図なき迎合政治■

 9月半ばにさっそうと登場した鳩山政権。当初は民主党のスター政治家、各大臣による政治の刷新のメッセージが相次いだ。事務次官会議の廃止、八ツ場ダムの中止。事務次官の会見禁止や官僚によるレクチャーの禁止等々。マニフェスト政治の華々しい打ち上げだった。
 ただし一時の高揚感はすぐに拡散し、現実の壁にぶち当たる。最初のハードルはマニフェスト実現を視野に入れた補正予算を含む新年度予算案づくり、それに普天間基地移設問題だった。
 普天間基地の移設問題は、結局は県外・国外移設のレールを敷くことはできず、今年5月まで先送りするのが精一杯だった。先送り以上に深刻なのが、県外・国外移設のレール自体が少しも見えていないことだ。すでに政府間で合意している辺野古への移設をひっくり返すためには、それ相応の戦略的な構想とそれを実現する決意が不可欠だ。が、肝心のそれらがなかったことが露呈してしまったからだ。この案件の先送りは、鳩山内閣の存続に直結する時限爆弾となった。
 新年度予算案づくりでは、派手な政治劇としておこなわれた事業仕分け≠ノよって、一部ではあっても密室政治を衆目にさらけ出す意味があった。が、無駄を省いて財源をつくる≠ニいう公約はわずか7000億円程度に止まった。
 新年度の政府予算案は、結局は10年度だけのつぎはぎだらけのパッチワーク予算案でしかなく、マニフェストの実現のための土台づくりはすべて先送りされてしまった。早くも鳩山政権の竜頭蛇尾ぶりが露呈してしまったことになる。それもこれも政策より政局≠ナの八方美人的なばらまき政治、戦力構想の欠如がさらけ出されたという以外にない。

 ■鳩山政権は通過点■

 鳩山政権が、場当たり的な政策決定や迷走を繰り返しているとはいえ、昨年の政権交代の歴史的意味はなくなったわけではない。それは政治は有権者が変えられることをはっきり形で示したところにある。が、政権交代の意義は消えることはないといっても、鳩山政権の行く末については別問題だ。
 民主党はもともと寄り合い所帯。自民党以上のタカ派から社民出身者まで、一時は選挙互助会と揶揄されてきた。これは政権党だった自民党と同じ、政権についていなければ存在意義がない議員政党。発足当初は役者・プレーヤーが入れ替わったことで閉塞状況だった自民党政権の刷新を演じてくれた。しかし、民主党政権が継続すれば、業界や官僚、あるいは地方や社会的弱者など各方面の票を意識した八方美人的な政治で、やがては自民党と大差ない政治に逆戻りするだろう。すでに民主党内では族議員化も進んでいる。
 保守二大政党制が定着していく可能性はどうなのだろうか。
 民主党のマニフェスト政治の背後では、民主党幹事長の小沢一郎がめざす日本改造計画の地固めが進んでいる。いったんは代表辞任に追い込まれたものの、民主党の政策より政局≠主導し、自民党のていたらくにも助けられて総選挙での圧勝を導いた。いままた今年夏の参院選を視野に入れ、自民党の選挙基盤の堀崩しと参院過半数の獲得に執念を燃やしている。
 鳩山政権発足の裏側では、「政策決定の内閣への一元化」を盾に有力者を党の役職から排除して役員会などを取り巻きで固めた。党内の支配権を手にした小沢幹事長は、例の田中角栄の四分の一戦略≠追い求めている節がある。それは過半数を制している党の内部で過半数を制すること、結果的に議席の四分の一を制すれば国政は意のままになる、というようなものだった。今度の参院選で自民党を三分の一政党に追い込み、安定した多数党となった民主党の自派勢力を中核として政界再編を実現、より純化した小沢党を形成し、憲法改正など日本の改造計画に着手する、そんな構想を練っているのだろう。
 そうした方向に流れる可能性もある。が、そうした小沢戦略はそれ固有の特有の落とし穴もある。権力を掌握しての改造政治の断行という野望は、結局は有権者の反発にぶつからざるを得ないし、上意下達の権力政治は、思わぬところで躓く可能性が高い。かつての細川政権の崩壊しかり、東京都知事選での敗北しかりだ。
 民主党政権が中長期的にかつての自民党政治の後追いに向かうのか、それとも、自民党の凋落と民主党中心の政界再編が行われ、さらに政治の舞台が再度ぐるっと回るのか。いずれにしても客席で観ているだけでは有権者の意向は置いてきぼりになる。政権交代からの第二幕の幕開けは、私たち自身による政治の攻防戦への参加が欠かせない。

 ■対置すべきは協力・協同社会=。

 私たち自身による政治の攻防戦への参加を考えたとき、将来を見据えた戦力構想が欠かせない。それはたとえば冷戦構造の崩壊以後の20年間を振り返ることでもある。
 冷戦の崩壊で勝利したかに見えた資本主義世界は、その後に進行したグローバリゼーションを背景として弱肉強食の資本の論理を地球規模で拡げてきた。その結果はサブプライム危機に端を発した100年に一度と言われた世界的な大不況だった。企業利益・資本の利益だけを追い求めるマネー資本主義は、伸びきったゴムが切れるようにはじけ飛んで世界中で膨大な失業者が投げ出された。こうした過程は何回でも繰り返される、いわゆる資本主義の失敗≠セ。
 不況からの脱出、雇用の創設は切実な願いだ。しかし、いままた市場での競争戦に勝ち抜く道を追い求めることは、それこそいつか来た道≠さまよい続けることを意味する。ここは発想と構想の大転換を模索していきたいところだ。
 対置すべきは、協力・協同社会≠フ実現だ。弱肉強食の資本の原理から協力・協同原理が貫かれた社会への転換をめざすことだともいえる。企業利益、資本の利益を追求することで、労働者の生活も豊かになる、という構造はすでに断ち切られている。それは史上最高の利益が続いた2000年代に労働者の賃金が継続的に切り下げられてきた経緯からも明らかだ。
 私たちが対置すべき協力・協同社会とは、そこで働いている労働者が企業の所有者でもあり経営者でもある、という協同組合型の社会を実現することだと考えている。そこでは企業利益至上主義ではなくて、人々の生活の維持・改善を直接の目的とした経済活動がおこなわれる。
 当然ながら、協力・協同社会への大転換を実現するためには、そこで働く労働者が大きな役割を果たす以外にない。労働者、労働組合は中心的な枠割りを果たすことになる。むろん、地域社会や部分社会での協同原理による取り組みやネットワークの形成も大きな力になる。
 労働組合の役割が大きいからといって、既存の企業内労組がそのまま大きな役割を果たすことは不可能だろう。企業利益の論理に縛られたままだからだ。企業内組合は、企業の壁を越えて連帯して労働者共通の利益や目標を追い求めるように造り替える必要がある。あるいは未だ小さな力しか獲得していない自発的なユニオン運動など、すでに始まった闘いをさらに拡げていく必要がある。その他、各種のNPOのような自発的・参加型の取り組みも広がっている。そうした人々との協同の取り組みを拡大していくことで、協力・協同社会の扉をこじ開けていく道が開かれる。
 新自由主義的な弱肉強食原理による市場原理と大きな政府による需要創造型の一時的な修繕策。こうしたいつまでも繰り返される資本制経済のジグザク路線はおしまいにしたい。
 新自由主義から大きな政府への転換、利権組織より国民の生活が第一、コンクリートから人へ、という民主党のマニフェスト政治は、結局は資本制経済のジグザグ路線の悪循環の一場面に終わらざるを得ない。鳩山政権を通過点として、そこから協力・協同社会への大転換につなげていけるかどうか、それは私たち労働者をはじめとした生活者の今後の闘い如何に関わっている。
 09年の全雇用者に占める組合員の割合、労働組合の組織率が34年ぶりに0・4%上昇し、18・5%になったという。ピークの75年の34・4%からほぼ半減してきたが、110万人もの就業労働者数が減少した結果だとしても、数字の上では組織率が向上したことは事実だ。この数字の意味するところは、労働組合の低迷と雇用破壊、生活破壊が同時に進んできたことの逆説的な証明でもある。34年もの長い間減少を続けたことを考えれば、その上昇は大きな飛躍の兆しとも受け止めることもできる。今後30年間を組織率の上昇を続けることが出来れば、労働環境や生活環境は大きく変わるだろう。
 拡がる格差社会・階級社会。時代は階級闘争の時代に入っている。闘いの中心は労働者が担う。21世紀は労働組合の時代だ。政権交代で幕開けした今年こそ、労働者の力でそうした時代を切り開いていきたい。(廣)案内へ戻る


