ワーカーズ409号 2010/2/1     案内へ戻る

自民党的利権政治を根絶しよう!――依拠すべきは草の根政治力――

 半年足らずで政治の舞台はぐるっと回った観がある。
 自民党政治の刷新を期待されて実現した政権交代。その鳩山民主党連立政権で首相である鳩山由紀夫と幹事長の小沢一郎が、ともに政治とカネ≠巡る疑惑で矢面に立たされている。鳩山首相による献金偽装事件と小沢幹事長の裏金疑惑である。踊った言葉はまたしても秘書が、秘書が≠ニいう責任逃れだ。
 もとより鳩山首相の巨額の政治資金の使途、小沢幹事長の裏金疑惑はいまだ何ら解消していない。財政の無駄を省く、カネのかからない政治をめざす、といってきたのは何だったのだろうか。自分たちは巨額の政治資金による選挙や党内政治で地位を築く一方、他方できれい事を叫んだり、秘書が、秘書が≠ニ言い逃れしても誰からも信用されるはずもない。
 捜査を進めている検察も不正をただす正義の味方などではない。巨悪を逃さない≠ニいう建前の裏では、検察庁法の「捜査ができる」というフリーハンドを盾に、恣意的判断で多くの巨悪を見逃してきた。その検察の基準は国家安泰≠セという。要は国民を統括する国家を守るのが目的であって、その限りではみ出た政治家を標的にしてきた。それらを放置することで国民の国家への不信が広まることを阻止する、というものだ。その検察も、大阪高検の公安部長による内部告発を葬り去ったことも含め、あくまで自己都合優先だ。
 双方の攻防戦がどう決着するか、現時点では不透明なままだ。というより、本来は利権政治や政治腐敗を糾弾し、一掃するのは、本来は私たち有権者、ふつうの市民の権利であるはずだ。あらゆる地域、オフィス、会合場所などに、権力者の利権政治を許さないという私たちの側の監視の目と耳のネットワークがあれば、不正は見逃すことはない。検察が表舞台に登場すること自体、それらがあまりに貧弱なことの結果である。とはいえ、疑惑が浮上して以来の民主党や鳩山内閣への支持率が落ち込んだことも、ふつうの有権者や市民の糾弾の意思表示にもなっている。
 今回の疑惑で明らかなことは、金権政治や腐敗体質を内在させてきた自民党的な体質を、鳩山内閣や民主党そのものも引きずっているという現実だ。そうした体質を一掃することで、はじめて自民党政治の刷新が大きく前進する。(廣)


どこにいった民主主義――権力政治がまかり通る民主党――

 政権交代から半年足らず。自民党政治の刷新を期待された民主党政権は、ほころびが広がるばかりだ。
 民主党は国民の生活が第一≠スローガンに政権の座に着いた。その実現を求めるのは有権者の当然の権利である。これまでは鳩山政権の政策を中心に取り上げてきた。が、今回は独裁色に染まった小沢民主党に批判の目を向けてみたい。

 ◆温存される利権政治◆

 今回の小沢の秘書や元秘書が逮捕される事態は、何を物語っているのだろうか。それはヤミ献金疑惑も含めて、民主党幹事長となって政権内部でも突出した権力を手にした小沢が、政権交代で刷新しなければならないはずの自民党的な利権政治から脱却できないどころか、どっぷり足をつっこんだままであることが浮かび上がったことだ。不透明な資金操作を伴った不動産の取得、それに胆沢(いさわ)ダムの受注を巡る水谷建設からの裏献金疑惑である。付け加えれば、藤井財務相辞任の背景にもなったといわれる自由党解散にまつわる消えた「組織活動費」疑惑の問題もある。
 今回の事件の帰趨は現時点ではまだ不透明だ。しかし、1月23日の小沢幹事長の事情聴取後に行われた当人の弁明は何も説明になっていない。
 その小沢幹事長自身による事情聴取後の記者会見でも、表面的には強気を装ったが言葉尻では予防線を張ったかのような言葉がちりばめられていた。いわく、「不正な金≠ヘ……一切受け取っていない」、秘書らについては「受け取っていないと確信している=v等々。認めたのはよく言えば秘書に対する監督責任、実質的な責任逃れである。政界では議員あっての秘書、議員が了承しない巨額のカネの出し入れはあり得ないというのが常識となってるのに、だ。
 当人の言動とは別に、民主党議員の発言も政権党の当事者だという自覚に乏しいものも多かった。リーク捜査だとか、「関係者」をめぐる報道批判、それに検察庁への指揮権発動を連想させる首相発言等々、誰がみてもかつて自民党の腐敗追及を繰り返した民主党議員とは思われないような常軌を逸したものでしかなかった。
 これらは政権獲得以降の支持率の下落、ひいては夏の参院選挙への悪影響を危惧する危機感、および政権党としてのおごりからのものだろう。こうした民主党議員の振る舞いは、党を小沢幹事長に牛耳られ、それに手出しできない民主党の実情を反映したものだとしか言い様がない。

 ◆二重権力◆

 鳩山政権は、マニフェストで掲げた政治主導の実現をめざしてきた。それまでの自民党が政府と党の二元政治に陥り、責任の所在を曖昧にしてきた、との批判からだ。そうした批判は一定の根拠があり、だから多くの有権者やマスコミ民主党が掲げた政治主導という立脚点を評価してきた。
 しかし民主党が掲げるような政治主導には功罪両面があり、官僚主導政治からの転換、責任の所在を明確にするという点は評価できる。が、内閣への意志決定の一元化という立場については、行政権の肥大化につながる危険な側面も含まれている。それは内閣という行政府への意志決定の一元化ということであって、本来の当事者主権を土台とする国民主権とは対極のものにならざるを得ない、という性格である。行政府主導政治は、普天間基地の移設問題などに端的に表れているものでもある。だから私としても、民主党には代意・代行≠ニいう統治システムの概念はあっても、本来の民主主義の概念がない、と批判してきた。
 それに党を政策の意志決定から除外するということについても、どだい無理な話で、国民の意志の組織化を体現する政党の意義を否定するものだからである。そもそも「マニフェスト」は党で決めたものだったし、その党を除外して「マニフェスト」の改善も手直しあり得ない。結局は、民主党の政治主導というスローガンは、実現しても行政の肥大化をもたらし、あるいはことの性格からして実現不可能なものでしかないのである。
 現に、内閣への意志決定の一元化を追求してきたはずの鳩山政権で、絵に描いたような二重構造が生まれている。これは昨年末の政府の予算編成で、最終的には「党要望」を飲まされた経緯によく現れている。結局、党は政策決定には携わらないとしてきた「内閣への意志決定の一元化」という政治主導の政治は、党が実質的な拒否権や一定の最終判断権を持つことによって形骸化させられ、結局は、内閣と党という二重権力状況が生まれてしまったのだ。
 しかもその党の決定権≠ヘ民主的なものでも透明なものでもない。小沢幹事長は「党要望」を鳩山首相に提示したときの挨拶で、「党の要望は国民の要望として受け取ってほしい」とアピールした。「こども手当」についても「高速道路の無料化」についても、所得制限を設定するのか、あるいは代替制度とセットなのかについて、具体的な局面や細目を含めて国民がどういう制度を求めているかは検証不可能である。しかもとりまとめ過程が不透明な「党要望」は、たとえそれを「国民の声」と称しても、小沢民主党の恣意的な独断性を免れているわけではない。
 結局は、意志決定の一元化などは、政権党内部の力関係に依存せざるを得ない。政権獲得後の民主党は、首相になる鳩山代表の党内基盤を確立するために、退任させられたばかりの献金疑惑を抱えた小沢一郎の、党内で確立した力に依存せざるを得なかったわけだ。民主党が掲げた表看板と現実は違うのである。