「個人的所有の再建」論争ーーマルクスの所有概念と「共同占有」@ 2009.12.17 阿部文明

目 次

@はじめに
A社会的所有と個人的所有の一般的関係
B再建された「個人的所有」
C文法は何故無視されたのか(今号掲載、残りは次号掲載)
D「共同占有」は「社会的所有」へ転化する
Eマルクスの所有・占有概念は歴史的な概念である
F田口氏の取得・分配の原理
G農奴制のもとで「労働と生産手段の本源的統一」はあるのか
H労働と切り離された広西氏の「所有」「占有」論
Iその他のマルクス「解釈」をめぐって

■@はじめに――この論争の意義
 「個人的所有の再建」論争は、ご存じの方も多いと思うが、マルクス『資本論』第7編第24章第7節(ドイツ語版第2版による。なを、フランス語版では第8編32章にあたる。)の一節の解釈をめぐるものである。その部分をまずは掲げよう。

 資本主義的生産様式に照応する資本主義的取得は、独立した個人的な労働の必然的帰結であるにすぎない、かの私的所有の第一の否定をなす。だが、資本主義的生産は、自然界のもろもろの姿態返還を支配する宿命にしたがって、みずからそれ自身の否定を生み出す。それは否定の否定である。この否定は、労働者の私的所有を再建するのではなく、資本主義時代の獲得物にもとづく、すなわち協業、および土地を含むあらゆる生産手段の共同占有にもとづく、労働者の個人的所有を再建するのである。
 個人的労働の目的であった細分化された私的所有を資本主義的所有に転化するためには、もちろん、事実上すでに集団的な生産様式にもとづいている資本主義的所有の社会的所有への姿態変換が必要とするであろうよりもはるかに多くの時間と努力と苦痛が必要であった。前には、少数の横領者による大衆の収奪が問題であったが、今度は、大衆による少数の横領者の収奪が問題なのである。(フランス語版『資本論』より)

 さらに付加するのならば、この引用の第一パラグラフは、『資本論』第24章のみならず第7編「資本の蓄積過程」全体の結語と見なされうるものであり、そのために「否定の否定」としての「労働者の個人的所有の再建」は、アソシエーション社会の核心的内容と理解されなければならない。

 この論争のきっかけは歴史も古くデューリングによるマルクス批判、それに反論するエンゲルスの『反デューリング論』にさかのぼる。その後レーニンを含む多くの論者によって論及されている。日本においても様々な見解がだされている。
 論争の全貌を論ずることは、筆者の手にあまるので、ここで検討するのは、論争を「かなりの程度総括した」との評価のある西野勉氏の『経済学と所有』(世界書院)。マルクスの「共同占有論」に独自の解釈をくわえた田口幸一氏の『社会主義と共同占有――「個人的所有の再建」論争によせて』(創樹社)。『資本論』の訳語批判から独自の「共産主義」解釈を提起した広西元信氏の『資本論の誤訳』(青友社)。これらに論及しながら私見を示したい。この三人を取り上げたのは、出版物が入手できたというばかりではなく、共通する一つの傾向が存在すると考えられるからである。

 「労働者の個人的所有の再建」問題について西野氏は次のような結論を語っている。「資本制的生産=取得様式によって否定された小経営生産=取得様式の、私的ではあったが非
階級的であったという意味、その再建に他ならない。」(『経済学と所有』)。
 これが西野氏の重要な結論の一つのようである。労働者の個人的所有が「私的」でないことはマルクスが言っているが、「非階級的」だという規定に置き換えても、申し訳ないが何物をも語っていない。
 「自由なアソシエーション」はすでにマルクスが上記の引用で明言しているように「社会的所有」なのであるのだから、ここ(第7編24章の結語部分)をめぐる論争に積極的な貢献を目指すのならば、個人と社会との関係を明確にしなければならないところである。つまり「個人」と「社会」の関係は何か、さらに「所有」とは何かを深め論じるべきではなかったか。
 「(通説は)マルクスのここで問題にしている所有の意味が、本書(『経済学と所有』)全体で明らかにしてきたような生産=取得様式のことなのだということが、本格的に理解されることなく、何か特定の対象物を排他的に持つあるいは支配するという意味、すなわち土地の名目的所有とか、土地の国家的所有とか、あるいは動産の所有とかいう場合の《所有》概念で理解されてきたことにあることは、本書のこの地点に立って考えてもらえば明らかであろう。」(同上)。
 この部分は西野氏の積極的な部分である。生産(労働)が所有関係の基底にあるというのであれば、その通りであろう。西野氏の積極的面は、「所有」概念を法律論(の解釈論争)からひとまず引き上げて、所有を生産手段と労働の関係として取り上げようとしたことである。そして彼の欠点は、それを貫徹し得なかったことであると思う。 
 とはいえ、ここの部分においても氏の「所有の意味は生産様式」という記述には疑問を感じないでもない。というのも、「所有」概念の基底には労働があるとしても、労働それ自身でないこともまた明らかなのだ。所有は人間的な労働とその対象との関係であり、そのような媒介的な関係が社会的意識・意志として表現されうるからである。そして「意識・意志」という媒介が存在するために、たとえば社会集団が分裂している場合は、有力な階級の意志が「社会的意志」としして貫かれることになり、その限りでは労働と生産諸条件の客観的関係がゆがめられうるのである。
 このことを理解しておくことは必要なことであろう。というのも、「所有」は現在の法概念において、労働・生産と切り離されている。このような転倒が何故生じるのかという問題も念頭に置かないと「所有とは労働である」という真実が空虚なものとしてしか受け止められかねない恐れがあるからだ。
 エンゲルスもまた、社会的所有と個人的所有を切り分けて、前者を生産手段の所有、後者を消費財つまり「経済過程」の外に移行した財の「個人的所有」と論じたたことから、「個人」と生産手段の「所有」を社会性の中で理解する、という重大な問題をスポイルしたのである。デューリングの問いかけに、正面から答えていないのである。「(生産手段の所有が)個人的であると同時に、社会的であるということ」を説明すべきであったのだ。個人的所有を消費財と結びつけることによって、社会的であると同時に個人的である生産手段の「所有」の概念を曖昧にし、したがって今度は、「社会的所有」の概念さえ疑わしいものとしてしまったのである。個人的所有と結びつかない社会的所有などは、中身のない中空の概念であるのだ。
 このような「歴史のある」論点であるが、すっきりとした説明が未だ十分には与えられていないと考える。ここで解明されるべきものは、単に所有だけではなく労働を根底に据えた、社会、個人それぞれの関係であり、それらの疎外の形態である。
 この「個人的所有の再建問題」の議論は、デューリング対エンゲルスに始まるとと言ってよいが、マルクス主義を正しくまた深く理解するという動機になってきた面もある。他方、政治面ではユーゴースラビアの自主管理社会主義が旧ソ連の批判に対してマルクスのこの部分を一つの根拠として反論した経緯もあるように「社会主義」社会のイメージに関わる問題でもある。
 西野氏、田口氏、広西氏、それぞれの論者からは、私しなりにその他の点については大いにまなばせていただいているので、彼らの欠点のみあげつらうようで大変申し訳ないと思いつつ、やはり理論的な深化、マルクス学説の正しい理解のためにはやむを得ないと思って筆を執った次第です。

■A社会的所有と個人的所有の一般的関係
 協力共同関係のなかで進化してきた人類にとって、経済的基盤としての労働の社会的性格は明確である。動物的な労働から区別できる人間的労働とは、社会的・集団的労働以外の何物でもないのである。さらに言えば人間労働は、集団的な共同労働か、あるいは分業の連鎖としての協同労働でしかありえなかったのである。
 だから社会的労働が個人的ではない、とか、個人的労働が社会的ではないとか、そのような経済制度は存在しないのである。(これらの場合の「社会」というものが文脈によって想定が変化することはご了承願いたい。文脈によって数十人のバンドや氏族、村落、国家や国家連合さらに地球規模での結合等々あるいは「(労働を基盤とする)社会」一般を意味する。)
 上記の規定からすれば、人間的労働=社会的労働であるのだから、人間的所有とは社会的所有であり同時に個々人的所有である。階級分裂が存在しないならば、個々人とその集団としての社会とは一体のものと考えられてよいからだ。
 であるから個人的所有のない「社会的所有」などそもそも存在しないのである。個々人が何の所有もないのに、「社会」が何を所有できるのであろうか。社会が何も所有していないとすれば、どうして個々人が所有できるのであろうか。ぎゃくに個々人的所有が存在しないのであれば、「社会的所有」も存在し得ないであろう。もしも「社会的」富があるのに個々人に富も所有もないのであれば、まやかしであり欺瞞であることも確認できるであろう。
 具体的に言えば、旧ソ連などは、社会的所有の非存在ぐらい明らかなことはないことになる。「社会的所有」ではなく「階級的所有」であり、したがってそこでは労働者の個人的所有も存在し得ないのである。労働者の非所有と、非労働者の階級的「所有」が存在するのである。
 要約しよう。「社会的労働」以外の労働形態を、人類はその歴史上において知らないのである。したがって社会が階級に分裂しているような状態が無い限り、「社会的労働」を基盤とした「社会的所有」「共同所有」が形成され、その集団を構成する個々人からすれば、それらの労働に基づく生産諸条件の所有が本源的な形態であると言うべきであろう。
 「社会的労働」による「社会的所有」であるはずのものの、所有と労働の分離や「私的所有」のようなねじ曲げ=疎外体の存在については後で論じるであろうが、とりあえず次のように述べておこう。
 たとえば、資本主義社会でも(私的所有でも)、商品交換を媒介として生産=労働は間接的な形では社会的性格をあらわにするのである。したがって、所有もまた同じであり、資本主義的な所有は、間接的には「社会的所有」「共同所有」である。このような潜在化された間接的な、労働者による所有をマルクスは『資本論』初版本ではややストレートに「共同所有(ゲマインアイゲントゥーム)」と記述し、後の仏語版以後は「共同占有(ゲマインベヂッツ)」とより正確に表現したのである。マルクスの「共同占有概念」が最終的に確立したのはまさにこの時点であろう。
 さて、個人的所有と社会的所有は、本来一体のものとして統合されているのである。「社会的所有」は生産手段にたいして個々人の関係が私的な個別性でないことを、「個人的所有」は社会的所有の内実を、つまり労働と労働条件が本源的に統一された自己労であることを証するものである。
 社会的所有がその疎外体としての国家による「社会的所有」である場合などは、個人的所有は、疎外されたものであり、個人の自立性はゆがめられており、真に社会的所有でもないあるものであることはすでに述べた。
 こうして生産者たちの社会的所有と個人的所有の両者が、本質的な連関を持っていることは明らかであろう。くどいようだが、そもそもこの意味するものは、労働というものが個々人の協力・共同行動として集団的(社会的)に担われている、という現実の理論的反映以外のなにものでもない。 

■B再建された「個人的所有」
 しかし、ここまでの議論はマルクスの「個人的所有の再建」論にとって、単に前提、序論にしか過ぎないのである。マルクスが第7編「資本の蓄積過程」の結語として「個人的所有の再建」を謳ったのは、個人的私的所有の否定の否定として、明確な歴史性と具体性を含意しているのである。
 西野氏はそれについて「非階級的な個人的性格の再建にほかならない」ということ以上のことを残念ながら語っていない。西野氏は「個人的所有」が分散的なものではなく集団的なものであることを述べているのはわれわれにとって救いである。が、両者の関係について立ち入った展開がない。
 しかし、マルクスは、はつきりと「私的小土地所有者(自営農民)」の、否定の否定としてーーつまり収奪者の収奪という社会革命の後ーー私的所有を再興しないが、個人的所有を再建すると述べている。
 このことは、すでに述べたように、所有の本源的統一の回復であるばかりではなく、「小生産者」つまり土地等の生産手段の所有者たちに顕著に現れる特性、個人の自立化・主体的な個人のあり方、労働に関する自覚等々の新しい個人の基盤としての「個人的所有」として再興されると指摘しているのである。(この点では、大谷禎之助氏を参照すべきである。『経済誌林』法政大学Vol.63,No.3)。つけくわえれば、このような個人の形成、自立的で社会的な個人の獲得こそ、新しい連合生産様式の目的そのものなのである。(『フランスの内乱』を見よ)。
 ところが「もつ」「自分のもの」「排他的財産」という、私的所有の法的観念に支配されているれわれにとって、難関はまさにこの点にあるようなのだ。はたしてこのような新しい社会的個人の生産手段への関わりは、「所有」という名に値するのであろうか。それについては繰り返しも含むが次のように答えうるであろう。
 個人的労働・個人的所有は、「個々人の財産」(広西氏)という意味を失って、社会的労働総体の一構成部分としての、個々人の生産手段への関与であり、その意識への反映という本来の意味となる。自立した個々人が生産手段に対して理解し、管理し、熱意をもってかかわるとしたら、それが排他的なものではなくとも、それは「所有」以外の何ものであろうか。
 自覚的に自己の生産活動にとりくむこと、つまり労働の高い意欲や創意や生産手段に対する愛着や情熱をもって経済活動を行うことが、人格的自立と人格的陶冶の根拠として存在しつづける、これこそ社会的個人を支える根拠であるところの、再興された「個人的所有」である。マルクスは、この社会的個人の所有が、連合生産様式のなかで確立されるとしているのである。
 直接的には分散的であった個人的私的所有が、近代的個人の客観的根拠であったように、再建された、直接に社会的な連合生産様式のなかでの個人的所有は、社会的個人の客観的基盤なのであり、このような個人の存立はその社会の目的となる。だからこそ『資本論』第7編「資本の蓄積過程」がその叙述の必然的帰結として「再建された個人的所有」を掲げ、『フランスの内乱』では労働者革命の自覚的目標としてマルクスがこれを語りうるのである。