 ◆民主主義はどこに◆

 表看板に反して二重権力構造が固まった鳩山民主党政権。その最近の民主党では、危惧していた民主主義の欠落を浮かび上がらせる出来事が相次いだ。たとえば陳情とりまとめの幹事長(室)への一本化、年末の大規模な小沢訪中団、それに元日の民主党議員による小沢詣で≠ネどだ。
 地方や業界の陳情に関しては、自民党時代であれば自民党議員の紹介で中央官庁の役人に取り次ぐことが多かった。それが選挙での省庁や業界による票集めと組み合わさって、利権構造のトライアングルを形成してきた。
 民主党の新ルールは、確かに自民党と官僚や地方・業界の癒着を断ち切る、あるいは自民党の支持基盤をはぎ取るには有効だろう。しかし、それは陳情政治を一掃するのではなく、陳情を民主党の幹事長室に一本化して政府に取り次ぐことで、小沢幹事長自身が陳情政治の中心に取って代わるだけである。当然のこととして取り次ぐ陳情は、幹事長(室)の取捨選択という密室での恣意的判断にゆだねられる。まさしく、利権の再編成である。
 これが構造的なものになるかどうかは、まだわからない。しかし、これまで陳情組が闊歩していた場所が、中央省庁や自民党本部から民主党本部に異動したことだけは確かだ。
○昨年12月12日の小沢幹事長を代表とする訪中団もそうだ。交流自体は以前から続いていたものだが、政権獲得直後に140人もの国会議員を従えての大規模な訪中団は、権力の所在を目に見える形で示す格好の場となった。中国当局も、最大の歓迎ぶりを示したことは記憶に新しい。一人一人の議員が胡錦涛主席との握手と写真を求めて列をなしていた場面など、反中国派ならずとも異様な思いで受け止めただろう。
 同じような場面が正月にもみられた。元旦の小沢邸で行われた新年会に、民主党議員が、なんと166人も訪れた。あげくに最後は一人一人小沢幹事長の前にかしずいて言葉を受ける、という、何とも時代錯誤な光景が繰り広げられ、その一部がテレビでも報道された。
 ふつうなら、幹事長として正月ぐらい地元に帰って有権者廻りでもしてこい、と声をかけるところだ。が、自らの力を示したくてたまらない小沢幹事長は違っていた。大訪中団と同じく、小沢幹事長は嬉々として訪問者を迎えたわけだ。それが政界での権力の源泉になっていると考えているからだろう。事を裏側から見れば、こうした行事に参加しないとまずいという疑心暗鬼を振りまき、あえて踏み絵を踏ますことを強いるような党内統治の手法は、権力政治、恐怖政治そのものである。
 これで思い出すのは、かつての自民党議員による正月の目白詣で、田中御殿詣でだ。田中元首相がやみ将軍と称されていた頃、正月には多くの自民党議員が正月の挨拶に目白御殿を訪れた。昔を知る年代の人には、記憶に残っている人も多いだろう。民主的な政党、仲間や同志であるはずの政党内部で、これほど主従関係があらわになる光景はない。それを誇示する小沢幹事長やその呪縛に縛られているとしか見えない民主党議員には、党内民主主義、あるいは民主主義そのものをどう受け止めているのだろうか、問いただしたいところではある。

 ◆闇将軍?に牛耳られた民主党◆

 なぜ民主党が小沢幹事長独裁ともいえる組織に変質したのか。それは民主党議員の大臣病≠ニ鳩山代表の安易な政権基盤づくり、党内権力の集中を防げない組織観、組織方針がある。
 民主党組織方針になっている党の規約では、自民党も同じだが、党代表(総裁)の権限がとても大きい。責任の所在を明確にするという点では、確かに簡明だ。しかし反面では、運用次第でどうにでもなる代物でもある。
 民主党でも形式的には党大会で選出される代表の権限は、人事権をはじめとして多岐にわたる。が、それに劣らず幹事長の権限も強力だ。幹事長は党代表が国会議員の中から選任することになっているが、いったん選任された幹事長の権限は絶大だ。たとえば幹事長は党大会と両院議員総会に次ぐ日常的な党の意志決定の場となる議決機関である常任幹事会を主催し、随時それに加わることができる役職者も選任できる。さらに代表が主催する執行機関である役員会を、実際には代表抜きで運営できる。
 意志決定の場の中心になるだけではない。権力的地位そのものともいえる人事権も握ることになる。幹事長は自分の手足となる幹事長代理や副幹事長、その他必要な役職者を選任できる。そのほか、選挙対策委員長や総務委員長、それに財務委員長、組織委員長、広報委員長、企業団体対策委員長、国民運動委員長も、本来は国会議員の中から党代表が選任することになっているが、鳩山代表が党と国会の人事はすべて幹事長にお願いします、ということで、幹事長にゆだねてしまった。あわせて党政調会長職を規約に反して廃止してしまい、国家戦略局と兼任するはずだった菅直人現財務相を党の役職からはずしてしまった。当初は党と内閣の意志決定の一元化の人的象徴となる方策だったのに、である。
 その他には衆参の党公認候補の決定が役員会、選挙対策委員長、常任幹事会という流れで決められるので、これもそれらの実権を握ることになった幹事長のものになった。さらに党財政についても毎年度の予算編成の権限があり、組織対策費などなど、使途が細かく公開されない党資金の采配も握ることになる。
 付け加えれば、民主党の規約でも「政治倫理に反する行為」に対する制裁規定がある。たとえまだ決着がついていない疑惑だとはいえ、少なくとも秘書や前秘書の国会議員が逮捕されており、その上マスコミや国会では連日議論の遡上に載せられているし、新年度予算案の審議にも影響を与えている。当然、党としても疑惑解明と審議の正常化のためのも党独時の調査は必要だ。にもかかわらず、幹事長の意を忖度≠キるかのように、一時は疑惑の当事者の弁護とマスコミ・検察批判に終始するばかりだった。いま多少は軌道修正しているが、それでも規約に則った常任幹事会による「速やかな調査」に乗り出すそぶりもみせない。もはやかつての自民党と同じで、自浄努力など知らないかのようだ。
 元々民主党は寄り合い所帯で、党内では相対峙する議員グループも7つもあった。小沢グループは、当初は民主党内で外様扱い、雇われマダム扱いだった。が、他の有力者はおおむね大臣候補であり、目はそちらに向いていた。現にその多くが閣僚に抜擢され、干された@L力者も、結局は副大臣などに登用される結果になった。党の役職は、小沢幹事長の取り巻きで固められ、結局は、鳩山代表の政権基盤づくりもあって、小沢代表に党の意志決定の場、党と国会の人事権、候補者の公認権、それに党の資金配分の権限をすべて握られてしまったわけだ。自らの取り巻きを役員会などに配置して党を牛耳った小沢幹事長は、実質的には民主党のもう一人の代表≠ニして、あるいはかつて田中元首相が称されたような闇将軍≠ニして民主党と鳩山内閣に君臨することになった。