■C文法は何故無視されたのか
 マルクスが「共同所有」(『資本論』初版)を「共同占有」(『資本論』仏版以後)と書き換えた『資本論』の部分。「資本主義時代の獲得物に基づく、すなわち協業、および土地を含むあらゆる生産手段の共同占有にもとづく、労働者の個人的所有を再建するのである。」という文書の中の共同占有がいつの時代に達成されたかについて信じがたい論争がある。
 私見では、というよりもマルクスの正確無比な文章は、資本主義の史的展開の中で直接に獲得された成果としての、生産の社会化・集団的生産のことを踏まえて、「共同占有」と表現しているのは全く明らかである。「共同占有」は資本主義時代の成果として獲得されたのである。したがって、それをあいまいにする解釈は、その意図は別としても、マルクス解釈の歪曲に逢着するであろう。
 しかし、研究者たちによる「意識的な誤読」は、単純なものではないある誤った理解が背後に存在するのである。このことを明らかにしない限り、問題は解決しないであろう。たとえば西野氏のような、必ずしも自主管理社会主義(市場社会主義)のような分散的占有を前提としていないような研究者でも誤解と混乱が生じている。   (次号に続く)案内へ戻る


紹介・・・ アイヌの女性の話

酒井美直さんは、1983年北海道帯広生まれ。幕別町チロットコタン出身の父と、東京都出身の日本人を母に持つ。
講演では、幼い頃からアイヌであることで差別を受け続け、心に深い傷を負って生きてきたことを話された。駄菓子屋にお菓子を買いにゆくと、ずっと大人が見張っている。なぜだろう?と思い、後で「アイヌ=盗む人」という偏見の目で見られていたことに気づく。学校の教科書に、アイヌについての記述があると何日も前からそこに触れる授業が嫌で欠席したかったこと。友達との何気ない会話で出てくる「アイス」という言葉にさえ、びくびく怯えていた事。自分の出自をひた隠しに隠す、心も体も硬く縮こまった日々はどんなに苦しかっただろう。
転機は、高校生の時カナダに留学し、誇り高く生き生きと踊る少数民族の人たちとの出会いによっておとずれる。翌年には、彼らを日本に招いて交流を重ねてゆく中で固まっていた心がどんどん解けていった。夫となる人からの「あなたはあなたのままでいいんだよ」という言葉に、本当に自分を認め誇りを取り戻す。唇の周りを大きく黒く縁取った化粧をしアイヌの民族衣装に身を包んだ結婚式の写真は秀逸だ。
日本人は、言葉・文化・土地・財産・誇りその他ありとあらゆるものを奪い「日本人」になることを強要した。酒井さんの父は、彼女が5歳の時出稼ぎ先の東京で亡くなっている。差別や抑圧が無ければ、死ななくて済んだはずだ。1997年「アイヌ新法」(正式名称・・・「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」)が施行されるまでは、明治以来「旧土人保護法」というひどい法律を強いられて来ている。さまざまな差別や問題が、すべて解決したのではない。まだまだ課題は山積みだが、酒井さんたちアイヌの若者が語りかけ、民族の歌や踊りを誇り高く私たちに示してくれていることは、おおきな希望だ。講演の後披露してくれた歌と踊りは、自然を敬いその恵みに感謝する、本当に力強く美しいものだった。
2006年、関東在住の若いアイヌを中心としたパフォーマンスグループ「AINUREBELS(アイヌ レブルズ)」を結成して、代表を務める。機会があったら、ぜひご覧下さい。(澄)


沖縄県民の怒り
 ・もうこれ以上米軍基地を押しつけるな!
 ・日米地位協定を抜本的に見直せ!

<はじめに>
 民主党政権は米軍普天間基地移設問題で、迷走とドタバタ劇を繰り返したが、移設先は「当分決めない」として、越年して与党3党で協議して決めるという結論に取りあえず落ち着いた。
 あまりにもお粗末な民主党の迷走ぶりに、この間、沖縄から怒りの声があがった。
 「しょせんヤマトンチューは沖縄県民の苦しみが皆目分からない。政権交代して、民主党政権になったことを県民は歓迎した。民主党は野党時代、政権交代したら米軍の普天間のヘリ基地を国内か海外に移転させますと言明しておきながら、政権を取ったら、閣僚たちはばらばらに勝手な発言をしている。・・・鳩山首相は、沖縄県民の苦しみを解決するために『私が最後には決断いたします』と先延ばしをしてあやふやな答弁をしている。民主党も沖縄県民を愚弄していると言わざるを得ない」(11月10日、琉球新報より)。
 12月5日、岡田外相が地元住民の意見を聞くために名護市で対話集会を開いた。住民の質問に対し、岡田外相は日米安保体制の重要性を再三強調し「現行案(辺野古)以外は難しい」と、まるで基地受け入れの理解を求めるような説明に終始した。
 対話を終えた参加者からは「最低の集会。結局、住民の話を聞いたというアリバイづくりだ」とか「どの質問にも日米安保を理由に挙げていた。それを打ち壊すのが政治家じゃないか。アメリカの脅しにいいようにやられているだけだ」との怒りの声。

1.沖縄海兵隊のグアム移転の可能性
 これまで、外務省・防衛省などを通じて「沖縄からグアムに移転するのは、海兵隊の司令部が中心であり、ヘリコプター部隊や地上戦闘部隊などの実戦部隊は沖縄に残る」という説明がなされ、私たちもマスコミを介してそう思ってきた。
 ところが、普天間基地を抱える宜野湾市伊波市長や市役所職員らがアメリカ側の資料を調べたところ、司令部だけでなく、実戦部隊の大半や補給部隊など兵站部門まで、沖縄海兵隊のほとんどすべてを2014年までにグアム島に移転する計画を米軍がすでに実施していることがわかった。
 この事実を把握した伊波市長は、11月26日衆議院第2議員会館において与党の国会議員に対してこの件を説明した。さらに同市長は12月9日には外務省を訪れ、普天間基地に駐留する海兵隊はすべてグアムに移転することになっているはずだと主張したが、外務省側は「我々の理屈ではそうなっていない」と反論し、話は平行線に終わったようだ。
「米国は、沖縄海兵隊の大半をグアムに移そうとしている」と伊波市長が主張する根拠の一つは、米当局が11月20日に発表した、沖縄海兵隊グアム移転(グアム島とテニアン島への移転)に関する環境影響評価の報告書草案である。
 伊波市長の報告書「普天間基地のグアム移転の可能性について」を読むと、「約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する」「海兵隊航空部隊と伴に移転してくる最大67機の回転翼機と9機の特別作戦機CV−22航空機用格納庫の建設、ヘリコプターのランプスペースと離着陸用パッドの建設の記述があり、すなわち普天間飛行場の海兵隊ヘリ部隊はグアムに移転するものである」と書いてある。
 さらに、報告書では「グアム統合軍事開発計画」概要も詳細に説明している。「グアム統合軍事開発計画」(2006年7月)とは、グアムを世界でも有数の総合的な軍事拠点として開発する戦略である。その具体策として、海兵隊の全構成要素を沖縄から移すだけでなく、海軍と空軍の大拠点としてグアムを開発し、米軍の全部門が連携できる体制を作る計画である。
 琉球大学の我部教授も、「朝鮮半島に米海兵隊を送り込む基地としてグアムを想定しているため、米軍はグアムに大きな港湾施設の整備と海兵隊用に航空施設の建設を計画しているのだ。計画通りに大きな海兵隊基地がグアムにできれば、もう沖縄に地上兵力を配備する必要性が失われる。軍事的に見ると、沖縄に米海兵隊のための新基地は不要である」と述べている。
ヘリ部隊や地上戦闘部隊(歩兵部隊)のほとんどがグアムに移転するなら、普天間基地の代替施設を、名護市辺野古など沖縄県内や国内に作る必要はない。だからこそ、今「グアム全移転」の問題が様々なところから提起されているのである。