 ◆小沢政治に厳しいチェックの目を◆

 数年前のことを思い出す。たとえば郵政解散で小泉自民党の完敗した岡田民主党、偽メール事件で辞任を余儀なくされた前原民主党。その場面では、民主党は選挙互助会とも揶揄され、選挙で政権取りに失敗すればそのたびに分裂の可能性がささやかれた。政権の座に着いてからは、政権党としての求心力は確保できたわけだが、だからといって小沢独裁でいいはずがない。政権党の実質的な意志決定が国民から隔絶されたところで行われるようでは、結局は政権交代で期待された自民党政治の刷新という有権者の要請に応えられない。
 小沢一郎の政治路線は、今度の参院選で単独過半数を獲得すること、しかも自民党をかつての社会党のような3分の一政党に落とし込んで圧倒的な多数派を形成し、その与党のまた過半数を制して政権を意のままに操れる体制をつくることである。その上で海外でも軍隊を活動できるようなふつうの国≠テくりのために、旧社会党のような一国平和主義を引きずっているような勢力を追い出すための政界再編まで視野に入れているのかもしれない。
 いまはそうした小沢の最終戦争≠フ真っ最中だが、そうした小沢の思惑がすんなり実現するはずもない。何よりも有権者がそれを許さないし、その過程では今回のように、自らの疑惑で有権者の忌避反応を増幅させて自らの思惑が頓挫する可能性もある。
 ともかく、現実は民主党は政権政党だし、小沢幹事長は政権党の権力者だ。民主党、また小沢政治には、厳しい批判の目を向けていく必要がある。そうした視点抜きに、民主党政権以後の展望も開けてこない。(廣)
 案内へ戻る


連載
「個人的所有の再建」論争ーーマルクスの所有概念と「共同占有」 【U】
2009.12.17 阿部文明

目 次
@はじめに
A社会的所有と個人的所有の一般的関係
B再建された「個人的所有」
C文法は何故無視されたのか(408号掲載)
Dマルクスの所有・占有概念は歴史的な概念である
E「共同占有」は「社会的所有」へ転化する
F田口氏の取得・分配の原理(409号掲載)
G農奴制のもとで「労働と生産手段の本源的統一」はあるのか
H労働と切り離された広西氏の「所有」「占有」論
Iその他のマルクス「解釈」をめぐって


■Dマルクスの所有・占有概念は歴史的な概念である
 西野氏が残念なことに理解できなかったことは、「共同占有」のマルクス的把握である。それを「占有とは利用である」というのであれば、申し訳ないが何も語ったことにはならない。「占有」を別な用語や表現におきかえることが問題なのではない。むしろ誤解をあたえるであろう。「共同占有」を歴史的なカテゴリーとして理解しなければならない。それが核心である。
 「共同占有」は「社会的所有」の前身であるばかりではなく「共同占有」は歴史的に「社会的所有」へと転化しうるものとしてマルクスに把握されているのである。したがって当然労働と結び付いているのである。それらのことがどうも西野氏には理解されなかったのである。
 マルクスの第7編の第24章の結語部分の簡明な記述にそって、上記の論点を整理すればその主旨は、資本主義の成果としての社会的生産と「共同占有」の確立、そしてそれらに基づいてーー収奪者の収奪を経てーー「個人的所有」を再建し「社会的所有」が実現される、としていることは誤解の余地もないと思われる。
 「占有」はすで法概念としても、「占める」、「直截的支配・管理」等々の含意がある。しかしマルクスはそれに「労働」を結びつけ、所有の前段階、所有の可能的根拠という歴史的な、弁証法としての意味を付け加えたのである。
 したがって「全生産手段の共同占有」とは、資本主義社会の成果として現れてきた集団的、社会的生産に関する労働・労働者のかかわりを示している。どのようなかかわりかといえば、労働者が歴史的かつ社会的に労働の連鎖を媒介として、全生産手段を「占有」しているということである。それがマルクスの「共同占有」概念である。(したがって、ついでだがマルクスの「共同占有」を田口氏のように、たとえばA工場の1000人の労働者による「共同占有」と読み替えることは不可能である。)
 支配的階級としてではなく、被支配階級としてではあるが、実質的・実体的なものとして、全生産手段に対して労働者階級が集団的に労働に当たっている、したがって「占有」している、のである。そしてこの共同占有は、収奪者の収奪(つまり社会革命をへて)によって社会的所有に転化するのである。マルクスの見解はこのように明確なものではないのだろうか。
 マルクスの「労働者の共同占有」概念の独自性を見ないで、ただ民法からの類推で「共同占有」を考えれば、労働者には「占有権」があり、その意思も含めて社会的に認められていると読み取ることもできる。そうするとマルクスの「共同占有」は革命以後の、社会主義社会の内容そのものとして理解されざるを得ないのである。その上、あとでみるように,マルクスの誤読により「占有は所有の基礎」として両者が一体化されてしまうのだから「共同所有」と「共同占有」は同じような「社会主義の構造を指している」云々という解釈に至るのであろう。これらの見解は西野氏、田口氏、広西氏の共通項をなしているように思える。

 西野氏は言う。「しかし、小経営生産=取得様式における《生産手段の占有》の、その《占有》概念に照らしたとき、労働者による『生産手段の共同占有』が『資本制時代に達成されたもの』と解してよいかどうかは、改めて問わざるを得ない。やはり、それは、『否定の否定』によって《再建》されることになる労働者による《共同占有》と理解されるのが正しいであろう」(『経済学と所有』)。
 西野氏も結局のところでは、「個人的所有の再建」は、労働者による生産手段の共同占有を不可欠の前提とする。と述べている。「私はそれを、資本制時代に達成される資本の生産過程での労働者による生産手段の共同利用と理解したのであった。」という見解をやめて「やはり、『否定の否定』によって『再建』されることになる労働者による《共同占有》と理解されるのが正しいであろうというのがたどりついた結論である。」(同上)。つまり、「個人的所有の再建」したがって「社会主義」の直接の基礎として、「共同占有」が位置づけられてしまうのである。
 
 西野氏は占有と所有を歴史的な概念として把握していない。直接のつまずきは、「共同占有=共同利用」にある。このような非歴史的な概念操作は、法概念としての「占有」を一歩も超え出ていない。あたかも労働する側に主体があり「利用する」、つまり主体的な占有は、民法的な意味での占有となり、労働との関係もその歴史性も曖昧となる。生産(労働)と所有の結びつきをあれほど強調した氏であったが、それが無意味となってしまった。その結果として共同占有は「社会主義の基礎構造」として格上げになったのである。マルクスが、一貫した所有論の上に立って初めて歴史的に占有概念を規定した意味がこうして失われてしまった。
 「労働者の共同占有」は、民法概念と同じものではない。占有は歴史的な概念として、資本主義が生み出した連合生産様式への土台として、つまり社会的所有と、再建されるべき個人的所有の、実在化の前提として資本主義が直接に生み出したものである。
 生産手段は資本家に属している。それは労働者にとって疎外された関係を前提としている。しかしながら他方では、資本家の所有する生産手段を現実に動かし、したがってその限りで管理しその限りでは労働者はそれらを「占有」しているといえるのである。だからマルクスは、「占有」概念を法概念を踏まえつつも、自分の透徹した科学性の裏付けをもって使用しているのである。
 かくしてマルクスは、資本主義(の成果)を私的所有(占有ではない)の第一の否定と表現している。つまり、小土地所有としての私的所有が第一に否定されるものなのだ。(第一に否定されたものが、非階級的な小経営生産様式と考える西野氏だが。)したがって第一の否定が、個別的私的所有の否定であり、その結果として労働者階級と、労働者による全生産手段の共同占有を生み出した、と言うことである。そして第二の否定が、資本主義的生産様式すなわち共同占有を止揚して、社会的所有を従って本源的所有である個人的所有を、しかも社会的個人として確立された個人の所有として実現する。マルクスの趣旨は、このように明確であろう。

■E「共同占有」は「社会的所有」へ転化する
 西野氏の「所有」「占有」概念に立ち入ってみよう。
 「自営農民(一方では古典古代、他方では近代のイギリスのヨーマンリー、スエーデンの農民身分、フランスやドイツの農民がそれである。)の自由な所有は、明らかに小経営のための土地所有のもっとも正常な形態である。すなわち、この小経営という生産様式にあっては、土地の占有は、労働者が自分自身の労働の生産物の所有者であるための一つの条件なのであり、耕作者は、自由な所有者であろうと隷属農民であろうとつねに自分の生活手段を自分自身で、独立に、孤立した労働者として自分の家族といっしょに生産しなければならないのである。土地の所有が、この経営様式の完全な発展のために必要であるのは、ちょうど用具の所有が手工業経営の自由な発展のために必要であるのと同じことである。土地の所有は、この場合、人格的自立のための基礎をなす。それは、農業の発展自体にとっての一つの必然的通過点である。」(マルクス『資本論』第24章)。

 これについても西野氏は非歴史的な解釈に終始しているように思われる。農奴的農民と近代の独立自営農民を、押し並べて「小経営生産様式」と概括しながら次のように述べる。
 「この小経営生産様式では、『土地の占有』が、『労働者が自分自身の労働の生産物の所有者であるための一つの条件』であって、その労働者は『古典古代』の場合や『封建的土地所有の解体から生まれてくる諸形態の一つ』の場合のような『土地の自由な所有者』である場合はもちろんのこと、封建制その他の前資本制的諸関係のもとでの『隷属農民』である場合でも、自分と家族の生活手段を『自分自身で、独立に、孤立した労働者として、自分の家族と一緒に』生産するのだということ、つまり、ここでは、労働者とその労働の客観的諸条件との『自然的統一』『本源的統一』が家族という生産的生活の基本単位において形成・維持され、それが固有の特質をなしているのだということ、このことが示されている。」(『経済学と所有』P181)。小経営生産様式は「私的ではあるが、それ自体の内部に搾取関係を内蔵しない生産=取得様式」とも。
 たしかにこの小経営生産様式というものは、端的には農奴と自由農民を包含している。しかしその場合、占有が生産物の自己所有の一般的な条件であるが、その「正常の形態」あるいは、農業発展自体にとっての「必然的通過点」として位置づけられているのが「土地所有」である。マルクスは農奴的土地占有の農民と、ヨーマンリーのような土地所有者で独立自営農民とを、単に同列に置いているのではない。無産階級として資本と相対する労働者の出自が、自由な小土地所有者であるのか、農奴であるのかは、その限りでは問題にならないとは言え、ここではそのような視点ではなく、近代の土地「所有」農民と、土地・耕地の「占有」「用益」者にすぎない封建的隷属農民との間には、天と地の違いがあるという現実も踏まえたものである。
 そしてその間の歴史が教えることは、占有者たちの私的な土地耕作が、紆余曲折を経ながらも拡大し、私的所有・自営農へと到達してゆくという西ヨーロッパで見られる事実である。農民運動の歴史も、土地や人身的拘束の撤廃であり、自由な自己所有・自由な自己労働の実現であったし、そのために占有農民は死を賭して戦いもしたのである。かくして自営農民の存立は、常にそうではなくとも、土地を含む労働手段の自由な利用の拡大から結果する。(その私有の矛盾的展開がただ一つの原理ではないが)。
 再度確認しよう。マルクスは、土地の占有は、「労働生産物の所有」のための「一つの条件である」とし、しかしながらさらに土地の所有がこの経営様式の完全な発展のために必要であるとしているのである。「それ(小経営生産様式)が繁栄し、全精力を発揮し、十分な典型的形態を獲得するのは、ただ、労働者が自分の取り扱う労働条件の自由な私的所有者である場合である。」(『資本論』)。
 マルクスは農奴的土地「占有」と近代の独立自営農民の土地「所有」を、発展の系列のなかで区別して、歴史的な叙述をしているのである。図式的に簡単に述べれば、土地の占有者は依然として生産物の不十分な所有者である。なぜなら古典荘園制での(領主直営地での用役はここで無視するとして)生産物へ課せられる「現物地代」は、「自分のものとして生産されたもの」の一部が「地代」としてーーなぜなら領主に耕地の「所有権」があるからーー収奪されるのである。小経営生産様式の発展は、したがって耕地の私的所有権の確立なのであり、それによって彼らの労働生産物ははるかに十全な形で自分のものとなるのである。
 このようにマルクスは、けっして自由な土地所有と農奴を全体として同一視していない。むしろ占有に立脚する農民が、「正常な」土地所有の農民に移行・転化することを述べているのである。いわんやこの「小経営生産様式」に含まれる農奴制にも「労働者と労働手段の本源的統一」があるとか、農奴制も内部的には非階級的であるとかについての「西野説」にかんしてはマルクスは何も語ってないし、適正なものではない。
 労働する占有者は、所有権を剥奪されており(したがつて搾取されており)、その奪還(獲得)のために戦ってきた史実を氏は見失っているのだろうか。
 西ヨーロッパの独立自営農民は、中世的農奴制の一つの歴史的帰結なのである。あるいは西ヨーロッパの私的小土地所有は、農奴的占有の一つの歴史的帰結なのである。このようなヨーロッパの歴史を踏まえてマルクスの文章は読まれるべきであろう。
 