2.読谷村ひき逃げ死亡事件と日米地位協定
 米軍兵士が運転する車が、日本の公道において、沖縄県民をひき殺した。ひき逃げして基地=犯罪兵士の「駆け込み寺」に逃げ帰った米兵が、まちがいなく容疑者である証拠もほとんど揃っている。
 ところが、その容疑者を逮捕することも出来ない、身柄を確保して調べることも出来ない、ただ容疑者の米兵に「出頭を要請する」だけである、こんなバカなことがまかり通っているのが沖縄である。
 沖縄県民の人権より、犯罪を犯した米兵の方が日米地位協定で守られてしまう。憲法より日米地位協定の方が優先される。米国の「被占領国民」のままである。これが沖縄の現実。
 怒りの読谷村住民は12月13日、「ひき逃げ死亡事故に抗議する読谷村民総決起大会」(1500人参加)を開催した。
 大会後、集会参加者はトリイ通信施設の前までデモ行進した。施設内では容疑者の米兵は禁足下に置かれながらも通常勤務しており、参加者は基地フェンス越しに「犯人は出てこい」「被害者に謝罪しろ」「身柄を日本の警察に渡せ」と怒りを爆発させた。
 米兵による卑劣な犯罪が起こるたびに、「沖縄の人が泣き寝入りしなければならない世の中はおかしい」「ウチナーンチュがアメリカから人間としてバカにされている」と沖縄県民は怒り、「日米地位協定の見直し(改定)」を強く要求してきた。だが、これまで日本政府は「運用の改善」を言うばかりで、米国側にその改定を申し入れることを一切してこなかった。

3.今後の課題と展望
 今年=2010年は安保条約締結から50年の節目である。
 ここで、日米安保条約をもう一度根本的に検討して見直しをしようとの声が大きくなっている。私もこの論に賛成だし、大いに取り組むべき課題だと考えている。
 安保条約の見直しとは、同時に日米地位協定の見直しのことでもある。地位協定は全文28条からできていて、末尾の28条はその有効期間を「この協定及びその合意された改正は、相互協力及び安全保障条約が有効である間、有効とする。ただし、それ以前に両政府間の合意によって終了させたときは、この限りではない」と定めている。沖縄の今の現実を変えていく課題となる。
 日本政府はこの50年間、「日米安保条約は日本にとって必要だ重要だ」と言い続けてきたが、結局は「75%もの在日米軍専用基地を沖縄県民に不当に押しつけ、沖縄の犠牲の上に安保が成り立ってきた」と言える。日本政府の政策自体が「沖縄に基地を押しつける」差別政策であった。
 読谷村のひき逃げ事件と同じ時期に、東京都武蔵村山市で道にロープを張りバイクを転倒させ重傷をおわせた事件で、警視庁は殺人未遂の疑いで米軍横田基地所属の米兵の子4人を逮捕した。4人は基地内にいたが、警視庁の要請を受けた米軍側が身柄を引き渡したと言う。地位協定の運用の違いを感じる。ここにも沖縄県民にたいする差別がある。
 今の日米地位協定が続く限り、沖縄県民の人権はないに等しい。日米地位協定の見直し(改定)はまさに早急な課題である。
 戦後65年、沖縄県民は過去の侵略戦争の結果、無謀な沖縄戦で本土決戦の「捨て石」とされ犠牲となった。なおかつ、戦後27年間も米軍政府の軍事植民地・奴隷的立場におかれ、本土復帰して日本国憲法の下で米軍基地が撤去されると期待されたが、復帰してもなお米軍基地はそのまま居座り、日本政府は米軍に「思いやり予算」まで付けてアメリカのご機嫌をとり続けている。
 「いつまでヤマトの犠牲にならなければならないのか。もうこれ以上、沖縄県民が本土の犠牲にされるのはまっぴらご免だ」これがウチナーンチュの思いであろう。
 鳩山民主党政権に期待されることは、アメリカに沖縄の「米軍基地問題」「日米地位協定問題」についてはっきりものを言い、粘り強い交渉を重ねて、沖縄の負担を取り除いていくことである。
 鳩山首相は「沖縄の方々が背負ってこられた負担、苦しみや悲しみに十分に思いをいたし、地元の皆さまの思いをしっかり受け止めながら、真剣に取り組んでまいります」と発言している。沖縄県民の思いとは、「米軍基地の整理・縮小・撤去」であり、「日米地位協定の抜本的見直し」である。
 沖縄県民のこの切実な思いは、わがままな要求であろうか。本土の私たちは、沖縄の悲痛な叫びと思いに耳をかたむけて、在日米軍の縮小・撤去をめざしともに闘っていこう。(英)案内へ戻る


共産党と天皇の官吏=官僚制度

「しんぶん赤旗」の暴露

 最近、「しんぶん赤旗」は、草の根で国民と結びついた「国民共同の新聞」だと自己規定した上で、大企業にものをいう、社会的連帯の輪を広げる、社会的弱者によりそう新聞だとの主張を強めている。しかし昔から「論より証拠」とはいう。
 十二月二十五日の「しんぶん赤旗」は、以下の見出しで始まる記事を掲載した。

“米国務長官が呼び出し”は虚偽?
藤崎大使が自ら訪問 米側発表

 クリントン米国務長官が21日に米軍普天間基地の問題で藤崎一郎駐米大使を呼び出したとの日本の一般メディアの報道について、米国務省は22日、これを否定し、実際は藤崎大使が自ら訪れたものだったことを明らかにしました。
 米国務省の記者会見記録によると、クローリー次官補(広報担当)は同日の会見で記者の質問に答え、「藤崎大使は呼ばれたのではない。実際は彼の方から会いにきた」と言明しました。
 日本の新聞やテレビは、駐米大使がクリントン長官から「異例」の呼び出しを受け、「辺野古への移設計画を実行するよう求められた」と報道、「米国の日本政府に対する不信感は頂点に達している」などと解説していました。
 クローリー次官補は会見で、「現行計画が最善だとは思うが、日本との協議は続けていく」と米政府の立場を説明しています。

 この記事は、十二月二十一日、普天間移設問題をめぐり、藤崎駐米大使がクリントン国務長官に呼ばれ、会談したと話した事に対して、これについてアメリカ側が、「大使は呼ばれたのではなく、国務省に立ち寄った」と説明したとするTBSの報道と一致する。
 TBSの伝える事でも、藤崎大使はクリントン国務長官に呼ばれて国務省を訪れたとはいっているが、これについて、国務省のクローリー次官補は呼び出した事を否定して、「大使は(クリントン長官に)呼ばれたのではなく、国務省に立ち寄った」、そして、訪れた理由については、「普天間問題の解決には、さらに時間が必要だ」との日本側の立場を伝えるためだったとした。
 ここで確認できるのは、今回の引き延ばしを米国側が不快に思っていると、テレビで「宣伝」した米国駐在大使藤崎氏が嘘をついていた事が暴露されてしまった事である。
 藤崎大使は、普天間基地移設という重大な問題で、日本政府と日本の選挙民に対して、意図的なリークしたのであり、当然のことながら大使をやめさせるべきだろう。

記者団との一問一答と藤崎発言

 こうした報道について本当に不快に思っているのは、今回打ち合わせもなく一方的に悪役を務めさせられたアメリカのクリントン国務長官であった。だからこそ、米国務省は翌二十二日記者会見を開き日本の一般メディアの報道について、明確にこれらの報道をただちに否定したのだ。それでは米国側公式発表による記者団との一問一答を引用したい。