 ところが西野氏は「土地の占有」が「労働者が自分自身の労働の生産物の所有者であるための一つの条件」(マルクス)ということを歴史的、発展的に理解せず、「所有するためには占有しなければならない」と理解する。あるいは、「占有は所有の不可分の基礎である」と理解する。
 ここでは占有が所有に歴史的に移行するのではない。「所有」と「占有」がむしろ不可分の関係の中で併存するのが「正常の状態」として理解される。だが、そうであるならあらためて「占有」と「所有」の関係が問題となる。
 田口氏などはむしろ「積極的に」この二元論的理解を利用している。ブルジョア的生産関係のみならず、社会主義・共産主義でも「所有」と「占有」の二元的原理として把握しようとする。
 つまり全体としての「社会的所有」、他方での個々の労働者の「取得」にかかわる経営体での「共同占有」というふうに区分けされ機能区分されているのである。「この《共同占有》を基礎として、自分たちの必要生産物を直接的に共同的に生産し、直接に協同的に取得する。」(『社会主義と共同占有』)。このような「所有」と「占有」の二元論は、理論的にはユーゴー自主管理社会主義の反映であり、実践的には「自主管理社会主義」の矛盾と同じものに悩まされるではないのだろうか。

■F田口氏の取得・分配の原理
 西野氏はそうではないが、「共同占有」を強調し、「社会主義的所有」と併存を構想する田口氏などは、「取得」における根拠として「共同占有」を位置づける。田口氏は次のように述べている。
「マルクスがここで『自由な人々の結合体』と表現している『結合体』は《生産・取得単位》のことを指していることに留意すべき」(同上)。「労働者たちは、《生産・取得単位》としての社会主義に組織された工場や農村という個々の結合体において『社会的・集団的』に所有される『土地および労働そのものによって生産された生産手段』を《共同占有》することによって、労働生産物を生産する。」(同上)。
 ここにおいて全体としての生産手段の「社会的所有」と、個々の工場である「共同占有」の、あの分裂が生じている。田口氏が何らかの市場社会主義をイメージしていることが予想される。
「社会主義的所有の本質を規定する要素は、単に生産手段の『社会的・集団的所有』だけではない。労働者たちが《生産・取得単位》としての結合体において生産手段を《共同占有》し、この《共同占有》を基礎として,自分たちの必要生産物を直接に共同的に生産し、直接に共同取得することもまた、社会主義的所有の本質を規定する重要な要素である。」
「すでにみたように、マルクスの言う『個人的所有の再建』とは、社会主義のもとにおける労働者たちは《社会的・集団的に所有》される生産手段を《生産単位》としての個々の結合体において《共同占有》し、それを基礎として、自分たちの生活手段=必要生産物を《直接に共同的に生産し、直接に共同的に取得する》ということであった。」(同上)。
 田口氏の主張によれば、「共同占有」は、「個々の結合体」つまり、あるA生産単位に参加している特定集団の一人一人が「占有権」を持っている、という事実を「社会主義的経済、特に取得」の基礎として重要である、という主張に要約されるように思われる。「個人的所有」とはこのように占有権の裏打ちにより成り立っていると。
 田口氏の見解は、マルクスのそれとは全く異なるものだと言わざるをえない。田口氏はマルクスの、「土地を含む全生産手段」の労働者による「共同占有」という、田口氏にも周知の『資本論』の記述を無視している。ふれてきたように、「全生産手段の共同占有」は、「全生産手段の共同所有」の前提をなすものとして、全労働者的なものとしての「共同占有」と――マルクスの言葉のままに――理解すべきなのである。
 さらに田口氏のような特定企業の(共同)占有権から労働者の取得の問題を提起する理論は、『ゴータ綱領批判』などでみる、マルクスの取得の一般的な理論とも一致しないことが指摘できる。
 マルクスは、労働や生産の国際規模での社会性の認識に立って、その取得・分配については、構成員が社会に何時間貢献したかによって、その取り分を引き出すとしている。つまり取得の権利は完全に社会化された労働(つまり全生産手段の社会的所有)を基本とし、田口氏のようにA工場とかの「占有権」といったものに依存しないのである。
 マルクスのこの見解は、いわゆる「共産主義の低い段階」「協同組合的社会」の内容として語られていることに特に留意しよう。

 田口氏とマルクスの見解の相違は大きなものがある。個々の協同組合的経営の経済活動は、社会的生産として、(本来)国際的にリンクするものであるのだ。それは社会的な共同の経済を成立させるための基本作業であり、不可欠なものではあるが、それらのことがその特定職場や工場の「(共同)占有」「所有」を意味するものではないし、意味するものにしてしまっては台無しというものであろう。
 個々の協同組合が、自己の生産手段や職場を管理することや経営の計画を立てるのは、その生産物等を商品として販売して「取得」の源泉とするためではない。
 たとえば人々が「協力」「共同」しようとするとき、統一的な計画は個々人の力量、意欲、立場等を考慮し、できることをやってゆく必要がある。こうした場合個々人は自分の条件を考慮してーーフィードバックしながらーー全体の計画へとリンクしまとめ上げる必要がある、これと同じである。
 個別的計画からなる全体的計画は、オープンなものである必要がある。それはできあがったものとしては全社会的な計画であり、そこに参画して労働するものは、通常労働時間にしたがってその成果を引き出すシステムが備えられている。この全社会的システムの中では、特殊な一部集団の「取得の源泉」としての「共同占有」は存在しないのは明らかであろう。労働が直接に社会的なものとなっている社会では、経済メカニズムの一部所で労働することでも、個々人は「社会的所有」を実現しており、個々人が実現している社会的所有が「取得の源泉」であつて、その一部所の排他的な「占有」「支配」が「取得の源泉」ではないであろう。これが一連の議論の核心となるであろう。
 田口氏の見解は、「スターリン批判」とユーゴ自主管理社会主義の現実の反映と考えられる。その意味では現在でもリアリティのある無視すべきではない問題を含んでいることは認めざるを得ない。ただし、田口氏がマルクスの強引な解釈によって新しい展開をしようという試みには同意できない。
 マルクスも言っていたと記憶するが、「取得」「分配」の問題は、それらの原理が独自に存在するのではなく、生産手段の所有の一つの結果でしかないのである。マルクスの場合は、「社会的所有」=社会的分配なのである。くりかえしになるが、その土台となった資本主義社会の労働者による「共同占有」は、田口氏のような「個々の経営体」を指すのではなく、「土地を含む全生産手段の共同占有」(マルクス)と表現されるようにすでに全社会的存在として把握されているのである。このような全社会的な「共同占有」が存在するからこそ、「社会的所有」へとそれが転化しうるのは当然なことである。
 他方、田口氏の見解にしたがえば、個々の生産・経営単位をそれぞれの労働者が「共同占有」しており、したがって当然ながら個々の経営体間のつながりは、バラバラであり、商品交換として相互の生産物がやりとりされる(貨幣を媒介として)のは避けられないのではないか。西野氏はまだそのような大胆な解釈に踏み出してはいないが、結局のところ再建された「個人的所有」は、西野氏の場合でも社会的所有(社会的労働)と一体のものではなく、それとは別に存在する何らかの個別分散的な所有(「占有」)から抜け出せないのかもしれない。集団的占有とはいえ、社会全体からすれば分散的な田口氏らの共同占有は、歴史的必然性を持ってそれにふさわしい分散的所有に転化しないであろうか。(以下次号に続く)案内へ戻る


初めて基地反対の名護市長が誕生する

 米軍普天間飛行場の名護辺野古への移設の是非を最大の争点にした名護市長選は、新基地建設反対の新人候補・稲嶺進氏が勝利した。全国が注目する中の市長選挙であった。
 稲嶺氏の当選は地元名護及び沖縄に、日本全国でも大きな意義があったと言える。
 この辺野古への新基地建設問題では、過去3回の市長選は受け入れを容認する候補者が連続して当選してきた。13年間、辺野古新基地建設問題で揺れ続けた名護市に、初めて新基地反対を表明した市長が誕生した。
 さらに、今年は4町村合併による名護市誕生から40年になる。名護市の中でも東海岸の小さな過疎の集落(三原)から初めて市長が選出されるという新たな歴史を刻んだのである。
 名護市民はこの13年間、新基地受け入れとリンクする地域振興策の可否をめぐって、地域や家族や親戚でも対立を強いられて、けんか・論争を繰り返してきた。では、名護市民にこうした対立を持ち込んだ「政策」とは何だったのか?また「誰が」持ち込んだのか?この13年を振り返りながら考えてみたい。
 ★1996年4月、日米両政府が5〜7年以内の普天間飛行場返還で合意。
 ★同年12月、日米特別行動委員会(SACO)最終報告で普天間返還と本島東海岸へ  の海上基地建設で合意。
 ★1997年、移設の賛否を問う「名護市住民投票」で基地建設反対票が上回り、移設  に明確に「ノー」の意思を表明する。
 ★同年12月、比嘉鉄也市長が突然基地の受け入れを発表して、市長を辞任する。
 ★98年2月、市長選で基地容認派が推す岸本健男氏が初当選。
 ★同年11月、県知事選において大田昌秀知事が落選し、稲嶺恵一氏が初当選。
 ★99年11月、県が移設候補地に辺野古を正式決定。
 まず、最初のボタンの掛け違い(問題点)がこの間にある。名護市民の住民投票で建設反対が決定したのである。当然、その結果・住民の民意は尊重されるべきである。
 ところがとんでもないことが起こる。突然、比嘉市長が基地を受け入れを発表、責任を取って辞任する。そして、名護市を二分してしまう激しい市長選の結果、基地容認派市長の当選。さらに、県知事選において海上基地建設反対の大田知事を包囲攻撃して孤立させ、基地容認派知事が当選。
 この背景には、沖縄にどうしても新基地を建設したい日米両政府の思惑があり、自公政権が、なりふりかまわない「アメとムチ」(利益誘導型政治)の政策を押し進めていった。 要するに、米軍基地建設の受け入れと地域振興策をリンクさせ、市政・県政を揺さぶり、莫大な補助金をバラまいて、沖縄を支配してきたと言える。

 ★02年2月、岸本市長再選。
★同年7月、第9回代替施設協議会で沖のリーフ(環礁)埋め立て工法で軍民共用空港  を建設する基本計画に合意。
 ★同年11月、稲嶺知事再選。
 ★03年8月、普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリ墜落炎上。
 ★05年10月、日米安全保障協議委員会で、普天間のキャンプ・シュワブ沿岸部移設  を盛り込んだ在日米軍再編の中間報告を合意。
 ★06年1月、市長選で島袋吉和氏が初当選。
 ★同年5月、日米安全保障協議委員会、キャンプ・シュワブ沿岸部に滑走路2本をV字  形に建設する計画で合意。
 ★同年11月、県知事選で仲井真弘多氏が初当選。
 ★07年1月、名護市が移設設置協議会でV字形滑走路の沖合移動を要求する。
 ★同年8月、沖縄防衛局が環境影響評価書手続きの方法書を県に送付。
 ★08年6月、県議会で与野党勢力が逆転。仲井真県政は少数与党へ。
 ★09月9月、鳩山連立政権が発足。
 この間、自公政権は地方自治体に対して、在日米軍再編の受け入れと地域振興策をリンクさせて、市政を揺さぶる「アメとムチ」の政策を全国的な規模で展開した。
 岩国基地を抱える井原市長が空母艦載機の乗り入れに反対したところ、3億円もの補助金カットで脅かされ、結局は落選させられた事はよく知られている。
 名護市など県内の米軍基地を抱える「基地所在市町村」は、基地のない市町村とは別格扱いにされ、北部振興策など総額2千億円を超す基地振興予算が投下されてきた。
 だが、多くの名護市民は気がつき始めた。基地受け入れとリンクする地域振興基金によって確かに立派な建物や施設はどんどん増えていった。しかし、地域の自立につながる自主財源の増加や失業率の減少には繋がらない。地域によっては、むしろ失業率の増加や公債残高の増加といった負の結果を招いたと。また、建設業者も儲かるのは「本土の会社」ばかりで、小さな地元の建設業者はどんどん倒産してしまったと。
 今回の選挙戦で、前名護市長の故・岸本健男氏の夫人と長男が、前回の市長選で岸本前市長の後継者であった島袋氏を今回は推さず、辺野古移設反対候補者の稲嶺氏の選挙戦を応援したことには驚かされた。
 1月12日(木)の3千人以上が集まった「稲嶺進総決起大会」で、稲嶺氏が会場全体を行進し参加者と握手するとき、その先導役の旗持ちは故・岸本氏の長男・洋平氏(名護市議)が勤め、最後の激励挨拶では夫人の能子さんが稲嶺氏支持を訴えた。
 名護市民は原点に戻ったと言える。すなわち、民意は「辺野古ノー」であり「脱基地経済」である。
 辺野古移設を容認する島袋氏支持し、応援した仲井真知事はまさに八方ふさがりの状況で、「基地の移設問題は日本政府が決めること」と述べて、逃げの表明をするのが精一杯である。
 沖縄はさらに、夏には「参議院選挙」、そして秋には天王山の「知事選」と、選挙が続く。国政レベルの政権交代という衝撃が、各地方の首長選挙にも波及している。この変革の流れは止められないことを、民主党こそが知るべきである。(英)