 記者団:「昨日クリントン国務長官が藤崎駐米大使を呼び出したそうですが、会議の概要についての資料はありますか」
 クローリー「藤崎大使はキャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)とクリントン長官に会いにやってきました(立ち寄ったという意味合いが強い “stopped by”という単語を使っている)。大使は(普天間移設問題に関して)日本の方針決定には時間がかかるということを伝えに来たもので、われわれは現行プランが最善のものだと信じていますが、日本政府との協議を継続していくつもりです」
 記者団:「立ち寄った?呼び出されたのではないんですか?」
 クローリー:「呼び出されたのではないと思います。藤崎大使がわれわれに会いに来たんです」

 公開されたこの一問一答から誰もが確認できるように藤崎大使は、呼び出されたのではなく、われわれに会いに来たとの主張を公開した意味がはっきりと読み取れる。
 考えても見よ。COP15の時に普天間基地移設問題の経緯を説明されて、「もう少し時間を与えて」との鳩山総理からの頼みを「快諾」したのは他ならぬクリントン国務長官である。そして、またこのクローリー国務省次官補自身も、十二月十五日の記者会見で、辺野古飛行場に関して日本政府が態度をはっきりさせない事について、「日本政府は、もう少し時間がほしいと伝えてきた。われわれは、喜んで待ちますよ」と答えてきた人物なのである。
 オバマの米国にとっては普天間基地問題とは、本来的には建設利権と深く関わった日本の国内問題である。グアム島移転のための必要経費の負担には重大な関心はあるものの自民党と利権を同じくする共和党はともかくも民主党は、この問題で利用されたくはないし巻き込まれたくはないのが本心なのである。
 今回、一躍話題の中心人物になった藤崎大使は、毎日新聞によると「異例の形での会談」となった事について「重く受け止めている」と記者団に語り、「日米関係を重視している立場から改めて考えを伝えたいと先方から話があった」と説明した。そしてその時点での鳩山首相への報告はなかったとの疑惑が浮上している。全くおかしいではないか。
 この藤崎発言は米国の説明とは真逆な事が明確に異なっているからである。

毎日新聞等の虚偽報道と「しんぶん赤旗」

 十二月二十二日の比較的良心的な報道を貫く事で知られていた毎日新聞の夕刊一面に、「クリントン米国務長官は21日、国務省に藤崎一郎駐米大使を急きょ呼び、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に関する考えを伝えた。クリントン氏は日米合意計画が望ましいとの米側の立場に変わりがないことを改めて強調し、両国関係に深刻な影響を及ぼさないよう早期の受け入れを促した」という記事を掲載して、「大使を突然、国務省に呼び出すのは極めて異例。鳩山政権の移設先決定の先延ばし方針について、米側が懸念を持っていることを裏付けたものといえる」との記事を掲載したのである。
 悪名高い産経新聞・読売新聞や朝日新聞等も、ほとんど同様の記事を夕刊一面に書き散らかして、普天間基地移設という重大な問題で日本政府を揺さぶりつつ日本の選挙民に対して、意図的な誤報道で世論を誘導した事は明白で全く疑いようもない。
 先の「しんぶん赤旗」が書いたように一般紙の報道は間違っていた。なぜならほとんどすべての日本の新聞が依拠したのは、時事通信社のワシントンからの発信であった。まさに「親亀がこけたら皆こけた」のではあった。新聞各社には全く見識がなかった。
 ところがところがである。誤報道をまき散らしたのは、他ならぬ「しんぶん赤旗」も同罪であったのだ。人の誠実さとは、間違いを起こした時の態度に表される。
 ここに都合が悪い事実は徹底して押し隠して知らぬ存ぜぬを貫き通す共産党の相変わらずの本質がある。「私たちも間違えた」と、何で彼らは率直に認められないのか。
 こんな事では、草の根で国民と結びついた「国民共同の新聞」になどとてもなりえないだろう。それでは十二月二十三日の当該の問題記事のさわりを引用したい。

 会談は同日(二十一日―注)朝に急きょ決まりましたが、この日は大雪のため連邦政府機関は臨時の休日。同長官が各国の駐米大使と個別に会談するのはまれだといいます。
 席上、クリントン長官は「日米関係を重要視する立場から、米政府の考えを改めて伝えたい」と強調。その上で、現行計画に沿って早期の決着間を図るように求めました。
 長官と大使の会談は約15分行われ、キャンベル国務長官補(東アジア・太平洋担当)らが同席。会談後、藤崎大使は米側の危機感について「重く受け止めている」と記者団に語りました。

 この問題の記事が他紙と同じ時事通信社のワシントン発信によって書かれた事は、明示されていて全く明白であるにもかかわらず、官僚体質の共産党はとぼけまくるのである。
 確かに二十三日の記事は、時事通信のワシントン発信の記事を掲載しただけだと言い逃れたいのであろう。しかしここに共産党の本質がはしなくも現れているのである。

現下の闘いの闘いの本質は「天皇の官吏=官僚制度とデモクラシー」である

 現在、普天間基地の移設を巡って、日本政府の意向を謀るような動きをする藤崎大使とマスコミが束になり、今まさに米国の威を借りて鳩山政権を攻撃している。元レバノン大使の天木直人氏が指摘するように、今回の藤崎大使の言動は、時の政府に対する反逆であり、かつ外交上してはならない事で外交官の職責を卑しめるものでまさに罷免に値する。
 それだけではない。官僚組織である特捜権力は、政治献金問題をたてにして、鳩山や小沢に敵意丸出しで起訴に向けての強引な手法を改めようとはしていない。財務省の主計局長は鳩山政権に予算編成に自由にさせないようにと抵抗している。また宮内庁の羽毛田長官は、全く破廉恥にも逆「天皇利用」を試みて、「鳩山政権は天皇の政治利用」をしたとの内部告発をあえて行っている。自民党などの反動派はここぞとばかりに騒いでいる。
 このように天皇の官吏=官僚制度は、鳩山政権の攻撃に憂き身をやつしている。官僚制度と民主党との闘いは、生死を決するかのように熾烈である。
 この現下の闘いの局面を、天皇の官吏=官僚制度とデモクラシーであると言い切った人物がいる。鈴木宗男と共に外務省を追われ有罪判決を受けた佐藤優その人である。
 この断定は現実のある一面を確かに示している。まさに選挙民に責任を果たすなど考えた事もない官僚制度と選挙民に責任を果たさなければならない民主党との闘いである。だからこそ、植草一秀のいう「悪徳ペンタゴン」―政官業外電は、つまりマスコミは日本の選挙民をたぶらかそうと今必死ではある。
 だから私たちには今回露呈したマスコミによる世論操作を見破るだけでは足りない。確かに私たちには民主党を守るという選択もない。私たちが今なすべき事は明らかである。
 私たち労働者民衆の闘いを組織して自ら闘い始める事なしに、つまり他力本願でいくら民主党に期待をしていてもむなしいだけである。すべては自分の闘いで、つまり民主党の力に頼る事なく、私たちの独自の力でこの状況を切り開いていなければならない。
 当面は、きたるべき名護市長選挙に勝利して、そして普天間基地の即時撤去を断固として勝ち取ろうではないか。    (直木)案内へ戻る


読者からの手紙
政権交代で明らかになったこと

 前々からいわれていた事ですが、沖縄返還に関して、核密約の存在が暴露された事が第1に挙げられます。自民党が嘘をついていた事が暴かれてしまったのです。自民党はどの面下げて選挙民に言い訳するつもりなのでしょうか。佐藤政権以降の自民党は、国会偽証罪の責任をどう取るつもりなのでしょうか。この点がまさに問われています。
 続いては、国会の議員会館に隣接する自民党本部の立つ土地が国有地であり、しかも地代を永年支払ってしなかった疑惑が急浮上している事です。昨年の一月、当時の民主党幹事長の鳩山氏は国有地の変換を自民党に要求いたしましたが、私も目障りなり利権政党の建物などなくなってしまえと考えます。この点でも民主党には白黒をつけてもらいたい。
 最後に、自公が政権が滑り落ちた事で、いよいよ小沢が宗教法人に課税をする方向で検討に入ったとの情報がネット界の話題とは成りました。
 財源がないなどの話は、ここをクリアしていうべき問題だと私は確信しています。公明党の息の根を止めるために絶対にしなければならない事だと私は考えています。(笹)  