紹介  初めて歌舞伎を見る

昨年の12月、初めて歌舞伎を見る機会があった。東京銀座にある歌舞伎専門の「歌舞伎座」で見たのだが、その「歌舞伎座」が今年の4月の公演を最後に5月建て替えのために取り壊されるという。現在の建物は1889年に創建され120年の歴史を誇る「歌舞伎の殿堂」で、02年国の登録有形文化財に指定されているが『建て替えは老朽化が著しいので、耐震性や防災性を高め、高齢者のためにバリアフリー化します』(松竹広報室)というのだ。建設する新しいビルは低層部と高層部からなり、低層部分を劇場、高層部分をオフィスとして、劇場の外観は従来通り日本様式のデザインにするようだが、どうして歴史ある古い建物を壊してしまうのだろうか。ヨーロッパでは街の外観を大切にしていて古い建物を保存しているのに、どうして日本は壊してしまうのだろう。今の建物は保存して別の場所に新しい劇場を建てればよいと思うのだが、それでは利益は上がらないということだろうか。現に新しいオフィスビルは地上29階地下4階建てで、賃貸オフィスフロアは高層部の7階〜29階、賃貸可能床面積は1万2000坪ということからも利益を上げることが目的だということがわかる。
そして、歌舞伎そのものも伝統芸能の枠にとらわれないで新しい試みがされている。テレビ、映画、舞台の脚本家、構成作家で俳優の宮藤官九郎=クドカンが、歌舞伎の演出を初めて手掛け、私は“クドカン”の新作「大江戸リビングデッド」を見た。笑わせて泣かせるクドカンワールドといわれる芝居だったが今ひとつで、それよりもその前に見た古典芸能の方が良かった。「操り三番叟(あやつりさんばそう)」は本当に糸で操られているように演じられる踊りで、「野崎村(のざきむら)」は涙を誘う世話物(江戸時代の町人の社会を描いている)の話しで、「身替座禅(みがわりざぜん)」はユーモアたっぷりの舞踊劇だった。私は見る前に「歌舞伎って難しいかな?」と思っていたが、見ていると自分でも不思議なぐらいひとつひとつの話しにのめり込んで、驚いたり笑ったり泣いたりして楽しんでしまった。初めて見る歌舞伎を楽しめたのはイヤホンガイドがあったからではないかと思う。始まる前にイヤホンガイド(使用料650円)を借りて耳にあてていると、耳あたりの良い穏やかな声で演目の説明、出演者の名前、音楽や難しい台詞の説明、見所などを上手に話してくれるのでとてもわかりやすかった。チケット代は少々高かったが一生に一度であると思う歌舞伎を楽しんできた。(美) 案内へ戻る


色鉛筆・・・「北朝鮮の母と子」

 『言葉って、思想を表すんですよ。例えば沖縄の「集団自決」。違う、あれは「国家による殺人強要」。「中国残留孤児」?違いますよ、「置き去りにされた棄民としての日本人」でしょう。「従軍慰安婦」も、男の側の言葉。あれは、「拉致監禁強制売春を強いられた軍用性奴隷」。「援助交際」、違うよね、「児童買春」「児童虐待」ですよ。言葉は、弱者の歴史に沿った使い方をすべきだと私は思う。そうしないと、見えてこない』(ディプソル創刊号<09年11月>)
辛淑玉さんの言葉は、弱者の側から発せられている。現代にとって貴重な言葉だ。この流れで見れば「普天間基地移設問題」という表現も、戦争や基地、沖縄の状況を根底から問い直すことから、見事に目をそらす役目を果たしている。
その辛淑玉さんが、保育者と父母を結ぶ雑誌「ちいさいなかま」(編集「全国保育団体連合会」)に毎月「わたしのアングル」と題してエッセイを書いている。昨年12月号に、次のような話が紹介されていた。
北朝鮮から中国経由で脱出してきた、在日女性の話。
1990年代後半、北朝鮮は未曾有の飢餓におそわれ、餓死者は「数え切れない」ほどに出た。貧しいどん底の生活の中、日本からの支援がとぎれた時、銅線を購入して中朝国境で売った。食糧を手に入れるお金に換えるため、みつかれば公開処刑覚悟の何時間もの汽車の旅は、「ゲートルのように体に巻くものを作り、その間に銅線を一本づつ縫い込んで国境近くまで売りに」行く。その汽車で、一歳か二歳ほどのやせこけた赤ん坊を背負った若いお母さんがいて、運悪く北朝鮮当局に捕まってしまう。泣き続ける若いお母さんは、取調官が子どもを背中からおろしなさいと何度言っても、おんぶひもから手を離さず泣き続けている。とうとう強制的に「子どもを取り上げて机の上におくと、その子のお腹の部分は血で覆われていた。衣服をはがすと、割れた赤ん坊の腹の中から、銅線の束が出てきた」(略)。
栄養不足で日本でいえば生後七ヶ月程度の大きさの赤ん坊は泣くことも無かったという。
話をしてくれた女性は「朝鮮は本当にむごい状態だ。こんなことまでしなければ生きていけない。お願いです、朝鮮人を助けてください。朝鮮人を助けてください!」と訴えた。
冒頭の辛淑玉さんのように表現すれば、北朝鮮への「経済制裁」とは、「子殺し・・・女性や子どもなど弱者の命を奪うもの」だ。この重い辛い事実を受け止めるには、何ができるだろう?ただおろおろするのみだ。(澄)


ワーカーズ1・1号を読んで

 ワーカーズ1・1 408号の巻頭言韓国併合百年偽りの正史を破棄せよ≠読んで、伊籐博文がいかなる人物であったかを知りたく思った。私は明治当初、信濃の人がこれがご一新か!≠ニ言ったこと、板垣退助らに、つまり自由民権運動に敵対する人物とすうて、伊藤博文がいたと、おおざっぱにとらえていた。
 また、沖縄を支配したサツマ出身の知事が、えげつない搾取支配しても伊藤博文の系列にある者として大目に見られたことからも、明治政府の本質を物語るものであろうと、大まかにこう見てきた。ぜひとも伊藤博文とは、いかなる人物であったかを明らかにすることを契機として、明治政府の成り立ちを明らかにしたものを読みたい。
 高校の教科書日本史≠ノは、大まかな流れが記載されている。私たちは自分自身の問題としても、歴史を学び直さねばなるまい。
 最後に、老い故に体が動にくく勉強し直そうと思った矢先、1/1のワーカーズを手にし、勉強の指針ともなる新聞であろうと思い、ここに感謝の念を表明しておきたい。 2010・1・2 宮森常子

若者の好きなライブ

 TVの報道によるのだが、若者は舞台をとびはね絶叫するようなライブに酔う。私は若者の悲鳴をきく思いがする。
 奈良学の講議を聞いたときのこと。講演者は白髪の年配の方だったが、学徒出陣で戦場に向かった時のことを話された。学生でありながら、戦場に向かわねばならなかった前大戦のさ中の時、戦場にいつ赴かねばならないか分からない重圧。その頃、泉鏡花など幻想的な本を読み漁ったとか。現実の重圧から、いっときでも逃れるために。
 ライブに集まる若者は、先が見えぬ現実に向かっての悲鳴をあげているかのようだ。メチャクチャなダンスかなんか分からん踊りに、夢中な若者達の姿は、かつて戦場に向かわせられる前夜、鏡花の作品に没入していった若者たちの再現のように見える。
 ライブは若者たちの悲鳴だ。己を忘れる場であろう。過去という今=A現在を生きる今=B今≠ェ耐え難いのだろう。 2010・1・8 あさ  宮森常子

沖縄びとのおおらかさについて

 前大戦のとき、沖縄は本土の盾として地上戦を経てきた地であり、いまだに占領下さながらのえらい目にあっているのに、沖縄の人々は訪れる本土の人々にどうしてあんなにおおらかなのだろうか。憎みもせずに。また本土で育った沖縄びとも同じく、私どもに寛容だ。
 そこには、私ども本土の人間に負目をよりいっそう感じさせない、つまり気を悪くしないようにという、心づかいがあるのであろう。私どもはそういう心づかいに、乗っかって甘えてきたようだ。いわば沖縄は、本土の都合のギセイになってきたと言えよう。
 しかし、そこには私ども本土の人間への憎悪はない。憎悪を超えたおおらかさを感じさせるに至るまでの道程を、学び知りたく思う。足を踏みつけた者は忘れたり何も感じなくとも、踏まれた者は忘れず憎悪」をもって当たり前。沖縄人からは私どもへの憎悪は感じられない。
 私なら憎悪を持つだろうし、それをどうにかするのにえらい苦労するだろう。経験はそれほど伝わりにくいものなのだろう。大阪空港に基地を持ってくるという話に接した時、私は大阪人も基地のしんどさをつぶさに味わったらいいと思った。ツワーで、はじめて沖縄に行ったとき、恥ずかしいほど旅行客は基地のことに無神経であったから。
 沖縄の言い伝えに他者に辛い目をさせたら夜も眠れない、自分が耐えるほうを選ぶ≠ニいう意味のことわざが」あるそうな。それに私どもは乗っかって甘えてきたのではなかったか。沖縄を訪れた時、無意識のうちに上位に立ったものいいをしていたことが思い出される。
 はじめて沖縄を主張された方として、大田昌秀氏(元知事)がいる。あくまで人を信ようとした詩人、山口獏さんがいる。信≠ヘ理解を超えるもの。本土で出版された獏さんの詩集のは、乞食さながらでありながら人を信じようとした詩挫折≠ヘ、抜け落ちていた。命どう宝≠ヘ、いつ頃生まれた思想であろうか、等々。足掛け10年、沖縄を訪れながら、私は一体、沖縄の何をつかみ得ただろうか。
 最後の旅で生≠フガマ、読谷村のシムクガマについて詳しく学び、沖縄の真髄にふれ得たいもの。ようやく入口に立ったように思えるが、死に頃の年令と体力。思えば昨年来、私と同年の方々が次ぎ次ぎに消えて行く。私の周辺でも親しかった人たちはみな逝ってしまった。逝った人たちの思いを背負って、シンがりをつとめよう。死ぬまでペンを離すまい。 2010・1・8 あさ 宮森常子案内へ戻る


コラムの窓・恥知らずの千葉県議会!

 知事が森田健作だというだけで、千葉県ってどうなんだろうと思ってしまいますが、県議会はもっとぶっ飛んでいるようです。というのも、千葉県議会は昨年12月議会で次のような意見書を可決しているのです。ここにその一部を紹介しますが、全文は千葉県のホームページで確認できます。

定住外国人の参政権付与に反対する意見書
 「普通選挙制度が成立してから80年以上たった今、納税も人権も、参政権とは直接関係ない。国政も地方政治も日本国民たる住民のみが投票することは当然であり、改めて論ずべき余地はない」「よって、国会および政府においては、民主主義の根幹をも揺るがしかねない定住外国人への参政権付与を、断じて行なうことのないよう強く要望する」
選択的夫婦別姓のための民法改正に反対する意見書
 「フリードリヒ・エングルス(ママ)は、1884年に著した『家族・私有財産・国家の起源』の中で、資本主義社会を崩壊させ、社会主義社会を実現するための最も有効な手段として、社会生活の最小単位である『家族』を崩壊させ、私有財産制度を消滅させる≠ニしている」「民主党中心の政府は、『夫婦別姓、子供も別姓』となる選択的夫婦別姓制度導入により、家庭崩壊が叫ばれて久しい日本社会の家族に、とどめの一撃を加えようとしている。『夫婦も別姓、子供も別姓』社会はまさしく『国親思想』、『子供は国家のもの』とする社会主義・全体主義国家である。『子供は国家のもの』とする社会主義全体主義国家の発現の典型例が、ポルポト政権下のカンボジアで行なわれた大量虐殺である。国家が子供に親殺しを命じた結果が、あの大量虐殺であった」

 なんとも恐れ入ります。右翼団体などがこうした決議を行なうことに何の疑問も、驚きもありませんが、これが議会において可決された意見書の文面なのだから驚くほかありません。地方議会の選挙において、地域の構成員であるすべての住民が選挙権を行使するのは当然のことであり、むしろその実現を妨げてきた国籍≠ノよる差別こそ憲法理念を踏みにじるものです。
 また、エンゲルスがそんなことを言っているのか?、疑問符がつくのですが、社会の最小単位は個人であり、家族はすでに自然崩壊しつつあります。古い頭の人たちは、夫婦とその子ども、なんだったらその親も含めた3世代同居でもいいのですが、そうした家庭しか思い描けないようです。
 しかし実態は、結婚しない、しても子どもはいない、意識的にそうした生活スタイルを選択している人は増えているのです。だから、千葉県議会は危機意識に駆られてこうした愚かな意見書≠可決したとも言えそうです。それにしても、夫婦別姓からポルポト政権の大量虐殺にまで行き着くのかと、その想像力には驚嘆するしかありません。
 政権交代によって、これまで権力基盤に乗っかってきた人たちの危機意識は、私たちの想像をはるかに超えて深いようです。夫婦別姓や地方参政権が掛け声だけではなく、現実のものとなるなかで、これに抵抗してきた勢力の偏狭な少数者への排外意識がより鮮明になっているのです。こうした動きに目を奪われることなく、鳩山政権が妥協的な道へと迷い込まずに夫婦別姓や地方参政権を実現するように、私たちも右翼に負けない努力をしたいものです。  (晴)


編集あれこれ

第1面の「韓国併合の百年」は、ワーカーズの今年度の闘争宣言ともいうべき重要な記事です。この記事は、一般的には余り意識されていなかったので、実にタイムリーな記事と評価しております。
続く第2面第3面の記事は、動揺甚だしき鳩山政権は通過点との観点から、私たちが対置する「協力・協同社会」をめざすべき事を力強く訴えたものでした。この記事もワーカーズの立場を明確にしたものです。
さらに第4面から第6面には、久々に理論的な記事を、すなわち「『個人的所有有の再建』論争」を掲載しました。あと二回ほど掲載いたしますが、これらの見解については読者の皆様の真摯なご検討とご意見の送付を期待しております。
その他の記事には、沖縄県民の怒りや「邪馬台国論争」等を取り上げ、多彩なものであったと考えております。
例年は、各会員の年度の抱負を掲載していたのですが、こうした誌面編成もよかったのではないかと考えています。
今年は、読者からの手紙の充実を心がけていきたいと考えております。今年もよろしくお願いいたします。  (直)
 案内へ戻る