自己規制なしのTV番組

 自己規制なしにズケズケ放言(?)するTV番組は2・3ある。冬ごもりの支度の一つ、火鉢に入れる炭を買いにナンバに出た。帰途、赤いバスに乗るべく高島屋の横から前に出る道を歩いていた。
 7階か8階かのTOHOシネマのあるビルに、でっかいニュースをまじえた電飾の広告版が目に飛び込む。チョッと情景が続くと何遍もこれでいいのか≠ニいうコトバが繰り返される。歯に、キヌをさせぬズバリともの言いする人々が、あのでっかい広告板から語りかける。
 こうした自由≠ェ、いつまでも続きますように。それを保証するのは、われわれ庶民であろう。
  09・12・21宮森投稿

対話ってむずかしい

 12月22日夜、沖縄在住の政治学者ダグラス・ラミス氏の話を聞きに行った。講演の内容は沖縄が要石といわれる所以、それをアーチ型の建築物が倒れないことを比喩として話された。しかし、その緻密な論理的分析、そうした欧米の思考法に私どもアジア人はなじめぬのではなかろうか、という感じがいなめない。
 力ではなく対話、東と西との対話は難しいのではなかろうか、というのが正直な感想。違いすらつかみきれず、フアーッと後ずさりしてしまいそうな、緻密な構想力には参った。対話に至るには、相当に双方が努力、学ばねばなるまいと思った。この冬は寒いのと、体力の衰えから、冬ごもりして勉強することにした。学ぶ材料はどこにでもある。
09・12・23 よる宮森投稿

辺野古の大浦湾を海底散歩の楽しめる海に

 12月22日夜、ダグラス・ラミス氏の講演を聞きに行った時、大浦湾の海底に住むサンゴや色とりどりの珍しい植物や魚の写真集(300円)を買った。基地なしの大浦湾は、きっと潜れば楽しい海になるだろう。
 サンゴの影にイタズラっぽく首を出している小さなオモシロイ魚など、私は戦中戦後の餓えの時代に育ったから、楽しむすべを知らないが、楽しいことだろうなあ位は想像できる。
 思いやり金や基地がなくなれば、どんなかわいらしいく楽しい海になることだろう。素人考えにすぎないが。
 09・12・24宮森投稿

ワーカーズとの出会い

 すべてを失って東京から大阪へ舞い戻ったのは、昭和も50年代のことであったろうか。しまいには言葉すら失ってしまった。何しろ外の世界(自分の部屋以外どこでも)が恐ろしかった。
 何の偏見ももたない幼稚園児より年下の幼児と、二言三言交わすことから始まって、少しづつ外へ出れるようになった。サアそうしたら外界がこれまでと違ったふうに映ったらしい。イチイチ書きまくって投書狂とあい成った。
 しかし、その基調にはむなしさがあった。その頃、散歩に出てナンバ千日前のジュンク堂の書棚の片隅に、竹中労氏のルポ・ライター事始≠ニいう文庫本を見つけ買って帰った。それからよく外出、ある集会の終わりでワーカーズ℃を売っている人に出会い、ワーカーズを手にした。
 何でも私はその頃、投書狂フリージャーナリストというふれ込みで、歩いていたように記憶する。しかし、むなしい、むなしいを連発するような私の文は、すぐさまクズかご行きであったろうと想像する。
 ルポライター事始≠ニワーカーズ≠ノ出会ったことが、私の大きな転機となった。外と内を貫く文を書くようになったと思う。書けていないけど、少なくとも志すようになって、今またもうひとつの転機を迎えようとしている。今度の沖縄行き、もう最後の旅であろうが、生と死を分けた二つのガマ≠詳しく知りたく、また紹介したく、来年の2月の旅に賭けて、行く。  09・12・26宮森投稿


払込取扱票に書かれたFさんからのメッセージです。

購読料半年分を支払います。証拠となる領収書を紛失したので、○○○によると10月分迄支払っていると思いますが、ご確認の上、ご連絡ください。
 民主党政権への評価について、私のような共産党内の批判派は、民主党は第二自民党であり、民衆に幻想をふりまき、資本主義の延命を図るための政党と位置付けていたので、今日の迷走は想定通り。しかも、民主党に期待した多くの人間が失望した結果、ナショナリズムをあおるネオファシズム国家へと走る危険を無視できない。オルタナティブの提示と運動の構築が叫ばれて久しいが、依然として左翼は混迷し、横断的統一戦線が生まれていないことに私もあせりと不安を覚える。しかし、なんとか現状打破のきっかけをつくろうと模索している。案内へ戻る


コラムの窓 再燃する「邪馬台国」論争

 奈良県の纒向(まきむく)遺跡で、巨大な柱の跡が発見され「魏志倭人伝に記述されている楼門ではないか?」と、また新しい年代測定法によって、同遺跡にある箸墓(はしはか)古墳の築造時期が「卑弥呼の時代と一致するのでは?」と、注目を集め、「邪馬台国は九州か?近畿か?」という論争が、にわかに再燃してきた。
 ここ数年の情況は、纒向遺跡・箸墓古墳が脚光を集め、「邪馬台国・近畿説」が考古学会やマスコミの間で有力視されている。しかし、つい十数年前は、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の発掘により、世間は「邪馬台国・九州説」に大きく傾いていたことを思えば、今後も新たな遺跡の発見があれば、また情況はひっくり返ってしまいかねない。
 邪馬台国論争は、江戸時代の国学者、新井白石と本居宣長に始まる。新井白石は当初近畿説を取るが、後に「天皇が中国に自ら従属するはずがない」との皇国史観的動機から「九州説」に転じたという。これに対し、本居宣長は「近畿説」を取るが、実際に中国に使いを出したのは、熊襲など九州の豪族で、大和の神功皇后(卑弥呼?)の名を語って通交したのだという「偽潜説」だったというから、議論ははじめから錯綜していたようだ。
 明治時代になると、東京大学の白鳥庫吉が九州説を、京都大学の内藤湖南が近畿説を、それぞれ唱え、それ以降、東大学派は九州説、京大学派は近畿説を、それぞれ主張するようになったという。
 最近では、邪馬台国は「卑弥呼」の時代には九州にあったが、卑弥呼が亡くなり、内戦を経て、次の「壱与」の時代には近畿に遷都したのだという「東遷説」まで唱えられ、こうなると邪馬台国論争も、なにやら混沌としてくる。
 「魏志倭人伝」がかかれた当時の中国は後漢が滅び、魏・呉・蜀に分かれて合い争っていた。朝鮮半島も北部には高句麗が南に勢力を拡大しようとし、韓半島南部では、馬韓(後の百済)・辰韓(後の新羅)・弁辰(後の伽椰)に分かれていた。
 こうした東アジア情勢の中で、日本列島でも北部九州(筑紫)、山陰(出雲)、瀬戸内海(吉備)、近畿(大和・河内)、北陸(越)など各地に、地域国家が乱立していたと捉えるなら、邪馬台国もその地域国家の中で有力なひとつだったことには間違いない。
 最近、日韓の歴史学者の共同研究によって、韓半島南部の伽椰(かや)で産出された鉄資源をめぐって、周辺の地域国家が覇権争いを繰り広げていたらしいことが注目されている。韓半島では、百済も新羅も、それぞれ東西から伽椰地域に覇権を広げようとしていたし、九州の筑紫国家と近畿の大和国家も、伽椰との海上通交ルートをめぐって、玄界灘から瀬戸内海に到る、海上の覇権争いをしていたらしい。
 瀬戸内海沿岸には、高地集落が多く見られ、軍事的色彩を帯びている。九州・瀬戸内・近畿をまきこんだ覇権争いと関連しているのは確かだろう。問題は、これが邪馬台国の「倭国大乱」の記述に直結するものなのかである。吉野ヶ里遺跡の甕棺墓からは、首を切られた人骨や、矢の刺さった人骨が発掘されているが、そこからイメージされるのは、筑紫から筑後にかけた北部九州一円を舞台とした内乱である。
 韓半島との通交をめぐって、九州と近畿の争いはその後も続く、古事記・日本書紀によれば、神功皇后が夫の仲哀天皇と共に、熊襲を討ちに筑紫に遠征にくるが、結局九州勢力を制圧することはできず、仲哀は九州勢の矢に当たって倒れてしまう。その時、神功皇后は「海を渡って新羅に行こう」と説得する。「記紀」では「三韓遠征」説話とされているが、実際は新羅系の王族を先祖にもつ神功皇后が、筑紫勢力と対抗するために、新羅と外交・通商関係を結びに行ったのではないかとも言われている。
 さらに時代は下って、筑紫の君「磐井」の乱と呼ばれる戦争も、伽椰の覇権を巡って新羅と対立し苦戦する百済に、大和政権が援軍を送ろうとしたのに対し、新羅との関係を深めた筑紫の磐井が立ちはだかったために、起きたとものと言われる。
 北部九州の各地を歩くと「伊都国」、「奴国」など魏志倭人伝に記述された地域国家の遺跡に出会える。奈良の山野辺の道を歩くと、箸墓古墳をはじめ、大小の前方後円墳を見ることができる。釜山に旅行し、そこから足を伸ばすと、日帰りで伽椰の遺跡巡りができる。
 農機具や兵器に必要とされた「鉄」、その資源と海上交通路を確保するため、海を越えて繰り広がられた外交と戦乱の歴史。邪馬台国論争は、単に「九州」か「近畿」かにとどまらず、それを通じて、こうした古代の地域国家のせめぎ合いの歴史を浮かび上がらせてこそ、意味があるといえる。(誠)案内へ戻る


色鉛筆−今年もよろしくお願いします−

新しい年がやってきました。毎年、特に変わったこともなくその年を迎え終えて行く。そのくり返しですが、確実にそれぞれが歳を重ねていっています。仕事に関しても体力的に無理が利かなくなって来ていることを実感します。
 年賀配達の準備作業をしながら、通常の郵便配達の仕事もこなさなければならない私たちの職場は、とにかく早い仕事が要求されます。それがプレッシャーとなり、先日も同僚が配達途中で自転車ごとひっくり返り骨折をしてしまいました。3週間の安静と3ヵ月間は自転車は乗られないとの診断でした。
 12月に入ると、不況と言いながらもカレンダーが大量に出され、自転車の配達では一度では無理があり、何度も作業所を往復しなければなりません。その上、ベネッセが出す乳幼児から高校生までの学習教材のかさばる郵便物が、追い討ちをかけます。そんな状態で起こった事故でした。起こるべくして起こったことで、誰も同僚を責めることはできません。
 労働者は自分の労働力を売って、その対価として賃金を得るのですが、その労働に見合った賃金が支払われているのかどうかを、今の労働者は何を基準に判断したらいいのでしょうか。本来なら労働組合がその作業をするはずだったのです。物価が下がれば労働賃金も下がる、そしてますますデフレが進んでいく、そんなことを言われたら賃金は下がっても仕方ないと諦めてしまうのでしょうか。
 職場のことをあれこれ書きましたが、正月の随想にしてはあまり相応しくないかもしれません。そこで一つ、とても嬉しい話をお伝えします。高3の娘が通う学校で読書感想文集が配布され、私は読ませてもらいました。そこには、娘の親友が賞をもらいその文章が紹介されていたからです。
 その本は、「ひめゆりの塔」石野径一郎著で、自ら探し求めて書店で購入。そのきっかけとなったのが沖縄の女性歌手のライブ映像を見て、その歌手が「ひめゆりの部隊」の追悼記念施設のリニューアルで、涙を流して嬉しさを表現していたからだそうです。その涙は、これまでは戦争への憎しみや悲惨さを告げる場所だったのが、平和を祈る施設になったことにあったそうです。娘の親友は感銘とともに自分の無知さに羞恥を覚えた、と同時に戦争のことを知ろうと決意し行動を起こしたのでした。
 読書離れが進む中、そして受験体制に浸かった中での学校の取り組みには、困難も伴ったと思います。私たちの子どもの頃は、各学校には図書の先生が居て図書室は開放されていました。それぞれが、読書感想文のノートを持っていて、本に触れるきっかけは多かったと思います。そしてコンクールは読むことへの励みにもなります
 「戦争のことを知ろう」と目標をもつことで、自分がどんな道に進むのか選択できることにつながっていきます。私なりにも、今年をどんな一年にするか、目標を作って前向きに過ごしたいと思います。今年もよろしくお願いします。(恵)


編集あれこれ

 鳩山内閣の迷走、ドタバタがさらに増幅されています。本紙前号では、「羅列公約と現実のギャップ」がドタバタ劇を必然化したと指摘しています。誰にもいい顔をして、一貫性のない公約を並べているのだから、それも当然です。
 鳩山氏もあれこれ約束している間は心地よくしていられますが、実行となると困難や妨害にめげない決意、場合によっては自ら血を流しても進む厳しさが求められるのです。普天間移設ではなく即時撤退を、オバマ米大統領にはこの結論を受け入れさせなければならないのです。お坊ちゃま宰相には、やはり無理なのでしょうか。
 もちろん、民主党政治のドタバタのすべてを、鳩山首相の指導力に帰すことはできないでしょう。雑多な政治的傾向によって構成されている民主党は、頭と胴体、手足がバラバラだと、渡辺治一橋大学大学院教授は解説(「労働情報」12月15日号『民主党はなぜ動揺するのか』)しています。
@頭は、仕方のない構造改革派「まず、民主党の司令部である鳩山さん、菅さん、岡田さん、藤井さん、仙谷さん、野田さんたち執行部は、無自覚な、仕方のない新自由主義派とでも規定すべき勢力です」
Aメタボな胴体?利益誘導型政治の民主独裁をはかる小沢派「しかし、党の執行部の中に、こういう新自由主義派とは違う巨大なグループがいます。これが小沢派です。僕は、これを『民主党の胴体』と言っていますが、党内で強力な力を持っています」
B福祉の実現目指す党の看板?手足「でも、この2つの闘いなら自民党と同じです。自民党も『小泉構造改革派』対『麻生漸進派』という形で2つの潮流が闘ってきたわけです。しかし民主党が自民党と異なり、国民の反構造改革の期待を集めたのが3番目のグループです。『手足』と私は呼んでいるのですが、民主党の中堅議員層です」
「つまり、頭である執行部は右、手足は左、胴体は後ろ、民主党政権は、こうした力関係の中で動いているのです」「民主党の外の財界・アメリカが勝つのか、地方の利益誘導型の声が勝つのか、それとも国民の構造改革政治を止めろという声が勝つのか、運動、外からの力が手足を押し上げるかどうかで民主党政権の方向が決まってくる」
 なるほど、面白い分析です。いずれにしても、政権が代わったのだから棚ぼたでうまくいくなんて甘い話はないということでしょう。   (晴)案内へ戻る